信心の戦いとは
祈りから始めることだ。
自他共の幸福の実現を
わが使命とすることだ。
この一生を楽しく勝て!
日女御前御返事 P1244
『南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす』
☆女性に贈ることば 四月三十日
今いる場所で
自分自身に負けず 勝ち抜き
人と比べることなく
自分自身の誇り高き使命の道を
実直に前進する人が
幸福着であり 人間としての勝利者だ
☆今日のことば365 四月三十日
男の一生は、どういう仕事をしたか、そしてまた、自分の選んだ仕事の上で、どれだけの功績を残したかによって決まると思う。要は、自分のありったけの力を仕事にぶつけたか、そして、生命を完全に燃焼させて、その時代、その社会に自己の燃焼エネルギーによっていかなる利益をもたらしたか、ということではないだろうか。
☆本部幹部会で紹介された池田先生の指針 2017年4月24日
広宣流布は立正安国の言論戦
勇気こそ青年の魂 攻めに攻めて勝て
義経のごとく破邪顕正の大攻勢を
陰で戦う友に心から感謝
「SGI春季研修会」「聖教新聞配達員大会」の意義を込めて行われた「世界広布新時代第25回本部幹部会」(15日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、「第44回本部幹部会」「東京総会」(2004年12月)での池田先生のスピーチ映像が上映された。対話拡大にまい進する友の指針として掲載する。
一、それは56年前、1948年(昭和23年)の12月9日のことである。
周恩来総理と、夫人の�穎超先生は、創立して間もない大学に足を運ばれた。
現在、学会青年部も交流を結んでいる名高い人材の城「中国青年政治学院」である。その学生たちは、自らつくり上げた歌劇を披露し、周総理ご夫妻を真心から歓迎した。
総理ご夫妻は、青年たちの真心をがっちりと受け止められた。そして、演技が終わると、ご夫妻は、すぐに舞台裏に駆けつけ、一人一人と固い握手を交わされたのである。
楽団の隅のほうで、健気に銅鑼を鳴らしていた女子学生には、こう激励された。
「目立たない陰の使命こそ大切です。どうか、無名の英雄として光っていってください。陰の使命に徹してこそ、表舞台で活躍できるのです」と。
映画の名場面のような美しい光景である。
一、周総理は、常に、陰の労苦に光を当てておられた。
陰で苦しみながらも、頑張っている人、真剣に戦っている人——そういう人に励ましを送ることを忘れなかった。指導者として、大変に重要なことである。全指導者が模範とすべき姿勢である。
◇尊き無冠の友
一、先ほども話があったと思うが、広布の陰の功労者の方々に、私からも、心から御礼を申し上げたい。
なかんずく、"無冠の友"の配達員の皆さま方に、最大の感謝を捧げ、賞讃を送りたい。
私も、かつて新聞配達をした。皆さまの苦労はよく分かる。朝早くから——寒い日も、雨の日も、雪の日も——毎日毎日、広宣流布のために行動されている最高に尊い方々である。
諸天善神も、仏菩薩も最大に讃嘆し、守ってくださる。これが妙法である。
私たちは、配達員の皆さまに最敬礼し、「朝早くから、本当にご苦労さまです」「くれぐれも、お体を大切になさってください」と心から感謝していきたい。
友の労苦を、決して当たり前と思ってはならない。感謝やねぎらいの言葉も言えないのは、人間として最低である。
一、また、尊き個人会場を提供してくださっているご家庭に対しても、「いつもいつも、本当にお世話になります」と、最大に感謝したい。
個人会場を提供しておられる方は、いらっしゃいますか?(会場から「ハイ」と挙手が)
いつも、ありがとう!
