全てに感謝できる人が
真に幸福な人だ。
「ありがとう!」と
声に出して伝えよう。
身近な人を大切に!
四条金吾殿御返事 P1193
『在俗の官仕隙なき身に此の経を信ずる事こそ稀有なるに山河を凌ぎ蒼海を経て遥に尋ね来り給いし志香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争でか劣り給うべき』
【通解】
あなたは、在俗の官仕の隙ない身で、法華経を信ずる事さえ稀であるのに山河の剣難を凌ぎ、蒼き大海を経て、はるばる尋ねて来られた。その志は、香城で骨を砕き、雪嶺に身を投げた人々の志にもどうして劣るわけがあろうか。
名字の言 葛飾北斎が描いた沖縄・那覇の景色 2021年7月10日
葛飾北斎は代表作「冨嶽三十六景」を世に出した頃、「琉球八景」を制作した。8枚の連作に描かれたのは沖縄の那覇の景色である。だが北斎が沖縄に行った記録はない。作品には、沖縄にはない富士らしき山や雪景色がある▼15世紀に誕生した琉球王国は文化で諸外国と渡り合い、繁栄を遂げた。礼節を重んじる外交や、多彩な芸能に感嘆した中国の使節は、その様子を漢詩や記録に収めた。北斎はそれに影響を受け、「琉球八景」を手掛けたといわれる▼約3万点を生み出した北斎の作品は多彩だ。伝統の画法だけでなく、西洋の技法も取り入れた。時代の流行や先端も捉え、常に新たな挑戦を続けた。「琉球八景」を豊かな想像で描き上げたのは、飽くなき向上心のたまものだろう▼挑戦の人生そのものが、名画のような輝きを放つ。私たちが描くのは、自身の人間革命であり、立正安国の大絵巻である。池田先生は「君よ! あなたよ! ともに広宣流布の『大画伯』として、人生の不朽の名画を描き続ける今日であれ、明日であれ、と私は祈り願う」とつづる▼「心は工なる画師の如し」と仏典は説く。心一つで、未来は大きく変わる。きょうも、わが人生のカンバスに、自分らしい「勝利」の一枚を描こう。
寸鉄 2021年7月10日
本部幹部会、青年部総会配信開始。凱歌の秋へ!異体同心の団結で大行進
愛知の日。堅塁城の建設は一対一の励ましから!広布の一番星の誇り高く
山形の日。全員に地涌の使命あり!さあ桜梅桃李の連帯固く共戦譜綴ろう
人材の養成は高尚な芸術以上—牧口先生。後輩を自分以上に育む聖業皆で
高温多湿下で熱中症危険が大。屋外では小まめにマスク外す等賢く対策を
〈社説〉 2021・7・10 あす「男子部結成記念日」
◇広宣流布は会うことから始まる
あすは男子部結成記念日。今から70年前の1951年7月11日、男子部は産声を上げた。結成式に集ったのは約180人。若く貧しい無名の青年たちに、戸田先生は「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であり、君たちも、その尊い地位を自覚してもらいたい」と語った。
当時、池田先生は23歳。男子部の班長であり、現在のニュー・リーダーに当たる。「師の構想を断じて実現してみせる!」と誓い、結成式直後には早速、東北の仙台へ。出席した座談会で結核を克服した体験を語り、新来の友、8人が入会を希望した。
先生は、そのエピソードを男子部大学校指導集『誓いの若人に贈る』の発刊の辞で紹介し、大学校生に「皆、若いのだ。未完成でいいではないか。未完成だからこそ、成長できる。未完成だからこそ、新しい時代を開いていけるのだ」とエールを送っている。
先月、大学校生の活躍を紹介する聖教電子版オリジナル連載「シン・ダンシブ」が始まった。中国の社会・文化に関する雑誌の編集者やジムのパーソナルトレーナー、ユーチューバーなど、分野は違えど、それぞれ理想と現実のギャップにもがきながらも、信心根本に挑戦の汗を流す。国際協力の仕事に従事する、ある東京の大学校生が「人との出会いは、人生を変えていく気付きを与えてくれる」「師匠を定めることで人生に迷わなくなります」と言い切る姿は印象的だった。
さまざまな分野で新しい時代を切り開く友に共通する点がある。それは、「とにかく飛び込むこと」。「自信があって、完璧に準備して」……という人はいない。
人はとかく、「個性は自分の中にしかない」と思いがちだ。『天才! 成功する人々の法則』(講談社)の著者である作家のマルコム・グラッドウェルは「個性はコミュニティの中にある」と断言する。生まれ持った能力や努力によるところも、もちろん大きい。しかし、それ以上に、私たちは周りの環境や出会う人々からの影響を受けながら生活しているのだ。
飛び込み、人に会い、生かし生かされる関係性の中で個性は開花していく。まさに、広宣流布は会うことから始まる。今夏も新しい出会いをつくろう。自らの体験を語っていこう。互いに成長を約し合いつつ。
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第7回 平和の大道
◇大悪大善御書
『大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか、普賢菩薩の来るには大地を六種にうごかせり、事多しといへども・しげきゆへにとどむ、又又申すべし』(御書1300ページ1行目〜4行目)
◇池田先生の講義
最も厳しい状況だからこそ「大正法」が必ず広まるのだと力強く御断言されています。それは、何もせず、ただ傍観しているだけで、「大正法」が自然に広まるということではありません。(中略)大悪が起きた時こそ、自身がどのように受け止めるのか。今こそ最高のドラマを演じるのだと決意し、「師子王の心」を取り出して行動に打って出てこそ、実際に大善に転ずることができるのです。
◆◇◆
人々のために戦う菩薩の誓願に目覚めた生命こそが、無上の大歓喜に包まれるのです。それは、「舞」や「踊り」で象徴されるように、誰も止めることができない無限の生命の躍動です。この菩薩の誓願に立ち戻れば、必ず、いかなる大悪も断じて大善に変えていくことができる。その自身の本源的な生命の力に目覚めれば、何も嘆くことなどないではないかと、御本仏は教えてくださっているのです。
今、まさに、この菩薩の誓願の躍動は、一人立つ学会員の行動そのものの中にあります。地涌の使命を担う創価の同志は「人間革命」の舞によって、また、踊るが如く菩薩の生命を涌出する「平和・文化・教育」の貢献によって、さらに、凍てついた不信の大地に動執生疑を起こす草の根の「普賢の対話」の力によって、世界広布を現実としてきたのです。
(「大白蓮華」2020年10月号から)
安田進 沖縄総県長
◇師子王の心で勝利の舞を!
この御文を拝すると、ある光景が浮かび、胸が熱くなります。
2000年(平成12年)2月、池田先生をお迎えして行われた「世界青年平和大文化総会」です。4500人の出演者が、フィナーレでカチャーシーを踊りだした時のことです。
先生は自らスッと立ち上がり、上着を脱いで、青年たちと共に舞ってくださったのです。
先生は激務が重なり、その日、体調が優れないと伺っていました。にもかかわらず"青年が待っているのだから"とお越しくださったのです。さらに、わが身を削るようにして沖縄の青年たちのために、舞ってくださったのです。
当時、沖縄青年部長だった私は、すぐ後ろにいました。歓喜の舞の中で、"師匠に続いて、沖縄の広布のために生き抜こう!"と深く誓いました。
苦闘を歓喜へと転じ、喜び勇んで前進していくことを教えられた「大悪大善御書」。御文で、迦葉尊者、舎利弗、上行菩薩、普賢菩薩が取り上げられていることについて、先生は、「人々のために戦う菩薩の誓願に目覚めた生命こそが、無上の大歓喜に包まれるのです」と講義されています。
◇勇気をもって強気で
一番苦しんだ人が一番幸せに——この自他共の幸福のために生きる喜びを、崇高な地涌の使命を、沖縄の友に教えてくださったのは池田先生です。
先生は、「立正安国論」提出から700年後にあたる1960年(昭和35年)7月16日、沖縄を初訪問され、"最も悲惨な戦場となった沖縄を、最も幸福な社会へ"と訴えられました。64年(同39年)12月2日には、小説『人間革命』を沖縄の地で書き起こしてくださいました。
私も参加させていただいた83年(同58年)3月の第1回沖縄記念総会では、"人生は勇気をもって強気でいきなさい"との戸田先生の指導を紹介し、宿命転換の大法を根本に、世界模範の「永遠平和の象徴の道」をと語られました。
先生はまさに、私たち沖縄の同志の尊き使命を呼び覚まし、大悪を大善へと転換してくださったのです。
沖縄の友は、師が示してくださった平和への大道を、師弟の誓いを胸に真っすぐに進んできました。そして今、"世界最初の広宣流布の地帯に!"との師の期待を実現すべく、立正安国の対話に全力を挙げています。
私自身、その先頭に立とうと、縁する全ての方へ、正義の対話に挑戦しています。その中で、驚きと喜びの出来事がありました。
以前の職場に、学会に批判的な先輩がいました。私は同僚をはじめ、その方に学会宣言し、仏法対話にも挑んでいましたが、その先輩は、ことあるごとに、心ない言葉を浴びせてきました。
男子部の先輩から「その方の幸せを心から祈っていくんだよ」と励ましを受け、戸惑いながらも真剣に唱題に挑戦。私は後に、転職しましたが、引き続き題目を送り続けました。
その後、30年以上がたった本年、思いがけず、その方が会館を訪ねてこられたのです。話を聞くと、私が転職してから、さまざまな悩みに直面し、本紙を購読するように。学会の強い味方となられていたのです。勇気を持って一度結んだ仏縁は、必ず花開くのだと改めて実感しました。
◇あらゆる人を味方に
妙法には、あらゆる人を味方にしていける偉大な力用がある。だからこそ、状況が厳しければ厳しいほど、その妙法を流布できる喜びに燃えて、勇気を持って、強気で、対話に臨んでいきたいと思います。
池田先生は、「世界青年平和大文化総会」を通してつづられました。
「勇んで戦いを起こし、使命に生き抜く人には、大歓喜がみなぎる。生命の躍動がある。それこそが、人間革命の原動力なのだ。創価の完勝の源泉なのだ」
広宣流布という師弟の誓願に立ち返る時、どんな逆境をもはね返していく生命の無限の力が湧きます。
沖縄には、「わんが さんねー たーがすが(私がやらなければ誰がするのか)」という言葉があります。"私がやる!"と、使命を自覚した自発・能動の挑戦が、広布の突破口を開きます。さあ、舞を舞うがごとく、喜び勇んで戦い、今こそ、沖縄の天地に師弟勝利の金字塔を打ち立てていこうではありませんか!
◇メモ
御書の一部分しか伝えられておらず、御述作年など詳細は不明。内容から、文永11年(1274年)の蒙古襲来によって社会が騒然とするなかで、苦闘する弟子を励ますために認められたと推察される。
2021年7月10日土曜日
2021年7月9日金曜日
2021.07.09 わが友に贈る
十分な睡眠・適度な運動
バランスの良い食事など
生活リズムを整えよう。
聡明に 快活に
健康長寿の日々を!
諸法実相抄 P1360
『いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』
【通解】
このたび、信心をしたからには、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか。
名字の言 西日本豪雨被災者の"復興の力" 2021年7月9日
西日本豪雨から3年。広島のある座談会では毎年、「今年を表す一文字」を発表し合ってきた。ある女性部員は、築40年の自宅が全壊。身を寄せた避難所では、掃除のリーダーに手を挙げた。床を拭き、自身の心を磨いた被災1年目は、「輝」と書いた▼新たな居を構え、学会活動に走った翌年は「光」。その次の年はコロナ禍で座談会は中止となったが、彼女は「幸」と決めた。三つの文字は全て、自身の姿で「人を励ましたい」との発露。彼女の3年間の歩みが表れていた▼西日本豪雨で、自宅の庭や畑が土砂に埋まった壮年。学会有志の"かたし隊"が撤去作業に来た。酷暑の中、必死に泥をかき出す姿に胸打たれた。壮年は2カ月後に入会。今、妻と共に人間革命の大道を朗らかに歩む▼豪雨で自らが被災し、苦闘の渦中にあっても、人を励ますことで自分を鼓舞する友がいる。"被災された方のために"との行動に感動し、"自分も励ます側に"と立ち上がった友もいる。「励ましの連鎖」は、確かな復興の力となった▼静岡・熱海市で大規模な土石流が発生し、中国地方でも豪雨被害が心配される。犠牲者のご冥福と、被災者の一日も早い生活再建を祈る。今こそ、励ましの連帯を強く、また強く。
寸鉄 2021年7月9日
御本尊に願いきることが一切の華咲かす原動力—恩師。確信の祈りで前へ
「岐阜県女性平和の日」。女性の勇気の声が変革の力。幸薫る対話を拡大!
寄り添う言葉が子どもの自己肯定感を高めると。真心の励ましを"鳳雛"に
空調や扇風機の火災に要注意。経年劣化で発熱・発火し易く。使用前に点検
接種巡る嘘、SNS等で拡散と。不安な点は公的情報や主治医らに確認を
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第9回 ウィンストン・チャーチル
〈チャーチル〉
さあ、勇気を奮い起こそうではないか!
我々は絶対に屈服しない。
最後まで「勝利」に向かって前進するのみだ!
「もし、イギリス帝国が千年の久しきにわたって存続するならば、『これぞ、彼らの最も輝かしいとき』と、後世の人をして言わしめよう」
時は第2次世界大戦下。悪化するイギリスの情勢を前に"未来までの勝利"を信じてやまなかった一人の指導者がいる。
彼の名は、ウィンストン・チャーチル。ヨーロッパを蹂躙したナチス・ドイツに敢然と立ち向かい、祖国を栄光へと導いた希代の名宰相である。
政治家、軍人、画家、ノーベル文学賞作家という多才な顔をもち、その功績をたたえ、没後は英国王室以外で民間人初の国葬が執り行われた。"世界の企業経営者が最も尊敬するリーダー"に選ばれるなど、今なお多くの人に愛されている。
だが、彼の人生は次々と迫り来る逆境との連続闘争であり、絶体絶命の窮地からの"逆転のドラマ"であったといえる。
1940年、65歳で首相に就任。ナチスが勢力を拡大し、侵略の脅威がイギリスにも及ぼうとしていた時代だった。
恐れをなした一部の閣僚は、ドイツとの融和政策に躍起になった。そんな中、国の命運を背負ったチャーチルは決断を下す。
「われわれの目的はなんであるかとお尋ねになるならば、私は一言でその問に答えましょう——勝利、この二字であります」
絶対に屈服しない。最後まで「勝利」に向かって前進するのみだ! "徹底抗戦"を表明した彼の叫びは、恐怖におびえる国民の心を奮い立たせた。
チャーチルは常に自ら民衆を鼓舞し、民衆と辛苦を共にするリーダーだった。首都ロンドンへの空爆が激しさを増す中、彼は瓦礫の山と化した市街地を訪れ、護衛も連れずに被災した市民を激励に歩いて回った。
そして、ある時はラジオを通して、またある時は廃墟の街中で、渾身の演説を繰り返した。
「決してあきらめてはならない。決して、決して、決して。事の大小にかかわらず人生の大事であれ些事であれ、名誉や良識に関わることでないかぎり、決してあきらめるな。明らかに敵が圧倒的な力を持っていたとしても断じて力に屈するな」
「さあ、勇気を奮い起こそうではないか! 前途は疑いなく明るい。悲哀と犠牲のどん底から、人類の栄光はよみがえるだろう」
最後の勝利は我々のものだ!——チャーチルの代名詞でもある「Vサイン」は、人々に限りない希望と勇気をもたらした。
〈チャーチル〉
敵の見せかけの強さを恐れてはならない。
苦しい闘争の渦中で戦意を失う瞬間は必ずやってくる。
追撃あるのみだ!
チャーチルは幼少期、発音障がいに悩んだ。伝統あるパブリックスクールのハロー校に学んだが、成績は常に最下位を争う劣等生だった。陸軍士官学校は3度目の受験で、ようやく合格を果たした。
卒業後はキューバ、インドなどの戦線へ従軍。この激動の時代に本を読みあさり、学問に目覚めていく。
政治、経済、歴史、宗教など、あらゆる知識を吸収していったチャーチルについて、後にイギリスの歴史家・トインビー博士は"彼の創造的な個性は戦線の中での自学自習によって形成された"と分析している。
「どんな逆境においても絶望してはならない。むしろ絶望という名の不運から、希望ある将来へと導く強さを学ぼう」——これが彼の人生哲学であった。
1940年5月、ドイツ軍の猛攻により、英仏軍がフランスの港町に追い詰められた。チャーチルは全ての艦船、民間の漁船、ヨットまでを動員し、撤退作戦を敢行。34万人の救出に成功した。"ダンケルクの奇跡"と呼ばれた英断である。
直後の6月、フランスの降伏でイギリスは孤立無援に。"最後の審判の時"と誰もが絶望する中、本土爆撃に耐え抜き、やがてドイツ軍を撃退した。大戦の転換点の一つとなった「ブリテンの戦い」である。
チャーチルは言う。「敵の見せかけの強さに戦意を失ってはいけない。苦しい戦いの渦中で燃え盛るような闘志や鉄面皮の下に敵がどれほどの脆弱さを隠しているか、いつ突然に戦意を失う瞬間がやってくるか、誰にも分からないものだ」
絶体絶命の難局を、チャーチルは「忍耐」と「執念」で乗り越え、勝利をたぐり寄せていった。後に彼は述懐している。
「これほど追撃の手の弛められなかった勝ちいくさは、戦史に例を見ない」
「史上の大闘争はすべて、分の悪いのを物ともせずに、または間一髪のところで勝利を奪取するすぐれた意思力をもつ側の勝ちに帰した」
45年5月、ついにドイツが降伏。吉報に沸き立つ国民の前で、彼は高らかに宣言した。
「これは、あなた方の勝利です。わが国の長い歴史上にも、これほどの偉大なる勝利はかつてわれわれの知らぬところであります」と——。
"諸君の勝利である"との言葉に、民衆は力強く応えた。
「これはあなたの勝利である」
〈チャーチルを語る池田先生〉
「記憶せよ——断じて停止せざることを、断じて疲れを知らざることを」
勝つまで戦いをやめない。誓いを忘れない。これが学会精神である。
ロンドン郊外に立つイギリスSGIのタプロー・コート総合文化センターには、かつてチャーチルが植樹した杉の木がある。「泣き杉」と呼ばれ、祖国と世界の前途を憂う彼の心情を表している。
同じ時代、日本では初代会長・牧口常三郎先生が軍国主義に立ち向かい、「今こそ、国家諫暁の時ではないか」と師子吼した。
後年、池田先生はタプロー・コートの庭園に、先師を偲び「正義桜」を植樹。2本の木は風雪に負けず、今も根を張っている。
1972年5月10日には、チャーチルの生家であるブレナム宮殿を訪問。トインビー博士との初対談の翌日のことだった。
先生は闘魂燃える彼のリーダーシップを通し、折々に不屈の勝負哲学を伝えてきた。
「チャーチルは述べている。『諸君は、諸君の油断大敵という気持を決してゆるめてはならない』
負けるとしたら油断からだ。相手ではない。勝敗は、自分の心いかんなのだ——これが彼の信条であったに違いない。創価の精神もまた、同じでなければならない」(2008年5月21日、新時代第18回本部幹部会でのスピーチ)
「チャーチルは、ヒトラーと戦う国民に、こう訴えた。『記憶せよ——われわれは断じて停止せざることを、断じて疲れを知らざることを、断じて屈服せざることを』(中略)
勝利するまで、戦いをやめるな。疲れても、あきらめるな。屈するな。断じて誓いを忘れるな!——これがチャーチルの正義の執念であった。これが、学会精神である」(01年9月5日、第9回本部幹部会でのスピーチ)
「チャーチルには、"こんなことでロンドンは滅びない! イギリスは負けたりはしない!"という強い一念があった。その心意気を、多くのロンドン市民は感じ取り、奮い立っていった。一念は波動し、確信は共鳴し、勇気は燃え広がるんです。(中略)
リーダーである皆さんは、いかなる大難があろうが、巌のごとき信念で、絶対に勝つという強い一念で、悠々と、堂々と、使命の道を突き進んでください」(小説『新・人間革命』第30巻<下>「勝ち鬨」の章)
それは、本陣・総東京を先頭に、"勝負の10年"の初陣の勝利を誓う同志へのエールにほかならない。
師弟の月・7月が幕を開けた。「戦いはいかに厳しくとも、勝利は必ずわれわれの上にある」とは、チャーチルの確信である。
バランスの良い食事など
生活リズムを整えよう。
聡明に 快活に
健康長寿の日々を!
諸法実相抄 P1360
『いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』
【通解】
このたび、信心をしたからには、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか。
名字の言 西日本豪雨被災者の"復興の力" 2021年7月9日
西日本豪雨から3年。広島のある座談会では毎年、「今年を表す一文字」を発表し合ってきた。ある女性部員は、築40年の自宅が全壊。身を寄せた避難所では、掃除のリーダーに手を挙げた。床を拭き、自身の心を磨いた被災1年目は、「輝」と書いた▼新たな居を構え、学会活動に走った翌年は「光」。その次の年はコロナ禍で座談会は中止となったが、彼女は「幸」と決めた。三つの文字は全て、自身の姿で「人を励ましたい」との発露。彼女の3年間の歩みが表れていた▼西日本豪雨で、自宅の庭や畑が土砂に埋まった壮年。学会有志の"かたし隊"が撤去作業に来た。酷暑の中、必死に泥をかき出す姿に胸打たれた。壮年は2カ月後に入会。今、妻と共に人間革命の大道を朗らかに歩む▼豪雨で自らが被災し、苦闘の渦中にあっても、人を励ますことで自分を鼓舞する友がいる。"被災された方のために"との行動に感動し、"自分も励ます側に"と立ち上がった友もいる。「励ましの連鎖」は、確かな復興の力となった▼静岡・熱海市で大規模な土石流が発生し、中国地方でも豪雨被害が心配される。犠牲者のご冥福と、被災者の一日も早い生活再建を祈る。今こそ、励ましの連帯を強く、また強く。
寸鉄 2021年7月9日
御本尊に願いきることが一切の華咲かす原動力—恩師。確信の祈りで前へ
「岐阜県女性平和の日」。女性の勇気の声が変革の力。幸薫る対話を拡大!
寄り添う言葉が子どもの自己肯定感を高めると。真心の励ましを"鳳雛"に
空調や扇風機の火災に要注意。経年劣化で発熱・発火し易く。使用前に点検
接種巡る嘘、SNS等で拡散と。不安な点は公的情報や主治医らに確認を
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第9回 ウィンストン・チャーチル
〈チャーチル〉
さあ、勇気を奮い起こそうではないか!
我々は絶対に屈服しない。
最後まで「勝利」に向かって前進するのみだ!
「もし、イギリス帝国が千年の久しきにわたって存続するならば、『これぞ、彼らの最も輝かしいとき』と、後世の人をして言わしめよう」
時は第2次世界大戦下。悪化するイギリスの情勢を前に"未来までの勝利"を信じてやまなかった一人の指導者がいる。
彼の名は、ウィンストン・チャーチル。ヨーロッパを蹂躙したナチス・ドイツに敢然と立ち向かい、祖国を栄光へと導いた希代の名宰相である。
政治家、軍人、画家、ノーベル文学賞作家という多才な顔をもち、その功績をたたえ、没後は英国王室以外で民間人初の国葬が執り行われた。"世界の企業経営者が最も尊敬するリーダー"に選ばれるなど、今なお多くの人に愛されている。
だが、彼の人生は次々と迫り来る逆境との連続闘争であり、絶体絶命の窮地からの"逆転のドラマ"であったといえる。
1940年、65歳で首相に就任。ナチスが勢力を拡大し、侵略の脅威がイギリスにも及ぼうとしていた時代だった。
恐れをなした一部の閣僚は、ドイツとの融和政策に躍起になった。そんな中、国の命運を背負ったチャーチルは決断を下す。
「われわれの目的はなんであるかとお尋ねになるならば、私は一言でその問に答えましょう——勝利、この二字であります」
絶対に屈服しない。最後まで「勝利」に向かって前進するのみだ! "徹底抗戦"を表明した彼の叫びは、恐怖におびえる国民の心を奮い立たせた。
チャーチルは常に自ら民衆を鼓舞し、民衆と辛苦を共にするリーダーだった。首都ロンドンへの空爆が激しさを増す中、彼は瓦礫の山と化した市街地を訪れ、護衛も連れずに被災した市民を激励に歩いて回った。
そして、ある時はラジオを通して、またある時は廃墟の街中で、渾身の演説を繰り返した。
「決してあきらめてはならない。決して、決して、決して。事の大小にかかわらず人生の大事であれ些事であれ、名誉や良識に関わることでないかぎり、決してあきらめるな。明らかに敵が圧倒的な力を持っていたとしても断じて力に屈するな」
「さあ、勇気を奮い起こそうではないか! 前途は疑いなく明るい。悲哀と犠牲のどん底から、人類の栄光はよみがえるだろう」
最後の勝利は我々のものだ!——チャーチルの代名詞でもある「Vサイン」は、人々に限りない希望と勇気をもたらした。
〈チャーチル〉
敵の見せかけの強さを恐れてはならない。
苦しい闘争の渦中で戦意を失う瞬間は必ずやってくる。
追撃あるのみだ!
チャーチルは幼少期、発音障がいに悩んだ。伝統あるパブリックスクールのハロー校に学んだが、成績は常に最下位を争う劣等生だった。陸軍士官学校は3度目の受験で、ようやく合格を果たした。
卒業後はキューバ、インドなどの戦線へ従軍。この激動の時代に本を読みあさり、学問に目覚めていく。
政治、経済、歴史、宗教など、あらゆる知識を吸収していったチャーチルについて、後にイギリスの歴史家・トインビー博士は"彼の創造的な個性は戦線の中での自学自習によって形成された"と分析している。
「どんな逆境においても絶望してはならない。むしろ絶望という名の不運から、希望ある将来へと導く強さを学ぼう」——これが彼の人生哲学であった。
1940年5月、ドイツ軍の猛攻により、英仏軍がフランスの港町に追い詰められた。チャーチルは全ての艦船、民間の漁船、ヨットまでを動員し、撤退作戦を敢行。34万人の救出に成功した。"ダンケルクの奇跡"と呼ばれた英断である。
直後の6月、フランスの降伏でイギリスは孤立無援に。"最後の審判の時"と誰もが絶望する中、本土爆撃に耐え抜き、やがてドイツ軍を撃退した。大戦の転換点の一つとなった「ブリテンの戦い」である。
チャーチルは言う。「敵の見せかけの強さに戦意を失ってはいけない。苦しい戦いの渦中で燃え盛るような闘志や鉄面皮の下に敵がどれほどの脆弱さを隠しているか、いつ突然に戦意を失う瞬間がやってくるか、誰にも分からないものだ」
絶体絶命の難局を、チャーチルは「忍耐」と「執念」で乗り越え、勝利をたぐり寄せていった。後に彼は述懐している。
「これほど追撃の手の弛められなかった勝ちいくさは、戦史に例を見ない」
「史上の大闘争はすべて、分の悪いのを物ともせずに、または間一髪のところで勝利を奪取するすぐれた意思力をもつ側の勝ちに帰した」
45年5月、ついにドイツが降伏。吉報に沸き立つ国民の前で、彼は高らかに宣言した。
「これは、あなた方の勝利です。わが国の長い歴史上にも、これほどの偉大なる勝利はかつてわれわれの知らぬところであります」と——。
"諸君の勝利である"との言葉に、民衆は力強く応えた。
「これはあなたの勝利である」
〈チャーチルを語る池田先生〉
「記憶せよ——断じて停止せざることを、断じて疲れを知らざることを」
勝つまで戦いをやめない。誓いを忘れない。これが学会精神である。
ロンドン郊外に立つイギリスSGIのタプロー・コート総合文化センターには、かつてチャーチルが植樹した杉の木がある。「泣き杉」と呼ばれ、祖国と世界の前途を憂う彼の心情を表している。
同じ時代、日本では初代会長・牧口常三郎先生が軍国主義に立ち向かい、「今こそ、国家諫暁の時ではないか」と師子吼した。
後年、池田先生はタプロー・コートの庭園に、先師を偲び「正義桜」を植樹。2本の木は風雪に負けず、今も根を張っている。
1972年5月10日には、チャーチルの生家であるブレナム宮殿を訪問。トインビー博士との初対談の翌日のことだった。
先生は闘魂燃える彼のリーダーシップを通し、折々に不屈の勝負哲学を伝えてきた。
「チャーチルは述べている。『諸君は、諸君の油断大敵という気持を決してゆるめてはならない』
負けるとしたら油断からだ。相手ではない。勝敗は、自分の心いかんなのだ——これが彼の信条であったに違いない。創価の精神もまた、同じでなければならない」(2008年5月21日、新時代第18回本部幹部会でのスピーチ)
「チャーチルは、ヒトラーと戦う国民に、こう訴えた。『記憶せよ——われわれは断じて停止せざることを、断じて疲れを知らざることを、断じて屈服せざることを』(中略)
勝利するまで、戦いをやめるな。疲れても、あきらめるな。屈するな。断じて誓いを忘れるな!——これがチャーチルの正義の執念であった。これが、学会精神である」(01年9月5日、第9回本部幹部会でのスピーチ)
「チャーチルには、"こんなことでロンドンは滅びない! イギリスは負けたりはしない!"という強い一念があった。その心意気を、多くのロンドン市民は感じ取り、奮い立っていった。一念は波動し、確信は共鳴し、勇気は燃え広がるんです。(中略)
リーダーである皆さんは、いかなる大難があろうが、巌のごとき信念で、絶対に勝つという強い一念で、悠々と、堂々と、使命の道を突き進んでください」(小説『新・人間革命』第30巻<下>「勝ち鬨」の章)
それは、本陣・総東京を先頭に、"勝負の10年"の初陣の勝利を誓う同志へのエールにほかならない。
師弟の月・7月が幕を開けた。「戦いはいかに厳しくとも、勝利は必ずわれわれの上にある」とは、チャーチルの確信である。
2021年7月8日木曜日
2021.07.08 わが友に贈る
間断なき挑戦!
無限の向上!
それが青年の異名なり。
さあ次なる広布の峰へ
結成の月から出発だ!
崇峻天皇御書 P1174
『一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ』
【通解】
釈迦一代の説法の肝心は法華経である。そして、法華経の修行という点で、その肝心をいえば、それは不軽品である。不軽菩薩が人ごとに敬ったということは、どういうことをいうのであろうか。教主釈尊の出世の本懐は、人として振る舞う道を説くことであった。穴賢穴賢。振舞いにおいて、賢いものを人といい、愚かなものを畜生というのである。
名字の言 まず起き上がる——「七転び八起き」の捉え方 2021年7月8日
思わぬ試練に見舞われ、人生の"歩み"につまずいた時、思い出す言葉がある。それは、ある二人の未来部員の何げない会話の中で耳にしたのだが、今も忘れ難い▼「『七転び八起き』っていうけどさ、7回転んだら、起きるのも7回で良くない?」。すると、もう一人がこう言った。「違うよ、まず起きるんだよ」。"起き上がるところから始まる"——これは苦境の渦中にあって、信心で再起を誓う創価の友の生き方にも重なる▼東北に住む多宝会の婦人は、昭和三陸地震津波(1933年)、チリ地震の津波(60年)、東日本大震災の津波(2011年)で3度被災し、自宅は2度流された。若くして夫、娘との死別も経験した▼度重なる試練にあらがい、生き抜くことを選択できたのは、「信心と同志のおかげ」。88歳にして教学部任用試験に合格。95歳の今も生命力に輝く日々。「『あなたの姿に励まされます』と皆に言われると、"私は何度でも立ち上がれるんだな"と勇気が湧きます」と意気軒高だ▼御聖訓に「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)、「いまだこりず候」(同1056ページ)と。7月8日が「七転び八起きの日」かは定かでないが、"鍛えの夏"を負けじ魂で立ち上がり、朗らかに前進したい。
寸鉄 2021年7月8日
「仏になるみちは善知識にはすぎず」御書。創価家族の絆は宝。共に前進
「白蓮Gの日」55周年。友に希望送る尊き連帯。使命の青春に福徳は燦然
大事なのは人間としての外交—戸田先生。一対一の誠実な対話が友情築く
交流少ない高齢者は認知機能低下しやすく—研究地域の声掛けを絶やさず
還付金詐欺が増加傾向。「ATMへ」は信じるな。不審な電話は必ず相談を
☆「第4回本部幹部会」「青年部総会」——池田先生が祝賀のメッセージ贈る
◇「信心の英雄」を大聖人は讃嘆
異体同心の大団結で、生命の凱歌の大道を!——第4回本部幹部会が7日午後、巣鴨の東京戸田記念講堂で開催された。男子部・女子部の結成70周年を記念する「青年部総会」の意義を込めたもの。これには、原田会長、長谷川理事長、永石女性部長が各部の代表と出席した。池田大作先生は祝賀のメッセージを贈り、偉大な「信心の英雄」である一人一人の尊き奮闘を、日蓮大聖人が讃嘆していると強調。未来永劫に生命の凱歌を轟かせながら、栄光と歓喜の大道を勝ち進もうと呼び掛けた。(全国配信は10日から18日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。「モバイルSTB」では10日午前9時から、「SOKAnet」では13日午後4時から視聴可能)
◇原田会長、永石女性部長が各部の代表と共に出席
勝利には、歓喜がある。そこから、新たな栄光への力強い勢いが生まれる。
混迷の時代を晴らす正義の勝利!——これが、学会の永遠の使命にほかならない。
先師・牧口常三郎先生と恩師・戸田城聖先生が獄中闘争を貫いた地・巣鴨に立つ東京戸田記念講堂。ここに、烈風を突き抜けて、感激のドラマをつづった創価家族の笑顔の花が爛漫と咲き薫った。
池田先生は幹部会に寄せたメッセージの中で、尊き宝友の奮闘をねぎらいつつ、「最大の感謝と讃嘆を込め、全同志に一書をお贈りしたい」と述べた。
すると壇上に、墨痕鮮やかな書が運ばれてきた。そこには「凱歌大道之誉」の文字が。わが胸中に生命の凱歌を轟かせ、福運と和楽の大道を歩みゆく誓いが、拍手とともに湧き上がる。
さらに先生は"結成70周年に、目覚ましい前進を遂げた本門の男女青年部に贈りたい"とし、「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(御書509ページ)との学会精神の真髄を記した一対の書を紹介した。あえて困難に挑み、より深い生き方を求め、「丈夫の心」を貫く——不滅の価値ある「人生の劇」をつづる鍵はここにある、と。
さあ、次なる広布の峰へ、今再び前進の足音を高めよう! 青年を先頭に、立正安国の威風堂々たる大行進が始まった。
7月11日には広布の闘将・男子部が、19日には創価の華・女子部が、それぞれ誕生から70周年の佳節を刻む。
——両部の結成式が東京・西神田の旧学会本部で行われたのは、1951年(昭和26年)7月。戸田先生の第2代会長就任から、わずか2カ月後のことだった。
式典に先立つ同10日夜、戸田先生は若き池田先生に、男女青年部の意義について語る。「生涯、正法正義を貫き通す人材を、私は青年部のなかから育てていく」「皆の心から、創価の師弟の誇りと、広宣流布の理想に生きようという一念が希薄化してしまえば、学会の未来はない」。戸田先生の眼は、数十年、数百年先の未来を見据えていた。
さらに生前、先生は東北のラジオ局のインタビューで「創価学会に青年が多いのはなぜか?」と聞かれると、「哲学が深いから」と即答した——。
男子部・女子部の結成から70星霜。恩師の期待通りに今、最高峰の仏法哲理と小説『新・人間革命』を学び深め、実践する池田門下の若人が二陣三陣と、日本中、世界中に躍り出ている。
幹部会の席上、池田主任副会長が池田先生のメッセージを紹介。爆発的な歓喜、歓喜の渦が広がった。
男女青年部の代表3人が活動体験を発表。
大平久美子さん(北海道・十勝県女子部長)は、職場で信頼の輪を広げ、同僚を入会に導いた模様を報告。北村幸大さん(大阪・福島区男子部長)は、経営する美容室の売り上げが向上し、新店舗をオープンした喜びを伝えた。笹原義昭さん(広島・安佐北区・男子部本部長)は弘教を実らせ、不屈の楽観主義で人生の波浪を乗り越えた実証を語った。
次に、音楽隊・東京和太鼓団と創価富山師子王太鼓団、創価福岡先駆太鼓団と創価熊本師子吼太鼓団による、リモート演奏を上映。曲目は「湧躍」。勇壮なバチさばきに、万雷の拍手が高鳴った。
大串女子部長は、立正安国の対話に挑む各地の華陽姉妹の活躍に言及。西方男子部長は破邪顕正の師子吼で、創価の正義を示す決意を披歴した。
原田会長は「東京凱歌」へ力走した、全国の同志の奮闘に心から感謝を述べた。
次に、広宣流布とは仏と魔との熾烈な攻防戦であり、立正安国の言論戦であると強調。強き祈りを根本に、あらゆる差異を超えて仏縁を広げていきたいと訴えた。
さらに、金剛不壊の異体同心の団結の重要性について確認。勝って兜の緒を締めて、峻厳なる師弟不二の精神に立ち、連続勝利の歴史をと呼び掛けた。
最後に、池田先生のスピーチを収録した、新しいVOD番組「全てを喜びに 共に広布の山を!」を皆で視聴した。
※本部幹部会および、VODの同番組の「モバイルSTB」での配信は、10日午前9時から(インターネットを通してダウンロードが必要です)。
また、本部幹部会の「SOKAnet」での配信は、13日午後4時から(「SOKAnet」では、VODの同番組は視聴できません)。
☆御書の旭光を 第41回 諸天動かす不屈の祈りを
〈御文〉
『此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ』(兄弟抄、1083ページ)
〈通解〉
このたびの難においてこそ、あなた方の本当の信心が表れて、法華経の会座に連なった十羅刹女も必ず守護するに違いない。
〈池田先生が贈る指針〉
「法華経の行者」の祈りに勝るものはない。広宣流布、立正安国のために戦う我らの誓願の一念が、どれほど強いか。妙法には一切衆生の仏性を呼び顕す力がある。
激闘の時こそ、弾けるような師子吼の題目だ。断固と魔を打ち破り、諸天を揺り動かす不屈の祈りである。
まことの信心の底力で真金の生命の凱歌を!
☆7月度座談会拝読御書 富木尼御前御返事
◇拝読御文
『我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき、きさきになりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれし・あらうれし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えさせ給へ』(御書全集976ページ5行目〜7行目、編年体御書860ページ3行目〜5行目)
[池田先生の指針から]労苦の人に感謝
時には、「どうして自分ばかりが……」とグチをこぼしたくなることもあるかもしれない。しかし、煩わしい試練と祈り戦うからこそ、仏の力を出せる。泥が深ければ深いほど、やがて美事な幸福勝利の大輪を咲かせていけるのが、「如蓮華在水」の妙法である。(中略)
何があっても、一切を御本尊に祈念して、一喜一憂せず、淡々と題目を唱え抜いていくことだ。必ず道は開かれる。そして、その尊い体験こそが、あとに続く後輩たちへ、何よりの希望の励ましとなっていくのである。(『随筆 幸福の大道』)
◇ ◆ ◇
大聖人が富木尼御前の存在をどれほど大切にされているか——師の慈愛はあまりにも深く大きいものでした。(中略)
より重要な点は、眼前の人を最大に励まされることはもちろんのこと、そうであればこそ、常に、その背後にいる人、表舞台には出なくとも陰で支えている人——そうした存在を絶対に見逃すことなく、温かな慈眼を注がれているということです。むしろ、支え守る労苦の人に対して、より深い感謝を抱かれています。
表に現れて目に見える部分は、その背後に広がる目に見えないものがあってこそ成り立ちます。(中略)
仏法の人間主義とは、具体的には何なのか——それは結局、こうした「濃やかな配慮」「温かな励まし」に表れるのです。
人間の絆がますます希薄化している時代にあって、こうした「励ましの芸術」によって、一人を大切にし、生命の尊厳を守る、温かい人間共和の社会を築くことが、広宣流布の大いなる前進であると私は確信してやみません。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第15巻)
◇一人の勝利が皆の希望と輝く
[キーワード�]寄り添う励まし
本抄が執筆された当時、長く病を患っていた富木尼御前にとって、夫の常忍を、下総国(現在の千葉県北部などの地域)から遠く身延の日蓮大聖人のもとへ送り出すことは、言い知れぬ不安もあったに違いありません。
大聖人は本抄で、そうした思いをくみ取るように、尼御前の功労をたたえられた上で、"常忍を通して、尼御前自身に会っているような気がする"とまで仰せになっています。
また、尼御前がしゅうとめに献身的に尽くしてきたことに対して、夫が深く感謝していた旨もつづられています。これは、常忍が日頃、妻に感謝の気持ちを言葉にして示していないことを察せられ、それを代弁することで、夫妻の愛情がさらに深まるようにとの御配慮でもあると拝されます。そして、法華経の行者が病魔に負けるわけがなく、あれこれ嘆く必要はないのだと、病苦に悩む尼御前に同苦しながら、幾重にも激励されています。
夫の常忍だけでなく、その場にいない夫人にまでこまやかに心を砕かれた大聖人。お手紙を受け取った尼御前は、温かな励ましに、どれほどか安心し、勇気づけられたことでしょう。その後、尼御前は純粋な信仰を貫き、長寿の人生を全うしました。
相手の悩みを深く理解する「同苦」。信心を貫けば必ず成仏できるという「確信」。そして、相手の心の内から希望をわきたたせていく「慈愛」——こうした心が脈打つ「励まし」こそ、苦悩を抱える友にとって、前を向いて生きる力の源泉となるのです。
[キーワード�]女人成仏の道
日蓮大聖人は本抄で、妙法を受持した尼御前は、竜女のあとを継ぎ、摩訶波闍波提比丘尼に並ぶ存在になれるのだと励まされ、成仏は間違いないことを教えられています。
竜女は、法華経提婆達多品第12に説かれる竜王の娘です。文殊師利菩薩が法華経を説くのを聞いて発心し、その身のままで成仏したと説かれています。これによって、爾前諸経では許されなかった女人成仏の道が、初めて開かれました。
また、摩訶波闍波提比丘尼は釈尊の叔母であり、育ての親です。釈尊の父である浄飯王の死後に出家して、仏教史上最初の比丘尼(女性出家者)となり、比丘尼の指導的立場で活躍。法華経勧持品第13では、「一切衆生喜見如来」——"誰もが喜び仰ぎ見る仏"になると、釈尊から未来の成仏を保証されました。
竜女も摩訶波闍波提比丘尼も、法華経の中で、女性として全人類の幸福の道を開いた"先駆者"ともいえます。
大聖人はこの励ましを通して、病苦に悩む尼御前に、"あなた自身の勝利の姿は、皆が仰ぎ見るような希望になっていく"との偉大な使命を教えられたとも拝せるでしょう。
御聖訓には、「一人を手本として一切衆生平等」(御書564ページ)とあります。「一人」の勝利が、皆の勝利を開きます。私たちも、師と共に広布に励み、苦難に打ち勝つ中で、周囲に希望を広げる「わが人間革命」の勝利劇を、朗らかにつづっていこうではありませんか。
無限の向上!
それが青年の異名なり。
さあ次なる広布の峰へ
結成の月から出発だ!
