必死の「一人」から
拡大のうねりが広がる。
強固な結束が生まれる。
率先垂範の行動を!
追撃の手を緩めるな!
弥源太殿御返事 P1226
『但し石は玉をふくむ故にくだかれ鹿は皮肉の故に殺され魚はあぢはひある故にとらるすいは羽ある故にやぶらる女人はみめかたちよければ必ずねたまる此の意なるべきか、日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり』
☆女性に贈ることば 六月二十五日
奥深い人生の山や谷に、汗を流して分け入っていかなければ、幸福のダイヤモンドは採掘できない。賑やかな街で遊び、楽をしているばかりでは、決して幸福のダイヤモンドを磨くこともできない。
☆今日のことば365 六月二十五日
君の 堅実にして
誠実の人生の姿勢は
やがては
すべての人々が
心より頼り
尊敬することを信ずる
☆御書と歩む 第69回 創価の女性は「幸の太陽」
『妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたまなり』(妙心尼御前御返事、1484ページ)
◇通解
「妙」の文字は、月である。太陽である。星である。鏡である。衣服である。食物である。花である。大地である。大海である。一切の功徳を合わせて「妙」の文字となられたのである。または如意宝珠(意のままに何でも取り出すことができる宝の珠)である。
◇同志への指針
夫に先立たれ、幼子を抱えて毅然と信仰を貫く母への御聖訓である。妙法は、どんな闇も晴らす希望の光源だ。
自行化他の題目を唱えゆく女性に行き詰まりはない。日々の生活を色心ともに豊かに照らし、進むべき未来に功徳の花を咲かせていける。
創価の女性こそ、幸の太陽だ。大地のように、大海のように、心広々と平和のスクラムを勝ち光らせていくのだ。
☆「炎の東京大会」60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ 2017年6月21日
歴史をひもとく時、しばしば民衆勢力を排除しようとする権力の抑圧がある。立正安国へ進んできた創価学会にもまた、幾多の迫害があった。60年前の1957年(昭和32年)7月、権力の魔性が学会に牙を?いた「大阪事件」。弾圧を堂々と勝ち越えた一つの大きな転機が「炎の東京大会」である。
降りしきる雨をものともせず、東京、埼玉、神奈川、千葉などから、続々と同志が詰め掛けていた。
1957年(昭和32年)7月12日の夜、東京・台東区の蔵前の国技館は、2万人の学会員で埋め尽くされた。会場の外にも、傘を差した2万人の友が、怒りに震えていた。
この日は当初、戸田先生の一般講義が行われる予定だった。それが中止となり、急きょ、「東京大会」が開催されたのである。
同年7月3日、池田先生が3カ月前の参院選(大阪地方区の補欠選挙)に関する事実無根の容疑で、不当逮捕された。
戦後、躍進した「創価学会」という民衆勢力の台頭を恐れた、権力による卑劣な迫害であった。
これを徹底的に糾弾し、学会の正義を宣言したのが、「東京大会」である。
戸田先生は大会の席上、質問会を行った。
理解と納得が、前進の力を生む。疑問やしこりを抱えたままでは、空転に陥るからだ。
学会本部の対応が手ぬるいと訴える友もいた。今後、どう対策を取るのかを尋ねる人もいた。
一つ一つの質問に、戸田先生は明快に答えつつ、烈々と宣言した。
「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」
「おめおめと、負けてたまるものか!」
恩師の師子吼に、同志は呼応した。破邪顕正の炎は、ここ東京から、全国へと一気に広がっていったのである。
塚原孝雄さん(東京・荒川総区、副支部長)は、雨の中、場外の整理役員に就いていた。
「集ってくる方々の表情が、怒りに満ちていたことを覚えています」
場外にいた友は、館内の話を聞くことはできなかった。それでも、その場から離れようとしない。
大会が終わると、場外の友は、会場から出てくる参加者に、誰彼かまわず声を掛け、内容を聞いて回っていた。同志のいちずな姿勢に、塚原さんの心は"断じて魔に負けてなるものか"と奮い立った。
その後、池田先生が荒川で指揮を執った57年8月の「夏季ブロック指導」で、自身も弘教を実らせたことは、黄金の思い出だ。
