悩みがあるから
祈りが深まる。
試練があれから
人は強くなれる。
逆境は境涯革命の母だ!
法華初心成仏抄 P557
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』
【通解】
わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れられるところを仏というのである。
〈寸鉄〉 2019年2月28日
伝統の2月から躍動の春3月へ。さあ心軽やかに動き、列島に友情の花を
青年は慈愛あふれる池田博士の言葉に学べ—中国教授。後継よ成長の糧に
大闘争心が学会の精神—戸田先生。広布も人生も戦いだ。執念で一歩前へ
インフルエンザ、流行のピーク過ぎても注意。手洗い・マスク等、油断せず
ネット含め新聞に触れる人は9割。言論の力は大。希望を送る機関紙へ益々
☆御書と歩む� 第56回 リーダーの一念が勝利を開く
『軍には大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり』(乙御前御消息、1219ページ)
◇通解
戦には大将軍を魂とする。大将軍が臆したならば、兵も臆病になってしまう。
◇同志への指針
「法華経の将軍学」こそ、究極のリーダーシップである。一切の勝利の要諦は、「長の一念」にある。
リーダーの勇気は伝播する。誓願の題目が波動を起こす。率先垂範の開拓から勢いが生まれる。
不二の創価の大将軍たちよ、けなげな同志を最大に讃え、労い、一人一人が「私は勝った!」と胸を張れる名指揮を頼む。
☆勝利の実証をわが天地に 原田会長が出席 各部代表者会議 2019年2月21日
世界広布新時代第64回の各部代表者会議が20日、原田会長を中心に、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、冒頭、「若き創価の諸葛孔明」たる青年部、団結固く「広布の太陽」と輝く婦人部・女子部を心からたたえた。
次いで、本年で殉教75年となる創価の父・牧口先生が御書に線を引き、大切にしていた「治病大小権実違目」の一節を拝読した。
すなわち「日本・一同に日蓮をあだみて国国・郡郡・郷郷・村村・人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり、見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり」(御書998ページ)と喝破され、だからこそ「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(同ページ)と結論された御聖訓である。
池田先生は、広宣流布とは、善と悪、正と邪が顛倒した「闘諍言訟」の世にあって、「事の一念三千」の妙法を行ずる地涌の菩薩が、現実の上で勝利の実証を示し切っていく大闘争にほかならないと強調。御本仏・日蓮大聖人の御心のまま、牧口先生を鑑として、この立正安国の戦いを貫いているのが創価の師弟であると述べた。
そして、悪口罵詈にも怯まず一人、また一人に正義を叫び抜いてきた創価の父母たちの労苦を称賛しつつ、今やあの地でもこの地でも、学会家族は、地域社会の「連帯の柱」「人材の眼目」「安穏の大船」と信頼を寄せられていると力説した。
さらに、牧口先生の「大聖人の御意志をそのまま実行しようという我らに、なんの障りがあろうか」との師子吼を紹介。この誇りに燃えて、使命の天地で堂々と勝負を決し、民衆の幸福、社会の繁栄、世界の平和へ光を増していこうと述べた。
最後に、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ」(同997ページ)を拝しつつ、「師弟誓願の一念ほど強いものはない」「梵天・帝釈をはじめ、諸天を自在に痛快に揺り動かし、創価桜の満開の春を飾ろう」と呼び掛けた。
原田会長は、「一対一の対話」に徹し、正義を自信満々に語り抜く挑戦を貫いて、「5・3」を創価の勝利で飾ろうと訴えた。長谷川理事長、谷川主任副会長、竹本関西青年部長、平井北海道男子部長があいさつ。本社報道局の鯉渕和博記者が取材報告を行った。
2019年2月28日木曜日
2019年2月27日水曜日
2019.02.27 わが友に贈る
勝つことよりも
負けないこと。
そう確信した人は強い。
「私の幸福を決めるのは
私自身」と朗らかに!
曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』
【通解】
生命は三千大千世界をもっても買うことのできないものである。
〈寸鉄〉 2019年2月27日
「大地の底にかくしをきたる真の弟子あり」御書。皆に尊き地涌の使命あり
各地で「女性の日」。地域照らす創価の太陽燦然。さあ歓喜の春へ大行進!
会場提供の皆様に感謝。時間厳守等、ご家族・近隣への配慮を。宝の城守れ
快活に振舞えば相手も快活に—作家。まず自分から!弾む心で対話に挑戦
昨年の災害時、9割が防災用品準備しておらず。教訓は行動に移してこそ
☆勇気の旗高く 池田先生と山形 2019年2月22日
◇さあ民衆勝利の理想郷へ!
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山形県を掲載する。
◇人生の勝負時
池田先生は折に触れて「美しき山形の心」をたたえてきた。「山形は、光沢ある『庶民勝利』の軍旗を、高らかに掲げゆく城であり、天地である」「正直な庶民の幸福者の代表が、山形の方々である」と。2003年(平成15年)3月の随筆では、山形の"希望の春"の到来を願いつつ、万感の思いをつづった。
山形県は、日本有数の豪雪地域の一つだ。あの月山も、蔵王も、鳥海山も、まだまだ白雪に包まれている。
しかし、やがて重い雪の下から雪解け水が迸り、山形の母なる川・最上川も、勢いと水かさを増していく。
芭蕉は、「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだが、それより前、春の最上川は、雪解け水を集め、奔流となって轟音を響かせながら、岩を打ち、岸辺を洗う。
それは、山形の同志の正義の師子吼を思わせる。
鉄の意志と忍耐で、広宣流布に戦ってきたわが同志——その善良なる庶民が「我らは勝った!」「我らは勝つのだ!」と雄叫びをあげる黄金の春がきたのだ!
日蓮大聖人は、「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)と仰せである。
人生には、大きく変わる時が必ずある。ここが正念場という、宿命転換、人間革命の勝負時がある。
いかなる試練があろうとも、汝自身の戦場から一歩も退いてはならない。その時を逃さず、断じて戦い、勝つことだ。
東北有縁の文豪・魯迅は、"暗き時代に本気で生きたければ叫べ"と言った。
「何よりもまず、思いきってしゃべり、笑い、泣き、怒り、罵り、闘い、このいまわしい場所から、いまわしい時代を撃退すべきである」(竹内好訳)
そうだ! 思いきって叫ぶのだ。その凜々たる正義の声が、悪を撃退し、希望の新時代の扉を開け放つ。
叫べ、叫べ、正義の山形の同志よ! 日本第一の民衆の「幸福王国」たれ! 愛する我らの大山形よ!
◇「心」こそ大切
春爛漫の1983年(昭和58年)4月18日、池田先生は山形池田講堂(当時)で開かれた県総会の席上、レンギョウや雪柳、桜など美しき山形の自然に触れながら、「桜梅桃李」の法理に言及。誰かと比べるのではなく、自分にしかない使命に生きよと呼び掛けた。
桜は、桜のままに咲き、自らの使命に生きている。梅も、桃も、李も、そうだ。
我々一人一人の人間にとっても同じでなくてはならない。一人一人が個性をもっている。また人格をもち、尊い生命をもった存在である。
ゆえに、あくまでも自分らしく、主体性をもって生きていけばよいのである。
自分にしかない使命、生き方があるものだ。あの人のようでなければならないというものはないのである。
桜には桜としての生命と因縁がある。梅も桃も李も同じくそれぞれその生命となった因縁があるだろう。と同じく信心の眼よりみれば自分自身のこの世に生まれた使命と、それぞれの因縁があるといってよい。
妙法の信心の力によって自分の中にある仏界を涌現させていくことが、人生にとって根本の幸せなのである。
87年(同62年)7月6日、山形幹部大会(山形平和会館)では、不変の学会精神について懇談的に語った。
今はスピード時代といわれるが、なぜ学会がここまで発展してきたか。
それは、なにごとにも"迅速"であったからである。また"全魂""真剣"であったからである。
娑婆世界という現実の世は、永遠に苦悩の連続である。それが実相である。
だれしも、それぞれの悩みがある。皆さま方も、たとえば健康や仕事、家庭のことなど、何らかの悩みをおもちにちがいない。
しかし皆さま方は、そのなかにあって他の人の苦悩を救うため、日夜、弘法に、友の激励・指導にと奔走し、心をくだいておられる。また祈っておられる。これ以上、尊き"仏の使い"の行動、人生はない。
"自分のことはいい、まず友に幸福になってもらいたい""何よりも、まず友の悩みを解決したい"——この、やむにやまれぬ強き思いのなかに、不変の学会精神がある。大慈大悲の大聖人の門下としての誉れの行動がある。
このことを銘記し、山形の皆さまは生涯、"われ、仏の使いなり"との確信と誇りを貫いていただきたい。
大切なのは"心"である。外見ではない。たとえば、事情があって、会合に来たくても、来れない場合がある。
その法を求める心を察し、たたえることが大事なのである。
信心の指導は、どこまでも礼儀を踏まえた"誠実"と"納得"の励ましでなくてはならない。そこに人間尊重の学会精神がある。
◇信心は精進行
池田先生は「山形は、私が『アルカディア(理想郷)』の建設を託した、人の心清き国土である」と期待を寄せている。99年(平成11年)8月の随筆では「アルカディア」建設の使命をつづった。
「アルカディア」とは、ギリシャの地名で、古代ローマの昔から、あまたの詩人たちが謳い上げた「理想郷」である。
山形の同志らは、新しき「民衆のアルカディア」の建設のために、新たな天使のごとく、温かき涙を流しながら、愛する郷土を懸命に走り、戦ってこられた。その尊き使命の行動に進みゆく、清らかな瞳には、美しく歌う心の真珠の光があった。
「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(御書1072ページ)とは、仏法の偉大な法理である。
「信心とは、精進行である」との純粋なる信念は、何ものにも惑わされない。
それは、現実の苦難と苦悩を乗り越えながら、広宣流布の大道と人間革命の行動を、一歩、また一歩と、高みへ前進し抜いていく実像である、と申し上げたい。
経文には、この姿を「勇猛精進」と説いている。
そして、また、この妙法流布の勇者の名前は、あまねく世に響き渡っていくと約束されている。勇気の人には、希望がある。前進の人には、無限の歴史が開ける。
「私は勝った!」という友の歌声は、今や、山形のあの地、この地に轟き渡る。
わが愛する山形こそ、名実ともに、壮大なる二十一世紀のアルカディアである!
一人一人が勝利の花を咲き薫らせゆくところに、大いなる"希望の春"は訪れる。
民衆勝利のアルカディアの建設へ、山形の友の快進撃が始まった。
負けないこと。
そう確信した人は強い。
「私の幸福を決めるのは
私自身」と朗らかに!
曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』
【通解】
生命は三千大千世界をもっても買うことのできないものである。
〈寸鉄〉 2019年2月27日
「大地の底にかくしをきたる真の弟子あり」御書。皆に尊き地涌の使命あり
各地で「女性の日」。地域照らす創価の太陽燦然。さあ歓喜の春へ大行進!
会場提供の皆様に感謝。時間厳守等、ご家族・近隣への配慮を。宝の城守れ
快活に振舞えば相手も快活に—作家。まず自分から!弾む心で対話に挑戦
昨年の災害時、9割が防災用品準備しておらず。教訓は行動に移してこそ
☆勇気の旗高く 池田先生と山形 2019年2月22日
◇さあ民衆勝利の理想郷へ!
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は山形県を掲載する。
◇人生の勝負時
池田先生は折に触れて「美しき山形の心」をたたえてきた。「山形は、光沢ある『庶民勝利』の軍旗を、高らかに掲げゆく城であり、天地である」「正直な庶民の幸福者の代表が、山形の方々である」と。2003年(平成15年)3月の随筆では、山形の"希望の春"の到来を願いつつ、万感の思いをつづった。
山形県は、日本有数の豪雪地域の一つだ。あの月山も、蔵王も、鳥海山も、まだまだ白雪に包まれている。
しかし、やがて重い雪の下から雪解け水が迸り、山形の母なる川・最上川も、勢いと水かさを増していく。
芭蕉は、「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだが、それより前、春の最上川は、雪解け水を集め、奔流となって轟音を響かせながら、岩を打ち、岸辺を洗う。
それは、山形の同志の正義の師子吼を思わせる。
鉄の意志と忍耐で、広宣流布に戦ってきたわが同志——その善良なる庶民が「我らは勝った!」「我らは勝つのだ!」と雄叫びをあげる黄金の春がきたのだ!
日蓮大聖人は、「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091ページ)と仰せである。
人生には、大きく変わる時が必ずある。ここが正念場という、宿命転換、人間革命の勝負時がある。
いかなる試練があろうとも、汝自身の戦場から一歩も退いてはならない。その時を逃さず、断じて戦い、勝つことだ。
東北有縁の文豪・魯迅は、"暗き時代に本気で生きたければ叫べ"と言った。
「何よりもまず、思いきってしゃべり、笑い、泣き、怒り、罵り、闘い、このいまわしい場所から、いまわしい時代を撃退すべきである」(竹内好訳)
そうだ! 思いきって叫ぶのだ。その凜々たる正義の声が、悪を撃退し、希望の新時代の扉を開け放つ。
叫べ、叫べ、正義の山形の同志よ! 日本第一の民衆の「幸福王国」たれ! 愛する我らの大山形よ!
◇「心」こそ大切
春爛漫の1983年(昭和58年)4月18日、池田先生は山形池田講堂(当時)で開かれた県総会の席上、レンギョウや雪柳、桜など美しき山形の自然に触れながら、「桜梅桃李」の法理に言及。誰かと比べるのではなく、自分にしかない使命に生きよと呼び掛けた。
桜は、桜のままに咲き、自らの使命に生きている。梅も、桃も、李も、そうだ。
我々一人一人の人間にとっても同じでなくてはならない。一人一人が個性をもっている。また人格をもち、尊い生命をもった存在である。
ゆえに、あくまでも自分らしく、主体性をもって生きていけばよいのである。
自分にしかない使命、生き方があるものだ。あの人のようでなければならないというものはないのである。
桜には桜としての生命と因縁がある。梅も桃も李も同じくそれぞれその生命となった因縁があるだろう。と同じく信心の眼よりみれば自分自身のこの世に生まれた使命と、それぞれの因縁があるといってよい。
妙法の信心の力によって自分の中にある仏界を涌現させていくことが、人生にとって根本の幸せなのである。
87年(同62年)7月6日、山形幹部大会(山形平和会館)では、不変の学会精神について懇談的に語った。
今はスピード時代といわれるが、なぜ学会がここまで発展してきたか。
それは、なにごとにも"迅速"であったからである。また"全魂""真剣"であったからである。
娑婆世界という現実の世は、永遠に苦悩の連続である。それが実相である。
だれしも、それぞれの悩みがある。皆さま方も、たとえば健康や仕事、家庭のことなど、何らかの悩みをおもちにちがいない。
しかし皆さま方は、そのなかにあって他の人の苦悩を救うため、日夜、弘法に、友の激励・指導にと奔走し、心をくだいておられる。また祈っておられる。これ以上、尊き"仏の使い"の行動、人生はない。
"自分のことはいい、まず友に幸福になってもらいたい""何よりも、まず友の悩みを解決したい"——この、やむにやまれぬ強き思いのなかに、不変の学会精神がある。大慈大悲の大聖人の門下としての誉れの行動がある。
このことを銘記し、山形の皆さまは生涯、"われ、仏の使いなり"との確信と誇りを貫いていただきたい。
大切なのは"心"である。外見ではない。たとえば、事情があって、会合に来たくても、来れない場合がある。
その法を求める心を察し、たたえることが大事なのである。
信心の指導は、どこまでも礼儀を踏まえた"誠実"と"納得"の励ましでなくてはならない。そこに人間尊重の学会精神がある。
◇信心は精進行
池田先生は「山形は、私が『アルカディア(理想郷)』の建設を託した、人の心清き国土である」と期待を寄せている。99年(平成11年)8月の随筆では「アルカディア」建設の使命をつづった。
「アルカディア」とは、ギリシャの地名で、古代ローマの昔から、あまたの詩人たちが謳い上げた「理想郷」である。
山形の同志らは、新しき「民衆のアルカディア」の建設のために、新たな天使のごとく、温かき涙を流しながら、愛する郷土を懸命に走り、戦ってこられた。その尊き使命の行動に進みゆく、清らかな瞳には、美しく歌う心の真珠の光があった。
「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(御書1072ページ)とは、仏法の偉大な法理である。
「信心とは、精進行である」との純粋なる信念は、何ものにも惑わされない。
それは、現実の苦難と苦悩を乗り越えながら、広宣流布の大道と人間革命の行動を、一歩、また一歩と、高みへ前進し抜いていく実像である、と申し上げたい。
経文には、この姿を「勇猛精進」と説いている。
そして、また、この妙法流布の勇者の名前は、あまねく世に響き渡っていくと約束されている。勇気の人には、希望がある。前進の人には、無限の歴史が開ける。
「私は勝った!」という友の歌声は、今や、山形のあの地、この地に轟き渡る。
わが愛する山形こそ、名実ともに、壮大なる二十一世紀のアルカディアである!
一人一人が勝利の花を咲き薫らせゆくところに、大いなる"希望の春"は訪れる。
民衆勝利のアルカディアの建設へ、山形の友の快進撃が始まった。
2019年2月26日火曜日
2019.02.26 わが友に贈る
「法華の行者は
男女共に如来なり」
妙法に行き抜く人は
一人残らず尊貴なり!
異体同心で快進撃を!
種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』
【通解】
日蓮が仏になるための第一の味方は、(大聖人を憎み、命をねらった)東条景信であり、僧侶では(権力と結託し、大聖人を陥れようとした)極楽寺良観、建長寺道隆、道阿弥陀仏であり、また(権力を発動して大聖人を迫害した)平左衛門尉、北条時宗殿である。
彼らがおられなかったならば、日蓮はどうして法華経の行者になれたであろうかと悦んでいる。
〈寸鉄〉 2019年2月26日
人生は何があっても強気でいけ—恩師。青年よ創価の後継らしく堂々進め
�明確な目標�強き祈り�勇敢な行動が勝利の要諦。月々日々に悔いなく
認知症予防に人との語らいが有効と。対話は価値の宝庫。多宝の友が証明
特殊詐欺被害1日当たり1億円。手口も多様化。自分は大丈夫との油断禁物
児童虐待通報・相談通話「189」無料化へ。公明が提言。命守る施策更に
☆地域を歩く 秋田・井川町 2019年2月21日
◇希望の春を確信して
日本が本格的な人口減少社会となって10年ほどが過ぎた。
全国最速で人口減少が進んでいることで知られる秋田県。その中で生じているさまざまな課題と向き合う学会員を訪ねようと、先週末、県都・秋田市から北に30分ほど車を走らせた。
井川町。県のほぼ中央に位置し、東側にある出羽丘陵から、干拓で有名な、西側の八郎潟の調整池へと流れる「井川」に沿って拓けてきた町である。稲作をはじめ、農業が町の基幹産業となってきた。
近年は、鉄道や高速道路などの交通も整備され、都市部で働きながら快適な生活環境を求める人々のベッドタウンとしての役割も担う。
井川町といえば、春を過ぎても、四季折々に桜が楽しめることで有名だ。町内の「日本国花苑」には、全国各地から集められた200種類2000本の桜の木が植えられている。
同町を舞台に活動する学会の支部名(井川さくら支部=筒井一義支部長、菅生裕己婦人部長)にも、「さくら」の名前が入っている。
だが、今は厳しい寒さが続く2月。町は雪で真っ白だ。
井川をさかのぼるように、町の中心部から、山間部へと車を走らせる。しばらくすると、ある集落に到着した。
「ここは、かつて20世帯100人ほどが暮らしていました。現在は、13世帯30人になりました。空き家も5軒あります」
二田一さん(副支部長)。祖父母の代から、この地で生計を立ててきた。
◇厳寒の冬を乗り越え 桜花の人生を共に
現在、父親から受け継いだ稲作をしながら、集落の町内会長や消防団の分団長を務める二田さん。地域への貢献を意識するようになったのは、町にある自動車関連会社に勤めていた20代の頃である。学会3世だったものの、それまでは父の酒乱や、それをどうすることもできない家族への反発もあり、信心に挑戦する意欲が湧かなかった。
やがて、二田さんは自らも酒におぼれた。揚げ句の果てに交通事故を3回も起こしてしまう。気付けば、自分を変えたい一心で、仏壇の前に座っていた。
以来、二田さんは、戸田先生の「信心は一人前、仕事は三人前」との指針を胸に、仕事と学会活動に走るようになった。集落や町の人々との関わりも深まり、さまざまな課題を抱える地域を「どう守ったらいいか」「どう発展させていけるか」と考えながら、行動に移した。
献身の姿に周囲の目は一変。二田さんは昨年、退職と同時に町内会長に推されて就任。とともに、消防団での長年の功労がたたえられ、表彰も受けた。
取材した日も、妻・勝美さん(支部副婦人部長)と一緒に、手際よく集落の雪かきをしていた二田さん。学会員としての誇りを胸に、地域の課題と向き合っていた。
「人口が減少する中で、『一人』の存在が大きくなっていると感じます。一人の行動が地域を変えていくのです」
「気付くと、いつも同志の皆さんに支えられています」
こう語るのは、井川町の浄水場で働く渡部一幸さん(男子部員)。井川町の清らかな水の水源を管理し、町民においしい水を届けている。
皆で一体となって青年部の人材の流れをつくる井川さくら支部の同志。どんな思いで育成に励んでいるのだろうか。
川村金高さん(県長)。施設長を務める特別養護老人ホームを含め、七つの事業を運営し、町の福祉を支えている。
川村さんは、高校でレスリングを始め、全国屈指の強豪校として知られる大学で活躍したものの、卒業後は進路に悩み、なかなか定職に就けずにいた。
福祉関係の仕事に就いたきっかけは、青年部時代に参加した1985年(昭和60年)の第1回「秋田青年平和合唱祭」。
練習に汗を流し、同志と励まし合いながら、合唱祭の成功と、自身の経験を生かせる就職を祈った。
そんな中、見つけたのが、利用者のリハビリ訓練を行う障がい者施設の仕事だった。
働き始めて3年目の27歳の時、川村さんは交通事故に遭い、2日間、意識不明に。同志が何度も集っては回復を祈ってくれ、危機を脱した。
以来、福祉に携わりながら、地域のつながりの希薄化や担い手不足を感じる一方で、支え合いの大切さ、周囲を幸福にすることで得る何ものにも代えがたい充実感を、より深くかみ締めてきた。
川村さんは熱く語る。
「私がそうだったように、今の青年部のメンバーにも、信心を通して、人に尽くす生き方を学んでほしいんです」
昨年、県長となった男鹿勇勝県では、本年、井川さくら支部の菅生弘一さん(ニュー・リーダー)をはじめ、6人の男子部大学校生が誕生した。
「清らかな水の流れとともに、この人材育成の流れが地域の誇りです」と胸を張る川村さん。新たな力を育む喜びを胸に、今日も訪問・激励に走る。
秋田広布のルーツ。
それは、池田先生が1952年(昭和27年)2月、東京・蒲田支部の支部幹事として、同志への激励を重ね、信頼と友情の金字塔を打ち立てた「二月闘争」にある。
当時、秋田の同志は蒲田支部に所属。その後、秋田各地で励ましの連帯が拡大していった。
井川町では、2000年(平成12年)に井川さくら支部が誕生した。
支部の同志が、地域に友好を大きく広げるきっかけとなったのが、05年(同17年)1月に開催した地域振興の催しである。
寒い中、会場を掃除したり、温かな豚汁を振る舞ったりするなど、皆で協力しながら行ったイベントは大成功。町内に喜びが広がった。
以来、支部では、健康セミナーなどを開きながら、地域に幸福のスクラムをつくり続けてきた。
そんな井川さくら支部には、広布の草創期以来、変わらぬ熱意ではつらつと活動する多宝の友も多い。
自転車店を営む遠藤幸雄さん(地区幹事)。「従業員がいないのに、社長、社長と呼ばれてますよ」と笑う。
1938年(昭和13年)、井川町生まれ。現在、81歳。
綿の打ち直しに歩いていた父親の自転車を修理したり、冬用のタイヤに交換したり、幼い頃から自転車に慣れ親しんできた。
中学卒業と同時に、自転車店に弟子入り。10年余りの修業の間、店主から信心を勧められ、56年(同31年)に入会した。
その後、社会や家族にさまざまな変化が起こった。
自動車の普及や少子高齢化で自転車人口が激減。さらに、スーパーやホームセンターなどで自転車を購入する人が増えた。最盛期は地域に5軒ほどあった自転車店は、やがて遠藤さんの店だけになった。
また、妻・キミさん(副白ゆり長)との間に生まれた長女が31歳の若さで亡くなるなど、宿命の嵐が襲った。
だが、遠藤さんの信心への確信は揺るがなかった。82年(同57年)の「雪の秋田指導」や「秋田青年平和合唱祭」を通し、池田先生から受けた励ましが胸に刻まれていた。
他には負けない修理など、アフターサービスの技能を磨いた。たとえ他店で購入した自転車であっても、とにかく顧客に喜んでもらうことを第一に、真心込めて対応した。
やがて、井川町だけでなく、周辺の地域からもわざわざ店を訪れる人が増えていった。
今や自転車店は、地域の人々が憩う場となっている。
そして自転車に関係なく、地域の人々の頼み事が持ち込まれるようになった。
遠藤さんのフットワークは、とても81歳とは思えないほど軽い。そんな姿を見て、周囲の同志はこう呼んでいる。
「生涯、青年ですね」と。
井川町で生まれた森本明子さん(支部副婦人部長)は61年(同36年)8月、家族と共に信心を始めた。当時、高校3年生だった。
入会直後の自身の病気や経済苦に始まり、68年(同43年)の結婚後は、仕事と子育ての両立や義父母の介護、娘の病など、苦難を挙げれば切りがない。
それでも心折れずに前進してこられたのは、池田先生の"宿命転換の祈りは必ずかなう"との確信の励ましがあったから。
森本さんは、地域振興の催しを機に、せっかく絆を結んだ町民と仲良くしていきたいと、本紙の購読推進で、時には月100部を達成するなど、友好拡大の実証を示してきた。
町内会や老人クラブ、同級会など、地域を舞台に、人生の春を謳歌する森本さん。
「広布の思い出は、不思議とみんな寒い時期だよね。二月闘争と聞くと、心が奮い立ちます。苦労に無駄はないねえ」
◇
御書に「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(1253ページ)とある。
厳寒を越えて、見事な花を咲かせる桜のように、必ず悩みや苦しみを勝ち越え、希望の春を迎えていける。
支部の同志一人一人に、その確信があふれていた。
男女共に如来なり」
妙法に行き抜く人は
一人残らず尊貴なり!
異体同心で快進撃を!
種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』
【通解】
日蓮が仏になるための第一の味方は、(大聖人を憎み、命をねらった)東条景信であり、僧侶では(権力と結託し、大聖人を陥れようとした)極楽寺良観、建長寺道隆、道阿弥陀仏であり、また(権力を発動して大聖人を迫害した)平左衛門尉、北条時宗殿である。
彼らがおられなかったならば、日蓮はどうして法華経の行者になれたであろうかと悦んでいる。
〈寸鉄〉 2019年2月26日
人生は何があっても強気でいけ—恩師。青年よ創価の後継らしく堂々進め
�明確な目標�強き祈り�勇敢な行動が勝利の要諦。月々日々に悔いなく
認知症予防に人との語らいが有効と。対話は価値の宝庫。多宝の友が証明
特殊詐欺被害1日当たり1億円。手口も多様化。自分は大丈夫との油断禁物
児童虐待通報・相談通話「189」無料化へ。公明が提言。命守る施策更に
☆地域を歩く 秋田・井川町 2019年2月21日
◇希望の春を確信して
日本が本格的な人口減少社会となって10年ほどが過ぎた。
全国最速で人口減少が進んでいることで知られる秋田県。その中で生じているさまざまな課題と向き合う学会員を訪ねようと、先週末、県都・秋田市から北に30分ほど車を走らせた。
井川町。県のほぼ中央に位置し、東側にある出羽丘陵から、干拓で有名な、西側の八郎潟の調整池へと流れる「井川」に沿って拓けてきた町である。稲作をはじめ、農業が町の基幹産業となってきた。
近年は、鉄道や高速道路などの交通も整備され、都市部で働きながら快適な生活環境を求める人々のベッドタウンとしての役割も担う。
井川町といえば、春を過ぎても、四季折々に桜が楽しめることで有名だ。町内の「日本国花苑」には、全国各地から集められた200種類2000本の桜の木が植えられている。
同町を舞台に活動する学会の支部名(井川さくら支部=筒井一義支部長、菅生裕己婦人部長)にも、「さくら」の名前が入っている。
だが、今は厳しい寒さが続く2月。町は雪で真っ白だ。
井川をさかのぼるように、町の中心部から、山間部へと車を走らせる。しばらくすると、ある集落に到着した。
「ここは、かつて20世帯100人ほどが暮らしていました。現在は、13世帯30人になりました。空き家も5軒あります」
二田一さん(副支部長)。祖父母の代から、この地で生計を立ててきた。
◇厳寒の冬を乗り越え 桜花の人生を共に
現在、父親から受け継いだ稲作をしながら、集落の町内会長や消防団の分団長を務める二田さん。地域への貢献を意識するようになったのは、町にある自動車関連会社に勤めていた20代の頃である。学会3世だったものの、それまでは父の酒乱や、それをどうすることもできない家族への反発もあり、信心に挑戦する意欲が湧かなかった。
やがて、二田さんは自らも酒におぼれた。揚げ句の果てに交通事故を3回も起こしてしまう。気付けば、自分を変えたい一心で、仏壇の前に座っていた。
以来、二田さんは、戸田先生の「信心は一人前、仕事は三人前」との指針を胸に、仕事と学会活動に走るようになった。集落や町の人々との関わりも深まり、さまざまな課題を抱える地域を「どう守ったらいいか」「どう発展させていけるか」と考えながら、行動に移した。
献身の姿に周囲の目は一変。二田さんは昨年、退職と同時に町内会長に推されて就任。とともに、消防団での長年の功労がたたえられ、表彰も受けた。
取材した日も、妻・勝美さん(支部副婦人部長)と一緒に、手際よく集落の雪かきをしていた二田さん。学会員としての誇りを胸に、地域の課題と向き合っていた。
「人口が減少する中で、『一人』の存在が大きくなっていると感じます。一人の行動が地域を変えていくのです」
「気付くと、いつも同志の皆さんに支えられています」
こう語るのは、井川町の浄水場で働く渡部一幸さん(男子部員)。井川町の清らかな水の水源を管理し、町民においしい水を届けている。
皆で一体となって青年部の人材の流れをつくる井川さくら支部の同志。どんな思いで育成に励んでいるのだろうか。
川村金高さん(県長)。施設長を務める特別養護老人ホームを含め、七つの事業を運営し、町の福祉を支えている。
川村さんは、高校でレスリングを始め、全国屈指の強豪校として知られる大学で活躍したものの、卒業後は進路に悩み、なかなか定職に就けずにいた。
福祉関係の仕事に就いたきっかけは、青年部時代に参加した1985年(昭和60年)の第1回「秋田青年平和合唱祭」。
練習に汗を流し、同志と励まし合いながら、合唱祭の成功と、自身の経験を生かせる就職を祈った。
そんな中、見つけたのが、利用者のリハビリ訓練を行う障がい者施設の仕事だった。
働き始めて3年目の27歳の時、川村さんは交通事故に遭い、2日間、意識不明に。同志が何度も集っては回復を祈ってくれ、危機を脱した。
以来、福祉に携わりながら、地域のつながりの希薄化や担い手不足を感じる一方で、支え合いの大切さ、周囲を幸福にすることで得る何ものにも代えがたい充実感を、より深くかみ締めてきた。
川村さんは熱く語る。
「私がそうだったように、今の青年部のメンバーにも、信心を通して、人に尽くす生き方を学んでほしいんです」
昨年、県長となった男鹿勇勝県では、本年、井川さくら支部の菅生弘一さん(ニュー・リーダー)をはじめ、6人の男子部大学校生が誕生した。
「清らかな水の流れとともに、この人材育成の流れが地域の誇りです」と胸を張る川村さん。新たな力を育む喜びを胸に、今日も訪問・激励に走る。
秋田広布のルーツ。
それは、池田先生が1952年(昭和27年)2月、東京・蒲田支部の支部幹事として、同志への激励を重ね、信頼と友情の金字塔を打ち立てた「二月闘争」にある。
当時、秋田の同志は蒲田支部に所属。その後、秋田各地で励ましの連帯が拡大していった。
井川町では、2000年(平成12年)に井川さくら支部が誕生した。
支部の同志が、地域に友好を大きく広げるきっかけとなったのが、05年(同17年)1月に開催した地域振興の催しである。
寒い中、会場を掃除したり、温かな豚汁を振る舞ったりするなど、皆で協力しながら行ったイベントは大成功。町内に喜びが広がった。
以来、支部では、健康セミナーなどを開きながら、地域に幸福のスクラムをつくり続けてきた。
そんな井川さくら支部には、広布の草創期以来、変わらぬ熱意ではつらつと活動する多宝の友も多い。
自転車店を営む遠藤幸雄さん(地区幹事)。「従業員がいないのに、社長、社長と呼ばれてますよ」と笑う。
1938年(昭和13年)、井川町生まれ。現在、81歳。
綿の打ち直しに歩いていた父親の自転車を修理したり、冬用のタイヤに交換したり、幼い頃から自転車に慣れ親しんできた。
中学卒業と同時に、自転車店に弟子入り。10年余りの修業の間、店主から信心を勧められ、56年(同31年)に入会した。
その後、社会や家族にさまざまな変化が起こった。
自動車の普及や少子高齢化で自転車人口が激減。さらに、スーパーやホームセンターなどで自転車を購入する人が増えた。最盛期は地域に5軒ほどあった自転車店は、やがて遠藤さんの店だけになった。
また、妻・キミさん(副白ゆり長)との間に生まれた長女が31歳の若さで亡くなるなど、宿命の嵐が襲った。
だが、遠藤さんの信心への確信は揺るがなかった。82年(同57年)の「雪の秋田指導」や「秋田青年平和合唱祭」を通し、池田先生から受けた励ましが胸に刻まれていた。
他には負けない修理など、アフターサービスの技能を磨いた。たとえ他店で購入した自転車であっても、とにかく顧客に喜んでもらうことを第一に、真心込めて対応した。
やがて、井川町だけでなく、周辺の地域からもわざわざ店を訪れる人が増えていった。
今や自転車店は、地域の人々が憩う場となっている。
そして自転車に関係なく、地域の人々の頼み事が持ち込まれるようになった。
遠藤さんのフットワークは、とても81歳とは思えないほど軽い。そんな姿を見て、周囲の同志はこう呼んでいる。
「生涯、青年ですね」と。
井川町で生まれた森本明子さん(支部副婦人部長)は61年(同36年)8月、家族と共に信心を始めた。当時、高校3年生だった。
入会直後の自身の病気や経済苦に始まり、68年(同43年)の結婚後は、仕事と子育ての両立や義父母の介護、娘の病など、苦難を挙げれば切りがない。
それでも心折れずに前進してこられたのは、池田先生の"宿命転換の祈りは必ずかなう"との確信の励ましがあったから。
森本さんは、地域振興の催しを機に、せっかく絆を結んだ町民と仲良くしていきたいと、本紙の購読推進で、時には月100部を達成するなど、友好拡大の実証を示してきた。
町内会や老人クラブ、同級会など、地域を舞台に、人生の春を謳歌する森本さん。
「広布の思い出は、不思議とみんな寒い時期だよね。二月闘争と聞くと、心が奮い立ちます。苦労に無駄はないねえ」
◇
御書に「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(1253ページ)とある。
厳寒を越えて、見事な花を咲かせる桜のように、必ず悩みや苦しみを勝ち越え、希望の春を迎えていける。
支部の同志一人一人に、その確信があふれていた。
2019年2月25日月曜日
2019.02.25 わが友に贈る
◇今週のことば
「勇気」が扉を開き
「対話」が共感を深め
「誠実」が信頼を築く。
心を動かすのは心だ。
立正安国の挑戦劇を!
2019年2月25日
立正安国論 P17
『旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る』
【通解】
旅客が来て嘆いて言うには、近年から近日に至るまで、天変、地夭、飢饉や疫病があまねく天下に満ち、広く地上にはびこっている。
〈寸鉄〉 2019年2月25日
命を打ち込んで御本尊に祈り抜け—恩師。勝利の力ここに。今日も朗々と
目標達成の秘訣、それは粘り強さだ—学者。さあ栄光の峰へ前進また前進
三寒四温の時こそリズム正しく。食事・睡眠・運動をしっかり。健康が基盤
おれおれ詐欺の被害者8割が「自分は遭わないと思っていた」。油断は禁物
「常に庶民に寄り添ってきたのは公明党」識者。政治は結果。実績で輝け
☆勇気の旗高く 池田先生と岩手 2019年2月18日
◇開拓とは自分自身への挑戦
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は岩手県を掲載する。
◇人材の大河を
岩手県出身の歴史的人物といえば、教育者の新渡戸稲造、詩人の宮沢賢治、富田砕花らの名が挙がる。
池田先生は2002年(平成14年)1月の随筆で、こうした歴史上の逸材を輩出した岩手の地から、妙法の逸材も大河の流れのごとく、続くにちがいないと強調した。
日本第一の広大な県の悠久の天地は、世界第一のすばらしいイーハトーブ(理想郷)である。
「日高見の国」と謳われた岩手の山河は、人を鍛え、豊かにする。陸奥の大動脈・北上の久遠の流れが、不撓の歩みを教えたのか。蒼天に凜と聳える八幡平の雄峰が、不屈の矜持を鍛えたのか。
そしてまた、太平洋の波浪が寄せ来る三陸の絶景が、世界の心を開いたのか。歴史上の逸材も、皆様方の故郷から限りなく輩出している。
おお、妙法の逸材も、大河の流れのごとく、岩手の大道に続きゆくにちがいない。幸福への前進、平和への行進は、いよいよ力強く勢いを増していくだろう。
自分のみの幸せが、私たちの目的ではない。友の笑顔こそが、私たちの勲章である。
「立正安国論」には、厳然と記されている。「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐をいのらん者か」(御書31ページ)と。この日蓮大聖人の仰せ通りに、私が敬愛する岩手の同志は、昼となく夜となく、平和のために、無私の奔走をされている。その尊い日々の精進に、私は再び合掌し、心からの大拍手を贈りたい。
諸天善神も、また、同じことだろう。
大好きな岩手の友よ!
頼もしい岩手の友よ!
新しい東北を、世界の東北を、絢爛、燦然と後世の歴史の上に輝かせていくのは、皆様方、岩手の使命であることを、どうか、誇りとしていただきたいのだ。
1999年(同11年)7月の随筆では、使命の大地を力強く駆ける岩手の友の奮闘をたたえた。
岩手の天地は広大である。「未来」という、あまりにも大きい、二十一世紀への不滅の晴れ舞台が、生き生きと待っている。
その地で、使命に活躍される方が、一番、大事である。
御本仏から、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(御書1467ページ)と託された、不思議なる大菩薩であると、私には思えてならない。
その方々を尊敬し、いっさいを願っていく以外に、広宣流布は達成できない。
わが岩手の同志には、「落胆」という二字はない。「勝利」という二字と、「栄光」という二字しかない。
◇信心の証明者
本年は"水沢指導"から40周年の節目である。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた79年(昭和54年)1月、池田先生は水沢を舞台に、幹部会や自由勤行会、青年部の代表との記念撮影等を行い、限りない励ましを送った。
同12日、先生は水沢文化会館で開かれた岩手県新春記念幹部会の折、仏法における人間の尊厳観・平等観・幸福観を語った。
この世界で、もっとも大切なのは、自分自身である。だれ人たりとも幸福になる権利がある。人生の喜びを満喫していく権利がある。
しかし、現実社会はまさに「三界は安きこと無し 猶火宅の如し」の経文の通りであるといってよい。自分自身の一寸先も分からぬのが、人生の実相なのである。
その幸福への道として仏法がある。政治、経済次元を超克して、自身の宮殿の中の幸福を開きゆくことが信心なのである。御本尊様の功徳は平等大慧であられる。
役職や社会的地位には関係ない。強き信行の人が、はじめて幸福への前進をすることができるのである。皆さん方が勇気をもって、忍耐強く正しい信心を貫いていかれるよう祈ってやまない。
ともどもに仏法家族である。妙法のもとに兄弟である。姉妹である。利害、複雑な社会にあって、人間と人間とが麗しく生き抜いていくことは、幸せなことである。この尊い信心の和合の世界を断じて崩してはならない。
85年(同60年)5月20日、池田先生は岩手県記念代表者会議(岩手文化会館〈現・盛岡文化会館〉)に出席し、懇談的にスピーチ。「岩手広布の新たな人材の城の建設を」と期待を述べつつ、信仰者としての姿勢を語った。
信心しても病気になる人もいる。また、さまざまな事故にあう人もいる。それぞれの境遇と境涯においても、千差万別の姿がある。
この千差万別の人類のなかにあって、千差万別の現証を示していくところに、同じような境遇と境涯の人々に、深く納得せしめゆく信心の証明者となっていける。
したがって、千差万別の境遇の人はそれなりにまた、千差万別の同じ悩みで迷い、生きゆく人々をば救済できるにちがいない。それ自体、偉大な仏の使者なのである。故に、その自分の境遇を信心のうえからみれば、喜びとしなければならないと私は思う。
◇勝利への一念
岩手の友にとって「希望と開拓」は永遠の指針である。
72年(同47年)7月14日、池田先生は盛岡市の岩手県営体育館で行われた3600人との記念撮影会に臨んだ。
席上、先生はこの「希望と開拓」の指針を贈り、「常に十年、二十年先への希望と夢を保ちつつ、自己の運命、そして地域を力強く開拓しゆく人生であり、岩手であってほしい」と呼び掛けた。
のちに、この日が「岩手の日」となった。
先生は2003年(平成15年)2月の随筆で、思い出の記念撮影会を述懐しながら、「希望と開拓」の意義をつづっている。
「希望」は、いずこより来るか。それは「必ず勝つ」「必ずこうしてみせる」という強き一念から起こる。自分の思いこそが未来を創る。「未来の果」は、「現在の因」に納まっているからだ。
そして「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。
人は、誰でも未踏の原野をもっている。それも、どこか遠い彼方ではなく、ごく身近にあるものだ。
苦手だからと、つい避けてきた課題。先入観から「どうせだめだ」と諦めてきたり、「いつかやろう」と思いながら、いつも後回しにして手つかずだった問題……。
最も手強い壁は、実は心の中にある。
ゆえに、勇気をもって自分と向き合い、「自己拡大の戦い」「人間革命の戦い」を起こすことだ!
「汝自身の原野」に雄々しく挑め! その人こそ、最も勇敢なる開拓者である。
正義は叫び抜かねばならない。声を大にして、声も惜しまず、内にも、外にも、堂々と語るのだ。いな、師子吼するのだ!
御本尊の大功徳を、広布の使命に生きる喜びを、わが同志の敢闘を、そして学会の正義と真実を!
「法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」(御書1242ページ)と、大聖人は教えてくださっている。
自分が叫んだ分だけ、幸福の拡大、友情の拡大、栄光の拡大があり、わが身に無量の大功徳が噴き上がるのだ。
「勇気」が扉を開き
「対話」が共感を深め
「誠実」が信頼を築く。
心を動かすのは心だ。
立正安国の挑戦劇を!
2019年2月25日
立正安国論 P17
『旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る』
【通解】
旅客が来て嘆いて言うには、近年から近日に至るまで、天変、地夭、飢饉や疫病があまねく天下に満ち、広く地上にはびこっている。
〈寸鉄〉 2019年2月25日
命を打ち込んで御本尊に祈り抜け—恩師。勝利の力ここに。今日も朗々と
目標達成の秘訣、それは粘り強さだ—学者。さあ栄光の峰へ前進また前進
三寒四温の時こそリズム正しく。食事・睡眠・運動をしっかり。健康が基盤
おれおれ詐欺の被害者8割が「自分は遭わないと思っていた」。油断は禁物
「常に庶民に寄り添ってきたのは公明党」識者。政治は結果。実績で輝け
☆勇気の旗高く 池田先生と岩手 2019年2月18日
◇開拓とは自分自身への挑戦
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は岩手県を掲載する。
◇人材の大河を
岩手県出身の歴史的人物といえば、教育者の新渡戸稲造、詩人の宮沢賢治、富田砕花らの名が挙がる。
池田先生は2002年(平成14年)1月の随筆で、こうした歴史上の逸材を輩出した岩手の地から、妙法の逸材も大河の流れのごとく、続くにちがいないと強調した。
日本第一の広大な県の悠久の天地は、世界第一のすばらしいイーハトーブ(理想郷)である。
「日高見の国」と謳われた岩手の山河は、人を鍛え、豊かにする。陸奥の大動脈・北上の久遠の流れが、不撓の歩みを教えたのか。蒼天に凜と聳える八幡平の雄峰が、不屈の矜持を鍛えたのか。
そしてまた、太平洋の波浪が寄せ来る三陸の絶景が、世界の心を開いたのか。歴史上の逸材も、皆様方の故郷から限りなく輩出している。
おお、妙法の逸材も、大河の流れのごとく、岩手の大道に続きゆくにちがいない。幸福への前進、平和への行進は、いよいよ力強く勢いを増していくだろう。
自分のみの幸せが、私たちの目的ではない。友の笑顔こそが、私たちの勲章である。
「立正安国論」には、厳然と記されている。「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐をいのらん者か」(御書31ページ)と。この日蓮大聖人の仰せ通りに、私が敬愛する岩手の同志は、昼となく夜となく、平和のために、無私の奔走をされている。その尊い日々の精進に、私は再び合掌し、心からの大拍手を贈りたい。
諸天善神も、また、同じことだろう。
大好きな岩手の友よ!
頼もしい岩手の友よ!
新しい東北を、世界の東北を、絢爛、燦然と後世の歴史の上に輝かせていくのは、皆様方、岩手の使命であることを、どうか、誇りとしていただきたいのだ。
1999年(同11年)7月の随筆では、使命の大地を力強く駆ける岩手の友の奮闘をたたえた。
岩手の天地は広大である。「未来」という、あまりにも大きい、二十一世紀への不滅の晴れ舞台が、生き生きと待っている。
その地で、使命に活躍される方が、一番、大事である。
御本仏から、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(御書1467ページ)と託された、不思議なる大菩薩であると、私には思えてならない。
その方々を尊敬し、いっさいを願っていく以外に、広宣流布は達成できない。
わが岩手の同志には、「落胆」という二字はない。「勝利」という二字と、「栄光」という二字しかない。
◇信心の証明者
本年は"水沢指導"から40周年の節目である。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた79年(昭和54年)1月、池田先生は水沢を舞台に、幹部会や自由勤行会、青年部の代表との記念撮影等を行い、限りない励ましを送った。
同12日、先生は水沢文化会館で開かれた岩手県新春記念幹部会の折、仏法における人間の尊厳観・平等観・幸福観を語った。
この世界で、もっとも大切なのは、自分自身である。だれ人たりとも幸福になる権利がある。人生の喜びを満喫していく権利がある。
しかし、現実社会はまさに「三界は安きこと無し 猶火宅の如し」の経文の通りであるといってよい。自分自身の一寸先も分からぬのが、人生の実相なのである。
その幸福への道として仏法がある。政治、経済次元を超克して、自身の宮殿の中の幸福を開きゆくことが信心なのである。御本尊様の功徳は平等大慧であられる。
役職や社会的地位には関係ない。強き信行の人が、はじめて幸福への前進をすることができるのである。皆さん方が勇気をもって、忍耐強く正しい信心を貫いていかれるよう祈ってやまない。
ともどもに仏法家族である。妙法のもとに兄弟である。姉妹である。利害、複雑な社会にあって、人間と人間とが麗しく生き抜いていくことは、幸せなことである。この尊い信心の和合の世界を断じて崩してはならない。
85年(同60年)5月20日、池田先生は岩手県記念代表者会議(岩手文化会館〈現・盛岡文化会館〉)に出席し、懇談的にスピーチ。「岩手広布の新たな人材の城の建設を」と期待を述べつつ、信仰者としての姿勢を語った。
信心しても病気になる人もいる。また、さまざまな事故にあう人もいる。それぞれの境遇と境涯においても、千差万別の姿がある。
この千差万別の人類のなかにあって、千差万別の現証を示していくところに、同じような境遇と境涯の人々に、深く納得せしめゆく信心の証明者となっていける。
したがって、千差万別の境遇の人はそれなりにまた、千差万別の同じ悩みで迷い、生きゆく人々をば救済できるにちがいない。それ自体、偉大な仏の使者なのである。故に、その自分の境遇を信心のうえからみれば、喜びとしなければならないと私は思う。
◇勝利への一念
岩手の友にとって「希望と開拓」は永遠の指針である。
72年(同47年)7月14日、池田先生は盛岡市の岩手県営体育館で行われた3600人との記念撮影会に臨んだ。
席上、先生はこの「希望と開拓」の指針を贈り、「常に十年、二十年先への希望と夢を保ちつつ、自己の運命、そして地域を力強く開拓しゆく人生であり、岩手であってほしい」と呼び掛けた。
のちに、この日が「岩手の日」となった。
先生は2003年(平成15年)2月の随筆で、思い出の記念撮影会を述懐しながら、「希望と開拓」の意義をつづっている。
「希望」は、いずこより来るか。それは「必ず勝つ」「必ずこうしてみせる」という強き一念から起こる。自分の思いこそが未来を創る。「未来の果」は、「現在の因」に納まっているからだ。
そして「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。
人は、誰でも未踏の原野をもっている。それも、どこか遠い彼方ではなく、ごく身近にあるものだ。
苦手だからと、つい避けてきた課題。先入観から「どうせだめだ」と諦めてきたり、「いつかやろう」と思いながら、いつも後回しにして手つかずだった問題……。
最も手強い壁は、実は心の中にある。
ゆえに、勇気をもって自分と向き合い、「自己拡大の戦い」「人間革命の戦い」を起こすことだ!
「汝自身の原野」に雄々しく挑め! その人こそ、最も勇敢なる開拓者である。
正義は叫び抜かねばならない。声を大にして、声も惜しまず、内にも、外にも、堂々と語るのだ。いな、師子吼するのだ!
御本尊の大功徳を、広布の使命に生きる喜びを、わが同志の敢闘を、そして学会の正義と真実を!
「法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」(御書1242ページ)と、大聖人は教えてくださっている。
自分が叫んだ分だけ、幸福の拡大、友情の拡大、栄光の拡大があり、わが身に無量の大功徳が噴き上がるのだ。
2019年2月24日日曜日
2019.02.24 わが友に贈る
「畏れ無きこと
師子王の如く」御聖訓。
いかなる逆境にあろうと
勇敢な実践をつらぬこう!
そこに成長と勝利がある。
開目抄上 P200
『いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ、二辺の中にはいうべし』
【通解】
言わないならば今生では何事も起らないにしても、後生は必ず無間地獄へ堕ちるであろう。言うならば三障四魔が必ず競い起るという事がわかった。二辺のなかでは言うべきである。
〈寸鉄〉 2019年2月24日
会長は一人の人間が世界を変える模範を示した—識者。人間革命の劇、共に
「悪知識を捨てて善友に親近せよ」御書。同志と団結固く。励まし合い前進
苦労した人を信用せよ—恩師。幹部は最も大変な所に飛び込め。姿で光れ
環境に配慮した商品買う倫理的消費が脱プラ推進の力と。意識変革を皆で
はやぶさ2、惑星に着陸。人類史に一頁。不屈の心で我らは友情開拓の一歩
☆3月度男子部「御書活動者会」研さんのために 御義口伝
◇忍耐・智慧・慈悲で勝て! 歓喜の信心に燃え立つ
3月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「御義口伝」を研さん。対話拡大の要諦を学ぶ。
◇御文
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり、衣とは柔和忍辱の衣・当著忍辱鎧是なり座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり室とは慈悲に住して弘むる故なり母の子を思うが如くなり』(御書737ページ)
◇通解
いま日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱える時、この(衣座室の)三軌を一念に成就するのである。衣とは、柔和忍辱の衣であり、(法華経勧持品第13の)「当に忍辱の鎧を著るべし」のことである。座とは、不惜身命の修行で空の座にいるということである。室とは、慈悲の心を持って弘めることであり、母が子を思うようなものである。
◇背景と大意
「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て、完成したものと伝えられている。各項目では、経文の一節を挙げ、関連する天台大師、妙楽大師等の釈を引用するなどした上で、「御義口伝に云く……」と、末法の御本仏・日蓮大聖人のお立場からの法華経解釈が展開されている。
今回の研さん範囲は「法師品十六箇の大事」の「第七衣座室の事」。ここでは、法師品第10に説かれる経文を挙げ、釈尊滅後の弘教の在り方を示されている。
◇解説
昨年9月8日に池田先生の小説『新・人間革命』が完結してから、私たちは、初めての3・16「広宣流布記念の日」を迎える。
「創価の三代の師弟の魂」を受け継ぐ使命を胸に刻み、仏縁を一段と拡大し、後継の証しを打ち立てていきたい。
対話の実践においては、相手に真心で語っても、時に反発されることもあるだろう。それでも諦めず、友の幸福を願い、粘り強く語り抜いていくことこそが、地涌の使命にほかならない。
法華経法師品には、末法において仏法を語り広げていく上で、相手の仏性を薫発するための三つの「方軌」(=のっとるべき基準)が説かれている。それが「衣座室の三軌」である。
「三軌」とは、�柔和な気持ちで忍耐強い「柔和忍辱」の心を持つこと、�あらゆる事物・事象(=一切法)には固定的な不変の実体がなく、その本質は「空」であるとの真理に基づくこと、�「大慈悲心」を起こすこと、である。「柔和忍辱」が「如来の衣」、「一切法空」が「如来の座」、「大慈悲心」が「如来の室」であると説かれるため、「衣座室の三軌」と呼ばれる。
この「衣座室の三軌」について御指南されているのが、今回の拝読御文である。ここでは、「三軌」の一つずつに解釈を加えられている。
�「衣」とは、柔和忍辱の衣・忍辱の鎧を着ること——すなわち、どんな反発や非難の風にも紛動されず、穏やかで悠然たる態度を貫く、忍耐の心の大切さを示されている。
�「座」とは、何ものにも執着しない不惜身命の修行で空の座に座るということ——すなわち、広布のために人生をささげていこうという不惜身命の信心によって、自在の智慧を開いていけるとの仰せである。
�「室」とは、母が子を思うように、慈悲を持って妙法を弘めること——すなわち、どこまでも相手を尊敬して大切にし、一緒に幸福になっていこうという慈悲の心こそ肝要であるとの仰せと拝せよう。
拝読御文の前半では、自行化他にわたって南無妙法蓮華経と唱える私たちは、この「衣座室の三軌」を一念(=一瞬の命)に成就すると仰せである。題目を唱え弘める修行によって、忍耐と智慧と慈悲という「仏の徳」が具わると示されているのである。
池田先生はこの御文を拝して語られている。
「信心の『一念』に、徳が成就するのです。特別な力などなくともよい、妙法を唱える歓喜、妙法を語れる歓喜に燃えていることが、いちばん大事なことです。その歓喜の信心に『衣座室の三軌』は含まれるのです。慈悲・忍耐・智慧の徳が含まれているのです」
師が世界広布の方程式を示された『新・人間革命』が完結し、いよいよ弟子が全責任を担って立ち上がる「新時代」を迎えた。創価班・牙城会の「新時代1期生」も全国各地で誕生し、歓喜の前進を開始している。
弟子が後継の誓いを新たにする3月。私たちは"新しい力"と共に、使命に生きる喜びに心を弾ませながら、自他共の幸福のため、立正安国のため、勢いよく対話に打って出ようではないか!
師子王の如く」御聖訓。
いかなる逆境にあろうと
勇敢な実践をつらぬこう!