崇峻天皇御書 P1174
『一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ』
【通解】
釈迦一代の説法の肝心は法華経である。そして、法華経の修行という点で、その肝心をいえば、それは不軽品である。不軽菩薩が人ごとに敬ったということは、どういうことをいうのであろうか。教主釈尊の出世の本懐は、人として振る舞う道を説くことであった。穴賢穴賢。振舞いにおいて、賢いものを人といい、愚かなものを畜生というのである。
名字の言 まず起き上がる——「七転び八起き」の捉え方 2021年7月8日
思わぬ試練に見舞われ、人生の"歩み"につまずいた時、思い出す言葉がある。それは、ある二人の未来部員の何げない会話の中で耳にしたのだが、今も忘れ難い▼「『七転び八起き』っていうけどさ、7回転んだら、起きるのも7回で良くない?」。すると、もう一人がこう言った。「違うよ、まず起きるんだよ」。"起き上がるところから始まる"——これは苦境の渦中にあって、信心で再起を誓う創価の友の生き方にも重なる▼東北に住む多宝会の婦人は、昭和三陸地震津波(1933年)、チリ地震の津波(60年)、東日本大震災の津波(2011年)で3度被災し、自宅は2度流された。若くして夫、娘との死別も経験した▼度重なる試練にあらがい、生き抜くことを選択できたのは、「信心と同志のおかげ」。88歳にして教学部任用試験に合格。95歳の今も生命力に輝く日々。「『あなたの姿に励まされます』と皆に言われると、"私は何度でも立ち上がれるんだな"と勇気が湧きます」と意気軒高だ▼御聖訓に「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)、「いまだこりず候」(同1056ページ)と。7月8日が「七転び八起きの日」かは定かでないが、"鍛えの夏"を負けじ魂で立ち上がり、朗らかに前進したい。
寸鉄 2021年7月8日
「仏になるみちは善知識にはすぎず」御書。創価家族の絆は宝。共に前進
「白蓮Gの日」55周年。友に希望送る尊き連帯。使命の青春に福徳は燦然
大事なのは人間としての外交—戸田先生。一対一の誠実な対話が友情築く
交流少ない高齢者は認知機能低下しやすく—研究地域の声掛けを絶やさず
還付金詐欺が増加傾向。「ATMへ」は信じるな。不審な電話は必ず相談を
☆「第4回本部幹部会」「青年部総会」——池田先生が祝賀のメッセージ贈る
◇「信心の英雄」を大聖人は讃嘆
異体同心の大団結で、生命の凱歌の大道を!——第4回本部幹部会が7日午後、巣鴨の東京戸田記念講堂で開催された。男子部・女子部の結成70周年を記念する「青年部総会」の意義を込めたもの。これには、原田会長、長谷川理事長、永石女性部長が各部の代表と出席した。池田大作先生は祝賀のメッセージを贈り、偉大な「信心の英雄」である一人一人の尊き奮闘を、日蓮大聖人が讃嘆していると強調。未来永劫に生命の凱歌を轟かせながら、栄光と歓喜の大道を勝ち進もうと呼び掛けた。(全国配信は10日から18日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。「モバイルSTB」では10日午前9時から、「SOKAnet」では13日午後4時から視聴可能)
◇原田会長、永石女性部長が各部の代表と共に出席
勝利には、歓喜がある。そこから、新たな栄光への力強い勢いが生まれる。
混迷の時代を晴らす正義の勝利!——これが、学会の永遠の使命にほかならない。
先師・牧口常三郎先生と恩師・戸田城聖先生が獄中闘争を貫いた地・巣鴨に立つ東京戸田記念講堂。ここに、烈風を突き抜けて、感激のドラマをつづった創価家族の笑顔の花が爛漫と咲き薫った。
池田先生は幹部会に寄せたメッセージの中で、尊き宝友の奮闘をねぎらいつつ、「最大の感謝と讃嘆を込め、全同志に一書をお贈りしたい」と述べた。
すると壇上に、墨痕鮮やかな書が運ばれてきた。そこには「凱歌大道之誉」の文字が。わが胸中に生命の凱歌を轟かせ、福運と和楽の大道を歩みゆく誓いが、拍手とともに湧き上がる。
さらに先生は"結成70周年に、目覚ましい前進を遂げた本門の男女青年部に贈りたい"とし、「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(御書509ページ)との学会精神の真髄を記した一対の書を紹介した。あえて困難に挑み、より深い生き方を求め、「丈夫の心」を貫く——不滅の価値ある「人生の劇」をつづる鍵はここにある、と。
さあ、次なる広布の峰へ、今再び前進の足音を高めよう! 青年を先頭に、立正安国の威風堂々たる大行進が始まった。
7月11日には広布の闘将・男子部が、19日には創価の華・女子部が、それぞれ誕生から70周年の佳節を刻む。
——両部の結成式が東京・西神田の旧学会本部で行われたのは、1951年(昭和26年)7月。戸田先生の第2代会長就任から、わずか2カ月後のことだった。
式典に先立つ同10日夜、戸田先生は若き池田先生に、男女青年部の意義について語る。「生涯、正法正義を貫き通す人材を、私は青年部のなかから育てていく」「皆の心から、創価の師弟の誇りと、広宣流布の理想に生きようという一念が希薄化してしまえば、学会の未来はない」。戸田先生の眼は、数十年、数百年先の未来を見据えていた。
さらに生前、先生は東北のラジオ局のインタビューで「創価学会に青年が多いのはなぜか?」と聞かれると、「哲学が深いから」と即答した——。
男子部・女子部の結成から70星霜。恩師の期待通りに今、最高峰の仏法哲理と小説『新・人間革命』を学び深め、実践する池田門下の若人が二陣三陣と、日本中、世界中に躍り出ている。
幹部会の席上、池田主任副会長が池田先生のメッセージを紹介。爆発的な歓喜、歓喜の渦が広がった。
男女青年部の代表3人が活動体験を発表。
大平久美子さん(北海道・十勝県女子部長)は、職場で信頼の輪を広げ、同僚を入会に導いた模様を報告。北村幸大さん(大阪・福島区男子部長)は、経営する美容室の売り上げが向上し、新店舗をオープンした喜びを伝えた。笹原義昭さん(広島・安佐北区・男子部本部長)は弘教を実らせ、不屈の楽観主義で人生の波浪を乗り越えた実証を語った。
次に、音楽隊・東京和太鼓団と創価富山師子王太鼓団、創価福岡先駆太鼓団と創価熊本師子吼太鼓団による、リモート演奏を上映。曲目は「湧躍」。勇壮なバチさばきに、万雷の拍手が高鳴った。
大串女子部長は、立正安国の対話に挑む各地の華陽姉妹の活躍に言及。西方男子部長は破邪顕正の師子吼で、創価の正義を示す決意を披歴した。
原田会長は「東京凱歌」へ力走した、全国の同志の奮闘に心から感謝を述べた。
次に、広宣流布とは仏と魔との熾烈な攻防戦であり、立正安国の言論戦であると強調。強き祈りを根本に、あらゆる差異を超えて仏縁を広げていきたいと訴えた。
さらに、金剛不壊の異体同心の団結の重要性について確認。勝って兜の緒を締めて、峻厳なる師弟不二の精神に立ち、連続勝利の歴史をと呼び掛けた。
最後に、池田先生のスピーチを収録した、新しいVOD番組「全てを喜びに 共に広布の山を!」を皆で視聴した。
※本部幹部会および、VODの同番組の「モバイルSTB」での配信は、10日午前9時から(インターネットを通してダウンロードが必要です)。
また、本部幹部会の「SOKAnet」での配信は、13日午後4時から(「SOKAnet」では、VODの同番組は視聴できません)。
☆御書の旭光を 第41回 諸天動かす不屈の祈りを
〈御文〉
『此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ』(兄弟抄、1083ページ)
〈通解〉
このたびの難においてこそ、あなた方の本当の信心が表れて、法華経の会座に連なった十羅刹女も必ず守護するに違いない。
〈池田先生が贈る指針〉
「法華経の行者」の祈りに勝るものはない。広宣流布、立正安国のために戦う我らの誓願の一念が、どれほど強いか。妙法には一切衆生の仏性を呼び顕す力がある。
激闘の時こそ、弾けるような師子吼の題目だ。断固と魔を打ち破り、諸天を揺り動かす不屈の祈りである。
まことの信心の底力で真金の生命の凱歌を!
☆7月度座談会拝読御書 富木尼御前御返事
◇拝読御文
『我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき、きさきになりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれし・あらうれし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えさせ給へ』(御書全集976ページ5行目〜7行目、編年体御書860ページ3行目〜5行目)
[池田先生の指針から]労苦の人に感謝
時には、「どうして自分ばかりが……」とグチをこぼしたくなることもあるかもしれない。しかし、煩わしい試練と祈り戦うからこそ、仏の力を出せる。泥が深ければ深いほど、やがて美事な幸福勝利の大輪を咲かせていけるのが、「如蓮華在水」の妙法である。(中略)
何があっても、一切を御本尊に祈念して、一喜一憂せず、淡々と題目を唱え抜いていくことだ。必ず道は開かれる。そして、その尊い体験こそが、あとに続く後輩たちへ、何よりの希望の励ましとなっていくのである。(『随筆 幸福の大道』)
◇ ◆ ◇
大聖人が富木尼御前の存在をどれほど大切にされているか——師の慈愛はあまりにも深く大きいものでした。(中略)
より重要な点は、眼前の人を最大に励まされることはもちろんのこと、そうであればこそ、常に、その背後にいる人、表舞台には出なくとも陰で支えている人——そうした存在を絶対に見逃すことなく、温かな慈眼を注がれているということです。むしろ、支え守る労苦の人に対して、より深い感謝を抱かれています。
表に現れて目に見える部分は、その背後に広がる目に見えないものがあってこそ成り立ちます。(中略)
仏法の人間主義とは、具体的には何なのか——それは結局、こうした「濃やかな配慮」「温かな励まし」に表れるのです。
人間の絆がますます希薄化している時代にあって、こうした「励ましの芸術」によって、一人を大切にし、生命の尊厳を守る、温かい人間共和の社会を築くことが、広宣流布の大いなる前進であると私は確信してやみません。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第15巻)
◇一人の勝利が皆の希望と輝く
[キーワード�]寄り添う励まし
本抄が執筆された当時、長く病を患っていた富木尼御前にとって、夫の常忍を、下総国(現在の千葉県北部などの地域)から遠く身延の日蓮大聖人のもとへ送り出すことは、言い知れぬ不安もあったに違いありません。
大聖人は本抄で、そうした思いをくみ取るように、尼御前の功労をたたえられた上で、"常忍を通して、尼御前自身に会っているような気がする"とまで仰せになっています。
また、尼御前がしゅうとめに献身的に尽くしてきたことに対して、夫が深く感謝していた旨もつづられています。これは、常忍が日頃、妻に感謝の気持ちを言葉にして示していないことを察せられ、それを代弁することで、夫妻の愛情がさらに深まるようにとの御配慮でもあると拝されます。そして、法華経の行者が病魔に負けるわけがなく、あれこれ嘆く必要はないのだと、病苦に悩む尼御前に同苦しながら、幾重にも激励されています。
夫の常忍だけでなく、その場にいない夫人にまでこまやかに心を砕かれた大聖人。お手紙を受け取った尼御前は、温かな励ましに、どれほどか安心し、勇気づけられたことでしょう。その後、尼御前は純粋な信仰を貫き、長寿の人生を全うしました。
相手の悩みを深く理解する「同苦」。信心を貫けば必ず成仏できるという「確信」。そして、相手の心の内から希望をわきたたせていく「慈愛」——こうした心が脈打つ「励まし」こそ、苦悩を抱える友にとって、前を向いて生きる力の源泉となるのです。
[キーワード�]女人成仏の道
日蓮大聖人は本抄で、妙法を受持した尼御前は、竜女のあとを継ぎ、摩訶波闍波提比丘尼に並ぶ存在になれるのだと励まされ、成仏は間違いないことを教えられています。
竜女は、法華経提婆達多品第12に説かれる竜王の娘です。文殊師利菩薩が法華経を説くのを聞いて発心し、その身のままで成仏したと説かれています。これによって、爾前諸経では許されなかった女人成仏の道が、初めて開かれました。
また、摩訶波闍波提比丘尼は釈尊の叔母であり、育ての親です。釈尊の父である浄飯王の死後に出家して、仏教史上最初の比丘尼(女性出家者)となり、比丘尼の指導的立場で活躍。法華経勧持品第13では、「一切衆生喜見如来」——"誰もが喜び仰ぎ見る仏"になると、釈尊から未来の成仏を保証されました。
竜女も摩訶波闍波提比丘尼も、法華経の中で、女性として全人類の幸福の道を開いた"先駆者"ともいえます。
大聖人はこの励ましを通して、病苦に悩む尼御前に、"あなた自身の勝利の姿は、皆が仰ぎ見るような希望になっていく"との偉大な使命を教えられたとも拝せるでしょう。
御聖訓には、「一人を手本として一切衆生平等」(御書564ページ)とあります。「一人」の勝利が、皆の勝利を開きます。私たちも、師と共に広布に励み、苦難に打ち勝つ中で、周囲に希望を広げる「わが人間革命」の勝利劇を、朗らかにつづっていこうではありませんか。
2021年7月7日水曜日
2021.07.07 わが友に贈る
私たち一人一人が
地球環境を守る主体者に。
共生の明日へ
家庭・地域・職場から
変革の波を広げよう!
千日尼御前御返事 P1314
『あわれあわれふしぎなる事かな、此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人はすくなく候、同じ船にて候へばいづれもたすかるべしともをぼへず候いつるにふねやぶれてたすけぶねに値えるか、又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ不思議がり候へ』
【通解】
いかにも不思議なことだ。ここ身延でも鎌倉でも、日蓮門下はこの疫病で死ぬものが少ない。疫病が広範囲に広がり、同じ船に乗り合わせているようなものだから、だれも助かるとは思われないのに、難破して助け船にあったのであろうか、また竜神の助けによって無事に岸に着けたのであろうか、と不思議に思っている。
名字の言 青年の月・7月を青年の心で 2021年7月7日
7月を別名「文月」という。7月7日「七夕」の日に詩歌や文字をつづり飾ったことが由来との説がある。平安時代には短冊に「和歌や字が上手になりますように」と書く人が多かったようだ▼稲の穂が実る頃という意味の「穂含月」が転じて「文月」になったとの説もある。「夏なのに稲穂?」と思う方もいるかもしれないが、これは旧暦の話。現在の暦と比べて1カ月ほど、ずれがある▼キルギス共和国に「種蒔く人」をうたった古謡がある。「蒔かれた種に心ゆくまで水をやり 広く広く、用水路を切り開こう……一粒の種が千粒の実をつけますように」。炎天をものともせず、懸命に農作業にいそしむ人の心には祈りにも似た思いがあろう▼仏法者とは"民衆の心の田を耕す人"だと釈尊は捉えた。人々の心に「信」という種を蒔き、「智慧」という鋤で耕していくのである、と。友の心を潤し、幸福に尽くすには、相手の仏性を信じ抜く祈りが不可欠だ▼学会にとって7月は「青年の月」。男子部は11日、女子部は19日に結成記念日を迎える。池田先生は呼び掛けた。「『青年』という一粒一粒の種が、やがて千粒の実をつけるように、皆で大人材に育ててまいりたい」。前へ進もう。青年を先頭に、皆が青年の心意気で!
寸鉄 2021年7月7日
学会の民衆運動こそ平和建設の模範—識者。さあ新たな凱歌の歴史へ出発
朝の生き生きした息吹に成長がある—恩師。生命力満々と。職場で実証を
間断なく積み重ねを続けねば—建築家。結んだ絆も誠実な振舞で太く長く
梅雨前線が活発。大雨で地盤の緩みも。危険箇所に近づくな。備えも確認
きょう七夕。短冊に希望あり夢あり!誰もが輝く未来をこの子らのために
〈社説〉 2021・7・7 「核兵器禁止条約」採択から4年
◇平和の原動力は"民衆の声"
2017年7月7日、「核兵器禁止条約」が国連本部で採択されてから、きょうで4年を迎えた。国際社会が"平和への新たな一歩"を踏み出した歴史的な日である。
製造から保有、使用、威嚇に至るまで、核兵器を"全面的に禁止"する初の国際法である同条約。
昨年10月に50カ国の批准を達成し、本年1月22日に発効した。現在は署名国が86カ国、批准国は54カ国に達し、着実に広がりを見せている。今後は、米ロなどの核保有国や核依存国、唯一の戦争被爆国である日本の同条約への参加が望まれる。
折しもスイス・ジュネーブで行われた「米ロ首脳会談」(先月16日)の後に発表された共同声明では、「核戦争に勝者はなく、決して戦われてはならないとの原則を再確認した」ことが明記された。
しかし、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、先月7日にまとめた報告書によれば、昨年、コロナ禍に見舞われる中、核兵器保有9カ国は、核兵器に関連する支出を前年よりも増加させた。ICANは、「病院が患者であふれ、医師や看護師が長時間勤務に耐え、基本的な医療用品が不足する中、9カ国は大量破壊兵器に720億ドル(日本円で約7兆8800億円)以上を充てた」と非難している。
池田大作先生は、本年1月に発表した第46回「SGIの日」記念提言で、「核兵器禁止条約のグローバルな支持を拡大するには、市民社会の声を結集していくことが何よりの原動力」と民衆の連帯の重要性を訴えている。核兵器なき世界を求める"民衆の声"——平和への潮流をさらに強めるため、国際社会において、その価値は、より一層、高まっている。
創価学会ではこれまで、国内では、青年部による「不戦サミット」や"被爆体験を聞く会"等を積み重ね、ICANと共同制作した「核兵器なき世界への連帯」展は21カ国90都市以上を巡回。コロナ禍にあっても歩みを止めることなく、各国で核兵器廃絶への取り組みを推進してきた。
誰もが安心して暮らせる「平和と人道の地球社会」の構築へ、核兵器廃絶を推進するのは、市民社会の力である。民衆の声、市民の連帯によって核兵器はなくせるとの意識変革こそ、その鍵だ。全ては一人の友と語らい、平和の心を結ぶ一歩からと銘記したい。
☆人間主義の哲学の視座 第9回 対談集「太平洋の旭日」に学ぶ�
◇テーマ:安心と安全
池田大作先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。今回からは「安心と安全」をテーマに掲げる。ここでは、パトリシオ・エイルウィン元チリ共和国大統領との対談集『太平洋の旭日』をひもとく。
【池田先生】
社会(自らの足場)への「責任感」を放棄せず
時代を開く主人公の自覚に立つ。
【エイルウィン元大統領】
国家の利益の追求が
人間の尊厳を犠牲にしてはならない。
一人一人の安心と安全が、大きく揺らぐコロナ禍の時代。国連開発計画(UNDP)は本年5月、この新たな時代の「人間の安全保障」の在り方を再考するためのハイレベル諮問パネルを設置した。
「人間の安全保障」は、1994年にUNDPによって提唱された概念である。国家がその国境や国民を守るという「国家の安全保障」の枠を超え、人間一人一人の基本的人権を尊重し、人々が自ら主体者となって安心と安全を実現する社会を目指す(長有紀枝著『入門 人間の安全保障』中公新書を参照)。
池田先生は本年の「SGIの日」記念提言で、パンデミック(世界的大流行)への対応において、「国の垣根を越えて人々が直面する脅威を共に取り除こうとする『人間の安全保障』のアプローチ」が求められていると述べた。
また、「どこかに脅威の火種が残る限り、同じ地球で生きるすべての人々にとって、本当の安心と安全はいつまでも訪れない。どの国も犠牲にしてはならず、世界の民衆の生存の権利が守られるものであってこそ、真の平和の実りをもたらす安全保障となる」と。
コロナ禍という未曽有の危機に向き合う今、国際社会のレベルだけではなく、一人一人の立場で「人間の安全保障」の価値を思索することの意義は大きい。
◇民主化の実現へ
権力者は不安と恐怖で人々を分断し、指導者は安心と安全を確保して民衆を一つに結ぶ。歴史は、その戦いが繰り返されてきた。
南米・チリ共和国で軍事政権下の不毛な対立に終止符を打ち、平和裏に民主化を実現させたパトリシオ・エイルウィン氏も、そうした挑戦に身を投じた人物である。
氏と池田先生は、日本とチリで3度会談し、対談集『太平洋の旭日』を編んでいる。
15年以上続いた軍事政権を終わらせる契機となったのは、1988年の国民投票である。
投票は、もともと軍政側が権力維持を狙い、独裁的な大統領の留任を国民投票によって正当化しようと計画していたものだった。力によって、勝利を強要できると思い込んでいたのである。
これを逆手にとり、投票によって軍事政権に「ノー」を突き付けようと呼び掛けたのが、エイルウィン氏だった。"賭け"ともいえる提案だったが、氏には確信があった。"国民の過半数が自由を回復したいと熱望している"。結果は、反軍政側の勝利であった。
氏は、90年に同国大統領に就任。その際、敵対していた前大統領の表敬訪問を受け入れたことは、「平和的な政権移行」を予感させるものとして国民から好感をもって受け止められた。
しかし、氏は「新時代を開いた指導者」という栄誉を望まず、ただ「和解の大統領」として人々の記憶の片隅に残ることを願った。政治家として類いまれな手腕を発揮した氏が貫いたのは、どこまでも民衆の心に寄り添うことであった。
エイルウィン 私が望んだことは、——あらゆる同胞たちにとって、一家の良き父のような存在になり、誠心誠意の熱意と献身で、与えられた権限を駆使し、国民の健康と幸福を築きあげたい。とりわけ緊急にその必要に迫られている極貧層の子供たちを優先的に配慮したい——ということでした。
池田 そのような姿勢が、民衆の広範な支持を得られたのでしょう。これは、万般の道理です。
軍事独裁政権のあと、和解を図りながら、国民主役の政策を実行する。荒海にあえてこぎ出すような困難な作業だったがゆえに、信望のあるリーダーと、公平無私なリーダーシップが求められたと思います。その意味では、指導者像というのは、時代と人々が決めるのかもしれません。
◇本質的な尊厳
"極貧の子供たちを助けたい"と語った氏。人々が安心して生きられる権利を奪う貧困は、「人間の安全保障」に対する脅威にほかならない。さらに氏いわく、貧困とは「平和に対する絶え間のない脅威」である、と。
こうした問題の解決なくして、世界の安全も平和もない。ゆえに先生と氏の語らいは、深く「人権」を論じ合うものとなった。
エイルウィン "国家の偉大さ"とか"階級のない社会の建設"とか"経済繁栄"といった、より緊急性を要すると考えられるものの達成……これらを優先させる必要があるとの口実のもと、人間の尊厳に関する基本的人権の遵守を、犠牲にすることは許されないのです。
池田 科学技術一辺倒になり、豊かな消費世界をひたすら目指すという考えに支配されつつあります。だからこそ、人間の尊厳をしっかりと見据えた、哲学的な基盤をもった"新しいヒューマニズム"が求められます。
エイルウィン 私があえて申し上げたいことは、その人類の一人一人がもつ本質的な尊厳というものは、人類の進歩に深くかかわっており、それがどれほど認められ尊重されているかで、人類の進歩の度合いを測ることができる、ということです。
しかし、現在、私たちはこのことに関して勝利に酔いしれているような状況にないことは明白です。世界には、まだ人権が認められていなかったり、蹂躙されているところがたくさんあり、いずれの国民も人権の後退という危険性と無縁ではないのです。
◇新たな人権の理念
貧困問題を解決していく上で求められる要件として、先生は、「運命を共有する"地球社会の隣人"としての自覚と責任」を挙げ、貧困撲滅の取り組みの成否は、"人類共闘"の枠組みを確立できるかどうかにかかっている、と語る。
さらに、国際社会の一致した取り組みを進める上で、物的・資金的な援助という"応急処置"だけではなく、長期的な視野に立ち、一人一人の「潜在的な力」を引き出すことのできる環境づくりこそが肝要である、と。
課題克服の鍵を、外的条件の変化とともに、自立やエンパワーメントといった内面の変革に見いだす先生の視点は、「人間の安全保障」の骨格をなす理念でもある。
池田 現代と未来に対応する新たな人権の理念は、人間の暗部も含めて、人間の存在を根底から解明した哲学に裏付けられ、支えられることが要請されます。人間の内奥に潜む「悪」を見つめ、その悪を克服していく方法が示されなければなりません。
エイルウィン 私たちは自分たちの主義主張を宣言として表明したり、自分たちが従うべき規範を作成しますが、往々にして反対のことを行ったり、守らなかったりという過ちを犯します。それがあなたのおっしゃる"人間の内奥に潜む悪"なのです。
私は、悪に対して弱い人間を救済するためには、精神的な支えを確立するしかない、とするあなたの所信に同意します。
池田 仏教の英知は、結論として、人間に限らず、すべての存在に他者への慈愛に貫かれた広大な生命(仏)が内在している、と洞察しています。あらゆる人間生命に仏が内在しているというこの仏教の英知こそ「人間の尊厳」を裏付ける新たな力になり、人間内部に潜む悪を克服していけると私は確信しています。
エイルウィン "仏性"あるいは"ブッダの本質"というものは、私たちキリスト教徒が"聖性(高潔清浄な心)"と呼んでいるものと同じです。各々一人一人が悪を遠ざける徳を有し、完璧を目指して努力することです。
池田 世界は、「『民主主義』には、人間に対する尊敬が必要であり、それを忘れると民主主義への人々の関心が薄れる。そこには全体主義的な社会へと後退する危険がある」とのあなたの主張に真剣に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。
一人一人の人間が自らの足場である社会への責任感を放棄せず、時代を切り開く主人公であるとの使命感を充溢させながら、よりよき世界を目指し連帯していく——私は、そうした人間精神の自律性を回復させていくことが、このアポリア(難問)から抜け出す大前提となると考えるのです。
〈プロフィル〉パトリシオ・エイルウィン・アソカル チリ共和国元大統領。1918年生まれ。51年、33歳でキリスト教民主党の総裁に選ばれ、上院議員、上院議長などを歴任。チリ民主化運動をリードし、89年12月、大統領選挙に勝利。軍事政権にピリオドを打った。大統領在職中(90年3月〜94年3月)、貧困の撲滅などに尽力した。2016年4月死去。
地球環境を守る主体者に。
共生の明日へ
家庭・地域・職場から
変革の波を広げよう!
千日尼御前御返事 P1314
『あわれあわれふしぎなる事かな、此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人はすくなく候、同じ船にて候へばいづれもたすかるべしともをぼへず候いつるにふねやぶれてたすけぶねに値えるか、又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ不思議がり候へ』
【通解】
いかにも不思議なことだ。ここ身延でも鎌倉でも、日蓮門下はこの疫病で死ぬものが少ない。疫病が広範囲に広がり、同じ船に乗り合わせているようなものだから、だれも助かるとは思われないのに、難破して助け船にあったのであろうか、また竜神の助けによって無事に岸に着けたのであろうか、と不思議に思っている。
名字の言 青年の月・7月を青年の心で 2021年7月7日
7月を別名「文月」という。7月7日「七夕」の日に詩歌や文字をつづり飾ったことが由来との説がある。平安時代には短冊に「和歌や字が上手になりますように」と書く人が多かったようだ▼稲の穂が実る頃という意味の「穂含月」が転じて「文月」になったとの説もある。「夏なのに稲穂?」と思う方もいるかもしれないが、これは旧暦の話。現在の暦と比べて1カ月ほど、ずれがある▼キルギス共和国に「種蒔く人」をうたった古謡がある。「蒔かれた種に心ゆくまで水をやり 広く広く、用水路を切り開こう……一粒の種が千粒の実をつけますように」。炎天をものともせず、懸命に農作業にいそしむ人の心には祈りにも似た思いがあろう▼仏法者とは"民衆の心の田を耕す人"だと釈尊は捉えた。人々の心に「信」という種を蒔き、「智慧」という鋤で耕していくのである、と。友の心を潤し、幸福に尽くすには、相手の仏性を信じ抜く祈りが不可欠だ▼学会にとって7月は「青年の月」。男子部は11日、女子部は19日に結成記念日を迎える。池田先生は呼び掛けた。「『青年』という一粒一粒の種が、やがて千粒の実をつけるように、皆で大人材に育ててまいりたい」。前へ進もう。青年を先頭に、皆が青年の心意気で!
寸鉄 2021年7月7日
学会の民衆運動こそ平和建設の模範—識者。さあ新たな凱歌の歴史へ出発
朝の生き生きした息吹に成長がある—恩師。生命力満々と。職場で実証を
間断なく積み重ねを続けねば—建築家。結んだ絆も誠実な振舞で太く長く
梅雨前線が活発。大雨で地盤の緩みも。危険箇所に近づくな。備えも確認
きょう七夕。短冊に希望あり夢あり!誰もが輝く未来をこの子らのために
〈社説〉 2021・7・7 「核兵器禁止条約」採択から4年
◇平和の原動力は"民衆の声"
2017年7月7日、「核兵器禁止条約」が国連本部で採択されてから、きょうで4年を迎えた。国際社会が"平和への新たな一歩"を踏み出した歴史的な日である。
製造から保有、使用、威嚇に至るまで、核兵器を"全面的に禁止"する初の国際法である同条約。
昨年10月に50カ国の批准を達成し、本年1月22日に発効した。現在は署名国が86カ国、批准国は54カ国に達し、着実に広がりを見せている。今後は、米ロなどの核保有国や核依存国、唯一の戦争被爆国である日本の同条約への参加が望まれる。
折しもスイス・ジュネーブで行われた「米ロ首脳会談」(先月16日)の後に発表された共同声明では、「核戦争に勝者はなく、決して戦われてはならないとの原則を再確認した」ことが明記された。
しかし、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、先月7日にまとめた報告書によれば、昨年、コロナ禍に見舞われる中、核兵器保有9カ国は、核兵器に関連する支出を前年よりも増加させた。ICANは、「病院が患者であふれ、医師や看護師が長時間勤務に耐え、基本的な医療用品が不足する中、9カ国は大量破壊兵器に720億ドル(日本円で約7兆8800億円)以上を充てた」と非難している。
池田大作先生は、本年1月に発表した第46回「SGIの日」記念提言で、「核兵器禁止条約のグローバルな支持を拡大するには、市民社会の声を結集していくことが何よりの原動力」と民衆の連帯の重要性を訴えている。核兵器なき世界を求める"民衆の声"——平和への潮流をさらに強めるため、国際社会において、その価値は、より一層、高まっている。
創価学会ではこれまで、国内では、青年部による「不戦サミット」や"被爆体験を聞く会"等を積み重ね、ICANと共同制作した「核兵器なき世界への連帯」展は21カ国90都市以上を巡回。コロナ禍にあっても歩みを止めることなく、各国で核兵器廃絶への取り組みを推進してきた。
誰もが安心して暮らせる「平和と人道の地球社会」の構築へ、核兵器廃絶を推進するのは、市民社会の力である。民衆の声、市民の連帯によって核兵器はなくせるとの意識変革こそ、その鍵だ。全ては一人の友と語らい、平和の心を結ぶ一歩からと銘記したい。
☆人間主義の哲学の視座 第9回 対談集「太平洋の旭日」に学ぶ�
◇テーマ:安心と安全
池田大作先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。今回からは「安心と安全」をテーマに掲げる。ここでは、パトリシオ・エイルウィン元チリ共和国大統領との対談集『太平洋の旭日』をひもとく。
【池田先生】
社会(自らの足場)への「責任感」を放棄せず
時代を開く主人公の自覚に立つ。
【エイルウィン元大統領】
国家の利益の追求が
人間の尊厳を犠牲にしてはならない。
一人一人の安心と安全が、大きく揺らぐコロナ禍の時代。国連開発計画(UNDP)は本年5月、この新たな時代の「人間の安全保障」の在り方を再考するためのハイレベル諮問パネルを設置した。
「人間の安全保障」は、1994年にUNDPによって提唱された概念である。国家がその国境や国民を守るという「国家の安全保障」の枠を超え、人間一人一人の基本的人権を尊重し、人々が自ら主体者となって安心と安全を実現する社会を目指す(長有紀枝著『入門 人間の安全保障』中公新書を参照)。
池田先生は本年の「SGIの日」記念提言で、パンデミック(世界的大流行)への対応において、「国の垣根を越えて人々が直面する脅威を共に取り除こうとする『人間の安全保障』のアプローチ」が求められていると述べた。
また、「どこかに脅威の火種が残る限り、同じ地球で生きるすべての人々にとって、本当の安心と安全はいつまでも訪れない。どの国も犠牲にしてはならず、世界の民衆の生存の権利が守られるものであってこそ、真の平和の実りをもたらす安全保障となる」と。
コロナ禍という未曽有の危機に向き合う今、国際社会のレベルだけではなく、一人一人の立場で「人間の安全保障」の価値を思索することの意義は大きい。
◇民主化の実現へ
権力者は不安と恐怖で人々を分断し、指導者は安心と安全を確保して民衆を一つに結ぶ。歴史は、その戦いが繰り返されてきた。
南米・チリ共和国で軍事政権下の不毛な対立に終止符を打ち、平和裏に民主化を実現させたパトリシオ・エイルウィン氏も、そうした挑戦に身を投じた人物である。
氏と池田先生は、日本とチリで3度会談し、対談集『太平洋の旭日』を編んでいる。
15年以上続いた軍事政権を終わらせる契機となったのは、1988年の国民投票である。
投票は、もともと軍政側が権力維持を狙い、独裁的な大統領の留任を国民投票によって正当化しようと計画していたものだった。力によって、勝利を強要できると思い込んでいたのである。
これを逆手にとり、投票によって軍事政権に「ノー」を突き付けようと呼び掛けたのが、エイルウィン氏だった。"賭け"ともいえる提案だったが、氏には確信があった。"国民の過半数が自由を回復したいと熱望している"。結果は、反軍政側の勝利であった。
氏は、90年に同国大統領に就任。その際、敵対していた前大統領の表敬訪問を受け入れたことは、「平和的な政権移行」を予感させるものとして国民から好感をもって受け止められた。
しかし、氏は「新時代を開いた指導者」という栄誉を望まず、ただ「和解の大統領」として人々の記憶の片隅に残ることを願った。政治家として類いまれな手腕を発揮した氏が貫いたのは、どこまでも民衆の心に寄り添うことであった。
エイルウィン 私が望んだことは、——あらゆる同胞たちにとって、一家の良き父のような存在になり、誠心誠意の熱意と献身で、与えられた権限を駆使し、国民の健康と幸福を築きあげたい。とりわけ緊急にその必要に迫られている極貧層の子供たちを優先的に配慮したい——ということでした。
池田 そのような姿勢が、民衆の広範な支持を得られたのでしょう。これは、万般の道理です。
軍事独裁政権のあと、和解を図りながら、国民主役の政策を実行する。荒海にあえてこぎ出すような困難な作業だったがゆえに、信望のあるリーダーと、公平無私なリーダーシップが求められたと思います。その意味では、指導者像というのは、時代と人々が決めるのかもしれません。
◇本質的な尊厳
"極貧の子供たちを助けたい"と語った氏。人々が安心して生きられる権利を奪う貧困は、「人間の安全保障」に対する脅威にほかならない。さらに氏いわく、貧困とは「平和に対する絶え間のない脅威」である、と。
こうした問題の解決なくして、世界の安全も平和もない。ゆえに先生と氏の語らいは、深く「人権」を論じ合うものとなった。
エイルウィン "国家の偉大さ"とか"階級のない社会の建設"とか"経済繁栄"といった、より緊急性を要すると考えられるものの達成……これらを優先させる必要があるとの口実のもと、人間の尊厳に関する基本的人権の遵守を、犠牲にすることは許されないのです。
池田 科学技術一辺倒になり、豊かな消費世界をひたすら目指すという考えに支配されつつあります。だからこそ、人間の尊厳をしっかりと見据えた、哲学的な基盤をもった"新しいヒューマニズム"が求められます。
エイルウィン 私があえて申し上げたいことは、その人類の一人一人がもつ本質的な尊厳というものは、人類の進歩に深くかかわっており、それがどれほど認められ尊重されているかで、人類の進歩の度合いを測ることができる、ということです。
しかし、現在、私たちはこのことに関して勝利に酔いしれているような状況にないことは明白です。世界には、まだ人権が認められていなかったり、蹂躙されているところがたくさんあり、いずれの国民も人権の後退という危険性と無縁ではないのです。
◇新たな人権の理念
貧困問題を解決していく上で求められる要件として、先生は、「運命を共有する"地球社会の隣人"としての自覚と責任」を挙げ、貧困撲滅の取り組みの成否は、"人類共闘"の枠組みを確立できるかどうかにかかっている、と語る。
さらに、国際社会の一致した取り組みを進める上で、物的・資金的な援助という"応急処置"だけではなく、長期的な視野に立ち、一人一人の「潜在的な力」を引き出すことのできる環境づくりこそが肝要である、と。
課題克服の鍵を、外的条件の変化とともに、自立やエンパワーメントといった内面の変革に見いだす先生の視点は、「人間の安全保障」の骨格をなす理念でもある。
池田 現代と未来に対応する新たな人権の理念は、人間の暗部も含めて、人間の存在を根底から解明した哲学に裏付けられ、支えられることが要請されます。人間の内奥に潜む「悪」を見つめ、その悪を克服していく方法が示されなければなりません。
エイルウィン 私たちは自分たちの主義主張を宣言として表明したり、自分たちが従うべき規範を作成しますが、往々にして反対のことを行ったり、守らなかったりという過ちを犯します。それがあなたのおっしゃる"人間の内奥に潜む悪"なのです。
私は、悪に対して弱い人間を救済するためには、精神的な支えを確立するしかない、とするあなたの所信に同意します。
池田 仏教の英知は、結論として、人間に限らず、すべての存在に他者への慈愛に貫かれた広大な生命(仏)が内在している、と洞察しています。あらゆる人間生命に仏が内在しているというこの仏教の英知こそ「人間の尊厳」を裏付ける新たな力になり、人間内部に潜む悪を克服していけると私は確信しています。
エイルウィン "仏性"あるいは"ブッダの本質"というものは、私たちキリスト教徒が"聖性(高潔清浄な心)"と呼んでいるものと同じです。各々一人一人が悪を遠ざける徳を有し、完璧を目指して努力することです。
池田 世界は、「『民主主義』には、人間に対する尊敬が必要であり、それを忘れると民主主義への人々の関心が薄れる。そこには全体主義的な社会へと後退する危険がある」とのあなたの主張に真剣に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。
一人一人の人間が自らの足場である社会への責任感を放棄せず、時代を切り開く主人公であるとの使命感を充溢させながら、よりよき世界を目指し連帯していく——私は、そうした人間精神の自律性を回復させていくことが、このアポリア(難問)から抜け出す大前提となると考えるのです。
〈プロフィル〉パトリシオ・エイルウィン・アソカル チリ共和国元大統領。1918年生まれ。51年、33歳でキリスト教民主党の総裁に選ばれ、上院議員、上院議長などを歴任。チリ民主化運動をリードし、89年12月、大統領選挙に勝利。軍事政権にピリオドを打った。大統領在職中(90年3月〜94年3月)、貧困の撲滅などに尽力した。2016年4月死去。
2021年7月6日火曜日
2021.07.06 わが友に贈る
不安定な天候が続く。
体調管理を大切に!
風水害にも注意を!
「前前の用心」を怠らず
健康・無事故第一で!
聖人御難事 P1190
『過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』
【通解】
過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑し、いやしめる権力者と民衆は、はじめは何事もないようであっても、ついには滅びない者はない。
名字の言 歓喜が轟く凱歌の歴史が築かれた! 2021年7月6日
英語の「ヒストリー(歴史)」と「ストーリー(物語)」は、語源をたどると同じ言葉だという。誰もが自身の物語を生きている。その一人一人の物語が、歴史を形作っていく▼広宣流布の歴史は、幾つもの「勝利」の物語によって織り成されてきた。例えば、宗門僧らが師弟分断の謀略を巡らせた第1次宗門事件。本格的な反転攻勢が開始されたのは、1981年である。11月に四国で「紅の歌」が誕生。12月に大分で長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」が発表された▼その前の7月、一般紙が「史上最高」と報じた"東京の戦い"があった。ある友は「この戦いで、全ての人と対話する『勇気』、最後まで走り抜く『執念』が大切なことを学んだ」と振り返る▼一つの勝利が新たな勝利の因となる。40年前の「東京凱歌」は、新時代を告げる暁鐘となり、全国の同志に決意と歓喜の波動を送った。一人一人の勇気と執念の力走が、その原動力である▼池田先生は東京の友に贈った長編詩で詠んだ。「茨の道を/苦難の道を/断固として/勝ち乗り越えて/我が人生に/万歳を叫び飾ろう!」。コロナ禍という茨の道を進み、今また歓喜が轟く歴史が築かれた。さあ、新たな決意で、次なる勝利の物語をつづろう。
寸鉄 2021年7月6日
牧口、戸田両先生の法難の日。世界の同志の命に創価正義の闘魂は赤々と
「煩悩の淤泥の中に真如の仏」御書。社会の安穏のために戦う友に福徳燦然
互いの健闘を称え合えば喜びは倍加!決意新たに「師弟の月」を皆で飾ろう
大麻による大学生の検挙5年で5倍。"一度だけ"の甘い囁きが人生を破壊
ファイザー、モデルナの注射は変異株に有効と。正しい情報を知り冷静に
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第9回 「一瞬」に「永遠」を込めて 列車編
娘のサラさんをベビーカーに乗せ、母のエマヌエラ・ベルゴンゾーニさんは、ボローニャ中央駅へと急いだ。1992年7月1日のことである。
この日、イタリア訪問中の池田大作先生は、列車でフィレンツェからミラノへ向かった。その途中、列車はボローニャ中央駅に停車した。
ベルゴンゾーニさんが駅のホームに到着すると、車内に先生の姿が見えた。先生は集った友に「グラッチェ(ありがとう)!」と繰り返し感謝を伝え、カメラを向けた。
「その時に先生が撮影された写真は、私たちの宝物です」とベルゴンゾーニさん。
列車が動きだし、友の姿が見えなくなるまで、先生は手を振り続けた。ベルゴンゾーニさんも力いっぱい、手を振り返した。
この時、ベルゴンゾーニさんは、仕事を失っていた。宝石デザイナーとして働いていたが、契約先から解雇された。
だが、ベルゴンゾーニさんは試練を飛躍の転機に変えた。失職を機に、教員になるために大学進学を決意する。
それは、とてつもなく大きなチャレンジだった。ベルゴンゾーニさんには、「ディスレクシア」と呼ばれる、読み書きの障がいがあったからだ。
暗記には人一倍の時間を必要とした。大学進学など夢のまた夢。自分で自分を諦めていた。その心に、立ち向かい始めた。
2年後の94年、31歳でボローニャ国立美術学院の門をたたく。この年、先生は"世界最古の総合大学"と呼ばれるボローニャ大学を訪れ、記念講演を。ベルゴンゾーニさんは学生として聴講した。心の中で"先生、私は勝ちます!"と叫び続けた。
現実は育児、勉強、学会活動と、多忙な日々。何度もくじけそうになった。"もう大学をやめたい"と思う気持ちが込み上げるたび、先生のスピーチを読み、駅での師の励ましを思い返しては、心を奮い立たせた。
猛勉強の末、99年に彫刻学の学士を取得。現在、ボローニャ国立美術学院とラヴェンナ国立美術学院で講師を務める。
イタリア創価学会では、ボローニャ第1方面の方面副婦人部長として、夫のロマーノさんと共にイタリア広布に奔走。長女のサラさん、長男のアレッシオさんも後継の道を進む。
ベルゴンゾーニさんがボローニャ中央駅で、池田先生との絆を結んだ時、列車の停車時間はわずか4分。しかも、窓越しの出会いである。
だが、窓越しの4分は、一人の女性の胸中に、"何があっても負けない"との勇気の灯をともした。29年の時が流れた今も、その灯は、まばゆい輝きを放ち続けている。
◇信心の軌道を進め!
