リーダーは 一念に
億劫の心労を尽くせ!
勝負の「時」を逃すな。
戦いの急所を押さえよ。
勇敢なる将の将たれ!
法華証明抄 P1586
『いかなる過去の宿習にてかかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が法華経計りをば用いまいらせず候いけれども仏くやうの功徳莫大なりければ謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども又此の経を信ずる人となれりと見へて候』
☆女性に贈ることば 四月二十八日
前を見よ
後ろを見るな
前には
希望と勝利と栄光の人生がある
☆今日のことば365 四月二十八日
程度の違いこそあっても、人間であれば、だれだって、過ちをおかしたらり、失敗したりするものです。
そして、そうした失敗を通じ、人間は、経験という、最高の人生の財産を、自分のものとし、いっそう強い、人間になっていくことができるのです。
☆魂のバトンを君に 池田先生と後継の友 関東 2017年4月20日
◇敢闘精神で世界の模範と輝け!
関八州を制する者は
天下を制する。
これは日本史の
確固たる方程式である。
ゆえに我らは
ここ大関東で
真剣勝負に挑むのだ!
ここ大関東で
完勝の旗を振るのだ!
——2007年(平成19年)6月、池田先生が、関東の同志に詠み贈った長編詩の一節である。
本陣・東京を囲むように広がる埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木。
その深き使命を先生は、"東京を動かし、東京の砦となる"とも、"関東の勝利が、日本の勝利、そして全民衆の勝利である"とも語ってきた。
中心部の周囲にある組織を「電源地」へと育て、中心部を刺激し、切磋琢磨することによって、全体の広布を前進させる——池田先生が若き日から実践してきた、広布の将軍学である。
「関東精神」即「敢闘精神」にみなぎる今日の大関東。それは、先生自ら、青年を育てることによって築かれてきた。ここでは、第3代会長辞任後の"反転攻勢"の中で結ばれた、先生と関東青年部の原点を確認したい。
◇◆◇
行動の火ぶたが切られたのは茨城だった。1982年(昭和57年)2月の、いわゆる"厳寒の茨城指導"である。
前年秋の四国、関西、中部、九州、同年1月の"雪の秋田指導"などに続いて、最も宗門による攻撃の激しかった地域を訪ね、共戦の友をたたえ、青年には"私と共に立ち上がれ"と訴えゆく激励行だった。
体調は決して思わしくなかったが、池田先生の茨城訪問の決意は固かった。
「苦しみ抜いた、茨城の友が待っているんだ。何があっても、私は行くよ!」
2月7日から12日までの6日間、渾身の激励は続いた。
期間中、11日には茨城県青年部総会が予定されていた。"先生に出席していただきたい"——当時の青年部の思いは一つだった。
10日、先生を乗せたバスに茨城の青年たちが同乗する機会が訪れた。当時、県女子部長だった杉山英子さん(第1茨城総県副総合婦人部長)が、意を決して願い出た。「明日の青年部総会に出席してください」
先生は答えた。「総会は、自分たちでやるんだよ」
11日の総会には、全県から3500人が駆け付けた。そこに師匠の姿はなくとも、"21世紀の茨城広布は私たちがやる"との意気がみなぎる中、会合は進んでいった。
そのさなか、先生から伝言が届いた。"記念撮影をしよう!"
