◇今週のことば
試練の風雪に挑む友へ
「冬は必ず春となる」と
希望のエールを!
一人を大切にする心を
我らの地域に社会に!
2019年2月4日
妙密上人御消息 P1237
『人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く』
【通解】
人に食物を施すことには三つの功徳があります。一には生命をたもつことができます。二には色艶を増します。三には力を与えるのです。
〈寸鉄〉 2019年2月4日
深き団結があれば恐れるものはない—戸田先生。共々に励まし栄光の峰へ
「東洋哲学研究所の日」。文明間・宗教間の懸け橋たれ!人類の平和のため
東京・中野の日。連帯固く勇気の対話拡大に率先。堂々たる広布の人材山脈
幹部は会合革命、時間革命を。短くも決意漲る集いに。創価とは価値創造
世界対がんデー。早期の発見・治療で死亡リスク大幅減。公明よ対策更に
☆第44回「SGIの日」記念提言(上) 「平和と軍縮の新しき世紀を」 2019年1月26日
創価学会インタナショナル会長 池田大作
民衆の生命と尊厳を脅かす紛争の根を断ち切る
きょう26日の第44回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「平和と軍縮の新しき世紀を」と題する記念提言を発表した。
提言ではまず、軍縮を阻んできた背景にあるものを探る手がかりとして、物理学者で哲学者のカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が考察した「平和不在」の病理に言及。"病に対する治癒"のアプローチを重視する仏法の視座を通し、人間の生き方を変革するための鍵を提起しつつ、「平和な社会のビジョン」の骨格を打ち出した核兵器禁止条約の歴史的意義を強調している。
また、グローバルな脅威や課題に直面する人々の窮状を改善する「人間中心の多国間主義」を推進して、安全保障観の転換を図る重要性を指摘するとともに、軍縮の分野で「青年による関与」を主流化させるよう訴えている。
続いて、核兵器禁止条約への各国の参加の機運を高めるために、有志国による「核兵器禁止条約フレンズ」の結成を提案。日本がそのグループに加わり、核保有国と非保有国との対話の場の確保に努めることを呼び掛けている。
また、来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核軍縮の交渉義務に焦点を当てた討議を行った上で、国連の第4回軍縮特別総会を2021年に開催することを提唱。更に、AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」を禁止する条約の交渉会議を早期に立ち上げるよう訴えている。
最後に、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」に関して、安全な水の確保をグローバルな規模で図るために、国連で「水資源担当の特別代表」を新たに任命することや、世界の大学をSDGsの推進拠点にする流れを強めるための提案を行っている。
世界では今、グローバルな課題が山積する中で、これまで考えられなかったような危機の様相がみられます。
特に顕著なのは気候変動の問題です。世界の平均気温は4年連続で高温となっており、異常気象による被害が相次いでいます。
難民問題も依然として深刻で、紛争などで避難を余儀なくされた人は6850万人にのぼりました。
加えて、暗い影を落としているのが貿易摩擦の問題で、昨年の国連総会の一般討論演説で多くの国の首脳が述べたのも世界経済に及ぼす影響への懸念でした。
これらの課題とともに、国連が早急な対応を呼び掛けているのが軍縮の問題です。アントニオ・グテーレス事務総長は昨年5月、この問題に焦点を当てた包括的文書である「軍縮アジェンダ」を発表しました。
グテーレス事務総長は発表に際し、世界の軍事支出が1兆7000億ドルを超え、"ベルリンの壁"崩壊以降で最高額に達したことに触れる一方で、次のような警鐘を鳴らしました。
「各国が他の国の安全保障を顧みず、自らの安全保障だけを追求すれば、すべての国を脅かす地球規模の安全保障上の不安を生み出してしまうという矛盾がうまれます」
その上で強調したのは、軍事支出の総額が世界の人道援助に必要な額の約80倍に達したという点です。
このギャップが広がる中、「貧困に終止符を打ち、健康と教育を促進し、気候変動に対処し、地球を保護するための取り組みに必要な支出がされていません」との深い憂慮を示したのです(国連広報センターのウェブサイト)。
現在の状態が続けば、誰も置き去りにしない地球社会の建設を目指す「持続可能な開発目標(SDGs)」の取り組みが停滞することにもなりかねません。
軍縮は国連の創設以来の主要課題であり、私自身にとっても、35年以上にわたる毎年の提言で中核をなすテーマとして何度も論じてきた分野であります。
第2次世界大戦の惨禍を体験した世代の一人として、また、地球上から悲惨の二字をなくしたいとの信念で行動を続けた創価学会の戸田城聖第2代会長の精神を継ぐ者として、多くの民衆の生命と尊厳を脅かす紛争の根を断ち切るには、軍縮が絶対に欠かせないと痛感してきたからです。
◇生存の権利を守る信念に立脚した戸田会長の「原水爆禁止宣言」
私たち人間には、いかなる困難も乗り越えることができる連帯の力が具わっています。
不可能と言われ続けてきた核兵器禁止条約も2年前に採択が実現し、発効に向けて各国の批准が進んでいます。
闇が深ければ深いほど暁は近いと、眼前にある危機を"新しき歴史創造のチャンス"と受け止めながら、今こそ軍縮の潮流を大きくつくり出していくべきではないでしょうか。
そこで今回は、21世紀の世界の基軸に軍縮を据えるための足場について、�「平和な社会のビジョン」の共有、�「人間中心の多国間主義」の推進、�「青年による関与」の主流化、の三つの角度から論じてみたい。
◇核軍拡競争が再燃する恐れ
第一の足場として提起したいのは、「平和な社会のビジョン」の共有です。
世界では今、多くの分野にわたって兵器の脅威が増しています。
小型武器をはじめ、戦車やミサイルなどの通常兵器の輸出入を規制する武器貿易条約が2014年に発効しましたが、主要輸出国の参加が進まず、紛争地域で武器の蔓延を食い止められない状態が続いています。
化学兵器のような非人道的な兵器が、再び使用される事態も起きました。
また兵器の近代化に伴って、深刻な問題が生じています。武装したドローン(無人航空機)による攻撃が行われる中、市民を巻き込む被害が広がり、国際人道法の遵守を危ぶむ声があがっているのです。