1973年6月5日、池田先生は滋賀・米原から急行「立山2号」に乗車し、福井の武生駅へ向かった。福井県幹部会に出席するためである。
この会合に鼓笛隊のメンバーも参加した。会場の武生市体育館(当時)に向かうため、敦賀にいた7人の鼓笛隊員は「立山2号」に乗車した。
急行が武生駅に到着し、7人は改札を出た。いつもとは違う駅の雰囲気。振り返ると、先生の姿が見えた。
先生は改札を出ると、その場にいた母子に声を掛けた。そして、7人を励まし、一人一人と握手を交わした。車に乗った後も窓を開け、手を振り続けた。
7人への激励は、まだ終わらなかった。福井県幹部会で、先生は「さっき駅で会った鼓笛隊の方、手を上げてください。ヨーロッパの絵はがきを差し上げたいと思います」と。
一回一回の出会いに精いっぱいの真心を込める——そこに創価の心があることを、先生は自らの行動で示した。
73年の福井県幹部会には、もう一つの"駅のドラマ"がある。
「昭和35年に、敦賀の駅で私を待っていてくださった方々は、いらっしゃいますか」——先生が呼び掛けると、会場のあちこちで手が上がった。
昭和35年2月8日、池田先生は敦賀を通って金沢に向かった。敦賀駅の到着は午前2時半ごろ。停車時間は6分である。
それでも、50人ほどの同志が敦賀駅に集まった。だが、先生がホームに降りることはなかった。深夜でもあり、周囲に迷惑がかかることを考慮してのことである。随行の幹部から、先生の伝言が伝えられた。どの顔にも寂しげな表情が浮かんだ。
当時、14歳だった婦人も肩を落として家路に就いた。"一目でも先生にお会いしたい"と両親と一緒に駆け付けていた。
"会えなかった思い出"は、幹部会での先生の呼び掛けによって、"歓喜の思い出"に変わった。13年が過ぎても、会えなかった人に心を砕き続ける師の慈愛が胸の奥深くまで染みた。
70年に義父が事業に失敗。婦人の一家は多額の負債を抱えた。夫は昼と夜、二つの仕事を掛け持ちし、働き続けた。
73年の幹部会の時も経済的な苦境の渦中にあったが、師の励ましを胸に、7年かかって借金を完済した。
幹部会の折、鼓笛隊のメンバーと同様、この婦人にも先生から一枚の絵はがきが贈られた。"自由に海外を行き来できるように"との思いが込められたものだ。経済苦の当時、海外旅行など想像もできなかった。しかし完済後、アメリカ、韓国の地を踏むことができた。
「海外へ行ける境涯を開くことができたのも、全て先生のおかげです」と婦人。
8年前、福井・敦賀から東京・八王子へ。広布一筋の76歳は今、調布、狛江、目黒、豊島、中野、荒川、大田など、東京各地を対話に走っている。
空に美しい虹が懸かっていた。第3代会長辞任から1年後の1980年4月29日。第5次訪中から帰国した池田先生は、長崎空港に降り立った。
先生は長崎文化会館(当時)へ向かい、長崎支部結成22周年記念の幹部会に臨んだ。その後、訪中報告の記者会見を行った。
翌30日付の聖教新聞1面。記者会見、幹部会の模様が掲載になった。さらに記事の最後に、「名誉会長は、長崎のあと福岡、関西、中部の会員の激励・指導に当たる予定になっている」と短く記されていた。
当時、宗門僧らが師弟分断の謀略の限りを尽くしていた。「第1次宗門事件」である。国内での先生の動向はほとんど報道されず、ましてや行動予定が掲載になることなどなかった。短い一文は、列島を歓喜で包んだ。
30日、先生は特急「かもめ」に乗り、長崎から福岡へ。長崎駅のホームには、長崎や佐賀からも友が集まった。
長崎の婦人は3歳の長女、母と駆け付けた。先生は母と長女の近くに歩み寄り、「大切に、大切に育てるんですよ」と語り、長女の頬を優しくなでた。
ところが、この出会いから4カ月後、長女に試練が襲う。日本脳炎にかかった。危篤状態が続き、医師は「命の保証はできません」と告げた。絶望のどん底に沈む婦人に、母は「先生の激励を忘れたらいかん」と、婦人の弱い心を叱り飛ばした。
家族で祈りに祈り、長女は奇跡的に回復。婦人は「先生の真心の一言によって、長女とわが家は救っていただきました。生涯、広布に戦い抜きます」と。
長女は今、白ゆり長として地域広布にまい進。次女は支部女性部長、三女は圏女子部主任部長として、自他共の幸福に尽くす生き方を受け継いでいる。
長崎駅を出発した特急は諫早駅に到着。ここにも、同志が駆け付けていた。
先生は窓越しから、一人一人に真剣なまなざしを向けた。その場にいた女性部の友は、「私たちのことを生命に刻まれていると感じました」と振り返る。
友は宗門の悪僧の暴言に紛動される同志に、師の正義を訴え抜いた。その攻防戦のさなかの先生との出会い。友は「頑張ります! 勝ちます!」と叫んだ。誓いの通り、諫早の女子部員を守り抜いた。
特急は肥前鹿島駅、肥前山口駅に停車した後、佐賀駅へ。各駅に求道の同志が待っていた。
先生は佐賀駅でも窓越しに手を振った。それは「負けるな!」「立ち上がれ!」との、佐賀の友への"無言の励まし"であった。
佐賀駅の後、特急は鳥栖駅に向かい、博多駅に到着した。
九州から始まった激励行は反転攻勢の助走だった。その後、学会は師弟分断の鉄鎖を断ち切り、大きな飛躍を遂げていく。第1次宗門事件の正邪の決着は厳然とついたのである。
列車は軌道を外れない。
山を越え、谷を越え、目的地を目指し、軌道を走り続ける。
広布の戦いは、師が示した信心の軌道を、誠実一路の軌道を、真っすぐに走ることだ。
その先に、立正安国の大理想の実現はある。
体調管理を大切に!
風水害にも注意を!
「前前の用心」を怠らず
健康・無事故第一で!
聖人御難事 P1190
『過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』
【通解】
過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑し、いやしめる権力者と民衆は、はじめは何事もないようであっても、ついには滅びない者はない。
名字の言 歓喜が轟く凱歌の歴史が築かれた! 2021年7月6日
英語の「ヒストリー(歴史)」と「ストーリー(物語)」は、語源をたどると同じ言葉だという。誰もが自身の物語を生きている。その一人一人の物語が、歴史を形作っていく▼広宣流布の歴史は、幾つもの「勝利」の物語によって織り成されてきた。例えば、宗門僧らが師弟分断の謀略を巡らせた第1次宗門事件。本格的な反転攻勢が開始されたのは、1981年である。11月に四国で「紅の歌」が誕生。12月に大分で長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」が発表された▼その前の7月、一般紙が「史上最高」と報じた"東京の戦い"があった。ある友は「この戦いで、全ての人と対話する『勇気』、最後まで走り抜く『執念』が大切なことを学んだ」と振り返る▼一つの勝利が新たな勝利の因となる。40年前の「東京凱歌」は、新時代を告げる暁鐘となり、全国の同志に決意と歓喜の波動を送った。一人一人の勇気と執念の力走が、その原動力である▼池田先生は東京の友に贈った長編詩で詠んだ。「茨の道を/苦難の道を/断固として/勝ち乗り越えて/我が人生に/万歳を叫び飾ろう!」。コロナ禍という茨の道を進み、今また歓喜が轟く歴史が築かれた。さあ、新たな決意で、次なる勝利の物語をつづろう。
寸鉄 2021年7月6日
牧口、戸田両先生の法難の日。世界の同志の命に創価正義の闘魂は赤々と
「煩悩の淤泥の中に真如の仏」御書。社会の安穏のために戦う友に福徳燦然
互いの健闘を称え合えば喜びは倍加!決意新たに「師弟の月」を皆で飾ろう
大麻による大学生の検挙5年で5倍。"一度だけ"の甘い囁きが人生を破壊
ファイザー、モデルナの注射は変異株に有効と。正しい情報を知り冷静に
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第9回 「一瞬」に「永遠」を込めて 列車編
娘のサラさんをベビーカーに乗せ、母のエマヌエラ・ベルゴンゾーニさんは、ボローニャ中央駅へと急いだ。1992年7月1日のことである。
この日、イタリア訪問中の池田大作先生は、列車でフィレンツェからミラノへ向かった。その途中、列車はボローニャ中央駅に停車した。
ベルゴンゾーニさんが駅のホームに到着すると、車内に先生の姿が見えた。先生は集った友に「グラッチェ(ありがとう)!」と繰り返し感謝を伝え、カメラを向けた。
「その時に先生が撮影された写真は、私たちの宝物です」とベルゴンゾーニさん。
列車が動きだし、友の姿が見えなくなるまで、先生は手を振り続けた。ベルゴンゾーニさんも力いっぱい、手を振り返した。
この時、ベルゴンゾーニさんは、仕事を失っていた。宝石デザイナーとして働いていたが、契約先から解雇された。
だが、ベルゴンゾーニさんは試練を飛躍の転機に変えた。失職を機に、教員になるために大学進学を決意する。
それは、とてつもなく大きなチャレンジだった。ベルゴンゾーニさんには、「ディスレクシア」と呼ばれる、読み書きの障がいがあったからだ。
暗記には人一倍の時間を必要とした。大学進学など夢のまた夢。自分で自分を諦めていた。その心に、立ち向かい始めた。
2年後の94年、31歳でボローニャ国立美術学院の門をたたく。この年、先生は"世界最古の総合大学"と呼ばれるボローニャ大学を訪れ、記念講演を。ベルゴンゾーニさんは学生として聴講した。心の中で"先生、私は勝ちます!"と叫び続けた。
現実は育児、勉強、学会活動と、多忙な日々。何度もくじけそうになった。"もう大学をやめたい"と思う気持ちが込み上げるたび、先生のスピーチを読み、駅での師の励ましを思い返しては、心を奮い立たせた。
猛勉強の末、99年に彫刻学の学士を取得。現在、ボローニャ国立美術学院とラヴェンナ国立美術学院で講師を務める。
イタリア創価学会では、ボローニャ第1方面の方面副婦人部長として、夫のロマーノさんと共にイタリア広布に奔走。長女のサラさん、長男のアレッシオさんも後継の道を進む。
ベルゴンゾーニさんがボローニャ中央駅で、池田先生との絆を結んだ時、列車の停車時間はわずか4分。しかも、窓越しの出会いである。
だが、窓越しの4分は、一人の女性の胸中に、"何があっても負けない"との勇気の灯をともした。29年の時が流れた今も、その灯は、まばゆい輝きを放ち続けている。
◇信心の軌道を進め!
1973年6月5日、池田先生は滋賀・米原から急行「立山2号」に乗車し、福井の武生駅へ向かった。福井県幹部会に出席するためである。
この会合に鼓笛隊のメンバーも参加した。会場の武生市体育館(当時)に向かうため、敦賀にいた7人の鼓笛隊員は「立山2号」に乗車した。
急行が武生駅に到着し、7人は改札を出た。いつもとは違う駅の雰囲気。振り返ると、先生の姿が見えた。
先生は改札を出ると、その場にいた母子に声を掛けた。そして、7人を励まし、一人一人と握手を交わした。車に乗った後も窓を開け、手を振り続けた。
7人への激励は、まだ終わらなかった。福井県幹部会で、先生は「さっき駅で会った鼓笛隊の方、手を上げてください。ヨーロッパの絵はがきを差し上げたいと思います」と。
一回一回の出会いに精いっぱいの真心を込める——そこに創価の心があることを、先生は自らの行動で示した。
73年の福井県幹部会には、もう一つの"駅のドラマ"がある。
「昭和35年に、敦賀の駅で私を待っていてくださった方々は、いらっしゃいますか」——先生が呼び掛けると、会場のあちこちで手が上がった。
昭和35年2月8日、池田先生は敦賀を通って金沢に向かった。敦賀駅の到着は午前2時半ごろ。停車時間は6分である。
それでも、50人ほどの同志が敦賀駅に集まった。だが、先生がホームに降りることはなかった。深夜でもあり、周囲に迷惑がかかることを考慮してのことである。随行の幹部から、先生の伝言が伝えられた。どの顔にも寂しげな表情が浮かんだ。
当時、14歳だった婦人も肩を落として家路に就いた。"一目でも先生にお会いしたい"と両親と一緒に駆け付けていた。
"会えなかった思い出"は、幹部会での先生の呼び掛けによって、"歓喜の思い出"に変わった。13年が過ぎても、会えなかった人に心を砕き続ける師の慈愛が胸の奥深くまで染みた。
70年に義父が事業に失敗。婦人の一家は多額の負債を抱えた。夫は昼と夜、二つの仕事を掛け持ちし、働き続けた。
73年の幹部会の時も経済的な苦境の渦中にあったが、師の励ましを胸に、7年かかって借金を完済した。
幹部会の折、鼓笛隊のメンバーと同様、この婦人にも先生から一枚の絵はがきが贈られた。"自由に海外を行き来できるように"との思いが込められたものだ。経済苦の当時、海外旅行など想像もできなかった。しかし完済後、アメリカ、韓国の地を踏むことができた。
「海外へ行ける境涯を開くことができたのも、全て先生のおかげです」と婦人。
8年前、福井・敦賀から東京・八王子へ。広布一筋の76歳は今、調布、狛江、目黒、豊島、中野、荒川、大田など、東京各地を対話に走っている。
空に美しい虹が懸かっていた。第3代会長辞任から1年後の1980年4月29日。第5次訪中から帰国した池田先生は、長崎空港に降り立った。
先生は長崎文化会館(当時)へ向かい、長崎支部結成22周年記念の幹部会に臨んだ。その後、訪中報告の記者会見を行った。
翌30日付の聖教新聞1面。記者会見、幹部会の模様が掲載になった。さらに記事の最後に、「名誉会長は、長崎のあと福岡、関西、中部の会員の激励・指導に当たる予定になっている」と短く記されていた。
当時、宗門僧らが師弟分断の謀略の限りを尽くしていた。「第1次宗門事件」である。国内での先生の動向はほとんど報道されず、ましてや行動予定が掲載になることなどなかった。短い一文は、列島を歓喜で包んだ。
30日、先生は特急「かもめ」に乗り、長崎から福岡へ。長崎駅のホームには、長崎や佐賀からも友が集まった。
長崎の婦人は3歳の長女、母と駆け付けた。先生は母と長女の近くに歩み寄り、「大切に、大切に育てるんですよ」と語り、長女の頬を優しくなでた。
ところが、この出会いから4カ月後、長女に試練が襲う。日本脳炎にかかった。危篤状態が続き、医師は「命の保証はできません」と告げた。絶望のどん底に沈む婦人に、母は「先生の激励を忘れたらいかん」と、婦人の弱い心を叱り飛ばした。
家族で祈りに祈り、長女は奇跡的に回復。婦人は「先生の真心の一言によって、長女とわが家は救っていただきました。生涯、広布に戦い抜きます」と。
長女は今、白ゆり長として地域広布にまい進。次女は支部女性部長、三女は圏女子部主任部長として、自他共の幸福に尽くす生き方を受け継いでいる。
長崎駅を出発した特急は諫早駅に到着。ここにも、同志が駆け付けていた。
先生は窓越しから、一人一人に真剣なまなざしを向けた。その場にいた女性部の友は、「私たちのことを生命に刻まれていると感じました」と振り返る。
友は宗門の悪僧の暴言に紛動される同志に、師の正義を訴え抜いた。その攻防戦のさなかの先生との出会い。友は「頑張ります! 勝ちます!」と叫んだ。誓いの通り、諫早の女子部員を守り抜いた。
特急は肥前鹿島駅、肥前山口駅に停車した後、佐賀駅へ。各駅に求道の同志が待っていた。
先生は佐賀駅でも窓越しに手を振った。それは「負けるな!」「立ち上がれ!」との、佐賀の友への"無言の励まし"であった。
佐賀駅の後、特急は鳥栖駅に向かい、博多駅に到着した。
九州から始まった激励行は反転攻勢の助走だった。その後、学会は師弟分断の鉄鎖を断ち切り、大きな飛躍を遂げていく。第1次宗門事件の正邪の決着は厳然とついたのである。
列車は軌道を外れない。
山を越え、谷を越え、目的地を目指し、軌道を走り続ける。
広布の戦いは、師が示した信心の軌道を、誠実一路の軌道を、真っすぐに走ることだ。
その先に、立正安国の大理想の実現はある。
2021年7月5日月曜日
2021.07.05 わが友に贈る
◇今週のことば
試練を越えた大勝利!
感激の全同志に深謝を。
大聖人が御賞讃なり。
陰徳陽報の誉れを胸に
幸と安穏の虹光る都を!
2021年7月5日
四条金吾殿御返事 P1180
『度度の仰せをかへしよりよりの御心にたがはせ給へばいくそばくのざんげんこそ候らんに、度度の御所領をかへして今又所領給はらせ給うと云云、此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』
【通解】
さらにあなたはたびたびの主君の仰せに背き、折々の御心にそわなかったから、どれほど多くの讒言があったであろう。ところが、主君からたびたびいただいた所領を返上して、今また所領を給わったということは、これ程不思議なことはない。全く陰徳あれば陽報ありとはこのことである。
名字の言 沖縄の三線工が胸に刻む詠歌 2021年7月5日
沖縄の三線工・又吉章盛氏は、この道50年以上。千丁を超える三線を手掛けてきた氏は言う。「今まで納得のいく作品ができたことは一度もない」▼国内外への普及の一方、外国製品の輸入で型の変化や質の低下が危惧される三線。妥協を排し、琉球王朝伝統の型を守る氏が胸に刻む詠歌がある。「幾年になても 歌の長道や 歩みわん奥の 果てや知らん」——歌の道に果てなし。努力を続けよ——との先人の言葉だ。80歳の今も、氏の精進は終わらない▼米国統治下の沖縄で入会し、広布一筋の壮年部員がいる。戦争で学ぶ機会を失った壮年は46歳で、創価大学通信教育部に入学。仕事、学会活動、勉学と全てに挑み、沖縄初の卒業生となった▼大病を経験し、24年前には愛妻を亡くした。壮年の苦闘を支えた原点は1960年7月、初来島した池田先生との出会いだ。以来61星霜。91歳となった壮年は、「"もうこれでいい"と思ったことは一度もない」と、今も同志の激励に歩く▼池田先生はかつて沖縄の友に語った。「『広宣流布』こそ、最高の望みである。この大理想に、まっしぐらに進むのが青年である」。「戦う心」に、年齢は関係ない。いよいよの決意で、わが人生の栄光道を力強く進みたい。
寸鉄 2021年7月5日
学会には民衆の力強さがある—識者。底力示した東京凱歌の共戦譜は永遠
宮城女性の日。さあ皆でわが地域に励ましの光を東北の創価の太陽は燦々
素早い反応は信頼を増し次の勝利の因に。御礼や激励は迅速に。これ一流
良質な睡眠・食事が疲労回復の基本。知恵と工夫で疲れ残さぬ自己管理を
都議会公明よ支持者の期待忘るな!本当の戦いはここから。大衆に尽くせ
〈社説〉 2021・7・5 親子で夜空を楽しむ「七夕」
◇宇宙に思いをはせる機会に
「七夕や雨ならZOOMで会うとしよう」
本紙の「聖教俳壇」に掲載された秀作である。
あさって7日は七夕。1年に1度、織り姫(=織女、こと座のベガ)とひこ星(=牽牛、わし座のアルタイル)が天の川を渡り、会うとされる。近くに見える二つの星は、実は光の速さで移動しても約14年半かかるほど離れている。
また、二人を隔てる天の川は、太陽系が属する銀河を内側から見た姿で、星の数は数千億にもなる。宇宙には、このような銀河が約1000億あるというから壮大なスケールに圧倒される。
天空に心を広げる機会ともなる七夕だが、7月7日は北海道や沖縄などを除いて毎年、梅雨の最中で星が見られない場合も多い。七夕はもともと旧暦の7月7日の風習で、太陰太陽暦にもとづく七夕は「伝統的七夕」と呼ばれ、今年は8月14日だ。この時期になると午後8時ごろには天の川も夜空高く上がり一番の見頃となる。
天気によっては、明後日の七夕は親子で笹飾りを作りながら、図鑑やインターネット、またはプラネタリウムなどで星の予習をしておき、伝統的七夕に備えるのもいいだろう。
岡山天文博物館の粟野諭美館長は、本物の星空を見る醍醐味を本紙で語っている。
「本物の星空を見ると、『もっと見ていたい』から、やがて『この星は何だろう』『なぜ光っているのだろう』『光の奥は、どうなっているのだろう』をはじめ、『なぜ』を考えることにつながっていきます」
仏法では、「外なる大宇宙」と、自分自身を指す「内なる小宇宙」は不離一体と説く。無窮の宇宙と向き合い、深遠なる夜空に思いをはせる時、それは自身の"内なる宇宙"の偉大さに目を向けることにも通じよう。
池田大作先生は、ロシアの宇宙飛行士のセレブロフ博士との対談を振り返って語っている。
「宇宙に眼を開くことは、人間自身を識ることであり、そして地球人としての意識に目覚めることにつながる。それは、『外なる宇宙』と『内なる宇宙』を貫く普遍の法則に迫りゆく契機となるのではないだろうか」
親子で星空を見上げながら、壮大で謎に満ちた宇宙を感じ、有意義な語らいを交わす夏にしたい。
☆御書の旭光を 第40回 普賢の声で未来を晴らせ
〈御文〉
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は普賢菩薩の守護なり』(御義口伝、780ページ)
〈通解〉
今、日蓮とその弟子のように、南無妙法蓮華経と唱える者は、普賢菩薩の守護を受けることができるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
「普く賢い」知性こそ世界広宣流布の推進力である。混迷の世に、尊き創価の賢者は仏法即社会の連帯を築き、安心と希望を広げている。
先頭を走るのが男女学生部だ。試練の中で学び鍛えゆく価値創造の英知は、新時代を開く光となる。若き普賢の声で快活に友情を広げ、地域と地球の未来を晴らしてくれ給え!
☆ONE GOSHO この一節とともに! 佐渡御書
◇広布の使命に勇み立て!
大切な命を何に使うか。わが人生をいかに生きるか——。「使命」とは、「命を使う」と書く。今回は、日蓮大聖人が仏法者の使命を示された一節を学ぶ。
◇御文
『世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』(御書956ページ)
◇通解
世間の浅いことには、命を失うことはあっても、大事な仏法のために命を捨てることは難しい。それ故に仏になる人もいないのである。
◇背景
本抄は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から門下一同に与えられたお手紙である。
この前月に、「二月騒動(北条一族の内乱)」が発生。「立正安国論」で予言された「自界叛逆難」が的中する。本抄は、その知らせを受けて著されたものである。
本抄御執筆の前年9月、日蓮大聖人は「竜の口の法難」に遭われた。以降、権力による弾圧の手は門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などに直面する。
厳しい迫害を恐れて退転する者が続出する中、動揺する弟子を思い、大難が競い起こる今こそ、「大事の仏法」のために身命を惜しまない実践を貫くべきであると訴えられている。
◇解説
かけがえのない命を何のために使うのか。このことを教えられるために、大聖人は本抄を、生死という根本問題から説き起こされている。
大聖人の御在世当時は、思いがけない事故や災害だけでなく、戦乱に巻き込まれて命を落とすこともあった。
その上で大聖人は、誰もが自分の身命を惜しむものであると述べられる。
しかし一方で、世間の倫理観・価値観に従って、あえて自らの命を捨てることも少なくないと指摘。男性が自身の名誉のために命を懸け、女性が男性のために献身したことを挙げられている。と同時に、魚や鳥が餌にだまされて捕まり、命を落としてしまう習性になぞらえ、人間もまた、命を大切にしているつもりであっても、目先の利益などに突き動かされたりして、結果的に身を滅ぼしてしまう場合もあると御教示されている。
これに続くのが今回の拝読御文である。御文では、「世間の浅き事」ではなく、「大事の仏法」のために、最も大切な「身命」を使うべきであると教えられている。
御文にある、「身命」を「捨る」との表現は、命を軽んじたり、簡単に投げ出したりするといった、表面的な意味ではない。広宣流布のために、人々の幸福のために、自分の命を惜しまずにささげ、信心の実践を貫く「不惜身命」の重要性を訴えられていると拝することができる。そうした人こそ成仏できるのである。
では私たち男子部員にとって、「大事の仏法」のために身をささげるとは、どのようなことなのか。
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田で行われた男子部結成式で、戸田先生は次のように語られた。
「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であります。青年部の諸君も、各自が、その尊い地位にあることを、よくよく自覚してもらいたい」「常に、青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです。どうか、諸君の手で、この尊い大使命を、必ず達成していただきたい」
参加者の一人であった池田先生は、この日の真情を、後に次のようにつづっている。
「師の心を心として、『広宣流布』を断固として完遂することが、使命深き男子部一人ひとりの誓願であると、全生命に響きわたった」
当時、池田先生は23歳。役職は班長(現在のニュー・リーダー)であった。しかし、誰よりも深く、師の誓願をわが誓願と心に定めた。広布の大使命を自覚し、一人立った。そして、若師子の不惜身命の大闘争によって、学会は大発展を遂げ、今、世界宗教へと飛翔する新時代が開かれたのである。
創価の師弟の誓願を継ぎ、広宣流布を推し進め、時代を動かしゆくことこそ、私たち男子部が「大事の仏法」に身をささげることにほかならない。
役職でもない。年齢でもない。この時に集い合った男子部の一人一人が、今こそ、深き使命に勇み立ち、限界突破の対話拡大を貫いていきたい。
師弟の月・7月。立正安国の大闘争を勝ち抜き、男子部結成70周年の大佳節となる「7・11」を、師弟勝利の歴史で飾っていこう!
◎都議会公明党23名全員当選、おめでとうございます (^^♪
試練を越えた大勝利!
感激の全同志に深謝を。
大聖人が御賞讃なり。
陰徳陽報の誉れを胸に
幸と安穏の虹光る都を!
2021年7月5日
四条金吾殿御返事 P1180
『度度の仰せをかへしよりよりの御心にたがはせ給へばいくそばくのざんげんこそ候らんに、度度の御所領をかへして今又所領給はらせ給うと云云、此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』
【通解】
さらにあなたはたびたびの主君の仰せに背き、折々の御心にそわなかったから、どれほど多くの讒言があったであろう。ところが、主君からたびたびいただいた所領を返上して、今また所領を給わったということは、これ程不思議なことはない。全く陰徳あれば陽報ありとはこのことである。
名字の言 沖縄の三線工が胸に刻む詠歌 2021年7月5日
沖縄の三線工・又吉章盛氏は、この道50年以上。千丁を超える三線を手掛けてきた氏は言う。「今まで納得のいく作品ができたことは一度もない」▼国内外への普及の一方、外国製品の輸入で型の変化や質の低下が危惧される三線。妥協を排し、琉球王朝伝統の型を守る氏が胸に刻む詠歌がある。「幾年になても 歌の長道や 歩みわん奥の 果てや知らん」——歌の道に果てなし。努力を続けよ——との先人の言葉だ。80歳の今も、氏の精進は終わらない▼米国統治下の沖縄で入会し、広布一筋の壮年部員がいる。戦争で学ぶ機会を失った壮年は46歳で、創価大学通信教育部に入学。仕事、学会活動、勉学と全てに挑み、沖縄初の卒業生となった▼大病を経験し、24年前には愛妻を亡くした。壮年の苦闘を支えた原点は1960年7月、初来島した池田先生との出会いだ。以来61星霜。91歳となった壮年は、「"もうこれでいい"と思ったことは一度もない」と、今も同志の激励に歩く▼池田先生はかつて沖縄の友に語った。「『広宣流布』こそ、最高の望みである。この大理想に、まっしぐらに進むのが青年である」。「戦う心」に、年齢は関係ない。いよいよの決意で、わが人生の栄光道を力強く進みたい。
寸鉄 2021年7月5日
学会には民衆の力強さがある—識者。底力示した東京凱歌の共戦譜は永遠
宮城女性の日。さあ皆でわが地域に励ましの光を東北の創価の太陽は燦々
素早い反応は信頼を増し次の勝利の因に。御礼や激励は迅速に。これ一流
良質な睡眠・食事が疲労回復の基本。知恵と工夫で疲れ残さぬ自己管理を
都議会公明よ支持者の期待忘るな!本当の戦いはここから。大衆に尽くせ
〈社説〉 2021・7・5 親子で夜空を楽しむ「七夕」
◇宇宙に思いをはせる機会に
「七夕や雨ならZOOMで会うとしよう」
本紙の「聖教俳壇」に掲載された秀作である。
あさって7日は七夕。1年に1度、織り姫(=織女、こと座のベガ)とひこ星(=牽牛、わし座のアルタイル)が天の川を渡り、会うとされる。近くに見える二つの星は、実は光の速さで移動しても約14年半かかるほど離れている。
また、二人を隔てる天の川は、太陽系が属する銀河を内側から見た姿で、星の数は数千億にもなる。宇宙には、このような銀河が約1000億あるというから壮大なスケールに圧倒される。
天空に心を広げる機会ともなる七夕だが、7月7日は北海道や沖縄などを除いて毎年、梅雨の最中で星が見られない場合も多い。七夕はもともと旧暦の7月7日の風習で、太陰太陽暦にもとづく七夕は「伝統的七夕」と呼ばれ、今年は8月14日だ。この時期になると午後8時ごろには天の川も夜空高く上がり一番の見頃となる。
天気によっては、明後日の七夕は親子で笹飾りを作りながら、図鑑やインターネット、またはプラネタリウムなどで星の予習をしておき、伝統的七夕に備えるのもいいだろう。
岡山天文博物館の粟野諭美館長は、本物の星空を見る醍醐味を本紙で語っている。
「本物の星空を見ると、『もっと見ていたい』から、やがて『この星は何だろう』『なぜ光っているのだろう』『光の奥は、どうなっているのだろう』をはじめ、『なぜ』を考えることにつながっていきます」
仏法では、「外なる大宇宙」と、自分自身を指す「内なる小宇宙」は不離一体と説く。無窮の宇宙と向き合い、深遠なる夜空に思いをはせる時、それは自身の"内なる宇宙"の偉大さに目を向けることにも通じよう。
池田大作先生は、ロシアの宇宙飛行士のセレブロフ博士との対談を振り返って語っている。
「宇宙に眼を開くことは、人間自身を識ることであり、そして地球人としての意識に目覚めることにつながる。それは、『外なる宇宙』と『内なる宇宙』を貫く普遍の法則に迫りゆく契機となるのではないだろうか」
親子で星空を見上げながら、壮大で謎に満ちた宇宙を感じ、有意義な語らいを交わす夏にしたい。
☆御書の旭光を 第40回 普賢の声で未来を晴らせ
〈御文〉
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は普賢菩薩の守護なり』(御義口伝、780ページ)
〈通解〉
今、日蓮とその弟子のように、南無妙法蓮華経と唱える者は、普賢菩薩の守護を受けることができるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
「普く賢い」知性こそ世界広宣流布の推進力である。混迷の世に、尊き創価の賢者は仏法即社会の連帯を築き、安心と希望を広げている。
先頭を走るのが男女学生部だ。試練の中で学び鍛えゆく価値創造の英知は、新時代を開く光となる。若き普賢の声で快活に友情を広げ、地域と地球の未来を晴らしてくれ給え!
☆ONE GOSHO この一節とともに! 佐渡御書
◇広布の使命に勇み立て!
大切な命を何に使うか。わが人生をいかに生きるか——。「使命」とは、「命を使う」と書く。今回は、日蓮大聖人が仏法者の使命を示された一節を学ぶ。
◇御文
『世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』(御書956ページ)
◇通解
世間の浅いことには、命を失うことはあっても、大事な仏法のために命を捨てることは難しい。それ故に仏になる人もいないのである。
◇背景
本抄は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から門下一同に与えられたお手紙である。
この前月に、「二月騒動(北条一族の内乱)」が発生。「立正安国論」で予言された「自界叛逆難」が的中する。本抄は、その知らせを受けて著されたものである。
本抄御執筆の前年9月、日蓮大聖人は「竜の口の法難」に遭われた。以降、権力による弾圧の手は門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などに直面する。
厳しい迫害を恐れて退転する者が続出する中、動揺する弟子を思い、大難が競い起こる今こそ、「大事の仏法」のために身命を惜しまない実践を貫くべきであると訴えられている。
◇解説
かけがえのない命を何のために使うのか。このことを教えられるために、大聖人は本抄を、生死という根本問題から説き起こされている。
大聖人の御在世当時は、思いがけない事故や災害だけでなく、戦乱に巻き込まれて命を落とすこともあった。
その上で大聖人は、誰もが自分の身命を惜しむものであると述べられる。
しかし一方で、世間の倫理観・価値観に従って、あえて自らの命を捨てることも少なくないと指摘。男性が自身の名誉のために命を懸け、女性が男性のために献身したことを挙げられている。と同時に、魚や鳥が餌にだまされて捕まり、命を落としてしまう習性になぞらえ、人間もまた、命を大切にしているつもりであっても、目先の利益などに突き動かされたりして、結果的に身を滅ぼしてしまう場合もあると御教示されている。
これに続くのが今回の拝読御文である。御文では、「世間の浅き事」ではなく、「大事の仏法」のために、最も大切な「身命」を使うべきであると教えられている。
御文にある、「身命」を「捨る」との表現は、命を軽んじたり、簡単に投げ出したりするといった、表面的な意味ではない。広宣流布のために、人々の幸福のために、自分の命を惜しまずにささげ、信心の実践を貫く「不惜身命」の重要性を訴えられていると拝することができる。そうした人こそ成仏できるのである。
では私たち男子部員にとって、「大事の仏法」のために身をささげるとは、どのようなことなのか。
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田で行われた男子部結成式で、戸田先生は次のように語られた。
「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であります。青年部の諸君も、各自が、その尊い地位にあることを、よくよく自覚してもらいたい」「常に、青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです。どうか、諸君の手で、この尊い大使命を、必ず達成していただきたい」
参加者の一人であった池田先生は、この日の真情を、後に次のようにつづっている。
「師の心を心として、『広宣流布』を断固として完遂することが、使命深き男子部一人ひとりの誓願であると、全生命に響きわたった」
当時、池田先生は23歳。役職は班長(現在のニュー・リーダー)であった。しかし、誰よりも深く、師の誓願をわが誓願と心に定めた。広布の大使命を自覚し、一人立った。そして、若師子の不惜身命の大闘争によって、学会は大発展を遂げ、今、世界宗教へと飛翔する新時代が開かれたのである。
創価の師弟の誓願を継ぎ、広宣流布を推し進め、時代を動かしゆくことこそ、私たち男子部が「大事の仏法」に身をささげることにほかならない。
役職でもない。年齢でもない。この時に集い合った男子部の一人一人が、今こそ、深き使命に勇み立ち、限界突破の対話拡大を貫いていきたい。
師弟の月・7月。立正安国の大闘争を勝ち抜き、男子部結成70周年の大佳節となる「7・11」を、師弟勝利の歴史で飾っていこう!
◎都議会公明党23名全員当選、おめでとうございます (^^♪
2021年7月4日日曜日
2021.07.04 わが友に贈る
「異体同心なれば
万事を成じ」御聖訓。
勝利への揺るがぬ団結で
立正安国の旗を
高らかに打ち立てよう!
辧殿尼御前御書 P1224
『しかりといえども弟子等檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり』
【通解】
しかし弟子等・檀那等の中で臆病の者は大体、あるいは退転し、ある者は退転の心がある。
名字の言 全国の"感激の同志"が心一つに 2021年7月4日
人類がエベレスト登頂への挑戦を開始したのは、100年前の1921年。それから32年を経て、初めて世界最高峰の頂に立った。歴史に名を刻んだのは、イギリス登山隊に参加したヒラリーと案内人のテンジンである▼登山隊が選んだのは、「通過不可能」と考えられていたエベレスト南面のルート。その最後の難関は、頂上間近の高さ12メートルの急な岩壁である。2人は、ほぼ垂直の崖の岩と氷雪の間に体を入れ、背と脚でよじ登り、世界最高峰を制覇した▼登山隊は登頂を目指す中で、互いの絆を強めていった。ヒラリーは振り返っている。「仲間意識こそが何にもましてテンジンと私をついにエヴェレストの頂上に立たせた原動力となった」(吉沢一郎訳『ヒラリー自伝』草思社)▼広布の山頂へ登攀する原動力も、「異体同心の団結」である。池田先生は「苦しい時こそ、声を掛け合い、支え合って、共に勝ち越えていくのが、久遠よりの『誓いの友』であり『感激の同志』である」と▼山頂に近づくほど、猛烈な風にさらされる。油断や逡巡を排し、烈風に立ち向かう勇者が、頂に立つ歓喜を味わうことができる。きょう一日、全国の"感激の同志"が心一つにスクラムを組み、新たな凱歌の歴史を築こう。
寸鉄 2021年7月4日
御書「すこしも・ひるむ事なかれ」。これ勝負の要。今できる事に全身全霊!
私は最後まで善良であるよう努める—詩人。誠実第一で。真心は絶対通ず
他者とつながりを築く人は幸福度が高い—教授。今日も颯爽と友のもとへ
都議選の投票日。首都の針路を決める一票。政策・実績見極め賢明な選択を
自転車事故の半数は交差点で発生と。左右確認を必ず。無事故の祈り強く
☆四季の励まし 貫き果たしてこそ「誓願」 2021年6月27日
池田先生の言葉
誓願の人生を歩むうえで
最も不可欠な要件は
いったい何であろうか。
それは「不退の心」だ。
誓願は、
貫き果たしてこそ、
真の誓願である。
立つべき時に
立つかどうか。
それで
人間の真価は決まる。
肩書でもない。
立場でもない。
大事なのは、
苦難を恐れず、
師と「不二の心」で
立ち上がる勇気である。
誰だって、
勇気を出す時は
ドキドキするし、
恐怖を覚える。
「こわくない」のが
勇者なのではない。
ふるえながらでも
「一歩前に出る人」が
「勇気ある人」なのだ。
自分の心がどうかである。
他人が決めるのでも、
環境で決まるのでもない。
愚痴や文句を言う前に、
一歩踏み出してみよう。
「自分は、これでいく」と
腹を決めるのだ。
そして、
強く朗らかに進むのだ。
最高峰を目指して
ベストを尽くし、
「これでよし」と
悔いなく叫ぶのだ。
私は心から願う。
愛する同志が、
喜び勇んで
広布に邁進することを!
私は懸命に祈る。
一人ももれなく、
絶対の幸福の人生を
悔いなく勝ち切ることを!
広宣流布とは、
全人類を幸福にし、
平和を築きゆく大偉業だ。
人生を懸けて悔いなき、
最高にして
名誉ある
大目的ではないか。
進もう!
師弟不二の王道を!
登ろう!
未踏の
広布の王者の山を!
【写真説明】石灰岩の白い尾根が青空に映える。その名もサント・ビクトワール山(聖なる勝利山)。1991年(平成3年)6月、池田大作先生が南仏トレッツで撮影した。
今年も7月3日が巡り来る。45年(昭和20年)のこの日、戸田城聖先生が出獄。12年後の同日、池田先生は事実無根の公職選挙法違反の容疑で不当逮捕された。「7・3」とは、民衆の勝利へ不退の誓いに立つ峻厳なる記念日である。
池田先生は後年、詠んだ。「忘れまじ 七月三日の この文字は 師弟不敗の 記なるかな」
我らが目指す凱歌の頂は目前。力走に次ぐ力走を。闘争に次ぐ闘争を。師と共に! 同志と共に!
万事を成じ」御聖訓。
勝利への揺るがぬ団結で
立正安国の旗を
高らかに打ち立てよう!
辧殿尼御前御書 P1224
『しかりといえども弟子等檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり』
【通解】
しかし弟子等・檀那等の中で臆病の者は大体、あるいは退転し、ある者は退転の心がある。
名字の言 全国の"感激の同志"が心一つに 2021年7月4日
人類がエベレスト登頂への挑戦を開始したのは、100年前の1921年。それから32年を経て、初めて世界最高峰の頂に立った。歴史に名を刻んだのは、イギリス登山隊に参加したヒラリーと案内人のテンジンである▼登山隊が選んだのは、「通過不可能」と考えられていたエベレスト南面のルート。その最後の難関は、頂上間近の高さ12メートルの急な岩壁である。2人は、ほぼ垂直の崖の岩と氷雪の間に体を入れ、背と脚でよじ登り、世界最高峰を制覇した▼登山隊は登頂を目指す中で、互いの絆を強めていった。ヒラリーは振り返っている。「仲間意識こそが何にもましてテンジンと私をついにエヴェレストの頂上に立たせた原動力となった」(吉沢一郎訳『ヒラリー自伝』草思社)▼広布の山頂へ登攀する原動力も、「異体同心の団結」である。池田先生は「苦しい時こそ、声を掛け合い、支え合って、共に勝ち越えていくのが、久遠よりの『誓いの友』であり『感激の同志』である」と▼山頂に近づくほど、猛烈な風にさらされる。油断や逡巡を排し、烈風に立ち向かう勇者が、頂に立つ歓喜を味わうことができる。きょう一日、全国の"感激の同志"が心一つにスクラムを組み、新たな凱歌の歴史を築こう。
寸鉄 2021年7月4日
御書「すこしも・ひるむ事なかれ」。これ勝負の要。今できる事に全身全霊!
私は最後まで善良であるよう努める—詩人。誠実第一で。真心は絶対通ず
他者とつながりを築く人は幸福度が高い—教授。今日も颯爽と友のもとへ
都議選の投票日。首都の針路を決める一票。政策・実績見極め賢明な選択を
自転車事故の半数は交差点で発生と。左右確認を必ず。無事故の祈り強く
☆四季の励まし 貫き果たしてこそ「誓願」 2021年6月27日
池田先生の言葉
誓願の人生を歩むうえで
最も不可欠な要件は
いったい何であろうか。
それは「不退の心」だ。
誓願は、
貫き果たしてこそ、
真の誓願である。
立つべき時に
立つかどうか。
それで
人間の真価は決まる。
肩書でもない。
立場でもない。
大事なのは、
苦難を恐れず、
師と「不二の心」で
立ち上がる勇気である。
誰だって、
勇気を出す時は
ドキドキするし、
恐怖を覚える。
「こわくない」のが
勇者なのではない。
ふるえながらでも
「一歩前に出る人」が
「勇気ある人」なのだ。
自分の心がどうかである。
他人が決めるのでも、
環境で決まるのでもない。
愚痴や文句を言う前に、
一歩踏み出してみよう。
「自分は、これでいく」と
腹を決めるのだ。
そして、
強く朗らかに進むのだ。
最高峰を目指して
ベストを尽くし、
「これでよし」と
悔いなく叫ぶのだ。
私は心から願う。
愛する同志が、
喜び勇んで
広布に邁進することを!
私は懸命に祈る。
一人ももれなく、
絶対の幸福の人生を
悔いなく勝ち切ることを!
広宣流布とは、
全人類を幸福にし、
平和を築きゆく大偉業だ。
人生を懸けて悔いなき、
最高にして
名誉ある
大目的ではないか。
進もう!
師弟不二の王道を!
登ろう!
未踏の
広布の王者の山を!
【写真説明】石灰岩の白い尾根が青空に映える。その名もサント・ビクトワール山(聖なる勝利山)。1991年(平成3年)6月、池田大作先生が南仏トレッツで撮影した。
今年も7月3日が巡り来る。45年(昭和20年)のこの日、戸田城聖先生が出獄。12年後の同日、池田先生は事実無根の公職選挙法違反の容疑で不当逮捕された。「7・3」とは、民衆の勝利へ不退の誓いに立つ峻厳なる記念日である。
池田先生は後年、詠んだ。「忘れまじ 七月三日の この文字は 師弟不敗の 記なるかな」
我らが目指す凱歌の頂は目前。力走に次ぐ力走を。闘争に次ぐ闘争を。師と共に! 同志と共に!
2021年7月3日土曜日
2021.07.03 わが友に贈る
広宣流布とは永遠に
仏と魔との闘争だ!
「とられじ・うばはん」の
熾烈な攻防戦に
不退の信心で打ち勝て!
頼基陳状 P1157
『只頼基をそねみ候人のつくり事にて候にや早早召し合せられん時其の隠れ有る可らず候』
【通解】
おそらく頼基を妬む人の作りごとでありましょう。早く、その者と召し合わせられれば、事の真相がわからずにいられることはないでしょう。
名字の言 広宣流布は永遠に仏と魔との戦い 2021年7月3日
東京・中野区の「平和の森公園」のそばを通った。緑輝く同公園は約40年前、豊多摩刑務所の跡地に開設。昨年、園内に区立総合体育館が誕生し、刑務所の遺構である表門は今年、区の有形文化財に指定された▼同体育館には、戦争の悲劇を伝える平和資料展示室がある。展示は「中野の空襲」など五つのテーマで構成。パネルには、治安維持法下で同刑務所に収監された主な人物として、「戸田城聖」の名が厳然と光っていた▼中野区は1945年5月下旬まで続いた空襲で、区内の大半が焼失。同年6月29日、戸田先生は豊島区の東京拘置所から豊多摩刑務所に移送され、4日後の7月3日に出獄した。豊島で殉教された牧口先生の仇討ちを誓い、焦土の中野から学会再建の歩みを開始したのである▼池田先生は12年後の7月3日、大阪の地で、無実の罪で逮捕・勾留された。三代会長の峻厳なる投獄の歴史は、広宣流布が永遠に仏と魔との戦いであり、民衆の幸福を阻む者との熾烈な闘争であることを明示している▼戸田先生と池田先生は「7月3日」を原点に、世界に民衆の連帯を築いた。その根源の力は「師弟」にある。誉れの弟子なれば、きょうこそ、この最大最強の力を振り絞ろうではないか。
寸鉄 2021年7月3日
勝利即立正安国誓い合う「7・3」。創価三代の師に連なる我らに恐れなし
豊島が急追!最後の5分まで全国の友がエール!痛快なる逆転の勝ち鬨を
中野がラストスパート。悔いを残さぬ拡大戦を!皆が凱旋を祈り大声援!
調布・狛江が果敢な攻勢。全同志の底力で押し上げ凱歌の金メダルを共に!
目黒が猛進。勇気、執念、雄弁で攻め切れ!民衆の大行進で栄光の頂上へ!
