掛け声だけでは
団結は生まれない。
一人を支え抜くことだ。
幸せを祈りぬくことだ。
広布の指導者ならば!
国府尼御前御書 P1324
『釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候、まことしからぬ事にては候へども仏の金言にて候へば疑うべきにあらず』
【通解】
釈尊ほどの仏を、身口意の三業をもって、一中劫の間、心をこめて供養するよりも、末代悪世の時代に、法華経の行者を供養する功徳の方が勝れていると説かれているのである。真実とは思えぬことではあるが、仏の金言であるから疑うべきでない。
〈寸鉄〉 2018年9月15日
衆生の「心清ければ土も清し」御書。環境をも変えるのが信心。一念定めよ
東北婦人部の日。地域で輝く福光の太陽よ。不撓不屈の前進に皆が大拍手
副役職の友が光る組織は強し。さあ幹部と心一つに「励まし週間」に総力!
ドクター部の日。「生命尊厳」を掲げる先頭走者。同苦の心で信頼の灯台に
交通死亡事故、日没後の1時間に多発。昼・夜間の3倍超。互いに声掛けを
☆歌声高く 第18回 凱歌の人生/誓いの友/広布の鐘
◇広布の新時代は北関東から!
夏の暑さが盛りを過ぎ、秋の気配が近づくと、北関東の同志の心は、むしろ、一段と熱を帯びてくる。
池田先生が茨城、群馬、栃木の3県に、相次いで県歌を贈った記念の日を迎えるからだ。1978年(昭和53年)のことである。
茨城県歌「凱歌の人生」の歌詞が発表されたのは、10月21日、東京で行われた本部幹部会の席上だった。その歌詞には、池田先生の「"すべてに勝利の茨城であれ!"との、強い、強い、期待が込められていた」(小説『新・人間革命』「常楽」の章)。
第1次宗門事件の渦中である。けなげな学会の同志を守るため、間断なき激闘のさなかにあった先生は、ペンを執り続けた。
11月2日、「栃木の日」記念総会を翌日に控えていた県の幹部のもとに、「県歌ができたよ」との先生の伝言が劇的に届く。
総会当日、会場に県歌「誓いの友」の歌声が響きわたった。池田先生が恩師・戸田城聖先生の戦後初の地方指導に思いをはせて命名した「戸田合唱団」の友も躍動した。
同月21日には、群馬センター(当時)で協議会を行っていた県幹部に、群馬県歌「広布の鐘」の完成が伝えられた。さらに、「歌は時代を変えていく。群馬の同志が、この歌を声高らかに歌いながら、大きく成長して、新しい時代を築かれることを楽しみにしています」との先生の万感こもる伝言も——。
11月23日、東京・信濃町の創価文化会館(当時)で第1回「関東支部長会」が行われた。開会に先立ち、各県のメンバーが県歌を合唱する姿は、さながら"広布の歌合戦"のよう。「皆が、二十一世紀の峰をめざす決意を託しての合唱であった」(小説『新・人間革命』「力走」の章)
そして今、「直通の茨城」「人材の王国・群馬」「広布源流の栃木」には、堂々たる人材の城が築かれた。
各県の同志は本年6月、県歌誕生40周年を記念する関東総会(本部幹部会)を見事な弘教拡大で勝ち飾り、広宣流布大誓堂完成5周年の秋へとひた走る。師と共に、歌声も高らかに!
MEMO
茨城県歌「凱歌の人生」と栃木県歌「誓いの友」は小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章に、群馬県歌「広布の鐘」は同巻「力走」の章に、それぞれ発表の模様が記されている。
SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)では、3県の歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等のほか、「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
〈栃木県歌「誓いの友」〉
一、ああ高原の 郷土に
立ちて誓わん わが友と
三世の道は ここにあり
栃木の凱歌に 幸の河
二、あの日誓いし 荘厳の
語りし歴史 つづらんと
ああ幾山河 凜々しくも
栃木の勝利に 涙あり
三、栃木の友は 恐れなし
広布の歩調は 朗らかに
いざいざ進まん 慈悲の剣
栃木の旗に 集い寄れ
君との誓い 忘れまじ
〈群馬県歌「広布の鐘」〉
一、我等を守り 見つめたる
赤城の風は 妙法と
群馬の天地に 幸薫れ
さあ肩くみて 友よ起て
二、あふるる文化の 上毛に
今再びの 広宣の
この世の夢か 楽土をば
さあ築きゆけ 鐘鳴らせ
三、ロマンの歴史 満々と
群馬の足跡 朗らかに
仰げば天に 虹光り
ああ我等の誓い 忘れまじ
利根と榛名に 忘れまじ
〈茨城県歌「凱歌の人生」〉
一、おお寒風に 梅の香を
君も友どち 耐え勝ちぬ
いざや歌わん 茨城の
凱歌の人生 創らんや
凱歌の人生 輝けり
二、真赤な太陽 わが胸に
苦楽の旅に 諸天舞え
ああ常楽に 坂あるも
共に肩くみ 友の列
共に肩くみ 幸の列
三、君よ辛くも いつの日か
広宣流布の 金の風
歓喜の凱歌の 勝ちどきを
天空までも 叫ばんや
ああ茨城は 勇者あり