2024年8月12日月曜日

2024.08.12 わが友に贈る

名字の言 手塚治虫氏の「人生の恩人」 2024年8月12日
漫画家の手塚治虫氏が人生の恩人として名前を挙げた人物。それは小学校の先生だった▼小学生の頃、ノート一冊分の漫画を描いた。それを授業中に読んでいた友人が先生に見つかり、ノートを取り上げられてしまう。職員室に呼ばれ、怒られると思ったら、よくできているとほめてくれ、「大いにマンガを描きなさい」と。氏は「先生のおかげで、ぼくは人生に光明を見いだした」と振り返る(『ガラスの地球を救え』光文社)▼良き教師との出会いは人生を豊かにする。氏の先生は皆がどんな夢を持ち、人生をどう歩んでいきたいかを日頃からよく見ていたに違いない▼教育にとって最も大事なことは、子どもたちの声を「よく聞く」ことであろう。池田先生が「言葉による表現から、その奥にある精神の心音を、よく聞いていく」ことを強調したのは1975年8月12日。創価大学で行われた教育部(当時)の夏季講習会であった▼きょうは、この講習会を淵源とする「教育本部原点の日」。当時、先生が語った"私の最終の事業は教育"との言葉を胸に、創価の教育者は"子どもの幸福が第一"の社会を目指して尽力する。友の奮闘は未来を開く光明であり、その地道な献身の中に教育の目指すべき姿がある。

寸鉄 2024年8月12日
創価学会・SGIこそ日蓮仏法を現実に体現する団体―インド博士。"立正安世界"の誓願皆で
教育本部原点の日。宝の友の未来開く聖業。どこまでも子の幸福の為に!
「衆流あつまりて大海となる」御聖訓。一歩一歩の挑戦が栄光の道切り開く(新205・全288)
新しい刺激は脳の若返りに効果的と。友人との語らい広げる人は生涯青年
大学生就職内定率が91%に。8月時点の最高水準。公明よ更なる若者支援を

〈社説〉 2024・8・12 きょう「国際青少年デー」
◇"青年の熱と力"応援する社会を
きょうは「国際青少年デー」。若者が社会のあらゆる分野に参画し、意見を反映させられる未来を目指し、1999年に国連で制定されたものだ。
制定に先立って、世界の若者が置かれた状況を改善すべく採択された「世界行動計画」には「青少年は大きな社会的変革を引き起こす当人であり、受益者であり、また犠牲者である。また総じて、既存の秩序に組み込まれようとしながら、一方ではその秩序を変革する原動力となる」とある。
日本若者協議会の室橋祐貴代表理事は、社会の風潮として「若者は未熟であり、権利の主体ではなく、支援・保護対象だと見なすまなざしがある」と指摘する(2023年10月5日付朝日新聞デジタル)。若者の未熟さは時にリスクにもなろう。しかし、それ以上に若者が変革と刷新の原動力となってきたことは明白だ。
青年の数だけ希望があり、未来がある――その熱と力に、誰よりも期待を寄せてきたのが、池田大作先生である。2006年に発表した提言「世界が期待する国連たれ」の中では「世界の青年のために活動を特化した専門機関、もしくは国連事務局における『青年担当局』の設置を」と提案。そして昨年、国連は青年に関する事柄に特化した「ユース・オフィス」を設置した。青年に光を当てた、世界的問題の解決に向けての取り組みは、さらに加速していくであろう。
グテーレス国連事務総長は一昨年の青少年デーに「若者の声に耳を傾けるだけでは不十分です。地方、国、国際レベルの意思決定メカニズムに、若者たちを組み入れる必要がある」と述べた。昨今は日本でも青少年が政策提言したり、議員や首長に意見を伝えたりする「子ども議会」「若者議会」を導入する自治体が増えてきた。
人口比率では"少数派"である日本の青少年たちにとって、自身の意見が政策に反映される経験は貴重であり、社会のさまざまな課題について考え、解決していく主体者となる動機ともなろう。
変化の大きい時代の中、国内外で困難な問題が山積している。しかし、悲観することはない。今、必要なのは、青年たちに挑戦と変革の機会を与えるとともに、その清新な熱と力を応援することを社会全体の"当たり前"にしていくことだ。それこそが、次の時代を開くための鍵となるに違いない。
🚴 関口

2023年11月18日土曜日

池田大作先生が霊山へ

創価学会名誉会長・SGI(創価学会インタナショナル)会長の池田大作先生が15日夜半、老衰のため、東京・新宿区内の居宅で霊山へ旅立たれた。95歳のご生涯であった。葬儀は17日、近親者のみで家族葬として執り行われた。池田先生は19歳で入信。第2代会長の戸田城聖先生に師事した。恩師が掲げた広宣流布の願業実現に青春をささげ、戸田先生の後を継いで32歳で第3代会長に就任。以来、世界広布のために東奔西走し、学会を192カ国・地域に広がる平和のスクラムに発展させた。学会葬は今月23日、全国の会館を同時中継で結び、会員を対象に挙行される(詳細は明日付本紙に掲載)。後日、「お別れの会」が行われる(日時・会場は未定)。

 下記の創価学会公式チャンネルをご視聴ください。
【池田大作先生が逝去】原田会長・池田主任副会長が談話|創価学会公式
https://www.youtube.com/watch?v=TeuEI6QxA4s

2023年10月29日日曜日

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2022年10月29日土曜日

2022.10.29 わが友に贈る

理想の社会を創るのは
全て一人の変革から!
これが広布の方程式だ。
友の心に希望を送る
勇気の実践を"私"から!

当体義抄送状 P519
『経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり』

【通解】
法華経従地涌出品に「地涌の菩薩は、世間の法に染まらないこと、あたかも蓮華が泥水の中にありながら、清浄であるのと同じである。しかも、この菩薩は大地から涌き出た」と説かれている。これは、まさしく地涌の菩薩が当体蓮華であることを示している。

名字の言 最高峰エベレストを一望できるロッジを建てた女性部員 2022年10月29日
ネパールから写真が届いた。標高4000メートルほどの丘に立つ石造りの建物で、山小屋風の宿泊施設だった。山荘から見える風景を撮った別の写真に、目を見張った。世界の最高峰エベレスト(サガルマータ)が気高くそびえていた▼「エベレストを一望できる場所にロッジを建てよう」。こう心を定めた一人の女性の強い思いが写真からも伝わってきた。1989年に完成したロッジは今、現地の人々や多くの登山者にとって"なくてはならない友好の広場"となっている▼建てた女性は今年91歳。40年以上、日本とネパールの民間交流に尽くす。ネパールに何度も足を運び、来日した留学生を親身になって面倒を見てきた。今秋から、ネパールの教育を支援する新たなプロジェクトを本格的に開始。「年がいもなく見えますが、私が決めた人生ですから」▼約50年前、国際部(現在の国際本部)が結成された71年に決意した。「生涯、青春。生涯、求道。生涯、報恩」。この誓いを忘れないからだろう。体の無理は利かない年齢になっても、心は生き生きと輝いている▼「精神面の若さをささえるものは、"偉大なる道"を求める、真摯な求道心」と池田先生。最高峰の哲学を持ち、最高峰の人生を歩む先輩に続きたい。

寸鉄 2022年10月29日
全国各地で「ユースフェスタ」に向け青年が疾駆。伸びゆく宝友を皆で応援
青森県女性部の日。輝く新時代の"人材の大森林"地域に励ましの大波を!
「今は謗ぜし人々も唱え給うらん」御書。大確信で真実と正義を語り抜け(新1711・全1241)
秋の読書推進月間。本には人生観変える力がある—識者。まず1頁繙こう
気候変動は人類の課題。熱波等の死者、20年間で7倍と。世界一体で応戦

〈社説〉 2022・10・29 「世界の識者との対話」開始55年
◇「黄金」の言葉で平和の道開こう
冷戦、核戦争の危機、環境問題——。池田先生が"世界との対話"を始めた1967年、地球規模の課題は山積みだった。
平和を求める賢人の中には、解決の道を大乗仏教に見いだし、日蓮仏法を根本に進む創価学会の運動に注目する人々がいた。
現在のEU(欧州連合)の基礎を築き、「ヨーロッパ統合の父」と称されるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵もその一人だった。
氏は学会を「世界最初の友愛運動である仏教のよみがえり」と評価。67年10月30日、先生との出会いが実現した。
3年後に再会し、対話は「核廃絶」「青年論」など多岐にわたり、計10時間を超えた。
氏は創価学園で講演し、建設中の創価大学を訪れるなど、先生と各界識者の教育交流の先駆けに。2人の語らいは72年、『文明・西と東』として結実。先生の約80冊に及ぶ対談集の1冊目となった。
以来、先生はさまざまな差異の壁を超え、対話の力で世界を結んできた。特に仏教の世界と遠い西欧の思想家と対話を続けた理由の一つを次のように記している。
——どんな宗教であれ、創始者が初めて真理を語った時には輝きを放っていた言葉も、時代が変われば古びて聞こえるようになっていってしまう。
「しかし、その言葉の中に秘められた真理は、けっして古びたり衰えたりしてはいない。黄金は、どんなに埃をかぶっても、やはり黄金なのである。ただ、それが黄金であることを人びとに納得させるためには、その表面をおおっている埃を取りのぞかなければならない」「この点について自分でも納得したい」(ルネ・ユイグ氏との対談集『闇は暁を求めて』の序文)
ゆえに先生は、第一級の知性との対話を通して「仏教」にまつわる固定観念や偏見といった「埃」を吹き払い、「幸福とは」「生命とは」「人はいかに生きるべきか」を探り続けてきたのである。
『文明・西と東』で先生は訴えた。「いかなる対立や、相克であっても、力によるのでなく、人間の英知によって、新しい解決の道を求めるべきである」と。
私たちは今、感染症、戦争をはじめ多くの危機に直面している。今こそ、師がよみがえらせた「黄金」の言葉、不変の真理に親しみたい。そして学会活動の現場で新たな智慧、新たな表現を生み出し、平和の道を開いていきたい。

☆勇気の源泉 御書と共に 「耳根得道」の国
『この娑婆世界は耳根得道の国なり。(中略)これを耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり。』(一念三千法門、新363・全415)

【通解】この娑婆世界は耳根得道の国である。(中略)妙法蓮華経を耳に触れる一切衆生は功徳を得る衆生である。

耳根は仏法で説く六根(目・耳・鼻・舌・身・意)の一つ。耳根得道の国とは、仏法を「聞く」ことで成仏へと至る国土である。
人間の「耳」は、誕生前から臨終まで、常に開いているという。目や口は閉じることができるが、何かでさえぎらない限り、耳を閉ざすことはできない。
池田先生は『法華経の智慧』で、耳は「生命の窓」であると語り、「命の奥底にまっすぐに入っていける『魂への門』」と。
例えば、会合で体験を聞いて感動する。SOKAチャンネルなどで先生の指導を胸に刻む。同志の励ましによって元気になる——。主に「耳」を通して言葉を伝えることで、心が変革されていくといえよう。
そして仏法で「聞く」ことが重要なのはそのまま、「語る」ことが重要ということでもある。
法華経には「五十展転」の法理が説かれている。法を「聞いて」歓喜した人が、別の人に「語る」。それを聞いた人がまた歓喜し、さらに次の人に語る。このようにして50番目に伝え聞いた人の功徳も絶大だとされる。
この御文を通し先生は関西の友に訴えた。
「勇気をもって正義を語りきることです。『声の力』が人々の心を変える。功徳の華を広げる。国土も大きく変革していく」
歓喜の語らいに勇み立ち、自他共の幸福を開いていきたい。

☆小説「新・人間革命」に学ぶ 言葉のちから 坂元信行北陸長
◇自身を築く
地区の協議会で、さまざまな意見が出て、それをうまくまとめられなかったと責任を感じた壮年部の友。同じく協議会で、活躍するメンバーの姿を見て、なかなか勇気を出せないでいる自分は、ずるいのではないかとまで深く考えてしまった壮年部の同志。それぞれに話をお聞きし、私なりの考えを述べさせていただきました。
すぐに答えは出せなくとも、誠実に「聞き役」に徹してみることや、御書に「随力弘通」とあるように、自分らしく広宣流布を進めること自体が尊いことなど。そして、小説『新・人間革命』にも、ヒントになりそうな箇所があります。
「壮年の一人が、伸一に尋ねた。
『私には、人に信心を教えるような経験も、実力もありません。これから、支部の幹部として、みんなから相談をもちかけられた場合、どうすればよいでしょうか』
真摯な質問であった。伸一は微笑んだ。
『経験は、これから積めばいいんです。学会は指導主義です。指導は、教授とは違う。自分が習得したものを人に教えるのが教授ですが、指導というのは、進むべき道を指し示し、ともに進んでいくことです。したがって、御書にはこう仰せである、学会ではこう教えていると、語っていけばいいんです。そして、一緒に、その人の幸せを祈ってあげることです。これは、誰にでもできることだが、人間として最も尊い行為です。自分のために、祈ってくれる同志がいるということほど、心強いことはありません。それが、最大の力になり、激励になります』」(第1巻 336ページ)
「指導主義」が大切ということと、その人の幸福を祈っていくことが、相手の何よりの支えになることを忘れないでいたいですね。

◇"自分への指導"と胸に刻み
ともあれ、私たちの信心の姿勢として心がけたいことは、日蓮大聖人や師匠の指導を、自分に頂いた言葉として、「その通りだ」と確信し、実践することだと思います。その「求道心」こそが、自分で自分を養うのではないでしょうか。
池田先生は、かつて「四条金吾殿御返事」を講義され、「『衆生』のうちに貴殿もれ給うべきや。『所』とは、一閻浮提なり。日本国は閻浮提の内なり。『遊楽』とは、我らが色心・依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや」(新1554・全1143)との御文を通して、こう語られました。
「この(法華経の「衆生所遊楽」という)経文は、あなた自身のことなのですよ、と。凡夫の悲しさで、どんなに経文を読み、御書を拝しても、『自分は別だ』と思ってしまう。
特に、苦しい嵐が吹きつけているとき、悲しみで心が張り裂けそうなとき、『自分の苦しみだけは救われない』と思ってしまうものです。
そうではないのですよ、というのが、ここの御文です。(中略)
『自受法楽』とあるように、最高の幸福境涯である仏界から、すべてを見下ろしていける自分自身を築き上げることが根本です。そうなるためには、題目を唱え抜いていく以外にないと仰せなのです。
また『色心依正ともに』と仰せのように、仏法は『心』だけの観念論ではない。『自分(正報)』だけの主観論でもない。心の福徳は、目に見える『物質面(色法)』にも表れ、『環境(依報)』にも表れる。目に見えない信心の『一念』が、色心依報ともに、一切を幸福の方向へ、所願満足の方向へ、一番いい方向へ、怒濤のごとく変化させていくのです。それが『自受用身の仏』です」
「もしも、心のどこかに『自分だけは幸福になれない』『自分だけは人材になれない』『この悩みだけは解決できない』と決めつける一念があれば、その一念の分だけ、功徳を塞き止めてしまうのです。ですから、この御文は、苦難の中にある金吾に対し、『あなたも必ず、この経文通りになるのですよ』と念を押されているところです。大聖人の慈愛です」と。
御本仏・日蓮大聖人と池田先生の言葉を、自分への指導なのだと深く胸に刻んで、人間革命の道を歩み続けましょう。

◇主体的、能動的に
さて、この「言葉のちから」の連載に、多くの方から感想を頂戴しました。その言葉に、私のほうが励ましていただき、心から感謝しています。何より、うれしいのは、皆さんと共に大聖人の御金言に触れ、池田先生の指導を学び合う機会を持てたことです。
ありがとうございました。
最後に、小説『新・人間革命』の言葉を確認し、終わりたいと思います。
「受け身ではなく、御本尊に巡り合い、一生成仏できることへの感謝と歓喜をもって、主体的、能動的に、勇んで信心に取り組んでいくことです。その時に、御本尊の大功徳を享受していくことができるんです。今、この時に人間として生まれ、御本尊を受持したこと自体、大変なことなんですよ」(第28巻 175ページ)

2022年10月28日金曜日

2022.10.28 わが友に贈る

"できない"ではなく
"やろう"と腹を決めて
苦手なことにも挑もう!
人間革命の劇は
そこから始まる!

四条金吾殿御書 P1111
『食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり』

【通解】
食法餓鬼という餓鬼は出家となって仏法を弘める人のうちで、自分が法を説けば人は尊敬するなどと思い、名聞名利の心をもって人よりも勝れようと思って今生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうという心もない人を食法餓鬼というのである。

名字の言 弟が兄から受け継いだ"音楽への思い" 2022年10月28日
サクソフォン奏者の壮年が数十年前の高校時代、吹奏楽の全国大会で演奏する映像を見せてもらった。彼が手にする楽器は、思いのほか使い込まれていた。聞けば、10も年上の兄から譲り受けたものという▼兄は抜群の腕前で音楽家を目指していたが、病となり進路を変更。それでも楽器の手入れを怠らない兄の"音楽への思い"を、弟の彼が受け継ぎ、中学から吹き始めた。兄弟の心が宿る楽器を画面越しに見つめながら、名演を味わった▼学生部のある先輩と後輩は、しばしば連れ立ってメンバーの激励に歩いた。その中に毎回、家に行っても会うことを拒む学生がいた。それでも先輩は、持参した一筆箋に激励文をつづってはドアポストに挟んだ▼後年、先輩は大学を卒業し、就職で他県へ。後輩が当地のリーダーを引き継いだ。ある日、会えなかったその人から後輩に電話があった。「悩みを相談したい」。訪ねた部屋には、かつて先輩が書き続けた大量の置き手紙が大切に保管されていた。心を開いた友は信心で再起を果たし、苦悩を打開した▼自らかなえる願いもあれば、人に託し、時を経て花開く強き願いもある。その分、実った時の喜びは倍になり、志を立てた人、継いだ人の両方を輝かせる。

寸鉄 2022年10月28日
学会をつくったのは庶民—戸田先生。青年よ正義の言論で尊き和合僧守れ
東京「杉並女性部の日」。広布新展開の誉れの舞台連帯拡大を!幸の大輪を
「仏種は縁より起こる」御聖訓。妙法の種蒔く励ましの語らいを今こそ!(新1953・全1467)
SGIの友は良き市民として重要な貢献—エリース・ボールディング博士。地域に安心の光送る灯台
信号機のない横断歩道で60%の車が停止せずと。歩行者優先を互いに順守

☆「桜梅桃李」の輝き 池田先生の指導に学ぶ
◇光る人間の真価とは
創価大学の近くには、有名な東京純心女子大学があるが、その首脳の先生方とも、私たちは親交を結ばせていただいている。(中略)先日、高野(澄子)理事長から、一冊の貴重な書籍をいただいた。それは、『江角ヤス学園長先生 追慕の記』という本である。
江角ヤス先生は、東京純心女子大学の創立者であられる。(中略)
いただいた本には、江角先生を追悼して寄せられた百人以上もの多くの方々の声が収められている。さっそく感銘深く拝読させていただいた。
どの方も、江角先生を心から慕い、深い感謝をささげておられる。どれだけの人に尽くし、どれだけの人を励まして、どれだけの人の心の中に、自分の存在が刻まれたのか。ここにこそ、人間の真価が光る。
一人の教え子の方は、江角先生の忘れ得ぬ言葉として、こう紹介している。
「あなたがた一人一人は、個性を持って咲く花である。庭に咲くバラやゆりかもしれないし、野に咲く一輪の花かもしれない。そしてもし野の花がバラの花のようになりたいと思って、ひねくれた花を咲かせるより、自分自身の花を咲かせることに努めて野の花は野の花らしい花を咲かせた方が、どれ程価値があり美しいことか」(『江角ヤス学園長先生 追慕の記』純心女子学園発行。以下、引用は同書から)——と。
日蓮仏法の「桜梅桃李」に通ずる、すばらしい人生哲学である。

◇人生は、お金でも名誉でもない
また江角先生は、若き乙女たちに、「人生で、まことの勝利者はどんな人か」についてスピーチをされた。
今の多くの人々は、"人生の目的をお金と名誉と快楽とにおいている"。
しかし、「そこにほんとうの人生の勝利が得られるかどうか」「お金をたくさんもって、豪華な家を建ててる人、人臣をきわめた、総理とか大臣とか、社長とかの位についている人、その人達の晩年がほんとに喜びにみたされた生活であるかどうか」——と。
江角先生が作られた老人ホームには、立派な大学を卒業した人や、著名な芸術家や、お金には何不自由ない資産家なども、たくさんおられた。そのなかでもっとも幸福に暮らしていた人は、だれか?
それは、小学校しか出ておらず、若いころはお手伝いをしていた一人の平凡なおばあさんであると、江角先生は言われている。
おばあさんは、「どうしたら他人様をよろこばせることが出来るか」をつねに考えている方で、大病を患い自由に動くことができなくなっても、その人がいるだけで、雰囲気があたたかくなったという。
江角先生は、つくづくと語っておられる。「他人様のために、自分を忘れ働き他人様のためにつくした人のこの晩年の美しさ、幸福さを私はしみじみ思ってみているのです」と。
「生涯の終りの時に問われることは、どれだけ自分のまわりの者を愛したかということだけです」——これが江角先生の哲学であった。
皆さま方も、悩んでいる友のため、自他ともの幸福のために、わが使命の場所で、勇気ある慈悲の行動を生き生きと展開しておられる。その途中に、いかなる苦難があろうと、それはすべて、人生の最後を無量の幸福で飾っていくための「劇」なのである。
長い人生には、だれしもさまざまな起伏がある。しかし、何も悩みがないことが幸福なのではない。何があっても耐えぬいて、勝ち越えていけることが幸福なのである。
御書にも、「仏をば能忍(=よく忍ぶ人)と名けたてまつる」(全935・新1212)と仰せである。
いちばん苦労に耐え抜いた人が、いちばん幸福を勝ち取っていく。これが「煩悩即菩提」「変毒為薬」の妙法である。
いちばん誠実に生きぬいた人が、いちばん栄光に輝いていく。それが広宣流布の世界である。