「親しき中にも礼儀あり」である。使わせていただく私たちは、会場を掃除するのはもちろん、すみずみにまで配慮し、心をこめて御礼を申し上げていかねばいけない。
大きなことだけではない。こうした小さな、身近な振る舞いのなかに仏法はある。「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)なのである。
広布のために会場を提供してくださる方々に、迷惑をかけるようなことがあっては絶対にならない。
良識豊かに、わが家と同じように、いな、わが家以上に大事にしていくよう、幹部から率先して取り組んでいきたい。
ともあれ、個人会場を提供してくださっているご家庭は、御聖訓に照らし、子々孫々まで大宮殿に生きる境涯となっていく。この誉れを忘れないでいただきたい。
◇反撃の根性を
一、戸田先生は、このような言葉も残されている。
「私の真の弟子であるならば、広布のために、創価のために、最後の最後まで戦い続けよ!」
たとえ、何があろうと、どんな困難が立ちはだかろうと、「広宣流布」のため、「創価学会」のために戦い抜く。最後の最後まで戦い続ける。それが「真の弟子」である。
さらに、戸田先生は言われた。
「悪に対する反撃の根性のない者は、去っていくがよい。中傷批判は、妬みと偏見と嘘八百の策略であることは、天を見るよりも明らかではないか」
これが、今も昔も変わらぬ方程式である。
皆さんは、正々堂々と反撃し、論破し、正義を語り抜いていただきたい。
一、50年前の12月、私は戸田先生から任命され、学会の初代の渉外部長に就任した。〈54年12月13日〉
戸田先生は、渉外戦の一切の総責任者に、最高幹部ではなく、青年部の私を任命された。私も今、青年部に期待したい。
ずるさがない。インチキがない。邪智がない。鋭敏にして純粋な心、そして勇気こそ、青年の魂であるからだ。
私は、渉外部長として、あらゆる人と会い、対話し、突破口を開いた。責任を一手に引き受け、陰で学会を支えていったのである。
戸田先生は、広宣流布の活動は、最高の渉外戦であり、外交戦であることを教えてくださった。
人との接し方、礼儀、言葉遣い、そして人の心をつかむ知恵——あらゆる力をつけていける究極の言論戦が、広宣流布なのである。
私たちは、一人一人が"幸福の大使""平和の外交官"として進んでまいりたい。
一、有名な『平家物語』には、源平の決戦に臨む、若き源義経の心意気が謳われている。
「戦いはひたすらただ攻めに攻めて勝つのが心地よいものだ」(杉本圭三郎訳注『平家物語』、講談社学術文庫)と。
戦いは、強く攻め抜くことだ。全力を集中させてこそ勝利はある。戦いの根本姿勢は、徹して攻めることである。
この義経の心意気は、学会精神にも通じる。
「攻めに攻めて痛快に勝ちまくる」——私たちも、この心で進みたい。
なかんずく青年部は、「花の義経」のごとく、勢いをもって「破邪顕正」の大攻勢をお願いしたい。
◇永遠に「本陣」
一、きょうは、大勝利の東京総会、おめでとう!
思えば、日蓮大聖人は、ここ東京の天地で、御生涯の総仕上げをされた。現在の大田区池上で最後に講義されたのは「立正安国論」であった。
大聖人の御一代の弘法は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。妙法を掲げ、平和と安穏の社会を築き上げていくのが、私たちの戦いである。
東京は、永遠に「広宣流布の本陣」である。
本陣として、「立正安国」の大闘争を勝ち抜かねばならない使命と宿命がある。責任があり、名誉がある。
ともに戦おう! 私も東京生まれである。
一、大聖人は、大東京の団結の鑑であった池上兄弟へ仰せである。
「たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい」(御書1088ページ、通解)
私たちも、この心で、あらゆる難を乗り越えて、広宣流布へ、まっしぐらに進みたい。
"これ以上ない"という最高の人生を、そして、「充実」と「価値」と「勝利」の、偉大にして朗らかな創価の道を、ともどもに、勇敢に進もうと誓い合い、きょうのスピーチとしたい。
◎実家の田植えの手伝いで、昨日から帰省してました(^^♪
2017年4月30日日曜日
2017.04.29 わが友に贈る
きょうも心軽やかに
友と会おう!語ろう!
そこに新鮮な感動があり
喜びと充実が広がる!
幸の花薫る対話の春に!
