笑顔の人は強い。
その人が一人いれば
皆が明るく元気に!
周囲に希望を送りゆく
楽観主義の人たれ!
本尊供養御書 P1536
『法華経を持ちまいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず八熱地獄の大火にも焼けず』
【通解】
法華経を受持するならば、八寒地獄の水にもぬれることなく、また八熱地獄の大火にも焼けることはないのである。
〈寸鉄〉 2018年9月11日
御書「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏に」。勇んで仏縁を拡大
広布は「一対一の語らい」から。友の心に信仰の喜びを!励まし週間に総力
青年教学1級へ高まる研鑽の息吹!行学の錬磨は人生の宝に。徹して学べ
他者と繋がりある人ほど心が折れないと。同志の絆を固く。苦難の時こそ
米同時テロから17年。民衆の力で暴力の連鎖根絶へ。草の根の対話さらに
☆歌声高く 第17回 三代城の歌(ああ共戦の歌)
◇北海天地に師弟の魂厳たり
「共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し」(御書734ページ)
池田先生は御義口伝のこの一節を通して、「『共』とは師弟不二であり、師弟勝利の大道なのだ」とつづった。師と弟子が心を一つにして広布に戦う「共戦」があるかどうか。「師弟の生命が共戦ならば、そこに『万人成仏』の法華経の魂が脈々と流れ通う」(「随筆 我らの勝利の大道」)と。
創価の三代の師弟を貫く共戦の魂が、とどめられた場所がある。
北の大地・北海道だ。
初代会長・牧口常三郎先生が蛍雪の青春を送り、第2代会長・戸田城聖先生が青雲の大志を育み、若き日の池田先生が札幌、小樽、夕張と正義の闘争を刻んだ舞台——その地に池田先生作詞の方面歌が誕生したのは40年前。1978年(昭和53年)の8月であった。
「『ああ共戦の歌』が完成」との見出しが、聖教新聞8月23日付1面の真ん中に力強く躍った。「恩師と共に 厳たりき」との歌詞に、北海道の同志の心も躍った。"何があろうと、我らは師と共に厳然たり!"という心意気が、この一節に凝縮されていたからだ。
第1次宗門事件の嵐が吹き荒れ、創価の師弟の絆を分断しようとする悪侶らが各地でうごめいていた時である。北海道においても、名寄などの同志が悪戦苦闘のさなかにあった。
さらに、池田先生の入信記念日である翌24日の本紙に、「ああ共戦の歌」の楽譜と歌詞が掲載されると、"共戦の決意"と歓喜の歌声は、北海天地を瞬く間に包んでいった。
当時、池田先生は、戸田先生のもとで戦った青春を振り返りながら、歌詞に込めた真情を北海道のリーダーに語っている。「"師匠が見ておられる。勝利を待ってくださっている"というのが、私の力の源泉だった。師弟共戦とは、弟子が戦い、勝って、師に勝利を報告することだと、私は決めてきた。今も、その思いで戦っています」と。
友は師の心を胸に広布に走った。来る年、来る年、春夏秋冬の四季の彩りも厳しさも、全て前進の力と歌声に変えながら。
2006年4月、21世紀にふさわしいものにと、方面歌「ああ共戦の歌」に新たな曲が作られた。さらに08年9月には、池田先生が歌詞を加筆。タイトルも「三代城の歌」となって生まれ変わった。
北海道の同志は、本年を"三代城・栄光の年"と定め、3年連続の世帯増へ快進撃を続けている。「北海道は、永遠に師の魂を受け継ぐ、師弟共戦の大地であらねばならぬ」(小説『新・人間革命』「大道」の章)との師の万感の期待に、応えゆくために——。
まもなく、9・9「北海道の日」がやって来る。池田先生が"北海道を世界一の理想郷に!"と青年たちに呼び掛けてから45周年。広布の歌声と大行進の足音は、高まるばかりだ。
MEMO
北海道の歌「ああ共戦の歌」(現在の「三代城の歌」)の誕生の経緯は、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章につづられている。
またSOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも、同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、ああ北海に 聳え立つ
万里の長城 広宣の
恩師と共に 厳たりき
春夏調べの 大行進
ああ共戦の 花武者と
二、ああ雄大な 曠野あり
銀の世界は 大雪山
我等健児は いざ起たむ
秋冬誇りの 前進は
歓喜に躍る 花の旅
三、ああ大河あり 滔々と
広宣流布は 我が使命
世紀の海を 乗り越えて
三世に光る この世をば
祈り舞わんと 花吹雪
師弟共戦の 三代城