2018年9月9日日曜日

2018.09.09 わが友に贈る

祈りあるところ
希望は生まれ広がる。
「苦楽ともに思い合わせて」
妙法を唱え抜き
負けじ魂の一歩前進を!

千日尼御返事 P1320
『故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば諸仏は大苦に堕ち給うべし、ただをいて物を見よただをいて物を見よ、仏のまことそら事は此れにて見奉るべし』

【通解】
亡くなられた阿仏房一人を寂光の浄土に入れなければ、諸仏は大苦に堕ちるに違いない。よくよく物事を見極めなさい。よくよく物事を見極めなさい。
仏の教えが真実であるか虚妄であるかは、これによって判断していくべきである。

〈寸鉄〉 2018年9月9日
「いよいよ強盛の信力を」御書。変毒為薬の信心だ。勝利の人生を題目根本で
女子学生部の日。貴女の成長こそ世界の希望!師のもと福智の青春を前進
会合を陰で支える婦人部に感謝。全員に幸と栄光あれ!きょう香城会の日
北海道の皆様、引き続き余震に警戒を。通電火災も注意。どうかご無事で
公明議員よ迅速で的確な支援頼む。今こそ連帯力を生かして国民の命守れ

☆虹を懸ける 池田先生と北欧� 2018年8月27日
◇「良き人」の連帯を広げよ
1989年6月1日にスウェーデンを訪問した池田先生は、翌2日、首都ストックホルムの首相官邸を表敬し、カールソン首相と会見。また同日、国立東洋美術館で"自然との対話"写真展の特別鑑賞会に出席した。
さらに5日には、王宮でグスタフ国王と会見。信頼と友情を結ぶ人間外交は、同国出発の直前まで続いた。
スウェーデンSGIのアンナ・ミルステンさん(支部婦人部長)は、先生が滞在した5日間、女子部の白蓮グループとして諸行事を支えた。
外交官の父は当時、海外赴任を終え、スウェーデン外務省に勤務していた。国立東洋美術館での写真展には来賓として招待された。
先生は、来賓の一人一人と握手を交わしながら、丁重に謝意を述べていった。父の番が来ると、ミルステンさんも一緒に並んであいさつ。先生は慈愛のまなざしを注ぎながら、彼女と固く握手を交わし、「ご両親を大切にしてください」と。
ミルステンさんは家族の中で一人だけ、2年前に入会していた。自分に自信が持てないのが、彼女の悩みだった。その苦しみは入会後も続き、外見ばかりを気にして、いつからか拒食症に陥った。
そんな中での先生との出会い。温かな手の感触に、「自分で自分を卑下しても、先生は私を信じてくれていると感じました」。
ミルステンさんは親孝行に徹しつつ、悩みにも信心で向き合い、心身の健康を取り戻していった。仕事では、美容や健康の分野を経て、現在、医療業務に従事する。
自宅を広布の会場に提供し、"料理教室"を開くなど、近隣との友好も広げる。
プライベートを重んじるこの国では、悩みを誰にも打ち明けられず、抱え込む人が多くいる。ミルステンさんも、そうだった。だからこそ今、自身の体験を語りながら、そうした人の心に日々、寄り添っている。

◇幸の妙宮
89年6月3日、ストックホルムの中心部から約20キロの町・サルツシュバーデンの丘の上に、スウェーデン文化会館がオープンした。
開館式に出席し、代表と共にテープカットに臨んだ先生は、芳名録にこう記した。
「世界の王宮よりも/すばらしき/人間の 幸の妙宮の開所を/私は心より祝したい」
この日、白亜の会館に到着した先生を迎えたのは、少年少女による合唱。その中に、当時10歳だったナタリー・ノードクイストさん(スウェーデンSGI婦人部員)がいた。
テープカットの後、会館内に設置された"核の脅威展"を見学する際も、先生はノードクイストさんらをそばに招き、並んで歩いた。展示の一枚一枚を共に観賞しながら、彼女にこう語り掛けた。
「必ずや、平和の世界を実現しなければならない」「あなたたちが、その未来を開いていく存在なんだよ」
ノードクイストさんは4歳から始めたバレエで、プロのダンサーを目指していた。「世界中の人に希望を送るために踊ろうと、強く誓いました」
その2カ月後、バレエ学校に入学。厳しい競争を勝ち抜き、19歳の時には、スウェーデン・ロイヤル(王立)バレエ団への入団を果たした。
体を酷使したことにより、膝の故障やけがなどにたびたび見舞われた。御本尊に向かい、先生との誓いを思い起こしては、自らを鼓舞した。
2001年、同団のソリストに昇格。05年には主役である「プリンシパル」に選ばれ、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」など、数々の作品に出演した。
同団を休職し、モナコ公国モンテカルロ・バレエ団の一員だった09年、日本を訪れた際に本部幹部会に参加した。参加者を代表し、「創価芸術賞」を受賞したノードクイストさん。初めて主役を演じた際の写真と記念の品を「これまで激励してくださったことへの、感謝の気持ちです」と先生に手渡した。
「ありがとう! 真心に感謝します」と先生。両手を大きく広げて"バレエ"の仕草をすると、場内は朗らかな笑いに包まれた。
先生は、彼女に語った。"人の心を伝えるのは、芸術です。だから芸術は、広宣流布のために重要なんです"
この言葉を思い出すたびに、ノードクイストさんの心には勇気が湧く。"バレエを通して仏法の素晴らしさを伝えたい"と祈り、演技に臨むと、表現も豊かになると実感する。
多忙でも、時間を見つけて学会活動に参加し、悩める同志に励ましを送ってきたノードクイストさん。
成長を期待し、待っていてくれる師に応えたい——世界的なバレリーナとなった今も、この思いが、一番の原動力になっている。

