「ほむれば弥功徳まさる」
「一」の挑戦には
「十」の称賛を!
励ましは「万の力」だ。
讃え合えば勢いも加速!
新尼御前御返事 P904
『磯のほとりにて昔見しあまのりなり、色形あぢわひもかはらず、など我が父母かはらせ給いけんとかたちがへなるうらめしさなみだをさへがたし』
☆女性に贈ることば 六月三日
逆境に負けない、真の強い自己を築くカギは、貴くこと、徹することです。
☆今日のことば365 六月三日
総じていえば学問も大事であるけれども、これだけは絶対だれにも負けないという特技をもつことが大事です。国語でも書道でも音楽でもよい。また親切ということでもよい。語学も極めて重要です。とにかく、他の人に負けないものを身につけなさい。
☆誓いの天地 東京・村山総区 2017年5月22日
◇「一人を大切に」の心を胸に 勝利の夜明けをここから
北多摩地域の北部の武蔵村山・東大和・東村山・東久留米・清瀬の5市からなる村山総区。
都心へのアクセスも良く、自然豊かな狭山丘陵にほど近い。日本で初めて女子フルマラソンが開催されたとされる多摩湖周辺は、休日になると、サイクリングやランニングを楽しむ人々でにぎわう。
東大和市には3年前、音楽隊・鼓笛隊が練習する拠点として「創価青年音楽センター」が開館した。
武蔵村山市で生まれ育った相田佳美さん(女子部本部長)は、ウエディングプランナー。営業成績は、同じ会社のプランナーの中でもトップクラスだ。
「誰よりも早く出勤し、掃除をするのが日課です。華やかな仕事だと思われがちですが、実際は、人の見ていないところで、どこまで努力を積み重ねられるかが勝負。女子部の白蓮グループでの薫陶が生きていると実感します」
学会活動の基本を学んだのは地区リーダー時代。地区婦人部長の母・壽美代さん(支部副婦人部長兼任)と同じ地区を担当し、協議会や座談会、訪問激励にも親子で。近所の人と楽しそうに語り合う母、親身になって同志の相談に乗る母の姿に、「一人」を大切にする心を教わった。
昨年11月、女子部本部長に。2月のロマン総会に向けて、訪問激励に走った。
総会目前のある日、母から「グラフSGI」2月号を手渡された。開いてみると1983年の村山圏記念幹部会の写真が。そこには池田先生と共に、相田さんが10歳の頃に亡くなった父・博さんの姿があった。父も応援してくれているように感じ、勇気が湧いた。
迎えたロマン総会は3支部とも大成功。約8割のメンバーと友情の語らいを広げ、総区をリードする拡大を成し遂げた。
「自他共の幸福」を目指し、相田さんは、きょうも愛する地域を駆ける。
◇
兼田雄一郎さん(男子部部長、副本部長兼任)は、小学校入学と同時に清瀬台田団地に越してきた。
「ご近所が、まるでみんな親戚のよう。子どもの頃は、近くに住むおじいさんやおばあさんの家によく遊びに行きました」
信心の原点は学生部時代、第2東京大文化祭に出演したこと。地区の同志の応援を力に、初の弘教を実らせ、当日を迎えた。フィナーレで「紅の歌」を大合唱した際、青年部の奮闘をたたえる池田先生の姿に涙があふれた。
「先生は立ち上がると、会場に設置された大きな木のオブジェを指さされました。"君よ、立派な大樹に育て"と呼び掛けるように。"大成長してお応えしよう"と誓いました」
大手警備会社に勤める兼田さん。入社3年後、模範の社員に贈られる「優秀警備員」を受賞。昨年は、自身が隊長を務めるチームが「優秀警備隊」として表彰された。現在、事業所の代表として、2020年の東京五輪・パラリンピックに向けた責任者養成研修に参加している。
「警備という仕事は、チームワークが何より大切です。一人一人の"桜梅桃李の良さ"を引き出せるよう、日頃のコミュニケーションを大切にし、信頼関係を強めていきたい」
区少年部長として未来部の友の育成にも尽力する兼田さん。次代の"大樹"を育てることが、地域への恩返しだと決めている。