そこに成長と勝利がある。
開目抄上 P200
『いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ、二辺の中にはいうべし』
【通解】
言わないならば今生では何事も起らないにしても、後生は必ず無間地獄へ堕ちるであろう。言うならば三障四魔が必ず競い起るという事がわかった。二辺のなかでは言うべきである。
〈寸鉄〉 2019年2月24日
会長は一人の人間が世界を変える模範を示した—識者。人間革命の劇、共に
「悪知識を捨てて善友に親近せよ」御書。同志と団結固く。励まし合い前進
苦労した人を信用せよ—恩師。幹部は最も大変な所に飛び込め。姿で光れ
環境に配慮した商品買う倫理的消費が脱プラ推進の力と。意識変革を皆で
はやぶさ2、惑星に着陸。人類史に一頁。不屈の心で我らは友情開拓の一歩
☆3月度男子部「御書活動者会」研さんのために 御義口伝
◇忍耐・智慧・慈悲で勝て! 歓喜の信心に燃え立つ
3月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「御義口伝」を研さん。対話拡大の要諦を学ぶ。
◇御文
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり、衣とは柔和忍辱の衣・当著忍辱鎧是なり座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり室とは慈悲に住して弘むる故なり母の子を思うが如くなり』(御書737ページ)
◇通解
いま日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱える時、この(衣座室の)三軌を一念に成就するのである。衣とは、柔和忍辱の衣であり、(法華経勧持品第13の)「当に忍辱の鎧を著るべし」のことである。座とは、不惜身命の修行で空の座にいるということである。室とは、慈悲の心を持って弘めることであり、母が子を思うようなものである。
◇背景と大意
「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て、完成したものと伝えられている。各項目では、経文の一節を挙げ、関連する天台大師、妙楽大師等の釈を引用するなどした上で、「御義口伝に云く……」と、末法の御本仏・日蓮大聖人のお立場からの法華経解釈が展開されている。
今回の研さん範囲は「法師品十六箇の大事」の「第七衣座室の事」。ここでは、法師品第10に説かれる経文を挙げ、釈尊滅後の弘教の在り方を示されている。
◇解説
昨年9月8日に池田先生の小説『新・人間革命』が完結してから、私たちは、初めての3・16「広宣流布記念の日」を迎える。
「創価の三代の師弟の魂」を受け継ぐ使命を胸に刻み、仏縁を一段と拡大し、後継の証しを打ち立てていきたい。
対話の実践においては、相手に真心で語っても、時に反発されることもあるだろう。それでも諦めず、友の幸福を願い、粘り強く語り抜いていくことこそが、地涌の使命にほかならない。
法華経法師品には、末法において仏法を語り広げていく上で、相手の仏性を薫発するための三つの「方軌」(=のっとるべき基準)が説かれている。それが「衣座室の三軌」である。
「三軌」とは、�柔和な気持ちで忍耐強い「柔和忍辱」の心を持つこと、�あらゆる事物・事象(=一切法)には固定的な不変の実体がなく、その本質は「空」であるとの真理に基づくこと、�「大慈悲心」を起こすこと、である。「柔和忍辱」が「如来の衣」、「一切法空」が「如来の座」、「大慈悲心」が「如来の室」であると説かれるため、「衣座室の三軌」と呼ばれる。
この「衣座室の三軌」について御指南されているのが、今回の拝読御文である。ここでは、「三軌」の一つずつに解釈を加えられている。
�「衣」とは、柔和忍辱の衣・忍辱の鎧を着ること——すなわち、どんな反発や非難の風にも紛動されず、穏やかで悠然たる態度を貫く、忍耐の心の大切さを示されている。
�「座」とは、何ものにも執着しない不惜身命の修行で空の座に座るということ——すなわち、広布のために人生をささげていこうという不惜身命の信心によって、自在の智慧を開いていけるとの仰せである。
�「室」とは、母が子を思うように、慈悲を持って妙法を弘めること——すなわち、どこまでも相手を尊敬して大切にし、一緒に幸福になっていこうという慈悲の心こそ肝要であるとの仰せと拝せよう。
拝読御文の前半では、自行化他にわたって南無妙法蓮華経と唱える私たちは、この「衣座室の三軌」を一念(=一瞬の命)に成就すると仰せである。題目を唱え弘める修行によって、忍耐と智慧と慈悲という「仏の徳」が具わると示されているのである。
池田先生はこの御文を拝して語られている。
「信心の『一念』に、徳が成就するのです。特別な力などなくともよい、妙法を唱える歓喜、妙法を語れる歓喜に燃えていることが、いちばん大事なことです。その歓喜の信心に『衣座室の三軌』は含まれるのです。慈悲・忍耐・智慧の徳が含まれているのです」
師が世界広布の方程式を示された『新・人間革命』が完結し、いよいよ弟子が全責任を担って立ち上がる「新時代」を迎えた。創価班・牙城会の「新時代1期生」も全国各地で誕生し、歓喜の前進を開始している。
弟子が後継の誓いを新たにする3月。私たちは"新しい力"と共に、使命に生きる喜びに心を弾ませながら、自他共の幸福のため、立正安国のため、勢いよく対話に打って出ようではないか!
2019年2月23日土曜日
2019.02.23 わが友に贈る
心に垣根をつくらず
あらゆる人に
仏縁を広げよう!
勇んで飛び込めば
感激のドラマが始まる。
四条金吾殿御書 P1112
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば種種の大難雨のごとくふり雲のごとくにわき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』
【通解】
日蓮は法華弘通によりこれらの業障を消し果てて未来は霊山浄土に往くことができるのであるから、種種の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、それは法華経のためであるので、苦をも苦と思わない。
〈寸鉄〉 2019年2月23日
試練に行き当たった時こそ前進の炎燃やせ—牧口先生。題目の利剣で突破
九州婦人部の日。対話の大輪咲かせる先駆の母!幸福勝利の春風を断固と
幹部は全員に光を!仏法は桜梅桃李。皆の長所を重ねれば力は2倍3倍に
人は内面を改善するほど社会生活でも活躍—文豪堂々と人間革命の大道を
携帯やカーナビ操作等の「ながら運転」は死亡事故比率が約2倍。絶対厳禁
☆四季の励まし 語った分だけ幸福は広がる 2019年2月17日
足元の地域から、
全ては始まる。
地域を学び、地域に根を張り、
地域の人びととつながる。
その地道な草の根の行動から、
時代を変える大事業が生まれる。
どんな友情も、
最初は知らない者同士の
出会いである。
自分が引っ込み思案では、
友情も深まらない。
勇気をもって、挨拶する、
会う、語る、縁を結ぶ——
この日常の
誠実な振る舞いのなかにこそ、
わが生命の宇宙を伸びやかに
開発しゆく人間革命もあるのだ。
自ら動いた分だけ、
歩いた分だけ、語った分だけ、
わが地域の
"平和の地図"は拡大する。
祈りに祈り、
心を砕いた分だけ、
"幸福の地図"は
光を放っていくのだ。
私どもの発する「声」が、
広宣流布を前進させる。
今、語らなければ、
後々まで後悔を残してしまう。
未来の「果」は、
現在の「因」にある。
創価の勝利のため、
自身の三世にわたる幸福のために、
今こそ勇敢に、
しゃべりまくることである。
何のための一生なのか。
人生、いかに生きるべきか。
この問いに答え、
所願満足の一生を送り、
しかも、他者の幸福を支え、
社会の繁栄と
平和建設に貢献していく——
これ以上の「心の財」はない。
そして、この「心の財」は永遠だ。
イギリス・ロンドン郊外の街並み。美しい木々の緑の中に、赤茶色の屋根と白い壁が映える。1994年(平成6年)6月、池田大作先生が機中からシャッターを切った。
池田先生は同国訪問の折、広布開拓に奮闘する世界の友に呼び掛けた。
「その国の広宣流布のために、その国の幸福のために戦いぬいた人は、必ず、その国の、また世界の大長者、大指導者と生まれる。ゆえに今世を悔いなく、思い切り行動しぬくことである」
私たちの対話は、全てが仏縁の拡大。勇んで動けば「歴史」ができる。さあ、きょうも足取り軽く、友のもとへ。心通う語らいで、地域に友情と信頼の花を咲かせよう。
あらゆる人に
仏縁を広げよう!
勇んで飛び込めば
感激のドラマが始まる。
四条金吾殿御書 P1112
『日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば種種の大難雨のごとくふり雲のごとくにわき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず』
【通解】
日蓮は法華弘通によりこれらの業障を消し果てて未来は霊山浄土に往くことができるのであるから、種種の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、それは法華経のためであるので、苦をも苦と思わない。
〈寸鉄〉 2019年2月23日
試練に行き当たった時こそ前進の炎燃やせ—牧口先生。題目の利剣で突破
九州婦人部の日。対話の大輪咲かせる先駆の母!幸福勝利の春風を断固と
幹部は全員に光を!仏法は桜梅桃李。皆の長所を重ねれば力は2倍3倍に
人は内面を改善するほど社会生活でも活躍—文豪堂々と人間革命の大道を
携帯やカーナビ操作等の「ながら運転」は死亡事故比率が約2倍。絶対厳禁
☆四季の励まし 語った分だけ幸福は広がる 2019年2月17日
足元の地域から、
全ては始まる。
地域を学び、地域に根を張り、
地域の人びととつながる。
その地道な草の根の行動から、
時代を変える大事業が生まれる。
どんな友情も、
最初は知らない者同士の
出会いである。
自分が引っ込み思案では、
友情も深まらない。
勇気をもって、挨拶する、
会う、語る、縁を結ぶ——
この日常の
誠実な振る舞いのなかにこそ、
わが生命の宇宙を伸びやかに
開発しゆく人間革命もあるのだ。
自ら動いた分だけ、
歩いた分だけ、語った分だけ、
わが地域の
"平和の地図"は拡大する。
祈りに祈り、
心を砕いた分だけ、
"幸福の地図"は
光を放っていくのだ。
私どもの発する「声」が、
広宣流布を前進させる。
今、語らなければ、
後々まで後悔を残してしまう。
未来の「果」は、
現在の「因」にある。
創価の勝利のため、
自身の三世にわたる幸福のために、
今こそ勇敢に、
しゃべりまくることである。
何のための一生なのか。
人生、いかに生きるべきか。
この問いに答え、
所願満足の一生を送り、
しかも、他者の幸福を支え、
社会の繁栄と
平和建設に貢献していく——
これ以上の「心の財」はない。
そして、この「心の財」は永遠だ。
イギリス・ロンドン郊外の街並み。美しい木々の緑の中に、赤茶色の屋根と白い壁が映える。1994年(平成6年)6月、池田大作先生が機中からシャッターを切った。
池田先生は同国訪問の折、広布開拓に奮闘する世界の友に呼び掛けた。
「その国の広宣流布のために、その国の幸福のために戦いぬいた人は、必ず、その国の、また世界の大長者、大指導者と生まれる。ゆえに今世を悔いなく、思い切り行動しぬくことである」
私たちの対話は、全てが仏縁の拡大。勇んで動けば「歴史」ができる。さあ、きょうも足取り軽く、友のもとへ。心通う語らいで、地域に友情と信頼の花を咲かせよう。
2019年2月22日金曜日
2019.02.22 わが友に贈る
行き詰ったら
一人で悩まないことだ。
見栄や気取りを捨て
周囲に相談することが
解決への突破口だ。
三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顛倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず』
【通解】
生と死というものは、九界の迷いのなか、あたかも夢の中での立て分けなのであり、それは凡夫の迷った、ひっくりかえった考えなのです。仏の覚めた悟りから生命を究明していけば、生まれてくる初めもなく、したがって死んでいく終りもないのです。いわゆる生死というものからは超越しているのが生命です。
ですから、生命そのものは人間世界が破滅するとき起こる大火ににも焼けず、どんな水害にも滅びません。また刀でも切ることができず、弓矢でいることもできません。
さらに生命というのものは、極めて小さいケシのなかに入れてもケシが広がるのでもなく、生命が縮まるというものでもありません。大空に満ちわたらせても、大空が広すぎるということもなく、生命が狭すぎるというものでもないのです。
〈寸鉄〉 2019年2月22日
「苦労した分だけ生命の宝器は強く豊かに」恩師。激闘こそ青春!勇み挑戦
鳥取広布原点の日。山光の天地に凱歌の歴史開け民衆の底力を今こそ発揮
誠は心の最も神聖な宝—哲人。真剣そして大誠実の対話で敵をも味方に!
学校に通えぬ子供が2億人以上と。教育即平和だ。国境超えた支援強化急務
一番私たちの提言を受け入れてくれたのが公明—青年団体。衆望担い走れ
☆勇気の旗高く 池田先生と長野 2019年2月15日
◇信濃の同志は絶対に信頼できる
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は長野県を掲載する。
◇「師弟不二」の天地
池田先生の長野初訪問は1957年(昭和32年)8月。その折、池田先生は、第2代会長の恩師・戸田先生と語らい、小説『人間革命』の執筆の思いを定めた。奇しくもその日は、池田先生と戸田先生の初めての出会いから満10年の日だった。
私は、戸田先生に呼ばれ、この軽井沢の地を訪れた。
当時、私は29歳。この時が初めての長野訪問であった。
戸田先生の最後の夏をともに過ごした、ここ軽井沢は、忘れ得ぬ「師弟不二」の天地である。
当時、戸田先生のお体はそうとう衰弱されていた。私は心に先生の死を予感し覚悟しつつ、小説『人間革命』の執筆を固く心に誓った。
世間は戸田先生に対して、さまざまに誤解し、批判・中傷したが、戸田先生の「真実」は、そばで仕えきった人間にしかわからない。ゆえに私は、戸田先生の弟子として、先生の「真実」を断じて書き残したい、この偉大な師匠の「栄冠の人生」「勝利の人生」を満天下に示してみせる、と心に決めた。
◇反転攻勢の舞台
本年は、第1次宗門事件の折、第3代会長を辞任した池田先生が、長野研修道場に初めて訪れ、功労者をはじめ同志への訪問・激励を開始してから40年となる。
先生は、長野各地を駆け巡り、愛する長野の友に、渾身の励ましを送ってきた。
1979年(昭和54年)、仏意仏勅の学会は、吹き荒れる猶多怨嫉の嵐の中、「雌伏」から「雄飛」への反転攻勢を、ここ信濃から開始したのだ。
軽井沢をはじめ佐久、小諸、東御、上田、丸子と、変わらざる功労の友どちとの金の出会いも蘇る。
また、松本、長野、須坂、更埴、川中島、諏訪、茅野、岡谷、塩尻、伊那、飯田、駒ケ根等々、各地で共戦譜を綴ってきた。
雄大なアルプス、詩情あふれる千曲川、ロマンの松本城、水冴える上高地、緑光る志賀高原、豊かな実りの菅平、若人と浩然の気を養った霧ケ峰——。麗しき舞台で、同志とつくった「今生人界の思出」(御書467ページ)は不滅である。さらに、憧れの木曽路、安曇野や大町をはじめ、いずこにも、心通い合う不二の同志が躍動している。
◇本物の一人に
長野の誇りは、師弟有縁の二つの研修道場である。池田先生が「創価の師弟の生命錬磨の大城」と呼んだ長野研修道場、そして「天に一番近い研修道場」と語った長野青年研修道場である。
先生は、両研修道場で数々の指導を残し、人材を、そして青年を育成してきた。
庶民。弱いように見えて、これほど強い存在はない。"強者"が、いかに見くだし、いじめ、苦しめようと、庶民には、旺盛な"生きぬく力"がある。現実の大地に深く根をおろした、たくましさがあり、知恵がある。一個の「人間」としての輝きがある。
その庶民のただ中に飛び込み、庶民とともに、みずからも一個の庶民として歩む——学会の強さは、ここにある。そして、どこまでも民衆を、守りに守りぬいていく——それが学会の精神である。
自分の「限界を超える」戦いを、一回でやめるか、二回、三回、そして生涯続けるか。天才と平凡人といっても、その違いがあるだけなんだ。
結局、「自分に勝つ」以外に、道は開けない。人がうらやましく見える時もあるかもしれない。しかし、人は人、自分は自分だ。他人と比べて一喜一憂するよりも、自分の状況のなかで、自分の今の「限界」を乗り越えることだ。それを続けられる人こそが、人間としての真の「勝利者」であり「天才」なんだよ。
私は、青年部に、そうした「本物の一人」になってほしいのだ。精鋭だよ。「本物の一人」を残せば、そこからいくらでも勝利は広がっていくのだから。
すべては、一人の青年の戦いで決まる。一人の庶民の勝利が一切を変えていく。社会の中で、生活の中で、現実の中で、何があってもはつらつと、たくましく、トップランナーとして走りぬいていく。そこにこそ、わが学会の、新しい勝利が生まれる。栄光と希望が生まれる。凱旋の万歳が響きわたる。
だれがやらなくとも、自分が勝てばよいのである。自分が本物であればよいのである。私も、その決心で走り続けている。
一人が百万人の力を出すことがある。反対に、一人のために百万人が犠牲になることもある。
「一人」が大切なのである。「一人」を、おろそかにしてはならない。「一人」を励まし、伸ばす以外にない。
学会員の皆さまは、尊貴なる「地涌の菩薩」である。
最も尊き「平和の闘士」である。「文化の戦人」である。「人道の勇者」である。
いつもいつも一生懸命に戦い続けておられる。あまりにもけなげである。あまりにもいじらしい。ゆえに私は、わが同志を最大に讃嘆したい。無量に称讃したい。永遠に顕彰申し上げたい。
◇模範の人材山脈
池田先生は昨年8月6日、長野研修道場で小説『新・人間革命』の最後の章を脱稿した。同じ長野で、『新・人間革命』執筆を開始してから、ちょうど25年の節目だった。
この間、長野の友は、「創価信濃大学校」を軸に、小説を皆で読み合いながら、自他共の人間革命のスクラムを広げてきた。
私にとって何よりうれしいことは、今、長野に、模範の人材山脈が聳え、幸と福徳の花が咲き薫り、そして後継の青年の大河が滔々と流れ通っていることである。
長野のこの街でも、あの村でも、わが友は地域の依怙依託と輝き、いよいよ社会に貢献し、友好を深めて、「立正安国」の勝利の光を広げてくれている。
その英姿に私は妻と合掌し、無事安穏であれ! 健康長寿であれ! と題目を送る日々である。
そして、長野から「世界広布」の永遠の光をと、私はいやまして一念を強めている。
御聖訓には、「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274ページ)と仰せである。
「信濃」すなわち「信」の「濃き」人びと——その名の如く、信濃の同志は信義に篤い。絶対に信頼できる。
今、世界の友が集い来る広宣流布大誓堂は、東京・新宿区の信濃町に立つ。不思議にも、世界広布の本陣も「信濃」である。
私は、広宣流布の誓願を共に貫き通す学会精神の真髄は「信濃」にあり! 正しき信心は「信濃家族」に学べ! そう、声高らかに叫び切っていきたいのである。
私は、長野が大好きだ。
私は、長野を信ずる。
私の心は、長野の光の友と離れることはない。
さあ、これからも、私と一緒に! 同志と一緒に!
我らの広布の決勝点へ、どこまでも手を携えて、楽しく賢く朗らかに勝ち進んでいこうではないか!
未来永遠に!
長野は池田先生が手作りで築き上げてきた広布の師弟城である。県歌「信濃の歌」を高らかに歌いながら、新たな歴史を開く破竹の前進が、長野のあの地、この地で始まっている。
一人で悩まないことだ。
見栄や気取りを捨て
周囲に相談することが
解決への突破口だ。
三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顛倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず』
【通解】
生と死というものは、九界の迷いのなか、あたかも夢の中での立て分けなのであり、それは凡夫の迷った、ひっくりかえった考えなのです。仏の覚めた悟りから生命を究明していけば、生まれてくる初めもなく、したがって死んでいく終りもないのです。いわゆる生死というものからは超越しているのが生命です。
ですから、生命そのものは人間世界が破滅するとき起こる大火ににも焼けず、どんな水害にも滅びません。また刀でも切ることができず、弓矢でいることもできません。
さらに生命というのものは、極めて小さいケシのなかに入れてもケシが広がるのでもなく、生命が縮まるというものでもありません。大空に満ちわたらせても、大空が広すぎるということもなく、生命が狭すぎるというものでもないのです。
〈寸鉄〉 2019年2月22日
「苦労した分だけ生命の宝器は強く豊かに」恩師。激闘こそ青春!勇み挑戦
鳥取広布原点の日。山光の天地に凱歌の歴史開け民衆の底力を今こそ発揮
誠は心の最も神聖な宝—哲人。真剣そして大誠実の対話で敵をも味方に!
学校に通えぬ子供が2億人以上と。教育即平和だ。国境超えた支援強化急務
一番私たちの提言を受け入れてくれたのが公明—青年団体。衆望担い走れ
☆勇気の旗高く 池田先生と長野 2019年2月15日
◇信濃の同志は絶対に信頼できる
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は長野県を掲載する。
◇「師弟不二」の天地
池田先生の長野初訪問は1957年(昭和32年)8月。その折、池田先生は、第2代会長の恩師・戸田先生と語らい、小説『人間革命』の執筆の思いを定めた。奇しくもその日は、池田先生と戸田先生の初めての出会いから満10年の日だった。
私は、戸田先生に呼ばれ、この軽井沢の地を訪れた。
当時、私は29歳。この時が初めての長野訪問であった。
戸田先生の最後の夏をともに過ごした、ここ軽井沢は、忘れ得ぬ「師弟不二」の天地である。
当時、戸田先生のお体はそうとう衰弱されていた。私は心に先生の死を予感し覚悟しつつ、小説『人間革命』の執筆を固く心に誓った。
世間は戸田先生に対して、さまざまに誤解し、批判・中傷したが、戸田先生の「真実」は、そばで仕えきった人間にしかわからない。ゆえに私は、戸田先生の弟子として、先生の「真実」を断じて書き残したい、この偉大な師匠の「栄冠の人生」「勝利の人生」を満天下に示してみせる、と心に決めた。
◇反転攻勢の舞台
本年は、第1次宗門事件の折、第3代会長を辞任した池田先生が、長野研修道場に初めて訪れ、功労者をはじめ同志への訪問・激励を開始してから40年となる。
先生は、長野各地を駆け巡り、愛する長野の友に、渾身の励ましを送ってきた。
1979年(昭和54年)、仏意仏勅の学会は、吹き荒れる猶多怨嫉の嵐の中、「雌伏」から「雄飛」への反転攻勢を、ここ信濃から開始したのだ。
軽井沢をはじめ佐久、小諸、東御、上田、丸子と、変わらざる功労の友どちとの金の出会いも蘇る。
また、松本、長野、須坂、更埴、川中島、諏訪、茅野、岡谷、塩尻、伊那、飯田、駒ケ根等々、各地で共戦譜を綴ってきた。
雄大なアルプス、詩情あふれる千曲川、ロマンの松本城、水冴える上高地、緑光る志賀高原、豊かな実りの菅平、若人と浩然の気を養った霧ケ峰——。麗しき舞台で、同志とつくった「今生人界の思出」(御書467ページ)は不滅である。さらに、憧れの木曽路、安曇野や大町をはじめ、いずこにも、心通い合う不二の同志が躍動している。
◇本物の一人に
長野の誇りは、師弟有縁の二つの研修道場である。池田先生が「創価の師弟の生命錬磨の大城」と呼んだ長野研修道場、そして「天に一番近い研修道場」と語った長野青年研修道場である。
先生は、両研修道場で数々の指導を残し、人材を、そして青年を育成してきた。
庶民。弱いように見えて、これほど強い存在はない。"強者"が、いかに見くだし、いじめ、苦しめようと、庶民には、旺盛な"生きぬく力"がある。現実の大地に深く根をおろした、たくましさがあり、知恵がある。一個の「人間」としての輝きがある。
その庶民のただ中に飛び込み、庶民とともに、みずからも一個の庶民として歩む——学会の強さは、ここにある。そして、どこまでも民衆を、守りに守りぬいていく——それが学会の精神である。
自分の「限界を超える」戦いを、一回でやめるか、二回、三回、そして生涯続けるか。天才と平凡人といっても、その違いがあるだけなんだ。
結局、「自分に勝つ」以外に、道は開けない。人がうらやましく見える時もあるかもしれない。しかし、人は人、自分は自分だ。他人と比べて一喜一憂するよりも、自分の状況のなかで、自分の今の「限界」を乗り越えることだ。それを続けられる人こそが、人間としての真の「勝利者」であり「天才」なんだよ。
私は、青年部に、そうした「本物の一人」になってほしいのだ。精鋭だよ。「本物の一人」を残せば、そこからいくらでも勝利は広がっていくのだから。
すべては、一人の青年の戦いで決まる。一人の庶民の勝利が一切を変えていく。社会の中で、生活の中で、現実の中で、何があってもはつらつと、たくましく、トップランナーとして走りぬいていく。そこにこそ、わが学会の、新しい勝利が生まれる。栄光と希望が生まれる。凱旋の万歳が響きわたる。
だれがやらなくとも、自分が勝てばよいのである。自分が本物であればよいのである。私も、その決心で走り続けている。
一人が百万人の力を出すことがある。反対に、一人のために百万人が犠牲になることもある。
「一人」が大切なのである。「一人」を、おろそかにしてはならない。「一人」を励まし、伸ばす以外にない。
学会員の皆さまは、尊貴なる「地涌の菩薩」である。
最も尊き「平和の闘士」である。「文化の戦人」である。「人道の勇者」である。
いつもいつも一生懸命に戦い続けておられる。あまりにもけなげである。あまりにもいじらしい。ゆえに私は、わが同志を最大に讃嘆したい。無量に称讃したい。永遠に顕彰申し上げたい。
◇模範の人材山脈
池田先生は昨年8月6日、長野研修道場で小説『新・人間革命』の最後の章を脱稿した。同じ長野で、『新・人間革命』執筆を開始してから、ちょうど25年の節目だった。
この間、長野の友は、「創価信濃大学校」を軸に、小説を皆で読み合いながら、自他共の人間革命のスクラムを広げてきた。
私にとって何よりうれしいことは、今、長野に、模範の人材山脈が聳え、幸と福徳の花が咲き薫り、そして後継の青年の大河が滔々と流れ通っていることである。
長野のこの街でも、あの村でも、わが友は地域の依怙依託と輝き、いよいよ社会に貢献し、友好を深めて、「立正安国」の勝利の光を広げてくれている。
その英姿に私は妻と合掌し、無事安穏であれ! 健康長寿であれ! と題目を送る日々である。
そして、長野から「世界広布」の永遠の光をと、私はいやまして一念を強めている。
御聖訓には、「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274ページ)と仰せである。
「信濃」すなわち「信」の「濃き」人びと——その名の如く、信濃の同志は信義に篤い。絶対に信頼できる。
今、世界の友が集い来る広宣流布大誓堂は、東京・新宿区の信濃町に立つ。不思議にも、世界広布の本陣も「信濃」である。
私は、広宣流布の誓願を共に貫き通す学会精神の真髄は「信濃」にあり! 正しき信心は「信濃家族」に学べ! そう、声高らかに叫び切っていきたいのである。
私は、長野が大好きだ。
私は、長野を信ずる。
私の心は、長野の光の友と離れることはない。
さあ、これからも、私と一緒に! 同志と一緒に!
我らの広布の決勝点へ、どこまでも手を携えて、楽しく賢く朗らかに勝ち進んでいこうではないか!
未来永遠に!
長野は池田先生が手作りで築き上げてきた広布の師弟城である。県歌「信濃の歌」を高らかに歌いながら、新たな歴史を開く破竹の前進が、長野のあの地、この地で始まっている。
2019年2月21日木曜日
2019.02.21 わが友に贈る
どんな小さな一歩でも
踏み出せば頂に近づく。
「進まざる退転」だ。
大切な一日一日
昨日の自分に勝とう!
法華経題目抄 P947
『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』
【通解】
妙とは蘇生という意味である。蘇生とは蘇るということである。
〈寸鉄〉 2019年2月21日
「わたうども二陣三陣つづきて」御書。君よ対話の先駆を。勇敢に正義叫べ
人材の創価学会でいけ—恩師。時代開くのは常に新しい力。励まし伸ばせ
良い人間関係を築く要諦は相手への共感と。聞き上手に。リーダーは銘記
あおり運転の摘発、1年で倍増—警察庁。自分も周囲も不幸。断じて撲滅
はしか患者、過去10年間で最多ペース。予防接種など万全に。健康こそ宝
☆勇気の旗高く 池田先生と広島 2019年2月11日
◇「歓喜の題目」を轟かせよ
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は広島県を掲載する。
◇平和運動の命運
1975年(昭和50年)11月8日、広島を訪問した池田先生は、平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に祈りをささげた。この折の真情を、後にこうつづっている。
「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」
前年(74年)から、先生は中国に3回、ソ連に2回、足を運び、対立関係にあった両国の和解へ、民間外交を展開。75年1月には、青年部による1000万の核廃絶署名を国連事務総長に手渡している。同月にはSGIが発足した。
先生が小説『新・人間革命』の筆を執ったのは、93年(平成5年)8月6日。「広島原爆の日」を選んでのことだった。冒頭の一節には、烈々たる決意が凝結している。
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
この「根本の第一歩」を、先生は広島の友と踏み出し、平和の尊さを訴え続けた。
私が恩師の後を継ぎ、世界にその思想を宣揚できたのも、行動があったからこそです。仏法運動の、世界への現実の広がりがあって初めて説得力をもち、世界の知性の注目を集めたのです。
広島は、創価学会の平和と文化の運動にとって急所の、中心的役割を担う地であります。
広島こそ、SGIの平和運動の命運を担っております。それだけに、日常活動の繰り返しが大事なのです。
どうか「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)を胸に、私とともに、生涯、誉れの法戦に、動いて動いて動き抜いてください。
◇唱題も高らかに
「人体には大切な"心臓"がある。組織にも"心臓部"というべき、発展への急所がある」——先生は広島の呉こそ中国方面の心臓部であると述べ、全幅の信頼を寄せている。
第1次宗門事件の渦中で、反転攻勢の対話に打って出た呉の同志は、80年(昭和55年)から5年連続で中国一の弘教を成し遂げた。その破竹の快進撃が、中国全体を奮い立たせたのだ。
躍進の息吹みなぎる呉広布30周年記念の幹部会(84年10月26日)。先生は「呉が動けば、広島が動く。広島が動けば、中国が動く」と、偉大な広布の歩みをたたえた。
入信間もなくのこと、御書を拝し、胸に刻まれたのは、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(同970ページ)との御金言であった。信心は一生成仏のための信心である。全ては、この一生をどう過ごしたかで決まる。
どのように最極の幸せの人生を生きるかが最大の課題である。それぞれの専門の道に人生の価値を見いだす人も多い。また財宝や名誉、地位を得ることを人生の価値とする人もいる。しかし、それらは永遠ではない。いつしか崩れゆくし、むなしさを感じる時が必ずあるものだ。
永遠にして不滅、最極にして最高善の御本尊を信受し、日夜、唱題に励みながら広宣流布へと生きゆくことこそ、最極の人生の道なのである。
その人こそ悔いなく我が人生を生きている人なのである。あらゆる人生の風雪、障魔の嵐にも負けず、妙法の勇者として悠然と胸を張り、唱題も高らかに広布に進みゆくことが最極善の人生である。
呉の友が社会の厳しさの中で"信心で喜びと希望をもって進んでいる"とうかがい、本当にうれしく思った。この確信と深い境涯の人生こそ、栄えゆく人生であるとともに、信心の偉大なる勝利者の姿なのである。どうか、この呉の地に、いかなる嵐にも崩されない難攻不落の人材の陣列を築き上げていただきたい。
◇見事なる実証を
広島第2の都市・福山は「備後都市圏」の中心である。
池田先生の福山訪問は6度を数える。そのたびに、中国方面のみならず、全国へ拡大の波動を送りゆく電源地・福山の使命を訴えてきた。
備後広布30周年を記念する集い(83年12月11日)では、日蓮仏法への絶対の確信こそが広宣流布の根本であると述べ、勝利の人生をと望んだ。
どの地にあっても、広布への炎を燃やし、他の地域に波動を与えゆく電源地となる国土世間がある。広布の電源地・福山として、全日本、全世界に"福山の信心をみよ""福山の広布の姿をみよ"といわれるような団結の前進を!
八万法蔵は法華経に納まり、さらにその法華経は三大秘法の南無妙法蓮華経に納まっていく。全人類の宿命を転換し、幸せと平和の道を開き、時代と世界を蘇生させゆく根源の大法こそ日蓮大聖人の大仏法である。
我らの広宣流布の日々の運動は、まさに、永遠なる文化創造の土台をつくっている。
福山は、日本一、世界一の大福運の国土世間として、信心、功徳の模範の地としての見事なる実証を輝かせていただきたい。
◇悔いを残すな
広島広布30周年記念の勤行会(86年6月23日)で、先生は広島城の雄姿に触れた後、御聖訓「城の主剛ければ守る者も強し城の主おずれば守る者忙る、心は是れ身の主なり」(同979ページ)を拝した。
私どもは常に、最後の最後まで、価値ある何事かを成していこう、という真摯なる歩みを止めてはならない。
強盛なる信心の「心」、確信の「一念」、広布に生きゆかんとする「一心」、その「心」の強い人をこそ諸天は強く守っていくのである。
三世永遠の立場から見た場合には、一時の難や苦しみなどというものは、一瞬のことにすぎない。ゆえに、目先のことで、信心を退することほど愚かなことはない。信心と人生に断じて「悔い」があってはならない。
昨年10月、広島池田平和記念会館で開催された本部幹部会・中国総会。池田先生はメッセージを贈り、「『人間革命』即『世界平和』へ新たな船出を」と呼び掛けた。
「誓願」の題目の師子吼を唱えるならば、どんな困難も、自ら願った試練として受けて立ち、必ず乗り越えられる。いな断固と勝ち越え、「宿命」を「使命」に転ずるのだ。
わが学会は、たゆみない広布の大回転の渦から、地涌の人材群を、きら星の如く輝かせゆく大銀河であります。
明るくにぎやかに「歓喜の中の大歓喜」の題目を轟かせながら、青年部、未来部の凜々しき「正義の走者」たちを、さらに陸続と誕生させよう!
そして、大いなる「人間革命」の平和と勝利の光で、地球を赫々と包みゆこうではないか!
踏み出せば頂に近づく。
「進まざる退転」だ。
大切な一日一日
昨日の自分に勝とう!
法華経題目抄 P947
『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』
【通解】
妙とは蘇生という意味である。蘇生とは蘇るということである。
〈寸鉄〉 2019年2月21日
「わたうども二陣三陣つづきて」御書。君よ対話の先駆を。勇敢に正義叫べ
人材の創価学会でいけ—恩師。時代開くのは常に新しい力。励まし伸ばせ
良い人間関係を築く要諦は相手への共感と。聞き上手に。リーダーは銘記
あおり運転の摘発、1年で倍増—警察庁。自分も周囲も不幸。断じて撲滅
はしか患者、過去10年間で最多ペース。予防接種など万全に。健康こそ宝
☆勇気の旗高く 池田先生と広島 2019年2月11日
◇「歓喜の題目」を轟かせよ
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は広島県を掲載する。
◇平和運動の命運
1975年(昭和50年)11月8日、広島を訪問した池田先生は、平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に祈りをささげた。この折の真情を、後にこうつづっている。
「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」
前年(74年)から、先生は中国に3回、ソ連に2回、足を運び、対立関係にあった両国の和解へ、民間外交を展開。75年1月には、青年部による1000万の核廃絶署名を国連事務総長に手渡している。同月にはSGIが発足した。
先生が小説『新・人間革命』の筆を執ったのは、93年(平成5年)8月6日。「広島原爆の日」を選んでのことだった。冒頭の一節には、烈々たる決意が凝結している。
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
この「根本の第一歩」を、先生は広島の友と踏み出し、平和の尊さを訴え続けた。
私が恩師の後を継ぎ、世界にその思想を宣揚できたのも、行動があったからこそです。仏法運動の、世界への現実の広がりがあって初めて説得力をもち、世界の知性の注目を集めたのです。
広島は、創価学会の平和と文化の運動にとって急所の、中心的役割を担う地であります。
広島こそ、SGIの平和運動の命運を担っております。それだけに、日常活動の繰り返しが大事なのです。
どうか「命限り有り惜む可からず」(御書955ページ)を胸に、私とともに、生涯、誉れの法戦に、動いて動いて動き抜いてください。
◇唱題も高らかに
「人体には大切な"心臓"がある。組織にも"心臓部"というべき、発展への急所がある」——先生は広島の呉こそ中国方面の心臓部であると述べ、全幅の信頼を寄せている。
第1次宗門事件の渦中で、反転攻勢の対話に打って出た呉の同志は、80年(昭和55年)から5年連続で中国一の弘教を成し遂げた。その破竹の快進撃が、中国全体を奮い立たせたのだ。
躍進の息吹みなぎる呉広布30周年記念の幹部会(84年10月26日)。先生は「呉が動けば、広島が動く。広島が動けば、中国が動く」と、偉大な広布の歩みをたたえた。
入信間もなくのこと、御書を拝し、胸に刻まれたのは、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(同970ページ)との御金言であった。信心は一生成仏のための信心である。全ては、この一生をどう過ごしたかで決まる。
どのように最極の幸せの人生を生きるかが最大の課題である。それぞれの専門の道に人生の価値を見いだす人も多い。また財宝や名誉、地位を得ることを人生の価値とする人もいる。しかし、それらは永遠ではない。いつしか崩れゆくし、むなしさを感じる時が必ずあるものだ。
永遠にして不滅、最極にして最高善の御本尊を信受し、日夜、唱題に励みながら広宣流布へと生きゆくことこそ、最極の人生の道なのである。
その人こそ悔いなく我が人生を生きている人なのである。あらゆる人生の風雪、障魔の嵐にも負けず、妙法の勇者として悠然と胸を張り、唱題も高らかに広布に進みゆくことが最極善の人生である。
呉の友が社会の厳しさの中で"信心で喜びと希望をもって進んでいる"とうかがい、本当にうれしく思った。この確信と深い境涯の人生こそ、栄えゆく人生であるとともに、信心の偉大なる勝利者の姿なのである。どうか、この呉の地に、いかなる嵐にも崩されない難攻不落の人材の陣列を築き上げていただきたい。
◇見事なる実証を
広島第2の都市・福山は「備後都市圏」の中心である。
池田先生の福山訪問は6度を数える。そのたびに、中国方面のみならず、全国へ拡大の波動を送りゆく電源地・福山の使命を訴えてきた。
備後広布30周年を記念する集い(83年12月11日)では、日蓮仏法への絶対の確信こそが広宣流布の根本であると述べ、勝利の人生をと望んだ。
どの地にあっても、広布への炎を燃やし、他の地域に波動を与えゆく電源地となる国土世間がある。広布の電源地・福山として、全日本、全世界に"福山の信心をみよ""福山の広布の姿をみよ"といわれるような団結の前進を!
八万法蔵は法華経に納まり、さらにその法華経は三大秘法の南無妙法蓮華経に納まっていく。全人類の宿命を転換し、幸せと平和の道を開き、時代と世界を蘇生させゆく根源の大法こそ日蓮大聖人の大仏法である。
我らの広宣流布の日々の運動は、まさに、永遠なる文化創造の土台をつくっている。
福山は、日本一、世界一の大福運の国土世間として、信心、功徳の模範の地としての見事なる実証を輝かせていただきたい。
◇悔いを残すな
広島広布30周年記念の勤行会(86年6月23日)で、先生は広島城の雄姿に触れた後、御聖訓「城の主剛ければ守る者も強し城の主おずれば守る者忙る、心は是れ身の主なり」(同979ページ)を拝した。
私どもは常に、最後の最後まで、価値ある何事かを成していこう、という真摯なる歩みを止めてはならない。
強盛なる信心の「心」、確信の「一念」、広布に生きゆかんとする「一心」、その「心」の強い人をこそ諸天は強く守っていくのである。
三世永遠の立場から見た場合には、一時の難や苦しみなどというものは、一瞬のことにすぎない。ゆえに、目先のことで、信心を退することほど愚かなことはない。信心と人生に断じて「悔い」があってはならない。
昨年10月、広島池田平和記念会館で開催された本部幹部会・中国総会。池田先生はメッセージを贈り、「『人間革命』即『世界平和』へ新たな船出を」と呼び掛けた。
「誓願」の題目の師子吼を唱えるならば、どんな困難も、自ら願った試練として受けて立ち、必ず乗り越えられる。いな断固と勝ち越え、「宿命」を「使命」に転ずるのだ。
わが学会は、たゆみない広布の大回転の渦から、地涌の人材群を、きら星の如く輝かせゆく大銀河であります。
明るくにぎやかに「歓喜の中の大歓喜」の題目を轟かせながら、青年部、未来部の凜々しき「正義の走者」たちを、さらに陸続と誕生させよう!
そして、大いなる「人間革命」の平和と勝利の光で、地球を赫々と包みゆこうではないか!
2019年2月20日水曜日
2019.02.20 わが友に贈る
激しい寒暖差が
疲労の原因に!
風邪などひかぬよう
賢明な予防・対策と
生命力を高める祈りを!
千日尼御返事 P1319
『譬へば二人三人乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人十人六道九界の衆生の心いかんがかわりて候らむ、されば花をあいし月をあいしすきをこのみにがきをこのみちいさきをあいし大なるをあいしいろいろなり、善をこのみ悪をこのみしなじななり』
【通解】
譬えば二人・三人・乃至百千人いても、一尺の顔が真に似ている人は一人もいない。心が似ていないから顔も似ないのである。まして二人・十人・六道・九界の衆生の心はいかに異なっていることであろう。それゆえ、花を愛し・月を愛し・酸いものを好み、苦いものを好み、小さいものを愛し、大きいものを愛し、いろいろである。善を好み、悪を好み、さまざまである。
〈寸鉄〉 2019年2月20日
一人の百歩より百人が一歩前進—二月闘争の総仕上げへ皆が悔いなく挑戦
東京「渋谷の日」。師弟共戦の大城は盤石なり。さあ対話拡大の旋風を!
団結固き民衆パワーに勝るものなし!本領発揮の時は今。東京「荒川の日」
心とは万事の本源—孫文まず勝つと決める事だ。諦めの心破り強気で進め
増える詐欺メール。PCよりスマホのほうが警戒心下がると。守り固く!
☆御書と歩む� 第55回 御本仏と共に不退の前進
『日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』(辯殿尼御前御書、1224ページ)
◇通解
日蓮はその身に当たって、仏の大軍を起こして二十余年になる。この間、一度も退く心はない。
◇同志への指針
日蓮大聖人は、現実社会のただ中で、民衆の幸福と平和のために大闘争を起こしてくださった。悪世末法での広布は熾烈を極める。しかし、御本仏の仰せのままに、不退の戦いを貫き通しているのが、創価の誉れである。
「しりぞく心なし」——この誓願の祈りに仏の無窮の力が涌現し、道は必ず開かれる。大聖人直結の立正安国へ、いざや前進! 恐れなく。
疲労の原因に!
風邪などひかぬよう
賢明な予防・対策と
生命力を高める祈りを!
千日尼御返事 P1319
『譬へば二人三人乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人十人六道九界の衆生の心いかんがかわりて候らむ、されば花をあいし月をあいしすきをこのみにがきをこのみちいさきをあいし大なるをあいしいろいろなり、善をこのみ悪をこのみしなじななり』
【通解】
譬えば二人・三人・乃至百千人いても、一尺の顔が真に似ている人は一人もいない。心が似ていないから顔も似ないのである。まして二人・十人・六道・九界の衆生の心はいかに異なっていることであろう。それゆえ、花を愛し・月を愛し・酸いものを好み、苦いものを好み、小さいものを愛し、大きいものを愛し、いろいろである。善を好み、悪を好み、さまざまである。
〈寸鉄〉 2019年2月20日
一人の百歩より百人が一歩前進—二月闘争の総仕上げへ皆が悔いなく挑戦
東京「渋谷の日」。師弟共戦の大城は盤石なり。さあ対話拡大の旋風を!
団結固き民衆パワーに勝るものなし!本領発揮の時は今。東京「荒川の日」
心とは万事の本源—孫文まず勝つと決める事だ。諦めの心破り強気で進め
増える詐欺メール。PCよりスマホのほうが警戒心下がると。守り固く!
☆御書と歩む� 第55回 御本仏と共に不退の前進
『日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』(辯殿尼御前御書、1224ページ)
◇通解
日蓮はその身に当たって、仏の大軍を起こして二十余年になる。この間、一度も退く心はない。
◇同志への指針
日蓮大聖人は、現実社会のただ中で、民衆の幸福と平和のために大闘争を起こしてくださった。悪世末法での広布は熾烈を極める。しかし、御本仏の仰せのままに、不退の戦いを貫き通しているのが、創価の誉れである。
「しりぞく心なし」——この誓願の祈りに仏の無窮の力が涌現し、道は必ず開かれる。大聖人直結の立正安国へ、いざや前進! 恐れなく。
2019年2月19日火曜日
2019.02.19 わが友に贈る
「新しい」には
「新しい力」がある。
それを引き出す鍵は
尊敬と信頼と励ましだ。
皆を広布の大人材に!
減劫御書 P1467
『大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ』
【通解】
大悪は大善が来るべき瑞相(前兆)である。一閻浮提(全世界)がひどく乱れたならば、法華経に説かれている「閻浮提の内に広く流布せしめる(世界広宣流布)」の文が実現することは、よもや疑いないでしょう。
〈寸鉄〉 2019年2月19日
一生全ての体験が生きるのが妙法—恩師。青年よ不退の信心を。苦労は宝
「第2宮城総県の日」。幸の種蒔く対話の拡大さらに!我こそ福光の主役と
人生は一瞬の事に過ぎぬ—詩人。今日を完全燃焼。広布の功徳は三世に厳然
声質や表情は言葉以上に意思疎通に影響と。誠実と情熱で心の扉開きゆけ
後部座席のシートベルト非着用は高速事故で致死率9倍。必ず法令順守を
☆新時代を築く 大聖人直結で恩師の如く 2019年2月13日
この世界から「悲惨」の二字をなくしたい——これが戸田先生の熱願であった。
恩師のお心を継ぐ、全国、全世界の宝友が勇んで広布に走る中、数え年120歳の誕生日を迎えられた。あの豪毅な笑顔を胸に浮かべつつ、尽きせぬ師恩へ感謝の勤行・唱題を行った。
* * *
逆境の弟子たちを励まされた恩師の言葉が蘇る。
「信心は全てを変えていける。悩んで祈った分、境涯が深まる。勇気を出して動いた分、仏縁が広がる。苦労して戦った分、必ず大福運の地盤に変わるんだよ」
世界のいずこでも、宿命転換、三変土田という喜びの実証が輝いている。
南米ブラジルも長い軍政下、同志の苦闘が続いた。
1966年(昭和41年)3月、私が訪れた折の文化祭も、政治警察の厳しい監視のもとで行った。私は皆に呼び掛けた。「真剣な唱題と、聡明な知恵と、必死の行動で、新しい局面を開いていくんだ」と。
そして積極果敢に対話し、一人一人を理解者に、友人に変えていった。
メンバーの誠実にして忍耐強い社会貢献の積み重ねで、今や各界から絶大なる信頼が寄せられている。
慶祝議会など顕彰が続く中、昨年の学会創立記念日のその日には、かつて監視下で文化祭を行ったサンパウロ市立劇場で、要請に応えて、イケダヒューマニズム交響楽団が盛大に凱旋コンサートを開いた。若き楽雄たちが平和と希望の妙音を奏で、市民の方々から大喝采を送られる光景に、私は感無量であった。
* * *
広宣流布は世界同時進行で勢いを増している。ゆえに一つの地域の挑戦と勝利は、全同志に波動を広げる。
アメリカのリーダーも、1956年(同31年)の大阪の戦いを学び、私が関西の友へ贈った長編詩から「絶対勝利への七つの鉄則」を確認し合ってきた。
それは——
師弟不二の呼吸がある。
法華経の兵法がある。
異体同心の団結がある。
破邪顕正の勇気がある。
電光石火の速度がある。
行動第一の同志がいる。
そして、「負けたらあかん!」という勝利への執念がある——。
* * *
2月16日は、御本仏・日蓮大聖人の御聖誕の日。
東京・大田の先達・池上兄弟への御聖訓を拝したい。
「がうじゃうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ」(御書1084ページ)
この「師子王の心」こそ、創価の師弟の魂である。
大聖人直結で、恩師の如く、何があろうと恐れなく、「いよいよ」の心で前進だ。
「新しい力」がある。
それを引き出す鍵は
尊敬と信頼と励ましだ。
皆を広布の大人材に!
減劫御書 P1467
『大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ』
【通解】
大悪は大善が来るべき瑞相(前兆)である。一閻浮提(全世界)がひどく乱れたならば、法華経に説かれている「閻浮提の内に広く流布せしめる(世界広宣流布)」の文が実現することは、よもや疑いないでしょう。
〈寸鉄〉 2019年2月19日
一生全ての体験が生きるのが妙法—恩師。青年よ不退の信心を。苦労は宝
「第2宮城総県の日」。幸の種蒔く対話の拡大さらに!我こそ福光の主役と
人生は一瞬の事に過ぎぬ—詩人。今日を完全燃焼。広布の功徳は三世に厳然
声質や表情は言葉以上に意思疎通に影響と。誠実と情熱で心の扉開きゆけ
後部座席のシートベルト非着用は高速事故で致死率9倍。必ず法令順守を
☆新時代を築く 大聖人直結で恩師の如く 2019年2月13日
この世界から「悲惨」の二字をなくしたい——これが戸田先生の熱願であった。
恩師のお心を継ぐ、全国、全世界の宝友が勇んで広布に走る中、数え年120歳の誕生日を迎えられた。あの豪毅な笑顔を胸に浮かべつつ、尽きせぬ師恩へ感謝の勤行・唱題を行った。
* * *
逆境の弟子たちを励まされた恩師の言葉が蘇る。
「信心は全てを変えていける。悩んで祈った分、境涯が深まる。勇気を出して動いた分、仏縁が広がる。苦労して戦った分、必ず大福運の地盤に変わるんだよ」
世界のいずこでも、宿命転換、三変土田という喜びの実証が輝いている。
南米ブラジルも長い軍政下、同志の苦闘が続いた。
1966年(昭和41年)3月、私が訪れた折の文化祭も、政治警察の厳しい監視のもとで行った。私は皆に呼び掛けた。「真剣な唱題と、聡明な知恵と、必死の行動で、新しい局面を開いていくんだ」と。
そして積極果敢に対話し、一人一人を理解者に、友人に変えていった。
メンバーの誠実にして忍耐強い社会貢献の積み重ねで、今や各界から絶大なる信頼が寄せられている。
慶祝議会など顕彰が続く中、昨年の学会創立記念日のその日には、かつて監視下で文化祭を行ったサンパウロ市立劇場で、要請に応えて、イケダヒューマニズム交響楽団が盛大に凱旋コンサートを開いた。若き楽雄たちが平和と希望の妙音を奏で、市民の方々から大喝采を送られる光景に、私は感無量であった。
* * *
広宣流布は世界同時進行で勢いを増している。ゆえに一つの地域の挑戦と勝利は、全同志に波動を広げる。
アメリカのリーダーも、1956年(同31年)の大阪の戦いを学び、私が関西の友へ贈った長編詩から「絶対勝利への七つの鉄則」を確認し合ってきた。
それは——
師弟不二の呼吸がある。
法華経の兵法がある。
異体同心の団結がある。
破邪顕正の勇気がある。
電光石火の速度がある。
行動第一の同志がいる。
そして、「負けたらあかん!」という勝利への執念がある——。
* * *
2月16日は、御本仏・日蓮大聖人の御聖誕の日。
東京・大田の先達・池上兄弟への御聖訓を拝したい。
「がうじゃうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ」(御書1084ページ)
この「師子王の心」こそ、創価の師弟の魂である。
大聖人直結で、恩師の如く、何があろうと恐れなく、「いよいよ」の心で前進だ。
2019年2月18日月曜日
2019.02.18 わが友に贈る
◇今週のことば
「法華経の行者は
日輪と獅子との如し」
我らは明るく堂々と
友に希望の太陽を!
地域に正義の言論を!
2019年2月18日
経王殿御返事 P1124
『つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし』
【通解】
剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つ。まさに鬼に金棒である。
〈寸鉄〉 2019年2月18日
人生は率先して実行することが大切—牧口先生。幹部は戦う息吹を隅々に
九州壮年部の日。火の国の黄金柱の底力今こそ!燃える魂で拡大の先駆を
褒め合う会社は働く意欲も高いと。学会は励ましの団体。皆に温かな心で
日本の安定もたらす公明に各界が期待。大衆と共に。ブレない政治を貫け
スマホやPCの管理厳重に。紛失すれば個人情報は流出。危機意識を強く
☆私がつくる平和の文化 第2回 多様性の尊重
インタビュー 歌手 アグネス・チャンさん
「違い」は人生を豊かにする
連載「私がつくる平和の文化」の第2回のテーマは「多様性の尊重」です。歌手でユニセフ・アジア親善大使、さらに教育学博士として活躍するアグネス・チャンさんにインタビューし、自身の子育ての経験などを通して、「違い」を認め合い、楽しむ大切さを語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)
冷戦が終結して30年が経ちますが、今も世界では、多くの国や地域が紛争状態にあります。その要因は、宗教や主義の違い、民族の違い、貧富の差などです。さらに、根底には、自分たちが一番正しい、自分たちと同じでなければ許さないという「違いを認めない」姿勢があると思います。これが多くの不幸を生んでいます。
私たちが平和のためにできることは、皆が同じになることでも、それを望むことでもありません。違いを認め合う。尊敬・尊重し合う。互いの文化や考え方を学んで一緒に楽しむ。共に生き、共に栄えようという気持ちで暮らしていくことです。
私が47年前に初めて香港から日本に来た時、さまざまな生活習慣や文化の違いに驚きました。香港の人々が食べ慣れたハトやヘビを、日本人は食べない。それを言ったら「なんて野蛮な!」とびっくりされましたが、あの時、出会った人たちは、今でも大好きな友達ですし、違う文化を持った私を嫌うこともありません。互いに新鮮な気持ちで学び、"あっそうか"って楽しんでいけば友情が結ばれます。世の中は皆、違うからこそ面白く、豊かだ——日本に来て、それを一番実感しました。
違いを楽しみ、受け入れることを、いかに子どもたちに教えるか。それが平和を前進させるカギです。教えていくのは、政府や学校の先生だけでなく、親や地域で子どもたちに接する、私たち一人一人です。"あの人はこう言っているけど、こういう見方もあるよ"と一緒に考えてあげる。また認め合うことが、人間が生きていく上でとても重要で、素晴らしい文化を生み出す根本なんだ、と繰り返し語っていくことです。
違いを楽しめることは、その子自身が幸せを味わえるかどうかのポイントでもあります。物事を柔軟に捉え、好奇心を持っていろんなことを吸収する。違いを発見した時、"オッ?"と感動を抱く。違いは豊さであり、恵みなんだ。そう感じられることで幸福の度合いは増すと思う。
日本には今後、海外から多くの人が訪れます。自分が世界に出なくても、世界がやって来ます。他の国から来た方と接しても、怖がったり、嫌がったりせず、親しく付き合う。自分の中に壁をつくらず、固定観念や決め付けを排していけるかが、肝心だと思う。
◇"色めがね"で見ない
私が3歳の長男を連れてアメリカの大学院に留学した時、彼を学内の保育所に入れました。大学院には各国から多様な人が学びに来ており、子連れの人も多くいました。
長男に友達ができた頃、彼によく尋ねました。「○○ちゃんって、どこの国の人?」。世界中から来ているので無意識に聞いてしまうんですね。そうしたらある日、彼が言いました。「ママ、なんでいつもそういうふうに聞くの?」
どこの国の出身かという情報で、安心してしまう自分がいました。でも息子は違います。「そんなこと関係ないでしょ? その子がいい子かどうか、何が好きとか、何をよく食べるとか、そういうことが大事じゃないの?」と。
はっとしました。彼の言うことが正しい。人として大切だと。私たちは外見や出身など、本質的でないことにとらわれ、色めがねで見てしまう。すごく反省し、その日から聞くのはやめて(笑い)、相手の人間としての部分に目を向けるよう努めました。
違いは恐れるものでも、なくすものでもなく、尊重するものです。誰もが必ず大切な役目を持って生まれてきています。皆、偉大な力を持っているのです。私の弟は知的障がいがありますが、彼のおかげで家族の絆は強くなりました。94歳の母も「いつも側にいてくれて、一番、親孝行なのは、この子よ」と、感謝を口にしています。
◇君は君でいい
多様性の尊重を教えることは、今後の教育で一番の課題でしょう。
私自身、子育てで重視したことは「自己肯定力」を養うことです。"私は私で、人と比べる必要はない。誰の上でもなく誰の下でもない"との意識を、心の土台に据えるようにしてあげる。長所も短所もある、ありのままの自分を認め、その自分と付き合っていく。それができる子は、人をうらやんだり、差別したりしません。成功している人を見ても、わが事のように喜べる。自己肯定力が低い子はその反対です。何をやっても満足感が得られず、人の成功が面白くない。
また自己肯定力が高い子は大人になっても、分からないことを素直に人に聞ける。学ぶチャンスが多いということは、人生が豊かになるということです。
子どもの自己肯定力を高めるためには、親は、何があっても自分の子どもと他人を比べないことだと思います。
こう言ってあげてください。"ママにとって君は完璧な存在です。人と比べる必要は全くないよ。隣の子が走るのが速いとか、背が高いとか、成績が良いとか、そんなことはママには関係ない。君への愛情は変わらないよ。無条件で、無限に愛しているから。それだけは分かってほしい"と。そして一緒に"一番好きになれる自分"を探してあげる。たくさんの勇気を与えて、「君は君でいい、生まれてきてくれて、ありがとう」と伝えるのです。すぐに信じるかどうかは分からない。でも長い人生の中で無意識に信じ、生きる力になるのです。
池田先生から贈っていただいた長編詩(「平和を! 平和を! そこに幸福が生まれる」)に「人生、それは/幸福になるためにある」とあります。
幸福をつくるのは自分です。そのために必要なのは希望です。希望を決して失わないこと。どんな暗闇でも必ず光は差してくるし、冬が来れば春は必ず訪れます。希望がなければ自分でつくればいいし、自分が希望になればいい。
人を愛する力、人を幸せにする力は誰にでもある。それを信じ、違いを恵みとして楽しみ、互いの存在に感謝していく中に、平和はあると思うのです。
アグネス・チャン 歌手、エッセイスト。香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビュー。2008年、第50回レコード大賞特別賞。米スタンフォード大学で教育学博士号取得。長年、日本ユニセフ協会大使を務め、現在、ユニセフ・アジア親善大使。昨年春、旭日小綬章を受章。著書多数。
小説『新・人間革命』第21巻「人間外交」の章から
人には、さまざまな違いがある。多様である。しかし、その差異を超えた共通項がある。
それは、皆がこの地球に住む、同じ人間であるということだ。そして、生老病死を見つめながら、誰もが幸福であることを願い、平和を望んで、懸命に生きているということだよ。
その共通項に立てば、共有すべき"思想"に行き着くはずだ。
それは、生命は尊厳なるものであり、誰にも生存の権利があるということだ。幸福になる権利があるということだ。だから、絶対に戦争を許してはならない。
池田大作
創価学会・女性平和文化センター 築地明美センター長
●あらゆる人が集う座談会は"生命のオアシス"
「みんなちがって、みんないい」——これは、詩人・金子みすゞが、あらゆる生命を慈しむ思いを表現した有名な詩の一節です。
仏法では「桜梅桃李」の法理を説きます。桜や梅などそれぞれの花に美しさや輝きがあるように、人間もまた、一人一人に違いがあり、自分らしく輝いていけるという哲学です。
だからこそ主義・主張も、価値観も違う人々が、ありのままの姿を通して互いに共感し、友情を結べば、幸福も平和も生まれる——そんな信念に貫かれているのが学会伝統の座談会です。
職業も立場も全く違う老若男女が集い、それぞれが一人の人間としての思いを語り、互いの話に耳を傾け、励まし合っています。
以前、ある座談会に参加した時のこと。そこには、子どもたちの詩の朗読があり、赤裸々な婦人の体験があり、戦争体験を通して平和への思いを語る壮年の姿がありました。
会合中、涙を流して聞いていたご婦人がいました。終了後、声を掛けると、彼女は障がいのあるお子さんをはじめ3人の子育てに孤軍奮闘し、つらさを誰にも相談できずに抱えてきたというのです。「きょうは初めて参加しました。こんな世界があったんですね」と語り、学会の温かさや、一人一人が希望を持って前に進む姿に、深く感動しておられました。
池田先生は、「学会の座談会には『対話』がある。『自由』がある。『平等』がある。『哲学』がある。そして『希望』がある」と語られています。
座談会こそ多様性を尊重する「平和の文化」のオアシスです。そして、この座談会は今、世界各地でにぎやかに開催されています。
「法華経の行者は
日輪と獅子との如し」
我らは明るく堂々と
友に希望の太陽を!