〈社説〉 2021・7・3 民衆勝利の「7月3日」
◇立正安国へ正義の対話を誓う
今年も、7月3日が巡り来た。
「出獄と 入獄の日に 師弟あり」——かつて池田先生が詠んだごとく、「7月3日」には、師弟共戦の永遠の刻印が二つある。
第1は1945年の7月3日。恩師・戸田城聖先生が、広宣流布の誓願の炎を燃やしながら、中野の豊多摩刑務所を出獄した日だ。先生は軍部政府の弾圧により逮捕され、数日前まで豊島の東京拘置所に投獄されていた。前年、同じ獄舎で殉教を遂げた、先師・牧口常三郎先生の遺志を継いで、妙法流布に一人立ったのである。
第2は57年の7月3日。池田先生が、無実の選挙違反容疑で大阪府警に不当逮捕された入獄の日だ。創価の民衆運動を狙い撃ちした「大阪事件」である。
池田先生はこの日、北海道から大阪に向かう途次、大田の羽田空港で"断じて生き抜け!"と恩師の激励を受ける。また見送りの婦人部員(当時)には、"夜明けが来た"と皆に伝えるよう託した。
先生は逮捕後、約2週間にわたり大阪拘置所等に勾留。過酷な獄中闘争を越え、正義の旗を掲げ抜いて17日に出獄したのである。
7月は日蓮大聖人が「立正安国論」を提出された月でもある。「十問九答」の問答形式で記された書には、賢者の対話に臨むに際しての偉大な智慧が脈打っている。
災難を嘆き、誤った教えに執着する「客」の論難に対し、「主人」は心を寄せ、なおかつ文証を鋭く示しながら、相手の心を開いていく。正法を持つ主人の態度は「客来って共に嘆く」「喩して曰く」「咲み止めて曰く」「悦んで曰く」と闊達自在。しかも全編を貫くのは、「言わずんばある可からず(言わずにはおれない)」との大情熱であり、必ず対話で相手の心が変わるとの大確信にほかならない。
この正義の言論闘争に直結しているのが、創価の師弟である。
「大阪事件」の渦中の7月12日、恩師のもと意気高く行われたのが「炎の東京大会」であった。続く17日、出獄した池田先生は「大阪大会」で師子吼する。「最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
「7・3」は、立正安国の誓願に立ち上がる師弟の日だ。いかなる烈風があろうと、忍辱の鎧をまとい、いよいよ勇気と闘魂を燃え上がらせ、皆で心一つに前進だ。
☆御書の旭光を 第39回 わが愛する郷土を寂光土に
〈御文〉
『法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し何ぞ煩しく他処を求めんや』(守護国家論、72ページ)
〈通解〉
法華経を修行する者が住んでいる所を浄土と思うべきである。どうして、わずらわしく、ほかの所に浄土を求めることがあろうか。
〈池田先生が贈る指針〉
この娑婆世界を寂光土に変えることこそ、仏の大願である。苦悩の人間と社会に寄り添うことが仏法の本義であり、立正安国の根本精神なのだ。
今、世界の地涌の同志が「我此土安穏」の祈りと貢献を続けている。
地球を包む妙法の音声に、諸天も必ず応える。わが「所住の処」から「天下の静謐」を開きゆくのだ。
☆大学校生とナットクTALK テーマ:一家和楽
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「一家和楽」。友人への対話にも挑戦している田中君ですが、中村団長に意外な悩みを打ち明けてくれました。
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
田中ニュー・リーダー 結婚を機に入会。妻の応援もあり、男子部大学校に入校。33歳。
Q.絆を強めるには?
A.祈りを合わせることから
中村区男子部大学校団長 田中君の対話拡大の挑戦、すごいね!
田中ニュー・リーダー いつも励ましていただき、ありがとうございます。ただ、頑張る中で、少し悩みも出てきまして……。
中村 どうしたの?
田中 妻が勤務先で異動になったんです。帰宅が遅くて、二人で決めた洗濯や食事の当番も難しくなってきました。僕も仕事帰りで疲れていると、ささいなことで、つい言い合いになってしまうこともあって……。
中村 そうかあ。田中君は「一家和楽の信心」という言葉を知っているかな?
田中 結婚前から、妻がよく言ってました。
中村 創価学会の「永遠の五指針」の一つで、仲の良い家庭を築くことは信心の目的の一つでもある。池田先生は「自身が『一家の太陽』となることが、一家和楽を築いていく直道にほかならないのです。これが『和楽』の第一の要諦です」と言われている。奥さんは、きっと一家の太陽を目指して頑張ってこられたんだろうね。
田中 「太陽」ですか。確かに以前は、朝は一緒に勤行・唱題して、出勤の時、駅で分かれる時も「応援してるね」と笑顔で明るく見送ってくれて。思えば、僕は支えられてばかりです。
中村 御書に「鳥の二の羽そなはり車の二つの輪かかれり・何事か成ぜざるべき」(1249ページ)とある。日蓮大聖人は"夫婦共に信心が強ければ、鳥に二つの羽があり、車に両輪があるのと同じで何事も成就しないことはない"と仰せだ。ライフスタイルが多様になって結婚をするもしないも、人それぞれの社会の中で、縁あって家族になったんだから、この御文に説かれるような夫婦を目指したいよね。
田中 そうですね。でも最近、生活リズムが合わず、二人で一緒に祈ることも難しくて。
中村 なら、夫婦で一つの御祈念項目を作ってみるのはどう? 課題や将来の夢・目標を挙げてさ。田中君に信心を教えてくれた奥さんだから、田中君の成長は、うれしいだろうし、一緒に"皆の幸福のため"に生きたいと考えているんじゃないかな。共に祈ることができなくても、祈る内容を同じにすれば、広宣流布という大きな目的の中で一緒に進んでいけるよね。
田中 なるほど! 一緒の時間や場所が難しくても、祈りを合わせられるんですね。妻への恩返しのつもりで提案してみます。
中村 広宣流布の歩みの中で、二人の絆がさらに強くなるよう応援しているよ!
仏と魔との闘争だ!
「とられじ・うばはん」の
熾烈な攻防戦に
不退の信心で打ち勝て!
頼基陳状 P1157
『只頼基をそねみ候人のつくり事にて候にや早早召し合せられん時其の隠れ有る可らず候』
【通解】
おそらく頼基を妬む人の作りごとでありましょう。早く、その者と召し合わせられれば、事の真相がわからずにいられることはないでしょう。
名字の言 広宣流布は永遠に仏と魔との戦い 2021年7月3日
東京・中野区の「平和の森公園」のそばを通った。緑輝く同公園は約40年前、豊多摩刑務所の跡地に開設。昨年、園内に区立総合体育館が誕生し、刑務所の遺構である表門は今年、区の有形文化財に指定された▼同体育館には、戦争の悲劇を伝える平和資料展示室がある。展示は「中野の空襲」など五つのテーマで構成。パネルには、治安維持法下で同刑務所に収監された主な人物として、「戸田城聖」の名が厳然と光っていた▼中野区は1945年5月下旬まで続いた空襲で、区内の大半が焼失。同年6月29日、戸田先生は豊島区の東京拘置所から豊多摩刑務所に移送され、4日後の7月3日に出獄した。豊島で殉教された牧口先生の仇討ちを誓い、焦土の中野から学会再建の歩みを開始したのである▼池田先生は12年後の7月3日、大阪の地で、無実の罪で逮捕・勾留された。三代会長の峻厳なる投獄の歴史は、広宣流布が永遠に仏と魔との戦いであり、民衆の幸福を阻む者との熾烈な闘争であることを明示している▼戸田先生と池田先生は「7月3日」を原点に、世界に民衆の連帯を築いた。その根源の力は「師弟」にある。誉れの弟子なれば、きょうこそ、この最大最強の力を振り絞ろうではないか。
寸鉄 2021年7月3日
勝利即立正安国誓い合う「7・3」。創価三代の師に連なる我らに恐れなし
豊島が急追!最後の5分まで全国の友がエール!痛快なる逆転の勝ち鬨を
中野がラストスパート。悔いを残さぬ拡大戦を!皆が凱旋を祈り大声援!
調布・狛江が果敢な攻勢。全同志の底力で押し上げ凱歌の金メダルを共に!
目黒が猛進。勇気、執念、雄弁で攻め切れ!民衆の大行進で栄光の頂上へ!
〈社説〉 2021・7・3 民衆勝利の「7月3日」
◇立正安国へ正義の対話を誓う
今年も、7月3日が巡り来た。
「出獄と 入獄の日に 師弟あり」——かつて池田先生が詠んだごとく、「7月3日」には、師弟共戦の永遠の刻印が二つある。
第1は1945年の7月3日。恩師・戸田城聖先生が、広宣流布の誓願の炎を燃やしながら、中野の豊多摩刑務所を出獄した日だ。先生は軍部政府の弾圧により逮捕され、数日前まで豊島の東京拘置所に投獄されていた。前年、同じ獄舎で殉教を遂げた、先師・牧口常三郎先生の遺志を継いで、妙法流布に一人立ったのである。
第2は57年の7月3日。池田先生が、無実の選挙違反容疑で大阪府警に不当逮捕された入獄の日だ。創価の民衆運動を狙い撃ちした「大阪事件」である。
池田先生はこの日、北海道から大阪に向かう途次、大田の羽田空港で"断じて生き抜け!"と恩師の激励を受ける。また見送りの婦人部員(当時)には、"夜明けが来た"と皆に伝えるよう託した。
先生は逮捕後、約2週間にわたり大阪拘置所等に勾留。過酷な獄中闘争を越え、正義の旗を掲げ抜いて17日に出獄したのである。
7月は日蓮大聖人が「立正安国論」を提出された月でもある。「十問九答」の問答形式で記された書には、賢者の対話に臨むに際しての偉大な智慧が脈打っている。
災難を嘆き、誤った教えに執着する「客」の論難に対し、「主人」は心を寄せ、なおかつ文証を鋭く示しながら、相手の心を開いていく。正法を持つ主人の態度は「客来って共に嘆く」「喩して曰く」「咲み止めて曰く」「悦んで曰く」と闊達自在。しかも全編を貫くのは、「言わずんばある可からず(言わずにはおれない)」との大情熱であり、必ず対話で相手の心が変わるとの大確信にほかならない。
この正義の言論闘争に直結しているのが、創価の師弟である。
「大阪事件」の渦中の7月12日、恩師のもと意気高く行われたのが「炎の東京大会」であった。続く17日、出獄した池田先生は「大阪大会」で師子吼する。「最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
「7・3」は、立正安国の誓願に立ち上がる師弟の日だ。いかなる烈風があろうと、忍辱の鎧をまとい、いよいよ勇気と闘魂を燃え上がらせ、皆で心一つに前進だ。
☆御書の旭光を 第39回 わが愛する郷土を寂光土に
〈御文〉
『法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し何ぞ煩しく他処を求めんや』(守護国家論、72ページ)
〈通解〉
法華経を修行する者が住んでいる所を浄土と思うべきである。どうして、わずらわしく、ほかの所に浄土を求めることがあろうか。
〈池田先生が贈る指針〉
この娑婆世界を寂光土に変えることこそ、仏の大願である。苦悩の人間と社会に寄り添うことが仏法の本義であり、立正安国の根本精神なのだ。
今、世界の地涌の同志が「我此土安穏」の祈りと貢献を続けている。
地球を包む妙法の音声に、諸天も必ず応える。わが「所住の処」から「天下の静謐」を開きゆくのだ。
☆大学校生とナットクTALK テーマ:一家和楽
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「一家和楽」。友人への対話にも挑戦している田中君ですが、中村団長に意外な悩みを打ち明けてくれました。
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
田中ニュー・リーダー 結婚を機に入会。妻の応援もあり、男子部大学校に入校。33歳。
Q.絆を強めるには?
A.祈りを合わせることから
中村区男子部大学校団長 田中君の対話拡大の挑戦、すごいね!
田中ニュー・リーダー いつも励ましていただき、ありがとうございます。ただ、頑張る中で、少し悩みも出てきまして……。
中村 どうしたの?
田中 妻が勤務先で異動になったんです。帰宅が遅くて、二人で決めた洗濯や食事の当番も難しくなってきました。僕も仕事帰りで疲れていると、ささいなことで、つい言い合いになってしまうこともあって……。
中村 そうかあ。田中君は「一家和楽の信心」という言葉を知っているかな?
田中 結婚前から、妻がよく言ってました。
中村 創価学会の「永遠の五指針」の一つで、仲の良い家庭を築くことは信心の目的の一つでもある。池田先生は「自身が『一家の太陽』となることが、一家和楽を築いていく直道にほかならないのです。これが『和楽』の第一の要諦です」と言われている。奥さんは、きっと一家の太陽を目指して頑張ってこられたんだろうね。
田中 「太陽」ですか。確かに以前は、朝は一緒に勤行・唱題して、出勤の時、駅で分かれる時も「応援してるね」と笑顔で明るく見送ってくれて。思えば、僕は支えられてばかりです。
中村 御書に「鳥の二の羽そなはり車の二つの輪かかれり・何事か成ぜざるべき」(1249ページ)とある。日蓮大聖人は"夫婦共に信心が強ければ、鳥に二つの羽があり、車に両輪があるのと同じで何事も成就しないことはない"と仰せだ。ライフスタイルが多様になって結婚をするもしないも、人それぞれの社会の中で、縁あって家族になったんだから、この御文に説かれるような夫婦を目指したいよね。
田中 そうですね。でも最近、生活リズムが合わず、二人で一緒に祈ることも難しくて。
中村 なら、夫婦で一つの御祈念項目を作ってみるのはどう? 課題や将来の夢・目標を挙げてさ。田中君に信心を教えてくれた奥さんだから、田中君の成長は、うれしいだろうし、一緒に"皆の幸福のため"に生きたいと考えているんじゃないかな。共に祈ることができなくても、祈る内容を同じにすれば、広宣流布という大きな目的の中で一緒に進んでいけるよね。
田中 なるほど! 一緒の時間や場所が難しくても、祈りを合わせられるんですね。妻への恩返しのつもりで提案してみます。
中村 広宣流布の歩みの中で、二人の絆がさらに強くなるよう応援しているよ!
2021年7月2日金曜日
2021.07.02 わが友に贈る
「日蓮が一門は
師子の吼るなり」
破邪顕正の言論戦こそ
日蓮仏法の真髄だ。
堂々と真実を叫び抜け!
月水御書 P1202
『仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし』
【通解】
仏法の中の隨方毘尼という戒の法門がこれにあたる。
この戒(随方毘尼)の心は、甚だしい過ちでないことなら、少々仏教と違うことがあっても、その国の風俗に背くべきではないということである。
名字の言 破竹の勢いは「必死の一人」から 2021年7月2日
東京・目黒区の住宅街を歩いていると、美しい竹林が目に飛び込んできた。碑文谷の「すずめのお宿緑地公園」。風が竹林を吹き抜けると、サラサラという心地よい音に包まれた▼案内板によると、目黒は昭和初期まではタケノコの里だった。園内には江戸時代の古民家があり、農村だった頃の雰囲気を伝える。竹林にはたくさんのスズメがすみ、朝早くどこへとなく飛び立ち、夕方に群れをなして戻るので、「すずめのお宿」と呼ばれた▼竹はしなやかで強い。強風にも負けない。節が強度を高めているからだ。ある文豪は一本の竹を人の一生、連続する竹の節を人生の出来事に例えた。逆境という節目を勝ち越えた人は確かに強い▼竹の強さは目に見えない土の中にもある。地上では、竹は一本一本が独立して生えているように見えるが、地下の根っこ(地下茎)で全てつながっている。「信心の世界も同じです。根っこの部分——心が同じであり、目的が同じであってこそ、一人一人が天を突く勢いでまっすぐに伸びていける」と池田先生は語る▼広布も人生も、破竹の勢いで進みたい。御書に「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(1046ページ)と。破竹の勢いは「必死の一人」から生まれる。
寸鉄 2021年7月2日
いまはただ前進あるのみ闘争あるのみ—戸田先生栄光のゴールへ全力疾走
大田よ猛然と攻め切れ!最後に勝つのがわれらの真骨頂!全同志がエール
王者・足立が更に猛追!勝負の決め手は勢いだ。総力の対話で連続勝利を
荒川が勇戦!最強の民衆パワーで怒濤の進撃を!大空に響け。感激の凱歌
墨田・新宿・品川が反転攻勢!執念の拡大が急務。逆転へ押し上げ断じて!
〈社説〉 2021・7・2 全国安全週間がスタート
◇油断排し「深き用心」忘れまい
毎年7月1日から7日は「全国安全週間」。職場での安全に対する意識を高め、安全を維持する活動の定着を目的として実施され、本年で94回目となる。
労働災害を防止するため、産業界を中心に自主的な活動を推進。今年は「持続可能な安全管理 未来へつなぐ安全職場」と掲げて、意識啓発を進めている。
厚生労働省のまとめでは、2020年の労働災害による死亡者数は、3年連続で過去最少だったという。
一方で、休業4日以上の死傷者数は13万人を超え、2002年以降で最多に。職場での新型コロナ感染症の罹患も、その数を押し上げている。
陸上貨物運送業では、常に交通安全は課題であるが、コロナ禍で宅配便の利用などの増加に伴い、荷役作業中の墜落や転倒も増えている。転倒事故は、小売業や社会福祉施設でも増加している。
こうした"労災"を防ぐ努力は、決して職場だけの問題ではない。
安全に働ける労働環境を整えることは、安心して暮らせる社会をつくることに通じる。
安全性を高める意識は、日常生活でも不可欠だ。
一つは交通事故の防止である。過労や睡眠不足等の状態で、車を運転しても、させてもならない。
いわゆる「ながらスマホ」も厳禁だ。不注意が重大事故につながることは統計的にも明白である。
次に、健康維持も注意点だ。
夏本番を迎え、特に留意したいのは熱中症である。
コロナ禍でマスク着用は当たり前となったが、マスクなしの場合より、心拍数や呼吸数、体感温度が上昇するなど身体に負担がかかるという。
高温や多湿の環境下では、熱中症のリスクも高まる。喉が渇いていてもいなくても、小まめな水分補給を心掛けよう。
夏場となれば、食中毒にも厳重注意だ。食事を準備する際、細菌を「つけない」「増やさない」、加熱などで「やっつける」を意識して防いでいきたい。
御書には「心にふかき・えうじん(用心)あるべし」(1176ページ)とある。
池田先生は、この御文を通し、「無事故は即、勝利である。油断しないことが、事故を起こさない根本だ。『深き用心』を忘れてはいけない」と強調した。
私たちは強盛な祈りで、「事故を起こさない」「事故に巻き込まれない」と一念を定め、自他共の幸福勝利へ勇んで前進しよう。
☆御書の旭光を 第38回 幸福の拡大はブロックから
〈御文〉
『寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき』(持妙法華問答抄、467ページ)
〈通解〉
寂光の都(=仏国土)でないならば、どこも皆、苦の世界である。仏の覚りの住処(=境地)を離れて、どんなことが楽しみとなるだろうか。
〈池田先生が贈る指針〉
苦悩の渦巻く社会に「寂光の都」を築く聖業が広宣流布だ。その最前線を担う尊きリーダーこそ、ブロック長であり、白ゆり長である。
御本仏は最も地道にして最も偉大な実践を全て御照覧である。「本覚の栖」たる胸中の仏界を涌現する人生に、行き詰まりはない。わがブロックの同志と「今生人界の思出」を共々に!
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:言葉の暴力
登場人物
【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇草の根の対話で人権教育を推進
ミライ ツイッターやLINEなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)をはじめ、インターネット上での誹謗中傷が社会問題になっているね。
ホープ 匿名による書き込みが、脅迫や殺害予告に発展するなど、相手を精神的に追い込み、命を奪ってしまう事例もある。指(キーボード)による行為から、「指殺人」とも呼ばれているんだ。
「言葉の暴力」は、身体的な暴力以上に子どもの脳に大きいダメージを与える、との研究もあるんだよ。子どもへの「ネットいじめ」は、2019年度、過去最多の1万7924件(文部科学省調査)に上り、5年間で約2倍にも増えているんだ。けれども、その全容はうかがい知れないといわれているんだ。
ミライ 誰もが手軽に情報を発信できて、ネットは便利だけど、言葉は、時に「凶器」のように人の心を傷付けてしまう。
ホープ 日本では今年の4月、被害者を救うために、インターネットで誹謗中傷を行った人を特定しやすくする法律が成立するなど、対策が進められているんだ。
◇憎悪の根を絶つ
ミライ 去年、コロナ禍の不安に便乗して、世界各地でデマや差別的言動が広まったよね。私は特に、アジア系市民への偏見から、直接的な暴力にエスカレートしていった事件報道を見て、胸が痛んだよ。
ホープ 日本でも近年、特定の人種や民族などに対するヘイトスピーチ(憎悪表現)が問題視されているね。こうした憎悪に基づく表現が、どんなに危険なことか。
「憎悪のピラミッド」論を知っているかな。段階的に問題が過熱する構図を示したもので、�偏見による態度�偏見による行為�差別行為�暴力行為�ジェノサイド(大量虐殺)と、憎悪が増大する中で、事態は深刻の度を増すというんだ。「言葉の暴力」とは、いわばピラミッドの下層——偏見による態度や行為に結び付いているから、厄介なんだよ。
ミライ 他者に対して、自分がどんな偏見を持っているか、なかなか気付けない。無意識にひどい言葉を口にしてしまうこともあるね。これは、自分と異なる存在に、どう向き合うかが問われているのかな。
ホープ 世界人権宣言の第2条では、人種、皮膚の色、性、言語、宗教などに基づく差別を禁じているよ。誰人にも、何ものによっても侵されてはならない「尊厳性」があるとうたわれているんだね。
ミライ 「表現の自由」「言論の自由」の名の下に、他者の尊厳を侵害してはいけないということね!
◇差異を超えて
ホープ 日蓮大聖人は、「災いは、口から出て身を破る。幸いは、心から出て自身を飾る」(御書1492ページ、通解)と仰せだよ。
仏法では、自分の行いの報いは必ず自分が受ける、と生命の因果を説き明かしているんだ。だから言葉の暴力は、他者だけでなく自分をも傷付ける行為なんだよ。
さらに、自ら気付かないうちに抱く偏見によって、言葉の暴力に加担する危険性が私たちにもあることを真摯に見つめる必要があるんだ。
ミライ なるほど。自分自身を省みない姿勢に、問題の根があるようだね。コロナ禍で現れた「自粛警察」が、その例だね。歪んだ正義感が過激になって、結果的に人を追い詰めてしまう——。どうやったら、人権を尊重できる社会になるのだろう?
ホープ 池田先生は次のように述べているよ。
「ある集団の中に排他的で暴力的な志向を強める人々がいたとしても、集団全体を敵視することは憎悪の連鎖を招くだけであり、あくまで大切なのは、"いかなる排他的で暴力的な行為にも明確に反対する人々の連帯"を堅固にする努力を、あらゆる差異を超えて社会全体で押し上げていくことではないでしょうか」(第39回「SGIの日」記念提言)
こうした視座を養うためにも、国連では2005年(平成17年)から「人権教育のための世界プログラム」を進めているよ。ここでは現在、「青少年」に焦点を当て、「ヘイト(憎悪)及び差別」と戦うことなどを目指しているんだ。SGI(創価学会インタナショナル)も長年、このプログラムの推進に参加しているよ。
ミライ SNSが当たり前の現代の子どもたちにとって、人権教育はとても大切だね。大人の私たちも学ばないといけないよね。
ホープ 戸田記念国際平和研究所のケビン・クレメンツ所長は、「異なる集団のメンバーが頻繁に交流を行うと、信頼が築かれて協力をしやすくなる傾向があり、相手に暴力的な行為をする可能性が低くなるとの結果が示された」と語っているよ。
相互理解・尊重・信頼を育む、草の根レベルの多様な結び付きが求められるんだね。その意味で、胸襟を開いて言葉を交わし合う「対話」が、一段と重要になってくるんだ。
◇御文
『わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる』(十字御書、1492ページ)
◇メモ
心ない言葉は、人の心を傷付けてしまいます。それは、他者の尊厳を軽視する「傲り」によるものです。仏法では、他者を傷付けることは、自らの生命に悪業として刻印されるので、"身を破る"と説かれています。
反対に、真心からの励ましの言葉は、人の心を軽やかにし、希望の灯をともします。そして、自身の生命に善根として刻まれ、幸福の果報をもたらすのです。
[コラム:"いま"を知る]手書きの魅力
"会いたくても会えない家族や友人に、心を込めた手紙を書きたい"——コロナ禍の「巣ごもり需要」で、ペン字の練習用書籍の売れ行きが好調のようだ。
メールやSNSが全盛の今、気持ちを伝える工夫ができているか考えさせられた。手書きの文字には、パソコンなどでは出せない個性がある。手間も掛かる。だからこそ、相手の心にも届く。
御書には、「文字というのは一切衆生の心法が表れた姿なのである。それゆえに人の書いたものをもって、その人の心根を知って判断することがある」(380ページ、通解)とある。この一節では、「色心不二」の法理から文字を捉えている。現象(色法)は、心の働き(心法)と密接不可分と見るので、文字は書く人の境涯を投影していると見るのだ。
仏法では、文字や言葉、声を重んじている。なぜなら、人と人を結び、幸せにする力があるからだ。この一点に、創価の「励まし運動」の原点がある。
師子の吼るなり」
破邪顕正の言論戦こそ
日蓮仏法の真髄だ。
堂々と真実を叫び抜け!
月水御書 P1202
『仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし』
【通解】
仏法の中の隨方毘尼という戒の法門がこれにあたる。
この戒(随方毘尼)の心は、甚だしい過ちでないことなら、少々仏教と違うことがあっても、その国の風俗に背くべきではないということである。
名字の言 破竹の勢いは「必死の一人」から 2021年7月2日
東京・目黒区の住宅街を歩いていると、美しい竹林が目に飛び込んできた。碑文谷の「すずめのお宿緑地公園」。風が竹林を吹き抜けると、サラサラという心地よい音に包まれた▼案内板によると、目黒は昭和初期まではタケノコの里だった。園内には江戸時代の古民家があり、農村だった頃の雰囲気を伝える。竹林にはたくさんのスズメがすみ、朝早くどこへとなく飛び立ち、夕方に群れをなして戻るので、「すずめのお宿」と呼ばれた▼竹はしなやかで強い。強風にも負けない。節が強度を高めているからだ。ある文豪は一本の竹を人の一生、連続する竹の節を人生の出来事に例えた。逆境という節目を勝ち越えた人は確かに強い▼竹の強さは目に見えない土の中にもある。地上では、竹は一本一本が独立して生えているように見えるが、地下の根っこ(地下茎)で全てつながっている。「信心の世界も同じです。根っこの部分——心が同じであり、目的が同じであってこそ、一人一人が天を突く勢いでまっすぐに伸びていける」と池田先生は語る▼広布も人生も、破竹の勢いで進みたい。御書に「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(1046ページ)と。破竹の勢いは「必死の一人」から生まれる。
寸鉄 2021年7月2日
いまはただ前進あるのみ闘争あるのみ—戸田先生栄光のゴールへ全力疾走
大田よ猛然と攻め切れ!最後に勝つのがわれらの真骨頂!全同志がエール
王者・足立が更に猛追!勝負の決め手は勢いだ。総力の対話で連続勝利を
荒川が勇戦!最強の民衆パワーで怒濤の進撃を!大空に響け。感激の凱歌
墨田・新宿・品川が反転攻勢!執念の拡大が急務。逆転へ押し上げ断じて!
〈社説〉 2021・7・2 全国安全週間がスタート
◇油断排し「深き用心」忘れまい
毎年7月1日から7日は「全国安全週間」。職場での安全に対する意識を高め、安全を維持する活動の定着を目的として実施され、本年で94回目となる。
労働災害を防止するため、産業界を中心に自主的な活動を推進。今年は「持続可能な安全管理 未来へつなぐ安全職場」と掲げて、意識啓発を進めている。
厚生労働省のまとめでは、2020年の労働災害による死亡者数は、3年連続で過去最少だったという。
一方で、休業4日以上の死傷者数は13万人を超え、2002年以降で最多に。職場での新型コロナ感染症の罹患も、その数を押し上げている。
陸上貨物運送業では、常に交通安全は課題であるが、コロナ禍で宅配便の利用などの増加に伴い、荷役作業中の墜落や転倒も増えている。転倒事故は、小売業や社会福祉施設でも増加している。
こうした"労災"を防ぐ努力は、決して職場だけの問題ではない。
安全に働ける労働環境を整えることは、安心して暮らせる社会をつくることに通じる。
安全性を高める意識は、日常生活でも不可欠だ。
一つは交通事故の防止である。過労や睡眠不足等の状態で、車を運転しても、させてもならない。
いわゆる「ながらスマホ」も厳禁だ。不注意が重大事故につながることは統計的にも明白である。
次に、健康維持も注意点だ。
夏本番を迎え、特に留意したいのは熱中症である。
コロナ禍でマスク着用は当たり前となったが、マスクなしの場合より、心拍数や呼吸数、体感温度が上昇するなど身体に負担がかかるという。
高温や多湿の環境下では、熱中症のリスクも高まる。喉が渇いていてもいなくても、小まめな水分補給を心掛けよう。
夏場となれば、食中毒にも厳重注意だ。食事を準備する際、細菌を「つけない」「増やさない」、加熱などで「やっつける」を意識して防いでいきたい。
御書には「心にふかき・えうじん(用心)あるべし」(1176ページ)とある。
池田先生は、この御文を通し、「無事故は即、勝利である。油断しないことが、事故を起こさない根本だ。『深き用心』を忘れてはいけない」と強調した。
私たちは強盛な祈りで、「事故を起こさない」「事故に巻き込まれない」と一念を定め、自他共の幸福勝利へ勇んで前進しよう。
☆御書の旭光を 第38回 幸福の拡大はブロックから
〈御文〉
『寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき』(持妙法華問答抄、467ページ)
〈通解〉
寂光の都(=仏国土)でないならば、どこも皆、苦の世界である。仏の覚りの住処(=境地)を離れて、どんなことが楽しみとなるだろうか。
〈池田先生が贈る指針〉
苦悩の渦巻く社会に「寂光の都」を築く聖業が広宣流布だ。その最前線を担う尊きリーダーこそ、ブロック長であり、白ゆり長である。
御本仏は最も地道にして最も偉大な実践を全て御照覧である。「本覚の栖」たる胸中の仏界を涌現する人生に、行き詰まりはない。わがブロックの同志と「今生人界の思出」を共々に!
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:言葉の暴力
登場人物
【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇草の根の対話で人権教育を推進
ミライ ツイッターやLINEなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)をはじめ、インターネット上での誹謗中傷が社会問題になっているね。
ホープ 匿名による書き込みが、脅迫や殺害予告に発展するなど、相手を精神的に追い込み、命を奪ってしまう事例もある。指(キーボード)による行為から、「指殺人」とも呼ばれているんだ。
「言葉の暴力」は、身体的な暴力以上に子どもの脳に大きいダメージを与える、との研究もあるんだよ。子どもへの「ネットいじめ」は、2019年度、過去最多の1万7924件(文部科学省調査)に上り、5年間で約2倍にも増えているんだ。けれども、その全容はうかがい知れないといわれているんだ。
ミライ 誰もが手軽に情報を発信できて、ネットは便利だけど、言葉は、時に「凶器」のように人の心を傷付けてしまう。
ホープ 日本では今年の4月、被害者を救うために、インターネットで誹謗中傷を行った人を特定しやすくする法律が成立するなど、対策が進められているんだ。
◇憎悪の根を絶つ
ミライ 去年、コロナ禍の不安に便乗して、世界各地でデマや差別的言動が広まったよね。私は特に、アジア系市民への偏見から、直接的な暴力にエスカレートしていった事件報道を見て、胸が痛んだよ。
ホープ 日本でも近年、特定の人種や民族などに対するヘイトスピーチ(憎悪表現)が問題視されているね。こうした憎悪に基づく表現が、どんなに危険なことか。
「憎悪のピラミッド」論を知っているかな。段階的に問題が過熱する構図を示したもので、�偏見による態度�偏見による行為�差別行為�暴力行為�ジェノサイド(大量虐殺)と、憎悪が増大する中で、事態は深刻の度を増すというんだ。「言葉の暴力」とは、いわばピラミッドの下層——偏見による態度や行為に結び付いているから、厄介なんだよ。
ミライ 他者に対して、自分がどんな偏見を持っているか、なかなか気付けない。無意識にひどい言葉を口にしてしまうこともあるね。これは、自分と異なる存在に、どう向き合うかが問われているのかな。
ホープ 世界人権宣言の第2条では、人種、皮膚の色、性、言語、宗教などに基づく差別を禁じているよ。誰人にも、何ものによっても侵されてはならない「尊厳性」があるとうたわれているんだね。
ミライ 「表現の自由」「言論の自由」の名の下に、他者の尊厳を侵害してはいけないということね!
◇差異を超えて
ホープ 日蓮大聖人は、「災いは、口から出て身を破る。幸いは、心から出て自身を飾る」(御書1492ページ、通解)と仰せだよ。
仏法では、自分の行いの報いは必ず自分が受ける、と生命の因果を説き明かしているんだ。だから言葉の暴力は、他者だけでなく自分をも傷付ける行為なんだよ。
さらに、自ら気付かないうちに抱く偏見によって、言葉の暴力に加担する危険性が私たちにもあることを真摯に見つめる必要があるんだ。
ミライ なるほど。自分自身を省みない姿勢に、問題の根があるようだね。コロナ禍で現れた「自粛警察」が、その例だね。歪んだ正義感が過激になって、結果的に人を追い詰めてしまう——。どうやったら、人権を尊重できる社会になるのだろう?
ホープ 池田先生は次のように述べているよ。
「ある集団の中に排他的で暴力的な志向を強める人々がいたとしても、集団全体を敵視することは憎悪の連鎖を招くだけであり、あくまで大切なのは、"いかなる排他的で暴力的な行為にも明確に反対する人々の連帯"を堅固にする努力を、あらゆる差異を超えて社会全体で押し上げていくことではないでしょうか」(第39回「SGIの日」記念提言)
こうした視座を養うためにも、国連では2005年(平成17年)から「人権教育のための世界プログラム」を進めているよ。ここでは現在、「青少年」に焦点を当て、「ヘイト(憎悪)及び差別」と戦うことなどを目指しているんだ。SGI(創価学会インタナショナル)も長年、このプログラムの推進に参加しているよ。
ミライ SNSが当たり前の現代の子どもたちにとって、人権教育はとても大切だね。大人の私たちも学ばないといけないよね。
ホープ 戸田記念国際平和研究所のケビン・クレメンツ所長は、「異なる集団のメンバーが頻繁に交流を行うと、信頼が築かれて協力をしやすくなる傾向があり、相手に暴力的な行為をする可能性が低くなるとの結果が示された」と語っているよ。
相互理解・尊重・信頼を育む、草の根レベルの多様な結び付きが求められるんだね。その意味で、胸襟を開いて言葉を交わし合う「対話」が、一段と重要になってくるんだ。
◇御文
『わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる』(十字御書、1492ページ)
◇メモ
心ない言葉は、人の心を傷付けてしまいます。それは、他者の尊厳を軽視する「傲り」によるものです。仏法では、他者を傷付けることは、自らの生命に悪業として刻印されるので、"身を破る"と説かれています。
反対に、真心からの励ましの言葉は、人の心を軽やかにし、希望の灯をともします。そして、自身の生命に善根として刻まれ、幸福の果報をもたらすのです。
[コラム:"いま"を知る]手書きの魅力
"会いたくても会えない家族や友人に、心を込めた手紙を書きたい"——コロナ禍の「巣ごもり需要」で、ペン字の練習用書籍の売れ行きが好調のようだ。
メールやSNSが全盛の今、気持ちを伝える工夫ができているか考えさせられた。手書きの文字には、パソコンなどでは出せない個性がある。手間も掛かる。だからこそ、相手の心にも届く。
御書には、「文字というのは一切衆生の心法が表れた姿なのである。それゆえに人の書いたものをもって、その人の心根を知って判断することがある」(380ページ、通解)とある。この一節では、「色心不二」の法理から文字を捉えている。現象(色法)は、心の働き(心法)と密接不可分と見るので、文字は書く人の境涯を投影していると見るのだ。
仏法では、文字や言葉、声を重んじている。なぜなら、人と人を結び、幸せにする力があるからだ。この一点に、創価の「励まし運動」の原点がある。
2021.07.01 わが友に贈る
「いよいよ・
はりあげてせむべし」
正義の魂が刻まれた
師弟の月・7月を
感激の勝利劇で飾ろう!
太田入道殿御返事 P1012
『書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん』
【通解】
書では言葉を書き尽くすことはできない。言葉では心を尽くすことができない。さまざまな事柄については、お会いした時を期して話しましょう。
名字の言 「やってみせる!」と言い切る強靱な一念 2021年7月1日
D51形蒸気機関車(デゴイチ)と新幹線。それぞれの時代を象徴する二つの列車は、イメージに大きな差がある。漆黒の鋼鉄の塊が力いっぱいに客車を引っ張るD51。一方、流線形の新幹線は滑るように高速で駆け抜けていく▼見た目も全く違う両者を計画、設計、実現したのは同一人物である。その人、島秀雄氏に至言がある。「ひとつの手だてさえ見つければ、『出来ます』と言える。あらゆる筋道をツブさないと、『出来ない』とは断言できない」(�橋団吉『新幹線をつくった男 島秀雄物語』小学館)▼どんなに厳しい局面にあろうと、安易に「できない」などと口にせず、必ず勝利をたぐりよせてみせる、という不屈の心を感じてならない。強い責任感と使命感が言わせた言葉だろう▼道なき道を開き、今日の世界広布を実現させた池田先生はつづる。「困難といえば、すべてが困難であり、不可能といえば、いっさいが不可能である。それを突き抜ける炎のような覇気と闘争によってのみ、広布の開拓はなされるのだ」と▼偉業であればあるほど、その実現の道が容易であるはずはない。"できるか、できないか"を迫られても、「やってみせる!」と言い切る。その強靱な一念が、不可能を可能にする。
寸鉄 2021年7月1日
さあ青年の月。先駆こそ後継の誉れ。縦横無尽に走れ!青春の凱歌を断固
豊島が勇猛果敢に反撃!全国から大声援で後押し空前の対話拡大で逆転を
中野も、もう一歩だ。限界の壁破る執念の猛攻を!異体同心の大連帯で応援
調布・狛江の凱旋が完勝の決定打!日本中の友が総立ちで最後の押し上げ
目黒が一気呵成の前進!勝負を決する正念場だ。皆で勇気の総攻撃今こそ
〈社説〉 2021・7・1 「桂冠詩人」称号40周年
◇"言葉の炎"で満天下に正義を
1981年(昭和56年)7月1日、世界芸術文化アカデミーは、池田先生に「桂冠詩人」称号の授与を決定した。本年で40周年。先生はこの時、ソ連(当時)、欧州、北米を回る旅路にあった。その2年前、先生は会長を辞任。"会合で指導するな、聖教新聞に出るな"——日本国内では、師弟の分断を画策する反逆者と宗門僧による陰険な圧力が続いていた。
「海外から日本を激励するんだ!」——81年の海外指導に懸けた思いを、先生はそうつづっている。どんな状況に置かれようが、広布の前進を決して諦めない。まさに「師子王の心」であった。
先生はSGI会長として、各国で指導者や識者らと友情を結び、同志を全力で励ました。「苦難多きが故に、真剣な祈りと唱題がある」「獅子のごとく雄々しく、獅子のごとく不屈に」等々、深き一念を込めた"言葉"は、聖教新聞を通じて日本の同志に伝わり、最大の喜びとなり、力となった。図らずも、「桂冠詩人」称号の決定は、そのさなかのことであった。
思えば、先生は激務の合間を縫い、トルストイ、ゲーテ、ダンテ、ユゴー、ホイットマンらの縁の地を訪れていた。皆、不屈の心で信念を叫び抜いた詩人・作家たちだ。帰国後、先生は、正義と勇気の"言葉の炎"を燃え上がらせ、いよいよ反転攻勢に打って出たのである。
同年11月に発表された「紅の歌」は「桂冠詩人」として最初の作詞である。「邪悪の徒には 栄えなし」の一節には「断じて、弱い正義ではいけない。正義が勝って、歴史を変えるのだ!」との魂を込めた。翌月、最初の長編詩となった「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」では「いかなる苦衷の最中に入っても/希望を失うな!/希望は無限の力である/これこそ信心であるからだ!」と呼び掛けた。
正義に燃え立つ詩人の言葉は、闇を切り裂く太陽となって輝く。先生の詩に触れた全国の同志一人一人の胸中にもまた、希望の太陽は赤々と昇った。第1次宗門事件という未曽有の困難の突破口が、ここに開かれたのである。
先生は、詩心とは「精神の剣」と表現したことがある。正義のため、友のため、そして師のために戦う時、私たちの言葉には必ず、相手の心を揺り動かす力が宿る。さあ、声の限りに語り抜こう。「正義の師子」はここにありと、満天下に示そうではないか!
☆大白蓮華巻頭言2021年7月号 若き宝塔よ、一筋に光れ
若き日、病気との闘いが続いていた私に、恩師・戸田先生が御書を開いて、励ましてくださった一節がある。
「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり」(P716)
そして「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は宝塔に入るなり」(同P)との「御義口伝」である。
先生は、「題目を唱える君自身の体が妙法の当体なのだ。
ゆえに病魔になど負けてはならない。若き生命の宝塔として、広布と社会のために勝ち光るのだ」と叱咤された。
今は感染症をはじめ青年が、幾重にも過酷な難題に直面する時代だ。希望を見出せず、自信を失い、孤独感に苛まれる若者も多いであろう。だからこそ、自他共の尊極なる生命の宝塔に目覚めてほしいのだ。
日蓮仏法は、青春を最高に光輝あらしめる哲理である。
大聖人は、若き南条時光に仰せになられた。
「此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり、相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし」(P1528)こと。
この御指南の通り、時光は、ただ「一筋に」信仰に励み、熱原の法難にも一歩も退かず、師匠と同志をお守りした。度重なる圧迫や経済の困窮、家族の不慮の死や自らの大病にも、断じて心を翻さず、堂々と正義の凱歌を飾った。今、全世界の地涌の友から鑑と仰がれているではないか。
大宇宙の根源の法則たる妙法を信受して、立正安国という最極の平和貢献に走る青春に、絶対に悔いはない。
悩みながら、もがきながら、それでも一筋に師弟の誓願を貫く時、一つ一つの辛労は生命の宝塔の輝きとなる。そして、その光彩が、道を求める青年層の心を動かし、一人また一人と新たな希望の宝塔を林立させゆくのだ。
青年部結成七十周年に巡り合わせた不思議な使命の君たちよ、「我らの団結は無敵なり」と誇らかに人間尊敬の連帯で、人類の幸福と安穏の大道を開いてくれ給え!
勝ち光れ
若き宝塔
一筋に
スクラム強く
師子の勇気で
☆7月の学会史 2021
◎7・3 戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日
1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時、理事長)が出獄した日。また57年の同日には、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時、青年部の室長)を、大阪府警が選挙違反の容疑で不当逮捕。同月12日に東京・蔵前の国技館(当時)で「東京大会」、池田先生が釈放された同月17日に中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。62年1月25日に無罪判決。
※参考資料=小説『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第5巻「獅子」/VOD【広布史】「信心しきった者が勝つ 常勝の原点 大阪大会」
◎7・3「東北の日」
1987年(昭和62年)7月3日、池田先生が出席し、東北最高会議が行われたことが淵源。また51年7月15日、先生が仙台を初訪問し、東北広布の第一歩をしるしてから本年で70周年。71年6月、青森・奥入瀬渓流を訪れた先生が「滝の如く 激しく」で始まる「滝」の詩を詠み、7月4日の東京での行事で発表してから50周年。
◎7・8「白蓮グループの日」55周年
1966年(昭和41年)、池田先生が自発の心で清掃などの作業に取り組む女子部の友に「白蓮グループ」との名称を贈り、同年7月8日付の本紙で発表されてから55周年。
※参考資料=『新・人間革命』第24巻「厳護」
◎7・11 男子部結成70周年
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で戸田先生のもと百数十人が集い、男子部が結成された。本年で70周年。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
◎7・19 女子部結成70周年
女子部の結成式は1951年(昭和26年)7月19日、旧学会本部に74人が参加し、戸田先生のもと行われた。本年で70周年。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
◎7・22「鼓笛隊の日」65周年
1956年(昭和31年)7月22日、33人で鼓笛隊が結成され、本年で65周年。
※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」
◎7・27「中部の日」45周年
1976年(昭和51年)7月27日、池田先生は中部記念幹部会に出席し、「中部旗」を授与した。本年で45周年。
※参考資料=『新・人間革命』第28巻「大道」
☆広布史 関西の「7・3」——"常勝不敗"の誓い
◇いかなる試練にも師と共に同志と共に
「関西の月」7月へ前進するにあたり、「7・3」の広布史を確認し合いたい。
師弟の大殿堂・関西池田記念大講堂の建設が発表された。
かつて池田先生が、「私が青春を捧げ、全身全霊で築いた、難攻不落の錦州城」と記した関西。その"常勝不敗"の礎は、試練の中で構築された。
1957年(昭和32年)6月末、学会の躍進を恐れた権力が池田先生に事実無根の選挙違反の嫌疑を掛け、出頭を要請。先生は7月3日、発刊されたばかりの恩師・戸田先生の小説『人間革命』を携え、大阪府警に赴いた。
「戸田先生は、師子であられた。なれば弟子であり、師子の子である私もまた、師子であらねばならない。いよいよ、まことの師子かどうかが、試される時が、遂に来たのだ!」(小説『人間革命』第11巻「大阪」)
同日午後7時ごろ、池田先生は逮捕・勾留された。くしくも45年(同20年)、軍部権力と戦い抜いた恩師が、2年に及ぶ獄中闘争の末に出獄したのと、同日のほぼ同時刻だった。
「いかなる試練にあおうとも、師と共に、同志と共に、広宣流布へ信念の闘争を貫き通していくことこそ、真の学会精神なのだ」(「随筆 人間世紀の光」)
池田先生の入獄は、瞬時に関西の同志に伝わった。皆が怒り、師の無事を昼夜、祈った。そして、「すべてに勝っていく関西を、必ず建設してみせます!」と誓い、励まし合った。
7月17日正午過ぎ、池田先生は釈放。戸田先生は、出獄した愛弟子に語った。
「関西の同志は、実によく戦った。君が難を受けたことを、他人事のように感じていた者は一人もいなかった」「これで関西は、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げたといえる」(「随筆 我らの勝利の大道」)
池田先生が難と戦い抜いた誉れの天地・関西。今、先行きの見えない社会状況にあって、「関西の月」を広布の拡大で勝ち開き、希望の波動を起こそうと同志の心は燃える。
「忘れまじ 七月三日の この文字は 師弟不敗の 記なるかな」
はりあげてせむべし」
正義の魂が刻まれた
師弟の月・7月を
感激の勝利劇で飾ろう!
