2018年9月24日月曜日

2018.09.24 わが友に贈る

「行学の二道を
はげみ候べし」
世界中で学ばれる
太陽の大仏法だ。
求道の挑戦に勇み立て!

安国論御勘由来 P35
『但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず』

【通解】
ただひとえに国のため、法のため、人のためであって、自分の身のために言うのではない。

〈寸鉄〉 2018年9月24日
会長は人と人を結び文明間の対話を推進—教授。一対一の人間外交こそ柱
「日蓮一度もしりぞく心なし」御書。信心は絶対勝利の利剣なり。祈り勝て
一番重要な人とは今この瞬間に目の前にいる人—文豪。真心の激励を友へ
環境衛生週間が開始。ごみ削減等、身近な一歩が地球守る。まず自分から
心不全での入院が毎年増加。高血圧も要因の一つと。生活習慣改善で予防

☆小説「新・人間革命」完結 記念特集(中) 各部リーダーの声
◇長谷川理事長 誓願を胸に報恩の戦いを
「私のこの世に生まれた使命は、また君の使命なんだよ。(中略)私と君とが、使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命も達成する時が来るだろう。誰がなんと言おうと、強く、強く、一緒に前へ進むのだ!」(第24巻「厳護」の章)

半世紀を超える池田先生の大偉業に対し、ただただ感謝を申し上げるほかありません。
1977年(昭和52年)から学会本部の庶務室で、先生の戦いを間近で見てきました。
世界192カ国・地域に同志がいる。世界が相手である。いわば24時間365日。寝る間も惜しんで、先生は戦ってこられました。
悪しき弟子の反逆、邪宗門の狂乱、会長辞任……嵐が吹き荒れる中で、恩師の構想実現のために、先生はただお一人、命を削る思いで戦い続けられました。
同志を守るために日本中、世界中を駆け巡る先生に、私も随行させていただきました。国家指導者であれ、庶民であれ、行く先々で出会いの劇が生まれました。
93年の北南米指導。ブラジル・リオデジャネイロの国際空港での忘れられない光景があります。南米最高峰の知性の殿堂ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁との出会いです。
総裁は2時間も前から空港の貴賓室で池田先生の到着を待っておられた。高齢の総裁の体調を気遣う周囲に、総裁は「私は、94年間も池田会長を待っていた。待ち続けていたんです。それを思えば、1時間や2時間は、なんでもありません」と。先生と出会われた時の総裁の感激が、居合わせた私にも伝わってきました。
世界には、会員であるなしを問わず、池田先生を慕い、先生の期待に応えようと奮闘している人がたくさんいます。
「在在諸仏土 常与師倶生」の法華経の一節の通りに、私たちは師と共に、この時を選んで、広宣流布のために生まれてきたのだと思えてなりません。
「君にしか果たせない使命がある!」。男子部の頃、まだ信心の浅かった私を、先輩がそう励ましてくれました。
地涌の使命を自覚することができたのは、先輩と共に小説『人間革命』を学んだからです。
恩師に仕える山本伸一の姿に、峻厳な師弟の在り方を教わりました。偉大な師匠を持てることの幸せを知りました。
"使命を見失うな""魔に負けるな、悪に負けるな""学会を、同志を守れ""戦いは断じて勝て""君よ立て、君よ戦え!"——どの巻を読んでも、どのページを開いても、池田先生の、弟子を思う慈愛の声が胸に響いてきます。生命が燃え上がります。池田門下の弟子として、報恩感謝の戦いを、永遠に実践しゆくことを誓います。

◇谷川壮年部長 "人間のための宗教"への大言論戦
「御本仏・日蓮大聖人の御遺命は、広宣流布です。それを忘れたならば、もはや、日蓮仏法の意義はなくなってしまう」(第24巻「厳護」の章)