核兵器を巡る緊張も高まっています。
昨年10月、アメリカのトランプ大統領は、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約=注1=から離脱する方針を発表しました。
両国の間で条約の遵守に関する対立が続いてきましたが、今後、条約が破棄されることになれば、他の保有国を含めた核軍拡競争が再燃する恐れがあります。
まさにグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の序文で述べていた、「冷戦時代の緊張状態が、より複雑さを増した世界に再び出現している」(「軍縮アジェンダ・私たちの共通の未来を守る」、「世界」2018年11月号所収、岩波書店)との警鐘が、強く胸に迫ってきてなりません。
なぜ、このような事態が21世紀の世界で繰り返されようとしているのか——。
この問題を前にして思い起こされるのは、著名な物理学者で卓越した哲学者でもあったカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が、かつて述べていた慧眼の言葉です。
博士は、私が友誼を結んできたエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏(ローマクラブ名誉共同会長)の父君で、世界平和のための行動を貫いた尊い生涯については対談集でも語り合ったところです。
その博士が冷戦の終結後に、"ベルリンの壁"が崩壊した1989年からドイツの統一が実現した90年までの世界の動きを振り返って、こんな言葉を述べていました(『自由の条件とは何か 1989〜1990』小杉尅次・新垣誠正訳、ミネルヴァ書房)。
「世界情勢はこの一年間全体としてはほんのわずかしか変化を経験しなかった」
もちろん、東西に分断されたドイツで人生の大半を過ごしてきた博士自身、冷戦の終結を巡る一連の動きが、歴史的な一大事件に他ならなかったことを何度も強調していました。
そのことを承知の上で博士には、ソクラテスの産婆術=注2=にも通じるような言葉の投げ掛けによって伝えたいメッセージがあったのではないでしょうか。
当時の政治・軍事状況を踏まえて、博士は次のように述べていました。
「制度化された戦争の克服は、残念ながら現況ではまだ精神の根源的変革の域に達していません」
つまり、異なる集団の間で覇権を巡って戦闘が繰り広げられる「制度化された戦争」の克服という根本課題は、冷戦の終結をもってしても、確たる展望を開くことができないままとなっている、と。
そして、こう警告を発していたのです。
「二〇世紀最後半の現時点においても停止することなき軍拡競争の結果、新種の武器開発が行なわれ、それがさらに戦争を勃発させる事態へ連動していく可能性と危険性すら存在する」
今の世界にも当てはまる警告であり、博士の洞察の深さを感じずにはいられません。平和と軍縮の問題は、冷戦時代から現在に至るまで"地続き"となっており、アポリア(難題)として積み残されたままであることが浮き彫りとなるからです。
それでも、希望の曙光はあります。軍縮の分野で、国際政治や安全保障に基づく議論だけでなく、人道的な観点からの問題提起が行われるようになり、対人地雷、クラスター爆弾、そして核兵器と、非人道的な兵器を禁止する条約が一つまた一つと制定されてきているからです。
国際人道法の形成にみられる歴史の大きな流れとしての人道的アプローチを追い風としながら、軍縮を大きく前進させるための共同作業を、すべての国が協力して開始していかねばなりません。
◇ヴァイツゼッカー博士の重要な考察
そこで、一つの手がかりとして言及したいのが、ヴァイツゼッカー博士が、軍縮を阻んできた背景にあるものを、「平和不在」という名の病理として掘り下げていた考察です(『心の病としての平和不在』遠山義孝訳、南雲堂)。
私が着目したのは、博士が平和を巡る問題を"病気"に譬えることで、いずれの国にも、また、どんな人にも決して無縁な課題ではないとの前提に立っていた点です。
その考えの基底には、人間は善と悪に分けられるような存在ではなく、「確定されていない生き物」であるとの認識がありました。
ゆえに、「ひとは平和不在を外側から、愚かさとも悪ともみなしてはいけない」のであって、「病気の現象だけを、目の前に置かねばならない」と強調したのです。
また博士は、「平和不在は教化によっても、罰することによっても克服できない。それは治療と呼ぶべき別のプロセスを必要とする」と指摘し、こう呼び掛けていました。「わたしたちが、病気の症状をわたしたち自身のうちに認識しない限り、また他の人達とわたしたち自身を病人として受け入れることを習わない限り、いかにしてわたしたちは病人を助けることができましょうか」と。
そうした博士であればこそ、アメリカとソ連に続いてイギリスが核開発競争に踏み出していた時代に、次のような問題意識を提示していたのではないかと思います。
博士が中心になって起草し、他の学者たちとの連名で57年に発表した「ゲッティンゲン宣言」には、こう記されています。
「自国を守る最善の方法、そして世界平和を促進する最短の道は、明確かつ自発的に、いかなる種類の核兵器の保有も放棄することであるとわれわれは信ずる」(マルティン・ヴァイン『ヴァイツゼッカー家』鈴木直・山本尤・鈴木洋子訳、平凡社)
この言葉は、核開発競争を続ける保有国に向けられたものというよりも、まずもって、"自分の国が核問題にどう臨むべきか"との一点に焦点を当てたものでした。
また、科学者として自分たちの仕事がもたらす結果に対する責任を負うがゆえに、すべての政治問題に対して沈黙することができないと宣言したのです。
◇三車火宅の譬え
一方、この「ゲッティンゲン宣言」と同じ年に、仏法者としての信念に基づいて「原水爆禁止宣言」を発表したのが、私の師である戸田第2代会長でした。
戸田会長は、当時高まっていた核実験禁止運動の重要性を踏まえつつも、問題の根本的な解決には、核兵器を正当化する安全保障の根にある思想を断ち切る以外にないとして、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と訴えました。
世界の民衆の生存の権利を守るとの一点に立脚して、その権利を脅かすことは誰であろうと許されないと訴え、国家の安全保障という高みに置かれていた核兵器の問題を、すべての人間に深く関わる"生命尊厳"の地平に引き戻すことに、「原水爆禁止宣言」の眼目はあったのです。