◇仏法カレッジ
スウェーデン文化会館の開館式でスピーチした先生は、「近隣友好」「文化・風習等の尊重」「誠実に友情を広げる」との三つの指針を示し、焦らずにじっくりと、「良き人」の連帯を広げていこうと呼び掛けた。
そして、「一人も残らず、幸福と成仏への『仏法カレッジ』の学生として、伸び伸びと、朗らかに、また仲良く、行学の前進を」と念願した。
この会合には、他の北欧の国からも、メンバーが参加していた。その一人がアウド・ディゲルネスさん(ノルウェーSGI理事長)である。
幼い頃から信心に励んでいたが、社会運動に夢中になった高校時代、"宗教は必要ない"と考えるように。集会やデモに参加して平和を訴えたが、心は満たされなかった。
スウェーデンで先生との出会いを刻んだのは、再び信心に励むようになって、間もない時だった。
ユーモアを交えてスピーチする先生。会場の前方に座っていたディゲルネスさんを見つけると、先生は身振り手振りを交えて、彼女に励ましを送った。
信心から離れたことをうしろめたく感じていたディゲルネスさんは、とっさに、先生から目をそらしてしまった。だが先生は2度、3度と、彼女を激励した。
ディゲルネスさんが先生を見ると、先生はにっこりとうなずいた。
また彼女は、先生が信仰の在り方について語ったのを、今も覚えている。
「会館の壁には、富士山の絵が掲げられていました。でも、それを見られた先生は"ここは日本じゃないんだよ。スウェーデンらしくやればいいんだよ"と言われました」
「私に対する温かな励ましも、"あなたらしく頑張るんだよ"というメッセージだったのだと思います」
大学、そして大学院へと進学したディゲルネスさん。難民支援に関わる仕事を経て、文化イベントを主催するNGO団体に就職し、現在も働いている。
SGIでは、ノルウェーの女子部長、青年部長を務めた。経済水準も、国民の幸福度も高いこの国で、"心の豊かさ"を示す仏法の哲理を広める使命は大きいと感じている。

◇心を砕いて
デンマークSGI副理事長のリーネ・スラボウスカさんは当時、同国の白蓮グループの責任者。諸行事を支えるため、スウェーデンに駆け付けた。
83年、20歳の時に仏法に出あった。唱題を始めて数週間後、希望していた条件の会社に就職し、信心の功徳を実感する。
心の中にも変化があった。自己肯定感が低い青春時代だったが、学会には、そんな自分を信頼してくれる人がいた。同志の励ましの中で、自らも、人の幸福に尽くすことを喜びと思えるように。自身の人生にも、感謝できるようになった。
スウェーデンを訪問した先生を、スラボウスカさんは宿舎のロビーで迎えた。「先生、ようこそ!」と笑顔で語る彼女と、先生は優しく握手した。
滞在中、メンバーの中に分け入って、一人一人に慈愛の励ましを送る先生を目の当たりにした。「まだ入会して数年でしたが、皆の幸福のために心を砕かれる姿に、リーダーの在り方を学びました」
その後、全国女子部長などを務めたスラボウスカさん。温かく、人間味あふれる先生の姿を模範として、メンバーの励ましに全力を注いでいった。
芸術、ファッションの粋が集まる首都コペンハーゲンで、服飾デザイナーとして長年、活躍し、信心の実証を示してきた。
長男に続いて授かった子を、流産で失う悲しみもあった。「変毒為薬」を強盛に祈り、5年後に待望の長女が誕生した。信仰の素晴らしさと、人生の師匠を持てる感謝を、二人の子に語り継ぐ。
誉れの"仏法カレッジ"で学ぶ喜びにあふれた、スウェーデン文化会館の開館式。
その翌日に開かれたのが、「第1回SGI北欧総会」。スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、フィンランドの代表が、師のもとに集った。北欧の同志にとって大きな転機となる。