広宣流布は、断じて成し遂げなければならない。それができるのは、創価学会だけである。そのためには、青年を信じ、全力で育成するしかない——小説『新・人間革命』は、この池田先生の透徹した信念と責任感に貫かれています。
なかでも1976、77年(昭和51、52年)当時の歴史がつづられた第24巻「厳護」の章には、四半世紀後に到来する21世紀を見据えた、青年部の人材育成組織の整備と、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への転換を目指した、日蓮仏法の思想的展開の歴史が描かれています。
特に、本山の輸送班に代わり、「創価班」として新出発した第1回創価班総会の中で先生は、「いかに日蓮大聖人の門流を名乗り、権威を振り回そうが、広宣流布への実践がなければ、そこには、大聖人の御精神はない。それは、儀式化した"死せる宗教"に等しい」と断言され、広布大願に生き抜く人こそ大聖人の真の弟子であると訴えています。
そうした使命を現実社会で果たしゆく激闘の中、学会は第1次・第2次宗門事件を勝ち越え、今、人間主義の哲理を掲げる世界広布の基盤の上に、新たな建設の時代を迎えることができたのです。
私自身、青年部の責任者を務めていた1990年代、池田先生から幾度も直接、ご指導を賜り、訓練していただきました。人生の無上の誉れです。
男子部長を拝命した直後の90年4月、先生が出席された会合で、私が青年部の未曽有の結集を打ち出した時のこと。先生が青年部に語られたご指導は、今も鮮明によみがえってきます。
"人から言われてやるような戦いは、本当の戦いではない。自分たちで決めて、自分たちの責任で勝利を成し遂げる。それが本当の戦いではないか"
"私は師匠・戸田先生の前で、ひとたび口にしたことを、ただの一つもできなかったことはなかった"
広布の全責任を自覚して、全てを祈り、立案し、一切を切り開く——この池田門下の魂を胸に、広布の誓願を断じて果たす人生を全うする覚悟です。

◇永石婦人部長 生命を慈しむ女性の世紀の指標
「わが子を愛し、慈しむ母の心には、敵も味方もない。それは、人間愛と平和の原点である。(中略)伸一は、母から、気づかぬうちに、人間そのものに眼を向けて、平和を考える視点を教えられていたのかもしれない」(第24巻「母の詩」の章)

山本伸一の母・幸が戦時中、若い米兵が連行されたと聞いた時、真っ先に口をついて出たのは「かわいそうに! 怪我をしていなければいいけど。その人のお母さんは、どんなに心配していることだろう……」との言葉でした。敵国への憎悪をあおり立てられる中、その慈愛の深さに涙があふれました。
先生は、この章でつづられたお母さまの姿を通し、女性が本然的に有する"生命を慈しむ心"、そして、女性の世紀の指標を示されたと思えてなりません。
人間愛に満ちた生命尊厳の時代を開くのは女性の力です。ゆえに、先生が描かれた女性の特質は一段と光を放っていくに違いありません。なかんずく、創価の女性が広布の使命を遺憾なく発揮していくことで、誰もが生き生きと輝く平和社会は、必ず築いていけると確信します。
私が学会本部職員にしていただき、創価国際友好会館に勤務していた頃、先生から「まっしぐらに戦わなかったら、宿命転換できないよ」と厳愛の指導を受けました。以来、どんな時もこの言葉を抱き締め、悩みや課題と向き合い前進してきました。そうした経験や、同志の皆さまと触れ合う中で実感するのは、学会活動こそ、人間革命、宿命転換の直道だということです。だからこそ、師と共に無限の福運の道を歩む創価の女性の連帯を、さらに強く、大きく広げていきたいと深く決意しています。
生涯の原点となった同会館で勤務した期間は第30巻「誓願」の章で描かれた第2次宗門事件と重なります。
宗門から破門通告書なるものが届いた翌日(1991年11月30日)、同会館で行われた「創価ルネサンス大勝利記念幹部会」。この会合に急きょ池田先生が出席されました。
入場された先生が開口一番、「本日は、緊急に"祝賀の集い"があるというので」とユーモアを込めて語り掛けると、場内に笑顔が広がり、雰囲気は一変しました。同志を励まし、邪悪を砕く先生の師子吼は、今も耳朶を離れません。今、「誓願」の章を拝読し、あらためて、先生の真情を学び、命懸けで築き上げてこられた学会を、断じて守り抜くとの破邪顕正の祈りと誓いを強くしました。
先生は幾度も"婦人部がいれば広宣流布は盤石"と励ましてくださいます。これからも私たち婦人部は、先生・奥さまと共に"人間革命の劇"をつづりながら、一家に、地域・社会に、万代に光り輝く広宣流布の基盤を築くことを誓います。