終了後、茨城文化会館の駐車場で、忘れ得ぬ出会いが刻まれた。
杉山さんは振り返る。
「池田先生は、あえて総会に出席しないことで私たちを薫陶してくださり、記念撮影に納まることで、私たちの思いに応えてくださいました。後になればなるほど、弟子を思う師匠の心がどれほど深いかが、胸に迫ります」
同年9月19日には、埼玉・所沢の西武ライオンズ球場(当時)で、第2回世界平和文化祭が行われ、多くの関東青年部が師弟の原点をつくった。
当日の天気は雨。開会前の午後4時半ごろ。先生は小雨の降る中、傘をささずに、観客席に手を振り、グラウンドを一周した。「本当にご苦労さま。風邪をひかないよう、工夫してくださいね」と。参加者は、その姿を目に焼き付けた。
来場者のうち、1万2千人は、各界の来賓や地域の友人だった。師匠の真心に応えようとする青年の熱演は、観衆を魅了し、学会の「真実」を物語り、認識を一変さえさせたのである。
◇◆◇
85年(同60年)から86年(同61年)にかけて、栃木、千葉、埼玉、群馬の文化祭が相次ぎ開かれた。そのいずれにも、池田先生は出席し、関東青年部の汗と労苦をたたえた。
栃木青年部の文化祭は85年8月18日。夏真っ盛りの開催である。会場となった県体育館は、出演者4000人の熱気に満ちていた。7年ぶりの栃木訪問となった先生は、袖をまくり、汗で背中をびっしょりにしながら、拍手を送り続けた。
「栃木青年部の伝統として、総会を開催してはどうか」。先生が提案したのは77年(同52年)3月。約半年後に第1回総会を行って以来、栃木青年部は毎年のように総会を開き、同文化祭には第8回総会の意義を込めていた。
当時、県女子部書記長として、文化祭の成功に奔走した一人が塩野良子さん(宇都宮総県婦人部長)。
「私たちの広布への情熱と決意を、先生に見ていただきたい! ただただ、その思いだけでした」
塩野さんの長女・美穂子さん(女子部本部長)は先月、8年越しの対話を実らせ、中学時代の友人を入会に導いた。師弟に生き抜く"誓春の道"を、親子二代で歩んでいる。
栃木に続いて85年9月23日、先生は千葉・成田市で開かれた第1回千葉青年平和文化祭に出席した。
その1カ月余り前、文化祭の開催を報告した千葉の代表に、先生は語った。「千葉は立ち上がったな!」
当日も先生は、郷土愛にあふれた演目、出席した5200人の青年をねぎらい、あいさつした。
そのわずか6日後の9月29日、今度は、埼玉・川口市での第1回埼玉青年平和文化祭に駆け付ける。
この日も、82年の所沢での文化祭に続いて雨だった。
来賓に心を配り、声を掛けながら、4500人の演技一つ一つに拍手を送り続ける先生。演技者だけではない。「どうもありがとうございました」と、会場を去る瞬間まで、場外の運営役員に感謝の言葉を掛ける。
07年5月8日、埼玉池田研修道場を初訪問した先生は、心を砕き、命を削って友を励ましてきた真情を語り残した。——創価の三代は自分を捨てて、会員を守ってきた。その心が異体同心につながる。勝って、また会おう!——と。
この「常勝埼玉師弟の日」から、今年で10周年となる。
◇◆◇
「今日の文化祭、成功させよう」
86年9月7日。池田先生は前橋文化会館でそう語り、第1回群馬青年平和文化祭の会場となった前橋市民体育館に向かった。
そして、先生が見守る中、舞台が始まった。出演者・役員ら、約5000人の青年の歓喜と決意が爆発したフィナーレ。その中に、宮本雅則さん(群馬池田総県、副総県長)もいた。
男子部の演目「鎌倉征伐」に出演した。仕事を終え、発心したばかりの友や、入会から日の浅い友と一緒に練習に駆け付ける日々。弘教拡大に走りに走った。
「当時、あれだけ頑張れたんだから、今できないわけがないって思えるんですよ。だから、どんな苦難も乗り越えていけます!」
広布への情熱の松明は今、長男の光宏さん(男子部本部長)、次男の宏樹さん(総県男子部長)、長女の槇島香さん(副白ゆり長、支部ヤング長)に、確かに受け継がれている。
◇◆◇
数々の師弟の原点を誇る関東青年部。その中で今、再び胸に刻むべき、先生の重要な指導がある。
2001年(平成13年)9月23日、東京牧口記念会館で行われた、千葉青年部総会。9・11米同時多発テロ事件から、わずか12日後の開催だった。
先生は「大悪は大善が来る前兆である」(御書1467ページ、通解)等の御書を拝しながら、今こそ「生命尊厳」の正しき永遠の軌道を聡明に探求し、勇敢に叫び抜こう! と訴えた。
そして、諸君がその先頭に立ってもらいたい、と。
完勝の
世界の模範たれ!
大関東の勢力は
天下一なり!
——池田先生が関東に贈った言葉である。その期待を真実ならしめる時は、「今」である。