☆虹を懸ける 池田先生と北欧�=完 2018年8月30日
◇師弟の絆は心に燦然と
スウェーデンの首都ストックホルムに、北欧5カ国の同志が集った「第1回SGI北欧総会」(1989年6月4日)。
参加者の喜びは幾重にも広がり、民族衣装を着ての踊りや民謡などが、生き生きと披露されていった。
熱演の一つ一つに、池田先生は立ち上がって拍手を送り、時に一緒にリズムを刻みながら、メンバーと心の交流を結んだ。
祝福のスピーチを、先生はこう始めた。
「きょうは、小雨にライラックの花が美しい……」
先生の話に、イングリッド・ワールボーンさん(スウェーデン、地区婦人部長)は驚いた。
副女子部長として、諸行事の準備に奔走していたワールボーンさん。だが待ちに待った総会の日は、あいにくの雨。彼女たちは内心、落胆していた。
「先生は、そんな私たちの心を知り、励ましを送ってくださったのだと感じました」
続けて先生が語ったのは、「一本の樹」の大切さであった。
「この(ライラックの)花は、まず一つの花樹を完全に大きくして、根を張り、花を咲かせ、種をつくる。その『一樹』があれば、あとは時を得、環境を得て、いくらでも大きく広がっていく」
「仏法の広がりも、"勝利の一人"から始まる。仏種が熟して、立派な人格者となり、社会に、また生活に深く根を張りながら、美しい信仰勝利の万花を咲かせていく。
その『一本の信心の大木』さえあれば、そこから妙法の種は広がり、幸福の花は限りなく広がり咲いていく。人数ではない。真実の『一人』の存在が大事である」
この先生の指針が、ワールボーンさんの大きな力になったのは、総会の翌90年。世界有数の通信機器・サービス会社で、ソフトウエア開発の仕事に携わることになったのだ。
IT関係の教育を受けていない彼女の採用は、当時は異例のことだった。多くの人は、無謀だと言った。
それでもワールボーンさんは、使命の場所で"勝利の一人"になるとの誓いを胸に、誠実に業務に励んだ。
学会活動で自身を磨き、協調性を身に付けたことが仕事にも生きた。信頼を広げ、マネジャーを9年間務めるまでに。現在は、人事の業務を担当する。
学会の組織では女子部長などを歴任。多忙の合間を縫って友の激励に走った青年部時代が、人生の宝である。

◇信心の大樹に
先生はスピーチで、総会に集った全員が、それぞれの地で「不動の信心の大樹」となりゆくよう望んだ。
デンマークから総会に参加していたハンネ・ホルムさん(婦人部本部長)は10代の頃、人生の目的を見いだせずにいた。さまざまな宗教を試したが、心は満たされず、どれも長続きしなかった。
友人の紹介でSGIを知った。会合に行くと、自分だけでなく、他者の幸福のために行動する多くの人に出会った。「この人たちと一緒に活動すれば、私も変われるのではと思い、入会しました」
そんな信頼する同志が、口々に語る「センセイ」。"私も、師との原点を築きたい"。89年6月、女子部・白蓮グループの一員として、スウェーデンへ。
総会だけでなく、宿舎で先生を迎えた時にも忘れ得ぬ出会いが。「ようこそ!」と元気にあいさつする彼女に、先生は深い感謝を述べながら、慈愛のまなざしを注いだ。
89年の先生との出会いを、彼女は「暗かった心に、明かりがともされたようでした」と振り返る。
後年、ホルムさんはヨーロッパや日本など、さまざまな国に住んだ。
新たな場所に行くたびに、その地で学会活動に励んだ。「不動の信心の大樹に」との心意気で——。
「デンマークはヨーロッパ広布の『原点』の地です。その誇りを胸に、私たちが創価の人間主義を大きく広げていきます」
同じくデンマークから総会に集ったジョン・ハンセンさん(副本部長)。総会で、先生が会場内のステージに立ち、手品を披露した光景を鮮明に覚えている。
「大きな会場ではなかったため、どの位置からも、先生の様子がよく見えました。先生は参加者とやりとりしながら、一人一人と交流するかのように手品をされました」
ハンセンさんは幼い頃、母からよく先生の話を聞いて育った。「世界的な指導者である先生が、メンバーに寄り添い、心を砕く姿に深く感銘を受けました。この時、私は先生を人生の師匠と決めました」
心に師匠をもった人は強い。ハンセンさんは20代半ばで歯科医を志し、大学で学び直した。そして卒業直後の2004年には、歯科医院を開業した。
何度も経営難に直面したが、諸天を揺り動かす強い題目で、苦境を開いてきた。現在、コペンハーゲン近郊に二つの医院を持ち、数千人の利用者がいる。
09年3月、デンマーク・南大学から先生に「名誉博士号」が贈られた。東京・八王子市の創価大学で行われた授与式に、ハンセンさんはデンマークSGIの代表として参加し、先生の数列後ろに座りながら、師への栄誉に目頭が熱くなった。
式典中、ぐるっと周囲を見渡した先生。ハンセンさんと目が合った。先生はにっこりと笑みを浮かべ、うなずいた。
そのまなざしは、"頑張るんだよ!"と言わんばかりに温かかった。

