2018年7月22日日曜日

2018.07.22 わが友に贈る

帰省等で大きく動く夏。
車を運転する歳は
適切な休憩を必ず取り
法令を守って慎重に。
「前前の用心」怠らず。

大果報御書 P1298
『なにとなくとも釈迦如来法華経を失い候いつる上は大果報ならば三年はよもとをもひ候いつるにいくさけかちつづき候いぬ、国はいかにも候へ法華経のひろまらん事疑なかるべし』

【通解】
なにはなくとも釈迦如来・法華経を失ったからには、大果報があったとしても三年はよもやもつまいと思っていたが、戦争や飢饉が続いた。我が国がどのようになるかはともかくとして、法華経の弘まることは疑いないことである。

〈寸鉄〉 2018年7月22日
どんな時も御本尊を忘れるな—戸田先生。題目は苦悩を破る利剣。朗々と
鼓笛隊の日。希望の行進に各地から感動の声!心潤す平和の天使に幸あれ
青年教学1級の申し込み今日まで。学び挑んだ分、境涯も拡大。求道の心で
猛暑の中も学会守る創価班・牙城会に深謝。陰徳に陽報必ず。健康・無事故で
道路の照り返しで地面に近いほど高温に。大人は子の目線で熱中症対策を

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 種種御振舞御書(下) 2018年7月16日
◇勇敢に難と戦う中に仏の境涯が
◇強盛な信心で一切を善の働きに
今月は、「種種御振舞御書」の後半を学びます。
池田先生は、つづられています。
「牧口先生は、よく『すすんで魔を駆り出して退治する』と言われました。(中略)
事実、『魔を呼び起こす勢いで』『魔を魔と見破って』、敢然と広布の指揮をとってきたのが、創価の三代の師弟です。今こそ私たちは、日蓮大聖人の御精神を深く拝していきたい。三障四魔と戦うなかに、成仏の境涯が開けます。魔が大きければ大きいほど、それ以上に、功徳は絶大なのです」
強盛な信心で大難を勝ち越えられた日蓮大聖人の御精神を拝し、心に刻んでいきましょう。(拝読範囲は、御書916ページ4行目〜925ページ本抄末尾です)

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が建治2年(1276年)に身延で認められ、光日房に与えられたとされていましたが、詳細は不明です。大聖人御自身のお振る舞いがつづられた本抄は、文永5年(1268年)、蒙古から国書が届き、大聖人が「立正安国論」で述べられた「他国侵逼難」の予言が現実のものとなったことから書き起こされます。
そして、文永8年(1271年)の竜の口の法難、佐渡流罪。佐渡での塚原問答、「開目抄」の御執筆。さらに文永11年(1274年)、佐渡流罪を許され鎌倉に戻られてからの国主諫暁、身延入山へと至る不惜身命の闘争が記されています。

◇御文
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり、眼前に見えたり此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇ましまさずんば争か日本の主となり給うべき、されば此の人人は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり、日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』(御書917ページ5行目〜9行目)

◇通解
釈迦如来にとっては提婆達多こそ第一の善知識ではなかったか。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人を良くしているのである。
その例は眼前にある。この鎌倉の北条御一門の繁栄は、(北条一門を倒そうとした最大の敵である)和田義盛と隠岐法皇とがおいでにならなくては、どうして日本の主となれたであろうか。それゆえ、この人々は、この御一門のためには、第一の味方である。
日蓮が仏になるための第一の味方は、東条景信であり、法師では良観、道隆、道阿弥陀仏であり、また平左衛門尉、守殿(北条時宗)がおいでにならなくては、どうして法華経の行者になれただろうかと悦んでいる。

◇解説
掲げた御文の前段で日蓮大聖人は、仏法の修行と理解が深まれば三障四魔が必ず競い起こるとの『摩訶止観』の文を通し、障魔と戦う人こそが"正法を行ずる人"であると示されます。
さらに、御自身が国主等から迫害を受けていること自体が、正法を実践している証しであると教えられます。難に遭っても正法の実践を貫くなかで、偉大な仏の境涯が開かれるのです。
掲げた御文で大聖人は、釈尊に敵対し殺害や教団の分裂などを企てた提婆達多こそ、釈尊にとって「第一の善知識」であると仰せです。善知識とは、人を仏道に導き入れる人を指し、この反対が、正法の修行を妨げて人を不幸にする悪知識です。大聖人は、提婆達多によって釈尊の偉大さが明らかになったことをもって、大悪人である提婆達多を善知識と言われているのです。
同じように大聖人にとって、御自身の命を狙う極楽寺良観や平左衛門尉ら迫害者こそが、仏になるための"第一の味方"であったと喜ばれています。
ここで大事なのは、釈尊も、大聖人も、悪知識である敵に"打ち勝った"からこそ、自らの正義を証明し、敵をも善知識の働きへと変えることができたということです。"仏法は勝負"であり、敵に打ち勝ってこそ、悪をも善の働きへと転換できるのです。
掲げた御文で"世間においても、自身を成長させ強くするものは、味方よりも強敵である"と述べられている通り、私たちの日常においても、苦難や"壁"にぶつかった時、また、行き詰まりを感じた時こそが、さらなる成長のチャンスです。
いかなる苦難も、信心で立ち向かえば、自身の境涯を大きく開き、宿命転換するための好機にできるのです。
ゆえに、何があっても"断じて勝つ"と一念を定め、強盛な信心を奮い起こして前進することが重要です。
池田先生は、今月の本部幹部会へのメッセージのなかで、「題目と共に日々、蘇る生命力で一切を変毒為薬し、不屈の『人間革命』の前進を」と呼び掛けています。
青年の月・7月。強盛な祈りを根本に、励ましの対話を大きく広げ、何があっても負けない青春を歩んでいきましょう。

★池田先生の講義から
人を成長させるのは、味方よりも、むしろ敵である。その意味で、迫害者こそは、境涯革命のための真実の味方であるといえる。権威・権力の迫害との戦いは「法華経の行者」の誉れと喜びを引き出してくれる。だから、喜ばしいことなのだ——と教えられています。
これは、もちろん「敵も味方も仲良く」ということではありません。
大切なのは「戦い切る」ことです。妥協を許さず「絶対に負けない」ことです。(2012年5月号「大白蓮華」、「勝利の経典『御書』に学ぶ」)
◇ ◆ ◇
創価学会も、ありとあらゆる迫害・弾圧・策謀に全部、打ち勝ってきました。その戦いによって、皆の信心が深まり、強くなった。難もなく、簡単に広宣流布ができたら、鍛えの場がなく、成仏する修行の場がなくなってしまう。
難即前進です。煩悩即菩提です。
一切の苦悩を即幸福へのエンジンとしていくのです。(『法華経の智慧』普及版〈中〉)

研さんのために
○…2012年5・6月号「大白蓮華」に掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」(聖教新聞社)