地域に正義の言論を!
2019年2月18日
経王殿御返事 P1124
『つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし』
【通解】
剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つ。まさに鬼に金棒である。
〈寸鉄〉 2019年2月18日
人生は率先して実行することが大切—牧口先生。幹部は戦う息吹を隅々に
九州壮年部の日。火の国の黄金柱の底力今こそ!燃える魂で拡大の先駆を
褒め合う会社は働く意欲も高いと。学会は励ましの団体。皆に温かな心で
日本の安定もたらす公明に各界が期待。大衆と共に。ブレない政治を貫け
スマホやPCの管理厳重に。紛失すれば個人情報は流出。危機意識を強く
☆私がつくる平和の文化 第2回 多様性の尊重
インタビュー 歌手 アグネス・チャンさん
「違い」は人生を豊かにする
連載「私がつくる平和の文化」の第2回のテーマは「多様性の尊重」です。歌手でユニセフ・アジア親善大使、さらに教育学博士として活躍するアグネス・チャンさんにインタビューし、自身の子育ての経験などを通して、「違い」を認め合い、楽しむ大切さを語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)
冷戦が終結して30年が経ちますが、今も世界では、多くの国や地域が紛争状態にあります。その要因は、宗教や主義の違い、民族の違い、貧富の差などです。さらに、根底には、自分たちが一番正しい、自分たちと同じでなければ許さないという「違いを認めない」姿勢があると思います。これが多くの不幸を生んでいます。
私たちが平和のためにできることは、皆が同じになることでも、それを望むことでもありません。違いを認め合う。尊敬・尊重し合う。互いの文化や考え方を学んで一緒に楽しむ。共に生き、共に栄えようという気持ちで暮らしていくことです。
私が47年前に初めて香港から日本に来た時、さまざまな生活習慣や文化の違いに驚きました。香港の人々が食べ慣れたハトやヘビを、日本人は食べない。それを言ったら「なんて野蛮な!」とびっくりされましたが、あの時、出会った人たちは、今でも大好きな友達ですし、違う文化を持った私を嫌うこともありません。互いに新鮮な気持ちで学び、"あっそうか"って楽しんでいけば友情が結ばれます。世の中は皆、違うからこそ面白く、豊かだ——日本に来て、それを一番実感しました。
違いを楽しみ、受け入れることを、いかに子どもたちに教えるか。それが平和を前進させるカギです。教えていくのは、政府や学校の先生だけでなく、親や地域で子どもたちに接する、私たち一人一人です。"あの人はこう言っているけど、こういう見方もあるよ"と一緒に考えてあげる。また認め合うことが、人間が生きていく上でとても重要で、素晴らしい文化を生み出す根本なんだ、と繰り返し語っていくことです。
違いを楽しめることは、その子自身が幸せを味わえるかどうかのポイントでもあります。物事を柔軟に捉え、好奇心を持っていろんなことを吸収する。違いを発見した時、"オッ?"と感動を抱く。違いは豊さであり、恵みなんだ。そう感じられることで幸福の度合いは増すと思う。
日本には今後、海外から多くの人が訪れます。自分が世界に出なくても、世界がやって来ます。他の国から来た方と接しても、怖がったり、嫌がったりせず、親しく付き合う。自分の中に壁をつくらず、固定観念や決め付けを排していけるかが、肝心だと思う。
◇"色めがね"で見ない
私が3歳の長男を連れてアメリカの大学院に留学した時、彼を学内の保育所に入れました。大学院には各国から多様な人が学びに来ており、子連れの人も多くいました。
長男に友達ができた頃、彼によく尋ねました。「○○ちゃんって、どこの国の人?」。世界中から来ているので無意識に聞いてしまうんですね。そうしたらある日、彼が言いました。「ママ、なんでいつもそういうふうに聞くの?」
どこの国の出身かという情報で、安心してしまう自分がいました。でも息子は違います。「そんなこと関係ないでしょ? その子がいい子かどうか、何が好きとか、何をよく食べるとか、そういうことが大事じゃないの?」と。
はっとしました。彼の言うことが正しい。人として大切だと。私たちは外見や出身など、本質的でないことにとらわれ、色めがねで見てしまう。すごく反省し、その日から聞くのはやめて(笑い)、相手の人間としての部分に目を向けるよう努めました。
違いは恐れるものでも、なくすものでもなく、尊重するものです。誰もが必ず大切な役目を持って生まれてきています。皆、偉大な力を持っているのです。私の弟は知的障がいがありますが、彼のおかげで家族の絆は強くなりました。94歳の母も「いつも側にいてくれて、一番、親孝行なのは、この子よ」と、感謝を口にしています。
◇君は君でいい
多様性の尊重を教えることは、今後の教育で一番の課題でしょう。
私自身、子育てで重視したことは「自己肯定力」を養うことです。"私は私で、人と比べる必要はない。誰の上でもなく誰の下でもない"との意識を、心の土台に据えるようにしてあげる。長所も短所もある、ありのままの自分を認め、その自分と付き合っていく。それができる子は、人をうらやんだり、差別したりしません。成功している人を見ても、わが事のように喜べる。自己肯定力が低い子はその反対です。何をやっても満足感が得られず、人の成功が面白くない。
また自己肯定力が高い子は大人になっても、分からないことを素直に人に聞ける。学ぶチャンスが多いということは、人生が豊かになるということです。
子どもの自己肯定力を高めるためには、親は、何があっても自分の子どもと他人を比べないことだと思います。
こう言ってあげてください。"ママにとって君は完璧な存在です。人と比べる必要は全くないよ。隣の子が走るのが速いとか、背が高いとか、成績が良いとか、そんなことはママには関係ない。君への愛情は変わらないよ。無条件で、無限に愛しているから。それだけは分かってほしい"と。そして一緒に"一番好きになれる自分"を探してあげる。たくさんの勇気を与えて、「君は君でいい、生まれてきてくれて、ありがとう」と伝えるのです。すぐに信じるかどうかは分からない。でも長い人生の中で無意識に信じ、生きる力になるのです。
池田先生から贈っていただいた長編詩(「平和を! 平和を! そこに幸福が生まれる」)に「人生、それは/幸福になるためにある」とあります。
幸福をつくるのは自分です。そのために必要なのは希望です。希望を決して失わないこと。どんな暗闇でも必ず光は差してくるし、冬が来れば春は必ず訪れます。希望がなければ自分でつくればいいし、自分が希望になればいい。
人を愛する力、人を幸せにする力は誰にでもある。それを信じ、違いを恵みとして楽しみ、互いの存在に感謝していく中に、平和はあると思うのです。
アグネス・チャン 歌手、エッセイスト。香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビュー。2008年、第50回レコード大賞特別賞。米スタンフォード大学で教育学博士号取得。長年、日本ユニセフ協会大使を務め、現在、ユニセフ・アジア親善大使。昨年春、旭日小綬章を受章。著書多数。
小説『新・人間革命』第21巻「人間外交」の章から
人には、さまざまな違いがある。多様である。しかし、その差異を超えた共通項がある。
それは、皆がこの地球に住む、同じ人間であるということだ。そして、生老病死を見つめながら、誰もが幸福であることを願い、平和を望んで、懸命に生きているということだよ。
その共通項に立てば、共有すべき"思想"に行き着くはずだ。
それは、生命は尊厳なるものであり、誰にも生存の権利があるということだ。幸福になる権利があるということだ。だから、絶対に戦争を許してはならない。
池田大作
創価学会・女性平和文化センター 築地明美センター長
●あらゆる人が集う座談会は"生命のオアシス"
「みんなちがって、みんないい」——これは、詩人・金子みすゞが、あらゆる生命を慈しむ思いを表現した有名な詩の一節です。
仏法では「桜梅桃李」の法理を説きます。桜や梅などそれぞれの花に美しさや輝きがあるように、人間もまた、一人一人に違いがあり、自分らしく輝いていけるという哲学です。
だからこそ主義・主張も、価値観も違う人々が、ありのままの姿を通して互いに共感し、友情を結べば、幸福も平和も生まれる——そんな信念に貫かれているのが学会伝統の座談会です。
職業も立場も全く違う老若男女が集い、それぞれが一人の人間としての思いを語り、互いの話に耳を傾け、励まし合っています。
以前、ある座談会に参加した時のこと。そこには、子どもたちの詩の朗読があり、赤裸々な婦人の体験があり、戦争体験を通して平和への思いを語る壮年の姿がありました。
会合中、涙を流して聞いていたご婦人がいました。終了後、声を掛けると、彼女は障がいのあるお子さんをはじめ3人の子育てに孤軍奮闘し、つらさを誰にも相談できずに抱えてきたというのです。「きょうは初めて参加しました。こんな世界があったんですね」と語り、学会の温かさや、一人一人が希望を持って前に進む姿に、深く感動しておられました。
池田先生は、「学会の座談会には『対話』がある。『自由』がある。『平等』がある。『哲学』がある。そして『希望』がある」と語られています。
座談会こそ多様性を尊重する「平和の文化」のオアシスです。そして、この座談会は今、世界各地でにぎやかに開催されています。
2019年2月17日日曜日
2019.02.17 わが友に贈る
今の課題は何か。
朗々たる祈りの中で
日々の目標を明確に!
具体的な実践を重ね
勇猛果敢に勝ち進もう!
三三蔵祈雨事 P1472
『外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしがやうやくわかれて九十五種なり、其の中に多くの智者神通のものありしかども一人も生死をはなれず』
【通解】
外道というものは、仏の出世以前八百年から起こって、初めは二天・三仙のみであったが、次第に分かれて九十五種となった。その中に多くの智者や神通を得た者がいたけれども、一人も生死の迷いから離れてはいない。
〈寸鉄〉 2019年2月17日
幸福でたまらない境涯になるのが学会活動の功徳だ—恩師。今日も弛まず
農漁光部の日。仏法持ち食守る皆様こそ生命世紀の旗手。栄光と福徳あれ
こんな諸悪に黙っていられるか—詩人。これ青年の心。堂々と正義を叫べ
若者の半数が将来難聴に—警鐘。大音量で音楽を聴き過ぎと。見直し賢く
携帯電話の「ながら運転」での事故多し。少しだけが命取り。気を引き締め
☆ふるさとを照らす誉れの長者 地域部 2019年2月6日
池田先生はかつて、地域と関わる大切さについて語った。「地域に根を張り、人々のために尽くすことが、どれほど偉大なことか。地道な活動が、深き信頼を築いていく。わが地域を、希望輝く理想郷へと変革する力となる」と。ここでは、地域の発展と幸福のために奔走する地域部の代表を紹介する。
◇子どもたちが誇れる地域に/福岡市東区 田中友春さん
JR博多駅から国道3号を北上していくと、多々良川河口に架かる「名島橋」に差し掛かる。全長204メートル、全幅24メートルの道路橋だ。側面には7連のアーチが施され、白く輝く御影石が力強い美しさを感じさせる。
一日の車の往来は、約6万台。1933年(昭和8年)の完成以来、福岡都心部と北部九州地域を結ぶ"福岡の東玄関"として重要な役割を果たしてきた。
この名島橋が昨年5月、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として国の登録有形文化財に登録された。働き掛けたのは名島校区の自治協議会会長、自治会連合会会長などを務める田中友春さん(副区長)である。
「名島橋は長年、地域に愛されてきた心のふるさとのようなもの。私が会長になる前から先輩方が願ってきたことが結実し、感無量です」
田中さんの"地域デビュー"は11年前。「あなたのニコニコ顔なら大丈夫!」との住民の声に推された。当時は50代半ばのサラリーマン。自分に務まるのかと不安もあったが、地域活動の大先輩である三善隆之さん(副支部長)・道子さん(区婦人部主事)夫妻の支えが大きかった。
隆之さんは地元の自治会長や東福岡交通安全協会支部長などを歴任し、地域に根差して35年。道子さんは民生委員・児童委員を15年務め、公民館事業の一環として学会婦人部の友と開いた子どものための園芸教室は20年になる。今も、地元老人会で夫婦共に役職を担い、二人三脚で貢献の道を歩み続けている。
"地域の発展のために、愛する未来の宝のために"——そんな先輩の心と行動に、田中さんも続いた。どんなに多忙でも、仕事や地域、学会活動に全力。定年を過ぎた今も、運送会社で月に10日、深夜勤務に従事しながら、地域では11の役職を担う。手帳を開けば先々の予定までぎっしり。地元の公民館館長は「人徳も実行力もある田中さんをいつも頼りにしています」と。
田中さんは言う。「大変な分、やりがいも大きい。名島橋の登録有形文化財の登録も"子どもたちが誇れる町に"との思いの表れでもあります。登録記念の式典に参加してくれた生徒に『名島に生まれて良かった』と言ってもらえた時は、涙が出るほどうれしかった」
人間関係の希薄化が危惧される昨今。少子高齢化の進展などに伴い、地域行事への参加も高齢者に偏りやすい現状がある。
そうした課題と向き合う名島校区では、子どもたちと共に清掃活動をしたり、敬老の日には校区の80歳以上の高齢者全員に地元の小中学生が感謝の手紙を渡したりと、世代を結び、地域全体で子どもを育む取り組みを実施してきた。
また、毎年開催している夏祭りの実行委員会には必ず中学生を入れる。子どもたちの柔軟なアイデアから若者が喜ぶ催しを取り入れる中、10代、20代の参加者が年々増えている。
子どもたちを育てることが、地域の未来を育てることにつながる——この確信を力に、田中さんは人と人をつなぐ"懸け橋"となることを心に期している。
◇誰も置き去りにしない心で/新潟・長岡市 戸田芳子さん
ある人は言う。「彼女は地域の肝っ玉母さんです」と。またある人は親しみを込めて、「おもちゃのミニカーみたいに、みんなのために動き回る人」と。
新潟・長岡市の戸田芳子さん(総県副婦人部長)に寄せられる住民の声からは、その信頼の厚さがうかがえる。戸田さんは、同市宮内地区の民生委員・児童委員副会長、コミュニティ推進委員会理事、東宮内町内の老人会副会長など、数々の役職を受け持つ。小柄な体からほとばしるエネルギーと熱き"地域愛"は、約40年の貢献人生の中で育まれてきた。
入会は1971年(昭和46年)。長岡に嫁いで4年後のことだった。学会への偏見や誤解が多かった時代である。周囲から"村八分"同然の扱いも受けた。それでも「地域を大事にするんだぞ」と励ましてくれたのは、信心の厚い義父だった。いつも笑顔を絶やさず、町に尽くし抜く"地域貢献の大先輩"でもあった。
地道に行動を重ね、地域では「女性初」といわれるPTA副会長に選出。その後も、数々の地域役職を担い、信頼を広げてきた。
「悔し涙を流した時もありましたが、この地域のおかげで人の温かさも知ることができました。目配り、気配り、心配りを大切に、地域に恩返しがしたい」
今、130世帯ほどある東宮内町の約半数が65歳以上の高齢者。独り暮らしも多い。だからこそ日頃からの住民同士の連携が事故を未然に防ぐ鍵だという。
以前、「独り暮らしの方の住宅のカーテンが数日閉まったまま」との情報を受けた。日常との違いを敏感に察知した近隣住民からの声だった。戸田さんは素早く行政と連携し、地域包括支援センターの職員、不動産の担当者らと訪問。布団にくるまったまま"生きる気力"を失っていた高齢の婦人に寄り添い、救命することができた。
「私たちの活動は、地域の皆さんの協力と支えがあってこそ。本当に感謝しています。民生委員が住民と行政の"橋渡し"になることはできても、横のつながりが弱ければ、取り残される人も出てくる。だからこそ、他者との絆を大切にしていきたい」
毎月、宮内地区で開催している集い「ふれあい広場」には、60人以上の高齢者が参加する。「笑いヨガ」や子どもたちとの昼食会などを企画し、積極的に地域交流を図っている。
一方で住民の中には、障がい者や生活困窮者など、多岐にわたる状況から交流の場に足を運べない方も多い。だからこそ戸田さんは"誰も置き去りにしない"との心で、住民一人一人に寄り添い続ける。
「全て学会活動の中で学んだことの実践です。信頼し、支え合える地域づくりのために、私にできることは何でもやります!」
"使命に引退なし"と、その瞳は年を経るごとに、いっそう輝きを増す。
朗々たる祈りの中で
日々の目標を明確に!
具体的な実践を重ね
勇猛果敢に勝ち進もう!
三三蔵祈雨事 P1472
『外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしがやうやくわかれて九十五種なり、其の中に多くの智者神通のものありしかども一人も生死をはなれず』
【通解】
外道というものは、仏の出世以前八百年から起こって、初めは二天・三仙のみであったが、次第に分かれて九十五種となった。その中に多くの智者や神通を得た者がいたけれども、一人も生死の迷いから離れてはいない。
〈寸鉄〉 2019年2月17日
幸福でたまらない境涯になるのが学会活動の功徳だ—恩師。今日も弛まず
農漁光部の日。仏法持ち食守る皆様こそ生命世紀の旗手。栄光と福徳あれ
こんな諸悪に黙っていられるか—詩人。これ青年の心。堂々と正義を叫べ
若者の半数が将来難聴に—警鐘。大音量で音楽を聴き過ぎと。見直し賢く
携帯電話の「ながら運転」での事故多し。少しだけが命取り。気を引き締め
☆ふるさとを照らす誉れの長者 地域部 2019年2月6日
池田先生はかつて、地域と関わる大切さについて語った。「地域に根を張り、人々のために尽くすことが、どれほど偉大なことか。地道な活動が、深き信頼を築いていく。わが地域を、希望輝く理想郷へと変革する力となる」と。ここでは、地域の発展と幸福のために奔走する地域部の代表を紹介する。
◇子どもたちが誇れる地域に/福岡市東区 田中友春さん
JR博多駅から国道3号を北上していくと、多々良川河口に架かる「名島橋」に差し掛かる。全長204メートル、全幅24メートルの道路橋だ。側面には7連のアーチが施され、白く輝く御影石が力強い美しさを感じさせる。
一日の車の往来は、約6万台。1933年(昭和8年)の完成以来、福岡都心部と北部九州地域を結ぶ"福岡の東玄関"として重要な役割を果たしてきた。
この名島橋が昨年5月、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として国の登録有形文化財に登録された。働き掛けたのは名島校区の自治協議会会長、自治会連合会会長などを務める田中友春さん(副区長)である。
「名島橋は長年、地域に愛されてきた心のふるさとのようなもの。私が会長になる前から先輩方が願ってきたことが結実し、感無量です」
田中さんの"地域デビュー"は11年前。「あなたのニコニコ顔なら大丈夫!」との住民の声に推された。当時は50代半ばのサラリーマン。自分に務まるのかと不安もあったが、地域活動の大先輩である三善隆之さん(副支部長)・道子さん(区婦人部主事)夫妻の支えが大きかった。
隆之さんは地元の自治会長や東福岡交通安全協会支部長などを歴任し、地域に根差して35年。道子さんは民生委員・児童委員を15年務め、公民館事業の一環として学会婦人部の友と開いた子どものための園芸教室は20年になる。今も、地元老人会で夫婦共に役職を担い、二人三脚で貢献の道を歩み続けている。
"地域の発展のために、愛する未来の宝のために"——そんな先輩の心と行動に、田中さんも続いた。どんなに多忙でも、仕事や地域、学会活動に全力。定年を過ぎた今も、運送会社で月に10日、深夜勤務に従事しながら、地域では11の役職を担う。手帳を開けば先々の予定までぎっしり。地元の公民館館長は「人徳も実行力もある田中さんをいつも頼りにしています」と。
田中さんは言う。「大変な分、やりがいも大きい。名島橋の登録有形文化財の登録も"子どもたちが誇れる町に"との思いの表れでもあります。登録記念の式典に参加してくれた生徒に『名島に生まれて良かった』と言ってもらえた時は、涙が出るほどうれしかった」
人間関係の希薄化が危惧される昨今。少子高齢化の進展などに伴い、地域行事への参加も高齢者に偏りやすい現状がある。
そうした課題と向き合う名島校区では、子どもたちと共に清掃活動をしたり、敬老の日には校区の80歳以上の高齢者全員に地元の小中学生が感謝の手紙を渡したりと、世代を結び、地域全体で子どもを育む取り組みを実施してきた。
また、毎年開催している夏祭りの実行委員会には必ず中学生を入れる。子どもたちの柔軟なアイデアから若者が喜ぶ催しを取り入れる中、10代、20代の参加者が年々増えている。
子どもたちを育てることが、地域の未来を育てることにつながる——この確信を力に、田中さんは人と人をつなぐ"懸け橋"となることを心に期している。
◇誰も置き去りにしない心で/新潟・長岡市 戸田芳子さん
ある人は言う。「彼女は地域の肝っ玉母さんです」と。またある人は親しみを込めて、「おもちゃのミニカーみたいに、みんなのために動き回る人」と。
新潟・長岡市の戸田芳子さん(総県副婦人部長)に寄せられる住民の声からは、その信頼の厚さがうかがえる。戸田さんは、同市宮内地区の民生委員・児童委員副会長、コミュニティ推進委員会理事、東宮内町内の老人会副会長など、数々の役職を受け持つ。小柄な体からほとばしるエネルギーと熱き"地域愛"は、約40年の貢献人生の中で育まれてきた。
入会は1971年(昭和46年)。長岡に嫁いで4年後のことだった。学会への偏見や誤解が多かった時代である。周囲から"村八分"同然の扱いも受けた。それでも「地域を大事にするんだぞ」と励ましてくれたのは、信心の厚い義父だった。いつも笑顔を絶やさず、町に尽くし抜く"地域貢献の大先輩"でもあった。
地道に行動を重ね、地域では「女性初」といわれるPTA副会長に選出。その後も、数々の地域役職を担い、信頼を広げてきた。
「悔し涙を流した時もありましたが、この地域のおかげで人の温かさも知ることができました。目配り、気配り、心配りを大切に、地域に恩返しがしたい」
今、130世帯ほどある東宮内町の約半数が65歳以上の高齢者。独り暮らしも多い。だからこそ日頃からの住民同士の連携が事故を未然に防ぐ鍵だという。
以前、「独り暮らしの方の住宅のカーテンが数日閉まったまま」との情報を受けた。日常との違いを敏感に察知した近隣住民からの声だった。戸田さんは素早く行政と連携し、地域包括支援センターの職員、不動産の担当者らと訪問。布団にくるまったまま"生きる気力"を失っていた高齢の婦人に寄り添い、救命することができた。
「私たちの活動は、地域の皆さんの協力と支えがあってこそ。本当に感謝しています。民生委員が住民と行政の"橋渡し"になることはできても、横のつながりが弱ければ、取り残される人も出てくる。だからこそ、他者との絆を大切にしていきたい」
毎月、宮内地区で開催している集い「ふれあい広場」には、60人以上の高齢者が参加する。「笑いヨガ」や子どもたちとの昼食会などを企画し、積極的に地域交流を図っている。
一方で住民の中には、障がい者や生活困窮者など、多岐にわたる状況から交流の場に足を運べない方も多い。だからこそ戸田さんは"誰も置き去りにしない"との心で、住民一人一人に寄り添い続ける。
「全て学会活動の中で学んだことの実践です。信頼し、支え合える地域づくりのために、私にできることは何でもやります!」
"使命に引退なし"と、その瞳は年を経るごとに、いっそう輝きを増す。
2019年2月16日土曜日
2019.02.16 わが友に贈る
厳寒の朝を駆ける
無冠の友に感謝!
雪道や凍結路に注意を。
皆様の無事故・健康を
真剣に祈っています!
経王殿御返事 P1124
『仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』
【通解】
釈迦仏の御意は法華経である。日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたものはない。
〈寸鉄〉 2019年2月16日
大聖人御聖誕の日。新時代の「二月闘争」で慶祝。立正安国の魂を社会へ!
千葉の日。誉れ高き民衆仏法源流の天地。今こそ旭日の勢いで友情拡大を
最も尊い人は自覚した目的を持ち、決断、実行する—文豪。使命に走る我ら
SNSで簡単に稼げる—根拠ない宣伝横行。うまい話には裏が。嘘見抜け
花粉症の季節に。早めの対応で症状は緩和。賢い体調管理で朗らかに前進
☆世界に魂を 心に翼を 第12回 精神のシルクロード(下)
◇時代をつくる人間交流の大道
中国とソ連のアーティストが初対面のあいさつを交わす。険しい表情が浮かんでいた。無理もない。両国は"敵対関係"にあった。
1985年夏。公式には決して同席しなかった中ソの音楽家が"世界初共演"に臨む。その舞台こそ、第4回を迎えた民音公演「シルクロード音楽の旅」であった。
第1回の「歌編」(79年)、第2回の「楽器編」(81年)、第3回の「舞踊編」(83年)を総括する「総集編」である。公演のタイトルには「遙かなる平和の道」と冠されていた。
第4回の出演国はトルコ、日本、中国(漢民族、ウイグル族、モンゴル族、キルギス族)、そして、当時はまだソ連だったウズベク共和国の4カ国である。不測の事態に備え、連日、受け入れ態勢が協議された。"プログラムの順番は?""移動のバスは別々にすべきか""宿舎は国ごとに階を分けるか……"
緊張に包まれて迎えた"初顔合わせ"。関係者の不安は瞬く間に消えた。ソ連の音楽家が楽器を手にするやいなや、その旋律に乗って中国の出演者が即興で踊り始めたからだ。
長い年月を共に旅してきたかのような、呼吸の合ったコラボレーション。出会って、まだ数分である。見守る関係者の胸が熱くなった。
各国に通訳がついていたが、身ぶり手ぶりで直接"会話"が弾む。音楽を介し、心は瞬時に通った。国ごとに分かれていた宿舎の部屋割りも、いつしか中ソの音楽家が互いに行き来して話し込むほどに。
日本各地を巡る29回のステージ。舞台脇の関係者が目を見張った。
ソ連の民族舞踊に中国の出演者がさりげなく紛れ込んでいる。かと思えば、中国の演技に、さも当然のようにソ連の音楽家が加わっていた。
第1回から舞台を演出してきた藤田敏雄氏。「ついに中ソの国境線が消えた。精神のシルクロードが誕生した」と肩を震わせた。
◇ ◆ ◇
ミュージカル用語に「ショーストップ」という言葉がある。あまりに素晴らしい歌や演技等に対し、拍手や喝采がやまず、ショーの進行が一時的に中断することだ。
日本の創作ミュージカルの草分け的存在である藤田氏は、この第4回公演を「ショーストップの連続だった」と追想する。
来日した出演者は、いずれも日本でいう"国宝級"。加えて美術に妹尾河童氏、照明に沢田祐二氏、舞台監督に金一浩司氏、制作に山川泉氏。ステージには島倉二千六氏の背景が広がっていた。
中でも公演終盤、全ての国の出演者が共に披露する"合同演奏"は、熱烈な喝采を浴びた。編曲は前田憲男氏である。それぞれの国に足を運んでも、なかなか目にできない希有な舞台。その粋が詰まった公演は、まさに民族音楽の夢の共演であった。
そして何より、人種や国境といった壁をはるかに見下ろす人間の魂の結合が、聴衆の心を捉えて離さない。
大歓声のフィナーレでは、各国の代表が互いに手を取り、高々と花束を掲げている。幕が下りるなり、出演者は肩を抱いて喜び合った。
85年8月16日、全日程を終えた出演者らを、民音創立者の池田先生が聖教新聞本社に迎えている。
歓迎に立った友が「さくらさくら」を歌うと、中国の歌手が飛び入りで唱和し、ソ連の音楽家が日本舞踊を即興で舞った。来日中に振り付けを覚えたという。
池田先生は「芸術には相克も争いもない。芸術は平和の心を結ぶ道であることを、実証してくださった」と、心からの感謝を伝えている。
先生は、後に振り返った。
「文化の交流、民衆の交流、人間の交流——この新しきシルクロードの往来は、たとえ地味であり、小さな波のように見えたとしても、一波が万波となり、万波が平和の船を運んでいく。人々の心と心を結び、世界を大きく友好へとリードする。私どもの運動は、そうした時代の流れをつくり出している。このことを大きな誇りとしていっていただきたい」
第4回公演から4年後の89年、ソ連のゴルバチョフ書記長(当時)が中国を訪問。中ソの劇的な政治的和解が実現した。
◇ ◆ ◇
当初、第4回で終了する予定だった「シルクロード音楽の旅」は、大好評を博し、延長が決定。2009年まで全11回、20カ国300人以上の芸術家が参加している。
インド、イラク、中国、日本、パキスタン、ルーマニア、トルコ、ウズベキスタン(旧ソ連)、タジキスタン(同)、モンゴル、アゼルバイジャン(同)、イラン、エジプト、カザフスタン(同)、ギリシャ、韓国、トルクメニスタン(同)、ネパール、キルギス(同)、シリア(初出演の順)。
民族も文化もさまざま。ましてや、その大半が日本初公演の音楽家である。激動の時代とも相まって、どの公演も一筋縄ではいかなかった。
平成元年(1989年)の第6回公演「遙かなる隊商の道」には、イランが初出演。イラン・イラク戦争の終結直後である。宗教上の慣習に従い、男女の共演は不可。合同演奏には参加せず、女性通訳は布で顔を覆った。
ソ連の崩壊によって、連携が難航した国々もあった。アーティストが無事に成田空港に到着するのを、祈り待つ日々が続いた。
出演者の安着の報をはじめ、公演の進捗を耳にするたび、池田先生は各人の健康や食事、睡眠にいたるまで気を配った。「はるばる来てくださっている。相手の文化を最大に尊重していきなさい」「どの国も大切に。小さな国ほど大事に」。家族のように心を砕いた。
シルクロードシリーズを主催し続けた「民音の英断と心意気」に感謝したい——公演を長く支えた妹尾河童氏は、そう述懐する。「本来なら政府がやるべき事業を、一民間団体が主導している」と、氏自身も多忙を縫っての尽力を惜しまなかった。
各公演は、専門家が各国に足を運び、技量を確かめつつ出演を依頼してきたが、来日公演によって自国で注目されることも少なくなかった。
第4回から第10回まで司会と解説を務めた三隅治雄氏。伝統芸能研究の第一人者である。
「出演者は、皆が一流の芸術家です。しかし、彼らが自国でふさわしい評価を得ているのかといえば、必ずしもそうではない。大きな拍手を受け、感動で涙する観客を目にし、自信と誇りに満ちて帰国する。そこに、どれほど大きな意義があるか。現に、日本での活躍を受け、各国で再評価が進みました。民音の舞台が各国の芸術家を勇気づけ、音楽文化の土壌を掘り起こしてきたのです」
氏は"海のシルクロード"をテーマにした「マリンロード音楽の旅」(全8回)の企画も手掛け、来日する芸術家の変化を間近で見つめてきた。「互いを探り合うような表情だった芸術家が、ひとたび演奏することで即座に打ち解け合う。楽器も旋律も共通する部分は多いですから」
「もちろん、それだけで国際紛争などが解決されるわけではありません。ですが、"潤滑油"にはなります。ここまで継続性のある交流の舞台は、世界にも例がないでしょう。オリンピックが4年に1度あるように、民音のシルクロードシリーズは2年に1度、新たな音楽文化の創造を世に発信してきました」
◇ ◆ ◇
時代を画した第4回「シルクロード音楽の旅」について、池田先生は随筆につづっている。
「実現までの道程は険しかった。『中ソ対立』が影を落としていたからだ。だが、そこに住むのは人間だ。どうして、わかり合えないはずがあろうか! 民音のスタッフは"文化は国家間の対立を乗り越えられる"と信じ、粘り強く交渉を続けていった。この民音がめざす文化交流への熱意が伝わった時、中ソ両国からOKのサインが出たのである」
精神のシルクロードの起点となった、先生のモスクワ大学での記念講演「東西文化交流の新しい道」(75年)。そこには「人間」と「文化」への揺るがぬ信念が凝結していた。
「本来、文化の骨髄は、最も普遍的な人間生命の躍動する息吹にほかなりません。それゆえ、人間歓喜の高鳴る調べが、あたかも人びとの胸中に張られた絃に波動し、共鳴音を奏でるように、文化は人間本来の営みとして、あらゆる隔たりを超えて、誰人の心をもとらえるのであります。この人間と人間との共鳴にこそ、文化交流の原点があると、私は考えるのであります」
講演の翌日、先生はコスイギン首相と再会。その後も訪ソのたびに、チーホノフ首相、ルイシコフ首相、ゴルバチョフ大統領らと対話を重ねてきた。「池田博士の『精神のシルクロードの開拓』という理念は、大学レベルから、わが国の最高指導者のレベルにまで広がっていきました」(モスクワ大学のサドーヴニチィ総長)と識者は指摘する。
今、110カ国・地域にまで発展した民音の芸術交流。池田先生は先の随筆で、その信頼の絆をたたえ、こうも記している。
「この人類を結ぶ文化交流の大道を、私は『精神のシルクロード』と呼びたい。新たな歴史を開いているのだ。私たちは、いかなる批判も、迫害も恐れない」
ここに、文化の地平を開きゆく友の信念があり、決意がある。
無冠の友に感謝!
雪道や凍結路に注意を。
皆様の無事故・健康を
真剣に祈っています!
経王殿御返事 P1124
『仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』
【通解】
釈迦仏の御意は法華経である。日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたものはない。
〈寸鉄〉 2019年2月16日
大聖人御聖誕の日。新時代の「二月闘争」で慶祝。立正安国の魂を社会へ!
千葉の日。誉れ高き民衆仏法源流の天地。今こそ旭日の勢いで友情拡大を
最も尊い人は自覚した目的を持ち、決断、実行する—文豪。使命に走る我ら
SNSで簡単に稼げる—根拠ない宣伝横行。うまい話には裏が。嘘見抜け
花粉症の季節に。早めの対応で症状は緩和。賢い体調管理で朗らかに前進
☆世界に魂を 心に翼を 第12回 精神のシルクロード(下)
◇時代をつくる人間交流の大道
中国とソ連のアーティストが初対面のあいさつを交わす。険しい表情が浮かんでいた。無理もない。両国は"敵対関係"にあった。
1985年夏。公式には決して同席しなかった中ソの音楽家が"世界初共演"に臨む。その舞台こそ、第4回を迎えた民音公演「シルクロード音楽の旅」であった。
第1回の「歌編」(79年)、第2回の「楽器編」(81年)、第3回の「舞踊編」(83年)を総括する「総集編」である。公演のタイトルには「遙かなる平和の道」と冠されていた。
第4回の出演国はトルコ、日本、中国(漢民族、ウイグル族、モンゴル族、キルギス族)、そして、当時はまだソ連だったウズベク共和国の4カ国である。不測の事態に備え、連日、受け入れ態勢が協議された。"プログラムの順番は?""移動のバスは別々にすべきか""宿舎は国ごとに階を分けるか……"
緊張に包まれて迎えた"初顔合わせ"。関係者の不安は瞬く間に消えた。ソ連の音楽家が楽器を手にするやいなや、その旋律に乗って中国の出演者が即興で踊り始めたからだ。
長い年月を共に旅してきたかのような、呼吸の合ったコラボレーション。出会って、まだ数分である。見守る関係者の胸が熱くなった。
各国に通訳がついていたが、身ぶり手ぶりで直接"会話"が弾む。音楽を介し、心は瞬時に通った。国ごとに分かれていた宿舎の部屋割りも、いつしか中ソの音楽家が互いに行き来して話し込むほどに。
日本各地を巡る29回のステージ。舞台脇の関係者が目を見張った。
ソ連の民族舞踊に中国の出演者がさりげなく紛れ込んでいる。かと思えば、中国の演技に、さも当然のようにソ連の音楽家が加わっていた。
第1回から舞台を演出してきた藤田敏雄氏。「ついに中ソの国境線が消えた。精神のシルクロードが誕生した」と肩を震わせた。
◇ ◆ ◇
ミュージカル用語に「ショーストップ」という言葉がある。あまりに素晴らしい歌や演技等に対し、拍手や喝采がやまず、ショーの進行が一時的に中断することだ。
日本の創作ミュージカルの草分け的存在である藤田氏は、この第4回公演を「ショーストップの連続だった」と追想する。
来日した出演者は、いずれも日本でいう"国宝級"。加えて美術に妹尾河童氏、照明に沢田祐二氏、舞台監督に金一浩司氏、制作に山川泉氏。ステージには島倉二千六氏の背景が広がっていた。
中でも公演終盤、全ての国の出演者が共に披露する"合同演奏"は、熱烈な喝采を浴びた。編曲は前田憲男氏である。それぞれの国に足を運んでも、なかなか目にできない希有な舞台。その粋が詰まった公演は、まさに民族音楽の夢の共演であった。
そして何より、人種や国境といった壁をはるかに見下ろす人間の魂の結合が、聴衆の心を捉えて離さない。
大歓声のフィナーレでは、各国の代表が互いに手を取り、高々と花束を掲げている。幕が下りるなり、出演者は肩を抱いて喜び合った。
85年8月16日、全日程を終えた出演者らを、民音創立者の池田先生が聖教新聞本社に迎えている。
歓迎に立った友が「さくらさくら」を歌うと、中国の歌手が飛び入りで唱和し、ソ連の音楽家が日本舞踊を即興で舞った。来日中に振り付けを覚えたという。
池田先生は「芸術には相克も争いもない。芸術は平和の心を結ぶ道であることを、実証してくださった」と、心からの感謝を伝えている。
先生は、後に振り返った。
「文化の交流、民衆の交流、人間の交流——この新しきシルクロードの往来は、たとえ地味であり、小さな波のように見えたとしても、一波が万波となり、万波が平和の船を運んでいく。人々の心と心を結び、世界を大きく友好へとリードする。私どもの運動は、そうした時代の流れをつくり出している。このことを大きな誇りとしていっていただきたい」
第4回公演から4年後の89年、ソ連のゴルバチョフ書記長(当時)が中国を訪問。中ソの劇的な政治的和解が実現した。
◇ ◆ ◇
当初、第4回で終了する予定だった「シルクロード音楽の旅」は、大好評を博し、延長が決定。2009年まで全11回、20カ国300人以上の芸術家が参加している。
インド、イラク、中国、日本、パキスタン、ルーマニア、トルコ、ウズベキスタン(旧ソ連)、タジキスタン(同)、モンゴル、アゼルバイジャン(同)、イラン、エジプト、カザフスタン(同)、ギリシャ、韓国、トルクメニスタン(同)、ネパール、キルギス(同)、シリア(初出演の順)。
民族も文化もさまざま。ましてや、その大半が日本初公演の音楽家である。激動の時代とも相まって、どの公演も一筋縄ではいかなかった。
平成元年(1989年)の第6回公演「遙かなる隊商の道」には、イランが初出演。イラン・イラク戦争の終結直後である。宗教上の慣習に従い、男女の共演は不可。合同演奏には参加せず、女性通訳は布で顔を覆った。
ソ連の崩壊によって、連携が難航した国々もあった。アーティストが無事に成田空港に到着するのを、祈り待つ日々が続いた。
出演者の安着の報をはじめ、公演の進捗を耳にするたび、池田先生は各人の健康や食事、睡眠にいたるまで気を配った。「はるばる来てくださっている。相手の文化を最大に尊重していきなさい」「どの国も大切に。小さな国ほど大事に」。家族のように心を砕いた。
シルクロードシリーズを主催し続けた「民音の英断と心意気」に感謝したい——公演を長く支えた妹尾河童氏は、そう述懐する。「本来なら政府がやるべき事業を、一民間団体が主導している」と、氏自身も多忙を縫っての尽力を惜しまなかった。
各公演は、専門家が各国に足を運び、技量を確かめつつ出演を依頼してきたが、来日公演によって自国で注目されることも少なくなかった。
第4回から第10回まで司会と解説を務めた三隅治雄氏。伝統芸能研究の第一人者である。
「出演者は、皆が一流の芸術家です。しかし、彼らが自国でふさわしい評価を得ているのかといえば、必ずしもそうではない。大きな拍手を受け、感動で涙する観客を目にし、自信と誇りに満ちて帰国する。そこに、どれほど大きな意義があるか。現に、日本での活躍を受け、各国で再評価が進みました。民音の舞台が各国の芸術家を勇気づけ、音楽文化の土壌を掘り起こしてきたのです」
氏は"海のシルクロード"をテーマにした「マリンロード音楽の旅」(全8回)の企画も手掛け、来日する芸術家の変化を間近で見つめてきた。「互いを探り合うような表情だった芸術家が、ひとたび演奏することで即座に打ち解け合う。楽器も旋律も共通する部分は多いですから」
「もちろん、それだけで国際紛争などが解決されるわけではありません。ですが、"潤滑油"にはなります。ここまで継続性のある交流の舞台は、世界にも例がないでしょう。オリンピックが4年に1度あるように、民音のシルクロードシリーズは2年に1度、新たな音楽文化の創造を世に発信してきました」
◇ ◆ ◇
時代を画した第4回「シルクロード音楽の旅」について、池田先生は随筆につづっている。
「実現までの道程は険しかった。『中ソ対立』が影を落としていたからだ。だが、そこに住むのは人間だ。どうして、わかり合えないはずがあろうか! 民音のスタッフは"文化は国家間の対立を乗り越えられる"と信じ、粘り強く交渉を続けていった。この民音がめざす文化交流への熱意が伝わった時、中ソ両国からOKのサインが出たのである」
精神のシルクロードの起点となった、先生のモスクワ大学での記念講演「東西文化交流の新しい道」(75年)。そこには「人間」と「文化」への揺るがぬ信念が凝結していた。
「本来、文化の骨髄は、最も普遍的な人間生命の躍動する息吹にほかなりません。それゆえ、人間歓喜の高鳴る調べが、あたかも人びとの胸中に張られた絃に波動し、共鳴音を奏でるように、文化は人間本来の営みとして、あらゆる隔たりを超えて、誰人の心をもとらえるのであります。この人間と人間との共鳴にこそ、文化交流の原点があると、私は考えるのであります」
講演の翌日、先生はコスイギン首相と再会。その後も訪ソのたびに、チーホノフ首相、ルイシコフ首相、ゴルバチョフ大統領らと対話を重ねてきた。「池田博士の『精神のシルクロードの開拓』という理念は、大学レベルから、わが国の最高指導者のレベルにまで広がっていきました」(モスクワ大学のサドーヴニチィ総長)と識者は指摘する。
今、110カ国・地域にまで発展した民音の芸術交流。池田先生は先の随筆で、その信頼の絆をたたえ、こうも記している。
「この人類を結ぶ文化交流の大道を、私は『精神のシルクロード』と呼びたい。新たな歴史を開いているのだ。私たちは、いかなる批判も、迫害も恐れない」
ここに、文化の地平を開きゆく友の信念があり、決意がある。
2019年2月15日金曜日
2019.02.15 わが友に贈る
一つの種が実を結べば
いくつもの種をつける。
後継の青年こそ希望!
一人を大切に育むことが
永遠の流れを開く鍵だ。
四条金吾殿御返事 P1151
『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利衰毀誉称譏苦楽なり』
【通解】
賢人は八風といって八種の風に侵されないのを賢人というのである。
八風とは、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。
〈寸鉄〉 2019年2月15日
各地でにぎやかに座談会体験や決意、喝采あり。皆が輝く触発の会座に!
未入会家族に感謝の言葉を。真心込めて。身近な人の理解こそ広布の土台
勇気は人を繁栄へと導く—哲人。今こそ殻破れ!強盛な祈りで大胆に前進
入浴時の血圧変動に注意脱衣所の暖房、水分補給、長湯は控えるなど対策を
乾燥続き火災多発。可燃物の整理、火の元の始末…指さし確認でがっちり
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 立正安国論(上) 2019年2月9日
◇勇気凜々と正義を語り抜こう!
◇生命尊厳を社会の原理に
今月から2回にわたり、「立正安国論」を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「創価学会は、『立正安国の旗』を掲げて、どこまでも、民衆の幸福と世界の平和のために、現実社会の変革に挑戦しゆく使命を貫きます。そこに、『人間のための宗教』の精髄があるからです。それは、仏教の根本精神でもあります。また、日蓮大聖人直結の実践の証です。そして、これこそが創価の師弟の魂にほかなりません」
大聖人の民衆救済の御精神を学び、自他共の幸福を築く対話を広げていきましょう。(拝読範囲は、御書17ページ冒頭〜26ページ12行目です)
◇本抄について
本書は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が、時の最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。客(時頼を想定)と主人(大聖人を想定)の問答形式で記されています。
「立正安国(正を立て国を安んず)」とは、人々が正法を信受し、仏法の思想が社会の基本原理として確立することによって(立正)、社会の繁栄と世界の平和を築く(安国)との意味です。
本書の御執筆当時、飢饉、疫病に加え、大地震などの自然災害が相次ぎ、民衆は苦悩の底にありました。
問答の中で主人は、災難の根本原因が、生命尊厳の法華経を否定する「謗法」にあると明かします。
そして、このままでは、三災七難のうちまだ起きていない「自界叛逆難(内乱)」「他国侵逼難(他国からの侵略)」が必ず起こると警告し、一刻も早く「実乗の一善」(妙法)に帰依するよう、客に促します。
最後に、客は謗法の教えを捨てて正法に帰依することを誓います。この言葉が本書全体の結論となっています。
◇御文�
『悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』(24ページ2行目〜4行目)
◇通解
悲しいことには、この数十年の間に、百千万の人が法然の魔の働きにたぶらかされて、多くの人が仏の教えに迷ってしまった。謗法の教えを好んで、正法を忘れている。どうして善神が怒りを起こさないだろうか。円満の法を捨てて、偏頗な教えを好んでいる。どうして悪鬼が便りを得ないでいるだろうか。(災難を根絶するには)あのような万の祈りを行うよりも、この一凶である法然の謗法を禁ずることが最も大事である。
◇御文�
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや』(26ページ4行目〜5行目)
◇通解
私は(あなたが言われるように)取るに足りない身ではあるけれども、かたじけなくも大乗の教えを学んでいる。青バエは驥(1日に1000里を走るという名馬)の尾に付いて万里を渡り、緑のつる草は松の枝先に掛かって千尋の高さにまで伸びることができる。仏弟子である私は、唯一の仏(である釈尊)の子として生まれて、諸経の王である法華経に仕えている。どうして仏法が衰微するのを見て、哀惜の心情を起こさないでいられるだろうか。
◇解説
大聖人は、法華経こそ最も勝れた経典であるとし、その肝要であり、万人成仏の法である南無妙法蓮華経を弘められました。
しかし、本書が著された当時、特に隆盛を誇っていたのは、法然の念仏でした。法然は、法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛て(捨閉閣抛)とし、念仏を称えることで、来世は西方極楽浄土に生まれると説きました。
法華経という生命の尊厳性を説いた大法を「捨閉閣抛」することで、人心は諦めや現実逃避で覆われ、世相も荒廃を極めていたのです。
ゆえに、御文�では、災難を止めるためには、まず正法誹謗の「一凶」である念仏を禁じよと断言されているのです。
一凶との戦いは、私たち個人の次元で拝せば、生命の根源的な無知である「元品の無明」との戦いであるといえます。「元品の無明」は、無力感や無関心、自己卑下など、さまざまな形で表れます。これらを打ち破る力こそ、妙法への「信の一字」(御書751ページ)です。
さらに、私たちが対話によって人々の無明を打ち払い、正法を社会に確立することが、立正安国への直道になります。
念仏を破折する主人に対して、客は"卑しい身分でありながら、世間で称賛される法然聖人を批判している"と非難します。その答えが御文�です。
小さなハエも、名馬の尾につかまれば、万里を走ることができる——こうした譬えを通し、主人は、「諸経の王」である法華経を持つ誇りを述べます。そして、真実の仏法者として"正法の衰退を見過ごすことはできない"との真情を語ります。
人間の真価は、身分や地位では決まりません。いかなる法を持ち、いかなる生き方をするかで決まるのです。
私たちでいえば、学会員として、広宣流布の師匠と共に前進していくことで、自分では想像もしなかったような幸福境涯が築かれていきます。
行学の実践を根本に、誉れの創価の大道を朗らかに歩んでいきましょう。
★池田先生の講義から
大事なのは民衆です。民衆が根本です。民衆が平和で安穏に暮らせる社会をつくらなければならない。
そのためにこそ、「生命尊厳」「人間尊敬」の思想を厳然と確立することです。
一人一人の生命は限りなく尊極である。「生命軽視」「人間蔑視」の風潮を断じてはびこらせない。どこまでも「一人を大切にする社会」「万人の幸福を実現する社会」を築く。それが二十一世紀の立正安国の実践です。(『御書と青年』)
◇ ◆ ◇
友のためにと思って、仏法の正義を語った言葉が、反発を受けることもある。しかし、その心は必ず伝わる。
大事なことは、その対話に強く深い「祈り」を込めていくことです。「祈り」のこもった言葉は、必ず相手の生命の内奥の「仏性」に届きます。(中略)
勇気凜々と、わが信念を叫んでこそ、青年です。相手がどうあれ、立正安国という最極の正義の対話の実践です。自信満々と朗らかに語りきっていけば、勝利です。(同)
研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
○…『御書と青年』(同)
○…『御書と師弟』第2巻(同)
いくつもの種をつける。
後継の青年こそ希望!
一人を大切に育むことが
永遠の流れを開く鍵だ。
四条金吾殿御返事 P1151
『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利衰毀誉称譏苦楽なり』
【通解】
賢人は八風といって八種の風に侵されないのを賢人というのである。
八風とは、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。
〈寸鉄〉 2019年2月15日
各地でにぎやかに座談会体験や決意、喝采あり。皆が輝く触発の会座に!
未入会家族に感謝の言葉を。真心込めて。身近な人の理解こそ広布の土台
勇気は人を繁栄へと導く—哲人。今こそ殻破れ!強盛な祈りで大胆に前進
入浴時の血圧変動に注意脱衣所の暖房、水分補給、長湯は控えるなど対策を
乾燥続き火災多発。可燃物の整理、火の元の始末…指さし確認でがっちり
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 立正安国論(上) 2019年2月9日
◇勇気凜々と正義を語り抜こう!
◇生命尊厳を社会の原理に
今月から2回にわたり、「立正安国論」を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづっています。
「創価学会は、『立正安国の旗』を掲げて、どこまでも、民衆の幸福と世界の平和のために、現実社会の変革に挑戦しゆく使命を貫きます。そこに、『人間のための宗教』の精髄があるからです。それは、仏教の根本精神でもあります。また、日蓮大聖人直結の実践の証です。そして、これこそが創価の師弟の魂にほかなりません」
大聖人の民衆救済の御精神を学び、自他共の幸福を築く対話を広げていきましょう。(拝読範囲は、御書17ページ冒頭〜26ページ12行目です)
◇本抄について
本書は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が、時の最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。客(時頼を想定)と主人(大聖人を想定)の問答形式で記されています。
「立正安国(正を立て国を安んず)」とは、人々が正法を信受し、仏法の思想が社会の基本原理として確立することによって(立正)、社会の繁栄と世界の平和を築く(安国)との意味です。
本書の御執筆当時、飢饉、疫病に加え、大地震などの自然災害が相次ぎ、民衆は苦悩の底にありました。
問答の中で主人は、災難の根本原因が、生命尊厳の法華経を否定する「謗法」にあると明かします。
そして、このままでは、三災七難のうちまだ起きていない「自界叛逆難(内乱)」「他国侵逼難(他国からの侵略)」が必ず起こると警告し、一刻も早く「実乗の一善」(妙法)に帰依するよう、客に促します。
最後に、客は謗法の教えを捨てて正法に帰依することを誓います。この言葉が本書全体の結論となっています。
◇御文�
『悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』(24ページ2行目〜4行目)
◇通解
悲しいことには、この数十年の間に、百千万の人が法然の魔の働きにたぶらかされて、多くの人が仏の教えに迷ってしまった。謗法の教えを好んで、正法を忘れている。どうして善神が怒りを起こさないだろうか。円満の法を捨てて、偏頗な教えを好んでいる。どうして悪鬼が便りを得ないでいるだろうか。(災難を根絶するには)あのような万の祈りを行うよりも、この一凶である法然の謗法を禁ずることが最も大事である。
◇御文�
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや』(26ページ4行目〜5行目)
◇通解
私は(あなたが言われるように)取るに足りない身ではあるけれども、かたじけなくも大乗の教えを学んでいる。青バエは驥(1日に1000里を走るという名馬)の尾に付いて万里を渡り、緑のつる草は松の枝先に掛かって千尋の高さにまで伸びることができる。仏弟子である私は、唯一の仏(である釈尊)の子として生まれて、諸経の王である法華経に仕えている。どうして仏法が衰微するのを見て、哀惜の心情を起こさないでいられるだろうか。
◇解説
大聖人は、法華経こそ最も勝れた経典であるとし、その肝要であり、万人成仏の法である南無妙法蓮華経を弘められました。
しかし、本書が著された当時、特に隆盛を誇っていたのは、法然の念仏でした。法然は、法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛て(捨閉閣抛)とし、念仏を称えることで、来世は西方極楽浄土に生まれると説きました。
法華経という生命の尊厳性を説いた大法を「捨閉閣抛」することで、人心は諦めや現実逃避で覆われ、世相も荒廃を極めていたのです。
ゆえに、御文�では、災難を止めるためには、まず正法誹謗の「一凶」である念仏を禁じよと断言されているのです。
一凶との戦いは、私たち個人の次元で拝せば、生命の根源的な無知である「元品の無明」との戦いであるといえます。「元品の無明」は、無力感や無関心、自己卑下など、さまざまな形で表れます。これらを打ち破る力こそ、妙法への「信の一字」(御書751ページ)です。
さらに、私たちが対話によって人々の無明を打ち払い、正法を社会に確立することが、立正安国への直道になります。
念仏を破折する主人に対して、客は"卑しい身分でありながら、世間で称賛される法然聖人を批判している"と非難します。その答えが御文�です。
小さなハエも、名馬の尾につかまれば、万里を走ることができる——こうした譬えを通し、主人は、「諸経の王」である法華経を持つ誇りを述べます。そして、真実の仏法者として"正法の衰退を見過ごすことはできない"との真情を語ります。
人間の真価は、身分や地位では決まりません。いかなる法を持ち、いかなる生き方をするかで決まるのです。
私たちでいえば、学会員として、広宣流布の師匠と共に前進していくことで、自分では想像もしなかったような幸福境涯が築かれていきます。
行学の実践を根本に、誉れの創価の大道を朗らかに歩んでいきましょう。
★池田先生の講義から
大事なのは民衆です。民衆が根本です。民衆が平和で安穏に暮らせる社会をつくらなければならない。
そのためにこそ、「生命尊厳」「人間尊敬」の思想を厳然と確立することです。
一人一人の生命は限りなく尊極である。「生命軽視」「人間蔑視」の風潮を断じてはびこらせない。どこまでも「一人を大切にする社会」「万人の幸福を実現する社会」を築く。それが二十一世紀の立正安国の実践です。(『御書と青年』)
◇ ◆ ◇
友のためにと思って、仏法の正義を語った言葉が、反発を受けることもある。しかし、その心は必ず伝わる。
大事なことは、その対話に強く深い「祈り」を込めていくことです。「祈り」のこもった言葉は、必ず相手の生命の内奥の「仏性」に届きます。(中略)
勇気凜々と、わが信念を叫んでこそ、青年です。相手がどうあれ、立正安国という最極の正義の対話の実践です。自信満々と朗らかに語りきっていけば、勝利です。(同)
研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
○…『御書と青年』(同)
○…『御書と師弟』第2巻(同)
2019年2月14日木曜日
2019.02.14 わが友に贈る
さあ「二月闘争」の
後半戦を意気高く!
生命力をわき立たせ
広布拡大の最前線へ
敢然と飛び出そう!