私が核廃絶の運動に取り組む中で、「核時代に終止符を打つために戦うべき相手は、核兵器でも保有国でも核開発国でもありません。真に対決し克服すべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さないという『核兵器を容認する思想』です」と訴えてきたのも、その師の信念を継いだものに他なりません。
思い返せば、「原水爆禁止宣言」の発表から1年が経った時(58年9月)、私は戸田会長の師子吼を反芻しながら、「火宅を出ずる道」と題する一文を綴ったことがあります。
火宅とは、法華経の「三車火宅の譬え」から用いた言葉で、そこには、こんな話が説かれています。
ある長者の家が、突然、火事に見舞われた。しかし屋敷が広大なこともあり、子どもたちは一向に危険に気づかず、驚きも恐れもしていない。そこで長者は、「外に出よう」という気持ちを子どもたちが自ら起こせるように働きかけて、全員を火宅から無事に救出することができた——という話です。
私は、その説話に触れた一文の中で、「原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」と強調しました。核兵器はまさに、すべての国の人々に深く関わる脅威であり、その未曽有の脅威に覆われた"火宅"から抜け出す道を共に進まねばならないとの思いを込めて、その言葉を綴ったのです。
この説話が象徴するように、何よりも重要なのは、すべての人々を救うことにあります。
その意味で、グテーレス事務総長が主導した「軍縮アジェンダ」で、長らく論議の中核を占めてきた"安全を守る"という観点だけでなく、「人類を救うための軍縮」「命を救う軍縮」「将来の世代のための軍縮」との三つの立脚点が新たに打ち出されたことに、深く共感するものです。
◇戦争の悲劇を繰り返させない
アングリマーラを変えた二つの転機
では、いかなる手段も厭わず、どんな犠牲が生じても構わないといった思想に横たわる「平和不在」の病理を乗り越えて、すべての人々の命を救うための軍縮を世界の潮流に押し上げていくためには、何が必要となるのか——。
この難題と向き合うにあたり、"病に対する治癒"のアプローチを重視する仏法の視座を示すものとして紹介したいのは、釈尊が在世の時代の古代インドで、多くの人命を奪い、人々から恐れられていたアングリマーラを巡る説話です。
——ある時、釈尊の姿を見かけたアングリマーラは、釈尊の命を奪おうとして、後を追いかけた。
しかし、どれだけ足を速めても、釈尊のそばにはたどりつけない。
業を煮やした彼が立ち止まり、釈尊に「止まれ」と叫んだ。すると釈尊から返ってきたのは、「アングリマーラ、わたしは止まっている。おん身が止まれ」との答えだった。
自分は足を止めているのに、なぜ、そんなことを言うのかとたずねるアングリマーラに対し、釈尊はさらにこう答えた。
「止まれ」と言ったのは足のことではない。次々と命を奪うことに何の痛痒も感じない、その行動の奥底にある害心に対し、自らを制して止まるように言ったのである、と(長尾雅人責任編集『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』中央公論社を引用・参照)。
この言葉に胸を打たれたアングリマーラは、害心を取り払って悪を断つことを決意し、手にしていた武器を投げ捨てた。そして釈尊に、弟子に加えてほしいと願い出たのです。
以来、彼は釈尊に帰依し、自らが犯した罪を深く反省しながら、贖罪の思いを込めた仏道修行にひたすら励みました。
そんなアングリマーラに、もう一つの重要な転機が訪れました。
——アングリマーラが托鉢をしながら街を歩いていると、難産で苦しんでいる一人の女性を見かけた。何もできずに立ち去ったものの、女性の苦しむ姿が胸に残り、釈尊のもとに赴いてそのことを伝えた。
釈尊はアングリマーラに対し、女性のもとに引き返して、次の言葉をかけるように促した。「わたしは生まれてからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
自分が重ねてきた悪行を知るがゆえに、アングリマーラは真意がつかめなかった。そこで釈尊は、アングリマーラが害心を自ら取り払い、深く反省して修行を重ねていることに思いを至らせるかのように、改めて彼に対し、女性にこう告げるように呼び掛けた。
「わたしはとうとい道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
釈尊の深い思いを知ったアングリマーラは、街に戻って女性に言葉を捧げた。すると苦しんでいた女性は穏やかな表情を取り戻し、無事に子どもを出産することができたのだった——(前掲『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』を引用・参照)。
この二つの出来事を通して、釈尊がアングリマーラに促したことは何であったか。
それは、彼を長らく突き動かしてきた害心に目を向けさせて、悪行を食い止めたことにとどまりませんでした。母子の命を助けるための道を照らし出し、アングリマーラが自らの誓いをもって"命を救う存在"になっていく方向へと、心を向けさせたのです。
もちろんこの説話は、一人の人間の生き方の変革のドラマを描いたものであって、現代とは時代も違えば、状況も違います。
しかし、行為の禁止を強調するだけでなく、その行為とは正反対の"命を救う存在"へと踏み出すことを促すベクトル(方向性)は、社会の変革にまで通じる治癒の底流となり得るのではないかと、私は提起したいのです。
◇ジュネーブ諸条約に込められた決意
今から70年前(1949年)に締結され、国際人道法の重要な原則を定めたジュネーブ諸条約には、このベクトルに相通じるような条約制定への思いが込められていたと感じます。
ジュネーブ諸条約は、妊婦をはじめ、子どもや女性、高齢者や病人を保護する安全地帯の設置などを求めて、第2次世界大戦の末期に赤十字国際委員会が準備作業に着手していたものでした。
戦後、交渉会議に参加した国々は、条約の採択に際し次の表明を行いました。
「各国政府は将来にわたり、戦争犠牲者の保護のジュネーブ諸条約を適用しなければならないことのないよう、また各国は強大国であろうと弱小国であろうと常に諸国間の相互理解と協力により紛争を友好的に解決することを希望する」(井上忠男『戦争と国際人道法』東信堂)
