2017年6月14日水曜日

2017.06.14 わが友に贈る

団結と勝利の道を開く
使命深き副役職の友よ
いよいよ本領発揮の時!
"長"と同じ一念で
本陣に広布の理想郷を!

法華経題目抄 P943
『妙と申す事は開と云う事なり』

☆女性に贈ることば 六月十四日
華やかな境遇や格好に憧れたり、うらやんだり--浅はかな見栄に左右されることは、愚かである。愚かであることは、不幸である。
一歩、深く賢く、人問の生きざまを見抜くことだ。その人は哲学者である。ゆえに常に、幸福の命をもっている人だ。

☆今日のことば365 六月十四日
少年期の自我の目覚めは、ただ、それだけでは、ほかの人々と自分とを区別しよう、なんとなく、両親や、先生に、反抗してみたいという、感情的なものにすぎません。この目覚めた自我を、正しくリードし、自分の人生にひとつの方向性を与えていくのが、読書のもたらす、最大の効用であると、私は思います。

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 兄弟抄(上) 2017年6月10日
◇広宣流布は仏と魔との大闘争
今月から2回にわたり、「兄弟抄」を学びます。池田先生は述べています。
「戸田先生と私が師弟して、この『信心の姿勢』を学ぶ重書として拝読した御聖訓が、『兄弟抄』です。
"わが門下よ、競い起こる三障四魔を決然と乗り越えよ""各人が第六天の魔王を破り、成仏の境涯を確立せよ"——日蓮大聖人は、この『兄弟抄』で、『師弟不二』『異体同心』の信心で堂々と一切の魔性を乗り越えゆけ、と門下に教えてくださっています」
苦難を、信心の眼から、どう捉えて乗り越えるか——。日蓮大聖人が、池上兄弟に教えられた"障魔と戦う信心の姿勢"を心に刻んでいきましょう。(今回の拝読範囲は、御書1079ページ冒頭〜1084ページ10行目です)

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、武蔵国池上(東京都大田区池上)の門下である池上宗仲・宗長兄弟と、その夫人たちに対して送られたお手紙です。
池上家は、有力な工匠(建物の建築や修理を統括する役)として鎌倉幕府に仕えていました。しかし、父が兄弟の法華経の信仰に反対し、兄・宗仲を勘当します。本抄は、その報告に対する激励のお手紙です。文永12年(1275年)の御述作とされてきましたが、現在では建治2年(1276年)と考えられています。
当時の勘当は、家督相続権を失うことであり、経済的基盤も、社会的立場も奪われることを意味しました。本抄が認められて以後、兄への2度目の勘当がありましたが、兄弟は大聖人の御指導通りに実践し、最後は父が入信するに至るのです。

◇御文
『されば法華経を信ずる人の・をそるべきものは賊人・強盗・夜打ち・虎狼・師子等よりも当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり、此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみを・すすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす』(御書1081ページ14行目〜18行目)

◇通解
ゆえに、法華経を信じる人が恐れなければならないものは、賊人、強盗、夜討ち、虎や狼、獅子などよりも、現在の蒙古の襲来よりも、法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々である。
この世界は第六天の魔王が支配する所であり、あらゆる人々は、限りなく遠い過去から、この魔王の家来である。第六天の魔王は、六道の中に、二十五種類の存在(=三界六道の迷いの世界を二十五種に分けたもの)という牢を構えて、あらゆる人々をそこに入れるだけでは終わらず、妻子という手かせ足かせをかけ、父母・主君という網を空に張り、貪・瞋・癡の酒を飲ませて、仏性という本心を迷わせようとする。もっぱら、悪の肴だけをすすめて、三悪道の大地に寝転がらせておくのである。そしてたまたま、善の心を起こす人があれば、その邪魔をする。

〈解説〉強盛な信心で障魔に打ち勝つ
広宣流布は、「仏」と「魔」との熾烈な闘争です。日蓮大聖人は、本抄で、大難に直面する池上兄弟に対し、魔と戦い抜く信心のあり方を教えられています。
掲げた御文では、法華経を信じ、実践する人が恐れなければならないものは、強盗や猛獣、他国からの攻めよりも、"法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々"であると仰せです。
"法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々"とは、広宣流布に前進する人の心を破り、悪道に導く「悪知識」を指します。悪知識とは、悪僧、悪人のことです。
悪知識に紛動され、信心が破られてしまえば、成仏することはできません。ゆえに大聖人は池上兄弟に、"断じて魔に負けてはならない"と厳しく指導されているのです。
悪の働きの根源となるのが「第六天の魔王」であり、その本質は、人間の生命に潜む根源的な迷い、すなわち「元品の無明」にほかなりません。
私たちの住む娑婆世界は、「第六天の魔王」が支配する世界です。第六天の魔王は、妙法を持つ人の妻子や父母、主君を通して信心を妨げる働きとなり、"貪・瞋・癡の酒を飲ませて、仏性という本心を迷わせる"など、あらゆる手を尽くして人々を悪へと追いやります。
この第六天の魔王に打ち勝つものは、「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(御書751ページ)とある通り、「信心」の利剣しかありません。"魔に負けてなるものか!"と強盛な信心を奮い起こして題目を唱え、立ち向かっていく時、魔を打ち破ることができます。
大聖人の御生涯は、人々を不幸にする第六天の魔王との激しい闘争の連続でした。しかし、「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)と仰せのように、大聖人は民衆救済の誓願を貫き、あらゆる大難を勝ち越えられました。
現代にあって、この大聖人の御精神を受け継ぎ、あらゆる魔性と戦い抜いてこられたのが、創価三代の師弟です。
池田先生は綴っています。
「魔というものは、皆を悩ませ困らせる働きをいう。だから戦わなければいけない。いかなる作戦も、その根本は強盛なる祈りです。敵が『魔』だから、『仏』に祈る。それで断ち切っていけるのです」
師弟の月・7月へ。華陽姉妹の強盛な祈りと団結で、いかなる魔も打ち破り、師弟の凱歌を轟かせていきましょう!

◇池田先生の講義から
戸田先生は、よく、「私の真の弟子ならば難を恐れず最後まで続け。断じて負けてはならぬ」とご指導されました。一日また一日、先生の言われるままに戦い、私は一切の魔性を打ち破ってきました。
「師弟」は、いかなる魔性をも破る原動力です。(中略)
「何があっても恐れない」「一切、魔性に従ってはならない」——これが、魔と戦う信心です。必ず勝つことができます。そしてまた、これが人生の極意ともいえましょう。
◇ ◆ ◇
一番大事なのは、「自分自身の心に勝つこと」「唱題に徹し抜くこと」です。
「難を乗り越える信心」に生ききれば、必ず、変毒為薬することができます。必ず、宿命転換することができます。必ず、一生成仏の境涯を築くことができます。必ず、広宣流布の道が大きく開かれていくのです。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻)

◇研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻、「兄弟抄」(聖教新聞社)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第8巻、「兵衛志殿御書」(同)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻、「兵衛志殿御返事」(同)
○…『御書の世界』第3巻、「弟子の法難」(同)