夏休みは親子の絆を
強めるチャンス!
子どもの話に耳を傾け
共に遊び 学びながら
豊かな心を育もう!
上野殿御返事 P1555
『其の後命つきて地獄にをつ両の足ばかり地獄にいらず獄卒鉄杖をもつてうてどもいらず、是は法華経をふみし逆縁の功徳による』
【通解】
その後、命が尽きて地獄に堕ちたが、両足だけは地獄に入らなかった。獄卒が鉄杖で打っても入らなかった。これは、法華経を踏んだ逆縁の功徳によるのである。
〈寸鉄〉 2018年7月21日
会長の提言や行動が平和担う「世界市民」の規範—博士。万人照らす光源と
人格を磨くには世の荒波に揉まれていけ—文豪。試練に喜び勇んで挑め!
天王山の夏。受験生よ悔いなき日々で栄光掴め。青春の労苦こそ生涯の宝
熱中症患者が急増。水分・塩分の補給は、喉が渇く前に!早めの冷房利用も
「真の共生社会」の実現へ公明党の視点が不可欠—識者。庶民の声を政治に
☆歌声高く 第5回 常勝の空
◇今再びの陣列で師弟の凱歌を
なぜ関西は強いのか。
「師弟の絆」が強いからだ。関西の隅々に、親から子や孫の世代へ、師の心が脈打ち、流れ通っているからだ。そこにはいつも「常勝の空」の歌声があった。
1978年(昭和53年)7月の初め、池田先生は「『関西の歌』を作ってはどうか」と提案した。
当時、第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた。
広宣流布の不滅の金字塔を打ち立てた「大阪の戦い」から22年、21世紀まで22年余。新世紀への折り返しに当たって、関西魂を継承し、新たな飛躍を期す"誓いの歌"が必要だと考えたのである。
同年7月8日午前、池田先生のもとに、関西の友が作成した原案が届いた。先生は同日午後から、共戦の同志に思いをはせつつ、本格的な作詞に取り掛かる。
「今再びの 陣列に……」
のちに池田先生は「冒頭は、この言葉しかないと思った」と。
無名の庶民がスクラムを組み、前人未到の歴史を勝ち開いてきた関西。魔性の権力の横暴に憤怒し、血涙を拭って挑み立ち、常勝の城を築いた関西。
どこよりも師弟の絆強き君たちが、嵐をついて「今再びの陣列」を築き、広宣流布をけん引していくのだ——との万感の思いが込められていた。
その後も、池田先生は激務の合間をぬって、歌詞に手を加えた。作曲を担当する壮年に、節を付けて歌ってみせるなど、助言を重ねた。こうした精神の燃焼の末に、「関西の歌」は完成した。
同年7月17日付の「聖教新聞」関西版に、歌詞と楽譜が発表された。
「君と我とは久遠より」「護りに護らん我が友を」
歌詞からほとばしる師の慈愛に触れ、関西中に電撃が走った。そして同日夜、関西戸田記念講堂で行われた記念幹部会で、熱き歌声が轟いたのである。
同年8月上旬、池田先生は「関西の歌」を「常勝の空」と名付けた。
以来、この歌は、常勝関西の代名詞となる。池田先生はつづっている。「関西の歌『常勝の空』は、私が戸田先生にお聞かせしたかった、第一の歌である」
発表から40周年。巡り来る「7・17」を前に、世界が仰ぐ関西の天地には、きょうも、"今再び"の師弟の凱歌が響き渡る。
◇
「常勝の空」が誕生した78年、もう一つ、池田先生が関西に贈った歌がある。
同年11月、先生は大楠公・楠木正成ゆかりの岸和田を擁する泉州を訪問。滞在中、この地から、新しき常勝の時代の幕開けを告げようと、「泉州の歌」の歌詞を贈った。発表されたのは泉州の女子部総会。のちにタイトルは「歓喜の城光れ」に決まった。
「あの人この人 元初より 不離の同志か 兄弟か……」
その歌詞にも、泉州をはじめ、愛する関西への深い思いが込められていた。
池田先生と関西——その絆は未来永遠に、金剛にして不壊なのである。
◇MEMO
関西の歌「常勝の空」の誕生の経緯は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章に描かれている。SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
また泉州の歌「歓喜の城光れ」の発表の模様は第29巻「常楽」の章につづられている。
一、今再びの 陣列に
君と我とは 久遠より
誓いの友と 春の曲
愛する関西 勇み立て
二、我等の誉れ 錦州城
常勝の空 晴ればれと
凱歌の友の 雄叫びは
波濤の如く 天に舞え
三、ああ関西の 行進に
諸天の旗も 色冴えて
護りに護らん 我が友を
いざや前進 恐れなく