◇栄光の共戦譜
池田先生が初めて村山の地を訪れたのは、1960年4月10日。戸田先生の遺族と共に、桜舞う多摩湖周辺を散策した。
先生の日記には、こう記されている。
「蘭春——風塵——東村山まで征く。桜あり、しばし心麗か」「愛する東京の桃源境、日本の平野。私の憧れの大地なり」
76年、池田先生の提案により東村山市に桜の苗木が寄贈された。その一部が植えられた多摩湖町では、翌年から「さくらまつり」が開かれ、地域の恒例行事に。本年で40回目を迎えた。
「毎年、各地からたくさんの人がやってきますよ」と笑顔で語る津佐澄子さん(区婦人部主事)。結婚を機に福島県から上京した。両親が災害で亡くなった上、夫が原因不明の病に倒れ、病院をたらい回しにされるなど、度重なる苦難の中、57年に入会した。
入会3日目に参加した座談会。「この信心を一人でも多くの人に語っていきなさい。必ず病気は治るよ」との言葉が胸に響いた。満々たる確信で語る青年が池田先生だと知ったのは、後になってからだった。
翌日から弘教に歩いた。夫はみるみる回復し、2カ月で職場に復帰。61年、東村山市に越してからも、拡大の勢いは止まらない。夫妻で、月に30人以上を入会に導いたこともあった。
77年、東村山文化会館(現・東村山平和会館)が落成した折、感謝の思いを込め、夫妻でピアノを同会館に寄贈。「津佐ピアノ」と命名された。
翌年2月24日、同会館を初訪問した池田先生が、このピアノに向かい、「月の沙漠」「赤とんぼ」などを弾いて婦人部の友を激励。この日は「東村山戸田区創価女性の日」となった。
本年、入会60周年。4人の娘は、村山総区で婦人部のリーダーとして活躍する。米寿を迎えた津佐さんは、はつらつと仏法を語り広げている。
◇
広布の前進を阻む障魔と戦い、常に正義を打ち立ててきた「村山」。常勝の誇り高き友の胸には、同志を励まし抜く池田先生の姿が刻まれている。
83年1月21日、池田先生が、旧・東大和文化会館を初訪問した。
会館に到着後、先生は、居合わせた友と記念撮影。1回目が終わると"まだいるだろう""役員がいたら全員撮ってあげるよ"と何度も促し、陰の同志を見つけては、共にカメラに納まった。
同会館で行われた「村山圏記念幹部会」の席上、先生は励ましの大切さを語った。
「人間は強そうで弱いものだ。いくら幹部でも、また社会的地位がある人でも、悩みもある。弱さももっている。ゆえに上下の差別なく、同志間の『励まし』が信心と幸福への重要な鍵となっていることを忘れてはならない」
先生は会合前にも、地域の同志に励ましを送っていた。東大和市で精肉店を営む山根操さん(副支部長)・仁子さん(地区副婦人部長)夫妻だ。
先生は車で会館へ向かう途中、山根さんの店の前を通り、伝言を贈った。
「競争相手は多いけれども、絶対に負けないで頑張りなさい。今、世の中は不景気だけれども、経費を節約して賢く対応するんだ。そして、皆を励まして戦ってください」
実はこの3年前の80年3月、池田先生は東大和市を訪問した際、山根さんの店を訪れ、温かく激励。「お元気で。3年後に、またお会いしましょう」と声を掛けていた。「たった一度、立ち寄られたわが家を忘れず、約束を果たしてくださったんです」と山根さん。
父が知人の借金の肩代わりをしたため、当時の家計は厳しかった。学会活動に消極的だった山根さんは、先生の伝言に奮起。本陣長(ブロック長)や地区部長として広布の最前線を走る一方、地元の商店会長や、食肉事業協同組合の地区長なども務めてきた。妻の仁子さんは、36年間にわたり聖教新聞を配達。自治会の行事の運営などにも積極的に携わる。
大型店に押され、商店街の店舗数は全盛期の3割程度に減少。「だからこそ支え合うことが大事です」。山根さん夫妻は朗らかに、励ましの声を広げる。
◇
