2017年6月30日金曜日

2017.06.30 わが友に贈る

逆境であればあるほど
負けじ魂が燃え上がる。
互いに讃え励まし合う。
それが創価の心意気だ。
共戦の大行進をいざ!

太田入道殿御返事 P1009
『病の起る因縁を明すに六有り、一には四大順ならざる故に病む二には飲食節ならざる故に病む三には坐禅調わざる故に病む四には鬼便りを得る五には魔の所為六には業の起るが故に病む』

☆女性に贈ることば 六月三十日
よい環境はよい人間をつくる。自ら、そうしたよい環境、よい人間のつながりを求めていく人は、かぎりなく伸びていける。

☆今日のことば365 六月三十日
戦うという勇気
平和 平凡を愛する勇気
力ある青年は 両者があって
正しい勇気の持ち主といえまいか

☆希望航路―池田先生と進む人生旅― アメリカ・サンフランシスコ③ 2017年6月20日
◇生命に勇気の太陽を
会場は、熱気と歓喜に包まれていた。
1980年(昭和55年)10月5日。サンフランシスコ市内のイベントホール「ガレリア」で、アメリカ広布20周年を記念する総会が開かれ、北カリフォルニアの各地から、3500人が集ったのである。
サンフランシスコの同志は、この日を格別な思いで迎えた。
20年前の同日、同地を初訪問していた池田先生は、市内を見下ろすテレグラフヒルに立った。「20年、50年たてば、この日は偉大な記念日となるだろう」
この先生の展望のままに、約30人で出発したサンフランシスコの広布の連帯は、幾重にも拡大した。
20年の節を刻み、迎えた総会。先生は語った。「大聖人の仏法は、自己も幸福になり、他人をも幸福にし、社会をも安穏にしていく実践である」
さらにこう続けた。
――唱題し、御本尊の功力を一言一句でも語ることで、信仰の力が涌現し、現実生活と社会で幸福の実証を示すことができる。
ゆえに、社会的地位や財産の有無にかかわらず、唱題と折伏をし抜いた人が、生命の勲章を輝かせていけるのである、と。
ジョイス・ボイキンさん(多宝会圏婦人部責任者)は、その4年前に入会。仕事は小学校の教員だった。
当時の黒人女性では珍しく、大学院修士課程まで進んだ。だが、社会ではまだ、人種や性別を理由に、教育や仕事の機会が限られていると感じていた。
それだけに、「社会的地位や財産の有無にかかわらず」との先生の言葉は、深く胸に残ったという。
彼女自身、女手一つで2人の子を育てていた。好条件の職を探していたが、転職は思うに任せず、まとまりかけた話が、直前で立ち消えになった時もあった。
「"なぜ?"と思いましたが、もしその仕事に就いていれば、帰りが遅くなり、夜の会合には参加できませんでした。学会活動から離れないでいられたのだと、後にその意味に気付きました」
結果としてボイキンさんは、その後も教育に携わり続けた。唱題と折伏の実践を貫き、広布の庭で培った他者に尽くす精神は、そのまま教育に生かされたと実感している。
公立小学校の教員を35年、連邦政府の教育プログラムの教員を10年務め、子どもの可能性を最大に引き出せるよう心掛けてきた。

ボブ・ハンソンさん(圏長)は当時、壮年部のリーダーとして、総会に参加。壇上で、先生と固く握手を交わした。
大学を中退し、石油会社のトラック運転手として働いていた。同じく会場にいた妻のパットさん(支部副婦人部長)との間に、第1子が生まれて間もない頃である。経済的に困窮し、必死に生活をやりくりする中での、師との出会いだった。
先生は、"全ての人は、等しく日蓮大聖人の子です。必ず幸せになれるのです"と語り、メンバーに渾身の励ましを送り続けた。その師の姿を、二人は目に焼き付けた。
この前年、先生は第3代会長を辞任。師弟の絆を分断し、広布の組織を破壊しようとする障魔は、アメリカでも競い起こっていた。その中で実現した、サンフランシスコ訪問であった。
「学会精神とは何なのか。それを学び深めたいと願っていた私たちに、先生は、同志と学会を守り抜く心を教えてくださいました」(ボブさん)
「地区や青年部の活動が、一番困難だった時代に、先生は、新たな時代を開く手を打ってくださったのです」(パットさん)
夫妻は"師の代わりに"との思いで、広布の最前線でメンバーを励ました。その一日一日が、何よりの宝だったと声をそろえる。

総会の翌6日、先生はテレグラフヒルで、同志と記念撮影を。「今再び、21世紀への20年を目指そう」と力強く訴えた。
サンフランシスコの男女青年部の人事も発表され、若き力を先頭に、希望に満ちた出発となった。
この時、ケイ・ルードさん(多宝会圏婦人部責任者)には、思いがけない知らせが。広布の功労者であるルードさんの家を、先生が訪問するというのだ。
「驚きと喜びで頭が真っ白になりました。急いで帰宅して、家を片付けたんです」
彼女は笑顔で振り返る。
自宅は広布の会場に提供していた。到着した先生は、ルードさんたちに深々とお辞儀を。同志の幸福に尽くしてきた労をねぎらい、心から感謝した。
地元のメンバーらを交えて勤行をした後、先生は、世界広布の展望、アメリカ人の心をつかむ激励のあり方などを巡り、約1時間にわたって懇談した。
その際、3歳だったルードさんの次男が、先生にクッキーを手渡した。先生は、その半分を彼の口へ。心温まる光景に、「先生は、まるで父親のように、わが子を慈愛で包んでくださいました」とルードさん。
「何か質問はあるかい?」と促され、彼女は人間関係の悩みを打ち明けた。
先生は語った。
――悩みに真正面から挑み、御本尊に祈っていけば、境涯が広がり、必ず解決の道が見つかります。人生に苦難は付きものです。しかし、法華経の兵法で戦えば、必ず勝てるのです、と。
「生命に勇気の太陽が昇るようでした」とルードさん。この指針のままに、どんな時も強盛な信心を貫いてきた。
昨年で入会50年。2人の息子も立派に育てあげた。
広布一筋の彼女の姿を通し、師弟を学び、信仰の喜びを知った友は多い。

10月7日、サンフランシスコ滞在を終え、ワシントンDCへと出発する先生を、スティーブ・ホウさん(副支部長)は空港で見送った。
台湾出身。5歳の時に両親が離婚すると、荒れた青春を送った。明るい人生を取り戻す思いで、大学卒業後にアメリカに渡ったが、アジア人というだけでバカにされた。
「仕事で見返してみせる」と、一心不乱に働いた。だが成功を収めると、同僚たちを見下すように。自分にはその権利があると思い込んでいた。
人生観が変わったのは、妻のサンディーさん(地区副婦人部長)を通じて仏法を知ってからである。会合に行くと、多様な人種や国籍のメンバーがいるのが印象的だった。壁一つない、その世界こそ、探し求めていたものだった。
真面目に信心に打ち込んだ。アメリカSGIの中国語グループの運営に携わり、自分が必要とされる喜びを感じた。やがて同グループの全米責任者に就任し、長年、使命を果たしてきた。
夫妻がさらなる原点を刻むのは、93年3月のこと。3人の子を含む一家全員で、サンフランシスコに池田先生を迎えたのだ。
5度目となった先生の訪問。平和・教育・文化の分野で、SGIが社会に大きく開かれていく転機となる。

2017年6月29日木曜日

2017.06.29 わが友に贈る

「各各思い切り給へ」
行き詰まりを破る力は
広布誓願の祈りにあり。
きのうの自分を越えよ!
一歩でも半歩でも進め!

経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』

☆女性に贈ることば 六月二十九日
母を思い浮かべる時、人は優しくなれる。清らかな心を蘇らせることができる。
誰にも、お母さんがいます。あの人も、この人も、すべての人にお母さんがいるのです。
たとえお母さんがこの世にいなくても、母なる存在を、必ず心にもっている。

☆今日のことば365 六月二十九日
健康の美しさに勝るものはない。悔いない生き生きとした人生を、思いきり活動しきってゆく人こそ、美しくて幸福のつかめる人である。

☆誓いの天地 千葉・船橋市 2017年6月19日
◇「地域への感謝」を胸に "ダイヤモンドの信心"を輝かせ
千葉県北西部に位置し、市川市、鎌ケ谷市などと隣接する船橋市。今年4月、市制施行80周年を迎えた。
作家・太宰治が愛した地であり、川端康成も船橋の旅館で一時、小説の執筆を進めたことがある。
東京都内への通勤・通学率は3割を超す。荒川区、足立区などに、電車1本でアクセスが可能だ。
その利便性などから、近年、関心が集まり、「2017年首都圏版 買って住みたい街ランキング」で、トップに。中核市では「日本一」の人口である。
興松大樹さん(船橋常勝県、男子部本部長)は、生まれも育ちも船橋だ。
PTA副会長を3年、小学校の「お父さんの会」会長は2年目で、学校の清掃や運動会、バザーなどの運営に携わる。
また、船橋駅周辺安全推進協議会の一員として、毎月、地域のパトロールを行っている。
9年前、試練が襲う。妻・美智子さんが急逝したのだ。長男・秀平さんは小学1年生、長女・胡実さんは、2歳にもなっていなかった。
絶望のどん底に落ちた。生きる気力を失いかけたが、踏みとどまれたのは、地域の同志の励ましがあったからだ。
込み上げる感情を言葉にできないことも多かった。それでも友は、何度も何度も足を運んでくれた。
「あの時の皆さんの励ましがなかったら……」。そう言って、興松さんは目を赤くした。
父親と同時に、"母親"になることも必要で、苦労は尽きなかったが、"自分が守るしかない"と奮闘を重ねた。
「2人の子どもと同じように、地域の子どもたちも守っていきたい。そうした思いから、地域活動をするようになったんです」
学会活動にも全力を注いできた。総本部創価班の一員として、対話拡大に奔走する。
「地域の絆を大切にし、これからも地域に尽くしていきます」――その胸には、報恩の心が輝いている。

創価女子短期大学出身の大槻朝子さん(船橋正義県、県総合女子部長)。"後輩に道を開きたい"と、大手の食品卸会社に、短大初の採用を勝ち取った。
入社直後、"創価の看板を背負っている"と、仕事にまい進した。だが、気負い過ぎて、失敗することも。周囲に気持ちを打ち明けられず落ち込んだ。
職場の先輩たちは年齢が離れていた。萎縮してしまい、仕事の進め方などを相談できなかった。
転機をもたらしたのが、白蓮グループの薫陶だ。祈る中で、"自分を変えたい"と強く思うように。
対話にも果敢に挑戦した。気付けば、いつしか職場でも、自分の考えをはっきりと伝えられるようになっていた。
入社6年目には、支店から本社へ異動となり、今、会社の売り上げの3分の1を担う部署で活躍。厚い信頼を寄せられる存在だ。
白蓮グループでは、総県委員長まで務めた。その中で、対話してきた小学校時代の友人が一昨年、教学部任用試験に合格した。
大槻さんは誓う。
「自分自身の人間革命に挑戦し、会社の発展に貢献していきます」

◇栄光の共戦譜
7月を迎えると、船橋の友の心は熱く燃え上がる。
1987年(昭和62年)7月13日、池田先生が船橋文化会館を初訪問。「船橋幹部大会」が行われた。今年は30周年の佳節である。
この時、会館の敷地内には、来館者に船橋の歴史を知ってもらうために、有志が再現した「海苔干し場」があった。家業が海苔製造業であった先生は、しばらく足を止めた。
その場にいた市川貞子さん(船橋創価県、総県婦人部主事)。79年(同54年)12月、第1次宗門事件の渦中、船橋圏(当時)の婦人部長に就任。船橋広布を支えた功労者の一人だ。
「海苔干し場を見つめながら、懐かしんでおられました。先生に喜んでいただいたことが、私たちの何よりの喜びでした」
51年(同26年)7月、姉の紹介で入会。"宗教なんて、どうせウソがある"と高をくくったが、恩師・戸田先生の「青年訓」に感動。活動に励み、女子部の人材グループ「華陽会」の一員として薫陶を受けた。
54年(同29年)、女子部部隊長の任命を受けた折、青年部の池田室長(当時)から「建設の喜びを知っていきなさい。人生は生涯、建設です」との励ましを。宝の指針として心に刻んだ。
48歳で結婚。相手の義平さん(故人)は再婚で、3人の娘がいた。特に三女の栄子さん(同、県副婦人部長)の反発は強かった。
それでも、子どもたちを大切に育てた。次女の恵子さん(船橋太陽県、県婦人部総合長)、栄子さんは「母の愛情の深さに、信心のすごさを感じました」。市川さんは、「建設」との師の言葉のままに、和楽の一家を築いてきた。
「この信心に巡り合い、これ以上ない幸せな人生を歩むことができました。感謝しかありません」――その笑顔には、信心66年の確信があふれていた。

「船橋幹部大会」で、先生は船橋の風景を賛嘆。「美しい」「美しい」と何度も語り、「美しき人華」の咲き薫る理想の天地を、と期待を寄せた。
会場にいた田中二郎さん(船橋常勝県、副本部長)。61年(同36年)の入会後、先輩の激励に発心。1日で5人の友を入会に導くなど、拡大に駆けてきた。
久美さん(同、婦人部副本部長)と結婚後、3人の子どもに恵まれた。75年(同50年)に、「田中硝子工業株式会社」を設立し、念願の独立を果たした。
順風の人生に突然、宿命の嵐が吹き荒れたのが、80年(同55年)。長男・秀雄さんが交通事故に遭い、一時、心肺停止の状態に。一命を取り留めたが、脳に障がいが残った。
「船橋の大会は、息子の事故から7年が経過した時でした。先生の『美しい人生を』との指導に、"必ず勝利の実証を示してみせる"と誓いました」
その後も、師との原点を刻んだ。97年(平成9年)、東京・信濃町で開かれた懇談会に参加。席上、先生は田中さんを励ました。
師の真心を胸に、田中さんは"信心の炎"を、さらに燃やした。会社は、不景気のあおりを受けたこともあったが、安定した経営を続ける。
秀雄さんは今、元気に作業所で働く。長女・美智さん(船橋栄光県、白ゆり長)、次男・嘉明さん(船橋常勝県、県男子部長)も、後継の道を進む。
田中さんの人生劇には、美しい"勝利の花"が咲き誇っている。
松岡はるみさん(船橋創価県、県副婦人部長)も、「船橋幹部大会」に参加した一人だ。
「先生は、ダイヤモンドを例えとして挙げ、『難』があってこそ、自身の心は美しく磨かれていく、と教えてくださいました」
この激励を抱き締め、松岡さんは、人生の苦難を乗り越えてきた。
94年(同6年)、支部婦人部長の任命を受けた。その頃から、夫の弘道さん(同、地区幹事)が勤めていた会社の経営が苦しくなり始めた。8カ月間、給料が支払われなかったことも。食費を削って家計を支え、3人の子どもを育てた。
その後、弘道さんは転職。生活も落ち着きを取り戻していた2003年(同15年)、弘道さんが、くも膜下出血で倒れた。
またも、経済苦に陥った。しかも、今度は夫を介護する生活。それでも、信心は一歩も引かなかった。家計は3人の子どもが支えてくれた。
松岡さんも、"子どもたちに頼ってばかりではいけない"と、夫の介護を機に、訪問介護の仕事を始めた。一昨年、介護福祉士の資格を。さらに昨年、65歳でケアマネジャーの資格を取得した。
「苦境の時に、私たち家族の幸福を祈り、励まし続けてくださった同志に感謝は尽きません。生涯、"ダイヤモンドの信心"で前進します」
――99年(平成11年)7月、先生は船橋の友に和歌を贈った。
「船橋は 日本一なる 団結の 広布の模範と 世界に知らせり」
美しい同志愛が光る世界広布の模範の天地。
いかなる「難」にも揺るがない"ダイヤモンドの信心"が輝く師弟の人材城。
その誇りも高く、「凱歌の7月」を飾ろうと、「新生・船橋」の前進は勢いを増している。

2017年6月28日水曜日

2017.06.28 わが友に贈る

「一」は「万」の母だ。
縁する一人を徹して
大切にすることから
希望の万波は広がる
突破口は眼前にあり!

☆女性に贈ることば 六月二十八日
ほかの人には当たり前のようなことでも、自分にはわからなかったり、できなかったりすれば、誰だって落ち込んでしまう。
しかし、大切なのは、そこからどうするかです。何ごとも、最初から完壁な人などいません。つまずいたら、「よし、頑張ろう」「さあ、これからだ」と立ちあがればいいのです。

☆今日のことば365 六月二十八日
自分で、自分をリードするというと、むずかしいことのようですが、それは、自分のしなければならない、ひとつひとつの問題について、責任をはたしていくことです。クラスのなかで決まった役目や、家庭のなかで受けもった仕事を、きちんと責任をもってやりきることです。

☆中国・湖南工業大学「名誉教授」称号授与式での池田先生の謝辞
◇悪戦苦闘が知性を鍛える 民衆の幸福へ 不屈のスクラムを
一、わが憧れの麗しき湖南省は、蓮華の花が有名であると伺いました。
創価大学の「文学の池」でも、蓮保存会の友などが春夏秋冬を通し丹念に手入れを重ねてくれており、蕾を膨らませ始めています。
本年、生誕千年の佳節を迎えた、北宋の大思想家・周敦頤先生は、名高い「愛蓮の説」において――
「淤泥より出でて染まらず」「香り遠くして益?清く」「蓮は花の君子なり」(星川清孝著、柚木利博編『古文真宝(新版)』明治書院)と謳いました。
最新の研究によれば、周敦頤先生は、私たちが敬愛してやまぬ周恩来総理の祖先に当たると言います。まさしく、蓮の如き君子の風格を湛えられていた、あの周総理の尊容が、私には偲ばれてなりません。
周総理の精神を継がれる偉大な教育者の先生方に御来学いただき、感慨ひとしおであります。
21世紀を担い立つ人材の大輪を咲き薫らせゆく誉れ高き科学と教育の殿堂より、尊き名誉教授の称号を、本日ここに、私は謹んで拝受させていただきます。誠に誠にありがとうございます。

◇留学生を愛した「創価教育の父」
一、この栄誉を、私は第一に「人道の和合の旗印」として、お受けさせていただきたい。
そして、「創価教育の父」である牧口常三郎先生と、その教え子である貴国からの先駆の留学生の方々に捧げさせていただきたいのであります。
実は、牧口先生は、20世紀の初頭、中国の留学生のために設立された東京の弘文学院で地理学を教えておりました。講義に感銘した留学生たちが中心となって、のちに牧口先生の大著『人生地理学』は中国語に翻訳されました。学校教育の地理の教科書などに活用されていたことが、歴史に留められております。
とりわけ、同学院に学んだ7000人を超える留学生のうち、およそ4割の方が、洞庭湖を挟んだ湖南省と湖北省の出身者でありました。
中国の青年たちを慈しんでやまなかった牧口先生も、本日の儀式を微笑み見守っておられるに違いありません。
牧口先生の『人生地理学』においては、民衆を結合する教育の力に論及されておりました。
とともに、「軍事」や「政治」「経済」の次元での競争の時代を超えて、「人道的競争」という平和と共存共栄の世界ビジョンが示されております。それは、貴大学が校訓として掲げる「厚徳博学、和而不同」とも相通ずる理念でありましょう。
牧口先生と縁を結んだ貴国の留学生たちは、帰国後、教育界などで不滅の足跡を残すとともに、命を賭して、辛亥革命に身を投じ、祖国に献身していかれました。
牧口先生は、そうした教え子たちの奮闘に思いを馳せながら、日本の軍国主義と対峙し、獄死を遂げたのであります。
世紀を超えて受け継がれてきた「人道の和合」を、私たちはさらに強め広げてまいりたい。
「和合」の力については、このたび発刊した、王蒙元文化相との対談集でも語り合いました。
『荘子』に「両者交?通じて和を成し、而して物生ず」(金谷治訳注『荘子』岩波書店)とあるように、和合によって偉大な価値創造が生まれます。なかんずく、教育・文化の交流こそ、最も確かな力ではないでしょうか。
中国と日本の国交正常化45周年に当たり、その意義を、あらためて確認したいと思うのであります。

◇中国古代の聖王神農が眠る天地
一、第二に、貴大学からの光栄を、私は「理想社会への希望の華」として、全世界の創価の友と分かち合わせていただきます。
貴大学の立つ株洲市には、いにしえの伝説の聖王である「神農」(炎帝)が眠るとされております。
神農は五穀を蒔き、農具を発明して、民に農耕を教えるとともに、命を守る医薬の技術や知見を弘めたと伝えられます。民衆に漁猟を教えたとされる「伏羲」とともに、「神農」の時代は、自然と人間が共生し、人心も安らかで豊かな理想郷として、広く仰がれてきました。
若き日から私が拝してきた仏典にも、「吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世〈伏義と神農の時代〉となりて」と記されており、仏法が目指す理想社会の大いなる指標となっているのであります。
太古より「民衆とともに」「民衆のために」という精神が脈打つロマンの天地で、貴大学は「実を求め、新しきを創る」との建学の精神を標榜して、創造的学問へのたゆまぬ挑戦を貫いてこられました。
最先端の「包装設計」の分野をはじめ、「生物医学」や「素材科学」のエンジニアリングなどの画期的な取り組みも、よく存じ上げております。
「中国低炭素都市ランキング」等の重要な研究プロジェクトを推進され、現代世界の喫緊の課題である環境問題への貢献も、高く評価されているところです。
雄渾なるリーダーシップを発揮される唐未兵先生は、学生たちに呼び掛けておられます。
"大学で学んだ知識を、民衆と社会のために役立てる具体的な実践のなかで、現実の課題を解決する力、自身の壁を乗り越える創造力、そして複雑な社会に適応する力を高めていってほしい"――と。
そこに、私は、かの神農も体現していた如き、崇高な民衆奉仕の大情熱を感じとるのであります。
真実の知性も、創造性も、民衆の中に飛び込んで、民衆の幸福のため、あえて厳しい苦難に挑みゆく悪戦苦闘によってこそ、磨かれ、鍛えられるものでありましょう。
私たちもまた、泥沼から湧き出ずる蓮華のように、現実社会の真っ只中で、民衆とともに、民衆のために、賢く、たくましく、朗らかに、「希望の華」を、「創造の華」を、「勝利の華」を咲き誇らせていきたいのであります。

◇"信念の世界市民"育成が大学の使命
一、最後に、この栄誉を「揺るぎなき信念の柱」として、若き世界市民の友に託させていただきたいと思っております。
「湖南人が倒れない限り、中国は傾くことはない」
これは、清の大指導者・曾国藩の名言であります。
揺るぎなき信念の世界市民を育て、そして、平和の大連帯を広げゆくことこそ、混迷を深める国際社会にあって、ますます重要な大学の使命ではないでしょうか。
湖南が生んだ人類の頭脳・天台智顗は「衆流 海に入り 薪 火を熾んにす」と記しております。
貴大学の校章に刻まれた「包」の字のように、大海はどんな河の流れが押し寄せようとも、悠然と包み込んで、生命を育んでいきます。そうしたスケールの大きな新時代の世界市民が陸続と躍り出ることを、私は願う一人であります。
そして、薪が火を燃え上がらせるように、いかなる試練も、創造と前進のエネルギーと転じていく、不屈の英知のスクラムを、より広範に築き上げていきたいのであります。
私も、本日より、先生方とご一緒に、創造的世界市民の育成にさらに尽力してまいる決心であります。
結びに、貴・湖南工業大学の無窮の発展と栄光、そして、諸先生方のますますのご健勝をお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
謝謝!(中国語で「ありがとうございました!」)

2017年6月27日火曜日

2017.06.27 わが友に贈る

御聖訓「人を馮みて・
あやぶむ事無かれ」
"誰かがやるだろう"との
油断や頼る心を排せ!
決然と一切を担い立て!

☆女性に贈ることば 六月二十七日
挑戦の魂に行き詰まりはない。「幸運は、挑戦する人間にこそ微笑む」との西洋のことわざがあるが、すべては行動から始まる。行動を開始すれば、知恵がわく。

☆今日のことば365 六月二十七日
私が 最高の尊敬の念を感ずるのは
 人間最後までの
  旗を振り続ける人だ

☆新時代を進む 第12回 前進! 正義の凱旋門へ
戸田城聖先生が、軍部政府との2年の獄中闘争を勝ち越え、出獄されたのは、東京・中野であった。
それは、昭和20年(1945年)の7月3日。巡りくるその日を前に、有縁の地へ走り、中野南文化会館を視察した(18日)。
会館には、朝から壮年部が意気軒昂に集われていた。いよいよ黄金柱の出番と「ああ感激の同志あり」を皆で大合唱したと伺った。王城会の厳護の雄姿も、頼もしい限りである。「父の日に本当に尊いですね」と妻が微笑んだ。
勤行会を行っていた先駆の学生部も元気である。
同会館には、隣接する杉並・方南支部の友も、太陽の婦人部を中心に集まられていた。
方南支部といえば、昭和53年の1月、広布第2章の「支部制」開始に際し、私が結成大会に出席した忘れ得ぬ支部である。
地域に信頼を広げる大発展が、何よりもうれしい。
とともに、創価の凱歌へ師子奮迅の指揮を執る全国の支部長・支部婦人部長、また地区部長・地区婦人部長、ブロック長・白ゆり長をはじめ、リーダーの皆さま方の奮闘が偲ばれる。
御本仏が、広布に献身する偉大な宝友たちを、いかばかり讃嘆されているか。
「釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか」(御書1467ページ)の一節が、胸に迫ってならない。
― ◇ ―
中野南文化会館には、戸田先生が出所した豊多摩刑務所の鉄の門扉が保管されている。同刑務所が取り壊された折、中野の有志が譲り受けてくれたものだ。
恩師の出獄は、沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終わった直後だった。6月23日は「沖縄慰霊の日」である。
"命どぅ宝"――生命こそ最極の宝。これが、恩師も敬愛した沖縄の心だ。
生きて獄門を出た恩師は、民衆が一人一人、仏の生命を最大に輝かせ、この世の悲惨を打ち破っていく「人間革命」の道を開かれた。最も苦労した人が、最も幸せを勝ち取っていける社会をつくるのが、我らの「立正安国」の戦いである。
その先頭に立つ「平和の勝利島」沖縄の友に、思いを馳せぬ日は一日もない。
― ◇ ―
日蓮大聖人は、「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(同504ページ)と仰せである。
この御聖訓通り、恐れなき勇気を、限りない智慧を湧き上がらせて、前進だ。
いざ、正義の凱旋門へ!