最蓮房御返事 P1342
『何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて順次に三仏座を並べたもう常寂光土に詣りて釈迦多宝の御宝前に於て我等無始より已来師弟の契約有りけるか無かりけるか又釈尊の御使として来つて化し給へるかさぞと仰せを蒙つてこそ我が心にも知られ候はんずれ、何様にもはげませ給へはげませ給へ』
☆女性に贈ることば 四月二十九日
子どもなのだから、時には、いたずらをするのも結構である。たとえ叱られたとしても、それが善悪を判断し、正義というものを考える手だてになれば、かけがえのない人生経験ではないか。
貴重な人生の学問を、子どもは自然のうちに学びとり、血肉としていくに違いない。
☆今日のことば365 四月二十九日
幸福というものは、決して他からあたえられるものではない。自己の生命の内に築いていくものである。人生には、嵐の日もあり、雪の日もあろう。だが、自己の胸中の大空には常に希望の太陽が輝き、青空が美しく広がっていればよいのである。
☆四季の励まし 御書発刊65周年 行学の二道を歩む喜び 2017年4月23日
御書は、全人類に
「冬は必ず春となる」と示し切った
「希望の経典」である。
「命こそ第一の財なり」と断ずる
「生命尊厳の経典」である。
「立正安国」の道を開いた
「平和の経典」である。
「正義は邪悪に勝つ」ことを
説き切った
「勝利の経典」なのである。
教学の深化は、信心をさらに深め、
自分自身の使命の自覚を促し、
広宣流布に生き抜く闘魂を
燃え上がらせてくれるものだ。
信心は常に戦いだ。
日々、臆病や惰性、慢心など、
自らを不幸にする
己心の魔との戦いだ。
教学とは、精神闘争の武器であり、
自己錬磨の明鏡である。
一行でも、一節でもいい。
日々の生活と広布の戦いの中で、
御書を拝していくことだ。
御書を「わかろう、わかりたい」と、
一生懸命、努力することだ。
真剣であれば、
毛穴からでも入っていく。
頭でわかるのと、
信心でわかるのとは違う。
自らの身に当ててみて、
「ああ、このことだったのか」と、
わかる時が必ず来るのだ。
日蓮大聖人は、私たちに
仏道修行の根本の軌道を
示してくださった。
「行学の二道を
はげみ候べし」(御書1361ページ)
学ばなければ、
人びとを納得させられない。
実践の伴わない教学は、
自身の成長にも、
社会の変革の力にもならない。
「行」と「学」の両輪——
この実践の教学こそが
学会の伝統である。
高原の空の彼方に、そびえ立つ浅間山。その雄姿に向かって一本の道が延びる。広宣流布という栄光の峰へ、真っすぐに進む創価の師弟の軌跡のように——。昨年8月、池田大作先生が長野を訪問した折、撮影した一枚である。
今月28日は、『日蓮大聖人御書全集』の発刊から65周年。同書は、第2代会長・戸田城聖先生が発願し、池田先生をはじめ弟子たちが編さん・校正作業などを担った「師弟不二の結晶」である。これまでに英語、中国語、スペイン語など、10言語以上に翻訳。世界中に「行学の二道」を歩む喜びが広がる。
池田先生は「『行学の二道』が、試練を勝ち越える力となる」と。行き詰まった時こそ、御書を開こう。そこから、宿命転換の勝利劇は始まる。
友と会おう!語ろう!
そこに新鮮な感動があり
喜びと充実が広がる!
幸の花薫る対話の春に!