◇竹岡青年部長 五体に刻むべき不滅の精神
「直接、会う機会はなくとも、互いの心は通い合う。唱題によってこそ、魂の絆が織り成され、結ばれていくのだ」(第29巻「源流」の章)

「執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない」——『新・人間革命』第1巻「はじめに」の一節を読み、全身に衝撃が走ったことを、今でも鮮明に覚えています。
執筆を開始された1993年、私は高校1年。当時は"完結の日"を想像すらできませんでした。
世界広布の指揮を執られる激闘の中で、一文字一文字に心血を注がれてきた池田先生に、ただただ感謝の思いでいっぱいです。
先生は「会えない全国の会員と対話する思いで書いている」と、執筆の心境を述べられています。そのお心に応えようと、青年部一人一人がそうであるように、私自身も毎朝、師匠と"対話"する思いで拝してきました。
高等部、学生部、男子部——。筆を執り続けられた25年という歳月が、そのまま自分自身の青年部時代と重なることに、意義を感じずにはいられません。『新・人間革命』と歩んだ青春の格闘の日々は、この上ない黄金の歴史です。
特に、なかなか折伏が決まらず悩んだ時、自身や家族の宿命との闘争の渦中……。"苦境を打開しよう"と真剣に祈り、戦っている時ほど、師が紡がれる言々句々が心に染みました。
2016年10月、「源流」の章のこの言葉が聖教新聞に掲載されました。男子部長を3年間務めた後、青年部長の任を受け、出発した直後のことです。
翌11月、ありがたくも、広宣流布大誓堂で池田先生とお会いする機会に恵まれました。苦楽を分かち合った全国の男子部の同志と共に師の励ましのおかげで成就した「3万世帯の弘教」の御礼を込めて、ごあいさつさせていただきました。
先生は私の顔をじっと見つめ、「ありがとう」「ありがとう」と何度も繰り返し言われました。それは、悪戦苦闘を突き抜けて、広布拡大の金字塔を打ち立てた、全国の青年部員に対する励ましの言葉であったと確信します。
「直接、会う機会はなくとも、互いの心は通い合う」——"先生は全てをご存知なんだ!"。師の慈愛の深さに、感動が五体を貫きました。
『人間革命』『新・人間革命』をひもとくことは、"池田先生と対話すること"です。その原理は未来永遠に変わることはありません。
これからも、師弟共戦の「誓願」という主題を貫徹しながら、自他共の生命に栄光凱歌の"日記文書"を厳然とつづってまいります。

☆小説「新・人間革命」完結 記念特集(下) 方面長・婦人部長の声
小説『新・人間革命』執筆の眼目について、池田先生は「精神の継承にこそある」と述べた。この小説に、栄光凱歌の人生を進む勝利の方程式が記されている。『新・人間革命』完結特集(下)では、「誉れの舞台と我らの使命」と題して、『新・人間革命』の一節とともに、方面長・婦人部長の決意を紹介する。

◇総東京・萩本直樹/本陣から勝利の光を
「首都・東京は、学会本部を擁する本陣である。広宣流布の決定打を放つのも、学会の未来を決するのも東京である。東京が強くなった分だけ創価学会は堅固になり、東京が前進した分だけ広宣流布は進むといっても過言ではない。(中略)感激——それは、人と人との触れ合いのなかにある。勇んで行動するなかに生まれる。そして、感激こそが、前進の活力となる」(第28巻「大道」の章)

1978年(昭和53年)8月、東京の歌「ああ感激の同志あり」発表の様子が描かれた場面です。
池田先生は「感激」の二文字を通して、教えてくださいました。偉大な使命をもって、広布の本陣に生まれあわせたこと。久遠の誓いのままに、新たな歴史の幕を開く戦いに連なっていること。これらは感激以外の何ものでもない、と。
この先生の指針を胸に、現実の課題に悪戦苦闘しながら、勇んで人の輪に飛び込み、自他共の幸福を勝ち開いている「感激の同志」と日々、お会いしています。師匠に勝利の結果でお応えしたい——この誓いが前進の原動力であることを、私自身が学ぶ日々です。
創立90周年へ、世界が仰ぎ見る栄光の大広布城を築き、本陣の地から、勝利の光を放ちます。

