広布のリーダーは
緻密であれ!
時に大胆であれ!
強盛な祈りを根本に
歴史に輝く名指揮を!
立正安国論 P26
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
【通解】
自分は器も小さく、取るに足らない人間ではあるけれども、かたじけなくも大乗仏教を学んでいます。青バエは駿馬の尾について万里を行くことができ、葛(カズラ)は大きな松に寄って千尋の高さまでも延びるという例えもあります。
〈寸鉄〉 2018年7月5日
折伏が宗教の生命—牧口先生。勇敢に語り抜け!そこに自他共の幸福必ず
宮城女性の日。婦女一体の前進で友の心に幸の光を。皆様こそ東北の太陽
仕事が楽しみなら人生は素晴らしく—作家。青年よ今いる所で第一人者に
人の寿命は今後も延びると。幸齢社会へ問われる生き方。哲学の確立を今
熱中症の予防強化月間。正しい知識あれば防げると。油断せず上手に涼を
☆歌声高く 第2回 友よ起て
◇青年とはロマンに生き抜く人
今年も「師弟の月」「青年の月」7月が巡り来る。
7月3日——それは、1945年(昭和20年)、軍部政府による弾圧と戦った戸田先生が、2年間にわたる獄中闘争の末に出獄した日である。また57年(同32年)、池田先生が選挙違反という無実の罪で不当逮捕・勾留された日でもある。
7月6日——43年(同18年)のこの日、牧口先生は静岡の下田で、戸田先生は東京の白金台で、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕された。今年で75年となる。
「7・3」と「7・6」は、学会にとって、権力の魔性と戦い、民衆勝利の時代を開く"誓いの日"。池田先生作詞・作曲の男子部歌「友よ起て」の歌詞と楽譜が聖教新聞に掲載されたのは40年前、78年(同53年)の7月3日付と7月6日付の2回であった。
先生は男子部に「新しい飛躍の歌を贈りたい」と、あえて7月3日に発表することを選び、寸暇を惜しんで制作を進めたのだ。
前日の2日夕、先生は、こう語っている。「一つの歌をつくるにも生命を通わせなくてはいけない。生命でつくったもののみが、生命に入っていく」「何事によらず"労作業"でなければ、人々の心を打つものはできないものだ」と。
この言葉の通り、先生は一度出来上がった男子部歌にもう一度、命を吹き込む思いで、曲に手を加えた。
創価の初代、2代、3代の会長は、いかなる吹雪にも烈風にも、敢然と胸を張り、一人立った。後継の弟子であるならば、師子の男子部であるならば、一人立て! 友よ起て!——と、心で祈り叫びながら。
こうして「7・6」に再びの発表となったのである。
歌声は瞬く間に全国へ広がった。「青年とは、広布のロマンに生き抜く人だ」(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章)との師の期待を胸に抱き、男子部結成の月・7月を駆ける丈夫たちの力走とともに。
そして「友よ起て」の発表から3年余。嵐に揺るがぬ学会精神は、第1次宗門事件からの反転攻勢の中で、新たな歌を生み出した。81年(同56年)11月、四国で産声を上げた「紅の歌」である。四国男子部の心意気を受け止めて、先生が歌詞を書き上げた一曲だ。
♪ああ暁鐘を
打て 鳴らせ
驕れる波浪よ
なにかせむ……
池田先生が嵐の中で男子部に託した闘魂は今、世代から世代へ受け継がれる。
MEMO
小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章には、日本の青年層が無気力・無関心に陥ってしまっていた当時の社会状況とともに、先生が"創価の青年よ。次代建設のリーダーたれ!"との願いを込めて「友よ起て」をつくった真情がつづられている。
一、若き地涌の 丈夫は
舞いゆけ大空 空翔ぶ鷲と
民衆を守りて 正義の羽は
勇み勇みて 友よ起て
二、見よや彼方に 虹かかり
いざいざ征かなん 決めたる道を
地を征く王者と 走りぬ師子は
朝日夕陽に 友よ起て
三、広布のロマンを 一筋に
打てよ鳴らせよ 七つの鐘を
やがては誉れの 凱歌の世紀
花に吹雪に 友よ起て