◇植えておけば やがて花が、実が
別の教え子の方は、江角先生と一緒に汗を流して、柿や梅を植樹した思い出をしるしておられる。そのとき、江角先生は、「植えておけば少しでも花が咲くし、実がなるのよ。でもね、何もせず、植えなければ何もみのらないし、ゼロなのよ」と教えられたという。
何事であれ、「植える」「種を蒔く」という作業こそ、もっとも地味でありながら、もっとも尊い偉大な姿である。(『池田大作全集』第90巻 SGI公認通訳会議でのスピーチから)

2022年10月27日木曜日

2022.10.27 わが友に贈る

折伏こそ最も尊い
慈悲と勇気の実践だ。
友の幸せを願う
「抜苦与楽」の励ましに
揺るがぬ信頼が築かれる。

佐渡御勘気抄 P891
『日蓮は日本国東夷東条安房の国海辺の旃陀羅が子なり、いたづらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金をかふるにあらずや、各各なげかせ給うべからず』

【通解】
日蓮は日本国の東国の片田舎の者で、安房の国東条の郷・海辺の旃陀羅の子である。むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のために捨てることができるのは、ちょうど石を金にかえるようなものではないか。あなた方は、嘆かれてはならない。

【先生の指導から】
大聖人みずから、ご自身のことを「民の子ども」(御書p1332、通解)と言われた。最下層の身分を意味する「旃陀羅(せんだら)の子ども」であると堂々と宣言されている。
最も貧しく、最も虐げられてきた民衆が、最も偉大な仏になる。宇宙大の境涯を開く。常楽我浄の生命を輝かせる。それを大聖人は、わが身で示された。本当に、すごいことである。

名字の言 「この一冊に、ありがとう」——きょうから「読書週間」 2022年10月27日
『動物農場』『一九八四年』などで知られるイギリスの作家ジョージ・オーウェルがある時、生涯に何冊の本を読んだかと問われた。文豪の答えは「800冊か900冊」。質問者は数の少なさに驚いたという▼このエピソードを通し、詩人の管啓次郎さんがつづっている。「読む」ことの濃度は人それぞれであり「冊」という単位には意味がない、と▼例えば詩について、管さんは「詩の読書はどれほど断片的でもかまわない。一行が、心を捕らえることもある。一行が、きみを変えることもある」と訴える(『本は読めないものだから心配するな』ちくま文庫)▼書店や図書館に足を運ぶか、あるいは電子書籍やオーディオブックを活用すれば、数え切れないほどの本に出あうことができる。その中から、限られた自分の時間で「何を」「どう」読むか。10冊の本を読むもよし。一方、1冊の本を10回読み、精神の"血肉"にする読み方もある。「座右の書」というが、常に傍らに置き、読むたびに新しい発見と気づきを得る——そんな本に出あえることは人生の喜びの一つだろう▼きょうから「読書週間」(11月9日まで)。今年の標語は「この一冊に、ありがとう」。良書に触れ、心を豊かにする秋のひとときを。

寸鉄 2022年10月27日
外交戦は礼儀正しく誠実に粘り強く—戸田先生。颯爽と友情広げる対話へ
滋賀青年部の日。愛する湖国を共生の理想郷に。師弟の誓い胸に勝ち進め
「希望は永遠の喜びだ」イギリス作家。信心は崩れぬ幸福と勝利の確かな光源なり
良書は心を豊かに。多忙な中でこそ繙く挑戦を。「文字・活字文化の日」
政府が通園バス置き去り対策強化—公明提言で。命守る政治に全力挙げよ

〈社説〉 2022・10・27 きょうから「読書週間」
◇本の"楽しさ"と出あう秋に
わずか数十秒の動画で紹介された30年前の小説が、重版されて15万部以上を売り上げた——。
これはSNSで小説の魅力を発信している小説紹介クリエーター・けんごさんのエピソード。「小説に興味がないという人にこそ、その楽しさを知ってほしい」と、毎月15もの作品の紹介動画を投稿し、話題を呼んでいる。
国立青少年教育振興機構の調査(2018年)では、1カ月で紙の本を1冊も読まない人が約半数に上り、年代に関係なく、読書離れの傾向が強くなっているという。
しかしけんごさんは、それは小説の魅力を"知るきっかけ"が他のエンタメ作品と比べて少ないからだと訴える。そして、きっかけさえ広がれば、読書の面白さに気付く人は増えるのではないかと語っている(本紙10月16日付)。
読書によって読解力が培われるなど、その効果は多くの観点から論じられる。しかし、そうした教育目的でなくても、"なんだか面白そう"という興味から本に触れるのも自然だろう。
少年少女きぼう新聞では、創刊以来、子ども自身が「おすすめの本」を紹介するコーナーを連載。そこでは「物語の場面を想像するのが面白い」「知らなかったことを学べるのがうれしい」など、勉強のためというより、純粋に本を読む楽しさがつづられている。
現代の若者はインターネットの娯楽に限っても、SNSやオンラインゲーム、動画サイトなどで多くのコンテンツに囲まれている。その中にあって、読書に親しむ時間がつくれれば、より生活に潤いや豊かさが増していくだろう。
きょうから「読書週間」が始まる(11月9日まで)。標語は「この一冊に、ありがとう」。本を手に取るきっかけは人それぞれだ。けんごさんが初めて小説を読んだのは大学生になってからで、500ページ以上ある分厚さが目に留まったからだという。友達からの口コミで心が動いたという人や、装丁のデザインに引きつけられたという人もいるかもしれない。
今は電子書籍や"本を耳で読む"オーディオブックもあり、読む方法も多様になった。実際に書店まで足を運べば、意外な「一冊」との出あいがあるかもしれない。これまで読書に親しんできた人も、なかなか手が伸びなかったという人も、「読書の秋」をきっかけに本を開いてみてはどうだろうか。

☆「桜梅桃李」の輝き 池田先生の指導に学ぶ
◇「多様性の調和」が法華経の世界
つねに御書を拝し、御聖訓のままに行動していくことが、わがSGI(創価学会インタナショナル)の永遠の軌道である。
今回の英文の『御書選集』(※1996年)にも収録されている、有名な御金言を拝したい。
それは、遠く離れた佐渡で活躍する、婦人門下の千日尼への御手紙の一節である。
「九界・六道の一切衆生・各各・心心かわれり、譬へば二人・三人・乃至百千人候へども一尺の面の内しちににたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人・十人・六道・九界の衆生の心いかんが・かわりて候らむ、されば花をあいし・月をあいし・すきをこのみ・にがきをこのみ・ちいさきをあいし・大なるをあいし・いろいろなり、善をこのみ悪をこのみ・しなじななり、かくのごとく・いろいろに候へども・法華経に入りぬれば唯一人の身一人の心なり、譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味なるがごとく・衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし」(全1319・新1749)
——九界・六道の一切衆生は、おのおの心が違っています。たとえば、二人、三人、ないし百人、千人いても、一尺(約30センチ)の顔の中が真に似ている人は、一人もいません。心が似ていないから、顔も似ていません。まして二人、十人、六道、九界の衆生の心は、どれほど違っていることでしょう。すなわち、花を愛し、月を愛し、酸っぱいものを好み、苦いものを好み、小さいものを愛し、大きいものを愛し、いろいろです。善を好み、悪を好み、さまざまです。このように、いろいろですが、法華経に入ってしまうと、(全員が仏になるゆえに)ただ一人の身であり、一人の心です。たとえば、多くの川も大海に入れば、同じ塩味となるように、また多くの鳥も須弥山に近づけば、同じ金色になるようなものです——。
法華経は、人間の多様性を最大に尊重し、生かし、そして調和させゆく哲理である。それぞれの差異を認め合ったうえで、皆が平等に、自分自身を光輝あらしめていく。そして、うるわしい「桜梅桃李」の花園を築いていく。そのための源泉が妙法である。
多様性に満ちたニューヨークは、ある意味で、地球の縮図であろう。
そのなかにあって、わがニューヨークの友は、「多様性の調和」という人類の最重要の課題に取り組んでおられる。
日蓮大聖人は、ニューヨークの仏子のこの連帯を、あたたかく見守ってくださっているにちがいない。

◇「真実の同志」を一人でもつくる
牧口先生は言われていた。
「人数ではない。少数でも、真実の同志を見いだしていく以外にない」と。
牧口先生は、そうした人材を「砂の中の金」「泥の中の蓮華」、そして「ダイヤモンド」に譬えて、最大に大切にされていた。
その意味で、ニューヨークは、「一騎当千の獅子」の集いでいきたい。
「一人」が大切なのである。「一人を大切にする」——そこから一切が開けてくる。これが広宣流布の永遠の方程式である。
ニューヨーク生まれの詩人ホイットマンは謳った。
わたしたちの一人一人は非常に貴重だ、
わたしたちの一人一人は無限だ——わたしたちの一人一人は彼あるいは彼女の権利と共に地上にある、
わたしたちの一人一人は大地の永遠の目的を承認したのだ、
ここにあるわたしたち一人一人は、ここにあるいかなるものとも等しく神聖なのだ。(「世界万歳!」、『草の葉』富田砕花訳、第三文明社)
(『池田大作全集』第87巻 ニューヨーク文化会館の集いでのスピーチから)

☆京都広布の礎 山科文化会館訪問30周年
◇先駆の使命を誓う
山科文化会館が開館したのは1987年(昭和62年)。5年後の92年(平成4年)10月25日、池田先生は京都広布の先陣を切る山科の同志を激励するため、同会館を初訪問した。
 会館に着くやいなや「懸命に頑張っている。立派なところだ。私は知っているよ」と集まったメンバーに声をかけ、記念植樹を。山科支部結成27周年の記念勤行会では、懇談的にスピーチした。
 「学会と一緒なら必ず幸せになるんです。悩みのない人生はないし、強く生きることが大事です」「仲良くすれば福運がつくし、力がつく。人生の喜びがわく」
 さらに、「強盛な信心があってこそ、御本尊の仏力・法力が顕れる」と強調。「偉大なる/歴史をつつみし/山科の/長者と王者の/和楽楽しや」など、5首の和歌が詠み贈られると、会場は歓喜の拍手に包まれた。
 240回目の関西指導で、師が足跡を刻んだこの日は、10・25「山科総区の日」の淵源に。不滅の原点から30周年の節目を迎える本年、今再びの先駆の使命を誓う。

2022年10月26日水曜日

2022.10.26 わが友に贈る

一番苦しんだ人が
一番幸せになる。
それを可能にする信心だ。
不屈の心で困難に挑み
勝利の未来を開こう!

開目抄下 P230
『若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん』

【通解】
もしまた法華経を受持するものを見て、その過悪を出すならば、もし、そのことが実であろうと不実であろうと、この人は現世に白癩の病を得るであろう。

名字の言 "毒ガスの島"から"平和を願う島"へ 2022年10月26日
瀬戸内海の大久野島(広島県竹原市)は「ラビットアイランド」と呼ばれる。数百匹のウサギが生息し、国内外から観光客が訪れる人気スポット。だがこの島は、かつて旧日本陸軍が毒ガスを製造し、多くの犠牲者を出した歴史を持つ▼戦後、島内に「毒ガス資料館」が建設された。発電場や毒ガス貯蔵庫などがそのまま残され、平和学習の場として活用されている。"毒ガスの島"は、戦争の悲惨を後世に伝える"平和を願う島"に生まれ変わった▼ある女性部員は13歳で同島に学徒動員された。終戦を迎えた後、毒ガス汚染の影響で慢性気管支炎に。"戦争は終わっても、苦しみは終わらない"——将来を悲観していた時、学会に出あった▼信心に励む中で「一個の人間を基調とした『人間平和』があってこそ、崩れぬ世界の平和もありうる」との池田先生の言葉に触れた。以来、彼女はつらい記憶が平和に役立つならと、戦争体験を語り抜いた。不戦の誓いは子や孫に脈々と受け継がれている▼御書に「わざわいも転じて幸いとなるべし」(新1633・全1124)と。過去の悲劇を未来の希望をつくる力に変えていく。その一念の変革を成し遂げゆく中に「立正安国」「立正安世界」への直道がある。

寸鉄 2022年10月26日
広布は私がやるとの気概で進め—戸田先生。11・18へ悔いなき拡大を今こそ
池田先生の北陸初訪問65周年。誓願の炎は赤々と。共々に妙法勇者の行進を
「病によりて道心はおこり候」御書。闘病の同志よ負けるな!祈り強く前へ(新1963・全1480)
7割が自転車の危険運転に遭遇と。"車両"の意識忘れず。スマホ操作等、厳禁
夜型生活は朝型より疾患リスクが上昇と—研究。"惰性"は排して健康人生

〈社説〉 2022・10・26 カスタマーハラスメントを防ぐ
◇誰もが安心の介護現場に
介護職員を雇用する男性から、最近の悩みを聞いた。彼は「人手が足りません。辞めていく人も多いですが、その理由は給与や待遇だけでなく、利用者との関係の悩みが大きい」と語っていた。
日本は、65歳以上の割合が3割に迫る「超高齢社会」。介護職員の離職が続けば、多くの人の生活基盤を揺るがしかねない。
近年、介護現場でのカスタマーハラスメントの問題が浮き彫りになってきた。カスタマーとは顧客のこと。利用者や家族による、不当・過剰・法外な要求や立場の乱用などがこれに当たる。
何がカスタマーハラスメントになるか、正しい知識がなければ、"どうしてやってくれないのか"と、不満や苦情になりかねない。
例えば、ホームヘルパーに要望できる内容は、次のうちどれか。「家族全員分の洗濯」「来客の対応」「草むしり」「犬の散歩」——実は原則、いずれも依頼できない。
介護サービスには、「できること」「やってはいけないこと」が明確にある。この線引きを、介護職員だけでなく、利用者もよく理解することが、適切な関係を築く第一歩といわれる。
事業者も、誰でも分かる説明の工夫、ハラスメントに関する禁止事項の明文化など、介護職員も利用者も守るための仕組みづくりを進めている。行政の改革推進にも期待したい。
一方で、介護サービスを受けることをためらう必要はない。負担を軽減し、より良い介護生活とするために活用したい。介護職員は、利用者や家族に寄り添ってくれる、かけがえのない存在だ。
本紙・介護の体験談「こころの絆」には、日々、多くの声が寄せられる。「目まぐるしい生活。心が折れそうだった時、励ましてくれたのはヘルパーさんでした」「介護は一人ではできません。介護職員の方の献身的な支えがあって、初めて乗り越えられました」など、感謝の声が絶えない。
社会福祉学者の結城康博氏は、「利用者も感謝の気持ちを忘れず、その思いが介護職員に伝わることで、両者の間で『相互満足度』を高めていくべきである」(『介護人材が集まる職場づくり』ミネルヴァ書房)と指摘する。
"介護職の誰もが安心して働ける社会"であってこそ、"誰もが安心して介護を受けられる社会"となることを忘れてはいけない。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第24回 クーデンホーフ=カレルギー
〈クーデンホーフ=カレルギー〉
正しいことのために戦うことは幸福を意味している。
人生は、いつまでも闘争であるべきである。

55年前の10月、池田大作先生は世界の識者や指導者と本格的な文明間・宗教間対話を開始した。その最初の相手となったのは「欧州統合の父」と仰がれるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵である。
伯爵が"欧州を一つにまとめることが、平和につながる"とする「パン・ヨーロッパ運動」に立ち上がったきっかけは、第1次世界大戦だった。オーストリアの皇太子がサラエボの青年に暗殺された事件が端緒となり、全欧州を戦場に1914年から4年以上も続いた、人類最初の世界戦争である。
戦後、多くの小国に分裂した欧州は、新たな火種が生まれ、第2次世界大戦がいつ起きてもおかしくない状況下にあった。
欧州統合の理念自体は古くから存在していた。だが分断や対立が激化する社会で、その実現はどこか夢物語にすぎなかった。
大学を卒業し、20代後半で中部ヨーロッパの有力な思想家として認められるようになっていた伯爵は、今から100年前の1922年、パン・ヨーロッパ運動に関する論文を発表する。
翌年、28歳の時に『パン・ヨーロッパ』を出版し、大きな反響を呼んだ。さらには「パン・ヨーロッパ連合」を結成し、各国に「パン・ヨーロッパ協会」を設立。"欧州は一つ"の理想へ、各地を精力的に駆け巡った。運動に「全て」を意味する「パン(汎)」を掲げたのは、主権国家同士の共同体を築くとの決意からであった。
しかしその夢は、ナチス・ドイツの台頭で一度は挫折する。海外への亡命を余儀なくされ、ウィーンにある本部を占拠したナチスにパン・ヨーロッパ関連の文書を破棄されてしまう。39年には、恐れていた第2次大戦が勃発した。
それでも伯爵は諦めず、アメリカに渡ってパン・ヨーロッパ思想への支持を拡大。45年の終戦後に欧州へ戻り、統合実現に向けて再び動き出す。49年に欧州評議会が発足すると、続いて57年に欧州経済共同体(EEC)、67年に欧州共同体(EC)が誕生し、夢は現実となった。
伯爵の信念の言葉にこうある。
「平和の領域は一歩一歩づつしか占拠できないものであって、現実に一歩前進することは空想で何千歩進むより以上の価値がある」
「正しいことのために戦うことは幸福を意味している」
「人生は闘争であり、また、いつまでも闘争であるべきである」
1894年11月17日、クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、7人きょうだいの次男として日本で生まれた。日本名は「エイジロウ」である。
父・ハインリヒはオーストリア=ハンガリー帝国の有力貴族で、母・光子は日本の商家の娘。2人は、外交官だった父が代理公使として日本に赴任していた時に出会い、結婚した。一家は伯爵が生後1年を経たころ、父の帰国とともにオーストリアへ移住する。
オランダ、ドイツ、ロシア、ポーランド、ギリシャの血を引いていた父は18カ国語に通じ、アラビア、インドをはじめ東洋に深い関心を寄せていた。自宅には海外から多くの来客が訪れ、少年時代の伯爵は父の"国際人"としての仕事を目の当たりにしながら成長した。書斎には哲学者の像や多くの書籍が並び、父が地球儀を回しながら世界について語ってくれることもあったという。
母は移住後、周囲からの偏見と向き合いながら、伯爵夫人としてふさわしい女性になるため、言語や教養を身に付けつつ、7人の子育てに奮闘した。
円満だった一家に試練が襲ったのは、移住から10年がたった1906年。父が心筋梗塞のため急逝したのである。周囲は、日本人の光子が財産を相続することに反対したが、彼女は批判の声にも屈さず、一家の家長として子どもたちを立派に育て上げていった。
後年、伯爵は述懐している。
「母は、子どもの教育については、夫である私どもの父の精神を、そのまま受け継いでおりました。(中略)私は、こうした母がいなかったとしたら、決してパン・ヨーロッパ運動を始めることはなかっただろうと考えています」
後に欧州連合(EU)へと発展する、欧州統合の出発点は"世界市民"である伯爵の両親だったともいえよう。

〈クーデンホーフ=カレルギー〉
他人や環境を変えようとする前に、まず自分自身を変える努力をすべきである。

さらに、こうも語っている。
「一人の人間の周りに、家族、友人、社会、国家などがあります。人間は自分自身に対して、第一の義務を負っているわけですから、他人や環境を変えようとする前に、まず自分自身を変える努力をすべきだと思います」
「真に世界平和を保証する唯一の道は結局、宗教以外にはない」
伯爵がこの真情を伝えた相手こそ、池田先生であった。
EUの前身であるECが発足した1967年、クーデンホーフ=カレルギー伯爵は71年ぶりに日本の土を踏んだ。72歳の時である。
創価学会を「世界最初の友愛運動である仏教のよみがえり」と評価していた伯爵。訪日に当たって会見を希望した1人が、池田先生だった。
10月30日、初の出会いが実現。「私は直ちに池田の人物に強く感銘した。やっと39歳の、この男から発出している動力性に打たれたのである」——そう振り返った会談は「東京滞在中のもっとも楽しい時間の一つ」になったという。
伯爵と先生が再会したのは3年後の70年10月。再来日の折に4度会い、のべ十数時間に及ぶ会見を行った。語らいは対談集『文明・西と東』として結実。先生が海外の識者と編んだ対談集の第1号となった。発刊から2カ月後の72年7月、伯爵は77歳の生涯を閉じた。

〈クーデンホーフ=カレルギー伯爵を語る池田先生〉
青年が勇気をなくしたら、もはや、青年ではない。
人々に「気持ちがいいな!」「素敵だな!」と思わせる、勇気の声を響かせていくのだ。

自らも若き指導者であった伯爵は「青年」に期待を寄せていた。その心を知る先生は、伯爵の言葉を通し、こう呼びかけている。
「博士が、青年への信頼を込めて語っていたことが忘れられない。
『人類の未来は、明敏な頭脳が主導権をにぎる世界となるだろうと思います。したがって、現在の学生たちが明日の世界を決定づける指導者となるのであって、彼ら自身は、その自覚に立って、未来に向かって自己形成し、準備をするべきだと思います』
青年は、自己形成を怠ってはならないと博士は遺言されたのである。頭脳も心も人格も鍛えなければならない。知識だけで『人間』が置き去りにされれば、社会は、どんどん誤った方向へ進むであろう。人格形成を根本に均衡のとれた人間形成が必要なのである」(95年5月21日、常勝関西第1回青年部記念総会でのスピーチ)
「(伯爵は)語っておられた。
『青年のみが熱意と、意志と、希望と、信念と、力を持っている』『青年は炎を持っており、その炎がなかったら、いかなる理念も光を発しないし、また勝利を占めることが出来ない』と。
創価学会も、青年で勝ってきた。青年が炎となって戦ったから、勝ってきたのである。(中略)
青年が勇気をなくしたら、もはや、青年ではない。青年は『勇気の皇帝』である。『平和の皇帝』である。若いというだけで、すでに、無限の財産と希望を持つ皇帝なのである。ゆえに若き皆さんは、『あの青年は気持ちいいな!』『あの青年は素敵だな!』——周囲の人々にこう思わせる、凛々とした勇気の声を響かせていっていただきたい」(2001年9月23日、第1回千葉青年部総会でのスピーチ)
両者の初会見から55年。創価の青年スクラムは今、日本、欧州、世界に大きく広がっている。

2022年10月25日火曜日

2022.10.25 わが友に贈る

人生の激闘の渦中で
御書を拝してこそ
信仰の確信が深まる。
常に求道の心を燃やし
歓喜と感動のドラマを!