2017.06.26 わが友に贈る

◇今週のことば
今日の苦難の活動は
永遠の功徳を創りゆく
楽しき修行なり。
「必ず勝つ」と
師子王の心で進め!
2017年6月26日

☆女性に贈ることば 六月二十六日
あなたの笑顔に、人はあなたの優しさを感じる。
苦しく、つらい時があるかもしれない。
しかし、あなたの笑顔があるかぎり、温かな世界が広がることを忘れてはならない。

☆今日のことば365 六月二十六日
友情を支えるものは、尊敬と信頼の念であり、どこまでも友を裏切らぬ誠実さである。そして、ひとつの崇高な理想をめざして、ともに苦難を切り拓いていく勇気である。

☆御書と歩む 第70回 人間の真価は哲学と行動に
『法華経の行者は川流・江河の中の大海・衆山の中の須弥山・衆星の中の月天・衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり』(報恩抄、309ページ)

◇通解
法華経の行者は、全ての川や大河の中の大海であり、多くの山の中の須弥山であり、多くの星の中の月天であり、多くの光の中の大日天であり、転輪聖王・帝釈天・そのほかの王たちの中の大梵天王である。

◇同志への指針
法華経の行者は、どこまでも世間で仏法の力を証明し抜いていくのだ。
その境涯は、聳え立つ須弥山の如く、王者の中の大王者の風格である。それは、持つ哲学が第一であり、信念の行動が尊貴なるゆえである。
仏法は勝負だ。勇敢な大音声を地域・社会に響き渡らせてこそ、広布は前進する。
不二の壮年部よ、勝利を決する師子吼を頼む!

☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生第1回 東京校 1968~69年度   2017年6月22日
諸君のために道を開き、陰ながら見守っていきます。それが、私の人生です。

今秋、創立50周年を迎える創価学園。新企画「負けじ魂ここにあり――わが生命の学園生」では、創立者・池田先生と学園生が一体で刻んできた、誉れの歴史を紹介する。第1回は、東京・創価学園(小平市)の開校からの2年間(1968~69年度)に迫る。

真新しい白亜の校舎が立つキャンパスに、生徒や保護者が続々と集まって来た。1968年4月8日、創価中学・高校の「第1回入学式」である。
武蔵野の面影を残す自然豊かな天地。校舎は、たくさんの木々に囲まれている。
「木はできるだけ切らないで残しておこう」。それが先生の意向だった。まだ細い若木も多く、伸びゆく学園の未来を象徴するかのようである。
――66年に建設委員会が立ち上がる以前から、先生は一人、学校の設立について熟慮してきた。
香峯子夫人を伴って、小平の候補地を視察したのは、60年4月5日である。
①武蔵野の大地にある②富士が見える③近くに清らかな水の流れがある④都心から車で1時間ほどの距離にある――そうした条件を全て満たすこの地に、先生は学園を建てることを決めた。
本年の4月5日、先生ご夫妻は学園を訪問。半世紀の時を経て、世界が仰ぎ見る"大樹"となった発展の様子を心から祝福した。

入学式当日。"学校運営は、校長や理事長らが中心"と考え、式典の出席を見合わせた先生は、終了後に学園を訪れて生徒らを激励した。
校舎とグラウンドを結ぶ「栄光橋」の渡り初めにも。玉川上水に架かる橋の上で、先生は1期生に語った。
「創価学園は、周囲を、彼方の山と川、武蔵野の平野と木々の緑に囲まれている。山は王者であり、川は純粋な精神である。武蔵野の平野は限りない希望を、そして、緑は潤いのある人生を表している。どうか、この栄光橋を渡る時、自分も栄光の人生を渡っているとの確信に燃え、進んでほしい」
ここに、未来に続く学園の歴史の一ページが開かれたのである。

◇堅固な礎を築け
1期生として入学したのは、高校321人、中学217人。先生は、たびたび学園に足を運んでは、生徒と交流する機会をつくった。時には一緒に卓球やテニスを行い、かき氷やおしるこを食べたこともある。
68年12月21日には、寮の会食会に参加。寮生の質問に答えた。
「将来、南アフリカの人権問題に関する仕事がしたいと思っています」と言ったのは、木村明彦さん(高校1期)。「そのためには、法律、農業、経済など、どういった分野を学ぶべきでしょうか」と尋ねた。
「今は語学を勉強しなさい」。先生の答えは明快だった。
「何事も順序があります。東京駅の次は、有楽町駅でしょう。そのように目的地に向かうには、次の駅、また、その次の駅と順序があります」
そう言うと、突然、英語で問い掛けた。「Can you speak English?(英語は話せる?)」
思わず口ごもる木村さん。「No, I......」
理想に燃える学園生に、先生は土台の重要性を訴えた。
"語学は基礎です。大きな建物を造るには、地中を深く掘り、堅い堅い礎を築かなくてはいけない。それがあれば、どんなに高い建物でも建てられる。その土台をつくるのが、今の若い時代なのです"
そうだ! 自身の礎はもちろん、学園の礎を築くためにも学び抜こう!
1期生は奮い立った。
卒業後、木村さんは創価大学の経済学部を経て商社に。後に独立し、広告会社を設立。社名を、スワヒリ語で「ありがとう」を意味する「アサンテ」とした。
「直接、アフリカに携わる仕事はできていませんが」と苦笑するが、胸中には"誓いの一場面"が今も消えることなく輝いている。

◇父親の代わりに
「学園生は、わが子以上に大事である」。それが先生の心である。
69年4月8日の第2回入学式。会場に一人、浮かない表情で参加している学園生がいた。
奄美大島から上京した新納一彦さん(高校2期)。学園の合格発表の日、交通事故で父を亡くしていたのだ。
それを聞いた先生は新納さんを呼び寄せ、優しく包み込んだ。
「私を父親だと思って、困ったことがあったら何でも言いなさい。悲しいかもしれないが、この学園でうんと勉強して立派になるんだ。それが親孝行だよ」
その後も、学園に行くたびに、新納さんをはじめ家族を亡くした生徒を励まし続けた。
「親というのは、いつかは亡くなるものなんだ。誰もがそうした悲しみを乗り越えていく。君たちは、他の人よりもその山を一つ先んじて越えているんだよ」
「深い悲しみにあった人ほど、偉大な指導者になれるのです」
新納さんは振り返る。
「初めは、ふさぎ込んで、トイレで一人、泣いたこともありました。でも、先生の激励を思い出して頑張りました。支えてくれた学友たちと切磋琢磨した学園時代は、一生の宝です。送り出してくれた両親に感謝は尽きません」
現在は、地元・奄美に戻り、船会社に勤務。悩んでいる人、困っている人の力になりたいと、地域に励ましの輪を広げている。

◇21世紀に会おう
地方出身の生徒たちのために、夏休み前に何か思い出をつくってあげたい――。
先生の提案で始まった"夏祭り"。それは「栄光祭」と命名された。
「みんなと一緒に見てもいいかな」。その第2回が行われた69年7月17日、先生はグラウンドに到着すると、真っすぐに生徒席へ。近くにいた学園生に声を掛け、名前や出身地などを聞いて激励した。
舞台では、学園生による民謡大会や、パントマイム、創作劇などが披露された。その一つ一つに誰よりも早く拍手を送る先生。皆で学園寮歌「草木は萌ゆる」を歌い終えると、学園生たちに呼び掛けた。
「21世紀の初めには、この1期生、2期生から、社長や重役、ジャーナリスト、あるいは、科学者、芸術家、医師など、あらゆる世界で、立派に活躍する人がたくさん出ていると、私は信じます」
「その21世紀に入った2001年の7月17日に、ここにいる先生方と、1000人の先駆の創価学園生全員が、集い合おうではないか」
「私も、2001年を楽しみにして、諸君のために道を開き、陰ながら諸君を見守っていきます。それが、私の最大の喜びであるし、私の人生です」
先生は終了後もグラウンドに残り、退場する学園生を、手を振って見送った。
"2001年7月17日、成長した姿で創立者のもとへ"――この思いは、後に続く多くの学園生たちにとっても、大きな指標となっていく。

2017年6月25日日曜日

2017.06.25 わが友に贈る

必死の「一人」から
拡大のうねりが広がる。
強固な結束が生まれる。
率先垂範の行動を!
追撃の手を緩めるな!

弥源太殿御返事 P1226
『但し石は玉をふくむ故にくだかれ鹿は皮肉の故に殺され魚はあぢはひある故にとらるすいは羽ある故にやぶらる女人はみめかたちよければ必ずねたまる此の意なるべきか、日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり』

☆女性に贈ることば 六月二十五日
奥深い人生の山や谷に、汗を流して分け入っていかなければ、幸福のダイヤモンドは採掘できない。賑やかな街で遊び、楽をしているばかりでは、決して幸福のダイヤモンドを磨くこともできない。

☆今日のことば365 六月二十五日
君の 堅実にして
 誠実の人生の姿勢は
やがては
 すべての人々が
  心より頼り
   尊敬することを信ずる

☆御書と歩む 第69回 創価の女性は「幸の太陽」
『妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたまなり』(妙心尼御前御返事、1484ページ)

◇通解
「妙」の文字は、月である。太陽である。星である。鏡である。衣服である。食物である。花である。大地である。大海である。一切の功徳を合わせて「妙」の文字となられたのである。または如意宝珠(意のままに何でも取り出すことができる宝の珠)である。

◇同志への指針
夫に先立たれ、幼子を抱えて毅然と信仰を貫く母への御聖訓である。妙法は、どんな闇も晴らす希望の光源だ。
自行化他の題目を唱えゆく女性に行き詰まりはない。日々の生活を色心ともに豊かに照らし、進むべき未来に功徳の花を咲かせていける。
創価の女性こそ、幸の太陽だ。大地のように、大海のように、心広々と平和のスクラムを勝ち光らせていくのだ。

☆「炎の東京大会」60年 師弟凱歌の旭日を昇らせよ 2017年6月21日
歴史をひもとく時、しばしば民衆勢力を排除しようとする権力の抑圧がある。立正安国へ進んできた創価学会にもまた、幾多の迫害があった。60年前の1957年(昭和32年)7月、権力の魔性が学会に牙を?いた「大阪事件」。弾圧を堂々と勝ち越えた一つの大きな転機が「炎の東京大会」である。

降りしきる雨をものともせず、東京、埼玉、神奈川、千葉などから、続々と同志が詰め掛けていた。
1957年(昭和32年)7月12日の夜、東京・台東区の蔵前の国技館は、2万人の学会員で埋め尽くされた。会場の外にも、傘を差した2万人の友が、怒りに震えていた。
この日は当初、戸田先生の一般講義が行われる予定だった。それが中止となり、急きょ、「東京大会」が開催されたのである。
同年7月3日、池田先生が3カ月前の参院選(大阪地方区の補欠選挙)に関する事実無根の容疑で、不当逮捕された。
戦後、躍進した「創価学会」という民衆勢力の台頭を恐れた、権力による卑劣な迫害であった。
これを徹底的に糾弾し、学会の正義を宣言したのが、「東京大会」である。
戸田先生は大会の席上、質問会を行った。
理解と納得が、前進の力を生む。疑問やしこりを抱えたままでは、空転に陥るからだ。
学会本部の対応が手ぬるいと訴える友もいた。今後、どう対策を取るのかを尋ねる人もいた。
一つ一つの質問に、戸田先生は明快に答えつつ、烈々と宣言した。
「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」
「おめおめと、負けてたまるものか!」
恩師の師子吼に、同志は呼応した。破邪顕正の炎は、ここ東京から、全国へと一気に広がっていったのである。
塚原孝雄さん(東京・荒川総区、副支部長)は、雨の中、場外の整理役員に就いていた。
「集ってくる方々の表情が、怒りに満ちていたことを覚えています」
場外にいた友は、館内の話を聞くことはできなかった。それでも、その場から離れようとしない。
大会が終わると、場外の友は、会場から出てくる参加者に、誰彼かまわず声を掛け、内容を聞いて回っていた。同志のいちずな姿勢に、塚原さんの心は"断じて魔に負けてなるものか"と奮い立った。
その後、池田先生が荒川で指揮を執った57年8月の「夏季ブロック指導」で、自身も弘教を実らせたことは、黄金の思い出だ。
83歳の今も、広布の情熱を燃え上がらせ、意気揚々と対話に歩く。
「荒川の底力を発揮し、新たな『荒川凱歌の歴史』を築きます」と力を込めた。
末広良安さん(東京・北総区、区主事)は、録音係を務めた。
53年(同28年)の入会。先輩から「池田室長(当時)は、すごい人だ」と何度も聞いてきた。
その室長が無実の罪で投獄された。「館内には"絶対に池田室長を取り返すんだ"との怒りが充満していました」
戸田先生の叫びに、末広さんの胸は震えた。その響きに、おごり高ぶった権力への激しい怒りと同時に、どこまでも弟子を思う深い慈愛を感じたからだ。
「"同志を守り、師に応えゆく弟子に成長していこう"と決意しました」
「東京大会」の感動を胸に、末広さんは北区を駆けてきた。広布の"北極星"と輝く天地に、「喜び多き万歳を」と誓う。
――「東京大会」終了後、戸田先生は大阪地検へ乗り込んだ。同行した友に体を支えられながら、地検の階段を上がる。そして、検事正に会うや、猛然と抗議した。
「私の逮捕が狙いなら、今すぐ私を逮捕しなさい」
一方で、池田先生への取り調べは過酷を極めていた。検事は、「罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕する」と恫喝した。
恩師の身を案じ、呻吟の果てに、池田先生は裁判で真実を証明することを決断。逮捕から4年半の時を経て、「無罪」判決が出された。
衰弱する体を押して、師は弟子を守ろうとした。
弟子は師匠のために身を賭して戦い抜き、「勝利」によって、学会の正義を満天下に示したのである。
◆◇◆
東京上野平和講堂に、「東京大会」を顕彰する碑がある。池田先生は、碑文につづっている。
「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」
これこそ、「世界広布の本陣・東京」の永遠不滅の魂である。

大会に参加して 台東区婦人部主事 湯川藤江さん
●勝負決した正義の師子吼
「東京大会」の当時、私は入会3年の女子部員。その頃、池田先生が戸田先生から薫陶を受けた"戸田大学"の講義を、共に受けさせていただく機会がありました。
戸田先生の真正面に池田先生。お二人が話し始めると空気が一変します。私たちは邪魔にならないよう心掛けました。
池田先生は姿勢を正され、メモは取られず、「ハイッ! ハイッ!」と、戸田先生をじっと見て返事される。"師匠の全てを吸収するぞ"という気迫がみなぎっていました。
空気がビリビリして、咳を必死にこらえたのを覚えています。師弟の峻厳さを目の当たりにした思いがしました。
池田先生が逮捕されたと聞いて、"早く出てきてください"と祈りに祈りました。誰の目から見ても無実は明らかなんですから。先生に万が一でも何かあったら、これからどうなってしまうのか……。
先生の逮捕が学会にとって一番の痛手になる。だから狙われていたのだと思います。戸田先生は弁護士に憤慨しておられました。
"即刻出せ! そうじゃないと大の体はダメになる"。尋常な怒りではありません。親以上の心です。
「東京大会」の前日、"蔵前の国技館に集まれ"と連絡が。電話も少なく、隣の隣の家から呼び出してもらうような時代です。電報での連絡も多かった。
7月12日は、午後から雨が降り続いていました。浅草橋駅から会場の国技館まで、水たまりがいっぱい。
その日まで、私は国技館を見たことがありませんでした。周囲にテレビはなく、相撲はラジオでしたから。人だかりを追ううちに会場に着きました。
交差点を曲がると、歓声が「ワーッ!」。国技館が揺れているようでした。
戸田先生は体調を崩されていましたが、この日はとてもお元気でした。
壇上で"(池田先生を)早く出せ!"と一喝。戸田先生の正義の師子吼によって、勝負が決したのだと思います。
「そうだー!」「行くぞー!」と、会場の参加者の気迫もすさまじかった。全員で大阪に乗り込むような勢いでした。
17日に池田先生は釈放されますが、裁判はずっと続きます。大阪への移動は夜行列車の時もありました。全ての行事を終えてから、先生は列車に乗られる。
でも先生はいつも、朗らかなんです。「これから大阪に行くんだよ」って。
時間がたてばたつほど、あの時の思い出は深く、重みを感じます。

2017年6月24日土曜日

2017.06.24 わが友に贈る

ブロックの大躍進こそ
栄光への決定打だ!
尊き本陣長・白ゆり長よ
わが愛する天地から
東京凱歌の大潮流を!

阿仏房尼御前御返事 P1308
『法華経に云く「恐畏の世に於て能く須臾も説く」云云、悪世末法の時三毒強盛の悪人等集りて候時正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天人供養あるべしと云う経文なり』

☆女性に贈ることば 六月二十四日
雨の日には雨を楽しみ、風の日には風の声に耳を傾ける。
困っている人を見たら、すぐに体が動いていく。
そうした人生の詩を生きるお母さんの姿は、言葉以上に豊かに子どもたちの心を育むに違いない。

☆今日のことば365 六月二十四日
自分は偉くないのだ、周囲の人が全部、自分以上の人材である、と心の底から言える人が偉いのである。人の偉さは、自分が偉いのだといっても、人々は認めてくれない。周囲の人が決めるものである。

☆明日を求めて 池田先生の対話録Ⅱ第37回 イラン出身の平和学者 テヘラニアン博士 2017年6月18日
◇「真実」を語る人が真実の「人間」 勇気の言論こそが「人間の証」
学会の平和運動の原点である戸田先生の「原水爆禁止宣言」(1957年9月8日)から、本年で60周年を迎える。
核兵器こそ戦争の抑止力と主張し、東西両陣営が核実験を繰り返していた冷戦下、戸田先生は核兵器を「絶対悪」と断じた。
「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
「私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」
この戸田先生の遺訓を胸に、対話で相互理解の橋を架け、生命尊厳の思想を世界に広げてきた池田先生にとって、恩師の名を冠した平和研究所の創設は長年の願望であった。
戸田先生の生誕96年の日である1996年2月11日、「戸田記念国際平和研究所」が発足。その初代所長に就任したのが、イラン出身の平和学者マジッド・テヘラニアン博士である。
発足直後の2月19日、SGI国際会議会館で会見。会うのは2度目だったが、旧知の同志のように語らいが弾んだ。
「私は、うれしいのです。『戸田記念国際平和研究所』――これで恩師の構想を具体化できたからです」
池田先生が喜びを伝えると、テヘラニアン博士は「戸田先生の名にふさわしい研究所にしてまいりたいと思います」と。
博士から、研究所のモットーを「地球市民のための文明間の対話」に決定したことが伝えられた。
「『対話』という言葉は安易に使われがちです。しかし、表面だけでなく深い次元の意義を知らなければなりません。人々の苦しみや痛みを直視し、さまざまな感情に心を砕き、人間的な側面を理解していくために『対話』が不可欠なのです」
池田先生は応じた。
「人間と人間が語り合うこと。これが全ての始まりです。宗教を前面に出して、『宗教と宗教』の話し合いをしても、そこからは友好は開けません。そうではなく、まず人間です。『人間と人間』の対話です。人間と人間が心を開き合い、知り合い、仲よくなれば、そこからいくらでも相互の違いに対する理解も生まれるものです」
「かつて共産圏に対してそうだったように、今はイスラム圏に対して、多くの人たちは、偏った先入観を抱いていると思います。それでは全人類のために不幸です。だれかが、どこかで『道』をつくり、友好の大河へ『一滴』の水を通わせなければなりません」

テヘラニアン博士は1937年生まれ。池田先生と同様、戦乱の中で少年時代を過ごした。
博士の故郷であるイランのマシュハドは、ソ連軍の爆撃を受けて占領された。砲弾の破片を避けるため、母の衣服に隠れて歩いた。
ハーバード大学で学び、イラン学生協会の会長として祖国の民主化の旗を振った。時に身柄を拘束され、秘密警察に付け狙われた。
池田先生との初の出会い(92年7月29日)では、かつてテヘラニアン博士が湾岸戦争を憂えて書いた詩が話題となった。
「戦争は 我々の内なる 悪魔を現出させる」
「(悪魔は)真っ赤な 毒の舌と 冷たい怒りの槍を 激しく動かしながら 限りない貪欲さと虚栄心で 人間性のすべてを 食い物にしようとしている」――。
テヘラニアン博士もまた、人間を戦争へと駆り立てる「魔性」を見据え、行動を続けてきた。

池田先生 祖国のため、自らの信念のために、毅然と戦った所長の"勇気"を尊敬します。牢に入ったかどうか、権力からの不当な迫害を受けたかどうかが、「人物」を見る私の大きな基準です。創価学会の初代、2代会長も、(3代の)私も、投獄されました。しかし、権力の弾圧には絶対に屈しなかった。これが私どもの永遠の誇りであり、原点です。
テヘラニアン博士 学会の三代の会長の生き方に深い感動を覚えます。なぜなら、3人とも個人的な苦悩を乗り越えながら、なおかつ人類のために行動されているからです。崇高な、美しい価値を創造されているからです。世界には多くの苦悩する人々がいますが、そのように「人類のために戦う崇高な人生」へと自分を転換できる人は、限られています。

池田先生は、創価の師弟への深い理解に感謝を述べ、博士の祖国であるイランの詩人サアディーの言葉を引いた。
「人間は語ることによって獣にまさる、/よいことを語らなければ、獣が汝にまさる!」
続けて博士に語った。
「『真実』を語る人が、真実の『人間』です。本当のこと、正しいことを語る『勇気の言論』こそが、人間の証であり、平和の武器といえましょう」
十数回に及ぶ2人の語らいは、2000年10月に、対談集『二十一世紀への選択』として結実した。
イスラム世界に精通する博士との対談では、釈尊とムハンマドという仏教とイスラムの精神的源流にさかのぼり、平和創出の方途が探られている。
その直後、「文明の衝突」を象徴するかのような米同時多発テロ事件(01年9月11日)が起こり、世界が震撼する中、同書で語られた「文明間の対話」の視座は重要な示唆を与えた。03年には英語版の『地球文明――仏教とイスラムの対話』が出版。同書はこれまで、アラビア語版、ペルシャ語版など11言語で発刊されている。
テヘラニアン博士の尽力によって、戸田記念国際平和研究所は短日月に多大な成果を上げた。国際研究協力ネットワーク型の研究所として各国の研究機関や平和学者らと連携し、現代世界における平和構築への方途を探究している。
2012年12月、テヘラニアン博士は75歳で永眠した。
だが"対話こそ平和への道"との2人の信念は、世界中の後継の青年によって受け継がれていく。
対談集で博士が紹介した、詩人ハーフィズの詩が響いてくる。

対話をしよう
二つの人生の十字路において
いま別れたら
もう二度と会えないのかもしれないのだから

マジッド・テヘラニアン 1937年、イラン・マシュハド生まれ。政治学、政治経済学、中東研究などを専攻し、ハーバード大学で修士号、博士号を取得。パリのユネスコ本部の勤務を経て、ハワイ大学教授、同大学スパーク・マツナガ平和研究所所長、タフツ大学外交大学院客員教授などを歴任。『グローバル・コミュニケーションと世界政治』など著書多数。戸田記念国際平和研究所の初代所長として発展に尽力した。2012年12月、逝去。

2017年6月23日金曜日

2017.06.23 わが友に贈る

「心の固きに仮りて
神の守り則ち強し」
逆風が激しいほど
諸天を揺り動かす
強き祈りで突き進め!

