2017年4月25日火曜日

2017.04.25 わが友に贈る

限りある時間の中で
最大の価値を生み出す。
これが信心の醍醐味だ!
多忙であればあるほど
深き祈りに立ち返れ!

御義口伝巻下 P788
『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』

☆女性に贈ることば 四月二十五日
躾とは、日々の生活を、開運に、円滑に、自他ともに楽しく、回転させていくためのリズムを、「身」に「美しく」体得していくことといえるかもしれない。

☆今日のことば365 四月二十五日
人間の幸福への勝負は
 四十代 五十代であると
  思うから
そのために
 今日も 着実に
自身らしく
 思う存分に振る舞うことだ

☆誓いの天地 東京・町田市 2017年4月14日
◇進化を続ける青年の街
◇世界模範の広布の理想郷を
東京の南端に位置する町田市は、「都会と自然」の両面の魅力を持つ街だ。
中心市街地は、多くの若者が集まり、にぎわいを見せる。一方で、上小山田町から下小山田町、小野路町、図師町、野津田町には多摩丘陵の原風景が広がる。
横浜市、川崎市、相模原市、大和市に隣接することから、神奈川県との交流が盛んだ。都心部へのアクセスもよく、人口は増え続けている。
黒川進一さん(忠生凱旋区、区男子部書記長)は、都心部の大手ゲームソフト会社に勤務。数々の有名なゲームソフトの開発に携わってきた。
1985年(昭和60年)3月3日、2歳の時、町田文化会館を訪問した池田先生と出会いを刻んだ。先生は、黒川さんの頭を優しくなでつつ、「男の子は大樹のように育つんだよ」と。この"宝の歴史"を、いつも父母が語ってくれた。
いつしか、"師にお応えする人材に"との誓いが、心に芽生えた。小学生の時からテレビゲームが好きだったこともあり、ゲームクリエーターを志すように。
専門学校で2年間、懸命に学び、卒業時には「最優秀学生賞」を受賞。ゲーム会社への就職も勝ち取った。
ゲームプログラマーとして働き始めてからは、多忙を極めた。苦しい時期もあったが、それでも、学会活動からは一歩も引かず、弘教も実らせた。
3年間、ゲーム会社で働いた後、実力が認められ、現在の大手ゲームソフト会社へ転職。手掛けたゲームソフトが、好調な売れ行きを見せ、職場で大きく信頼を広げた。
その後、二つの大きなプロジェクトを担当することに。それぞれ、日本ゲーム大賞で優秀賞に輝くなど、高い評価を得た。
一昨年、「CEDEC」と呼ばれる日本最大のゲーム開発者の会議で発表を行った。ゲームプログラマーの"大樹"は、さらなる飛躍を続けている。

12年前の2005年(平成17年)5月、池田先生は、町田街道から小山ケ丘の住宅街を車で走った。最寄りの京王相模原線「多摩境駅」周辺は、大型マンション群が立ち並び、今も進化を続ける。
この小山ケ丘を含む地域で活動する小林康子さん(堺旭日区、女子部部長)。はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師として、訪問マッサージを行っている。
2年前、突然、水も飲めないほどの激烈なのどの痛みに襲われた。2週間で退院できたものの、1カ月後に再発。再び入院した。
退院する前、医師から「慢性化する可能性がある」と言われた。その頃、白蓮グループで薫陶を受けていた。"絶対に健康になってみせる"と祈り、活動に励んだ。今日まで再発はない。
周囲から「いつも元気だね」と言われる小林さんだが、中学生の時、いじめを受けた。その間、両親が支え続けてくれた。"いじめに負けたくない"と、学校にも通い続けた。
その試練を乗り越えたからこそ、一人に寄り添う行動に徹する。仕事では、毎朝、患者一人一人の健康、支える家族の幸福を祈り、治療へ向かう。活動でも、一人の励ましに全力を注ぐ。
昨年11月、女子部部長の任命を受けた。朗らかな小林さんの周囲には、自然と華陽姉妹の笑顔が広がる。"自身が殻を破った分だけ、広宣流布は進む"と決め、対話に駆ける。
青年の月・7月へ、凱歌の誓いに燃える町田青年部の勇気の大行進は、さらに勢いを増している。

◇栄光の共戦譜
「町田の大道」——町田文化会館に掲げられている書だ。1982年(昭和57年)4月、池田先生がしたためた。
68年(同43年)6月14日に町田会館(当時)を初訪問して以降、先生は幾度も友に励ましを送り、手塩に掛けて人材を育んできた。
85年(同60年)6月20日には、「夜明けの町田」とのモットーを贈った。95年(平成7年)3月、町田が学会初の「特区(特別区)」となった折には、「黄金に 輝く特区の 町田城 百万年の 歴史を創らむ」と詠んだ。
師の期待に奮い立ち、町田の同志は、広布の戦の「連戦連勝の大道」を駆けてきた。その栄光の共戦譜が、町田の誇りである。