最蓮房御返事 P1342
『何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて順次に三仏座を並べたもう常寂光土に詣りて釈迦多宝の御宝前に於て我等無始より已来師弟の契約有りけるか無かりけるか又釈尊の御使として来つて化し給へるかさぞと仰せを蒙つてこそ我が心にも知られ候はんずれ、何様にもはげませ給へはげませ給へ』
☆女性に贈ることば 四月二十九日
子どもなのだから、時には、いたずらをするのも結構である。たとえ叱られたとしても、それが善悪を判断し、正義というものを考える手だてになれば、かけがえのない人生経験ではないか。
貴重な人生の学問を、子どもは自然のうちに学びとり、血肉としていくに違いない。
☆今日のことば365 四月二十九日
幸福というものは、決して他からあたえられるものではない。自己の生命の内に築いていくものである。人生には、嵐の日もあり、雪の日もあろう。だが、自己の胸中の大空には常に希望の太陽が輝き、青空が美しく広がっていればよいのである。
☆四季の励まし 御書発刊65周年 行学の二道を歩む喜び 2017年4月23日
御書は、全人類に
「冬は必ず春となる」と示し切った
「希望の経典」である。
「命こそ第一の財なり」と断ずる
「生命尊厳の経典」である。
「立正安国」の道を開いた
「平和の経典」である。
「正義は邪悪に勝つ」ことを
説き切った
「勝利の経典」なのである。
教学の深化は、信心をさらに深め、
自分自身の使命の自覚を促し、
広宣流布に生き抜く闘魂を
燃え上がらせてくれるものだ。
信心は常に戦いだ。
日々、臆病や惰性、慢心など、
自らを不幸にする
己心の魔との戦いだ。
教学とは、精神闘争の武器であり、
自己錬磨の明鏡である。
一行でも、一節でもいい。
日々の生活と広布の戦いの中で、
御書を拝していくことだ。
御書を「わかろう、わかりたい」と、
一生懸命、努力することだ。
真剣であれば、
毛穴からでも入っていく。
頭でわかるのと、
信心でわかるのとは違う。
自らの身に当ててみて、
「ああ、このことだったのか」と、
わかる時が必ず来るのだ。
日蓮大聖人は、私たちに
仏道修行の根本の軌道を
示してくださった。
「行学の二道を
はげみ候べし」(御書1361ページ)
学ばなければ、
人びとを納得させられない。
実践の伴わない教学は、
自身の成長にも、
社会の変革の力にもならない。
「行」と「学」の両輪——
この実践の教学こそが
学会の伝統である。
高原の空の彼方に、そびえ立つ浅間山。その雄姿に向かって一本の道が延びる。広宣流布という栄光の峰へ、真っすぐに進む創価の師弟の軌跡のように——。昨年8月、池田大作先生が長野を訪問した折、撮影した一枚である。
今月28日は、『日蓮大聖人御書全集』の発刊から65周年。同書は、第2代会長・戸田城聖先生が発願し、池田先生をはじめ弟子たちが編さん・校正作業などを担った「師弟不二の結晶」である。これまでに英語、中国語、スペイン語など、10言語以上に翻訳。世界中に「行学の二道」を歩む喜びが広がる。
池田先生は「『行学の二道』が、試練を勝ち越える力となる」と。行き詰まった時こそ、御書を開こう。そこから、宿命転換の勝利劇は始まる。
2017年4月28日金曜日
2017.04.28 わが友に贈る
リーダーは 一念に
億劫の心労を尽くせ!
勝負の「時」を逃すな。
戦いの急所を押さえよ。
勇敢なる将の将たれ!
法華証明抄 P1586
『いかなる過去の宿習にてかかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が法華経計りをば用いまいらせず候いけれども仏くやうの功徳莫大なりければ謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども又此の経を信ずる人となれりと見へて候』
☆女性に贈ることば 四月二十八日
前を見よ
後ろを見るな
前には
希望と勝利と栄光の人生がある
☆今日のことば365 四月二十八日
程度の違いこそあっても、人間であれば、だれだって、過ちをおかしたらり、失敗したりするものです。
そして、そうした失敗を通じ、人間は、経験という、最高の人生の財産を、自分のものとし、いっそう強い、人間になっていくことができるのです。
☆魂のバトンを君に 池田先生と後継の友 関東 2017年4月20日
◇敢闘精神で世界の模範と輝け!
関八州を制する者は
天下を制する。
これは日本史の
確固たる方程式である。
ゆえに我らは
ここ大関東で
真剣勝負に挑むのだ!
ここ大関東で
完勝の旗を振るのだ!