つまり、条約に対する違反行為を共に戒めるといった次元にとどまらず、条約の適用が問われるような、多くの人命が奪われる事態を未然に防ぐとの一点に、条約の制定を導いた思いが凝縮していたのです。
多くの人々が目の当たりにした戦争の残酷さと悲惨さが、交渉会議の参加者の間にも皮膚感覚として残っていたからこそ、国際人道法の基盤となる条約は、強い決意をもって採択されたのではないでしょうか。
私は、この条約の原点を常に顧みることがなければ、条文に抵触しない限り、いかなる行為も許されるといった正当化の議論が繰り返されることになると、強く警告を発したい。
まして現在、AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」の開発が進む中で、"人間が直接介在せずに戦闘が行われる紛争"の到来さえ、現実味を帯びようとしています。このままではジュネーブ諸条約に結実した国際人道法の精神が十全に発揮されなくなる恐れがあり、私たちは今こそ、「平和不在」の病理を克服する挑戦を大きく前に進めねばならないと思うのです。
そのために重要な足場となるのが、「平和不在」の病理に対する認識を互いに持ちながら、治癒のあり方を共に探ること——すなわち、「平和な社会のビジョン」を共有していくことではないでしょうか。
◇核兵器禁止条約が持つ歴史的な意義
私は、このビジョンの骨格となるものを打ち出した軍縮国際法の嚆矢こそ、核兵器禁止条約に他ならないと訴えたい。
核兵器禁止条約は、軍縮や人道の範疇だけに収まる国際法ではありません。
国際人道法の名づけ親と言われる赤十字国際委員会のジャン・ピクテ元副委員長は、国際人道法の規則を構成する条文は「人道的な関心を国際法へ転換したもの」(前掲『戦争と国際人道法』)であると強調していました。
被爆者をはじめとする多くの民衆の"核兵器による惨劇を繰り返してはならない"との思いを凝縮した核兵器禁止条約は、まさにその系譜に連なるものだといえましょう。
さらに、核兵器禁止条約は、新しい国際法のあり方として注目されている、「ハイブリッド型国際法」の性格も帯びています。
これは気候変動の分野で提起されてきたもので、人権や強制移住の問題と連動させる形での問題解決を志向した、思考の枠組みの転換を促す条約のアプローチです。
そうした地球的な課題の連関性をより幅広く包摂したのが、核兵器禁止条約であると思うのです。
国家の主権に深く関わる安全保障であっても、「環境」「社会経済開発」「世界経済」「食糧安全保障」「現在及び将来の世代の健康」、そして「人権」と「男女双方の平等」のすべての重みを踏まえたものでなければならないとの方向性を明確に打ち出しているからです。
いずれの課題に対する配慮を欠いても、真の安全保障を確保することはできない——その意識の共有が土台になければ、核軍縮の交渉といっても、保有数のバランスばかりに目が向いて、軍備管理的な意味合いから抜け出すことは難しいのではないでしょうか。
その意味で、核兵器禁止条約は、長年にわたる核軍縮の停滞を打ち破るための基盤を提供するだけではありません。
核兵器禁止条約を支持する連帯の輪を広げる中で、�すべての人々の尊厳を守り合う「人権」の世界、�自他共の幸福と安全を追求する「人道」の世界、�地球環境と未来の世代に対する責任を分かち合う「共生」の世界への道を力強く開いていくことに、最大の歴史的な意義があると訴えたいのです。
◇不十分な状態続く人道危機への対応
次に、軍縮を進めるための第二の足場として提起したいのは、「人間中心の多国間主義」を共に育むことです。
「人間中心の多国間主義」は、深刻な脅威や課題に直面している人々を守ることに主眼を置くアプローチで、昨年8月に行われた国連広報局/NGO(非政府組織)会議の成果文書でも、その重要性が強調されていたものです。
SDGsの取り組みを前進させるために欠かせないアプローチですが、私は、この追求がそのまま、軍拡の流れを軍縮へと大きく転換する原動力となっていくに違いないと考えます。
国連のグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の発表にあたって警鐘を鳴らしていたように、世界全体の軍事支出が増加する一方で、人道危機への対応のために必要な支援が不十分となる状態が続いています。
災害だけをみても、毎年、2億人以上の人々が被災しているといわれます。
飢餓の問題も深刻です。8億2100万人が飢餓に見舞われ、栄養不良で発育が阻害されている5歳未満の子どもは約1億5100万人に及んでいます。
この問題を考えるにつけ、"そもそも安全保障は何のためにあるのか"との原点に立ち返る必要があると思えてなりません。
そこで言及したいのは、国連大学のハンス・ファン・ヒンケル元学長が「人間の安全保障」に関する論考で述べていた言葉です。
ヒンケル氏は、安全保障はさまざまな要因が関係するために複雑にみえるものの、一人一人の目線に立てば、何が脅威で、何を不安に感じるのかは明白に浮かび上がってくるとし、次のように指摘しました。
「世界の大多数の人々にとって、従来の安全保障が、個人レベルにおいて意味のある安心感を提供できなかったことは明白である」
「国際関係と外交政策の決定過程には、疾病や飢餓や非識字よりも、ハイ・ポリティクスを優先する態度や制度が埋め込まれている。私たちは、このようなあり方にあまりにも慣れてしまっており、多くの人にとって『安全』は国家の安全保障と同義になっている」
「ハイ・ポリティクス」とは政治上の最優先事項を意味する言葉ですが、国家の安全保障の比重に比べて、一人一人の生命と生活を脅かす諸課題への対応が遅れがちになる中で、世界の多くの人々が「意味のある安心感」を得られていない状況が生じているのではないかと、ヒンケル氏は問題提起したのです。
◇仏法に脈打つ「同苦」の精神がSGIの平和運動の源流
またヒンケル氏は別の講演で、極度の貧困に陥った人々の窮状について、こう述べていました。
「一日一日の生存さえ——まさしく『一日一日』であって、『一時間一時間』とさえいいうるのだが——保証されないとしたら、人はいかにして生活に喜びや意味を見い出したり、人間的尊厳を維持しながら生活を送ることができるだろうか。明日を迎えるのが精一杯というような生活が主たる関心事であるとしたら、人はいかにして未来に懸け、他者との絆を築くことができるだろうか」(「疎外、人間の尊厳、責任」、「日本国際問題研究所創立40周年記念シンポジウム報告書」所収)と。
私はそこに、従来の安全保障では見過ごされてきた人々の苦しみの深刻さを、痛切に感じるのです。