78年(昭和53年)10月2日、町田文化会館で町田圏(当時)の総会が行われた。同会館は、77年(同52年)6月30日に落成。本年は40周年の佳節である。
先生は"「あの圏に続こう」と仰がれるような発展を"と念願。「世界の模範・町田」との指針を示した。
師を迎え、歓喜に包まれた総会。実は、この会合の前にも、師弟のドラマがつづられていた。
鈴木秀子さん(町田本陣区、支部副婦人部長・地区婦人部長兼任)は、地域の婦人部に誘われ、町田会館へ。到着すると、車から降りてくる先生の姿が見えた。
「いらっしゃい」と声を掛けられ、館内へ。青年部の運営役員をはじめ、数人の婦人がいた。
一人一人を温かく激励する先生の視線が、鈴木さんへ向いた。おなかには8カ月の子が。先生は、鈴木さんの体調を気遣いつつ、笑顔で励ましを送り、記念のカメラに納まった。
「会館を出る時も、見かけた人に声を掛け、記念撮影をされていました。一瞬を逃さず、一人を大切にされる姿を、心に焼き付けました」
幼少の頃から経済的に苦しかった。中学時代の親友から仏法の話を聞き、19歳の時に入会したが、学会活動には消極的だった。
結婚後も経済苦は続き、子育ても苦労の連続。思い悩んでいた時、入会に導いてくれた親友の"本気になって信心しようよ"との言葉に、目が覚めた。
以来、広布の最前線で幸のスクラムを拡大してきた。信心の歩みに合わせるかのように、経済苦も乗り越えることができた。
「先生の激励を思い返すと、感謝と戦う決意が湧いてきます」と鈴木さん。拡大の情熱は赤々と燃えている。

85年3月3日、先生は町田文化会館を訪問。代表幹部会が開催された。
冒頭、この日を「町田青年部の日」とすることが発表された。先生はスピーチで、"町田の勝利が日本の夜明け"と強調。"東京にも、神奈川にもない、世界に模範の広布の理想郷を"と望んだ。
横塚賢志さん(鶴川常勝区、本部長)は、幹部会に参加した一人。「町田への先生の深い思いに、"拡大の実証でお応えしよう"と対話に駆け巡りました」
10期生として創価中学へ。高校卒業までの6年間は、金の思い出だ。創立者から卒業生へ贈られた「君よ 人生いかに生きゆくべきかを 思索しながら 激しき社会の中で 常に進歩を忘れぬ 正義の光の人たれ」との言葉を、人生の指針として胸に刻む。
大学卒業後、大手電機メーカーに就職。99年(平成11年)から2006年(同18年)まで、米国に駐在した。仕事が多忙な中で、活動にも率先。弘教も実らせた。
米国にいた間、先生は2回、町田の友に随筆を贈った。その中で、中国の経済特区・深せんを通し、発展を遂げる町田のさらなる前進に期待を寄せた。
この頃、横塚さんも仕事で深?を訪れ、その発展ぶりを目の当たりにしていた。米国から帰国した際には、"今いる場所から、広布拡大を"と決意新たに、町田で挑戦を開始した。
会社では役員を務めるが、時間を見つけては、訪問激励にも歩く。昨年、本部内の全ての支部でブロック5勇士を達成した。
長女・遥香さん(華陽リーダー)はアメリカ創価大学を卒業後、企業の海外進出を支援する会社に勤務。次女・美紀さん(華陽リーダー)は創価大学で向学の青春を送っている。

南王者区、町田本陣区、鶴川常勝区、忠生凱旋区、堺旭日区の五つの区が、それぞれの特色を発揮しながら、団結固く、師弟の大道を進む町田の友。20年前の6月、先生は長編詩に詠んだ。
「町田の天空に 晴ればれたる 勝利の虹よ かかれ!」
町田の快進撃で、大東京の空に、誰もが仰ぎ見る広宣勝利の虹を懸ける時が来た。

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 乙御前御消息(上) 2017年4月8日
◇どんな時も求道の心で広布へ
今月から2回にわたり、「乙御前御消息」を学びます。
池田先生は綴っています。
「この御消息でも、大聖人は、乙御前とその母に、本当に幸福な人生を歩んでほしい。そのためにこそ、いかなる悪世でも、強く生き抜いていける信心を築いてほしい。そうした師匠の御慈愛が全編に込められています」
師匠を求め、佐渡へ、身延へと足を運び、純粋な信心を貫いた女性門下への日蓮大聖人の慈愛あふれる励ましを心に刻むとともに、苦難を乗り越えるための強盛な信心の姿勢を学びましょう。(今回の拝読範囲は、御書1218ページ冒頭〜1220ページ13行目「おぼすべし」)