——2007年(平成19年)6月、池田先生が、関東の同志に詠み贈った長編詩の一節である。
本陣・東京を囲むように広がる埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木。
その深き使命を先生は、"東京を動かし、東京の砦となる"とも、"関東の勝利が、日本の勝利、そして全民衆の勝利である"とも語ってきた。
中心部の周囲にある組織を「電源地」へと育て、中心部を刺激し、切磋琢磨することによって、全体の広布を前進させる——池田先生が若き日から実践してきた、広布の将軍学である。
「関東精神」即「敢闘精神」にみなぎる今日の大関東。それは、先生自ら、青年を育てることによって築かれてきた。ここでは、第3代会長辞任後の"反転攻勢"の中で結ばれた、先生と関東青年部の原点を確認したい。
◇◆◇
行動の火ぶたが切られたのは茨城だった。1982年(昭和57年)2月の、いわゆる"厳寒の茨城指導"である。
前年秋の四国、関西、中部、九州、同年1月の"雪の秋田指導"などに続いて、最も宗門による攻撃の激しかった地域を訪ね、共戦の友をたたえ、青年には"私と共に立ち上がれ"と訴えゆく激励行だった。
体調は決して思わしくなかったが、池田先生の茨城訪問の決意は固かった。
「苦しみ抜いた、茨城の友が待っているんだ。何があっても、私は行くよ!」
2月7日から12日までの6日間、渾身の激励は続いた。
期間中、11日には茨城県青年部総会が予定されていた。"先生に出席していただきたい"——当時の青年部の思いは一つだった。
10日、先生を乗せたバスに茨城の青年たちが同乗する機会が訪れた。当時、県女子部長だった杉山英子さん(第1茨城総県副総合婦人部長)が、意を決して願い出た。「明日の青年部総会に出席してください」
先生は答えた。「総会は、自分たちでやるんだよ」
11日の総会には、全県から3500人が駆け付けた。そこに師匠の姿はなくとも、"21世紀の茨城広布は私たちがやる"との意気がみなぎる中、会合は進んでいった。
そのさなか、先生から伝言が届いた。"記念撮影をしよう!"
終了後、茨城文化会館の駐車場で、忘れ得ぬ出会いが刻まれた。
杉山さんは振り返る。
「池田先生は、あえて総会に出席しないことで私たちを薫陶してくださり、記念撮影に納まることで、私たちの思いに応えてくださいました。後になればなるほど、弟子を思う師匠の心がどれほど深いかが、胸に迫ります」
同年9月19日には、埼玉・所沢の西武ライオンズ球場(当時)で、第2回世界平和文化祭が行われ、多くの関東青年部が師弟の原点をつくった。
当日の天気は雨。開会前の午後4時半ごろ。先生は小雨の降る中、傘をささずに、観客席に手を振り、グラウンドを一周した。「本当にご苦労さま。風邪をひかないよう、工夫してくださいね」と。参加者は、その姿を目に焼き付けた。
来場者のうち、1万2千人は、各界の来賓や地域の友人だった。師匠の真心に応えようとする青年の熱演は、観衆を魅了し、学会の「真実」を物語り、認識を一変さえさせたのである。
◇◆◇
85年(同60年)から86年(同61年)にかけて、栃木、千葉、埼玉、群馬の文化祭が相次ぎ開かれた。そのいずれにも、池田先生は出席し、関東青年部の汗と労苦をたたえた。
栃木青年部の文化祭は85年8月18日。夏真っ盛りの開催である。会場となった県体育館は、出演者4000人の熱気に満ちていた。7年ぶりの栃木訪問となった先生は、袖をまくり、汗で背中をびっしょりにしながら、拍手を送り続けた。
「栃木青年部の伝統として、総会を開催してはどうか」。先生が提案したのは77年(同52年)3月。約半年後に第1回総会を行って以来、栃木青年部は毎年のように総会を開き、同文化祭には第8回総会の意義を込めていた。
当時、県女子部書記長として、文化祭の成功に奔走した一人が塩野良子さん(宇都宮総県婦人部長)。
「私たちの広布への情熱と決意を、先生に見ていただきたい! ただただ、その思いだけでした」