立正観抄 P529
『教弥弥実なれば位弥弥下し』

☆女性に贈ることば 六月二十三日
子どもたちの成長は、大人たちの成長にかかっている。
ゆえに、教育とは、子どもたちのために何ができるかという、自らの生き方をかけた、大人たちの挑戦にほかならない。

☆今日のことば365 六月二十三日
人間の弱味は、往々にして、欠点を指摘してくれる人から、身を遠ざけようとするものである。だが、実際に、この欠点によって、わが身の蒙る----現実の結果は、それよりも何十倍も辛いものとなるのだ。そうした失敗をさせぬために教えてくれる友だちや、先輩の苦言は、どれほどありがたいか知れない。

☆誉れの学園 世界市民を育む創価教育 第12回=完 母校愛 2017年6月14日
◇人類の幸福の港を守り抜け!
今春も、北海道の札幌創価幼稚園には、多くの卒園生が帰ってきた。ある卒園生は、手に小さな瓶を持って、当時の担任のもとを訪ねた。その小瓶に入っていたのは、「甲子園の土」だった――。
彼は今、高校3年生。卒園後、北海道の小・中・高校に学び、野球に打ち込んだ。憧れの甲子園を目指す日々。厳しい練習に耐え、けがを乗り越えた彼の胸奥には、"池田先生に、幼稚園の先生方に、甲子園出場を報告したい"との思いがあった。
そしてこの春、北海道代表校の投手として、甲子園のマウンドに立ったのである。
試合の4日前、彼のもとに、創立者・池田先生からの伝言が届いた。"創価幼稚園出身で甲子園か。本当にうれしい"
試合当日、創価幼稚園の職員室では、当時の担任をはじめ教職員が、祈るようにテレビを見つめ、声援を送っていた。
チームは敗れたが、彼は甲子園の土を札幌に持ち帰り、小瓶に移した。そして、創価幼稚園の職員室を訪ね、当時の担任に手渡したのである。その瓶の中には、彼の「母校愛」が詰まっていた。
札幌創価幼稚園では、1期生が卒園した1977年以来、小学1年生を対象に、卒園生の集いを開催してきた。2001年からは、小学1・4年、中学1年、高校1年と、卒園生が3年ごとに集う「21世紀卒園生大会」に拡充されている。
卒園生大会には、北海道外からも多数の卒園生が参加する。東西の学園に進学して戻ってくる子も。親子2代にわたる卒園生も増えてきた。ある年の卒園生大会、一人の高校生が近況報告に立った。彼女は、卒園後、父親の転勤で北海道外の小学校へ。だが、クラスメートから言葉のなまりをからかわれ、仲間はずれにされてしまう。
そんな小学4年次、彼女は卒園生大会で幼稚園に帰った。玄関に入った瞬間、先生方が駆け寄り、優しく抱き締めてくれた。手をつなぎ、そばで悩みを聴いてくれた。
後日、彼女のもとに、教員の手紙が届く。「良い時も悪い時も連絡ちょうだいね」。悲しみを分かってくれる人がいる。いつでも帰れる場所がある。安心感に包まれた。
彼女は猛勉強の末、念願の創価高校(東京・小平市)に合格。今、海外の創価幼稚園の先生になりたいと、勉学に励む。
教員のもとには、卒園生だけでなく、保護者からも多くの電話やメールが届く。保護者と綿密に連携する中で、卒園生の近況や悩みを知り、「的確な励まし」を送ることができる。教員は、創価教育の父・牧口常三郎先生の"真の教育は、子どもに情熱を注ぐ教師と、教育者を全面的に信頼する父母が一体とならなければできない"との教育理念を体現し、卒園後の成長をも見守り続けているのである。
札幌創価幼稚園の「母校愛」を象徴する一つのデータがある。それは、教職員の半数以上が卒園生だということ。8期生の八木伸子さんもその一人。在園当時から、「創価幼稚園の先生」に憧れていた。
八木さんは、卒園の時、教員から掛けられた言葉を今も心に刻んでいる。それは、「自分から勇気を出して友達に声を掛けていくんだよ」。小学校では、この言葉を思い出し、そばにいた子に声を掛けた。その子とは今も、何でも話せる親友である。
八木さんは語る。「先生方は、幼い私たちの未来まで見据えて、強く生きるための指針を送ってくれていたのだと感じます」
池田先生は語っている。「この幼稚園からは一人も不幸な人を出さない」と。その信念を「わが決意」とする教員の声だからこそ、その言葉が光となって、子どもたちの未来を照らしていくのだろう。
3月、札幌創価幼稚園に、卒園の歌「ずっと ともだち」が誕生した。離れていても心は一つ。僕も、私も、太陽の子。だから、皆を照らしていける――歌詞には、そうした園児の心が表現された。最後は、池田先生の言葉で結ばれている。「いつまでも ここがこころのふるさと」と。

近年、日本の教育現場では、「愛校心」を育てる授業が重視されている。その一例が「自校教育」の推進だ。それぞれの大学が授業の中で、自らの建学の精神や大学史、社会的使命などを学生に教えている。
それによって、大学への愛着や誇りが芽生え、研究や課外活動、社会貢献への意欲向上につながり、それが後輩の良き手本になるという好循環をもたらすという。
母校のことを知るのは簡単だ。しかし、母校愛は、一朝一夕に深まるものではない。創価学園では、約半世紀にわたり、母校愛を育む教育に力を注いできた。その推進役を担ったのは、池田先生である。
先生は、「真の優等生とは、『母校を愛し続ける人』」との理念を掲げ、学園生に校訓、モットー、五原則、合言葉などを贈り、小説『新・人間革命』などでは、学園創立の淵源を示してきた。
さらに先生は、生徒たちと共に、建学の精神を刻む校歌や愛唱歌も作ってきた。学園生の「母校愛」は、こうした池田先生の人間教育の中で育まれてきたのである。
これまで、創価学園の卒業生は、さまざまな形で、母校への貢献を重ねてきた。
受験相談に乗る人、クラブの後輩に技術を教える人、委員会の後輩を激励する人、寮生・下宿生の後輩を支援する人、定期的に学園の校舎を清掃している人もいる。
また、学園に寄付や記念品等を寄贈する卒業生もいる。毎年のように、教育ソフトやクラブの備品などが贈られてきた。寮生・下宿生には、少しでも長い時間、郷里の両親に電話をさせてあげたいと、「テレホンカード」が贈られたことも。ハンバーガーやカップラーメン、お菓子が届くこともある。図書委員会の出身者の中には、毎年、図書の寄贈を続けている人もいる。
また、東西の創価学園出身者による母校への寄付金は、「鳳雛奨学金」として、後輩をサポートしている。学園生の日常を支える"物"の中には、卒業生の真心が詰まった品が多くあるのだ。
また、東西学園の各校では、卒業生らによる"講演会"が、毎年、定期的に開催されている。これは、多職種で活躍する方々を講師に招き、夢を実現した軌跡や仕事の魅力を話してもらうものだ。
また、各校では、毎年、定期的に"キャリアガイダンス"も実施している。多分野に進出した数十人ほどの卒業生が、生徒との懇談や進路相談に乗るもの。そのほか、アメリカ創価大学に進学した卒業生らによる受験相談の場も設けられている。
懇談に参加した生徒たちは、「先輩方のように、私も夢を実現し、学園に帰って来て、後輩をサポートしたい」と感想を。帰校した卒業生たちは、「毎年、学園に帰って来る日を目標にして、仕事で成果を出そうと努力しています」と。学園生も卒業生も、母校を「決意と成長の基点」として、自身の課題と向き合っている。

1990年7月17日、東京・創価学園の第23回「栄光祭」が開かれた。池田先生は、百年戦争で、イギリス軍に包囲されたフランスの港町カレーを救った英雄サンピエールの信念に触れ、学園生にこう語った。
「この学園も、ひとつの、人類のための"幸福の港"である。大切な、この宝の港を断じて守り抜かねばならない。悪に蹂躙されてはならない。権威に利用されてもならない。人類のため、正義のために」
開校以来、どんな時も、"慈父"のように、学園生を信じ、支え、励ましてきた創立者・池田先生。その思いを受け継いだ卒業生たちは、"兄""姉"のように、愛する後輩たちの成長を見守っている。
創立50周年の「誉れの学園」。池田先生と心を一つに、母校を守り抜く「英雄たち」がいるかぎり、創価学園は永遠に発展していく――。

◇池田先生の指針
母校には、人生の原点がある。
母校への誇りは自身の人生への誇りでもある。
本当の優等生とは、一生涯、母校を愛し、同窓の友を大切にする人だ。
ケンブリッジ、オックスフォードという、イギリスを代表する両大学の偉大さは、単に多くのノーベル賞受賞者や国家の指導者を出したことにあるのではない。真の偉大さは、そこに学んだ者に、生涯にわたる誇りを育んだことだ。
そして、その誇りとは、自分こそが大学自体であり、母校の栄光を担いゆくのだとの自覚である。〈『新・人間革命』「対話」の章〉

2017年6月22日木曜日

2017.06.22 わが友に贈る

本陣の壮年部よ
共に男らしい戦いを!
さあ打って出よう!
勇気凛々と恐れなく
わが最高峰に挑め

上野殿御返事 P1554
『夫れ海辺には木を財とし山中には塩を財とす、旱魃には水を財とし闇中には灯を財とし女人は夫を財とし夫は女人を命とし王は民を親とし民は食を天とす』

☆女性に贈ることば 六月二十二日
苦労のない人生はどこにもない。行動しなければ、いつまでたっても、幸福はやって来ない。現実は厳しいに決まっている。
ゆえに、その現実に翻弄されるのではなく、進んで現実に挑み、生命の鍛錬の場としていくのだ。

☆今日のことば365 六月二十二日
いかなる時代の推移、動乱にも、自己の信念を曲げず、一直線に貫き通す人は、まことに尊いといえよう。時代は流れる。人の心も動いていく。

☆御書と歩む 第68回 「信」強き行動の知性たれ 2017年6月18日
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり信は智慧の種なり』(御義口伝、725ページ)

◇通解
いま日蓮と弟子檀那が南無妙法蓮華経と信じ唱えるが故に、自ずから求めずして、これ以上ない大宝珠を得るのである。信は智慧の種である。

◇同志への指針
今日の世界広布を築いたのは誰か。悪口罵詈にも怯まず、大法弘通に生き抜いてきた無名の庶民である。
部結成60周年を迎える地涌の学徒は、この民衆凱歌の尊き信仰の真髄を誇り高く受け継いでいただきたい。
わが後継の学生部よ、勇気凜々と「立正安国」の対話に打って出るのだ。祈り学び、走り語り、普賢の知性をいよいよ光らせてくれ給え!

☆希望航路―池田先生と進む人生旅― アメリカ・サンフランシスコ(2) 2017年6月13日
◇広布と社会の中核に
サンフランシスコからベイブリッジを渡ると、バークレー市に至る。同市には、ハーバード大学などと並び称される、名門・カリフォルニア大学バークレー校がある。
1974年(昭和49年)3月8日。3度目のサンフランシスコ訪問の折、池田先生は同校を公式訪問し、ボウカー総長と約1時間にわたって会見。21世紀の大学像などを語り合ったほか、日本とアメリカの友好促進にと、同校に2000冊の図書を贈呈した。
会見に臨む前、先生はキャンパス内で2人の学生部員と会っている。その一人が、美術大学に通うカーラ・ゲルバウムさん(圏副婦人部長)だった。
あいさつを済ませ、立ち去ろうと思っていたゲルバウムさん。だが先生は、約30分間、2人と懇談し、激励してくれた。
その日の感動は、昨日のことのように、ゲルバウムさんの胸に刻まれている。
彼女たちが大学4年生だったことから、先生は数カ月後に控えた卒業を祝し、「大きな夢を抱いて頑張ってください」と励ましを。さらに「今日、ここに来たのは、皆さんにお会いするためです」と語った。
そして翌日、「親愛なるカーラさんへ 生涯、幸福で。卒業おめでとう」と英語でしたためたカードを、記念の品と一緒に贈った。
授業に苦戦していたゲルバウムさんだったが、この先生の激励に奮起し、その年、見事に卒業を果たした。
その後、美術系の修士号を取得し、競争の激しい美術の世界でキャリアを積んだ。6年前には自宅にスタジオを構え、現代美術家として、日々、カンバスに向かう。
経済苦や最愛の母の死など、数々の苦難を信仰で乗り越えた。それらは今、"人生のカンバス"を彩る体験に変わった。
その全ての前進の原動力こそ、1974年の激励だった。
夫のマーティンさん(副本部長)も、この年、池田先生と出会いを結んだ。3月9日、デイリーシティーに誕生した、サンフランシスコ・コミュニティー・センター(当時)の開所式の折である。
「先生は後方の扉から勤行会場に入られ、メンバー一人一人を激励されました。目立たぬ場所にいる同志を見逃さない、深い慈愛を感じました」
マーティンさんは、大学を中退し、皿洗いのアルバイトをして生活していた。心の隅に抱いていた劣等感を、師との出会いが吹き飛ばした。「職場で必要とされる人材になり、自分を信じてくれる先生にお応えしようと決めました」
その決意を胸に、誰よりも真剣に、アルバイトに精を出した。やがて復学も果たし、82年に大学を卒業。
国立研究所に職を得て、30年以上働いた。その間、同研究所からはノーベル賞受賞者も誕生している。
マーティンさんは語る。「大学に戻ることも、これほど名誉な仕事に就くことも、以前は想像できなかった。師匠に誓いを立てた瞬間に、一切の歯車が動き始めました」

コミュニティー・センターの開所式の後、先生は男女青年部の代表40人と懇談の場を持った。
席上、社会に仏法を開きゆくための指針として、以下の点などを示した。
教学を深める。
広宣流布のための出版活動を推進する。
広布と社会の中核に育つ。
不退の信心を貫く。
そして、その場に集ったメンバーを「ウィズダム(英知)グループ」と命名したのである。
その一人、サンディー・ホウさん(地区副婦人部長)は当時、入会して3年。「グループ結成が発表された瞬間、皆が歓喜に沸きました」
だが、彼女には疑問もあった。当時、新しい仕事を始めたばかりで、経済苦に悩んでいた。そんな自分でも、「英知」の名にふさわしいのだろうか……。
彼女の心の雲を払うように、激励を続ける先生。限りない期待を込め、ピアノ演奏を披露していた時である。途中で演奏の手を止めた先生は、青年たちにこう語った。
――皆さんも、ピアノを弾ければ素晴らしいが、弾けない人は、そんな余裕もないほど学会活動に打ち込んでいる証拠です。
しかし、ピアノを弾く余裕を持ち、なおかつ広布の活動にも人一倍、励むことができれば、それも望ましいのではないか――
こうしてユーモアを交えつつ、先生は「自分にしかできない何かを持ち、自分らしさを備えた一人一人になっていただきたい」と訴えた。
ホウさんは言う。
「人の生き方は桜梅桃李であり、さまざまな角度から物事を見る大切さを、先生は教えてくださったのだと思います。人と比べるのではなく、信仰で自分らしさを磨くことで、聡明な人生が送れるのだと実感しました」
広布に人生をささげて46年。育った国や文化の異なる同志と、共に学会活動に励む中、視野が広がるのを感じた。悩みの種だった仕事では、郡庁舎の職員に採用され、人生もまた大きく開いた。

ビル・ハーパーさん(支部メンバーケア・アドバイザー)も、ウィズダムグループの一員だ。
「ピアノ演奏の際の先生の指導を、私は、"仕事も、広布の活動も、全てをやり切ることが重要である"と受け止めました」
貧しい家庭で育ったハーパーさん。人生の羅針盤となる哲学を求めて、72年に入会。その3週間後、病院で救急救命士としての職を得たことに、初信の功徳を実感した。
その後は営業職に転じ、全米トップクラスの業績を上げた。95年には金融業の会社を設立。順風満帆だった。
試練が襲ったのは、2007年。突然の発作で倒れ、1週間、昏睡状態が続いたのである。一命は取り留めたものの、筋力や視力は衰弱し、数年間の休養を余儀なくされた。働くことのできない自分に、心が沈んだ。
それでも、同志の励ましに支えられ、仕事の再開にこぎ着けた。苦闘を重ね、今では、以前を超える業績を上げるまでになった。
なぜ、乗り越えることができたのか。
「1974年の先生の指針の通りに、御書を拝して自らを奮い立たせました。病気のおかげで『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』(御書234ページ)との一節を身で読むことができた。宝の体験です」

ウィズダムグループとして結成された友は、91年、グループで最初の総会を開いた。以降も折あるごとに集い、ともどもに誓いを新たにしてきた。
今、当時の青年たちは、壮年部・婦人部のリーダーに。広布と社会の中核を担う。そして、彼らが開いた広布の航路には、新時代の若人が続く。

2017年6月21日水曜日

2017.06.21 わが友に贈る

広布に生きる人生は
毎日が新しい出発なり。
前進だ! 挑戦だ!
「今」この瞬間から
みずみずしい決意で!

新池御書 P1444
『何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり』

☆女性に贈ることば 六月二十一日
人間関係には、その人の境涯が表れる。人間関係を広げることは、境涯を広げることに通じる。

☆今日のことば365 六月二十一日
人を身なりで判断しては決してならない。その人が、将来どうなるか、どんな使命を持った人か、身なりなんかで絶対に判断がつくはずがない。家や、身なりで人を判断することだけは、してはいけない。

☆生老病死を見つめて 悔いなき日々を 2017年6月17日
◇「臨終只今」の心で、きょうも広布へ
連載「生老病死を見つめて」では、創価学会員が信心根本に、生老病死という「四苦」を乗り越えてつかんだ信仰の確信と仏法の哲理を紹介する。今回は24歳の娘を亡くした壮年の体験を通して考察したい。

◇心に刻む御聖訓
百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ(崇峻天皇御書、1173ページ)

◇突然の「末期がん」の宣告
御書には「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を『是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣』と説かれて候」(1337ページ)とある。かつて池田先生は、この御文を通して次のように語った。
「『所詮臨終只今』ということは、只今に全生命をかけていくということにほかならない。日々を懸命に生きていく、広宣流布に、一生成仏に、我が生命を燃焼させながら、戦い抜いていくということであります」と。
今、この時を、力の限り悔いなく生き抜く――。岡山池田総県総合長の長江章行さん(61)は、この決意で学会活動に奔走している。脳裏には、今は亡き長女・章子さんの面影が鮮やかに残っている。
◇ ◆ ◇
岡山県総社市で生まれ育った長江さんは2歳で家族と共に入会。幼い頃から学会の庭で育ち、男子部として薫陶を受けてきた。1980年(昭和55年)には妻・信江さん(61)=圏副婦人部長=を折伏して結婚し、その後、1男1女に恵まれる。青年部時代、また壮年部に移行後も広布の第一線で戦ってきた長江さんだったが、2006年(平成18年)4月、突然の試練に襲われた。長女・章子さんが末期の肝臓がんとの宣告を受けたのである。章子さんは当時24歳だった。
長江さんは語る。
「『腰が痛い』と言っていた娘が病院で診断を受けたところ、肝臓にピンポン球のようながんが二つあることが分かりました。がんは末期で、大腸と肺にも転移しており、手術は不可能とのこと。医者からは『もって2カ月』と言われました」
病の宣告を受けた長江さん夫妻は、その晩、意を決して章子さんに病状を伝えた。妻・信江さんが振り返る。
「章子は大きなショックを受けていましたが、すぐに病魔と闘う決意を固めたようでした。仲の良い友達に、がんが見つかったことを伝え、『絶対に病気に負けないから!』と力強く語っていました。その姿に触れて、私たち夫婦も"必ず宿命転換しよう!"と決意しました」

◇わが使命を果たしたい!
――章子さんは地元・岡山の高校から、創価女子短期大学に16期生として入学。鍛えの日々を送り、卒業後は地元・岡山の信用金庫に同短大卒業生として初めて採用された。
入行以来、章子さんの営業成績は常にトップで、「後輩のために道を開きたい」と奮闘してきた。職場での面倒見もよく、将来を嘱望されていたという。
学会の庭では女子部本部長、白蓮グループの県委員長として仕事と活動の両立に挑戦。未来部員の励ましにも足しげく通っていた。
病が判明してから、章子さんはすぐに入院し、抗がん剤治療を受けた。だが、治療の効果は現れず、同年7月下旬には、医者から「できる限りのことはしましたが、状況が厳しくなりました。もっても、残り1週間ほどだと思います」と告げられる。
「医者も一度はさじを投げました。しかし、章子は"自分の使命を果たしたい"と、電話で友人と対話し、聖教新聞の購読も推進しました。ある時、『どうしても折伏したい人がいる』と言って、勤め先の同僚を病室に呼んで仏法対話をしました。その同僚は入会を決意し、御本尊を受持することができました」(長江さん)
この間、奇跡的にがん細胞の数値が下がり、章子さんは別の病院で、再び抗がん剤治療を受け始めた。9月になると、がん細胞が徐々に死滅し、治療の効果が現れ始める。だが、抗がん剤の影響で章子さんの体の抵抗力は落ち、体力的にもギリギリの状態になっていた。
06年10月13日の夜、病室で章子さんと一緒に勤行をした信江さんは、「さあ、寝ようか。頑張って使命を果たそうよ!」と声を掛けた。章子さんは、笑顔で「はい!」と返事をすると、そのまま意識を失って倒れた。
2日後の10月15日、家族に見守られながら、章子さんは眠るように静かに息を引き取った。病気の判明からわずか6カ月半。享年24歳だった。
「病気が分かった時、医者から『激しい痛みに苦しむことになる』と言われましたが、章子は最期まで苦しむこともなく亡くなりました。その姿や臨終の相に接して、成仏を確信できました」(信江さん)

◇友に励ましを送り続ける
長江さん夫妻にとって、章子さんを失った衝撃は大きかった。
「あまりにも早い別れと、壮絶な闘病生活に、しばらく現実を受け入れられませんでした。ただ、本当に多くの同志が闘病中をはじめ、娘が亡くなった後も励ましてくれ、心から感謝しています」(長江さん)
長江さん夫妻は、章子さんが亡くなってから、あらためて知ったことがある。それは、章子さんが多くの人を励まし続けていたという事実である。
弔問に来た学会の同志や会社の同僚から、「章子さんの励ましに支えられた」「勇気づけられた」という話を何度も聞いた。また、「章子さんの笑顔が忘れられない」という声も多数あった。
「臨終只今」――師から学んだこの生き方を、章子さんは、病を得る前から、そして、闘病の中にあっては、なおさら強く貫いて生きた。
その生命は、両親の胸中に生き続けている。
信江さんは言う。
「娘を失った悲しみは筆舌に尽くしがたいものでした。でも、章子が白蓮グループとして、常に笑顔で会館に着任していたことを思い出し、私も会館に行く時は笑顔になろうと決意し、涙をぬぐってきました」
長江さんも、章子さんの在りし日の思い出を聞かされるたびに、「娘に負けない人生を生きよう!」と自身を奮い立たせたという。そして、「百二十歳まで長生きしても悪い評判を残して一生を終わるよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である」(御書1173ページ)との「崇峻天皇御書」の一節を何度も拝して御本尊に祈り、地域広布に走り抜いてきた。
長江さんは語る。
「最期まで戦い抜いた章子の姿から、私たち夫婦が学んだことは、一日一日を大切に生き抜くということです。病魔との闘いで、章子も怯んだり、負けそうになったりしたことがあったと思います。それでも、決して諦めずに戦い続けた娘を誇りに思います。私たち夫婦も娘に負けないように、さらに多くの人に励ましを送り、自他共の幸福のために生き抜いていきます」

◇取材メモ
長女・章子さんが亡くなって4カ月後の2007年(平成19年)2月、池田先生から長江さん夫妻に一首の和歌が届けられた。その脇書きには、「ご夫妻共に/断じて負けないで/最愛の娘は必ず環ってくる/仏法の方程式を信じて/娘に叱られないように/大勝利の人生を!」と、したためられていた。
「葬儀などでも決して泣きませんでしたが、この時ばかりは池田先生の真心に号泣しました。同時に、三世の生命観の上から『章子は必ず生まれ変わってくる』と心から確信することができ、"娘の分まで広布に生き抜こう"という腹が決まりました」
その後、長江さんは県長・総県長を8年にわたり務めたが、この間、折に触れて章子さんの闘病の様子を語り、同志に「負けない信心」の大切さを訴えてきた。
長江さん自身、娘を失った悲しみは今もある。だが、それ以上に、病魔と闘い、使命に生き抜いた娘を誇りに思う。だからこそ、「章子に負けないように!」との決意で、きょうも広布に走り抜いている。(秀)

2017年6月20日火曜日

2017.06.20 わが友に贈る

「がうじゃうにはがみを
してたゆむ心なかれ」
いかなる難にも恐れるな!
破邪顕正の宝剣で
悪意のデマを断ち切れ!

