「各各思い切り給へ」
行き詰まりを破る力は
広布誓願の祈りにあり。
きのうの自分を越えよ!
一歩でも半歩でも進め!
経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』
☆女性に贈ることば 六月二十九日
母を思い浮かべる時、人は優しくなれる。清らかな心を蘇らせることができる。
誰にも、お母さんがいます。あの人も、この人も、すべての人にお母さんがいるのです。
たとえお母さんがこの世にいなくても、母なる存在を、必ず心にもっている。
☆今日のことば365 六月二十九日
健康の美しさに勝るものはない。悔いない生き生きとした人生を、思いきり活動しきってゆく人こそ、美しくて幸福のつかめる人である。
☆誓いの天地 千葉・船橋市 2017年6月19日
◇「地域への感謝」を胸に "ダイヤモンドの信心"を輝かせ
千葉県北西部に位置し、市川市、鎌ケ谷市などと隣接する船橋市。今年4月、市制施行80周年を迎えた。
作家・太宰治が愛した地であり、川端康成も船橋の旅館で一時、小説の執筆を進めたことがある。
東京都内への通勤・通学率は3割を超す。荒川区、足立区などに、電車1本でアクセスが可能だ。
その利便性などから、近年、関心が集まり、「2017年首都圏版 買って住みたい街ランキング」で、トップに。中核市では「日本一」の人口である。
興松大樹さん(船橋常勝県、男子部本部長)は、生まれも育ちも船橋だ。
PTA副会長を3年、小学校の「お父さんの会」会長は2年目で、学校の清掃や運動会、バザーなどの運営に携わる。
また、船橋駅周辺安全推進協議会の一員として、毎月、地域のパトロールを行っている。
9年前、試練が襲う。妻・美智子さんが急逝したのだ。長男・秀平さんは小学1年生、長女・胡実さんは、2歳にもなっていなかった。
絶望のどん底に落ちた。生きる気力を失いかけたが、踏みとどまれたのは、地域の同志の励ましがあったからだ。
込み上げる感情を言葉にできないことも多かった。それでも友は、何度も何度も足を運んでくれた。
「あの時の皆さんの励ましがなかったら……」。そう言って、興松さんは目を赤くした。
父親と同時に、"母親"になることも必要で、苦労は尽きなかったが、"自分が守るしかない"と奮闘を重ねた。
「2人の子どもと同じように、地域の子どもたちも守っていきたい。そうした思いから、地域活動をするようになったんです」
学会活動にも全力を注いできた。総本部創価班の一員として、対話拡大に奔走する。
「地域の絆を大切にし、これからも地域に尽くしていきます」――その胸には、報恩の心が輝いている。
◇
創価女子短期大学出身の大槻朝子さん(船橋正義県、県総合女子部長)。"後輩に道を開きたい"と、大手の食品卸会社に、短大初の採用を勝ち取った。
入社直後、"創価の看板を背負っている"と、仕事にまい進した。だが、気負い過ぎて、失敗することも。周囲に気持ちを打ち明けられず落ち込んだ。
職場の先輩たちは年齢が離れていた。萎縮してしまい、仕事の進め方などを相談できなかった。
転機をもたらしたのが、白蓮グループの薫陶だ。祈る中で、"自分を変えたい"と強く思うように。
対話にも果敢に挑戦した。気付けば、いつしか職場でも、自分の考えをはっきりと伝えられるようになっていた。
入社6年目には、支店から本社へ異動となり、今、会社の売り上げの3分の1を担う部署で活躍。厚い信頼を寄せられる存在だ。
白蓮グループでは、総県委員長まで務めた。その中で、対話してきた小学校時代の友人が一昨年、教学部任用試験に合格した。
大槻さんは誓う。
「自分自身の人間革命に挑戦し、会社の発展に貢献していきます」
◇栄光の共戦譜
7月を迎えると、船橋の友の心は熱く燃え上がる。
1987年(昭和62年)7月13日、池田先生が船橋文化会館を初訪問。「船橋幹部大会」が行われた。今年は30周年の佳節である。
この時、会館の敷地内には、来館者に船橋の歴史を知ってもらうために、有志が再現した「海苔干し場」があった。家業が海苔製造業であった先生は、しばらく足を止めた。
その場にいた市川貞子さん(船橋創価県、総県婦人部主事)。79年(同54年)12月、第1次宗門事件の渦中、船橋圏(当時)の婦人部長に就任。船橋広布を支えた功労者の一人だ。