塩野さんの長女・美穂子さん(女子部本部長)は先月、8年越しの対話を実らせ、中学時代の友人を入会に導いた。師弟に生き抜く"誓春の道"を、親子二代で歩んでいる。
栃木に続いて85年9月23日、先生は千葉・成田市で開かれた第1回千葉青年平和文化祭に出席した。
その1カ月余り前、文化祭の開催を報告した千葉の代表に、先生は語った。「千葉は立ち上がったな!」
当日も先生は、郷土愛にあふれた演目、出席した5200人の青年をねぎらい、あいさつした。
そのわずか6日後の9月29日、今度は、埼玉・川口市での第1回埼玉青年平和文化祭に駆け付ける。
この日も、82年の所沢での文化祭に続いて雨だった。
来賓に心を配り、声を掛けながら、4500人の演技一つ一つに拍手を送り続ける先生。演技者だけではない。「どうもありがとうございました」と、会場を去る瞬間まで、場外の運営役員に感謝の言葉を掛ける。
07年5月8日、埼玉池田研修道場を初訪問した先生は、心を砕き、命を削って友を励ましてきた真情を語り残した。——創価の三代は自分を捨てて、会員を守ってきた。その心が異体同心につながる。勝って、また会おう!——と。
この「常勝埼玉師弟の日」から、今年で10周年となる。
◇◆◇
「今日の文化祭、成功させよう」
86年9月7日。池田先生は前橋文化会館でそう語り、第1回群馬青年平和文化祭の会場となった前橋市民体育館に向かった。
そして、先生が見守る中、舞台が始まった。出演者・役員ら、約5000人の青年の歓喜と決意が爆発したフィナーレ。その中に、宮本雅則さん(群馬池田総県、副総県長)もいた。
男子部の演目「鎌倉征伐」に出演した。仕事を終え、発心したばかりの友や、入会から日の浅い友と一緒に練習に駆け付ける日々。弘教拡大に走りに走った。
「当時、あれだけ頑張れたんだから、今できないわけがないって思えるんですよ。だから、どんな苦難も乗り越えていけます!」
広布への情熱の松明は今、長男の光宏さん(男子部本部長)、次男の宏樹さん(総県男子部長)、長女の槇島香さん(副白ゆり長、支部ヤング長)に、確かに受け継がれている。
◇◆◇
数々の師弟の原点を誇る関東青年部。その中で今、再び胸に刻むべき、先生の重要な指導がある。
2001年(平成13年)9月23日、東京牧口記念会館で行われた、千葉青年部総会。9・11米同時多発テロ事件から、わずか12日後の開催だった。
先生は「大悪は大善が来る前兆である」(御書1467ページ、通解)等の御書を拝しながら、今こそ「生命尊厳」の正しき永遠の軌道を聡明に探求し、勇敢に叫び抜こう! と訴えた。
そして、諸君がその先頭に立ってもらいたい、と。
完勝の
世界の模範たれ!
大関東の勢力は
天下一なり!
——池田先生が関東に贈った言葉である。その期待を真実ならしめる時は、「今」である。
億劫の心労を尽くせ!
勝負の「時」を逃すな。
戦いの急所を押さえよ。
勇敢なる将の将たれ!
法華証明抄 P1586
『いかなる過去の宿習にてかかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が法華経計りをば用いまいらせず候いけれども仏くやうの功徳莫大なりければ謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども又此の経を信ずる人となれりと見へて候』
☆女性に贈ることば 四月二十八日
前を見よ
後ろを見るな
前には
希望と勝利と栄光の人生がある
☆今日のことば365 四月二十八日
程度の違いこそあっても、人間であれば、だれだって、過ちをおかしたらり、失敗したりするものです。
そして、そうした失敗を通じ、人間は、経験という、最高の人生の財産を、自分のものとし、いっそう強い、人間になっていくことができるのです。
☆魂のバトンを君に 池田先生と後継の友 関東 2017年4月20日
◇敢闘精神で世界の模範と輝け!
関八州を制する者は
天下を制する。
これは日本史の
確固たる方程式である。
ゆえに我らは
ここ大関東で
真剣勝負に挑むのだ!
ここ大関東で
完勝の旗を振るのだ!