四信五品抄 P342
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ』
【通解】
質問する。あなたの弟子が、すこしの理解もなく、ただ一回だけ声を出して南無妙法蓮華経と唱えた場合、その人の修行段階はどのようなものなのか。
答える、この人は、単に四味・三教の最後の修行段階の者や、爾前の円教の人を超えるだけでなく、さらには真言宗などの様々な宗派の開祖である善無畏・智儼・慈恩大師・吉蔵・道宣・達磨・善導らよりも勝れること百千万億である。是非とも、日本国中の人々よ、私の弟子たちを軽んじるべきではない。
〈寸鉄〉 2019年2月14日
妙法以上の智慧は断じてない—戸田先生。何事も祈りから。常勝の方程式
岡山の日。師弟の誓いは友の胸に赤々。歓喜の春呼ぶ対話の大旋風今こそ
副役職の友が光る組織は無敵。リーダーは連携を密に。心合わせて勝利へ
ピラミッドは頂からは作れぬ—作家。わが足元で友情拡大。広布はここに
特殊詐欺に警戒。安易に銀行カードは手渡すな。家族・地域で注意喚起を
☆2月度座談会拝読御書 生死一大事血脈抄
確信の祈りで幸福境涯を確立
一日一日を完全燃焼し悔いなき人生を
◇拝読御文
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』御書全集 1338ページ8行目〜10行目
◇本抄について
本抄は文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地・佐渡の塚原で認められ、最蓮房に与えられたお手紙と伝えられています。
最蓮房について詳細は不明です。ただ本抄の内容から、もともと天台の学僧であった最蓮房が、「生死一大事血脈」という仏法の極理について、大事な質問をしたことに対する御返事とされています。
題号の「生死一大事」とは、生と死を繰り返して流転する生命において根本の大事、つまり生死の苦悩を解決する万人成仏の法を意味します。
また「血脈」とは、法が仏から衆生へ伝えられていくことを、親から子へ血筋が受け継がれることに譬えた言葉です。
大聖人は本抄のはじめに、「生死一大事血脈」とは「妙法蓮華経」にほかならないことを、天台・伝教の釈を引いて明らかにされます。
続いて、衆生が生死一大事の血脈を受け継ぐための信心の姿勢について、3点にわたって示されます。
1点目が、仏と法と私たち衆生の生命の三つに差別がない、すなわち妙法の当体である衆生自身の胸中に、尊極な仏の生命が具わっていることを信じて題目を唱える実践です。
2点目が、三世にわたって御本尊から離れないという持続、不退転の信心です。
3点目に、広宣流布を目指して、異体同心で南無妙法蓮華経を唱える中にこそ、生死一大事の血脈が受け継がれることを教えられています。
拝読御文は、本抄の末尾の一節であり、生死一大事の血脈を受け継ぐ「正しき信心の要諦」を明かした部分になります。
◇臨終正念と祈念
死をどう捉えるか——そこに宗教の真価が問われるのではないでしょうか。
人間は生まれた瞬間から、死に向かっているといえます。死は誰にでも訪れるものであり、誰一人として免れることはできません。ゆえに仏法では、死から目をそらすのではなく、死を正しく見つめることで、人生を豊かにしていくことを説いています。
今回学ぶ御文で大聖人は「強盛の大信力」を起こして、「南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念」していくように教えられています。
臨終正念とは、死に臨んでも心を乱さず、正しい念慮(思い、考え)を持つことです。
つまり、臨終の時に、一切の魔に心を乱されることなく、信心を貫くことができた歓喜と感謝に満ちて、永遠に崩れぬ幸福境涯を確立することです。
では、どうすれば、臨終正念の境涯を勝ち得ることができるのでしょうか。
本抄で大聖人は「"臨終は只今にある"と覚って信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人のことを、普賢菩薩勧発品第28には『この人は寿命が終われば、千もの仏が手を差し伸べ、死後への恐怖を起こさせたり、悪道に堕とさせたりするようなことはしない』と説かれている」(御書1337ページ、通解)と仰せです。たとえ今、死を迎えたとしても、"人生に一点の悔いもない"と言い切れる信心の姿勢が大切なのです。
自らが「強盛の大信力」を起こしていくのはもちろん、眼前の一人に"今、この時しかない"と、仏縁を広げ、励ましを送る生き方こそ、悔いなき人生の正道です。一日一日を完全燃焼する"戦う信心"に、仏界の生命は脈動するのです。
◇「即」の一字
生死一大事の血脈を受け継ぐ信心によって、いかなる境涯が得られるのでしょうか。
拝読御文では、信心の利益を「煩悩即菩提・生死即涅槃」と仰せです。つまり、煩悩や生死の苦悩をバネにして、仏の智慧を発揮し、安穏と歓喜の境涯を確立することができるのです。
この変革の法理のカギを握るのが「即」の一字です。
大聖人は「爾前の心は煩悩を捨てて生死を厭うて別に菩提涅槃を求めたり、法華経の意は煩悩即菩提・生死即涅槃と云えり」(御書821ページ)と仰せです。
「煩悩」と「菩提」、「生死」と「涅槃」は、字義通りにとれば、正反対のものです。ゆえに法華経以前の教えでは、煩悩を厭うことで菩提に至ると説いていました。
しかし、煩悩を否定して覚りを得るという考えは、突き詰めれば生を否定することにつながります。
戸田先生は、「自分の煩悩に生きながら、煩悩のままに、安心しきった幸福境涯をつかむ生活を『煩悩即菩提』『生死即涅槃』というのです」(『戸田城聖全集』第2巻)と語られています。
「即」とは、単に異なるものを結び付けるのではなく、煩悩の迷いや生死の苦悩の質を転換させることなのです。「自身を苦しめる煩悩」から「自身を人間革命させる煩悩」へと転換させる積極的な意味が「即」の一字にはあるのです。
大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732ページ)と仰せです。
悩みや苦しみを御本尊への強き祈りに変えることで、悩みや苦しみは乗り越えるべき自身の使命、人間革命の原動力となり、悪戦苦闘の人生をも楽しんでいける境涯を開いていくことができるのです。
◇誤った血脈観
生死一大事の血脈は、決して特定の人間だけに流れ通うものではありません。万人成仏が仏の願いであることからも明らかなように、あらゆる人に開かれたものなのです。
日蓮大聖人は、拝読御文の前の部分で、「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」(御書1337ページ)と仰せです。一切衆生に成仏の血脈を継がせようとの大聖人の慈悲心があふれています。
そもそも本抄の冒頭で、「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」(同1336ページ)と、伝えられるべき法は「南無妙法蓮華経」にほかならないと示されています。
ところが日顕宗は、「血脈相承」を受けるだけで、仏の内証(心の中の覚り)、法体(覚りの法そのもの)が、法主から次の法主だけに伝えられるとする、"神秘的"な血脈観を主張しています。そこから、法主が絶対であるとの法主信仰も生じています。しかし、こうした誤った血脈観は、大聖人、日興上人の教えとは全く無縁の邪義です。
同じように題目を唱えているといっても、そこに「信心の血脈」がなければ、無価値になってしまいます。そのことを「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せです。信心の血脈こそ、流れ通わすべき一大事なのです。
大聖人の御遺命である広宣流布を実践する学会にこそ、日蓮仏法の本義が脈々と受け継がれていることは明白です。
学会の中で、同志と共に、広宣流布に邁進する私たちにこそ、信心の血脈が流れ通うのです。
★池田先生の指針から 「今」を真剣に精一杯生きよ
臨終とは、「人生の総決算」の場です。この時、「どう生きてきたのか」が厳しく問われます。その時に、何の悔いもなく、自身の人生を深く肯定し、大満足で臨終を迎えられるか。逆に、後悔と自責の念で人生の終幕を迎えてしまうのか。
まさに、臨終の時にこそ、その人の生き方そのものが、何一つごまかしようがなく、この一瞬に凝縮されます。したがって、臨終をたとえ今迎えたとしても、雲一つない澄み切った青空のごとく、何一つ悔いや不満がない。そう断言できるように、どれだけ「今」を真剣に精一杯生きているか、ということが最重要になります。
瞬間、瞬間、「今、臨終になっても悔いがない」と言い切れる覚悟で、「現在」を真剣に生きる。それが「臨終只今にあり」という信心です。(『生死一大事血脈抄講義』)
◇ ◆ ◇
戸田先生は、「ありのまま」の本有無作の境涯の達人であられた。外見は凡夫の姿そのものであっても、学会の前進のためにいつも頭脳は鋭く回転しておられた。何よりも広宣流布への責任感は、まさしく悟りの大境涯であられた。広宣流布を必ず成し遂げようとの大煩悩を持ち、責任即悟達の大境涯から、広宣流布に生き切る生死不二の姿を現じられた先生でした。
「ありのまま」とは、その身のままでありながら、常に生命を磨いていくことです。現代的に言えば、人間革命の真髄の姿が即身成仏の実証にほかならない。
要するに、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」とは、「戦い続ける信心」の中でこそ実現するのです。(同)
参考文献
○…『生死一大事血脈抄講義』(聖教新聞社刊)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻(同)
後半戦を意気高く!
生命力をわき立たせ
広布拡大の最前線へ
敢然と飛び出そう!
四信五品抄 P342
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ』
【通解】
質問する。あなたの弟子が、すこしの理解もなく、ただ一回だけ声を出して南無妙法蓮華経と唱えた場合、その人の修行段階はどのようなものなのか。
答える、この人は、単に四味・三教の最後の修行段階の者や、爾前の円教の人を超えるだけでなく、さらには真言宗などの様々な宗派の開祖である善無畏・智儼・慈恩大師・吉蔵・道宣・達磨・善導らよりも勝れること百千万億である。是非とも、日本国中の人々よ、私の弟子たちを軽んじるべきではない。
〈寸鉄〉 2019年2月14日
妙法以上の智慧は断じてない—戸田先生。何事も祈りから。常勝の方程式
岡山の日。師弟の誓いは友の胸に赤々。歓喜の春呼ぶ対話の大旋風今こそ
副役職の友が光る組織は無敵。リーダーは連携を密に。心合わせて勝利へ
ピラミッドは頂からは作れぬ—作家。わが足元で友情拡大。広布はここに
特殊詐欺に警戒。安易に銀行カードは手渡すな。家族・地域で注意喚起を
☆2月度座談会拝読御書 生死一大事血脈抄
確信の祈りで幸福境涯を確立
一日一日を完全燃焼し悔いなき人生を
◇拝読御文
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』御書全集 1338ページ8行目〜10行目
◇本抄について
本抄は文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地・佐渡の塚原で認められ、最蓮房に与えられたお手紙と伝えられています。
最蓮房について詳細は不明です。ただ本抄の内容から、もともと天台の学僧であった最蓮房が、「生死一大事血脈」という仏法の極理について、大事な質問をしたことに対する御返事とされています。
題号の「生死一大事」とは、生と死を繰り返して流転する生命において根本の大事、つまり生死の苦悩を解決する万人成仏の法を意味します。
また「血脈」とは、法が仏から衆生へ伝えられていくことを、親から子へ血筋が受け継がれることに譬えた言葉です。
大聖人は本抄のはじめに、「生死一大事血脈」とは「妙法蓮華経」にほかならないことを、天台・伝教の釈を引いて明らかにされます。
続いて、衆生が生死一大事の血脈を受け継ぐための信心の姿勢について、3点にわたって示されます。
1点目が、仏と法と私たち衆生の生命の三つに差別がない、すなわち妙法の当体である衆生自身の胸中に、尊極な仏の生命が具わっていることを信じて題目を唱える実践です。
2点目が、三世にわたって御本尊から離れないという持続、不退転の信心です。
3点目に、広宣流布を目指して、異体同心で南無妙法蓮華経を唱える中にこそ、生死一大事の血脈が受け継がれることを教えられています。
拝読御文は、本抄の末尾の一節であり、生死一大事の血脈を受け継ぐ「正しき信心の要諦」を明かした部分になります。
◇臨終正念と祈念
死をどう捉えるか——そこに宗教の真価が問われるのではないでしょうか。
人間は生まれた瞬間から、死に向かっているといえます。死は誰にでも訪れるものであり、誰一人として免れることはできません。ゆえに仏法では、死から目をそらすのではなく、死を正しく見つめることで、人生を豊かにしていくことを説いています。
今回学ぶ御文で大聖人は「強盛の大信力」を起こして、「南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念」していくように教えられています。
臨終正念とは、死に臨んでも心を乱さず、正しい念慮(思い、考え)を持つことです。
つまり、臨終の時に、一切の魔に心を乱されることなく、信心を貫くことができた歓喜と感謝に満ちて、永遠に崩れぬ幸福境涯を確立することです。
では、どうすれば、臨終正念の境涯を勝ち得ることができるのでしょうか。
本抄で大聖人は「"臨終は只今にある"と覚って信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人のことを、普賢菩薩勧発品第28には『この人は寿命が終われば、千もの仏が手を差し伸べ、死後への恐怖を起こさせたり、悪道に堕とさせたりするようなことはしない』と説かれている」(御書1337ページ、通解)と仰せです。たとえ今、死を迎えたとしても、"人生に一点の悔いもない"と言い切れる信心の姿勢が大切なのです。
自らが「強盛の大信力」を起こしていくのはもちろん、眼前の一人に"今、この時しかない"と、仏縁を広げ、励ましを送る生き方こそ、悔いなき人生の正道です。一日一日を完全燃焼する"戦う信心"に、仏界の生命は脈動するのです。
◇「即」の一字
生死一大事の血脈を受け継ぐ信心によって、いかなる境涯が得られるのでしょうか。
拝読御文では、信心の利益を「煩悩即菩提・生死即涅槃」と仰せです。つまり、煩悩や生死の苦悩をバネにして、仏の智慧を発揮し、安穏と歓喜の境涯を確立することができるのです。
この変革の法理のカギを握るのが「即」の一字です。
大聖人は「爾前の心は煩悩を捨てて生死を厭うて別に菩提涅槃を求めたり、法華経の意は煩悩即菩提・生死即涅槃と云えり」(御書821ページ)と仰せです。
「煩悩」と「菩提」、「生死」と「涅槃」は、字義通りにとれば、正反対のものです。ゆえに法華経以前の教えでは、煩悩を厭うことで菩提に至ると説いていました。
しかし、煩悩を否定して覚りを得るという考えは、突き詰めれば生を否定することにつながります。
戸田先生は、「自分の煩悩に生きながら、煩悩のままに、安心しきった幸福境涯をつかむ生活を『煩悩即菩提』『生死即涅槃』というのです」(『戸田城聖全集』第2巻)と語られています。
「即」とは、単に異なるものを結び付けるのではなく、煩悩の迷いや生死の苦悩の質を転換させることなのです。「自身を苦しめる煩悩」から「自身を人間革命させる煩悩」へと転換させる積極的な意味が「即」の一字にはあるのです。
大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732ページ)と仰せです。
悩みや苦しみを御本尊への強き祈りに変えることで、悩みや苦しみは乗り越えるべき自身の使命、人間革命の原動力となり、悪戦苦闘の人生をも楽しんでいける境涯を開いていくことができるのです。
◇誤った血脈観
生死一大事の血脈は、決して特定の人間だけに流れ通うものではありません。万人成仏が仏の願いであることからも明らかなように、あらゆる人に開かれたものなのです。
日蓮大聖人は、拝読御文の前の部分で、「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」(御書1337ページ)と仰せです。一切衆生に成仏の血脈を継がせようとの大聖人の慈悲心があふれています。
そもそも本抄の冒頭で、「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」(同1336ページ)と、伝えられるべき法は「南無妙法蓮華経」にほかならないと示されています。
ところが日顕宗は、「血脈相承」を受けるだけで、仏の内証(心の中の覚り)、法体(覚りの法そのもの)が、法主から次の法主だけに伝えられるとする、"神秘的"な血脈観を主張しています。そこから、法主が絶対であるとの法主信仰も生じています。しかし、こうした誤った血脈観は、大聖人、日興上人の教えとは全く無縁の邪義です。
同じように題目を唱えているといっても、そこに「信心の血脈」がなければ、無価値になってしまいます。そのことを「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せです。信心の血脈こそ、流れ通わすべき一大事なのです。
大聖人の御遺命である広宣流布を実践する学会にこそ、日蓮仏法の本義が脈々と受け継がれていることは明白です。
学会の中で、同志と共に、広宣流布に邁進する私たちにこそ、信心の血脈が流れ通うのです。
★池田先生の指針から 「今」を真剣に精一杯生きよ
臨終とは、「人生の総決算」の場です。この時、「どう生きてきたのか」が厳しく問われます。その時に、何の悔いもなく、自身の人生を深く肯定し、大満足で臨終を迎えられるか。逆に、後悔と自責の念で人生の終幕を迎えてしまうのか。
まさに、臨終の時にこそ、その人の生き方そのものが、何一つごまかしようがなく、この一瞬に凝縮されます。したがって、臨終をたとえ今迎えたとしても、雲一つない澄み切った青空のごとく、何一つ悔いや不満がない。そう断言できるように、どれだけ「今」を真剣に精一杯生きているか、ということが最重要になります。
瞬間、瞬間、「今、臨終になっても悔いがない」と言い切れる覚悟で、「現在」を真剣に生きる。それが「臨終只今にあり」という信心です。(『生死一大事血脈抄講義』)
◇ ◆ ◇
戸田先生は、「ありのまま」の本有無作の境涯の達人であられた。外見は凡夫の姿そのものであっても、学会の前進のためにいつも頭脳は鋭く回転しておられた。何よりも広宣流布への責任感は、まさしく悟りの大境涯であられた。広宣流布を必ず成し遂げようとの大煩悩を持ち、責任即悟達の大境涯から、広宣流布に生き切る生死不二の姿を現じられた先生でした。
「ありのまま」とは、その身のままでありながら、常に生命を磨いていくことです。現代的に言えば、人間革命の真髄の姿が即身成仏の実証にほかならない。
要するに、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」とは、「戦い続ける信心」の中でこそ実現するのです。(同)
参考文献
○…『生死一大事血脈抄講義』(聖教新聞社刊)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻(同)
2019年2月13日水曜日
2019.02.13 わが友に贈る
会合に出られない人に
温かな声掛けを!
思いやりの一言から
希望の前進が始まる。
学会は全員が主役だ!
最蓮房御返事 P1341
『悪象の為に殺されては三趣に至らず』
【通解】
悪象の為に殺されても地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちない。
〈寸鉄〉 2019年2月13日
人を頼るな自分が戦え—恩師。どんな労苦も宝に。一人立つ後継の勇者たれ
打ち合わせは要点押さえ時間厳守。冗長な会議はマイナスだ。時間革命を
人生とは今日一日の事—箴言。日々、勝利の歩みを!これが栄光の歴史に
閲覧より5分でも人と話すほうが充実—米教授。闊達な語らいは心の滋養
地雷除去で年550億円必要と。世界の軍事支出の数千分の一。軍縮こそ課題
☆御書と歩む� 第54回 自身が妙法の当体と決めよ
『妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり』(一生成仏抄、383ページ)
◇通解
妙法蓮華経と唱え持つといっても、もし自身の心の外に法があると思うならば、それは全く妙法ではなく、粗雑な法である。
◇同志への指針
環境や人のせいにしたり、愚痴ばかりこぼすのは、「己心の外」に法を求める生き方だ。戸田先生は、「自分自身が南無妙法蓮華経だと決めることだ!」と言われた。
わが生命が妙法の当体である。無限の智慧と力が涌現しないわけがない。そう確信して題目を唱える中で、諸天善神もいやまして働くのだ。
ここに、幸福をつかむ信心の要諦がある。
温かな声掛けを!
思いやりの一言から
希望の前進が始まる。
学会は全員が主役だ!
最蓮房御返事 P1341
『悪象の為に殺されては三趣に至らず』
【通解】
悪象の為に殺されても地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちない。
〈寸鉄〉 2019年2月13日
人を頼るな自分が戦え—恩師。どんな労苦も宝に。一人立つ後継の勇者たれ
打ち合わせは要点押さえ時間厳守。冗長な会議はマイナスだ。時間革命を
人生とは今日一日の事—箴言。日々、勝利の歩みを!これが栄光の歴史に
閲覧より5分でも人と話すほうが充実—米教授。闊達な語らいは心の滋養
地雷除去で年550億円必要と。世界の軍事支出の数千分の一。軍縮こそ課題
☆御書と歩む� 第54回 自身が妙法の当体と決めよ
『妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり』(一生成仏抄、383ページ)
◇通解
妙法蓮華経と唱え持つといっても、もし自身の心の外に法があると思うならば、それは全く妙法ではなく、粗雑な法である。
◇同志への指針
環境や人のせいにしたり、愚痴ばかりこぼすのは、「己心の外」に法を求める生き方だ。戸田先生は、「自分自身が南無妙法蓮華経だと決めることだ!」と言われた。
わが生命が妙法の当体である。無限の智慧と力が涌現しないわけがない。そう確信して題目を唱える中で、諸天善神もいやまして働くのだ。
ここに、幸福をつかむ信心の要諦がある。
2019年2月12日火曜日
2019.02.12 わが友に贈る
新聞休刊日
守護国家論 P43
『是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず』
【通解】
この悪侶は利養(名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること)の故に、この経を広宣流布することができない。
☆随筆「人間革命」光あれ 新時代の黎明 2019年2月4日
勇気で挑め困難に屈するな!
声は力なり 立正安国の言論王たれ
わが郷土は「よきところ」と信頼広げ
「光明は人を輝かす」と、文豪ビクトル・ユゴーは叫んだ。
世界的な傑作『レ・ミゼラブル』では、人を健やかに、幸せにする光明が希求されている。
世の悲惨に打ちひしがれた民衆のために!
苦悩の闇に追いやられた若人のために!
ユゴーは、人間を進歩させる原動力に、「あえてなす」ことを挙げた。
正義と人道の行動に打って出る勇気が、生命を光輝あらしめるのだ。
法華経には、「地涌の菩薩」は「無量の光明あり」(創価学会版法華経四五二ページ)と、その輝く姿が讃えられている。
翻って、地涌の光明は、今いずこにあるのか。
御本仏・日蓮大聖人の仰せの通り、広宣流布のため、立正安国のため、たゆみなく勇猛精進する、創価の民衆にこそあるのだと、私たちは高らかに宣言したい。
執筆二十五年に及んだ小説『新・人間革命』が完結して迎えた一年——いよいよ、わが宝友一人ひとりが自らの人生の上に、偉大な「人間革命」の実証を示しゆく時だ。
創価の世界市民の連帯が地球社会を包み始めた今、この欄も「随筆 『人間革命』光あれ」として、綴っていきたい。
◇衆生の闇を破る
我らが実践する日蓮仏法は、まさしく「太陽の仏法」である。
その正義を、創価の父・牧口常三郎先生は、法難の獄中にあっても、堂々と主張されていた。
当時の訊問調書を繙くと、牧口先生は、法華経神力品の一節を引かれている。
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経五七五ページ)
そして、大聖人こそ、全世界の人類を即身成仏へ導く大導師であられると明言されたのである。
軍部政府の圧迫を恐れた宗門が、御書の「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(九七四ページ)などの要文を削除した所業とは、あまりに対照的であった。
日蓮仏法の真髄の光は、まぎれもなく創価の「師子王の心」によって厳護され、継承されてきた誇りを忘れまい。
牧口先生が身読された神力品の経文には「世間に行じて」とある。
この通りの実践こそ、まさに学会活動なのだ。世間を離れてしまえば、悪口罵詈されることも、煩わしい苦労もない。しかし我らは、久遠元初からの地涌の誓願のままに、あえて試練の国土に躍り出て、民衆の苦悩の闇、時代の闇、社会の闇を打ち破っていくのだ。
今、日本全国、全世界で、創価家族が「柔和忍辱の衣」を着て、勇敢に誠実に大仏法を「世間に行じて」いる英姿の光明を、御本仏がどれほど讃嘆され、また牧口先生が喜んで見つめておられることか。
◇二月闘争の着眼
日蓮大聖人の聖誕の月にして、戸田城聖先生の誕生の月である二月を、「報恩の拡大」で飾ろうと、六十七年前(一九五二年)、私は、蒲田支部の若き支部幹事として行動を起こした。
当時の組織の最小単位である「組」(現在のブロック)を基盤に、異体同心で邁進し、それまでの壁を破る弘教で、広宣流布の突破口を開いた。
その際、「祈りから始める」「体験を語る」との指針と共に、私は「近隣を大切にしよう」と訴えた。
これが「伝統の二月」の淵源である。
特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。それを避けていたら、いつまでも、自分の「本国土」とはならないのだ。
一番足元の近隣・地域の人びとを眷属と慈しみ、妙法の光で楽土へ照らしていくことが、立正安国の大道なのである。
大聖人は、大難に挑まれている新潟・佐渡で、悠然と言い放たれた。
「我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」(御書一三四三ページ)
ともあれ、悩みのない人生がないように、何の課題もない地域など、どこにもあるまい。それでも、わが郷土を、御書の御指南の通りに「よきところ・よきところ」(同一一八三ページ)と一念を定め、皆で知恵を出し、育んでいくのだ。
その快活な挑戦を続ける中で、事実の上でも、必ずや「三変土田」して、「よきところ」へ転換していけるのである。
「二月闘争」等で駆け巡った東京の大田や神奈川の川崎、また鶴見をはじめ共戦の天地も隆々と栄え光っていることを、私は妻と嬉しく伺い、縁の友に題目を送っている。
◇さあ最前線へ!
本年、我らは「創立九十周年へ 創価勝利の年」と掲げて出発した。
このように"一年間のテーマ"を決めるようになったのは、六十年前の一九五九年からだ。
戸田先生が逝去されて初めて迎える新年を「黎明の年」にと、私が発案したのである。
「黎明」とは、暗から明に転ずる「夜明け」のことである。
当時、総務の役職とともに、青年部の室長も兼務していた私は、「青年の力」によって、この一年を創価の黎明とするのだと誓い、祈った。
さあ、広布拡大の最前線へ! まだ訪れていない地域へ! 会えていない友のもとへ!
私は、先陣切って動きに動いた。
「幹部が率先して一番困難な所にあたるのだ。法華経は冬の信心ではないか」と呼び掛けて、私自身が真っ先に、厳寒の北海道へと向かった。
一月十五日には小樽に第一歩を印すと、旭川、夕張、そして札幌へと、北の大地を駆け、同志の中へ飛び込んでいった。恩師の故郷で、北国の友の辛労を偲びつつ、希望の灯火を掲げたのだ。
二月一日には、関西へ。続いて四国に渡り、香川、高知を回った。一旦帰京し、中旬に中部の名古屋、再び大阪。大阪事件の公判の合間を縫って、懸命に友の激励を重ねた。
三月に入ると、茨城の日立、水戸を歴訪し、次いで埼玉の大宮へ。
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
行く所、向かう所、御聖訓を拝し、異体同心の団結こそ勝利の要諦なり、と約し合ったのである。
下旬にも、愛知、滋賀、福井、京都、岐阜へと転戦し、御書を拝しては対話を続けた。一瞬の機会も逃さず、真剣な個人指導に徹した。
皆、悩みを抱え、健気に悪戦苦闘していた。その胸奥に、御書と恩師の指導を通して、勇気と希望という確かな黎明の光を灯していったのだ。
御聖訓には、「百千万年くら(闇)き所にも燈を入れぬればあか(明)くなる」(同一四〇三ページ)という譬えがある。
声も惜しまず、勇気凜々と語った分、内外を問わず、仏縁を結び、友の心を明るく照らし、温めることができるのだ。
六十年の時は巡り、青年部の中核たる創価班、牙城会、白蓮グループにも「新時代一期生」が誕生し、新たな黎明を告げる活躍を開始している。
各地の"青年室長"との深い自覚で、励ましを広げ、人材の育成と拡大に当たってくれている男女青年部のリーダーたちを讃え、労いたい。
◇通信員制度65年
人間主義の言論紙たる聖教新聞は通算二万号の金字塔を打ち立てた。とともに、この一月、通信員制度が発足してから六十五周年の節を刻んだ。
地域の最前線で創価の民衆運動を記録し、宣揚しゆく尊い献身にあらためて感謝申し上げたい。
通信員の方々が撮影した写真のページ「郷土アイ」に、先日、懐かしい新潟の瓢湖に飛来した白鳥が紹介されていた。
写真では、「いざ、羽ばたかん!」とばかりに、大きく翼を広げた一羽の姿が印象的であった。
御書には、白鳥の声を聞いて嘶く白馬の声によって威光勢力を増すという輪陀王の故事を通し、「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」(同一〇六五ページ)と仰せである。
題目の声を響かせるところ、梵天帝釈をはじめ諸天も光を盛んにして、我らを守護しないわけがないと、ご断言である。
どんな逆境に臨んでも我らには題目がある。
全同志が「自他彼此の心なく」(同一三三七ページ)と題目を唱えゆく恐れなき前進に、諸天の旗も色冴えて、「人間革命」そして「立正安国」の大光はいやましていくのだ。
◇語り続けよ友よ
大寒波に見舞われたアメリカ中西部など、各地で自然災害が続き、国際情勢も揺れ動いている。全世界の尊き仏子の健康と安穏を、強盛に祈らずにはいられない。
「語る者よ、語りつづけよ、歌う者よ、歌いつづけよ」と、アメリカの大詩人ホイットマンは、力強く呼び掛けた。
粘り強く発し続ける青年の声、民衆の声、連帯の声にこそ、世界を変えていく力がある。
「声は力」である。
「声は光」である。
いよいよ「声仏事を為す」(御書七〇八ページ)と、大確信の師子吼を轟かせながら、「創価勝利の年」を輝き光らせていこうではないか!
守護国家論 P43
『是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず』
【通解】
この悪侶は利養(名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること)の故に、この経を広宣流布することができない。
☆随筆「人間革命」光あれ 新時代の黎明 2019年2月4日
勇気で挑め困難に屈するな!
声は力なり 立正安国の言論王たれ
わが郷土は「よきところ」と信頼広げ
「光明は人を輝かす」と、文豪ビクトル・ユゴーは叫んだ。
世界的な傑作『レ・ミゼラブル』では、人を健やかに、幸せにする光明が希求されている。
世の悲惨に打ちひしがれた民衆のために!
苦悩の闇に追いやられた若人のために!
ユゴーは、人間を進歩させる原動力に、「あえてなす」ことを挙げた。
正義と人道の行動に打って出る勇気が、生命を光輝あらしめるのだ。
法華経には、「地涌の菩薩」は「無量の光明あり」(創価学会版法華経四五二ページ)と、その輝く姿が讃えられている。
翻って、地涌の光明は、今いずこにあるのか。
御本仏・日蓮大聖人の仰せの通り、広宣流布のため、立正安国のため、たゆみなく勇猛精進する、創価の民衆にこそあるのだと、私たちは高らかに宣言したい。
執筆二十五年に及んだ小説『新・人間革命』が完結して迎えた一年——いよいよ、わが宝友一人ひとりが自らの人生の上に、偉大な「人間革命」の実証を示しゆく時だ。
創価の世界市民の連帯が地球社会を包み始めた今、この欄も「随筆 『人間革命』光あれ」として、綴っていきたい。
◇衆生の闇を破る
我らが実践する日蓮仏法は、まさしく「太陽の仏法」である。
その正義を、創価の父・牧口常三郎先生は、法難の獄中にあっても、堂々と主張されていた。
当時の訊問調書を繙くと、牧口先生は、法華経神力品の一節を引かれている。
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経五七五ページ)
そして、大聖人こそ、全世界の人類を即身成仏へ導く大導師であられると明言されたのである。
軍部政府の圧迫を恐れた宗門が、御書の「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(九七四ページ)などの要文を削除した所業とは、あまりに対照的であった。
日蓮仏法の真髄の光は、まぎれもなく創価の「師子王の心」によって厳護され、継承されてきた誇りを忘れまい。
牧口先生が身読された神力品の経文には「世間に行じて」とある。
この通りの実践こそ、まさに学会活動なのだ。世間を離れてしまえば、悪口罵詈されることも、煩わしい苦労もない。しかし我らは、久遠元初からの地涌の誓願のままに、あえて試練の国土に躍り出て、民衆の苦悩の闇、時代の闇、社会の闇を打ち破っていくのだ。
今、日本全国、全世界で、創価家族が「柔和忍辱の衣」を着て、勇敢に誠実に大仏法を「世間に行じて」いる英姿の光明を、御本仏がどれほど讃嘆され、また牧口先生が喜んで見つめておられることか。
◇二月闘争の着眼
日蓮大聖人の聖誕の月にして、戸田城聖先生の誕生の月である二月を、「報恩の拡大」で飾ろうと、六十七年前(一九五二年)、私は、蒲田支部の若き支部幹事として行動を起こした。
当時の組織の最小単位である「組」(現在のブロック)を基盤に、異体同心で邁進し、それまでの壁を破る弘教で、広宣流布の突破口を開いた。
その際、「祈りから始める」「体験を語る」との指針と共に、私は「近隣を大切にしよう」と訴えた。
これが「伝統の二月」の淵源である。
特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。それを避けていたら、いつまでも、自分の「本国土」とはならないのだ。
一番足元の近隣・地域の人びとを眷属と慈しみ、妙法の光で楽土へ照らしていくことが、立正安国の大道なのである。
大聖人は、大難に挑まれている新潟・佐渡で、悠然と言い放たれた。
「我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」(御書一三四三ページ)
ともあれ、悩みのない人生がないように、何の課題もない地域など、どこにもあるまい。それでも、わが郷土を、御書の御指南の通りに「よきところ・よきところ」(同一一八三ページ)と一念を定め、皆で知恵を出し、育んでいくのだ。
その快活な挑戦を続ける中で、事実の上でも、必ずや「三変土田」して、「よきところ」へ転換していけるのである。
「二月闘争」等で駆け巡った東京の大田や神奈川の川崎、また鶴見をはじめ共戦の天地も隆々と栄え光っていることを、私は妻と嬉しく伺い、縁の友に題目を送っている。
◇さあ最前線へ!
本年、我らは「創立九十周年へ 創価勝利の年」と掲げて出発した。
このように"一年間のテーマ"を決めるようになったのは、六十年前の一九五九年からだ。
戸田先生が逝去されて初めて迎える新年を「黎明の年」にと、私が発案したのである。
「黎明」とは、暗から明に転ずる「夜明け」のことである。
当時、総務の役職とともに、青年部の室長も兼務していた私は、「青年の力」によって、この一年を創価の黎明とするのだと誓い、祈った。
さあ、広布拡大の最前線へ! まだ訪れていない地域へ! 会えていない友のもとへ!
私は、先陣切って動きに動いた。
「幹部が率先して一番困難な所にあたるのだ。法華経は冬の信心ではないか」と呼び掛けて、私自身が真っ先に、厳寒の北海道へと向かった。
一月十五日には小樽に第一歩を印すと、旭川、夕張、そして札幌へと、北の大地を駆け、同志の中へ飛び込んでいった。恩師の故郷で、北国の友の辛労を偲びつつ、希望の灯火を掲げたのだ。
二月一日には、関西へ。続いて四国に渡り、香川、高知を回った。一旦帰京し、中旬に中部の名古屋、再び大阪。大阪事件の公判の合間を縫って、懸命に友の激励を重ねた。
三月に入ると、茨城の日立、水戸を歴訪し、次いで埼玉の大宮へ。
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
行く所、向かう所、御聖訓を拝し、異体同心の団結こそ勝利の要諦なり、と約し合ったのである。
下旬にも、愛知、滋賀、福井、京都、岐阜へと転戦し、御書を拝しては対話を続けた。一瞬の機会も逃さず、真剣な個人指導に徹した。
皆、悩みを抱え、健気に悪戦苦闘していた。その胸奥に、御書と恩師の指導を通して、勇気と希望という確かな黎明の光を灯していったのだ。
御聖訓には、「百千万年くら(闇)き所にも燈を入れぬればあか(明)くなる」(同一四〇三ページ)という譬えがある。
声も惜しまず、勇気凜々と語った分、内外を問わず、仏縁を結び、友の心を明るく照らし、温めることができるのだ。
六十年の時は巡り、青年部の中核たる創価班、牙城会、白蓮グループにも「新時代一期生」が誕生し、新たな黎明を告げる活躍を開始している。
各地の"青年室長"との深い自覚で、励ましを広げ、人材の育成と拡大に当たってくれている男女青年部のリーダーたちを讃え、労いたい。
◇通信員制度65年
人間主義の言論紙たる聖教新聞は通算二万号の金字塔を打ち立てた。とともに、この一月、通信員制度が発足してから六十五周年の節を刻んだ。
地域の最前線で創価の民衆運動を記録し、宣揚しゆく尊い献身にあらためて感謝申し上げたい。
通信員の方々が撮影した写真のページ「郷土アイ」に、先日、懐かしい新潟の瓢湖に飛来した白鳥が紹介されていた。
写真では、「いざ、羽ばたかん!」とばかりに、大きく翼を広げた一羽の姿が印象的であった。
御書には、白鳥の声を聞いて嘶く白馬の声によって威光勢力を増すという輪陀王の故事を通し、「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」(同一〇六五ページ)と仰せである。
題目の声を響かせるところ、梵天帝釈をはじめ諸天も光を盛んにして、我らを守護しないわけがないと、ご断言である。
どんな逆境に臨んでも我らには題目がある。
全同志が「自他彼此の心なく」(同一三三七ページ)と題目を唱えゆく恐れなき前進に、諸天の旗も色冴えて、「人間革命」そして「立正安国」の大光はいやましていくのだ。
◇語り続けよ友よ
大寒波に見舞われたアメリカ中西部など、各地で自然災害が続き、国際情勢も揺れ動いている。全世界の尊き仏子の健康と安穏を、強盛に祈らずにはいられない。
「語る者よ、語りつづけよ、歌う者よ、歌いつづけよ」と、アメリカの大詩人ホイットマンは、力強く呼び掛けた。
粘り強く発し続ける青年の声、民衆の声、連帯の声にこそ、世界を変えていく力がある。
「声は力」である。
「声は光」である。
いよいよ「声仏事を為す」(御書七〇八ページ)と、大確信の師子吼を轟かせながら、「創価勝利の年」を輝き光らせていこうではないか!
2019年2月11日月曜日
2019.02.11 わが友に贈る
◇今週のことば
「人生は強気でいけ」
恩師の師子吼のままに
勇気凛々と挑みゆこう!
楽しく勢いある座談間で
仏の大生命力を出して!
2019年2月11日
如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』
【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
〈寸鉄〉 2019年2月11日
戸田先生の生誕日。192カ国に広がる師弟の連帯。堂々たる精神界の王者と
国際部結成の日。語学と人格で世界結ぶ先駆者。創価の全権大使の誇りで
賢者は人の世の未来を考える—文豪。民衆が輝く世紀へ。立正安国の道を
外出時は天気予報、交通情報を確認。行動は無理なく。時間の余裕持って
児童虐待の疑いがある子が過去最多。社会全体の連携が鍵。総力挙げ対策
☆勇気の旗高く 池田先生と静岡 2019年1月31日
◇勝負を決するのは「声の力」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は静岡県を掲載する。
◇太陽の如く
2016年(平成28年)11月、静岡の新愛称が発表された。それは「太陽の静岡」。学会が邪宗門と決別した"魂の独立"から25周年の折であった。池田先生は、翌17年に発刊された指導集『太陽の静岡』に万感の思いを寄せた。
太陽は、希望の光源である。
太陽は、慈愛の熱源である。
太陽は、正義のエネルギー源である。
我らの静岡こそ、太陽の民衆仏法が、最も明るく、最も温かく、最も強く、世界へ未来へ、輝き渡る天地なのだ。
御本仏・日蓮大聖人は厳然と仰せになられた。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190ページ)
この通りに、「師子王の心を取り出して」、命に及ぶ迫害にも断じて屈しなかったのは、殉教の熱原の三烈士を中心とする静岡の農民門下であった。ここに、世界の人権闘争史をも照らしゆく、民衆仏法の凱歌の旭日が昇ったのである。
その「不惜身命」「死身弘法」の大光を、時を超えて受け継ぎ、赫々と放ちゆくのが、牧口常三郎先生と戸田城聖先生を創立の師父と仰ぐ、我ら創価学会である。
世界広布新時代の今この時、民衆仏法の原点の天地たる静岡の太陽の前進を、全世界の同志が見つめている。
大聖人は、「あつわらの者どもの御心ざし異体同心なれば万事を成じ」(御書1463ページ)と宣言なされた。
我ら太陽の静岡家族は、いやまして異体同心の団結を深め広げながら、愛する郷土に、広宣流布の「永遠の都」を断じて築きゆこうではないか!
いずこにもまして苦楽を分かち合ってきた静岡の同志と、私の心はどこまでも、いつまでも一緒である。
◇全権大使に
池田先生は若き日から富士をこよなく愛してきた。先生は1988年(昭和63年)9月、静岡の友に贈った長編詩「富士光る幸の宝土」で広宣流布に生きる使命をつづった。
富士郡・賀島(編集部注=現在の静岡県富士市)の
高橋入道に与えられた御書に
「其の国の仏法は貴辺に
まかせたてまつり候ぞ」と
その地域の広宣流布は
そこに住みし人の使命である
自身に連なる人の絆は
誰も 取って代われはしない
君こそ あなたこそが
わが居住の世界の広布を
御本仏より託された
たった一人の開拓者なのだ
責任者なのだ
全権大使なのだ
広宣流布のために
自分は何をすべきか——
常に
その問いかけを忘れまい
そして 人を恃むな
そこに後退の因はある
どんなに大勢でも
それに安住してはならない
それぞれが
それぞれの
使命を果たさずしては
大願の成就は
決してないからだ
ゆえに君よ
創価学会のなかの自分ではない
自分のなかに
創価学会はあることを忘れまい
さあ 友よ
金の絆で
心と心を結びし君たちよ
歓喜の旗をなびかせながら
富士と語りつつ
三世に薫るこの道を
肩組み ともどもに行こう!
◇不退の精神
池田先生は、折々の場面で静岡の青年部に励ましを送ってきた。85年(同60年)7月22日、静岡・白糸研修道場(当時)に開設された「白糸記念青年塾」の開塾記念勤行会では、"信心を貫き通す人が最も尊い人"と後継の友に強調した。
さまざまな競技、スポーツにあっても、途中でやめ放棄することほどみじめなことはない。なにごとにあっても、最後まで、不退の精神で貫き通していくことだ。
勝っても負けても、頑張りぬくことが尊い。そこに人生の生き方の真髄があるといえよう。ましてや、信心を貫き通した人、広布の陣列に馳せ参じて、最後まで連なっていく人はもっとも尊いのである。その人を御本尊はお見通しになり、諸天も讃嘆することはまちがいない。
ゆえに、みずからが決めた道を、最極の法に則ったわが人生の道を、歩み通していく——この一点を、たがいに誓いあっていただきたい。
未来への永続的な発展は、青年がどのように成長し、力をつけ、斬新にして新鮮な生命力でたくましく伸びていけるかにある。そこに今後の発展のいっさいのカギがある。
さらに90年(平成2年)1月21日、静岡県青年会議(富士宮国際文化会館〈当時〉)では、友情の大切さを訴えている。
小さな自分のカラに閉じこもった生命——そこには、躍動がない。真の創造も喜びもない。ゆえに生きた知性の深まりも、価値ある行動の広がりもないであろう。
ところが一歩、人間への行動を起こす。友と会い、語る。一緒に悩み、考える。すると心中には、限りない慈しみと知恵がわく。それが思いきった実践となっていく。いつしか生命は、ダイナミックに回転を始める。「友情」が、生命にみずみずしい触発をあたえているのだ。
友への断ちがたい熱情。会って確かめあう信頼と誓い。苦しみを分かちあう心の強さ、潔さ。「友情」は、心を強くし、人生の行き詰まりを破り、越えていく大いなる力となる。
◇正義の勢い
91年(同3年)10月13日、浜松アリーナで開催された第1回静岡合唱友好祭。静岡文化会館や清水文化会館、富士文化会館をはじめ23会場が中継で結ばれた。
前年の12月に第2次宗門事件が勃発し、宗門との攻防の真っただ中だった。祭典では、"創価勝利"を告げる「歓喜の歌」や「人間革命の歌」などの大合唱が轟いた。
池田先生はその熱唱をたたえつつ、独裁者・ヒトラーと戦った人民の英雄たちの温かき同志愛を紹介。「不屈の歌声」が「民衆の勝利」を約束することを語った。
「勝負」を決したのは「声」であった。「歌」であった。
私も十数年前、どす黒い策謀の嵐の中で、皆さまのことを思い、次々と「歌」を作った。そして信心を根本に歌った。こうして勝利へのリズムを、渾身の力で、ひとり厳然とつくってきた。(編集部注=池田先生が78年〈昭和53年〉に手掛けた学会歌は30曲に及んだ)
「ともに歌おう!」「肩組み、歌おう!」。そのスクラム自体が、すでに"われらは勝ちたり!"との象徴である。また無限に広がりゆく希望の証である。ゆえに、私は歌う。皆さまとともに歌い続ける。
わが友に「不屈の歌声」があるかぎり、「不滅の同志愛」があるかぎり、学会は、また学会員は、権威と権力をふりかざす独裁者の侵略にも、絶対に負けることはない。悠々と、正義の闘争に打ち勝ち、広布の栄光の歴史を、そして自身の栄光の人生を飾りゆくことができる。
さらに先生は2004年(平成16年)5月の随筆で、正義に生きる静岡に限りない期待を寄せた。
静岡が勝つことが、日本中に、勝利の息吹を、そして正義の勢いを、太陽の如く昇らせていくのだ!
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書1463ページ)
静岡の健気な在家の門下に贈られた、有名な御聖訓である。わが尊き静岡の偉大な同志よ、東海の王者として、天下にその名を轟かせ、創価完勝の決定打を打ってくれ給え!
「声の力」で「仏法は勝負」の厳然たる実証を満天下に示してきた静岡の友。今、世界が見つめる静岡から、"創価勝利の太陽"は昇る。
「人生は強気でいけ」
恩師の師子吼のままに
勇気凛々と挑みゆこう!
楽しく勢いある座談間で
仏の大生命力を出して!
2019年2月11日
如説修行抄 P502
『かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし』
【通解】
敵は多勢である。法王(仏)の使いは日蓮一人であり、多勢に無勢である。今に至るまで軍はやむ事がなく、戦いの連続である。
〈寸鉄〉 2019年2月11日
戸田先生の生誕日。192カ国に広がる師弟の連帯。堂々たる精神界の王者と
国際部結成の日。語学と人格で世界結ぶ先駆者。創価の全権大使の誇りで
賢者は人の世の未来を考える—文豪。民衆が輝く世紀へ。立正安国の道を
外出時は天気予報、交通情報を確認。行動は無理なく。時間の余裕持って
児童虐待の疑いがある子が過去最多。社会全体の連携が鍵。総力挙げ対策
☆勇気の旗高く 池田先生と静岡 2019年1月31日
◇勝負を決するのは「声の力」
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は静岡県を掲載する。
◇太陽の如く
2016年(平成28年)11月、静岡の新愛称が発表された。それは「太陽の静岡」。学会が邪宗門と決別した"魂の独立"から25周年の折であった。池田先生は、翌17年に発刊された指導集『太陽の静岡』に万感の思いを寄せた。
太陽は、希望の光源である。
太陽は、慈愛の熱源である。
太陽は、正義のエネルギー源である。
我らの静岡こそ、太陽の民衆仏法が、最も明るく、最も温かく、最も強く、世界へ未来へ、輝き渡る天地なのだ。
御本仏・日蓮大聖人は厳然と仰せになられた。
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190ページ)
この通りに、「師子王の心を取り出して」、命に及ぶ迫害にも断じて屈しなかったのは、殉教の熱原の三烈士を中心とする静岡の農民門下であった。ここに、世界の人権闘争史をも照らしゆく、民衆仏法の凱歌の旭日が昇ったのである。
その「不惜身命」「死身弘法」の大光を、時を超えて受け継ぎ、赫々と放ちゆくのが、牧口常三郎先生と戸田城聖先生を創立の師父と仰ぐ、我ら創価学会である。
世界広布新時代の今この時、民衆仏法の原点の天地たる静岡の太陽の前進を、全世界の同志が見つめている。
大聖人は、「あつわらの者どもの御心ざし異体同心なれば万事を成じ」(御書1463ページ)と宣言なされた。
我ら太陽の静岡家族は、いやまして異体同心の団結を深め広げながら、愛する郷土に、広宣流布の「永遠の都」を断じて築きゆこうではないか!
いずこにもまして苦楽を分かち合ってきた静岡の同志と、私の心はどこまでも、いつまでも一緒である。
◇全権大使に
池田先生は若き日から富士をこよなく愛してきた。先生は1988年(昭和63年)9月、静岡の友に贈った長編詩「富士光る幸の宝土」で広宣流布に生きる使命をつづった。
富士郡・賀島(編集部注=現在の静岡県富士市)の
高橋入道に与えられた御書に
「其の国の仏法は貴辺に
まかせたてまつり候ぞ」と
その地域の広宣流布は
そこに住みし人の使命である
自身に連なる人の絆は
誰も 取って代われはしない
君こそ あなたこそが
わが居住の世界の広布を
御本仏より託された
たった一人の開拓者なのだ
責任者なのだ
全権大使なのだ
広宣流布のために
自分は何をすべきか——
常に
その問いかけを忘れまい
そして 人を恃むな
そこに後退の因はある
どんなに大勢でも
それに安住してはならない
それぞれが
それぞれの
使命を果たさずしては
大願の成就は
決してないからだ
ゆえに君よ
創価学会のなかの自分ではない
自分のなかに
創価学会はあることを忘れまい
さあ 友よ
金の絆で
心と心を結びし君たちよ
歓喜の旗をなびかせながら
富士と語りつつ
三世に薫るこの道を
肩組み ともどもに行こう!
◇不退の精神
池田先生は、折々の場面で静岡の青年部に励ましを送ってきた。85年(同60年)7月22日、静岡・白糸研修道場(当時)に開設された「白糸記念青年塾」の開塾記念勤行会では、"信心を貫き通す人が最も尊い人"と後継の友に強調した。
さまざまな競技、スポーツにあっても、途中でやめ放棄することほどみじめなことはない。なにごとにあっても、最後まで、不退の精神で貫き通していくことだ。
勝っても負けても、頑張りぬくことが尊い。そこに人生の生き方の真髄があるといえよう。ましてや、信心を貫き通した人、広布の陣列に馳せ参じて、最後まで連なっていく人はもっとも尊いのである。その人を御本尊はお見通しになり、諸天も讃嘆することはまちがいない。
ゆえに、みずからが決めた道を、最極の法に則ったわが人生の道を、歩み通していく——この一点を、たがいに誓いあっていただきたい。
未来への永続的な発展は、青年がどのように成長し、力をつけ、斬新にして新鮮な生命力でたくましく伸びていけるかにある。そこに今後の発展のいっさいのカギがある。
さらに90年(平成2年)1月21日、静岡県青年会議(富士宮国際文化会館〈当時〉)では、友情の大切さを訴えている。
小さな自分のカラに閉じこもった生命——そこには、躍動がない。真の創造も喜びもない。ゆえに生きた知性の深まりも、価値ある行動の広がりもないであろう。
ところが一歩、人間への行動を起こす。友と会い、語る。一緒に悩み、考える。すると心中には、限りない慈しみと知恵がわく。それが思いきった実践となっていく。いつしか生命は、ダイナミックに回転を始める。「友情」が、生命にみずみずしい触発をあたえているのだ。
友への断ちがたい熱情。会って確かめあう信頼と誓い。苦しみを分かちあう心の強さ、潔さ。「友情」は、心を強くし、人生の行き詰まりを破り、越えていく大いなる力となる。
◇正義の勢い
91年(同3年)10月13日、浜松アリーナで開催された第1回静岡合唱友好祭。静岡文化会館や清水文化会館、富士文化会館をはじめ23会場が中継で結ばれた。
前年の12月に第2次宗門事件が勃発し、宗門との攻防の真っただ中だった。祭典では、"創価勝利"を告げる「歓喜の歌」や「人間革命の歌」などの大合唱が轟いた。
池田先生はその熱唱をたたえつつ、独裁者・ヒトラーと戦った人民の英雄たちの温かき同志愛を紹介。「不屈の歌声」が「民衆の勝利」を約束することを語った。
「勝負」を決したのは「声」であった。「歌」であった。
私も十数年前、どす黒い策謀の嵐の中で、皆さまのことを思い、次々と「歌」を作った。そして信心を根本に歌った。こうして勝利へのリズムを、渾身の力で、ひとり厳然とつくってきた。(編集部注=池田先生が78年〈昭和53年〉に手掛けた学会歌は30曲に及んだ)
「ともに歌おう!」「肩組み、歌おう!」。そのスクラム自体が、すでに"われらは勝ちたり!"との象徴である。また無限に広がりゆく希望の証である。ゆえに、私は歌う。皆さまとともに歌い続ける。
わが友に「不屈の歌声」があるかぎり、「不滅の同志愛」があるかぎり、学会は、また学会員は、権威と権力をふりかざす独裁者の侵略にも、絶対に負けることはない。悠々と、正義の闘争に打ち勝ち、広布の栄光の歴史を、そして自身の栄光の人生を飾りゆくことができる。
さらに先生は2004年(平成16年)5月の随筆で、正義に生きる静岡に限りない期待を寄せた。
静岡が勝つことが、日本中に、勝利の息吹を、そして正義の勢いを、太陽の如く昇らせていくのだ!
「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書1463ページ)
静岡の健気な在家の門下に贈られた、有名な御聖訓である。わが尊き静岡の偉大な同志よ、東海の王者として、天下にその名を轟かせ、創価完勝の決定打を打ってくれ給え!
「声の力」で「仏法は勝負」の厳然たる実証を満天下に示してきた静岡の友。今、世界が見つめる静岡から、"創価勝利の太陽"は昇る。
2019年2月10日日曜日
2019.02.10 わが友に贈る
「法華経にそめられ
奉れば必ず仏になる」
御書を心肝に染め
題目を唱え抜こう!
行学の二道を共々に!
種種御振舞御書 P912
『一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか』
【通解】
一丈の堀を越えられない者がどうして十丈・二十丈の堀を越えられようか。
〈寸鉄〉 2019年2月10日
学会員の姿から会長の偉大な平和思想を知った—識者。「人の振舞」に師弟
勝利する人は最前線で闘い続ける人—作家。地道に誠実に。今日も対話を
一人の女子部は十人、百人に匹敵する力がある—恩師。希望の世紀を開け
頑張れより頑張ったね—子どもを伸ばす秘訣は時逃さぬ激励と。同志へも
凍結路や雪道での歩行・運転に注意。焦りや油断は禁物。呉々も無事故で
☆勇気の旗高く 池田先生と北海道 2019年1月28日
◇勝つとは深き祈りと三倍の努力
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は北海道を掲載する。
◇恩師の遺言
池田先生はこれまで、恩師・戸田先生の故郷である北海道を51回訪れている。
初訪問は1954年(昭和29年)8月10日。池田先生は、戸田先生と共に、恩師が青春期を過ごした旧・厚田村や札幌を巡った。
戸田先生にお供しての旅であった。そして多忙の日程のなか、師の故郷に足を運んだのであった。
「私のふるさとを、大作に見せておきたいんだ」
先生の育った家も、一緒に拝見させていただいた。
今、その家は、村の公園に移設・復元されている。
師弟二人して厚田の海岸に立った時、先生は、海の彼方を見つめながら言われた。
「この海の向こうには大陸が広がっている。
大作、お前は世界の広布の大道を必ず開いてゆけ! 頼む。断じて開け!」
それは、恩師の広宣流布の遺言である。
その遺言は、今なお私の胸中に響きわたっている。
私は、先生と、苦しんで戦うことが、好きであった。
先生と、あらゆる非難を浴びながら戦うことが、幸福であった。
そして先生と、この一生を、苦楽を共にしながら深い誓いの人生を生きゆくことが、本望であった。
私には、何の悔いもない。
さらに池田先生は、当時の戸田先生との思い出を振り返りながら、恩師から託された北海道広布のさらなる伸展を、次のように望んだ。
先生は言われた。
「北海道は、未来の新天地だ。大作、広布のために、多くの多くの友をつくってくれよ」「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ。発展させていってくれ」
私は、遺言と受け止めた。
今や大北海道に、史上最強の誇り高き青年の陣列が出来上がった。
見よ! 広大な北海道の、あの町で、この町で、正義と勇気と栄光の"三色旗"は、勝利、勝利と翻っている。
「広宣流布は北海道から!」——私は、北海道の英雄の皆様を讃えながら、そしてまた、この永遠の指針を託したいのである。
◇信・行・学のギア
初訪問に先立つ3月、戸田先生から青年部の室長の任命を受けた池田先生。
全国各地で拡大の渦を巻き起こす中、北海道では、「小樽問答」、そして現在の札幌市中央区を中心に、北区、白石区など、市内を巡った「札幌・夏の陣」、空知地域での「夕張炭労事件」と、連戦連勝の歴史を重ねた。先生は、北海道中を駆けた日々を振り返り、真情をつづっている。
毎日の闘争は、皆で呼吸を合わせた朝の勤行と、私の30分の御書講義で始まった。
信心で勝つことだ。
勇気で勝つことだ。
智慧で勝つことだ。
ゆえに「信・行・学」のギアがかみ合ってこそ、一日一日の行動も無敵の闘争となる。
これは、「札幌・夏の陣」における勝利へのリズムであり、翌年の「大阪の大法戦」の原形となるものであった。
悪戦苦闘を突き抜け、断固と勝つことが道を開く。
労働組合が、学会員の信教の自由を圧迫した、あの人権蹂躙の「夕張炭労事件」にも、北海道の同志は、私と共に完全勝利を収めた。
その1957年(昭和32年)から69年(同44年)まで、私は、13年連続で北海道を訪問している。
深雪を踏んで戦う旭川へ、霧をも晴らす情熱の釧路へ、鉄の団結の都・室蘭へ。正義の砦・函館へ、開拓の魂が光る帯広へ。
そして、最北の港湾都市・先駆の稚内へ、交通の要衝・躍進の岩見沢へ、と。
71年(同46年)2月、あえて厳冬に挑み、銀の大地に描いた「雪の文化祭」も、偉大なる開拓精神の詩であった。
「小樽問答」「札幌・夏の陣」「夕張炭労事件」——北海道の三大闘争を、私は、若き生命の日記に「勝利」「勝利」と刻みつけながら戦った。
北海道は、創価の連続勝利の光源である。
"牧口先生、戸田先生の青春の故郷に、敗北の汚名を残してなるものか!"
"師弟有縁の神聖なる天地に、必ず輝かしき正義の旗を打ち立ててみせる!"
これが、つねに変わらぬ、私の決心であった。
◇「開拓魂」燃やし
師弟が築いた、あこがれの広布の天地・北海道。池田先生は"開拓魂"燃える同志を、見守り続けている。
北海道と私は一つだ。
つねに広き曠野が、私の胸を走る。
凍りついた大地を、わが友が、いつも苦しみを歓喜の劇に変えながら、そして使命と喜びの杯を交わしながら、歩みゆく姿を思う時、熱い活発な魂が、私の胸に躍る。
もっとも厳しい場所で戦い、そこで勝ってこそ、真実の広宣流布の実像がある。
そして、苦難の吹雪のなか、健気に頑張っている人を、仏と思い、菩薩と尊敬し、励ましてこそ、真実の同志である。
だれが、なんと言おうが、何があろうが、われは、断固として広宣流布をする! 断じて勝ってみせる!
