「一は万が母」だ。
必死の「一人」は
万軍に勝る。
ゆえに自ら一人立とう!
真摯に一人を励まそう!
種種御振舞御書 P917
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』
【通解】
釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである。
〈寸鉄〉 2019年2月3日
若い力を糾合する学会は社会の模範—識者。後継育成更に。人材の大河を
池田先生の八重山、宮古初訪問45周年。世界一の幸福島に!原点胸に前進
自己の使命を認識するのは宗教的な人間だけだ—文豪。広布に生きる我ら
仕事以外で会話しない人が増加と。孤立進む現代。地域の絆結ぶ対話を益々
節分の日。ノルマ地獄で信者勧誘に蠢く日顕宗。「鬼は外」と毅然と撃退
☆勇気の旗高く 池田先生と新潟 2019年1月25日
◇頭を上げて前へ前へ!
これまで池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は新潟県を掲載する。
◇一人の変革
日本海に臨む荒浜の村——現在の新潟・柏崎で初代会長・牧口常三郎先生が生まれたのは1871年(明治4年)。池田先生は、牧口先生の『人生地理学』に触れつつ、新潟への期待を述べた。
思えば、牧口先生の故郷である荒浜のある柏崎は、文永十一年(一二七四年)の春、佐渡を後にされた大聖人の舟が、たどり着いた場所でもあった。
牧口先生は、約百年前、大著『人生地理学』で、中国、韓・朝鮮半島、ロシア等を結びゆく、日本海とその周辺海域を、「花綵(花づな)内海」と呼ぶことを提唱され、大いなる希望を寄せられていた。先生の先見通り、この「環日本海圏」が、二十一世紀の新しい国際秩序の要衝として、脚光を浴びている。その大きなリーダーシップを、新潟の天地が発揮しゆくことを、私は期待したい。
池田先生が新潟に第一歩をしるしたのは、65年前の1954年(昭和29年)2月である。先生は、初訪問の歴史を述懐し、つづった。
実は、その直前、戸田先生は体調を崩されていた。不死鳥のごとき生命力で、すぐに広布の陣頭に復帰されたが、私は一人、深刻な決意に奮い立っていた。"戦うのだ! 力をつけるのだ! 一日も早く、先生にご安心いただける後継の弟子となるのだ!"
我々の活動と成長が、戦いと前進が、共戦の連帯の拡大を無限に生んでいくのだ。これが、広宣流布の一つの方程式だ。
新潟は深い雪だった。そのなかを、友と一緒に私たちは走った。百人ほどの同志が集い合った指導会に、私は出席させていただいた。それが終わると、生き生きとした使命燃え立つ青年たちと、遅くまで語りに語った。そして懸命に激励した。
寒い翌日も折伏、さらに指導に走り回った。そして夜行列車に飛び乗る寸前まで、友を励まし続けた。
当時、私は、万感の思いを日記に書き留めた。
「此の地よりも、未来の大指導者の輩出する事を祈りつつ」と、その一節にある。
涌出せよ! 涌出せよ!
若き正義の師子よ、偉大な広布の大人材よ! 指導者は、第一にも、第二にも、人材を見出すことだ。人材を育てることだ。それが、責任であり、使命であり、任務であり、勝利なのだ。
ともかく、生命は「一人」が大事だ。「一人」の「人間革命」が大事だ。
これが、すべての出発と発展の原動力だ。一人の人間革命が、人びとを覚醒させ、地域を変革させ、そして、社会も国家も新しく変えてゆくのだ。
偉大なことは、そして大切なことは、一人の人間革命の原理を、法理を、大事な弟子たちに、強く深く教えていくことである。これが、戸田先生の決意であられた。
◇率先垂範
84年(同59年)9月2日に開かれた第1回「新潟青年平和文化祭」(新潟市陸上競技場)。その前日、池田先生は新潟市中央区の新潟池田文化会館へ。不眠不休で文化祭の準備を進め、疲労の色がにじんでいた青年部の代表を激励した。先生は当時を回想しながら、リーダーの使命を確認した。
私は、皆を労いながら、重責を担うリーダーたちであるゆえに、あえて言った。
「指導者は、どんなことがあっても、疲れた姿を見せてはならないんだよ」
ここ一番という時に、大将がくたびれていては、士気が上がるわけがない。
戸田先生の厳しい訓練を受けきってきた私は、どんなに体調が悪くとも、皆の前で、疲れたそぶりは、微塵も見せないと決めてきた。
同志を守るための、そして勝利の指揮をとるための幹部であるからだ。疲労を残さぬように知恵を働かせることも、大切な責任感である。
ゆえに幹部は、まず自らが厳然と祈り、満々と生命力を漲らせることだ! 晴ればれと率先垂範で戦い、皆の疲れを吹き飛ばし、喜悦の波動を広げていくことが、幹部の使命であることを断じて忘れてはならないだろう。
日蓮大聖人は、生きては帰れないといわれた極寒の流罪地・佐渡で「開目抄」や「観心本尊抄」など重要な御書を執筆された。池田先生は「開目抄」の一節を拝し、「創価の魂」を新潟家族に託した。
大聖人は、新潟で、末法の御本仏の大境涯を刻印された「開目抄」に仰せである。
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)
誰が、大聖人の滅後、御書の通り、あえて大難の嵐を呼び起こしたか!