——2007年(平成19年)6月、池田先生が、関東の同志に詠み贈った長編詩の一節である。
本陣・東京を囲むように広がる埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木。
その深き使命を先生は、"東京を動かし、東京の砦となる"とも、"関東の勝利が、日本の勝利、そして全民衆の勝利である"とも語ってきた。
中心部の周囲にある組織を「電源地」へと育て、中心部を刺激し、切磋琢磨することによって、全体の広布を前進させる——池田先生が若き日から実践してきた、広布の将軍学である。
「関東精神」即「敢闘精神」にみなぎる今日の大関東。それは、先生自ら、青年を育てることによって築かれてきた。ここでは、第3代会長辞任後の"反転攻勢"の中で結ばれた、先生と関東青年部の原点を確認したい。
◇◆◇
行動の火ぶたが切られたのは茨城だった。1982年(昭和57年)2月の、いわゆる"厳寒の茨城指導"である。
前年秋の四国、関西、中部、九州、同年1月の"雪の秋田指導"などに続いて、最も宗門による攻撃の激しかった地域を訪ね、共戦の友をたたえ、青年には"私と共に立ち上がれ"と訴えゆく激励行だった。
体調は決して思わしくなかったが、池田先生の茨城訪問の決意は固かった。
「苦しみ抜いた、茨城の友が待っているんだ。何があっても、私は行くよ!」
2月7日から12日までの6日間、渾身の激励は続いた。
期間中、11日には茨城県青年部総会が予定されていた。"先生に出席していただきたい"——当時の青年部の思いは一つだった。
10日、先生を乗せたバスに茨城の青年たちが同乗する機会が訪れた。当時、県女子部長だった杉山英子さん(第1茨城総県副総合婦人部長)が、意を決して願い出た。「明日の青年部総会に出席してください」
先生は答えた。「総会は、自分たちでやるんだよ」
11日の総会には、全県から3500人が駆け付けた。そこに師匠の姿はなくとも、"21世紀の茨城広布は私たちがやる"との意気がみなぎる中、会合は進んでいった。
そのさなか、先生から伝言が届いた。"記念撮影をしよう!"
終了後、茨城文化会館の駐車場で、忘れ得ぬ出会いが刻まれた。
杉山さんは振り返る。
「池田先生は、あえて総会に出席しないことで私たちを薫陶してくださり、記念撮影に納まることで、私たちの思いに応えてくださいました。後になればなるほど、弟子を思う師匠の心がどれほど深いかが、胸に迫ります」
同年9月19日には、埼玉・所沢の西武ライオンズ球場(当時)で、第2回世界平和文化祭が行われ、多くの関東青年部が師弟の原点をつくった。
当日の天気は雨。開会前の午後4時半ごろ。先生は小雨の降る中、傘をささずに、観客席に手を振り、グラウンドを一周した。「本当にご苦労さま。風邪をひかないよう、工夫してくださいね」と。参加者は、その姿を目に焼き付けた。
来場者のうち、1万2千人は、各界の来賓や地域の友人だった。師匠の真心に応えようとする青年の熱演は、観衆を魅了し、学会の「真実」を物語り、認識を一変さえさせたのである。
◇◆◇
85年(同60年)から86年(同61年)にかけて、栃木、千葉、埼玉、群馬の文化祭が相次ぎ開かれた。そのいずれにも、池田先生は出席し、関東青年部の汗と労苦をたたえた。
栃木青年部の文化祭は85年8月18日。夏真っ盛りの開催である。会場となった県体育館は、出演者4000人の熱気に満ちていた。7年ぶりの栃木訪問となった先生は、袖をまくり、汗で背中をびっしょりにしながら、拍手を送り続けた。
「栃木青年部の伝統として、総会を開催してはどうか」。先生が提案したのは77年(同52年)3月。約半年後に第1回総会を行って以来、栃木青年部は毎年のように総会を開き、同文化祭には第8回総会の意義を込めていた。
当時、県女子部書記長として、文化祭の成功に奔走した一人が塩野良子さん(宇都宮総県婦人部長)。
「私たちの広布への情熱と決意を、先生に見ていただきたい! ただただ、その思いだけでした」
塩野さんの長女・美穂子さん(女子部本部長)は先月、8年越しの対話を実らせ、中学時代の友人を入会に導いた。師弟に生き抜く"誓春の道"を、親子二代で歩んでいる。
栃木に続いて85年9月23日、先生は千葉・成田市で開かれた第1回千葉青年平和文化祭に出席した。
