きょうも心軽やかに
友と会おう!語ろう!
そこに新鮮な感動があり
喜びと充実が広がる!
幸の花薫る対話の春に!
最蓮房御返事 P1342
『何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて順次に三仏座を並べたもう常寂光土に詣りて釈迦多宝の御宝前に於て我等無始より已来師弟の契約有りけるか無かりけるか又釈尊の御使として来つて化し給へるかさぞと仰せを蒙つてこそ我が心にも知られ候はんずれ、何様にもはげませ給へはげませ給へ』
☆女性に贈ることば 四月二十九日
子どもなのだから、時には、いたずらをするのも結構である。たとえ叱られたとしても、それが善悪を判断し、正義というものを考える手だてになれば、かけがえのない人生経験ではないか。
貴重な人生の学問を、子どもは自然のうちに学びとり、血肉としていくに違いない。
☆今日のことば365 四月二十九日
幸福というものは、決して他からあたえられるものではない。自己の生命の内に築いていくものである。人生には、嵐の日もあり、雪の日もあろう。だが、自己の胸中の大空には常に希望の太陽が輝き、青空が美しく広がっていればよいのである。
☆四季の励まし 御書発刊65周年 行学の二道を歩む喜び 2017年4月23日
御書は、全人類に
「冬は必ず春となる」と示し切った
「希望の経典」である。
「命こそ第一の財なり」と断ずる
「生命尊厳の経典」である。
「立正安国」の道を開いた
「平和の経典」である。
「正義は邪悪に勝つ」ことを
説き切った
「勝利の経典」なのである。
教学の深化は、信心をさらに深め、
自分自身の使命の自覚を促し、
広宣流布に生き抜く闘魂を
燃え上がらせてくれるものだ。
信心は常に戦いだ。
日々、臆病や惰性、慢心など、
自らを不幸にする
己心の魔との戦いだ。
教学とは、精神闘争の武器であり、
自己錬磨の明鏡である。
一行でも、一節でもいい。
日々の生活と広布の戦いの中で、
御書を拝していくことだ。
御書を「わかろう、わかりたい」と、
一生懸命、努力することだ。
真剣であれば、
毛穴からでも入っていく。
頭でわかるのと、
信心でわかるのとは違う。
自らの身に当ててみて、
「ああ、このことだったのか」と、
わかる時が必ず来るのだ。
日蓮大聖人は、私たちに
仏道修行の根本の軌道を
示してくださった。
「行学の二道を
はげみ候べし」(御書1361ページ)
学ばなければ、
人びとを納得させられない。
実践の伴わない教学は、
自身の成長にも、
社会の変革の力にもならない。
「行」と「学」の両輪——
この実践の教学こそが
学会の伝統である。
高原の空の彼方に、そびえ立つ浅間山。その雄姿に向かって一本の道が延びる。広宣流布という栄光の峰へ、真っすぐに進む創価の師弟の軌跡のように——。昨年8月、池田大作先生が長野を訪問した折、撮影した一枚である。
今月28日は、『日蓮大聖人御書全集』の発刊から65周年。同書は、第2代会長・戸田城聖先生が発願し、池田先生をはじめ弟子たちが編さん・校正作業などを担った「師弟不二の結晶」である。これまでに英語、中国語、スペイン語など、10言語以上に翻訳。世界中に「行学の二道」を歩む喜びが広がる。
池田先生は「『行学の二道』が、試練を勝ち越える力となる」と。行き詰まった時こそ、御書を開こう。そこから、宿命転換の勝利劇は始まる。