2017年6月20日火曜日

2017.06.20 わが友に贈る

「がうじゃうにはがみを
してたゆむ心なかれ」
いかなる難にも恐れるな!
破邪顕正の宝剣で
悪意のデマを断ち切れ!

四条金吾殿御返事 P1169
『剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり』

☆女性に贈ることば 六月二十日
子どもが本当に悩んでいる時に、両親がちぐはぐきとを言っては、子どもが迷ってしまう。
夫婦の連携と心構えが大切です。子どもの話をよく問いてあげて、心から安心できるようにしてあげたいものです。

☆今日のことば365 六月二十日
大成は、小成の延長なり。小成の連続が、大成の一歩と自覚せねばならぬ。勝利は、現在の一歩一歩を、忍耐と建設によってのみ、達成できるものだ。

☆この一節を胸に行学に励む 使命の自覚 2017年6月13日
◇自他共の幸福のために勇んで正法を語り抜く
池田先生は、「使命の自覚は、人に力を与え、勇気を与え、元気を与える。使命に生き抜く時、人間は最も輝きを放つのである」と、つづられています。今回は、広布に生き抜く「使命の自覚」について確認します。

〈Q〉自分に自信が持てず悩んでいます。
〈A〉仏法では、一人一人が「かけがえのない存在」と説かれています。
末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり(阿仏房御書、御書1304ページ)

末法において妙法を持った私たちが、いかなる存在か――。日蓮大聖人は弟子の阿仏房に送られたお手紙で、次のように仰せです。
「末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もしそうであれば、身分の貴さや賤しさ、立場の上と下は関係なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身が宝塔であり、また、その人自身が多宝如来なのである」(御書1304ページ、通解)
「宝塔」とは、法華経に説かれた、金、銀、瑠璃など、七宝をもって飾られた壮大な塔のこと。多宝如来とは、法華経こそ万人成仏が説かれた真実の教えであることを証明(保証)する仏です。大聖人は、この巨大な宝塔が「法華経を持つ男女の・すがた」の偉大さを説いたものにほかならない、と教えられています。
すなわち、現実の世界で日々苦闘する生身の人間が、信心に励むことによって、そのままの姿で妙法の当体、すなわち宝塔として光り輝き、多宝如来として真の仏法の偉大さを証明していけると、断言されているのです。
こうした大聖人の温かな励ましは、阿仏房自身の使命の自覚を促したことでしょう。

〈Q〉「地涌の菩薩」とは誰のことですか?
〈A〉末法において、妙法を弘める私たち学会員のことです。
いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか(諸法実相抄、御書1360ページ)

法華経において釈尊が、滅後の弘通を託したのが「地涌の菩薩」です。
御書には、「なんとしてもこのたびは、信心を貫いて、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか」(1360ページ、通解)とあります。
末法において、日蓮大聖人と同じ心で広宣流布にまい進する同志は、皆、尊き使命をもった「地涌の菩薩」である、と大聖人は仰せです。私たちは、深き使命を持った一人一人なのです。
創価学会にとっての「地涌の使命」の自覚――。それは、第2代会長の戸田城聖先生が、戦時中に正義の信念を貫いて投獄され、獄中にあって"われ地涌の菩薩なり"と悟達したことにあります。
戸田先生は、亡き牧口常三郎先生の遺志を胸に出獄し、広布に一人立たれました。そして、75万世帯の弘教を達成されたのです。
池田先生は、この事実を通して、次のようにつづられています。「"地涌の使命"とは、広宣流布だ! 自他共の幸せのために、勇んで大正法を語りに語り抜いていくのだ。苦難と絶望の淵から雄々しく立ち上がり、人間蘇生の大ドラマを演じ、仏法の偉大なる功力を証明するのだ」

〈Q〉どうすれば広布の人材に成長していけますか?
〈A〉自身の使命を自覚し、日々の課題に挑戦していくことです。
かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり(寂日房御書、御書903ページ)

御書には、「このような日蓮の弟子檀那となろうとする人々は、宿縁が深いと思って日蓮と同じく法華経を弘めるべきである」(903ページ、通解)とあります。
日蓮大聖人は、門下の一人一人に、大聖人との宿縁を自覚し、大聖人と同じく法華経を弘めるべきであると教えられています。広布に生き抜く中でこそ、自身の使命を果たしていくことができるのです。
池田先生は、広布の人材として成長するための要諦として、「使命の自覚」を挙げられています。
「人材として大成していくうえで、最も重要なことは、使命に目覚めることではないでしょうか。私たちには、地涌の菩薩として、すべての人を幸福にし、世界の平和を築く、広宣流布という大使命があります。何よりも、その根本的な使命感に立つことが、自分の力を伸ばしていく最大の道である」と。
使命を自覚した一人一人が、自らの人生の目標を定め、日々の課題に挑戦していく時、大きく自身の境涯を開くことができます。また、使命の自覚は、困難にも屈しない強い心を育んでいきます。
わが使命を自覚し、向上心と忍耐で進む中に、自身の成長もある――。こう確信して、日々、前進していきましょう。

〈智慧の扉〉 「願兼於業」とは
法華経法師品には、悪世で苦しむ人々を救うために、菩薩が願って悪世に生まれると説かれています。
これを「願兼於業(願いが業を兼ねる)」といいます。
この言葉の意味は、衆生を救済しようとする願いの力によって、本来、安住の境涯に生まれることができるところを、あえて悪世に生まれる、ということです。
この「願兼於業」の法理をふまえた生き方を、池田先生は「宿命を使命に変える」と分かりやすく示しています。創価学会員は宿命転換の戦いを通して、仏法の偉大さを証明しているのです。