2017年6月24日土曜日

2017.06.24 わが友に贈る

ブロックの大躍進こそ
栄光への決定打だ!
尊き本陣長・白ゆり長よ
わが愛する天地から
東京凱歌の大潮流を!

阿仏房尼御前御返事 P1308
『法華経に云く「恐畏の世に於て能く須臾も説く」云云、悪世末法の時三毒強盛の悪人等集りて候時正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天人供養あるべしと云う経文なり』

☆女性に贈ることば 六月二十四日
雨の日には雨を楽しみ、風の日には風の声に耳を傾ける。
困っている人を見たら、すぐに体が動いていく。
そうした人生の詩を生きるお母さんの姿は、言葉以上に豊かに子どもたちの心を育むに違いない。

☆今日のことば365 六月二十四日
自分は偉くないのだ、周囲の人が全部、自分以上の人材である、と心の底から言える人が偉いのである。人の偉さは、自分が偉いのだといっても、人々は認めてくれない。周囲の人が決めるものである。

☆明日を求めて 池田先生の対話録Ⅱ第37回 イラン出身の平和学者 テヘラニアン博士 2017年6月18日
◇「真実」を語る人が真実の「人間」 勇気の言論こそが「人間の証」
学会の平和運動の原点である戸田先生の「原水爆禁止宣言」(1957年9月8日)から、本年で60周年を迎える。
核兵器こそ戦争の抑止力と主張し、東西両陣営が核実験を繰り返していた冷戦下、戸田先生は核兵器を「絶対悪」と断じた。
「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
「私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」
この戸田先生の遺訓を胸に、対話で相互理解の橋を架け、生命尊厳の思想を世界に広げてきた池田先生にとって、恩師の名を冠した平和研究所の創設は長年の願望であった。
戸田先生の生誕96年の日である1996年2月11日、「戸田記念国際平和研究所」が発足。その初代所長に就任したのが、イラン出身の平和学者マジッド・テヘラニアン博士である。
発足直後の2月19日、SGI国際会議会館で会見。会うのは2度目だったが、旧知の同志のように語らいが弾んだ。
「私は、うれしいのです。『戸田記念国際平和研究所』――これで恩師の構想を具体化できたからです」
池田先生が喜びを伝えると、テヘラニアン博士は「戸田先生の名にふさわしい研究所にしてまいりたいと思います」と。
博士から、研究所のモットーを「地球市民のための文明間の対話」に決定したことが伝えられた。
「『対話』という言葉は安易に使われがちです。しかし、表面だけでなく深い次元の意義を知らなければなりません。人々の苦しみや痛みを直視し、さまざまな感情に心を砕き、人間的な側面を理解していくために『対話』が不可欠なのです」
池田先生は応じた。
「人間と人間が語り合うこと。これが全ての始まりです。宗教を前面に出して、『宗教と宗教』の話し合いをしても、そこからは友好は開けません。そうではなく、まず人間です。『人間と人間』の対話です。人間と人間が心を開き合い、知り合い、仲よくなれば、そこからいくらでも相互の違いに対する理解も生まれるものです」
「かつて共産圏に対してそうだったように、今はイスラム圏に対して、多くの人たちは、偏った先入観を抱いていると思います。それでは全人類のために不幸です。だれかが、どこかで『道』をつくり、友好の大河へ『一滴』の水を通わせなければなりません」

テヘラニアン博士は1937年生まれ。池田先生と同様、戦乱の中で少年時代を過ごした。
博士の故郷であるイランのマシュハドは、ソ連軍の爆撃を受けて占領された。砲弾の破片を避けるため、母の衣服に隠れて歩いた。
ハーバード大学で学び、イラン学生協会の会長として祖国の民主化の旗を振った。時に身柄を拘束され、秘密警察に付け狙われた。
池田先生との初の出会い(92年7月29日)では、かつてテヘラニアン博士が湾岸戦争を憂えて書いた詩が話題となった。
「戦争は 我々の内なる 悪魔を現出させる」
「(悪魔は)真っ赤な 毒の舌と 冷たい怒りの槍を 激しく動かしながら 限りない貪欲さと虚栄心で 人間性のすべてを 食い物にしようとしている」――。
テヘラニアン博士もまた、人間を戦争へと駆り立てる「魔性」を見据え、行動を続けてきた。

池田先生 祖国のため、自らの信念のために、毅然と戦った所長の"勇気"を尊敬します。牢に入ったかどうか、権力からの不当な迫害を受けたかどうかが、「人物」を見る私の大きな基準です。創価学会の初代、2代会長も、(3代の)私も、投獄されました。しかし、権力の弾圧には絶対に屈しなかった。これが私どもの永遠の誇りであり、原点です。
テヘラニアン博士 学会の三代の会長の生き方に深い感動を覚えます。なぜなら、3人とも個人的な苦悩を乗り越えながら、なおかつ人類のために行動されているからです。崇高な、美しい価値を創造されているからです。世界には多くの苦悩する人々がいますが、そのように「人類のために戦う崇高な人生」へと自分を転換できる人は、限られています。

池田先生は、創価の師弟への深い理解に感謝を述べ、博士の祖国であるイランの詩人サアディーの言葉を引いた。
「人間は語ることによって獣にまさる、/よいことを語らなければ、獣が汝にまさる!」
続けて博士に語った。
「『真実』を語る人が、真実の『人間』です。本当のこと、正しいことを語る『勇気の言論』こそが、人間の証であり、平和の武器といえましょう」
十数回に及ぶ2人の語らいは、2000年10月に、対談集『二十一世紀への選択』として結実した。
イスラム世界に精通する博士との対談では、釈尊とムハンマドという仏教とイスラムの精神的源流にさかのぼり、平和創出の方途が探られている。
その直後、「文明の衝突」を象徴するかのような米同時多発テロ事件(01年9月11日)が起こり、世界が震撼する中、同書で語られた「文明間の対話」の視座は重要な示唆を与えた。03年には英語版の『地球文明――仏教とイスラムの対話』が出版。同書はこれまで、アラビア語版、ペルシャ語版など11言語で発刊されている。
テヘラニアン博士の尽力によって、戸田記念国際平和研究所は短日月に多大な成果を上げた。国際研究協力ネットワーク型の研究所として各国の研究機関や平和学者らと連携し、現代世界における平和構築への方途を探究している。
2012年12月、テヘラニアン博士は75歳で永眠した。
だが"対話こそ平和への道"との2人の信念は、世界中の後継の青年によって受け継がれていく。
対談集で博士が紹介した、詩人ハーフィズの詩が響いてくる。

対話をしよう
二つの人生の十字路において
いま別れたら
もう二度と会えないのかもしれないのだから

マジッド・テヘラニアン 1937年、イラン・マシュハド生まれ。政治学、政治経済学、中東研究などを専攻し、ハーバード大学で修士号、博士号を取得。パリのユネスコ本部の勤務を経て、ハワイ大学教授、同大学スパーク・マツナガ平和研究所所長、タフツ大学外交大学院客員教授などを歴任。『グローバル・コミュニケーションと世界政治』など著書多数。戸田記念国際平和研究所の初代所長として発展に尽力した。2012年12月、逝去。