四条金吾殿御返事 P1169
『剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり』

☆女性に贈ることば 六月二十日
子どもが本当に悩んでいる時に、両親がちぐはぐきとを言っては、子どもが迷ってしまう。
夫婦の連携と心構えが大切です。子どもの話をよく問いてあげて、心から安心できるようにしてあげたいものです。

☆今日のことば365 六月二十日
大成は、小成の延長なり。小成の連続が、大成の一歩と自覚せねばならぬ。勝利は、現在の一歩一歩を、忍耐と建設によってのみ、達成できるものだ。

☆この一節を胸に行学に励む 使命の自覚 2017年6月13日
◇自他共の幸福のために勇んで正法を語り抜く
池田先生は、「使命の自覚は、人に力を与え、勇気を与え、元気を与える。使命に生き抜く時、人間は最も輝きを放つのである」と、つづられています。今回は、広布に生き抜く「使命の自覚」について確認します。

〈Q〉自分に自信が持てず悩んでいます。
〈A〉仏法では、一人一人が「かけがえのない存在」と説かれています。
末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり(阿仏房御書、御書1304ページ)

末法において妙法を持った私たちが、いかなる存在か――。日蓮大聖人は弟子の阿仏房に送られたお手紙で、次のように仰せです。
「末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もしそうであれば、身分の貴さや賤しさ、立場の上と下は関係なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身が宝塔であり、また、その人自身が多宝如来なのである」(御書1304ページ、通解)
「宝塔」とは、法華経に説かれた、金、銀、瑠璃など、七宝をもって飾られた壮大な塔のこと。多宝如来とは、法華経こそ万人成仏が説かれた真実の教えであることを証明(保証)する仏です。大聖人は、この巨大な宝塔が「法華経を持つ男女の・すがた」の偉大さを説いたものにほかならない、と教えられています。
すなわち、現実の世界で日々苦闘する生身の人間が、信心に励むことによって、そのままの姿で妙法の当体、すなわち宝塔として光り輝き、多宝如来として真の仏法の偉大さを証明していけると、断言されているのです。
こうした大聖人の温かな励ましは、阿仏房自身の使命の自覚を促したことでしょう。

〈Q〉「地涌の菩薩」とは誰のことですか?
〈A〉末法において、妙法を弘める私たち学会員のことです。
いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか(諸法実相抄、御書1360ページ)

法華経において釈尊が、滅後の弘通を託したのが「地涌の菩薩」です。
御書には、「なんとしてもこのたびは、信心を貫いて、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか」(1360ページ、通解)とあります。
末法において、日蓮大聖人と同じ心で広宣流布にまい進する同志は、皆、尊き使命をもった「地涌の菩薩」である、と大聖人は仰せです。私たちは、深き使命を持った一人一人なのです。
創価学会にとっての「地涌の使命」の自覚――。それは、第2代会長の戸田城聖先生が、戦時中に正義の信念を貫いて投獄され、獄中にあって"われ地涌の菩薩なり"と悟達したことにあります。
戸田先生は、亡き牧口常三郎先生の遺志を胸に出獄し、広布に一人立たれました。そして、75万世帯の弘教を達成されたのです。
池田先生は、この事実を通して、次のようにつづられています。「"地涌の使命"とは、広宣流布だ! 自他共の幸せのために、勇んで大正法を語りに語り抜いていくのだ。苦難と絶望の淵から雄々しく立ち上がり、人間蘇生の大ドラマを演じ、仏法の偉大なる功力を証明するのだ」

〈Q〉どうすれば広布の人材に成長していけますか?
〈A〉自身の使命を自覚し、日々の課題に挑戦していくことです。
かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり(寂日房御書、御書903ページ)

御書には、「このような日蓮の弟子檀那となろうとする人々は、宿縁が深いと思って日蓮と同じく法華経を弘めるべきである」(903ページ、通解)とあります。
日蓮大聖人は、門下の一人一人に、大聖人との宿縁を自覚し、大聖人と同じく法華経を弘めるべきであると教えられています。広布に生き抜く中でこそ、自身の使命を果たしていくことができるのです。
池田先生は、広布の人材として成長するための要諦として、「使命の自覚」を挙げられています。
「人材として大成していくうえで、最も重要なことは、使命に目覚めることではないでしょうか。私たちには、地涌の菩薩として、すべての人を幸福にし、世界の平和を築く、広宣流布という大使命があります。何よりも、その根本的な使命感に立つことが、自分の力を伸ばしていく最大の道である」と。
使命を自覚した一人一人が、自らの人生の目標を定め、日々の課題に挑戦していく時、大きく自身の境涯を開くことができます。また、使命の自覚は、困難にも屈しない強い心を育んでいきます。
わが使命を自覚し、向上心と忍耐で進む中に、自身の成長もある――。こう確信して、日々、前進していきましょう。

〈智慧の扉〉 「願兼於業」とは
法華経法師品には、悪世で苦しむ人々を救うために、菩薩が願って悪世に生まれると説かれています。
これを「願兼於業(願いが業を兼ねる)」といいます。
この言葉の意味は、衆生を救済しようとする願いの力によって、本来、安住の境涯に生まれることができるところを、あえて悪世に生まれる、ということです。
この「願兼於業」の法理をふまえた生き方を、池田先生は「宿命を使命に変える」と分かりやすく示しています。創価学会員は宿命転換の戦いを通して、仏法の偉大さを証明しているのです。

2017年6月19日月曜日

2017.06.19 わが友に贈る

◇今週のことば
「一度も退く心なし」
大聖人直結の勇気で
祈り抜き、走り切ろう!
「水魚の思」の同志と
励まし合いながら!
2017年6月19日

諸法実相抄 P1359
『されば余りに人の我をほむる時は如何様にもなりたき意の出来し候なり、是ほむる処の言よりをこり候ぞかし』

☆女性に贈ることば 六月十九日
生きる歓びをもてる人は、幸福の女王である。
生きる歓びを見いだせる人は、魂の勝利者である。

☆今日のことば365 六月十九日
読書は、根気のいる労働です。一冊の本を、最初から、最後まで読みとおすことは、忍耐が必要です。しかし、人間にとって大事な、ものの考え方や、心の動きは、じっくり本を読むことによってこそ、学びとることができるのです。

☆随筆永遠なれ創価の大城 第21回 大東京に凱歌の朝 2017年6月17日
◇「いまだこりず候」と今日も前へ! 感激の同志と綴る誉れの歴史は不滅
戸田先生と私との師弟の語らいは、常に御書と共にあった。
一九五七年(昭和三十二年)の七月、「大阪事件」の渦中、関西本部で先生と拝した一節がある。
「今の世間を見るに人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(御書九一七ページ)
先生は、私と一緒に難に立ち向かってくれた関西の同志を讃えられ、「これで、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げた」と微笑まれた。
私は申し上げた。
「『いまだこりず候』――この仰せ通り、いよいよ強く朗らかに、民衆の正義の大連帯を拡大してみせます。どうか、ご安心ください」と(御文は御書一〇五六ページ)。
東京に舞い戻り、私は直ちに常勝不敗の"東の錦州城"を築き始めた。けなげな宝友たちが、私と同じ不屈の闘魂で、汗を流し戦ってくれた。
それが、愛する庶民の都・荒川であったのだ。

◇牧口先生と郷土
以来六十年となる、この六月六日、私は懐かしい荒川へ向かった。西日暮里、町屋へと進み、わが友が模範の近隣友好を進める商店街の賑わいも、うれしく拝見した。
牧口先生の生誕百四十六周年の日であり、荒川文化会館では、先師の遺徳を偲び、懇ろに勤行をさせていただいた。
思えば、牧口先生の故郷は新潟の荒浜(現・柏崎市内)。荒川と同じ「荒」の字を含むことに、不思議な縁を感じる。
先生は大著『人生地理学』において、郷土こそ「自己の立脚地点」なりと着目なされている。人が長じて国家、世界で活動しゆく"源の力"が郷土であるとされ、その大恩に報いていくべきことを強調されたのである。
先生ご自身が、身近な縁を大事にされていた。同郷の集い「東京荒浜協会」の会長も務め、後輩たちに尽くされている。一九二八年(昭和三年)七月に、現在の東京・調布にあった京王閣で総会を開き、会長として挨拶されたことは、郷土の新聞でも報じられた。
それは、牧口先生が、日蓮大聖人の仏法と巡り合われた直後であった。
六月に先生は、豊島の池袋に住む紹介者のもとへ約十日間、通われた。そして五十七歳のこの年、日蓮仏法の実践を開始された。以来、ここ大東京を本陣として、広宣流布の対話の波を起こし、仏縁を広げ抜いていかれたのだ。
まさに、「仏種は縁に従って起る」(御書一四六七ページ)である。
東京中に留められた先師と恩師の足跡に思いを馳せつつ、私は荒川からの帰り道、思い出深き足立を回り、さらに隅田川沿いに進んだ。
葛飾、墨田、台東、江東など、いずこも共戦の地涌の友らが走る街並みに題目を送りながら!

◇人生勝利の要諦
日蓮大聖人は、大難の佐渡で綴られた。
「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」(同一三五七ページ)
この御文を拝し、戸田先生は「法華経の行者」たる私たちの広布と人生の勝利の要諦を教えてくださった。
第一に「信心に退転無く」である。「進まざるは退転」という。題目で元初の太陽を昇らせ、勇敢に、弛まず前へ進むのだ。
第二に「身に詐親無く」とは、自らの行動にウソ偽りがないことだ。誰人にも誠実を貫き、真実を語り切る。それが仏の慈悲に通ずるのだ。
第三に、「一切法華経に其の身を任せて」いくことである。何があろうとも、全てを御本尊への祈りに入れて、一つ一つ勝ち切っていくのだ。「法華経に勝る兵法なし」である。
最後に、「金言の如く修行」である。如説修行であり、「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同五〇二ページ)と、折伏精神を燃やして打って出るのだ。
創価学会は、この通りに戦ってきたからこそ、「勝妙の大果報」を得て、世界広宣流布の大願成就へ大前進してくることができたのだ。

◇師弟共戦で勝つ
わが故郷であり、創価の源流である東京――。
牧口先生と戸田先生は暴走する国家主義と対峙し、共に巣鴨の牢獄に囚われ、先師は殉教された。
恩師は敗戦直前に移送された中野の獄舎から出獄し、戦後の焼け野原にただ一人立ち、「妙法流布の大願」を高く掲げられたのである。
学会再建への第一歩を踏み出したのは、目黒駅の近く、品川の上大崎に借りた事務所からであった。戦前に創価教育学を実践した時習学館があった地域でもある。
私は大田で、この師と出会い、立正安国の戦いを起こした。
東京には、仏意仏勅の教団たる学会の指揮を、三代の師弟が厳然と執ってきた不滅の歴史がある。それがゆえに、常に、障魔の嵐は我が東京に襲い掛かってきた。
だが我らは、師と共に、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同一四四八ページ)と胸張り、全ての強敵に打ち勝ってきた。
師と同じ誓願、師と同じ責任感、そして師と同じ威光と勢力で、万年の創価の勝利を決するのが、本陣東京の永遠の誇り高き使命なのである。
「東京は強い根っこだ。東京は徹して断じて強くあろうよ」と、東京・北区の十条で語り合った思い出がある。一九七九年(昭和五十四年)の七月のことだ。
偉大な婦人部の献身に感謝を込め、東京の歌「ああ感激の同志あり」を、皆で声高らかに歌った。
「感激の同志」との異体同心の前進ある限り、感激の逆転劇を必ず創っていける。師弟誓願の魂が燃える大東京は明るく、底抜けに朗らかだ。今こそ、創価家族の模範の団結で進むのだ。
わが新宿・信濃町には、広宣流布大誓堂が、威風堂々と聳え立つ。
時折しも、二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピック会場は、間近で建設されている。
今、この時、世界広布の本陣で戦う我らには、どれだけ大きい使命があることか。計り知れない宿福深厚の人生を歩んでいるのである。

◇青年が立つ時だ
六月から七月へ、学会は燃え上がる「青年」の勢いで進む。それが創価の栄えある伝統である。
六月三十日には、男女学生部が結成六十周年の佳節を迎える。英知と智慧の若き諸君が、民衆勝利という父母の願いを胸に、希望の突破口を開いてくれていることを、私はよく知っている。
さらに七月十一日は、わが後継の闘将・男子部の結成の日。
七月十九日は、平和と幸福の門を開く女子部の結成の日――。いずれも六十六周年の節を刻む。直前の八日は、「白蓮グループの日」でもある。
青年が立つ時だ。青年が戦い勝つ時だ。
君よ、貴女よ、新時代の地涌の若人たちよ、創価の完勝を担いゆけ!

◇夜明けが来た!
今、何よりも有り難いことは、尊き多宝の父母が学会精神を満々と漲らせ、意気軒昂に奮闘してくれていることだ。
「肉体は老いても、精神の若い老人がいる」
これは、戸田先生が「妙悟空」の筆名で執筆された小説『人間革命』の一節である。
私はこの一書を恩師より直接、賜った。
六十年前(一九五七年)の七月三日――恩師の「出獄の日」より十二年。奇しくも私の「入獄の日」のことであった。
「夕張炭労事件」を皆で勝ち越えた北海道から、大阪に向かう途中、羽田空港で飛行機を乗り換える待ち時間である。
この折、権力の魔性が牙をむく「大阪事件」の嵐に突き進む私に、文京支部の婦人リーダーが必死の声で言った。
「同志へのご伝言を!」
私は一言、贈った。
「『夜明けが来た』と伝えてください」
獄中闘争は、約二週間に及んだ。七月十七日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、私は烈々と訴えた。
――最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!
この師子の確信を、今、二十一世紀の後継の直弟子が、厳然と受け継いでくれている。
いかに困難が立ち塞がろうが、最後は勝つ。断じて勝つ!
これが我ら創価の信念であり、誓願であり、本懐なのだ。
さあ、いよいよ世界広布新時代の本門の「夜明け」が来た!
師弟の日「七月三日」の晴れやかな凱歌の朝を共に! 歓喜と感激の同志と万歳を共々に!

後継の
 元初の生命よ
  勝ち昇れ
 万年照らす
  凱歌の朝に

2017.06.18 わが友に贈る

「声仏事を為す」だ。
誠意を尽くした言葉は
友の心に必ず届く!
勇敢なる正義の叫びが
地域の繁栄を築く!

同一鹹味御書 P1447
夫れ味に六種あり一には淡二には鹹三には辛四には酸五には甘六には苦なり、百味の・膳を調ふといへども一つの鹹の味なければ大王の膳とならず、山海の珍物も鹹なければ気味なし

☆女性に贈ることば 六月十八日
「相対的幸福」とは、経済的な豊かさや社会的な地位など、自分の外の世界から得られる幸福である。それは、ひとたび環境や条件が変われば、いともたやすく崩れ去ってしまうものだ。
それに対して、「絶対的幸福」とは、いかなる困難や試練にも負けることなく、生きていること自体が楽しくて仕方ないという境涯の確立である。

☆今日のことば365 六月十八日
才能には限りがある。運、不運も重要な鍵になってくる。賢者必ずしも、成功者になれるとは限らぬ。愚かそうに見える人が、また思いもよらぬ大成をなすこともある。

☆池田先生がジャパンタイムズに寄稿 2017年6月14日
◇市民社会の声を反映させ核兵器禁止条約の成立を
アメリカ・ニューヨークの国連本部で明15日から始まる核兵器禁止条約交渉会議の第2会期に向けて、池田先生は6日付の英字紙「ジャパンタイムズ」に「禁止条約は核兵器のない世界へ可能性を開く」と題し、寄稿した。ジャパンタイムズ紙の了承を得て、日本語の全文を掲載する。

核兵器禁止条約の締結に向け、正念場となる交渉会議の第2会期が、今月15日からニューヨークの国連本部で始まる。
3月末の第1会期には、加盟国の3分の2に及ぶ130カ国近くが参加し、市民社会の代表も交えて活発な討議が行われた。
人類と地球の生態系を壊滅の危機にさらす核兵器――。その脅威は一向に解消されず、むしろ増幅しかねない方向に向かいつつある。交渉会議は、こうした状況の根本的な打開を目指すものだ。
「私たちヒバクシャは、核兵器禁止条約は世界を変革できるものであり、変革しゆくものであるという点について、少しの疑いも抱いていない」
第1会期での被爆者のこの発言に対し、会場でしばし拍手が鳴りやまなかったように、それは、国家の違いという垣根を超えて多くの参加者に共通する思いでもあるといえよう。
先月22日には、交渉会議の議長から禁止条約の草案が発表された。核兵器が引き起こす壊滅的な人道的結末を深く憂慮し、核兵器の使用はもとより、保有や開発などを広く禁じる内容となっている。
前文には、「核兵器の犠牲者(ヒバクシャ)や核兵器実験による被害者の苦痛に留意する」との一節も盛り込まれた。
"二度と惨劇を繰り返してはならない!"という世界のヒバクシャの強い思いが、条約の精神を刻む前文に掲げられたのだ。
核兵器と核兵器が対峙する状態は、あくまで時代状況の中でつくり出されたものであって、国際社会において絶対に動かすことができない"所与の条件"などではないはずだ。
事実、これまで非核地帯が次々と設立される中、110以上の国々が核兵器に依存しない安全保障の道を選び取ってきた。その中には、一時は核開発を模索しながらも放棄した国も少なくない。
"核兵器による安全保障"とは、広島と長崎での惨劇が他国で繰り返されてもやむを得ないとの前提に立った、極めて非人道的な安全保障観に他ならないという本質と向き合う必要がある。
残念ながら、第1会期の討議には、核保有国をはじめ、日本を含む大半の核依存国が参加しなかった。
しかし禁止条約の草案に記された、核兵器による壊滅的な人道的結末への深い懸念は、2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書において全会一致で示された通り、核保有国や核依存国を含め、今やどの国にも共有されているものだ。
この共通認識に基づき、NPTの全加盟国が「核兵器のない世界という目的に完全に合致した政策を追求する」と明確に誓約したことを、第2会期での討議の土台に据えて、さらに多くの国が交渉の輪に加わる中で、核兵器禁止条約の具体的な条文として結晶させることを、私は強く呼び掛けたい。
そこで重要な鍵を握るのは、核依存国の参加である。中でも、唯一の戦争被爆国である日本が果たすべき役割は大きい。
昨年4月、広島で行われたG7(主要7カ国)外相会合で、日本は他の核保有国や核依存国と共同して、「我々は、核兵器は二度と使われてはならないという広島及び長崎の人々の心からの強い願いを共にしている」との宣言を世界に発信した。この宣言を胸に、日本は今こそ交渉会議への参加に踏み切るべきだ。
広島と長崎の強い願い――。そこには、"どの国も核攻撃の対象にしてはならない"との思いとともに、"どの国も核攻撃に踏み切らせてはならない"との思いが脈打っている。核兵器禁止条約は、それを人類共通の規範として打ち立てるもので、日本の使命は、その実現のために最大の努力を払うことにあるといってよい。
核兵器が地球上に存在し続ける限り、かつてのキューバ危機のような一触即発の事態が生じる恐れは消え去ることはない。
「大量殲滅の時代における"世界大戦"ではなく、我々は、この自己決定の時代にあって"世界法"を選び取る」とは、1961年の国連総会でケネディ大統領(当時)が呼び掛けた言葉であった。
多くの国々と市民社会が協働する形で、建設的な討議が進められてきた禁止条約は、まさにケネディ大統領が提起していた"世界法"にもつながるものといえよう。
NPTの履行を確保する重要な基盤となり、核兵器廃絶への流れを決定的なものにする核兵器禁止条約を、7月7日まで行われる第2会期で、何としても成立させるべきだ。
そして、この歴史的な条約が、市民社会からの声を十分に反映したものとして採択されることを切に望むものである。

2017.06.17 わが友に贈る

地域の幸福責任者こそ
地区部長・婦人部長だ。
本陣に立正安国の旗を!
この誓願と実証が
必ず創価の未来を開く!

顕仏未来記 P507
『諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか』

☆女性に贈ることば 六月十七日
正義の女性の雄弁に、かなうものはない。
真剣な女性の声に、勝るものはない。

☆今日のことば365 六月十七日
一見ムダと見えるものこそ、人間的な生き方を生みだしている要素であり、そうしたムダのなかにこそ、いわば、人間らしさがあり、その本然的姿勢のなかに、究極としての生命の尊厳を守るクッションがあるのではないかと思う。

☆四季の励まし 「苦労」が生命を輝かせる 2017年6月11日
仏法では
「如蓮華在水」と説かれている。
蓮華は泥沼から生じて、
あの美しい花を咲かせる。
同じように、
どんなに厳しい状況にあっても、
最高に価値ある人生を
開いていけるのが仏法である。
私もそう確信して生きてきた。
今、どんなに苦しくても、
決して負けてはいけない。
幸福と栄光の人生へと、
劇的に転換できるのが信心だ。

白蓮は、花と実が同時に成長する。
すなわち、原因(花)と結果(実)が
同時に具わっている――
これが「因果倶時」の法則である。
ゆえに、いつか、どこかで、
仏になるというのではない。
今この時、
真剣に妙法を説き弘めゆく、
わが命に、即、
仏の大生命が躍動してくるのだ。
友のため、法のため、
広宣流布のために行動することは、
人の何倍も苦労が多い。
しかし、それは自分自身の生命を、
何よりも尊く強く美しく、
光り輝かせていく道である。

「負けじ魂」とは、一体、何か。
それは、究極の「勇気」である。
偉大な栄光は、
悪戦苦闘なくして
勝ち取ることはできない。
ゆえに、真の「栄光の人」とは、
負けじ魂を燃え上がらせた
「勇気の人」なのである。

必死の一念は、
無限の活力を、智慧を、
湧かせる源泉である。
広宣流布のために
断じて戦い抜こうとする
強き一念の前には、逆境はない。
すべての困難や悪条件は、
闘魂の炎を
燃え上がらせる風となる。

美しく咲き薫る蓮の花。その横には、今にも開花しそうなつぼみが、太陽に向かって膨らんでいた。昨年7月、池田大作先生が東京・新宿区内で撮影した一葉である。
「蓮華」は、中国で「君子の花」とも呼ばれ、古来、最も高貴な人間の姿を象徴していた。
御書には、「蓮華と云うは地涌の菩薩に譬えたり」(833ページ)と。泥の中にあっても汚れることなく、清らかに咲く蓮華。その凜とした姿は、苦悩の多い現実社会の中で、地涌の使命に生き抜く創価の友のよう。
蓮の花言葉の一つに「雄弁」とある。師弟の月・7月の凱歌へ――さあ、堂々と正義を語り、友情の大輪を満開に咲かせよう!

2017年6月16日金曜日

2017.06.16 わが友に贈る

最も苦しい時に
最大の力を出すのが
学会精神の真髄だ!
確信の題目を根本に
敢然と人間革命の劇を!