三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』

【通解】
仏になる道は善知識に勝るものはない。わが智慧は何の役に立とう。ただ暑さ寒さを知るだけの智慧さえあるならば、善知識が大切なのである。

名字の言 可能性を信じて関わり続けた男子部本部長 2022年10月25日
今月、「全国男子部幹部会」の放映行事が開催され、各地で広布拡大のドラマが陸続と生まれた。明「青年・凱歌の年」へ先駆する若師子たちの姿が頼もしい▼栃木県のある男子部本部長は"全国男幹"への参加を通して、信仰に生きる喜びを感じてもらいたいと訪問・激励に奔走。真心が伝わるように祈り、これまで何度通っても会合に来たことがないメンバーにも笑顔で会いに行った▼放映終了の翌日、一人の部員の母親から感謝の電話をもらった。息子が5年ぶりに会合に参加し、「僕も変わりたい」と勤行・唱題の実践を始めたという。"今回も参加は難しいかもしれない。それでも可能性を信じて関わり続ける"——諦めない一念が実を結び、彼の胸に熱いものが込み上げた▼小説『新・人間革命』に、草創の同志の奮闘を報告した友に山本伸一が語る場面がある。「真心をもって友の激励に通い、発心することを祈り続ければ、どんな状態にある人も、いつか、必ず立ち上がる時がくるものです」(第29巻「力走」の章)▼立ち上がる人材は必ずいる。問われているのは人材を育てる側だ。一人が発心するその時を信じて祈り、真心を尽くそう。自分が境涯を広げた分、人材の花園は大きく広がっていく。

寸鉄 2022年10月25日
いよいよ正義を力説するのだ—牧口先生。青年よ破邪顕正の剣で勝ち進め
足立広布「師弟原点の日」本陣にそびえる庶民の城 新時代の常勝の歴史を!
練馬勇気の日。師弟共戦の後継の人材が陸続と。未来開く激励・拡大を今
農産物輸出が増加と。高品質な日本の食に世界が注目。生産者の労苦光る
携帯依存は深刻な物忘れ等に繋がる危険が。時間決めるなど意識して使用

☆世界広布の源流 青年に語る創価の魂 第6回 御書発刊70周年〈下〉
◇信行学こそ勝利のリズム
先崎 御書発刊と学会初の任用試験から70周年を刻む本年、世界各地で教学研さんの求道の炎が広がっています。

池田 日本での「教学部任用試験(仏法入門)」とともに、この秋以降、アメリカ、スペインなど、世界各国で教学試験が予定されています。
学会の教学運動の源流は、御書発刊の前年にあります。
1951年(昭和26年)9月1日、戸田先生は、「講義部」を「教学部」と改称し、教学の課程を一新しました。「その後の創価学会の、教学に対する基本的姿勢は、このころから確立された」(小説『人間革命』第5巻「前三後一」の章)のです。
「地区講義」の担当者の任命を受けた池田先生は、この月、志木支部の川越地区、鶴見支部の市場地区で、初めての地区講義を行いました。
先生は当時、23歳です。蒲田支部大森地区の地区委員(後の地区部長)と男子部の班長を兼務していました。地区講義の受講者は年上の方ばかりです。
その中で講義に臨まれた先生の思い——それは、9月25日の川越の初講義で語った言葉に表れています。
「戸田先生の『名代』として川越地区の御書講義を担当させていただくことになりました」
「全精魂を注いで御書講義をさせていただくとともに、御書を身で拝され、広宣流布の指揮を執られている戸田先生の大精神を、皆様にお伝えしてまいりたいと思います」(小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章)
さらに、講義に参加したメンバーに、こう呼びかけています。
「皆さんもまた、先生の『名代』の自覚をもっていただきたい」(同)
"師匠の名代"との自覚で、真剣勝負の講義を行い、同じ覚悟で、行学に徹しゆくことを同志に訴えられたのです。

◇使命に目覚める「深い講義」を
斉藤 「奮迅」の章には、若き池田先生が地区講義に向けて、何十回と御文を拝し、分からない箇所を徹底的に調べる姿が描かれています。

池田 地区講義の担当に当たって、戸田先生は池田先生に、「深い講義」について語っています。
「受講者が理解を深め、広宣流布の使命に目覚めることができる講義こそが、本当に深い講義といえる」
任用試験や御書の学習会の中で、講義の担当者が心に刻むべき大切な指針です。教学研さんは、御書の理解を深めることと同時に、広布の活動に挑戦する勇気を呼び覚ますことに意義があります。
先生は日記の中で、「講義を行う際の姿勢」について、こう記しています。
「一、熟読すること。二、明確に、解釈すること。三、理論的であること。必ず、体験を通し、幅広く講義をなすこと」(『若き日の日記』、1955年11月5日)
川越地区の講義は、約1年半にわたって続けられました。最後の講義は、53年(同28年)2月10日に行われています。
先生が講義を重ねる中で、川越地区は見違えるような発展を遂げます。それまでの支部の成果を上回る弘教を、1地区で達成できるまでになり、多くの人材も誕生しました。
最後の講義の日、先生は日記にしたためています。
「埼玉、川越地区に講義。——『佐渡御書』。受講者、約五十名。次第に、人材、人物が、輩出して来た様子」
地区講義を開始する際、恩師は、「一、二年したころには、川越地区を、今の支部並みの組織にするんだよ」と池田先生に訴えました。
先生は、大聖人の生命哲学の灯をともしながら、その通りの地区へと大発展させたのです。

◇若き時代に御書を「身読」する大切さ
小川 池田先生の御書講義は、常に"拡大のドラマ"とともにありました。

池田 "実践の教学"こそ、池田先生が築いてくださった学会の教学運動の伝統です。56年(同31年)の「大阪の戦い」は、その象徴です。小説『人間革命』第10巻には、対話拡大と"朝の御書講義"の両輪が、「大阪の戦い」の勝利の源泉となったことがつづられています。
「脈動」の章に、「(山本伸一の)講義は、講義のための講義ではなかった。不可能を可能にするという大願を秘めた彼は、その朝、その朝、その原動力ともいうべき、時々刻々の焦点を、御書を通して明確にした」と記されています。
「大阪の戦い」の"朝の御書講義"は、観念の教学や知識としての教学ではなく、関西の同志が、生活に勝ち、広布の戦いに勝つための講義でした。
同じく「脈動」の章に、「すべての幹部は、その日のうちに、朝、会得した御書を根本とする適切な指導を、そのまま全会員の胸へ、次から次へと語りかけていった」とあります。
朝の講義を聴いた友が、"今すぐ、地元の同志に語りたい"との思いが伝わってきます。
戸田先生の「受講者が理解を深め、広宣流布の使命に目覚めることができる講義」との指導を、「大阪の戦い」でも実践されたのです。
さらに、同章には「地涌の菩薩の使命に燃えた『信』『行』『学』の実践ほど、無敵のものはない」ともつづられています。
先生は関西の地に、「行」だけでも、「学」だけでもなく、"信行学のリズム"を自然な形で根付かせていきました。
「大阪の戦い」は新入会の友が多かった。そのメンバーが、広布拡大の戦いの中で教学を学びました。
青年部の皆さんの中にも、活動を始めて、まだ日の浅いメンバーがいると思います。大切なことは、今この時に、対話拡大に挑戦しながら、教学研さんにも励むことです。それが、御書の「身読」につながります。

田島 今月2日の全国男子部幹部会の席上、20歳の池田先生が、入信1年目の心境をつづった原稿が紹介されました。

池田 48年(同23年)7月14日に書かれた、わら半紙1枚の原稿です。「真実なる宗教の追求に進まんと決意」し、47年(同22年)8月24日に「御本尊を戴く」とあり、「当たって砕けよ」の意気で信仰の門に入ったと述べられています。
戸田先生とは、大田区蒲田の座談会で出会われて以降、約1年の間、直接話す機会はありませんでした。しかし、その間、池田先生は恩師の法華経の講義に参加し、「仏法の真髄の偉大さを、日一日と実感せざるを得なくなっていた」(小説『人間革命』第3巻「群像」の章)のです。
当時の日記にも、その感動をつづっています。
「ああ、甚深無量なる、法華経の玄理に、遇いし身の福運を知る。戸田先生こそ、人類の師であらん」
「妙法の徒。吾が行動に恥なきや。吾れ、心奥に迷いなきや。信ずる者も、汝自身なり」
「若人よ、大慈悲を抱きて進め。若人よ、大哲理を抱きて戦え。吾れ、弱冠二十にして、最高に栄光ある青春の生きゆく道を知る」
池田先生は入信後、戸田先生の法華経講義を通し、自ら信仰の確信を強めていったのです。ここにも、教学の大切さが示されています。
御書は"これだけ学べば終わり"ということはありません。常に御書を開き、研さんを続けていく——その求道の姿勢に、自身の人間革命があります。
御書発刊、そして学会初の任用試験から70周年を刻む本年から学会創立100周年へ、信行学のリズムを、さらに勢いよく加速させていくことが、青年部の皆さんの使命です。

2022年10月24日月曜日

2022.10.24 わが友に贈る

◇今週のことば
「智者とは、世間の法より
外に仏法を行わず」
信心は即生活であり
仏法は即社会である。
智者の誇りで勝ち光れ!
(新1968・全1466)
2022年10月24日

日女御前御返事 P1244
『相構え相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に謗法の者をせかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり』

【通解】
よくよく心を引きしめて、遊女を我が家へ寄せつけたくないと思うのと同じように、謗法の者を防がなくてはならない。「悪知識を捨てて善友に親近しなさい」というのは、このことである。

名字の言 苦に徹すれば珠と成る 2022年10月24日
所用で郊外に電車で出かけた。駅の改札口には、リュックサックを背負った老若男女の姿。見るからに登山者と分かる一団は皆、山岳へ向かうバスに笑顔で乗り込んでいった▼"平坦な道を歩くのと違い、山登りは決して楽な行程ではなかろうに……"という思いは杞憂なのかもしれない。「楽」ではないことも、彼らには「楽しい」の一部なのだ。道中での予期せぬ出来事が「苦労」になったとしても、安易に「苦しみ」とは捉えないのだろう、とも思った▼ある壮年部員は"苦に徹すれば珠と成る"という文豪・吉川英治の言葉を座右の銘にしている。闘病、リストラなど、数々の試練を信心で勝ち越えてきた▼本紙通信員でもある彼は「私自身が苦労した分、同志が苦悩に負けずにつかんだ信心の確信と喜びを理解できます」と胸を張る。言葉の通り、彼の文章は年々、珠玉の輝きを増している▼御聖訓に「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(新1554・全1143)と。池田先生は「『遊』とは、人生を自在に生きていくこと、『楽』とは、人生を心から楽しむこと」と語っている。苦に徹するからこそ、真の遊楽の境涯を築けると心に決め、唱題根本にさらなる人生の高みを目指そう。

寸鉄 2022年10月24日
青年には意気がある。青年を育成せよ—戸田先生 共に動き語り、共に成長
第2総東京女性部の日。広布の電源地に輝く幸のスクラム。率先の対話拡大を
社会部の日。激動の中で仏法勝負の実証示す友。創価の世雄に福徳厳然!
善い人間を論ずるよりも善い人間になれ—賢帝アウレリウス。勇気の行動で自身を変革
国連デー。学会の青年は平和の重要な役割担うと元次長。不戦の誓い固く

〈社説〉 2022・10・24 きょう「社会部の日」
◇周囲を照らす「世雄」の使命
きょう24日は「社会部の日」。同部は1973年(昭和48年)10月24日、同じ会社や職域のメンバーが、互いの信仰を磨きながら、職場の第一人者として成長し合うことを目的に結成された。
当時、日本経済は第1次オイルショックの影響で危機に陥っていた。先行き不安な時代にあって、友は「御みやづかいを法華経とおぼしめせ。『一切世間の治生産業は、皆実相と相違背せず』とは、これなり」(新1719・全1295)の御聖訓を心に刻み、苦難の逆風に立ち向かったのである。
以来、"今いる場所""わが職場"が、仏法の智慧と力を発揮する本舞台であると自覚し、勝利の実証を示してきたのが、創価の社会部の誉れの伝統だ。
ITメーカー勤務の壮年は、仕事の重圧と過労がたたり、休職を余儀なくされた。人生の意味を見失いかけた時、池田先生の「どんな悲しみも、どんな苦しみも、どんな宿命も、全部、悠々と乗り越えて、最も幸福な境涯を得ていけるのが、日蓮大聖人の『仏法』であり、創価学会の『信心』である」との指導に触れた。"もう一度、使命の場所に"と変毒為薬の信心を貫く中、弘教を結実。祈った以上の好条件で復職を果たすことができた。現在は、最先端技術の開発を手がける部署のリーダーとして奮闘する。
生活用品メーカーで働く女性部のメンバーは、新商品開発の現場で苦闘の日々を送っていた。そんな中、師匠の励ましの言葉が心の支えになった。「自分が不可能だと思えば、必ず不可能になる」「『希望』は、『確信』にまで固まってこそ、『現実』となる」。勇気を奮い起こし、毎朝、具体的な祈りから一日をスタート。誰よりも早く出社し、職場の清掃にも励んだ。誠実な姿勢に周囲からの信頼も広がり、ついには自身が企画したアイテムの商品化を実現。順調に売り上げを伸ばし、大ヒット商品となった。
日蓮大聖人は、「仏法と申すは勝負をさきとし」(新1585・全1165)、「故に、仏をば世雄と号し」(同)と仰せである。現実社会の逆境を信心で勝ち越える「仏法勝負」の体現者こそ、使命深き社会部の友である。
明年は、同部結成50周年。周囲を希望の光で照らしながら、時代の荒波に挑む"創価の世雄"に、心からのエールを送りたい。

☆勝ちゆく君へ 第33回 新しき宝友と 新しき歴史を
◇「若き力」が広布の推進力
宝の後輩や新たな宝友を、「自分以上の人材に」と祈り、尽くす。これが学会の伝統です。
牧口先生は、人材育成とは「砂中の金」を探すようなものだと言われました。
そして、泥まみれの現実の中で、地涌の使命を自覚して、立派に光る同志たちを「砂中の金」と讃えられたのです。
一人一人が「黄金の光」を自信満々と放つところ、広布推進の力は倍加する。とりわけ、新入会や新たに立ち上がった若人には、新鮮な発想と挑戦がある。先輩も後輩も互いに学び、存分に生かし合っていくことです。
新しき人材とともに、新しき拡大の歴史を創りゆけ!

◇友のもとへ足を運ぼう
御義口伝に「我らが頭は妙なり。喉は法なり。胸は蓮なり。胎は華なり。足は経なり」(新997・全716)と。
「足」すなわち「行動」ありて、真の妙法蓮華経となる。ゆえに釈尊も、日蓮大聖人も、人々のもとへ足を運ばれました。
学会活動はまさしく、歩き語り、心を結ぶ仏道修行の真髄です。一回一回の励ましを滋養として、幸の花が咲きます。
直接会って、笑顔を交わす。電話や手紙で真心を伝える。
「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(新1071・全769)との如く、人間尊敬の振る舞いこそ、自他共の生命を荘厳する平和創造の大光です。朗らかに行動即歓喜の一歩を!
(創価新報2022年9月21日付より)

☆「桜梅桃李」の輝き 池田先生の指導に学ぶ
ポーランドといえば、多くの世界的逸材を輩出した「芸術」と「学術」の国である。先日(1992年5月8日)、私は、同国のリプシッツ駐日大使と、日本とポーランドの文化をめぐって語り合った。そのポーランドが生んだ十九世紀の民衆詩人にミツキェーヴィチ(1798〜1855年)がいる。「ポーランドの民族的伝統についての省察」という副題のついたステファン=キェニェーヴィチの著『歴史家の民族意識』(阪東宏訳、未来社)には「青春讃歌」と題する彼の詩が紹介されている。彼は、こう謳い上げている。
団結によりて力強く 理性によりて燃え立ち
いざ共に若き友よ 肩を組み輪をなして
この地球を結びつけん……
もろびとこぞりて 世界をば新たなる軌道にのせん。
若者よ自由を迎えよ 太陽は汝等を救わん
「団結」しながらも、しかも「自由」——と。次元は異なるが、仏法では、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(全784・新1090)——桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、それぞれの当体を改めず(そのままの姿で個性を生かしきっていく)——と説く。

◇自身の開花が仏法ルネサンス
それぞれの個性を最大に尊重して、最大に花を咲かせていく。そして色とりどりの花々が、美を競い、香りを競いながら、全体として見事な調和の花園となっていく——ここに絢爛たる仏法ルネサンスの開花がある。広げていえば、国と国、またそれぞれの文化を、最大に尊敬し、対等、平等の心で友情を結んでいく——これが、私どものめざす人間主義の連帯である。
大聖人の仏法は世界の仏法であり、宇宙の仏法である。ゆえに、大聖人直系の私どもの舞台は世界であり、宇宙である。私も、全世界の広宣流布へ陣頭指揮で戦っていく。日本の同志の皆さまにも、一生懸命、お題目を送る決心である。どうか、それぞれが今いる立場で、朗らかに「前進」と「勝利」の指揮をお願いしたい。(『池田大作全集』第80巻 第23回全国婦人部幹部会、第55回本部幹部会でのスピーチから)

沖縄研修道場に着くや、みずみずしい緑と花々が歓迎してくださった。
守る会の皆さまをはじめ、整備してくださった方々の真心が道場のすみずみにまで光っている。心から感謝申し上げたい。
花たちにちなんで、かつて聞いたこんな話を紹介したい。

◇「励ましの慈雨」を待っている心
それは——砂漠では十年、二十年と雨が降らない地域がある。そこに、ある日、たっぷりと雨が降ると、なんと一夜にして花園になることがあるという。
いっせいに緑が芽吹き、たちまち花をつける。
花の種は、いつ降るかわからない雨を、何年も何年も砂漠で待ち続けているのである。
人間社会にも「励ましの慈雨」を待ち続けている心がたくさんあるにちがいない。決して砂漠の中に放っておいてはならない。
桜梅桃李——その人らしい、その人の「花」を、すべての人が咲かせていける社会でなければならない。
そのための仏法であり、組織であり、リーダーであり、励ましなのである。

◇勇気を吹き込む
「励まし」は英語で「インカレッジ(encourage)」という。これは「カレッジ(勇気)を入れる」という意味である。「勇気を吹き込む」のが「励まし」なのである。
ちなみに日本語の「励まし」は「励む」ようにさせることである。「励む」は「激しく」気持ちを立たせて向かうことともされている。
「励ましの人」は「勇気」という宝石を惜しみなく人々に与え、行くところすべてを明るい花園に変える。
これほど美しい人生はない。(『池田大作全集』第85巻 第1回沖縄最高会議でのスピーチから)

