2017年6月4日日曜日

2017.06.04 わが友に贈る

仏法は勝負。
断固負けるな!
わが目標の達成へ
いよいよの決意で
努力と挑戦の自分史を!

上野殿御返事 P1544
『今の時法華経を信ずる人あり或は火のごとく信ずる人もあり或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時はもへたつばかりをもへどもとをざかりぬればすつる心あり、水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり』

☆女性に贈ることば 六月四日
職場に一人の聡明な女性がいれば、どれほどか爽やかな歓喜の波が広がっていくことだろう。

☆今日のことば365 六月四日
人間は、いつ、いかなる時も、常に人間らしくありたいものだ。あらゆる人が、絶えず人間らしく生きること----それが、すべての原点だ。

☆地域を歩く 青森県・横浜町 2017年5月24日
◇友好広げる季節の到来
丘の上の風車が回る。
山から海に向け、ゆっくりと雲が流れていく。
"やませ"と呼ばれる北東の風が吹き始めるとようやく、遅い春が来る——地域では、そういわれている。取材に訪ねた今月15日は、まさに春の真っ盛り。田植えの準備が進んでいた。
青森県・横浜町。
斧の形をした下北半島の、"柄"の部分に位置する、陸奥湾に面した細長い町だ。約4600人が暮らすこの地には、毎年5月になると、県の内外から数万人の観光客がやって来る。
人の流れに付いて行くと、その理由が、瞬時に分かった。海沿いの国道を山側に少し入った時、"黄色い海"が現れたのだ。横浜町が誇る一面の「菜の花畑」が、風に波打っていた。
同町は、菜の花の作付面積で国内一、二を争う。町内には約156ヘクタール、東京ドーム約33倍の花畑がある。
町では、1991年から毎年、花が見頃を迎える5月を中心に、「菜の花フェスティバル」が行われている。そして、この町で活動する横浜支部の同志は同年から、フェスティバルに前後する日程で、「菜の花友好の集い」を開催してきた。
毎回、趣向を凝らした企画を考え、近隣の人々を招いて、地域の親睦を深める。近年では、20人以上の友人が参加した年もあるという。
集いに込められた、メンバーの思いを聞いた。

2日間にわたる「菜の花フェスティバル」では毎年、7000台もの観光客の車が、小さな町を行き交う。交通安全指導隊の一員として、毎年、その整理誘導に当たってきたのが尾見隆士さん(副本部長)だ。
1956年に信心を始めた。当時、まだ旧習が根強く残る集落では、冷たい目で見られることもあった。「うちだけ地域の連絡が来ないことも、よくありました」
だが、町内会やPTAの役員を積極的に引き受ける姿を、皆は見てくれていたようだ。ある時、町長から直接「交通安全指導隊をやってくれないか」と頼まれた。
以来、三十余年、「何か事故でもあれば"私の責任"だという思いで、地域の無事故を祈り続けてきました」。
その長年の貢献に対し地元の警察署や全日本交通安全協会から、表彰状が贈られている。

「菜の花友好の集い」は、地域貢献の一環として、町が主催する「菜の花フェスティバル」を盛り上げるために始めた。当初はフェスティバル会場の一角を使い、魚介のバーベキューをしたり、歌や踊りを楽しんだり、そのまま青空座談会を開催したりしていた。
一方、県外からも人が集まり始めたフェスティバルは、次第に、住民が役員などに当たらねばならなくなる。"横浜町の春"を十分に楽しめない人が増えてきたのだ。
そこで、そうした地元に暮らす人々が共に楽しめる場にしたいと、友好の集いは、フェスティバルと日程をずらして開催するようになった。
今年で27回目を迎えるこの集いを、毎年、楽しみにしている人は少なくない。町の母子寡婦福祉会で会長を務める中山タヨさんもその一人。集いでは、いつも踊りを披露。長年、聖教新聞も愛読する。
「学会の集いは、みんなが主役で素晴らしいと思います。先月、白内障の手術をした際、学会員の皆さんが『大成功を祈っているよ』って勇気づけてくれたの。言葉一つでとっても安心できました。励まし合いの絆があるから、学会は結束力が強くて明るいのかもしれませんね」

杉山ミサホさん(支部副婦人部長)も毎年、見事な舞いで「友好の集い」を盛り上げる。幼い頃から踊りが好きで、96年に友人らと「手踊り保存会」を立ち上げた。町の行事や高齢者施設の慰労会にも参加している。
「時には、お面をかぶったり、衣装を前後反対に着てみたり。とにかく、みんなを楽しませることが大好きなの。楽しいと『次もまた来ようかしら』って思うでしょ」
昨年、椎間板ヘルニアが悪化し、一時は寝たきりになった。地域の友人たちの見舞いが心に染みた。婦人部の先輩が、「体調を崩したことにも意味があるね」と励ましてくれた。
「その通りだ、と感謝すると、生命力が湧いてきて」。本年、孫を入会に導いた。「折伏に励むと、どんどん元気になった。早くみんなの前で、また踊りたいわ」

毎年、多くの友人と共に参加しているのは、若佐今子さん(支部婦人部長)。2年前には、10人以上の友人を誘った。
横浜町出身の若佐さんは、中学卒業と同時に県外へ。三重県で信心に出あい、その後、仕事の関係で30年以上、愛知県で暮らしていた。
2007年、父の介護をするために、40年ぶりに帰郷した。生活環境の違いに、なかなか慣れない。地元ではあるが、初めは全く友人がおらず、寂しい思いをした。自身を地域の皆とつないでくれる、学会員の存在がありがたかった。
「地域に溶け込んでいきたいと、近所を歩いては、あいさつを心掛けました。知らない人にも会釈をしながら、顔なじみになって。作業中の人には『今、それは何をしているのですか?』と尋ねて、いろいろと教えてもらいました。近所の人に習って始めたメロン作りは、今年で10年目になります」
そうした中、老人会の役員を頼まれ、「地域のために貢献できるならと、引き受けました」。
今では、町中に友人がいる。自身の故郷で、人をつなぐ役割を果たせるようになったことを、誇りに思っている。

陸奥湾に面する横浜町には、採れた魚介を近所に"お裾分け"する習慣がある。
「精魂込めてつくったものを、みんなに食べてもらいたい」と語るのは森川敦子さん。家族でホタテの養殖業を営む。昨年、娘の小百合さんを入会に導いた。
森川さんは、若佐さんが激励に通い続けてきたメンバーだ。
「若佐さんは、会えなくても毎日のようにメモや手紙を置いて励ましてくれました」
自然が相手の仕事は、苦労や悩みの連続。海が荒れる時には、陸で作業をしながら、"早く帰れますように"と家族の無事を祈る。天候の不順によって、不漁が続く時もある。「若佐さんがそういう話を聞いてくれるだけで、心が軽くなりました」と森川さん。
若佐さんは語る。
「学会活動って、"自分が相手に何かをしてあげる"んじゃなくて、"相手から学ばせてもらうこと"だと思っています。だから、つながりが増えた分、成長も歓喜も人一倍大きくなっていくんだな、と感じます」
本年の「友好の集い」は今週末。今回も歌に踊りに、多くの笑顔が咲くことだろう。人と会い、人とつながる——そのたび、心に"喜びの花畑"が広がっていく。