その辛い思いは、貧困や格差に苦しむ人々だけでなく、紛争のために難民生活を強いられた人々や、災害によって避難生活を余儀なくされた人々をはじめ、世界の多くの人々が抱えているものではないでしょうか。
◇アフリカで広がる画期的な難民支援
その意味で私は、同じ地球に生きる一人一人が「意味のある安心感」を抱くことができ、未来への希望を共に育んでいける世界を築くことこそ、「人間中心の多国間主義」の基盤にあらねばならないと訴えたい。
とはいっても、この挑戦はゼロからの出発ではありません。多くの深刻な問題に直面してきたアフリカで、意欲的な取り組みが始まっているアプローチだからです。
その契機となったのが、2002年のアフリカ連合(AU)の発足でした。
人道危機に対応するための協力が模索される中、7年前には「AU国内避難民条約」が発効しています。
これは他の地域には見られない先駆的な条約で、国内避難民の保護を地域全体で支えることを目指したものです。
また、難民支援の面でも特筆すべき動きがみられます。
例えばウガンダでは、南スーダンなどの紛争国から逃れた110万人もの難民を受け入れてきましたが、難民の人々は移動の自由と労働の機会が認められているほか、土地の提供を受け、医療や教育も受けられるようになっています。
ウガンダの多くの国民が紛争の被害に苦しみ、難民生活を送った経験を持ち、その時の思いが、難民の人々を支える政策の基盤となっているのです。
このほか、タンザニアでも注目すべき取り組みがありました。
タンザニアでは、周辺の国々から避難した30万人以上の難民の人々が生活していますが、その難民の人々と地域の住民が協力して、苗木を栽培する活動が行われてきたのです。
この活動は、薪を得るために森林伐採が進み、自然環境の悪化が懸念される中で始まったもので、難民キャンプとそのキャンプがある地域に約200万本の木々が植えられてきました。
アフリカの大地に新たに植えられた、たくさんの緑の木々——。その光景を思い浮かべる時、私の大切な友人で、アフリカに植樹運動の輪を広げたワンガリ・マータイ博士が述べていた言葉が胸に迫ってきます。
「木々は土地を癒し、貧困と飢えのサイクルを断ち切る一助になります」
「そして、木々は素晴らしい平和のシンボルです。木々は生き、私たちに希望を与えてくれます」(アンゲリーカ・U・ロイッター/アンネ・リュッファー『ピース ウーマン』松野泰子・上浦倫人訳、英治出版)
難民の人々にとって、新しく生活を始めた場所で栽培を手伝った木々の存在は生きる希望の象徴となり、「意味のある安心感」につながるものとなっているのではないでしょうか。
私は、"最も苦しんだ人こそが最も幸せになる権利がある"との信念に基づき、21世紀は必ず「アフリカの世紀」になると、半世紀以上にわたって訴え続けてきました。
世界で求められている「人間中心の多国間主義」のアプローチの旭日は、今まさにアフリカから昇ろうとしているのです。
◇無関心と無慈悲が苦しみを強める
現在、国連難民高等弁務官事務所が支援する難民の3割以上が、アフリカの国々で生活をしています。
国連で先月採択された、難民に関するグローバル・コンパクト=注3=でも呼び掛けられたように、大勢の難民の人々を受け入れ国だけで支えるのは容易ではなく、国際社会をあげて難民への支援とともに、受け入れ国に対する支援を強化することが欠かせません。
ともすれば、難民問題や貧困の問題にしても、その悲惨さに直面していない場合、"自分たちの国には関係がない"とか"自分たちの国の責任ではない"と考えてしまう傾向がみられます。「人間中心の多国間主義」は、こうした国の違いという垣根を超えて、深刻な脅威や課題に苦しんでいる人々を救うことを目指すアプローチなのです。
仏法の出発点となった釈尊の「四門出遊」の説話には、この意識転換を考える上で示唆を与えるメッセージがあると、私は考えます(以下、『ゴータマ・ブッダI』、『中村元選集[決定版]』第11巻所収、春秋社を引用・参照)。
古代インドの時代に、王族として生まれた釈尊は、政治的な地位と物質的な豊かさに恵まれる中で、寒さや暑さに悩まされることも、塵や草や夜露によって衣服が汚れることもない生活を送り、多くの人が王族に仕えてくれる環境の下で青年時代を送りました。
しかしある日、城門から出た釈尊が目にしたのは、病気や老いを抱えて苦しむ人々や、道端で亡くなっている人の姿でした。
その姿に激しく心を動かされた釈尊は、自分も含め、人間であるならば誰しも生老病死の苦しみは逃れがたいものであることを、まざまざと感じたのです。
釈尊が胸を痛めたのは、生老病死の悩みもさることながら、多くの人がそれを"今の自分とは関係のないもの"と考えて、苦しんでいる人々を忌み嫌ったり、厭う気持ちを抱いてしまっていることでした。
後に釈尊は当時を回想し、そうした人間心理について次のように述べました。
「自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している——自分のことを看過して」
こうした言葉を通し、釈尊は「老い」だけでなく、「病」や「死」に対しても同じ心理が働きやすいことを喝破しました。他者の苦しみを自分とは無縁のものと思い、嫌悪の念すら抱く——この人間心理を、釈尊は「若さの驕り」「健康の驕り」「いのちの驕り」として戒めたのです。
それらの驕りを、"人間と人間との心の結びつき"の観点から見つめ直してみるならば、驕りから生じる無関心や無慈悲が、人々の苦しみをより深刻なものにしてしまうという問題が、浮かび上がってくるのではないでしょうか。
いつの時代にも、"貧困などの状態に陥るのは本人の運命でやむを得ない"といった運命論や自己責任論をはじめ、"人々に苦しい思いをさせたとしても、自分の知るところではない"といった道徳否定論が横行しやすい面があります。
こうした考えに対して釈尊は、人間が生きる上でさまざまな苦しみに遭うことは避けられないとしても、自身の内なる可能性を開花させることで、人生を大きく切り開いていくことができると強調しました。
そしてまた、困難を抱える人々に対し、同苦して寄り添い、励まし支えていく縁を紡ぎ合う中で、安心と希望の輪を広げることができると強調したのです。
◇この仏法の眼差しは、生老病死の悩みにとどまらず、社会でさまざまな困難に直面している人々にも向けられたものでした。
例えば、ある大乗仏教の経典(優婆塞戒経)には次のような一節が説かれています。
「乾燥した場所には、井戸をつくり、果樹林を植え、水路を整備しよう」
「年配の人や子どもや体の弱い人が困っていれば、彼らの手をとって助けよう」