太田入道殿御返事 P1012
『書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん』
【通解】
書では言葉を書き尽くすことはできない。言葉では心を尽くすことができない。さまざまな事柄については、お会いした時を期して話しましょう。
名字の言 「やってみせる!」と言い切る強靱な一念 2021年7月1日
D51形蒸気機関車(デゴイチ)と新幹線。それぞれの時代を象徴する二つの列車は、イメージに大きな差がある。漆黒の鋼鉄の塊が力いっぱいに客車を引っ張るD51。一方、流線形の新幹線は滑るように高速で駆け抜けていく▼見た目も全く違う両者を計画、設計、実現したのは同一人物である。その人、島秀雄氏に至言がある。「ひとつの手だてさえ見つければ、『出来ます』と言える。あらゆる筋道をツブさないと、『出来ない』とは断言できない」(�橋団吉『新幹線をつくった男 島秀雄物語』小学館)▼どんなに厳しい局面にあろうと、安易に「できない」などと口にせず、必ず勝利をたぐりよせてみせる、という不屈の心を感じてならない。強い責任感と使命感が言わせた言葉だろう▼道なき道を開き、今日の世界広布を実現させた池田先生はつづる。「困難といえば、すべてが困難であり、不可能といえば、いっさいが不可能である。それを突き抜ける炎のような覇気と闘争によってのみ、広布の開拓はなされるのだ」と▼偉業であればあるほど、その実現の道が容易であるはずはない。"できるか、できないか"を迫られても、「やってみせる!」と言い切る。その強靱な一念が、不可能を可能にする。
寸鉄 2021年7月1日
さあ青年の月。先駆こそ後継の誉れ。縦横無尽に走れ!青春の凱歌を断固
豊島が勇猛果敢に反撃!全国から大声援で後押し空前の対話拡大で逆転を
中野も、もう一歩だ。限界の壁破る執念の猛攻を!異体同心の大連帯で応援
調布・狛江の凱旋が完勝の決定打!日本中の友が総立ちで最後の押し上げ
目黒が一気呵成の前進!勝負を決する正念場だ。皆で勇気の総攻撃今こそ
〈社説〉 2021・7・1 「桂冠詩人」称号40周年
◇"言葉の炎"で満天下に正義を
1981年(昭和56年)7月1日、世界芸術文化アカデミーは、池田先生に「桂冠詩人」称号の授与を決定した。本年で40周年。先生はこの時、ソ連(当時)、欧州、北米を回る旅路にあった。その2年前、先生は会長を辞任。"会合で指導するな、聖教新聞に出るな"——日本国内では、師弟の分断を画策する反逆者と宗門僧による陰険な圧力が続いていた。
「海外から日本を激励するんだ!」——81年の海外指導に懸けた思いを、先生はそうつづっている。どんな状況に置かれようが、広布の前進を決して諦めない。まさに「師子王の心」であった。
先生はSGI会長として、各国で指導者や識者らと友情を結び、同志を全力で励ました。「苦難多きが故に、真剣な祈りと唱題がある」「獅子のごとく雄々しく、獅子のごとく不屈に」等々、深き一念を込めた"言葉"は、聖教新聞を通じて日本の同志に伝わり、最大の喜びとなり、力となった。図らずも、「桂冠詩人」称号の決定は、そのさなかのことであった。
思えば、先生は激務の合間を縫い、トルストイ、ゲーテ、ダンテ、ユゴー、ホイットマンらの縁の地を訪れていた。皆、不屈の心で信念を叫び抜いた詩人・作家たちだ。帰国後、先生は、正義と勇気の"言葉の炎"を燃え上がらせ、いよいよ反転攻勢に打って出たのである。
同年11月に発表された「紅の歌」は「桂冠詩人」として最初の作詞である。「邪悪の徒には 栄えなし」の一節には「断じて、弱い正義ではいけない。正義が勝って、歴史を変えるのだ!」との魂を込めた。翌月、最初の長編詩となった「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」では「いかなる苦衷の最中に入っても/希望を失うな!/希望は無限の力である/これこそ信心であるからだ!」と呼び掛けた。
正義に燃え立つ詩人の言葉は、闇を切り裂く太陽となって輝く。先生の詩に触れた全国の同志一人一人の胸中にもまた、希望の太陽は赤々と昇った。第1次宗門事件という未曽有の困難の突破口が、ここに開かれたのである。
先生は、詩心とは「精神の剣」と表現したことがある。正義のため、友のため、そして師のために戦う時、私たちの言葉には必ず、相手の心を揺り動かす力が宿る。さあ、声の限りに語り抜こう。「正義の師子」はここにありと、満天下に示そうではないか!
☆大白蓮華巻頭言2021年7月号 若き宝塔よ、一筋に光れ
若き日、病気との闘いが続いていた私に、恩師・戸田先生が御書を開いて、励ましてくださった一節がある。
「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり」(P716)
そして「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は宝塔に入るなり」(同P)との「御義口伝」である。
先生は、「題目を唱える君自身の体が妙法の当体なのだ。
ゆえに病魔になど負けてはならない。若き生命の宝塔として、広布と社会のために勝ち光るのだ」と叱咤された。
今は感染症をはじめ青年が、幾重にも過酷な難題に直面する時代だ。希望を見出せず、自信を失い、孤独感に苛まれる若者も多いであろう。だからこそ、自他共の尊極なる生命の宝塔に目覚めてほしいのだ。
日蓮仏法は、青春を最高に光輝あらしめる哲理である。
大聖人は、若き南条時光に仰せになられた。
「此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり、相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし」(P1528)こと。
この御指南の通り、時光は、ただ「一筋に」信仰に励み、熱原の法難にも一歩も退かず、師匠と同志をお守りした。度重なる圧迫や経済の困窮、家族の不慮の死や自らの大病にも、断じて心を翻さず、堂々と正義の凱歌を飾った。今、全世界の地涌の友から鑑と仰がれているではないか。
大宇宙の根源の法則たる妙法を信受して、立正安国という最極の平和貢献に走る青春に、絶対に悔いはない。
悩みながら、もがきながら、それでも一筋に師弟の誓願を貫く時、一つ一つの辛労は生命の宝塔の輝きとなる。そして、その光彩が、道を求める青年層の心を動かし、一人また一人と新たな希望の宝塔を林立させゆくのだ。
青年部結成七十周年に巡り合わせた不思議な使命の君たちよ、「我らの団結は無敵なり」と誇らかに人間尊敬の連帯で、人類の幸福と安穏の大道を開いてくれ給え!
勝ち光れ
若き宝塔
一筋に
スクラム強く
師子の勇気で
☆7月の学会史 2021
◎7・3 戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日
1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時、理事長)が出獄した日。また57年の同日には、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時、青年部の室長)を、大阪府警が選挙違反の容疑で不当逮捕。同月12日に東京・蔵前の国技館(当時)で「東京大会」、池田先生が釈放された同月17日に中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。62年1月25日に無罪判決。
※参考資料=小説『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第5巻「獅子」/VOD【広布史】「信心しきった者が勝つ 常勝の原点 大阪大会」
◎7・3「東北の日」
1987年(昭和62年)7月3日、池田先生が出席し、東北最高会議が行われたことが淵源。また51年7月15日、先生が仙台を初訪問し、東北広布の第一歩をしるしてから本年で70周年。71年6月、青森・奥入瀬渓流を訪れた先生が「滝の如く 激しく」で始まる「滝」の詩を詠み、7月4日の東京での行事で発表してから50周年。
◎7・8「白蓮グループの日」55周年
1966年(昭和41年)、池田先生が自発の心で清掃などの作業に取り組む女子部の友に「白蓮グループ」との名称を贈り、同年7月8日付の本紙で発表されてから55周年。
※参考資料=『新・人間革命』第24巻「厳護」
◎7・11 男子部結成70周年
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で戸田先生のもと百数十人が集い、男子部が結成された。本年で70周年。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
◎7・19 女子部結成70周年
女子部の結成式は1951年(昭和26年)7月19日、旧学会本部に74人が参加し、戸田先生のもと行われた。本年で70周年。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
◎7・22「鼓笛隊の日」65周年
1956年(昭和31年)7月22日、33人で鼓笛隊が結成され、本年で65周年。
※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」
◎7・27「中部の日」45周年
1976年(昭和51年)7月27日、池田先生は中部記念幹部会に出席し、「中部旗」を授与した。本年で45周年。
※参考資料=『新・人間革命』第28巻「大道」
☆広布史 関西の「7・3」——"常勝不敗"の誓い
◇いかなる試練にも師と共に同志と共に
「関西の月」7月へ前進するにあたり、「7・3」の広布史を確認し合いたい。
師弟の大殿堂・関西池田記念大講堂の建設が発表された。
かつて池田先生が、「私が青春を捧げ、全身全霊で築いた、難攻不落の錦州城」と記した関西。その"常勝不敗"の礎は、試練の中で構築された。
1957年(昭和32年)6月末、学会の躍進を恐れた権力が池田先生に事実無根の選挙違反の嫌疑を掛け、出頭を要請。先生は7月3日、発刊されたばかりの恩師・戸田先生の小説『人間革命』を携え、大阪府警に赴いた。
「戸田先生は、師子であられた。なれば弟子であり、師子の子である私もまた、師子であらねばならない。いよいよ、まことの師子かどうかが、試される時が、遂に来たのだ!」(小説『人間革命』第11巻「大阪」)
同日午後7時ごろ、池田先生は逮捕・勾留された。くしくも45年(同20年)、軍部権力と戦い抜いた恩師が、2年に及ぶ獄中闘争の末に出獄したのと、同日のほぼ同時刻だった。
「いかなる試練にあおうとも、師と共に、同志と共に、広宣流布へ信念の闘争を貫き通していくことこそ、真の学会精神なのだ」(「随筆 人間世紀の光」)
池田先生の入獄は、瞬時に関西の同志に伝わった。皆が怒り、師の無事を昼夜、祈った。そして、「すべてに勝っていく関西を、必ず建設してみせます!」と誓い、励まし合った。
7月17日正午過ぎ、池田先生は釈放。戸田先生は、出獄した愛弟子に語った。
「関西の同志は、実によく戦った。君が難を受けたことを、他人事のように感じていた者は一人もいなかった」「これで関西は、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げたといえる」(「随筆 我らの勝利の大道」)
池田先生が難と戦い抜いた誉れの天地・関西。今、先行きの見えない社会状況にあって、「関西の月」を広布の拡大で勝ち開き、希望の波動を起こそうと同志の心は燃える。
「忘れまじ 七月三日の この文字は 師弟不敗の 記なるかな」
2021年6月30日水曜日
2021.06.30 わが友に贈る
「極楽百年の修行は穢土
の一日の功徳に及ばず」
激戦に飛び込み戦う中に
無量の福徳は燦然と輝く。
勇猛果敢に前へ 前へ!
種種御振舞御書 P913
『日蓮申すやう不かくのとのばらかなこれほどの悦びをばわらへかし』
【通解】
(竜の口の法難の際、涙を流した四条金吾に対して)日蓮が、「不覚な殿方ではないか。これほどの喜びはないのだから笑いなさい」と言いました。
名字の言 心の火を友から友へ 2021年6月30日
先月末、ゲンジボタルの里を訪れた。1匹が光を放ち始めると、2匹、3匹と続き、やがて大きな光の集団になった。天空には、北斗七星などの無数の星がきらめいていた▼「蛍二十日に蟬三日」といわれるように、ホタルの盛りは短い。ゲンジボタルの成虫の寿命は、1週間から10日程度。この間、水以外のものは口にせず、雌と出あうまで毎晩、飛びながら発光を続ける。一つ一つの光は、ホタルが生命を燃やす輝きである▼蛍の光を「蛍火」というが、わずかに消え残った炭火を指すことも。御書に「千里の野の枯れたる草に螢火の如くなる火を一つ付けぬれば須臾に一草・二草・十・百・千・万草につきわたりてもゆれば十町・二十町の草木・一時にやけつきぬ」(1435ページ)と▼心の火も、友から友へ、心から心へ――。今月6日、30カ国を超える友が参加した欧州誓願総会では、ベートーベンの「歓喜の歌」を大合唱した。その動画を見ると、池田先生が送った希望の光が一人から一人へと着実に広がり、今日の欧州のSGIが築かれたことが友の歓喜と共に伝わってきた▼ベートーベンは晩年、「心より出ず、再び、心に至らんことを」と書いた。私たちの熱い思いを、一人から一人へと確実に届けたい。
寸鉄 2021年6月30日
男の生き方とはこうだというものを残せ―恩師。壮年よ本領発揮の時は今
大田が熾烈な競り合い。最後まで攻め込んだ方が勝つ。一丸で押し上げ!
立よここからが天王山さあ金星もぎ取る対話を庶民の底力は無敵なり!
荒川に常勝の旗を断じて―皆が応援。総当たりで敵をも味方にする拡大を
学生部結成記念日。君らの言論で民衆勝利の時代開け!そこに先駆の使命
〈社説〉 2021・6・30 きょう、学生部結成記念日
◇先駆の誇り胸に勇気の対話を
きょう6月30日は「学生部結成記念日」。1957年(昭和32年)の同日、500人の男女学生が戸田城聖先生のもとに集い、結成大会が行われた。
席上、戸田先生は"この中から半分は重役に、半分は博士に、一人ももれなく次代の指導者に!"と大きな期待を寄せた。
この日、池田先生は北海道・夕張の地から"新しき世紀を担う秀才たれ"と祝電を送った。「夕張炭労事件」――当時、権勢を誇った炭労組合の不当な人権弾圧事件に際し、学会員を守るために奔走する渦中であった。
3日後の7月3日、池田先生が事実無根の選挙違反容疑で大阪府警により不当逮捕される「大阪事件」が起こる。法廷闘争は4年半に及び、無罪判決を勝ち取った。
学会という新たな民衆勢力の台頭に対する既成勢力の無理解と恐れがあった。しかもそれが権力による迫害として顕在化した。
ここに、根源的な生命変革を説く仏法を流布する民衆運動が直面する困難さがある。また、迫害の背後に潜む権力の魔性は、民衆利用、民衆蔑視を本質とする。
この権力の魔性と、創価の民衆が戦う嵐の中に、わが学生部は誕生した。ゆえに、名もなき庶民を守るための智勇を磨き、社会を正しく照らすことこそ、その使命にほかならないと確信する。
コロナ禍の中、男女学生部は未曽有の試練に負けず、勉学に励んできた。そして「一人立つ! 正義の対話拡大月間」と掲げ、男子学生部は、新入生と共に、対話と友情を豊かに広げ、女子学生部は希望の励ましで福智のスクラムを強めてきた。
東京・調布市の学生寮に住むある学生部員は、対話拡大に挑戦することを決意するが、初めは思うように進まなかった。しかし、周りのメンバーの敢闘の姿を見て、奮起。「自分が相手を信頼して話せば、相手も自分を信頼してくれる」との先輩の言葉に励まされ、多くの友人と友情を深めることができた。今、自身の経験を後輩に語り抜き、勇気の対話の波動を起こしているという。
池田先生は「10代・20代の清新な英知の声が、社会を大きく変革します」と万感の期待を。男女学生部は"先駆の誇り"に燃え、若き普賢の声で目の前の一人の友との勇気の対話を広げ、青春の友情の絆を強く結んでいきたい。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第9回 「一瞬」に「永遠」を込めて 列車編
娘のサラさんをベビーカーに乗せ、母のエマヌエラ・ベルゴンゾーニさんは、ボローニャ中央駅へと急いだ。1992年7月1日のことである。
この日、イタリア訪問中の池田大作先生は、列車でフィレンツェからミラノへ向かった。その途中、列車はボローニャ中央駅に停車した。
ベルゴンゾーニさんが駅のホームに到着すると、車内に先生の姿が見えた。先生は集った友に「グラッチェ(ありがとう)!」と繰り返し感謝を伝え、カメラを向けた。
「その時に先生が撮影された写真は、私たちの宝物です」とベルゴンゾーニさん。
列車が動きだし、友の姿が見えなくなるまで、先生は手を振り続けた。ベルゴンゾーニさんも力いっぱい、手を振り返した。
この時、ベルゴンゾーニさんは、仕事を失っていた。宝石デザイナーとして働いていたが、契約先から解雇された。
だが、ベルゴンゾーニさんは試練を飛躍の転機に変えた。失職を機に、教員になるために大学進学を決意する。
それは、とてつもなく大きなチャレンジだった。ベルゴンゾーニさんには、「ディスレクシア」と呼ばれる、読み書きの障がいがあったからだ。
暗記には人一倍の時間を必要とした。大学進学など夢のまた夢。自分で自分を諦めていた。その心に、立ち向かい始めた。
2年後の94年、31歳でボローニャ国立美術学院の門をたたく。この年、先生は"世界最古の総合大学"と呼ばれるボローニャ大学を訪れ、記念講演を。ベルゴンゾーニさんは学生として聴講した。心の中で"先生、私は勝ちます!"と叫び続けた。
現実は育児、勉強、学会活動と、多忙な日々。何度もくじけそうになった。"もう大学をやめたい"と思う気持ちが込み上げるたび、先生のスピーチを読み、駅での師の励ましを思い返しては、心を奮い立たせた。
猛勉強の末、99年に彫刻学の学士を取得。現在、ボローニャ国立美術学院とラヴェンナ国立美術学院で講師を務める。
イタリア創価学会では、ボローニャ第1方面の方面副婦人部長として、夫のロマーノさんと共にイタリア広布に奔走。長女のサラさん、長男のアレッシオさんも後継の道を進む。
ベルゴンゾーニさんがボローニャ中央駅で、池田先生との絆を結んだ時、列車の停車時間はわずか4分。しかも、窓越しの出会いである。
だが、窓越しの4分は、一人の女性の胸中に、"何があっても負けない"との勇気の灯をともした。29年の時が流れた今も、その灯は、まばゆい輝きを放ち続けている。
◇信心の軌道を進め!
1973年6月5日、池田先生は滋賀・米原から急行「立山2号」に乗車し、福井の武生駅へ向かった。福井県幹部会に出席するためである。
この会合に鼓笛隊のメンバーも参加した。会場の武生市体育館(当時)に向かうため、敦賀にいた7人の鼓笛隊員は「立山2号」に乗車した。
急行が武生駅に到着し、7人は改札を出た。いつもとは違う駅の雰囲気。振り返ると、先生の姿が見えた。
先生は改札を出ると、その場にいた母子に声を掛けた。そして、7人を励まし、一人一人と握手を交わした。車に乗った後も窓を開け、手を振り続けた。
7人への激励は、まだ終わらなかった。福井県幹部会で、先生は「さっき駅で会った鼓笛隊の方、手を上げてください。ヨーロッパの絵はがきを差し上げたいと思います」と。
一回一回の出会いに精いっぱいの真心を込める――そこに創価の心があることを、先生は自らの行動で示した。
73年の福井県幹部会には、もう一つの"駅のドラマ"がある。
「昭和35年に、敦賀の駅で私を待っていてくださった方々は、いらっしゃいますか」――先生が呼び掛けると、会場のあちこちで手が上がった。
昭和35年2月8日、池田先生は敦賀を通って金沢に向かった。敦賀駅の到着は午前2時半ごろ。停車時間は6分である。
それでも、50人ほどの同志が敦賀駅に集まった。だが、先生がホームに降りることはなかった。深夜でもあり、周囲に迷惑がかかることを考慮してのことである。随行の幹部から、先生の伝言が伝えられた。どの顔にも寂しげな表情が浮かんだ。
当時、14歳だった婦人も肩を落として家路に就いた。"一目でも先生にお会いしたい"と両親と一緒に駆け付けていた。
"会えなかった思い出"は、幹部会での先生の呼び掛けによって、"歓喜の思い出"に変わった。13年が過ぎても、会えなかった人に心を砕き続ける師の慈愛が胸の奥深くまで染みた。
70年に義父が事業に失敗。婦人の一家は多額の負債を抱えた。夫は昼と夜、二つの仕事を掛け持ちし、働き続けた。
73年の幹部会の時も経済的な苦境の渦中にあったが、師の励ましを胸に、7年かかって借金を完済した。
幹部会の折、鼓笛隊のメンバーと同様、この婦人にも先生から一枚の絵はがきが贈られた。"自由に海外を行き来できるように"との思いが込められたものだ。経済苦の当時、海外旅行など想像もできなかった。しかし完済後、アメリカ、韓国の地を踏むことができた。
「海外へ行ける境涯を開くことができたのも、全て先生のおかげです」と婦人。
8年前、福井・敦賀から東京・八王子へ。広布一筋の76歳は今、調布、狛江、目黒、豊島、中野、荒川、大田など、東京各地を対話に走っている。
空に美しい虹が懸かっていた。第3代会長辞任から1年後の1980年4月29日。第5次訪中から帰国した池田先生は、長崎空港に降り立った。
先生は長崎文化会館(当時)へ向かい、長崎支部結成22周年記念の幹部会に臨んだ。その後、訪中報告の記者会見を行った。
翌30日付の聖教新聞1面。記者会見、幹部会の模様が掲載になった。さらに記事の最後に、「名誉会長は、長崎のあと福岡、関西、中部の会員の激励・指導に当たる予定になっている」と短く記されていた。
当時、宗門僧らが師弟分断の謀略の限りを尽くしていた。「第1次宗門事件」である。国内での先生の動向はほとんど報道されず、ましてや行動予定が掲載になることなどなかった。短い一文は、列島を歓喜で包んだ。
30日、先生は特急「かもめ」に乗り、長崎から福岡へ。長崎駅のホームには、長崎や佐賀からも友が集まった。
長崎の婦人は3歳の長女、母と駆け付けた。先生は母と長女の近くに歩み寄り、「大切に、大切に育てるんですよ」と語り、長女の頬を優しくなでた。
ところが、この出会いから4カ月後、長女に試練が襲う。日本脳炎にかかった。危篤状態が続き、医師は「命の保証はできません」と告げた。絶望のどん底に沈む婦人に、母は「先生の激励を忘れたらいかん」と、婦人の弱い心を叱り飛ばした。
家族で祈りに祈り、長女は奇跡的に回復。婦人は「先生の真心の一言によって、長女とわが家は救っていただきました。生涯、広布に戦い抜きます」と。
長女は今、白ゆり長として地域広布にまい進。次女は支部女性部長、三女は圏女子部主任部長として、自他共の幸福に尽くす生き方を受け継いでいる。
長崎駅を出発した特急は諫早駅に到着。ここにも、同志が駆け付けていた。
先生は窓越しから、一人一人に真剣なまなざしを向けた。その場にいた女性部の友は、「私たちのことを生命に刻まれていると感じました」と振り返る。
友は宗門の悪僧の暴言に紛動される同志に、師の正義を訴え抜いた。その攻防戦のさなかの先生との出会い。友は「頑張ります! 勝ちます!」と叫んだ。誓いの通り、諫早の女子部員を守り抜いた。
特急は肥前鹿島駅、肥前山口駅に停車した後、佐賀駅へ。各駅に求道の同志が待っていた。
先生は佐賀駅でも窓越しに手を振った。それは「負けるな!」「立ち上がれ!」との、佐賀の友への"無言の励まし"であった。
佐賀駅の後、特急は鳥栖駅に向かい、博多駅に到着した。
九州から始まった激励行は反転攻勢の助走だった。その後、学会は師弟分断の鉄鎖を断ち切り、大きな飛躍を遂げていく。第1次宗門事件の正邪の決着は厳然とついたのである。
列車は軌道を外れない。
山を越え、谷を越え、目的地を目指し、軌道を走り続ける。
広布の戦いは、師が示した信心の軌道を、誠実一路の軌道を、真っすぐに走ることだ。
その先に、立正安国の大理想の実現はある。
の一日の功徳に及ばず」
激戦に飛び込み戦う中に
無量の福徳は燦然と輝く。
勇猛果敢に前へ 前へ!
種種御振舞御書 P913
『日蓮申すやう不かくのとのばらかなこれほどの悦びをばわらへかし』
【通解】
(竜の口の法難の際、涙を流した四条金吾に対して)日蓮が、「不覚な殿方ではないか。これほどの喜びはないのだから笑いなさい」と言いました。
名字の言 心の火を友から友へ 2021年6月30日
先月末、ゲンジボタルの里を訪れた。1匹が光を放ち始めると、2匹、3匹と続き、やがて大きな光の集団になった。天空には、北斗七星などの無数の星がきらめいていた▼「蛍二十日に蟬三日」といわれるように、ホタルの盛りは短い。ゲンジボタルの成虫の寿命は、1週間から10日程度。この間、水以外のものは口にせず、雌と出あうまで毎晩、飛びながら発光を続ける。一つ一つの光は、ホタルが生命を燃やす輝きである▼蛍の光を「蛍火」というが、わずかに消え残った炭火を指すことも。御書に「千里の野の枯れたる草に螢火の如くなる火を一つ付けぬれば須臾に一草・二草・十・百・千・万草につきわたりてもゆれば十町・二十町の草木・一時にやけつきぬ」(1435ページ)と▼心の火も、友から友へ、心から心へ――。今月6日、30カ国を超える友が参加した欧州誓願総会では、ベートーベンの「歓喜の歌」を大合唱した。その動画を見ると、池田先生が送った希望の光が一人から一人へと着実に広がり、今日の欧州のSGIが築かれたことが友の歓喜と共に伝わってきた▼ベートーベンは晩年、「心より出ず、再び、心に至らんことを」と書いた。私たちの熱い思いを、一人から一人へと確実に届けたい。
寸鉄 2021年6月30日
男の生き方とはこうだというものを残せ―恩師。壮年よ本領発揮の時は今
大田が熾烈な競り合い。最後まで攻め込んだ方が勝つ。一丸で押し上げ!
立よここからが天王山さあ金星もぎ取る対話を庶民の底力は無敵なり!
荒川に常勝の旗を断じて―皆が応援。総当たりで敵をも味方にする拡大を
学生部結成記念日。君らの言論で民衆勝利の時代開け!そこに先駆の使命
〈社説〉 2021・6・30 きょう、学生部結成記念日
◇先駆の誇り胸に勇気の対話を
きょう6月30日は「学生部結成記念日」。1957年(昭和32年)の同日、500人の男女学生が戸田城聖先生のもとに集い、結成大会が行われた。
席上、戸田先生は"この中から半分は重役に、半分は博士に、一人ももれなく次代の指導者に!"と大きな期待を寄せた。
この日、池田先生は北海道・夕張の地から"新しき世紀を担う秀才たれ"と祝電を送った。「夕張炭労事件」――当時、権勢を誇った炭労組合の不当な人権弾圧事件に際し、学会員を守るために奔走する渦中であった。
3日後の7月3日、池田先生が事実無根の選挙違反容疑で大阪府警により不当逮捕される「大阪事件」が起こる。法廷闘争は4年半に及び、無罪判決を勝ち取った。
学会という新たな民衆勢力の台頭に対する既成勢力の無理解と恐れがあった。しかもそれが権力による迫害として顕在化した。
ここに、根源的な生命変革を説く仏法を流布する民衆運動が直面する困難さがある。また、迫害の背後に潜む権力の魔性は、民衆利用、民衆蔑視を本質とする。
この権力の魔性と、創価の民衆が戦う嵐の中に、わが学生部は誕生した。ゆえに、名もなき庶民を守るための智勇を磨き、社会を正しく照らすことこそ、その使命にほかならないと確信する。
コロナ禍の中、男女学生部は未曽有の試練に負けず、勉学に励んできた。そして「一人立つ! 正義の対話拡大月間」と掲げ、男子学生部は、新入生と共に、対話と友情を豊かに広げ、女子学生部は希望の励ましで福智のスクラムを強めてきた。
東京・調布市の学生寮に住むある学生部員は、対話拡大に挑戦することを決意するが、初めは思うように進まなかった。しかし、周りのメンバーの敢闘の姿を見て、奮起。「自分が相手を信頼して話せば、相手も自分を信頼してくれる」との先輩の言葉に励まされ、多くの友人と友情を深めることができた。今、自身の経験を後輩に語り抜き、勇気の対話の波動を起こしているという。
池田先生は「10代・20代の清新な英知の声が、社会を大きく変革します」と万感の期待を。男女学生部は"先駆の誇り"に燃え、若き普賢の声で目の前の一人の友との勇気の対話を広げ、青春の友情の絆を強く結んでいきたい。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第9回 「一瞬」に「永遠」を込めて 列車編
娘のサラさんをベビーカーに乗せ、母のエマヌエラ・ベルゴンゾーニさんは、ボローニャ中央駅へと急いだ。1992年7月1日のことである。
この日、イタリア訪問中の池田大作先生は、列車でフィレンツェからミラノへ向かった。その途中、列車はボローニャ中央駅に停車した。
ベルゴンゾーニさんが駅のホームに到着すると、車内に先生の姿が見えた。先生は集った友に「グラッチェ(ありがとう)!」と繰り返し感謝を伝え、カメラを向けた。
「その時に先生が撮影された写真は、私たちの宝物です」とベルゴンゾーニさん。
列車が動きだし、友の姿が見えなくなるまで、先生は手を振り続けた。ベルゴンゾーニさんも力いっぱい、手を振り返した。
この時、ベルゴンゾーニさんは、仕事を失っていた。宝石デザイナーとして働いていたが、契約先から解雇された。
だが、ベルゴンゾーニさんは試練を飛躍の転機に変えた。失職を機に、教員になるために大学進学を決意する。
それは、とてつもなく大きなチャレンジだった。ベルゴンゾーニさんには、「ディスレクシア」と呼ばれる、読み書きの障がいがあったからだ。
暗記には人一倍の時間を必要とした。大学進学など夢のまた夢。自分で自分を諦めていた。その心に、立ち向かい始めた。
2年後の94年、31歳でボローニャ国立美術学院の門をたたく。この年、先生は"世界最古の総合大学"と呼ばれるボローニャ大学を訪れ、記念講演を。ベルゴンゾーニさんは学生として聴講した。心の中で"先生、私は勝ちます!"と叫び続けた。
現実は育児、勉強、学会活動と、多忙な日々。何度もくじけそうになった。"もう大学をやめたい"と思う気持ちが込み上げるたび、先生のスピーチを読み、駅での師の励ましを思い返しては、心を奮い立たせた。
猛勉強の末、99年に彫刻学の学士を取得。現在、ボローニャ国立美術学院とラヴェンナ国立美術学院で講師を務める。
イタリア創価学会では、ボローニャ第1方面の方面副婦人部長として、夫のロマーノさんと共にイタリア広布に奔走。長女のサラさん、長男のアレッシオさんも後継の道を進む。
ベルゴンゾーニさんがボローニャ中央駅で、池田先生との絆を結んだ時、列車の停車時間はわずか4分。しかも、窓越しの出会いである。
だが、窓越しの4分は、一人の女性の胸中に、"何があっても負けない"との勇気の灯をともした。29年の時が流れた今も、その灯は、まばゆい輝きを放ち続けている。
◇信心の軌道を進め!
1973年6月5日、池田先生は滋賀・米原から急行「立山2号」に乗車し、福井の武生駅へ向かった。福井県幹部会に出席するためである。
この会合に鼓笛隊のメンバーも参加した。会場の武生市体育館(当時)に向かうため、敦賀にいた7人の鼓笛隊員は「立山2号」に乗車した。
急行が武生駅に到着し、7人は改札を出た。いつもとは違う駅の雰囲気。振り返ると、先生の姿が見えた。
先生は改札を出ると、その場にいた母子に声を掛けた。そして、7人を励まし、一人一人と握手を交わした。車に乗った後も窓を開け、手を振り続けた。
7人への激励は、まだ終わらなかった。福井県幹部会で、先生は「さっき駅で会った鼓笛隊の方、手を上げてください。ヨーロッパの絵はがきを差し上げたいと思います」と。
一回一回の出会いに精いっぱいの真心を込める――そこに創価の心があることを、先生は自らの行動で示した。
73年の福井県幹部会には、もう一つの"駅のドラマ"がある。
「昭和35年に、敦賀の駅で私を待っていてくださった方々は、いらっしゃいますか」――先生が呼び掛けると、会場のあちこちで手が上がった。
昭和35年2月8日、池田先生は敦賀を通って金沢に向かった。敦賀駅の到着は午前2時半ごろ。停車時間は6分である。
それでも、50人ほどの同志が敦賀駅に集まった。だが、先生がホームに降りることはなかった。深夜でもあり、周囲に迷惑がかかることを考慮してのことである。随行の幹部から、先生の伝言が伝えられた。どの顔にも寂しげな表情が浮かんだ。
当時、14歳だった婦人も肩を落として家路に就いた。"一目でも先生にお会いしたい"と両親と一緒に駆け付けていた。
"会えなかった思い出"は、幹部会での先生の呼び掛けによって、"歓喜の思い出"に変わった。13年が過ぎても、会えなかった人に心を砕き続ける師の慈愛が胸の奥深くまで染みた。
70年に義父が事業に失敗。婦人の一家は多額の負債を抱えた。夫は昼と夜、二つの仕事を掛け持ちし、働き続けた。
73年の幹部会の時も経済的な苦境の渦中にあったが、師の励ましを胸に、7年かかって借金を完済した。
幹部会の折、鼓笛隊のメンバーと同様、この婦人にも先生から一枚の絵はがきが贈られた。"自由に海外を行き来できるように"との思いが込められたものだ。経済苦の当時、海外旅行など想像もできなかった。しかし完済後、アメリカ、韓国の地を踏むことができた。
「海外へ行ける境涯を開くことができたのも、全て先生のおかげです」と婦人。
8年前、福井・敦賀から東京・八王子へ。広布一筋の76歳は今、調布、狛江、目黒、豊島、中野、荒川、大田など、東京各地を対話に走っている。
空に美しい虹が懸かっていた。第3代会長辞任から1年後の1980年4月29日。第5次訪中から帰国した池田先生は、長崎空港に降り立った。
先生は長崎文化会館(当時)へ向かい、長崎支部結成22周年記念の幹部会に臨んだ。その後、訪中報告の記者会見を行った。
翌30日付の聖教新聞1面。記者会見、幹部会の模様が掲載になった。さらに記事の最後に、「名誉会長は、長崎のあと福岡、関西、中部の会員の激励・指導に当たる予定になっている」と短く記されていた。
当時、宗門僧らが師弟分断の謀略の限りを尽くしていた。「第1次宗門事件」である。国内での先生の動向はほとんど報道されず、ましてや行動予定が掲載になることなどなかった。短い一文は、列島を歓喜で包んだ。
30日、先生は特急「かもめ」に乗り、長崎から福岡へ。長崎駅のホームには、長崎や佐賀からも友が集まった。
長崎の婦人は3歳の長女、母と駆け付けた。先生は母と長女の近くに歩み寄り、「大切に、大切に育てるんですよ」と語り、長女の頬を優しくなでた。
ところが、この出会いから4カ月後、長女に試練が襲う。日本脳炎にかかった。危篤状態が続き、医師は「命の保証はできません」と告げた。絶望のどん底に沈む婦人に、母は「先生の激励を忘れたらいかん」と、婦人の弱い心を叱り飛ばした。
家族で祈りに祈り、長女は奇跡的に回復。婦人は「先生の真心の一言によって、長女とわが家は救っていただきました。生涯、広布に戦い抜きます」と。
長女は今、白ゆり長として地域広布にまい進。次女は支部女性部長、三女は圏女子部主任部長として、自他共の幸福に尽くす生き方を受け継いでいる。
長崎駅を出発した特急は諫早駅に到着。ここにも、同志が駆け付けていた。
先生は窓越しから、一人一人に真剣なまなざしを向けた。その場にいた女性部の友は、「私たちのことを生命に刻まれていると感じました」と振り返る。
友は宗門の悪僧の暴言に紛動される同志に、師の正義を訴え抜いた。その攻防戦のさなかの先生との出会い。友は「頑張ります! 勝ちます!」と叫んだ。誓いの通り、諫早の女子部員を守り抜いた。
特急は肥前鹿島駅、肥前山口駅に停車した後、佐賀駅へ。各駅に求道の同志が待っていた。
先生は佐賀駅でも窓越しに手を振った。それは「負けるな!」「立ち上がれ!」との、佐賀の友への"無言の励まし"であった。
佐賀駅の後、特急は鳥栖駅に向かい、博多駅に到着した。
九州から始まった激励行は反転攻勢の助走だった。その後、学会は師弟分断の鉄鎖を断ち切り、大きな飛躍を遂げていく。第1次宗門事件の正邪の決着は厳然とついたのである。
列車は軌道を外れない。
山を越え、谷を越え、目的地を目指し、軌道を走り続ける。
広布の戦いは、師が示した信心の軌道を、誠実一路の軌道を、真っすぐに走ることだ。
その先に、立正安国の大理想の実現はある。
2021年6月29日火曜日
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2021.06.29 わが友に贈る
「湿れる木より
火を出し」御聖訓。
魂を込めた祈りと
不撓不屈の行動で
限界の壁を破ろう!
経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』
【通解】
師子王は前三後一といって、蟻を捕ろうとする時にも、また猛々(たけだけ)しいものを捕ろうとする時も、勢いを出すことは全く同じである。
名字の言 牧口先生がたたえた社会慈善家・瓜生岩子 2021年6月29日
『人生地理学』が出版された1903年。その年頭、牧口先生は「澎湃子」のペンネームで、ある雑誌に寄稿した。福島県出身の社会慈善家・瓜生岩子についての伝記である▼岩子は家族との死別や生活苦に直面しながらも貧困層の救済、子女の教育に尽くした。医療の心得があり、戊辰戦争では戦場となった城下で、敵味方の区別なく負傷者の手当てに奔走。相手の隊長に見つかり、誰の許しを得ているのだと詰め寄られても、「怪我人の手当てに何の許可がいりましょうか」と、毅然と答えたという(『炎は消えず』文芸社)。その後も各地で災害や戦争が起こると、現地に駆け付け救援の手を打った▼牧口先生は先の寄稿で「女史の如きは、明治の吾等には、最も新しい亀鑑」とたたえた。苦闘の渦中にいる人を放っておかない。そのために今、何をなすべきか。岩子の"無私の心根"に新時代の規範を見たのだろう▼『人生地理学』では「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」という人道的競争、すなわち「自他共の幸福」を目指す生き方が提唱されている▼最も大変な地域、大変な友のところへ飛び込み、勇んで希望の活路を切り開く。自他共に益する行動を貫く中に、最も崇高な人生の輝きがある。
寸鉄 2021年6月29日
百回語れば百倍の功徳となって返ってくる—恩師声仏事の聖業を今日も!
調布・狛江が猛追。民衆の大連帯こそ最強の力!栄光の頂へ皆で一直線に
目黒に対話拡大の大旋風全国の声援で勇気百倍!未来まで光る逆転劇必ず
高齢者の単身世帯が増加と。地域の絆の価値益々。社会の共助をさらに強く
宅配業者装う詐欺多し。再配達と偽るメールなど送付。警戒し絶対に無視
☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 「7・3」貫く地涌の闘魂 2021年6月21日
6月23日は沖縄の「慰霊の日」である。
愛する沖縄の天地で、私は平和を誓願し、小説『人間革命』を書き起こした。
"一人の偉大な人間革命は、全人類の宿命の転換をも可能にする"との主題を掲げた民衆運動の叙事詩は、1945年7月3日、恩師・戸田先生の出獄から始まる。
殉教の先師・牧口先生の不二の分身として、戸田先生は東京の焼け野原に一人立たれた。その胸奥には、法難の獄中で悟達された「われ地涌の菩薩なり」との大自覚が烈々と燃え盛っていた。
ここに、創価の広宣流布、立正安国の大行進の原点がある。この恩師の一念を思い起こせば、我らの命に何ものも恐れない地涌の闘魂が湧き上がってくるのだ。
◇ ◆ ◇
この秋に発刊される『日蓮大聖人御書全集 新版』には、妙一尼へ宛てられたと推察される御返事が新たに収められる。
妙一尼は「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御金言を賜った女性である。
新収録の御文は、佐渡流罪の大難にも一歩も退かず真心の限りを尽くす妙一尼の信心を、釈尊の修行になぞらえて讃えておられる。
「これは末代の凡女、彼(釈尊)は上代の聖人なり。志既に彼に超過せり。来果何ぞ斉等ならざらんや、斉等ならざらんや」
釈尊をも超える信心の志を貫く女性が、仏と等しい大果報に包まれぬわけがない——この御本仏のお約束は、そのまま地涌の生命を躍動させて広布に走る、創価の女性部・女子部への御賞讃と拝されてならない。
草創の共戦の母たちが常に心に刻んでいた「幸福勝利の哲学」がある。
第一に、一人の友の幸せを願い切り、大切にする心。
第二に、目標を最後まで喜び勇んで、やり通す執念。
第三に、苦難に挑む友を守り支える異体同心の団結。
今も赫々と輝き光る太陽の心である。だからこそ、学会家族は負けない。「冬は必ず春」の凱歌を飾るのだ。
◇ ◆ ◇
恩師の出獄から12年後の7月3日、私は権力による冤罪で入獄した。
この直前の6月30日に、民衆厳護の使命を誓って誕生したのが学生部である。
御聖訓には、「今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(同917ページ)と仰せである。
真の地涌の闘士は、悪戦苦闘を越えてこそ育つ。
大闘争の中でこそ、師子王の心が継承されるのだ。
男子部・女子部の結成70周年の7月を迎える。
試練の逆境をはね返して、わが後継の若人たちが偉大なる人間革命の逆転劇を創りゆく英姿を、私は祈り見つめている。
共に勝ち進もう!
「地涌の闘魂」を燃え上がらせて!
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る 2021年6月13日
◇御文
『汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る』(立正安国論、31ページ)
◇通解
あなたは芳しい蘭室の友に交わって感化を受け、蓬のように曲がっていた邪信が麻畑の中で正されたように、真っすぐに正法を求めることができた。
◇教えて
対話することで、互いに成長でき、絆も強まると感じます。
◇池田先生の指導
いかなる境遇であれ、人々のため、社会のために尽くしながら、朗らかに、確信に満ちて力強く生きる姿は、相手の心を揺り動かさずにはおきません。
私たち一人一人は、妙法を持って広宣流布、立正安国の大願に生き抜く時、知らず知らずのうちに、尊貴な「蘭」の如き生命と薫っていきます。私たちの対話は、慈悲の祈りから始まります。妙法とともに生きる私たちが、一人また一人と対話を重ねて縁を結んでいけば、その人々もまた自身の内発の可能性を開いていくことができるのです。(『人間革命の宗教』)
◇ ◆ ◇
同じ時代を生きる仲間として現実社会の課題を率直に見つめ、相手の意見に誠実に耳を傾ける。反発にも笑顔で懐深く受け止めつつ、相手の仏性へ信頼を込めて、聡明に信念を語り切っていくのである。
この語らいから生まれる「蘭室の交わり」こそ、地域にも、世界にも、安穏と平和を創り開く力なのだ。(2019・3・5付、「池田先生と共に 新時代を築く」)
火を出し」御聖訓。
魂を込めた祈りと
不撓不屈の行動で
限界の壁を破ろう!
経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』
【通解】
師子王は前三後一といって、蟻を捕ろうとする時にも、また猛々(たけだけ)しいものを捕ろうとする時も、勢いを出すことは全く同じである。
名字の言 牧口先生がたたえた社会慈善家・瓜生岩子 2021年6月29日
『人生地理学』が出版された1903年。その年頭、牧口先生は「澎湃子」のペンネームで、ある雑誌に寄稿した。福島県出身の社会慈善家・瓜生岩子についての伝記である▼岩子は家族との死別や生活苦に直面しながらも貧困層の救済、子女の教育に尽くした。医療の心得があり、戊辰戦争では戦場となった城下で、敵味方の区別なく負傷者の手当てに奔走。相手の隊長に見つかり、誰の許しを得ているのだと詰め寄られても、「怪我人の手当てに何の許可がいりましょうか」と、毅然と答えたという(『炎は消えず』文芸社)。その後も各地で災害や戦争が起こると、現地に駆け付け救援の手を打った▼牧口先生は先の寄稿で「女史の如きは、明治の吾等には、最も新しい亀鑑」とたたえた。苦闘の渦中にいる人を放っておかない。そのために今、何をなすべきか。岩子の"無私の心根"に新時代の規範を見たのだろう▼『人生地理学』では「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」という人道的競争、すなわち「自他共の幸福」を目指す生き方が提唱されている▼最も大変な地域、大変な友のところへ飛び込み、勇んで希望の活路を切り開く。自他共に益する行動を貫く中に、最も崇高な人生の輝きがある。
寸鉄 2021年6月29日
百回語れば百倍の功徳となって返ってくる—恩師声仏事の聖業を今日も!