◇本抄について
本抄は、建治元年(1275年)8月、日蓮大聖人が身延の地で認められたお手紙です。
あて名は「乙御前」となっていますが、内容は乙御前の母に対して送られたものです。
乙御前の母は、鎌倉に住んでいた門下で、夫と離別し、幼い娘を一人で育てながら純粋な信心を貫いた女性です。大聖人の佐渡流罪の渦中には遠路はるばる佐渡まで訪れ、大聖人から「日妙聖人」という最高の称号を贈られています。
当時、再びの蒙古襲来の可能性に世情が騒然としていました。そうした中、大聖人のおられる身延へと師匠を求めて足を運んだ乙御前の母に送られたのが本抄です。

◇御文
『されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼすべし、例には他を引くべからず、日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんと・せしかども・今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし』(御書1220ページ9行目〜13行目)

◇通解
それゆえ、妙楽大師は「心が堅固であれば、必ず神の守りも強いのである」と言っています。その人の信心が固ければ、諸天善神の守りは必ず強い、ということです。
これは、あなたのために申し上げるのです。これまでのあなたの信心の深さは、言い表すことができません。しかし、それよりもなお一層の強盛な信心をしていきなさい。その時は、ますます十羅刹女の守護も強くなると思いなさい。
その例は、他から引くまでもありません。この日蓮を、日本国の上一人より下万民に至るまで一人も残らず、亡き者にしようとしたけれども、今までこうして無事でいることは、日蓮は一人であっても心が強いからなのだと思いなさい。

〈解説〉諸天を揺り動かす強盛な信心で
妙法には、計り知れない力が具わっています。この妙法の力を最大に引き出していくのは、自らの強き「信心」です。
このことを日蓮大聖人は、掲げた御文で、妙楽大師の言葉を引いて示されます。
「心の固き」——すなわち、何があっても恐れず、疑わず、強盛な信心を貫けば、諸天善神の守護の働きが強く現れ、いかなる苦難にも打ち勝つことができるのです。
本抄の御執筆当時、再びの蒙古襲来の危機に、日本中が騒然としていました。また、大聖人が佐渡に流罪された当時、門下は激しい弾圧を受け、退転者が相次ぎました。
乙御前の母は、頼りとすべき夫もなく、幼子と二人で乱世を生き抜かなければならない状況でした。しかし、その中で、純粋な信心を貫き、師を求め、険しい道を越えて、佐渡へ、身延へと大聖人を訪ねました。
大聖人は、その求道心を最大にたたえられ、掲げた御文の直前で、人が生まれた時から両肩に付き添い、善悪の行為を交互に天に報告する同生天・同名天について述べられます。"あなたの善の行動は、全て諸天善神が御存知であり、必ず守られますよ"と、温かな激励をされているのです。
続いて大聖人は、これまでの乙御前の母の尊い信心をたたえた上で、あえて「今一重強盛に御志あるべし」と、一層の強盛な信心を奮い起こすよう指導されています。
"昨日より今日""今日より明日へ"と、どこまでも挑戦していく姿にこそ、強盛な信心の姿勢があります。
続く「例には他を引くべからず」では、「心の固き」信心で妙法を実践してきたのは、大聖人御自身であると仰せです。
大聖人は末法の民衆を救うために正法を弘められ、命に及ぶ大難に遭われました。しかし、「一人なれども心のつよき故なるべし」とある通り、信心が強いゆえに大難を乗り越えることができたと教えられています。
大聖人を襲ういかなる障魔に対しても、一人立つ大聖人の「師子王の心」は微動だにしませんでした。諸天を揺り動かすのは、どこまでも自分自身の「心」、すなわち信心の強き「一念」なのです。
本年4月28日は、御書全集発刊から65周年。いかなる時も御書根本に戦い抜かれた創価三代の師弟の闘争を受け継ぎ、強盛な信心で諸天を働かせ、栄光の「5・3」へ勝利の扉を開いていきましょう。

◇池田先生の講義から
受け身や弱気の心では、諸天を動かすことはできません。"いかなる苦難があろうとも、断じて負けない。絶対に勝利してみせる"——この決定した「一念」から湧き上がる祈りと実践に、諸天善神は感応し、人々を厳として守る働きとして現れるのです。
◇ ◆ ◇
"さあ、これからだ!"——これが草創以来の学会精神です。「前進、前進、また前進」が、広宣流布の合言葉です。
どんな逆境にも立ち向かっていく。どんなことがあっても退かない。それが「心の固き」です。
◇ ◆ ◇
強く、快活で、智慧ある女性がスクラムを組めば、社会は大きく変わります。何も恐れるものがない女性の連帯があれば、時代は大きく変わります。
生命を慈しみ守り、豊かな感性をもった女性が立ち上がれば、文明が大きく変わります。
仏法は、そのために、目覚めた「本物の民衆」をつくりあげる教えなのです。
(いずれも『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)