「住んでいた土地を失ってしまった人を見かけたら、親身な言葉をかけて寄り添おう」
これらの言葉は、自分も同じ苦しみに直面するかもしれない一人の人間として、"自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない"との心で「自他共の幸福」を目指していく、仏法の精神の一つの表れといえるものです。
私どもがFBO(信仰を基盤とした団体)として、平和や人権、環境や人道などの地球的な課題に取り組む上での思想的源流となってきたのも、こうした他者の苦悩に「同苦」する精神に他なりませんでした。
釈尊が洞察した、老いや病や死を自分に関係がないものとして厭い、苦しみを抱える人に冷たく接してしまう心理——。それはまた、貧困や飢餓や紛争で苦しんでいる人々を、自分が直面する問題ではないからと意識の外に置いてしまう心理と、底流において結びついているのではないかと思えてなりません。
◇環境問題が促す安全保障観の転換
この問題を考える時、先に触れた国連広報局/NGO会議の成果文書の中にも、「私たち民衆は、ナショナリズムかグローバリズムか、いずれかしかないといった誤った選択を拒否する」との言葉があったことが想起されます。
自国第一主義に象徴されるようなナショナリズムを追求すればするほど、「排他」の動きが強まることになり、経済的な利益を至上視するグローバリズムを進めれば進めるほど、「弱肉強食」的な世界の傾向が強まってしまいます。
そうではなく、深刻な脅威や課題に直面する人々を守ることに主眼を置いた「人間中心の多国間主義」のアプローチを、すべての国々が選び取って共に行動を起こしていく時代が来ていると思うのです。
安全を守る防衛の歴史には、"城壁を堅固に築けば、自分たちは安全である"との思想がみられますが、そうした考えは現代においても、"軍事力で防御された国境の内側にいる限り、自分たちの安全は確保できる"といった形で受け継がれてきたといえましょう。
しかし一方で、気候変動をはじめとする地球的な課題の多くは、国境を越える形で被害が及ぶものであり、新しいアプローチでの対応が欠かせないのではないでしょうか。
こうした中、ラテンアメリカとカリブ海諸国が、昨年3月、環境に関する権利を地域全体で守ることを目指す、「エスカス条約」という画期的な枠組みを採択しました。
この地域では、ハリケーンによる災害や、海洋の酸性化などの問題を抱えてきました。そこで、条約を通じて地域間の協力を強化するとともに、環境問題に取り組む人々を共に守り、重要な決定をする場合には多様な意見に耳を傾けることを義務づけるという、「人間中心」の方針が打ち出されたのです。
◇自分にしかできない行動が厳しい現実を突き破る力に
加えて、グローバルな規模でも注目すべき動きが始まっています。
国連環境計画が2年前に開始した「クリーン・シー・キャンペーン」で、海洋汚染を引き起こしてきたプラスチックごみの削減を目指す運動です。
現在までに50カ国以上が参加し、対象となる海岸線は世界全体の6割を超えるまでになりました。
これまで"海岸線を守る"というと防衛的な観点が前面にあったといえますが、今やそこに、"国の違いを超えて海洋を保護し、生態系を共に守る"というまったく新しい意味合いが生じつつあるのです。
歴史を振り返れば、現代にもつながる排他的なナショナリズムと、利益至上主義のグローバリズムの端緒となったのが、19世紀後半から世界に台頭した帝国主義でした。
創価学会の牧口常三郎初代会長は、その嵐が吹き荒れた20世紀の初頭(1903年)に、他国の民衆を犠牲にして自国の安全と繁栄を追い求める生存競争から脱して、各国が人道的競争に踏み出すべきであると訴えていました。
そしてその要諦を、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する方法を選ぶにあり。共同生活を意識的に行うにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社、現代表記に改めた)と強調したのです。
この軸足の転換は、現代の世界で切実に求められているものだと思えてなりません。
人道危機や環境協力の分野で助け合う経験を重ねることは、「平和不在」の病理がつくりだした対立と緊張の荒れ地に、信頼と安心の緑野を広げるための処方箋となるはずです。その先には、対抗的な軍拡競争から抜け出す道も開けてくるのではないでしょうか。
今年の9月には、国連で「気候サミット」が開催されます。
世界全体が「人間中心の多国間主義」へと大きく踏み出すための絶好の機会であり、"同じ地球で生きる人間の生命と尊厳にとって重要な協力とは何か"に焦点を当て、温暖化防止の取り組みの強化を図るとともに、安全保障観の転換を促す機運を高める出発点にしていくことを、私は強く呼び掛けたいのです。
◇国連事務総長の学生への呼び掛け
最後に、軍縮を進めるための第三の足場として提起したいのは、「青年による関与」を主流化させることです。
国連では今、多くの分野で青年がキーワードになっています。
その中核となるのが、昨年9月に始まった「ユース2030」の戦略です。世界18億人の青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)を進めながら、若い世代が主役となってSDGsの取り組みを加速させることが目指されています。
人権の分野でも新しい動きがありました。
来年からスタートする「人権教育のための世界プログラム」の第4段階で、青年を重点対象にすることが決まったのです。
私も昨年の提言で、その方向性を呼び掛けていただけに、第4段階の活動が多くの国で軌道に乗ることを願ってやみません。
青年の重要性が叫ばれているのは、軍縮の分野も例外ではなく、グテーレス事務総長が主導した「軍縮アジェンダ」で明確に打ち出されています。何より事務総長の思いは、その発表の場として国連本部のような外交官の集まる場所ではなく、若い世代が学ぶジュネーブ大学を選んだことにも表れていました。
グテーレス事務総長は、こう呼び掛けました。
「この会場におられる学生の皆さんのような若者は、世界に変革をもたらす最も重要な力です」
「私は、皆さんが自分の力とつながりを利用し、核兵器のない世界、兵器が管理、規制され、資源がすべての人に機会と繁栄をもたらすように使われる世界を求めることを希望しています」(国連広報センターのウェブサイト)