これが、学会精神である。これが、世界の人々の憧れの故郷である、北海道を築いた"開拓魂"である。
この心ある限り、北海道は、いかなる吹雪も烈風も超えて、新世紀の希望の春が、厳然と始まるにちがいない。
私は、健気な北海道の同志の健康と長寿とを、そして皆が勝利者であることを、一生涯、祈り続けたい。
◇希望のVサイン
本年は、池田先生の51回目の北海道訪問(94年〈平成6年〉)から25周年の節目だ。
北海道の同志は、この折に先生から贈られた不滅の指針「勝つとは 深き祈りと 人の三倍 努力することだ」をはじめとする、渾身の激励を胸に刻む。
戸田先生は、よく言われていた。
「私は何がうれしいか。それは、学会員から『こんなに幸せになりました。健康になりました』と報告を受けることが一番うれしい」と。
私も、まったく同じ気持ちである。
目の前の証拠、すなわち信心の「実証」を示すことが、いちばん説得力がある。雄弁に、妙法の正しさを教えられる。ゆえに、生活で勝たねばならない。人生に勝たねばならない。
北海道は、私が牧口先生、戸田先生の心をわが心として、皆さまとともに築いてきた「民衆の幸福城」である。「創価の故郷城」である。
(中略)
大切な大切な、この「幸福城」「故郷城」「三代城」を、断じて魔軍に破壊させてはならない。
魔には、つけ入るスキを与えてはならない。
北海道の皆さまは、どんな時にも、希望のVサインを掲げながら、「北海道さえあれば、学会は永遠なり」という難攻不落の「三代城」を築いていただきたい。
「三代城」は北海道しかない。この誇りで進んでいただきたい。
広布への情熱の炎を燃やし、3年連続の世帯増を成し遂げた北海道の友。"創価勝利の春"へ、難攻不落の「三代城」の底力を満天下に示す時が来た。
奉れば必ず仏になる」
御書を心肝に染め
題目を唱え抜こう!
行学の二道を共々に!
種種御振舞御書 P912
『一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか』
【通解】
一丈の堀を越えられない者がどうして十丈・二十丈の堀を越えられようか。
〈寸鉄〉 2019年2月10日
学会員の姿から会長の偉大な平和思想を知った—識者。「人の振舞」に師弟
勝利する人は最前線で闘い続ける人—作家。地道に誠実に。今日も対話を
一人の女子部は十人、百人に匹敵する力がある—恩師。希望の世紀を開け
頑張れより頑張ったね—子どもを伸ばす秘訣は時逃さぬ激励と。同志へも
凍結路や雪道での歩行・運転に注意。焦りや油断は禁物。呉々も無事故で
☆勇気の旗高く 池田先生と北海道 2019年1月28日
◇勝つとは深き祈りと三倍の努力
池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は北海道を掲載する。
◇恩師の遺言
池田先生はこれまで、恩師・戸田先生の故郷である北海道を51回訪れている。
初訪問は1954年(昭和29年)8月10日。池田先生は、戸田先生と共に、恩師が青春期を過ごした旧・厚田村や札幌を巡った。
戸田先生にお供しての旅であった。そして多忙の日程のなか、師の故郷に足を運んだのであった。
「私のふるさとを、大作に見せておきたいんだ」
先生の育った家も、一緒に拝見させていただいた。
今、その家は、村の公園に移設・復元されている。
師弟二人して厚田の海岸に立った時、先生は、海の彼方を見つめながら言われた。
「この海の向こうには大陸が広がっている。
大作、お前は世界の広布の大道を必ず開いてゆけ! 頼む。断じて開け!」
それは、恩師の広宣流布の遺言である。
その遺言は、今なお私の胸中に響きわたっている。
私は、先生と、苦しんで戦うことが、好きであった。
先生と、あらゆる非難を浴びながら戦うことが、幸福であった。
そして先生と、この一生を、苦楽を共にしながら深い誓いの人生を生きゆくことが、本望であった。
私には、何の悔いもない。
さらに池田先生は、当時の戸田先生との思い出を振り返りながら、恩師から託された北海道広布のさらなる伸展を、次のように望んだ。
先生は言われた。
「北海道は、未来の新天地だ。大作、広布のために、多くの多くの友をつくってくれよ」「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ。発展させていってくれ」
私は、遺言と受け止めた。
今や大北海道に、史上最強の誇り高き青年の陣列が出来上がった。
見よ! 広大な北海道の、あの町で、この町で、正義と勇気と栄光の"三色旗"は、勝利、勝利と翻っている。
「広宣流布は北海道から!」——私は、北海道の英雄の皆様を讃えながら、そしてまた、この永遠の指針を託したいのである。
◇信・行・学のギア
初訪問に先立つ3月、戸田先生から青年部の室長の任命を受けた池田先生。
全国各地で拡大の渦を巻き起こす中、北海道では、「小樽問答」、そして現在の札幌市中央区を中心に、北区、白石区など、市内を巡った「札幌・夏の陣」、空知地域での「夕張炭労事件」と、連戦連勝の歴史を重ねた。先生は、北海道中を駆けた日々を振り返り、真情をつづっている。
毎日の闘争は、皆で呼吸を合わせた朝の勤行と、私の30分の御書講義で始まった。
信心で勝つことだ。
勇気で勝つことだ。
智慧で勝つことだ。
ゆえに「信・行・学」のギアがかみ合ってこそ、一日一日の行動も無敵の闘争となる。
これは、「札幌・夏の陣」における勝利へのリズムであり、翌年の「大阪の大法戦」の原形となるものであった。
悪戦苦闘を突き抜け、断固と勝つことが道を開く。
労働組合が、学会員の信教の自由を圧迫した、あの人権蹂躙の「夕張炭労事件」にも、北海道の同志は、私と共に完全勝利を収めた。
その1957年(昭和32年)から69年(同44年)まで、私は、13年連続で北海道を訪問している。
深雪を踏んで戦う旭川へ、霧をも晴らす情熱の釧路へ、鉄の団結の都・室蘭へ。正義の砦・函館へ、開拓の魂が光る帯広へ。
そして、最北の港湾都市・先駆の稚内へ、交通の要衝・躍進の岩見沢へ、と。
71年(同46年)2月、あえて厳冬に挑み、銀の大地に描いた「雪の文化祭」も、偉大なる開拓精神の詩であった。
「小樽問答」「札幌・夏の陣」「夕張炭労事件」——北海道の三大闘争を、私は、若き生命の日記に「勝利」「勝利」と刻みつけながら戦った。
北海道は、創価の連続勝利の光源である。
"牧口先生、戸田先生の青春の故郷に、敗北の汚名を残してなるものか!"
"師弟有縁の神聖なる天地に、必ず輝かしき正義の旗を打ち立ててみせる!"
これが、つねに変わらぬ、私の決心であった。
◇「開拓魂」燃やし
師弟が築いた、あこがれの広布の天地・北海道。池田先生は"開拓魂"燃える同志を、見守り続けている。
北海道と私は一つだ。
つねに広き曠野が、私の胸を走る。
凍りついた大地を、わが友が、いつも苦しみを歓喜の劇に変えながら、そして使命と喜びの杯を交わしながら、歩みゆく姿を思う時、熱い活発な魂が、私の胸に躍る。
もっとも厳しい場所で戦い、そこで勝ってこそ、真実の広宣流布の実像がある。
そして、苦難の吹雪のなか、健気に頑張っている人を、仏と思い、菩薩と尊敬し、励ましてこそ、真実の同志である。
だれが、なんと言おうが、何があろうが、われは、断固として広宣流布をする! 断じて勝ってみせる!
これが、学会精神である。これが、世界の人々の憧れの故郷である、北海道を築いた"開拓魂"である。
この心ある限り、北海道は、いかなる吹雪も烈風も超えて、新世紀の希望の春が、厳然と始まるにちがいない。
私は、健気な北海道の同志の健康と長寿とを、そして皆が勝利者であることを、一生涯、祈り続けたい。
◇希望のVサイン
本年は、池田先生の51回目の北海道訪問(94年〈平成6年〉)から25周年の節目だ。
北海道の同志は、この折に先生から贈られた不滅の指針「勝つとは 深き祈りと 人の三倍 努力することだ」をはじめとする、渾身の激励を胸に刻む。
戸田先生は、よく言われていた。
「私は何がうれしいか。それは、学会員から『こんなに幸せになりました。健康になりました』と報告を受けることが一番うれしい」と。
私も、まったく同じ気持ちである。
目の前の証拠、すなわち信心の「実証」を示すことが、いちばん説得力がある。雄弁に、妙法の正しさを教えられる。ゆえに、生活で勝たねばならない。人生に勝たねばならない。
北海道は、私が牧口先生、戸田先生の心をわが心として、皆さまとともに築いてきた「民衆の幸福城」である。「創価の故郷城」である。
(中略)
大切な大切な、この「幸福城」「故郷城」「三代城」を、断じて魔軍に破壊させてはならない。
魔には、つけ入るスキを与えてはならない。
北海道の皆さまは、どんな時にも、希望のVサインを掲げながら、「北海道さえあれば、学会は永遠なり」という難攻不落の「三代城」を築いていただきたい。
「三代城」は北海道しかない。この誇りで進んでいただきたい。
広布への情熱の炎を燃やし、3年連続の世帯増を成し遂げた北海道の友。"創価勝利の春"へ、難攻不落の「三代城」の底力を満天下に示す時が来た。
2019年2月9日土曜日
2019.02.09 わが友に贈る
仏法は「以信代慧」。
強盛な信心に立てば
勝利の智慧が湧く。
広布拡大に向け
価値創造の一日を1
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』
【通解】
仏になる道は善知識に勝るものはない。わが智慧は何の役に立とう。ただ暑さ寒さを知るだけの智慧さえあるならば、善知識が大切なのである。
〈寸鉄〉 2019年2月9日
青年の支持がなければ、何もできない—戸田先生後継の若人と動き語ろう
民音の日。文化の力は人の生命を潤し、結ぶ。推進委員の皆様は平和の旗手
懸命に働く人は決して歳をとるという事はない—発明王。多宝の友が模範
厳寒の季節。無冠の友の尊き配達に感謝!使命の道を無事故で。皆が祈る
公明党こそ教育や福祉の大切さを知る国民政党—識者。立党精神貫き進め
☆2月度男子部「御書活動者会」研さんのために 兵衛志殿御返事(三障四魔事)
◇試練こそ成長の好機 「勇敢なる信心」で勝て
2月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」を研さん。三障四魔と戦う意義を学ぶ。
◇御文
『しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』(御書1091ページ)
◇通解
潮が干る時と満ちる時、月の出る時と入る時、夏・秋・冬・春という四季の変わり目には、必ずそれまでと異なることがある。
凡夫が仏になる時も、また同じである。必ず三障四魔という障害が現れるので、賢者は喜び、愚者は退くのである。
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が身延で認められ、武蔵国・池上(東京都大田区)に住む池上兄弟の弟・宗長(兵衛志)に送られたお手紙である。
これまで建治元年(1275年)の御執筆とされていたが、内容から最近では、建治3年(1277年)と考えられている。
池上家は、鎌倉幕府に仕えていた武士で、有力な工匠であったとされる。宗長は兄・宗仲と共に、立宗宣言から間もない頃、大聖人に帰依したと伝えられている。
だが、真言律宗の極楽寺良観を信奉していた父・康光に信心を反対されていた。兄の宗仲が2度目の勘当を受けた直後に認められたのが、本抄である。
2度目の勘当で、兄の決意は揺るがなかったものの、弟・宗長の心には動揺が生じた。大聖人は、宗長が退転することを心配され、厳愛の励ましを送られている。
そして、凡夫が仏になる時は、必ず三障四魔が競い起こることを示され、難が起こった今こそ、「賢者」の信心を貫いていくよう教えられている。
◇解説
凡夫が仏になる境目には、必ず三障四魔が競い起こる。つまり、三障四魔が現れるということは、正しい信仰をしている証しであり、常楽我浄の幸福境涯を開く好機なのだ。ゆえに、三障四魔の出現を、賢者は「喜ぶ」と仰せである。
拝読御文の後段で、大聖人は、この度の勘当の本質を、「とによせ・かくによせて・わどのばらを持斎・念仏者等が・つくり・をとさんために・をやを・すすめをとすなり」(御書1093ページ)と鋭く喝破されている。兄が勘当されれば、家督の相続権は弟・宗長に移る。兄の勘当には、兄弟の仲を引き裂き、弟の信心を破ろうとする狙いがあったのである。
こうした魔の働きに対し、大聖人は、「すこしも・をそるる心なかれ」(同1091ページ)と、宗長を鼓舞されている。そして、法華経から離れなければ、「我が身・仏になるのみならず・そむきしをやをもみちびきなん」(同1092ページ)と励まされた。
大聖人の教えのままに、勇敢なる信心を奮い起こした池上兄弟は苦境を勝ち越え、ついには父を入信に導くのである。
困難に遭うと、障魔から「攻め込まれている」と感じることがあるかもしれない。だが本質は逆だ。成仏の峰へ到達するために、自ら望んで、障魔を「呼び起こしている」のである。
池上兄弟ゆかりの地・東京都大田区には、若き日の池田先生が、広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」の足跡が刻まれている。
蒲田支部が、1カ月で201世帯の弘教を達成したのは、1952年(昭和27年)2月。巡り来る2月は、弟子が師恩に報いんと立ち上がり、広布の誓願を果たす時だ。
広宣流布のために、私たちが正義を語れば語るほど、負けじと魔の働きも強くなる。
思わぬ試練が立ちはだかることもあろう。しかし、臆してはいけない。信心のギアを一段と加速させ、魔を打ち破るのである。
池田先生は語られている。「広宣流布に進めば、三類の強敵、三障四魔が競い起こるのは当たり前である。そのときこそ、青年は、わが正義を叫ぶべきである。堂々と師子吼すべきである。『勇猛精進』こそ、学会青年部の魂でなければならない」
各地で、男子部大学校の入卒式が行われている。創価班、牙城会など、新たなステージに進む友。新たに大学校の門をたたいた友。清新な決意にあふれる1期生、2期生と共に、師弟の精神を深め合いながら、未来に語り継がれるような、新しい「二月闘争」の歴史を勝ち開いてまいりたい。
強盛な信心に立てば
勝利の智慧が湧く。
広布拡大に向け
価値創造の一日を1
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』
【通解】
仏になる道は善知識に勝るものはない。わが智慧は何の役に立とう。ただ暑さ寒さを知るだけの智慧さえあるならば、善知識が大切なのである。
〈寸鉄〉 2019年2月9日
青年の支持がなければ、何もできない—戸田先生後継の若人と動き語ろう
民音の日。文化の力は人の生命を潤し、結ぶ。推進委員の皆様は平和の旗手
懸命に働く人は決して歳をとるという事はない—発明王。多宝の友が模範
厳寒の季節。無冠の友の尊き配達に感謝!使命の道を無事故で。皆が祈る
公明党こそ教育や福祉の大切さを知る国民政党—識者。立党精神貫き進め
☆2月度男子部「御書活動者会」研さんのために 兵衛志殿御返事(三障四魔事)
◇試練こそ成長の好機 「勇敢なる信心」で勝て
2月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」を研さん。三障四魔と戦う意義を学ぶ。
◇御文
『しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』(御書1091ページ)
◇通解
潮が干る時と満ちる時、月の出る時と入る時、夏・秋・冬・春という四季の変わり目には、必ずそれまでと異なることがある。
凡夫が仏になる時も、また同じである。必ず三障四魔という障害が現れるので、賢者は喜び、愚者は退くのである。
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が身延で認められ、武蔵国・池上(東京都大田区)に住む池上兄弟の弟・宗長(兵衛志)に送られたお手紙である。
これまで建治元年(1275年)の御執筆とされていたが、内容から最近では、建治3年(1277年)と考えられている。
池上家は、鎌倉幕府に仕えていた武士で、有力な工匠であったとされる。宗長は兄・宗仲と共に、立宗宣言から間もない頃、大聖人に帰依したと伝えられている。
だが、真言律宗の極楽寺良観を信奉していた父・康光に信心を反対されていた。兄の宗仲が2度目の勘当を受けた直後に認められたのが、本抄である。
2度目の勘当で、兄の決意は揺るがなかったものの、弟・宗長の心には動揺が生じた。大聖人は、宗長が退転することを心配され、厳愛の励ましを送られている。
そして、凡夫が仏になる時は、必ず三障四魔が競い起こることを示され、難が起こった今こそ、「賢者」の信心を貫いていくよう教えられている。
◇解説
凡夫が仏になる境目には、必ず三障四魔が競い起こる。つまり、三障四魔が現れるということは、正しい信仰をしている証しであり、常楽我浄の幸福境涯を開く好機なのだ。ゆえに、三障四魔の出現を、賢者は「喜ぶ」と仰せである。
拝読御文の後段で、大聖人は、この度の勘当の本質を、「とによせ・かくによせて・わどのばらを持斎・念仏者等が・つくり・をとさんために・をやを・すすめをとすなり」(御書1093ページ)と鋭く喝破されている。兄が勘当されれば、家督の相続権は弟・宗長に移る。兄の勘当には、兄弟の仲を引き裂き、弟の信心を破ろうとする狙いがあったのである。
こうした魔の働きに対し、大聖人は、「すこしも・をそるる心なかれ」(同1091ページ)と、宗長を鼓舞されている。そして、法華経から離れなければ、「我が身・仏になるのみならず・そむきしをやをもみちびきなん」(同1092ページ)と励まされた。
大聖人の教えのままに、勇敢なる信心を奮い起こした池上兄弟は苦境を勝ち越え、ついには父を入信に導くのである。
困難に遭うと、障魔から「攻め込まれている」と感じることがあるかもしれない。だが本質は逆だ。成仏の峰へ到達するために、自ら望んで、障魔を「呼び起こしている」のである。
池上兄弟ゆかりの地・東京都大田区には、若き日の池田先生が、広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」の足跡が刻まれている。
蒲田支部が、1カ月で201世帯の弘教を達成したのは、1952年(昭和27年)2月。巡り来る2月は、弟子が師恩に報いんと立ち上がり、広布の誓願を果たす時だ。
広宣流布のために、私たちが正義を語れば語るほど、負けじと魔の働きも強くなる。
思わぬ試練が立ちはだかることもあろう。しかし、臆してはいけない。信心のギアを一段と加速させ、魔を打ち破るのである。
池田先生は語られている。「広宣流布に進めば、三類の強敵、三障四魔が競い起こるのは当たり前である。そのときこそ、青年は、わが正義を叫ぶべきである。堂々と師子吼すべきである。『勇猛精進』こそ、学会青年部の魂でなければならない」
各地で、男子部大学校の入卒式が行われている。創価班、牙城会など、新たなステージに進む友。新たに大学校の門をたたいた友。清新な決意にあふれる1期生、2期生と共に、師弟の精神を深め合いながら、未来に語り継がれるような、新しい「二月闘争」の歴史を勝ち開いてまいりたい。
2019年2月8日金曜日
2019.02.08 わが友に贈る
インフルエンザに警戒!
胃腸炎などにも注意を。
寒さが厳しくなる時季。
体調不良時は無理せず
健康管理に務めよう!
寂日房御書 P903
『同じはぢなれども今生のはぢはもののかずならずただ後生のはぢこそ大切なれ』
【通解】
恥というものは、同じ恥であっても、今生(現世)の恥はもののかずではありません。ただ、後生の恥こそ大切なのです。
〈寸鉄〉 2019年2月8日
「言わずんばある可からず」御書。信心とは勇気の異名。果敢に正義叫べ
沖縄の日。幸の対話を広げる地涌の大連帯!恒久平和の確固たる礎ここに
会館守る会、宝城会の友に感謝。広布の城守り、生命の宮殿輝かせる長者と
宿命と戦う姿をそのまま見せていけ—恩師。幹部の必死な姿に同志は続く
「還付金詐欺」が再び増加と。"ATMで振込を"は全て詐欺。鋭く見破れ
☆四季の励まし 「行動の人」が壁を破る 2019年2月3日
人生の価値とは
"記録への挑戦"から生まれる。
自分のこれまでの最高記録を、
どう更新し、書きあらためるか。
その"挑む"姿勢から、
勝利と満足の人生が開かれていく。
ゆえに、一人一人が、
何らかの"わが新記録"をつくり、
積みかさねていかねばならない。
記録は次々と打ち破られ、
ぬり替えられてこそ意味がある。
大事なことは、
常に前進の方向へ
一念を定めることである。
壁を乗り越える挑戦が、
自身の境涯を確実に広げていく
因となることは間違いない。
戦えば必ず生命は変わる。
宿命は絶対に転換できる。
どのような逆境にも
打ちひしがれず、
祈り、戦っていること自体が
勝利であり、
何ものをも恐れない
仏の姿なのである。
日蓮大聖人は、自らを
「法華経の行者」と言われた。
行者とは行動の人のことであり、
行動してこそ、
真実の仏法者である。
風が吹けば波が立つように、
行動を起こせば状況は変化する。
行動は壁を破り、
自分の境涯を開く力である。
行動の人には、あきらめはない。
行き詰まったように見えても、
行動のなかから、
常に新しき道が開かれるからだ。
第一歩を踏み出さなければ、
目的は達せられない。
まず「行動」だ。
「一歩」を踏み出すことだ。
「前進」即「勝利」である。
大事なのは「今この時」である。
明2020年「東京オリンピック・パラリンピック」のメイン会場となる新国立競技場。本年11月末の完成へ、建設が着々と進む。先月8日、池田大作先生がシャッターを切った。
学会の「伝統の2月」。その淵源は、第2代会長・戸田城聖先生から東京・蒲田支部の支部幹事に任命された若き池田先生が、同志への激励を重ね、2月の1カ月間で支部201世帯の弘教という金字塔を打ち立てたことにある。
池田先生は「二月闘争」を振り返りながらつづった。
「いずこであれ、一人立つ勇者が現れれば、必ず広布の火蓋は切れる。いかに困難であっても、そこに奮闘する友がいる限り、一人を誠実に励まし抜く。これが壁を破る鉄則だ」と。
さあ、勇気の対話で友情と信頼の絆を結び、自身の"拡大の新記録"に挑もう。
胃腸炎などにも注意を。
寒さが厳しくなる時季。
体調不良時は無理せず
健康管理に務めよう!
寂日房御書 P903
『同じはぢなれども今生のはぢはもののかずならずただ後生のはぢこそ大切なれ』
【通解】
恥というものは、同じ恥であっても、今生(現世)の恥はもののかずではありません。ただ、後生の恥こそ大切なのです。
〈寸鉄〉 2019年2月8日
「言わずんばある可からず」御書。信心とは勇気の異名。果敢に正義叫べ
沖縄の日。幸の対話を広げる地涌の大連帯!恒久平和の確固たる礎ここに
会館守る会、宝城会の友に感謝。広布の城守り、生命の宮殿輝かせる長者と
宿命と戦う姿をそのまま見せていけ—恩師。幹部の必死な姿に同志は続く
「還付金詐欺」が再び増加と。"ATMで振込を"は全て詐欺。鋭く見破れ
☆四季の励まし 「行動の人」が壁を破る 2019年2月3日
人生の価値とは
"記録への挑戦"から生まれる。
自分のこれまでの最高記録を、
どう更新し、書きあらためるか。
その"挑む"姿勢から、
勝利と満足の人生が開かれていく。
ゆえに、一人一人が、
何らかの"わが新記録"をつくり、
積みかさねていかねばならない。
記録は次々と打ち破られ、
ぬり替えられてこそ意味がある。
大事なことは、
常に前進の方向へ
一念を定めることである。
壁を乗り越える挑戦が、
自身の境涯を確実に広げていく
因となることは間違いない。
戦えば必ず生命は変わる。
宿命は絶対に転換できる。
どのような逆境にも
打ちひしがれず、
祈り、戦っていること自体が
勝利であり、
何ものをも恐れない
仏の姿なのである。
日蓮大聖人は、自らを
「法華経の行者」と言われた。
行者とは行動の人のことであり、
行動してこそ、
真実の仏法者である。
風が吹けば波が立つように、
行動を起こせば状況は変化する。
行動は壁を破り、
自分の境涯を開く力である。
行動の人には、あきらめはない。
行き詰まったように見えても、
行動のなかから、
常に新しき道が開かれるからだ。
第一歩を踏み出さなければ、
目的は達せられない。
まず「行動」だ。
「一歩」を踏み出すことだ。
「前進」即「勝利」である。
大事なのは「今この時」である。
明2020年「東京オリンピック・パラリンピック」のメイン会場となる新国立競技場。本年11月末の完成へ、建設が着々と進む。先月8日、池田大作先生がシャッターを切った。
学会の「伝統の2月」。その淵源は、第2代会長・戸田城聖先生から東京・蒲田支部の支部幹事に任命された若き池田先生が、同志への激励を重ね、2月の1カ月間で支部201世帯の弘教という金字塔を打ち立てたことにある。
池田先生は「二月闘争」を振り返りながらつづった。
「いずこであれ、一人立つ勇者が現れれば、必ず広布の火蓋は切れる。いかに困難であっても、そこに奮闘する友がいる限り、一人を誠実に励まし抜く。これが壁を破る鉄則だ」と。
さあ、勇気の対話で友情と信頼の絆を結び、自身の"拡大の新記録"に挑もう。
2019年2月7日木曜日
2019.02.07 わが友に贈る
個性を輝かせる仏法だ。
「限りある命を
私は こう使う!」と
決めた人は強い。
無限の希望と力が湧く!
四条金吾殿御返事 P1193
『在俗の官仕隙なき身に此の経を信ずる事こそ稀有なるに山河を凌ぎ蒼海を経て遥に尋ね来り給いし志香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争でか劣り給うべき』
【通解】
あなたは、在俗の官仕の隙ない身で、法華経を信ずる事さえ稀であるのに山河の剣難を凌ぎ、蒼き大海を経て、はるばる尋ねて来られた。その志は、香城で骨を砕き、雪嶺に身を投げた人々の志にもどうして劣るわけがあろうか。
〈寸鉄〉 2019年2月7日
大事な時に巡り合い歴史残せる事は最大の名誉—恩師。師弟共戦の今こそ
「仏をば能忍と」御書。不屈こそ創価の魂。勝利に向かって粘り強く前へ
あの人と進めば勝てる!友に確信と勇気を与える指揮を。率先の将と光れ
気温差激しい時季。体調管理に呉々も留意。日々の勤行を軸に健康生活を
公明党ありて経済も政治も安定—教授。輝く日本の柱。総力挙げ庶民守れ
☆御書と歩む� 第53回 三世の大空を悠然と
『生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり』(御義口伝、754ページ)
◇通解
生死を見て、嫌い離れるのを「迷い」といい、「始成正覚」というのである。一方、本有の生死(本来、永遠にある生死)と知見するのを「悟り」といい、「本覚」というのである。
今、日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱え奉る時、「本有の生死」であり、「本有の退出」であると覚るのである。
◇同志への指針
「生老病死」こそ人類の最重要課題だ。仏法は「生死不二」の哲理を明かしている。
「死」もまた永遠の生命の厳たる姿であり、忌むべきものではない。妙法に生き抜くならば、仏界という大境涯で「生も歓喜」「死も歓喜」と常楽我浄の大空を飛翔できる。愛する家族や同志とも、三世に一緒に進みゆける。
この生命の極理で、いよいよ21世紀を照らしゆこう!
「限りある命を
私は こう使う!」と
決めた人は強い。
無限の希望と力が湧く!
四条金吾殿御返事 P1193
『在俗の官仕隙なき身に此の経を信ずる事こそ稀有なるに山河を凌ぎ蒼海を経て遥に尋ね来り給いし志香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争でか劣り給うべき』
【通解】
あなたは、在俗の官仕の隙ない身で、法華経を信ずる事さえ稀であるのに山河の剣難を凌ぎ、蒼き大海を経て、はるばる尋ねて来られた。その志は、香城で骨を砕き、雪嶺に身を投げた人々の志にもどうして劣るわけがあろうか。
〈寸鉄〉 2019年2月7日
大事な時に巡り合い歴史残せる事は最大の名誉—恩師。師弟共戦の今こそ
「仏をば能忍と」御書。不屈こそ創価の魂。勝利に向かって粘り強く前へ
あの人と進めば勝てる!友に確信と勇気を与える指揮を。率先の将と光れ
気温差激しい時季。体調管理に呉々も留意。日々の勤行を軸に健康生活を
公明党ありて経済も政治も安定—教授。輝く日本の柱。総力挙げ庶民守れ
☆御書と歩む� 第53回 三世の大空を悠然と
『生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり』(御義口伝、754ページ)
◇通解
生死を見て、嫌い離れるのを「迷い」といい、「始成正覚」というのである。一方、本有の生死(本来、永遠にある生死)と知見するのを「悟り」といい、「本覚」というのである。
今、日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱え奉る時、「本有の生死」であり、「本有の退出」であると覚るのである。
◇同志への指針
「生老病死」こそ人類の最重要課題だ。仏法は「生死不二」の哲理を明かしている。
「死」もまた永遠の生命の厳たる姿であり、忌むべきものではない。妙法に生き抜くならば、仏界という大境涯で「生も歓喜」「死も歓喜」と常楽我浄の大空を飛翔できる。愛する家族や同志とも、三世に一緒に進みゆける。
この生命の極理で、いよいよ21世紀を照らしゆこう!
2019年2月6日水曜日
2019.02.06 わが友に贈る
全ての人に
無限の力がある。
限界を決めているのは
自分の弱い心だ。
強き祈りで壁を破ろう!
阿仏房御書 P1305
『末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり』
【通解】
末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もし、そうであるならば、身分の貴さや賎しさ、立場の上と下といった差別なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人の身が宝塔であり、また、その人の身が多宝如来なのである。
〈寸鉄〉 2019年2月6日
会長の提言には人類の生きる力育む精神が—国連元次長。青年が学び語れ
会合に参加できない友に真心の励ましを!全員が仏に縁した地涌の菩薩だ
他者と多く結び付く程、生命は拡大—文豪。境涯を広げるわれらの対話道
住宅火災の死者が昨年比で倍増。主な原因はストーブ、タバコ等。確認徹底
省エネ月間。空調の設定温度など賢く。身近な取り組みが環境守る第一歩
☆女子部・白蓮グループ指導集が完成 池田先生が「発刊に寄せて」贈る 2019年1月29日
◇友情と連帯を大らかに広げる「勝利の女王」と輝け!
本年は、「女子部 永遠の五指針」発表から10周年。この佳節を記念し、華陽姉妹の中核・白蓮グループの指導集『勝利の女王 白蓮グループ』が発刊された。ここでは、「大らかに『友情と連帯』の勝利を!」と題する池田先生の「発刊に寄せて」を掲載する。指導集には、先生が贈ったメッセージや長編詩、随筆をはじめ、テーマごとにまとめた折々の指針や同グループの歴史も収録。順次、各地の白蓮グループのメンバーに配布される。非売品。
常に友の幸福を祈れる白蓮の乙女は
無限に心晴れわたる「幸福の女王」なり
常に誓願に生き抜く白蓮の乙女は
永遠に妙法と一体の「勝利の女王」なり
妙法で結ばれた、うるわしき世界は、「清涼の池」に譬えられます。清らかにして涼やかな池のように、集い来る友が、皆、身も心も潤され、喜び舞いゆくことができる、妙なる力をたたえているからです。
私たちは、苦悩の渦巻く現実社会の只中で、生命の蘇生のオアシスを、一つ一つ創り開いてきました。
この創価の「清涼の池」に馥郁と咲き誇る人華こそ、わが誉れの白蓮グループの皆さんなのであります。
このたび、尊き皆さん方との心の交流をまとめた一書『勝利の女王 白蓮グループ』が発刊の運びとなりました。「勝利の女王」とは、私が皆さんに贈った"白蓮"の別名です。
懐かしい広布共戦の歴史を振り返るとともに、水の流れるが如くたゆみない皆さんのけなげな前進をねぎらい讃え、ここでは「勝利」の意義について、3点にわたり、エールを送ります。
◇
第一に、賢き「振る舞い」の勝利です。
御本仏・日蓮大聖人は、「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(御書1174ページ)と仰せになられました。
この通りの「人を敬う」不軽品の修行を現代に映しているのが、学会活動です。
思えば、行事の運営など責任ある実践を通して人材の育成をと私が提案し、女子部に「整理班」が発足したのは、1957年(昭和32年)の5月のことでした。これが白蓮グループの前身です。
この2カ月後、創価学会に襲いかかった大阪事件の折にも、女子部の友が毅然と立ち上がってくれました。
あの大阪大会が終了した直後、場内に入り切れず、屋外で豪雨に打たれながら参加してくれていた同志の方々を思い、私は階段を駆け上がり、窓の前に立ちました。
満腔の感謝を込め、風邪などひかないようにと祈りつつ、不二の尊き同志たちへ、私は深く深く合掌を捧げたのです。
そのかたわらには、真剣なまなざしで「負けたらあかん」と決意を光らせる関西女子部のリーダーたちがいました。
翌年の「3・16」の広布後継の式典の折にも、乙女たちが受付や案内、清掃などに凜々しく献身し、無事故の運営に当たってくれました。
恩師・戸田城聖先生は慈父のごとく感謝と激励の声を掛けられながら、それはそれは、うれしそうに見守っておられたのであります。
東日本大震災の際には、自宅や家族が大きな被害を受けながら、避難所や仮設住宅から会館に駆けつけ、着任して、同志を笑顔で出迎え、見送ってくれた白蓮の乙女たちの英姿がありました。
この仏に等しい振る舞いに、東北の創価家族たちは涙しながら、復興への負けじ魂を奮い起こしたのです。
東京牧口記念会館の「白蓮之歌碑」には、「星は光りて」の歌詞とともに、こう刻まれています。
「君が歓喜の微笑みは 友に希望を与えゆく」
「君が正義の歌声は 友に勇気を呼び起こす」
人の振る舞いという仏法の真髄を若き生命で体現しゆく青春は、何と気高い日々でしょうか。
その伝統は、世界中で継承されてきました。
現在、世界広布の太陽と輝く女性指導者たちの多くも、女子部時代に白蓮グループで薫陶を受けたことを、何よりの誇りとし、原点としています。
第二に、朗らかな「心の財」の勝利です。
御聖訓には、「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(御書1173ページ)とあります。
現代は、ともすれば、「今が楽しければいい」「自分さえよければいい」といった軽薄な風潮に流されがちな時代かもしれません。その中にあって、皆さん方は、来る日も来る日も、自行化他の題目を唱え、生命尊厳の大哲学を学び、友のため、法のため、社会のために真摯に行動しています。
皆さんの地道にして誠実な着任も、一回また一回、どれほど計り知れない「心の財」を積んでいるか。
この福運が、長い一生の、いな永遠に崩れざる幸福の土台となっていくことは、御書と法華経の上から、絶対に間違いありません。日々、「人間革命」しゆく皆さん方の境涯の輝きは、家庭も地域も、職場も社会も、さらに世界までも照らしていきます。
ロシアの法華経研究の母であるヴォロビヨヴァ=デシャトフスカヤ博士は語られていました。
「人間が境涯を高めながら宇宙に存在することによって、宇宙自体も浄化されていくと、私は考えるのです」と。
まさしく、「心の財」を積み上げてきた清浄無比なる白蓮の生命は、一切を清らかに、希望へ、幸福へ、和楽へ、勝利へとリードしていけるのです。
◇
第三に、大らかな「友情と連帯」の勝利です。
「御義口伝」には説かれております。
「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761ページ)と。
ここには、人類の知性と良識が夢見てきた、人間共和の理想が明確に示されているといってよいでしょう。
分断に苦しむ世界は、いやまして、あらゆる差異を超え、万人を結び合う智慧と慈悲の対話、そして歓喜の連帯を渇仰しております。
日蓮仏法では、万人が「妙法蓮華」の当体として、自らの生命を自分らしく最大に光輝あらしめ、幸福と平和の大道を共々に進みゆくことを教えてくださっています。
その最先端のみずみずしい桜梅桃李のスクラムこそ、白蓮を中心とする華陽の皆さんです。
ゆえに、縁する友も、また後輩たちも、みんな、最も尊貴な白蓮華の生命を具えた、かけがえのない眷属として、一人ひとりを大切に、大らかに包容し、励まして差し上げてください。そして、地球社会の希望と光る「友情と連帯」を、いよいよ楽しく伸びやかに勝ち広げていただきたいのであります。
さあ、世界を結ぶ白蓮姉妹を先頭に、新たな「女性の世紀」「生命の世紀」「平和の世紀」の門が、広々と開かれています。
どうか、皆が満天の星のように、仲良く賑やかに福智の青春を乱舞しながら、「人間革命」の清新なる勝利の光を思う存分、放っていってください。
大切な大切な宝の白蓮グループの乙女たちに、一人ももれなく、健康あれ! 和楽あれ! 栄光あれ! と、私は妻と祈り続けてまいります。
恐れなく
光り 勝ちゆけ
試練をも
笑い飛ばして
生命の讃歌を
2019年1月2日
無限の力がある。
限界を決めているのは
自分の弱い心だ。
強き祈りで壁を破ろう!
阿仏房御書 P1305
『末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり』
【通解】
末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もし、そうであるならば、身分の貴さや賎しさ、立場の上と下といった差別なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人の身が宝塔であり、また、その人の身が多宝如来なのである。
〈寸鉄〉 2019年2月6日
会長の提言には人類の生きる力育む精神が—国連元次長。青年が学び語れ
会合に参加できない友に真心の励ましを!全員が仏に縁した地涌の菩薩だ
他者と多く結び付く程、生命は拡大—文豪。境涯を広げるわれらの対話道
住宅火災の死者が昨年比で倍増。主な原因はストーブ、タバコ等。確認徹底
省エネ月間。空調の設定温度など賢く。身近な取り組みが環境守る第一歩
☆女子部・白蓮グループ指導集が完成 池田先生が「発刊に寄せて」贈る 2019年1月29日
◇友情と連帯を大らかに広げる「勝利の女王」と輝け!
本年は、「女子部 永遠の五指針」発表から10周年。この佳節を記念し、華陽姉妹の中核・白蓮グループの指導集『勝利の女王 白蓮グループ』が発刊された。ここでは、「大らかに『友情と連帯』の勝利を!」と題する池田先生の「発刊に寄せて」を掲載する。指導集には、先生が贈ったメッセージや長編詩、随筆をはじめ、テーマごとにまとめた折々の指針や同グループの歴史も収録。順次、各地の白蓮グループのメンバーに配布される。非売品。
常に友の幸福を祈れる白蓮の乙女は
無限に心晴れわたる「幸福の女王」なり
常に誓願に生き抜く白蓮の乙女は
永遠に妙法と一体の「勝利の女王」なり
妙法で結ばれた、うるわしき世界は、「清涼の池」に譬えられます。清らかにして涼やかな池のように、集い来る友が、皆、身も心も潤され、喜び舞いゆくことができる、妙なる力をたたえているからです。
私たちは、苦悩の渦巻く現実社会の只中で、生命の蘇生のオアシスを、一つ一つ創り開いてきました。
この創価の「清涼の池」に馥郁と咲き誇る人華こそ、わが誉れの白蓮グループの皆さんなのであります。
このたび、尊き皆さん方との心の交流をまとめた一書『勝利の女王 白蓮グループ』が発刊の運びとなりました。「勝利の女王」とは、私が皆さんに贈った"白蓮"の別名です。
懐かしい広布共戦の歴史を振り返るとともに、水の流れるが如くたゆみない皆さんのけなげな前進をねぎらい讃え、ここでは「勝利」の意義について、3点にわたり、エールを送ります。
◇
第一に、賢き「振る舞い」の勝利です。
御本仏・日蓮大聖人は、「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(御書1174ページ)と仰せになられました。
この通りの「人を敬う」不軽品の修行を現代に映しているのが、学会活動です。
思えば、行事の運営など責任ある実践を通して人材の育成をと私が提案し、女子部に「整理班」が発足したのは、1957年(昭和32年)の5月のことでした。これが白蓮グループの前身です。
この2カ月後、創価学会に襲いかかった大阪事件の折にも、女子部の友が毅然と立ち上がってくれました。
あの大阪大会が終了した直後、場内に入り切れず、屋外で豪雨に打たれながら参加してくれていた同志の方々を思い、私は階段を駆け上がり、窓の前に立ちました。
満腔の感謝を込め、風邪などひかないようにと祈りつつ、不二の尊き同志たちへ、私は深く深く合掌を捧げたのです。
そのかたわらには、真剣なまなざしで「負けたらあかん」と決意を光らせる関西女子部のリーダーたちがいました。
翌年の「3・16」の広布後継の式典の折にも、乙女たちが受付や案内、清掃などに凜々しく献身し、無事故の運営に当たってくれました。
恩師・戸田城聖先生は慈父のごとく感謝と激励の声を掛けられながら、それはそれは、うれしそうに見守っておられたのであります。
東日本大震災の際には、自宅や家族が大きな被害を受けながら、避難所や仮設住宅から会館に駆けつけ、着任して、同志を笑顔で出迎え、見送ってくれた白蓮の乙女たちの英姿がありました。
この仏に等しい振る舞いに、東北の創価家族たちは涙しながら、復興への負けじ魂を奮い起こしたのです。
東京牧口記念会館の「白蓮之歌碑」には、「星は光りて」の歌詞とともに、こう刻まれています。
「君が歓喜の微笑みは 友に希望を与えゆく」
「君が正義の歌声は 友に勇気を呼び起こす」
人の振る舞いという仏法の真髄を若き生命で体現しゆく青春は、何と気高い日々でしょうか。
その伝統は、世界中で継承されてきました。
現在、世界広布の太陽と輝く女性指導者たちの多くも、女子部時代に白蓮グループで薫陶を受けたことを、何よりの誇りとし、原点としています。
第二に、朗らかな「心の財」の勝利です。
御聖訓には、「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(御書1173ページ)とあります。
現代は、ともすれば、「今が楽しければいい」「自分さえよければいい」といった軽薄な風潮に流されがちな時代かもしれません。その中にあって、皆さん方は、来る日も来る日も、自行化他の題目を唱え、生命尊厳の大哲学を学び、友のため、法のため、社会のために真摯に行動しています。
皆さんの地道にして誠実な着任も、一回また一回、どれほど計り知れない「心の財」を積んでいるか。
この福運が、長い一生の、いな永遠に崩れざる幸福の土台となっていくことは、御書と法華経の上から、絶対に間違いありません。日々、「人間革命」しゆく皆さん方の境涯の輝きは、家庭も地域も、職場も社会も、さらに世界までも照らしていきます。
ロシアの法華経研究の母であるヴォロビヨヴァ=デシャトフスカヤ博士は語られていました。
「人間が境涯を高めながら宇宙に存在することによって、宇宙自体も浄化されていくと、私は考えるのです」と。
まさしく、「心の財」を積み上げてきた清浄無比なる白蓮の生命は、一切を清らかに、希望へ、幸福へ、和楽へ、勝利へとリードしていけるのです。
◇
第三に、大らかな「友情と連帯」の勝利です。
「御義口伝」には説かれております。
「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761ページ)と。
ここには、人類の知性と良識が夢見てきた、人間共和の理想が明確に示されているといってよいでしょう。
分断に苦しむ世界は、いやまして、あらゆる差異を超え、万人を結び合う智慧と慈悲の対話、そして歓喜の連帯を渇仰しております。
日蓮仏法では、万人が「妙法蓮華」の当体として、自らの生命を自分らしく最大に光輝あらしめ、幸福と平和の大道を共々に進みゆくことを教えてくださっています。
その最先端のみずみずしい桜梅桃李のスクラムこそ、白蓮を中心とする華陽の皆さんです。
ゆえに、縁する友も、また後輩たちも、みんな、最も尊貴な白蓮華の生命を具えた、かけがえのない眷属として、一人ひとりを大切に、大らかに包容し、励まして差し上げてください。そして、地球社会の希望と光る「友情と連帯」を、いよいよ楽しく伸びやかに勝ち広げていただきたいのであります。
さあ、世界を結ぶ白蓮姉妹を先頭に、新たな「女性の世紀」「生命の世紀」「平和の世紀」の門が、広々と開かれています。
どうか、皆が満天の星のように、仲良く賑やかに福智の青春を乱舞しながら、「人間革命」の清新なる勝利の光を思う存分、放っていってください。
大切な大切な宝の白蓮グループの乙女たちに、一人ももれなく、健康あれ! 和楽あれ! 栄光あれ! と、私は妻と祈り続けてまいります。
恐れなく
光り 勝ちゆけ
試練をも
笑い飛ばして
生命の讃歌を
2019年1月2日
2019年2月5日火曜日
2019.02.05 わが友に贈る
「後継」と「後続」は違う。
創価後継の証しとは
ただ後に続くのではなく
道なき道を開くことだ。
青年ならば先駆者たれ!
新池殿御消息 P1436
『況や法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候なり』
【通解】
ましてや法華経の行者を供養された功徳は、無量無辺の仏を供養される功徳よりも勝れているのである。
〈寸鉄〉 2019年2月5日
平和貢献のSGIは「対話の宗教」—識者。友情を結ぶ語らいに今日も全力
青春に失敗という言葉はない—作家。全て成長の糧に。決意即行動で走れ
インフルエンザの患者数が最多。いまだ油断禁物だ。マスク・手洗い等徹底
交流サイト、見知らぬ人からの友達申請に注意。詐欺や悪徳業者が増加と
公明が若者の声聞く「政策アンケート」。声を形にする実現力で勝負せよ!
