「つよきすけを
かひぬれば・たうれず」
寄り添う人がいる限り
人は断じて負けない。
皆が友の強き支えに!
上野殿御返事 P1512
『いつもの御事に候へばをどろかれずめづらしからぬやうにうちをぼへて候は凡夫の心なり』
【通解】
(南条時光からご供養をいただくのは)いつものことなので、驚きもせず、珍しいことでもないように思うのは、凡夫の心のなせるわざである。
〈寸鉄〉 2018年7月12日
「語はふみにつくさず」御書。会うことが激励の基本。軽快に友のもとへ
総東京婦人部「幸福・勝利の日」。希望の花園広げる本陣の太陽。福徳は燦然
誰に対しても誠実の二字で付き合っていけ—恩師爽やかな振舞で友情拡大
被災地の皆様、復旧作業は熱中症に気を付けて。水分補給と休憩小まめに
災害の義援金名目の詐欺に注意—県警。不審電話や訪問に警戒。騙されず
☆歌声高く 第4回 人生の旅
◇光求めて 苦楽を越えて
「いかなる困難も、自らの使命に信念をもつ人びとを挫折させることはできない」(マハトマ・ガンジー)
現実社会の厳しき試練の荒波を、不退の信心で耐え忍び、勝ち越え、広布の使命を敢然と果たしゆく師子王こそ我ら壮年部である。
待望の新壮年部歌「人生の旅」の完成が報じられたのは、1978年(昭和53年)7月7日付の聖教新聞。
8月24日の「壮年部の日」を目指して進む友の奮闘を祈り、池田先生が自ら作詞・作曲したものである。
同歌が誕生した7月6日、池田先生は山梨の大月会館(当時)を初訪問。県の代表との懇談会に出席した先生は、席上、新壮年部歌をいち早く全国の丈夫たちに届けたいと、録音テープの音源を披露し、同席した友と完成の喜びを分かち合った。
広布のロマンが詩情豊かに表現された同歌は、感激とともに各地の壮年部に伝えられた。会合に担当幹部が録音テープを持参したり、有志が歌詞を大きく清書したりしながら、皆で師の心を噛み締め、歌詞とメロディーを覚えていった。
「歌っていると、苦難の幾山河を越えて、悠々たる境涯へと心が広がるようです」「この歌を口ずさみ、これからも壮年部が、家族も、同志も、ぐいぐいリードしていきます」との声が寄せられるなど、対話の現場で力走する壮年勇者への、強い追い風となった。
池田先生はつづっている。「壮年が、率先垂範で広宣流布を推進していってこそ、学会の重厚な力が発揮され、社会に深く根差した運動を展開していくことができる」
大聖人の御在世当時も、富木常忍や大田乗明、曾谷教信らの壮年信徒が、門下の中心的な立場となって、地域広布を担ってきた。
「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(955ページ)、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(970ページ)との御聖訓は、富木常忍に与えられた御書の一節である。
限りある人生を悔いなく妙法流布にささげ、友の幸福と地域社会の繁栄に尽くし切っていく中に、最高に充実した生き方があり、誉れ高き人生がある。
◇
「人生の旅」と同じく7月に詩が誕生した壮年部の愛唱歌がある。「滝の詩」だ。
滝の如く 激しく
滝の如く 撓まず
滝の如く 恐れず
滝の如く 朗らかに
滝の如く 堂々と
男は
王者の風格を持て
71年(昭和46年)6月14日、青森・奥入瀬渓流を訪れた池田先生は、清冽なる滝の風景に思いを寄せて一詩を詠み、7月4日に発表。この詩に青森出身の芸術部員が曲を付け、地元同志によって歌い継がれてきた。
時は流れて2007年5月、青森の壮年部有志が歌った「滝の詩」の音声を聴いた池田先生は、「とても良い歌だ」と賛嘆し、直後の本部幹部会で、音楽隊の合唱団が歌った。その雄々しき歌詞と曲調が感動を呼び、瞬く間に全国壮年部の愛唱するところとなった。
「男は王者の風格を持て」——仕事、家庭、そして地域広布の第一線で、使命と責任を背負い、周囲を輝かせる黄金柱として生き抜く中で、王者の風格が磨かれていく。さあ今日も、ほとばしる滝の如く、威風堂々の人生勝利の旅を——。
MEMO
"この歌を歌いながら、人生の舞を舞うように、明るく、力強く広布の旅を続けていきたい"——「人生の旅」が誕生した当時の本紙をひもとくと、第一線の隅々まで、新壮年部歌の喜びが広がっている様子が記されている。また、歌詞に込められた思いや意義が、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章につづられている。
※ガンジーの言葉は森本達雄訳『わたしの非暴力』みすず書房
一、彼の峰も あの坂も
ああ幾山河 妻子と共に
光求めて 苦楽を越えて
いざや来たらんや 暁仰げば
二、あの風も この雪も
ああ幾歳か たどりたる
今に厳たり この生命
ああ鐘は鳴る 幸の城には
三、彼の人も あの友も
ああ幾百万 旭日に揃わなん
元初の炎は 消えるなく
讃え謳わなん 誉れの門出と