◇愛称を贈ろう
ヘンリエッテ・ホルムさん(デンマーク、婦人部副本部長)が信心を始めたのは、20歳の時だった。自分を卑下する心や、他人を信じられない心……さまざまな苦しみに縛られていた。
未来に対しても、不安が募る。映像作家を夢見ていたが、"私には無理"と思うばかりで、一歩も踏み出せずにいた。
転機となったのは、1989年6月、北欧総会での先生との出会い。ホルムさんは白蓮グループとして、行事の運営を支えた。
総会の途中、デンマークSGIのリーダーに連れられ、先生のいるテーブルへと向かった。先生は彼女と固く握手を交わし、陰の労苦をねぎらった。
その場を立ち去ろうとするホルムさんに、先生はさらに声を掛けた。「あなたに愛称を贈りたいのですが、よろしいですか」
突然の提案に戸惑いながらも、「はい!」と彼女が答えると、先生は「『信心のプリンセス』はどうだろうか」と。
そしてこう続けた。
「どうか、妙法の歴史をつづり、妙法の大きな勝利を開きゆく人生を送ってください。皆さんの努力に、心から感謝します」
感動で、胸がいっぱいになったホルムさん。「ありがとうございます!」と震える声を振り絞った。
この折のスウェーデン訪問で、先生は国王や首相など国家要人と会見している。その先生が、入会間もない一人の青年をこれほど励ましてくれた……。
「広宣流布のために生涯、戦おうと誓った原点です。先生に頂いた"新しい名前"とともに、"新しい人生"が始まりました」
この直後、ホルムさんは、最難関である演劇学校の監督科への挑戦を決めた。"先生が自分を信じてくれている"。そう思えば、勇気が湧いた。そして応募者の中でただ1人、入学を勝ち取る。
卒業後は20年以上にわたり、舞台監督として活躍してきたホルムさん。広宣流布を祈りの中心に置く時、大きく人生が開ける——そのことを、身をもって感じている。

◇人間の光彩
真実の「一人」がいれば、そこから幸福の花園は広がる——。
先生はスピーチで、「これが、今日までの広宣流布の不動の方程式であった」と語り、「北欧の地も絶対に例外ではない」と力強く訴えた。
それは北欧の各地で一人立ち、広布の草創を開いた同志への、心からの励ましだった。そして、これから先、その道に続く人たちへのエールであった。
先生が訪問したデンマーク、ノルウェー、スウェーデン。そしてアイスランド、フィンランド。どの国でも、一人の勇者によってともされた仏法の灯は、全土を照らす人間主義の光となった。
師の励ましを受けた少年少女や青年部が、今、各国の広布のリーダーに育った。信仰で人生を開き、平和貢献や学問の道、文化・芸術の舞台で活躍する同志が多くいる。
かつて先生は、北欧訪問からの帰路、飛行機の窓から夜空に光るオーロラを眺めた。
後年、先生はこうつづっている。
「宇宙は、こんなにも輝きに満ちている。小宇宙である人間もまた、本来、まばゆい光に満ちているはずである。その人間の光彩をめざして、人間のなかへ、生命のなかへ、私は励ましの旅を、断固として続けよう」
半世紀を超える先生の励ましの旅。その中で育まれた"心の絆"は、北欧の同志の心の宇宙に燦然と輝く。
この師弟の絆を"導きの星"として、友はこれからも、勝利の人生を朗らかに進む。