2022年10月23日日曜日

2022.10.23 わが友に贈る

一人の確信の声が
皆に納得と希望を送る。
「師子王は百獣におじず」
人間主義の新たな未来を
勇気の言論で開こう!
(新1620・全1190)

種種御振舞御書 P910
『肝心諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉阿難にも勝ぐれ天台伝教にもこへよかし』

【通解】
法華経の肝心、諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法のはじめに全世界に広まっていくべき瑞相として、日蓮が先駆けをしたのである。わが門下よ、二陣三陣と続いて、迦葉・阿難にもすぐれ、天台・伝教にも超えていきなさい。

【先生の指導から】
戸田先生は厳しく言われた。「大勇猛心と大闘争心なくしては、広宣流布はできぬ!」
権威の命令でもない。要領でもない。指導者の不惜身命、死身弘法の行動によって道は開かれた。それが、この五十年の学会の勝利を可能にしたのである。
まず自分自身が祈り、動き、語り、叫び、戦う。この率先垂範の勇気の行動によって、「新たな五十年」の完勝の金字塔も、わが大関東から築きゆくことを誓いあいたい。

名字の言 "心の声"に耳を澄ます 2022年10月23日
世界的ジャズピアニストであるハービー・ハンコックさんが出演した音楽祭をかつて取材した。時に情熱的に、時に優しく、語りかけるような演奏に、ぐいぐい引き込まれていった▼ハービーさんは言う。「鳥の鳴き声、風の音、葉っぱの揺れ動くささやき、小さい虫から大きな動物にいたるまで、生き物が発する音も、ある意味で音楽といえます」。日頃、何げなく耳にする自然の物音さえ、研ぎ澄まされた感性の人には違って聞こえるのだろうと、驚きと感動を覚えた▼真心の対話で多くの人を発心させた壮年の話。実は生来の口べた。だから、とことん相手の話を聞くことに努めた。すると"心の声"まで感じられることがあるという▼彼が大切にしているのは普段の茶飲み話。友と会話する際、励ます側と励まされる側といった関係ではなく、友人同士として接する中で、時折、相手がポツリとつぶやく言葉がある。「そのポツリが本音だったり、一番言いたいことだったりするんです。それを敏感にキャッチすることが大切」と▼友が胸にしまい込んだ悩みや苦しみが、時につぶやきとなってこぼれる。それを逃さず聞き取る力を磨きたい。そのためにも日々、祈り、心のアンテナを広げ、対話に励みたい。

寸鉄 2022年10月23日
学会には安心の居場所を人に提供する力が—教授 共生時代へ励まし今日も
「人の多きをもって本とすることなかれ」御聖訓。青年よ正義貫く勇者たれ(新572・全493)
宗教の社会的存立の意義は人と世を救う事—牧口先生。広布の大道を堂々
違法な誇大広告減らず。楽に痩せる…等の甘言に注意。契約の時は要確認
感染増加傾向の地域も。会話時のマスクなど基本対策を再確認。油断せず

☆勝ちゆく君へ 第32回 「御書根本」の幸福の大道
◇「実践の教学」の体現者に
学生部の「御義口伝」講義から60年。「御書根本」の精神は、学会の永遠の伝統です。
御義口伝に「南無妙法蓮華経は、自行・化他に亘るなり」(新1042・全747)と。
御本仏の民衆救済の大闘争を心肝に染め、一騎当千のリーダーに成長してもらいたい。
勇気と確信を奮い起こす教学。友を励ます教学。人生を勝ち抜く教学——「実践の教学」こそ、人間革命の大道です。
教学実力試験への挑戦をはじめ、行学錬磨の汗を流す求道の友に、恩師・戸田先生の言葉を贈ります。
「一行でも、二行でもよい。御書を拝して、自らの境涯を、もう一歩、開くのだ!」

◇対話で生命尊厳の世界を
「いのちと申す物は、一切の財の中に第一の財なり」(新2052・全1596)
日蓮大聖人は、生命は全宇宙のいかなる財宝よりも尊い、と大宣言されました。
この生命尊厳の哲学を掲げ、民衆の平和運動を確かに継承しているのが、広島・長崎・沖縄、さらに神奈川をはじめ、創価の若き世界市民の連帯です。
恩師が「原水爆禁止宣言」を青年への遺訓と託されて65年。
核兵器の廃絶へ、いやまして不屈の闘志で、万人の仏性を呼び覚まし、人々の心に「平和の砦」を築く対話が重要です。
若人の信念の声で、憎悪を慈愛へ、不信を信頼へと転じ、生命尊厳の思想を時代精神に!
(創価新報2022年8月17日付より)

☆「桜梅桃李」の輝き 池田先生の指導に学ぶ 2022年7月8日
◇多様な人材から最大限の力を
ここで(武田)信玄の幅広い人材観にふれておきたい。
彼は、一種類の性格の侍を好んだり、似たような態度、行動のものばかりを大事に召し使うことを大いに嫌った。彼は言っている。
「たとえば蹴鞠の遊びの会を開くときには、庭の四隅に四種の木(桜・柳・カエデ・松)を植える(それが蹴鞠の取り決めとなっている)。
とりわけ春は桜の色は華やかであり、(その華やかさに対して)柳は飾り気のない緑である。春が過ぎれば花と柳の競い合いは終わってしまう。こうして夏も過ぎ秋になれば、(その葉が)散るのが物悲しげである。カエデが紅葉して、夕霞にかすみ、秋雨にうたれていくと、様々に歌に詠まれるが、冬になると、これもまた、すっかり散ってしまって残るところがない。そうしているうちに、常に変わることのない松の緑が、いよいよ現れる。(中略)」と。
人間は、えてして自分の気の合う人や、使いやすい人ばかり周囲に集めがちである。信玄の言葉は、指導者としての大切な戒めである。

◇御義口伝に説かれる法義
このことに関連して、有名な「桜梅桃李」の法義にふれておきたい。
「御義口伝」の「無量義経六箇の大事」のうち「第二 量の字の事」(全784・新1090)には次のように仰せである。これは無量義の三字のなかの「量」の一字についての御義口伝である。
まず「御義口伝に云く量の字を本門に配当する事は量とは権摂の義なり」と。
すなわち「無量義」の三字をおのおの法華経の迹門、本門、観心に配当するとき、「量」の字は本門に配される。それは「量」には、一切のものをはかり、包含するという意味があるからである。
一切をはかり包含する義が、なぜ本門にあたるかが、次に述べられる。
「本門の心は無作三身を談ず此の無作三身とは仏の上ばかりにて之を云わず、森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり」と。
——本門の元意は無作の三身を説きあらわすところにある。しかし、この無作三身とは、たんに仏のことばかりをいうのではない。本門では森羅万象、一切の生命活動を、すべて自受用身という如来の生命の顕現であると説く。すなわち妙法に照らされて、一切の生命活動が自体顕照となり輝くのである。ゆえに迹門において明かされた不変真如の理円(理の一念三千)を、そのまま改めないで、すべての事象のおのおのの当体が無作三身であるとする。これが本門の事円の三千(事の一念三千)の元意である——というのが、この御文の意味である。
続いて「是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり」と。
——桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、一切の生命がおのおのの当体を改めずして、そのままの姿で無作三身の仏と開見していく。これこそ一切をはかり包含することであり、「量」の義である——。

◇広宣流布を進める意義
法華経は、すべての生命を、あますところなくつつみこみ、おのおのが尊極の仏であると説く。草木も国土も無作三身の仏である。人間も無作三身の仏である。この卓越した思想が世界に広まるとき、戦争など起こしようがない。人間が殺しあうことなど、ありえないにちがいない。広宣流布を進める重大な意義がここにある。
さらに大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり云云」と仰せになっている。
御本仏の、まことにありがたい御言葉である。(中略)
大切なことは、自身が成長することである。限りなくわが境涯を開きゆくことである。境涯を開いた分だけ、人生に価値が生まれ、勝利が輝く。また法のため、広布のために、わが人生を捧げ、生きぬいた分だけ福運と功徳がついてくる。つねに「現当二世」の信心で、朗らかに前に進んでいっていただきたい。(『池田大作全集』第68巻 富士宮圏記念幹部会でのスピーチから)

2022年10月22日土曜日

2022.10.22 わが友に贈る

「健康」こそ
幸福・勝利の基盤だ。
睡眠・食事・運動など
賢く生活リズムを整え
心身共に充実の毎日を!

如説修行抄 P505
『南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり』

【通解】
南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と題目を唱えに唱えとおして死んでいくならば、釈迦・多宝・それに十方の諸仏が、霊山会上で約束があったとおりに、ただちに飛んで来て、手を取って肩にかけ、霊山にたちまち連れていって下さるのであり、薬王菩薩と勇勢菩薩の二聖、持国天王と毘沙門天王の二天、それから十羅刹女等が、妙法受持の者をかばい護り、諸天善神は天蓋を指し旗をかかげわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に、送りとどけて下さるのである。

名字の言 人生を大きく左右する人間関係 2022年10月22日
「今日は決意を語りに来ました」。ある地域の体験談大会で、壮年が静かに語り始めた▼幼い頃から広布の庭で育ち、学会活動に励んだ。結婚して子宝にも恵まれた。商店を営み、地元商店街の理事長として地域の発展に尽くしてきた。だが2年前、愛する妻が病に倒れた。"頑張ってきたのになぜ……"。介護に疲れ、祈る気力さえ失った。そんな彼に声をかけ続けてきた先輩が言った。"奥さんのために今度の会合で決意発表してはどうか"。最初は固辞したが、妻のためならと久しぶりに会館へ向かった▼「妻への感謝を胸に、皆さんと一緒に宿命を転換したい」。壮年の決意に"おかえり!""絶対に大丈夫!"——温かい声援が。その様子を先輩が笑顔で見守る。今、壮年は決意新たに妻と病気に立ち向かっている▼人生には苦境も行き詰まりもある。一人で乗り越えるには難しい局面もある。だからこそ、周囲にどんな人間関係を築いていくかが、その人の人生を大きく左右する▼御書に「ふがいない者でも、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも独りであれば、悪い道では倒れてしまう」(新1940・全1468、通解)と。"支え合い"の輪を広げることが、そのまま広宣流布である。

寸鉄 2022年10月22日
栄光の「11・18」へ溌剌たる座談会を!希望と確信に満ちた励ましの会座に
福井「凱歌宣言の日」。大関西に輝く"北の砦"。青年と共に総立ちで拡大
活力と熱意のある人は不幸を乗り越える—哲学者ラッセル 我らは不撓不屈の信心で
歩行中の事故最多は7歳子は予期せぬ行動をとる事も。車の運転者も意識
環境問題は皆が被害者であり加害者—識者。"わが事"として地道に実践

☆京都広布の礎 京都分室(当時)開館60周年
◇民衆勝利の金字塔を
京都市北区に立つ衣笠記念会館は60年前、学会本部の「京都分室」として誕生した。
1961年(昭和36年)11月3日、池田先生が出席し、開館式が行われた。その前夜、会館に到着した先生は「みんな元気だね」と呼び掛けながら、館内をくまなく点検。調度品や備品の扱いなど細かいところまでアドバイスを重ね、「みんなが寂しくならないように、私もたびたび、ここに来るよ」と語った。
同月1日に「大阪事件」の公判に臨みながらも、関西・京都広布の未来を展望し、陣頭指揮を執る先生。その後も、この地を訪れては同志を激励し、学生部代表メンバーへの「百六箇抄」講義や、女子部人材育成グループ「衣笠グループ」の結成など人材輩出の流れが築かれていった。
京都分室は、72年(同47年)に衣笠会館と名称が変更され、86年(同61年)には現在の建物へとリニューアル。先生は世界の識者とも語らい、周辺の紅葉をカメラに収めている。
京都分室開館60周年を迎える今、師の激闘を魂とし、民衆勝利の金字塔を打ち立てゆこう!

☆みんなで学ぶ教学 第32回 毎自作是念の悲願
◇創価に脈打つ仏の誓い
日々、自他共の幸福を祈る創価学会には、"仏の誓願"が脈打っています。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「毎自作是念の悲願」がテーマです。新入会者のカツヤくんは、ご祈念項目を書いたノートを開いてユタカ支部長と話しています。

ユタカ カツヤくんのノートも、そろそろいっぱいになってきたね。

カツヤ そうなんです。最初は何を祈っていいか分からなかったんですが、学会活動に参加していく中で、願い事が増えていきました。改めて見返した時に、もちろん自分の願いも書いているのですが、同志の皆さんや友人の幸福と成功を祈ることの方が増えてきて、"不思議だなあ"と思います。

ユタカ 素晴らしいね! 私もそうだよ。自他共の幸福を目指す創価学会員の多くが、同じように多くの友の幸福を祈っているんだ。だから、決して不思議なことではないんだよ。
カツヤくんは、勤行で最後に読誦する「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」(法華経493ページ)の意味は知っているかな?

カツヤ 毎日、読誦してはいるのですが……。どういった意味か教えてください。

ユタカ 「仏は常に、どのようにすれば、衆生を無上の道に入らせ、速やかに仏の身を成就させることができるかと念じている」ということなんだ。
つまり、"一切衆生を速やかに成仏の境涯に導きたい"という"仏の誓願"が、私たちが日々、勤行で読誦している方便品・自我偈の結びの部分なんだよ。

カツヤ そういう意味があったんですね。

ユタカ 日蓮大聖人は、この"仏の誓願"を「『毎自作是念』の悲願」(新516・全466)と仰せになられたんだ。
大聖人はこの悲願のために、あらゆる大難にも一歩も引くことなく、末法の全民衆を幸福にする御闘争を貫かれたんだよ。

カツヤ すごいことですね。

ユタカ この「『毎自作是念』の悲願」に連なり、信心に励んでいく中で、自身に具わる仏の境涯が開かれていくんだ。
そして、釈尊から大聖人へと脈打ってきた、この悲願は、創価三代の師弟に受け継がれ、今や世界中で日々、友の幸福を祈り、行動するSGI(創価学会インタナショナル)の連帯となっているんだよ。

カツヤ なるほど。

ユタカ 池田先生は「どうか、青年部の諸君は、峻厳なる『創価の三代の師弟の魂』を、断じて受け継いでいってもらいたい。その人こそ、『最終の勝利者』です。また、それこそが、創価学会が二十一世紀を勝ち抜いていく『根本の道』であり、広宣流布の大誓願を果たす道であり、世界平和創造の大道なんです」と、青年への期待をつづっているんだ。カツヤくんの使命は大きいね!

カツヤ ありがとうございます。でも、自信がないです……。

ユタカ 大丈夫だよ。カツヤくんは日々、多くの友の幸福を祈っているじゃないか。
先月、発表された男子部の「新スローガン」に、「我、新時代の山本伸一なり! 不二の力で歴史転換の先陣を! 青年連帯の凱歌を!」とある通り、広宣流布を実現するために"自身が新時代の山本伸一になろう"と誓い、人間革命に挑戦していくことが、「創価の三代の師弟の魂」を受け継ぐことになると確信するよ。

カツヤ 「新スローガン」には、ぼくも胸が熱くなりました。まずは「我、新時代の山本伸一なり!」との誇りで、広布誓願の祈りから始めていこうと思います。

ユタカ 私も青年の心で、カツヤくんと共に進んでいくよ。

2022年10月21日金曜日

2022.10.21 わが友に贈る

「仏を敬うがごとく」
一人を大切にしていく。
これが仏法者の振る舞い。
座談会に参加する友を
最大の真心で迎えよう!
(新1374・全1017)

三世諸仏総勘文教相廃立 P566
『一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する是を名字即と為す名字即の位より即身成仏す』

【通解】
一切の法は皆これ仏法であると通達し解了するのを名字即とするのである。名字即の位から即身成仏する。

名字の言 「那覇大綱挽」で旗頭を掲げる旗持ち 2022年10月21日
全長200メートル、総重量は40トン——「世界一のわら綱」としてギネスブックに認定されている沖縄の伝統行事「那覇大綱挽」。コロナ禍で規模は縮小されたが、今月、3年ぶりに開催された。例年、20万人以上が訪れ、数万人で大綱を引き合う一大行事だ▼この熱戦を盛り上げるのが、14旗の「旗頭」。大きいものでは高さ10メートルもあり、引き手を鼓舞する。その旗持ちを、20年以上務めた壮年部員が教えてくれた▼旗頭の重さはいずれも50キロ前後で、持ち上げられる時間はせいぜい数分。だから旗持ちは何人もいて、交代で掲げ続ける。その間、常に周囲の人々が旗頭を支えるという。「"たとえ、一人になっても倒さない"という責任感。"皆の力があって掲げられる"という感謝と団結の心。これが、旗持ちに必要な精神です」▼あらゆるリーダーが心すべき姿勢だろう。勝敗や成否を分けるのは、断じて戦い抜こうとする中心者の熱き一念であり、同志一人一人を大切にする強き心だ。日蓮大聖人は「軍には大将軍を魂とす」(新1688・全1219)、「心固ければ、則ち強し」(新1320・全979)と仰せである▼さあ、勇気の信心で生命を磨き輝かせよう。宝の友と人生勝利の大旗をひるがえすために。

寸鉄 2022年10月21日
学会は皆が互いに尊重し力を合わせ社会に貢献—アメリカ博士。良き市民の大連帯
山口県青年部の日。一人立つ開拓魂で対話を拡大 わが青春の勝利譜つづれ
僕ら一人一人がかけがえのない存在—詩人ホイットマン。全員に使命が。励ましを強く
"私は若い"という意識は健康を増進—研究。生涯求道の多宝の同志が実感
「がん教育」が小中高で全面実施—公明推進。早期発見の意義等、更に周知

〈社説〉 2022・10・21 "エジソンの挑戦"に学ぶ
◇「平和のあかり」照らす対話を
きょう10月21日は「あかりの日」。1879年同日、アメリカの発明家トーマス・エジソンが、世界で初めて実用的な白熱電球を完成させた日だ。1万回以上の試行錯誤の末、実験が成功したことは有名だろう。何度失敗しても、前進し続けたエジソン。彼はなぜ歩みを止めなかったのか。
エジソンの人生は、幼少から苦難の連続だった。学校は3カ月で行かなくなる。難聴も患った。落ち込む彼を支えたのが、母ナンシーだ。ホームスクールを実施し、自ら息子と共に自然に触れ、考えることを楽しんだ。思うような結果が出なくても"やり直せばよい、失敗を通じて賢くなればよい"と笑い飛ばした。どれだけ失敗しようと、エジソンを包んだ母の姿が、何ものにも負けないエジソンの心を養ったのだ(講談社『天才エジソンの秘密』)。
白熱電球の実用化によって、今や世界中の街が、明るく照らされている。夜景やイルミネーションなど、光に心動かされる場面も少なくない。反対に、災害による停電で突然の暗闇に不安を感じることも。「あかり」とは、単に「照明器具から放たれた光」ではなく、人の心に安心感や希望を与えるものなのかもしれない。
かつて池田先生は、戦争が終わった時の実感を、こう語った。「(平和とは)『こんなに明るいものか』と思いました。戦争中は夜でも灯火管制といって、家も街も暗かった。母は『明るいねえ。電気がついたよ。明るいね』と声をはずませて夕食の支度をしてくれました」(『未来対話』)と。戦後の人々の心を、希望の光で照らした「あかり」は、平和の象徴でもあった。
創価学会は世界のいずこであれ、地域に根ざした平和運動を行ってきた。それは一人一人の心に「平和のあかり」をともす作業だ。戦争、核兵器、環境問題など直面する課題が山積する中、"一人との対話"から着実に歩みを進めることこそ、平和への近道となる。
エジソンにとって、失敗は成功までの「道のり」だった。挑戦の結果に対して、失敗と位置づけて落ち込むのか、成功の途上だと捉え直すのか——そこに勝利への分かれ道がある。
エジソンが白熱電球で世界を明るく照らしたように、私たちも諦めない信念の対話で、「平和のあかり」を照らし続けたい。

☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第22回 信心修行の道場
◇御義口伝
『御義口伝に云わく、「此人」とは、法華経の行者なり。法華経を持ち奉る処を、「当詣道場」と云うなり。ここを去ってかしこに行くにはあらざるなり。「道場」とは、十界の衆生の住所を云うなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所は、山谷曠野、皆、寂光土なり。これを「道場」と云うなり。』(新1086・全781)

