2014年7月6日日曜日

2014.07.06 わが友に贈る

◇今週のことば
我らの座談会は
励ましの花園だ。
「妙とは蘇生の義なり」
明るく楽しく
友の心に希望と活力を!
2014年07月06日

御義口伝巻上 P725
『一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり』

◇希望の明日へ
国連の役割は諸国の行動を調和するためのシステムである。そのシステムがよって立つところのルールは、すべての加盟国が紛争を平和的手段で解決することをめざすという国連憲章にも明らかなように、武力の行使とは対極にある。軍事力に代表されるものをハード・パワーとすれば、システム、ルールとしてのソフト・パワーこそ国連の本質といえよう。
平5・1・26

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第4回 イギリスの城�
私の師匠である戸田城聖先生は「城」がお好きでした。ご自身の名前にも、城の字が入っています。
先生が私にくださった雅号(詩歌等で使う別名)も「大城(だいじょう)」です。
第二次世界大戦後、焼け野原に一人立った戸田先生は、民衆の幸福と正義の城を、生命尊厳の哲学の城を敢然と築き始めました。
そして、この城を断固として守り、世界中に平和と文化と教育の大城へと広げていくことを、私たち青年に託されたのです。
今から25年前、1989年5月、ロンドンから西に40Kmほど離れたテムズ川のほとりの小高い丘の上に、その城はオープンしました。
イギリスSGIの「タプロー・コート総合文化センター」です。
みずみずしい緑の木々に包まれて、本館のレンガの赤い色が鮮やかに輝き、とがった屋根の上を仰ぎ見れば、抜けるような青空が広がっていました。
私が到着すると、早速、愉快な語らいが始まりました。
洗練された振る舞いと明るいユーモアが光るジェントルマン(紳士)、レディー(淑女)たちです。
瞳輝く未来部の友もいました。私は、その手を取り、真心で整備された美しい花々の庭を、一緒に楽しく散策しました。
以来、私はイギリスを訪問するたびに、タプロー・コートで、未来部の友と黄金の出会いを重ねてきました。そのメンバーが、今、立派な若きリーダーと成長して、大活躍してくれています。
ここは、まさしく人材を育む「希望の城」であり、「未来の城」なのです。

タプローの丘には湧き水があり、少なくとも2000年前から人々が住んでいたといいます。センターの敷地内には、1400年前の古墳も見つかっています。
19世紀の半ばに、現在見られるビクトリア調のゴシック様式といわれる華麗な建物に改装されました。幾何学模様の庭園や南北に続く杉の並木道も見事です。
イギリス王室の居城であるウィンザー城からほど近いタプロー・コートは、多くの賓客たちが集う社交場として、にぎわいました。
「ウィンザーで馬を借りれば、黙っていてもタプローに向かう」といわれていたほど、タプロー・コートは人々に親しまれ、愛されてきたのです。
イギリス王室や各国の王家の賓客、そしてキップリングやオスカー・ワイルドといった著名な詩人も訪れました。タプロー・コートは、歴史とロマンの薫りあふれる「文化の城」なのです。
いつの日か、皆さんも、お父さん、お母さんを連れていってさしあげてください。
有名なチャーチル首相も、タプロー・コートをこよなく愛した一人です。文化センターには、首相が植樹した杉の木が、その個性的な枝ぶりを誇っています。
「われわれの将来は自らの手の中にある。われわれの選択したものによって人生は作られるのだから」
これは、非道なナチスから、どんなに攻撃されても"ジョンブル魂(イギリス人の不屈の精神)"で戦い、祖国を守り抜いたチャーチルの信念が光る言葉です。
この名宰相の揺るぎない人生の根っことなったのは、何か?
それは、膨大な読書です!
チャーチルの愛読書は、長編の『ローマ帝国衰亡史』(ギボン著)だったといいます。歴史を深く学んだからこそ、大局観に立って悠然と未来を見つめることができたのです。
チャーチルは、語っています。
「持っているすべての本を読むことができないなら せめて手にとってその本に親しもう」
「本を生涯の友としよう。それが無理ならば、せめて知り合いくらいにはなるべきだろう」
まずは、家にある本でも、図書館に行って最初に飛び込んできた本でもいい。大切なのは、絶えず本を手にすることです。それは、新しい世界を手にしたことになります。
何が書いてあるのだろう——そのワクワク、ドキドキする心が、自身の可能性を開き、育んでいきます。本を開くことは、未来の扉を開くことなのです。

イギリスは、人権尊重の歴史を開いてきた国です。国王の権力を制限したマグナ・カルタ(大憲章)が作られたのは13世紀。現在でも、イギリス憲法を構成する法典として残っています。アメリカ合衆国憲法など、世界中に影響を及ぼしました。
また、産業革命の発祥の地であり、近代化を大きくリードしてきた国です。
その首都ロンドンは、世界の中心都市として歴史を刻み、人々を魅了し続けてきました。今、ロンドンに住む人々の3分の1がイギリス以外で生まれた人たちです。伝統と先進性、そして、多様性が輝く世界市民の都なのです。
20世紀最大の歴史家アーノルド・J・トインビー博士からお招きをいただき、私がロンドンのご自宅を訪れたのは、1972年5月のことでした。
博士は83歳、私は44歳でした。人類が挑む諸課題を語り合うために、親子ほど年齢の離れた私を、博士は選んでくださったのです。対話は、翌年も博士のご自宅で行われ、のべ40時間に及びました。
さらに往復書簡を重ねて深めた内容は、対談集『二十一世紀への対話』(英語版『生への選択』)として出版。翻訳も進んで、現在までに世界28言語で発刊され、世界各国の大統領や指導者、文化人の方々が愛読してくださいました。「人類の教科書」とまで、称してくださっている方もいます。
トインビー博士は、一生涯、学問に打ち込み続ける真情を、古代ローマの劇作家テレンティウスの言葉に託されていました。
「私は人間だ。だから人間にかかわることは何一つ私にとって無縁とは思われぬ」と。
苦しんでいる人が一人でもいる限り、働き続けるとの大情熱が、静かに、しかも熱く燃えている博士でした。
大切にしている言葉をお尋ねすると、即座に答えられました。
「ラテン語で『ラボレムス』——『さあ、仕事を続けよう』という意味の言葉です」と。
博士の年齢を超えた私も、日々、自らに呼びかけている言葉です。