日興遺誡置文 P1618
『身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事』

☆女性に贈ることば 六月十六日
自分自身の心の決意の仕方で、いかようにも、人生は勝利できる。幸福になれる。それは、歴史が証明している。

☆今日のことば365 六月十六日
人生において、友人ほど大切なものはなしい、また友情ほど美しいものはない。どういう友人を持っているかで、その人柄がわかるとも言われるほどだ。

☆誓いの天地 埼玉・所沢 2017年6月9日
◇歴史をつくる新たな飛翔を 天空高く勝鬨あげゆけ
埼玉の南西部に位置する所沢市。近年、市内への大手企業の誘致や、所沢駅周辺の再開発事業が進む。
東村山、東大和、武蔵村山など東京各市と隣接し、所沢駅からは、豊島・中野・新宿・杉並・練馬区などにも直通で結ばれている。
観光名所も多く、市の南部には、映画「となりのトトロ」の舞台にもなった狭山丘陵が広がる。また、プロ野球・埼玉西武ライオンズの本拠地球場・メットライフドームもある。
さらに、所沢は「日本の航空発祥の地」としても知られている。日本で最初の飛行場は、1911年に開設された「所沢飛行場」。その跡地は、「所沢航空記念公園」として、市民に親しまれている。
91年8月11日、池田先生は、初訪問した所沢文化会館で語った。
「『所沢』の名は、私どもの世代にとって、勇壮な飛行機の姿を思い起こさせる、皆の憧れの地であった」
「学会とともに生き抜いた人は、皆、幸福の大空へと飛翔された。想像もしなかったような、限りない境涯を広げられた」と。
また、先生は、埼玉新聞に掲載された特別寄稿(4月25日付)の中で、大宮の鉄道博物館と所沢市の航空発祥記念館を紹介しつつ、「郷土の誉れの歴史に触れる中で、陸に空に夢を広げゆく舞台」と、埼玉の教育力をたたえた。
今、人材を育む揺籃の天地・所沢から、平和の空へと羽ばたく若き男女青年部が陸続と誕生。地域の青年会議所などで、要職を担うメンバーもいる。
先月21日、市内で、第6回「戦国滝の城まつり」が開催された。会場の「滝の城跡」は、県指定文化財。約150人が甲冑に身を包む武者行列が人気だ。
祭りの恒例演目として、「よさこい踊り」を披露するのが「東所沢若獅子会」。東所沢圏ヤング男子部員を中心に構成されている。本格的な演舞とはつらつとした姿が好評で、市内の祭りや行事に引っ張りだこ。隣接する東京都の市から招待を受けたこともある。
若獅子会は10年以上前、ヤング男子部の人材育成の場として発足した。今、会をまとめているのは、同圏ヤング男子部長の板橋伸広さん。板橋さんも、若獅子会への参加を機に、学会活動に積極的になった。
市内の病院に准看護師として勤める板橋さん。職場の人間関係に悩み、悶々とする日々が続いていた。
若獅子会の先輩に悩みを打ち明けると、「患者さんのことを一番に考えていこうよ」と。「はっとしました。環境のせいにして、果たすべき使命を見失っている自分に気付いたのです」
心新たに仕事に臨んだ。学会活動にも励み、友人に弘教を成就した。
職場では、患者さんに慕われるようになり、人間関係も一変。行く先々の病棟で、「ここに残ってほしい」と言われるほど、信頼を得ることもできた。
一人のために徹する。学会で学んだ精神を胸に、板橋さんは、苦悩する人々に寄り添い続ける。

所沢市で育った浜田ゆいさん(女子部副本部長)は、保育士として市内の保育園に勤務する。
中学2年の時、母・優子さんに乳がんが見つかった。手術するも1年半後に再発。医師からは余命が告げられた。その中、母は折伏を受け、入会する。
浜田さんは、「入会後、日に日に母の言葉や表情が変わっていきました。『絶対に病気に負けない』と、力強く話すようになったんです」と。
壮絶な抗がん剤治療。病魔に立ち向かう母の姿に触れ、浜田さんは、妹と共に入会し、信心を始めた。学会活動に励む姿、白蓮グループで着任する姿を、母は心から喜んでくれた。
家族のように寄り添い続けてくれた地域の同志にも支えられ、母は、見事な更賜寿命の実証を示し、霊山へと旅立ったのである。
浜田さんは、母の信心を継ぎ、東京・足立区の友人に仏法対話を進めるなど、華陽の連帯を広げている。
母が遺してくれた「心の財」。その大切な宝物を抱き締めて、浜田さんは、きょうも広布に走る。

◇栄光の共戦譜
池田先生が所沢を初訪問したのは、1978年7月。第1次宗門事件の渦中であり、先生が会長を辞任する9カ月前だった。
また、先生が、所沢文化会館を訪れた91年8月は、邪宗門の鉄鎖を断ち切り、「魂の独立」を勝ち取る3カ月前のことである。
広布史に刻まれる破邪顕正の法戦を、師と共に戦い抜いてきた——。それが、所沢の同志の無上の誇りであり、永遠の決意である。
78年7月5日、先生は、所沢会館(当時)の開館1周年を記念する集いに出席。入場の直前、駆け付けてきた関根寛治さん(地区幹事)を、「関根君だろう。覚えているよ」と、温かく迎え入れた。
関根さんは脳性小児まひに悩み、13歳で入会。青果市場で働きつつ、大学に進学。他宗の檀家総代だった祖父母らを入会に導いた。
"あの八百屋は、創価学会"と笑われたこともあった。折伏に歩けば、塩をまかれ、水を掛けられたが、関根さんは、ますます信心の炎を燃え上がらせた。
22歳の時、学会本部(東京・信濃町)での記念撮影会へ。「健康になるんだよ。所沢の関根君だね。覚えておくよ」。先生は抱き締めてくれた。所沢会館での再会は、その10年後だった。
関根さんは、妻の豊子さん(支部副婦人部長)と二人三脚で、地域広布に尽くしてきた。2人の娘は今、所沢女子部のリーダーとして活躍。一家和楽の実証を示している。

先生が所沢会館を訪れた日は30度を超す真夏日。壇上役員だった上藤和之さん(県副総合長)は、「猛暑の中、先生は流れる汗をぬぐいつつ、渾身の指導をしてくださいました」と語る。
先生は訴えた。「この天地を、功徳に満ち満ちた『信心の理想郷』に」と。
上藤公枝さん(総県婦人部総合長)は述懐する。
「この原点を機に、拡大のうねりが起こりました。年間60世帯を超える弘教を実らせる支部も誕生し、所沢は"埼玉一"の広布拡大を成し遂げるのです」
上藤さん夫妻は、91年8月に誕生した「所沢県」の初代県長・県婦人部長に就任。今も地域広布の原動力として、東奔西走の日々を送っている。

82年9月18日、所沢市の西武ライオンズ球場(当時)で、第2回「世界平和文化祭」が開幕した。19日は雨。先生は、球場内を周りながら、「風邪をひかないでくださいね」と、来場者に声を掛けていった。
川崎淳二さん(副県長)は、整理役員として、その先生の慈愛を心に刻んだ。
川崎さんは札幌の出身。上京後に入会したが、両親は快く思っていなかった。だが、テレビ放送された文化祭の様子を見て、学会への理解を深め、入会。晩年を所沢広布にささげた。
川崎さんは、念願の一級建築士に。独立し、市内に建築設計事務所を立ち上げるが、不況の影響などで経営難が続いた。
妻の洋子さん(支部副婦人部長)と広布に奔走し、苦境を打開。事務所は明年、設立30周年を迎える。
3人の娘は、全員が創価学園を卒業。長女は所沢、次女は横浜、三女は東京・大田区で後継の道を歩む。

文化祭の数日前、球場近くに住む盛崎敏子さん(婦人部副本部長)は、数人の同志と共に、近隣の家々に入場整理券を配り歩いた。
文化祭後は、映写機を背負って地域を回り、行く先々で文化祭の上映会を。地道な対話を重ね、近隣17世帯に弘教を実らせた。
94年、盛崎さんは、膠原病を患い、全身の激痛と闘った。さらに10年後には、脳出血を発症した。
「信心で必ず治す」と誓った盛崎さん。地域の同志も懸命に祈ってくれた。
治療し、1週間後の検査。医師が驚く。「脳出血の症状が消えています」。盛崎さんは、1カ月のリハビリを経て、退院。その日から膠原病の痛みも消えた。
盛崎さんは、自治会の理事や婦人部長を歴任し、地域貢献に励んでいる。

先生が所沢文化会館を訪問した91年、同会館の管理者を務めていた、平塚亘さん(故人)・多美枝さん(婦人部副本部長)夫妻。
夫妻は、「守る会」の友らと協力し、日々、会館を丹念に清掃していた。その中での先生の訪問だった。
多美枝さんは、「先生は会館に到着されると、『きれいな会館だね。素晴らしい会館だ』と語っておられました」と振り返る。
平塚さん夫妻は、こうした先生の励ましを「生涯の財産」とし、13年間、所沢文化会館を守り抜いた。
「夫は、亡くなるその時まで、先生への感謝を語り、"会館を守り抜く"との信念を貫きました」
今、多美枝さんは、亡き夫の遺志を継ぎ、愛する所沢の地を駆けている。

日蓮大聖人を迫害した鎌倉幕府の滅亡は、1333年。新田義貞は、所沢・小手指ケ原で幕府軍との初戦を戦い、その後11日間で、都を攻め落とした。所沢には、時代変革の突破口を開いた歴史が刻まれている。
かつて、先生は、所沢の友に詠み贈った。「万人が 見つめる偉大な 所沢 天空高く 勝鬨あげゆけ」
先生が所沢を初訪問した原点の月「7月」へ。所沢の同志は、立正安国の旗を掲げ、破竹の勢いで進む。

2017年6月15日木曜日

2017.06.15 わが友に贈る

朝の真剣な祈りこそ
価値創造のエンジンだ。
「きょう一日を
一週間分、十日分に」と
勢いよく出発しよう!

上野殿御返事 P1565
『しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし、国王一人の太子のごとしいかでか位につかざらんとおぼしめし候へ』

☆女性に贈ることば 六月十五日
子どもの人格を尊重するとき、子どもは人間尊重を学ぶ。家庭にあって、小さなよき社会人として育つのである。

☆今日のことば365 六月十五日
人間というものは、勝手なもので、自分に都合の悪い時には、白を黒と平気で考える。殊に、弱い人間ほどそうだ。しかし、数字というものは、そうはいかない。マイナスなのをブラスであるとは、どうしても考えるわけにはいかない。歴然たる事実を正確に明かしているだけだ。それを率直に認めるには、やはり強い勇気がいるものだ。

☆みんなで学ぶ教学〜新会員教室〜第6回 仏縁の拡大 2017年6月3日
◇妙法を語り、幸のスクラムを広げよう
前回(5月6日付)は、「信行学の実践」の中でも、「自行」について確認しました。今回の「みんなで学ぶ教学」では、「化他行」である「仏縁の拡大」について学び、自他共の幸福を築くためのポイントを心に刻みます。

◇学会員は"仏の使い"
——悩んでいる友人に、初めて信心のことを語ってみました。

素晴らしい! これまで学んできたとおり、「信行学」の「行」には、自身が法の功徳を得るために実践する「自行」と、他人に功徳を受けさせるために仏法を教える「化他行」があります。折伏・弘教をはじめ、友の幸せを願ってこの仏法のことを語っていく実践は、全て「化他行」に当たります。
法華経には「能く竊かに一人の為にも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経357ページ)とあります。
仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い(如来の事)を実践する最も尊い行為ですから、その功徳は計り知れません。
「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(御書1121ページ)、「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)等、日蓮大聖人は御書の随所で妙法流布に励む人をたたえられています。

——友人の力になれたのかどうか、自信がありません。
大丈夫。"苦しんでいる人を見捨てない!""全ての人を救っていこう!"との誓いに立って対話に励むことが何より大切です。
御書には、「一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(同758ページ、通解)とあります。大聖人は全ての人々の苦しみを御自身の苦悩と受け止められ、皆の幸福を願って妙法を弘められました。
弟子に対しても「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(同903ページ)と、御自身と同じ決意に立って生き抜くように呼び掛けられています。

◇縁する友人に下種を
——信心の話をすることを「下種」と呼ぶことを教わりました。

仏法では、仏が衆生を成仏へと導く過程を、「下種・調熟・得脱」と3段階に分けて説きます。"稲などの種を下ろし、成熟させ、収穫する過程"に譬えた言葉です。
「下種」とは「種を下ろす(=植える)」ことで、人々に成仏の因となる妙法を説き聞かせることをいいます。
「調熟」とは、成仏の因が衆生の生命のなかで育ち、成熟していくこと、「得脱」とは、仏の境涯を得ることを指します。

——分かりやすい譬えですね。

大聖人は、成仏の根本の教えである法華経を「種」、仏を「植え手」、衆生を「田」に譬えて、この仏法は、田に種をまくように、衆生に成仏の根源の種子である妙法を語っていく「下種仏法」であると示されています。
「仏種は縁に従って起る」(同1467ページ)——妙法を語ることは、相手の生命に内在する仏性(=仏になりうる可能性)を開く働き掛けとなるので、下種はとても尊い実践なのです。
池田先生は呼び掛けています。
「人の心は、他者との触れ合いという『縁』によって、大きく変わることができる。足取り軽く、友のもとへ行こう! 語ろう! 動けば、何かが変わる。直接、会えば心が近づく。誠実に語れば、一歩、強い絆が生まれる。気どらず、気負わず、誠心誠意の対話で、友の心を開拓していけばよいのだ」

◇仏性を信じ抜く対話
——対話の際、心掛けるべきことは何ですか?

誰もが無限の可能性をもつと説くのが真の仏法の考え方ですから、どこまでも相手の仏性を信じ抜くことが大切です。
もちろん、相手の反応はさまざまであり、時には反発されたり、無理解からの批判を受けることもあるかもしれません。しかし、一喜一憂する必要はありません。相手の反応がどうであれ、成仏の因となる教えを聞いた事実は厳然と相手の生命に刻まれます。
「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(同552ページ)
まいた種が、やがて芽生えるように、いつの日か妙法を受持する時が訪れることは間違いありません。
大聖人は「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(同1361ページ)と仰せです。あなたにしか語れない人が必ずいます。どこまでも自分らしく、勇気を出して仏縁を結んでいきましょう。

◇放課後メモ
「仏縁の拡大」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『御書の世界』第3巻「下種仏法」(聖教新聞社)
○…『御書と青年』190ページ(同)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第16巻65ページ(同)

2017年6月14日水曜日

2017.06.14 わが友に贈る

団結と勝利の道を開く
使命深き副役職の友よ
いよいよ本領発揮の時!
"長"と同じ一念で
本陣に広布の理想郷を!

法華経題目抄 P943
『妙と申す事は開と云う事なり』

☆女性に贈ることば 六月十四日
華やかな境遇や格好に憧れたり、うらやんだり--浅はかな見栄に左右されることは、愚かである。愚かであることは、不幸である。
一歩、深く賢く、人問の生きざまを見抜くことだ。その人は哲学者である。ゆえに常に、幸福の命をもっている人だ。

☆今日のことば365 六月十四日
少年期の自我の目覚めは、ただ、それだけでは、ほかの人々と自分とを区別しよう、なんとなく、両親や、先生に、反抗してみたいという、感情的なものにすぎません。この目覚めた自我を、正しくリードし、自分の人生にひとつの方向性を与えていくのが、読書のもたらす、最大の効用であると、私は思います。

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 兄弟抄(上) 2017年6月10日
◇広宣流布は仏と魔との大闘争
今月から2回にわたり、「兄弟抄」を学びます。池田先生は述べています。
「戸田先生と私が師弟して、この『信心の姿勢』を学ぶ重書として拝読した御聖訓が、『兄弟抄』です。
"わが門下よ、競い起こる三障四魔を決然と乗り越えよ""各人が第六天の魔王を破り、成仏の境涯を確立せよ"——日蓮大聖人は、この『兄弟抄』で、『師弟不二』『異体同心』の信心で堂々と一切の魔性を乗り越えゆけ、と門下に教えてくださっています」
苦難を、信心の眼から、どう捉えて乗り越えるか——。日蓮大聖人が、池上兄弟に教えられた"障魔と戦う信心の姿勢"を心に刻んでいきましょう。(今回の拝読範囲は、御書1079ページ冒頭〜1084ページ10行目です)

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、武蔵国池上(東京都大田区池上)の門下である池上宗仲・宗長兄弟と、その夫人たちに対して送られたお手紙です。
池上家は、有力な工匠(建物の建築や修理を統括する役)として鎌倉幕府に仕えていました。しかし、父が兄弟の法華経の信仰に反対し、兄・宗仲を勘当します。本抄は、その報告に対する激励のお手紙です。文永12年(1275年)の御述作とされてきましたが、現在では建治2年(1276年)と考えられています。
当時の勘当は、家督相続権を失うことであり、経済的基盤も、社会的立場も奪われることを意味しました。本抄が認められて以後、兄への2度目の勘当がありましたが、兄弟は大聖人の御指導通りに実践し、最後は父が入信するに至るのです。

◇御文
『されば法華経を信ずる人の・をそるべきものは賊人・強盗・夜打ち・虎狼・師子等よりも当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり、此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみを・すすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす』(御書1081ページ14行目〜18行目)

◇通解
ゆえに、法華経を信じる人が恐れなければならないものは、賊人、強盗、夜討ち、虎や狼、獅子などよりも、現在の蒙古の襲来よりも、法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々である。
この世界は第六天の魔王が支配する所であり、あらゆる人々は、限りなく遠い過去から、この魔王の家来である。第六天の魔王は、六道の中に、二十五種類の存在(=三界六道の迷いの世界を二十五種に分けたもの)という牢を構えて、あらゆる人々をそこに入れるだけでは終わらず、妻子という手かせ足かせをかけ、父母・主君という網を空に張り、貪・瞋・癡の酒を飲ませて、仏性という本心を迷わせようとする。もっぱら、悪の肴だけをすすめて、三悪道の大地に寝転がらせておくのである。そしてたまたま、善の心を起こす人があれば、その邪魔をする。

〈解説〉強盛な信心で障魔に打ち勝つ
広宣流布は、「仏」と「魔」との熾烈な闘争です。日蓮大聖人は、本抄で、大難に直面する池上兄弟に対し、魔と戦い抜く信心のあり方を教えられています。
掲げた御文では、法華経を信じ、実践する人が恐れなければならないものは、強盗や猛獣、他国からの攻めよりも、"法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々"であると仰せです。
"法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々"とは、広宣流布に前進する人の心を破り、悪道に導く「悪知識」を指します。悪知識とは、悪僧、悪人のことです。
悪知識に紛動され、信心が破られてしまえば、成仏することはできません。ゆえに大聖人は池上兄弟に、"断じて魔に負けてはならない"と厳しく指導されているのです。
悪の働きの根源となるのが「第六天の魔王」であり、その本質は、人間の生命に潜む根源的な迷い、すなわち「元品の無明」にほかなりません。
私たちの住む娑婆世界は、「第六天の魔王」が支配する世界です。第六天の魔王は、妙法を持つ人の妻子や父母、主君を通して信心を妨げる働きとなり、"貪・瞋・癡の酒を飲ませて、仏性という本心を迷わせる"など、あらゆる手を尽くして人々を悪へと追いやります。
この第六天の魔王に打ち勝つものは、「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(御書751ページ)とある通り、「信心」の利剣しかありません。"魔に負けてなるものか!"と強盛な信心を奮い起こして題目を唱え、立ち向かっていく時、魔を打ち破ることができます。
大聖人の御生涯は、人々を不幸にする第六天の魔王との激しい闘争の連続でした。しかし、「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)と仰せのように、大聖人は民衆救済の誓願を貫き、あらゆる大難を勝ち越えられました。
現代にあって、この大聖人の御精神を受け継ぎ、あらゆる魔性と戦い抜いてこられたのが、創価三代の師弟です。
池田先生は綴っています。
「魔というものは、皆を悩ませ困らせる働きをいう。だから戦わなければいけない。いかなる作戦も、その根本は強盛なる祈りです。敵が『魔』だから、『仏』に祈る。それで断ち切っていけるのです」
師弟の月・7月へ。華陽姉妹の強盛な祈りと団結で、いかなる魔も打ち破り、師弟の凱歌を轟かせていきましょう!

◇池田先生の講義から
戸田先生は、よく、「私の真の弟子ならば難を恐れず最後まで続け。断じて負けてはならぬ」とご指導されました。一日また一日、先生の言われるままに戦い、私は一切の魔性を打ち破ってきました。
「師弟」は、いかなる魔性をも破る原動力です。(中略)
「何があっても恐れない」「一切、魔性に従ってはならない」——これが、魔と戦う信心です。必ず勝つことができます。そしてまた、これが人生の極意ともいえましょう。
◇ ◆ ◇
一番大事なのは、「自分自身の心に勝つこと」「唱題に徹し抜くこと」です。
「難を乗り越える信心」に生ききれば、必ず、変毒為薬することができます。必ず、宿命転換することができます。必ず、一生成仏の境涯を築くことができます。必ず、広宣流布の道が大きく開かれていくのです。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻)

◇研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻、「兄弟抄」(聖教新聞社)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第8巻、「兵衛志殿御書」(同)
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻、「兵衛志殿御返事」(同)
○…『御書の世界』第3巻、「弟子の法難」(同)

2017年6月13日火曜日

2017.06.13 わが友に贈る

社会も 人生も
「変化」という試練に
勇んで「応戦」する中に
成長と発展がある。
悔いなき黄金の日々を!

四条金吾殿御返事 P1143
一切衆生南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云

☆女性に贈ることば 六月十三日
子育てには忍耐が必要です。人を育てることは、本当に手のかかるものです。すぐに思い通りにいかなくて当たり前です。
子育て、人材育成に関しては、「労少なくして功多し」という
ことはあり得ません。

☆今日のことば365 六月十三日
今日の戦いの 結果はどうか
  ただ頑張った 私らしく
今日の戦いに 悔いはないか
  有るといえばある 無いといえばない
今日の戦いに 恥ずる所なきか
  めめしい戦いでは なかったはずだ

☆新時代を進む 第11回 栄光の大広布城を築こう 2017年6月8日
偉大なる「死身弘法」の師父・牧口先生の生誕日に、懐かしい荒川文化会館を訪れることができた(6日)。
昭和53年3月にこの師弟城が完成し、私が真っ先に行ったのは、戸田先生の追善法要(4月1日)であり、牧口先生の生誕謝恩の勤行会(6月6日)であった。
会館の前庭に、牧口先生の御揮毫「一人立つ精神」が金文字で石に刻まれている。さらに戸田先生が認められた「大願」の石碑。その横に私が留めさせていただいたのは「共戦」の二字である。
60年前の夏、庶民の都・荒川で、私は草創の父母たちと、新たな民衆凱歌の波を起こす弘教拡大を成し遂げた。その智慧とエネルギーも、先師の「一人立つ精神」に連なり、恩師の「大願」を成就してみせるという不二の「共戦」から生まれたのだ。
— ◇ —
誉れの勝利劇の主役は、いかなる労苦もいとわぬ「陰徳陽報」の民衆である。
学生部の歌「広布に走れ」を最初に大合唱したのも、荒川だ。今、英知の男女学生部が結成60周年を飾りゆく、先駆の奮闘は何と凜々しいことか。
我ら東京の歌「ああ感激の同志あり」が発表されたのも、荒川での東京支部長会であった。
心一つに前進してくれる全国の感激の同志に感謝を込め、今再び呼び掛けたい。
私と一緒に、不敗の東京をつくろう! 世界の同志が仰ぎ見る、永遠不滅の、栄光の大広布城を築こうよ!
— ◇ —
帰途、大好きな足立を回った。
牧口先生は足立広布の母を励まされた。「難を乗り越えてこそ、成仏できる」と。
その通りに、何があっても勝ち越えてくれるのが、足立のスクラムである。「大東京の王者」と、私は全幅の信頼を寄せている。さらに隅田川沿いに走り、陽光に照らされた宿縁深き葛飾、墨田、台東そして江東等の天地を見つめつつ、全ての宝友に健康あれ! 幸福あれ! 勝利あれ! と、妻と題目を送った。
— ◇ —
牧口先生が大切に拝された女性門下への御聖訓に、「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(御書557ページ)と。
まもなく、創価の太陽・婦人部の日(10日)である。
題目の渦で、仏の大歓喜の生命を、あの友にも、この地にも躍動させながら、「立正安国」の大光をいよいよ放ちゆこうではないか!

2017年6月12日月曜日

2017.06.12 わが友に贈る

新聞休刊日

除病御書 P1298
『但し貴辺此の病を受くるの理或人之を告ぐ予日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う除病の由今日之を聞く喜悦何事か之に過ぎん、事事見参を期せん』

☆女性に贈ることば 六月十二日
正しき行動の人は、たとえ無認識な人から軽蔑され、非難されようとも、必ず、その偉大さが証明されるようになる。また、真剣な行動は、心ある人の共感の眼差しをひきつけずにはおかない。

☆今日のことば365 六月十二日
人を尊敬してゆかなくてはならない。尊敬する人は、人から尊敬される。ちょうど、鏡の前に立ったのと同じである。おこれば、おこる顔だし、笑えば笑った顔がうつる。自分の姿で、すべてが決まるのだ。

☆大白蓮華巻頭言 2017年6月号 地涌の柱は揺るぎなし
偉大な建築には、揺るぎない柱がある。
偉大な未来の大建設のために、偉大な哲学の柱を抱き、偉大な社会の柱となって、二陣、三陣と躍り出ていくのが、創価の地涌の人材群である。
「日本国の柱」いな、「一閻浮提の柱」として、御本仏・日蓮大聖人は、そびえ立たれた。
御命にも及ぶ竜の口の法難に臨まれても、いささかも微動だにされず、悠然と言い放たれている。
「今日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし」(913ページ)
その師子王の御姿に、兵士たちの方が顔色を変え、動執生疑を起こした。やがて、次々に心を改めて、大聖人に信服していったのである。
大聖人は、ご白身の御振る舞いの如く「すこしも・をづる心なかれ」(1084ページ)と、我ら大東京の先達たる池上兄弟へ仰せになられた。
この勇気を脈々と受け継いできたのが、学会精神である。いかなる毀誉褒貶の風にも、創価の「信念の柱」は揺るがない。一貫して正義を堂々と訴えていく。だからこそ周囲の方が変わっていくのだ。
「21世紀の平和と宗教」をテーマに、共に対談集を発刊したハーバード大学のハービー・コックス名誉教授の言葉が蘇る。
「臆病の代わりに必要なものは、『人々の態度も考え方も永久不変のものではない。彼らを変えることは必ずできるのだ』という強い信念です」と。
わが同志は、岩盤に爪を立てゆくような執念で、友の幸福と蘇生を祈り抜き、地域の繁栄と安定を願って、入試実の対話を貫き通してこられた。
ある時は冷笑され、ある時は無視され、ある時は罵倒されながらも、それでも勇敢に、また忍耐強く、語って語って、語り抜いてきたのである。
「労(ろう)をいとわず会いに行くことが広宣流布なり」
「声を惜(お)しまず言い切ることが立正安国なり」と。
私の胸奥からは、この不軽菩薩さながらの気高き父母たちの姿が離れることはない。
そして今、そのたゆまぬ献身の行動に、心ある人々から「学会員こそ、わが地域の柱」と、絶大なる信頼が寄せられる時代に入ったのである。
御聖訓には、「日蓮賤身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにも・すぎたりと見えたり」(1121ページ)と宣言なされている。
この大聖人に連なり立ち上がった我らは、「生命尊厳の哲理の柱」また「民衆の幸福安穏の柱」さらに「人類の平和共生の柱」と胸を張って自負したい。
「祈って喋れば、仏性の大歓喜が湧いてくる。この信心の喜びが燃えていれば、いくらでも仏縁を広げていけるんだよ!」とは、恩師の励ましであった。
大確信をもって、人生と社会の希望のビジョンを若人と共に、自信満々と語りゆこうではないか!