◇第2総東京・橋口美雪/師弟の道を一筋に
「先師・牧口常三郎と、恩師・戸田城聖の構想を実現し、人類の恒久平和の道を開くために、何から手を打つべきかを考え、学校の創立へ、第一歩を踏み出したのである」
(第12巻「栄光」の章)

池田先生は第3代会長就任の直前の1960年(昭和35年)4月、創価学園の建設用地の視察で、東京・小平市を奥さまと共に訪問。その7年後に学園は創立されました。
学園や創価大学がある「創価教育原点の地」、先生手作りの人材の天地——これが第2総東京の誇りです。
第1次宗門事件の渦中には、立川文化会館を"正義の砦"として、反転攻勢の指揮を執り、一人一人と師弟の絆を強く結んでくださいました。
会長辞任直後の本部総会(79年〈同54年〉5月3日、創価大学)の時、「先生!」と何度も叫んだ婦人の姿の中に、"何があっても師弟の道を一筋に進む"との、私たちが刻むべき魂があります。
「第二東京は広宣流布の新舞台だ。ここも未来が楽しみだ。皆で力を合わせて、新しい歴史を創ってほしいね」——この先生の期待を胸に、婦人部・女子部の「コスモス平和大学校」などで小説『新・人間革命』を学びながら、先生の真実を語り広げていきます。

◇東海道・畑佳伸/"正義の旗"を高く掲げて
「いよいよ本当の勝負だ! いかなる立場になろうが、私は断じて戦う。たった一人になっても。師弟不二の心で断固として勝利してみせる。正義とは、どこまでも広宣流布の大道を進み抜くことだ!」
(第30巻〈上〉「大山」の章)

時は、激動の1979年(昭和54年)。
池田先生は第3代会長を辞任後、東海道の地で、ただ一人、"正義の旗"を掲げ、反転攻勢の指揮を厳然と執られました。
「正義」「共戦」と揮毫された神奈川文化会館。後継への万感の期待をピアノ演奏に託された静岡研修道場。「大山」の章には、その模様が描かれています。
同年5月5日、私は「正義」の書を拝見しました。"どのような立場になられても、私の師匠は池田先生だ!"と奮い立ちました。
最も困難な時に、目の前の一人に勇気の火をともし、渾身の励ましを送ってくださった先生。一人立つ「正義」の心で、真実の同志である「共戦」の友の連帯を広げていく——それが、われら東海道の誓願です。
小説が完結した9月8日は、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を師子吼された日。"創価の平和運動"の源流・東海道が、新たな連続勝利の歴史と師弟の大叙事詩をつづります。

◇関東・大高陽子/「敢闘精神」で勝ち進む
「どうか皆さんもまた、『あそこまで皆のために真心を尽くすのか!』『あれほど情熱をもって行動し抜くのか!』『あの人から、本当の信心を学んだ!』と、後々までも語り継がれる、見事な自身の歴史を築いていただきたい。ひとたび戦いを起こすならば、大情熱を燃やし、敢闘しようではありませんか!」
(第29巻「力走」の章)

この一節は、山本伸一が1978年(昭和53年)11月の第1回「関東支部長会」の席上、支部長・婦人部長の人生の勝利を祈りながら語ったスピーチの内容です。
「真心を尽くす」「情熱をもって行動し抜く」「信心の触発を」——私自身、この指針を生命に刻み、挑戦しています。
同年、先生は埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木の関東5県全てに県歌を贈られました。支部長会に先立ち、各県の同志が県歌を歌い、先生と共に出発したことが関東の誇りです。
それから40周年の本年。関東総会を大勝利で終えた直後の6・6「関東婦人部の日」に、先生・奥さまが千葉の浦安平和会館を訪問。関東広布に、さらなる師弟共戦の歴史を刻んでくださいました。
報恩感謝の心で、大関東の魂である「敢闘精神」を燃やし、勝ち進んでいきます。

◇関西・山内洋一/永遠に「常勝の都であれ」
「愛する、愛する関西の同志よ! 未来永劫に関西は、正義の旗が高らかに翻る常勝の都であれ! 民衆を守り抜く人間讃歌の都であれ! 関西がある限り、学会は盤石だ!」
(第28巻「広宣譜」の章)

