智恵は現場にあり!
最前線で奮闘する
友の声の中に
勝利への鍵がある。
広宣流布は総合力だ。
持妙法華問答抄 P463
『只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり』
☆女性に贈ることば 四月二十七日
平凡なるよき市民、よき隣人として、誰からも信頼され、荒れすさんだ友の心を浄化していく、地域、職場の良心となってほしい。
☆今日のことば365 四月二十七日
なんといっても大事なことは、幅広く、本を読み、人生の正しい生き方を、知ることです。小説でも、伝記でも、けっこうです。あるいは、思想、哲学の書でも、いいと思います。自分が、読みたいと思う本、友だちや、先生が、すすめてくれる本を、どしどし読むのです。
☆ターニングポイント 和歌山電鐵の女性運転士 玉置郁恵さん 2017年4月22日
◇希望を乗せてどこまでも
ヒノキを使った車窓から見える四季折々の自然。有名デザイナーが手掛けたユニークな車両。"猫の駅長"に会おうと海外からも観光客が訪れる。ここ和歌山電鐵貴志川線で、玉置郁恵は、たった一人の女性運転士として、毎日のように電車を走らせる。
午後1時44分。運転士交代のため、伊太祈曽駅で、同僚運転士から、アクセルに相当する「リバーシングハンドル」を引き継いだ。見ているだけで酸っぱくなりそうな赤紫色の「うめ星電車」に乗り込む
定刻の46分。「出発進行っ!」と左手で信号を指差す。電車がゆっくりと動きだした。
「猫の駅長さんに会いに行こうね」「わーい、やったー!」。親子の会話が、すぐ後ろから聞こえてくる。
"私もお父さんと電車に乗ったな"。亡き父との思い出が、頭の中に浮かんできた。
*
父といえば、「乗り物」だった。電車に一緒に乗ると、すぐさま運転士のすぐ後ろの場所へ。隣でほほ笑む父と、窓から見える情景を"二人占め"にした。
見るだけでなく、運転に興味を持ったきっかけも父の影響。乗り物は違うが、小学生の時、将来の夢を「レーサー」と書いた。父と一緒にドライブに出掛け、ゴーカートにもよく連れて行ってもらった。
そんな父が病に倒れたのは、郁恵が高校3年の時。進行性の胃がんが腹膜へ転移していた。母と懸命に看病したが、3カ月後、帰らぬ人に。51歳だった。
心にぽっかりと穴があき、涙が止まらなかった。涙を出し切った後、"お父さんの分まで生きよう"と決めた。
2005年(平成17年)。自宅で、タウン誌の記事が郁恵の目に留まった。和歌山電鐵が運転士を募集しているという。
「おもしろそうやね」とつぶやく。母が横で、「運転士は男がやるもんや」とツッコむ。"そんなことないやろ"と心で返しつつも、念のため会社に確認。問題はないらしい。
高校を卒業して5年。それまでパンの製造会社で働いていた。一般事務をテキパキとこなし、職場の皆からも信頼を得ている。転職の必要はなかった。
"ただ……"。父が教えてくれた「電車」と「運転」の魅力。"一度、挑戦してみようかな"。そう思って、応募してみた。
試験の日に向けて、御本尊の前に座り、真剣に祈った。母も一緒に題目を唱えてくれた。
筆記試験や面接試験では、驚くほど力を発揮でき、後日、採用の知らせが届いた。「題目のおかげやな」と母は、自分のことのように喜んでくれた。
8カ月間の厳しい研修を越えた郁恵。初運転する電車が決まる。その晴れ舞台は、両備グループの一員として再出発する"新生"和歌山電鐵としての第1号電車だった。
「まさか、そんな大役が……」と驚いたが、「私を今まで応援し、支えてくれた家族やみんなのために」と思うと、勇気が湧いた。
そして、06年4月1日午前5時28分、大勢の人たちに見守られながら、無事故の運転士デビューを飾った。
駅の事務所で帽子を外し、「ふーっ」と一息ついた郁恵。時計の針はすでに午前0時を回っていた。
終電の日は、帰宅が日付をまたぐ。始発の日は、午前4時過ぎに家を出る。乗客の命をあずかる重圧と責任。マスコミから、"女性の運転士さん"と注目されることにも、プレッシャーを感じていた。
しんどい時は、弱音を吐きたくなる。そんな時、女子部の仲間が励ましてくれた。「大変な時こそ、信心で大きく変われるチャンスだよ」。自身の悩みを乗り越えた体験を話しながら、希望を持たせてくれた。"私も頑張らないと!"
郁恵も、女子部のメンバーのもとを訪ねた。人間関係で悩んでいると聞けば、"その子が乗り越えられるように"と祈りを深めた。
仲間のことを思うと、不思議と全身に元気があふれてくる。そして、父の姿を思い出した。
和歌山音楽隊の1期生として、信心を磨いた父。地区部長としても、地域の同志を励まし続けた。
入院してからも、自分のことより、家族や友人のことを心配した。治療の副作用が出ても、見舞いに来てくれた人を笑顔で迎えた。
"何でそんなに頑張れるの?"。昔は分からなかった。
あれから17年。学会活動に励めば励むほど、父の気持ちが少しずつ理解できるようになってきた。
真に「強い人間」であってこそ、真に「優しい人間」になれる——池田先生が示し、父が歩んだその生き方を、郁恵も歩みたいと思う。
*
郁恵の運転する電車が、終点の貴志駅に着いた。運賃箱のそばに立ち、笑顔であいさつ。
つえを持った高齢者がいた。「手をお貸ししましょうか?」と声を掛け、腕につかまれるように、ピタッと寄り添う。乗客がニコッとしながら「ありがとうね」と。心が、じわっと熱くなる。
目の前の一人に、精いっぱい尽くしていく。それが、"私の親孝行"だから。
◇プロフィル
たまき・いくえ 和歌山市在住。高校卒業後、県内のパン製造会社に就職。2005年、和歌山電鐵に転職し、唯一の女性運転士になった。女子部部長。大浦支部。