季節の変わり目。
体調管理を万全に!
夏の疲れも出る頃だ。
勤行・唱題を根本に
生き生きと前進しよう!
富木尼御前御返事 P976
『我れ等は仏に疑いなしとをぼせばなにのなげきか有るべき、きさきになりてもなにかせん天に生れてもようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波堤比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれしあらうれし』
【通解】
私たちは必ず仏になると思えば、何の嘆きがあろうか。たとえ妃になっても何になろう。天上界に生まれても何の意味があろう。我らは(女人成仏の道を開いた)竜女の跡を継ぎ、(釈尊の最初の女性の弟子である)魔訶波舎波提比丘尼の列に並ぶことができるのである。何と嬉しいことであろうか。
〈寸鉄〉 2018年9月14日
学会員の振舞は法華経の精神を体現—韓国識者。今日も目前の一人のため
東京・北区の日。信頼と友情広げる前進今こそ。「創価の北極星」と輝け!
精神は鍛錬なしには堕落する—偉人。青年よ行学に励め。幸福の土台築け
外出しない高齢男性は低栄養の傾向。地域に尽くす多宝会は健康世紀の鑑
待機児童が4年ぶり減少と。公明の尽力。子育てしやすい社会へ対策さらに
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 観心本尊抄(下) 2018年9月8日
◇地涌の菩薩の自覚で広宣流布へ
◇対話で目の前の一人の生命を変革
今月は、「観心本尊抄」の後半を学びます。
池田先生は、つづられました。
「人間革命の根本は、地涌の生命の自覚にあります。その本質は師弟不二の行動です。その自覚と誇りを持つところに、地涌の底力が滾々と湧くのです」
広布と人生の"黄金の日記文書"を、つづりゆく今。地涌の菩薩の使命と振る舞いについて学び、広布拡大に前進していきましょう。(拝読範囲は、御書247ページ9行目〜本抄末尾です)
◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人が52歳の時、佐渡流罪中に一谷で認められ、門下の富木常忍に与えられた重書です。
この前年2月、大聖人は佐渡の地から門下一同に宛てて「開目抄」を送られています。大聖人御自身が末法の御本仏であることを示された重書が「開目抄」であるのに対し、本抄は、末法の衆生が成仏のために受持すべき南無妙法蓮華経の御本尊について明かされています。
本抄は、前半で「観心」について、後半で「本尊」について述べられます。
◇御文
『地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す』(御書253ページ17行目〜254ページ2行目)
◇通解
地涌千界の菩薩たちは教主釈尊の五百塵点劫の初発心の弟子である。にもかかわらず、釈尊が成道した寂滅道場にも来なかったし、釈尊が沙羅双樹の林で入滅した時にも訪れていない。これは不孝の失ではないか。
また、法華経の会座では、迹門の14品にも来なかったし、本門においても、薬王品第23以降の6品になると座を立ってしまった。ただ涌出品第15から嘱累品第22までの8品の間だけ、帰ってきたのである。
このような高貴な大菩薩が、釈迦仏、多宝仏、十方の分身諸仏という三仏に対して末法弘通を約束して、妙法蓮華経の五字を受持したのである。どうして末法の初めに出現されないことがあるだろうか。
まさに知るべきである。この地涌の菩薩の指導者である四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王となって愚王を責め誡め、摂受を行ずる時は僧と成って正法を持ち広めるのである。
◇解説
掲げた御文では、地涌の菩薩の意義について述べられています。
地涌の菩薩は、法華経従地涌出品第15において大地から湧き出た、釈尊滅後の末法の広宣流布の使命を託された菩薩です。この地涌の菩薩は、釈尊が久遠の昔から教化してきた弟子にほかなりません。
地涌の菩薩は、法華経の説法の場において、涌出品第15から嘱累品第22までの本門の8品の間にのみ現れました。
地涌の菩薩はこの8品で、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏に末法における広宣流布を誓い、妙法蓮華経の五字を受持しました。その目的は、末法の衆生を救うためです。
ゆえに、日蓮大聖人は、この高貴な地涌の菩薩たちが、末法の時に出現しないはずがないと述べられます。
そして、続く御文では、地涌の菩薩の指導者である四菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩)が末法に出現する時に、どのように振る舞うかについて示されています。
すなわち、"折伏を実践する時は賢王となって愚王を責め、摂受を行ずる時は僧となって正法を持ち広める"と仰せです。
現代でいえば、現実社会のなかで困難と戦いながら友の幸福を祈り、対話を広げている私たち学会員の実践こそが、"賢王となって愚王を責める"地涌の菩薩の折伏の振る舞いにほかなりません。
また、"僧となって正法を持ち広める"とは、法の正邪を明らかにし正法を説き明かしていくことをいい、これは、南無妙法蓮華経の大法によって末法広宣流布の道を開かれた大聖人御自身の実践を示されていると拝されます。
池田先生は、この御文について、「末法の広宣流布とは、現実社会に生きる目覚めた民衆自身が、民衆の海の中で、目の前の一人の民衆の生命変革に挑んでいく以外にないとの大宣言であると拝されます」と述べています。
広宣流布大誓堂完成5周年の「11・18」へ。師匠の心と行動を受け継ぎ、報恩の対話拡大に前進し、地涌の使命を果たし抜いていきましょう!
★池田先生の講義から
一番大変な、一番つらい時に衆生を救っていくのが、地涌の菩薩であり、創価の同志は、まさしく地涌の勇者です。自身の苦悩や困難と戦いながら、広宣流布の使命に生き抜き、人間革命して、悩みに負けない堂々たる自分自身を築き上げ、社会に貢献してきたのです。
大聖人が「地涌の義」(御書1360ページ)と言われた通りに、今日、あの国にも、この地にも、「広宣流布は私たちの手で!」と誓う同志が誕生しています。広布の使命と誓願を共有する友が、世界中で連帯を広げています。(2017年10月号「大白蓮華」に掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)
◇ ◆ ◇
世界では、ますます「創価の人間主義」への期待が高まっています。地涌の青年の凜々しい瞳、地涌の乙女の太陽の笑顔が、時代変革の希望として輝きを放っています。まさに至る所の国土に、地涌の青年勇者が「同時に涌出せり」(法華経452ページ)との新たな慈折広宣流布の展開が始まりました。(同)
研さんのために
○…2017年9・10月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」〈民衆仏法〉上下(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第2巻所収の「御本尊」上中下(同)