◇勇気の指標
日蓮大聖人の仏法は「現実変革の宗教」です。千差万別の生活の上に明確なる実証を示し、誰もが人生を最高に充実させ、幸福になっていける力のある宗教です。
◆◇◆
現実の社会は熾烈です。試練や困難は必ずある。やりやすい環境など、どこにもありません。それでも、同志は歯を食いしばり、わが国土を仏国土にしようと、一歩ずつ勇敢な戦いを起こしてきました。
環境に左右されるのではなく、自らが変革の主体者となるのだ! この覚悟の信心に立って、道を切り開いてきたのです。
◆◇◆
戸田先生は、こうも語られていました。
「どのような状況にあっても、自分自身が、深く『偉大な信心』に立てば、すべてを開いていける。自分が『変わり』、自分が『成長』し、自分が『責任』を持てば、一切に『勝利』できるのだ。要は自分だ」と。
こうした一人立つ勇者が世界各地に広がり、皆が「よき市民」「よき国民」たらんと、自分が今いる場所で立ち上がったがゆえに、現実に仏法は192カ国・地域へと広まり、壮大な連帯となったのです。未来を担う青年の皆さんは、鋭くこの一点を忘れず、さらに地球規模の「人間共和」の世界を広げていっていただきたい。これが私たちの願いです。

◇今いる場所が誓願果たす宝土 奥村正宣団地部長
明年の結成50周年へ。団地部の友は、人間共和の理想郷を築こうと、日夜わが地域の繁栄を願い、対話と貢献の活動に汗を流しています。
今回は、「御義口伝」の一節を拝し、池田先生が、団地部の誉れの使命と地域広布の実践のあり方について講義してくださった指針を学んでいきましょう。

◇師弟直結とは
"自分が今いる場所こそが「信心修行の場」であり「一生成仏への道場」である"と、仰せになられている御文です。
大学1年の時、一家が経済的な苦境に直面。私はバイトを掛け持ちし、早朝から深夜まで働きづめの生活に。収入は家の借金の返済と光熱費の支払いで消え、心も体も疲れ果て、どん底の状態でした。そんな時、学生部の先輩がじっくり話を聞いて、確信を込めて励ましてくれました。
温かな創価の心に触れ、発心。毎日、友人に仏法対話し、小説『人間革命』を学ぶ中で、荒んだ心が、いつしか、"とにかく頑張っていこう"という前向きな気持ちに変わっていたのです。なんとか大学も卒業し、就職。その後、経済苦も乗り越えることができました。
厳しい現実から逃げず、信心で苦境を打開できたこの体験が、自身の大きな原点となっています。
その後、結婚し、最初に暮らした住まいが集合住宅でした。質素なわが家でしたが、近隣の方と友情を結びながら、男子部の会場として、広布の思い出を刻むことができました。
また、青年部時代、池田先生との懇談の場で、"師弟直結で戦ってまいります"と決意を披歴した方に、先生がこう指導されたことが忘れられません。
"直結とは、今、自分がいる場所で全力で戦うということだよ"と。
御文にもあるように、どこか彼方に理想を求めるのではなく、今いる場所こそが、"師弟共戦の本舞台"であるということを打ち込んでくださったのだと思います。

◇信頼と友情を拡大
「創価の同志は、自分のいる大地こそ、自身の誓願を果たす、わが宝土なりとの信念に生き抜いてきました」——先生は講義の中で、このようにたたえてくださっています。
全国の団地部の友は、まさにこの信念で、地域に信頼と友情を広げています。
九州・福岡の副支部長の壮年は、住んで45年となる団地で防犯委員などを歴任。本年4月、多くの住民に推されて自治会長に就任しました。400世帯近くの居住者の生活相談に奔走する毎日です。
これまで団地内の青年部や、学会員ではない青年世代とも協議し、力を合わせ、"団地おこし"に尽力してこられました。また、支部総会には、団地内の50人以上の友人が参加し、皆が楽しみにする"団地行事"となっています。同じ棟に住む友人に弘教も実らせてきました。"わが団地を、元気な青年が集うモデル地域に"と奮闘されています。
また、大阪のある女性部の友は、府営住宅に入居して27年。地域サークルの世話役として、催し物の運営などに、長年活躍してこられました。
学会活動が大好きで、折伏に本紙の購読推進にと、いつも明るく広布に走る姿は、周囲に希望を広げています。現在、美容師だった経験を生かし、ボランティアで友人の髪のカットも。多くの方に喜ばれています。
そんな彼女ですが、実は団地に入居する少し前、多発性筋炎との診断を受けました。"題目と折伏で必ず克服する"と決め、3人のお子さんと共に、宿命転換を懸けて学会活動に励んでこられたのです。
今、約30年を経て、日常生活には何の支障もなく、地域に友情と対話の花を咲かせておられます。

◇希望を広げよう!
先生はつづってくださいました。
「わが地域に希望を広げよう! その一念を込めた誠実な対話の積み重ねによって、広宣流布の現実の土台は築かれる。そして、それが、そのまま、地域の発展に連動していくのだ」
地域社会の希望と輝く皆さんと共に、私自身も、わが地域で、信頼を結ぶ対話に挑戦してまいります。

◇メモ
「御義口伝」は、日蓮大聖人が、身延で法華経の要文を講義され、それを日興上人が筆録したものと伝えられている。上下2巻からなる。御文は、「普賢品六箇の大事」の「第六 『此人不久当詣道場(この人は久しからずして当に道場に詣るべし)』の事」の冒頭の御文である。

2022年10月20日木曜日

2022.10.20 わが友に贈る

忙しい時こそ
朝の祈りを大切に!
満々たる生命力で
目標を明確に定め
清々しく一日を出発!

崇峻天皇御書 P1174
『されば王位の身なれども思う事をばたやすく申さぬぞ、孔子と申せし賢人は九思一言とてここのたびおもひて一度申す』

【通解】
されば、天皇の御身であっても思っている事を、たやすく言わぬものである。
孔子という賢人は九思一言といって九度思索して後に、一度語ったという。

名字の言 栗を見て思い出したゲーテの話 2022年10月20日
学生時代の友人から「今年も家の庭で採れました」と、栗が送られてきた。つやつやした一粒一粒に見入る中、ある話を思い出した▼ゲーテがある時、言った。「世界を広くしよう。テルトオ(=地名)のかぶら(=カブ)は大層、美味である。栗と一緒に食べたなら、実に何とも言えぬ味がする。しかし、この貴重なものは、二つとも互いに遠く離れた土地の特産である」(大山定一訳。現代表記に改めた)。食通だったゲーテの話は"交流を通し、自分の世界が広くなれば、より豊かになる"という真意だろう▼先の友人は知識欲が旺盛で学校では級友たちの会話に加わらず、いつも読書に熱中していた。そこで、声をかけてみた。「本の内容を僕たちにも教えてよ」▼以来、友情が広がった。読書の楽しさを知ったクラスメートに本を読む習慣がついた。一方、友人は"人との出会い"という財産をこれからも大事にしたいと、後年、教師に。さらに学会員でもある職場の同僚と交友を結ぶ中、入会した▼栗の花言葉の一つは「贅沢」だという。サン=テグジュペリの言葉に「真の贅沢はひとつだけしかない。それは人間関係という贅沢だ」(山崎庸一郎訳)と。"実りの秋"に、友情を育み続ける喜びを改めて感じた。

寸鉄 2022年10月20日
法華経は「讃むる言こそ多く候え」御書。信心の喜びを語り合う座談会に(新1713・全1242)
広島の日。人類の融和と平和の哲学を世界に発信 草の根対話で連帯を拡大
「若き力によってこそ大事業は成就」戸田先生。青年よ創立100周年を拓け
「手足口病」の感染者数が高止まりと。タオル共有避け、手洗いなど徹底を
身近な努力が地球環境を守る。循環型社会へ共に一歩。「リサイクルの日」

〈社説〉 2022・10・20 連載「One and Only」に反響
◇人生への全肯定を勝ち取る姿
マスメディアでは「かわいそうな障害者」像や「困難に負けず、けなげに努力する障害者」像がアピールされがち——。そう記したライターの渡辺一史氏は「その根底には、障害者が努力して障害を克服しようとする姿に感動を覚え、賞賛するという、医学モデル的な障害観がひそんでいます」と訴える(『なぜ人と人は支え合うのか』ちくまプリマー新書)。
医学モデルとは、障がいはあくまで個人の心身機能が原因と捉える考え方。一方、社会モデルは社会や環境の仕組みによって障がいが生じると考える。社会モデルは、障がいを克服すべきなのは個人ではなく、社会の側という発想の転換をもたらすものだ。
本紙の連載「One and Only——かけがえのない命」では障がいをテーマに創価学会員の生き方を描いている。自らの葛藤、周囲からの差別、社会の制度……あらゆる壁に向き合う姿は大きな反響を呼んでいる。
寄せられた声には、自身の気付きを記したものも多い。ある読者は、町で障がいのある人が大声を出すのを見ると、怖いと感じ、かわいそうと思っていた。しかし、連載を読んで、「障がいがあってもなくても、みんな平等なんだと、お互いを認め合える社会に変わるために、まずは自身の捉え方を変えていこうと思います」と。
他にも、低身長の人を「好奇と偏見、同情のような感情の目で」見ていた自分を省み、差別の心と向き合う決意も届いた。生き生きとした表情への感動の声も。
何かを成し遂げること。克服すること。それも一つの信仰の証し。その上で、今ある命を生き抜き、苦楽共に楽しむ姿が心を打つ。世間では、成仏とは死ぬことや亡くなった人を指しているが、戸田先生は「生きていること自体が、楽しくて、楽しくてしょうがないという境涯である」と語った。
一人ももれなく胸中に具わる仏の境涯は、相対的なものではない。障がいの有無や度合いの比較などを超越し、"私"という存在そのものに最高の価値がある。他者からの差別、自己への劣等感にとらわれず、人生への全肯定を勝ち取る姿こそ、希望なのだ。
個々の境涯革命の歩みは、自ずと社会の課題へ光を当てながら、時代変革の先頭を進んでいる。人間革命のドラマを綴る一人一人こそ、共生社会を開く旗手である。

☆御書と未来へ 第41回 唱題の人に行き詰まりなし
〈御文〉
『夫れ、仏道に入る根本は信をもって本とす。』〈法華経題目抄(妙の三義の事)、新532・全940〉

〈通解〉
仏道に入る根本は信心である。

〈池田先生が贈る指針〉
題目は「八万聖教の肝心」であり「一切諸仏の眼目」である。その無量無辺の大功力を発揮させるのが「信」なのだ。
唱題の人に行き詰まりなし。どんな悩みも祈りに変えて、希望へ勝利へ転じ、境涯が大きく開ける。「いかなる病さわりをなすべきや」である。
今日も我らは、妙法流布の祈りと共に一生成仏の大直道を!

☆10月度「御書講義」の参考 佐渡御書
◇宿命を使命に変える生き方を
10月度「御書講義」の拝読御書は「佐渡御書」。範囲は「日蓮もまた、かくせめらるるも、先業なきにあらず……ひとえに、先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」(御書新版1287ページ8行目〜1288ページ2行目、御書全集958ページ8行目〜16行目)です。ここでは学習の参考となる解説を掲載します。「大白蓮華」10月号とともにご活用ください。

�其罪畢已
日蓮大聖人は、拝読範囲の冒頭で、「日蓮がこのように迫害されるのも、過去世からの業がないわけではない」と、大難を受けられている因を示されます。
その上で、迫害の意味を、法華経の常不軽菩薩品第20に説かれる「其罪畢已」との言葉を通して、教えられます。この経文は「過去の罪の報いを受け終わって」との意味です。「過去の罪」とは過去世に法華経を誹謗した罪であり、「其罪畢已」は、過去の罪を受け終わって不軽菩薩が得た功徳も表しています。
"常に人を軽んじなかった菩薩"である不軽菩薩は、全ての人々を敬いながら、「あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができる」との言葉をかける礼拝行を貫きました。この言葉は、経文では漢字24文字でつづられていることから「二十四文字の法華経」といわれています。
対して、増上慢の人々は、その言葉を信じようとせず、瓦や石を投げたり、杖や木などで不軽菩薩をたたきました。不軽菩薩は、それを避けて、遠く離れながらも、礼拝行を止めることなく、人々の仏性を信じて敬い続けたのです。
その実践は、生まれるたびに続きました。そうして不軽菩薩は、多くの仏に会い、多くの人のために法華経を説くことで、過去の重罪を一切消し去って、功徳を成就し、仏に成ることができました。
同様に、幾重もの大難に立ち向かわれた大聖人の御闘争は、不軽菩薩に連なる仏法の実践です。
ここに、宿命を単に堪え忍ぶのではなく、幸福境涯を築くために、自身の宿命に立ち向かう力強い生き方が示されているのです。

�凡夫成仏
本抄で大聖人は、御自身の身分などについて「貧しく卑しい身分の者であり、旃陀羅(低い身分)の家の出身である」「体は人間に似ながら畜生の身である」とつづられ、自身は一人の人間——すなわち「凡夫」であることを強調して述べられています。
むしろ大聖人は、そのような身を誉れとし、一切衆生を幸福へと導く大法を説き、末法の御本仏としての御境涯を顕されたのです。
ここに日蓮仏法の根幹を成す「凡夫成仏」の法理が示されています。これは、凡夫が自身に本来そなわっている仏界を顕現させて成仏することです。その一生のうちに、その身のまま成仏することから「一生成仏」「即身成仏」ともいいます。
法華経の教えは、この「凡夫成仏」を説いたという点で、それ以前に説かれた爾前経とは大きく異なります。
爾前経では、煩悩を断ちきり、九界を離れることによって初めて成仏できると説かれます。九界の衆生と仏は断絶しており、仏を人間離れした特別な存在として捉えているのです。
一方、法華経における成仏とは、自身の内に本来具わる仏の生命境涯、すなわち仏界を開くことです。
十界の生命はそれぞれ十界の生命を互いに具している(十界互具)ので、煩悩に覆われた、いかなる迷いの境涯の衆生であっても、正法の実践によって成仏することができると説いています。
大聖人は、御自身があくまで庶民の出身であることを強調することで、そこに連なる弟子も皆、偉大な境涯に至ることができる道を開かれたのです。

�宿命転換
佐渡流罪をはじめ、これまで多くの迫害に遭われてきたことを大聖人は本抄で、「過去世の業の重罪を今世で消し、後生の三悪道の苦しみを免れるためのもの」と仰せです。
仏教では、過去世の行為が因となって今世に結果として現れ、同様に今世の行為が因となって未来世の結果を決定づけると説きます。自身の運命は自身の行いによって決まるのです。
しかし、過去世の悪業の報いを今世で直ちに変革する方途がなければ、生死を繰り返しながら一つ一つの罪業を消滅させていくことしかできません。
この従来の因果の法則を打ち破ったのが、大聖人の「宿命転換」の仏法です。
大聖人は、万人を成仏へと導く法華経を信じず、誹謗することが、根本的な罪業であると明かしました。
故に、法華経を信じ、守り広めていく正法の実践こそが、宿命を今世で転換する直道であると教えられたのです。その途上には、必ず難が競い起こります。その難は、過去世の重罪の報いを転じて軽く受けたもの(転重軽受)です。過去世からの罪業を一生のうちに軽く受け、転換できると教えているのです。
その上で仏法では、菩薩が人を救うため、あえて宿業を背負い、願って悪世に生まれてくる「願兼於業」の法理も説かれます。
池田先生は、この法理を「宿命を使命に変える」生き方であると教えています。大聖人が凡夫成仏の道を開かれたように、学会員一人一人が自らの宿命に立ち向かい、難を乗り越える姿はそのまま、苦悩に覆われた人々の希望になるからです。そうして励まされた人はまた、周囲の人々を励ます存在に変わっていきます。この励ましの連帯がより良い世界を築く原動力であることは間違いありません。
宿命転換に挑む日蓮仏法の信仰によってこそ、限りない希望の未来が開かれていくのです。

2022年10月19日水曜日

2022.10.19 わが友に贈る

挑戦の心を忘れぬ人は
いつも若々しい。
さあ昨日より今日と
行学錬磨の一ページを!
自らの勝利史を綴ろう!

転重軽受法門 P1001
『外典の三墳五典には読む人かずをしらず、かれがごとくに世ををさめふれまう事千万が一つもかたしされば世のをさまる事も又かたし、法華経は紙付に音をあげてよめども彼の経文のごとくふれまう事かたく候か』

【通解】
(仏教以外の教えである)外典の三墳五典を読む人は数知れない。しかし、そこに示されるように世を治め、振る舞うことは、千万が一つにもむずかしい。そうであるから、世が治まることもまたむずかしい。法華経を紙に書いてあるままに声を上げて読んでも、その経文どおりに振る舞うことはむずかしいであろう。

【先生の指導から】
何より大切なのは現実の行動である。そして、末法がさらに進んだ現代において、法華経のとおり、この御書のとおりに難を受けてきたのは、創価学会であり、なかんずく三代にわたる会長である。
大聖人は、"国土に平和を築こう"という真情をつづられ、この御書を結んでおられる。
現実の国土・社会を、いかに変革し、平和と繁栄へと導いていくか。人々を、いかに幸福へ、安穏へ、希望へとリードしていくか─大聖人のお心は、つねにこの一点に注がれていた。わが学会は、このお心のままに、立正安国、広宣流布の大運動を推進しているのである。
また大聖人は、「当世は世みだれて民の力よわし」と嘆いておられる。
「民の力」が弱ければ、時代の危機を乗り越えることはできない。
仏法の人間主義の大哲理を根幹に、この「民の力」を限りなく強め、人類史の戦乱と不幸の流転を大転換しているのが、学会である。
反対に、この学会の前進に対する怨嫉に狂ったのが日顕一派である。法華経に説かれる「僣聖増上慢」の姿そのままに「人間を軽賤」する。時代の進歩に逆行して「民の力」を踏みにじっている。
民衆に力を与える日蓮大聖人の仏法への、これほどの違背もなければ、冒漬もない。

名字の言 看板おかみの"励ましの引き出し" 2022年10月19日
「心があったまる氷屋さん」と評判の商店がある。かき氷の味もさることながら、一番の人気は笑顔満開で迎えてくれる93歳の"看板おかみ"▼その明るい人柄は、幾つもの試練を越える中で練られたもの。入会した65年前、貧乏のどん底だった。酒浸りの夫を支えながら、借金取りに頭を下げ、2人の子を養うために汗みずくになって働いた。"宿命転換を"と決意して親戚に仏法対話をすると、「あんたんちが、まともになったら聞いてやるよ」と言われた。それで逆に腹が決まった。"この悔しさの何倍も、信心で幸せになってみせる"と▼コツコツ、コツコツ対話に歩き、100人近くに弘教した。今、信心を継いだ子、孫、ひ孫に囲まれ、"和楽の春"を迎えた彼女は、しみじみと語る。「苦労はしたもん勝ちね。その分、皆を元気づける"励ましの引き出し"が増えるじゃない」▼御書に「意が声とあらわる」「また声を聞いて心を知る」(新663・全469)と。声や言葉には、発する人の心がにじみ出る。人生の起伏を乗り越えた先輩の励ましは深さ、重さが違う。心を癒やす響きがある▼「励ましの名手」を目指す私たちでありたい。そのために日々、広布への祈りと対話に挑もう。心を磨こう。

寸鉄 2022年10月19日
「法華経は日輪のごとし」御書。地域、社会の希望の太陽に!師子吼の題目で(新1518・全1114)
青年は北風に向かい堂々と進め—戸田先生。苦難の時こそ大飛躍の好機!
行動に現れる道徳だけが人生に品位を—科学者。我らは勇んで学会活動へ
昨年の特殊詐欺被害9割が高齢者と。大半が電話で。在宅時も留守電活用
運動習慣つけるには最初の難易度を低く—識者。体操でもOK。継続が力

☆第52回創大祭・第38回白鳥祭「記念フェスティバル」への池田先生のメッセージ
◇世界を変えたければ、まず自分を変革せよ
一、私の心も今、新しき大文化建設の揺籃たる八王子のキャンパスで、愛する創大生、短大生と、共に舞い、共に歌っております。
凱歌の青春を友と駆けゆく創大祭、白鳥祭、誠におめでとう!
試練の時代に凜然と立ち向かう一人一人の姿に、私は、「艱難に勝る教育なし」という、誇り高き生命の輝きを仰ぎ見ております。
なかんずく留学生の皆さん、毎日、ご苦労さま。本当にありがとう!
母校愛にあふれる創価同窓の先輩方も、よく集ってくれました。

一、今回、テーマに掲げられた「平和の地球」「平和の世紀」は、まさに、わが師・戸田城聖先生が創大設立の構想に託された悲願であります。恩師は言われました。
——真の平和を創るには、根本の「人間」を変えるしかない。民衆が強く賢くなるしかない。とりわけ、世界中の青年が、心と心を結び合わせていくことが、地球民族の希望となる、と。
その縮図は、まぎれもなく、今ここに光っております。
3年前、創価大学にお迎えした、イギリスのバーチンガー博士も、皆さんに最大の期待を寄せられる一人です。看護師として世界の紛争地で医療や人道支援に貢献し、幾多の命を救ってこられた博士は語られています。
「私たちはみんな、山を動かし、世界を変える力を持っている」(『クレア・バーチンガー自伝』西田佳子訳、潮出版社)と。だからこそ、世界を変えたいと本気で思うなら、自分自身を乗り越え、成長させよう。変化は必ず起こせると、呼びかけています。

一、逆境にあればあるほど、不屈の価値創造の底力を発揮して、民衆の希望の活路を開くのが、創価の若き世界市民の皆さんです。
どうか、平和への志を同じくする最良の学友と励まし合いながら、いよいよたくましく英知を磨き、いよいよ闊達に連帯を広げてください。
宝の皆さんが、健康第一で、交通事故などないよう、私は妻と日々、祈っています。
終わりに「鉄は炎い打てば剣となる」との金言を贈り、メッセージとします。親孝行を忘れず、何があっても負けない青春であれ!

