2018年7月1日日曜日

2018.07.01 わが友に贈る

親子の時間を有意義に!
多忙な日々の中で
一緒に過ごす工夫が
子どもとの絆を強める。
家族で楽しき思い出を!

四条金吾殿御返事 P1169
『又さきざき申すがごとくさきざきよりも百千万億倍御用心あるべし』

【通解】
また、以前から申したように、以前よりは百千万億倍、用心していきなさい。

〈寸鉄〉 2018年7月1日
さあ青年の月!列島各地で弘教のドラマ。後継の誓い燃える師子は陸続と
きょうキッズフェスタ。未来っ子の成長は希望!学会の庭で力合わせ育成
「心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ」御書。対話こそ心結ぶ王道。誠実で
青年教学1級の申し込み開始。行学は仏法の魂。悔いなき挑戦と錬磨の夏を
国民安全の日。交通事故・火災は「私は大丈夫」との心の隙に。互いに声掛け

☆大白蓮華巻頭言2018年7月号 我らは「生死不過」の心で!
日蓮大聖人が年配の父母たちを慈しまれた御振る舞いを拝するたびに、私の胸は熱くなる。
子どものいない佐渡の国府入道夫妻へのお手紙では、「教主釈尊は人道殿と尼御前の慈父です。日蓮はまた、あなた方の子です」(P1323)、と寄り添われ、乱世に老いゆく不安を取り除かれている。富木常忍の九十代の母堂へは、「全宇宙の諸天が、お母さまの信心の志を知られるでしょう。その功徳は、露を大海に入れ、土を大地に加えるようなものです。生生に失われず、世世に朽ちないでしょう」(P968)と讃えておられた。
こうした仰せは、そのまま、いとおしい創価の父母たちへのお心であり、お約束であろう。
わが師・戸田城聖先生は、私が十九歳でお会いした座談会の祈、悠然と語ってくださった。
−−生老病死という根本の悩みを、誰もが打開して必ず正しい人生を送れるのが、日蓮仏法だよ、と。
この七十星霜、先生の指導過り、生死の苦悩に立ち向かい、我ら創価家族は、何と多くの「人間革命」の勝利の実証を積み広げてきたことか。
「生死一大事血脈抄」には、「一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し」(P1337)と説かれる。
友へ題目を送り、励ましの手を差し伸べてきた多宝会の方々こそ、生死を超えて千仏の手に抱かれ、護られ、歓喜と安穏の軌道を進みゆけるに違いない。

恐るるな
 生死ともに
  仏なり
 山越え谷越え
  歓喜の凱歌を

当然、生身の色心には、加齢による衰えがある。
勿体なくも御本仏が、最晩年、「この八年の間は、やせる病気といい、齢といい、年々に身も心も弱くなってきました」(P1583)と仰せである。
その中で大難を乱ばれ、一人ひとりを擁護し、薫陶され、万年の令法久住を開いてくださったのである。
ゆえに、自身の病や家族の介護等にも、「長く信心してきたのに」などと、たじろぐ必要はない。
「このやまひは仏の御はからひか」「病ある人仏になる」「病によりて道心はをこり候なり」(P1480)との御金言のままに、探き意味を址つめつつ、何ものにも屈しない、変毒為薬の大福運と大境涯を一家眷属に創り上げていくのだ。これが信心である。
たとえ、眼・耳・鼻・舌・身・意という「六識」の働きが衰弱しようとも、広宣流布の闘争で築いた陶中の「九識心王真如の都」は絶対に崩れない。
我らの三世の旅路は、永遠に妙法と一体であり、大聖人と一体なのである。何の不安があろうか。
この「信心の血脈」は、今は反発している家族の生命にも必ずや流れ通っていくから、心配はない。
創価の父・牧口常三郎先生は、獄中で殉教された。いかなる場所で、いかなる臨終の姿をとろうと、広布の誓願に生き抜く生命は、「一生成仏」の凱歌を轟かせていけることを教えてくださっている。
先師から託された「生死不退の心」で、多宝の長者たちと共々に、常楽我浄の香風を広げゆこう!

☆7月の広布史
◎7・3「戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日」
1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府の弾圧により不敬罪、治安維持法違反の罪に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時・理事長)が出獄した日。戸田先生は、獄死した初代会長・牧口常三郎先生の遺志を継ぎ、学会の再建に立ち上がった。
57年(同32年)7月3日、大阪府警が、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時・青年部の室長)を、選挙違反の容疑で不当逮捕(大阪事件)。12日、蔵前の国技館(当時)で大阪事件に抗議する「東京大会」が行われた。池田先生は、17日に釈放され、同日、中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。
62年(同37年)1月25日に無罪判決が出された。
※参考資料=『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第4巻「立正安国」、第5巻「獅子」、『池田大作全集』第22巻、『法華経の智慧』第6巻

◎7・11「男子部結成記念日」
51年(同26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で、戸田先生のもと、百数十人が集い、男子部が結成された。75万世帯達成に向け、男子部は弘教に奮闘。その先頭に立ったのが、若き池田先生であり、蒲田、関西などで折伏・弘教の金字塔を打ち立てた。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

◎7・19「女子部結成記念日」
51年(同26年)7月19日、旧学会本部で女子部結成式が行われ、戸田先生は、集った74人のメンバーに、「女子部員は、一人のこらず幸福に」と激励した。