その強い期待を胸に事務総長は、長年にわたり未解決となってきた核兵器の問題だけでなく、若者たちの未来に深刻な脅威を及ぼす課題として、新しい技術が引き起こす紛争の危険性を学生たちに訴えたのです。
なかでも事務総長が深い憂慮を示していたのが、サイバー攻撃の脅威でした。サイバー攻撃は、軍事的な打撃を与えるものにとどまらず、重要インフラへの侵入で社会的な機能を麻痺させることを目的にした攻撃など、多くの市民を巻き込み、甚大な被害を及ぼす危険性を持つものです。
このように現代の軍拡競争は、戦闘の有無にかかわらず、日常生活にまで及ぶ脅威を招いています。
しかも、その深刻さは、平和や人道に対する脅威だけにとどまりません。
人間の生き方、特に青年に及ぼす影響の観点から見つめ直してみるならば、軍拡の問題があまりにも複雑で巨大になってしまったがゆえに、現実を変えることはできないといった"あきらめ"を蔓延させる点に、根源的な深刻さがあるのではないでしょうか。
◇社会の土壌を蝕む"あきらめ"の蔓延
「平和不在」の病理の克服を訴えたヴァイツゼッカー博士が、何より懸念していたのもこの問題でした(前掲『心の病としての平和不在』)。
博士は、制度的に保障された平和の必要性を訴える自分の主張に対し、寄せられる非難として二つの類型を挙げました。
一つは、「われわれは平和の中で暮らしているではないか。大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」との非難です。
もう一つは、「戦争はいつの時代にもあったし、またこれからもあるだろう。人間の自然とはそういうものだ」との非難でした。
奇妙なことに二つの非難は、しばしば同じ人間が発する言葉でもあったといいます。つまり、「同じ人が、一方では平和の中で暮らしていると考え、他方では、平和は単なる聞き届けられない願望であるといっている」と。
そこで博士は、本人でも気づかない矛盾がなぜ起こるのかについて考察を進めました。
注視し続けることが困難な問題を前にした時、人間にはそれを頭の中から押しのけようとする心理が働く。その心の動きは、ある場合には精神の均衡を保つために必要かもしれないが、「生存に必要な判断」が求められる時に、果たしてそれで良いのだろうか。
それは、「わたしたち人間が、平和をつくり出すようになるためにはなにがなされねばならないか。なにを実行しなければならないか」について、真摯に考えようとする取り組みを足止めしてしまうのではないか——というのが、博士の問題提起だったのです。
この考察から半世紀が経った今なお、核抑止を積極的に支持しないまでも、安全保障のためにはやむを得ないと考える人々は、核保有国や核依存国の中に少なくありません。
核戦争が実際に起こらない限り、「大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」と考え、核の脅威から目を背けていても、一見、何の問題もないようにみえるかもしれない。
しかし、核問題に対する"あきらめ"が蔓延していること自体が、社会の土壌と青年たちの未来を蝕みかねないことに目を向ける必要があります。
核抑止に基づく安全保障は、ひとたび戦端が開かれれば、他国と自国の大勢の人々の命を奪い去る大惨事を招くだけではない。核兵器が使用される事態が起きなくても、核の脅威の下で生きることを強いられる不条理は続き、核兵器の防護や軍事機密の保護が優先されるため、国家の安全保障の名の下に自由や人権を制限する動きが正当化される余地も常に残ります。
そこに"あきらめ"の蔓延が加われば、自分たちの身に自由や人権の侵害が降りかからない限り、必要悪として見過ごしてしまう風潮が社会で強まる恐れがあるからです。
ヴァイツゼッカー博士が懸念していた「平和不在」の病理がもたらす悪影響が、このような形で今後も強まっていくことになれば、次代を担う青年たちが健全で豊かな人間性を育む環境は損なわれてしまうのではないでしょうか。
◇立正安国論の精神
釈尊の教えの精髄である法華経に基づき、13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人が、「立正安国論」において、社会の混迷を深める要因として剔抉していたのも、"あきらめ"の蔓延でありました。
当時は、災害や戦乱が相次ぐ中で、多くの民衆が生きる気力をなくしていました。その上、自分の力で困難を乗り越えることをあきらめてしまう厭世観に満ちた思想や、自己の心の平穏だけを保つことに専念するような風潮が社会を覆っていました。
その思想と風潮は、法華経に脈打つ教えとは対極にあるものに他なりませんでした。法華経では、すべての人間に内在する可能性をどこまでも信じ、その薫発と開花を通じて、万人の尊厳が輝く社会を築くことを説いていたからです。
度重なる災害で打ちひしがれている人々の心に希望を灯すには何が必要なのか。紛争や内戦を引き起こさないためには、どのような社会の変革が求められるのか——。
大聖人はその課題と徹底して向き合いながら、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書24ページ)と訴え、"あきらめ"の心を生じさせる社会の土壌に巣くう病根を取り除く重要性を強調しました。
社会の混迷が深いからといって、あきらめるのではない。人間の内なる力を引き出して、時代変革の波を共に起こすことを呼び掛けたのが、大聖人の「立正安国論」だったのです。
私どもは、この大聖人の精神を受け継ぎ、牧口初代会長と戸田第2代会長の時代から今日に至るまで、地球上から悲惨の二字をなくすために行動する民衆の連帯を築くことを社会的使命としてきました。
こうした仏法の源流にある釈尊の苦に関する洞察について、「厭世的な気分というものはない」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と評したのは、哲学者のカール・ヤスパースでした。
ヤスパースの著作の中に、"あきらめ"を克服するための方途を論じた考察があります(『実存開明』草薙正夫・信太正三訳、創文社)。
一人一人の人間が直面する逃れられない現実を「限界状況」と名づけたヤスパースは、「現存在としてわれわれは、限界状況の前に眼を閉ざすことによってのみ、それらを回避することができる」が、それは自身の内なる可能性を閉ざすことになると指摘しました。
私が重要だと感じたのは、ヤスパースが、限界状況といっても一人一人の人間にとって個別具体的なものであるからこそ、そこに打開の糸口を見いだせると洞察していた点です。
