2017年6月15日木曜日

2017.06.15 わが友に贈る

朝の真剣な祈りこそ
価値創造のエンジンだ。
「きょう一日を
一週間分、十日分に」と
勢いよく出発しよう!

上野殿御返事 P1565
『しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし、国王一人の太子のごとしいかでか位につかざらんとおぼしめし候へ』

☆女性に贈ることば 六月十五日
子どもの人格を尊重するとき、子どもは人間尊重を学ぶ。家庭にあって、小さなよき社会人として育つのである。

☆今日のことば365 六月十五日
人間というものは、勝手なもので、自分に都合の悪い時には、白を黒と平気で考える。殊に、弱い人間ほどそうだ。しかし、数字というものは、そうはいかない。マイナスなのをブラスであるとは、どうしても考えるわけにはいかない。歴然たる事実を正確に明かしているだけだ。それを率直に認めるには、やはり強い勇気がいるものだ。

☆みんなで学ぶ教学〜新会員教室〜第6回 仏縁の拡大 2017年6月3日
◇妙法を語り、幸のスクラムを広げよう
前回(5月6日付)は、「信行学の実践」の中でも、「自行」について確認しました。今回の「みんなで学ぶ教学」では、「化他行」である「仏縁の拡大」について学び、自他共の幸福を築くためのポイントを心に刻みます。

◇学会員は"仏の使い"
——悩んでいる友人に、初めて信心のことを語ってみました。

素晴らしい! これまで学んできたとおり、「信行学」の「行」には、自身が法の功徳を得るために実践する「自行」と、他人に功徳を受けさせるために仏法を教える「化他行」があります。折伏・弘教をはじめ、友の幸せを願ってこの仏法のことを語っていく実践は、全て「化他行」に当たります。
法華経には「能く竊かに一人の為にも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経357ページ)とあります。
仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い(如来の事)を実践する最も尊い行為ですから、その功徳は計り知れません。
「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(御書1121ページ)、「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)等、日蓮大聖人は御書の随所で妙法流布に励む人をたたえられています。

——友人の力になれたのかどうか、自信がありません。
大丈夫。"苦しんでいる人を見捨てない!""全ての人を救っていこう!"との誓いに立って対話に励むことが何より大切です。
御書には、「一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(同758ページ、通解)とあります。大聖人は全ての人々の苦しみを御自身の苦悩と受け止められ、皆の幸福を願って妙法を弘められました。
弟子に対しても「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(同903ページ)と、御自身と同じ決意に立って生き抜くように呼び掛けられています。

◇縁する友人に下種を
——信心の話をすることを「下種」と呼ぶことを教わりました。

仏法では、仏が衆生を成仏へと導く過程を、「下種・調熟・得脱」と3段階に分けて説きます。"稲などの種を下ろし、成熟させ、収穫する過程"に譬えた言葉です。
「下種」とは「種を下ろす(=植える)」ことで、人々に成仏の因となる妙法を説き聞かせることをいいます。
「調熟」とは、成仏の因が衆生の生命のなかで育ち、成熟していくこと、「得脱」とは、仏の境涯を得ることを指します。

——分かりやすい譬えですね。

大聖人は、成仏の根本の教えである法華経を「種」、仏を「植え手」、衆生を「田」に譬えて、この仏法は、田に種をまくように、衆生に成仏の根源の種子である妙法を語っていく「下種仏法」であると示されています。
「仏種は縁に従って起る」(同1467ページ)——妙法を語ることは、相手の生命に内在する仏性(=仏になりうる可能性)を開く働き掛けとなるので、下種はとても尊い実践なのです。
池田先生は呼び掛けています。
「人の心は、他者との触れ合いという『縁』によって、大きく変わることができる。足取り軽く、友のもとへ行こう! 語ろう! 動けば、何かが変わる。直接、会えば心が近づく。誠実に語れば、一歩、強い絆が生まれる。気どらず、気負わず、誠心誠意の対話で、友の心を開拓していけばよいのだ」

◇仏性を信じ抜く対話
——対話の際、心掛けるべきことは何ですか?

誰もが無限の可能性をもつと説くのが真の仏法の考え方ですから、どこまでも相手の仏性を信じ抜くことが大切です。
もちろん、相手の反応はさまざまであり、時には反発されたり、無理解からの批判を受けることもあるかもしれません。しかし、一喜一憂する必要はありません。相手の反応がどうであれ、成仏の因となる教えを聞いた事実は厳然と相手の生命に刻まれます。
「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(同552ページ)
まいた種が、やがて芽生えるように、いつの日か妙法を受持する時が訪れることは間違いありません。
大聖人は「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同1361ページ)と仰せです。あなたにしか語れない人が必ずいます。どこまでも自分らしく、勇気を出して仏縁を結んでいきましょう。

◇放課後メモ
「仏縁の拡大」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『御書の世界』第3巻「下種仏法」(聖教新聞社)
○…『御書と青年』190ページ(同)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第16巻65ページ(同)