調布・狛江が猛追。民衆の大連帯こそ最強の力!栄光の頂へ皆で一直線に
目黒に対話拡大の大旋風全国の声援で勇気百倍!未来まで光る逆転劇必ず
高齢者の単身世帯が増加と。地域の絆の価値益々。社会の共助をさらに強く
宅配業者装う詐欺多し。再配達と偽るメールなど送付。警戒し絶対に無視
☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 「7・3」貫く地涌の闘魂 2021年6月21日
6月23日は沖縄の「慰霊の日」である。
愛する沖縄の天地で、私は平和を誓願し、小説『人間革命』を書き起こした。
"一人の偉大な人間革命は、全人類の宿命の転換をも可能にする"との主題を掲げた民衆運動の叙事詩は、1945年7月3日、恩師・戸田先生の出獄から始まる。
殉教の先師・牧口先生の不二の分身として、戸田先生は東京の焼け野原に一人立たれた。その胸奥には、法難の獄中で悟達された「われ地涌の菩薩なり」との大自覚が烈々と燃え盛っていた。
ここに、創価の広宣流布、立正安国の大行進の原点がある。この恩師の一念を思い起こせば、我らの命に何ものも恐れない地涌の闘魂が湧き上がってくるのだ。
◇ ◆ ◇
この秋に発刊される『日蓮大聖人御書全集 新版』には、妙一尼へ宛てられたと推察される御返事が新たに収められる。
妙一尼は「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御金言を賜った女性である。
新収録の御文は、佐渡流罪の大難にも一歩も退かず真心の限りを尽くす妙一尼の信心を、釈尊の修行になぞらえて讃えておられる。
「これは末代の凡女、彼(釈尊)は上代の聖人なり。志既に彼に超過せり。来果何ぞ斉等ならざらんや、斉等ならざらんや」
釈尊をも超える信心の志を貫く女性が、仏と等しい大果報に包まれぬわけがない——この御本仏のお約束は、そのまま地涌の生命を躍動させて広布に走る、創価の女性部・女子部への御賞讃と拝されてならない。
草創の共戦の母たちが常に心に刻んでいた「幸福勝利の哲学」がある。
第一に、一人の友の幸せを願い切り、大切にする心。
第二に、目標を最後まで喜び勇んで、やり通す執念。
第三に、苦難に挑む友を守り支える異体同心の団結。
今も赫々と輝き光る太陽の心である。だからこそ、学会家族は負けない。「冬は必ず春」の凱歌を飾るのだ。
◇ ◆ ◇
恩師の出獄から12年後の7月3日、私は権力による冤罪で入獄した。
この直前の6月30日に、民衆厳護の使命を誓って誕生したのが学生部である。
御聖訓には、「今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(同917ページ)と仰せである。
真の地涌の闘士は、悪戦苦闘を越えてこそ育つ。
大闘争の中でこそ、師子王の心が継承されるのだ。
男子部・女子部の結成70周年の7月を迎える。
試練の逆境をはね返して、わが後継の若人たちが偉大なる人間革命の逆転劇を創りゆく英姿を、私は祈り見つめている。
共に勝ち進もう!
「地涌の闘魂」を燃え上がらせて!
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る 2021年6月13日
◇御文
『汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る』(立正安国論、31ページ)
◇通解
あなたは芳しい蘭室の友に交わって感化を受け、蓬のように曲がっていた邪信が麻畑の中で正されたように、真っすぐに正法を求めることができた。
◇教えて
対話することで、互いに成長でき、絆も強まると感じます。
◇池田先生の指導
いかなる境遇であれ、人々のため、社会のために尽くしながら、朗らかに、確信に満ちて力強く生きる姿は、相手の心を揺り動かさずにはおきません。
私たち一人一人は、妙法を持って広宣流布、立正安国の大願に生き抜く時、知らず知らずのうちに、尊貴な「蘭」の如き生命と薫っていきます。私たちの対話は、慈悲の祈りから始まります。妙法とともに生きる私たちが、一人また一人と対話を重ねて縁を結んでいけば、その人々もまた自身の内発の可能性を開いていくことができるのです。(『人間革命の宗教』)
◇ ◆ ◇
同じ時代を生きる仲間として現実社会の課題を率直に見つめ、相手の意見に誠実に耳を傾ける。反発にも笑顔で懐深く受け止めつつ、相手の仏性へ信頼を込めて、聡明に信念を語り切っていくのである。
この語らいから生まれる「蘭室の交わり」こそ、地域にも、世界にも、安穏と平和を創り開く力なのだ。(2019・3・5付、「池田先生と共に 新時代を築く」)
2021年6月28日月曜日
2021.06.28 わが友に贈る
◇今週のことば
「始より終りまで
弥信心をいたすべし」
正義は強気で征け!
攻め切った方が勝つ。
民衆の団結の勝ち鬨を!
2021年6月28日
乙御前母御書 P1222
『これはいかなるゆへぞとたづぬればせんしやうに千里ありしところをかよいて仏法を聴聞せしゆへなり』
【通解】
これは、いかなるゆえんかとたずねると、過去世に千里もあるところを通って、仏法を聴聞したゆえなのである。
名字の言 「臆病にては叶うべからず」 2021年6月28日
孔子の弟子に、政治の才能に優れながら、性格が消極的な冉求という人物がいた▼「先生のお説きになる道に心をひかれないのではありません」——ある日、冉求は孔子に訴えた。「ただ、何分にも私の力が足りませんので……」。すると孔子は「力が足りないかどうかは、根かぎり努力してみたうえでなければ、わかるものではない」と弟子を叱咤した(下村湖人訳『現代訳 論語』PHP研究所)▼どんなに高い能力を持っていても、行動しなければ、何も始まらない。弟子が"自分には無理だ"と挑戦もせずに諦めてしまえば、どんなに素晴らしい師匠の教えも"絵に描いた餅"に終わってしまう▼「有能の士はどんな足枷をはめられていようとも飛躍する」(大塚幸男訳)とは、本年で没後200年となるナポレオンの言。現実がいかに過酷でも知恵と勇気を振り絞り、なすべきことを積み重ねる。それでこそ本当の力が発揮され、人は大きく飛翔することができる▼何事も「臆病にては叶うべからず」(御書1193ページ)である。環境や状況がどうあれ、むしろ厳しければ厳しいほど、"負けてたまるか!"と闘争心を燃え上がらせるのが学会精神だ。胸中の臆病を打ち破り、一日また一日、勝利の自分史を。
寸鉄 2021年6月28日
学会は不撓不屈の庶民の団体—博士。さあ今こそ。我らの負けじ魂の見せ所
豊島が重大局面。全国で心一つに猛反撃を開始!あっと言わせる逆転劇を
中野の勝利で東京凱歌は決まる。一丸で最大級の押し上げを!全力で拡大
スピードが勝敗を決する—戸田先生。戦う息吹を素早く組織へ。連携密に
1時間ごとにコップ1杯の水分補給—これ熱中症を防ぐ基本と。油断せず
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 介護に携わって 2021年6月15日
テーマ:介護に携わって
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「介護に携わって」をテーマに、兵庫県の婦人に話を聞いた。
◇御文
『深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(一生成仏抄、384ページ)
◇通解
深く信心を起こし、日夜朝暮に怠らず、わが心を磨くべきである。どのように磨くべきか。ただ南無妙法蓮華経と唱えることが磨くことになる。
◇負けないことが幸せ
2人の母がくれた"宝物"
厚生労働省によると、「介護保険制度」が始まった2000年以降、要介護(要支援)認定者は年々増加しており、ピークを迎える2040年には、およそ1000万人になると予想されている。高齢化が進む日本。支える側として、受ける側として、「介護」に関わる人は今後、増えるだろう。
谷幹子さん=西兵庫勇舞県総合女性部長=は、かつて実母と義母の介護を経験した。
◇
結婚を機に兵庫県赤穂市へ移り住み、夫・國雄さん(72)=同県、副本部長=の母と姉との同居が始まった。2人の子宝にも恵まれ、家族皆で広布の活動に励んでいた28歳の時だった。
「私の母が持病の高血圧を悪化させ、壊死した左足の指先を切断することになったんです」
谷さんの住居近くの病院で入院生活となったが、病状が進行したため大腿部から切断することになり、ほぼ寝たきり状態に。「父はすでに亡くなっていたので、食事や着替え、下の世話などを、私が全部やることになって」。まだ介護保険制度が始まる前のことだ。
当時、2人の息子は小学生と幼稚園児で子育て真っ最中。心の病と闘っていた義姉と向き合いながら、家事と育児をこなし、昼夜に病院へ走って母親の世話。病室で夜を明かし、早朝に帰宅する毎日。家族の支えはあったが、「母が亡くなるまでの4年間、その生活が続きました」と谷さん。
思うに任せぬ状況に、時には病室で母親に声を荒らげたこともあったという。
「"なんで分かってくれへんの?""なんで私だけ、こんな思いせなあかんの?"って、いら立ってしまって。そんな自分を、また反省する。その繰り返し」
いつ寝たのかも分からないような日々。その中、谷さんが握り締めてきたのが「信心」の二文字だった。
「ずっと題目をあげていました。御書に『深く信心を発して』『懈らず磨くべし』(384ページ)とある通り、強く信心を起こして、弛まず祈り抜くこと。それを怠った瞬間に、現実の激流に押し流されてしまうわけやから」
多忙の合間に学会活動にも挑み続けた。同志の温かな励ましに、何度も心が救われた。やがて母親は、69歳で霊山へ旅立った。
「慣れない介護に無力さも感じました。だけどある時、母がふと『いつも祈ってくれてありがとう』って言ってくれて。心は伝わってたんやと、胸が詰まりました」
その10年後、谷さんが42歳の時、今度は元気だった義母に、認知症の症状が現れ始めた。やがて、家族のことも分からなくなった義母は、病院と施設を行き来する生活に。身の回りの世話は谷さんが担った。
「毎日、分刻みでした。義母の世話に家事もろもろ。時間をこじ開け学会活動。ようやりましたわ」
義母が一時帰宅し、在宅にて介護していたある日。谷さんが外出から戻ると、家じゅうに排せつ物が散っていた。
「気丈だった義母のそんな姿を見るのが、つらくって。大変な時は、いつも優しくしてくれた義母への恩返しだと、自分に言い聞かせましたね」
母親の介護経験があったので、多少のことでは動じなかった。谷さんは「泣き言なんて言う暇なかった」と明るく笑う。
義母は90歳で永眠したが、最期まで覚えてくれていたのは谷さんの名前。「みっこさん、みっこさん」とうれしそうに呼んでくれたあの表情は、忘れられない。
「現実は"きれいごと"ばかりやないです。題目を唱え抜き、苦悩にまみれた自分の命を磨き続ける連続。そうやって一つ一つ乗り越えてきました。その経験があるから、今、同じことで悩む人に『お題目やで』という励ましの言葉を確信もって言える。介護という経験を通し、御本尊様の偉大さに気付くという最高の"宝物"をくれた2人の母には、感謝の思いでいっぱいです」
谷さんの原点は、かつて兵庫・姫路を訪れた池田先生の前で、合唱団の一員として「母の曲」を歌ったこと。"あの時"を思えば、今でも胸が熱くなる。
母親の介護を機に、師の指導を書き留めてきたノートは三十余年で62冊。
「戦ってきた証しやね。苦しい時はご指導を読んで、御本尊様に向かうんです。"こんなところで負けたらあかんのや"って」
日蓮大聖人は「決して、不信を抱いてはならない」(御書384ページ、通解)としたため、「一生成仏抄」を結んだ。成仏の要諦は何があっても信心を疑わないことだと。
実母の介護。病の義姉に認知症の義母。さらに、夫の3度にわたるがん。容赦なく襲いかかる宿命の嵐——。それでも谷さんが前に進んでくることができたのは、どんな時も師匠を信じ、師匠が築いた学会から離れなかったからだ。
池田先生は語っている。
「苦悩が何もないことが幸せなのではない。
負けないこと、耐えられることが、幸せである。
重圧を受け『あの人は大変だ』と周りから言われても、平然と、また悠然と、使命のわが道を歩み抜くことだ。そこにこそ『能忍』(能く忍ぶ)という、強い強い仏の生命の力がわいてくるのだ。
一番、苦労した人が、最後は一番、幸福を勝ち取れる。幸福は、忍耐という大地に咲く花であることを忘れまい」(池田先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
「介護」は決して楽なことではない。しかし谷さんは"恩返しのチャンス"と心に決めて、2人の母親に向き合った。貫いたのは、感謝の思いだった。
「この経験が、私を強くしてくれたんやと思います。全てが"心の財産"になっています。人生に無駄なことは何一つない。信心さえあれば絶対に乗り越えられる。そう確信するからこそ、私は何も恐れません」
[教学コンパス]
2020年版厚生労働白書。65歳以上の高齢者を対象とした調査で「日頃のちょっとした手助け」を頼れる人がいないとした世帯は、1990年で44万世帯だったのが2015年は160万世帯に。2040年には230万世帯になると予測される。
従来の地縁・血縁が希薄化する現代にあって注目されているのが、国家と個人の間にある「中間団体」の存在。社会起業家の駒崎弘樹氏は、「全国各地で地域に根差したコミュニティーを持つ創価学会は日本最大の中間団体」と評し、「苦しむ人に積極的に寄り添う"おせっかい力"が、今ほど求められている時はない」と語る(本紙2017年4月1日付)。
日蓮大聖人は「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と仰せになった。「誰か」のために行動することで、「自分自身」の人間性も輝きを増す。自他共の幸福という、自分も周囲も大切にする最高の生き方を、日々、黙々と実践する学会員の姿こそ、次代を照らす希望の光源だ。
「始より終りまで
弥信心をいたすべし」
正義は強気で征け!
攻め切った方が勝つ。
民衆の団結の勝ち鬨を!
2021年6月28日
乙御前母御書 P1222
『これはいかなるゆへぞとたづぬればせんしやうに千里ありしところをかよいて仏法を聴聞せしゆへなり』
【通解】
これは、いかなるゆえんかとたずねると、過去世に千里もあるところを通って、仏法を聴聞したゆえなのである。
名字の言 「臆病にては叶うべからず」 2021年6月28日
孔子の弟子に、政治の才能に優れながら、性格が消極的な冉求という人物がいた▼「先生のお説きになる道に心をひかれないのではありません」——ある日、冉求は孔子に訴えた。「ただ、何分にも私の力が足りませんので……」。すると孔子は「力が足りないかどうかは、根かぎり努力してみたうえでなければ、わかるものではない」と弟子を叱咤した(下村湖人訳『現代訳 論語』PHP研究所)▼どんなに高い能力を持っていても、行動しなければ、何も始まらない。弟子が"自分には無理だ"と挑戦もせずに諦めてしまえば、どんなに素晴らしい師匠の教えも"絵に描いた餅"に終わってしまう▼「有能の士はどんな足枷をはめられていようとも飛躍する」(大塚幸男訳)とは、本年で没後200年となるナポレオンの言。現実がいかに過酷でも知恵と勇気を振り絞り、なすべきことを積み重ねる。それでこそ本当の力が発揮され、人は大きく飛翔することができる▼何事も「臆病にては叶うべからず」(御書1193ページ)である。環境や状況がどうあれ、むしろ厳しければ厳しいほど、"負けてたまるか!"と闘争心を燃え上がらせるのが学会精神だ。胸中の臆病を打ち破り、一日また一日、勝利の自分史を。
寸鉄 2021年6月28日
学会は不撓不屈の庶民の団体—博士。さあ今こそ。我らの負けじ魂の見せ所
豊島が重大局面。全国で心一つに猛反撃を開始!あっと言わせる逆転劇を
中野の勝利で東京凱歌は決まる。一丸で最大級の押し上げを!全力で拡大
スピードが勝敗を決する—戸田先生。戦う息吹を素早く組織へ。連携密に
1時間ごとにコップ1杯の水分補給—これ熱中症を防ぐ基本と。油断せず
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 介護に携わって 2021年6月15日
テーマ:介護に携わって
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「介護に携わって」をテーマに、兵庫県の婦人に話を聞いた。
◇御文
『深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(一生成仏抄、384ページ)
◇通解
深く信心を起こし、日夜朝暮に怠らず、わが心を磨くべきである。どのように磨くべきか。ただ南無妙法蓮華経と唱えることが磨くことになる。
◇負けないことが幸せ
2人の母がくれた"宝物"
厚生労働省によると、「介護保険制度」が始まった2000年以降、要介護(要支援)認定者は年々増加しており、ピークを迎える2040年には、およそ1000万人になると予想されている。高齢化が進む日本。支える側として、受ける側として、「介護」に関わる人は今後、増えるだろう。
谷幹子さん=西兵庫勇舞県総合女性部長=は、かつて実母と義母の介護を経験した。
◇
結婚を機に兵庫県赤穂市へ移り住み、夫・國雄さん(72)=同県、副本部長=の母と姉との同居が始まった。2人の子宝にも恵まれ、家族皆で広布の活動に励んでいた28歳の時だった。
「私の母が持病の高血圧を悪化させ、壊死した左足の指先を切断することになったんです」
谷さんの住居近くの病院で入院生活となったが、病状が進行したため大腿部から切断することになり、ほぼ寝たきり状態に。「父はすでに亡くなっていたので、食事や着替え、下の世話などを、私が全部やることになって」。まだ介護保険制度が始まる前のことだ。
当時、2人の息子は小学生と幼稚園児で子育て真っ最中。心の病と闘っていた義姉と向き合いながら、家事と育児をこなし、昼夜に病院へ走って母親の世話。病室で夜を明かし、早朝に帰宅する毎日。家族の支えはあったが、「母が亡くなるまでの4年間、その生活が続きました」と谷さん。
思うに任せぬ状況に、時には病室で母親に声を荒らげたこともあったという。
「"なんで分かってくれへんの?""なんで私だけ、こんな思いせなあかんの?"って、いら立ってしまって。そんな自分を、また反省する。その繰り返し」
いつ寝たのかも分からないような日々。その中、谷さんが握り締めてきたのが「信心」の二文字だった。
「ずっと題目をあげていました。御書に『深く信心を発して』『懈らず磨くべし』(384ページ)とある通り、強く信心を起こして、弛まず祈り抜くこと。それを怠った瞬間に、現実の激流に押し流されてしまうわけやから」
多忙の合間に学会活動にも挑み続けた。同志の温かな励ましに、何度も心が救われた。やがて母親は、69歳で霊山へ旅立った。
「慣れない介護に無力さも感じました。だけどある時、母がふと『いつも祈ってくれてありがとう』って言ってくれて。心は伝わってたんやと、胸が詰まりました」
その10年後、谷さんが42歳の時、今度は元気だった義母に、認知症の症状が現れ始めた。やがて、家族のことも分からなくなった義母は、病院と施設を行き来する生活に。身の回りの世話は谷さんが担った。
「毎日、分刻みでした。義母の世話に家事もろもろ。時間をこじ開け学会活動。ようやりましたわ」
義母が一時帰宅し、在宅にて介護していたある日。谷さんが外出から戻ると、家じゅうに排せつ物が散っていた。
「気丈だった義母のそんな姿を見るのが、つらくって。大変な時は、いつも優しくしてくれた義母への恩返しだと、自分に言い聞かせましたね」
母親の介護経験があったので、多少のことでは動じなかった。谷さんは「泣き言なんて言う暇なかった」と明るく笑う。
義母は90歳で永眠したが、最期まで覚えてくれていたのは谷さんの名前。「みっこさん、みっこさん」とうれしそうに呼んでくれたあの表情は、忘れられない。
「現実は"きれいごと"ばかりやないです。題目を唱え抜き、苦悩にまみれた自分の命を磨き続ける連続。そうやって一つ一つ乗り越えてきました。その経験があるから、今、同じことで悩む人に『お題目やで』という励ましの言葉を確信もって言える。介護という経験を通し、御本尊様の偉大さに気付くという最高の"宝物"をくれた2人の母には、感謝の思いでいっぱいです」
谷さんの原点は、かつて兵庫・姫路を訪れた池田先生の前で、合唱団の一員として「母の曲」を歌ったこと。"あの時"を思えば、今でも胸が熱くなる。
母親の介護を機に、師の指導を書き留めてきたノートは三十余年で62冊。
「戦ってきた証しやね。苦しい時はご指導を読んで、御本尊様に向かうんです。"こんなところで負けたらあかんのや"って」
日蓮大聖人は「決して、不信を抱いてはならない」(御書384ページ、通解)としたため、「一生成仏抄」を結んだ。成仏の要諦は何があっても信心を疑わないことだと。
実母の介護。病の義姉に認知症の義母。さらに、夫の3度にわたるがん。容赦なく襲いかかる宿命の嵐——。それでも谷さんが前に進んでくることができたのは、どんな時も師匠を信じ、師匠が築いた学会から離れなかったからだ。
池田先生は語っている。
「苦悩が何もないことが幸せなのではない。
負けないこと、耐えられることが、幸せである。
重圧を受け『あの人は大変だ』と周りから言われても、平然と、また悠然と、使命のわが道を歩み抜くことだ。そこにこそ『能忍』(能く忍ぶ)という、強い強い仏の生命の力がわいてくるのだ。
一番、苦労した人が、最後は一番、幸福を勝ち取れる。幸福は、忍耐という大地に咲く花であることを忘れまい」(池田先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
「介護」は決して楽なことではない。しかし谷さんは"恩返しのチャンス"と心に決めて、2人の母親に向き合った。貫いたのは、感謝の思いだった。
「この経験が、私を強くしてくれたんやと思います。全てが"心の財産"になっています。人生に無駄なことは何一つない。信心さえあれば絶対に乗り越えられる。そう確信するからこそ、私は何も恐れません」
[教学コンパス]
2020年版厚生労働白書。65歳以上の高齢者を対象とした調査で「日頃のちょっとした手助け」を頼れる人がいないとした世帯は、1990年で44万世帯だったのが2015年は160万世帯に。2040年には230万世帯になると予測される。
従来の地縁・血縁が希薄化する現代にあって注目されているのが、国家と個人の間にある「中間団体」の存在。社会起業家の駒崎弘樹氏は、「全国各地で地域に根差したコミュニティーを持つ創価学会は日本最大の中間団体」と評し、「苦しむ人に積極的に寄り添う"おせっかい力"が、今ほど求められている時はない」と語る(本紙2017年4月1日付)。
日蓮大聖人は「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と仰せになった。「誰か」のために行動することで、「自分自身」の人間性も輝きを増す。自他共の幸福という、自分も周囲も大切にする最高の生き方を、日々、黙々と実践する学会員の姿こそ、次代を照らす希望の光源だ。
2021年6月27日日曜日
2021.06.27 わが友に贈る
友情は最高の宝だ。
大きく広げた分だけ
人生も心も豊かになる。
会おう! 語ろう!
自他共の幸福のために!
聖愚問答抄上 P491
『知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす』
【通解】
(聖人は)恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一とする。世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫と名づけ、知らない者を畜生というのである。
名字の言 真剣勝負の主戦場は"今""ここ"にある 2021年6月27日
イソップ寓話の「法螺吹」から。古代ギリシャに成績の振るわない五種競技選手がいた。その彼が海外遠征から戻り、自慢話を始めた。「ロドス島ではオリンピックの優勝者も及ばない大跳躍をしてきた。島の人々が証人さ」と。すると居合わせた一人が言った。「ここがロドスだ、さあ跳んでみろ」▼「論より証拠」と教訓する寓話だが、こんな感想も抱いた。真剣勝負の主戦場は"いつか""どこか"ではなく、常に"今""ここ"なのだ、と▼思い出す壮年部員がいる。かつて家計の事情で大学を辞め、就職した会社は不況で倒産。不運続きの彼に知人は同情したが、学会の先輩は違った。「仏法は勝負。今の君は自分に負けている」——厳愛の励ましに彼は再起を誓った。先輩も日々、彼と共に唱題と学会活動に挑んだ▼以来、彼は"環境がこうなれば""あの人がこうしてくれれば"といった、周囲のあり方で自分の幸福が左右される考えを一掃し、強き一念で課題を克服していった。今や、起業した会社で目覚ましい実証を示す▼仏法の実践は、現実を離れて存在しない。仏道修行の道場は、現在の自分がいる場所である。"こここそが私の主戦場だ!"と心を定め、信心根本に「今」を勝ち進もう。
寸鉄 2021年6月27日
「五体を地に投げ偏身に汗を流せ」御書。いざ決戦だ!勇み激戦の最前線へ
目黒が大混戦。さあ全国で大逆転への追い風を!勝機つかみ取る拡大を今
調布・狛江よここからだ。日本中で勝利祈り声援!歴史に輝く大金星を皆で
若人は雄々しく戦うのだ—恩師。凱歌が君の使命。正義叫び、突破口を頼む
近所に相談し合える人がいる高齢者、わずか2割。我らは心結ぶ声掛け益々
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第26回 法師功徳品第十九
◇どんな悩みも価値と功徳に変える 大生命力が「法師功徳」
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第26回は、「法師功徳品第十九」です。
■大要
「五種の妙行」(受持・読・誦・解説・書写)を実践する人は、「六根」(眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚・認識器官)が清らかになる功徳を得られると説かれます。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
その時、仏が、常精進菩薩に告げます。
「もし、善男子・善女人(法華経を信じる男女)が、この法華経を受持し、もしくは読み、もしくは誦し(経文を暗唱する)、もしくは解説し(人に法を説く)、もしくは書写するならば、この人は、八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得るであろう。これらの功徳によって、六根を荘厳して、清浄になるであろう」
——このように、「五種の妙行」に励む人に、六根清浄の功徳があることが説かれます。
続けて仏は、一つ一つの功徳の偉大さを示していきます。
●シーン2
「この善男子・善女人は、父母から生まれながら受けた清浄な肉眼で、三千大千世界の内外のあらゆる山や林や河や海を、下は阿鼻地獄から上は有頂天(天界の最高位)まで見ることができるであろう。
また、その中の一切衆生を見て、その業の因縁と果報を、全て見て知ることができるであろう」
●シーン3
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、千二百の耳の功徳を得るであろう」
「その清浄な耳で、三千大千世界の下は阿鼻地獄から上は有頂天までの、内外のあらゆる音声を聞くであろう」
ここでは具体的に、象の声から始まり、車の声、憂い悲しむ声、天の声、竜の声、火の声、地獄の声、仏の声など、ありとあらゆる音声が挙げられていきます。
そして、常精進菩薩に告げます。
「要は、三千大千世界の全てのあらゆる声を、父母から生まれながら受けた、いまだ神通力を得ていない耳で、全てを聞き、知ることができるであろう。
このように、さまざまな音声の本質を聞き分けても、その能力を壊されないであろう」
●シーン4
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、八百の鼻の功徳を成就するであろう」
「その清浄な鼻の働きで、三千大千世界の上下内外のさまざまな香を嗅ぐだろう」
ここでは具体的に、あらゆる香りが挙げられていきます。
続けて「香りを嗅ぐといっても、鼻の働きが壊されたり、間違ったりすることはないであろう。
それらを分別して人のために説こうとするなら、覚えていて誤らないであろう」と。
●シーン5
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励めば、千二百の舌の功徳を得るであろう」
「好みのもの、嫌いなもの、おいしいもの、まずいもの、苦くて渋いものでも、清浄なる舌に置けば、全て良い味となって、天の甘露のように感じ、おいしくないものはないであろう」
「もし、この舌で、大衆の中で演説するならば、深く妙なる声を出して、聞く人の心によく届き、皆を歓喜させ、気持ちよく、楽しくさせるであろう」
その人が法を説く声を聞いて、あらゆる諸天や衆生が、法を聞きに来集し、敬い、供養することが説かれていきます。
そして「その人のいる方面に向かって、諸仏は法を説くので、一切の仏法を受持するであろう。また、よく深く妙なる法を説く声を出すであろう」と。
●シーン6
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励めば、八百の身の功徳を得て、清浄なる身は瑠璃のように、見る衆生を喜ばせるようになるであろう」
さらに、三千大千世界の下は阿鼻地獄から上は有頂天まで、あらゆるものを身に映すと説かれます。
●シーン7
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、千二百の意の功徳を得るであろう」
「この清浄なる意の働きで、経文の一偈、一句を聞いただけで、『無量無辺の義』がわかるようになるであろう」
「その義をよく理解して、その一句、一偈の意義を演説すること、1カ月、4カ月、そして1年に至ろうとして、説くさまざまな法は、その意義に従って、皆、現実の姿と相いれないことはないであろう。
世俗のことについて語っても、全て正法にかなっているであろう。
三千大千世界の六趣(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界)の衆生の心の働きを、全て知ることができるであろう。
いまだ完璧な智慧を得ていなくとも、意の働きは清浄であろう」
「この人がしっかりと考え抜き、説くことは、全て仏法であり、真実でないものはなく、過去の仏の経文に説かれていることであろう」
——このように「法師功徳品」では、全宇宙の森羅万象を正しく捉え、全ての振る舞いが妙法に合致していく、六根清浄の偉大な功徳が示されています。
【『法華経の智慧』から】 前進しきった人が勝つ
慈悲の一念が強ければ、相手が、どういう悩みを持っているのか、どこで行き詰まっているのかも、分かってくる。名医が患者の「急所」を分かるようなものです。これが「六根清浄の功徳」です。
◇
六根清浄とは「全身これ広宣流布の武器たれ」ということです。要領でなく、計算でなく、不惜身命で広布へ働いていく時、限りのない生命力が全身にしみわたってくる。智慧もわく。元気もわく。慈愛もわく。
◇
胸中に「戦う心」が燃えていることが大事です。その「信心」があれば、六根清浄です。どんな悩みがあっても、全部、「価値」に変えていける。「功徳」に変えていける。その大生命力を「法師功徳」というのです。
結論すれば、仏勅の創価学会とともに、広宣流布ひとすじに生きた人は必ず、「これ以上はない」という無上道の軌道に入っていくということです。
前進しきった人が、必ず勝つ。
題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです。(普及版〈上〉「法師功徳品」)
【コラム】 耳根得道
日蓮大聖人は「此の娑婆世界は耳根得道の国(仏法を耳で聞くことによって成仏する国土)である」(御書415ページ、通解)と仰せです。ゆえに声の力で、広宣流布を進めていくことが大事です。
さらに大聖人は、「仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になる」(同552ページ、通解)と教えられています。大切なことは、仏法を力の限り語り、相手の耳に触れさせ、仏縁を結ぶことです。
また、「法師功徳品」には「其の耳は聡利なるが故に 悉く能く分別して知らん」(法華経534ページ)と、生命の境涯を聞き分けられると説かれています。
相手の声なき声に耳をそばだて、俊敏に聞き取っていけるようになれるのも「耳根清浄の功徳」の一つです。
語るといっても、一方通行ではなく、友の心の声に耳を傾け、仏法の素晴らしさを語っていくことが、自他共の成仏の道を開くことになるのです。
大きく広げた分だけ
人生も心も豊かになる。
会おう! 語ろう!
自他共の幸福のために!
聖愚問答抄上 P491
『知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす』
【通解】
(聖人は)恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一とする。世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫と名づけ、知らない者を畜生というのである。
名字の言 真剣勝負の主戦場は"今""ここ"にある 2021年6月27日
イソップ寓話の「法螺吹」から。古代ギリシャに成績の振るわない五種競技選手がいた。その彼が海外遠征から戻り、自慢話を始めた。「ロドス島ではオリンピックの優勝者も及ばない大跳躍をしてきた。島の人々が証人さ」と。すると居合わせた一人が言った。「ここがロドスだ、さあ跳んでみろ」▼「論より証拠」と教訓する寓話だが、こんな感想も抱いた。真剣勝負の主戦場は"いつか""どこか"ではなく、常に"今""ここ"なのだ、と▼思い出す壮年部員がいる。かつて家計の事情で大学を辞め、就職した会社は不況で倒産。不運続きの彼に知人は同情したが、学会の先輩は違った。「仏法は勝負。今の君は自分に負けている」——厳愛の励ましに彼は再起を誓った。先輩も日々、彼と共に唱題と学会活動に挑んだ▼以来、彼は"環境がこうなれば""あの人がこうしてくれれば"といった、周囲のあり方で自分の幸福が左右される考えを一掃し、強き一念で課題を克服していった。今や、起業した会社で目覚ましい実証を示す▼仏法の実践は、現実を離れて存在しない。仏道修行の道場は、現在の自分がいる場所である。"こここそが私の主戦場だ!"と心を定め、信心根本に「今」を勝ち進もう。
寸鉄 2021年6月27日
「五体を地に投げ偏身に汗を流せ」御書。いざ決戦だ!勇み激戦の最前線へ
目黒が大混戦。さあ全国で大逆転への追い風を!勝機つかみ取る拡大を今
調布・狛江よここからだ。日本中で勝利祈り声援!歴史に輝く大金星を皆で
若人は雄々しく戦うのだ—恩師。凱歌が君の使命。正義叫び、突破口を頼む
近所に相談し合える人がいる高齢者、わずか2割。我らは心結ぶ声掛け益々
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第26回 法師功徳品第十九
◇どんな悩みも価値と功徳に変える 大生命力が「法師功徳」
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第26回は、「法師功徳品第十九」です。
■大要
「五種の妙行」(受持・読・誦・解説・書写)を実践する人は、「六根」(眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚・認識器官)が清らかになる功徳を得られると説かれます。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
その時、仏が、常精進菩薩に告げます。
「もし、善男子・善女人(法華経を信じる男女)が、この法華経を受持し、もしくは読み、もしくは誦し(経文を暗唱する)、もしくは解説し(人に法を説く)、もしくは書写するならば、この人は、八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得るであろう。これらの功徳によって、六根を荘厳して、清浄になるであろう」
——このように、「五種の妙行」に励む人に、六根清浄の功徳があることが説かれます。
続けて仏は、一つ一つの功徳の偉大さを示していきます。
●シーン2
「この善男子・善女人は、父母から生まれながら受けた清浄な肉眼で、三千大千世界の内外のあらゆる山や林や河や海を、下は阿鼻地獄から上は有頂天(天界の最高位)まで見ることができるであろう。
また、その中の一切衆生を見て、その業の因縁と果報を、全て見て知ることができるであろう」
●シーン3
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、千二百の耳の功徳を得るであろう」
「その清浄な耳で、三千大千世界の下は阿鼻地獄から上は有頂天までの、内外のあらゆる音声を聞くであろう」
ここでは具体的に、象の声から始まり、車の声、憂い悲しむ声、天の声、竜の声、火の声、地獄の声、仏の声など、ありとあらゆる音声が挙げられていきます。
そして、常精進菩薩に告げます。
「要は、三千大千世界の全てのあらゆる声を、父母から生まれながら受けた、いまだ神通力を得ていない耳で、全てを聞き、知ることができるであろう。
このように、さまざまな音声の本質を聞き分けても、その能力を壊されないであろう」
●シーン4
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、八百の鼻の功徳を成就するであろう」
「その清浄な鼻の働きで、三千大千世界の上下内外のさまざまな香を嗅ぐだろう」
ここでは具体的に、あらゆる香りが挙げられていきます。
続けて「香りを嗅ぐといっても、鼻の働きが壊されたり、間違ったりすることはないであろう。
それらを分別して人のために説こうとするなら、覚えていて誤らないであろう」と。
●シーン5
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励めば、千二百の舌の功徳を得るであろう」
「好みのもの、嫌いなもの、おいしいもの、まずいもの、苦くて渋いものでも、清浄なる舌に置けば、全て良い味となって、天の甘露のように感じ、おいしくないものはないであろう」
「もし、この舌で、大衆の中で演説するならば、深く妙なる声を出して、聞く人の心によく届き、皆を歓喜させ、気持ちよく、楽しくさせるであろう」
その人が法を説く声を聞いて、あらゆる諸天や衆生が、法を聞きに来集し、敬い、供養することが説かれていきます。
そして「その人のいる方面に向かって、諸仏は法を説くので、一切の仏法を受持するであろう。また、よく深く妙なる法を説く声を出すであろう」と。
●シーン6
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励めば、八百の身の功徳を得て、清浄なる身は瑠璃のように、見る衆生を喜ばせるようになるであろう」
さらに、三千大千世界の下は阿鼻地獄から上は有頂天まで、あらゆるものを身に映すと説かれます。
●シーン7
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、千二百の意の功徳を得るであろう」
「この清浄なる意の働きで、経文の一偈、一句を聞いただけで、『無量無辺の義』がわかるようになるであろう」
「その義をよく理解して、その一句、一偈の意義を演説すること、1カ月、4カ月、そして1年に至ろうとして、説くさまざまな法は、その意義に従って、皆、現実の姿と相いれないことはないであろう。
世俗のことについて語っても、全て正法にかなっているであろう。
三千大千世界の六趣(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界)の衆生の心の働きを、全て知ることができるであろう。
いまだ完璧な智慧を得ていなくとも、意の働きは清浄であろう」
「この人がしっかりと考え抜き、説くことは、全て仏法であり、真実でないものはなく、過去の仏の経文に説かれていることであろう」
——このように「法師功徳品」では、全宇宙の森羅万象を正しく捉え、全ての振る舞いが妙法に合致していく、六根清浄の偉大な功徳が示されています。
【『法華経の智慧』から】 前進しきった人が勝つ
慈悲の一念が強ければ、相手が、どういう悩みを持っているのか、どこで行き詰まっているのかも、分かってくる。名医が患者の「急所」を分かるようなものです。これが「六根清浄の功徳」です。
◇
六根清浄とは「全身これ広宣流布の武器たれ」ということです。要領でなく、計算でなく、不惜身命で広布へ働いていく時、限りのない生命力が全身にしみわたってくる。智慧もわく。元気もわく。慈愛もわく。
◇
胸中に「戦う心」が燃えていることが大事です。その「信心」があれば、六根清浄です。どんな悩みがあっても、全部、「価値」に変えていける。「功徳」に変えていける。その大生命力を「法師功徳」というのです。
結論すれば、仏勅の創価学会とともに、広宣流布ひとすじに生きた人は必ず、「これ以上はない」という無上道の軌道に入っていくということです。
前進しきった人が、必ず勝つ。
題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです。(普及版〈上〉「法師功徳品」)
【コラム】 耳根得道
日蓮大聖人は「此の娑婆世界は耳根得道の国(仏法を耳で聞くことによって成仏する国土)である」(御書415ページ、通解)と仰せです。ゆえに声の力で、広宣流布を進めていくことが大事です。
さらに大聖人は、「仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になる」(同552ページ、通解)と教えられています。大切なことは、仏法を力の限り語り、相手の耳に触れさせ、仏縁を結ぶことです。
また、「法師功徳品」には「其の耳は聡利なるが故に 悉く能く分別して知らん」(法華経534ページ)と、生命の境涯を聞き分けられると説かれています。
相手の声なき声に耳をそばだて、俊敏に聞き取っていけるようになれるのも「耳根清浄の功徳」の一つです。
語るといっても、一方通行ではなく、友の心の声に耳を傾け、仏法の素晴らしさを語っていくことが、自他共の成仏の道を開くことになるのです。
2021年6月26日土曜日
2021.06.26 わが友に贈る
勝負は「勢い」で決まる。
「かしこへ・おしかけ・
ここへ・おしよせ」
「誠実」と「執念」の対話で
新たな広布の開拓を!
法蓮抄 P1044
『十号と申すは仏の十の御名なり十号を供養せんよりも末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり』
【通解】
十号というのは、仏の十の御名である。十号の仏を供養するよりも、末代の法華経の行者を供養する功徳は勝れると書かれたのである。
名字の言 過酷な条件がダイヤモンドを生み出す 2021年6月26日
宝石の王者・ダイヤモンドは「地下からの手紙」といわれる。同じ炭素でできた鉛筆の芯などは黒くてもろいのに、なぜあれほど美しく強い結晶になるのか▼ダイヤモンドは、地下100キロ以上の深いところで極めて高い温度と圧力によって生成される(砂川一郎著『宝石は語る』岩波新書)。その過酷な条件が、無上の輝きと、天然物質で最高級の硬さを生み出す▼仏典にも金剛(ダイヤモンド)という言葉がよく出てくる。例えば、仏の智慧のことを「金剛智」、仏身のことを「金剛身」、釈尊が己心に襲いかかる魔を打ち払って悟りを開いた場所は「金剛座」という。このように、何があっても壊されない尊極な生命や境地を最高の宝石に譬えている▼これまで取材に携わる中で、絶体絶命の"人生の難局"を乗り越えた友に何度もお会いしてきた。その多くが、過酷ともいえる苦闘時代をこう述懐する。「必死に戦ったあの日々が、一番充実していた」「あの時、強い自分に変われた」。そう語る友の表情は皆、一様に輝いていた▼苦難に挑み、乗り越えてこそ「苦労は宝」となる。それを身をもって実証し、幸福を勝ち取った友が、広布の庭のここかしこにいる。素晴らしき信行錬磨の結晶である。
寸鉄 2021年6月26日
「いよいよ信心をいたさせ給へ」御書。立正安国の誓い燃やして不退の前進
豊島が不屈の反転攻勢!日本中の同志が大声援!猛然と攻め込み大逆転へ
中野が疾風怒濤の勇進!我らの総攻撃の時は今!民衆の包囲網強め凱旋を
迅速に味方を集合し雷の如く—英雄の常勝哲学。戦いは先手必勝!心一つ
国際麻薬乱用撲滅デー。若者誑かす悪縁増。社会全体での対策強化が急務
☆不二の旅 第12回 池田先生と東海道
◇正義の心を燃やせ
池田先生が各方面の友に贈ったスピーチや指針を、各地での激励の写真と共に掲載する「不二の旅」。第12回は、正義の師子吼が脈打つ東海道を紹介する。
・「静岡は見事に勝ちました!」——第1回静岡合唱友好祭での"勝利宣言"は、破邪顕正に先駆する友を鼓舞した(1991年10月、浜松アリーナで)
・1979年1月、静岡文化会館(当時)での新年勤行会では、代表が前年11月に発表された「静岡健児の歌」を合唱。池田先生は「静岡はこの歌を歌って前進しよう!」と呼び掛けた
・伊豆広布40周年記念の集い。日蓮大聖人と日興上人、牧口先生と戸田先生が不惜身命の闘争を貫いた地で、"師弟の絆"について語った(1987年11月、伊東平和会館<当時>で)
・1980年12月、横浜の山下公園で未来部員と共に。「勉強、頑張るんだよ」「親孝行するんだよ」「21世紀は君たちの時代だよ。私は、待っているからね」——師の正義の魂は今、共戦の同志の胸に赤々と
・「正義」なるがゆえに、断じて勝たねばならないという、強靱なる不退の一念を——長編詩「正義の旗 平和の心」発表の2日後、第1回神奈川県支部長会で友を励ます(1988年6月12日、神奈川文化会館で)
・1991年12月、東京の大田池田文化会館で開催された第1回川崎文化音楽祭。"偉大なる目標に向かって、偉大なる人生を生きる、偉大なる幸福の人に"と望んだ
◇東海道の友に贈った指針
日蓮大聖人の仏法の真髄は「進まざるは退転」である。
広宣流布へ前進また前進——そのために、リーダーは心を砕くことだ。間断なく手を打ち続けていくことである。
戸田先生も、牧口先生も、一面から言えば、本当に、口やかましかった。
「こんなに細かいことまで」と皆が思うほど、神経をめぐらせた。
基本に徹し、よき伝統を守ることだ。それをないがしろにすると、あとで困る。崩れていく。
よき伝統というのは、皆が納得し、安心するものである。正しい指導をたもっていける。
◇
言葉が力である。言葉が心である。
しゃべることだ。黙っていてはいけない。
相手のことを知っていればいるほど、会話は弾む。ゆえに、相手を知る努力を惜しまないことである。
そのうえで、あとは自分らしく、誠実に語っていけばいいのである。
◇
私も、さまざまな人と対話を重ねてきた。イギリスのチャールズ皇太子、アン王女、アメリカのキッシンジャー国務長官、キューバのカストロ国家評議会議長、ゴルバチョフ元ソ連大統領、中国の周恩来総理……。
立場はどうあれ、皆、同じ人間である。こちらから心を開き、信義を尽くせば、必ず分かり合える。
その一点に立って、私は、懸命に、友情の橋を懸け、平和の礎を築いてきた。
「世界平和」といっても、一対一の人間と人間の信頼から始まる。それが私の変わらぬ信念である。
◇
皆さま方は、妙法という不滅の太陽を胸に抱いた、「善の中の大善」の闘士である。
ゆえに、いかなる悪も、不幸も、すべて打ち破って進んでいくことができる。
そのためにも、強盛に祈り抜いていくことだ。学会活動に励むことだ。
正義の心を燃やして、勇敢に戦い抜いていくことだ。
(「神奈川・静岡合同協議会」〈2006年1月〉での池田先生のスピーチから抜粋)
「かしこへ・おしかけ・
ここへ・おしよせ」
「誠実」と「執念」の対話で
新たな広布の開拓を!
