一対一の触発が
友の心を奮い立たせる。
リーダーが率先して
体験と確信を伝えよう!
さあ励ましの最前線へ!
四条金吾殿御返事 P1165
『長き夜のあけとをき道をかへりたるがごとし』
【通解】
長い夜が明け、遠い道のりを歩いて、帰り着いたようである。
〈寸鉄〉 2018年9月12日
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☆世界写真紀行 第35回 ナイアガラの滝
◇前進! 弾ける生命で
圧倒的な水量と、大地を揺るがす轟音。雲のような水煙が絶え間なく舞い上がり、空には大きな虹が懸かる。"壮大な地球の営み"を眺めていると、時がたつのを忘れてしまう。
カナダとアメリカの国境にある「ナイアガラ瀑布」。南米のイグアス、アフリカのビクトリアと並ぶ世界三大瀑布の一つである。
カナダ滝・アメリカ滝・ブライダルベール滝の三つから成り、中でも、カナダ滝は落差50メートル以上、幅675メートルという規模。世界から年間約1500万人の観光客が訪れる。
ナイアガラの滝の水量は、毎秒200万リットルとも。「ニアガル(雷鳴の轟く水)」と先住民が呼んだのが、ナイアガラの語源といわれる。
約1万2000年前、氷河期が終わりに近づくと、膨大な氷が解けて川ができ、断層部にナイアガラの滝が現れた。もとは、現在の位置から11キロほど下流にあったとされる。激しい水の流れによって岸壁が削られ、少しずつ上流へ移動していった。今も年間3センチずつ、移動している。
池田先生は1960年10月11日、カナダを初訪問した。当時、同国に住むSGIメンバーはいない。トロントの空港で先生一行を迎えたのは、一人の未入会の女性だった。学会員である日本の母親から連絡を受け、親孝行のつもりで駆け付けたのである。
翌日、先生は同行のメンバーと共にナイアガラの滝へ。その時の様子が、小説『新・人間革命』第1巻「錦秋」の章に描かれている。
「空は抜けるような青空である。滝の彼方には、色とりどりの紅葉が広がっていた。そのなかを轟音を響かせ、純白の輝きを放って、水が躍り砕ける。そして、飛沫となって天に舞い、鮮やかな七彩の虹を浮かび上がらせていた。とどまることを知らぬ、豊かな水の流れは広布の前進を象徴しているようでもあった。そして、虹のきらめきは大いなる希望を表しているかのように、彼には感じられた」
そして、山本伸一は、同行の青年に深い思いを込めて語った。
「この滝にかかる虹も、一たび流れが途絶えれば、瞬時に消え失せてしまう。人生の希望の虹も、広布への躍動の前進があってこそ輝くものなんだよ。希望を捨てない人には、いかなる困難にも負けない強さがある」
81年6月、先生は再びカナダを訪問。トロントの空港では300人の同志が歓迎し、初訪問時に先生を迎えた女性は広布のリーダーに成長していた。カナダ広布は着実に前進していたのである。
6月24日、先生はトロント会館での勤行会に出席した後、同志と共にナイアガラの滝へ。同日、将来について悩んでいるという青年を温かく励まし、こう語った。
"ナイアガラの滝のような勢いで題目をあげるんだよ。勢いがないと、人生も行き詰まってしまうからね"
長い時を経てもなお、勢いよく流れ続けるナイアガラ。私たちも、滝のごとく、弾ける生命で自身の限界を打ち破っていきたい。
たゆまず前進し続ける。諦めず挑戦し続ける——その努力の中で、勝利の虹は輝く。