社会人1年目だった1978年(昭和53年)7月17日、「常勝の空」が発表された幹部会に参加。「君と我とは 久遠より」との師匠の魂こもる歌詞に、感動が全身を貫きました。
翌79年(同54年)の会長辞任の折、「われらの師匠は、永遠に池田先生である」と拳を突き上げた関西の同志。「関西がある限り、学会は盤石だ!」——「常勝の空」に込められた、この先生の深き思いに応え、勇み前進していきました。
迎えた反転攻勢の時代。第1回関西青年平和文化祭が行われた82年(同57年)には、全国をリードする折伏を推進。翌年以降も立正安国の連続闘争を勝ち越えていったのです。
本年、関西は先駆の弘教拡大で、「常勝の空」40周年を荘厳。今再び、「拡大から、さらなる連続勝利へ」という"常勝の方程式"を満天下に示そうと、誓願の炎を燃やしています。一人一人への励ましに徹し、関西魂みなぎる"戦う陣列"を倍増させ、広布史に輝く新たな金字塔を打ち立てる決意です。

◇北海道・日下巌/三代城に輝く希望の指標
「牧口先生、戸田先生が青春時代を過ごされ、飛翔の舞台となったのが北海道だ。ここには、両先生の魂が刻まれている。そして、私も青春の全精魂を傾け、北海道広布の開拓の鍬を振るってきた。北海道は、この北斗七星のように、広宣流布の永遠なる希望の指標であらねばならぬ」(第13巻「北斗」の章)

1968年(昭和43年)9月14日、池田先生が日本最北の都市・稚内を初訪問されてから、本年で50周年。これは山本伸一が稚内市で満天の星を見上げ、述懐した一節です。
「広宣流布の永遠なる希望の指標」——ここに、北海道広布の使命が凝縮されています。
苦労なくして広宣流布はできません。できない理由を数えるよりも、"どうしたらできるか"と必死に祈り、行動し、道を開いていく。これが、北海天地に刻まれた三代会長の精神です。
目指すは、何があろうと師匠を求め、「師弟共戦」に徹し抜く北海道。師匠の誓願に合一して、いかなる悪条件でも「幸福の陣列の拡大」に突き進む北海道。麗しき団結と励まし合いの「創価家族」の模範・北海道です。
師と共に築き上げてきた「三代城」を、さらに盤石ならしめるため、率先して限界突破の戦いに挑戦します。

◇信越・五十嵐真理子/起稿の天地に誇りあり
「長野研修道場がオープンしたのは、一年前の一九七八年(昭和五十三年)八月である。山本伸一にとっては今回が初訪問となる。彼は、戸田が最後の夏に滞在した地を、世界広宣流布への新たな幕を開く最初の夏に訪れたのである。この宿縁の地から、家庭訪問、個人指導の流れを起こし、新しい創価学会の建設に着手しようと心に決めていたのだ。
世界広布といっても、一人への励ましから、身近な一歩から始まるからだ」
(第30巻〈上〉「雌伏」の章)

1979年(昭和54年)8月、長野研修道場を初訪問されて以来、毎年のように信越を訪れ、世界広布の指揮を執ってくださる池田先生。長野研修道場を「新しき前進と創造の電源の地」と位置付け、伝統の夏季研修会から、躍進と勝利の歴史を築いてくださいました。この地で語ってくださった、珠玉のご指導の一つ一つが私たちの永遠の指針です。
報恩の志に燃え、本年5月の信越総会をブロック1以上の弘教拡大で勝ち飾り、今夏も聖教新聞の購読推進の大拡大で、信越の地に師匠をお迎えすることができました。
信越には、小説『新・人間革命』起稿の天地という誇りと原点があります。どこまでも師の心を求め抜き、不二の弟子の陣列を拡大していきます。

◇中部・松波利子/新たな堅塁の歴史を築く
「どうか、皆さんは『まことの時』に、敢然と立ち上がり、私とともに、学会とともに戦い、広宣流布の勇者として、自身の誉れの歴史を築いていってください」
(第14巻「烈風」の章)

