2017年4月26日水曜日

2017.04.26 わが友に贈る

苦難に負けない
我ら学会員の姿自体が
仏法の偉大さの証しだ。
地涌の使命を確信し
不撓不屈の大前進を!

月満御前御書 P1110
『譬えば雷の音耳しいの為に聞く事なく日月の光り目くらの為に見る事なし』

☆女性に贈ることば 四月二十六日
タンポポは、なぜ」 踏まれても、踏まれても、負けないのだろうか。強さの秘密は、地中深くに伸ばした根っこだ。長いものだと、地下一メートル以上にもなるという。
人間も同じであろう。悪戦苦闘を耐え抜き、自身の人生の根っこを、何ものにも揺るがぬ深さまで張った人が、まことの勝利者だ。

☆今日のことば365 四月二十六日
活躍する時には大いにしよう
休息をとる時はゆっくりと
休息することだ
休息なき戦いは自らも疲れ
なんら効果を生まないからだ

☆男子部のページ 池田先生の指針から 2017年4月18日
大聖人は、(南条)時光に対し、「たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて」(御書1542ページ)とも仰せである。
思うようにいかないことがあればあるほど、喜び勇んで立ち向かっていくのだ。何があっても強気で、思い切り戦い抜いていくのだ。これが、創価の青年である。学会精神である。
ひとたび、戦いを起こしたからには、「能忍(能く忍ぶ)」という仏の大力を発揮して、勝利するまで、前へ前へと進むのだ。
〈『随筆 対話の大道』「青年よ 快活に対話の波を(下)」〉
◇◆◇
今、勇気の対話に挑戦している同志の中には、人知れず、体調や仕事、家庭などの苦悩を抱えている方もいるだろう。
だが、自らも悩みと格闘しながら、自他共の幸福を祈り、人のため社会のため、労苦を惜しまず信念の対話に打って出る——これほど気高い人生があるだろうか。
オーストリアの詩人ホフマンスタールは、「苦しまないところからは、ほんのその場限りの、大して価値のないものしか生まれては参りません」と綴っている。
偉大な思想は、苦難に屈せず実践を貫いていく渦中にこそ、わが血肉となり、骨格となっていくのである。

臆して立ち止まっていても、何も生まれない。友の中へ、人間の中へ、民衆の中へと、喜び勇んで飛び込むことだ。
どんどん人と会う。
どんどん友と語る。
形式ではない。真心を込めて語っていくのだ。この胸襟を開いた対話の中に、本当の民主主義の躍動もある。
一人、また一人と、新たな連帯を結びゆく道程には、あの友、この友の、感謝と共感の笑顔が光っていくに違いない。
大聖人は、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ」(御書997ページ)と、誠にダイナミックな生命の劇を洞察された。
思いもよらぬ困難が立ちはだかったその時、わが一念が怯めば、生命は元品の無明に覆われ、魔に負けてしまう。
しかし、題目の師子吼を唱え、広布の誓願のまま、勇猛に挑んでいくならば、わが生命の元品の法性はいよいよ輝く。梵天・帝釈など、あらゆる諸天善神の加護を厳然と顕せる。魔を打ち破り、プラスに転じていける。
私も戸田先生のもと、いかなる激戦にも、喜び勇んで立ち向かった。
創価の師子奮迅の一念で猛然と祈り、戦いゆくところ、必ず一切を味方に変え、断固として勝利の道を切り開けるのだ。
〈『随筆 民衆凱歌の大行進』「行学で飾る創立の月」〉

☆誓いの天地 東京・墨田区 2017年4月23日
◇"師と同じ道"を朗らかに 五月の空に先駆の誉れ
世界一の自立式電波塔・東京スカイツリーの開業から、来月で、はや5年を迎える。
本年は墨田区の誕生から70年。大相撲や花火大会はじめ、豊かな下町情緒に彩られる庶民の都は、東京の一大観光拠点として、さらに存在感を増している。
"将来、ここが世界の中心になるよ"——。若き池田先生は、この地で広布に駆け、未来の発展を展望した。
「"先生は、この道も通られたんだよ"。草創の先輩から教わるたびに、路地一つとっても先生の息遣いを感じます」
そう語るのは、墨田戸田区の女子部長を務める中込里美さん。生粋の墨田っ子だ。
区内の病院に理学療法士として勤務。病気やけがの回復をサポートし、患者のリハビリを支える。
中には、体が思うように動かない現実を受け入れられず、周囲に当たる人もいる。
ベッドから動くことができず、何を話しても無表情でうなずくだけの患者もいた。
白蓮グループなどでの活動を通して、相手の側に立つ姿勢を学んでいた中込さん。不安な心に寄り添おうと、祈りを重ねた。
やがて、その人は、かたくなに拒み続けていた"座る練習"ができるように。「ありがとう。あなたに診てもらえてよかった」。その一言が、何よりうれしい。
中込さんは「体のリハビリとともに、心のリハビリが大切です。真心は必ず通じる。毎日、そう実感します」と語る。"相手は自分を映す鏡"と決めて、日々の学会活動で心を磨く。
「大好きな墨田を、もっと暮らしやすい街に!」と、地域でのリハビリ支援にも心を尽くす。

