2017年6月6日火曜日

2017.06.06 わが友に贈る

広宣流布に先駆する
知勇兼備の学生部よ!
どこまでも信心根本に
正義の言論戦を担い
拡大の波動を起こせ!

☆新世紀の旭日 アメリカ創価大学 第1回 創立の心 2017年5月28日
◇三代会長の夢の学舎
21世紀が開幕した2001年の5月3日、カリフォルニア州オレンジ郡のアリソビエホ市に開学したアメリカ創価大学(SUA)。本企画では「新世紀の旭日」と題して、本年で開学16周年を迎えたSUAの歴史と発展の様子を紹介する。第1回は「創立の心」。

創価教育の創始者である牧口常三郎先生が、弟子・戸田城聖先生の家を訪れたのは、1930年のある冬の日だった。火鉢を囲んで、二人は語り合った。
自らの教育学を世に問いたいと語る師に、「先生の教育学は、何が目的ですか」と戸田先生は尋ねた。
「それは、価値を創造することだ」
「では先生、創価教育、と決めましょう」
『創価教育学体系』が発刊されるのは、この語らいから数カ月後の、30年11月18日である。
出版に向け、戸田先生は、牧口先生の原稿の整理・編集を申し出た。
牧口先生が折々に、自身の理論を書きとどめていた反古紙や広告の裏紙。その一枚一枚を、戸田先生が体系的に整理し、牧口先生が推敲して『創価教育学体系』は完成した。表紙の題字と牧口先生の名前を、戸田先生は金文字で飾った。
慎ましくとも、崇高な師弟の絆の中で生まれた創価教育——。
「将来、創価教育の学説を実践する学校ができる。幼稚園から大学までだ。必ず戸田君が後を引き継いでやってくれるよ」。これが牧口先生の確信であった。
その師の構想を、戸田先生が、愛弟子の池田大作先生に託したのは、50年の秋である。
「創価大学をつくろうな」「世界一の大学にしよう」と。
当時、苦境に陥った恩師の事業を支えるために戦っていた池田先生。この遺言を胸に71年4月2日、東京・八王子市に創価大学を創立。牧口先生の生誕100周年であり、「4・2」は恩師の祥月命日だった。
そして池田先生の構想は、さらなる未来へ広がっていた。
「事業の苦境のなか、先生は、眼光爛々と、世界を見つめておられた。壮大な未来を見つめておられた」
「ゆえに私は、創価大学を創立した時から、"いずれは海外に、人類貢献の大学建設を"と、決心していた」

80年、先生のロサンゼルス訪問の折、アメリカ在住の創大卒業生からなる「アメリカ創友会」が結成。その中にはハブキ学長をはじめ、SUAの職員となる友がいた。"そろそろアメリカに大学を"と、具体的な提案がされたのはこの頃である。
そして87年2月、ロサンゼルス市近郊のカラバサスに創大ロサンゼルス分校が開校。後にSUAの大学院が開学し、4年制大学への本格的な一歩を踏み出す場所となった。
開所式のあいさつで、池田先生は呼び掛けた。「この分校の成否は、一にも二にも人間にかかっていることを忘れてはならない」と。
創価教育の理想を、自らの理想として継ぐ人の「決意」と「意志」があってこそ、大学は大学たりえると訴えたのである。
SUAの建設地が、オレンジ郡に決定したのは95年。開学を目指して準備が進められていく。
教育課程などを議論する会議。豪華な顔ぶれの学識者の中に、先生と交流を重ねた、ハーバード大学名誉教授のジョン・モンゴメリー博士がいた。現在のSUAのカリキュラムの基礎をなす、多くの提案をしたのが博士だった。
大学運営の決定権を持つ理事会。開学当初から携わり、現理事長を務めるスティーブ・ダナム氏もまた、先生との出会いを通して、その教育思想に啓発された一人である。
動きだした建設計画の中心には、先生の理想の実現へ、決意と意志に燃える人たちがいた。
96年6月1日、新キャンパス設立準備委員会に出席した先生は、こう展望を語っている。
「『平和』こそ、人類の最大の課題である。その平和の大地を耕すのが『文化』である。この平和と文化が人間性を耕し、『幸福』を実らせていく。その推進をするのが知性であり、教育なのである。すでに数十年前、私は『教育こそ私の人生の最後の事業』と宣言した。その通りに私は行動している。この心をくんでいただければ幸いである」
「SUAは、これからの大学である。今後、皆さまのご協力をいただいて、教育界の『新しき太陽』として、アメリカ社会に貢献し、未来に希望の曙光を送っていきたい」