つまり、人間はそれぞれ、生まれや環境といった異なる人生を背負っており、その制約によって生きる条件が狭められるものの、限界状況を自覚して正面から向き合うことを決断すると、他の誰かとは代替できない個別の境遇という「狭さ」を、本来の自分に生きゆく生の「深さ」へと転換することができる、と。
その上でヤスパースは、「このような限界状況にあっては、客観的な解決などというものは永久にあるわけでなく、あるものは、その都度の解決だけである」と訴え、だからこそ自分自身でなければ起こすことのできない一回一回の行動の重みが増してくると強調したのです。
◇共存の道を開く
このヤスパースの呼び掛けは、冷戦時代から平和と共存の道を開くために行動してきた私自身の思いとも重なるものです。
冷戦対立が激化した1974年に、中国とソ連を初訪問した私に浴びせかけられたのは、「宗教者が、何のために宗教否定の国へ行くのか」との批判でした。
しかし私の思いは、平和を強く願う宗教者だからこそ、中日友好協会やモスクワ大学から受けた中国やソ連への招聘という機縁を無にすることなく、何としても友好交流の基盤を築きたいとの一点にありました。
"このようにすれば必ず成功する"といった万能な解決策など、どこにもなかった。まさに、それぞれが「一回限りの状況」というほかない出会いと対話を誠実に重ねながら、教育交流や文化交流の機会を一つまた一つと、手探りで積み上げてきたのです。
冷戦終結後も、どの国の人々も孤立することがあってはならないと考え、アメリカとの厳しい対立関係にあったキューバや、テロ問題に直面していたコロンビアなどを訪問してきました。自分は何もできることはないとあきらめるのではなく、"宗教者や民間人だからこそできることは必ずあるはずだ"との信念で各国に足を運んできたのです。
また、35年以上にわたって平和と軍縮のための提言を続け、市民社会の連帯を広げるための行動を重ねてきました。
その大きな目標であった核兵器禁止条約が実現をみた今、私は自らの経験を踏まえて、世界の青年たちに呼び掛けたい。
一人一人が皆、尊極の生命と限りない可能性を持った存在に他ならず、国際社会の厳しい現実を、動かし難いものとして甘受し続けなければならない理由はどこにもない!——と。
◇エスキベル博士と共同で出した声明
昨年6月、世界の青年に向けて発表した、人権活動家のアドルフォ・ペレス=エスキベル博士との共同声明でテーマに掲げたのも、「もう一つの世界は可能である」との信念であり、私たちはこう訴えました。
「幾百万、幾千万もの人々が、戦争や武力衝突の暴力、飢えの暴力、社会的暴力、構造的な暴力によって、生命と尊厳を脅かされている。困窮している人々に連帯し、その窮状を打開するために、我々は両手だけでなく、考え方と心を大きく広げなければならない」
共同声明で言及したように、そのモデルとなる挑戦こそ、若い世代の情熱と豊かな発想力によって核兵器禁止条約の採択を後押しし、ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の取り組みでした。
ICANの発足以来、国際パートナーとして共に行動してきたSGIでも、中核を担ってきたのは青年部のメンバーです。
SGIでは2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の活動を立ち上げ、日本の青年部を中心に核兵器廃絶を求める512万人の署名を集めました。
イタリアでも、青年部を中心に「センツァトミカ(核兵器はいらない)」キャンペーンに協力し、同国の70都市以上で意識啓発のための展示を開催してきました。またアメリカでは学生部が、2030年までに核兵器廃絶を目指す「私たちの新たな明るい未来」と題する対話運動を、全米各地の大学などを舞台に活発に行ってきました。
これらの活動の一部は、国連に昨年提出した報告書でも紹介したところです。
安全保障理事会が2015年に採択した「2250決議」では、青年が平和構築と安全保障に貢献している事例を調査し、安保理と加盟国に報告するよう定めており、私どもの青年部の活動は、その「2250決議」に関する進捗研究でも言及されています。
青年部がまとめた報告書では、SGIの「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の取り組みを総括して、次のように記しています。
「青年たちが運動に加わることで、核兵器の問題を意識していない人々にも裾野が広がり、すでに運動に参加している人々に更なる活力を与える波及効果がある」
人々の心に時代変革の思いを呼び起こし、共に強め合う——私は、その「共鳴力」の発揮に、青年の真骨頂があると訴えたい。
核兵器禁止条約の早期発効はもとより、その発効の先にある大きな課題、すなわち、核保有国や核依存国の参加を促し、核兵器の廃棄を前に進めるには、世界的な関心と支持を喚起し、維持し続けることが欠かせず、青年たちによる力強い関与がその生命線となるのではないでしょうか。
以上、私は軍縮を進めるための三つの足場をそれぞれ提起してきましたが、この青年たちが発揮する「共鳴力」こそ、他の二つの足場をも堅固に鍛え上げていく、すべての足場の要となるものであると強調したいのです。(�に続く)
語句の解説
注1 中距離核戦力(INF)全廃条約
アメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が1987年12月に署名した条約。射程500〜5500キロの地上配備の弾道ミサイルと巡航ミサイルの生産・実験・保有を禁止した。冷戦終結後はロシアが条約の義務を継承し、91年5月に対象兵器の全廃が完了したが、近年、新たなINFの配備を禁止した条約の規定などを巡って対立が続いてきた。
注2 ソクラテスの産婆術
古代ギリシャの哲学者ソクラテスが用いた問答法で、言葉の投げ掛けや対話を重ねる中で、通念や常識に対する疑問を相手に呼び起こし、正しい認識や真理に導くアプローチ。弟子のプラトンがまとめた対話篇『テアイテトス』では、ソクラテスが、助産師だった彼の母の仕事になぞらえて、真理を産み出す過程を陣痛や分娩などに譬えている箇所がでてくる。
注3 難民に関するグローバル・コンパクト
2018年12月の国連総会で採択された、難民支援の連携を進めるための国際的な指針。難民の教育機会の確保や受け入れ国でのインフラ整備など、難民と受け入れ国の双方が恩恵を受けられる包括的な支援を進めるための国際協力の強化を目指す。各国の取り組みの進捗状況を報告する「グローバル難民フォーラム」を4年ごとに開催することも盛り込まれた。