スカイツリーがある押上駅から1駅、京成曳舟駅を出て歩くと、焼きたてのパンの香りが漂う。
高橋聖一さん(墨田戸田区、男子部副本部長)が、妻・実香さん(白ゆり長)と営むパン屋「オットポン」。ひっきりなしに客が訪れ、思い思いのパンをトレーにのせていく。開放感のある店内はバリアフリー設計だ。
パン作りの専門学校を卒業し、高橋さんは都内のベーカリーで腕を磨いた。男子部の先輩の激励に奮起し、学会活動にも挑戦。同級生に弘教を実らせ、2人で一緒に牙城会大学校へ入校した。
それまで漠然と向き合っていたパン作りにも身が入る。「細かいところにどこまで気を配れるか。そこでパンのおいしさが決まります。どの工程も工夫のしがいが、いくらでもある。毎日が発見です」
開店はスカイツリー開業と同じ2012年。最初は飛ぶようにパンが売れたが、その後、客足が遠のく。「もう無理か」と諦めそうになるたび、同志が激励に来てくれた。
やがて駅前の再開発で住民が増加。パンの評判も徐々に広まり、苦境を脱することができた。
パン屋の朝は早い。かまどの火を午前4時に付け、5時半には最初のパンを焼き上げる。夜明け前の町を歩きながら、高橋さんは広布の誓いを燃やす。多忙を言い訳にすることなく、活動にも全力。これまで7人に弘教を実らせた。
若き池田先生が踏み締めた墨田の道。同じ道を進む友の胸には、後継の誓いが脈打っている。

◇栄光の共戦譜
全同志の希望の指標であり、世界が慶祝する「5・3」。その源流は、ここ墨田にある。
1951年(昭和26年)5月3日、墨田区内で行われた第2代会長就任式の席上、戸田先生は75万世帯の弘教を宣言。池田先生は男子第1部隊長として墨田を駆け、恩師の誓願成就への道を開いた。
そして、60年(同35年)5月3日、池田先生は墨田の日大講堂で第3代会長に就任したのである。
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
就任式に参加した加藤君子さん(墨田牧口区、支部副婦人部長)は振り返る。「池田先生は、講堂に掲げられた戸田先生の遺影に深々と頭を下げ、壇上に向かわれました。厳粛さに命が震えました」
夫の國蔵さん(故人)と、墨田広布の草創を駆けた。男子部員と食事や風呂を共にし、激励を重ねる先生の振る舞いを若い世代に伝えてきた。
君子さんの長男・広宣さん(副本部長)が先生に初めて接したのは、未来部の代表として参加した第1回墨田区幹部大会(73年12月11日、学会本部)。
識者との会見を終えて駆け付けた先生は、"皆さんの所願の達成を共々に祈りに込めたい"と、勤行・唱題し、同志を激励した。
師の確信に触れ、広宣さんは苦手だった勉学に打ち込み、教育の道へ。今、専門学校の教務部長として奮闘する。妻の喜美さん(婦人部副本部長)と共に本部未来本部長として後継の育成に尽力。個人会館の自宅は、子ども会の会場としても地域に親しまれてきた。
長女・真喜子さんは女子部の富士合唱団、次女・理沙さんは高等部の正義合唱団で活躍。広布の誓いが受け継がれている。

2012年5月、スカイツリーの開業祝賀イベントに、創価ルネサンスバンガードが出演した。
パレードの出発地点となった町会で、長年、尽力してきた富川孝子さん(墨田池田区、婦人部副本部長)。
「オープニングを告げる『威風堂々の歌』が、人生の勝利の凱歌のようでした」と振り返る。
富川さんは6人きょうだいの末っ子。7歳の時に母が失踪し、プレス加工を営む父を家族全員で支えた。そんな彼女を、墨田の同志が母のように包んでくれた。
池田先生との出会いは、墨田文化会館の落成式(1976年11月1日)。先生は、「"墨田ここにあり!"との気概で、先駆と模範の実証を全東京に示し切ってほしい」と望んだ。
師の期待を胸に、富川さん一家は経済革命を果たす。家族の病をはじめ、一切を乗り越えてきた。夫の好浩さん(副支部長)も町内会で防災部長を15年務めるなど、その姿は皆の模範と輝く。

「『5・3』を目前に、『五月の空に』も、ひときわ思いがこもります」と、足立起佐子さん(総区婦人部主事)は語る。
第2代・第3代会長就任の地の誇りと、下町広布の情熱を歌い上げた墨田区歌「五月の空に」。
同歌が発表されたのは84年(同59年)1月21日、区内で行われた最高協議会の席だった。足立さんも婦人部の代表として参加した。
有志が作成した歌詞の案を受け取った先生は、3カ所の直しを提案。「世界へ世紀へ 勇み立て」を、「世界だ世紀だ 勇み立て」としてはどうかと語った。
「普通、歌に『だ』は使わないんだ。けれど、『だ』にすることで大胆さが出る」「広布への深い責任と強い使命に立った時に、色心ともの躍動の活動がある」
翌85年、足立さんは墨田区(当時)の婦人部長に。ある時、池田先生から墨田の同志に掛け軸を頂いたとの連絡を受けた。
「五月晴れ この日この時 久遠より 覚悟の旅路 ついに来れり」——墨痕鮮やかに大書され、脇には「昭和三十五年五月三日 恩師戸田先生を偲びつつ詠む」としたためられていた。第3代会長就任の日、池田先生が詠んだ和歌だった。
先生は"この歌は墨田に一番ふさわしい。墨田にあることが大切だ"と伝言を寄せている。
「5月は"墨田の月"。先生との新たな誓いに立つ時です」。足立さんは決意を語る。
師弟源流の地から、新たな勝利の波動を! これが墨田に受け継がれる師匠との誓いである。