2018年9月22日土曜日

2018.09.22 わが友に贈る

真の勇者とは
恐れる心に打ち勝ち
敢然と前へ進む人だ。
「一度もしりぞく心なし」
強き一念で壁を破ろう!

生死一大事血脈抄 P1338
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ』

【通解】
心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念なさるがよい。生死一大事の血脈をこのことのほかに求めてはならない。

〈寸鉄〉 2018年9月22日
「あひかまへて御信心を出し」御書。確信の祈りが根本。さあ今日も朗々と
東京・青梅総区の日。師弟の天地で奮闘する友よ。共戦の炎燃やし正義叫べ
好機に出会わない人間はいない—実業家。勇んで行動する中に勝利の因が
対話に必要な力は、哲学を持つ事と人格だ—戸田先生。挑戦重ねて錬磨を
在留外国人が過去最多。民衆の往来こそ平和への道。問われる心の国際化

☆歌声高く 第19回 青春桜
◇桜花爛漫の人生を開け
桜は特別な花である。
年々歳々、厳寒を越えて春に咲く美しさ、潔さに、人は、わが人生を映し見るものである。
日蓮大聖人は門下への手紙に、こう認められた。
「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)
固く、ごつごつとした桜の木からも、やがて美しい花が咲き出る。その原理と同様に、凡夫の心からも必ず、最極の仏の生命を涌現できると教えられた。
第1次宗門事件の嵐が吹き荒れる中、池田先生は、厳しい冬を耐え、満開の花を咲かせる桜に、創価の同志の人生を重ね、訴えた。「嵐に負けるな!」「桜花爛漫の人生を開きゆけ!」と。当時の女子部の友が、師を求め、"父娘の誓い"を託しながら、何度も何度も歌った歌——それが「青春桜」である。
1977年(昭和52年)末、全国の女子部の友に大きな喜びが広がった。東京・信濃町に旧・創価女子会館が誕生したのである。
池田先生は「遂に建つ 創価の桜の 女子会館」と詠んで贈り、さらに桜を植樹。「青春桜」と命名した。
この1本の桜から、女子部の友は新・女子部歌の曲名を着想。代表が作成した歌詞の原案を受け取った先生は、全生命を注ぐ思いで筆を加えた。「新時代を開く"魂の歌"にしよう」と。
その結果、原案のうち「青春桜」という曲名、冒頭の「ああ」という言葉、最後の「薫れ生命の 青春桜」という言葉しか残らないほど、全面的に推敲された。
曲についても、先生は「もっと皆の心が開けていくようなものにしよう」等と具体的に提案。録音したテープを繰り返し聴いた。
こうして、師弟共戦の女子部歌「青春桜」が完成。78年(同53年)3月16日、東京・立川文化会館で開かれた「3・16」20周年記念の青年部総会の席上、発表された。
歌詞の3番には、こうつづられている。「あなたと語りし あの誓い」「いかに忘れじ この道を」「手に手をとりたる 青春桜」
私たちは決して一人ではない。創価の姉妹がいる。学会家族がいる。そして、師匠がいる!——女子部の友は、大好きな「青春桜」を口ずさみながら、荒れ狂う宗門事件の嵐を、敢然と乗り越えてきたのである。
時は巡り、2006年5月3日、現在の創価女子会館が開館し、その後、同会館に「青春桜」の歌碑が設置された。
池田先生ご夫妻の言葉が、この碑文に刻まれた。「時は満ち本門の華陽の連帯は/全世界に『師弟桜』『友情桜』/『幸福桜』『平和桜』を広げゆく/広布勝利の花の道を語り歩む」
華陽の乙女は誓い進む。
自分らしく「人間革命の青春」の花を咲き薫らせるため、そして、「幸福」と「平和」の創価桜の道を開きゆくために!

MEMO
女子部歌「青春桜」の誕生の淵源は、小説『新・人間革命』第27巻「激闘」の章に描かれている。また、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」(www.sokanet.jp)の「会員サポート」の「学会歌」のコーナーで、同歌を聴くことができる。

一、ああ新世紀 時来たる
  今ひらけゆく 金の道
  春の曙 創価山 創価山
  私のあなたの 青春桜

二、ああ黎明の 時今に
  花の嵐に いやまして
  天地に舞いゆけ 共々に 共々に
  朝日に光れ 青春桜

三、ああ満天に 星仰ぎ
  あなたと語りし あの誓い
  いかに忘れじ この道を この道を
  手に手をとりたる 青春桜

四、ああわが使命 果たさなん
  集いて来たれ 生々の
  永遠の都に 爛漫と 爛漫と
  薫れ生命の 青春桜