☆質問BOX 「広宣流布」といっても実感が湧きません。
◇答え
「広宣流布」と聞くと、「世界平和」のように、とても大きなことをイメージし、実感が湧きづらいと思うかもしれません。
池田先生は、「広宣流布とは、特別な『大きなこと』をすることではない。今の自分にできる『小さなこと』を、地道に粘り強く一つ一つ行っていくことである。目の前の『一人』に同苦し、励ます。今できる『一つ』の行動に、誠実に、張り切って取り組む——それは、誰もが直ちに実践できることなのだ」とつづっています。
世界広布といっても、一人から一人への励ましによって広がってきました。その原点は、"あの友に希望を届けたい""この友に勇気を送りたい"という、学会員一人一人の祈りにあります。
朝晩の勤行・唱題の中で、同志や友人の幸福を祈念することが「広宣流布」に直結しているのです。

2022年10月18日火曜日

2022.10.18 わが友に贈る

リーダーが常に学び続け
新鮮な言葉で語ってこそ
同志の心に響く。
求道の息吹みなぎらせ
新たな価値創る日々を!

衆生身心御書 P1595
『法華経の行者はいやしけれども守護する天こわし、例せば修羅が日月をのめば頭七分にわる犬は師子をほゆればはらわたくさる』

【通解】
法華経の行者は卑しい身分ではあるけれども、守護する諸天は強い。たとえば、修羅が日月を呑むと頭が七分にわれ、犬が師子を吠えれば腸がくさる。

名字の言 ある個人会場での座談会終了後のこと 2022年10月18日
ある作家の講演を録音したカセットテープを地域の資料館で借りた。聞き終え、"次に聞く人のために"と再生機の巻き戻しボタンを押す。くるくると巻かれていく様子に懐かしさを感じた▼スマホやタブレットなら、こんな気遣いは無用だ。映像も音源も、希望する時点へ瞬時に飛べる。それと比べれば手間暇はかかるが、テープが冒頭まで巻き戻る、しばしの間、聞いた内容を思い返し、より理解を深められたのは有意義だった▼ある個人会場での座談会終了後のこと。"次の使用者が気持ちよく会合を行えるように"と、参加者が清掃とアルコール消毒を始めた。手を動かしながら、皆、マスク越しに座談会の感想などを語り合った▼「多宝会の○○さんが数年ぶりに出席したのは、お孫さんの『一緒に行こうよ』の声に押されたからだそうですよ」「御書講義を初めて担当した男子部員は、地区リーダーと5回も勉強会を持ったと聞きました」「今日の女性部の方の体験を聞いて"私ももう一度、唱題に挑戦しよう"と決意しました」……▼会合はオンラインを併用する場合もある。効率等を考え、形を模索することも一つの価値創造だ。その上で、足を運んで、会って語り合う時間の価値は計り知れない。

寸鉄 2022年10月18日
信心は万人ができる実践方法—牧口先生。全ての人の幸福を開く信仰なり
民音創立記念日。文化の花咲く平和の時代創造へ 推進委員の献身に大拍手
京都の日。威風堂々たる広布の人材城。大関西に輝く常勝の新章節を頼む
幹部は一度の訪問・激励に真剣勝負で。共に前進を誓う有意義な語らいを
ごみ処理費増大。削減は市民の協力が不可欠と。水気をよく切る等、賢く

☆全国男子部幹部会 池田主任副会長のあいさつ
◇不退の大闘争を師と共に
一、大成功の全国男子部幹部会の開催、誠におめでとうございます。
無限の希望——これが真実の仏法の証しであり、なかんずく男子部魂であると思います。池田先生も19歳の時、希望を胸に信仰の道を歩み始められ、本年8月で75周年となりました。
先生が20歳の時、信心を始めて1年目の心境を書かれた、当時の"わら半紙"があります。ここにつづられた清新な決意は、新出発する男子部へのエールにも通じると拝されますので、ここで、ご紹介させていただきます。
冒頭、先生は「真実なる宗教の追求に進まんと決意」し、昭和22年(1947年)8月24日、「御本尊を戴く」と書かれています。
また、折伏を受けている中で、深遠な哲理と、熱烈にして強固な信念を持って進みゆく姿に、何か厳粛にして尊きものを直覚したこと。そして、自らの観念の遊戯にとどまる心情を強く反省させられ、苦しかったが、「当たって砕けよ」の意気で信仰の門に入ったことを、率直に述べられています。
入信の動機としては4点、挙げられています。「第一に、敗戦国日本の建設のすべての根本たる思想を樹立したかった」「第二に、自身を自覚し、真の生命の実相を実感したかった」「第三に、混濁の波に流れゆく全人類に、新たなる生命の息吹と曙光(夜明けの光)とを与え得る様な不滅の文芸作品を送りたかった」「第四に、大きな意味に於ける正義と善悪の基準を知りたかった」——この4点です。
さらに「それには、先ず自分自身が高い人生を生きる事だ。否、最高の真如(真理)の世界に進むべし」とあります。
そして"人類を覚醒せしめ得る真の原動力は、ここにある"と確信して、「弱き自分をむち打ちつつ、折伏に信仰に」一歩一歩、進んでいると結ばれ、最後に、昭和23年7月14日の日付と「現在、大世学院政治経済科在学中」と書かれてあります。当時、先生は病弱に苦しむ中、昼は働きながら大世学院(現・東京富士大学)夜間部に学んでいました。
若き先生も、皆さんと同じように、一青年として、悩み、苦しみ、もがきながらも、この妙法の信仰に「人間のための宗教」を見いだし、広宣流布という"生き方"を選び取られたのです。
先生は、75年間の不退の大闘争を貫き通して、入信の時に志した「平和と繁栄の社会の建設」も、「生命尊厳の思想の樹立」も、「全人類への貢献」も、そして「正義の民衆勢力の構築」も全て成し遂げられました。
なかんずく、小説『人間革命』(全12巻)、さらに『新・人間革命』(全30巻)は、全世界の青年たちへのかけがえのない贈り物となっています。
師弟は不二なるがゆえに、「創価の信仰」を自ら選び取った地涌の青年の皆さん方に、先生が体現された「人類を覚醒せしめ得る真の原動力」が発揮できないわけがない。
否、「従藍而青」の後継として、偉大なる「人間のための宗教」の力で、いやまして地球民族を結び、高めていくのが、新時代の山本伸一たる皆さんであると申し上げたいのであります。

一、池田先生を師と定め、人類のため、平和のために行動する陣列は私たちだけにとどまりません。文化や言語、国境の壁を超え、今や宗教の枠すら超えて、世界中に広がっています。
アメリカ南部アトランタ市の名門・モアハウス大学のキング国際チャペルのカーター所長も「池田会長には弟子たちがいますが、私自身もその一人だと自任しています」と語るお一人です。
同大学は、アメリカ公民権運動のリーダー・キング牧師の母校として知られ、その名を冠した国際チャペルの責任者であるカーター所長も、キリスト教バプテスト派の牧師です。池田先生とは2000年、02年と対話を重ねられました。
私も、たびたびお会いしましたが、所長から"インド独立の父・ガンジー、キング牧師、そして池田会長の三人を並べる展示会を実現したい"と初めて伺った時は、正直言って大変に驚きました。
所長は私に力説されました。「ガンジーとキングの二人は、後世の人々によって少しずつ"神格化"されています。二人とも、そんなことは全く望んでいなかった。私は、その二人と同じ目的に向かって歩み続ける"生きた模範"こそ、池田会長であると確信しています」と。
非暴力で「権力」や「分断」に立ち向かい、社会を変革したガンジーとキング。現代において二人の理想と深く共鳴するのが創価学会、SGIの民衆運動である——これがカーター所長の確信でありました。
所長の熱意で実現した「ガンジー・キング・イケダ——平和建設の遺産」展は、2001年4月にモアハウス大学を皮切りとして、アメリカ国内のみならず世界中を巡回し、100万人以上が観賞しました。
いまだ暴力と差別が渦巻く21世紀にあって、池田先生と創価学会こそが人類の希望である——この信念を込めて所長が提唱してくださった展示は、世界中で大きな反響を呼びました。
師の思想を観念でなく、実践で受け継ぐ弟子がいる。業績を継承するだけでなく、さらに発展させゆく若き後継の情熱がある。ここにカーター所長は刮目し、私たちの前進に全幅の信頼と期待を寄せてくださっています。

一、日蓮大聖人は「我が末弟等を軽んずることなかれ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩なり。あに熙連一恒の者にあらずや。退いて未来を論ずれば、八十年の布施に超過して五十の功徳を備うべし。天子の襁褓に纏われ、大竜の始めて生ずるがごとし。蔑如することなかれ、蔑如することなかれ」(新270・全342)と仰せです。
御聖訓に照らして、広宣流布に、日々の学会活動に、真剣に取り組んでおられる若き皆さんほど、尊貴な人はいません。その自分自身の大きな使命を、無限の可能性を、信じ切っていただきたいのであります。
世界中の池田門下の人間革命への挑戦が、一対一の誠実の語らいが、必ずや混沌とする世界を平和へ導きます。この確信に立ち、一人一人が広布後継の道を朗らかに、堂々と歩み抜かれることを念願し、祝福のあいさつとさせていただきます。

☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第9回
◇信仰は"義務ではなく権利"
深遠なる仏法を弘め、広宣流布の歩みを世界へと進めているのが、わが創価学会である。ゆえに、学会とともに広布に邁進していけば、松にかかったツタが千尋の高さを登ることができるように、おのずと幸福への道が開けていくことは間違いない。
ともかく、信仰は「権利」であり、「義務」ではない。
退転だけは絶対にしてはならない。少しでも信心の息吹にふれようという求道心は失ってはならない。信心の心を失えば、歓喜がなくなり、生き生きした生命の躍動がなくなる。福運が途絶えてしまう。功徳を消してしまう。それでは、自分自身はもとより、家庭や一族の方々がかわいそうである。(中略)
大切なのは、強い「信心の心」である。戸田先生はよく"信心は学会のためにするものではない。自分自身のためにするのだ"と話されていた。
どうか、自身のため、一家のため、そして一族の未来永遠の繁栄のためにも、勇気ある信心を粘り強く貫いていかれんことを、重ねて念願するしだいである。(1990年5月、第2回千葉県記念総会でのスピーチ、『池田大作全集』第74巻所収)

◇転倒の世にも信念はゆずれない
私はかつて、中国の友人から、書を頂戴した。「衆人皆酔 我独醒」としたためてあった。今も、ある会館に大切に掲げてある。いうまでもなく、司馬遷の『史記』にも収められた屈原の詩である。
挙世皆濁 我独清(世を挙げて皆濁り、我独り清めり)
衆人皆酔 我独醒(衆人、皆酔いて、我独り醒めたり)
——世の中はすべて濁っている。私だけが清らかに澄んでいる。人々は皆、酔っている。私だけが醒めている——。
一般に、この句は、陰謀によって祖国(中国・戦国時代の楚の国)を追放された屈原が、晩年に書いたとされている(「漁父の辞」)。社会の大勢に順応すべきだと説く漁師に対して、"自身の正しさが濁れる世には受け入れられなかったのだ"と指摘しているのである。
世は挙げて正義に背こうとも、わが信念はゆずれない。だれ人も濁らせることはできない——。屈原の偉大さとともに、その孤独感がにじんでいる詩でもある。
私どもに対しても、さまざまな無理解はある。しかし、私どもは決して孤独ではない。だれがわからなくとも、御本仏の御照覧は絶対である。また全宇宙の仏菩薩がつねに私どもを守り、たたえ、ともに行動してくださっている。さらに真実の幸福を求める全世界の民衆の最大の友となり、味方となって進んでいるのが私どもなのである。(同)

2022年10月17日月曜日

2022.10.17 わが友に贈る

◇今週のことば
「道理・証文よりも
現証にはすぎず」
新たな宝友と共に!
功徳の体験を語り合おう。
幸福をつかむ信心なれば。
(新1941・全1468)
2022年10月17日

佐渡御書 P957
『外道悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云』

【通解】
外道や悪人は、如来の正法を破ることはできない。必ず、仏弟子らが仏法を破るのである。師子身中の虫が師子を内から食うとはこのことである。

名字の言 あすは「民音創立記念日」 2022年10月17日
現代は多くの人が気軽に音楽を楽しめる。テレビやラジオをはじめインターネットも普及し、過去の偉大な音楽家の名曲を一流の演奏で聴くこともできる。つくづく恵まれた時代になったと思う▼民音が創立されたのは1963年10月18日。当時は、クラシック音楽の演奏会に行ったり、バレエや古典芸能を鑑賞したりする人はわずか。そうした中、「民衆の手に音楽を」との目的で設立された▼池田先生は小説『新・人間革命』第7巻「文化の華」の章で"広宣流布とは、いかなる状態をいうのか"とのテーマについて、こうつづっている。「文化という面から象徴的にいえば、たとえば日本の庶民のおばあちゃんが、井戸端会議をしながら、ベートーベンの音楽を語り、バッハを論ずる姿といえるかもしれない」▼長年、民音公演に親しんできた友が語っていた。「日本にいながら世界の多彩な文化に直に触れることができる。最高の"心のごちそう"ですよ」。民音の事業は幅広く、文化講演会、学校コンサート、キッズ楽器体験展など、大衆に根差した文化興隆に努めてきた▼それを支える推進委員や賛助会員をはじめ、大文化運動をけん引する全ての方々の深き理解と尽力に感謝と敬意を表したい。

寸鉄 2022年10月17日
学会には平和の光が満ち溢れている—ブラジル識者。希望を灯す対話拡大に先駆!
大事な時に巡り合い歴史築くは最大の名誉—戸田先生。創立100周年へ勇躍
東京・板橋の日。師弟共戦の人材輝く本陣の錦州城 新たな広布のドラマをつづれ
生命は絶えざる更新であり闘い—文豪ロラン。昨日より今日。挑戦の人は皆、青年
「衣替え」等、秋支度を。寒暖差大きい今は服装に注意。健康第一こそ根本

〈社説〉2022・10・17 あすは「民音創立記念日」
◇民衆の心と心を結ぶ挑戦
あす10月18日は、民主音楽協会(民音)の創立記念日である。
1961年(昭和36年)2月、創立者・池田大作先生は、初のアジア歴訪の中、長兄が戦死したビルマ(現ミャンマー)を訪問。"悲惨な戦争と決別し、平和を築くには何が必要か"と思索を重ね、相互理解を促す文化交流を目的とした団体の設立を構想した。
その2年半後の63年(同38年)10月18日に民音は産声を上げた。以来、民衆による民衆のための文化活動に取り組み、人々の心をつなぐ"音楽の力"を示してきた。
本紙の「民音ハートフル・インタビュー」には、民音公演にも出演し、各分野で活躍する芸術家が登場している。その取材の中で、異口同音に語るのは庶民に根差した文化活動の重要性だ。
演歌歌手の川中美幸さんは、先輩である三波春夫さんの「歌はね、大衆の中から生まれるんだよ。それを忘れちゃいけないよ」との言葉を大切にしているという。そして、「池田先生も常々、『無名の庶民が一番、偉い』とおっしゃっていますね」と語っていた。
落語家の林家正蔵さんは、「噺家は/世情のあらで/飯を食い」との川柳を通して教えてくれた。「お客さまと同じ立場で世相を感じ、世間の話題に触れるから共感が生まれる。そうでなければ心に染みる話なんてできません」と。
"民衆こそ音楽・芸術を育む主役"——誕生以来、民音の一貫して変わらぬ信念であり、団体名に「民主」が冠された理由もここにある。
創立から59年。民音はこれまで、世界最高峰のオペラハウスやバレエ団の"引っ越し公演"、アルゼンチン・タンゴ、中国の京劇など、さまざまな舞台を実現してきた。その交流は世界112カ国・地域に広がり、それぞれの国や地域の"大衆"にとって欠かせない音楽文化を紹介してきた。舞台を介して感動を共有することで、言葉や文化は違えど、同じ人間であることを実感する——これこそ民音が創立以来続けてきた挑戦である。
池田先生は政治・経済の交流を「船」、民衆同士のつながりを「海」にたとえ、「時に『船』が難破することがあっても、『海』さえあれば、往来は続いていく」と。
平和な未来を目指し、いかなる分断をも乗り越えるために——。民衆と民衆、人間と人間を結び合う"音楽の力"を、民音はこれからも民衆に届けていく。

☆全国男子部幹部会 梁島男子部長のあいさつ
◇我らが青年連帯の凱歌を
一、新時代を切り開く、全国男子部幹部会の開催、大変におめでとうございます。
池田先生は、語られました。"戸田先生との出会いは、永遠に忘れない。この出会いで、一生が、永遠が決まった"
この世に「師弟」ほど、崇高な絆はありません。私たち男子部もまた、師匠との出会いによって、人生を大きく勝ち開いてくることができました。
師との出会い——それは、十人十色です。
「対面の出会い」もあれば、先生の指針を学ぶ中で、心の絆を結ぶ「胸中の出会い」もあります。
私にとっての「師との出会い」は、18歳の時でした。悩みを抱え、確かな生き方を求める中で読んだ小説『人間革命』。その中で、「山本伸一」に出会いました。
悩み苦しむ民衆には太陽のような慈愛を注ぎ、人を見下す傲慢な人間とは嵐のごとく戦う。「師弟の誓い」に生き抜く伸一の姿に、私は「人間としての魅力」と「創価の生き方」を学んだのです。
あえて悩み多き姿で生まれ、人々に希望を送る「願兼於業」の使命。全ての人の仏性を信じ抜く「不軽の実践」。「利己」から「利他」へと生き方を転じる「人間革命の実証」。池田先生は、こうした日蓮仏法の真髄を、1960年のきょう10月2日を第一歩として、世界中に伝え、平和と安穏の大地を広げてこられました。
今やSGIは192カ国・地域に広がっている。きょうも世界の各地で「人間革命」のドラマが起き、人から人へ、信仰の喜びが伝えられている。
それはまさに、日蓮仏法こそが、「人間のための宗教」であることの、何よりの証左であります。

一、争いやエゴイズムが蔓延する乱世にあって、私たちは「人間主義」の旗を掲げ、広宣流布という壮大なロマンに生きています。その未曽有の挑戦に、困難が伴うのは必然です。「魔競わずば、正法と知るべからず」(新1479・全1087)。広宣流布とは永遠に、「仏と魔との闘争」であるからです。
今、求められているのは、宗教を十把一絡げに論ずることではなく、どの宗教が「人間を強く、善く、賢く」するのかを見極め、峻別することであります。
世界宗教として堂々と飛躍する学会の運動こそ、「正しい人生を教える力がある宗教」である。
学会に対する根拠なきデマや暴論は、むしろ、「現実社会に脈動する生きた宗教」であることの証しなのであります。
先生が仰せの通り、巌のごとき「不動の自己」をつくることが「信仰の精髄」です。
根も葉もない批判を悠然と見下ろしながら、「目の前の一人」に寄り添い、励ましていく。私たちは、この「創価の生き方」を断固として貫いていきたい。そして、「人間として最も偉大な生き方」である、「師弟の道」を、一生涯、歩み抜いていきたい。

一、このたび、男子部の新出発に際し、新たなスローガンが決定しました。「我、新時代の山本伸一なり! 不二の力で 歴史転換の先陣を! 青年連帯の凱歌を!」です。大変におめでとうございます(拍手)。
「我、新時代の山本伸一なり!」——この決意に立った時、師匠と同じ地涌の生命が涌現し、無限の力が湧き上がる。今、男子部の多くは、池田先生と直接お会いしたことのない世代です。しかし、「胸中の出会い」を重ねながら、「師弟に生きる人生」を自ら選び取っています。
「新時代の山本伸一」として立ち上がる青年群が、末法万年尽未来際、澎湃と湧きいでるならば、師弟の精神は、永遠に継承されます。
広宣流布史上、重要な転換点にある今、男子部は、その深き使命を自覚し、「山本伸一の生命」を身に体した、弟子の戦いに挑んでいきます。

一、現代社会は今、パンデミックや気候危機、ウクライナ侵攻、物価高や経済の低迷など、「複合的な危機」の時代に立たされている。こうした課題の本質を「心の危機」と指摘する識者もいます。その根本的な解決をもたらすのが、日蓮大聖人の生命哲学であり、「折伏」の実践であります。
価値観が多様化し、先の見えない世の中にあって、若い世代は「人生の羅針盤」を求めています。
私自身、この数年間で、10人以上の青年世代の友人を折伏することができました。そして、この"全国男幹"に向けて、率先の折伏を決意し挑む中、5日前に、新たな友人に弘教を実らせることができました(拍手)。
彼は、入会の理由に「人とのつながり」を挙げていました。まさに、人と人をつなぐ「創価の生き方」に共感を寄せたのです。
いかなる時代であれ、青年が青年を糾合し続ける限り、広宣流布の水かさは増していく。本来、誰もが求める、この「生き方」を、一人でも多くの青年に語り広げていくのが、我々、男子部の使命であります。
さあ、全国の男子部の皆さん。「我、新時代の山本伸一なり!」との「師弟誓願の合言葉」を響かせながら、2030年、2050年、そして22世紀、23世紀への広布の大ロマンに燃えて、「青年連帯の凱歌」を轟かせていこうではありませんか!

☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第8回
◇事実無根のウソを断固と破る
事実無根のウソに人々が振りまわされ、冤罪によって善なる賢者が消え去り、邪智の悪人がのさばる社会や国家は、あまりにも愚かである。盲目である。その根本の狂いによって、乱れに乱れ、やがて滅亡していかざるをえない。
大聖人は、その道理と歴史的な事実とを縦横に示されながら、"だからこそ、悪を見破り、責めぬいていかねばならない"と、何度も何度も教えておられる。
戸田先生は言われた。
「人間の妬みほど、恐ろしいものはない。人間の魔性ほど、怖いものはない。ゆえに、汝自身が力をつけよ! 汝自身が悔いなき信念を持て!」と。
その意義から、先生が、青年部に徹底して読ませ、学ばせて、遺言のごとく語り、打ち込まれたのが『モンテ・クリスト伯』——「巌窟王」の物語であった。(中略)
この大河小説は、たんなる復讐の物語ではない。その根底には、権力者の不正に対する民衆の怒りがある。社会的正義を蘇らせる、みずみずしい息吹がある。その理想の炎が、皆を魅了するのであろう。
仏法には、残酷な復讐はない。いかなる悪人でも、その命を奪うことは絶対に認めない。生命は最高に尊貴であるからだ。また、仏法の峻厳なる因果律から見れば、悪は「法罰」によって必ず裁かれる。
ともあれ、仏法は、仏と魔の闘争である。極悪と戦う生命は、極善となる。それこそが「人間革命の戦い」なのである。(2001年3月、婦人部の神奈川・埼玉・千葉代表との協議会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)

◇「望む」——これが青年の特権
千葉の青年部も、たくましく成長し、健闘してくれている。
(中略)
『モンテ・クリスト伯』にあった、人生の英知を青年部に贈りたい。
「信ずること、望むこと、これが青年の特権だ」
「幸福を得ようと思ったら戦わなくてはなりません」
「戦う意志をもった人であったら、一大事の時を一刻たりともむだにせずに、運命から打撃を受けると、たちまち投げかえしてやるものです」
そして「仕事をするのだ。働くのだ。懸命に勇気を出してたたかうのだ」と。
(中略)
戸田先生が開始した「巌窟王」の正義の闘争は、今や世界の良識が連帯して、「人権の世紀」を創造しゆく、うねりとなっている。
新世紀の平和の民衆勢力の「柱」となり、「眼目」となり、「大船」となるのはSGIであると確信する。今こそ、福徳の地盤、繁栄の地盤、広宣流布の地盤を悠々と築きながら、「創価の世紀」を開いてまいりたい。
(中略)
『モンテ・クリスト伯』の結びに、掲げられた言葉は何か。
それは、「待て、しかして希望せよ!」である。
大切なのは、「時」を待ち、「時」をつくりながら、すべてを勝ち越えていく「忍耐」と「希望」の力である。
この言葉こそ、人間の英知の結晶といえよう。(同)

2022年10月16日日曜日

2022.10.16 わが友に贈る

「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
あの友この友と
温かな仏縁を結び
地域に幸せを広げよう!
(新1793・全1361)

妙密上人御消息 P1239
『此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中(うち)国ごと人ごとに弘むべし』

【通解】
この上行菩薩は末法に出現して、妙法蓮華経の五字を世界中の国ごと、人ごとに弘めるのである。

名字の言 「不惑」の40歳 2022年10月16日
最近、2人の知人と語らった。共に40代。小学校の教員に転身した経歴を持つ▼一人の友は、青年部時代から広布後継のメンバーの育成に携わり、今は圏女性未来本部長を務める。病院の事務職員として働く傍ら、わが子が通う学校のPTA会長も担った。その中で"希望あふれる子どもたちに尽くす仕事に就きたい"と創価大学通信教育部へ。現在、小さな村の小学校の教壇に立つ。「きょうは児童と稲刈りをして、ヘトヘトです」という割には、声が弾んでいた▼もう一人は、前職が警察官という壮年。"子どもたちの純粋な心を、より強く、正しく育み、より良い社会を築きたい"との情熱と努力を実らせた▼孔子の「論語」によれば、40は「不惑」の年齢に当たる。先の2人は新たな道を進もうと思った際、多少の不安はあっても、決断に迷いはなかったという。「不惑=惑わず」とは、冷静に事態を見極め、信念を定めた以上は心を乱さず、最後まで行動し抜くことなのだろう▼何かに挑戦を始めるのに遅すぎるということは絶対にない。思えば2人は、同じような言葉を口にしていた。「"今さら"とは思わなかった。"今から!"と腹を決めた」と。「今さら」と「今から」——1字の違いは大きい。

寸鉄 2022年10月16日
「学会がある限り、社会は希望を持ち続ける」エスキベル博士。平和への対話を更に拡大
広布には時代に応じた新しい熱と力が必要—戸田先生。青年を皆で育成!
正しい声の語る言葉は、深く美しい—詩人ホイットマン。確信、情熱は友の胸に必ず響く
「民のほねをくだける白米」御書。感謝の心で食品ロス削減。世界食料デー(新1999・全1390)
誤った子ども座席取付は未だ52%—調査。命守る為に再点検。事故は一瞬

☆世界広布の源流 青年に語る創価の魂 第5回 御書発刊70周年〈上〉
◇「御書根本」が永遠の方程式
田島 11月に実施される「教学部任用試験(仏法入門)」を目指し、教学研さんの息吹が高まっています。本年は御書全集の発刊から70周年の佳節を迎え、意義深き年に行われる任用試験となります。

池田 先日の随筆(9月29日付)に、「この最高峰の生命哲学を学ぶ喜びこそ、教学試験の合否を超えた眼目といってよい。ここに、自他共の人生の勝利への推進力も、社会の安穏への源泉もある」とありました。
御書を学ぶことは、日蓮大聖人の御精神に触れることであり、自身の境涯を大きく開く力となります。任用試験に挑戦する友に、皆で励ましを送ってまいりたいと思います。
広布史を振り返れば、戸田先生が第2代会長に就任した後、真っ先に取り組まれたことが、「創価学会常住御本尊の発願」「御書全集の発刊」「宗教法人の取得」でした。恩師の打たれた布石は、現在の広宣流布の基盤となっています。
この中で、「重大な難事」として、戸田先生を悩ませたのが御書発刊でした。第2代会長に就任した翌月の1951年(昭和26年)6月、戸田先生は御書発刊を発表します。立宗700年を迎える52年(同27年)4月を目指しての一大事業でした。

◇経典を現代に蘇らせた"創価の師弟"
先崎 莫大な費用や限られた校正時間など、御書発刊には幾つもの壁が立ちはだかっていたことが、小説『人間革命』第5巻「随喜」の章につづられています。

◇池田 御書発刊は、「令法久住のための第一の布石」でした。だからこそ、戸田先生は「本格的な宗教革命のためにも、また、思想革命、あるいは理念の闘争のためにも、この刊行は決定事項としなくてはならぬ」と覚悟されていました。
学会行事が重なり、多忙を極める中、戸田先生は「御書発刊の万端の指揮」を執り、校正作業にも自ら死力を尽くします。
一方、学会の御書編纂に対する宗門側の対応は、"了承するが援助はしない"という極めて冷淡なものでした。ただ堀日亨元法主の尽力があっただけです。
立宗700年を目指し、宗門が力を注いでいたことは、「梵鐘(寺の鐘)」の鋳造でした。戦時中、梵鐘を兵器資材として供出したため、再び造ろうとしたのです。
こうした宗門の姿勢を、戸田先生は、聖教新聞の「寸鉄」で「御山でゴシュ(御酒)は作っても、ゴショ(御書)を作れぬ坊主が居るってね」と痛烈に破折しています。結局、学会が一切の費用と校正作業の人員を出し、御書発刊に総力を挙げました。創価の師弟が、日蓮大聖人の御金言を経典として現代に蘇らせ、正法正義を守り抜いたのです。青年部が忘れてはならない歴史です。

◇斉藤 御書発刊の発表後、校正作業が急ピッチで進められ、51年12月には、1000ページの初校のうち、700ページの校正作業が終了します。

池田 その頃、牧口先生の御書(霊艮閣版)が警視庁から戻ってきました。
軍部権力に屈しなかった牧口先生が、43年(同18年)7月、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕された際、特高警察に押収されたものでした。
戸田先生は戻ってきた先師の御書を手に、「牧口先生も、御書発刊と聞いて、この御書校正の席においでになったんだよ。われわれと一緒に、校正をやってくださるのと同じことではないか」と語っています。
52年2月初旬、戸田先生は教学部のメンバーや青年部のリーダーと共に、約1000ページの再校を行っています。下旬には、再校・三校合わせて900ページの校正作業に当たりました。この時期、御書の予約申し込みも行われています。
御書発刊に向けた作業が進められる中、蒲田支部の支部幹事を兼任していた池田先生は、「組(現在のブロック)2世帯」の弘教の目標を掲げ、1カ月で支部201世帯の折伏を成就します。いわゆる「二月闘争」の淵源です。
それまでは、1支部で月100世帯前後の拡大が限界でした。その「壁」を一挙に破ったのです。この折、先生は同志に、大聖人の御金言を拝し続ける重要性を訴えられています。
御書の校正作業が完了したのは、4月16日です。戸田先生は、御書編纂に尽力した友をねぎらいながら、20年余りにわたる出版事業の経験は、「この御書一冊を作るためにあった」と語られました。

◇新版の刊行後初の任用試験
小川 多くの困難を乗り越え、52年4月28日、ついに御書が発刊されます。

池田 『人間革命』第5巻「布石」の章に、このように記されています。
「会員たちは、この御書を持つことを誇りに思った。日蓮大聖人の教えは、この一冊に、過つことなく、すべて込められているのだ。これを七百年過ぎた今、遂に手に入れることができたからである」
御書発刊までの険しい道程にあって、恩師を守り抜いたのは池田先生でした。池田先生は、依然として厳しい状況にあった恩師の事業を支えていました。
その中で、御書発刊の資金調達、御書に使う紙や表紙の羊皮の手配、印刷所との交渉など、裏方の作業に全力を注がれたのです。
御書発刊の直前、戸田先生は聖教新聞に談話を発表されました。そこで、「印刷所の選定も人知れぬ苦労があった」と述べられています。池田先生の名前こそ出ていませんが、恩師が先生の"陰の奮闘"に深く感謝されていることがうかがえます。
御書発刊から8カ月後の52年12月、学会初の任用試験が開催されました。この試験が行われた日、池田先生は「助教授」の任命を受けています。

田島 大聖人の御聖誕800年を迎えた昨年の11月18日、「御書新版」が発刊されました。

池田 本年11月の任用試験は、「御書全集」の発刊から70周年に加え、「御書新版」の刊行後初となる実施であり、深い意義があります。
御書全集の「発刊の辞」は、戸田先生がしたためていますが、御書新版は池田先生が監修し、巻頭の「序」を寄せています。
池田先生は「序」で、御書の意義について、こう述べられています。「人類全体を結び合い高めながら、戦乱・疫病・貧困、また自然災害、気候変動など地球的問題群に挑む『随縁真如の智』を引き出す無窮の宝庫」と。
コロナ禍やウクライナの深刻な事態、世界規模の災害など、人類は今、難題に直面しています。この危機を乗り越える智慧の光源が御書です。
「序」には、「この御書を抱きしめながら、創価の師弟は一丸となって『行学の二道』に邁進し、悩み苦しむ庶民一人一人の心に『人間革命』と『宿命転換』への無限の希望と勇気の灯をともしてきた」とも記されています。
「大阪の戦い」「山口開拓指導」など、池田先生は御書を根本として、不滅の拡大の歴史を築かれました。世界192カ国・地域に広がる学会の発展の源泉は、「御書根本の実践」にほかなりません。それは、いかに時代が変わろうとも、決して変わることのない、学会の永遠の方程式です。
御書新版が発刊された今、広布の歴史に新たな一ページを刻むのは、青年の"対話・拡大"です。仏法研さんの求道の心を燃やしながら、地域・社会を照らす"生命尊厳の哲学のスクラム"を広げていこうではありませんか。

2022年10月15日土曜日

2022.10.15 わが友に贈る

同志を励ますことは
最も気高き仏道修行だ。
その実践を貫く人に
限りない福徳が輝く!
さあ勇んで友の元へ!

三三蔵祈雨事 P1468
『大聖すら法華経をゆるされず証果のらかん機をしらず、末代悪世の学者等をば此をもつてすひしぬべし、天を地といゐ東を西といゐ火を水とをしへ星は月にすぐれたり、ありづかは須弥山にこへたり、なんど申す人人を信じて候はん人人はならはざらん悪人にはるかをとりてをしかりぬべし』

【通解】
大聖でさえ法華経を説くことは許されず、証果の阿羅漢であっても機根を知らない。末代悪世の学者等のことはこれらの例をもって推し量るべきである。天を地といい、東を西といい、火を水と教え、星は月に優れている。蟻塚は須弥山よりも高いなどという人々を信じている人々は、習わない悪人よりも、はるかに劣っているのである。

名字の言 「沖縄そばの日」の由来 2022年10月15日
そば粉を使わない「沖縄そば」を「そば」と表示してはならない——沖縄の本土復帰後、公正取引委員会から沖縄生麺協同組合に連絡が入った。そば粉を3割以上使用することが「そば」の表示の条件だからだという▼県民に親しまれた「そば」を守るため、地元業者は動いた。粘り強く交渉を重ね、1978年10月17日に「本場沖縄そば」として認可。本土市場への参入で全国に知られるようになり、後にこの日は「沖縄そばの日」と制定された▼そばの呼称一つにも影響を及ぼした本土復帰。ドルから円への通貨切り替え、車の右側通行から左側通行への変更など、米国からの施政権返還は県民生活を激変させた。今の日常があるのは先人たちの努力あってこそと、改めて心に刻んだ▼米国の歴史学者ハーディング博士は、キング博士の人権闘争の後も"悪がなくならないのはなぜか"との青年の疑問にこう答えた。「キング氏が、すべてを解決してしまっていたら、次の世代は何もすることがないではないか」。そして「先人への感謝を忘れるな」と▼より良い世界を築く責任は、今を生きる私たちにある。その第一歩は「先人への感謝」から始まる。歴史から学び、未来への誓いと行動を新たにしたい。

寸鉄 2022年10月15日
「法華経を持つ人は、父と母との恩を報ずる」御書。君よ広布の庭で大成長を(新1852・全1528)
兵庫の日。人間主義の語らい広げる希望の電源地 常勝の誓いは後継に脈々
優れた人間の特徴は不屈である事—楽聖ベートーベン。負けじ魂で"勝つ"まで挑戦!
全世代で体力低下、感染禍の運動不足で。対話に歩き心身とも健康の秋に
新聞週間。最も信頼できる媒体は新聞—調査。社会正義に資する紙面誓う

〈社説〉 2022・10・15 あす「世界食料デー」 
◇私たちの地球へ心遣いの選択を
あす16日は「世界食料デー」。飢餓に苦しむ人は地球上に約8億人。ウクライナ危機の影響もあり、一段と、小麦やトウモロコシなど、世界的な食料難が拡大している。
本年の世界食料デーのキャンペーンテーマは「誰一人取り残さない。より良い生産、より良い栄養、より良い環境、より良い生活」と。ここでは、私たちの身近な取り組みとして、食料の無駄をなくすことから考えてみたい。
コンビニやスーパーで食料品を購入する時、何を考えながら商品を手に取っているか。何となく賞味期限が先の物を選んではいないだろうか。売れ残りや期限切れ、食べ残し等により、本来食べられるものを廃棄してしまう食品ロス。最近、食品ロス削減のために、賞味期限が近い手前の商品を選ぶ「てまえどり」を推奨する表示を店内で見かけるようになった。
買い物に行く前に冷蔵庫の中をチェックし、買い過ぎを防ぐ。てまえどりを励行し、食品廃棄を減少させる。残り物から先に調理すれば、食材を無駄にせずに済む。
秋田県小坂町で農業にいそしむ女性部の友。原木シイタケを栽培し、周囲の農家とブドウを育て地元の「ワイナリー」に出荷するなど、農業で地域を盛り上げる。また、食生活改善推進協議会の一員として、食の大切さを伝えている。
例えば「食材選びの際に"旬"を意識することが大事」と。旬のものはおいしくて残さず食べられる。結果的に「より良い栄養」をとり、食品ロスの削減にもつながる。「これからの季節ならカボチャは体を温める効果もあり、健康にも良い」とも。日々の食生活で、食材をどう選択するかで「より良い生活」の基礎もつくれる。一人の意識、家庭の意識が変わることは、食料を巡る「より良い環境」の基盤ともなっていくであろう。
池田先生はかつて、食料問題に取り組む基本的な姿勢について、「各国が争って要求し、駆け引きをし、奪い合うのではなく、今すぐに各国が、まず『何ができるか』『何をもって貢献できるか』ということから、話を始めなければならない」と語った。
私たちは、たった一日の生活の中でも数え切れない選択を積み重ねている。世界食料デーをきっかけに、まず"自分から何ができるのか"を考えたい。世界の人々と、持続可能な地球のため——心遣いの選択を広げていこう。

☆創価学園「情熱の日」記念の集いへの池田先生のメッセージ
◇苦労して学び抜く努力が未来を照らす勝利の力に
みんな、ご苦労さま! 元気いっぱいの運動会や競技大会、麗しい友情の学園祭を、私はうれしく見守っておりました。
今週は、国連の「世界宇宙週間」であり、人類が大宇宙への探究を共に深め、平和の心を高めていく機会です。
先月は、若い星たちが鮮烈な勢いで生まれ、成長を続けている星雲の画像が新たに公開され、世界中に大きな感動を広げました〈アメリカ航空宇宙局(NASA)などの提供〉。
この大宇宙に漲る「生まれ出ずる力」「育ち伸びゆく力」を、今まさに若き生命に体現して成長しゆく希望の星こそ、わが学園生の皆さんなのです。
日本を代表する大実業家の松下幸之助先生も、草創期の学園に来校し、一人一人の情熱あふれる姿から「若さのエネルギーをいただきました」と、満面の笑みを湛えておられました。
松下先生は、困難を打開しようという情熱から、素晴らしい知恵が生まれ、才能が発揮されると、青年を励まされています。
青春は、誰しも行き詰まりとの戦いです。失敗することも、うまくいかない時もある。
しかし、焦ることはありません。星たちも、気の遠くなるような時間をかけて成長するのです。
悩み苦しみながらも、負けじ魂を燃やして挑戦する皆さんの情熱が、全てを、明るく大きく輝きわたる生命の星の光に変えます。
どうか、今、苦労して学び抜く一つ一つの努力が、星のごとく遙か未来の世界まで照らす勝利のエネルギーとなることを確信して、良き学友と励まし合い、地球も、さらに宇宙をも晴らしゆくような、創価の人材の大星雲を創り光らせてください。
これから寒くなり、朝夕の通学時間も暗くなるので、絶対無事故で風邪をひかないよう、真剣に祈っています。

☆池田華陽会 小説『新・人間革命』に学ぶ (上)
【善知識の連帯】
「広宣流布の活動には、生命の歓喜がある。題目を唱えれば唱えるほど、信心に励めば励むほど歓喜増益し、心は弾む。もちろん、苦しいことや悔しいことはあるが、信心の世界には、それに何倍も勝る喜びがある。楽しくて楽しくて仕方がないというのが学会活動です。決して悲壮感に満ちた世界ではありません。
また、皆が楽しさを満喫して信心に励んでいくために、善知識である同志の連帯が、創価家族がある。家族ですから、悩みも、弱さも、ありのままの自分をさらけ出していいんです。上下の関係もありません。何でも語り合いながら、真心の温もりをもって互いに包み合い、励まし合っていく——それが創価家族なんです。
人を励ませば、自分が強く、元気になる。人を包み込んでいけば、自分の境涯が、広く、大きくなる。仏道修行、学会活動は、自身を磨き鍛え、人生を楽しく、最高に価値あるものにしていくためにあるんです」
励ましは、人を蘇生させ、心と心を結び、社会を活性化させていく草の根の力となる。
〈第28巻「広宣譜」の章81ページ〉

【仏法対話】
「本来、私たちの周囲には、折伏すべき人はたくさんいます。ただ、話すきっかけがつくれなかったり、一歩踏み込んだ深い対話ができずにいる。そこで大切なのが、智慧です。
どうすれば仏法対話ができるのか。相手の琴線に触れる語らいができるのか——智慧を絞って考えるんです。(中略)ともかく、智慧は、本来、無尽蔵なんです。その智慧が不可能を可能にするんです。そして、智慧というのは、断じて成し遂げようという懸命な一念から生まれます。必死の祈りこそが、智慧を生む母なんです」
伸一はさらに、智慧が湧いたら、それを行動に移す「勇気」が不可欠であることを訴えた。
「御聖訓には『つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし』(全1124・新1633)と仰せです。無量の智慧をもたらす法華経という剣も、臆病であっては、使いこなすことはできません。
苦手だから避けようと思う心。仕方ないのだと自らの臆病や怠惰を正当化しようという心——その自分の弱さに挑み、打ち勝つ勇気をもってください。そこに自身の人間革命があり、一切の勝利の要諦があります」
〈第17巻「民衆城」の章254〜256ページ〉

【信仰をもつ喜び】
信心の世界は、何か特別な世界でもなければ、堅苦しい世界でもありません。ただし、絶対に忘れてはならないのは、何があっても御本尊を抱き締め、絶対に学会から離れないということです。
皆様は、これまで、信心をして、数多くの功徳を受けてこられたでありましょうが、御本尊の功徳は無量無辺です。さらに、たくさんの功徳を受け、御本尊の力がどれほどすごいものであるかを、もっと実感し、強い確信をもっていただきたい。
それには、信心の体験を積むことです。勇気ある実践です。体験が確信を培い、信心を不動のものとしていきます。
ところで、懸命に活動に励んでも、布教が実らないこともあるかもしれない。だからといって、悶々としたり、卑下する必要はありません。広宣流布を願い、真面目に活動に励んでいる人には、御本尊の大慈悲の光が、等しく注がれます。
ともかく皆様は、誰とでも仲良くし、皆から慕われながら、明るく、楽しい前進を開始していってください。そこから、広宣流布の広がりが生まれます。
〈第10巻「桂冠」の章354ページ〉

【悩みに負けない青春】
皆の人生には、これから先、就職もあれば、結婚もある。さまざまな環境の変化があります。職場の上司や同僚、家族や親戚から、信心を反対されたり、自分が病に倒れたり、勤めた会社が倒産したりすることもあるかもしれない。
その時に、"いよいよ自分の信心が試されているんだ。負けるものか!"と、歯を食いしばって頑張り抜いてほしい。どんなに苦しくとも、信義のため、正義のために、"使命の走者"として、広宣流布の大道を完走してほしいんです。
〈第28巻「広宣譜」の章11ページ〉

2022年10月14日金曜日

2022.10.14 わが友に贈る

桜梅桃李の信心だ。
誰にも尊き使命がある。
人と比べて焦るより
自分らしい幸の花を
堂々と咲かせゆこう!