わが人生
 地涌の柱と
  立ちにけリ
 恐るるものなく
  正義の師子規を

2017年6月11日日曜日

2017.06.11 わが友に贈る

◇今週のことば
「信は智慧の種なり」
法華経の兵法に
行き詰まりはない。
勇猛精進の題目で
賢く楽しく壁を破れ!
2017年6月11日

上野殿御消息 P1527
『劣れる者に慈悲あれとは我より劣りたらん人をば我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし』

☆女性に贈ることば 六月十一日
晩年の顔は、ごまかしがきかない。人生の年輪が刻まれ、隠しようがない。なかでも眼は、雄弁にその人を語る。

☆今日のことば365 六月十一日
目標を目指して前進する場合、最も大事なことは、団結であり、スクラムを組むことである。反対に最も恐れるべきことは、お互いが感情的になり、不仲になり、そして無責任になることだ。

☆6月度座談会拝読御書 弥三郎殿御返事 2017年6月6日
後世にまで残る偉大な歴史を
「勝つ」と決めて全力を尽くす

◇本抄について
本抄は、建治3年(1277年)8月4日、日蓮大聖人が56歳の時に身延においてしたためられ、弥三郎という門下に宛てられたお手紙です。
弥三郎については御書の内容から武士ではないかと思われますが、住んでいた場所など詳しいことは不明です。伊豆の門下・船守弥三郎とは別人とされています。
本抄は、弥三郎が出家の念仏者と法論を行うに際し、主張すべき内容や心構えについて大聖人に御指南を仰いだことに対して答えられたものと考えられています。
初めに、日本国の人々が、主師親の三徳を具える釈迦仏を差し置いて阿弥陀仏を崇めているのは大謗法であり、それゆえに飢饉や疫病が起こり、他国から攻められるのであると言われています。
次に、そのことを指摘する大聖人に対して、2度の流罪など、さまざまな迫害が加えられたことを述べられ、心ある人ならば自分たちのために大聖人が難に遭ってくれたのだと考え、その迫害の一部でも引き受けるべきであると仰せです。
最後に法論に当たって述べるべき内容と心構えを示されています。すなわち、所領を惜しんだり、妻子を顧みたりするのではなく、ひとえに思い切るべきであると言われています。そして、今まで生きてきたのは、今回の法論に遭うためであると思い定めて戦い抜くよう励まされています。

◇拝読御文
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり』

◇諸仏の"入其身"
日蓮大聖人は今回、拝読する御文のすぐ後で、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書1451ページ)と仰せです。「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」と心に念じなさい、との意味です。
ここに説かれているのは、「善」の「入其身」ですが、法華経勧持品第13には「悪」の「入其身」である「悪鬼入其身」が説かれています。「悪鬼は其の身に入って」と読みますが、これは「悪鬼」が、さまざまな衆生の身に入り、正法を護持する者をそしり、辱め、仏道の実践を妨害することをいいます。
「悪鬼」とは、誤った宗教・思想、また人の苦悩の因となって、精神を乱す源をいいます。日蓮大聖人は例えば、第六天の魔王が法華経の行者を迫害するために、智?や権力者の身に入ると述べられています。
これに対して、「釈迦・多宝・十方の仏」、すなわち諸仏が「入其身」すれば、仏の所従(=家来)である諸菩薩・諸天等が従い、法華経の行者を守護することは間違いありません。
池田先生は述べています。「広布の誓願を貫く生命にはありとあらゆる仏が入其身する。それほど、尊貴な我らである。ゆえに、諸天善神が守りに護らないわけがない。大宇宙の善の働きを、全て味方にしながら、満々たる仏の力で堂々と進みゆくのだ」
"ここぞ"という勝負所では、わが身に、諸仏を「入其身」させる強盛な一念で祈り、行動していくことが大切になるのです。

◇瀬田川・宇治川
今回の御文で言われる「勢多」とは瀬田川のことです。琵琶湖から流出して大阪湾に注ぐ淀川は、最も上流の部分を瀬田川といい、途中から宇治川と呼ばれます。
瀬田川・宇治川は、古来、京都の南東の防衛線とされ、東国の軍勢にとって瀬田川・宇治川を渡れるかどうかが、京都を攻略する際のポイントになっていました。
例えば、寿永3年(1184年)、源範頼と源義経の軍勢が、京都に入っていた木曽義仲の軍勢と戦った「宇治川の合戦」でも、ここが勝敗の分かれ目になりました。
この時、義経軍に属する佐々木高綱と梶原景季の二人が先陣争いを演じたことは『平家物語』などに記されています。先に川を渡って先陣争いに勝った佐々木高綱は、優れた武士として、後の世まで名を残しました。
この時、宇治川を渡りきった義経の軍勢が義仲軍を破り、勝利を収めました。
また、鎌倉幕府と朝廷が戦った承久3年(1221年)の「承久の乱」の際も、北条泰時が率いる幕府の軍勢が、朝廷方の防戦をしのいで宇治川の渡河に成功し、勝利しました。幕府は、この乱に勝ったことで、全国各地に勢力を広げました。
このように瀬田川・宇治川は戦いの勝負を決する場所とされてきたのです。

日蓮大聖人は弥三郎に対して、今回の法論こそが勝負を決する瀬田川・宇治川に当たり、名を上げるか下すかの分かれ目であると言われています。全力を尽くして戦い、断じて勝利していくよう、弥三郎を激励されているのです。

◇「今年の世間」
拝読御文では「今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに」(御書1451ページ)として、本抄が書かれた建治3年(1277年)に多くの人命が失われたことを述べられています。
すなわち本抄に「諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる」(同1450ページ)とあるように、この年は深刻な飢饉があり、また疫病の大流行が見られました。
疫病は建治3年の春から翌・建治4年の2月中旬まで、社会の各層に広がりました。この疫病について建治4年2月に書かれた「松野殿御返事」には次のように述べられています。
"去年の春から今年の2月の中旬まで、伝染病が国中に充満した。10軒に5軒、また100軒に50軒まで、家族が皆、伝染病で死んでしまったり、また、病にはかからなかった者も、心は大苦悩にあっているので、病に侵された人々以上に苦しんでいる"(同1389ページ、趣旨)。疫病が猛威を振るい、多くの人が亡くなったことが分かります。
また飢饉についても、同抄には次のように記されています。"日本国は、ここ数年の間、うち続いて飢饉が進み、衣食は全くなくなり、畜類を食べ尽くした"(同ページ、趣旨)と。当時の飢饉は、これほど深刻なものでした。
日蓮大聖人は、このように多くの人が亡くなっていった中で、生き永らえることのできた自らの使命を深く自覚すべきであると教えられているのです。

◇池田先生の指針から 大変な戦いこそ宿命転換の好機
重大なる法戦——広宣流布の言論戦に立ち会い、わが身、わが声、わが行動をもって仏法を宣揚し、師匠の正義を叫ぶことができる。これ以上の誉れはありません。
「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」——
思えば、末法今時において、妙法に巡りあい、創価学会員として、創価の師弟として、世界広宣流布の道を共に歩めること自体が、最高の栄誉です。黄金に輝く人生です。
戸田先生は言われました。
「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何故私たちは生まれてきたかを考えなければならない。
みな大聖人様の命を受けて広宣流布する役目を持って生まれて来たということが宿習なのである。それが解るか解らないかが問題なのだ」
長い人生の中にあって、「ここが勝負所である」「今が重大な勝負時である」という戦いに直面した場合も、この御文に通ずる体験でありましょう。
私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻)
◇ ◆ ◇
大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。
そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。
そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。
私にとって、この一節は「"まさか"が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。
「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である——こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。
大変な戦いの時こそ大転換のチャンスだと覚悟し、喜んで挑んでいくのが本当の勇者であり、賢者の生き方です。(同)

◇参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻(聖教新聞社)

2017年6月10日土曜日

2017.06.10 わが友に贈る

大東京の躍進の要たる
支部長・婦人部長の
尊き献身に感謝!
満々たる生命力で
歴史に輝く名指揮を!

種種御振舞御書 P917
『今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』

☆女性に贈ることば 六月十日
わが家の平和といっても、苦労や悩みが何もない状態ではない。どんな嵐のような時であっても、家族のなかに太陽が輝いていればよいのです。その一家の太陽こそ、お母さんです。

☆今日のことば365 六月十日
時の推移は、極めて自然に流れるものだ。
それは河の水の流れに似ている。時に巌が水流に逆らうように、
流れをおしとどめ、飛沫をとびちらすが、水の流れはとどまらない。

★異体同心になるためには、どうすればいいのでしょう?
まず各人が、「師匠とともに」という師弟不二の誓願に、一人立つことです。
その上で、互いに同志として励まし合い、讃え合い、尊敬しあうことです。
そして皆が心を一つにして強情に祈りきっていくことです。

☆6月度男子部「御書活動者会」研さんのために ?殿尼御前御書 2017年5月27日
不退の信心を貫け!
魔を寄せ付けない満々たる生命力を

◇御文
『第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』(御書1224ページ)

◇通解
第六天の魔王は、十種の魔の軍勢を用いて戦を起こし、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海の中で、凡夫と聖者が共に住んでいるこの娑婆世界を「取られまい」「奪おう」と争っている。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身に当たって、大きな戦を起こして、二十数年になる。その間、日蓮は一度も退く心はない。

◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中の文永10年(1273年)9月、一谷で認められ、弟子の?殿(日昭)と、?殿と関わりがある尼御前に与えられたお手紙である。
大聖人は、建長5年(1253年)の立宗から「二十余年」、「法華経の行者」として、現実の娑婆世界を舞台に、「第六天の魔王」と熾烈な闘争を繰り広げてきたことを述べ、「日蓮一度もしりぞく心なし」と断言されている。
そして、大聖人の佐渡流罪の際、多くの門下が迫害を受けて退転する中、勇敢に信心を貫き通した尼御前の不退転の信心を、「いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし」(御書1224ページ)と称賛されている。

◇解説
第六天の魔王とは、人々の成仏を妨げる魔の働きの根源であり、その正体は、仏性を信じ切ることのできない根本的な生命の迷い——すなわち、「元品の無明」である。
仏法では、現実社会は第六天の魔王が支配する国土で、人々は「生老病死の苦しみ」を繰り返し続けると説かれている。抜け出すことのできない苦悩に翻弄される現実世界を、大聖人は「生死海」という大海に例えられている。
ゆえに、「法華経の行者」が現実社会を仏国土に変えようと立ち上がると、第六天の魔王は、それを阻止すべく、魔軍を率いて襲い掛かってくる。十界の衆生が住む「同居穢土」(現実世界)を「とられじ・うばはん」と争う「仏と魔」の戦い。それは、私たちの心の中でも、瞬間瞬間に激しく繰り広げられている。
第六天の魔王が率いる「十軍」とは何か。
それは、生命に巣くう10の煩悩を、次々と襲い掛かる軍勢に例えたものである。具体的には、�欲�憂愁(憂い、悲しみ)�飢渇(飢え、渇き)�渇愛(五欲への愛着)�睡眠�怖畏(恐れ、臆病)�疑悔(疑いや後悔)�瞋恚(怒り)�利養虚称(財をむさぼり、評判・名誉を求める)�自高蔑人(他人を見下す)のこと。ゆえに、「十軍」との戦いとは、「己心の魔」との闘争に他ならない。
では、どうすれば魔の軍勢に勝てるのか。
その第1は、たゆみなき唱題の実践である。御聖訓に「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(同751ページ)とある。「以信代慧」、すなわち妙法への強固な「信」が、偉大な智慧を生み、魔軍を打ち破る剣となる。
魔を破る第2の要件は「信念を貫き、戦い続けること」だ。大聖人は、第六天の魔王という根源的な魔性に立ち向かっていく断固たる挑戦を「大兵を・をこして二十余年」と仰せになった。
大聖人は、幾多の大難にあっても、一歩も引かずに正義を叫び続けられた。この「戦い続ける魂」こそ、魔に打ち勝つ要諦である。
池田先生は語っている。
「成仏の道を歩もうとする心を破壊すること、これが魔の狙いです。ゆえに、最後まで信心を貫き、前進する心を固く持ち続ける人には、決して魔がつけいる隙がない。魔を寄せ付けない『強き心』を鍛え上げることこそが、真実の信心です」
私たち男子部は、いかなる悩みや試練に直面しても、強く祈り、勇んで学会活動に奔走していきたい。
政治、経済、教育、文化——私たちの社会自体も、その底流に流れる人間の生命の魔性を打破しなければ、真の平和も、全ての人々の幸福も確立することはできない。社会の精神土壌を根底から変革し、民衆が喜び栄える仏国土を築くことが、広宣流布である。
ゆえに、きょうも、人間の中へ! 不退の信心を貫き、地域・社会を繁栄と安穏へ導く「勇気の対話」を広げていきたい。

2017年6月9日金曜日

2017.06.09 わが友に贈る

失敗を恐れないことが
真の成功への財産に。
くよくよせずに
より賢く より強く
前を向いて挑み抜こう!

経王御前御書 P1123
『経王御前を儲させ給いて候へば現世には跡をつぐべき孝子なり後生には又導かれて仏にならせ給うべし』

☆女性に贈ることば 六月九日
家柄でもない。
学歴でもない。
容姿でもない。
財産でもない。
社会的地位でもない。
幸福はあなた自身の心で決まる。

☆今日のことば365 六月九日
人の信頼を踏みにじって平然としている傾向がある。しかし、人間社会が存続するかぎり、信頼感が根幹となることは真理であり、信頼を踏みにじった人が、社会の除け者とされ、敗れていくことは目に見えている。今はいい気になって"無責任風"を謳歌しているようでも、最後は哀れという以外にない。

☆御書と歩む 第67回 迅速こそ責任感の表れ
『貴辺此の病を受くるの理或人之を告ぐ予日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う除病の由今日之を聞く喜悦何事か之に過ぎん』(除病御書、1298ページ)

◇通解
あなたがこの病気にかかったことを、ある人から伺った。病気平癒を日夜朝暮、法華経に申し上げ、青天に訴えていたが、病が治ったことをきょう聞き、これ以上喜ばしいことはない。

◇同志への指針
門下が病から回復したことを聞かれて、即座に送られたお手紙である。この大慈大悲に、究極の「人の振舞」が拝される。
「心」は即「行動」に移してこそ伝わる。「迅速さ」に誠実が表れる。学会は、このスピードで勝ってきた。根本は友を思う「祈り」である。
日々、同志・友人の健康福徳を祈り、人間主義の黄金のスクラムを広げゆこう!

☆高等部結成記念大会への池田先生のメッセージ 2017年6月5日
◇正義の走者よ勇んで前へ! 負けじ魂の人に栄冠は輝く
わが生命であり、創価の希望である高等部の皆さん、晴れの結成記念大会、誠におめでとう!
各地の皆さんの目覚ましい成長の様子を、私は何より嬉しく頼もしく伺っています。誰よりも期待する皆さん一人一人と、心の握手をがっちりと交わして、一切を見守っております。
今日は、21世紀の「正義の走者」たる皆さんに紹介したい伝説のランナーがいます。陸上の長距離で18回も世界記録を更新し、オリンピックでも四つの金メダルを獲得した、ザトペック選手です。
実は、彼の脚力(足の力)は、医師が驚くほど弱かった。しかし、驚異的な練習量を地道に積み重ね、爆発的なスピードと持久力、そして精神力を身につけたというのです。
ザトペックには、信念がありました。それは、「ゴールにとびこむまえに決してあきらめたり、自分に疑いを抱いてはならぬ」(ズデニェク・トーマ著、大竹國弘訳『人間機関車 E・ザトペックの実像』ベースボール・マガジン社)との不屈の精神です。
青春の道は、決して途中では決まらない。自分自身を信じ抜き、負けじ魂を燃やして、最後の最後まで走り抜く人に、栄冠は輝くのです。その栄光のゴールへの無敵のエンジンこそ、題目です。
日蓮大聖人は、「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(御書1310ページ)と仰せになられました。
どうか、皆さんは、題目の師子吼を唱えながら、正義の走者と勇み走って、いかなる苦難の道も、力強く前へ前へ突き進んでいってください。そして、いかなる試練の烈風にも、勇気と希望の翼を広げて、堂々と朗らかに羽ばたいていただきたいのであります。
大切な大切な皆さんの健康と成長を祈ります。
親孝行を頼みます。
わが愛弟子たちよ、断じて負けるな!とエールの三色旗を振りつつ。

2017年6月8日木曜日

2017.06.08 わが友に贈る

仏法は「以信代慧」。
縁する友の幸福と
わが地域の広宣前進を
強盛に祈り抜こう!
智慧は無限にわく!

聖愚問答抄下 P500
『夫れ天魔は仏法をにくむ外道は内道をきらふ、されば猪の金山を摺り衆流の海に入り薪の火を盛んになし風の求羅をますが如くせば豈好き事にあらずや』

☆女性に贈ることば 六月八日
健康は勝ち取っていくものです。何を食べ、どんな生活を送るのか。決めるのは自分自身です。病気を治すことより、病気を防ぐことが第一の健康法なのです。

☆今日のことば365 六月八日
われわれの目的は何か
今日の目的は何かを 明確にすることだ
そこには無駄もなく
価値ある活動ができよう

☆御書と歩む 第66回 どこまでも信心が根本
『ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし』(四条金吾殿御返事、1192ページ)

◇通解
ただ心こそ大切である。いかに日蓮が祈っても、あなた自身が不信ならば、濡れている火口に火を打ちかけるようなものである。勇んで強盛に信力を出しなさい。

◇同志への指針
我らには最強無敵の「法華経の兵法」がある。その真髄の力を発揮する極意は、「心こそ大切」の一点である。
妙法への大確信と師弟不二の勇気があれば、必ず祈りは成就する。困難な時こそ、互いに励まし合いながら、いよいよ強盛に信力を奮い起こすのだ。
共々に「絶対勝利の信心」で壁を破り、輝く歴史を創りゆこうではないか!

☆シンポジウムへの池田先生のメッセージ 2017年6月3日
「教育のための地球社会」へ 世界の大学との連帯を強く
一、人類が直面する課題の打開へ英知を結集されゆく討議に、私は心より敬意と感謝を表するものであります。
今回のテーマは、「平和」「分かち合い」「行動」と掲げられております。
簡潔でありながら、環境問題、難民問題、テロや核拡散など、あまたの難題を抱える世界にあって、今一度、私たちが立ち返るべき規範が明確に示されているのではないでしょうか。
◇寛容と団結の智慧がここに
一、私は、今、ここ広東の天地で生誕された孫中山(孫文)先生の不滅の宣言を思い起こしております。
すなわち——「平和主義を持して、わが友邦とますます親睦を深め、中国を国際社会にて重視せられるものとなし、かつ、世界を漸次、大同に赴かしめんとするものである。順を追って進み、僥倖は願わない」と(伊地智善継・山口一郎監修『孫文選集第3巻』社会思想社刊)。
大同の世、すなわち平和な地球社会という揺るぎなきビジョンに向かって、人類の良識と苦楽を分かち合いながら、断固として一歩また一歩、不撓不屈の行動によって世界史を前進せしめようとする烈々たる気概が伝わってきます。
それは、この広州で夫妻として新たな出発をされた周恩来総理と�穎超先生が受け継がれた大精神でもあります。
このシンポジウムは、こうした偉大な先人の「平和」の大志を現在に承継し、さらに実現へと近づけんとする集いであります。そして、未来の世代まで確固と信託しゆく高邁な大情熱に漲っております。
まさしく、時を超えた崇高な「分かち合い」が、ここにあると、私は讃えたいのであります。
一、貴国で翻訳され、集大成された仏典の中に、「四摂事」という徳目が説かれております。すなわち、共同体を栄えさせていくための四つの指標であります。
第一に「布施」——人々に何かを与えゆくこと。励ましや希望の哲学を贈り、不安や恐れを取り除くことも含まれます。
第二に「愛語」——思いやりのある言葉をかけること。
第三に「利行」——他者のために行動すること。
第四に「同事」——人々の中に入って共に働くこと。
ここには、いかなる差異も包み込んでいく寛容の智慧とともに、いかなる試練にも屈しない団結の智慧が示されています。
それは、悠久の中国の大地に脈々と流れ通ってきた伝統文化とも響き合っているといってよいでありましょう。

◇レジリエンスを高める伝統文化
一、この5月、私は、貴国を代表する文豪の王蒙元文化相と、新たな対談集を発刊いたしました。
タイトルは『未来に贈る人生哲学——文学と人間を見つめて』であります。
王蒙先生は、2008年の「四川大地震」の際にも、中国の伝統文化の力が大きく発揮されたと指摘されております。一つは「逆境にあって抵抗する能力とその精神」、二つは「結束力」、三つは「仁愛(慈しみ)の心」であります。
それは、「平和」「分かち合い」「行動」という本シンポジウムのテーマとも連動して、人類全体のレジリエンス(困難を乗り越える力)を高めゆく希望であるといえないでしょうか。
こうした希望の光を、より強め、深め、結び合わせていく契機が、教育・文化の次元の交流であると、私は思ってきました。
先日、中山大学南方学院において、光栄にも「自然との対話」の写真展を開催していただき、その準備に当たった日本側のスタッフが心より感銘し、感謝していたことがあります。
先生方に温かく見守っていただく中、主体的に運営に当たってくださった学生の皆さん方の労を惜しまぬ献身であり、みずみずしい創意工夫であり、こまやかな心配りであります。

◇問題解決へのプラスの連鎖
一、また今春、日本では、両国の国交正常化45周年を記念して、私どもの民主音楽協会(民音)の招聘で、中国国家京劇院の方々が2カ月にわたり、全国で52回の公演を行ってくださいました。
「愛」と「正義」と「報恩」をテーマとした三大傑作が熱演され、学校コンサートに招かれた中学生たちを含め7万5000人に、忘れ得ぬ感動を贈ってくださったのです。
周総理も大事にされた京劇には、「人間の善性」への確固たる信頼が脈打っており、国を超え、世代を超えて、魂の共鳴と啓発を広げずにはおかないのでありましょう。
さらに、わが創価大学の伝統行事である、周総理ご夫妻を偲びつつ、平和友好への決意を新たにする「周桜」の観桜会は、中国の学生の皆さんも迎え、今年も有意義に行われました。
一、ともあれ、一切の焦点は、青年であり、若人であります。
私も本年の平和提言を、「希望の暁鐘 青年の大連帯」と題して展開いたしました。「青年の数だけ希望があり、未来がある」との信条からであります。
そして、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が目指す"平和で公正かつ包摂的な社会"を実現するために、青年を中心とする「三つの柱」について論及いたしました。
�「同じ地球で共に生きる」との思いに立った連帯
�分断や格差の拡大を乗り越える社会の土壌づくり
�どんな困難に直面しても、状況を好転させる力——の三本柱であります。
地域の課題にあっても、グローバルな脅威においても、青年を信じ、青年の力を引き出し、青年と共に行動を重ねていくところにこそ、問題解決へのプラスの連鎖が生まれていくことを、私は確信してやみません。
その意味において、世界の大学の平和のネットワークがますます重要となっております。
難民の支援にあっても、世界の大学が国連と連携して教育機会を少しでも拡大していく意義は、誠に大きいでしょう。
わが創価大学も、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と「難民高等教育プログラム」の協定を結び、今春から難民の留学生の受け入れの第一歩を踏み出したところです。
一、今、私は、宋慶齢先生の言葉を思い起こしております。
「私たちには多くの愛があり、その愛を遠く離れ、いまだ苦しみの中で過ごしている子どもたちに分け与えることができると、深く信じています。
私たちが平和を勝ち取る闘争に身を捧げる中で、各国の父母たちにも手を差し伸べることができるでしょう。世界の全ての人々は、皆、子どもたちに平和で豊かな生活をさせてあげたいという同じ目標を目指していると、私は確信しているのです」と。
ここに謳われている「人類の平和」と「世界の子どもたちの幸福」という悲願を、敬愛する先生方と分かち合い、「教育のための地球社会」という未来へ、さらに力強く行動しゆく決意を申し上げ、私のメッセージといたします。
本日は、誠に誠にありがとうございます。改めて心より、厚く御礼申し上げます。謝謝!

2017年6月7日水曜日

2017.06.07 わが友に贈る

「納得」の対話から
信頼と共感が生まれる。
ささいな疑問にも
一つ一つ耳を傾け
懇切丁寧に語りゆこう!