☆第44回「SGIの日」記念提言(下) 「平和と軍縮の新しき世紀を」 2019年1月27日
◇有志国によるグループを結成し核兵器禁止条約の参加を拡大
◇日本は批准に向けた努力と対話の場を確保する貢献を
続いて、平和と軍縮を巡る喫緊の課題を解決するための具体策と、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の取り組みを前進させるための方策について、5項目の提案を行いたい。
第一の提案は、核兵器禁止条約の早期発効と参加国の拡大に関するものです。
核兵器禁止条約が採択されて以来、これまで国連加盟国の3分の1以上にあたる70カ国が署名し、20カ国が批准を終えました。
条約の発効要件である50カ国の批准には、まだ及んではいませんが、化学兵器や生物兵器の禁止条約の場合と比べても、批准国の拡大は着実に進みつつあるといえます。
加えて注目すべきは、条約にまだ参加していない国も含めて世界の8割近くの国々が、条約の禁止事項に沿った安全保障政策を実施しているという事実です。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営団体の一つである「ノルウェー・ピープルズエイド」によると、核兵器の開発・実験・生産・製造・取得・保有・貯蔵から、移譲と受領、使用とその威嚇、違反行為を援助することや援助を受けること、配備とその許可について、すでに155カ国が禁止状態にあるといいます。
つまり、世界の圧倒的多数の国が「核兵器に依存しない安全保障」の道を歩むことで、すでに核兵器禁止条約の中核的な規範を受け入れている状況がみられるのです。この基盤の上に、条約の発効と参加国の拡大を通じて、核兵器禁止に関する規範の普遍化を図ることが待たれます。
その一方で、核兵器禁止条約の採択によって、核問題に関する国際的な枠組みを提供してきた核拡散防止条約(NPT)の協力体制に、深い溝が生じかねないとの声も聞かれます。
しかし実際には、二つの条約が目指すゴールは同じであって、核兵器禁止条約はNPTを決して損ねるものではなく、むしろ、NPT第6条が定める「核軍縮交渉の誠実な履行」の義務に新たな息吹を注ぎ込む意義を有している点に、目を向けるべきではないでしょうか。
◇唯一の戦争被爆国が果たすべき使命
そこで私は、核兵器禁止条約の採択に至るプロセスの中で積み上げられてきた議論を、今後も深化させながら、各国の条約参加の機運を高めていくための有志国のグループを結成することを提案したい。
具体的には、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効促進のために活動してきた「CTBTフレンズ」と呼ばれるグループにならう形で、「核兵器禁止条約フレンズ」を結成してはどうでしょうか。
CTBTフレンズは、日本とオーストラリアとオランダが2002年に発足させたもので、2年ごとに外相会合を開催し、昨年の第9回会合には約70カ国が参加しました。
特筆すべきは、これまで外相会合に参加した国が核保有国と核依存国と非保有国のすべてにわたっており、署名・批准の有無に関係なく多くの国が討議に加わってきた点です。
この討議が重ねられる中、外相会合への参加後に条約の批准を果たした国もみられます。また、批准後に外相会合に参加して、他の発効要件国に対し、条約への参加を呼び掛ける国も現れています。
このほか、未批准国のアメリカからケリー国務長官(当時)やペリー元国防長官が、外相会合に参加したこともありました。
その際、ペリー氏から、1970年代に"ソ連がICBM(大陸間弾道弾)を発射した"との誤情報に惑わされた時の体験が語られるなど、核兵器を巡る教訓が共有される場ともなってきたのです。
こうした経験を生かす形で、核兵器禁止条約においても同様のグループを結成し、条約に対する立場の違いを超えて、対話を継続的に行う場にしていくべきではないでしょうか。
そして、そのグループの活動に日本が加わり、貢献していくことを強く呼び掛けたい。
私は、唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器禁止条約を支持し、批准を目指すべきであると訴え続けてきました。
CTBTフレンズの中核を担ってきた日本が、まずは「核兵器禁止条約フレンズ」の結成に協力した上で、自国の条約参加に向けた課題の克服に努めるとともに、他の核依存国にも対話への参加を働きかけることを提案したいのです。
核兵器禁止条約では、発効から1年以内に最初の締約国会合を開催することが定められていますが、私はこの会合に先立つ形で、「核兵器禁止条約フレンズ」を結成するのが望ましいと考えます。
締約国会合を開催する前の段階から、すべての国に開かれた対話の場を設けておくことが、条約を巡る意見の違いの溝を埋めていく上で大きな意味を持つと思うからです。
核保有国と非保有国との"橋渡し役"を目指してきた日本は、その対話の場の確保に尽力すべきではないでしょうか。
◇ICANによる新しい取り組み
核兵器禁止条約の交渉が進む最中に日本が立ち上げを表明し、これまで会合を重ねてきた「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」の提言では、核保有国、核依存国、非保有国の識者による議論を踏まえ、次のような共通認識が示されていました。
「核軍縮をめぐる停滞はとても擁護できるものではない」「国際社会は、立場の違いを狭め、また究極的には無くすため、直ちに行動しなければならない。すべての関係者は、たとえ異なる見方を持っていたとしても、核の危険を減らすために協働することができる」と。
日本がこの共通認識を土台に、核兵器禁止条約の第1回締約国会合のホスト国になることを表明したオーストリアなどの国々に協力し、「核兵器禁止条約フレンズ」の活動を後押しすることを呼び掛けたい。
このグループが、核兵器禁止条約の採択に尽力した赤十字国際委員会やICAN、平和首長会議をはじめとする諸団体と連携しながら、核保有国と非保有国との対話の機会を積極的に設けることが望ましいのではないでしょうか。
市民社会の間でも、核兵器禁止条約の基盤を強化するための新しい取り組みがスタートしています。
昨年11月から始まった「ICANシティーズ・アピール」の活動です。
すでに核保有国の間ではアメリカとイギリスの都市が、また核依存国の間ではカナダ、オーストラリア、スペインの都市が「ICANシティーズ・アピール」に参加しています。
ICANはこの活動で、核兵器禁止条約を支持する各国の自治体の連帯を広げることを目指す一方、市民の一人一人が主体となった行動を呼び掛けています。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を活用して、「#ICANSave」というハッシュタグを合言葉にしながら、"私たちの都市や町の住民は核兵器の脅威がない世界に住む権利を持つ"との思いを込めたメッセージを発信する取り組みです。
また、世界163カ国の7701都市が加盟する平和首長会議でも、すべての国に核兵器禁止条約の早期締結を呼び掛ける活動が行われています。
私は昨年の提言で、条約を支持する自治体の所在地を示す世界地図を作成することを提案しながら、こう訴えました。
「"私たち世界の民衆は、非道な核攻撃の応酬が引き起こされかねない状況を黙って甘受することはできない"とのグローバルな民意の重さを明確な形で示すことで、世界全体を非核の方向に向けていく挑戦を進めたい」
SGIでは、核兵器禁止条約の制定を目指して2017年まで進めた「核兵器廃絶への民衆行動の10年」に続いて、昨年から「民衆行動の10年」の第2期の活動を開始しました。
その主眼は、核兵器禁止条約への支持を広げて「核兵器のない世界」への軌道を確かなものにすることにあり、今後も他の団体と協力しながら、条約に対するグローバルな支持の拡大を力強く後押ししていきたいと思います。
◇第6条の誓約が盛り込まれた経緯
次に第二の提案として、核軍縮の大幅な前進を図るための方策について述べたい。
核兵器禁止条約に先駆ける形で制定され、全面的な核軍縮の交渉義務を定めたNPTが発効してから、来年で50周年を迎えます。
今や191カ国が参加し、軍縮に関する国際法の中で最も普遍的といわれるNPTですが、歴史を振り返れば、条約の交渉が始まった時には、非保有国の条約への参加は、ごくわずかなものに終わってしまう恐れがありました。
1962年のキューバ危機で核戦争の恐怖を痛感した米ソ両国は、当時、5カ国に広がった核拡散に歯止めをかけるため、NPTの草案を提出したものの、核軍縮に関する規定が入っていなかったからです。
その後、交渉の過程で、非保有国の主張を踏まえる形で、核保有国が完全な核軍縮に向けて誠実に交渉するという第6条の誓約が盛り込まれることになりました。つまり、核拡散への強い危機感を抱いていた核保有国に対し、非保有国が核軍縮の誓約を信頼して歩み寄る中で、NPTの体制をスタートさせることができたのです。
以来、半世紀が経ち、冷戦時代のピーク時に比べて核兵器の数は減少してきたとはいえ、いまだ世界には1万4465発の核兵器が存在するといわれます。
しかも、これまで核軍縮の条約が結ばれてきたのはアメリカとロシアの2国間のみで、多国間の枠組みを通じて廃棄された核兵器は一つもないのが現状です。
また、保有数ではなく性能の面からいえば、核兵器の近代化が進み、むしろ軍拡傾向が強まっていると言わざるを得ません。
この点、「平和不在」の病理の問題を考察していた物理学者のヴァイツゼッカー博士が、NPTの交渉が本格化する直前(67年7月)に、未来を見据えた懸念を述べていたことが思い起こされます。
「この種のあらゆる協定は、まだなんらかの不十分さを持っています。それらは、うまくいくばあいには、新たな危険源の発生を妨げ、共同作業の訓練として有効です。しかしそれらは、現存の軍備を撤廃しないで、個別に見るばあい、その中に横たわっているすべての未解決の問題とともに、現状を固定してしまいます」(『心の病としての平和不在』遠山義孝訳、南雲堂)
確かに、キューバ危機の後にケネディ大統領が恐れていた、核保有国が25カ国にまで増えるといった最悪の事態は、NPTの存在によって防ぐことができたといえましょう。
しかし核軍縮の面から総括してみれば、ヴァイツゼッカー博士が懸念していた通り、未解決の問題を抱えたままで現状を固定する傾向があったことは否めないのではないでしょうか。
冷戦終結後の95年にNPTの無期限延長が決まった際、その鍵を握ったのも、第6条の誓約だったことを想起する必要があります。
◇核兵器の削減方針を定める第4回軍縮特別総会を開催
この時の文書には、「NPTに規定される核軍縮に関する約束は、断固として履行されるべきである」と明記されており、無条件での延長を意味するものではなかったのです。
そうであればこそ、その後の2000年から15年までの4回にわたる再検討会議でも、第6条の履行を求める声が各国から繰り返し訴えられてきたのだといえましょう。
発効50周年の意義を持つ来年の再検討会議では、長年の停滞を破るためにNPT制定の原点に立ち返り、第6条の誓約に焦点を当てた討議を行うことが求められます。
その意味で私が着目したのは、昨年の準備委員会で北欧5カ国が出した声明です。
そこでは、中距離核戦力(INF)全廃条約を巡るアメリカとロシアの対立を念頭に置きつつ、「我々は力を合わせてNPTの妥当性を維持・強化し、その弱体化につながるいかなる措置も慎まねばならない」と述べ、"何が各国を結び付けているのか"に焦点を当てる必要があるとの主張がなされました。
また、2010年の再検討会議で共通認識として示された、「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の結果への深い懸念」に目を向けることを訴えていたのです。
フィンランドとスウェーデンのほか、北大西洋条約機構(NATO)に属するデンマーク、ノルウェー、アイスランドという核依存国が加わった声明で、こうした呼び掛けがされた意味は大きいと思います。
このNATOの加盟国が集まり、昨年10月に開催された大量破壊兵器の軍縮に関する年次会合で、国連の中満泉・軍縮担当上級代表が一つの提案をしました。
来年のNPT再検討会議の冒頭に、閣僚会合を行って政治宣言の採択を目指すことを、可能性のある選択肢として考慮に入れてもよいのではないかとの提案です。
この提案に、私も全面的に賛同します。
閣僚会合での宣言を通し、"NPTの何が各国を結び付けているのか"を改めて明確に示すことが大切だと思うからです。
NPTの前文には、核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払うことと、「核兵器の製造を停止し、貯蔵されたすべての核兵器を廃棄し、並びに諸国の軍備から核兵器及びその運搬手段を除去する」ために各国間の信頼を強化する重要性が記されています。
閣僚会合で、この前文の精神と、「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の結果への深い懸念」を再確認した上で、発効50周年を踏まえた宣言として、核軍縮を本格的に前に進める誓いを表明すべきではないでしょうか。
◇核抑止がもたらす本質的な危うさ
その上で私は、核軍縮への方向転換を明確に示すものとして、来年に行われるNPT再検討会議の最終文書において、「核兵器の役割低減」の具体的措置を討議する国連公開作業部会の設置勧告を盛り込むことを呼び掛けたい。
広島と長崎への原爆投下以降、73年にわたって「核兵器の不使用」という状況が続いてきたことに加え、近年は核保有国やNATOの間でも、核兵器の軍事的有用性が低下してきたことを認めるようになってきました。
冷戦終結前から叫ばれてきたように"核戦争に勝者はない"ことは明白であり、軍事的有用性の低下への認識も広がる中で、核兵器に安全保障を依存し続けなければならない理由は、どこにあるのでしょうか。
かつてヴァイツゼッカー博士が、「原爆を決して使う必要がないように願いながら、威嚇のために所有すること」は「絶壁の上でダンスをするようなもの」(前掲『心の病としての平和不在』)と警告していましたが、今もその状態は続いています。
他国に強い敵意を抱いていなくても、核兵器を即時に発射できる態勢を維持する限り、偶発的な事故に対する懸念は消えることはなく、その不安定さを常に強いるところに、核抑止の本質的な危うさがあると思えてなりません。
私は前半で、法華経の「三車火宅の譬え」に言及しましたが、各国の安全保障政策から"核抑止の本質的な危うさ"という炎を消していく道を、今こそ共に選び取るべき時を迎えているのではないでしょうか。
すべての核保有国が、まずは「安全保障における核兵器の役割低減」に取り組むことが重要になると訴えたいのです。
この役割低減において、最も緊急性が高い一方で、準備にさほど時間を要しないのが「高度警戒態勢」の解除です。
核兵器を常に発射できる状態に置く「高度警戒態勢」の解除は、先例がないわけではありません。冷戦を共に終結させたアメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ大統領が、1991年に相次いで行ったことがあるからです。
ブッシュ大統領は、すべての爆撃機と450基の大陸間弾道弾(ミニットマン�)、また原子力潜水艦10隻の搭載ミサイルの警戒態勢解除を指示しました。
これに続いてゴルバチョフ大統領も、500基の地上発射ミサイルと、6隻の原子力潜水艦を実戦配備から外しました。
こうした一連の措置を準備するのにかかったのは、わずか数日にすぎなかったといいます。
その先例が物語っているように、核保有国の政治的決断さえあれば、取り組みを開始できるのが「高度警戒態勢」の解除であり、これを段階的に進めるための討議を、核依存国や非保有国を交えた国連公開作業部会で行うべきではないでしょうか。
冷戦時代とは異なり、他国からの核攻撃という事態の現実味が薄れてきた今日において、多くの国の間で最も憂慮されているのは、偶発的な原因や人為的なエラーによる核爆発の事故に他なりません。
国連総会で先月採択された「高度警戒態勢」の解除を求める決議には、175カ国が賛成しています。
その幅広い支持を基盤に、「高度警戒態勢」の解除に踏み出すことは、核保有国にとっても意義は大きいと思うのです。
◇熱意と歩み寄りが合意形成に不可欠
こうしたリスクの低減は「水平的軍縮」と呼ばれるものですが、それに加えて、核兵器の保有数を実際に削減していく「垂直的軍縮」を進めることが、NPT第6条の義務に照らして不可欠の取り組みとなってきます。
そこで私は、来年のNPT再検討会議を受ける形で、国連の第4回軍縮特別総会を2021年に開催することを提案したい。
第4回軍縮特別総会で、多国間の核軍縮交渉の義務を再確認し、核兵器の大幅な削減と核兵器の近代化の凍結を含めた基本方針について定めた上で、2025年のNPT再検討会議に向けて多国間の核軍縮交渉を開始していくことを、呼び掛けたいのです。
もちろん、軍縮の合意は決して容易なものではないでしょう。第1回軍縮特別総会が1978年に行われた時も、多くの国が核軍縮を求める中、交渉の難航が続きました。
合意案を起草しても各国から意見が相次ぎ、異論のある箇所が多くの"括弧"で囲まれる状況で、それを解消できない限り、コンセンサスづくりは暗礁に乗り上げ、決議が見送られる恐れがあったのです。
そこで急遽、交渉の総責任者に指名されたメキシコのアルフォンソ・ガルシア・ロブレス元外相は、各国の代表に次のように呼び掛けました。
「昨日、新たな括弧が安易に加えられたが、このようなことはしないと紳士協定をしてほしい。まるで、機織りをするペネロペが織物を途中でほどいては織り直すギリシャ神話のようではないか」(木下郁夫『賢者ガルシアロブレス伝』社会評論社)と。
後にノーベル平和賞を受賞したガルシア・ロブレス元外相のこうした尽力が実り、最終的にはすべての"括弧"が解消された形で、最終文書が全会一致で採択されたのでした。
この最終文書は現在でも軍縮問題を討議する際の基礎になっていますが、第4回軍縮特別総会でも各国が熱意と歩み寄りをもって、核兵器をはじめとする多くの兵器の軍縮に関する合意を導くべきであると、私は呼び掛けたいのです。
また、第4回軍縮特別総会を行う際には、市民社会の代表による発言の場を十分に確保することを求めたいと思います。
国連総会で市民社会の代表の発言が初めて実現したのも、第1回軍縮特別総会でした。25に及ぶNGOと六つの研究機関の代表が、議場で発言したのです。
私自身、第1回軍縮特別総会に寄せて提言を発表したほか、第2回軍縮特別総会(82年)と第3回軍縮特別総会(88年)の時にも提言を行いました。
またSGIとして、第2回軍縮特別総会の際に"核の脅威展"を国連本部で開催しました。
広島と長崎での原爆被害の実態などを紹介した展示は反響を呼び、この特別総会での「世界軍縮キャンペーン」の採択を後押しするものともなりました。
以来、SGIでは、軍縮教育の推進にも力を入れてきましたが、第4回軍縮特別総会が行われる際にも、軍縮教育に関するシンポジウムなどを開催して、「核兵器のない世界」の建設を前に進めるために、市民社会からの発信に努めていきたいと思います。
◇安全保障環境を一変させる危険性
第三の提案は、AI兵器やロボット兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」を全面禁止する条約の制定です。
LAWSはいくつかの国で開発されている段階で、実戦配備には至っていません。
しかし、戦闘行為を自動化する兵器を導入する国がひとたび現れれば、核兵器の誕生にも匹敵するような世界の安全保障環境を一変させる事態になりかねないとの懸念が、国際社会の間で広がっています。
人間が戦闘に直接介さないことで軍事行動への垣根が格段に低くなり、国際人道法の精神が著しく損なわれる恐れもあるからです。
加えて、国連の「軍縮アジェンダ」の中で指摘されていた、LAWS特有の問題に目を向ける必要があります。
第2次世界大戦時に無人の攻撃機として使用された「V1ロケット」から、今も埋設されたままの地域が残る「対人地雷」まで、人間の操作を必要としない多くの兵器が開発され、使用されてきたものの、LAWSにはそれらの兵器とはまったく異なる危険性があるとして、次の問題が指摘されていたのです。
それは、AIに操作を依存するがゆえに、「予期しない行動や説明できない行動を起こす可能性」を常に抱えているという点です。
◇国連の特別代表を任命し水資源を守る体制を強化
私も以前、平和学者のケビン・クレメンツ博士との対談で、LAWSの規制を巡る非公式の専門家会合が2014年に国連で初開催されたことを受け、LAWSの危険性について語り合ったことがあります(『平和の世紀へ 民衆の挑戦』潮出版社)。
その際、私は、良心の呵責も逡巡も生じることなく自動的に攻撃を続けるロボット兵器には、人道的観点からも極めて重大な問題があることを訴えました。
その上で、惨事が引き起こされる前に、あらかじめ全面規制を図ることが急務であり、開発と配備を禁止する枠組みづくりを早急に進めるべきであると呼び掛けたのです。
クレメンツ博士も、NGOが進める「ストップ・キラーロボット」=注4=のキャンペーンに触れて、こう述べていました。
「こうした市民社会による運動や国連事務局、そして各国の外交関係者などの広範なアクター(行動主体)が積極的に連携を強めていくことが、この問題解決の大きなカギとなります」と。
◇国連に提出したSGIの声明
昨年4月に行われた政府専門家会合では、「兵器の使用に人間の判断が介在すること」の必要性を大多数の国が認めたほか、26カ国がLAWSの全面禁止を求めました。
私は、国連の「軍縮アジェンダ」における警告と、政府専門家会合で示された各国の懸念を基盤に、「LAWS禁止条約」の交渉会議を早期に立ち上げることを強く求めたい。
日本も昨年2月に、人間が関与しない完全自律型の兵器の開発を行う意思はないとの方針を示しています。また欧州議会が、国際規制の枠組みづくりの交渉を早急に開始することを呼び掛ける決議を9月に採択しました。
市民社会の間でも、「ストップ・キラーロボット」の活動に参加するNGOが、51カ国の89団体にまで広がっています。
SGIも昨年10月、国連総会第1委員会に代表が出席した際、二つの声明を同委員会に提出しました。
一つは、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などの信仰を基盤にした14の団体と個人の連名で出した「宗教コミュニティーによる共同声明」で、核兵器禁止条約の重要性とともに、LAWSを禁止するための多国間の議論を呼び掛けたものです。
そしてもう一つがSGIとしての独自の声明で、LAWSが深刻な軍事的脅威をもたらすだけでなく、「生命の権利」と「人間の自律と責任と尊厳に関する原則」を著しく脅かす存在に他ならないことを警告したものです。
もし、LAWSが規制されないまま、実際に使用される事態が起きた時、紛争の性格は根源から変わってしまうに違いありません。
そこでは、すでにドローン兵器の場合にみられるような、攻撃をする側と攻撃される側の人間が同じ空間にいないという"物理的な断絶性"に加えて、実際の戦闘行為が攻撃を意図した人間と完全に切り離されるという"倫理的な断絶性"が生じるからです。
◇ヴァイツゼッカー大統領の戦争体験
軍事的脅威の深刻さもさることながら、この"倫理的な断絶性"が何を意味するのかを考える時、私の胸に浮かんでくるのは、統一ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー初代大統領が自身の体験として紹介していた話です。
物理学者のヴァイツゼッカー博士の弟君でもある大統領とお会いしたのは、ドイツの統一から8カ月後(1991年6月)のことでした。
その際、戦時中に日本とドイツが経験した「閉じた社会」の危険性について語り合いましたが、大統領は回想録で次のような体験を紹介していました(『ヴァイツゼッカー回想録』永井清彦訳、岩波書店を引用・参照)。
——大統領は、西ドイツの議員を務めていた時期(73年)にソ連を初訪問し、レニングラード(現サンクトペテルブルク)にある墓地に足を運んだ。
そこは、第2次世界大戦中にドイツ軍による包囲戦で亡くなった大勢の人々が眠る場所だった。
その夜、会食会に出席した大統領は、あいさつに立った時、ソ連の人々の前で告白を始めた。
実は自分も、あの時の包囲戦に参加していたドイツ兵の一人であった、と。
思いもよらない言葉に、場内が沈黙に包まれる中、大統領は言葉を続けた。
「われわれはすべての前線、とりわけレニングラード市内における苦しみを充分承知していました。われわれ自身が体験したことを、子孫が決して繰り返してはなりません。われわれはそのために応分の責任を果たすべく、今ここにいるのです」
その率直な言葉に触れ、最初は沈黙していたソ連の人々も次第に心を開き、温かささえ感じる雰囲気に変わっていった——と。
翻って今後、紛争地域でLAWSが実際に使用された場合に、かつての敵同士のこうした対面は果たして成立するでしょうか。
自身が関わった行為に対する"深い悔恨"と、戦争に対する"やりきれない思い"、そして、次の世代のために平和な関係を築き直したいと切実に願う"一人の人間としての決意"が入る余地は、そこにあるでしょうか。
私も、大統領がソ連を初訪問した翌年(74年9月)に、そのレニングラードの墓地を訪れて献花し、平和の誓いを込めた祈りを捧げたことがあります。
ソ連滞在の最終日にコスイギン首相とお会いし、墓地に献花したことを伝えた時、首相は当時の包囲戦の苦しみを思い返すかのように、「あの時、私もレニングラードにいました」との言葉を発したきり、しばし沈黙されました。
しかしその瞬間から、コスイギン首相との胸襟を開いた対話が大きく進んだのです。世界が直面する課題に取り組むには、戦争という考えをまず捨てる必要がある——その思いを率直に語られた時のコスイギン首相の真摯な表情は、今も忘れることができません。
それだけに、ヴァイツゼッカー大統領とソ連の人々との心の交流が、どれほど得がたいものだったかを強く感じます。
ヴァイツゼッカー大統領はまた、戦時中の鮮烈な思い出をこう記していました(前掲『ヴァイツゼッカー回想録』)。
「戦線の両側では、自分の命を気遣い、したがって互いにとてもよく似た心配をしている人間同士が対峙していた」
「ある夜、長い列を組んで音もなく行進していた時のことだが、突然もう一つのきわめて静かな隊列が向こうからやってきた。互いの姿は見えなかったが、それでもこれがロシア人だということはすぐに分かった。双方の側とも冷静さを失わないことがなにより必要だった。われわれは沈黙のまま、互いに無傷でやり過ごした。殺し合うべきだったのだろうが、むしろ抱き合いたいくらいだった」
AIが制御する兵器において、敵味方に分かれた相手に対する複雑な思いや、「冷静さ」という言葉に込められた人間性の重みを感じて、一時的であれ、戦闘行為を踏みとどまることはあり得るのでしょうか。
もちろん、LAWSの規制においては、国際人道法の法的な観点——すなわち、「文民保護の原則」をはじめ、戦闘員であっても不必要な苦痛を与えることを禁じた「不必要な苦痛禁止の原則」、人道法の適用上の問題がないかを確認する「新しい兵器の検証義務」など——に照らした論議も重要でありましょう。
しかしその上で、ヴァイツゼッカー大統領の述懐が浮かび上がらせていたような、LAWSに潜む"倫理的な断絶性"に目を向けることを忘れてはならないと訴えたいのです。
このように核兵器とは別の意味で、攻撃される側の国にとっても、攻撃する側の国にとっても取り返しのつかない結果を招くのが、LAWSに他なりません。
LAWSの禁止を求める国々と、日本のように開発をしない意思表明をする国々が、「ストップ・キラーロボット」の活動に参加するNGOと協力して、LAWSの開発と使用を含めて全面禁止する条約の制定を、早急に目指すべきではないでしょうか。
◇世界人口の4割が水の不足に直面
続いて第四の提案として述べたいのは、国連のSDGsに関するもので、水資源の保護について具体的な提案を行いたい。
国連のSDGsでは目標の一つとして、すべての人々が安全で安価な水を飲むことができることを掲げています。しかし現在、21億人が安全な水を得ることができずにいるほか、世界の4割の人々が水不足の影響を受けています。
人口増加や経済成長、人々の消費行動の変化により、水の需要は全体的に増える一方で、アジア、アフリカ、中南米の河川では排水による水質の悪化がみられます。また、気候変動によって水循環に影響が生じ、雨が多い地域でさらに雨量が増え、乾燥地はますます乾燥するという現象も起きています。
こうしたグローバルな水危機を乗り越えるために、国連では昨年3月、国際行動の10年「持続可能な開発のための水」(通称「水の国際行動の10年」=注5=)を開始しました。
ニューヨークの国連本部での開幕式で、国連総会のマフムード・サイカル副議長が述べた言葉は、世界的な水不足の影響が不平等なものになっている状況を浮き彫りにしていました。
「この建物の中では、喉が渇いたままでいたり、口にする水で自分が病気になるかどうかを心配する人は誰もいないでしょう。そんな基本的なニーズを満たすために、誰も自分の尊厳や安全を危険にさらすことはない。これが私たちの現実です。しかし、世界中の多くの人々にとっては話が別なのです」と。
実際、身近な場所に安全な水を得る環境がないために、6億人以上の人々が整備されていない井戸をはじめ、池や川、湖などから水を汲んで利用する生活を送っています。
そのため、多くの女性や子どもたちが、長時間、重さに耐えながら水を運ぶことを強いられています。
また、不衛生な水のために病気になることも少なくなく、毎年、大勢の子どもたちが命を落としているのです。
その意味で、安全な水の確保は貧困や格差の問題にとどまるものではない。健康上の不安や水運びの負担を日々感じることなく、尊厳をもって生きるという「基本的な人権」に深く関わる問題に他なりません。
生活用水の不足に悩むことなく、安全な水を飲むことのできるありがたさは、突然の災害に見舞われた時に、先進国の人々の間でも強く実感されてきたことではないでしょうか。
水に関する権利は、女子差別撤廃条約や子どもの権利条約などで明記されたほか、2010年の国連総会決議で「生命及びすべての人権の完全な享受のために不可欠な人権」と位置付けられ、国連人権理事会の決議でも重要性が確認されてきたものです。
そこで私は、SDGsの主要な目標であり、人間の生命と生活と尊厳を守る基盤となる安全な水の確保をグローバルな規模で図るために、国連に「水資源担当の特別代表」のポストを設けることを提案したい。
◇SDGsの達成を目指し世界の大学が協力を促進
国連には現在、水問題に特化した専門機関はありませんが、UNウオーターという、水問題に関連する30以上の国際機関から構成されるグループがあります。
私は、国連事務総長によって新たに任命された水資源担当の特別代表が、UNウオーターに属する諸機関と力を合わせながら、成功事例の共有をはじめ、技術移転に関するパートナーシップの構築を各国に働きかけていってはどうかと考えるのです。
その具体策の一つとして、水資源担当の特別代表を中心に、「水の国際行動の10年に関する国連会合」を定期的に開催することを、併せて呼び掛けたい。
国連と世界銀行が招集した11カ国の首脳らによる「水に関するハイレベル・パネル」の報告書でも、こうした会議を毎年もしくは隔年で行うことを提唱していました。国連会合の定期開催を通じて、私が前半で論じたような「人間中心の多国間主義」のアプローチを、水資源の分野において定着させることが強く望まれると思うのです。
国連のグテーレス事務総長も、自らがポルトガルの首相を務めた時期に成立したスペインとの水管理の条約をはじめ、インドとパキスタン、ボリビアとペルーの事例を挙げながら、水が「紛争ではなく、協力を促す存在」となってきたことを強調していました。
世界には、286にのぼる国境を接する河川と湖沼流域があるほか、国境をまたぐ帯水層も592を数えます。こうした中、3割近くの越境河川で、流域に面する国々が共同で水資源を管理する枠組みがつくられてきました。
残りの越境河川でも、特別代表とUNウオーターの諸機関が支援する形で同様の枠組みづくりを進め、水の安定的な供給と水質の保護を図るべきではないでしょうか。
◇中東やアフリカで水の再利用を図る
水問題に関してもう一つ提案したいのは、淡水資源が将来的に不足する懸念を踏まえ、「水の再利用」や「海水の淡水化」などの分野で、水問題に関する豊かな経験と技術を持つ日本などの国々が積極的に貢献を果たしていくことです。
日本はこれまで水分野での国際協力として、インフラの整備や人材育成など、多くの国にハードとソフトの両面から包括的な支援を行い、近年は、水と衛生の分野での世界トップの援助国となってきました。
また日本には、水資源の分野における技術交流を、韓国や中国との間で長年にわたって続けてきた実績があります。韓国とは1978年から協力会議を開催し、中国とも85年から交流会議を重ねてきました。
昨年には、日中韓水担当大臣会合も行われ、3カ国が経験の共有などを図り、水問題に関するSDGsの目標の達成に向けて協力することを約し合いました。
私は、日本がこうした実績を基盤に、北東アジアにおける水問題の改善と地域の信頼醸成に努めるとともに、韓国や中国とも連携する形で、「水の再利用」や「海水の淡水化」のニーズが高い中東諸国やアフリカ諸国への支援を進めることを提案したいのです。
今年の8月には、第7回アフリカ開発会議=注6=が横浜で開催されます。
6年前に行われた第5回会議では、アフリカの約1000万人が安全な水を飲むことができるようにするための支援の継続や、1750人の水道技術者の人材育成を支援することなどが打ち出されました。
今回の会議で、日本がその取り組みの強化と併せて、「水の再利用」や「海水の淡水化」をアフリカ諸国で推進するための基本計画をまとめることを、私は呼び掛けたい。
日本は安全な水に恵まれた国である一方、昨年の世界リスク報告書によると、災害へのさらされやすさが世界で5番目に高いと指摘されています。
災害時に切実に必要とされるのが安全な水であり、日本はそうした面からも、安全な水の確保に苦しんでいる世界の人々を救うために、「人間中心の多国間主義」のリーダーシップを発揮できることがあるのではないでしょうか。
◇女性の笑顔広げるエンパワーメント
SGIとしても、市民社会の側から「水の国際行動の10年」を支援する一環として、水問題の影響を日常的に強く受けている女性に焦点を当てた、「命を守る水と女性」展(仮称)を、今後開催していきたい。
水道設備が身近にないために、低所得国の女性や少女が1年間に水汲みの作業に費やす時間の合計は約400億時間にも及ぶといわれ、その負担は非常に大きなものになっています。
水汲みのために歩く道には危険な場所も多く、また重い水を毎日運ぶために、体を痛めてしまう女性も少なくありません。安全な水を確保する環境が整えば、そうした問題が改善されるだけでなく、女性が他の仕事に就くことができたり、多くの少女が学校に通えるようになり、女性のエンパワーメント(内発的な力の開花)につながる道が開けてくるのです。
展示では、こうした女性を取り巻く状況とともに、水問題の解決のために行動する女性たちの姿も取り上げていきたいと思います。
国連でジェンダー平等と女性のエンパワーメントに取り組むUNウィメンは、その一つの事例として、タジキスタンのある女性の行動を紹介しています。
彼女は夫を亡くし、5人の子どもを育てながら、川から水を汲むために何時間も歩かねばならない生活を送っていました。
水の問題で悩む村人の多くが"状況は変わらない"と絶望する中、彼女は友人とグループを結成して行動を開始しました。複数のNGOからの支援を受け、村人も総動員して14キロに及ぶ水道管を引いた結果、3000人以上の村人たちが安全な水を飲むことができるようになったのです。
彼女は語っています。
「これは私たちの小さな勝利です。自分たちの生活をさらに向上したいと思っています。小規模な農園や温室を作る計画もあります。成功する自信があります」(UN Women日本事務所のウェブサイト)
こうした女性たちの笑顔の広がりこそが、SDGsの前進を何よりも物語るものになると、私は考えるのです。
国連本部で行われた「水の国際行動の10年」の開幕式で、市民社会の代表として発言したのも13歳の少女でした。
カナダに住む先住民で、水と環境を保護する活動をしてきたオータム・ペルティエさんは、「私たちは、必要な時に水を飲む権利があります。それは、豊かな人だけでなく、すべての人々の権利です」と訴えました。
その上で彼女は、「子どもたちが誰一人として、きれいな水とは何か、水道から流れる水がどんなものかを知らないまま、育つようなことがあってはなりません」と強調し、「今こそ勇気を奮い起こし、地球を守るために、お互いをエンパワーする時です」と呼び掛けました。
SGIとしても、水資源の保護を通じて人間と地球を守る行動の輪を市民社会で広げるために、「命を守る水と女性」をテーマにした展示を行い、水問題の解決を後押ししていきたいと決意するものです。
◇17の目標を担う中心拠点を発表
最後に第五の提案として述べたいのは、世界の大学をSDGsの推進拠点にする流れを強めることです。
国連と世界の大学を結ぶ「国連アカデミック・インパクト」が2010年に発足してから、加盟大学は約140カ国、1300校以上に広がっています。
このアカデミック・インパクトが昨年10月、注目すべき発表を行いました。
国連のSDGsの17の目標について、各分野で模範となる活動をしている世界の17大学を選び、ハブ(中心拠点)の役割を担う大学として任命したのです。
例えば、目標2の「飢餓をゼロに」では、南アフリカのプレトリア大学が選ばれました。
プレトリア大学は、食糧問題や栄養に関する研究所を擁し、アフリカ諸国や国際機関と協力して研究を進めてきたほか、食糧安全保障をテーマにした国際会議を数年にわたって共同開催してきました。授業でも、SDGsのさまざまな指標に沿う形で、全学部のカリキュラムを考慮することが優先されています。
目標5の「ジェンダー平等」では、スーダンのアッファード女子大学が任命されました。女性が地域や国で活躍することを目指す教育が進められ、「ジェンダーと開発」「ジェンダーと平和研究」など、ジェンダーを専門とする四つの修士課程が開設されています。
目標16の「平和と公正」では、イギリスのデ・モントフォート大学が選ばれました。難民や移民との共生を目指す国連のキャンペーンで主導的な役割を担う大学として、難民の若者たちに教育の機会を提供するとともに、難民と移民の尊厳を守る重要性を訴え、難民の人たちの体験を記録し、共有するプロジェクトを推進しています。
日本の大学では、目標9の「産業と技術革新」の分野で、長岡技術科学大学が任命されました。
これらの17大学が3年間の任期を通し、SDGsのそれぞれの目標の取り組みを牽引していくことが期待されているのです。
国連広報局でアカデミック・インパクトの責任者を務めるラム・ダモダラン氏は、「学問は他者を利し、学生は何かを生み出す。SDGsに取り組んでいる大学ほど、この組み合わせが効果的で劇的に作用している場所はない」と強調していますが、私もまた、大学が持つ限りない可能性を強く感じてなりません。
大学には社会の"希望と安心の港"としての力が宿っており、その力を人類益のために発揮する意義は、極めて大きいのです。
そこで私が呼び掛けたいのは、この17大学を中心に"SDGs支援の旗"を力強く掲げる大学の輪をさらに広げることです。
アカデミック・インパクトの加盟大学をはじめ、多くの大学が、力点を置くSDGsの目標を表明して、意欲的な挑戦を行うキャンペーンを進めていってはどうでしょうか。
また、同じ分野に取り組む大学間の協力を推進し、学生のグローバルな連帯を広げる意義を込めて、国連創設75周年を迎える来年に「SDGsのための世界大学会議」を開催することを提案したい。
青年の役割を重視する国連の「ユース2030」の戦略では、創設75周年などで国連のサミットが行われる際に青年の声を強めることや、国連事務総長と青年との定期的な対話の場を設けることを促しています。
その一環として、各国の教育者と学生の代表が参加する世界大学会議を開催し、SDGs推進の機運を高めるとともに、「国連事務総長と学生との対話フォーラム」を実現してはどうかと思うのです。
◇創価大学とSUAの意欲的な活動
これまで私は、創価大学の創立者として「大学交流の推進」に力を入れるとともに、世界の諸大学の総長や学長と「大学の社会的使命」を巡る対話を重ねてきました。
17大学の一つに選ばれたアルゼンチンのブエノスアイレス大学とも交流があり、長年にわたり総長を務めたオスカル・シュベロフ氏とお会いした時には、積年の思いを次のように述べたことがあります。
「私は『大学間の交流』によって、世界のよりよき将来のために『新しい知恵』と『新しい価値』が生まれてくると期待しています。対話と相互理解のなかからこそ、何らかの『新しい力』と『新しい理想の方向性』が創造されると信ずるからです」
その際、シュベロフ氏が「世界の大学は共通の課題をかかえています。その解決のために、各大学は力を合わすべきです」と共感を寄せてくださり、「教育者は、一番困っている人に手を差し伸べるべきだ」との信念を語っておられたことが深く胸に残っています。
創価大学はアカデミック・インパクトの一員として、活動の柱となる10原則のうち、「人々の国際市民としての意識を高める」「平和、紛争解決を促す」「貧困問題に取り組む」「持続可能性を推進する」「異文化間の対話や相互理解を促進し、不寛容を取り除く」の五つの原則を中心に取り組んできました。
その上で、SDGsがスタートした16年以降は、国連難民高等弁務官事務所と「難民高等教育プログラム」の協定を結び、難民の学生を受け入れてきたほか、国連開発計画や国連食糧農業機関との協定に調印し、交流を進めています。
授業の面では、SDGsとつながりの深い平和・環境・開発・人権の分野からなる「世界市民教育科目群」を昨年設置しました。
このほか、持続可能な循環型社会の構築をはじめ、SDGsに関連するさまざまな研究に積極的に取り組んでいます。
アメリカ創価大学(SUA)でも、地球的な課題に関する教育に力を入れてきました。
学生が主体となって探究したいテーマを決めてクラスごとに共同研究や実地調査を行う、「ラーニング・クラスター」という伝統の教育プログラムがあるほか、ニューヨークの国連本部などで実施する研修の機会が設けられています。
また、国連の「国際非暴力デー」にあわせる形で、14年から毎年、「平和の文化と非暴力」会議を開催してきました。
私は2006年に発表した国連提言で、世界の大学が社会的使命の一つとして「国連支援の拠点」の機能を担うことを呼び掛けながら、国連の未来図を次のように提起したことがあります。学生や大学が「点」となり、それをつなぐネットワークが「線」となって、やがては国連支援の輪という「面」が地球全体に広がっていく——と。
その大学の輪は、アカデミック・インパクトの枠組みを通じて、世界1300以上の大学にまで広がりをみせています。
今回の拠点大学の発表を新たな契機として、世界のより多くの大学がSDGsの推進のためにさらに力を注ぎ、それぞれが積み上げてきた経験を共有しながら、誰も置き去りにしない地球社会を築くための行動の連帯を強めていくべきではないでしょうか。
◇三つの柱を軸に世界市民教育を
SGIでも、国連支援の活動の柱としてきた「世界市民教育」を通して、SDGsの推進のために積極的な役割を果たしていきたいと考えています。
これまでSGIが地球的な課題に関する展示を行ってきた会場の多くは、世界各地の大学であり、その中には、拠点大学に選ばれたノルウェーのベルゲン大学も含まれています。
大学こそ問題解決のための英知を結集し、新しいアプローチを育む揺籃であり、時代変革への力強いエネルギーは青年、なかんずく学生たちから生まれると確信するからです。
昨年6月、人権活動家のエスキベル博士との共同声明の発表が行われた場で、その共同声明を壇上で受け取ったのは二人の学生であり、その翌日に共同声明を巡る「青年の集い」を開催した場所も、ローマの学生街にある会場でした。
共同声明で私と博士は、「世界市民教育を通じた青年のエンパワーメント」の推進を提唱し、その柱として次の3点を挙げました。
�悲惨な出来事を繰り返さないため、「歴史の記憶」を胸に共通の意識を養う。
�地球は本来、人間が「共に暮らす家」であり、差異による排除を許してはならないことを学ぶ。
�政治や経済を"人道的な方向"へと向け、持続可能な未来を切り開くための英知を磨く。
今後も世界の大学との連携を深めながら、SDGsに関する意識啓発の展示などを行い、この3点に基づいた「世界市民教育」の裾野を着実に広げていきたいと思います。
ローマの学生街で「青年の集い」が開催された日(6月6日)は、くしくも創価学会の牧口初代会長の誕生日でありました。
創価学会とSGIの源流には牧口会長の教育思想がありますが、その要諦をなすメッセージは次のように綴られています。
「目的観の明確なる理解の上に築かれる教育こそ、やがては全人類がもつ矛盾と懐疑を克服するものであり、人類の永遠の勝利を意味するものである」(『牧口常三郎全集』第8巻、第三文明社。現代表記に改めた)
SGIは、この教育が持つ限りない可能性をどこまでも信じ、青年のエンパワーメントを通して、すべての人々が尊厳を輝かせて生きられる「持続可能で平和な地球社会」の建設に邁進していく決意です。
語句の解説
注4 ストップ・キラーロボット
キラーロボット(殺傷ロボット)などの「自律型致死兵器システム(LAWS)」の開発と使用の禁止を求め、2013年4月に発足した市民社会の国際的なネットワーク。人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチが調整役を務め、アムネスティ・インターナショナルやパグウォッシュ会議などの多くのNGOが活動に参加。SGIもメンバーとして名を連ねている。
注5 水の国際行動の10年
水資源の持続可能な開発と統合的な管理をはじめ、国際的に合意された水関連の目標の達成などを目指して、2018年から28年まで進められる取り組み。1981年から90年までの「国際飲料水の10年」と、2005年から15年までの「『命のための水』国際の10年」に続く、水に関する第3次の国際10年となっている。
注6 第7回アフリカ開発会議
日本が主導する形で1993年から継続的に行われてきた国際会議で、今年8月の横浜での開催で第7回となる。前回の会議は2016年にケニアのナイロビで行われ、アフリカ諸国の「オーナーシップ」と国際社会による「パートナーシップ」の重要性が提唱された。アフリカの国々だけでなく、国連や世界銀行などの国際機関や、アジア諸国、民間企業、市民社会なども議論に参加する枠組みとなっている。
創価後継の証しとは
ただ後に続くのではなく
道なき道を開くことだ。
青年ならば先駆者たれ!
新池殿御消息 P1436
『況や法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候なり』
【通解】
ましてや法華経の行者を供養された功徳は、無量無辺の仏を供養される功徳よりも勝れているのである。
〈寸鉄〉 2019年2月5日
平和貢献のSGIは「対話の宗教」—識者。友情を結ぶ語らいに今日も全力
青春に失敗という言葉はない—作家。全て成長の糧に。決意即行動で走れ
インフルエンザの患者数が最多。いまだ油断禁物だ。マスク・手洗い等徹底
交流サイト、見知らぬ人からの友達申請に注意。詐欺や悪徳業者が増加と
公明が若者の声聞く「政策アンケート」。声を形にする実現力で勝負せよ!
☆第44回「SGIの日」記念提言(下) 「平和と軍縮の新しき世紀を」 2019年1月27日
◇有志国によるグループを結成し核兵器禁止条約の参加を拡大
◇日本は批准に向けた努力と対話の場を確保する貢献を
続いて、平和と軍縮を巡る喫緊の課題を解決するための具体策と、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の取り組みを前進させるための方策について、5項目の提案を行いたい。
第一の提案は、核兵器禁止条約の早期発効と参加国の拡大に関するものです。
核兵器禁止条約が採択されて以来、これまで国連加盟国の3分の1以上にあたる70カ国が署名し、20カ国が批准を終えました。
条約の発効要件である50カ国の批准には、まだ及んではいませんが、化学兵器や生物兵器の禁止条約の場合と比べても、批准国の拡大は着実に進みつつあるといえます。
加えて注目すべきは、条約にまだ参加していない国も含めて世界の8割近くの国々が、条約の禁止事項に沿った安全保障政策を実施しているという事実です。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営団体の一つである「ノルウェー・ピープルズエイド」によると、核兵器の開発・実験・生産・製造・取得・保有・貯蔵から、移譲と受領、使用とその威嚇、違反行為を援助することや援助を受けること、配備とその許可について、すでに155カ国が禁止状態にあるといいます。
つまり、世界の圧倒的多数の国が「核兵器に依存しない安全保障」の道を歩むことで、すでに核兵器禁止条約の中核的な規範を受け入れている状況がみられるのです。この基盤の上に、条約の発効と参加国の拡大を通じて、核兵器禁止に関する規範の普遍化を図ることが待たれます。
その一方で、核兵器禁止条約の採択によって、核問題に関する国際的な枠組みを提供してきた核拡散防止条約(NPT)の協力体制に、深い溝が生じかねないとの声も聞かれます。
しかし実際には、二つの条約が目指すゴールは同じであって、核兵器禁止条約はNPTを決して損ねるものではなく、むしろ、NPT第6条が定める「核軍縮交渉の誠実な履行」の義務に新たな息吹を注ぎ込む意義を有している点に、目を向けるべきではないでしょうか。
◇唯一の戦争被爆国が果たすべき使命
そこで私は、核兵器禁止条約の採択に至るプロセスの中で積み上げられてきた議論を、今後も深化させながら、各国の条約参加の機運を高めていくための有志国のグループを結成することを提案したい。
具体的には、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効促進のために活動してきた「CTBTフレンズ」と呼ばれるグループにならう形で、「核兵器禁止条約フレンズ」を結成してはどうでしょうか。
CTBTフレンズは、日本とオーストラリアとオランダが2002年に発足させたもので、2年ごとに外相会合を開催し、昨年の第9回会合には約70カ国が参加しました。
特筆すべきは、これまで外相会合に参加した国が核保有国と核依存国と非保有国のすべてにわたっており、署名・批准の有無に関係なく多くの国が討議に加わってきた点です。
この討議が重ねられる中、外相会合への参加後に条約の批准を果たした国もみられます。また、批准後に外相会合に参加して、他の発効要件国に対し、条約への参加を呼び掛ける国も現れています。
このほか、未批准国のアメリカからケリー国務長官(当時)やペリー元国防長官が、外相会合に参加したこともありました。
その際、ペリー氏から、1970年代に"ソ連がICBM(大陸間弾道弾)を発射した"との誤情報に惑わされた時の体験が語られるなど、核兵器を巡る教訓が共有される場ともなってきたのです。
こうした経験を生かす形で、核兵器禁止条約においても同様のグループを結成し、条約に対する立場の違いを超えて、対話を継続的に行う場にしていくべきではないでしょうか。
そして、そのグループの活動に日本が加わり、貢献していくことを強く呼び掛けたい。
私は、唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器禁止条約を支持し、批准を目指すべきであると訴え続けてきました。
CTBTフレンズの中核を担ってきた日本が、まずは「核兵器禁止条約フレンズ」の結成に協力した上で、自国の条約参加に向けた課題の克服に努めるとともに、他の核依存国にも対話への参加を働きかけることを提案したいのです。
核兵器禁止条約では、発効から1年以内に最初の締約国会合を開催することが定められていますが、私はこの会合に先立つ形で、「核兵器禁止条約フレンズ」を結成するのが望ましいと考えます。
締約国会合を開催する前の段階から、すべての国に開かれた対話の場を設けておくことが、条約を巡る意見の違いの溝を埋めていく上で大きな意味を持つと思うからです。
核保有国と非保有国との"橋渡し役"を目指してきた日本は、その対話の場の確保に尽力すべきではないでしょうか。
◇ICANによる新しい取り組み
核兵器禁止条約の交渉が進む最中に日本が立ち上げを表明し、これまで会合を重ねてきた「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」の提言では、核保有国、核依存国、非保有国の識者による議論を踏まえ、次のような共通認識が示されていました。
「核軍縮をめぐる停滞はとても擁護できるものではない」「国際社会は、立場の違いを狭め、また究極的には無くすため、直ちに行動しなければならない。すべての関係者は、たとえ異なる見方を持っていたとしても、核の危険を減らすために協働することができる」と。
日本がこの共通認識を土台に、核兵器禁止条約の第1回締約国会合のホスト国になることを表明したオーストリアなどの国々に協力し、「核兵器禁止条約フレンズ」の活動を後押しすることを呼び掛けたい。
このグループが、核兵器禁止条約の採択に尽力した赤十字国際委員会やICAN、平和首長会議をはじめとする諸団体と連携しながら、核保有国と非保有国との対話の機会を積極的に設けることが望ましいのではないでしょうか。
市民社会の間でも、核兵器禁止条約の基盤を強化するための新しい取り組みがスタートしています。
昨年11月から始まった「ICANシティーズ・アピール」の活動です。
すでに核保有国の間ではアメリカとイギリスの都市が、また核依存国の間ではカナダ、オーストラリア、スペインの都市が「ICANシティーズ・アピール」に参加しています。
ICANはこの活動で、核兵器禁止条約を支持する各国の自治体の連帯を広げることを目指す一方、市民の一人一人が主体となった行動を呼び掛けています。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を活用して、「#ICANSave」というハッシュタグを合言葉にしながら、"私たちの都市や町の住民は核兵器の脅威がない世界に住む権利を持つ"との思いを込めたメッセージを発信する取り組みです。
また、世界163カ国の7701都市が加盟する平和首長会議でも、すべての国に核兵器禁止条約の早期締結を呼び掛ける活動が行われています。
私は昨年の提言で、条約を支持する自治体の所在地を示す世界地図を作成することを提案しながら、こう訴えました。
「"私たち世界の民衆は、非道な核攻撃の応酬が引き起こされかねない状況を黙って甘受することはできない"とのグローバルな民意の重さを明確な形で示すことで、世界全体を非核の方向に向けていく挑戦を進めたい」
SGIでは、核兵器禁止条約の制定を目指して2017年まで進めた「核兵器廃絶への民衆行動の10年」に続いて、昨年から「民衆行動の10年」の第2期の活動を開始しました。
その主眼は、核兵器禁止条約への支持を広げて「核兵器のない世界」への軌道を確かなものにすることにあり、今後も他の団体と協力しながら、条約に対するグローバルな支持の拡大を力強く後押ししていきたいと思います。
◇第6条の誓約が盛り込まれた経緯
次に第二の提案として、核軍縮の大幅な前進を図るための方策について述べたい。
核兵器禁止条約に先駆ける形で制定され、全面的な核軍縮の交渉義務を定めたNPTが発効してから、来年で50周年を迎えます。
今や191カ国が参加し、軍縮に関する国際法の中で最も普遍的といわれるNPTですが、歴史を振り返れば、条約の交渉が始まった時には、非保有国の条約への参加は、ごくわずかなものに終わってしまう恐れがありました。
1962年のキューバ危機で核戦争の恐怖を痛感した米ソ両国は、当時、5カ国に広がった核拡散に歯止めをかけるため、NPTの草案を提出したものの、核軍縮に関する規定が入っていなかったからです。
その後、交渉の過程で、非保有国の主張を踏まえる形で、核保有国が完全な核軍縮に向けて誠実に交渉するという第6条の誓約が盛り込まれることになりました。つまり、核拡散への強い危機感を抱いていた核保有国に対し、非保有国が核軍縮の誓約を信頼して歩み寄る中で、NPTの体制をスタートさせることができたのです。
以来、半世紀が経ち、冷戦時代のピーク時に比べて核兵器の数は減少してきたとはいえ、いまだ世界には1万4465発の核兵器が存在するといわれます。
しかも、これまで核軍縮の条約が結ばれてきたのはアメリカとロシアの2国間のみで、多国間の枠組みを通じて廃棄された核兵器は一つもないのが現状です。
また、保有数ではなく性能の面からいえば、核兵器の近代化が進み、むしろ軍拡傾向が強まっていると言わざるを得ません。
この点、「平和不在」の病理の問題を考察していた物理学者のヴァイツゼッカー博士が、NPTの交渉が本格化する直前(67年7月)に、未来を見据えた懸念を述べていたことが思い起こされます。
「この種のあらゆる協定は、まだなんらかの不十分さを持っています。それらは、うまくいくばあいには、新たな危険源の発生を妨げ、共同作業の訓練として有効です。しかしそれらは、現存の軍備を撤廃しないで、個別に見るばあい、その中に横たわっているすべての未解決の問題とともに、現状を固定してしまいます」(『心の病としての平和不在』遠山義孝訳、南雲堂)
確かに、キューバ危機の後にケネディ大統領が恐れていた、核保有国が25カ国にまで増えるといった最悪の事態は、NPTの存在によって防ぐことができたといえましょう。
しかし核軍縮の面から総括してみれば、ヴァイツゼッカー博士が懸念していた通り、未解決の問題を抱えたままで現状を固定する傾向があったことは否めないのではないでしょうか。
冷戦終結後の95年にNPTの無期限延長が決まった際、その鍵を握ったのも、第6条の誓約だったことを想起する必要があります。
◇核兵器の削減方針を定める第4回軍縮特別総会を開催
この時の文書には、「NPTに規定される核軍縮に関する約束は、断固として履行されるべきである」と明記されており、無条件での延長を意味するものではなかったのです。
そうであればこそ、その後の2000年から15年までの4回にわたる再検討会議でも、第6条の履行を求める声が各国から繰り返し訴えられてきたのだといえましょう。
発効50周年の意義を持つ来年の再検討会議では、長年の停滞を破るためにNPT制定の原点に立ち返り、第6条の誓約に焦点を当てた討議を行うことが求められます。
その意味で私が着目したのは、昨年の準備委員会で北欧5カ国が出した声明です。
そこでは、中距離核戦力(INF)全廃条約を巡るアメリカとロシアの対立を念頭に置きつつ、「我々は力を合わせてNPTの妥当性を維持・強化し、その弱体化につながるいかなる措置も慎まねばならない」と述べ、"何が各国を結び付けているのか"に焦点を当てる必要があるとの主張がなされました。
また、2010年の再検討会議で共通認識として示された、「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の結果への深い懸念」に目を向けることを訴えていたのです。
フィンランドとスウェーデンのほか、北大西洋条約機構(NATO)に属するデンマーク、ノルウェー、アイスランドという核依存国が加わった声明で、こうした呼び掛けがされた意味は大きいと思います。
このNATOの加盟国が集まり、昨年10月に開催された大量破壊兵器の軍縮に関する年次会合で、国連の中満泉・軍縮担当上級代表が一つの提案をしました。
来年のNPT再検討会議の冒頭に、閣僚会合を行って政治宣言の採択を目指すことを、可能性のある選択肢として考慮に入れてもよいのではないかとの提案です。
この提案に、私も全面的に賛同します。
閣僚会合での宣言を通し、"NPTの何が各国を結び付けているのか"を改めて明確に示すことが大切だと思うからです。
NPTの前文には、核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払うことと、「核兵器の製造を停止し、貯蔵されたすべての核兵器を廃棄し、並びに諸国の軍備から核兵器及びその運搬手段を除去する」ために各国間の信頼を強化する重要性が記されています。
閣僚会合で、この前文の精神と、「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の結果への深い懸念」を再確認した上で、発効50周年を踏まえた宣言として、核軍縮を本格的に前に進める誓いを表明すべきではないでしょうか。
◇核抑止がもたらす本質的な危うさ
その上で私は、核軍縮への方向転換を明確に示すものとして、来年に行われるNPT再検討会議の最終文書において、「核兵器の役割低減」の具体的措置を討議する国連公開作業部会の設置勧告を盛り込むことを呼び掛けたい。
広島と長崎への原爆投下以降、73年にわたって「核兵器の不使用」という状況が続いてきたことに加え、近年は核保有国やNATOの間でも、核兵器の軍事的有用性が低下してきたことを認めるようになってきました。
冷戦終結前から叫ばれてきたように"核戦争に勝者はない"ことは明白であり、軍事的有用性の低下への認識も広がる中で、核兵器に安全保障を依存し続けなければならない理由は、どこにあるのでしょうか。
かつてヴァイツゼッカー博士が、「原爆を決して使う必要がないように願いながら、威嚇のために所有すること」は「絶壁の上でダンスをするようなもの」(前掲『心の病としての平和不在』)と警告していましたが、今もその状態は続いています。
他国に強い敵意を抱いていなくても、核兵器を即時に発射できる態勢を維持する限り、偶発的な事故に対する懸念は消えることはなく、その不安定さを常に強いるところに、核抑止の本質的な危うさがあると思えてなりません。
私は前半で、法華経の「三車火宅の譬え」に言及しましたが、各国の安全保障政策から"核抑止の本質的な危うさ"という炎を消していく道を、今こそ共に選び取るべき時を迎えているのではないでしょうか。
すべての核保有国が、まずは「安全保障における核兵器の役割低減」に取り組むことが重要になると訴えたいのです。
この役割低減において、最も緊急性が高い一方で、準備にさほど時間を要しないのが「高度警戒態勢」の解除です。
核兵器を常に発射できる状態に置く「高度警戒態勢」の解除は、先例がないわけではありません。冷戦を共に終結させたアメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ大統領が、1991年に相次いで行ったことがあるからです。
ブッシュ大統領は、すべての爆撃機と450基の大陸間弾道弾(ミニットマン�)、また原子力潜水艦10隻の搭載ミサイルの警戒態勢解除を指示しました。
これに続いてゴルバチョフ大統領も、500基の地上発射ミサイルと、6隻の原子力潜水艦を実戦配備から外しました。
こうした一連の措置を準備するのにかかったのは、わずか数日にすぎなかったといいます。
その先例が物語っているように、核保有国の政治的決断さえあれば、取り組みを開始できるのが「高度警戒態勢」の解除であり、これを段階的に進めるための討議を、核依存国や非保有国を交えた国連公開作業部会で行うべきではないでしょうか。
冷戦時代とは異なり、他国からの核攻撃という事態の現実味が薄れてきた今日において、多くの国の間で最も憂慮されているのは、偶発的な原因や人為的なエラーによる核爆発の事故に他なりません。
国連総会で先月採択された「高度警戒態勢」の解除を求める決議には、175カ国が賛成しています。
その幅広い支持を基盤に、「高度警戒態勢」の解除に踏み出すことは、核保有国にとっても意義は大きいと思うのです。
◇熱意と歩み寄りが合意形成に不可欠
こうしたリスクの低減は「水平的軍縮」と呼ばれるものですが、それに加えて、核兵器の保有数を実際に削減していく「垂直的軍縮」を進めることが、NPT第6条の義務に照らして不可欠の取り組みとなってきます。
そこで私は、来年のNPT再検討会議を受ける形で、国連の第4回軍縮特別総会を2021年に開催することを提案したい。
第4回軍縮特別総会で、多国間の核軍縮交渉の義務を再確認し、核兵器の大幅な削減と核兵器の近代化の凍結を含めた基本方針について定めた上で、2025年のNPT再検討会議に向けて多国間の核軍縮交渉を開始していくことを、呼び掛けたいのです。
もちろん、軍縮の合意は決して容易なものではないでしょう。第1回軍縮特別総会が1978年に行われた時も、多くの国が核軍縮を求める中、交渉の難航が続きました。
合意案を起草しても各国から意見が相次ぎ、異論のある箇所が多くの"括弧"で囲まれる状況で、それを解消できない限り、コンセンサスづくりは暗礁に乗り上げ、決議が見送られる恐れがあったのです。
そこで急遽、交渉の総責任者に指名されたメキシコのアルフォンソ・ガルシア・ロブレス元外相は、各国の代表に次のように呼び掛けました。
「昨日、新たな括弧が安易に加えられたが、このようなことはしないと紳士協定をしてほしい。まるで、機織りをするペネロペが織物を途中でほどいては織り直すギリシャ神話のようではないか」(木下郁夫『賢者ガルシアロブレス伝』社会評論社)と。
後にノーベル平和賞を受賞したガルシア・ロブレス元外相のこうした尽力が実り、最終的にはすべての"括弧"が解消された形で、最終文書が全会一致で採択されたのでした。
この最終文書は現在でも軍縮問題を討議する際の基礎になっていますが、第4回軍縮特別総会でも各国が熱意と歩み寄りをもって、核兵器をはじめとする多くの兵器の軍縮に関する合意を導くべきであると、私は呼び掛けたいのです。
また、第4回軍縮特別総会を行う際には、市民社会の代表による発言の場を十分に確保することを求めたいと思います。
国連総会で市民社会の代表の発言が初めて実現したのも、第1回軍縮特別総会でした。25に及ぶNGOと六つの研究機関の代表が、議場で発言したのです。
私自身、第1回軍縮特別総会に寄せて提言を発表したほか、第2回軍縮特別総会(82年)と第3回軍縮特別総会(88年)の時にも提言を行いました。
またSGIとして、第2回軍縮特別総会の際に"核の脅威展"を国連本部で開催しました。
広島と長崎での原爆被害の実態などを紹介した展示は反響を呼び、この特別総会での「世界軍縮キャンペーン」の採択を後押しするものともなりました。
以来、SGIでは、軍縮教育の推進にも力を入れてきましたが、第4回軍縮特別総会が行われる際にも、軍縮教育に関するシンポジウムなどを開催して、「核兵器のない世界」の建設を前に進めるために、市民社会からの発信に努めていきたいと思います。
◇安全保障環境を一変させる危険性
第三の提案は、AI兵器やロボット兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」を全面禁止する条約の制定です。
LAWSはいくつかの国で開発されている段階で、実戦配備には至っていません。
しかし、戦闘行為を自動化する兵器を導入する国がひとたび現れれば、核兵器の誕生にも匹敵するような世界の安全保障環境を一変させる事態になりかねないとの懸念が、国際社会の間で広がっています。
人間が戦闘に直接介さないことで軍事行動への垣根が格段に低くなり、国際人道法の精神が著しく損なわれる恐れもあるからです。
加えて、国連の「軍縮アジェンダ」の中で指摘されていた、LAWS特有の問題に目を向ける必要があります。
第2次世界大戦時に無人の攻撃機として使用された「V1ロケット」から、今も埋設されたままの地域が残る「対人地雷」まで、人間の操作を必要としない多くの兵器が開発され、使用されてきたものの、LAWSにはそれらの兵器とはまったく異なる危険性があるとして、次の問題が指摘されていたのです。
それは、AIに操作を依存するがゆえに、「予期しない行動や説明できない行動を起こす可能性」を常に抱えているという点です。
◇国連の特別代表を任命し水資源を守る体制を強化
私も以前、平和学者のケビン・クレメンツ博士との対談で、LAWSの規制を巡る非公式の専門家会合が2014年に国連で初開催されたことを受け、LAWSの危険性について語り合ったことがあります(『平和の世紀へ 民衆の挑戦』潮出版社)。
その際、私は、良心の呵責も逡巡も生じることなく自動的に攻撃を続けるロボット兵器には、人道的観点からも極めて重大な問題があることを訴えました。
その上で、惨事が引き起こされる前に、あらかじめ全面規制を図ることが急務であり、開発と配備を禁止する枠組みづくりを早急に進めるべきであると呼び掛けたのです。
クレメンツ博士も、NGOが進める「ストップ・キラーロボット」=注4=のキャンペーンに触れて、こう述べていました。
「こうした市民社会による運動や国連事務局、そして各国の外交関係者などの広範なアクター(行動主体)が積極的に連携を強めていくことが、この問題解決の大きなカギとなります」と。
◇国連に提出したSGIの声明
昨年4月に行われた政府専門家会合では、「兵器の使用に人間の判断が介在すること」の必要性を大多数の国が認めたほか、26カ国がLAWSの全面禁止を求めました。
私は、国連の「軍縮アジェンダ」における警告と、政府専門家会合で示された各国の懸念を基盤に、「LAWS禁止条約」の交渉会議を早期に立ち上げることを強く求めたい。
日本も昨年2月に、人間が関与しない完全自律型の兵器の開発を行う意思はないとの方針を示しています。また欧州議会が、国際規制の枠組みづくりの交渉を早急に開始することを呼び掛ける決議を9月に採択しました。
市民社会の間でも、「ストップ・キラーロボット」の活動に参加するNGOが、51カ国の89団体にまで広がっています。
SGIも昨年10月、国連総会第1委員会に代表が出席した際、二つの声明を同委員会に提出しました。
一つは、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などの信仰を基盤にした14の団体と個人の連名で出した「宗教コミュニティーによる共同声明」で、核兵器禁止条約の重要性とともに、LAWSを禁止するための多国間の議論を呼び掛けたものです。
そしてもう一つがSGIとしての独自の声明で、LAWSが深刻な軍事的脅威をもたらすだけでなく、「生命の権利」と「人間の自律と責任と尊厳に関する原則」を著しく脅かす存在に他ならないことを警告したものです。
もし、LAWSが規制されないまま、実際に使用される事態が起きた時、紛争の性格は根源から変わってしまうに違いありません。
そこでは、すでにドローン兵器の場合にみられるような、攻撃をする側と攻撃される側の人間が同じ空間にいないという"物理的な断絶性"に加えて、実際の戦闘行為が攻撃を意図した人間と完全に切り離されるという"倫理的な断絶性"が生じるからです。
◇ヴァイツゼッカー大統領の戦争体験
軍事的脅威の深刻さもさることながら、この"倫理的な断絶性"が何を意味するのかを考える時、私の胸に浮かんでくるのは、統一ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー初代大統領が自身の体験として紹介していた話です。
物理学者のヴァイツゼッカー博士の弟君でもある大統領とお会いしたのは、ドイツの統一から8カ月後(1991年6月)のことでした。
その際、戦時中に日本とドイツが経験した「閉じた社会」の危険性について語り合いましたが、大統領は回想録で次のような体験を紹介していました(『ヴァイツゼッカー回想録』永井清彦訳、岩波書店を引用・参照)。
——大統領は、西ドイツの議員を務めていた時期(73年)にソ連を初訪問し、レニングラード(現サンクトペテルブルク)にある墓地に足を運んだ。
そこは、第2次世界大戦中にドイツ軍による包囲戦で亡くなった大勢の人々が眠る場所だった。
その夜、会食会に出席した大統領は、あいさつに立った時、ソ連の人々の前で告白を始めた。
実は自分も、あの時の包囲戦に参加していたドイツ兵の一人であった、と。
思いもよらない言葉に、場内が沈黙に包まれる中、大統領は言葉を続けた。
「われわれはすべての前線、とりわけレニングラード市内における苦しみを充分承知していました。われわれ自身が体験したことを、子孫が決して繰り返してはなりません。われわれはそのために応分の責任を果たすべく、今ここにいるのです」
その率直な言葉に触れ、最初は沈黙していたソ連の人々も次第に心を開き、温かささえ感じる雰囲気に変わっていった——と。
翻って今後、紛争地域でLAWSが実際に使用された場合に、かつての敵同士のこうした対面は果たして成立するでしょうか。
自身が関わった行為に対する"深い悔恨"と、戦争に対する"やりきれない思い"、そして、次の世代のために平和な関係を築き直したいと切実に願う"一人の人間としての決意"が入る余地は、そこにあるでしょうか。
私も、大統領がソ連を初訪問した翌年(74年9月)に、そのレニングラードの墓地を訪れて献花し、平和の誓いを込めた祈りを捧げたことがあります。