「海苔干し場を見つめながら、懐かしんでおられました。先生に喜んでいただいたことが、私たちの何よりの喜びでした」
51年(同26年)7月、姉の紹介で入会。"宗教なんて、どうせウソがある"と高をくくったが、恩師・戸田先生の「青年訓」に感動。活動に励み、女子部の人材グループ「華陽会」の一員として薫陶を受けた。
54年(同29年)、女子部部隊長の任命を受けた折、青年部の池田室長(当時)から「建設の喜びを知っていきなさい。人生は生涯、建設です」との励ましを。宝の指針として心に刻んだ。
48歳で結婚。相手の義平さん(故人)は再婚で、3人の娘がいた。特に三女の栄子さん(同、県副婦人部長)の反発は強かった。
それでも、子どもたちを大切に育てた。次女の恵子さん(船橋太陽県、県婦人部総合長)、栄子さんは「母の愛情の深さに、信心のすごさを感じました」。市川さんは、「建設」との師の言葉のままに、和楽の一家を築いてきた。
「この信心に巡り合い、これ以上ない幸せな人生を歩むことができました。感謝しかありません」――その笑顔には、信心66年の確信があふれていた。
◇
「船橋幹部大会」で、先生は船橋の風景を賛嘆。「美しい」「美しい」と何度も語り、「美しき人華」の咲き薫る理想の天地を、と期待を寄せた。
会場にいた田中二郎さん(船橋常勝県、副本部長)。61年(同36年)の入会後、先輩の激励に発心。1日で5人の友を入会に導くなど、拡大に駆けてきた。
久美さん(同、婦人部副本部長)と結婚後、3人の子どもに恵まれた。75年(同50年)に、「田中硝子工業株式会社」を設立し、念願の独立を果たした。
順風の人生に突然、宿命の嵐が吹き荒れたのが、80年(同55年)。長男・秀雄さんが交通事故に遭い、一時、心肺停止の状態に。一命を取り留めたが、脳に障がいが残った。
「船橋の大会は、息子の事故から7年が経過した時でした。先生の『美しい人生を』との指導に、"必ず勝利の実証を示してみせる"と誓いました」
その後も、師との原点を刻んだ。97年(平成9年)、東京・信濃町で開かれた懇談会に参加。席上、先生は田中さんを励ました。
師の真心を胸に、田中さんは"信心の炎"を、さらに燃やした。会社は、不景気のあおりを受けたこともあったが、安定した経営を続ける。
秀雄さんは今、元気に作業所で働く。長女・美智さん(船橋栄光県、白ゆり長)、次男・嘉明さん(船橋常勝県、県男子部長)も、後継の道を進む。
田中さんの人生劇には、美しい"勝利の花"が咲き誇っている。
松岡はるみさん(船橋創価県、県副婦人部長)も、「船橋幹部大会」に参加した一人だ。
「先生は、ダイヤモンドを例えとして挙げ、『難』があってこそ、自身の心は美しく磨かれていく、と教えてくださいました」
この激励を抱き締め、松岡さんは、人生の苦難を乗り越えてきた。
94年(同6年)、支部婦人部長の任命を受けた。その頃から、夫の弘道さん(同、地区幹事)が勤めていた会社の経営が苦しくなり始めた。8カ月間、給料が支払われなかったことも。食費を削って家計を支え、3人の子どもを育てた。
その後、弘道さんは転職。生活も落ち着きを取り戻していた2003年(同15年)、弘道さんが、くも膜下出血で倒れた。
またも、経済苦に陥った。しかも、今度は夫を介護する生活。それでも、信心は一歩も引かなかった。家計は3人の子どもが支えてくれた。
松岡さんも、"子どもたちに頼ってばかりではいけない"と、夫の介護を機に、訪問介護の仕事を始めた。一昨年、介護福祉士の資格を。さらに昨年、65歳でケアマネジャーの資格を取得した。
「苦境の時に、私たち家族の幸福を祈り、励まし続けてくださった同志に感謝は尽きません。生涯、"ダイヤモンドの信心"で前進します」
――99年(平成11年)7月、先生は船橋の友に和歌を贈った。
「船橋は 日本一なる 団結の 広布の模範と 世界に知らせり」
美しい同志愛が光る世界広布の模範の天地。
いかなる「難」にも揺るがない"ダイヤモンドの信心"が輝く師弟の人材城。
その誇りも高く、「凱歌の7月」を飾ろうと、「新生・船橋」の前進は勢いを増している。