法蓮抄 P1044
『十号と申すは仏の十の御名なり十号を供養せんよりも末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり』
【通解】
十号というのは、仏の十の御名である。十号の仏を供養するよりも、末代の法華経の行者を供養する功徳は勝れると書かれたのである。
名字の言 過酷な条件がダイヤモンドを生み出す 2021年6月26日
宝石の王者・ダイヤモンドは「地下からの手紙」といわれる。同じ炭素でできた鉛筆の芯などは黒くてもろいのに、なぜあれほど美しく強い結晶になるのか▼ダイヤモンドは、地下100キロ以上の深いところで極めて高い温度と圧力によって生成される(砂川一郎著『宝石は語る』岩波新書)。その過酷な条件が、無上の輝きと、天然物質で最高級の硬さを生み出す▼仏典にも金剛(ダイヤモンド)という言葉がよく出てくる。例えば、仏の智慧のことを「金剛智」、仏身のことを「金剛身」、釈尊が己心に襲いかかる魔を打ち払って悟りを開いた場所は「金剛座」という。このように、何があっても壊されない尊極な生命や境地を最高の宝石に譬えている▼これまで取材に携わる中で、絶体絶命の"人生の難局"を乗り越えた友に何度もお会いしてきた。その多くが、過酷ともいえる苦闘時代をこう述懐する。「必死に戦ったあの日々が、一番充実していた」「あの時、強い自分に変われた」。そう語る友の表情は皆、一様に輝いていた▼苦難に挑み、乗り越えてこそ「苦労は宝」となる。それを身をもって実証し、幸福を勝ち取った友が、広布の庭のここかしこにいる。素晴らしき信行錬磨の結晶である。
寸鉄 2021年6月26日
「いよいよ信心をいたさせ給へ」御書。立正安国の誓い燃やして不退の前進
豊島が不屈の反転攻勢!日本中の同志が大声援!猛然と攻め込み大逆転へ
中野が疾風怒濤の勇進!我らの総攻撃の時は今!民衆の包囲網強め凱旋を
迅速に味方を集合し雷の如く—英雄の常勝哲学。戦いは先手必勝!心一つ
国際麻薬乱用撲滅デー。若者誑かす悪縁増。社会全体での対策強化が急務
☆不二の旅 第12回 池田先生と東海道
◇正義の心を燃やせ
池田先生が各方面の友に贈ったスピーチや指針を、各地での激励の写真と共に掲載する「不二の旅」。第12回は、正義の師子吼が脈打つ東海道を紹介する。
・「静岡は見事に勝ちました!」——第1回静岡合唱友好祭での"勝利宣言"は、破邪顕正に先駆する友を鼓舞した(1991年10月、浜松アリーナで)
・1979年1月、静岡文化会館(当時)での新年勤行会では、代表が前年11月に発表された「静岡健児の歌」を合唱。池田先生は「静岡はこの歌を歌って前進しよう!」と呼び掛けた
・伊豆広布40周年記念の集い。日蓮大聖人と日興上人、牧口先生と戸田先生が不惜身命の闘争を貫いた地で、"師弟の絆"について語った(1987年11月、伊東平和会館<当時>で)
・1980年12月、横浜の山下公園で未来部員と共に。「勉強、頑張るんだよ」「親孝行するんだよ」「21世紀は君たちの時代だよ。私は、待っているからね」——師の正義の魂は今、共戦の同志の胸に赤々と
・「正義」なるがゆえに、断じて勝たねばならないという、強靱なる不退の一念を——長編詩「正義の旗 平和の心」発表の2日後、第1回神奈川県支部長会で友を励ます(1988年6月12日、神奈川文化会館で)
・1991年12月、東京の大田池田文化会館で開催された第1回川崎文化音楽祭。"偉大なる目標に向かって、偉大なる人生を生きる、偉大なる幸福の人に"と望んだ
◇東海道の友に贈った指針
日蓮大聖人の仏法の真髄は「進まざるは退転」である。
広宣流布へ前進また前進——そのために、リーダーは心を砕くことだ。間断なく手を打ち続けていくことである。
戸田先生も、牧口先生も、一面から言えば、本当に、口やかましかった。
「こんなに細かいことまで」と皆が思うほど、神経をめぐらせた。
基本に徹し、よき伝統を守ることだ。それをないがしろにすると、あとで困る。崩れていく。
よき伝統というのは、皆が納得し、安心するものである。正しい指導をたもっていける。
◇
言葉が力である。言葉が心である。
しゃべることだ。黙っていてはいけない。
相手のことを知っていればいるほど、会話は弾む。ゆえに、相手を知る努力を惜しまないことである。
そのうえで、あとは自分らしく、誠実に語っていけばいいのである。
◇
私も、さまざまな人と対話を重ねてきた。イギリスのチャールズ皇太子、アン王女、アメリカのキッシンジャー国務長官、キューバのカストロ国家評議会議長、ゴルバチョフ元ソ連大統領、中国の周恩来総理……。
立場はどうあれ、皆、同じ人間である。こちらから心を開き、信義を尽くせば、必ず分かり合える。
その一点に立って、私は、懸命に、友情の橋を懸け、平和の礎を築いてきた。
「世界平和」といっても、一対一の人間と人間の信頼から始まる。それが私の変わらぬ信念である。
◇
皆さま方は、妙法という不滅の太陽を胸に抱いた、「善の中の大善」の闘士である。
ゆえに、いかなる悪も、不幸も、すべて打ち破って進んでいくことができる。
そのためにも、強盛に祈り抜いていくことだ。学会活動に励むことだ。
正義の心を燃やして、勇敢に戦い抜いていくことだ。
(「神奈川・静岡合同協議会」〈2006年1月〉での池田先生のスピーチから抜粋)
2021年6月25日金曜日
2021.06.25 わが友に贈る
「心の固きに仮りて
神の守り則ち強し」
確信の祈りと行動が
諸天を揺り動かす。
勇猛心で壁を破ろう!
経王殿御返事 P1124
『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ』
【通解】
(この御本尊は)日蓮が魂を墨に染めながして書き認めたのである。信じていきなさい。
名字の言 球史に残る逆転劇 2021年6月25日
勝負は最後の最後まで分からないものである。2014年7月、高校野球の石川県大会決勝戦は球史に残る逆転劇だった▼9回表で小松大谷高は8対0と、星稜高に大差をつけていた。ところが9回裏、星稜は9点を取ってサヨナラ勝ち。2年連続17回目の甲子園出場を決めた▼その試合を星稜高の在校生としてスタンドで応援したという青年に話を聞いたことがある。彼は開口一番、「勝敗を分けたのは『笑顔』でしたね」と言った。「必笑」が合言葉の星稜ナインは、ピンチの場面でも笑みを絶やさなかった。それが活気を生み、チームは勢いづいていった。一方、対戦相手は大量リードにもかかわらず、追い詰められたように見えたという▼当時、星稜野球部のメンタルコーチだった飯山晄朗氏は自著に記している——表情や動作は、身体に影響を及ぼす。特に笑顔をつくると、脳は"この状況は楽しいのだ"と感じ、能力を発揮しやすくなる、と(『いまどきの子のやる気に火をつけるメンタルトレーニング』秀和システム)▼これは私たちにも通じよう。偉大な広布史を築いていると思えば、逆境や試練はむしろ誉れである。"さあ、ここから本領発揮だ!"と挑む快活な心が、最後の大逆転勝利を引き寄せる。
寸鉄 2021年6月25日
「をもひ切りて申し始めし」御書。語らねば相手に届かぬ。さあ皆で全力
墨田が混戦突破へ大進撃師子は走る。師子は戦う。勝って庶民の都に万歳を
北区の勇者が怒濤の前進雄弁こそ我らの剣。首都の北の砦に大勝旗よ翻れ
町田が気迫の猛攻。特区の使命は常勝!ここから攻め抜き感激の凱歌共に
東村山・東大和・武蔵村山が勇戦!破邪顕正の声で次の10年の夜明けを断固
〈社説〉2021・6・25 カストロ議長との会見25周年
◇人間交流が真の平和を築く
池田先生とキューバ共和国のフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)との会見から、きょうで四半世紀の節を刻む。
会見は1996年6月25日、首都ハバナの革命宮殿で行われた。その内容は、小説『新・人間革命』にこう記されている。
「話題は、後継者論、人材育成論、政治・人生哲学、世界観など多岐にわたった。だが、一貫して、『対話』と『文化』の力が二十一世紀の平和にとって、極めて大きな要素となることを確認する語らいとなった」(第30巻〈下〉「誓願」の章)
対話と文化——これこそ先生が"人間外交"の機軸とし、キューバとの友好の道をも大きく開いた二本の柱といってよい。
1点目の「対話」。当時のキューバは、ソ連崩壊後の深刻な経済危機に直面し、超大国アメリカとの長年の対立の中、国際社会でも孤立を強いられていた。しかし、池田先生は、"仏法者に反米も反キューバもない、「平和」追求の基本精神が一致するならば、人間として対話の可能性を断じて手離さない"と行動したのだ。
2点目は「文化」。人と人の心を結ぶ文化交流には、地道な歴史がある。民主音楽協会(民音)の招へいで、同国の音楽・芸術団体による日本公演が81年に実現。その後も交流は続く。カストロ議長との会見後には、東京富士美術館主催の「日本美術の名宝展」をキューバで、さらに「キューバ国立美術館名作展」を日本で開催した。
真の平和は、対話と文化に根差した、民衆と民衆の交流を進めていく中にこそある——国際社会で分断や対立が続く現在も、池田先生とカストロ議長の会見が示した視点は意義深い。
この人間交流を粘り強く推進してきたのがSGIである。先生はカストロ議長に"SGIの運動は、どこまでも平和を基調とし、体制を超えた、「人間」を根本とした国際的運動"と強調。議長もまた「今回のSGIの皆さまのキューバ訪問は、平和に貢献する人間主義を主張するうえで、重要なことと思っています」と語った。
平和のために、国家関係はもちろん大事だ。だが、主義や経済的利害、政治体制の違いも超えて、人間を結び、民衆を結ぶところに、最も強固な平和の基盤が築かれるのではないか。歴史的な会見の意義は、時と共に一段と輝きを増していくに違いない。
☆誓いをつなぐ 第6回 兵庫・尼崎総県
◇広布の電源地「世界の関西」の要
世界にその名が轟く「常勝関西」。なかでも、自他共に認める創価の牙城。それが兵庫の尼崎総県(三代総県長、田原女性部長)である。
大阪に隣接し、商都を"下支え"する工場街として発展してきたこの町に、足繁く通い、友を励まし、「庶民の王国」の誇りを与えたのは、若き日の池田先生だった。
初めて会合で訪れたのは1957年(昭和32年)12月2日。先生が不当逮捕された大阪事件の5カ月後のこと。以来、公判等のため関西を訪れるたびに足を伸ばし、"尼崎は尼崎らしく""ここから大人材が出る"と期待を寄せ続けた。
尼崎が、支部として出発したのは60年(同35年)5月3日。池田先生の会長就任式の席上である。同志が誇りとする歴史だ。
なぜ先生はこの地に力を注いだのか。
広宣流布には急所というものがある。大阪、神戸という大都市の間に位置する尼崎に一大民衆勢力を築けば、両都市を刺激し、関西全体、ひいては日本の広布が大きく進む。尼崎には、関西全体を大きく動かす「要」となる使命がある。
ゆえに先生は、尼崎に「広布の電源地」と指針を贈った。その期待に応えて、尼崎の同志は、強固な民衆城をつくり上げてきたのである。
◇「尼崎らしく」
尼崎の強さ。それは先生と一対一で結ばれた、学会ひとすじの分厚い庶民の陣列だ。牧平和子さん(総県女性部総合長)も、その一人である。
生まれも育ちも尼崎の牧平さんは60年(同35年)4月、一家で入会。小学校5年の時だった。
66年(同41年)、高等部の夏季講習会で、初めて師との出会いを結ぶ。
池田先生は「松野殿御返事」を通し、人間として生まれて大聖人の仏法を持ち、広宣流布に歩む人生が、どれほど福運に満ちているかを教えてくれた。
求道心を忘れず、「創価学会の後継ぎ」として成長してほしい——師の万感の期待に触れた牧平さんは生涯、先生と共にと誓った。以来、広布の庭にわが身を置き、どんな戦いにも率先してきた。
牧平和子さん
牧平さんは88年(同63年)3月26日、現・尼崎文化会館で行われた兵庫広布35周年記念の幹部会に出席。"尼崎は兵庫の心臓部""「世界の関西」の要"と語る先生の指導を胸に焼き付けた。
2000年(平成12年)2月、兵庫を訪問した先生は、尼崎の代表らと懇談。牧平さんもその一人として参加した。ここでも先生は"尼崎は尼崎らしくいくんだよ"と、草創の時代から変わらぬ期待を寄せた。
師の真心に応えようと、同志の訪問・激励、対話拡大にまい進してきた牧平さん。地域での信頼も厚く、現在は自治会長も務める。
「私たち尼崎の同志は、常に先生と共に、広布の戦いに"必ず勝利する"気概にあふれています。これまでも、これからも、日本一の勇気と団結で模範の前進を続けていきます!」
尼崎の同志が広布の戦に臨むたびに確認する「原点」がある。
1962年(昭和37年)1月24日、「大阪事件」の判決の前夜、池田先生は関西の男子部幹部会に出席した。会場は尼崎市体育会館(当時)。1万2千人の青年を前に先生は、"関西の男子部の諸君に申し上げます"と切り出した。
それまで公に語ってこなかった、大阪事件のえん罪の構図を詳細に語り、烈々と師子吼した。
「善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う!」
「私たち地涌の菩薩は、日蓮大聖人の弟子として、その自覚と信念に立って、不幸な人びとの味方となっていくのです。そして本当に、全民衆が、すなわち日本国中の人びとが、安心して幸福に暮らしていける世の中を築き上げようではありませんか!」
そして翌日、無罪判決を勝ち取ったのである。
「先生の正義の魂を受け継ぎ、広布に突き進むのが尼崎男子部の使命です」と語るのは、菊地康仁さん(総県男子部書記長)。
菊地康仁さん
"学会二世"ながら一時、学会活動から遠ざかっていたが、粘り強く激励に訪ねてくる男子部の先輩の姿に、"ここまで人のために動く理由を知りたい"と思うようになる。
会合に行くとそこには、心の垣根なく、生き生きと信心を語り、励まし合う世界があった。"自分もこの中で成長したい"と活動に励むようになった。
折伏に奔走し、今年3月には17人目の友を入会に導いた。3年前に好待遇で転職し、社会での実証も勝ち取る。昨年には、母の病魔を一家の一丸の祈りで克服した。
菊地さんは、尼崎青年部の心意気を代弁する。「"真剣・誠実・一生懸命"を胸に、関西、全国を牽引する拡大に挑みます!」
これからも強い!
池田先生は歌った。
「尼崎 兵庫の王者と 勇みゆけ 同志の連帯 日本一かな」
「関西の 偉大な広布の 人材は ここに集えり 尼崎かな」
池田先生はつづった。
「兵庫は『兵の庫』だ。雄々しき戦士の宝庫だ。兵庫が勝てば、関西が勝つ。関西が勝てば、全国が完勝する。尼崎は、その関西の電源地であり、学会の心臓部である」
今再び、王者の証しを! 世間をあっと言わせる威風堂々の勝ちどきを!
「勝利が使命」と誓い進む同志の合言葉は、こうである。
「尼崎は昔も強い、今も強い、これからも絶対に強い!」
神の守り則ち強し」
確信の祈りと行動が
諸天を揺り動かす。
勇猛心で壁を破ろう!
経王殿御返事 P1124
『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ』
【通解】
(この御本尊は)日蓮が魂を墨に染めながして書き認めたのである。信じていきなさい。
名字の言 球史に残る逆転劇 2021年6月25日
勝負は最後の最後まで分からないものである。2014年7月、高校野球の石川県大会決勝戦は球史に残る逆転劇だった▼9回表で小松大谷高は8対0と、星稜高に大差をつけていた。ところが9回裏、星稜は9点を取ってサヨナラ勝ち。2年連続17回目の甲子園出場を決めた▼その試合を星稜高の在校生としてスタンドで応援したという青年に話を聞いたことがある。彼は開口一番、「勝敗を分けたのは『笑顔』でしたね」と言った。「必笑」が合言葉の星稜ナインは、ピンチの場面でも笑みを絶やさなかった。それが活気を生み、チームは勢いづいていった。一方、対戦相手は大量リードにもかかわらず、追い詰められたように見えたという▼当時、星稜野球部のメンタルコーチだった飯山晄朗氏は自著に記している——表情や動作は、身体に影響を及ぼす。特に笑顔をつくると、脳は"この状況は楽しいのだ"と感じ、能力を発揮しやすくなる、と(『いまどきの子のやる気に火をつけるメンタルトレーニング』秀和システム)▼これは私たちにも通じよう。偉大な広布史を築いていると思えば、逆境や試練はむしろ誉れである。"さあ、ここから本領発揮だ!"と挑む快活な心が、最後の大逆転勝利を引き寄せる。
寸鉄 2021年6月25日
「をもひ切りて申し始めし」御書。語らねば相手に届かぬ。さあ皆で全力
墨田が混戦突破へ大進撃師子は走る。師子は戦う。勝って庶民の都に万歳を
北区の勇者が怒濤の前進雄弁こそ我らの剣。首都の北の砦に大勝旗よ翻れ
町田が気迫の猛攻。特区の使命は常勝!ここから攻め抜き感激の凱歌共に
東村山・東大和・武蔵村山が勇戦!破邪顕正の声で次の10年の夜明けを断固
〈社説〉2021・6・25 カストロ議長との会見25周年
◇人間交流が真の平和を築く
池田先生とキューバ共和国のフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)との会見から、きょうで四半世紀の節を刻む。
会見は1996年6月25日、首都ハバナの革命宮殿で行われた。その内容は、小説『新・人間革命』にこう記されている。
「話題は、後継者論、人材育成論、政治・人生哲学、世界観など多岐にわたった。だが、一貫して、『対話』と『文化』の力が二十一世紀の平和にとって、極めて大きな要素となることを確認する語らいとなった」(第30巻〈下〉「誓願」の章)
対話と文化——これこそ先生が"人間外交"の機軸とし、キューバとの友好の道をも大きく開いた二本の柱といってよい。
1点目の「対話」。当時のキューバは、ソ連崩壊後の深刻な経済危機に直面し、超大国アメリカとの長年の対立の中、国際社会でも孤立を強いられていた。しかし、池田先生は、"仏法者に反米も反キューバもない、「平和」追求の基本精神が一致するならば、人間として対話の可能性を断じて手離さない"と行動したのだ。
2点目は「文化」。人と人の心を結ぶ文化交流には、地道な歴史がある。民主音楽協会(民音)の招へいで、同国の音楽・芸術団体による日本公演が81年に実現。その後も交流は続く。カストロ議長との会見後には、東京富士美術館主催の「日本美術の名宝展」をキューバで、さらに「キューバ国立美術館名作展」を日本で開催した。
真の平和は、対話と文化に根差した、民衆と民衆の交流を進めていく中にこそある——国際社会で分断や対立が続く現在も、池田先生とカストロ議長の会見が示した視点は意義深い。
この人間交流を粘り強く推進してきたのがSGIである。先生はカストロ議長に"SGIの運動は、どこまでも平和を基調とし、体制を超えた、「人間」を根本とした国際的運動"と強調。議長もまた「今回のSGIの皆さまのキューバ訪問は、平和に貢献する人間主義を主張するうえで、重要なことと思っています」と語った。
平和のために、国家関係はもちろん大事だ。だが、主義や経済的利害、政治体制の違いも超えて、人間を結び、民衆を結ぶところに、最も強固な平和の基盤が築かれるのではないか。歴史的な会見の意義は、時と共に一段と輝きを増していくに違いない。
☆誓いをつなぐ 第6回 兵庫・尼崎総県
◇広布の電源地「世界の関西」の要
世界にその名が轟く「常勝関西」。なかでも、自他共に認める創価の牙城。それが兵庫の尼崎総県(三代総県長、田原女性部長)である。
大阪に隣接し、商都を"下支え"する工場街として発展してきたこの町に、足繁く通い、友を励まし、「庶民の王国」の誇りを与えたのは、若き日の池田先生だった。
初めて会合で訪れたのは1957年(昭和32年)12月2日。先生が不当逮捕された大阪事件の5カ月後のこと。以来、公判等のため関西を訪れるたびに足を伸ばし、"尼崎は尼崎らしく""ここから大人材が出る"と期待を寄せ続けた。
尼崎が、支部として出発したのは60年(同35年)5月3日。池田先生の会長就任式の席上である。同志が誇りとする歴史だ。
なぜ先生はこの地に力を注いだのか。
広宣流布には急所というものがある。大阪、神戸という大都市の間に位置する尼崎に一大民衆勢力を築けば、両都市を刺激し、関西全体、ひいては日本の広布が大きく進む。尼崎には、関西全体を大きく動かす「要」となる使命がある。
ゆえに先生は、尼崎に「広布の電源地」と指針を贈った。その期待に応えて、尼崎の同志は、強固な民衆城をつくり上げてきたのである。
◇「尼崎らしく」
尼崎の強さ。それは先生と一対一で結ばれた、学会ひとすじの分厚い庶民の陣列だ。牧平和子さん(総県女性部総合長)も、その一人である。
生まれも育ちも尼崎の牧平さんは60年(同35年)4月、一家で入会。小学校5年の時だった。
66年(同41年)、高等部の夏季講習会で、初めて師との出会いを結ぶ。
池田先生は「松野殿御返事」を通し、人間として生まれて大聖人の仏法を持ち、広宣流布に歩む人生が、どれほど福運に満ちているかを教えてくれた。
求道心を忘れず、「創価学会の後継ぎ」として成長してほしい——師の万感の期待に触れた牧平さんは生涯、先生と共にと誓った。以来、広布の庭にわが身を置き、どんな戦いにも率先してきた。
牧平和子さん
牧平さんは88年(同63年)3月26日、現・尼崎文化会館で行われた兵庫広布35周年記念の幹部会に出席。"尼崎は兵庫の心臓部""「世界の関西」の要"と語る先生の指導を胸に焼き付けた。
2000年(平成12年)2月、兵庫を訪問した先生は、尼崎の代表らと懇談。牧平さんもその一人として参加した。ここでも先生は"尼崎は尼崎らしくいくんだよ"と、草創の時代から変わらぬ期待を寄せた。
師の真心に応えようと、同志の訪問・激励、対話拡大にまい進してきた牧平さん。地域での信頼も厚く、現在は自治会長も務める。
「私たち尼崎の同志は、常に先生と共に、広布の戦いに"必ず勝利する"気概にあふれています。これまでも、これからも、日本一の勇気と団結で模範の前進を続けていきます!」
尼崎の同志が広布の戦に臨むたびに確認する「原点」がある。
1962年(昭和37年)1月24日、「大阪事件」の判決の前夜、池田先生は関西の男子部幹部会に出席した。会場は尼崎市体育会館(当時)。1万2千人の青年を前に先生は、"関西の男子部の諸君に申し上げます"と切り出した。
それまで公に語ってこなかった、大阪事件のえん罪の構図を詳細に語り、烈々と師子吼した。
「善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う!」
「私たち地涌の菩薩は、日蓮大聖人の弟子として、その自覚と信念に立って、不幸な人びとの味方となっていくのです。そして本当に、全民衆が、すなわち日本国中の人びとが、安心して幸福に暮らしていける世の中を築き上げようではありませんか!」
そして翌日、無罪判決を勝ち取ったのである。
「先生の正義の魂を受け継ぎ、広布に突き進むのが尼崎男子部の使命です」と語るのは、菊地康仁さん(総県男子部書記長)。
菊地康仁さん
"学会二世"ながら一時、学会活動から遠ざかっていたが、粘り強く激励に訪ねてくる男子部の先輩の姿に、"ここまで人のために動く理由を知りたい"と思うようになる。
会合に行くとそこには、心の垣根なく、生き生きと信心を語り、励まし合う世界があった。"自分もこの中で成長したい"と活動に励むようになった。
折伏に奔走し、今年3月には17人目の友を入会に導いた。3年前に好待遇で転職し、社会での実証も勝ち取る。昨年には、母の病魔を一家の一丸の祈りで克服した。
菊地さんは、尼崎青年部の心意気を代弁する。「"真剣・誠実・一生懸命"を胸に、関西、全国を牽引する拡大に挑みます!」
これからも強い!
池田先生は歌った。
「尼崎 兵庫の王者と 勇みゆけ 同志の連帯 日本一かな」
「関西の 偉大な広布の 人材は ここに集えり 尼崎かな」
池田先生はつづった。
「兵庫は『兵の庫』だ。雄々しき戦士の宝庫だ。兵庫が勝てば、関西が勝つ。関西が勝てば、全国が完勝する。尼崎は、その関西の電源地であり、学会の心臓部である」
今再び、王者の証しを! 世間をあっと言わせる威風堂々の勝ちどきを!
「勝利が使命」と誓い進む同志の合言葉は、こうである。
「尼崎は昔も強い、今も強い、これからも絶対に強い!」
2021年6月24日木曜日
2021.06.24 わが友に贈る
御聖訓「人を憑みて・
あやぶむ事無かれ」
誰かではなく自分がやる。
広宣流布の責任者として
覚悟の信心に立とう!
衆生身心御書 P1595
『設いこうをいたせどもまことならぬ事を供養すれば大悪とはなれども善とならず』
【通解】
たとえ功を積んでも、真実でない人を供養すれば、大悪とはなっても善とはならない。
名字の言 目黒は古来、富士の展望地だった 2021年6月24日
「東京富士見坂」と呼ばれる、いくつかの坂がある。「関東の富士見百景」に選ばれていて、目黒、荒川、大田、世田谷、杉並の各区に存在する▼目黒駅付近にある富士見坂からは、裾野も含めた富士山全体が望めるという。高台の多い目黒は古来、富士の展望地だったようだ。江戸後期の浮世絵師・歌川広重も「目黒新富士」と題する一枚を描き残している▼1945年7月3日も、富士は見えていたのだろうか。この日の夜、軍部政府の弾圧と戦い抜いて出獄した戸田先生は自宅近くの目黒駅に降り立った。戦火の焼け野原に一人立った恩師は、学会再建への思いを自ら作詞した「同志の歌」に託している。「旗持つ若人 何処にか 富士の高嶺を 知らざるか 競うて来たれ 速やかに」▼若き日の池田先生は、目黒駅から戸田先生の自宅に何度も通った。雨の権之助坂を師と共に歩いたこともある。自身の肺病や師の事業の破綻など試練の風雨にも負けず、広布の高嶺を目指して青春の苦闘の坂を上り続けたのである▼目指す山が高ければ高いほど、その一歩一歩は苦しい自分との戦いだ。だが頂から望む絶景は、何ものにも代え難い心の宝となる。池田先生は詠んだ。「共々に 不二を見つめて 勝ち戦」
寸鉄 2021年6月24日
どんな嵐でも勇気は歩みを止めぬ—哲人。歴史を創るは前に進み続ける人
品川の友が大車輪の奮闘源流の誇りで拡大の旋風を。執念で勝ち上がれ!
新宿の猛攻が東京凱歌の決定打に。師子奮迅の大反撃!本陣に勝ち鬨必ず
江東が果敢に追い上げ。日本一の団結で凱旋を!渾身の対話が心の扉開く
コロナ禍で子育て相談の場の減少感じる—7割。孤立防ぐ語らいを地域に
〈社説〉 2021・6・24 25日は「団地部の日」
◇友情の絆で地域に幸福の連帯
あす25日は「団地部の日」。その淵源は1978年(昭和53年)6月25日、東京と大阪それぞれの会場で行われた第1回「団地部全国大会」にある。
日本の高度経済成長期から都市部を中心に建設されてきた団地。近年、大規模改修を経て、再び子育て世代からの注目が集まる一方、住民の超高齢化や外国人居住者の増加など"時代の最先端"を歩むゆえに、日本社会が抱える諸課題に直面している。コロナ禍にあっては高齢者の社会的孤立など、問題が顕著に表れている実情がある。
そうした中で団地部の友は「地域の幸福責任者」との自覚で、一人一人と絆を結び続けている。
東京・足立区のある団地で自治会長を務める友もその一人。日々、手紙や電話で励ましを送りながら、住民の"憩いの場"となってきた季節のイベントを新しい形で開催することに注力している。
"できない"と諦めるのではなく、コロナ禍だからこそ、"何ができるか"を考える——現在も来月の七夕飾りの準備の真っ最中。昨年は「皆が健康でありますように」「また一緒に笑ってお茶をしましょう」等と、住民がつづった短冊で互いに励まし合った。
また、希望者を募って広場の花壇で季節の花を育てたり、感染対策に留意しつつ、近隣の保育園の園児と交流したりと活発な活動を続けている。
団地部による、誰も置き去りにしない社会的包摂や、レジリエンス(困難を乗り越える力)の創出は、学術的にも注目されている。
創価学会団地部の地域との関わりについて研究している九州産業大学地域共創学部の小池高史准教授は、「人々を支えるコミュニティーの構築・継続を含め、世代を超えて同じ信念でつながる団地部の方々の団結があれば、団地が直面するさまざまな課題に立ち向かっていける」と期待を寄せる。
池田先生は、「部の日」の淵源となった78年6月の東京での集いに出席し、団地部に呼び掛けた。
——われわれこそ、理想的な人間の協調の社会をつくりあげている主体者との心意気で進もう、と。
常に時代を先駆し、人と人とのつながりを最も大切にする団地部の地道な実践は、コロナ禍にあって一段と希望の光を放っている。各地で信頼と友好の花々を爛漫と咲かせる友の模範の挑戦に心からの敬意を表したい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第8回 諸葛孔明
〈諸葛孔明〉
努力の終着点が見えない時も
意志力を杖にして歩き続けるのだ。
戦は、最後に勝つ者が勝ち戦である。
諸葛亮、字は孔明。言わずと知れた「三国志」の英傑、希代の天才軍師である。
彼は断言する。「志さえあれば必ず成功する」「戦は、最後に勝つ者が勝ち戦である」と。勝機が見えぬ絶体絶命の難局を劇的に打開した戦歴は数多く、1800年の時を経た今も、その偉業が色あせることはない。
黄巾の乱に先立つこと約3年——181年、孔明は琅邪郡陽都(現在の山東省沂水)に生を受ける。時代は後漢末期。王朝は衰え、群雄が覇を競う、乱世の様相を呈し始めていた。
その人生は、青少年期から波瀾万丈だった。生活は貧しく、早くに両親と死別。頼りにした叔父も失った。しかし「苦労」こそを"師匠"とした彼は叔父を亡くした後、隆中という小さな村に居住。そこで刻苦勉励を重ね、「太平の世を開かん」との大志を育んでいく。
ある日、「臥龍(眠れる龍)」と称されるまでに万能の才を磨いた彼の噂を、一人の男が聞き付けた。後に蜀の国を興す劉備玄徳である。
207年、劉備は3度、孔明の草庵へ。軍師として迎えるために誠意の限りを尽くした。「断じて民を救いたい」との熱意に胸打たれた孔明は「天下三分の計」を説き、「三顧の礼」に応じる。この時、劉備の兵数は、わずか1万足らず。関羽、張飛などの豪傑がいたにもかかわらず、負け戦が続いていた。
曹操と孫権という巨大な勢力に対抗し、天下を治めるまでの道程は限りなく険しい。だが孔明には、悲嘆も悲観もなかった。
「努力の終着点が見えないときも、意志力を杖にして歩き続けるのだ。結果が見えてこなくても、努力し続けることが大事である。なぜなら、成功をつかむという決意を放棄しては、そもそも成功など得ることはできないのだから。苦しくても、歩き続けることだ」
彼は強靱な意志をもって、決然と立ち上がった。
劉備47歳、孔明27歳。歴史の歯車が、大きく回転を始めようとしていた。
〈諸葛孔明〉
勝負の分かれ目は、今日である。
座して待つよりも討って出るのだ。
それでこそ本陣の守りは盤石となる。
「時を逃すな!」。これが、諸葛孔明の人生哲学だった。
「好機を得たら見失うな。見失った好機は再び戻っては来ないのだから」——勝負どころを見極める彼の真骨頂は、三国志史上最大の合戦「赤壁の戦い」(208年)において、存分に発揮された。
この直前、劉備は曹操軍に追い詰められる。そこで孔明は劉備に、孫権との同盟を提案し、自らが使者となって赴いた。彼には、孫権の配下となる考えは毛頭なかった。対等の立場、否、それ以上の誇りをもって交渉をリード。「勝負の分かれ目は、今日にかかっている」と訴え、逡巡する相手の心を動かし、同盟締結を成功に導くのである。
敵をも味方に! 誠実と真剣に勝る外交なし——劉備と孫権の5万の連合軍は、80万ともいわれる曹操軍を「団結の力」で撃破。この痛快なる勝利劇が突破口となり、魏・呉・蜀の三国鼎立の時代が開かれていく。
221年には、国号を漢(蜀漢)として劉備が帝位に就き、孔明は丞相に任命される。
彼は「これに先んずるに身をもってし、これに後るるに人をもってすれば、士勇ならざるはなし」(指導者が率先して物事に当たれば、皆が勇気を奮い起こす)との信念を抱き、「水魚の思い」で結ばれた劉備の死後も、天下の安寧を実現するために奔走。虎視眈々と侵略の時をうかがう宿敵・魏に対し、"座して待つよりも、討って出るべし。それでこそ、本陣の守りは盤石となる"と、積極果敢な攻勢に転じた。
しかし、魏への第5次北伐の渦中、対峙する司馬懿仲達が持久戦を決め込む。夏が過ぎ、秋風が吹き始めても動かない。病に倒れた孔明は、ついに五丈原の陣中で没する(234年)。
蜀軍が退却するや、魏の軍勢は即座に追い打ちをかけた。すると彼の生前の指示に基づき、蜀は陣太鼓を鳴らして迎撃。司馬懿は慌てて軍を引き上げた。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」。死してなお、孔明は戦いの指揮を執り続けたのである。
激流の時代を駆け抜けた彼の人生——それは、自身を見いだし、天下の命運を託した劉備への「報恩」のドラマであった。
〈諸葛孔明を語る池田先生〉
大切なのは「時」である。
「勢い」である。
あらゆる力を結集することだ。
広布へ戦えば健康になる。喜びがわく。
価値ある人生の向上がある。
恩師・戸田城聖先生は、孔明をこよなく愛した。池田大作先生をはじめとする愛弟子たちに小説『三国志』を読ませ、孔明の晩年の苦衷を詠じた「星落秋風五丈原」(土井晩翠作詞)を歌わせた逸話は有名である。
池田先生は、中国人民の父・周恩来総理を「20世紀の諸葛孔明」とたたえた。内憂外患が続く難局のかじ取りを迫られた総理は常々、「鞠躬尽瘁し、死して後已まん(心身を尽くして、死ぬまで戦い続ける)」との覚悟を口に。孔明が死を決意した出陣に際し、その心中をつづった「後出師の表」の一節である。
さらに池田先生は、折々に孔明の将軍学を語り伝えてきた。
「(赤壁の戦いは)孫権と劉備の同盟が、知略をもって、圧倒的な曹操の大軍を打ち破った戦いである。これにより、『天下三分の計』という諸葛孔明の展望へ、大きく時代が動いていった。『知恵』である。我らにとっては、偉大なる御仏智を引き出す『信心』『祈り』である。これこそ、最も強い力なのである」(2008年1月10日、新時代第14回本部幹部会でのスピーチ)
「劉備のもとには、希代の名軍師・諸葛孔明がいた。
戦いは、一人だけでは勝てない。衆知を集め、心を一つにして事に当たらなければ、インチキで邪悪な人間たちを打ち砕くことはできない。(中略)
学会で大事なことは、全員が『広布の責任者』との自覚に立つことだ。一人一人が、しっかりすることである。学会の根幹は『師弟』である。『信心』である。それさえ忘れなければ、恐れるものなど何もない」(06年8月16日、東京・関東・東海道合同研修会でのスピーチ)
「大切なのは、『時』である。『勢い』である。あらゆる力を結集することだ。広宣流布へ戦えば、健康になる。喜びがわく。価値ある人生の向上がある。全員が『広宣流布の諸葛孔明』となって、断じて勝利の名指揮を! つねに若々しく! 生き生きと! 生命力に満ち満ちて!」(01年4月11日、全国方面長会議でのスピーチ)
君よ、創価の諸葛孔明たれ!
人間主義の力によって民衆を守りゆく生き方——孔明が終生貫いた「王道」は、広宣流布即立正安国の戦いを勝ち開く我らが進むべき使命の大道である。
あやぶむ事無かれ」
誰かではなく自分がやる。
広宣流布の責任者として
覚悟の信心に立とう!
衆生身心御書 P1595
『設いこうをいたせどもまことならぬ事を供養すれば大悪とはなれども善とならず』
【通解】
たとえ功を積んでも、真実でない人を供養すれば、大悪とはなっても善とはならない。
名字の言 目黒は古来、富士の展望地だった 2021年6月24日
「東京富士見坂」と呼ばれる、いくつかの坂がある。「関東の富士見百景」に選ばれていて、目黒、荒川、大田、世田谷、杉並の各区に存在する▼目黒駅付近にある富士見坂からは、裾野も含めた富士山全体が望めるという。高台の多い目黒は古来、富士の展望地だったようだ。江戸後期の浮世絵師・歌川広重も「目黒新富士」と題する一枚を描き残している▼1945年7月3日も、富士は見えていたのだろうか。この日の夜、軍部政府の弾圧と戦い抜いて出獄した戸田先生は自宅近くの目黒駅に降り立った。戦火の焼け野原に一人立った恩師は、学会再建への思いを自ら作詞した「同志の歌」に託している。「旗持つ若人 何処にか 富士の高嶺を 知らざるか 競うて来たれ 速やかに」▼若き日の池田先生は、目黒駅から戸田先生の自宅に何度も通った。雨の権之助坂を師と共に歩いたこともある。自身の肺病や師の事業の破綻など試練の風雨にも負けず、広布の高嶺を目指して青春の苦闘の坂を上り続けたのである▼目指す山が高ければ高いほど、その一歩一歩は苦しい自分との戦いだ。だが頂から望む絶景は、何ものにも代え難い心の宝となる。池田先生は詠んだ。「共々に 不二を見つめて 勝ち戦」
寸鉄 2021年6月24日
どんな嵐でも勇気は歩みを止めぬ—哲人。歴史を創るは前に進み続ける人
品川の友が大車輪の奮闘源流の誇りで拡大の旋風を。執念で勝ち上がれ!
新宿の猛攻が東京凱歌の決定打に。師子奮迅の大反撃!本陣に勝ち鬨必ず
江東が果敢に追い上げ。日本一の団結で凱旋を!渾身の対話が心の扉開く
コロナ禍で子育て相談の場の減少感じる—7割。孤立防ぐ語らいを地域に
〈社説〉 2021・6・24 25日は「団地部の日」
◇友情の絆で地域に幸福の連帯
あす25日は「団地部の日」。その淵源は1978年(昭和53年)6月25日、東京と大阪それぞれの会場で行われた第1回「団地部全国大会」にある。
日本の高度経済成長期から都市部を中心に建設されてきた団地。近年、大規模改修を経て、再び子育て世代からの注目が集まる一方、住民の超高齢化や外国人居住者の増加など"時代の最先端"を歩むゆえに、日本社会が抱える諸課題に直面している。コロナ禍にあっては高齢者の社会的孤立など、問題が顕著に表れている実情がある。
そうした中で団地部の友は「地域の幸福責任者」との自覚で、一人一人と絆を結び続けている。
東京・足立区のある団地で自治会長を務める友もその一人。日々、手紙や電話で励ましを送りながら、住民の"憩いの場"となってきた季節のイベントを新しい形で開催することに注力している。
"できない"と諦めるのではなく、コロナ禍だからこそ、"何ができるか"を考える——現在も来月の七夕飾りの準備の真っ最中。昨年は「皆が健康でありますように」「また一緒に笑ってお茶をしましょう」等と、住民がつづった短冊で互いに励まし合った。
また、希望者を募って広場の花壇で季節の花を育てたり、感染対策に留意しつつ、近隣の保育園の園児と交流したりと活発な活動を続けている。
団地部による、誰も置き去りにしない社会的包摂や、レジリエンス(困難を乗り越える力)の創出は、学術的にも注目されている。
創価学会団地部の地域との関わりについて研究している九州産業大学地域共創学部の小池高史准教授は、「人々を支えるコミュニティーの構築・継続を含め、世代を超えて同じ信念でつながる団地部の方々の団結があれば、団地が直面するさまざまな課題に立ち向かっていける」と期待を寄せる。
池田先生は、「部の日」の淵源となった78年6月の東京での集いに出席し、団地部に呼び掛けた。
——われわれこそ、理想的な人間の協調の社会をつくりあげている主体者との心意気で進もう、と。
常に時代を先駆し、人と人とのつながりを最も大切にする団地部の地道な実践は、コロナ禍にあって一段と希望の光を放っている。各地で信頼と友好の花々を爛漫と咲かせる友の模範の挑戦に心からの敬意を表したい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第8回 諸葛孔明
〈諸葛孔明〉
努力の終着点が見えない時も
意志力を杖にして歩き続けるのだ。
戦は、最後に勝つ者が勝ち戦である。
諸葛亮、字は孔明。言わずと知れた「三国志」の英傑、希代の天才軍師である。
彼は断言する。「志さえあれば必ず成功する」「戦は、最後に勝つ者が勝ち戦である」と。勝機が見えぬ絶体絶命の難局を劇的に打開した戦歴は数多く、1800年の時を経た今も、その偉業が色あせることはない。
黄巾の乱に先立つこと約3年——181年、孔明は琅邪郡陽都(現在の山東省沂水)に生を受ける。時代は後漢末期。王朝は衰え、群雄が覇を競う、乱世の様相を呈し始めていた。
その人生は、青少年期から波瀾万丈だった。生活は貧しく、早くに両親と死別。頼りにした叔父も失った。しかし「苦労」こそを"師匠"とした彼は叔父を亡くした後、隆中という小さな村に居住。そこで刻苦勉励を重ね、「太平の世を開かん」との大志を育んでいく。
ある日、「臥龍(眠れる龍)」と称されるまでに万能の才を磨いた彼の噂を、一人の男が聞き付けた。後に蜀の国を興す劉備玄徳である。
207年、劉備は3度、孔明の草庵へ。軍師として迎えるために誠意の限りを尽くした。「断じて民を救いたい」との熱意に胸打たれた孔明は「天下三分の計」を説き、「三顧の礼」に応じる。この時、劉備の兵数は、わずか1万足らず。関羽、張飛などの豪傑がいたにもかかわらず、負け戦が続いていた。
曹操と孫権という巨大な勢力に対抗し、天下を治めるまでの道程は限りなく険しい。だが孔明には、悲嘆も悲観もなかった。
「努力の終着点が見えないときも、意志力を杖にして歩き続けるのだ。結果が見えてこなくても、努力し続けることが大事である。なぜなら、成功をつかむという決意を放棄しては、そもそも成功など得ることはできないのだから。苦しくても、歩き続けることだ」
彼は強靱な意志をもって、決然と立ち上がった。
劉備47歳、孔明27歳。歴史の歯車が、大きく回転を始めようとしていた。
〈諸葛孔明〉
勝負の分かれ目は、今日である。
座して待つよりも討って出るのだ。
それでこそ本陣の守りは盤石となる。
「時を逃すな!」。これが、諸葛孔明の人生哲学だった。
「好機を得たら見失うな。見失った好機は再び戻っては来ないのだから」——勝負どころを見極める彼の真骨頂は、三国志史上最大の合戦「赤壁の戦い」(208年)において、存分に発揮された。
この直前、劉備は曹操軍に追い詰められる。そこで孔明は劉備に、孫権との同盟を提案し、自らが使者となって赴いた。彼には、孫権の配下となる考えは毛頭なかった。対等の立場、否、それ以上の誇りをもって交渉をリード。「勝負の分かれ目は、今日にかかっている」と訴え、逡巡する相手の心を動かし、同盟締結を成功に導くのである。
敵をも味方に! 誠実と真剣に勝る外交なし——劉備と孫権の5万の連合軍は、80万ともいわれる曹操軍を「団結の力」で撃破。この痛快なる勝利劇が突破口となり、魏・呉・蜀の三国鼎立の時代が開かれていく。
221年には、国号を漢(蜀漢)として劉備が帝位に就き、孔明は丞相に任命される。
彼は「これに先んずるに身をもってし、これに後るるに人をもってすれば、士勇ならざるはなし」(指導者が率先して物事に当たれば、皆が勇気を奮い起こす)との信念を抱き、「水魚の思い」で結ばれた劉備の死後も、天下の安寧を実現するために奔走。虎視眈々と侵略の時をうかがう宿敵・魏に対し、"座して待つよりも、討って出るべし。それでこそ、本陣の守りは盤石となる"と、積極果敢な攻勢に転じた。
しかし、魏への第5次北伐の渦中、対峙する司馬懿仲達が持久戦を決め込む。夏が過ぎ、秋風が吹き始めても動かない。病に倒れた孔明は、ついに五丈原の陣中で没する(234年)。
蜀軍が退却するや、魏の軍勢は即座に追い打ちをかけた。すると彼の生前の指示に基づき、蜀は陣太鼓を鳴らして迎撃。司馬懿は慌てて軍を引き上げた。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」。死してなお、孔明は戦いの指揮を執り続けたのである。
激流の時代を駆け抜けた彼の人生——それは、自身を見いだし、天下の命運を託した劉備への「報恩」のドラマであった。
〈諸葛孔明を語る池田先生〉
大切なのは「時」である。
「勢い」である。
あらゆる力を結集することだ。
広布へ戦えば健康になる。喜びがわく。
価値ある人生の向上がある。
恩師・戸田城聖先生は、孔明をこよなく愛した。池田大作先生をはじめとする愛弟子たちに小説『三国志』を読ませ、孔明の晩年の苦衷を詠じた「星落秋風五丈原」(土井晩翠作詞)を歌わせた逸話は有名である。
池田先生は、中国人民の父・周恩来総理を「20世紀の諸葛孔明」とたたえた。内憂外患が続く難局のかじ取りを迫られた総理は常々、「鞠躬尽瘁し、死して後已まん(心身を尽くして、死ぬまで戦い続ける)」との覚悟を口に。孔明が死を決意した出陣に際し、その心中をつづった「後出師の表」の一節である。
さらに池田先生は、折々に孔明の将軍学を語り伝えてきた。
「(赤壁の戦いは)孫権と劉備の同盟が、知略をもって、圧倒的な曹操の大軍を打ち破った戦いである。これにより、『天下三分の計』という諸葛孔明の展望へ、大きく時代が動いていった。『知恵』である。我らにとっては、偉大なる御仏智を引き出す『信心』『祈り』である。これこそ、最も強い力なのである」(2008年1月10日、新時代第14回本部幹部会でのスピーチ)
「劉備のもとには、希代の名軍師・諸葛孔明がいた。
戦いは、一人だけでは勝てない。衆知を集め、心を一つにして事に当たらなければ、インチキで邪悪な人間たちを打ち砕くことはできない。(中略)
学会で大事なことは、全員が『広布の責任者』との自覚に立つことだ。一人一人が、しっかりすることである。学会の根幹は『師弟』である。『信心』である。それさえ忘れなければ、恐れるものなど何もない」(06年8月16日、東京・関東・東海道合同研修会でのスピーチ)
「大切なのは、『時』である。『勢い』である。あらゆる力を結集することだ。広宣流布へ戦えば、健康になる。喜びがわく。価値ある人生の向上がある。全員が『広宣流布の諸葛孔明』となって、断じて勝利の名指揮を! つねに若々しく! 生き生きと! 生命力に満ち満ちて!」(01年4月11日、全国方面長会議でのスピーチ)
君よ、創価の諸葛孔明たれ!