如来滅後五五百歳始観心本尊抄 P239
『乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に「説己心中所行法門」と云う良に以所有るなり請う尋ね読まん者心に異縁無れ」等云云』

【通解】
即ちこれが終窮究竟の極説である。故に止観会本・章安の序の中に『己心の中に行ずる所の法門を説く』といっているが、天台大師は己心の行ずる自行の法門が即ち一念三千であるとは誠に理由の深いことである。請い願わくは尋ね読まん者、この点において心に異縁を生じてはならない、と。

名字の言 大きな勝利を刻んだ記念日 2022年10月14日
愛用する日記帳は、今日の出来事を書く欄の上に、前年の同じ月日が記されたレイアウトになっている。上段を見て"去年の今頃は何があって、どんなことを考えていたかな"と読み返すのも日課である▼書かれた内容は悩みや決意など、さまざまだ。ただ、当時の課題の多くは信心で乗り越え、"あの日、あんなことがあり、こんな思いをしたからこそ、充実の今がある"と感謝できるものになっている▼ある女性部員は、日々の出来事をノートに書きとどめることを習慣にしてきた。だが、ある日を境に空欄が続く。彼女は脳出血で救急搬送され、入院生活を送っていた。生死をさまよう危機を乗り越え、体は徐々に回復したが、生きる希望が見いだせず、ペンを手にできなかった▼その空白を埋めるかのように、同志が毎日、激励のメールを送り続けた。その励ましで彼女は"元気になって生き抜く!"と心の向きが変わった。退院し、今では車を運転して広布に走っている▼大病に倒れたのは、昨年の11月6日。彼女は今年の11月6日、教学部任用試験を受験する。試験当日のノートの書き出しはすでに決めてあるという。「今日は私が1年かけて身も心もよみがえらせ、大きな勝利を刻んだ記念日だ」

寸鉄 2022年10月14日
21世紀はアフリカの世紀—会長の"宣言"から62年 希望の大陸に仏子が陸続
日蓮に共する時は宝所に至るべし—御書。学会は大聖人直結で広布を実現(新1024・全734)
"一緒に動く"が人材育成の要諦。朗らかに、真剣に挑戦と成長の時を刻もう
20日まで全国地域安全運動。特殊詐欺や空き巣防止に注力と。声かけ共に
朝晩の冷え込み強まる。外出・入浴時の温度差に注意。一枚多く羽織る等

〈社説〉 2022・10・14 きょう「鉄道の日」
◇今日の礎を築いた先人に感謝
150年前のきょう10月14日、日本初の鉄道が新橋—横浜間で開業した。蒸気を噴き上げながら機関車が走る様子は、当時の人々にとって驚異的な出来事であり、まさに文明開化の象徴だった。
日本初の鉄道開業の念願をかなえ、明治の鉄道事業をリードしたのは、「日本の鉄道の父」と称される井上勝だ。『クロカネの道をゆく 「鉄道の父」と呼ばれた男』の著者・江上剛氏は、「井上勝こそが『ものづくりの国』と尊敬を持って世界から称賛される日本の基礎を築いた人物」と評する。
井上は幕末に英国へ留学し、鉄道・鉱山の最先端技術を学び、明治維新後に帰国。国を豊かにする鉄道敷設の信念を生涯貫いた。
官僚(鉄道局長など歴任)でありながら、わらじを履いて現場へ。執務室には、留学中に愛用したスコップが飾られていたという。
その後、井上に次ぐ人材が続々と誕生し、世界屈指の「ものづくりの国」に。近代日本の"産業革命"は、鉄道から始まったともいわれる。発展の礎を築いた先人に感謝したい。
明治以来、安全第一はもちろん、"スピードアップこそ重要なサービス"との考え方は、利用者の需要も重なり、導入予定の超電導リニアなど鉄道の発展につながってきた。
一方、人口減少や他の交通手段の発達により、廃線になった路線も。加えて、コロナ禍で人の移動が制限され、リモートワークなどが増えると状況は一変。2019年には1日の利用者は6800万人を超えていたが、以降は激減している(国土交通省統計)。
それでも、全線再開を果たした福島と新潟を結ぶ只見線(今月)や西九州新幹線の開業(9月)など、新しい鉄道のニュースは私たちの心を高揚させる。"国民の足""物資輸送の大動脈"との、鉄道の存在意義は揺らぐことはないだろう。
民俗学者の柳田國男は、車窓からの絶景を列挙し、「知らず識らずにも、此國土を愛したくなるのである。旅を或一地に到着するだけの事業にしてしまはうとするのは馬鹿げた損」(『柳田國男集』)と述べた。昭和初期の頃にも、移動手段の鉄道に豊かな旅情が見いだされていたようだ。
きょうは「鉄道の日」。人々の心に息づいてきた鉄道の魅力を、改めて見直したい。各駅停車のようにゆっくりでも、前に進めば景色は変わっていく——人生の歩みも、かくありたいと願う。

☆御書と未来へ 第40回 一文字一文字に偉大な功徳が
〈御文〉
『法華経の文字は六万九千三百八十四字、一々の文字は我らが目には黒き文字と見え候えども、仏の御眼には一々に皆御仏なり。』〈本尊供養御書、新1863・全1536〉

〈通解〉
法華経の文字は6万9384字で、一つ一つの文字は私たちの目には黒い文字と見えるけれども、仏の御眼には一つ一つが皆、御仏と映るのである。

〈池田先生が贈る指針〉
法華経そして御書の一文字一文字は皆、仏の生命そのものである。妙法の金文字に触れる我らの生命も、黄金の輝きを放つ。
任用試験を勇んで受験する友も、共に学ぶ担当の方々も福徳は無量無辺である。自他共の境涯革命へ朗らかに「幸福入門」を! 至高の聖典を根幹に、世界宗教の智慧を人類へ送りゆこう。

☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:和合僧
◇池田先生の指導から
恩師・戸田城聖先生は語られました。
「今の乱れた世の中を、創価学会が変えていくのだ。勇気を奮い起こし、一致団結して、広宣流布の大道を進もうではないか!」と。
未聞の大偉業に、障魔が競い起こるのは必然です。だからこそ、仏の陣列である私たちは、信心根本に、どこまでも「団結」していくのです。いかなる三障四魔や三類の強敵にも絶対に破れない「広布の城」「民衆の城」「平和の城」を創り上げていく責務があるのです。
仏道を正しく実践し、法を広めゆく人々の集いを、「和合僧」と呼びます。仏教では、民主的な共同体であるサンガという和合僧があってこそ、各人の仏道修行が成就することが説かれています。
今日で言えば「組織」です。私たちが信仰を実践し、一生成仏を実現し、広宣流布を目指すためには組織が不可欠です。創価学会こそが、現代における世界広布の和合僧にほかなりません。(『調和と希望の仏法 「人間の宗教」の時代へ』)

Q1:なぜ創価学会を「和合僧団」と称するのですか。
紀元前にインドで生まれた釈尊の仏教は、やがて、戒律や仏典の伝承系統を次第に増やしながら、長い年月をかけて、中国、韓・朝鮮半島、日本へ、またスリランカ、東南アジアへと流伝していきました。
もろもろの部派や、あまたの経典群——。多様で多元的に発展しながら、トランス・ナショナル(脱国家的)に伝承されてきた、これら仏教に共通しているのは、「三宝」を大切にして敬うということです。
三宝とは、仏教を構成する仏宝・法宝・僧宝の三つの要素のことです。
仏教では「三帰依」といって、必ず「仏」「法」「僧」の三宝への帰依を誓うことが、信仰の基本となります。
ここで仏宝とは、教えを説く仏のことです。法宝とは、仏が説く教えのことを示します。そして、僧宝とは、教えを信じて実践する人々の集い(教団)のことです。
特に「僧」とは、もともと「集い」を意味するサンスクリット(古代インドの言葉)の「サンガ」を音写した「僧伽」の略であり、「和合」とも意訳されます。二つ合わせて「和合僧」ともいいます。
その上で、漢訳された「僧」という言葉が、中国から日本へと仏教が流伝する過程で、仏道修行者そのものを示すようになっていったと考えられています。
創価学会では、仏宝は日蓮大聖人であり、法宝は南無妙法蓮華経の御本尊、僧宝は日興上人としています。現代における僧宝は、仏意仏勅の広宣流布を進める和合僧団である創価学会となります。

Q2:仏法の原義をひもとくと、「僧宝」の意義もより鮮明になりますね。
古代のインド社会には文字による伝承という慣習がなく、仏典については、紀元前後に書写され始めるまで、専ら「口伝」によって伝承されてきたと研究されています。
その口承を担ってきたのが仏教者の集団であり、その集いのことを「サンガ(和合僧)」と称しました。
もともとインドでは、「サンガ」は仏教の発祥以前から使われていた言葉で、「集団」「集会」「組合」などの意味をもちます。釈尊の時代には、「共和国」の組織形態を意味する言葉でもあったといわれています。
仏法の観点からいえば、「サンガ(和合僧)」とは、互いに尊敬し合う仏道修行者の集団のことです。現代でいえば、求道心と団結をもって、分け隔てなく広布に励む人々の集まりが「和合僧」となるでしょう。
事実、釈尊の「サンガ(和合僧)」では、あらゆる階層の人々が集い、身分や性別などの差異に関係なく、皆が平等に仏道修行に励んでいました。初期仏典には、そうした釈尊とさまざまな弟子とのやりとりが、生き生きと描かれています。また、釈尊は"善き友、善き仲間を持つことが、仏道修行の全てである"とも説いています。
仏道修行に励む人々が集い合い、正しい法を実践し、広く伝えていく。そうした使命があるからこそ、仏教において和合僧が「僧宝」として重要視されてきたといえます。

Q3:日蓮仏法では「組織」について、どのように捉えますか。
「御義口伝」には「『僧』とは、我ら行者なり」(新1067・全766)とあります。また、「生死一大事血脈抄」では「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを、生死一大事の血脈とは云うなり」(新1775・全1337)と仰せです。
仏道修行に励む同志の和合を尊重することは、仏法者の不可欠の要件です。日蓮大聖人がとりわけ重んじられたのも、同志が異体同心で団結していくということでした。
人間は、人間の中でこそ磨かれます。広布に励む人間同士が互いに触発し合い、さらに成長していくためにも、同志の集いである和合僧、すなわち"善の組織"が大切なのです。
御聖訓には、「互いに読み聞かせまいらせさせ給え」(新1304・全965)、「志有らん諸人は、一処に聚集して」(新1324・全970)とあります。
大聖人御在世の当時、こうしたお手紙を受け取った門下たちが、厳しい迫害のさなか、まさに互いに力を合わせて支え合いながら、励まし合って、不惜身命の信心を貫いていった様子が目に浮かびます。
創価学会もまた、日蓮仏法によって全人類を幸福にし、世界の平和を実現するという偉大な目的に向かって、世界中の同志一人一人が師匠のもとに団結し、前進しています。
この崇高な目的は、多種多様な役割を担う人々が織り成す"組織"がなくては成し遂げられません。
言い換えれば、日蓮仏法の正統な和合僧団として、仏意仏勅の世界広宣流布を現実の上で進めているからこそ、創価学会の組織は現代における僧宝と輝いているのです。

2022年10月13日木曜日

2022.10.13 わが友に贈る

日蓮仏法は「万年の外
未来までもながるべし」
世界の同志と共に
「立正安国」の大道を
誇りも高く歩もう!
(新261・全329)

如説修行抄 P502
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』

【通解】
すべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えるならば、吹く風は穏やかで、枝を鳴らさず、降る雨も土壌を砕かず、代は羲農(昔の中国における伏羲や神農)の時代のような理想社会となり、人々は今生には不幸な災難を払い、長生きできる方法を得て、人法ともに不老不死であるという道理がはっきりとあらわれてくるのである。その時をおのおの見てごらんなさい。「現世安穏」という証文の正しさは疑いないのである。

【先生の指導から】
学会は、「三類の強敵」「三障四魔」を打ち破りながら、世界広布を成し遂げてきた。平和と文化を花開かせてきた。
「心こそ大切」である。広布のために、喜んで戦い、喜んで努力すれば、必ず、生々世々、大功徳に包まれる。才智だけでは人生は勝てない。自分が決めた広布の道を、愚直に貫き通した人が、最後は勝つ。幸福になる。
このことを深く確信し、最高の栄光輝く人生を、晴ればれと生きぬいていただきたい。

名字の言 日本のキンモクセイが広がった理由 2022年10月13日
壮年部の同志と一緒に訪問・激励に歩いていると、甘く優しい香りに包まれた。九里香とも呼ばれるキンモクセイ。古代中国の1里は約400メートルというから、4キロ近くまで届くほど"強い香り"ということだろう▼日本のキンモクセイは種ができないという。雌雄異株のキンモクセイには雄株と雌株があり、種ができるのは雌株。つまり日本のキンモクセイは全て雄株。江戸時代に中国から渡来したのは雄株だけだった▼種ができないのに各地に広がったのは、人間が主に「挿し木」で人工的に増やしていったから。植物生理学が専門の田中修さんは、キンモクセイを「人間との出会いによってつながり広がってきた」代表植物と紹介している(『植物のいのち』中公新書)▼現在のキンモクセイが人間との出会いの結果と思うと、会うことの大切さを改めて感じる。私たちの人生も同じ。良き出会いが人生を豊かに彩る。「良き友」との出会いを仏法では「善知識」といい、御書に「仏になるみちは善知識にはすぎず」(新1940・全1468)と▼挿し木したキンモクセイは、黄金色の花が咲くまで5年ほどかかる。「一人」と徹底して関わり、幸福の花を咲き薫らせる善知識の存在でありたいと思った。

寸鉄 2022年10月13日
「青年の一番の宝は信頼」恩師。誠実な振舞が礎に。一日一日の積み重ねこそ
山梨の日。新時代の広布拡大に勇躍!地域を照らす希望の民衆城を盤石に
若い時に叩き込んだ事はいつまでも残る—哲学者ショーペンハウアー 時を惜しんで行学二道を
座り過ぎ防止へこまめな軽い運動が大切と。30分に1度は立つ等少しずつ
暖房器具は使用前に点検たまった埃は出火の原因にも。「前々の用心」で

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 任用試験に向けて(中)
◇御書を心に刻む——それが自身を輝かせる
【妙一尼御前御消息】
『法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかえれることを。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを。経文には「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」ととかれて候。』(新1696・全1253)

◇一人も残らず幸福に
試練の厳冬の中にある誰もが、一人残らず幸福勝利の大歓喜の春を迎えられるように!——この御本仏の大慈大悲が胸に迫ってならない。
戸田先生は、こうした御聖訓を通されながら、「大聖人が、功徳の出ない、境涯の開けない戦いをさせるわけがないんだよ」と言われていた。
御書には、一人にここまでも心を配られるのかという、大誠実の「人の振舞」が随所に示されている。
その究極の人間主義を深く学びながら、私たちも、一人ひとりを大切にし、一人ひとりと仏縁を結んでいくのだ。
(『随筆 輝く民衆の大城』、65ページ)

◇試練の冬に挑みゆけ
冬の間にこそ、どう戦い、どれほど充実した時を過ごすか。必ず来る春を確信し、どう深く生きるか——そこに勝利の要諦がある。
法華経の信心は「冬」のようなものです。
その厳しい宿命転換の戦いがあって初めて「春」を到来させ、福運を築くことができる。ゆえに試練の冬を避けてはならない。
鍛錬の冬に挑戦しゆく勇気があれば、私たちは、成仏という「偉大な春」へ、広宣流布という「最高の春」へと、無限に前進していくことができます。
(『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻、22ページ)

【一生成仏抄】
『衆生というも仏というも、またかくのごとし。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬えば、闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるがごとし。只今も、一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし。
深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみがくとはいうなり。』(新317・全384)

◇一念の変革こそ重要
日蓮大聖人は万人が成仏を成し遂げるために御本尊をあらわされ、「南無妙法蓮華経の唱題行」を確立されました。全民衆が等しく実践できる仏道修行の道を開いてくださったのです。まさに、偉大な宗教革命です。
日蓮仏法においては、「わが一念の変革」こそが重要であると明かされているのです。
一般的に「衆生」と「仏」とは、かけ離れた存在と考えられがちです。しかし大聖人は、両者に隔たりはなく、「迷い」と「覚り」の違いにすぎないと仰せです。
この「迷い」の生命を、そのまま「覚り」の生命に変革する方途が唱題行です。
(『信仰の基本「信行学」』、46ページ)

◇生命を「磨く」唱題行
曇れば鏡としての用をなさない。だから絶えず磨かなければなりません。ゆえに、放置しておけば無明に覆われてしまう衆生の生命を鏡に譬えるのです。
そして、鏡本来の働きを取り戻すためには「磨く」という行為が不可欠です。また、鏡は、一度だけ磨けばそれでよいということもありません。磨き続けることが大事です。そして、磨けば常に明鏡として鏡の特性を発揮し続けることができます。
まさにこの譬喩が的確に物語っているように、私たちの唱題行は、無明の汚れを払い、法性の輝きを増していく生命錬磨の戦いなのです。
(『一生成仏抄講義』、90ページ)

【開目抄】
『我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。』(新117・全234)

◇師弟一体の仏法精神
普通の宗教者であれば、「我が弟子たちよ」と一方的に呼びかけるにとどまるところです。ところが大聖人は「我並びに」と仰せです。「私もそうだ」と語りかけるお心に、師弟一体の仏法の精神が込められています。
そして、その師弟を貫く強靱な核が「不惜身命」です。師である日蓮大聖人御自身もまた法に対して「不惜身命」であられるがゆえに、仏法を万人に開く民衆の指導者たりえるのです。弟子もまた、弟子の次元で法を弘通するために、師と同じ「不惜身命」の実践で戦い抜いていかなければなりません。
(『開目抄講義』〈下〉、127ページ)

◇今こそ「まことの時」
師の指導を、わが身に引き当てて、真摯に姿勢を正していくのか、他人事のように聞き流していくのか——。この「如是我聞」の一念の厳しき差に、師弟を貫いていけるか、愚かなる人間と堕ちていくか、全く厳しい勝敗の分かれ道がある。ゆえに、仏法は「勝負」だと仰せなのだ。
「まことの時」との御聖訓は、「いつか」ではない。
常に常に、また常に、「今」である。
「今から」なのである。
(『池田大作全集』第137巻、320ページ)