1969年(昭和44年)12月、中部を訪問した山本伸一が、三重・松阪会館で「開目抄」の御文を通して指導した一節です。
当時、中部には「言論問題」の嵐が吹き荒れていました。
このとき、最もつらく、悔しい思いをした中部の母たちは、今こそ"まことの時"と決め、池田先生と共に、学会と共に、懸命に戦いました。
先生は、76年(同51年)1月16日、名古屋市南区の婦人部総会に出席。特に理不尽な弾圧に耐え抜いてきた母たちに、「一番尊くて、一番偉いのは、庶民のお母さんです!」と励ましてくださったのです。
婦人部の先輩から、当時の様子を幾度となく伺い、庶民の母に脈打つ不屈の魂を命に刻んできました。
障魔の烈風から同志を守り抜いてくださった先生。その大闘争を命懸けで書きつづってくださった先生への尽きせぬ感謝を胸に、後継の青年部を育成し、堅塁・中部の新たな勝利の歴史を築いていきます。

◇北陸・本郷弘/「誓願」受け継ぐ闘将と
「広宣流布の大誓願に生きる時に、歓喜あふれる地涌の菩薩の大生命がみなぎる。何ものをも恐れず、いかなる困難も乗り越えていける、無限の勇気と智慧と力が脈動します。大誓願に生きることが、最も人生を輝かせていける道なんです」(第28巻「大道」の章)

「この歌が聞きたかったんだよ」——1984年(昭和59年)8月、10回目の北陸指導となる北陸平和文化祭で5万人が北陸の歌「ああ誓願の歌」を大合唱。池田先生は、誓いの歌声を響かせた出演者を「二百点満点の文化祭だった」とたたえてくださいました。
先生が北陸の歌を作られたのは78年(同53年)8月。今年で40年を迎えました。
当時、学生部員だった私は、何としても同志を励ましたいとの先生の真心に胸を熱くしました。
北陸は旧習が根強い土地柄です。その中で、北陸の同志は懸命に妙法の旗を掲げ、地域に蘇生と幸福のドラマを幾重にも広げてきました。
先生は小説に「北陸は、"広布の誓願"に生き抜かれた戸田先生の、ご生誕の地です。どうか、恩師の、その精神を受け継ぐ闘将の皆さんであってください」とつづられました。闘将の誓願の志を果たし、師恩に報いてまいります。

◇東北・盛島明彦/不撓不屈のみちのく魂 
「私は、東北の皆さんを尊敬しております。それは、どんな困難にも負けない粘り強さ、不屈の"負けじ魂"があるからです。皆さんには、大難、大苦に、打ちひしがれることなく、広宣流布のために、敢然と立ち上がる真性の強さがある。(中略)私は、かつて広宣流布の総仕上げを東北の皆さんに託しました。いよいよ"負けじ魂"を燃やし、総仕上げの旗頭として、威風堂々と立ち上がってください。時は"今"です」
(第25巻「福光」の章)

東日本大震災から半年となる2011年(平成23年)9月。小説『新・人間革命』「福光」の章の連載が開始されました。当時、不撓不屈の「みちのく魂」で厳しい現実に立ち向かっている東北同志に、先生は最大の励ましを送ってくださいました。
東北に寄せる師匠の深い真心を胸に、広布の尊き使命を託された私たち東北健児は、師恩にお応えする戦いをしなければならない。この一節は、その時が"今"であるとの指針であると拝します。
本年の掉尾を飾る全国男子部幹部会が、12月に東北の地で行われます。
私たちは、その後に行われる中継行事を「東北家族・青葉の誓い総会」として盛大に開催します。青年を先頭に、圧倒的な弘教拡大で荘厳します。

◇中国・篠原康司/開拓の伝統胸に模範の拡大
「彼は、広布の新しき飛翔のために、中国地方を極めて重要視していた。
中国は、西日本の大動脈である。中国が大前進を開始すれば、関西にも、四国にも、そして、九州にも、その波動は伝わっていく。まさに、中国こそ、西日本の前進の要であると、伸一は考えていた」
(第11巻「躍進」の章)

池田先生は、1956年(昭和31年)10月8日に岡山県に中国広布の第一歩をしるされ、翌9日、下関から「山口開拓指導」を開始されました。先生は「人と会う」ことに徹し、一人一人の悩みに耳を傾け、御書を拝しながら励ましを送られました。10倍の拡大で、中国の礎を築いてくださいました。今の私たちがあるのは先生のおかげであると、感謝は尽きません。
本年は方面歌「地涌の讃歌」誕生40周年です。創価の師弟の絆を断ち切ろうとする悪侶らが蠢動する中、中国はこの歌と共に反転攻勢ののろしを上げました。全国模範の拡大で師弟の正義を証明してきました。
中国の友は、10月の中国総会に向け、大前進を開始しました。5県の団結固く、総会を、人材育成と対話拡大で大勝利し、世界広布新時代の新たな歴史を切り開きます。