ソ連滞在の最終日にコスイギン首相とお会いし、墓地に献花したことを伝えた時、首相は当時の包囲戦の苦しみを思い返すかのように、「あの時、私もレニングラードにいました」との言葉を発したきり、しばし沈黙されました。
しかしその瞬間から、コスイギン首相との胸襟を開いた対話が大きく進んだのです。世界が直面する課題に取り組むには、戦争という考えをまず捨てる必要がある——その思いを率直に語られた時のコスイギン首相の真摯な表情は、今も忘れることができません。
それだけに、ヴァイツゼッカー大統領とソ連の人々との心の交流が、どれほど得がたいものだったかを強く感じます。
ヴァイツゼッカー大統領はまた、戦時中の鮮烈な思い出をこう記していました(前掲『ヴァイツゼッカー回想録』)。
「戦線の両側では、自分の命を気遣い、したがって互いにとてもよく似た心配をしている人間同士が対峙していた」
「ある夜、長い列を組んで音もなく行進していた時のことだが、突然もう一つのきわめて静かな隊列が向こうからやってきた。互いの姿は見えなかったが、それでもこれがロシア人だということはすぐに分かった。双方の側とも冷静さを失わないことがなにより必要だった。われわれは沈黙のまま、互いに無傷でやり過ごした。殺し合うべきだったのだろうが、むしろ抱き合いたいくらいだった」
AIが制御する兵器において、敵味方に分かれた相手に対する複雑な思いや、「冷静さ」という言葉に込められた人間性の重みを感じて、一時的であれ、戦闘行為を踏みとどまることはあり得るのでしょうか。
もちろん、LAWSの規制においては、国際人道法の法的な観点——すなわち、「文民保護の原則」をはじめ、戦闘員であっても不必要な苦痛を与えることを禁じた「不必要な苦痛禁止の原則」、人道法の適用上の問題がないかを確認する「新しい兵器の検証義務」など——に照らした論議も重要でありましょう。
しかしその上で、ヴァイツゼッカー大統領の述懐が浮かび上がらせていたような、LAWSに潜む"倫理的な断絶性"に目を向けることを忘れてはならないと訴えたいのです。
このように核兵器とは別の意味で、攻撃される側の国にとっても、攻撃する側の国にとっても取り返しのつかない結果を招くのが、LAWSに他なりません。
LAWSの禁止を求める国々と、日本のように開発をしない意思表明をする国々が、「ストップ・キラーロボット」の活動に参加するNGOと協力して、LAWSの開発と使用を含めて全面禁止する条約の制定を、早急に目指すべきではないでしょうか。
◇世界人口の4割が水の不足に直面
続いて第四の提案として述べたいのは、国連のSDGsに関するもので、水資源の保護について具体的な提案を行いたい。
国連のSDGsでは目標の一つとして、すべての人々が安全で安価な水を飲むことができることを掲げています。しかし現在、21億人が安全な水を得ることができずにいるほか、世界の4割の人々が水不足の影響を受けています。
人口増加や経済成長、人々の消費行動の変化により、水の需要は全体的に増える一方で、アジア、アフリカ、中南米の河川では排水による水質の悪化がみられます。また、気候変動によって水循環に影響が生じ、雨が多い地域でさらに雨量が増え、乾燥地はますます乾燥するという現象も起きています。
こうしたグローバルな水危機を乗り越えるために、国連では昨年3月、国際行動の10年「持続可能な開発のための水」(通称「水の国際行動の10年」=注5=)を開始しました。
ニューヨークの国連本部での開幕式で、国連総会のマフムード・サイカル副議長が述べた言葉は、世界的な水不足の影響が不平等なものになっている状況を浮き彫りにしていました。
「この建物の中では、喉が渇いたままでいたり、口にする水で自分が病気になるかどうかを心配する人は誰もいないでしょう。そんな基本的なニーズを満たすために、誰も自分の尊厳や安全を危険にさらすことはない。これが私たちの現実です。しかし、世界中の多くの人々にとっては話が別なのです」と。
実際、身近な場所に安全な水を得る環境がないために、6億人以上の人々が整備されていない井戸をはじめ、池や川、湖などから水を汲んで利用する生活を送っています。
そのため、多くの女性や子どもたちが、長時間、重さに耐えながら水を運ぶことを強いられています。
また、不衛生な水のために病気になることも少なくなく、毎年、大勢の子どもたちが命を落としているのです。
その意味で、安全な水の確保は貧困や格差の問題にとどまるものではない。健康上の不安や水運びの負担を日々感じることなく、尊厳をもって生きるという「基本的な人権」に深く関わる問題に他なりません。
生活用水の不足に悩むことなく、安全な水を飲むことのできるありがたさは、突然の災害に見舞われた時に、先進国の人々の間でも強く実感されてきたことではないでしょうか。
水に関する権利は、女子差別撤廃条約や子どもの権利条約などで明記されたほか、2010年の国連総会決議で「生命及びすべての人権の完全な享受のために不可欠な人権」と位置付けられ、国連人権理事会の決議でも重要性が確認されてきたものです。
そこで私は、SDGsの主要な目標であり、人間の生命と生活と尊厳を守る基盤となる安全な水の確保をグローバルな規模で図るために、国連に「水資源担当の特別代表」のポストを設けることを提案したい。
◇SDGsの達成を目指し世界の大学が協力を促進
国連には現在、水問題に特化した専門機関はありませんが、UNウオーターという、水問題に関連する30以上の国際機関から構成されるグループがあります。
私は、国連事務総長によって新たに任命された水資源担当の特別代表が、UNウオーターに属する諸機関と力を合わせながら、成功事例の共有をはじめ、技術移転に関するパートナーシップの構築を各国に働きかけていってはどうかと考えるのです。
その具体策の一つとして、水資源担当の特別代表を中心に、「水の国際行動の10年に関する国連会合」を定期的に開催することを、併せて呼び掛けたい。
国連と世界銀行が招集した11カ国の首脳らによる「水に関するハイレベル・パネル」の報告書でも、こうした会議を毎年もしくは隔年で行うことを提唱していました。国連会合の定期開催を通じて、私が前半で論じたような「人間中心の多国間主義」のアプローチを、水資源の分野において定着させることが強く望まれると思うのです。
国連のグテーレス事務総長も、自らがポルトガルの首相を務めた時期に成立したスペインとの水管理の条約をはじめ、インドとパキスタン、ボリビアとペルーの事例を挙げながら、水が「紛争ではなく、協力を促す存在」となってきたことを強調していました。
世界には、286にのぼる国境を接する河川と湖沼流域があるほか、国境をまたぐ帯水層も592を数えます。こうした中、3割近くの越境河川で、流域に面する国々が共同で水資源を管理する枠組みがつくられてきました。
残りの越境河川でも、特別代表とUNウオーターの諸機関が支援する形で同様の枠組みづくりを進め、水の安定的な供給と水質の保護を図るべきではないでしょうか。
◇中東やアフリカで水の再利用を図る
水問題に関してもう一つ提案したいのは、淡水資源が将来的に不足する懸念を踏まえ、「水の再利用」や「海水の淡水化」などの分野で、水問題に関する豊かな経験と技術を持つ日本などの国々が積極的に貢献を果たしていくことです。
日本はこれまで水分野での国際協力として、インフラの整備や人材育成など、多くの国にハードとソフトの両面から包括的な支援を行い、近年は、水と衛生の分野での世界トップの援助国となってきました。
また日本には、水資源の分野における技術交流を、韓国や中国との間で長年にわたって続けてきた実績があります。韓国とは1978年から協力会議を開催し、中国とも85年から交流会議を重ねてきました。
昨年には、日中韓水担当大臣会合も行われ、3カ国が経験の共有などを図り、水問題に関するSDGsの目標の達成に向けて協力することを約し合いました。
私は、日本がこうした実績を基盤に、北東アジアにおける水問題の改善と地域の信頼醸成に努めるとともに、韓国や中国とも連携する形で、「水の再利用」や「海水の淡水化」のニーズが高い中東諸国やアフリカ諸国への支援を進めることを提案したいのです。
今年の8月には、第7回アフリカ開発会議=注6=が横浜で開催されます。
6年前に行われた第5回会議では、アフリカの約1000万人が安全な水を飲むことができるようにするための支援の継続や、1750人の水道技術者の人材育成を支援することなどが打ち出されました。
今回の会議で、日本がその取り組みの強化と併せて、「水の再利用」や「海水の淡水化」をアフリカ諸国で推進するための基本計画をまとめることを、私は呼び掛けたい。
日本は安全な水に恵まれた国である一方、昨年の世界リスク報告書によると、災害へのさらされやすさが世界で5番目に高いと指摘されています。
災害時に切実に必要とされるのが安全な水であり、日本はそうした面からも、安全な水の確保に苦しんでいる世界の人々を救うために、「人間中心の多国間主義」のリーダーシップを発揮できることがあるのではないでしょうか。
◇女性の笑顔広げるエンパワーメント
SGIとしても、市民社会の側から「水の国際行動の10年」を支援する一環として、水問題の影響を日常的に強く受けている女性に焦点を当てた、「命を守る水と女性」展(仮称)を、今後開催していきたい。
水道設備が身近にないために、低所得国の女性や少女が1年間に水汲みの作業に費やす時間の合計は約400億時間にも及ぶといわれ、その負担は非常に大きなものになっています。
水汲みのために歩く道には危険な場所も多く、また重い水を毎日運ぶために、体を痛めてしまう女性も少なくありません。安全な水を確保する環境が整えば、そうした問題が改善されるだけでなく、女性が他の仕事に就くことができたり、多くの少女が学校に通えるようになり、女性のエンパワーメント(内発的な力の開花)につながる道が開けてくるのです。
展示では、こうした女性を取り巻く状況とともに、水問題の解決のために行動する女性たちの姿も取り上げていきたいと思います。
国連でジェンダー平等と女性のエンパワーメントに取り組むUNウィメンは、その一つの事例として、タジキスタンのある女性の行動を紹介しています。
彼女は夫を亡くし、5人の子どもを育てながら、川から水を汲むために何時間も歩かねばならない生活を送っていました。
水の問題で悩む村人の多くが"状況は変わらない"と絶望する中、彼女は友人とグループを結成して行動を開始しました。複数のNGOからの支援を受け、村人も総動員して14キロに及ぶ水道管を引いた結果、3000人以上の村人たちが安全な水を飲むことができるようになったのです。
彼女は語っています。
「これは私たちの小さな勝利です。自分たちの生活をさらに向上したいと思っています。小規模な農園や温室を作る計画もあります。成功する自信があります」(UN Women日本事務所のウェブサイト)
こうした女性たちの笑顔の広がりこそが、SDGsの前進を何よりも物語るものになると、私は考えるのです。
国連本部で行われた「水の国際行動の10年」の開幕式で、市民社会の代表として発言したのも13歳の少女でした。
カナダに住む先住民で、水と環境を保護する活動をしてきたオータム・ペルティエさんは、「私たちは、必要な時に水を飲む権利があります。それは、豊かな人だけでなく、すべての人々の権利です」と訴えました。
その上で彼女は、「子どもたちが誰一人として、きれいな水とは何か、水道から流れる水がどんなものかを知らないまま、育つようなことがあってはなりません」と強調し、「今こそ勇気を奮い起こし、地球を守るために、お互いをエンパワーする時です」と呼び掛けました。
SGIとしても、水資源の保護を通じて人間と地球を守る行動の輪を市民社会で広げるために、「命を守る水と女性」をテーマにした展示を行い、水問題の解決を後押ししていきたいと決意するものです。
◇17の目標を担う中心拠点を発表
最後に第五の提案として述べたいのは、世界の大学をSDGsの推進拠点にする流れを強めることです。
国連と世界の大学を結ぶ「国連アカデミック・インパクト」が2010年に発足してから、加盟大学は約140カ国、1300校以上に広がっています。
このアカデミック・インパクトが昨年10月、注目すべき発表を行いました。
国連のSDGsの17の目標について、各分野で模範となる活動をしている世界の17大学を選び、ハブ(中心拠点)の役割を担う大学として任命したのです。
例えば、目標2の「飢餓をゼロに」では、南アフリカのプレトリア大学が選ばれました。
プレトリア大学は、食糧問題や栄養に関する研究所を擁し、アフリカ諸国や国際機関と協力して研究を進めてきたほか、食糧安全保障をテーマにした国際会議を数年にわたって共同開催してきました。授業でも、SDGsのさまざまな指標に沿う形で、全学部のカリキュラムを考慮することが優先されています。
目標5の「ジェンダー平等」では、スーダンのアッファード女子大学が任命されました。女性が地域や国で活躍することを目指す教育が進められ、「ジェンダーと開発」「ジェンダーと平和研究」など、ジェンダーを専門とする四つの修士課程が開設されています。
目標16の「平和と公正」では、イギリスのデ・モントフォート大学が選ばれました。難民や移民との共生を目指す国連のキャンペーンで主導的な役割を担う大学として、難民の若者たちに教育の機会を提供するとともに、難民と移民の尊厳を守る重要性を訴え、難民の人たちの体験を記録し、共有するプロジェクトを推進しています。
日本の大学では、目標9の「産業と技術革新」の分野で、長岡技術科学大学が任命されました。
これらの17大学が3年間の任期を通し、SDGsのそれぞれの目標の取り組みを牽引していくことが期待されているのです。
国連広報局でアカデミック・インパクトの責任者を務めるラム・ダモダラン氏は、「学問は他者を利し、学生は何かを生み出す。SDGsに取り組んでいる大学ほど、この組み合わせが効果的で劇的に作用している場所はない」と強調していますが、私もまた、大学が持つ限りない可能性を強く感じてなりません。
大学には社会の"希望と安心の港"としての力が宿っており、その力を人類益のために発揮する意義は、極めて大きいのです。
そこで私が呼び掛けたいのは、この17大学を中心に"SDGs支援の旗"を力強く掲げる大学の輪をさらに広げることです。
アカデミック・インパクトの加盟大学をはじめ、多くの大学が、力点を置くSDGsの目標を表明して、意欲的な挑戦を行うキャンペーンを進めていってはどうでしょうか。
また、同じ分野に取り組む大学間の協力を推進し、学生のグローバルな連帯を広げる意義を込めて、国連創設75周年を迎える来年に「SDGsのための世界大学会議」を開催することを提案したい。
青年の役割を重視する国連の「ユース2030」の戦略では、創設75周年などで国連のサミットが行われる際に青年の声を強めることや、国連事務総長と青年との定期的な対話の場を設けることを促しています。
その一環として、各国の教育者と学生の代表が参加する世界大学会議を開催し、SDGs推進の機運を高めるとともに、「国連事務総長と学生との対話フォーラム」を実現してはどうかと思うのです。
◇創価大学とSUAの意欲的な活動
これまで私は、創価大学の創立者として「大学交流の推進」に力を入れるとともに、世界の諸大学の総長や学長と「大学の社会的使命」を巡る対話を重ねてきました。
17大学の一つに選ばれたアルゼンチンのブエノスアイレス大学とも交流があり、長年にわたり総長を務めたオスカル・シュベロフ氏とお会いした時には、積年の思いを次のように述べたことがあります。
「私は『大学間の交流』によって、世界のよりよき将来のために『新しい知恵』と『新しい価値』が生まれてくると期待しています。対話と相互理解のなかからこそ、何らかの『新しい力』と『新しい理想の方向性』が創造されると信ずるからです」
その際、シュベロフ氏が「世界の大学は共通の課題をかかえています。その解決のために、各大学は力を合わすべきです」と共感を寄せてくださり、「教育者は、一番困っている人に手を差し伸べるべきだ」との信念を語っておられたことが深く胸に残っています。
創価大学はアカデミック・インパクトの一員として、活動の柱となる10原則のうち、「人々の国際市民としての意識を高める」「平和、紛争解決を促す」「貧困問題に取り組む」「持続可能性を推進する」「異文化間の対話や相互理解を促進し、不寛容を取り除く」の五つの原則を中心に取り組んできました。
その上で、SDGsがスタートした16年以降は、国連難民高等弁務官事務所と「難民高等教育プログラム」の協定を結び、難民の学生を受け入れてきたほか、国連開発計画や国連食糧農業機関との協定に調印し、交流を進めています。
授業の面では、SDGsとつながりの深い平和・環境・開発・人権の分野からなる「世界市民教育科目群」を昨年設置しました。
このほか、持続可能な循環型社会の構築をはじめ、SDGsに関連するさまざまな研究に積極的に取り組んでいます。
アメリカ創価大学(SUA)でも、地球的な課題に関する教育に力を入れてきました。
学生が主体となって探究したいテーマを決めてクラスごとに共同研究や実地調査を行う、「ラーニング・クラスター」という伝統の教育プログラムがあるほか、ニューヨークの国連本部などで実施する研修の機会が設けられています。
また、国連の「国際非暴力デー」にあわせる形で、14年から毎年、「平和の文化と非暴力」会議を開催してきました。
私は2006年に発表した国連提言で、世界の大学が社会的使命の一つとして「国連支援の拠点」の機能を担うことを呼び掛けながら、国連の未来図を次のように提起したことがあります。学生や大学が「点」となり、それをつなぐネットワークが「線」となって、やがては国連支援の輪という「面」が地球全体に広がっていく——と。
その大学の輪は、アカデミック・インパクトの枠組みを通じて、世界1300以上の大学にまで広がりをみせています。
今回の拠点大学の発表を新たな契機として、世界のより多くの大学がSDGsの推進のためにさらに力を注ぎ、それぞれが積み上げてきた経験を共有しながら、誰も置き去りにしない地球社会を築くための行動の連帯を強めていくべきではないでしょうか。
◇三つの柱を軸に世界市民教育を
SGIでも、国連支援の活動の柱としてきた「世界市民教育」を通して、SDGsの推進のために積極的な役割を果たしていきたいと考えています。
これまでSGIが地球的な課題に関する展示を行ってきた会場の多くは、世界各地の大学であり、その中には、拠点大学に選ばれたノルウェーのベルゲン大学も含まれています。
大学こそ問題解決のための英知を結集し、新しいアプローチを育む揺籃であり、時代変革への力強いエネルギーは青年、なかんずく学生たちから生まれると確信するからです。
昨年6月、人権活動家のエスキベル博士との共同声明の発表が行われた場で、その共同声明を壇上で受け取ったのは二人の学生であり、その翌日に共同声明を巡る「青年の集い」を開催した場所も、ローマの学生街にある会場でした。
共同声明で私と博士は、「世界市民教育を通じた青年のエンパワーメント」の推進を提唱し、その柱として次の3点を挙げました。
�悲惨な出来事を繰り返さないため、「歴史の記憶」を胸に共通の意識を養う。
�地球は本来、人間が「共に暮らす家」であり、差異による排除を許してはならないことを学ぶ。
�政治や経済を"人道的な方向"へと向け、持続可能な未来を切り開くための英知を磨く。
今後も世界の大学との連携を深めながら、SDGsに関する意識啓発の展示などを行い、この3点に基づいた「世界市民教育」の裾野を着実に広げていきたいと思います。
ローマの学生街で「青年の集い」が開催された日(6月6日)は、くしくも創価学会の牧口初代会長の誕生日でありました。
創価学会とSGIの源流には牧口会長の教育思想がありますが、その要諦をなすメッセージは次のように綴られています。
「目的観の明確なる理解の上に築かれる教育こそ、やがては全人類がもつ矛盾と懐疑を克服するものであり、人類の永遠の勝利を意味するものである」(『牧口常三郎全集』第8巻、第三文明社。現代表記に改めた)
SGIは、この教育が持つ限りない可能性をどこまでも信じ、青年のエンパワーメントを通して、すべての人々が尊厳を輝かせて生きられる「持続可能で平和な地球社会」の建設に邁進していく決意です。
語句の解説
注4 ストップ・キラーロボット
キラーロボット(殺傷ロボット)などの「自律型致死兵器システム(LAWS)」の開発と使用の禁止を求め、2013年4月に発足した市民社会の国際的なネットワーク。人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチが調整役を務め、アムネスティ・インターナショナルやパグウォッシュ会議などの多くのNGOが活動に参加。SGIもメンバーとして名を連ねている。
注5 水の国際行動の10年
水資源の持続可能な開発と統合的な管理をはじめ、国際的に合意された水関連の目標の達成などを目指して、2018年から28年まで進められる取り組み。1981年から90年までの「国際飲料水の10年」と、2005年から15年までの「『命のための水』国際の10年」に続く、水に関する第3次の国際10年となっている。
注6 第7回アフリカ開発会議
日本が主導する形で1993年から継続的に行われてきた国際会議で、今年8月の横浜での開催で第7回となる。前回の会議は2016年にケニアのナイロビで行われ、アフリカ諸国の「オーナーシップ」と国際社会による「パートナーシップ」の重要性が提唱された。アフリカの国々だけでなく、国連や世界銀行などの国際機関や、アジア諸国、民間企業、市民社会なども議論に参加する枠組みとなっている。
2019年2月4日月曜日
2019.02.04 わが友に贈る
◇今週のことば
試練の風雪に挑む友へ
「冬は必ず春となる」と
希望のエールを!
一人を大切にする心を
我らの地域に社会に!
2019年2月4日
妙密上人御消息 P1237
『人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く』
【通解】
人に食物を施すことには三つの功徳があります。一には生命をたもつことができます。二には色艶を増します。三には力を与えるのです。
〈寸鉄〉 2019年2月4日
深き団結があれば恐れるものはない—戸田先生。共々に励まし栄光の峰へ
「東洋哲学研究所の日」。文明間・宗教間の懸け橋たれ!人類の平和のため
東京・中野の日。連帯固く勇気の対話拡大に率先。堂々たる広布の人材山脈
幹部は会合革命、時間革命を。短くも決意漲る集いに。創価とは価値創造
世界対がんデー。早期の発見・治療で死亡リスク大幅減。公明よ対策更に
☆第44回「SGIの日」記念提言(上) 「平和と軍縮の新しき世紀を」 2019年1月26日
創価学会インタナショナル会長 池田大作
民衆の生命と尊厳を脅かす紛争の根を断ち切る
きょう26日の第44回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「平和と軍縮の新しき世紀を」と題する記念提言を発表した。
提言ではまず、軍縮を阻んできた背景にあるものを探る手がかりとして、物理学者で哲学者のカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が考察した「平和不在」の病理に言及。"病に対する治癒"のアプローチを重視する仏法の視座を通し、人間の生き方を変革するための鍵を提起しつつ、「平和な社会のビジョン」の骨格を打ち出した核兵器禁止条約の歴史的意義を強調している。
また、グローバルな脅威や課題に直面する人々の窮状を改善する「人間中心の多国間主義」を推進して、安全保障観の転換を図る重要性を指摘するとともに、軍縮の分野で「青年による関与」を主流化させるよう訴えている。
続いて、核兵器禁止条約への各国の参加の機運を高めるために、有志国による「核兵器禁止条約フレンズ」の結成を提案。日本がそのグループに加わり、核保有国と非保有国との対話の場の確保に努めることを呼び掛けている。
また、来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核軍縮の交渉義務に焦点を当てた討議を行った上で、国連の第4回軍縮特別総会を2021年に開催することを提唱。更に、AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」を禁止する条約の交渉会議を早期に立ち上げるよう訴えている。
最後に、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」に関して、安全な水の確保をグローバルな規模で図るために、国連で「水資源担当の特別代表」を新たに任命することや、世界の大学をSDGsの推進拠点にする流れを強めるための提案を行っている。
世界では今、グローバルな課題が山積する中で、これまで考えられなかったような危機の様相がみられます。
特に顕著なのは気候変動の問題です。世界の平均気温は4年連続で高温となっており、異常気象による被害が相次いでいます。
難民問題も依然として深刻で、紛争などで避難を余儀なくされた人は6850万人にのぼりました。
加えて、暗い影を落としているのが貿易摩擦の問題で、昨年の国連総会の一般討論演説で多くの国の首脳が述べたのも世界経済に及ぼす影響への懸念でした。
これらの課題とともに、国連が早急な対応を呼び掛けているのが軍縮の問題です。アントニオ・グテーレス事務総長は昨年5月、この問題に焦点を当てた包括的文書である「軍縮アジェンダ」を発表しました。
グテーレス事務総長は発表に際し、世界の軍事支出が1兆7000億ドルを超え、"ベルリンの壁"崩壊以降で最高額に達したことに触れる一方で、次のような警鐘を鳴らしました。
「各国が他の国の安全保障を顧みず、自らの安全保障だけを追求すれば、すべての国を脅かす地球規模の安全保障上の不安を生み出してしまうという矛盾がうまれます」
その上で強調したのは、軍事支出の総額が世界の人道援助に必要な額の約80倍に達したという点です。
このギャップが広がる中、「貧困に終止符を打ち、健康と教育を促進し、気候変動に対処し、地球を保護するための取り組みに必要な支出がされていません」との深い憂慮を示したのです(国連広報センターのウェブサイト)。
現在の状態が続けば、誰も置き去りにしない地球社会の建設を目指す「持続可能な開発目標(SDGs)」の取り組みが停滞することにもなりかねません。
軍縮は国連の創設以来の主要課題であり、私自身にとっても、35年以上にわたる毎年の提言で中核をなすテーマとして何度も論じてきた分野であります。
第2次世界大戦の惨禍を体験した世代の一人として、また、地球上から悲惨の二字をなくしたいとの信念で行動を続けた創価学会の戸田城聖第2代会長の精神を継ぐ者として、多くの民衆の生命と尊厳を脅かす紛争の根を断ち切るには、軍縮が絶対に欠かせないと痛感してきたからです。
◇生存の権利を守る信念に立脚した戸田会長の「原水爆禁止宣言」
私たち人間には、いかなる困難も乗り越えることができる連帯の力が具わっています。
不可能と言われ続けてきた核兵器禁止条約も2年前に採択が実現し、発効に向けて各国の批准が進んでいます。
闇が深ければ深いほど暁は近いと、眼前にある危機を"新しき歴史創造のチャンス"と受け止めながら、今こそ軍縮の潮流を大きくつくり出していくべきではないでしょうか。
そこで今回は、21世紀の世界の基軸に軍縮を据えるための足場について、�「平和な社会のビジョン」の共有、�「人間中心の多国間主義」の推進、�「青年による関与」の主流化、の三つの角度から論じてみたい。
◇核軍拡競争が再燃する恐れ
第一の足場として提起したいのは、「平和な社会のビジョン」の共有です。
世界では今、多くの分野にわたって兵器の脅威が増しています。
小型武器をはじめ、戦車やミサイルなどの通常兵器の輸出入を規制する武器貿易条約が2014年に発効しましたが、主要輸出国の参加が進まず、紛争地域で武器の蔓延を食い止められない状態が続いています。
化学兵器のような非人道的な兵器が、再び使用される事態も起きました。
また兵器の近代化に伴って、深刻な問題が生じています。武装したドローン(無人航空機)による攻撃が行われる中、市民を巻き込む被害が広がり、国際人道法の遵守を危ぶむ声があがっているのです。
核兵器を巡る緊張も高まっています。
昨年10月、アメリカのトランプ大統領は、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約=注1=から離脱する方針を発表しました。
両国の間で条約の遵守に関する対立が続いてきましたが、今後、条約が破棄されることになれば、他の保有国を含めた核軍拡競争が再燃する恐れがあります。
まさにグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の序文で述べていた、「冷戦時代の緊張状態が、より複雑さを増した世界に再び出現している」(「軍縮アジェンダ・私たちの共通の未来を守る」、「世界」2018年11月号所収、岩波書店)との警鐘が、強く胸に迫ってきてなりません。
なぜ、このような事態が21世紀の世界で繰り返されようとしているのか——。
この問題を前にして思い起こされるのは、著名な物理学者で卓越した哲学者でもあったカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が、かつて述べていた慧眼の言葉です。
博士は、私が友誼を結んできたエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏(ローマクラブ名誉共同会長)の父君で、世界平和のための行動を貫いた尊い生涯については対談集でも語り合ったところです。
その博士が冷戦の終結後に、"ベルリンの壁"が崩壊した1989年からドイツの統一が実現した90年までの世界の動きを振り返って、こんな言葉を述べていました(『自由の条件とは何か 1989〜1990』小杉尅次・新垣誠正訳、ミネルヴァ書房)。
「世界情勢はこの一年間全体としてはほんのわずかしか変化を経験しなかった」
もちろん、東西に分断されたドイツで人生の大半を過ごしてきた博士自身、冷戦の終結を巡る一連の動きが、歴史的な一大事件に他ならなかったことを何度も強調していました。
そのことを承知の上で博士には、ソクラテスの産婆術=注2=にも通じるような言葉の投げ掛けによって伝えたいメッセージがあったのではないでしょうか。
当時の政治・軍事状況を踏まえて、博士は次のように述べていました。
「制度化された戦争の克服は、残念ながら現況ではまだ精神の根源的変革の域に達していません」
つまり、異なる集団の間で覇権を巡って戦闘が繰り広げられる「制度化された戦争」の克服という根本課題は、冷戦の終結をもってしても、確たる展望を開くことができないままとなっている、と。
そして、こう警告を発していたのです。
「二〇世紀最後半の現時点においても停止することなき軍拡競争の結果、新種の武器開発が行なわれ、それがさらに戦争を勃発させる事態へ連動していく可能性と危険性すら存在する」
今の世界にも当てはまる警告であり、博士の洞察の深さを感じずにはいられません。平和と軍縮の問題は、冷戦時代から現在に至るまで"地続き"となっており、アポリア(難題)として積み残されたままであることが浮き彫りとなるからです。
それでも、希望の曙光はあります。軍縮の分野で、国際政治や安全保障に基づく議論だけでなく、人道的な観点からの問題提起が行われるようになり、対人地雷、クラスター爆弾、そして核兵器と、非人道的な兵器を禁止する条約が一つまた一つと制定されてきているからです。
国際人道法の形成にみられる歴史の大きな流れとしての人道的アプローチを追い風としながら、軍縮を大きく前進させるための共同作業を、すべての国が協力して開始していかねばなりません。
◇ヴァイツゼッカー博士の重要な考察
そこで、一つの手がかりとして言及したいのが、ヴァイツゼッカー博士が、軍縮を阻んできた背景にあるものを、「平和不在」という名の病理として掘り下げていた考察です(『心の病としての平和不在』遠山義孝訳、南雲堂)。
私が着目したのは、博士が平和を巡る問題を"病気"に譬えることで、いずれの国にも、また、どんな人にも決して無縁な課題ではないとの前提に立っていた点です。
その考えの基底には、人間は善と悪に分けられるような存在ではなく、「確定されていない生き物」であるとの認識がありました。
ゆえに、「ひとは平和不在を外側から、愚かさとも悪ともみなしてはいけない」のであって、「病気の現象だけを、目の前に置かねばならない」と強調したのです。
また博士は、「平和不在は教化によっても、罰することによっても克服できない。それは治療と呼ぶべき別のプロセスを必要とする」と指摘し、こう呼び掛けていました。「わたしたちが、病気の症状をわたしたち自身のうちに認識しない限り、また他の人達とわたしたち自身を病人として受け入れることを習わない限り、いかにしてわたしたちは病人を助けることができましょうか」と。
そうした博士であればこそ、アメリカとソ連に続いてイギリスが核開発競争に踏み出していた時代に、次のような問題意識を提示していたのではないかと思います。
博士が中心になって起草し、他の学者たちとの連名で57年に発表した「ゲッティンゲン宣言」には、こう記されています。
「自国を守る最善の方法、そして世界平和を促進する最短の道は、明確かつ自発的に、いかなる種類の核兵器の保有も放棄することであるとわれわれは信ずる」(マルティン・ヴァイン『ヴァイツゼッカー家』鈴木直・山本尤・鈴木洋子訳、平凡社)
この言葉は、核開発競争を続ける保有国に向けられたものというよりも、まずもって、"自分の国が核問題にどう臨むべきか"との一点に焦点を当てたものでした。
また、科学者として自分たちの仕事がもたらす結果に対する責任を負うがゆえに、すべての政治問題に対して沈黙することができないと宣言したのです。
◇三車火宅の譬え
一方、この「ゲッティンゲン宣言」と同じ年に、仏法者としての信念に基づいて「原水爆禁止宣言」を発表したのが、私の師である戸田第2代会長でした。
戸田会長は、当時高まっていた核実験禁止運動の重要性を踏まえつつも、問題の根本的な解決には、核兵器を正当化する安全保障の根にある思想を断ち切る以外にないとして、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と訴えました。
世界の民衆の生存の権利を守るとの一点に立脚して、その権利を脅かすことは誰であろうと許されないと訴え、国家の安全保障という高みに置かれていた核兵器の問題を、すべての人間に深く関わる"生命尊厳"の地平に引き戻すことに、「原水爆禁止宣言」の眼目はあったのです。
私が核廃絶の運動に取り組む中で、「核時代に終止符を打つために戦うべき相手は、核兵器でも保有国でも核開発国でもありません。真に対決し克服すべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さないという『核兵器を容認する思想』です」と訴えてきたのも、その師の信念を継いだものに他なりません。
思い返せば、「原水爆禁止宣言」の発表から1年が経った時(58年9月)、私は戸田会長の師子吼を反芻しながら、「火宅を出ずる道」と題する一文を綴ったことがあります。
火宅とは、法華経の「三車火宅の譬え」から用いた言葉で、そこには、こんな話が説かれています。
ある長者の家が、突然、火事に見舞われた。しかし屋敷が広大なこともあり、子どもたちは一向に危険に気づかず、驚きも恐れもしていない。そこで長者は、「外に出よう」という気持ちを子どもたちが自ら起こせるように働きかけて、全員を火宅から無事に救出することができた——という話です。
私は、その説話に触れた一文の中で、「原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」と強調しました。核兵器はまさに、すべての国の人々に深く関わる脅威であり、その未曽有の脅威に覆われた"火宅"から抜け出す道を共に進まねばならないとの思いを込めて、その言葉を綴ったのです。
この説話が象徴するように、何よりも重要なのは、すべての人々を救うことにあります。
その意味で、グテーレス事務総長が主導した「軍縮アジェンダ」で、長らく論議の中核を占めてきた"安全を守る"という観点だけでなく、「人類を救うための軍縮」「命を救う軍縮」「将来の世代のための軍縮」との三つの立脚点が新たに打ち出されたことに、深く共感するものです。
◇戦争の悲劇を繰り返させない
アングリマーラを変えた二つの転機
では、いかなる手段も厭わず、どんな犠牲が生じても構わないといった思想に横たわる「平和不在」の病理を乗り越えて、すべての人々の命を救うための軍縮を世界の潮流に押し上げていくためには、何が必要となるのか——。
この難題と向き合うにあたり、"病に対する治癒"のアプローチを重視する仏法の視座を示すものとして紹介したいのは、釈尊が在世の時代の古代インドで、多くの人命を奪い、人々から恐れられていたアングリマーラを巡る説話です。
——ある時、釈尊の姿を見かけたアングリマーラは、釈尊の命を奪おうとして、後を追いかけた。
しかし、どれだけ足を速めても、釈尊のそばにはたどりつけない。
業を煮やした彼が立ち止まり、釈尊に「止まれ」と叫んだ。すると釈尊から返ってきたのは、「アングリマーラ、わたしは止まっている。おん身が止まれ」との答えだった。
自分は足を止めているのに、なぜ、そんなことを言うのかとたずねるアングリマーラに対し、釈尊はさらにこう答えた。
「止まれ」と言ったのは足のことではない。次々と命を奪うことに何の痛痒も感じない、その行動の奥底にある害心に対し、自らを制して止まるように言ったのである、と(長尾雅人責任編集『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』中央公論社を引用・参照)。
この言葉に胸を打たれたアングリマーラは、害心を取り払って悪を断つことを決意し、手にしていた武器を投げ捨てた。そして釈尊に、弟子に加えてほしいと願い出たのです。
以来、彼は釈尊に帰依し、自らが犯した罪を深く反省しながら、贖罪の思いを込めた仏道修行にひたすら励みました。
そんなアングリマーラに、もう一つの重要な転機が訪れました。
——アングリマーラが托鉢をしながら街を歩いていると、難産で苦しんでいる一人の女性を見かけた。何もできずに立ち去ったものの、女性の苦しむ姿が胸に残り、釈尊のもとに赴いてそのことを伝えた。
釈尊はアングリマーラに対し、女性のもとに引き返して、次の言葉をかけるように促した。「わたしは生まれてからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
自分が重ねてきた悪行を知るがゆえに、アングリマーラは真意がつかめなかった。そこで釈尊は、アングリマーラが害心を自ら取り払い、深く反省して修行を重ねていることに思いを至らせるかのように、改めて彼に対し、女性にこう告げるように呼び掛けた。
「わたしはとうとい道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
釈尊の深い思いを知ったアングリマーラは、街に戻って女性に言葉を捧げた。すると苦しんでいた女性は穏やかな表情を取り戻し、無事に子どもを出産することができたのだった——(前掲『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』を引用・参照)。
この二つの出来事を通して、釈尊がアングリマーラに促したことは何であったか。
それは、彼を長らく突き動かしてきた害心に目を向けさせて、悪行を食い止めたことにとどまりませんでした。母子の命を助けるための道を照らし出し、アングリマーラが自らの誓いをもって"命を救う存在"になっていく方向へと、心を向けさせたのです。
もちろんこの説話は、一人の人間の生き方の変革のドラマを描いたものであって、現代とは時代も違えば、状況も違います。
しかし、行為の禁止を強調するだけでなく、その行為とは正反対の"命を救う存在"へと踏み出すことを促すベクトル(方向性)は、社会の変革にまで通じる治癒の底流となり得るのではないかと、私は提起したいのです。
◇ジュネーブ諸条約に込められた決意
今から70年前(1949年)に締結され、国際人道法の重要な原則を定めたジュネーブ諸条約には、このベクトルに相通じるような条約制定への思いが込められていたと感じます。
ジュネーブ諸条約は、妊婦をはじめ、子どもや女性、高齢者や病人を保護する安全地帯の設置などを求めて、第2次世界大戦の末期に赤十字国際委員会が準備作業に着手していたものでした。
戦後、交渉会議に参加した国々は、条約の採択に際し次の表明を行いました。
「各国政府は将来にわたり、戦争犠牲者の保護のジュネーブ諸条約を適用しなければならないことのないよう、また各国は強大国であろうと弱小国であろうと常に諸国間の相互理解と協力により紛争を友好的に解決することを希望する」(井上忠男『戦争と国際人道法』東信堂)
つまり、条約に対する違反行為を共に戒めるといった次元にとどまらず、条約の適用が問われるような、多くの人命が奪われる事態を未然に防ぐとの一点に、条約の制定を導いた思いが凝縮していたのです。
多くの人々が目の当たりにした戦争の残酷さと悲惨さが、交渉会議の参加者の間にも皮膚感覚として残っていたからこそ、国際人道法の基盤となる条約は、強い決意をもって採択されたのではないでしょうか。
私は、この条約の原点を常に顧みることがなければ、条文に抵触しない限り、いかなる行為も許されるといった正当化の議論が繰り返されることになると、強く警告を発したい。
まして現在、AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」の開発が進む中で、"人間が直接介在せずに戦闘が行われる紛争"の到来さえ、現実味を帯びようとしています。このままではジュネーブ諸条約に結実した国際人道法の精神が十全に発揮されなくなる恐れがあり、私たちは今こそ、「平和不在」の病理を克服する挑戦を大きく前に進めねばならないと思うのです。
そのために重要な足場となるのが、「平和不在」の病理に対する認識を互いに持ちながら、治癒のあり方を共に探ること——すなわち、「平和な社会のビジョン」を共有していくことではないでしょうか。
◇核兵器禁止条約が持つ歴史的な意義
私は、このビジョンの骨格となるものを打ち出した軍縮国際法の嚆矢こそ、核兵器禁止条約に他ならないと訴えたい。
核兵器禁止条約は、軍縮や人道の範疇だけに収まる国際法ではありません。
国際人道法の名づけ親と言われる赤十字国際委員会のジャン・ピクテ元副委員長は、国際人道法の規則を構成する条文は「人道的な関心を国際法へ転換したもの」(前掲『戦争と国際人道法』)であると強調していました。
被爆者をはじめとする多くの民衆の"核兵器による惨劇を繰り返してはならない"との思いを凝縮した核兵器禁止条約は、まさにその系譜に連なるものだといえましょう。
さらに、核兵器禁止条約は、新しい国際法のあり方として注目されている、「ハイブリッド型国際法」の性格も帯びています。
これは気候変動の分野で提起されてきたもので、人権や強制移住の問題と連動させる形での問題解決を志向した、思考の枠組みの転換を促す条約のアプローチです。
そうした地球的な課題の連関性をより幅広く包摂したのが、核兵器禁止条約であると思うのです。
国家の主権に深く関わる安全保障であっても、「環境」「社会経済開発」「世界経済」「食糧安全保障」「現在及び将来の世代の健康」、そして「人権」と「男女双方の平等」のすべての重みを踏まえたものでなければならないとの方向性を明確に打ち出しているからです。
いずれの課題に対する配慮を欠いても、真の安全保障を確保することはできない——その意識の共有が土台になければ、核軍縮の交渉といっても、保有数のバランスばかりに目が向いて、軍備管理的な意味合いから抜け出すことは難しいのではないでしょうか。
その意味で、核兵器禁止条約は、長年にわたる核軍縮の停滞を打ち破るための基盤を提供するだけではありません。
核兵器禁止条約を支持する連帯の輪を広げる中で、�すべての人々の尊厳を守り合う「人権」の世界、�自他共の幸福と安全を追求する「人道」の世界、�地球環境と未来の世代に対する責任を分かち合う「共生」の世界への道を力強く開いていくことに、最大の歴史的な意義があると訴えたいのです。
◇不十分な状態続く人道危機への対応
次に、軍縮を進めるための第二の足場として提起したいのは、「人間中心の多国間主義」を共に育むことです。
「人間中心の多国間主義」は、深刻な脅威や課題に直面している人々を守ることに主眼を置くアプローチで、昨年8月に行われた国連広報局/NGO(非政府組織)会議の成果文書でも、その重要性が強調されていたものです。
SDGsの取り組みを前進させるために欠かせないアプローチですが、私は、この追求がそのまま、軍拡の流れを軍縮へと大きく転換する原動力となっていくに違いないと考えます。
国連のグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の発表にあたって警鐘を鳴らしていたように、世界全体の軍事支出が増加する一方で、人道危機への対応のために必要な支援が不十分となる状態が続いています。
災害だけをみても、毎年、2億人以上の人々が被災しているといわれます。
飢餓の問題も深刻です。8億2100万人が飢餓に見舞われ、栄養不良で発育が阻害されている5歳未満の子どもは約1億5100万人に及んでいます。
この問題を考えるにつけ、"そもそも安全保障は何のためにあるのか"との原点に立ち返る必要があると思えてなりません。
そこで言及したいのは、国連大学のハンス・ファン・ヒンケル元学長が「人間の安全保障」に関する論考で述べていた言葉です。
ヒンケル氏は、安全保障はさまざまな要因が関係するために複雑にみえるものの、一人一人の目線に立てば、何が脅威で、何を不安に感じるのかは明白に浮かび上がってくるとし、次のように指摘しました。
「世界の大多数の人々にとって、従来の安全保障が、個人レベルにおいて意味のある安心感を提供できなかったことは明白である」
「国際関係と外交政策の決定過程には、疾病や飢餓や非識字よりも、ハイ・ポリティクスを優先する態度や制度が埋め込まれている。私たちは、このようなあり方にあまりにも慣れてしまっており、多くの人にとって『安全』は国家の安全保障と同義になっている」
「ハイ・ポリティクス」とは政治上の最優先事項を意味する言葉ですが、国家の安全保障の比重に比べて、一人一人の生命と生活を脅かす諸課題への対応が遅れがちになる中で、世界の多くの人々が「意味のある安心感」を得られていない状況が生じているのではないかと、ヒンケル氏は問題提起したのです。
◇仏法に脈打つ「同苦」の精神がSGIの平和運動の源流
またヒンケル氏は別の講演で、極度の貧困に陥った人々の窮状について、こう述べていました。
「一日一日の生存さえ——まさしく『一日一日』であって、『一時間一時間』とさえいいうるのだが——保証されないとしたら、人はいかにして生活に喜びや意味を見い出したり、人間的尊厳を維持しながら生活を送ることができるだろうか。明日を迎えるのが精一杯というような生活が主たる関心事であるとしたら、人はいかにして未来に懸け、他者との絆を築くことができるだろうか」(「疎外、人間の尊厳、責任」、「日本国際問題研究所創立40周年記念シンポジウム報告書」所収)と。
私はそこに、従来の安全保障では見過ごされてきた人々の苦しみの深刻さを、痛切に感じるのです。
その辛い思いは、貧困や格差に苦しむ人々だけでなく、紛争のために難民生活を強いられた人々や、災害によって避難生活を余儀なくされた人々をはじめ、世界の多くの人々が抱えているものではないでしょうか。
◇アフリカで広がる画期的な難民支援
その意味で私は、同じ地球に生きる一人一人が「意味のある安心感」を抱くことができ、未来への希望を共に育んでいける世界を築くことこそ、「人間中心の多国間主義」の基盤にあらねばならないと訴えたい。
とはいっても、この挑戦はゼロからの出発ではありません。多くの深刻な問題に直面してきたアフリカで、意欲的な取り組みが始まっているアプローチだからです。
その契機となったのが、2002年のアフリカ連合(AU)の発足でした。
人道危機に対応するための協力が模索される中、7年前には「AU国内避難民条約」が発効しています。
これは他の地域には見られない先駆的な条約で、国内避難民の保護を地域全体で支えることを目指したものです。
また、難民支援の面でも特筆すべき動きがみられます。
例えばウガンダでは、南スーダンなどの紛争国から逃れた110万人もの難民を受け入れてきましたが、難民の人々は移動の自由と労働の機会が認められているほか、土地の提供を受け、医療や教育も受けられるようになっています。
ウガンダの多くの国民が紛争の被害に苦しみ、難民生活を送った経験を持ち、その時の思いが、難民の人々を支える政策の基盤となっているのです。
このほか、タンザニアでも注目すべき取り組みがありました。
タンザニアでは、周辺の国々から避難した30万人以上の難民の人々が生活していますが、その難民の人々と地域の住民が協力して、苗木を栽培する活動が行われてきたのです。
この活動は、薪を得るために森林伐採が進み、自然環境の悪化が懸念される中で始まったもので、難民キャンプとそのキャンプがある地域に約200万本の木々が植えられてきました。
アフリカの大地に新たに植えられた、たくさんの緑の木々——。その光景を思い浮かべる時、私の大切な友人で、アフリカに植樹運動の輪を広げたワンガリ・マータイ博士が述べていた言葉が胸に迫ってきます。
「木々は土地を癒し、貧困と飢えのサイクルを断ち切る一助になります」
「そして、木々は素晴らしい平和のシンボルです。木々は生き、私たちに希望を与えてくれます」(アンゲリーカ・U・ロイッター/アンネ・リュッファー『ピース ウーマン』松野泰子・上浦倫人訳、英治出版)
難民の人々にとって、新しく生活を始めた場所で栽培を手伝った木々の存在は生きる希望の象徴となり、「意味のある安心感」につながるものとなっているのではないでしょうか。
私は、"最も苦しんだ人こそが最も幸せになる権利がある"との信念に基づき、21世紀は必ず「アフリカの世紀」になると、半世紀以上にわたって訴え続けてきました。
世界で求められている「人間中心の多国間主義」のアプローチの旭日は、今まさにアフリカから昇ろうとしているのです。
◇無関心と無慈悲が苦しみを強める
現在、国連難民高等弁務官事務所が支援する難民の3割以上が、アフリカの国々で生活をしています。
国連で先月採択された、難民に関するグローバル・コンパクト=注3=でも呼び掛けられたように、大勢の難民の人々を受け入れ国だけで支えるのは容易ではなく、国際社会をあげて難民への支援とともに、受け入れ国に対する支援を強化することが欠かせません。
ともすれば、難民問題や貧困の問題にしても、その悲惨さに直面していない場合、"自分たちの国には関係がない"とか"自分たちの国の責任ではない"と考えてしまう傾向がみられます。「人間中心の多国間主義」は、こうした国の違いという垣根を超えて、深刻な脅威や課題に苦しんでいる人々を救うことを目指すアプローチなのです。
仏法の出発点となった釈尊の「四門出遊」の説話には、この意識転換を考える上で示唆を与えるメッセージがあると、私は考えます(以下、『ゴータマ・ブッダI』、『中村元選集[決定版]』第11巻所収、春秋社を引用・参照)。
古代インドの時代に、王族として生まれた釈尊は、政治的な地位と物質的な豊かさに恵まれる中で、寒さや暑さに悩まされることも、塵や草や夜露によって衣服が汚れることもない生活を送り、多くの人が王族に仕えてくれる環境の下で青年時代を送りました。
しかしある日、城門から出た釈尊が目にしたのは、病気や老いを抱えて苦しむ人々や、道端で亡くなっている人の姿でした。
その姿に激しく心を動かされた釈尊は、自分も含め、人間であるならば誰しも生老病死の苦しみは逃れがたいものであることを、まざまざと感じたのです。
釈尊が胸を痛めたのは、生老病死の悩みもさることながら、多くの人がそれを"今の自分とは関係のないもの"と考えて、苦しんでいる人々を忌み嫌ったり、厭う気持ちを抱いてしまっていることでした。
後に釈尊は当時を回想し、そうした人間心理について次のように述べました。
「自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している——自分のことを看過して」
こうした言葉を通し、釈尊は「老い」だけでなく、「病」や「死」に対しても同じ心理が働きやすいことを喝破しました。他者の苦しみを自分とは無縁のものと思い、嫌悪の念すら抱く——この人間心理を、釈尊は「若さの驕り」「健康の驕り」「いのちの驕り」として戒めたのです。
それらの驕りを、"人間と人間との心の結びつき"の観点から見つめ直してみるならば、驕りから生じる無関心や無慈悲が、人々の苦しみをより深刻なものにしてしまうという問題が、浮かび上がってくるのではないでしょうか。
いつの時代にも、"貧困などの状態に陥るのは本人の運命でやむを得ない"といった運命論や自己責任論をはじめ、"人々に苦しい思いをさせたとしても、自分の知るところではない"といった道徳否定論が横行しやすい面があります。
こうした考えに対して釈尊は、人間が生きる上でさまざまな苦しみに遭うことは避けられないとしても、自身の内なる可能性を開花させることで、人生を大きく切り開いていくことができると強調しました。
そしてまた、困難を抱える人々に対し、同苦して寄り添い、励まし支えていく縁を紡ぎ合う中で、安心と希望の輪を広げることができると強調したのです。
◇この仏法の眼差しは、生老病死の悩みにとどまらず、社会でさまざまな困難に直面している人々にも向けられたものでした。
例えば、ある大乗仏教の経典(優婆塞戒経)には次のような一節が説かれています。
「乾燥した場所には、井戸をつくり、果樹林を植え、水路を整備しよう」
「年配の人や子どもや体の弱い人が困っていれば、彼らの手をとって助けよう」
「住んでいた土地を失ってしまった人を見かけたら、親身な言葉をかけて寄り添おう」
これらの言葉は、自分も同じ苦しみに直面するかもしれない一人の人間として、"自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない"との心で「自他共の幸福」を目指していく、仏法の精神の一つの表れといえるものです。
私どもがFBO(信仰を基盤とした団体)として、平和や人権、環境や人道などの地球的な課題に取り組む上での思想的源流となってきたのも、こうした他者の苦悩に「同苦」する精神に他なりませんでした。
釈尊が洞察した、老いや病や死を自分に関係がないものとして厭い、苦しみを抱える人に冷たく接してしまう心理——。それはまた、貧困や飢餓や紛争で苦しんでいる人々を、自分が直面する問題ではないからと意識の外に置いてしまう心理と、底流において結びついているのではないかと思えてなりません。
◇環境問題が促す安全保障観の転換
この問題を考える時、先に触れた国連広報局/NGO会議の成果文書の中にも、「私たち民衆は、ナショナリズムかグローバリズムか、いずれかしかないといった誤った選択を拒否する」との言葉があったことが想起されます。
自国第一主義に象徴されるようなナショナリズムを追求すればするほど、「排他」の動きが強まることになり、経済的な利益を至上視するグローバリズムを進めれば進めるほど、「弱肉強食」的な世界の傾向が強まってしまいます。
そうではなく、深刻な脅威や課題に直面する人々を守ることに主眼を置いた「人間中心の多国間主義」のアプローチを、すべての国々が選び取って共に行動を起こしていく時代が来ていると思うのです。
安全を守る防衛の歴史には、"城壁を堅固に築けば、自分たちは安全である"との思想がみられますが、そうした考えは現代においても、"軍事力で防御された国境の内側にいる限り、自分たちの安全は確保できる"といった形で受け継がれてきたといえましょう。
しかし一方で、気候変動をはじめとする地球的な課題の多くは、国境を越える形で被害が及ぶものであり、新しいアプローチでの対応が欠かせないのではないでしょうか。
こうした中、ラテンアメリカとカリブ海諸国が、昨年3月、環境に関する権利を地域全体で守ることを目指す、「エスカス条約」という画期的な枠組みを採択しました。
この地域では、ハリケーンによる災害や、海洋の酸性化などの問題を抱えてきました。そこで、条約を通じて地域間の協力を強化するとともに、環境問題に取り組む人々を共に守り、重要な決定をする場合には多様な意見に耳を傾けることを義務づけるという、「人間中心」の方針が打ち出されたのです。
◇自分にしかできない行動が厳しい現実を突き破る力に
加えて、グローバルな規模でも注目すべき動きが始まっています。
国連環境計画が2年前に開始した「クリーン・シー・キャンペーン」で、海洋汚染を引き起こしてきたプラスチックごみの削減を目指す運動です。
現在までに50カ国以上が参加し、対象となる海岸線は世界全体の6割を超えるまでになりました。
これまで"海岸線を守る"というと防衛的な観点が前面にあったといえますが、今やそこに、"国の違いを超えて海洋を保護し、生態系を共に守る"というまったく新しい意味合いが生じつつあるのです。
歴史を振り返れば、現代にもつながる排他的なナショナリズムと、利益至上主義のグローバリズムの端緒となったのが、19世紀後半から世界に台頭した帝国主義でした。
創価学会の牧口常三郎初代会長は、その嵐が吹き荒れた20世紀の初頭(1903年)に、他国の民衆を犠牲にして自国の安全と繁栄を追い求める生存競争から脱して、各国が人道的競争に踏み出すべきであると訴えていました。
そしてその要諦を、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する方法を選ぶにあり。共同生活を意識的に行うにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社、現代表記に改めた)と強調したのです。
この軸足の転換は、現代の世界で切実に求められているものだと思えてなりません。
人道危機や環境協力の分野で助け合う経験を重ねることは、「平和不在」の病理がつくりだした対立と緊張の荒れ地に、信頼と安心の緑野を広げるための処方箋となるはずです。その先には、対抗的な軍拡競争から抜け出す道も開けてくるのではないでしょうか。
今年の9月には、国連で「気候サミット」が開催されます。
世界全体が「人間中心の多国間主義」へと大きく踏み出すための絶好の機会であり、"同じ地球で生きる人間の生命と尊厳にとって重要な協力とは何か"に焦点を当て、温暖化防止の取り組みの強化を図るとともに、安全保障観の転換を促す機運を高める出発点にしていくことを、私は強く呼び掛けたいのです。
◇国連事務総長の学生への呼び掛け
最後に、軍縮を進めるための第三の足場として提起したいのは、「青年による関与」を主流化させることです。
国連では今、多くの分野で青年がキーワードになっています。
その中核となるのが、昨年9月に始まった「ユース2030」の戦略です。世界18億人の青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)を進めながら、若い世代が主役となってSDGsの取り組みを加速させることが目指されています。
人権の分野でも新しい動きがありました。
来年からスタートする「人権教育のための世界プログラム」の第4段階で、青年を重点対象にすることが決まったのです。
私も昨年の提言で、その方向性を呼び掛けていただけに、第4段階の活動が多くの国で軌道に乗ることを願ってやみません。
青年の重要性が叫ばれているのは、軍縮の分野も例外ではなく、グテーレス事務総長が主導した「軍縮アジェンダ」で明確に打ち出されています。何より事務総長の思いは、その発表の場として国連本部のような外交官の集まる場所ではなく、若い世代が学ぶジュネーブ大学を選んだことにも表れていました。
グテーレス事務総長は、こう呼び掛けました。
「この会場におられる学生の皆さんのような若者は、世界に変革をもたらす最も重要な力です」
「私は、皆さんが自分の力とつながりを利用し、核兵器のない世界、兵器が管理、規制され、資源がすべての人に機会と繁栄をもたらすように使われる世界を求めることを希望しています」(国連広報センターのウェブサイト)
その強い期待を胸に事務総長は、長年にわたり未解決となってきた核兵器の問題だけでなく、若者たちの未来に深刻な脅威を及ぼす課題として、新しい技術が引き起こす紛争の危険性を学生たちに訴えたのです。
なかでも事務総長が深い憂慮を示していたのが、サイバー攻撃の脅威でした。サイバー攻撃は、軍事的な打撃を与えるものにとどまらず、重要インフラへの侵入で社会的な機能を麻痺させることを目的にした攻撃など、多くの市民を巻き込み、甚大な被害を及ぼす危険性を持つものです。
このように現代の軍拡競争は、戦闘の有無にかかわらず、日常生活にまで及ぶ脅威を招いています。
しかも、その深刻さは、平和や人道に対する脅威だけにとどまりません。
人間の生き方、特に青年に及ぼす影響の観点から見つめ直してみるならば、軍拡の問題があまりにも複雑で巨大になってしまったがゆえに、現実を変えることはできないといった"あきらめ"を蔓延させる点に、根源的な深刻さがあるのではないでしょうか。
◇社会の土壌を蝕む"あきらめ"の蔓延
「平和不在」の病理の克服を訴えたヴァイツゼッカー博士が、何より懸念していたのもこの問題でした(前掲『心の病としての平和不在』)。
博士は、制度的に保障された平和の必要性を訴える自分の主張に対し、寄せられる非難として二つの類型を挙げました。
一つは、「われわれは平和の中で暮らしているではないか。大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」との非難です。
もう一つは、「戦争はいつの時代にもあったし、またこれからもあるだろう。人間の自然とはそういうものだ」との非難でした。
奇妙なことに二つの非難は、しばしば同じ人間が発する言葉でもあったといいます。つまり、「同じ人が、一方では平和の中で暮らしていると考え、他方では、平和は単なる聞き届けられない願望であるといっている」と。
そこで博士は、本人でも気づかない矛盾がなぜ起こるのかについて考察を進めました。
注視し続けることが困難な問題を前にした時、人間にはそれを頭の中から押しのけようとする心理が働く。その心の動きは、ある場合には精神の均衡を保つために必要かもしれないが、「生存に必要な判断」が求められる時に、果たしてそれで良いのだろうか。
それは、「わたしたち人間が、平和をつくり出すようになるためにはなにがなされねばならないか。なにを実行しなければならないか」について、真摯に考えようとする取り組みを足止めしてしまうのではないか——というのが、博士の問題提起だったのです。
この考察から半世紀が経った今なお、核抑止を積極的に支持しないまでも、安全保障のためにはやむを得ないと考える人々は、核保有国や核依存国の中に少なくありません。
核戦争が実際に起こらない限り、「大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」と考え、核の脅威から目を背けていても、一見、何の問題もないようにみえるかもしれない。
しかし、核問題に対する"あきらめ"が蔓延していること自体が、社会の土壌と青年たちの未来を蝕みかねないことに目を向ける必要があります。
核抑止に基づく安全保障は、ひとたび戦端が開かれれば、他国と自国の大勢の人々の命を奪い去る大惨事を招くだけではない。核兵器が使用される事態が起きなくても、核の脅威の下で生きることを強いられる不条理は続き、核兵器の防護や軍事機密の保護が優先されるため、国家の安全保障の名の下に自由や人権を制限する動きが正当化される余地も常に残ります。
そこに"あきらめ"の蔓延が加われば、自分たちの身に自由や人権の侵害が降りかからない限り、必要悪として見過ごしてしまう風潮が社会で強まる恐れがあるからです。
ヴァイツゼッカー博士が懸念していた「平和不在」の病理がもたらす悪影響が、このような形で今後も強まっていくことになれば、次代を担う青年たちが健全で豊かな人間性を育む環境は損なわれてしまうのではないでしょうか。
◇立正安国論の精神
釈尊の教えの精髄である法華経に基づき、13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人が、「立正安国論」において、社会の混迷を深める要因として剔抉していたのも、"あきらめ"の蔓延でありました。
当時は、災害や戦乱が相次ぐ中で、多くの民衆が生きる気力をなくしていました。その上、自分の力で困難を乗り越えることをあきらめてしまう厭世観に満ちた思想や、自己の心の平穏だけを保つことに専念するような風潮が社会を覆っていました。
その思想と風潮は、法華経に脈打つ教えとは対極にあるものに他なりませんでした。法華経では、すべての人間に内在する可能性をどこまでも信じ、その薫発と開花を通じて、万人の尊厳が輝く社会を築くことを説いていたからです。
度重なる災害で打ちひしがれている人々の心に希望を灯すには何が必要なのか。紛争や内戦を引き起こさないためには、どのような社会の変革が求められるのか——。
大聖人はその課題と徹底して向き合いながら、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書24ページ)と訴え、"あきらめ"の心を生じさせる社会の土壌に巣くう病根を取り除く重要性を強調しました。
社会の混迷が深いからといって、あきらめるのではない。人間の内なる力を引き出して、時代変革の波を共に起こすことを呼び掛けたのが、大聖人の「立正安国論」だったのです。
私どもは、この大聖人の精神を受け継ぎ、牧口初代会長と戸田第2代会長の時代から今日に至るまで、地球上から悲惨の二字をなくすために行動する民衆の連帯を築くことを社会的使命としてきました。
こうした仏法の源流にある釈尊の苦に関する洞察について、「厭世的な気分というものはない」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と評したのは、哲学者のカール・ヤスパースでした。
ヤスパースの著作の中に、"あきらめ"を克服するための方途を論じた考察があります(『実存開明』草薙正夫・信太正三訳、創文社)。
一人一人の人間が直面する逃れられない現実を「限界状況」と名づけたヤスパースは、「現存在としてわれわれは、限界状況の前に眼を閉ざすことによってのみ、それらを回避することができる」が、それは自身の内なる可能性を閉ざすことになると指摘しました。
私が重要だと感じたのは、ヤスパースが、限界状況といっても一人一人の人間にとって個別具体的なものであるからこそ、そこに打開の糸口を見いだせると洞察していた点です。
つまり、人間はそれぞれ、生まれや環境といった異なる人生を背負っており、その制約によって生きる条件が狭められるものの、限界状況を自覚して正面から向き合うことを決断すると、他の誰かとは代替できない個別の境遇という「狭さ」を、本来の自分に生きゆく生の「深さ」へと転換することができる、と。
その上でヤスパースは、「このような限界状況にあっては、客観的な解決などというものは永久にあるわけでなく、あるものは、その都度の解決だけである」と訴え、だからこそ自分自身でなければ起こすことのできない一回一回の行動の重みが増してくると強調したのです。
◇共存の道を開く
このヤスパースの呼び掛けは、冷戦時代から平和と共存の道を開くために行動してきた私自身の思いとも重なるものです。
冷戦対立が激化した1974年に、中国とソ連を初訪問した私に浴びせかけられたのは、「宗教者が、何のために宗教否定の国へ行くのか」との批判でした。
しかし私の思いは、平和を強く願う宗教者だからこそ、中日友好協会やモスクワ大学から受けた中国やソ連への招聘という機縁を無にすることなく、何としても友好交流の基盤を築きたいとの一点にありました。
"このようにすれば必ず成功する"といった万能な解決策など、どこにもなかった。まさに、それぞれが「一回限りの状況」というほかない出会いと対話を誠実に重ねながら、教育交流や文化交流の機会を一つまた一つと、手探りで積み上げてきたのです。
冷戦終結後も、どの国の人々も孤立することがあってはならないと考え、アメリカとの厳しい対立関係にあったキューバや、テロ問題に直面していたコロンビアなどを訪問してきました。自分は何もできることはないとあきらめるのではなく、"宗教者や民間人だからこそできることは必ずあるはずだ"との信念で各国に足を運んできたのです。
また、35年以上にわたって平和と軍縮のための提言を続け、市民社会の連帯を広げるための行動を重ねてきました。
その大きな目標であった核兵器禁止条約が実現をみた今、私は自らの経験を踏まえて、世界の青年たちに呼び掛けたい。
一人一人が皆、尊極の生命と限りない可能性を持った存在に他ならず、国際社会の厳しい現実を、動かし難いものとして甘受し続けなければならない理由はどこにもない!——と。
◇エスキベル博士と共同で出した声明
昨年6月、世界の青年に向けて発表した、人権活動家のアドルフォ・ペレス=エスキベル博士との共同声明でテーマに掲げたのも、「もう一つの世界は可能である」との信念であり、私たちはこう訴えました。
「幾百万、幾千万もの人々が、戦争や武力衝突の暴力、飢えの暴力、社会的暴力、構造的な暴力によって、生命と尊厳を脅かされている。困窮している人々に連帯し、その窮状を打開するために、我々は両手だけでなく、考え方と心を大きく広げなければならない」
共同声明で言及したように、そのモデルとなる挑戦こそ、若い世代の情熱と豊かな発想力によって核兵器禁止条約の採択を後押しし、ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の取り組みでした。
ICANの発足以来、国際パートナーとして共に行動してきたSGIでも、中核を担ってきたのは青年部のメンバーです。
SGIでは2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の活動を立ち上げ、日本の青年部を中心に核兵器廃絶を求める512万人の署名を集めました。
イタリアでも、青年部を中心に「センツァトミカ(核兵器はいらない)」キャンペーンに協力し、同国の70都市以上で意識啓発のための展示を開催してきました。またアメリカでは学生部が、2030年までに核兵器廃絶を目指す「私たちの新たな明るい未来」と題する対話運動を、全米各地の大学などを舞台に活発に行ってきました。
これらの活動の一部は、国連に昨年提出した報告書でも紹介したところです。
安全保障理事会が2015年に採択した「2250決議」では、青年が平和構築と安全保障に貢献している事例を調査し、安保理と加盟国に報告するよう定めており、私どもの青年部の活動は、その「2250決議」に関する進捗研究でも言及されています。
青年部がまとめた報告書では、SGIの「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の取り組みを総括して、次のように記しています。
「青年たちが運動に加わることで、核兵器の問題を意識していない人々にも裾野が広がり、すでに運動に参加している人々に更なる活力を与える波及効果がある」
人々の心に時代変革の思いを呼び起こし、共に強め合う——私は、その「共鳴力」の発揮に、青年の真骨頂があると訴えたい。
核兵器禁止条約の早期発効はもとより、その発効の先にある大きな課題、すなわち、核保有国や核依存国の参加を促し、核兵器の廃棄を前に進めるには、世界的な関心と支持を喚起し、維持し続けることが欠かせず、青年たちによる力強い関与がその生命線となるのではないでしょうか。
以上、私は軍縮を進めるための三つの足場をそれぞれ提起してきましたが、この青年たちが発揮する「共鳴力」こそ、他の二つの足場をも堅固に鍛え上げていく、すべての足場の要となるものであると強調したいのです。(�に続く)
語句の解説
注1 中距離核戦力(INF)全廃条約
アメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が1987年12月に署名した条約。射程500〜5500キロの地上配備の弾道ミサイルと巡航ミサイルの生産・実験・保有を禁止した。冷戦終結後はロシアが条約の義務を継承し、91年5月に対象兵器の全廃が完了したが、近年、新たなINFの配備を禁止した条約の規定などを巡って対立が続いてきた。
注2 ソクラテスの産婆術
古代ギリシャの哲学者ソクラテスが用いた問答法で、言葉の投げ掛けや対話を重ねる中で、通念や常識に対する疑問を相手に呼び起こし、正しい認識や真理に導くアプローチ。弟子のプラトンがまとめた対話篇『テアイテトス』では、ソクラテスが、助産師だった彼の母の仕事になぞらえて、真理を産み出す過程を陣痛や分娩などに譬えている箇所がでてくる。
注3 難民に関するグローバル・コンパクト
2018年12月の国連総会で採択された、難民支援の連携を進めるための国際的な指針。難民の教育機会の確保や受け入れ国でのインフラ整備など、難民と受け入れ国の双方が恩恵を受けられる包括的な支援を進めるための国際協力の強化を目指す。各国の取り組みの進捗状況を報告する「グローバル難民フォーラム」を4年ごとに開催することも盛り込まれた。
試練の風雪に挑む友へ
「冬は必ず春となる」と
希望のエールを!