人間主義の力によって民衆を守りゆく生き方——孔明が終生貫いた「王道」は、広宣流布即立正安国の戦いを勝ち開く我らが進むべき使命の大道である。
2021年6月23日水曜日
2021.06.23 わが友に贈る
「賢者はよろこび
愚者は退く」御聖訓。
試練に挑んでこそ
境涯は大きく広がる。
人間革命の勝利舞を!
法蓮抄 P1050
『法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし』
【通解】
法華経の自我偈を持つ人を敵とする人は、三世の諸仏を敵とすることになるのである。
名字の言 生きる力を引き出す「麦踏み」 2021年6月23日
太陽の下、黄金に輝く麦が収穫期を迎えた。収穫量を左右する作業の一つが、麦が発芽した早春に行う「麦踏み」だと農家の人が教えてくれた▼昨今は機械を使うが、以前は足で踏んでいた。根張りが良くなり、霜による倒伏を防ぐ効果なども見込まれる。刺激を受けた麦は生きる力を引き出し、真っすぐ伸びていく。その姿は、苦難に負けない創価の友の雄姿とも重なる▼宮崎の壮年部員は5年前、腎がんを発症。医師が手術を見送る状態だった。肉牛の肥育に携わり四半世紀。後継者の次男夫婦と販路拡大に挑もうとする矢先だった▼壮年はかつてない唱題に励み、なえそうな心を真っすぐに奮い立たせた。家族も懸命に祈った。治療は今も続くが、がんは縮小。「病魔のおかげで信心の確信が深まりました」と地域活動に汗しながら、同じようにがんと闘う4人の友人と仏法対話を続ける▼試練は誰にでも起こり得る。だが試練に遭うことが不幸なのではない。大切なのは試練をバネに、信心の根を張り、いかなる風雪にも揺るがぬ自分をつくること。信心を貫けば「時とともに、『万事これで良かった』という所願満足の軌道に入っていく」と池田先生は教える。満々たる生命力で、今日も勇気の挑戦を!
寸鉄 2021年6月23日
沖縄「慰霊の日」。平和の世紀を築くのが立正安国の戦い。使命の道、堂々と
大田が炎となって猛追。大激戦制する鍵は執念!皆で金星掴み、押し上げ
荒川が大接戦。もう一歩総力挙げ!攻めの対話で庶民の都に常勝の歴史を
足立から東京凱歌の劇を—友が渾身の拡大。混戦突破へ力強い追い風を今
ワクチン職域接種が本格開始、これも公明の提言。口先だけの他党を圧倒!
〈社説〉 2021・6・23 きょう、沖縄「慰霊の日」
◇平和の心の継承を青年と共に
兄の名前を呼びながら、力尽きた少女。戦争の苦しみを絶とうと、愛するわが子の命を、その手にかけた母——。今までに取材した戦争体験者の証言である。
太平洋戦争末期、沖縄では国内最大の地上戦が行われた。約3カ月間、一般住民を巻き込んだ戦闘は、20万人を超える尊い命を奪った。きょう6月23日は、日本軍の組織的戦闘が終結したとされる沖縄「慰霊の日」。
全ての戦没者のご冥福を心から祈念したい。
戦争は絶対悪であることを"生の声"は聞く人の心に訴える。
だが、体験者の高齢化により、その声を直接聞く機会は減る一方だ。
戦後世代の「語り部」の育成も進むが、戦争体験を聞いても"遠い過去の歴史としか思えない"という子も多い。メディアでは、平和学習に悩む教育現場の様子も取り上げられてきた。
記録が残されていても、"平和への思い"が次世代に受け継がれなければ風化してしまう。
沖縄青年部では、この継承に取り組んできた。
1974年、池田先生は沖縄の中高生に語った。
「平和のために、"沖縄の心"を伝えるために、戦争体験の証言集を残してほしいというのが、私の願いです」
先生の提案を受け、当時の中高生のメンバーが取材した証言は、76年6月、反戦出版シリーズの1冊『血に染まるかりゆしの海』として結実した。
さらに昨年には、沖縄の未来部員が聞き取りをした新たな戦争証言集『私がつなぐ沖縄のククル(心)』が発刊された。
"私たちは戦争を体験していないけれど、教えてもらったことを、ずっと先の家族にも伝えていきたい"との未来部員の感想もつづられている。
若者自身も、次世代に平和の心を伝えゆく主体者なのだ。
戦争体験者が描き、青年部が集めた数々の「沖縄戦の絵」は、今月、県内の小・中・高等学校に貸し出され、平和学習に活用されている。
そして先日、沖縄青年部の手による「沖縄戦の絵の紙芝居」の完成が発表された。戦争体験者の話を基に作られたものだ。
制作に携わった友は語る。
「平和を願う魂の声を、何としても未来に届けたい——体験者と私たち青年の思いが詰まった紙芝居です」
きょう、沖縄青年部は不戦の誓いを胸に平和の集いを開催する。沖縄と共に、青年と共に、平和の心の継承を誓い合う日としたい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第7回 エレノア・ルーズベルト
〈エレノア・ルーズベルト〉
恐れるよりは希望をもってやる方が
賢明である。「そんなことできない」
という人間からは何も生まれない。
2度の戦争の惨害から将来の世代を救うため、人類は国際連合(国連)を設立し、平和への道を模索し始めた。
その国連で「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として公布されたのが「世界人権宣言」である。
第一条で「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とうたう宣言の起草に尽力した一人の女性がいる。
「アメリカの良心」とたたえられる第32代米大統領夫人、エレノア・ルーズベルトである。
宣言が採択されたのは、第2次大戦から3年を経た1948年12月10日。東西冷戦が始まっていた。あらゆる"差異の壁"を超克し、一つの宣言を作り上げることは不可能と思われた。
しかしエレノアの心には"もう同じ過ちは繰り返させない。必ず成し遂げてみせる"との誓いが赤々と燃えていた。
「歴史の光に照らしてみても、恐れるよりは希望をもつ方が、やらないよりはやる方が、より賢明なことは明らかである。それに、『そんなことできるわけがない』という人間からは何一つ生まれたためしがないということも、動かすことのできない事実なのである」
彼女は国連人権委員会の委員長として、各国の代表者と顔を突き合わせ、一つ一つの文言に平和への願いを込めていった。
草案作成の委員会議は実に85回。時には意見が衝突することもあったが、その信念はいささかも変わらなかった。
「この世界に平和を創造するためには、一人の人間との理解を深めることから始めなければなりません」
「新しい人に近づくとき、冒険心をもって接することにすれば、今までにない新しい人格、新しい経験、新しい考えの水脈を発見して、それに無限の魅力をおぼえることがきっとあるに違いない」
同じ人間であるゆえに、胸襟を開いて語れば、必ず分かり合える。互いの「相違点」ではなく「類似点」を見つめ、「眼前の一人」「新しい人」と心を結び続けたエレノアの熱誠によって、宣言は完成を見たのである。
〈エレノア・ルーズベルト〉
私たちが強く願い、その実現のために
行動するならば、変革できない
分野などないと確信しています。
エレノアの幼少期は決して幸福とはいえなかった。母から愛情を感じることができず、自身の容姿に強い劣等感を抱くように。10歳を迎える前に両親が他界。祖母に育てられた。
転機は、イギリスの学校に入学した15歳の時。一人の教師との出会いが、内気な性格を変えるきっかけになっていく。
「人間というのはだれもが、この世をよりよくするために生まれてきました」。地位や外見などは関係ない。物事を自分の目で見て考え、困っている人に手を差し伸べる——この恩師が示した「他者に尽くす生き方」が、人生の指標となった。
アメリカに帰国後、のちに政治家となるフランクリン・ルーズベルトと結婚。3人目の子どもを失う悲哀にも負けず、5人の子の母として、妻として、家庭を守りながら、女性の地位向上運動などに力を注いだ。
そんなある日、一家を苦難が襲う。夫がポリオを患い、歩けなくなったのだ。政治生命が危ぶまれる中、エレノアは懸命に夫を励まし続けた。代理として苦手な演説に立つこともあった。
"二人三脚"の支えもあり、病気の発症から7年後の1928年、フランクリンはニューヨーク州知事に選出。5年後には米大統領に就任し、大恐慌の嵐を打ち破る「ニューディール政策」に取り組んだ。彼女自身も夫に代わり、各地の人々の激励に飛び回った。
第2次大戦中の45年4月、大統領だった夫が病で急逝する。彼には「国連」の設立という大いなる夢があった。エレノアは深い悲しみを乗り越え、亡き夫の分まで平和のために生きることを決意する。その年の10月、念願の国連が発足。アメリカの国連代表に任命された。
彼女は語っている。
「女性というのは、さまざまな障害をはねのけて、一センチずつ前進するものなのです」
「一つが切り抜けられたら、次には何でも切り抜けられるはずではないか。立ち止って、恐怖と正面から対決する度に、人には力と勇気と自信がついてくる」
世界人権宣言の採択の後、エレノアは万人にこの宣言が用いられることを願い、つづった。
「普遍的な人権とは、どこからはじまるのでしょう。じつは、家の周囲など、小さな場所からなのです。あまりにも身近すぎて、世界地図などにはのっていません。ご近所の人、かよっている学校、働いている工場や農場、会社などの個人個人の世界こそ、はじまりの場なのです」
〈エレノア・ルーズベルトを語る池田先生〉
彼女は苦労を避けるのではなく
「挑戦を引き受けて立つ」ように
訴えてやまなかった。
何があっても粘り強く前へ!
ここに我ら創価の真骨頂がある。
宣言の採択から半世紀以上がたった2007年。エレノアの親戚から池田先生に、彼女の遺品が届けられた。「彼女が生きていれば、池田SGI会長とお知り合いになり、人間に内在する力や、さまざまなことについて対話したいと思ったでしょう」との言葉と共に——。
世界地図に載らない身近な場所から、庶民と共に平和への道なき道を切り開いてきた池田先生。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」との恩師・戸田城聖先生の夢を実現するため、対話を重ねた識者の中には、エレノアと一緒に宣言の起草に携わったカナダのジョン・ハンフリー博士や、ブラジル文学アカデミーのA・アタイデ総裁も名を連ねる。
アタイデ総裁は、池田先生と編んだ対談集『21世紀の人権を語る』で、エレノアとの思い出を述懐。創価の人権闘争に強い共感を寄せ、「池田会長に引き継がれた思想——つまり、人間への差別を断じて許さないとする立場——が尊重されるとき、21世紀は輝かしい栄光の世紀となる」と断言した。
事実、池田先生は、国連を「人類の議会」として位置付け、歴代事務総長らと会見するとともに、その支援と強化を一貫して主張し、行動してきた。
SGIが国連経済社会理事会の協議資格を持つNGOとして登録された1983年からは毎年、「SGIの日」記念提言を発表。国連を中心とする平和構築のための具体的方途を発信し続けている。これらの貢献が高く評価され、「国連平和賞」などを受賞している。
エレノアの生涯を通して、先生が語り、記してきた指針にこうある。
「大統領夫人は、最晩年の著書に綴っている。『私たちが本当に強く願い、その願いに対して確信を持ち、その実現のために誠心誠意、行動するならば、人生において、願いどおりに変革できない分野など、何ひとつないと確信しています』
創価の女性の決心と通じ合う言葉である。いわんや私たちは、無上の妙法を持ち、広宣流布の大道を歩んでいる。不可能に思える困難が立ちはだかったとしても、すべてをよりよく変えていく力の源は、この信心である」(2009年6月4日、創価女子会館開館3周年記念協議会でのスピーチ)
「彼女は、『勇敢に、張り切って、夢をもって生きる』ように、さらに苦労を避けるのではなく『挑戦を引き受けて立つ』ように訴えてやまなかった。
人生の真髄は、生き生きとした『チャレンジ精神』の中にあるのだ。(中略)我らが勇気を奮った挑戦の一歩一歩は、自身の『人間革命』の完璧な栄光の足跡である。その着実な一歩一歩の中に、人類待望の『広宣流布』の未来図も描かれているのだ。何があっても前へ、粘り強く前へ!——ここに慈折広布を使命と定めた、我ら創価の真骨頂がある」(本紙13年8月1日付「随筆 我らの勝利の大道」)
新たな歴史は、常に勇気と挑戦の一歩から始まる。
それは、創価のヒロインたちの揺るがぬ確信でもある。
愚者は退く」御聖訓。
試練に挑んでこそ
境涯は大きく広がる。
人間革命の勝利舞を!
法蓮抄 P1050
『法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし』
【通解】
法華経の自我偈を持つ人を敵とする人は、三世の諸仏を敵とすることになるのである。
名字の言 生きる力を引き出す「麦踏み」 2021年6月23日
太陽の下、黄金に輝く麦が収穫期を迎えた。収穫量を左右する作業の一つが、麦が発芽した早春に行う「麦踏み」だと農家の人が教えてくれた▼昨今は機械を使うが、以前は足で踏んでいた。根張りが良くなり、霜による倒伏を防ぐ効果なども見込まれる。刺激を受けた麦は生きる力を引き出し、真っすぐ伸びていく。その姿は、苦難に負けない創価の友の雄姿とも重なる▼宮崎の壮年部員は5年前、腎がんを発症。医師が手術を見送る状態だった。肉牛の肥育に携わり四半世紀。後継者の次男夫婦と販路拡大に挑もうとする矢先だった▼壮年はかつてない唱題に励み、なえそうな心を真っすぐに奮い立たせた。家族も懸命に祈った。治療は今も続くが、がんは縮小。「病魔のおかげで信心の確信が深まりました」と地域活動に汗しながら、同じようにがんと闘う4人の友人と仏法対話を続ける▼試練は誰にでも起こり得る。だが試練に遭うことが不幸なのではない。大切なのは試練をバネに、信心の根を張り、いかなる風雪にも揺るがぬ自分をつくること。信心を貫けば「時とともに、『万事これで良かった』という所願満足の軌道に入っていく」と池田先生は教える。満々たる生命力で、今日も勇気の挑戦を!
寸鉄 2021年6月23日
沖縄「慰霊の日」。平和の世紀を築くのが立正安国の戦い。使命の道、堂々と
大田が炎となって猛追。大激戦制する鍵は執念!皆で金星掴み、押し上げ
荒川が大接戦。もう一歩総力挙げ!攻めの対話で庶民の都に常勝の歴史を
足立から東京凱歌の劇を—友が渾身の拡大。混戦突破へ力強い追い風を今
ワクチン職域接種が本格開始、これも公明の提言。口先だけの他党を圧倒!
〈社説〉 2021・6・23 きょう、沖縄「慰霊の日」
◇平和の心の継承を青年と共に
兄の名前を呼びながら、力尽きた少女。戦争の苦しみを絶とうと、愛するわが子の命を、その手にかけた母——。今までに取材した戦争体験者の証言である。
太平洋戦争末期、沖縄では国内最大の地上戦が行われた。約3カ月間、一般住民を巻き込んだ戦闘は、20万人を超える尊い命を奪った。きょう6月23日は、日本軍の組織的戦闘が終結したとされる沖縄「慰霊の日」。
全ての戦没者のご冥福を心から祈念したい。
戦争は絶対悪であることを"生の声"は聞く人の心に訴える。
だが、体験者の高齢化により、その声を直接聞く機会は減る一方だ。
戦後世代の「語り部」の育成も進むが、戦争体験を聞いても"遠い過去の歴史としか思えない"という子も多い。メディアでは、平和学習に悩む教育現場の様子も取り上げられてきた。
記録が残されていても、"平和への思い"が次世代に受け継がれなければ風化してしまう。
沖縄青年部では、この継承に取り組んできた。
1974年、池田先生は沖縄の中高生に語った。
「平和のために、"沖縄の心"を伝えるために、戦争体験の証言集を残してほしいというのが、私の願いです」
先生の提案を受け、当時の中高生のメンバーが取材した証言は、76年6月、反戦出版シリーズの1冊『血に染まるかりゆしの海』として結実した。
さらに昨年には、沖縄の未来部員が聞き取りをした新たな戦争証言集『私がつなぐ沖縄のククル(心)』が発刊された。
"私たちは戦争を体験していないけれど、教えてもらったことを、ずっと先の家族にも伝えていきたい"との未来部員の感想もつづられている。
若者自身も、次世代に平和の心を伝えゆく主体者なのだ。
戦争体験者が描き、青年部が集めた数々の「沖縄戦の絵」は、今月、県内の小・中・高等学校に貸し出され、平和学習に活用されている。
そして先日、沖縄青年部の手による「沖縄戦の絵の紙芝居」の完成が発表された。戦争体験者の話を基に作られたものだ。
制作に携わった友は語る。
「平和を願う魂の声を、何としても未来に届けたい——体験者と私たち青年の思いが詰まった紙芝居です」
きょう、沖縄青年部は不戦の誓いを胸に平和の集いを開催する。沖縄と共に、青年と共に、平和の心の継承を誓い合う日としたい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第7回 エレノア・ルーズベルト
〈エレノア・ルーズベルト〉
恐れるよりは希望をもってやる方が
賢明である。「そんなことできない」
という人間からは何も生まれない。
2度の戦争の惨害から将来の世代を救うため、人類は国際連合(国連)を設立し、平和への道を模索し始めた。
その国連で「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として公布されたのが「世界人権宣言」である。
第一条で「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とうたう宣言の起草に尽力した一人の女性がいる。
「アメリカの良心」とたたえられる第32代米大統領夫人、エレノア・ルーズベルトである。
宣言が採択されたのは、第2次大戦から3年を経た1948年12月10日。東西冷戦が始まっていた。あらゆる"差異の壁"を超克し、一つの宣言を作り上げることは不可能と思われた。
しかしエレノアの心には"もう同じ過ちは繰り返させない。必ず成し遂げてみせる"との誓いが赤々と燃えていた。
「歴史の光に照らしてみても、恐れるよりは希望をもつ方が、やらないよりはやる方が、より賢明なことは明らかである。それに、『そんなことできるわけがない』という人間からは何一つ生まれたためしがないということも、動かすことのできない事実なのである」
彼女は国連人権委員会の委員長として、各国の代表者と顔を突き合わせ、一つ一つの文言に平和への願いを込めていった。
草案作成の委員会議は実に85回。時には意見が衝突することもあったが、その信念はいささかも変わらなかった。
「この世界に平和を創造するためには、一人の人間との理解を深めることから始めなければなりません」
「新しい人に近づくとき、冒険心をもって接することにすれば、今までにない新しい人格、新しい経験、新しい考えの水脈を発見して、それに無限の魅力をおぼえることがきっとあるに違いない」
同じ人間であるゆえに、胸襟を開いて語れば、必ず分かり合える。互いの「相違点」ではなく「類似点」を見つめ、「眼前の一人」「新しい人」と心を結び続けたエレノアの熱誠によって、宣言は完成を見たのである。
〈エレノア・ルーズベルト〉
私たちが強く願い、その実現のために
行動するならば、変革できない
分野などないと確信しています。
エレノアの幼少期は決して幸福とはいえなかった。母から愛情を感じることができず、自身の容姿に強い劣等感を抱くように。10歳を迎える前に両親が他界。祖母に育てられた。
転機は、イギリスの学校に入学した15歳の時。一人の教師との出会いが、内気な性格を変えるきっかけになっていく。
「人間というのはだれもが、この世をよりよくするために生まれてきました」。地位や外見などは関係ない。物事を自分の目で見て考え、困っている人に手を差し伸べる——この恩師が示した「他者に尽くす生き方」が、人生の指標となった。
アメリカに帰国後、のちに政治家となるフランクリン・ルーズベルトと結婚。3人目の子どもを失う悲哀にも負けず、5人の子の母として、妻として、家庭を守りながら、女性の地位向上運動などに力を注いだ。
そんなある日、一家を苦難が襲う。夫がポリオを患い、歩けなくなったのだ。政治生命が危ぶまれる中、エレノアは懸命に夫を励まし続けた。代理として苦手な演説に立つこともあった。
"二人三脚"の支えもあり、病気の発症から7年後の1928年、フランクリンはニューヨーク州知事に選出。5年後には米大統領に就任し、大恐慌の嵐を打ち破る「ニューディール政策」に取り組んだ。彼女自身も夫に代わり、各地の人々の激励に飛び回った。
第2次大戦中の45年4月、大統領だった夫が病で急逝する。彼には「国連」の設立という大いなる夢があった。エレノアは深い悲しみを乗り越え、亡き夫の分まで平和のために生きることを決意する。その年の10月、念願の国連が発足。アメリカの国連代表に任命された。
彼女は語っている。
「女性というのは、さまざまな障害をはねのけて、一センチずつ前進するものなのです」
「一つが切り抜けられたら、次には何でも切り抜けられるはずではないか。立ち止って、恐怖と正面から対決する度に、人には力と勇気と自信がついてくる」
世界人権宣言の採択の後、エレノアは万人にこの宣言が用いられることを願い、つづった。
「普遍的な人権とは、どこからはじまるのでしょう。じつは、家の周囲など、小さな場所からなのです。あまりにも身近すぎて、世界地図などにはのっていません。ご近所の人、かよっている学校、働いている工場や農場、会社などの個人個人の世界こそ、はじまりの場なのです」
〈エレノア・ルーズベルトを語る池田先生〉
彼女は苦労を避けるのではなく
「挑戦を引き受けて立つ」ように
訴えてやまなかった。
何があっても粘り強く前へ!
ここに我ら創価の真骨頂がある。
宣言の採択から半世紀以上がたった2007年。エレノアの親戚から池田先生に、彼女の遺品が届けられた。「彼女が生きていれば、池田SGI会長とお知り合いになり、人間に内在する力や、さまざまなことについて対話したいと思ったでしょう」との言葉と共に——。
世界地図に載らない身近な場所から、庶民と共に平和への道なき道を切り開いてきた池田先生。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」との恩師・戸田城聖先生の夢を実現するため、対話を重ねた識者の中には、エレノアと一緒に宣言の起草に携わったカナダのジョン・ハンフリー博士や、ブラジル文学アカデミーのA・アタイデ総裁も名を連ねる。
アタイデ総裁は、池田先生と編んだ対談集『21世紀の人権を語る』で、エレノアとの思い出を述懐。創価の人権闘争に強い共感を寄せ、「池田会長に引き継がれた思想——つまり、人間への差別を断じて許さないとする立場——が尊重されるとき、21世紀は輝かしい栄光の世紀となる」と断言した。
事実、池田先生は、国連を「人類の議会」として位置付け、歴代事務総長らと会見するとともに、その支援と強化を一貫して主張し、行動してきた。
SGIが国連経済社会理事会の協議資格を持つNGOとして登録された1983年からは毎年、「SGIの日」記念提言を発表。国連を中心とする平和構築のための具体的方途を発信し続けている。これらの貢献が高く評価され、「国連平和賞」などを受賞している。
エレノアの生涯を通して、先生が語り、記してきた指針にこうある。
「大統領夫人は、最晩年の著書に綴っている。『私たちが本当に強く願い、その願いに対して確信を持ち、その実現のために誠心誠意、行動するならば、人生において、願いどおりに変革できない分野など、何ひとつないと確信しています』
創価の女性の決心と通じ合う言葉である。いわんや私たちは、無上の妙法を持ち、広宣流布の大道を歩んでいる。不可能に思える困難が立ちはだかったとしても、すべてをよりよく変えていく力の源は、この信心である」(2009年6月4日、創価女子会館開館3周年記念協議会でのスピーチ)
「彼女は、『勇敢に、張り切って、夢をもって生きる』ように、さらに苦労を避けるのではなく『挑戦を引き受けて立つ』ように訴えてやまなかった。
人生の真髄は、生き生きとした『チャレンジ精神』の中にあるのだ。(中略)我らが勇気を奮った挑戦の一歩一歩は、自身の『人間革命』の完璧な栄光の足跡である。その着実な一歩一歩の中に、人類待望の『広宣流布』の未来図も描かれているのだ。何があっても前へ、粘り強く前へ!——ここに慈折広布を使命と定めた、我ら創価の真骨頂がある」(本紙13年8月1日付「随筆 我らの勝利の大道」)
新たな歴史は、常に勇気と挑戦の一歩から始まる。
それは、創価のヒロインたちの揺るがぬ確信でもある。
2021年6月22日火曜日
2021.06.22 わが友に贈る
「一」のデマには
「十」の反論を!
沈黙は悪を助長する。
勇敢なる言論戦で
正義を打ち立てよう!
乙御前御消息 P1220
『是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし』
【通解】
これは、あなたのために言うのです。あなたの前々からのお志の深さについては、言い尽くせません。しかし、それよりもなおいっそう、強盛に信心をしていきなさい。その時は、いよいよ、(諸天善神である)十羅刹女の守りも強くなると思いなさい。
名字の言 あす沖縄「慰霊の日」。平和への誓いを新たに 2021年6月22日
那覇市で人気の栄町市場。その中に「ひめゆり同窓会館」があることはあまり知られていない▼戦前、この一帯には沖縄戦のひめゆり学徒隊の母校「沖縄師範学校女子部」「県立第一高等女学校」があった。終戦直後、学徒の生存者は焼け野原となった一帯に縄を張るなどして敷地を守ろうとした。戦場に駆り出され奪われた夢と誇りを取り戻す。懸命の行動は同会館、さらに糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」の開館へと結実し、沖縄戦の惨劇を今に伝えている▼1981年、学会の沖縄青年部は戦争体験者に「沖縄戦の絵」を描いてもらう運動に取り組んだ。胸が詰まり涙とともに絵筆を執った人。孫にクレヨンの使い方を教わりながら描いた人も。作品に込められた体験者の悲しみや怒りは、絵の巧拙を超えて見る者の心を揺さぶり続ける▼取り組みから40年——。今月、県内の小・中学校、高校16校で「沖縄戦の絵」を展示。授業で絵を活用する学校もある。ある中学生は「これまでも学んできたつもりでしたが、その悲惨さが絵を見てより強く伝わってきました」と▼体験者が残した"思い"を次世代へ伝える責任が、私たちにはある。あす23日は沖縄の「慰霊の日」。平和への誓いを新たにしたい。
寸鉄 2021年6月22日
巌窟王のように貫き通せ—恩師。嵐は誉れ。創価の師弟に無限の勇気あり
目黒よ、ここが正念場だ。知恵と勇気で更に開拓。総力を結集し大逆転へ!
調布・狛江が猛攻。執念で拡大した方が勝つ。連帯固く押しまくり勝利を!
奄美の日。あらゆる苦難越え、今輝く学会家族。地域広布の模範はここに
米ロ、核軍縮の協議開始で合意。核戦争に勝者なし。市民社会の叫び強く
☆御書の旭光を 第37回 心つながる"人間の絆"を
〈御文〉
『他人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし』(呵責謗法滅罪抄、1132ページ)
〈通解〉
他人であっても、心から語り合えば、かけがえのない命にも替わりうるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
苦難と戦う門下への御指導である。身近な人を、わが子のごとく慈しみ、大きく包容するよう教えておられる。真心と誠実で人を大切にすれば、自分も守られる。
乱世ゆえに、温かな心遣い、希望の声掛けが待ち望まれている。立正安国の対話は、最も深い生命の善性を結び合う。友情と信頼の尊き絆を我らの社会に!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第6回 広布の勝負所
◇弥三郎殿御返事
『構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑みて・あやぶむ事無かれ但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり』(御書1451ページ10行目〜13行目)
◇池田先生の講義
同じ戦うのなら、「断じて勝つ」と腹を決めて戦い切るのです。人は敵と戦う前に、己心の弱さに負ける。何よりもまず、その心中の賊に勝たねばならない。とともに勇気と蛮勇は違う。現実と真正面から向き合うところに真の勇気があります。そこから今、何を為すべきか、明瞭に見えてくるのです。
◆◇◆
広宣流布の戦いにあっても、「ここが勝負」という急所がある。(中略)人生を懸けて悔いなき一戦に巡り合うことは幸福です。個人個人にあっても、日々の人生の戦いがあります。自身の人間革命の戦いと、広宣流布の戦いは決して別々ではない。
同志と共に、学会と共に、法のため、社会のため、私たちは大切な生命の時間を使い、その一つ一つを断固と勝ち切っていくのです。それが自他共に揺るぎない幸福の境涯を開きながら、人類の平和を築く立正安国の建設に生きることになるのです。
◆◇◆
仏法を持った民衆一人ひとりが、自らの人生を懸けて、生命の無限の可能性を証明していくのです。「私は勝った」「偉大な使命に生き抜いた」という旗を打ち立てていくのです。その人間の勝鬨が日本中、世界中のあの地この地で轟き、地球規模で広がり始めました。さあ、私たちが希望の世紀の夜明けを開くのです。誇りも高く創価の思想を掲げて!
(『信仰の基本「信行学」』から)
河合利子 総東京女性部長
◇本陣に師弟勝利の凱歌を!
"このことに巡り合うために、生まれてきたのだ!"——弟子の一念を、パッと転換されるような、日蓮大聖人の命を揺さぶる激励です。
「弥三郎殿御返事」のこの一節を拝するたび、今、私たちも、偉大な師匠と共に、広宣流布の未来を開く重要な時に巡り合っているという、感激が湧き上がってきます。
立正安国と人生の勝利を開く千載一遇の勝負所である今この時。使命の言論戦を戦い切ることを教えられた本抄と先生の講義を胸に、不可能を可能にする拡大に臨んでいきましょう。
◇一生、見ているからね
中等部の時、人材育成グループの集いで池田先生に懇談していただく機会がありました。先生は言われました。
"みんなは、日蓮大聖人の仏法という最高の哲学に、若くして縁している。この人生最極の生き方を生涯、貫いていきなさい"
当時、中学2年生。何も分からない私たちに、一人の大人として接してくださる先生に深く感動しました。その後、唱題に挑戦する中、"人間として生まれ、偉大な師匠に巡り合うことができた。自分は先生と共に広宣流布に生き抜くのだ"と深く決意することができました。
女子部となり、弘教に奔走する中で、再び池田先生との出会いが。あふれる決意を口にする私たちに先生は、「一生、見ているからね」と。
常に先生が、厳しくも温かく見守ってくださっている!——決意だけでなく、現実の上で師匠にお応えする報恩の人生を、との誓いのままに、さまざまな苦難を乗り越えてくることができました。
◇久遠からの縁
池田先生は講義の中で、「同志と共に、学会と共に、法のため、社会のため、私たちは大切な生命の時間を使い、その一つ一つを断固と勝ち切っていくのです」と語られ、その行動が自他共に揺るぎない幸福の境涯を開いていくのだと教えてくださっています。
この指針の通り、東京各地の友は、自他共の幸福のために、勇気の語らいに駆けています。
目黒総区のある80歳の婦人は本年の5月3日に一人の友を入会に導きました。その方とは10年ほど前に知り合い、聖教新聞の切り抜きを贈呈するなど、結んだ縁を大切に育んでこられました。
コロナ禍にあって、久しぶりに婦人と対話した友は、"私も学会の輪の中に加えてほしい!"と伝えました。実はこの友は、幼い頃に両親が離婚。二十歳の頃、母子の苦しい生活を見かねた学会員が折伏に訪れたのですが、母が首を縦に振らず、入会に至らなかったのです。
晴れて入会した友は見違えるように明るくなり、その姿に娘さんも入会を希望。"学会に出会えて本当によかった!"と、紹介者の婦人と共に、近隣に勇気の対話を拡大しています。まさに、今この時、久遠からの縁のように、二人して歓喜の語らいを広げる姿に大きな波動が広がっています。
◇現実の中にこそ
先生は、「自身の人間革命の戦いと、広宣流布の戦いは決して別々ではない」と述べられています。
目まぐるしい日々の生活の中で学会活動に励むことは、一見すると地味で、華々しいことではないかもしれません。しかし先生は、現実から逃げず、その真っただ中で自らの人間革命の戦いに勝利し切っていく中に、実は広宣流布の実像があるのだと教えてくださっています。
先生は昨年、「創立90周年から100周年への10年は、一人一人が『人間革命』の勝利の実証をいやまして打ち立て、いかなる『大悪』も『大善』に転じて、いよいよ人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時であります」とつづってくださいました。
社会が先の見通せない不安に覆われる中で、私たちが一日一日、目の前の立正安国の挑戦に勝利していくことは、わが地域の広宣流布のみならず、人類の宿命を転換し、地球社会の未来を開く壮大な勝利へとつながっていきます。
さあ、"師と共に、「大悪」を「大善」へと転じる感激のドラマを演じるために、今ここに集ってきたのだ!"と、地涌の使命に燃え、本陣・総東京に師弟勝利の凱歌を高らかに響かせていきましょう!
メモ
建治3年(1277年)8月、念仏者との法論に臨む門下の弥三郎に送られたお手紙である。ここまで生き永らえることのできた自らの使命を自覚し、この法論が人生の勝負の分かれ目であると心していきなさいと教えられている。
「十」の反論を!
沈黙は悪を助長する。
勇敢なる言論戦で
正義を打ち立てよう!
乙御前御消息 P1220
『是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし』
【通解】
これは、あなたのために言うのです。あなたの前々からのお志の深さについては、言い尽くせません。しかし、それよりもなおいっそう、強盛に信心をしていきなさい。その時は、いよいよ、(諸天善神である)十羅刹女の守りも強くなると思いなさい。
名字の言 あす沖縄「慰霊の日」。平和への誓いを新たに 2021年6月22日
那覇市で人気の栄町市場。その中に「ひめゆり同窓会館」があることはあまり知られていない▼戦前、この一帯には沖縄戦のひめゆり学徒隊の母校「沖縄師範学校女子部」「県立第一高等女学校」があった。終戦直後、学徒の生存者は焼け野原となった一帯に縄を張るなどして敷地を守ろうとした。戦場に駆り出され奪われた夢と誇りを取り戻す。懸命の行動は同会館、さらに糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」の開館へと結実し、沖縄戦の惨劇を今に伝えている▼1981年、学会の沖縄青年部は戦争体験者に「沖縄戦の絵」を描いてもらう運動に取り組んだ。胸が詰まり涙とともに絵筆を執った人。孫にクレヨンの使い方を教わりながら描いた人も。作品に込められた体験者の悲しみや怒りは、絵の巧拙を超えて見る者の心を揺さぶり続ける▼取り組みから40年——。今月、県内の小・中学校、高校16校で「沖縄戦の絵」を展示。授業で絵を活用する学校もある。ある中学生は「これまでも学んできたつもりでしたが、その悲惨さが絵を見てより強く伝わってきました」と▼体験者が残した"思い"を次世代へ伝える責任が、私たちにはある。あす23日は沖縄の「慰霊の日」。平和への誓いを新たにしたい。
寸鉄 2021年6月22日
巌窟王のように貫き通せ—恩師。嵐は誉れ。創価の師弟に無限の勇気あり
目黒よ、ここが正念場だ。知恵と勇気で更に開拓。総力を結集し大逆転へ!
調布・狛江が猛攻。執念で拡大した方が勝つ。連帯固く押しまくり勝利を!
奄美の日。あらゆる苦難越え、今輝く学会家族。地域広布の模範はここに
米ロ、核軍縮の協議開始で合意。核戦争に勝者なし。市民社会の叫び強く
☆御書の旭光を 第37回 心つながる"人間の絆"を
〈御文〉
『他人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし』(呵責謗法滅罪抄、1132ページ)
〈通解〉
他人であっても、心から語り合えば、かけがえのない命にも替わりうるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
苦難と戦う門下への御指導である。身近な人を、わが子のごとく慈しみ、大きく包容するよう教えておられる。真心と誠実で人を大切にすれば、自分も守られる。
乱世ゆえに、温かな心遣い、希望の声掛けが待ち望まれている。立正安国の対話は、最も深い生命の善性を結び合う。友情と信頼の尊き絆を我らの社会に!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第6回 広布の勝負所
◇弥三郎殿御返事
『構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑みて・あやぶむ事無かれ但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり』(御書1451ページ10行目〜13行目)
◇池田先生の講義
同じ戦うのなら、「断じて勝つ」と腹を決めて戦い切るのです。人は敵と戦う前に、己心の弱さに負ける。何よりもまず、その心中の賊に勝たねばならない。とともに勇気と蛮勇は違う。現実と真正面から向き合うところに真の勇気があります。そこから今、何を為すべきか、明瞭に見えてくるのです。
◆◇◆
広宣流布の戦いにあっても、「ここが勝負」という急所がある。(中略)人生を懸けて悔いなき一戦に巡り合うことは幸福です。個人個人にあっても、日々の人生の戦いがあります。自身の人間革命の戦いと、広宣流布の戦いは決して別々ではない。
同志と共に、学会と共に、法のため、社会のため、私たちは大切な生命の時間を使い、その一つ一つを断固と勝ち切っていくのです。それが自他共に揺るぎない幸福の境涯を開きながら、人類の平和を築く立正安国の建設に生きることになるのです。
◆◇◆
仏法を持った民衆一人ひとりが、自らの人生を懸けて、生命の無限の可能性を証明していくのです。「私は勝った」「偉大な使命に生き抜いた」という旗を打ち立てていくのです。その人間の勝鬨が日本中、世界中のあの地この地で轟き、地球規模で広がり始めました。さあ、私たちが希望の世紀の夜明けを開くのです。誇りも高く創価の思想を掲げて!
(『信仰の基本「信行学」』から)
河合利子 総東京女性部長
◇本陣に師弟勝利の凱歌を!
"このことに巡り合うために、生まれてきたのだ!"——弟子の一念を、パッと転換されるような、日蓮大聖人の命を揺さぶる激励です。
「弥三郎殿御返事」のこの一節を拝するたび、今、私たちも、偉大な師匠と共に、広宣流布の未来を開く重要な時に巡り合っているという、感激が湧き上がってきます。
立正安国と人生の勝利を開く千載一遇の勝負所である今この時。使命の言論戦を戦い切ることを教えられた本抄と先生の講義を胸に、不可能を可能にする拡大に臨んでいきましょう。
◇一生、見ているからね
中等部の時、人材育成グループの集いで池田先生に懇談していただく機会がありました。先生は言われました。
"みんなは、日蓮大聖人の仏法という最高の哲学に、若くして縁している。この人生最極の生き方を生涯、貫いていきなさい"
当時、中学2年生。何も分からない私たちに、一人の大人として接してくださる先生に深く感動しました。その後、唱題に挑戦する中、"人間として生まれ、偉大な師匠に巡り合うことができた。自分は先生と共に広宣流布に生き抜くのだ"と深く決意することができました。
女子部となり、弘教に奔走する中で、再び池田先生との出会いが。あふれる決意を口にする私たちに先生は、「一生、見ているからね」と。
常に先生が、厳しくも温かく見守ってくださっている!——決意だけでなく、現実の上で師匠にお応えする報恩の人生を、との誓いのままに、さまざまな苦難を乗り越えてくることができました。
◇久遠からの縁
池田先生は講義の中で、「同志と共に、学会と共に、法のため、社会のため、私たちは大切な生命の時間を使い、その一つ一つを断固と勝ち切っていくのです」と語られ、その行動が自他共に揺るぎない幸福の境涯を開いていくのだと教えてくださっています。
この指針の通り、東京各地の友は、自他共の幸福のために、勇気の語らいに駆けています。
目黒総区のある80歳の婦人は本年の5月3日に一人の友を入会に導きました。その方とは10年ほど前に知り合い、聖教新聞の切り抜きを贈呈するなど、結んだ縁を大切に育んでこられました。
コロナ禍にあって、久しぶりに婦人と対話した友は、"私も学会の輪の中に加えてほしい!"と伝えました。実はこの友は、幼い頃に両親が離婚。二十歳の頃、母子の苦しい生活を見かねた学会員が折伏に訪れたのですが、母が首を縦に振らず、入会に至らなかったのです。
晴れて入会した友は見違えるように明るくなり、その姿に娘さんも入会を希望。"学会に出会えて本当によかった!"と、紹介者の婦人と共に、近隣に勇気の対話を拡大しています。まさに、今この時、久遠からの縁のように、二人して歓喜の語らいを広げる姿に大きな波動が広がっています。
◇現実の中にこそ
先生は、「自身の人間革命の戦いと、広宣流布の戦いは決して別々ではない」と述べられています。
目まぐるしい日々の生活の中で学会活動に励むことは、一見すると地味で、華々しいことではないかもしれません。しかし先生は、現実から逃げず、その真っただ中で自らの人間革命の戦いに勝利し切っていく中に、実は広宣流布の実像があるのだと教えてくださっています。
先生は昨年、「創立90周年から100周年への10年は、一人一人が『人間革命』の勝利の実証をいやまして打ち立て、いかなる『大悪』も『大善』に転じて、いよいよ人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時であります」とつづってくださいました。
社会が先の見通せない不安に覆われる中で、私たちが一日一日、目の前の立正安国の挑戦に勝利していくことは、わが地域の広宣流布のみならず、人類の宿命を転換し、地球社会の未来を開く壮大な勝利へとつながっていきます。
さあ、"師と共に、「大悪」を「大善」へと転じる感激のドラマを演じるために、今ここに集ってきたのだ!"と、地涌の使命に燃え、本陣・総東京に師弟勝利の凱歌を高らかに響かせていきましょう!
メモ
建治3年(1277年)8月、念仏者との法論に臨む門下の弥三郎に送られたお手紙である。ここまで生き永らえることのできた自らの使命を自覚し、この法論が人生の勝負の分かれ目であると心していきなさいと教えられている。
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