2001年5月、池田先生は、村山の友に和歌を詠み贈った。
「大東京 勝利 勝利の 夜明けをば 村山立ちて ついに迎えり」
師の渾身の励ましと、それに全力で応える弟子の奮闘で築かれた村山。創価の勝利の夜明けへ、常勝の弟子が今再び立ち上がる。
☆創価青年大会 太陽の心光る人材王国 群馬 2017年5月23日
なぜ、群馬が「太陽の国」なのか? 総群馬創価青年大会(21日、前橋市のALSOKぐんまアリーナ)は、参加者に、こう問い掛けて始まった。
「太陽の国」——これは池田先生が1987年8月、群馬の同志に贈った永遠の指針である。本年で発表30周年の佳節を迎える。
人間には、当たり前のように存在するがゆえに、その偉大さを感じられないことがある。その一つに「太陽」が挙がるだろう。
かつて、池田先生は次のように語った。
「太陽の温かな光があればこそ、万物は成長できる。太陽とは『希望』です。『勇気』です。『慈愛』です」
群馬の若人たちは、今回の青年大会を、いつも身近で支えてくれる"太陽の存在"に感謝を伝える場にしようと、勉学、仕事、学会活動に挑戦。勝利の実証を示してきた。
「Kingdom of the Sun Gunma——黎明の勇士たち」とのテーマで開かれた大会は、報恩の心がみなぎる集いとなった。
◇
ひときわ感動を呼んだのは、手紙の朗読である。
男子部の小嶋弘さん(県書記長)もその一人。読んだ、と言っても、その横で寄り添うように立つ15年来の親友・恩田聡さん(男子部副本部長)が亡き祖母に宛てた手紙を、である。
「おばあちゃんは不器用だったけど、純粋な心に縁する人はみんな味方になっていったよね」「おばあちゃんが亡くなって30年経った今年、ある近所の壮年から手紙をいただきました」 今年2月、ある壮年部の友から恩田さんのもとに手紙が届いた。そこには、口下手だった祖母が必死で信心の確信を語り、その壮年が数年後に入会し、幸せな人生を歩んでいる模様が記されていた。「おばあちゃんは僕の誇りです。おばあちゃんの信心のおかげで今の自分がいます!」
恩田さんは7年前から病魔と闘っている。手紙には、師をはじめ、自分を育み、成長させてくれた方々への感謝を胸に、絶対に負けないとの誓いが綴られていた。小嶋さんによって読み上げられると、万雷の拍手が場内を包んだ。
◇
小幡千穂さん(女子部員)は1年ほど前、生まれ育った群馬で再就職。しかし、厳しい労働環境に疲れ切っていた。そんな彼女の支えは女子部や婦人部の先輩だった。同志の温かな励ましを力に、信心根本に人間革命に挑む中、職場環境にも適応できるようになっていった。
「ここに立っていられるのは、創価家族である皆さんのおかげ」と小幡さん。
席上、初めて仏法対話をした友人も見守る中、ダンスを披露。涙をこらえながら手紙を朗読した。「皆さんのように、私は一人の友に、温かな太陽のような励ましを送ることのできる人へと成長していきます!」
財雄大さん(学生部部長)は、昨年9月に弘教を実らせた細野直也さん(学生部員)と共に軽快なダンスを披露した。
折伏のきっかけは、昨年、来日したSGIの友の求道心を目の当たりにしたこと。信心に対して中途半端な姿勢を猛省し、新たな決意で「行学の二道」に挑み抜いていった。
普段から悩みを相談し合う細野さんに、「この信心で一緒に成長したい」と素直な気持ちを伝え、入会に導いたのだ。
その後、学会活動を共にしてきた2人。細野さんは先日、自身の成長を実感した喜びを感じ、学会員であると初めて友人に宣言できた。2人は、広布の大道を進む誓いを演目に込めた。
◇
男女青年部をはじめ、群馬音楽隊、群馬富士鼓笛隊、少年少女合唱団の代表が演目を披露した大会。フィナーレでは、参加者5200人が県歌「広布の鐘」を高らかに歌い上げた。
それは、太陽の心光る後継が育ちゆく人材王国・群馬の希望の未来を象徴していた。