誰が、世界広宣流布の大闘争を起こしたか!
それが創価の誇りである。
それが創価の魂である。
大聖人に直結し、牧口先生に続く、わが新潟家族よ! いかなる三障四魔の怒濤も、堂々たる「勇気」の行進で、悠然と勝ち越え給え!
◇勇猛精進
「勇気」は新潟の永遠の指針である。
池田先生は83年(同58年)4月14日、新潟池田文化会館で開催された新潟県総会に出席。席上、「勇気」の文字を染め抜いた県旗のデザインが発表されている。翌15日の勤行会で先生は語った。
経文にも「勇猛精進」とあるように、信仰者の第一条件は"勇気"である。
御本尊を一生涯、持ちつづけ、折伏に邁進し、広宣流布を成就しゆく実行力は、勇気なくしてはありえない。その勇気とは、使命も、努力も、建設も、開拓もふくまれるうえでの勇気であることはいうまでもない。
さらに先生は91年(平成3年)5月19日、新潟県総会・音楽祭(新潟池田文化会館)の席上、「勇気の新潟」の使命について言及した。
「何があろうと、自分は、これでいく」という信念、モットーがなければ、風向きのままに、右に揺れ、左に揺れ、翻弄されて、結局、人生、何も残らない。後悔とむなしさだけの、みじめな自分となってしまう。それでは、何のための一生か。
そうならないためには、一歩も引いてはならない。毅然と頭を上げて、「信念」のままに、前へ、また前へ、進むことである。そして「信心」とは最高の信念なのである。
皆さまは、「勇気の新潟」を合言葉に、「勇気」の二字を決して忘れないでいただきたい。
勇気ある人のみが戦いに勝てる。そして、戦う人は幸福である。戦えない「いくじなし」では、結局、不幸になってしまう。人生、すべて戦いである。
どうかともどもに、ますますの「若さ」と「勇気」で、素晴らしき幸の人生を満喫していっていただきたい。正しき信心の心で、万年に輝きわたる「広宣流布」の大業のため、自身の永遠の勝利のために、この一日一日を、立派に勝利していただきたい。
池田先生は2004年5月の随筆で、懐かしき新潟の同志の顔を思い浮かべながら、つづった。
原点の新潟市。王者の佐渡。ロマンの瓢湖。凱歌の十日町。
不屈の長岡・見附・栃尾。師弟の柏崎。繁栄の糸魚川。
正義の上越。模範の新発田。共戦の三条・燕・加茂。
旭日の村上。躍進の新津・白根。和楽の小千谷。
新潟県の同志は、勇気、勇気、勇気で勝ち進む。
本年は池田先生の新潟初訪問から65周年の佳節である。
65年前、池田先生は新潟の青年たちに一首を詠んだ。
「大聖の 嵐の因縁 ある地にて 法旗を高く 君等起ちゆけ」と。
以来、いかなる苦難にも屈せず、"嵐は誉れ"と全てを勝ち越えてきた新潟の友。今ここから、「勇気の旗」を高らかに掲げ、使命の戦野を力走する。