◇四国・中川京子/志国に脈打つ熱き求道心
「今、この時に、求道の炎を燃やし、波浪を越えて、横浜の地までやって来た四国の同志の果敢な行動は、広宣流布の歴史に燦然と輝き、永遠に語り継がれるにちがいない。大事なことは、学会が苦境に立った時に、いかに行動し、新しい突破口を開くかだ」
(第30巻〈上〉「雌伏」の章)

1980年(昭和55年)、悪侶らが学会攻撃に狂奔する中、四国の同志は「さんふらわあ7」号で3度、神奈川文化会館にいる師のもとへ。
私も5月、白蓮グループの一員として参加。力強いピアノの音色、同志を包み込むように励ましてくださる池田先生の慈愛の声、王者のごとき悠然たる姿は忘れられません。
これまで四国婦人部は、1・14「部の日」を中心に、後継の友に求道の歴史を語り継いできました。
私たちの師匠は永遠に池田先生——それが"志国"の心です。その心を継ぐ青年たちと共に地域に友情を大きく広げる「SOKA YOUTH VOICE」を今秋、四国全土で開催します。
師への尽きせぬ感謝を胸に、"正義の四国"から、今再び熱き求道の心で、共戦の大航海を開始します。

◇九州・平井秀昭/燃え立つ「先駆」の志 
「最も苦しんだ同志のところへ駆けつけよう! 一人ひとりと固い握手を交わす思いで、全精魂を込めて、生命の底から励まそう!」(第30巻〈下〉「勝ち鬨」の章)

1981年(昭和56年)12月、九州で刻まれた反転攻勢の歴史を、本年1月9日付で、大分指導から書き起こしていただきました。その後、小説の舞台は、長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」の発表へ。
誉れの歴史をつづっていただいた九州の同志は"今こそ師と共に"との一念を燃え上がらせ、弘教拡大へ驀進を開始しました。
九州長就任の会合の際、先生から「あの大分空港に降り立った時と同じように、火の国・九州の愛弟子たちと、壮大なる栄光のドラマをと心に期しています」との万感こもるメッセージが。先生のお心を、わが心とし、同志のもとへ飛び込んできました。
同志の皆さまと出会うたび、九州の津々浦々に刻まれた、79回におよぶ先生の足跡と共戦の絆を痛感します。私自身が命懸けで師を求め、師に直結し、師を語り抜いていく——この実践によってのみ、大九州の新時代が開かれると確信します。
「永遠に先駆の大九州たれ」との指針を胸に、きょうも同志のもとへ駆け付けます。

◇沖縄・照屋清子/世界初の広布の地帯を
「"私がいる限り、この沖縄を平和の楽土にしてみせる"との強い決意で信心に励み、社会の建設に立ち上がっていくならば、必ずや、沖縄を変えていくことができます。
依正は不二です。自分自身の生命の変革から、すべては変わっていくんです」
(第13巻「楽土」の章)

"戦争の地を平和の楽土に""一番苦しんだ人こそ一番幸せに"——池田先生は、これまで17度、沖縄を訪問され、私たちの深い使命を教えてくださいました。
その師に応えようと、足が鉄板のようになるまで広布に歩いた草創の先輩の闘争によって、"東洋のハワイ"と輝く沖縄は築かれたのです。
沖縄の歴史に学びながら、私自身も"まずは自分が立ち上がろう"と、行動し続けてきました。これまで、子どもの非行や病気、自身の乳がん等、宿命の嵐に幾度となく襲われました。
しかし、希望をともし続けてくれた池田先生と同志のおかげで、全て乗り越えることができました。
この大恩には、沖縄広布に尽くすことでお応えしようと固く決意しています。
師に誓った"世界で最初の広宣流布の地帯"建設へ、沖縄の創価家族の皆さまと共に、「人間革命」の大潮流を起こしてまいります。