2001年5月3日。待望のオレンジ郡キャンパスが開学した。
幅広い教養と人間性を育むリベラルアーツ(一般教養)の大学。使命を表すミッションステートメントには、「貢献的人生を生きゆく世界市民の確固たる潮流を築く」と掲げられている。
「太平洋を望み、天空に伸びゆく驚嘆すべき教育施設」(ニューヨーク・タイムズ紙)
「世界に焦点を当てた教育」(ロサンゼルス・タイムズ紙)
各界から注目が集まる中、栄光の1期生が門をたたく。
晴れの門出を、誰よりも祝福したのは創立者の池田先生である。
「私は、キャンパスの光となり、風となって、皆さんを包み、祝福したい思いでいっぱいです」
「牧口先生も、戸田先生も、どれほど、お喜びになっていることか。まことに不思議な縁の皆さん方であり、その『使命』は限りなく大きい。いな、『天命』であり、『宿命』といえるかもしれません」
慈愛の陽光が降り注ぐ。創価の三代会長の夢が詰まったキャンパスで、新しき世紀の挑戦が始まった。

インタビュー ハブキ学長
●社会貢献の秀才逸材を育成
SUAのキャンパスに入ると、目に飛び込んでくる本部棟。名前は「ファウンダーズホール」——ファウンダーズ(創立者たち)と複数形になっています。
池田先生は、その意義を、「先師牧口先生、恩師戸田先生の創価教育の理想に続いた私と共に、今日に至るまで、陰に陽に尽力してくださったすべての方々を顕彰するためである」と教えてくださいました。
池田先生がロサンゼルスに滞在していた折、先生と懇談する機会がありました。当時まだ、大学院生だった私を、先生は"将来、アメリカに大学をつくるから、しっかり博士号を取りなさい"と激励してくださいました。
こうして希望を送っていただいたのは、私一人ではありません。2001年の開学に携わった教職員や、理事会のメンバーの多くが、先生に励まされ、先生のSUAに懸ける思いに心打たれた人たちでした。
そして世界中に、"先生の大学だから"と、真心で支えてくださる庶民の方々がいます。このような大学は、ほかにないと確信します。
私の両親の時代は、大学に行くのが当たり前ではなかった。しかし、学園や創大が誕生すると、夢を膨らませた親たちが懸命に、わが子を大学に行かせてくれました。
その私たちが創価教育の「第1世代」であるならば、開学して間もないSUAに入学した学生の多くは、「第2世代」だったと言えます。親や祖父母の思いを背負って、彼らは、無名の大学に勇み集ってくれました。
大学で最も大切なのは学生です。その学生は、お金では雇えない。池田先生の理想を継ぐ世界中の人たちが、わが子、わが青年の心を育み、背中を押し、SUAでの学問を可能にしてくださいました。
先生の遠大な展望に包まれて、SUAの歴史が刻まれてきたことに感謝は尽きません。
開学前、先生は和歌を詠んでくださいました。
「アメリカの わが創大は わが生命 秀才 逸材 無限に育てよ」
教育は「最後の事業」であると語られた先生。SUAは、世界を舞台にした教育のネットワークの始まりであると、私は考えています。
努力を重ねる「秀才」と、教育で培った力を、社会に還元していく「逸材」。そうした人材を無限に育てていくことが、先生の心を継ぎ、創価教育の真価が発揮される時代をつくると、実感を深くしています。