顕仏未来記 P507
『諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか』

☆女性に贈ることば 六月七日
頑張るお母さんを、子どもはじっと見ていて、心に刻んでいます。その母の苦労を忘れません。だから、道を外れることなく頑張る。この母子の絆をつくりあげることです。

☆今日のことば365 六月七日
人生の一寸先は闇といわれる。そこには、幾多の、生存の問題、生活の問題などが、更に蓄積されて待ちかまえている。大切なのは生命力である。

☆アメリカ創価大学第13回卒業式への創立者のメッセージ 2017年5月29日
平和の大理想へ 信頼の絆を世界に広げよ
あらゆる差異を超えて 多様性輝く社会を築け

一、「心」というものは、融通無碍であります。わが心は瞬時に太平洋を越え、今まさに、アリソビエホの丘に立つアメリカ創価大学の創価芸術センターにあります。
我らの母校の伝統を一段と発展させてくれ、見事な青春の勝利劇を飾られた皆さん方一人一人に、祝福の喝采を送りながら、晴れの式典を見守っております。
私の生命であり、人類の希望である13期生の皆さん、大学院の新教育プログラム2期生の皆さん、誇りも高き卒業、誠におめでとう!
送り出してくださったご家族の方々、支えてくださったご友人方にも、心からのお祝いを申し上げます。
また、昼夜を分かたず、学生たちを温かく励まし、薫陶してくださった教員・職員の方々に、心より感謝申し上げます。
本日は、尊敬申し上げる世界的な心理学者チクセントミハイ博士をはじめ、多くのご来賓に祝福にお越しいただき、創立者として、これほどの喜びはございません。誠に誠にありがとうございます。
一、チクセントミハイ博士は、長年にわたり、創価の平和・文化・教育運動に対して、深い理解と共感を寄せてくださっています。
5年前には、聖教新聞のインタビューに応えていただき、「人生の宝」について三つの価値を挙げられました。それは、第一に「信頼」であり、第二に「希望」であり、そして第三に「"今"をよりよく、楽しく生きようとする姿勢」であります。
若き皆さん方が、人類に貢献しゆく世界市民として、さらに成長し、飛躍しゆく糧となる「人生の宝」であります。
きょうは、この三つの価値を踏まえ、チクセントミハイ博士を囲み、皆で和気あいあいと語り合う思いで、メッセージを送ります。
一、第一に、「社会に世界に信頼の絆を広げよ」と申し上げたい。
チクセントミハイ博士が強調されている通り、「信頼」こそ全てに優先する価値であります。
私の師匠である戸田城聖先生が青年にとって最大の財産と教えられたのも「信用」であり、「信頼」でありました。
人生は、一人の人間として、どこまで誠実に「信頼」を勝ち開いていけるかという挑戦であるといってもよいでしょう。
どうか皆さんは、新しい価値創造の舞台にあっても、アメリカ創大生らしく、常に誠実を貫き通していってください。誠実に勝る力はありません。
「人の誠実さというのは、誠実な人間にこそ引き出せるものだ」(リチャード・ステンゲル著『信念に生きる』英治出版)とは、私の大切な友人マンデラ元大統領の信念でありました。
「あの人は誠実だ」「あの人がいれば安心だ。大丈夫だ」。そう信頼される存在と光っていくことが、私たちの目指すべき間断なき成長と自己革新——「人間革命」の具体的な指標でもあります。
そして、この「信頼の絆」を、誠実な対話によって広げていくことが、あらゆる差異を超え、心と心を深く結び、平和な世界を築く基盤となっていくことを、あらためて確認し合いたいのであります。
インドネシアのワヒド元大統領は、私との語らいの中で、言われていました。
「民族性や文化的な違い、あるいは歴史的な背景にかかわらず、対話は人々に"人間の顔"を与えることができる」と。
世界中の学生が集い合うキャンパスで学んだ皆さんは、まさに、この"人間の顔"を互いに輝かせる対話の力を錬磨し、すでに若き「世界市民」として、大いなる翼を鍛えてきたことを誇り高く自負してください。いよいよ勇気をもって、使命の大空へ羽ばたく時です。
激しい時代の嵐にも、怯まず、恐れず、惑わず、「不信」を「信頼」へ、「分断」を「結合」へ、「差異への恐れ」を「多様性の喜び」へと転じながら、悠々と堂々と、飛翔していただきたいのであります。

◇不屈の楽観主義で共に勝利の人生を
一、第二に、「希望の仲間と、希望の光を放ちゆけ」と申し上げたい。
13期生の皆さんの入学レセプションで、私はニュージーランド出身の平和学者であるクレメンツ博士と対談を進めていることを紹介しました。昨年、完成したこの対談集の中で、博士が紹介くださった印象深いエピソードがあります。
それは、紛争地帯でNGO(非政府組織)の活動をする中で、たとえ落胆する試練に遭っても、志を同じくする仲間と接すると必ず勇気が湧いてきたというのです。
その経験を通して、博士は語られました。
「自分だけでは押しつぶされてしまいそうな問題に対しては、皆と一緒に立ち向かうこと」「青年たちに伝えたいことは、同じ目的をもった仲間を大切にすること」と。
良き仲間を持つ人は強い。その励まし合いのあるところ、尽きることのない希望が生まれます。
そして希望があるところ、どんな困難も必ず乗り越えてゆく力と知恵が生まれるのです。
皆さんには、アメリカ創大の同窓のスクラムがあります。皆さんの活躍を何よりの希望として信じ祈り、待ってくれている父たち母たちが、世界中にいます。そしてまた、これからの前進の中で、皆さんの大志に共鳴しゆく新たな友も誕生するでしょう。
東洋の聖賢の譬喩に「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」とあります。
皆のために生命を燃やし、情熱の炎を燃やすところに、自他共の未来を照らす希望の光が輝きます。
心広々と良き仲間と苦楽を分かち合いながら、不屈の楽観主義で、共に人生の勝利へ、大いなる理想の実現へ、希望の光を放っていっていただきたいのであります。

◇「今」この時にベストを尽くせ
一、第三に、「"今"を朗らかに生き切れ! そこに未来の創造と喜びがある」と申し上げたい。
チクセントミハイ博士の近著『クリエイティヴィティ』(浅川希洋志監訳・世界思想社)の一節に、私は深く感銘しました。すなわち——
「真に創造的な業績とは、ほとんどの場合、暗闇で電球が点灯するような突然のひらめきによってもたらされるものではなく、長年の努力の結果なのである」と。
「心」という最も身近にして最も深遠なフロンティアの探究に、計り知れない努力を貫き、不朽の創造を成し遂げられた知性の洞察であります。
皆さんは若い。ゆえに、いたずらに功を焦る必要などありません。じっくりと構えて、「今」この時に、ベストを尽くしていくことです。その日々の挑戦を楽しんでいくことです。
たとえ、思うように結果が出なくても、いやまして努力を積み、創意工夫を重ねていただきたい。失敗しても、そこから学べば、新たな価値を創造できます。愚直なまでに執念の挑戦に徹していく生命にこそ、偉大な創造の太陽が昇るのではないでしょうか。
「陰徳あれば陽報あり」という究極の希望の因果律を、私は愛する皆さんに託したいのです。
本日の卒業式は、新たな人生を創造するスタートであります。
どうか、たゆまぬ「努力また努力」、不屈の「挑戦また挑戦」によって、人生と社会と世界の新地平を開いていってください。
一、昨年、アメリカ創価大学で開催した「世界教育者サミット」に駆け付けてくださった国際平和教育研究所の名誉創設者ベティー・リアドン博士は、「アメリカ創価大学には、全ての人々のためのグローバルなコミュニティー(共同体)を築いていく力をつける環境が整っている」と評価してくださいました。
アメリカ創価大学は、平和と文化と教育の連帯を広げ、人類の希望の未来を開きゆく「英知の殿堂」であります。2020年からは、新たに「生命科学」コースが設置されることが決まりました。いよいよ発展を続ける、この殿堂を荘厳するのが、皆さん方一人一人の前進であり、勝利なのであります。
愛する皆さん全員が、健康で幸福で、栄光と凱歌の人生を飾りゆくことを、私は祈り抜いてまいります。
大切な、大切な宝の卒業生、万歳! 誉れのアメリカ創大家族、万歳! きょうは、本当におめでとう!(大拍手)

2017年6月6日火曜日

2017.06.06 わが友に贈る 2

☆女性に贈ることば 六月六日
初代会長の牧口常三郎先生は三つの目的について語っている。「千メートル競走のついでに百メートルの競走はできるが、百メートル競走のついでに千メートル競走はできない。大目的が確立してこそ、中日的、小目的が明確になり、その方法も生まれる」と。
人生というマラソンレースで勝利者になることが大切なのである。

☆今日のことば365 六月六日
困難というものは、自分がつくるものだ。それを乗り越えて行くのも、ほかならぬ自分だ。困難を避ける弱虫になにができる。

◎忘れました(^^♪

2017.06.06 わが友に贈る

広宣流布に先駆する
知勇兼備の学生部よ!
どこまでも信心根本に
正義の言論戦を担い
拡大の波動を起こせ!

☆新世紀の旭日 アメリカ創価大学 第1回 創立の心 2017年5月28日
◇三代会長の夢の学舎
21世紀が開幕した2001年の5月3日、カリフォルニア州オレンジ郡のアリソビエホ市に開学したアメリカ創価大学(SUA)。本企画では「新世紀の旭日」と題して、本年で開学16周年を迎えたSUAの歴史と発展の様子を紹介する。第1回は「創立の心」。

創価教育の創始者である牧口常三郎先生が、弟子・戸田城聖先生の家を訪れたのは、1930年のある冬の日だった。火鉢を囲んで、二人は語り合った。
自らの教育学を世に問いたいと語る師に、「先生の教育学は、何が目的ですか」と戸田先生は尋ねた。
「それは、価値を創造することだ」
「では先生、創価教育、と決めましょう」
『創価教育学体系』が発刊されるのは、この語らいから数カ月後の、30年11月18日である。
出版に向け、戸田先生は、牧口先生の原稿の整理・編集を申し出た。
牧口先生が折々に、自身の理論を書きとどめていた反古紙や広告の裏紙。その一枚一枚を、戸田先生が体系的に整理し、牧口先生が推敲して『創価教育学体系』は完成した。表紙の題字と牧口先生の名前を、戸田先生は金文字で飾った。
慎ましくとも、崇高な師弟の絆の中で生まれた創価教育——。
「将来、創価教育の学説を実践する学校ができる。幼稚園から大学までだ。必ず戸田君が後を引き継いでやってくれるよ」。これが牧口先生の確信であった。
その師の構想を、戸田先生が、愛弟子の池田大作先生に託したのは、50年の秋である。
「創価大学をつくろうな」「世界一の大学にしよう」と。
当時、苦境に陥った恩師の事業を支えるために戦っていた池田先生。この遺言を胸に71年4月2日、東京・八王子市に創価大学を創立。牧口先生の生誕100周年であり、「4・2」は恩師の祥月命日だった。
そして池田先生の構想は、さらなる未来へ広がっていた。
「事業の苦境のなか、先生は、眼光爛々と、世界を見つめておられた。壮大な未来を見つめておられた」
「ゆえに私は、創価大学を創立した時から、"いずれは海外に、人類貢献の大学建設を"と、決心していた」

80年、先生のロサンゼルス訪問の折、アメリカ在住の創大卒業生からなる「アメリカ創友会」が結成。その中にはハブキ学長をはじめ、SUAの職員となる友がいた。"そろそろアメリカに大学を"と、具体的な提案がされたのはこの頃である。
そして87年2月、ロサンゼルス市近郊のカラバサスに創大ロサンゼルス分校が開校。後にSUAの大学院が開学し、4年制大学への本格的な一歩を踏み出す場所となった。
開所式のあいさつで、池田先生は呼び掛けた。「この分校の成否は、一にも二にも人間にかかっていることを忘れてはならない」と。
創価教育の理想を、自らの理想として継ぐ人の「決意」と「意志」があってこそ、大学は大学たりえると訴えたのである。
SUAの建設地が、オレンジ郡に決定したのは95年。開学を目指して準備が進められていく。
教育課程などを議論する会議。豪華な顔ぶれの学識者の中に、先生と交流を重ねた、ハーバード大学名誉教授のジョン・モンゴメリー博士がいた。現在のSUAのカリキュラムの基礎をなす、多くの提案をしたのが博士だった。
大学運営の決定権を持つ理事会。開学当初から携わり、現理事長を務めるスティーブ・ダナム氏もまた、先生との出会いを通して、その教育思想に啓発された一人である。
動きだした建設計画の中心には、先生の理想の実現へ、決意と意志に燃える人たちがいた。
96年6月1日、新キャンパス設立準備委員会に出席した先生は、こう展望を語っている。
「『平和』こそ、人類の最大の課題である。その平和の大地を耕すのが『文化』である。この平和と文化が人間性を耕し、『幸福』を実らせていく。その推進をするのが知性であり、教育なのである。すでに数十年前、私は『教育こそ私の人生の最後の事業』と宣言した。その通りに私は行動している。この心をくんでいただければ幸いである」
「SUAは、これからの大学である。今後、皆さまのご協力をいただいて、教育界の『新しき太陽』として、アメリカ社会に貢献し、未来に希望の曙光を送っていきたい」

2001年5月3日。待望のオレンジ郡キャンパスが開学した。
幅広い教養と人間性を育むリベラルアーツ(一般教養)の大学。使命を表すミッションステートメントには、「貢献的人生を生きゆく世界市民の確固たる潮流を築く」と掲げられている。
「太平洋を望み、天空に伸びゆく驚嘆すべき教育施設」(ニューヨーク・タイムズ紙)
「世界に焦点を当てた教育」(ロサンゼルス・タイムズ紙)
各界から注目が集まる中、栄光の1期生が門をたたく。
晴れの門出を、誰よりも祝福したのは創立者の池田先生である。
「私は、キャンパスの光となり、風となって、皆さんを包み、祝福したい思いでいっぱいです」
「牧口先生も、戸田先生も、どれほど、お喜びになっていることか。まことに不思議な縁の皆さん方であり、その『使命』は限りなく大きい。いな、『天命』であり、『宿命』といえるかもしれません」
慈愛の陽光が降り注ぐ。創価の三代会長の夢が詰まったキャンパスで、新しき世紀の挑戦が始まった。

インタビュー ハブキ学長
●社会貢献の秀才逸材を育成
SUAのキャンパスに入ると、目に飛び込んでくる本部棟。名前は「ファウンダーズホール」——ファウンダーズ(創立者たち)と複数形になっています。
池田先生は、その意義を、「先師牧口先生、恩師戸田先生の創価教育の理想に続いた私と共に、今日に至るまで、陰に陽に尽力してくださったすべての方々を顕彰するためである」と教えてくださいました。
池田先生がロサンゼルスに滞在していた折、先生と懇談する機会がありました。当時まだ、大学院生だった私を、先生は"将来、アメリカに大学をつくるから、しっかり博士号を取りなさい"と激励してくださいました。
こうして希望を送っていただいたのは、私一人ではありません。2001年の開学に携わった教職員や、理事会のメンバーの多くが、先生に励まされ、先生のSUAに懸ける思いに心打たれた人たちでした。
そして世界中に、"先生の大学だから"と、真心で支えてくださる庶民の方々がいます。このような大学は、ほかにないと確信します。
私の両親の時代は、大学に行くのが当たり前ではなかった。しかし、学園や創大が誕生すると、夢を膨らませた親たちが懸命に、わが子を大学に行かせてくれました。
その私たちが創価教育の「第1世代」であるならば、開学して間もないSUAに入学した学生の多くは、「第2世代」だったと言えます。親や祖父母の思いを背負って、彼らは、無名の大学に勇み集ってくれました。
大学で最も大切なのは学生です。その学生は、お金では雇えない。池田先生の理想を継ぐ世界中の人たちが、わが子、わが青年の心を育み、背中を押し、SUAでの学問を可能にしてくださいました。
先生の遠大な展望に包まれて、SUAの歴史が刻まれてきたことに感謝は尽きません。
開学前、先生は和歌を詠んでくださいました。
「アメリカの わが創大は わが生命 秀才 逸材 無限に育てよ」
教育は「最後の事業」であると語られた先生。SUAは、世界を舞台にした教育のネットワークの始まりであると、私は考えています。
努力を重ねる「秀才」と、教育で培った力を、社会に還元していく「逸材」。そうした人材を無限に育てていくことが、先生の心を継ぎ、創価教育の真価が発揮される時代をつくると、実感を深くしています。

2017年6月5日月曜日

2017.06.05 わが友に贈る

◇今週のことば
広布の労苦は
全てが無量の福徳に。
何があっても前へ!
この祈りと執念で
栄光の扉を開け!
2017年6月5日

十字御書 P1491
『地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば或は地の下と申す経文もあり或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候』

☆女性に贈ることば 六月五日
心こそが大切である。
心の弱い人に、幸福はない。
心の汚れた人に、幸福はない。
心の強い人に、幸福は宿る。

☆今日のことば365 六月五日
人間というものは、だれしも、楽をしたい。怠けたいという気持ちがあります。その気持ちに負けて、しなければならないことを、やらなかったり、途中で投げ出してしまったら、まわりの人は、だれも相手にしてくれなくなります。みんなから信用されず、さびしい思いをするのは、自分なのです。

☆世界写真紀行第15回 オーストラリア・メルボルンの街並み 2017年5月25日
◇地域を変える先駆者に
整然と並ぶ建物。水と緑に恵まれた街並み。これだけ高い所から眺めても、人々が暮らしやすい、落ち着いた佇まいが伝わってくるようだ。
オーストラリア第2の都市メルボルン。
南東部ビクトリア州の州都で、人口は435万人。19世紀、州内に金鉱が発見され、工業都市として急速に発展した。1927年までは同国の首都だった。
「移民の国」として知られるオーストラリア。中でもメルボルンは、アジアや欧州など世界からの移民が多く、街には中国風や南欧風など多様な建築が。多民族・多文化が共生する天地である。
64年5月13日、池田先生はオーストラリアへの第一歩をしるす。6日間の日程で、シドニーからメルボルン、ゴールドコーストなど各地を訪問した。
この時の様子が、小説『新・人間革命』第9巻「新時代」の章に綴られている。
当時、オーストラリアのメンバーは数えるほどしかいなかった。山本伸一会長は、宿舎のロビーで一人一人の状況を聞いた後、「メルボルン支部」の結成を宣言。日本から現地の大学に留学していた友を、支部長に任命した。
伸一は多忙の合間を縫って、若き支部長と語り合い、渾身の励ましを送った。
"できることなら、オーストラリアで仕事を探してみたらどうか"と提案する伸一。すると友の表情は曇った。
「この国では、白豪主義が根深く、白人以外の人種が就職したり、社会に食い込んでいくのは、並大抵のことではありません」と本音を漏らす友。伸一は言った。
「そうかもしれない。しかし、だからこそ、誰かが、それを打ち破っていかなければならない。どこの国でも、さまざまな差別や障害がある。それが現実だよ。矛盾だ、不平等だと文句を言うだけで、それが解決できるなら、こんなに簡単なことはない。その現実を直視して、道を切り開いてきたのが、世界広布の歩みです」
「学会が掲げているのは地球民族主義だ。その実現の第一歩は、君がこのオーストラリアで、力をもち、実証を示して、誰からも信頼され、尊敬されていくことだよ」「これは大変なことだ。生活に根差した、粘り強い戦いだ。君は、その先駆者になりたまえ」
師の期待を胸に、草創の友は社会の第一線で奮闘しつつ、広布拡大に走った。先生は、そうしたメンバーを心から励まし、見守り続けた。
70年代になると移民政策は大きく転換され、白豪主義は消えていく。一方で、社会の繁栄を願うSGIの行動は、確固たる信頼となって地域に根付いていった。
ダーウィン市などオーストラリアの各都市からは、池田先生に「名誉市民」の称号が授与された。また同国の名門シドニー大学から先生に「名誉文学博士号」が贈られるなど、先生の思想と行動への称賛は尽きない。
社会は動く。それぞれの地域にもまた、独特の難しさや障害があるかもしれないが、それにのみ込まれてはならない。"変わるはずがない"という諦めや"誰かがやるだろう"という人任せは、何の解決にもならないからだ。
現実を見つめつつ、立正安国という理想を目指し、今いる場所で努力を重ねる。いかに状況が厳しくても諦めず、何度でも挑み続ける——。これが創価の三代会長の実践であり、世界広布の先駆者の戦いである。

2017年6月4日日曜日

2017.06.04 わが友に贈る

仏法は勝負。
断固負けるな!
わが目標の達成へ
いよいよの決意で
努力と挑戦の自分史を!

上野殿御返事 P1544
『今の時法華経を信ずる人あり或は火のごとく信ずる人もあり或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時はもへたつばかりをもへどもとをざかりぬればすつる心あり、水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり』

☆女性に贈ることば 六月四日
職場に一人の聡明な女性がいれば、どれほどか爽やかな歓喜の波が広がっていくことだろう。

☆今日のことば365 六月四日
人間は、いつ、いかなる時も、常に人間らしくありたいものだ。あらゆる人が、絶えず人間らしく生きること----それが、すべての原点だ。

☆地域を歩く 青森県・横浜町 2017年5月24日
◇友好広げる季節の到来
丘の上の風車が回る。
山から海に向け、ゆっくりと雲が流れていく。
"やませ"と呼ばれる北東の風が吹き始めるとようやく、遅い春が来る——地域では、そういわれている。取材に訪ねた今月15日は、まさに春の真っ盛り。田植えの準備が進んでいた。
青森県・横浜町。
斧の形をした下北半島の、"柄"の部分に位置する、陸奥湾に面した細長い町だ。約4600人が暮らすこの地には、毎年5月になると、県の内外から数万人の観光客がやって来る。
人の流れに付いて行くと、その理由が、瞬時に分かった。海沿いの国道を山側に少し入った時、"黄色い海"が現れたのだ。横浜町が誇る一面の「菜の花畑」が、風に波打っていた。
同町は、菜の花の作付面積で国内一、二を争う。町内には約156ヘクタール、東京ドーム約33倍の花畑がある。
町では、1991年から毎年、花が見頃を迎える5月を中心に、「菜の花フェスティバル」が行われている。そして、この町で活動する横浜支部の同志は同年から、フェスティバルに前後する日程で、「菜の花友好の集い」を開催してきた。
毎回、趣向を凝らした企画を考え、近隣の人々を招いて、地域の親睦を深める。近年では、20人以上の友人が参加した年もあるという。
集いに込められた、メンバーの思いを聞いた。

2日間にわたる「菜の花フェスティバル」では毎年、7000台もの観光客の車が、小さな町を行き交う。交通安全指導隊の一員として、毎年、その整理誘導に当たってきたのが尾見隆士さん(副本部長)だ。
1956年に信心を始めた。当時、まだ旧習が根強く残る集落では、冷たい目で見られることもあった。「うちだけ地域の連絡が来ないことも、よくありました」
だが、町内会やPTAの役員を積極的に引き受ける姿を、皆は見てくれていたようだ。ある時、町長から直接「交通安全指導隊をやってくれないか」と頼まれた。
以来、三十余年、「何か事故でもあれば"私の責任"だという思いで、地域の無事故を祈り続けてきました」。
その長年の貢献に対し地元の警察署や全日本交通安全協会から、表彰状が贈られている。

「菜の花友好の集い」は、地域貢献の一環として、町が主催する「菜の花フェスティバル」を盛り上げるために始めた。当初はフェスティバル会場の一角を使い、魚介のバーベキューをしたり、歌や踊りを楽しんだり、そのまま青空座談会を開催したりしていた。
一方、県外からも人が集まり始めたフェスティバルは、次第に、住民が役員などに当たらねばならなくなる。"横浜町の春"を十分に楽しめない人が増えてきたのだ。
そこで、そうした地元に暮らす人々が共に楽しめる場にしたいと、友好の集いは、フェスティバルと日程をずらして開催するようになった。
今年で27回目を迎えるこの集いを、毎年、楽しみにしている人は少なくない。町の母子寡婦福祉会で会長を務める中山タヨさんもその一人。集いでは、いつも踊りを披露。長年、聖教新聞も愛読する。
「学会の集いは、みんなが主役で素晴らしいと思います。先月、白内障の手術をした際、学会員の皆さんが『大成功を祈っているよ』って勇気づけてくれたの。言葉一つでとっても安心できました。励まし合いの絆があるから、学会は結束力が強くて明るいのかもしれませんね」

杉山ミサホさん(支部副婦人部長)も毎年、見事な舞いで「友好の集い」を盛り上げる。幼い頃から踊りが好きで、96年に友人らと「手踊り保存会」を立ち上げた。町の行事や高齢者施設の慰労会にも参加している。
「時には、お面をかぶったり、衣装を前後反対に着てみたり。とにかく、みんなを楽しませることが大好きなの。楽しいと『次もまた来ようかしら』って思うでしょ」
昨年、椎間板ヘルニアが悪化し、一時は寝たきりになった。地域の友人たちの見舞いが心に染みた。婦人部の先輩が、「体調を崩したことにも意味があるね」と励ましてくれた。
「その通りだ、と感謝すると、生命力が湧いてきて」。本年、孫を入会に導いた。「折伏に励むと、どんどん元気になった。早くみんなの前で、また踊りたいわ」

毎年、多くの友人と共に参加しているのは、若佐今子さん(支部婦人部長)。2年前には、10人以上の友人を誘った。
横浜町出身の若佐さんは、中学卒業と同時に県外へ。三重県で信心に出あい、その後、仕事の関係で30年以上、愛知県で暮らしていた。
2007年、父の介護をするために、40年ぶりに帰郷した。生活環境の違いに、なかなか慣れない。地元ではあるが、初めは全く友人がおらず、寂しい思いをした。自身を地域の皆とつないでくれる、学会員の存在がありがたかった。
「地域に溶け込んでいきたいと、近所を歩いては、あいさつを心掛けました。知らない人にも会釈をしながら、顔なじみになって。作業中の人には『今、それは何をしているのですか?』と尋ねて、いろいろと教えてもらいました。近所の人に習って始めたメロン作りは、今年で10年目になります」
そうした中、老人会の役員を頼まれ、「地域のために貢献できるならと、引き受けました」。
今では、町中に友人がいる。自身の故郷で、人をつなぐ役割を果たせるようになったことを、誇りに思っている。

陸奥湾に面する横浜町には、採れた魚介を近所に"お裾分け"する習慣がある。
「精魂込めてつくったものを、みんなに食べてもらいたい」と語るのは森川敦子さん。家族でホタテの養殖業を営む。昨年、娘の小百合さんを入会に導いた。
森川さんは、若佐さんが激励に通い続けてきたメンバーだ。
「若佐さんは、会えなくても毎日のようにメモや手紙を置いて励ましてくれました」
自然が相手の仕事は、苦労や悩みの連続。海が荒れる時には、陸で作業をしながら、"早く帰れますように"と家族の無事を祈る。天候の不順によって、不漁が続く時もある。「若佐さんがそういう話を聞いてくれるだけで、心が軽くなりました」と森川さん。
若佐さんは語る。
「学会活動って、"自分が相手に何かをしてあげる"んじゃなくて、"相手から学ばせてもらうこと"だと思っています。だから、つながりが増えた分、成長も歓喜も人一倍大きくなっていくんだな、と感じます」
本年の「友好の集い」は今週末。今回も歌に踊りに、多くの笑顔が咲くことだろう。人と会い、人とつながる——そのたび、心に"喜びの花畑"が広がっていく。

2017年6月3日土曜日

2017.06.03 わが友に贈る

「ほむれば弥功徳まさる」
「一」の挑戦には
「十」の称賛を!
励ましは「万の力」だ。
讃え合えば勢いも加速!