83歳の今も、広布の情熱を燃え上がらせ、意気揚々と対話に歩く。
「荒川の底力を発揮し、新たな『荒川凱歌の歴史』を築きます」と力を込めた。
末広良安さん(東京・北総区、区主事)は、録音係を務めた。
53年(同28年)の入会。先輩から「池田室長(当時)は、すごい人だ」と何度も聞いてきた。
その室長が無実の罪で投獄された。「館内には"絶対に池田室長を取り返すんだ"との怒りが充満していました」
戸田先生の叫びに、末広さんの胸は震えた。その響きに、おごり高ぶった権力への激しい怒りと同時に、どこまでも弟子を思う深い慈愛を感じたからだ。
「"同志を守り、師に応えゆく弟子に成長していこう"と決意しました」
「東京大会」の感動を胸に、末広さんは北区を駆けてきた。広布の"北極星"と輝く天地に、「喜び多き万歳を」と誓う。
――「東京大会」終了後、戸田先生は大阪地検へ乗り込んだ。同行した友に体を支えられながら、地検の階段を上がる。そして、検事正に会うや、猛然と抗議した。
「私の逮捕が狙いなら、今すぐ私を逮捕しなさい」
一方で、池田先生への取り調べは過酷を極めていた。検事は、「罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕する」と恫喝した。
恩師の身を案じ、呻吟の果てに、池田先生は裁判で真実を証明することを決断。逮捕から4年半の時を経て、「無罪」判決が出された。
衰弱する体を押して、師は弟子を守ろうとした。
弟子は師匠のために身を賭して戦い抜き、「勝利」によって、学会の正義を満天下に示したのである。
◆◇◆
東京上野平和講堂に、「東京大会」を顕彰する碑がある。池田先生は、碑文につづっている。
「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」
これこそ、「世界広布の本陣・東京」の永遠不滅の魂である。
大会に参加して 台東区婦人部主事 湯川藤江さん
●勝負決した正義の師子吼
「東京大会」の当時、私は入会3年の女子部員。その頃、池田先生が戸田先生から薫陶を受けた"戸田大学"の講義を、共に受けさせていただく機会がありました。
戸田先生の真正面に池田先生。お二人が話し始めると空気が一変します。私たちは邪魔にならないよう心掛けました。
池田先生は姿勢を正され、メモは取られず、「ハイッ! ハイッ!」と、戸田先生をじっと見て返事される。"師匠の全てを吸収するぞ"という気迫がみなぎっていました。
空気がビリビリして、咳を必死にこらえたのを覚えています。師弟の峻厳さを目の当たりにした思いがしました。
池田先生が逮捕されたと聞いて、"早く出てきてください"と祈りに祈りました。誰の目から見ても無実は明らかなんですから。先生に万が一でも何かあったら、これからどうなってしまうのか……。
先生の逮捕が学会にとって一番の痛手になる。だから狙われていたのだと思います。戸田先生は弁護士に憤慨しておられました。
"即刻出せ! そうじゃないと大の体はダメになる"。尋常な怒りではありません。親以上の心です。
「東京大会」の前日、"蔵前の国技館に集まれ"と連絡が。電話も少なく、隣の隣の家から呼び出してもらうような時代です。電報での連絡も多かった。
7月12日は、午後から雨が降り続いていました。浅草橋駅から会場の国技館まで、水たまりがいっぱい。
その日まで、私は国技館を見たことがありませんでした。周囲にテレビはなく、相撲はラジオでしたから。人だかりを追ううちに会場に着きました。
交差点を曲がると、歓声が「ワーッ!」。国技館が揺れているようでした。
戸田先生は体調を崩されていましたが、この日はとてもお元気でした。
壇上で"(池田先生を)早く出せ!"と一喝。戸田先生の正義の師子吼によって、勝負が決したのだと思います。
「そうだー!」「行くぞー!」と、会場の参加者の気迫もすさまじかった。全員で大阪に乗り込むような勢いでした。
17日に池田先生は釈放されますが、裁判はずっと続きます。大阪への移動は夜行列車の時もありました。全ての行事を終えてから、先生は列車に乗られる。
でも先生はいつも、朗らかなんです。「これから大阪に行くんだよ」って。
時間がたてばたつほど、あの時の思い出は深く、重みを感じます。