一人を大切にする心を
我らの地域に社会に!
2019年2月4日
妙密上人御消息 P1237
『人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く』
【通解】
人に食物を施すことには三つの功徳があります。一には生命をたもつことができます。二には色艶を増します。三には力を与えるのです。
〈寸鉄〉 2019年2月4日
深き団結があれば恐れるものはない—戸田先生。共々に励まし栄光の峰へ
「東洋哲学研究所の日」。文明間・宗教間の懸け橋たれ!人類の平和のため
東京・中野の日。連帯固く勇気の対話拡大に率先。堂々たる広布の人材山脈
幹部は会合革命、時間革命を。短くも決意漲る集いに。創価とは価値創造
世界対がんデー。早期の発見・治療で死亡リスク大幅減。公明よ対策更に
☆第44回「SGIの日」記念提言(上) 「平和と軍縮の新しき世紀を」 2019年1月26日
創価学会インタナショナル会長 池田大作
民衆の生命と尊厳を脅かす紛争の根を断ち切る
きょう26日の第44回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「平和と軍縮の新しき世紀を」と題する記念提言を発表した。
提言ではまず、軍縮を阻んできた背景にあるものを探る手がかりとして、物理学者で哲学者のカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が考察した「平和不在」の病理に言及。"病に対する治癒"のアプローチを重視する仏法の視座を通し、人間の生き方を変革するための鍵を提起しつつ、「平和な社会のビジョン」の骨格を打ち出した核兵器禁止条約の歴史的意義を強調している。
また、グローバルな脅威や課題に直面する人々の窮状を改善する「人間中心の多国間主義」を推進して、安全保障観の転換を図る重要性を指摘するとともに、軍縮の分野で「青年による関与」を主流化させるよう訴えている。
続いて、核兵器禁止条約への各国の参加の機運を高めるために、有志国による「核兵器禁止条約フレンズ」の結成を提案。日本がそのグループに加わり、核保有国と非保有国との対話の場の確保に努めることを呼び掛けている。
また、来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核軍縮の交渉義務に焦点を当てた討議を行った上で、国連の第4回軍縮特別総会を2021年に開催することを提唱。更に、AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」を禁止する条約の交渉会議を早期に立ち上げるよう訴えている。
最後に、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」に関して、安全な水の確保をグローバルな規模で図るために、国連で「水資源担当の特別代表」を新たに任命することや、世界の大学をSDGsの推進拠点にする流れを強めるための提案を行っている。
世界では今、グローバルな課題が山積する中で、これまで考えられなかったような危機の様相がみられます。
特に顕著なのは気候変動の問題です。世界の平均気温は4年連続で高温となっており、異常気象による被害が相次いでいます。
難民問題も依然として深刻で、紛争などで避難を余儀なくされた人は6850万人にのぼりました。
加えて、暗い影を落としているのが貿易摩擦の問題で、昨年の国連総会の一般討論演説で多くの国の首脳が述べたのも世界経済に及ぼす影響への懸念でした。
これらの課題とともに、国連が早急な対応を呼び掛けているのが軍縮の問題です。アントニオ・グテーレス事務総長は昨年5月、この問題に焦点を当てた包括的文書である「軍縮アジェンダ」を発表しました。
グテーレス事務総長は発表に際し、世界の軍事支出が1兆7000億ドルを超え、"ベルリンの壁"崩壊以降で最高額に達したことに触れる一方で、次のような警鐘を鳴らしました。
「各国が他の国の安全保障を顧みず、自らの安全保障だけを追求すれば、すべての国を脅かす地球規模の安全保障上の不安を生み出してしまうという矛盾がうまれます」
その上で強調したのは、軍事支出の総額が世界の人道援助に必要な額の約80倍に達したという点です。
このギャップが広がる中、「貧困に終止符を打ち、健康と教育を促進し、気候変動に対処し、地球を保護するための取り組みに必要な支出がされていません」との深い憂慮を示したのです(国連広報センターのウェブサイト)。
現在の状態が続けば、誰も置き去りにしない地球社会の建設を目指す「持続可能な開発目標(SDGs)」の取り組みが停滞することにもなりかねません。
軍縮は国連の創設以来の主要課題であり、私自身にとっても、35年以上にわたる毎年の提言で中核をなすテーマとして何度も論じてきた分野であります。
第2次世界大戦の惨禍を体験した世代の一人として、また、地球上から悲惨の二字をなくしたいとの信念で行動を続けた創価学会の戸田城聖第2代会長の精神を継ぐ者として、多くの民衆の生命と尊厳を脅かす紛争の根を断ち切るには、軍縮が絶対に欠かせないと痛感してきたからです。
◇生存の権利を守る信念に立脚した戸田会長の「原水爆禁止宣言」
私たち人間には、いかなる困難も乗り越えることができる連帯の力が具わっています。
不可能と言われ続けてきた核兵器禁止条約も2年前に採択が実現し、発効に向けて各国の批准が進んでいます。
闇が深ければ深いほど暁は近いと、眼前にある危機を"新しき歴史創造のチャンス"と受け止めながら、今こそ軍縮の潮流を大きくつくり出していくべきではないでしょうか。
そこで今回は、21世紀の世界の基軸に軍縮を据えるための足場について、�「平和な社会のビジョン」の共有、�「人間中心の多国間主義」の推進、�「青年による関与」の主流化、の三つの角度から論じてみたい。
◇核軍拡競争が再燃する恐れ
第一の足場として提起したいのは、「平和な社会のビジョン」の共有です。
世界では今、多くの分野にわたって兵器の脅威が増しています。
小型武器をはじめ、戦車やミサイルなどの通常兵器の輸出入を規制する武器貿易条約が2014年に発効しましたが、主要輸出国の参加が進まず、紛争地域で武器の蔓延を食い止められない状態が続いています。
化学兵器のような非人道的な兵器が、再び使用される事態も起きました。
また兵器の近代化に伴って、深刻な問題が生じています。武装したドローン(無人航空機)による攻撃が行われる中、市民を巻き込む被害が広がり、国際人道法の遵守を危ぶむ声があがっているのです。
核兵器を巡る緊張も高まっています。
昨年10月、アメリカのトランプ大統領は、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約=注1=から離脱する方針を発表しました。
両国の間で条約の遵守に関する対立が続いてきましたが、今後、条約が破棄されることになれば、他の保有国を含めた核軍拡競争が再燃する恐れがあります。
まさにグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の序文で述べていた、「冷戦時代の緊張状態が、より複雑さを増した世界に再び出現している」(「軍縮アジェンダ・私たちの共通の未来を守る」、「世界」2018年11月号所収、岩波書店)との警鐘が、強く胸に迫ってきてなりません。
なぜ、このような事態が21世紀の世界で繰り返されようとしているのか——。
この問題を前にして思い起こされるのは、著名な物理学者で卓越した哲学者でもあったカール・フォン・ヴァイツゼッカー博士が、かつて述べていた慧眼の言葉です。
博士は、私が友誼を結んできたエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー氏(ローマクラブ名誉共同会長)の父君で、世界平和のための行動を貫いた尊い生涯については対談集でも語り合ったところです。
その博士が冷戦の終結後に、"ベルリンの壁"が崩壊した1989年からドイツの統一が実現した90年までの世界の動きを振り返って、こんな言葉を述べていました(『自由の条件とは何か 1989〜1990』小杉尅次・新垣誠正訳、ミネルヴァ書房)。
「世界情勢はこの一年間全体としてはほんのわずかしか変化を経験しなかった」
もちろん、東西に分断されたドイツで人生の大半を過ごしてきた博士自身、冷戦の終結を巡る一連の動きが、歴史的な一大事件に他ならなかったことを何度も強調していました。
そのことを承知の上で博士には、ソクラテスの産婆術=注2=にも通じるような言葉の投げ掛けによって伝えたいメッセージがあったのではないでしょうか。
当時の政治・軍事状況を踏まえて、博士は次のように述べていました。
「制度化された戦争の克服は、残念ながら現況ではまだ精神の根源的変革の域に達していません」
つまり、異なる集団の間で覇権を巡って戦闘が繰り広げられる「制度化された戦争」の克服という根本課題は、冷戦の終結をもってしても、確たる展望を開くことができないままとなっている、と。
そして、こう警告を発していたのです。
「二〇世紀最後半の現時点においても停止することなき軍拡競争の結果、新種の武器開発が行なわれ、それがさらに戦争を勃発させる事態へ連動していく可能性と危険性すら存在する」
今の世界にも当てはまる警告であり、博士の洞察の深さを感じずにはいられません。平和と軍縮の問題は、冷戦時代から現在に至るまで"地続き"となっており、アポリア(難題)として積み残されたままであることが浮き彫りとなるからです。
それでも、希望の曙光はあります。軍縮の分野で、国際政治や安全保障に基づく議論だけでなく、人道的な観点からの問題提起が行われるようになり、対人地雷、クラスター爆弾、そして核兵器と、非人道的な兵器を禁止する条約が一つまた一つと制定されてきているからです。
国際人道法の形成にみられる歴史の大きな流れとしての人道的アプローチを追い風としながら、軍縮を大きく前進させるための共同作業を、すべての国が協力して開始していかねばなりません。
◇ヴァイツゼッカー博士の重要な考察
そこで、一つの手がかりとして言及したいのが、ヴァイツゼッカー博士が、軍縮を阻んできた背景にあるものを、「平和不在」という名の病理として掘り下げていた考察です(『心の病としての平和不在』遠山義孝訳、南雲堂)。
私が着目したのは、博士が平和を巡る問題を"病気"に譬えることで、いずれの国にも、また、どんな人にも決して無縁な課題ではないとの前提に立っていた点です。
その考えの基底には、人間は善と悪に分けられるような存在ではなく、「確定されていない生き物」であるとの認識がありました。
ゆえに、「ひとは平和不在を外側から、愚かさとも悪ともみなしてはいけない」のであって、「病気の現象だけを、目の前に置かねばならない」と強調したのです。
また博士は、「平和不在は教化によっても、罰することによっても克服できない。それは治療と呼ぶべき別のプロセスを必要とする」と指摘し、こう呼び掛けていました。「わたしたちが、病気の症状をわたしたち自身のうちに認識しない限り、また他の人達とわたしたち自身を病人として受け入れることを習わない限り、いかにしてわたしたちは病人を助けることができましょうか」と。
そうした博士であればこそ、アメリカとソ連に続いてイギリスが核開発競争に踏み出していた時代に、次のような問題意識を提示していたのではないかと思います。
博士が中心になって起草し、他の学者たちとの連名で57年に発表した「ゲッティンゲン宣言」には、こう記されています。
「自国を守る最善の方法、そして世界平和を促進する最短の道は、明確かつ自発的に、いかなる種類の核兵器の保有も放棄することであるとわれわれは信ずる」(マルティン・ヴァイン『ヴァイツゼッカー家』鈴木直・山本尤・鈴木洋子訳、平凡社)
この言葉は、核開発競争を続ける保有国に向けられたものというよりも、まずもって、"自分の国が核問題にどう臨むべきか"との一点に焦点を当てたものでした。
また、科学者として自分たちの仕事がもたらす結果に対する責任を負うがゆえに、すべての政治問題に対して沈黙することができないと宣言したのです。
◇三車火宅の譬え
一方、この「ゲッティンゲン宣言」と同じ年に、仏法者としての信念に基づいて「原水爆禁止宣言」を発表したのが、私の師である戸田第2代会長でした。
戸田会長は、当時高まっていた核実験禁止運動の重要性を踏まえつつも、問題の根本的な解決には、核兵器を正当化する安全保障の根にある思想を断ち切る以外にないとして、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と訴えました。
世界の民衆の生存の権利を守るとの一点に立脚して、その権利を脅かすことは誰であろうと許されないと訴え、国家の安全保障という高みに置かれていた核兵器の問題を、すべての人間に深く関わる"生命尊厳"の地平に引き戻すことに、「原水爆禁止宣言」の眼目はあったのです。
私が核廃絶の運動に取り組む中で、「核時代に終止符を打つために戦うべき相手は、核兵器でも保有国でも核開発国でもありません。真に対決し克服すべきは、自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さないという『核兵器を容認する思想』です」と訴えてきたのも、その師の信念を継いだものに他なりません。
思い返せば、「原水爆禁止宣言」の発表から1年が経った時(58年9月)、私は戸田会長の師子吼を反芻しながら、「火宅を出ずる道」と題する一文を綴ったことがあります。
火宅とは、法華経の「三車火宅の譬え」から用いた言葉で、そこには、こんな話が説かれています。
ある長者の家が、突然、火事に見舞われた。しかし屋敷が広大なこともあり、子どもたちは一向に危険に気づかず、驚きも恐れもしていない。そこで長者は、「外に出よう」という気持ちを子どもたちが自ら起こせるように働きかけて、全員を火宅から無事に救出することができた——という話です。
私は、その説話に触れた一文の中で、「原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」と強調しました。核兵器はまさに、すべての国の人々に深く関わる脅威であり、その未曽有の脅威に覆われた"火宅"から抜け出す道を共に進まねばならないとの思いを込めて、その言葉を綴ったのです。
この説話が象徴するように、何よりも重要なのは、すべての人々を救うことにあります。
その意味で、グテーレス事務総長が主導した「軍縮アジェンダ」で、長らく論議の中核を占めてきた"安全を守る"という観点だけでなく、「人類を救うための軍縮」「命を救う軍縮」「将来の世代のための軍縮」との三つの立脚点が新たに打ち出されたことに、深く共感するものです。
◇戦争の悲劇を繰り返させない
アングリマーラを変えた二つの転機
では、いかなる手段も厭わず、どんな犠牲が生じても構わないといった思想に横たわる「平和不在」の病理を乗り越えて、すべての人々の命を救うための軍縮を世界の潮流に押し上げていくためには、何が必要となるのか——。
この難題と向き合うにあたり、"病に対する治癒"のアプローチを重視する仏法の視座を示すものとして紹介したいのは、釈尊が在世の時代の古代インドで、多くの人命を奪い、人々から恐れられていたアングリマーラを巡る説話です。
——ある時、釈尊の姿を見かけたアングリマーラは、釈尊の命を奪おうとして、後を追いかけた。
しかし、どれだけ足を速めても、釈尊のそばにはたどりつけない。
業を煮やした彼が立ち止まり、釈尊に「止まれ」と叫んだ。すると釈尊から返ってきたのは、「アングリマーラ、わたしは止まっている。おん身が止まれ」との答えだった。
自分は足を止めているのに、なぜ、そんなことを言うのかとたずねるアングリマーラに対し、釈尊はさらにこう答えた。
「止まれ」と言ったのは足のことではない。次々と命を奪うことに何の痛痒も感じない、その行動の奥底にある害心に対し、自らを制して止まるように言ったのである、と(長尾雅人責任編集『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』中央公論社を引用・参照)。
この言葉に胸を打たれたアングリマーラは、害心を取り払って悪を断つことを決意し、手にしていた武器を投げ捨てた。そして釈尊に、弟子に加えてほしいと願い出たのです。
以来、彼は釈尊に帰依し、自らが犯した罪を深く反省しながら、贖罪の思いを込めた仏道修行にひたすら励みました。
そんなアングリマーラに、もう一つの重要な転機が訪れました。
——アングリマーラが托鉢をしながら街を歩いていると、難産で苦しんでいる一人の女性を見かけた。何もできずに立ち去ったものの、女性の苦しむ姿が胸に残り、釈尊のもとに赴いてそのことを伝えた。
釈尊はアングリマーラに対し、女性のもとに引き返して、次の言葉をかけるように促した。「わたしは生まれてからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
自分が重ねてきた悪行を知るがゆえに、アングリマーラは真意がつかめなかった。そこで釈尊は、アングリマーラが害心を自ら取り払い、深く反省して修行を重ねていることに思いを至らせるかのように、改めて彼に対し、女性にこう告げるように呼び掛けた。
「わたしはとうとい道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを」と。
釈尊の深い思いを知ったアングリマーラは、街に戻って女性に言葉を捧げた。すると苦しんでいた女性は穏やかな表情を取り戻し、無事に子どもを出産することができたのだった——(前掲『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』を引用・参照)。
この二つの出来事を通して、釈尊がアングリマーラに促したことは何であったか。
それは、彼を長らく突き動かしてきた害心に目を向けさせて、悪行を食い止めたことにとどまりませんでした。母子の命を助けるための道を照らし出し、アングリマーラが自らの誓いをもって"命を救う存在"になっていく方向へと、心を向けさせたのです。
もちろんこの説話は、一人の人間の生き方の変革のドラマを描いたものであって、現代とは時代も違えば、状況も違います。
しかし、行為の禁止を強調するだけでなく、その行為とは正反対の"命を救う存在"へと踏み出すことを促すベクトル(方向性)は、社会の変革にまで通じる治癒の底流となり得るのではないかと、私は提起したいのです。
◇ジュネーブ諸条約に込められた決意
今から70年前(1949年)に締結され、国際人道法の重要な原則を定めたジュネーブ諸条約には、このベクトルに相通じるような条約制定への思いが込められていたと感じます。
ジュネーブ諸条約は、妊婦をはじめ、子どもや女性、高齢者や病人を保護する安全地帯の設置などを求めて、第2次世界大戦の末期に赤十字国際委員会が準備作業に着手していたものでした。
戦後、交渉会議に参加した国々は、条約の採択に際し次の表明を行いました。
「各国政府は将来にわたり、戦争犠牲者の保護のジュネーブ諸条約を適用しなければならないことのないよう、また各国は強大国であろうと弱小国であろうと常に諸国間の相互理解と協力により紛争を友好的に解決することを希望する」(井上忠男『戦争と国際人道法』東信堂)
つまり、条約に対する違反行為を共に戒めるといった次元にとどまらず、条約の適用が問われるような、多くの人命が奪われる事態を未然に防ぐとの一点に、条約の制定を導いた思いが凝縮していたのです。
多くの人々が目の当たりにした戦争の残酷さと悲惨さが、交渉会議の参加者の間にも皮膚感覚として残っていたからこそ、国際人道法の基盤となる条約は、強い決意をもって採択されたのではないでしょうか。
私は、この条約の原点を常に顧みることがなければ、条文に抵触しない限り、いかなる行為も許されるといった正当化の議論が繰り返されることになると、強く警告を発したい。
まして現在、AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」の開発が進む中で、"人間が直接介在せずに戦闘が行われる紛争"の到来さえ、現実味を帯びようとしています。このままではジュネーブ諸条約に結実した国際人道法の精神が十全に発揮されなくなる恐れがあり、私たちは今こそ、「平和不在」の病理を克服する挑戦を大きく前に進めねばならないと思うのです。
そのために重要な足場となるのが、「平和不在」の病理に対する認識を互いに持ちながら、治癒のあり方を共に探ること——すなわち、「平和な社会のビジョン」を共有していくことではないでしょうか。
◇核兵器禁止条約が持つ歴史的な意義
私は、このビジョンの骨格となるものを打ち出した軍縮国際法の嚆矢こそ、核兵器禁止条約に他ならないと訴えたい。
核兵器禁止条約は、軍縮や人道の範疇だけに収まる国際法ではありません。
国際人道法の名づけ親と言われる赤十字国際委員会のジャン・ピクテ元副委員長は、国際人道法の規則を構成する条文は「人道的な関心を国際法へ転換したもの」(前掲『戦争と国際人道法』)であると強調していました。
被爆者をはじめとする多くの民衆の"核兵器による惨劇を繰り返してはならない"との思いを凝縮した核兵器禁止条約は、まさにその系譜に連なるものだといえましょう。
さらに、核兵器禁止条約は、新しい国際法のあり方として注目されている、「ハイブリッド型国際法」の性格も帯びています。
これは気候変動の分野で提起されてきたもので、人権や強制移住の問題と連動させる形での問題解決を志向した、思考の枠組みの転換を促す条約のアプローチです。
そうした地球的な課題の連関性をより幅広く包摂したのが、核兵器禁止条約であると思うのです。
国家の主権に深く関わる安全保障であっても、「環境」「社会経済開発」「世界経済」「食糧安全保障」「現在及び将来の世代の健康」、そして「人権」と「男女双方の平等」のすべての重みを踏まえたものでなければならないとの方向性を明確に打ち出しているからです。
いずれの課題に対する配慮を欠いても、真の安全保障を確保することはできない——その意識の共有が土台になければ、核軍縮の交渉といっても、保有数のバランスばかりに目が向いて、軍備管理的な意味合いから抜け出すことは難しいのではないでしょうか。
その意味で、核兵器禁止条約は、長年にわたる核軍縮の停滞を打ち破るための基盤を提供するだけではありません。
核兵器禁止条約を支持する連帯の輪を広げる中で、�すべての人々の尊厳を守り合う「人権」の世界、�自他共の幸福と安全を追求する「人道」の世界、�地球環境と未来の世代に対する責任を分かち合う「共生」の世界への道を力強く開いていくことに、最大の歴史的な意義があると訴えたいのです。
◇不十分な状態続く人道危機への対応
次に、軍縮を進めるための第二の足場として提起したいのは、「人間中心の多国間主義」を共に育むことです。
「人間中心の多国間主義」は、深刻な脅威や課題に直面している人々を守ることに主眼を置くアプローチで、昨年8月に行われた国連広報局/NGO(非政府組織)会議の成果文書でも、その重要性が強調されていたものです。
SDGsの取り組みを前進させるために欠かせないアプローチですが、私は、この追求がそのまま、軍拡の流れを軍縮へと大きく転換する原動力となっていくに違いないと考えます。
国連のグテーレス事務総長が「軍縮アジェンダ」の発表にあたって警鐘を鳴らしていたように、世界全体の軍事支出が増加する一方で、人道危機への対応のために必要な支援が不十分となる状態が続いています。
災害だけをみても、毎年、2億人以上の人々が被災しているといわれます。
飢餓の問題も深刻です。8億2100万人が飢餓に見舞われ、栄養不良で発育が阻害されている5歳未満の子どもは約1億5100万人に及んでいます。
この問題を考えるにつけ、"そもそも安全保障は何のためにあるのか"との原点に立ち返る必要があると思えてなりません。
そこで言及したいのは、国連大学のハンス・ファン・ヒンケル元学長が「人間の安全保障」に関する論考で述べていた言葉です。
ヒンケル氏は、安全保障はさまざまな要因が関係するために複雑にみえるものの、一人一人の目線に立てば、何が脅威で、何を不安に感じるのかは明白に浮かび上がってくるとし、次のように指摘しました。
「世界の大多数の人々にとって、従来の安全保障が、個人レベルにおいて意味のある安心感を提供できなかったことは明白である」
「国際関係と外交政策の決定過程には、疾病や飢餓や非識字よりも、ハイ・ポリティクスを優先する態度や制度が埋め込まれている。私たちは、このようなあり方にあまりにも慣れてしまっており、多くの人にとって『安全』は国家の安全保障と同義になっている」
「ハイ・ポリティクス」とは政治上の最優先事項を意味する言葉ですが、国家の安全保障の比重に比べて、一人一人の生命と生活を脅かす諸課題への対応が遅れがちになる中で、世界の多くの人々が「意味のある安心感」を得られていない状況が生じているのではないかと、ヒンケル氏は問題提起したのです。
◇仏法に脈打つ「同苦」の精神がSGIの平和運動の源流
またヒンケル氏は別の講演で、極度の貧困に陥った人々の窮状について、こう述べていました。
「一日一日の生存さえ——まさしく『一日一日』であって、『一時間一時間』とさえいいうるのだが——保証されないとしたら、人はいかにして生活に喜びや意味を見い出したり、人間的尊厳を維持しながら生活を送ることができるだろうか。明日を迎えるのが精一杯というような生活が主たる関心事であるとしたら、人はいかにして未来に懸け、他者との絆を築くことができるだろうか」(「疎外、人間の尊厳、責任」、「日本国際問題研究所創立40周年記念シンポジウム報告書」所収)と。
私はそこに、従来の安全保障では見過ごされてきた人々の苦しみの深刻さを、痛切に感じるのです。
その辛い思いは、貧困や格差に苦しむ人々だけでなく、紛争のために難民生活を強いられた人々や、災害によって避難生活を余儀なくされた人々をはじめ、世界の多くの人々が抱えているものではないでしょうか。
◇アフリカで広がる画期的な難民支援
その意味で私は、同じ地球に生きる一人一人が「意味のある安心感」を抱くことができ、未来への希望を共に育んでいける世界を築くことこそ、「人間中心の多国間主義」の基盤にあらねばならないと訴えたい。
とはいっても、この挑戦はゼロからの出発ではありません。多くの深刻な問題に直面してきたアフリカで、意欲的な取り組みが始まっているアプローチだからです。
その契機となったのが、2002年のアフリカ連合(AU)の発足でした。
人道危機に対応するための協力が模索される中、7年前には「AU国内避難民条約」が発効しています。
これは他の地域には見られない先駆的な条約で、国内避難民の保護を地域全体で支えることを目指したものです。
また、難民支援の面でも特筆すべき動きがみられます。
例えばウガンダでは、南スーダンなどの紛争国から逃れた110万人もの難民を受け入れてきましたが、難民の人々は移動の自由と労働の機会が認められているほか、土地の提供を受け、医療や教育も受けられるようになっています。
ウガンダの多くの国民が紛争の被害に苦しみ、難民生活を送った経験を持ち、その時の思いが、難民の人々を支える政策の基盤となっているのです。
このほか、タンザニアでも注目すべき取り組みがありました。
タンザニアでは、周辺の国々から避難した30万人以上の難民の人々が生活していますが、その難民の人々と地域の住民が協力して、苗木を栽培する活動が行われてきたのです。
この活動は、薪を得るために森林伐採が進み、自然環境の悪化が懸念される中で始まったもので、難民キャンプとそのキャンプがある地域に約200万本の木々が植えられてきました。
アフリカの大地に新たに植えられた、たくさんの緑の木々——。その光景を思い浮かべる時、私の大切な友人で、アフリカに植樹運動の輪を広げたワンガリ・マータイ博士が述べていた言葉が胸に迫ってきます。
「木々は土地を癒し、貧困と飢えのサイクルを断ち切る一助になります」
「そして、木々は素晴らしい平和のシンボルです。木々は生き、私たちに希望を与えてくれます」(アンゲリーカ・U・ロイッター/アンネ・リュッファー『ピース ウーマン』松野泰子・上浦倫人訳、英治出版)
難民の人々にとって、新しく生活を始めた場所で栽培を手伝った木々の存在は生きる希望の象徴となり、「意味のある安心感」につながるものとなっているのではないでしょうか。
私は、"最も苦しんだ人こそが最も幸せになる権利がある"との信念に基づき、21世紀は必ず「アフリカの世紀」になると、半世紀以上にわたって訴え続けてきました。
世界で求められている「人間中心の多国間主義」のアプローチの旭日は、今まさにアフリカから昇ろうとしているのです。
◇無関心と無慈悲が苦しみを強める
現在、国連難民高等弁務官事務所が支援する難民の3割以上が、アフリカの国々で生活をしています。
国連で先月採択された、難民に関するグローバル・コンパクト=注3=でも呼び掛けられたように、大勢の難民の人々を受け入れ国だけで支えるのは容易ではなく、国際社会をあげて難民への支援とともに、受け入れ国に対する支援を強化することが欠かせません。
ともすれば、難民問題や貧困の問題にしても、その悲惨さに直面していない場合、"自分たちの国には関係がない"とか"自分たちの国の責任ではない"と考えてしまう傾向がみられます。「人間中心の多国間主義」は、こうした国の違いという垣根を超えて、深刻な脅威や課題に苦しんでいる人々を救うことを目指すアプローチなのです。
仏法の出発点となった釈尊の「四門出遊」の説話には、この意識転換を考える上で示唆を与えるメッセージがあると、私は考えます(以下、『ゴータマ・ブッダI』、『中村元選集[決定版]』第11巻所収、春秋社を引用・参照)。
古代インドの時代に、王族として生まれた釈尊は、政治的な地位と物質的な豊かさに恵まれる中で、寒さや暑さに悩まされることも、塵や草や夜露によって衣服が汚れることもない生活を送り、多くの人が王族に仕えてくれる環境の下で青年時代を送りました。
しかしある日、城門から出た釈尊が目にしたのは、病気や老いを抱えて苦しむ人々や、道端で亡くなっている人の姿でした。
その姿に激しく心を動かされた釈尊は、自分も含め、人間であるならば誰しも生老病死の苦しみは逃れがたいものであることを、まざまざと感じたのです。
釈尊が胸を痛めたのは、生老病死の悩みもさることながら、多くの人がそれを"今の自分とは関係のないもの"と考えて、苦しんでいる人々を忌み嫌ったり、厭う気持ちを抱いてしまっていることでした。
後に釈尊は当時を回想し、そうした人間心理について次のように述べました。
「自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している——自分のことを看過して」
こうした言葉を通し、釈尊は「老い」だけでなく、「病」や「死」に対しても同じ心理が働きやすいことを喝破しました。他者の苦しみを自分とは無縁のものと思い、嫌悪の念すら抱く——この人間心理を、釈尊は「若さの驕り」「健康の驕り」「いのちの驕り」として戒めたのです。
それらの驕りを、"人間と人間との心の結びつき"の観点から見つめ直してみるならば、驕りから生じる無関心や無慈悲が、人々の苦しみをより深刻なものにしてしまうという問題が、浮かび上がってくるのではないでしょうか。
いつの時代にも、"貧困などの状態に陥るのは本人の運命でやむを得ない"といった運命論や自己責任論をはじめ、"人々に苦しい思いをさせたとしても、自分の知るところではない"といった道徳否定論が横行しやすい面があります。
こうした考えに対して釈尊は、人間が生きる上でさまざまな苦しみに遭うことは避けられないとしても、自身の内なる可能性を開花させることで、人生を大きく切り開いていくことができると強調しました。
そしてまた、困難を抱える人々に対し、同苦して寄り添い、励まし支えていく縁を紡ぎ合う中で、安心と希望の輪を広げることができると強調したのです。
◇この仏法の眼差しは、生老病死の悩みにとどまらず、社会でさまざまな困難に直面している人々にも向けられたものでした。
例えば、ある大乗仏教の経典(優婆塞戒経)には次のような一節が説かれています。
「乾燥した場所には、井戸をつくり、果樹林を植え、水路を整備しよう」
「年配の人や子どもや体の弱い人が困っていれば、彼らの手をとって助けよう」
「住んでいた土地を失ってしまった人を見かけたら、親身な言葉をかけて寄り添おう」
これらの言葉は、自分も同じ苦しみに直面するかもしれない一人の人間として、"自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない"との心で「自他共の幸福」を目指していく、仏法の精神の一つの表れといえるものです。
私どもがFBO(信仰を基盤とした団体)として、平和や人権、環境や人道などの地球的な課題に取り組む上での思想的源流となってきたのも、こうした他者の苦悩に「同苦」する精神に他なりませんでした。
釈尊が洞察した、老いや病や死を自分に関係がないものとして厭い、苦しみを抱える人に冷たく接してしまう心理——。それはまた、貧困や飢餓や紛争で苦しんでいる人々を、自分が直面する問題ではないからと意識の外に置いてしまう心理と、底流において結びついているのではないかと思えてなりません。
◇環境問題が促す安全保障観の転換
この問題を考える時、先に触れた国連広報局/NGO会議の成果文書の中にも、「私たち民衆は、ナショナリズムかグローバリズムか、いずれかしかないといった誤った選択を拒否する」との言葉があったことが想起されます。
自国第一主義に象徴されるようなナショナリズムを追求すればするほど、「排他」の動きが強まることになり、経済的な利益を至上視するグローバリズムを進めれば進めるほど、「弱肉強食」的な世界の傾向が強まってしまいます。
そうではなく、深刻な脅威や課題に直面する人々を守ることに主眼を置いた「人間中心の多国間主義」のアプローチを、すべての国々が選び取って共に行動を起こしていく時代が来ていると思うのです。
安全を守る防衛の歴史には、"城壁を堅固に築けば、自分たちは安全である"との思想がみられますが、そうした考えは現代においても、"軍事力で防御された国境の内側にいる限り、自分たちの安全は確保できる"といった形で受け継がれてきたといえましょう。
しかし一方で、気候変動をはじめとする地球的な課題の多くは、国境を越える形で被害が及ぶものであり、新しいアプローチでの対応が欠かせないのではないでしょうか。
こうした中、ラテンアメリカとカリブ海諸国が、昨年3月、環境に関する権利を地域全体で守ることを目指す、「エスカス条約」という画期的な枠組みを採択しました。
この地域では、ハリケーンによる災害や、海洋の酸性化などの問題を抱えてきました。そこで、条約を通じて地域間の協力を強化するとともに、環境問題に取り組む人々を共に守り、重要な決定をする場合には多様な意見に耳を傾けることを義務づけるという、「人間中心」の方針が打ち出されたのです。
◇自分にしかできない行動が厳しい現実を突き破る力に
加えて、グローバルな規模でも注目すべき動きが始まっています。
国連環境計画が2年前に開始した「クリーン・シー・キャンペーン」で、海洋汚染を引き起こしてきたプラスチックごみの削減を目指す運動です。
現在までに50カ国以上が参加し、対象となる海岸線は世界全体の6割を超えるまでになりました。
これまで"海岸線を守る"というと防衛的な観点が前面にあったといえますが、今やそこに、"国の違いを超えて海洋を保護し、生態系を共に守る"というまったく新しい意味合いが生じつつあるのです。
歴史を振り返れば、現代にもつながる排他的なナショナリズムと、利益至上主義のグローバリズムの端緒となったのが、19世紀後半から世界に台頭した帝国主義でした。
創価学会の牧口常三郎初代会長は、その嵐が吹き荒れた20世紀の初頭(1903年)に、他国の民衆を犠牲にして自国の安全と繁栄を追い求める生存競争から脱して、各国が人道的競争に踏み出すべきであると訴えていました。
そしてその要諦を、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する方法を選ぶにあり。共同生活を意識的に行うにあり」(『牧口常三郎全集』第2巻、第三文明社、現代表記に改めた)と強調したのです。
この軸足の転換は、現代の世界で切実に求められているものだと思えてなりません。
人道危機や環境協力の分野で助け合う経験を重ねることは、「平和不在」の病理がつくりだした対立と緊張の荒れ地に、信頼と安心の緑野を広げるための処方箋となるはずです。その先には、対抗的な軍拡競争から抜け出す道も開けてくるのではないでしょうか。
今年の9月には、国連で「気候サミット」が開催されます。
世界全体が「人間中心の多国間主義」へと大きく踏み出すための絶好の機会であり、"同じ地球で生きる人間の生命と尊厳にとって重要な協力とは何か"に焦点を当て、温暖化防止の取り組みの強化を図るとともに、安全保障観の転換を促す機運を高める出発点にしていくことを、私は強く呼び掛けたいのです。
◇国連事務総長の学生への呼び掛け
最後に、軍縮を進めるための第三の足場として提起したいのは、「青年による関与」を主流化させることです。
国連では今、多くの分野で青年がキーワードになっています。
その中核となるのが、昨年9月に始まった「ユース2030」の戦略です。世界18億人の青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)を進めながら、若い世代が主役となってSDGsの取り組みを加速させることが目指されています。
人権の分野でも新しい動きがありました。
来年からスタートする「人権教育のための世界プログラム」の第4段階で、青年を重点対象にすることが決まったのです。
私も昨年の提言で、その方向性を呼び掛けていただけに、第4段階の活動が多くの国で軌道に乗ることを願ってやみません。
青年の重要性が叫ばれているのは、軍縮の分野も例外ではなく、グテーレス事務総長が主導した「軍縮アジェンダ」で明確に打ち出されています。何より事務総長の思いは、その発表の場として国連本部のような外交官の集まる場所ではなく、若い世代が学ぶジュネーブ大学を選んだことにも表れていました。
グテーレス事務総長は、こう呼び掛けました。
「この会場におられる学生の皆さんのような若者は、世界に変革をもたらす最も重要な力です」
「私は、皆さんが自分の力とつながりを利用し、核兵器のない世界、兵器が管理、規制され、資源がすべての人に機会と繁栄をもたらすように使われる世界を求めることを希望しています」(国連広報センターのウェブサイト)
その強い期待を胸に事務総長は、長年にわたり未解決となってきた核兵器の問題だけでなく、若者たちの未来に深刻な脅威を及ぼす課題として、新しい技術が引き起こす紛争の危険性を学生たちに訴えたのです。
なかでも事務総長が深い憂慮を示していたのが、サイバー攻撃の脅威でした。サイバー攻撃は、軍事的な打撃を与えるものにとどまらず、重要インフラへの侵入で社会的な機能を麻痺させることを目的にした攻撃など、多くの市民を巻き込み、甚大な被害を及ぼす危険性を持つものです。
このように現代の軍拡競争は、戦闘の有無にかかわらず、日常生活にまで及ぶ脅威を招いています。
しかも、その深刻さは、平和や人道に対する脅威だけにとどまりません。
人間の生き方、特に青年に及ぼす影響の観点から見つめ直してみるならば、軍拡の問題があまりにも複雑で巨大になってしまったがゆえに、現実を変えることはできないといった"あきらめ"を蔓延させる点に、根源的な深刻さがあるのではないでしょうか。
◇社会の土壌を蝕む"あきらめ"の蔓延
「平和不在」の病理の克服を訴えたヴァイツゼッカー博士が、何より懸念していたのもこの問題でした(前掲『心の病としての平和不在』)。
博士は、制度的に保障された平和の必要性を訴える自分の主張に対し、寄せられる非難として二つの類型を挙げました。
一つは、「われわれは平和の中で暮らしているではないか。大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」との非難です。
もう一つは、「戦争はいつの時代にもあったし、またこれからもあるだろう。人間の自然とはそういうものだ」との非難でした。
奇妙なことに二つの非難は、しばしば同じ人間が発する言葉でもあったといいます。つまり、「同じ人が、一方では平和の中で暮らしていると考え、他方では、平和は単なる聞き届けられない願望であるといっている」と。
そこで博士は、本人でも気づかない矛盾がなぜ起こるのかについて考察を進めました。
注視し続けることが困難な問題を前にした時、人間にはそれを頭の中から押しのけようとする心理が働く。その心の動きは、ある場合には精神の均衡を保つために必要かもしれないが、「生存に必要な判断」が求められる時に、果たしてそれで良いのだろうか。
それは、「わたしたち人間が、平和をつくり出すようになるためにはなにがなされねばならないか。なにを実行しなければならないか」について、真摯に考えようとする取り組みを足止めしてしまうのではないか——というのが、博士の問題提起だったのです。
この考察から半世紀が経った今なお、核抑止を積極的に支持しないまでも、安全保障のためにはやむを得ないと考える人々は、核保有国や核依存国の中に少なくありません。
核戦争が実際に起こらない限り、「大規模な兵器こそが平和をまもっているのだ」と考え、核の脅威から目を背けていても、一見、何の問題もないようにみえるかもしれない。
しかし、核問題に対する"あきらめ"が蔓延していること自体が、社会の土壌と青年たちの未来を蝕みかねないことに目を向ける必要があります。
核抑止に基づく安全保障は、ひとたび戦端が開かれれば、他国と自国の大勢の人々の命を奪い去る大惨事を招くだけではない。核兵器が使用される事態が起きなくても、核の脅威の下で生きることを強いられる不条理は続き、核兵器の防護や軍事機密の保護が優先されるため、国家の安全保障の名の下に自由や人権を制限する動きが正当化される余地も常に残ります。
そこに"あきらめ"の蔓延が加われば、自分たちの身に自由や人権の侵害が降りかからない限り、必要悪として見過ごしてしまう風潮が社会で強まる恐れがあるからです。
ヴァイツゼッカー博士が懸念していた「平和不在」の病理がもたらす悪影響が、このような形で今後も強まっていくことになれば、次代を担う青年たちが健全で豊かな人間性を育む環境は損なわれてしまうのではないでしょうか。
◇立正安国論の精神
釈尊の教えの精髄である法華経に基づき、13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人が、「立正安国論」において、社会の混迷を深める要因として剔抉していたのも、"あきらめ"の蔓延でありました。
当時は、災害や戦乱が相次ぐ中で、多くの民衆が生きる気力をなくしていました。その上、自分の力で困難を乗り越えることをあきらめてしまう厭世観に満ちた思想や、自己の心の平穏だけを保つことに専念するような風潮が社会を覆っていました。
その思想と風潮は、法華経に脈打つ教えとは対極にあるものに他なりませんでした。法華経では、すべての人間に内在する可能性をどこまでも信じ、その薫発と開花を通じて、万人の尊厳が輝く社会を築くことを説いていたからです。
度重なる災害で打ちひしがれている人々の心に希望を灯すには何が必要なのか。紛争や内戦を引き起こさないためには、どのような社会の変革が求められるのか——。
大聖人はその課題と徹底して向き合いながら、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書24ページ)と訴え、"あきらめ"の心を生じさせる社会の土壌に巣くう病根を取り除く重要性を強調しました。
社会の混迷が深いからといって、あきらめるのではない。人間の内なる力を引き出して、時代変革の波を共に起こすことを呼び掛けたのが、大聖人の「立正安国論」だったのです。
私どもは、この大聖人の精神を受け継ぎ、牧口初代会長と戸田第2代会長の時代から今日に至るまで、地球上から悲惨の二字をなくすために行動する民衆の連帯を築くことを社会的使命としてきました。
こうした仏法の源流にある釈尊の苦に関する洞察について、「厭世的な気分というものはない」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と評したのは、哲学者のカール・ヤスパースでした。
ヤスパースの著作の中に、"あきらめ"を克服するための方途を論じた考察があります(『実存開明』草薙正夫・信太正三訳、創文社)。
一人一人の人間が直面する逃れられない現実を「限界状況」と名づけたヤスパースは、「現存在としてわれわれは、限界状況の前に眼を閉ざすことによってのみ、それらを回避することができる」が、それは自身の内なる可能性を閉ざすことになると指摘しました。
私が重要だと感じたのは、ヤスパースが、限界状況といっても一人一人の人間にとって個別具体的なものであるからこそ、そこに打開の糸口を見いだせると洞察していた点です。
つまり、人間はそれぞれ、生まれや環境といった異なる人生を背負っており、その制約によって生きる条件が狭められるものの、限界状況を自覚して正面から向き合うことを決断すると、他の誰かとは代替できない個別の境遇という「狭さ」を、本来の自分に生きゆく生の「深さ」へと転換することができる、と。
その上でヤスパースは、「このような限界状況にあっては、客観的な解決などというものは永久にあるわけでなく、あるものは、その都度の解決だけである」と訴え、だからこそ自分自身でなければ起こすことのできない一回一回の行動の重みが増してくると強調したのです。
◇共存の道を開く
このヤスパースの呼び掛けは、冷戦時代から平和と共存の道を開くために行動してきた私自身の思いとも重なるものです。
冷戦対立が激化した1974年に、中国とソ連を初訪問した私に浴びせかけられたのは、「宗教者が、何のために宗教否定の国へ行くのか」との批判でした。
しかし私の思いは、平和を強く願う宗教者だからこそ、中日友好協会やモスクワ大学から受けた中国やソ連への招聘という機縁を無にすることなく、何としても友好交流の基盤を築きたいとの一点にありました。
"このようにすれば必ず成功する"といった万能な解決策など、どこにもなかった。まさに、それぞれが「一回限りの状況」というほかない出会いと対話を誠実に重ねながら、教育交流や文化交流の機会を一つまた一つと、手探りで積み上げてきたのです。
冷戦終結後も、どの国の人々も孤立することがあってはならないと考え、アメリカとの厳しい対立関係にあったキューバや、テロ問題に直面していたコロンビアなどを訪問してきました。自分は何もできることはないとあきらめるのではなく、"宗教者や民間人だからこそできることは必ずあるはずだ"との信念で各国に足を運んできたのです。
また、35年以上にわたって平和と軍縮のための提言を続け、市民社会の連帯を広げるための行動を重ねてきました。
その大きな目標であった核兵器禁止条約が実現をみた今、私は自らの経験を踏まえて、世界の青年たちに呼び掛けたい。
一人一人が皆、尊極の生命と限りない可能性を持った存在に他ならず、国際社会の厳しい現実を、動かし難いものとして甘受し続けなければならない理由はどこにもない!——と。
◇エスキベル博士と共同で出した声明
昨年6月、世界の青年に向けて発表した、人権活動家のアドルフォ・ペレス=エスキベル博士との共同声明でテーマに掲げたのも、「もう一つの世界は可能である」との信念であり、私たちはこう訴えました。
「幾百万、幾千万もの人々が、戦争や武力衝突の暴力、飢えの暴力、社会的暴力、構造的な暴力によって、生命と尊厳を脅かされている。困窮している人々に連帯し、その窮状を打開するために、我々は両手だけでなく、考え方と心を大きく広げなければならない」
共同声明で言及したように、そのモデルとなる挑戦こそ、若い世代の情熱と豊かな発想力によって核兵器禁止条約の採択を後押しし、ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の取り組みでした。
ICANの発足以来、国際パートナーとして共に行動してきたSGIでも、中核を担ってきたのは青年部のメンバーです。
SGIでは2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の活動を立ち上げ、日本の青年部を中心に核兵器廃絶を求める512万人の署名を集めました。
イタリアでも、青年部を中心に「センツァトミカ(核兵器はいらない)」キャンペーンに協力し、同国の70都市以上で意識啓発のための展示を開催してきました。またアメリカでは学生部が、2030年までに核兵器廃絶を目指す「私たちの新たな明るい未来」と題する対話運動を、全米各地の大学などを舞台に活発に行ってきました。
これらの活動の一部は、国連に昨年提出した報告書でも紹介したところです。
安全保障理事会が2015年に採択した「2250決議」では、青年が平和構築と安全保障に貢献している事例を調査し、安保理と加盟国に報告するよう定めており、私どもの青年部の活動は、その「2250決議」に関する進捗研究でも言及されています。
青年部がまとめた報告書では、SGIの「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の取り組みを総括して、次のように記しています。
「青年たちが運動に加わることで、核兵器の問題を意識していない人々にも裾野が広がり、すでに運動に参加している人々に更なる活力を与える波及効果がある」
人々の心に時代変革の思いを呼び起こし、共に強め合う——私は、その「共鳴力」の発揮に、青年の真骨頂があると訴えたい。
核兵器禁止条約の早期発効はもとより、その発効の先にある大きな課題、すなわち、核保有国や核依存国の参加を促し、核兵器の廃棄を前に進めるには、世界的な関心と支持を喚起し、維持し続けることが欠かせず、青年たちによる力強い関与がその生命線となるのではないでしょうか。
以上、私は軍縮を進めるための三つの足場をそれぞれ提起してきましたが、この青年たちが発揮する「共鳴力」こそ、他の二つの足場をも堅固に鍛え上げていく、すべての足場の要となるものであると強調したいのです。(�に続く)
語句の解説
注1 中距離核戦力(INF)全廃条約
アメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が1987年12月に署名した条約。射程500〜5500キロの地上配備の弾道ミサイルと巡航ミサイルの生産・実験・保有を禁止した。冷戦終結後はロシアが条約の義務を継承し、91年5月に対象兵器の全廃が完了したが、近年、新たなINFの配備を禁止した条約の規定などを巡って対立が続いてきた。
注2 ソクラテスの産婆術
古代ギリシャの哲学者ソクラテスが用いた問答法で、言葉の投げ掛けや対話を重ねる中で、通念や常識に対する疑問を相手に呼び起こし、正しい認識や真理に導くアプローチ。弟子のプラトンがまとめた対話篇『テアイテトス』では、ソクラテスが、助産師だった彼の母の仕事になぞらえて、真理を産み出す過程を陣痛や分娩などに譬えている箇所がでてくる。
注3 難民に関するグローバル・コンパクト
2018年12月の国連総会で採択された、難民支援の連携を進めるための国際的な指針。難民の教育機会の確保や受け入れ国でのインフラ整備など、難民と受け入れ国の双方が恩恵を受けられる包括的な支援を進めるための国際協力の強化を目指す。各国の取り組みの進捗状況を報告する「グローバル難民フォーラム」を4年ごとに開催することも盛り込まれた。
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