新尼御前御返事 P904
『磯のほとりにて昔見しあまのりなり、色形あぢわひもかはらず、など我が父母かはらせ給いけんとかたちがへなるうらめしさなみだをさへがたし』

☆女性に贈ることば 六月三日
逆境に負けない、真の強い自己を築くカギは、貴くこと、徹することです。

☆今日のことば365 六月三日
総じていえば学問も大事であるけれども、これだけは絶対だれにも負けないという特技をもつことが大事です。国語でも書道でも音楽でもよい。また親切ということでもよい。語学も極めて重要です。とにかく、他の人に負けないものを身につけなさい。

☆誓いの天地 東京・村山総区 2017年5月22日
◇「一人を大切に」の心を胸に 勝利の夜明けをここから
北多摩地域の北部の武蔵村山・東大和・東村山・東久留米・清瀬の5市からなる村山総区。
都心へのアクセスも良く、自然豊かな狭山丘陵にほど近い。日本で初めて女子フルマラソンが開催されたとされる多摩湖周辺は、休日になると、サイクリングやランニングを楽しむ人々でにぎわう。
東大和市には3年前、音楽隊・鼓笛隊が練習する拠点として「創価青年音楽センター」が開館した。
武蔵村山市で生まれ育った相田佳美さん(女子部本部長)は、ウエディングプランナー。営業成績は、同じ会社のプランナーの中でもトップクラスだ。
「誰よりも早く出勤し、掃除をするのが日課です。華やかな仕事だと思われがちですが、実際は、人の見ていないところで、どこまで努力を積み重ねられるかが勝負。女子部の白蓮グループでの薫陶が生きていると実感します」
学会活動の基本を学んだのは地区リーダー時代。地区婦人部長の母・壽美代さん(支部副婦人部長兼任)と同じ地区を担当し、協議会や座談会、訪問激励にも親子で。近所の人と楽しそうに語り合う母、親身になって同志の相談に乗る母の姿に、「一人」を大切にする心を教わった。
昨年11月、女子部本部長に。2月のロマン総会に向けて、訪問激励に走った。
総会目前のある日、母から「グラフSGI」2月号を手渡された。開いてみると1983年の村山圏記念幹部会の写真が。そこには池田先生と共に、相田さんが10歳の頃に亡くなった父・博さんの姿があった。父も応援してくれているように感じ、勇気が湧いた。
迎えたロマン総会は3支部とも大成功。約8割のメンバーと友情の語らいを広げ、総区をリードする拡大を成し遂げた。
「自他共の幸福」を目指し、相田さんは、きょうも愛する地域を駆ける。

兼田雄一郎さん(男子部部長、副本部長兼任)は、小学校入学と同時に清瀬台田団地に越してきた。
「ご近所が、まるでみんな親戚のよう。子どもの頃は、近くに住むおじいさんやおばあさんの家によく遊びに行きました」
信心の原点は学生部時代、第2東京大文化祭に出演したこと。地区の同志の応援を力に、初の弘教を実らせ、当日を迎えた。フィナーレで「紅の歌」を大合唱した際、青年部の奮闘をたたえる池田先生の姿に涙があふれた。
「先生は立ち上がると、会場に設置された大きな木のオブジェを指さされました。"君よ、立派な大樹に育て"と呼び掛けるように。"大成長してお応えしよう"と誓いました」
大手警備会社に勤める兼田さん。入社3年後、模範の社員に贈られる「優秀警備員」を受賞。昨年は、自身が隊長を務めるチームが「優秀警備隊」として表彰された。現在、事業所の代表として、2020年の東京五輪・パラリンピックに向けた責任者養成研修に参加している。
「警備という仕事は、チームワークが何より大切です。一人一人の"桜梅桃李の良さ"を引き出せるよう、日頃のコミュニケーションを大切にし、信頼関係を強めていきたい」
区少年部長として未来部の友の育成にも尽力する兼田さん。次代の"大樹"を育てることが、地域への恩返しだと決めている。

◇栄光の共戦譜
池田先生が初めて村山の地を訪れたのは、1960年4月10日。戸田先生の遺族と共に、桜舞う多摩湖周辺を散策した。
先生の日記には、こう記されている。
「蘭春——風塵——東村山まで征く。桜あり、しばし心麗か」「愛する東京の桃源境、日本の平野。私の憧れの大地なり」
76年、池田先生の提案により東村山市に桜の苗木が寄贈された。その一部が植えられた多摩湖町では、翌年から「さくらまつり」が開かれ、地域の恒例行事に。本年で40回目を迎えた。
「毎年、各地からたくさんの人がやってきますよ」と笑顔で語る津佐澄子さん(区婦人部主事)。結婚を機に福島県から上京した。両親が災害で亡くなった上、夫が原因不明の病に倒れ、病院をたらい回しにされるなど、度重なる苦難の中、57年に入会した。
入会3日目に参加した座談会。「この信心を一人でも多くの人に語っていきなさい。必ず病気は治るよ」との言葉が胸に響いた。満々たる確信で語る青年が池田先生だと知ったのは、後になってからだった。
翌日から弘教に歩いた。夫はみるみる回復し、2カ月で職場に復帰。61年、東村山市に越してからも、拡大の勢いは止まらない。夫妻で、月に30人以上を入会に導いたこともあった。
77年、東村山文化会館(現・東村山平和会館)が落成した折、感謝の思いを込め、夫妻でピアノを同会館に寄贈。「津佐ピアノ」と命名された。
翌年2月24日、同会館を初訪問した池田先生が、このピアノに向かい、「月の沙漠」「赤とんぼ」などを弾いて婦人部の友を激励。この日は「東村山戸田区創価女性の日」となった。
本年、入会60周年。4人の娘は、村山総区で婦人部のリーダーとして活躍する。米寿を迎えた津佐さんは、はつらつと仏法を語り広げている。

広布の前進を阻む障魔と戦い、常に正義を打ち立ててきた「村山」。常勝の誇り高き友の胸には、同志を励まし抜く池田先生の姿が刻まれている。
83年1月21日、池田先生が、旧・東大和文化会館を初訪問した。
会館に到着後、先生は、居合わせた友と記念撮影。1回目が終わると"まだいるだろう""役員がいたら全員撮ってあげるよ"と何度も促し、陰の同志を見つけては、共にカメラに納まった。
同会館で行われた「村山圏記念幹部会」の席上、先生は励ましの大切さを語った。
「人間は強そうで弱いものだ。いくら幹部でも、また社会的地位がある人でも、悩みもある。弱さももっている。ゆえに上下の差別なく、同志間の『励まし』が信心と幸福への重要な鍵となっていることを忘れてはならない」
先生は会合前にも、地域の同志に励ましを送っていた。東大和市で精肉店を営む山根操さん(副支部長)・仁子さん(地区副婦人部長)夫妻だ。
先生は車で会館へ向かう途中、山根さんの店の前を通り、伝言を贈った。
「競争相手は多いけれども、絶対に負けないで頑張りなさい。今、世の中は不景気だけれども、経費を節約して賢く対応するんだ。そして、皆を励まして戦ってください」
実はこの3年前の80年3月、池田先生は東大和市を訪問した際、山根さんの店を訪れ、温かく激励。「お元気で。3年後に、またお会いしましょう」と声を掛けていた。「たった一度、立ち寄られたわが家を忘れず、約束を果たしてくださったんです」と山根さん。
父が知人の借金の肩代わりをしたため、当時の家計は厳しかった。学会活動に消極的だった山根さんは、先生の伝言に奮起。本陣長(ブロック長)や地区部長として広布の最前線を走る一方、地元の商店会長や、食肉事業協同組合の地区長なども務めてきた。妻の仁子さんは、36年間にわたり聖教新聞を配達。自治会の行事の運営などにも積極的に携わる。
大型店に押され、商店街の店舗数は全盛期の3割程度に減少。「だからこそ支え合うことが大事です」。山根さん夫妻は朗らかに、励ましの声を広げる。

2001年5月、池田先生は、村山の友に和歌を詠み贈った。
「大東京 勝利 勝利の 夜明けをば 村山立ちて ついに迎えり」
師の渾身の励ましと、それに全力で応える弟子の奮闘で築かれた村山。創価の勝利の夜明けへ、常勝の弟子が今再び立ち上がる。

☆創価青年大会 太陽の心光る人材王国 群馬 2017年5月23日
なぜ、群馬が「太陽の国」なのか? 総群馬創価青年大会(21日、前橋市のALSOKぐんまアリーナ)は、参加者に、こう問い掛けて始まった。
「太陽の国」——これは池田先生が1987年8月、群馬の同志に贈った永遠の指針である。本年で発表30周年の佳節を迎える。
人間には、当たり前のように存在するがゆえに、その偉大さを感じられないことがある。その一つに「太陽」が挙がるだろう。
かつて、池田先生は次のように語った。
「太陽の温かな光があればこそ、万物は成長できる。太陽とは『希望』です。『勇気』です。『慈愛』です」
群馬の若人たちは、今回の青年大会を、いつも身近で支えてくれる"太陽の存在"に感謝を伝える場にしようと、勉学、仕事、学会活動に挑戦。勝利の実証を示してきた。
「Kingdom of the Sun Gunma——黎明の勇士たち」とのテーマで開かれた大会は、報恩の心がみなぎる集いとなった。

ひときわ感動を呼んだのは、手紙の朗読である。
男子部の小嶋弘さん(県書記長)もその一人。読んだ、と言っても、その横で寄り添うように立つ15年来の親友・恩田聡さん(男子部副本部長)が亡き祖母に宛てた手紙を、である。
「おばあちゃんは不器用だったけど、純粋な心に縁する人はみんな味方になっていったよね」「おばあちゃんが亡くなって30年経った今年、ある近所の壮年から手紙をいただきました」 今年2月、ある壮年部の友から恩田さんのもとに手紙が届いた。そこには、口下手だった祖母が必死で信心の確信を語り、その壮年が数年後に入会し、幸せな人生を歩んでいる模様が記されていた。「おばあちゃんは僕の誇りです。おばあちゃんの信心のおかげで今の自分がいます!」
恩田さんは7年前から病魔と闘っている。手紙には、師をはじめ、自分を育み、成長させてくれた方々への感謝を胸に、絶対に負けないとの誓いが綴られていた。小嶋さんによって読み上げられると、万雷の拍手が場内を包んだ。

小幡千穂さん(女子部員)は1年ほど前、生まれ育った群馬で再就職。しかし、厳しい労働環境に疲れ切っていた。そんな彼女の支えは女子部や婦人部の先輩だった。同志の温かな励ましを力に、信心根本に人間革命に挑む中、職場環境にも適応できるようになっていった。
「ここに立っていられるのは、創価家族である皆さんのおかげ」と小幡さん。
席上、初めて仏法対話をした友人も見守る中、ダンスを披露。涙をこらえながら手紙を朗読した。「皆さんのように、私は一人の友に、温かな太陽のような励ましを送ることのできる人へと成長していきます!」
財雄大さん(学生部部長)は、昨年9月に弘教を実らせた細野直也さん(学生部員)と共に軽快なダンスを披露した。
折伏のきっかけは、昨年、来日したSGIの友の求道心を目の当たりにしたこと。信心に対して中途半端な姿勢を猛省し、新たな決意で「行学の二道」に挑み抜いていった。
普段から悩みを相談し合う細野さんに、「この信心で一緒に成長したい」と素直な気持ちを伝え、入会に導いたのだ。
その後、学会活動を共にしてきた2人。細野さんは先日、自身の成長を実感した喜びを感じ、学会員であると初めて友人に宣言できた。2人は、広布の大道を進む誓いを演目に込めた。

男女青年部をはじめ、群馬音楽隊、群馬富士鼓笛隊、少年少女合唱団の代表が演目を披露した大会。フィナーレでは、参加者5200人が県歌「広布の鐘」を高らかに歌い上げた。
それは、太陽の心光る後継が育ちゆく人材王国・群馬の希望の未来を象徴していた。

2017年6月2日金曜日

2017.06.02 わが友に贈る

価値ある対話の鉄則は
相手の話を「聞く」。
相手を「敬う」。
相手から「学ぶ」。
交友録を楽しく綴ろう!

教行証御書 P1282
『此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや』

☆女性に贈ることば 六月二日
本を読む楽しさを知らないということは、人生の巨大な損失です。いっぱいの宝物に囲まれながら・その価値を知らないでいる人のようだ。
読書の喜びを知れば、人生の深さと大きさは、一変する。

☆今日のことば365 六月二日
青年期とは、将来の人間形成のため、悩みと戦っていく時代の異名である。

☆随筆永遠なれ創価の大城 第20回 世界一の学会家族 2017年5月31日
◇我らには「異体同心」の信心がある 広布の父母に最敬礼! 共に人生の凱歌を
わが師・戸田城聖先生の言葉が今日も蘇る。
「我らは、久遠元初からの麗しき同心の友である。法華経の会座で共に誓い合って、今また娑婆世界に涌出したのだ」
学会は、広宣流布の仏勅に立ち上がった、世界で唯一の異体同心の和合僧団である。「創価家族」と言われる通り、ここには、いずこにもまして温かな人間連帯がある。
実の父母に限らない。壮年部・婦人部という、学会の父母が、男女青年部や未来部を「わが息子、わが娘」と、大切にしてくれている。真心の応援に包まれ、中部、北海道、関東、関西と、各地の青年大会も大成功である。
多宝会・宝寿会・錦宝会の大先輩方の存在もまた、どれほど大きいか。
さらに目を世界に転ずれば、百九十二カ国・地域の同志が万人尊敬の励ましの輪を広げている。
人類が夢に見た共生社会の縮図がここにある。この団結と和楽をもって、「立正安国」の建設に今日も走りゆく同志の皆様を、恩師も笑顔で見守られているに違いない。

◇白ゆりに幸光れ
婦人部誕生の六月は"女性の月"である。
六月四日に、世界の華陽姉妹の記念日を迎える女子部との、婦女一体の大前進の報告を、妻と嬉しく伺っている。
一九五一年の六月十日、婦人部の晴れの結成に際して、戸田先生は和歌を贈ってくださった。
「白ゆりの
  香りも高き
    集いかな
 心の清き
  友どちなれば」
たとえ今、どんなに苦しくとも、悩みが深くとも、白ゆりのような清らかな信心があれば、断じて負けない。
先生は草創のある日、涙ながらに苦悩の来し方を語る下町の母を、全力で励まされた。
「信心で勝とう! 時が来れば、全て懐かしい思い出になるよ」
この母は、庶民の都・足立で、恩師の指導通りに懸命に祈り、戦い、そして勝った。
苦楽共に「今生人界の思出」となり、永遠の「心の財」を積んで生命の凱歌を轟かせる。これが信心の極意である。
日蓮大聖人は、苦難の渦中にあった池上兄弟と夫人たちに、団結の大切さを教えられながら、どこまでも信心第一に生き抜けと指導なされた。
「たとえ、どんなに煩わしい苦難があっても、夢の中のこととして、ただ法華経のことだけを思っていきなさい」(御書一〇八八ページ、通解)
苦しい時も題目、嬉しい時も題目、何があっても題目——誓願の祈りを根本に戦ってきたのが、広布の母たちなのだ。

現実社会では、憎悪や反目の争いが絶えない。その悲劇の流転に終止符を打つ希望は、いずこにあるか。
それは「哲学と勇気と慈愛」で結ばれた女性の連帯にこそある。
私と妻は、ノーベル平和賞受賞者のベティ・ウィリアムズさんと、友情を結んできた。北アイルランド紛争の解決へ、対立する双方の女性を結集して、奇跡的な平和運動を成し遂げた母である。その聡明な眼は、"ウソは対立を煽り、民衆を分断させる元凶である"と見破ったのだ。
彼女は語っていた。
「『真実』はいつまでも隠すことはできません。人々の努力でウソの飾りがはぎ取られた時に、美しき心の泉から『希望』がわき出てくるのです」
我らの創価の母が動き語る、賢明にして誠実な言葉は、どれほど幸の仏縁を結んでいることか。
ある初期の仏典には、こう説かれている。
釈尊は「離反した人々を結びつけ、仲よくしている人々をさらに仲よくさせ」「和合を喜び、和合をもたらす言葉を語っている」と——。
私たちの勇気の対話もまた、信頼を固め、友情を結び、乱世にあって、真実と希望の安全地帯をつくり広げているのだ。

◇君よ師子の如く
六月六日は、殉教の先師・牧口常三郎先生の生誕百四十六周年である。
先生は常々、「羊千匹よりも獅子一匹」と言われ、壮年門下に一人立つ師子たれと示された。
御書に、「師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき事なり」(一一二四ページ)と仰せだ。
眼前の戦いを、"ここが我が勝負なり!"と腹を決め、全力を尽くす。それが師子だ。
壮年部は、社会のため、地域のため、広布のためにと奮迅の勢いを出す。
あの真剣な広宣の父の雄姿を見よ! 壮年部の堂々と戦う姿を見れば、家族も地域の皆も、安心する。勇気をもらう。
日蓮大聖人が佐渡流罪中のことである。
中興次郎入道という年配の壮年がいた。裕福で心根も立派であり、地域からの信頼も厚い長老格の人物であった。
この壮年が、世の風評などに惑わされることなく、自らの曇りなき心で大聖人の人格に共鳴し、「この方は、何かいわれのある方に違いない」と正義の声を上げたのだ。
この一言に一族の人びとも従い、さらに大聖人を憎み、危害を加えようとする周囲の動きも収まった。まさに重鎮の一人の声——大確信の師子吼によって、皆の心を一気に善の方へ動かしていったのである。(御書一三三三ページなど参照)
この次郎入道の夫妻が逝去した後も、子息(中興入道)夫妻は、大聖人門下として強盛な信心を貫いている。
「声仏事を為す」だ。なかんずく、壮年の声の力は計り知れない。ゆえに、断じて声を惜しむまい。声の限り、力の限り、創価の勇将が正義を叫んで、必ずや国土世間を仏国土に変えていくのだ。

◇「兄弟会」の誓い
「学会家族」の団結を語る上で、私が常に思い起こすのが、「兄弟会」の存在である。
慣れ親しんだ地を離れ、新天地で苦境に直面した時、懐かしき同志からの激励で、立ち直ることができた——。
そんな報告を、幾たび伺ってきたことか。今、北海道から沖縄まで全国各地に兄弟会があり、その友情の水脈は世界中に流れ通っている。"支部兄弟会"などとして交流を深めている地域も多い。
同志と結んだ「心の絆」は、環境や場所が変わろうと、切れはしない。物理的な距離は離れても、心はいよいよ近い。
この「兄弟会」の模範の原点といえば、東京・中野である。
スポーツの集いと記念撮影会を行った折(一九七三年二月四日)、参加した青年たちを「中野兄弟会」と命名し、毎年、集い合うことを提案した。一人ひとりが三十年後の目標をメモに記し、誓いを共々に果たそうと呼び掛けたのである。
同じころ、東京の港、渋谷、世田谷、杉並、目黒、大田等でも兄弟会が結成され、新宿、千代田等にも仲良きグループが誕生した。後年、品川、豊島、北、足立、江東、墨田、荒川、また村山、町田、調布等々、新たな兄弟会が発足している。
地涌の兄弟姉妹は、民衆の幸と平和を築く広布の誓いを貫いてきた。今や学会でも、社会でも、地域でも、欠かすことのできない大事な要の存在となってくれている。
つい先日も、私と妻は目黒方面を走り、題目を送った(七日)。若き日に夫婦して住んだ三田も通った。地域に根差し、信頼と友情を広げる友の奮闘が、嬉しくてならなかった。
石と石を打ち合えば、火が生まれる。大使命に生き抜く意気と意気が共鳴すれば、生命の底から感激が湧き上がる。
東京の歌「ああ感激の同志あり」を初めて会合で声高らかに歌ったのは、一九七八年の夏、場所は忘れもしない荒川文化会館であった。
そこには、東京の支部長・婦人部長、男女の部長の代表が集っていた。誰もが歓喜に胸を高鳴らせ、声も限りに歌った。
「仏の使いに 誇りあり/ほまれの東京 光あれ」と皆が心を一つにし、まさに"感激の同志"として勝利へ総立ちの出陣となったのである。

◇栄光の峰へ雄飛
大切な広布の父母よ!
"黄金柱の壮年部"と"太陽の婦人部"が、ガッチリと心を合わせ、青年と共に「空飛ぶ者の王」鷲の如く進みゆくのだ。そうすれば、いかなる群雲をも突き抜け、旭日に輝く栄光の峰に到達できないはずがない。
我らには、異体同心の信心がある。あらゆる壁を打ち破る、不屈の負けじ魂がある。無限の価値創造の大空を飛ぶ、慈悲と智慧の翼がある。
さあ常勝のスクラムをさらに強く、勇気の前進、また前進だ!

未来まで
 凱歌の物語
  綴りゆく
 我らは地涌の
  兄弟なるかな

2017年6月1日木曜日

2017.06.01 わが友に贈る

「何とかなる」は慢心。
「何とかする」と決め
最大の努力を貫くのが
仏法者の生き方だ。
力強く価値ある日々を!

月水御書 P1203
『御経をばよませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし』

☆女性に贈ることば 六月一日
若さに生き、若さを知り、若さを発揮した人は、人生の究極の道を、天使の如く誇り高く歩み、綴っていく至福の人だ。

☆今日のことば365 六月一日
土中に深く根を下ろした土台がなければ、天をも衝く大建設は完成しないように、絢爛豪華な大文化の花も咲かせることはできないのだ。政治や文化のすべての分野で繁栄し、数多くの人材を輩出していくためにも、いまこそ土壌に根を、より大きく、強く、伸ばし張り巡らせなければならない。

☆新時代を進む 第10回 誓春凱歌の花を爛漫と 2017年5月28日
わが女子部の友が「凱歌の花」の拡大月間と掲げて、はつらつと前進している。
創価の太陽・婦人部と共に、幸福と友情の対話を明るく賢く織り成す姿を、御本仏がいかばかりお喜びくださることか。
「乙御前は、さぞかし成長されたことでしょう。どんなに聡明になられたことでしょうか」(御書1222ページ、通解)。健気な母娘を慈しまれた御聖訓は、華陽姉妹への仰せとも拝される。
広宣流布の誓いに走る青春は苦労も多い。しかし、尽きせぬ充実がある。歓喜がある。希望がある。
60年前の夏、大阪事件の直後に、私は東京の下町・荒川で人情あふれる同志と一緒に、新たな民衆勝利の波を起こしていった。
その折、座談会場のお宅の乙女からの質問に答え、「妙法のジャンヌ・ダルクたれ!」と呼び掛けたことも懐かしい。
創価のジャンヌたちは、まさに善意と慈愛と優しい心で悩める友を励まし、社会の只中で立正安国のスクラムを勇敢に広げてきた。
それは、一人一人が福智を光らせ、「心の財」を積みながら、皆で仲良く朗らかに幸の境涯を開きゆく平和の大革命といってよい。
女子部が輝けば、一家も地域も、そして未来も輝く。
「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(同552ページ)
地涌の女性の確信の声で、あの友この友の心に、幸福凱歌の種を蒔いていただきたい。
— ◇ — 
「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同1132ページ)——「"まさか"が実現」の関西の戦いの中で、皆と拝した一節である。
いかなる壁が立ちはだかろうとも、題目の師子吼で祈り抜き、祈り切り、大胆に一歩を踏み出すことだ。
そこに、無量の智慧を発揮し、不可能を可能にする道が必ず開かれる。
戸田先生が青年に示された逆転勝利の鉄則がある。「真剣に祈れば智慧が湧く」「行き詰まった時が勝負だ」「大変な所へ真っ先に行け」
— ◇ — 
全国を牽引する関西青年部の大行進も頼もしい。
今日(28日)は、大阪、京都、和歌山で意気軒高に青年大会が行われる。さらに来週は福井、再来週は滋賀で予定されている。
「負けたらあかん!」
常勝後継の若人たちの輝く誓春乱舞を、尊き関西の父母たちと、私は何よりうれしく見守っている。