その1カ月余り前、文化祭の開催を報告した千葉の代表に、先生は語った。「千葉は立ち上がったな!」
当日も先生は、郷土愛にあふれた演目、出席した5200人の青年をねぎらい、あいさつした。
そのわずか6日後の9月29日、今度は、埼玉・川口市での第1回埼玉青年平和文化祭に駆け付ける。
この日も、82年の所沢での文化祭に続いて雨だった。
来賓に心を配り、声を掛けながら、4500人の演技一つ一つに拍手を送り続ける先生。演技者だけではない。「どうもありがとうございました」と、会場を去る瞬間まで、場外の運営役員に感謝の言葉を掛ける。
07年5月8日、埼玉池田研修道場を初訪問した先生は、心を砕き、命を削って友を励ましてきた真情を語り残した。——創価の三代は自分を捨てて、会員を守ってきた。その心が異体同心につながる。勝って、また会おう!——と。
この「常勝埼玉師弟の日」から、今年で10周年となる。
◇◆◇
「今日の文化祭、成功させよう」
86年9月7日。池田先生は前橋文化会館でそう語り、第1回群馬青年平和文化祭の会場となった前橋市民体育館に向かった。
そして、先生が見守る中、舞台が始まった。出演者・役員ら、約5000人の青年の歓喜と決意が爆発したフィナーレ。その中に、宮本雅則さん(群馬池田総県、副総県長)もいた。
男子部の演目「鎌倉征伐」に出演した。仕事を終え、発心したばかりの友や、入会から日の浅い友と一緒に練習に駆け付ける日々。弘教拡大に走りに走った。
「当時、あれだけ頑張れたんだから、今できないわけがないって思えるんですよ。だから、どんな苦難も乗り越えていけます!」
広布への情熱の松明は今、長男の光宏さん(男子部本部長)、次男の宏樹さん(総県男子部長)、長女の槇島香さん(副白ゆり長、支部ヤング長)に、確かに受け継がれている。
◇◆◇
数々の師弟の原点を誇る関東青年部。その中で今、再び胸に刻むべき、先生の重要な指導がある。
2001年(平成13年)9月23日、東京牧口記念会館で行われた、千葉青年部総会。9・11米同時多発テロ事件から、わずか12日後の開催だった。
先生は「大悪は大善が来る前兆である」(御書1467ページ、通解)等の御書を拝しながら、今こそ「生命尊厳」の正しき永遠の軌道を聡明に探求し、勇敢に叫び抜こう! と訴えた。
そして、諸君がその先頭に立ってもらいたい、と。
完勝の
世界の模範たれ!
大関東の勢力は
天下一なり!
——池田先生が関東に贈った言葉である。その期待を真実ならしめる時は、「今」である。
2017年4月27日木曜日
2017.04.27 わが友に贈る
智恵は現場にあり!
最前線で奮闘する
友の声の中に
勝利への鍵がある。
広宣流布は総合力だ。
持妙法華問答抄 P463
『只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり』
☆女性に贈ることば 四月二十七日
平凡なるよき市民、よき隣人として、誰からも信頼され、荒れすさんだ友の心を浄化していく、地域、職場の良心となってほしい。
☆今日のことば365 四月二十七日
なんといっても大事なことは、幅広く、本を読み、人生の正しい生き方を、知ることです。小説でも、伝記でも、けっこうです。あるいは、思想、哲学の書でも、いいと思います。自分が、読みたいと思う本、友だちや、先生が、すすめてくれる本を、どしどし読むのです。
☆ターニングポイント 和歌山電鐵の女性運転士 玉置郁恵さん 2017年4月22日
◇希望を乗せてどこまでも
ヒノキを使った車窓から見える四季折々の自然。有名デザイナーが手掛けたユニークな車両。"猫の駅長"に会おうと海外からも観光客が訪れる。ここ和歌山電鐵貴志川線で、玉置郁恵は、たった一人の女性運転士として、毎日のように電車を走らせる。
午後1時44分。運転士交代のため、伊太祈曽駅で、同僚運転士から、アクセルに相当する「リバーシングハンドル」を引き継いだ。見ているだけで酸っぱくなりそうな赤紫色の「うめ星電車」に乗り込む
定刻の46分。「出発進行っ!」と左手で信号を指差す。電車がゆっくりと動きだした。
「猫の駅長さんに会いに行こうね」「わーい、やったー!」。親子の会話が、すぐ後ろから聞こえてくる。
"私もお父さんと電車に乗ったな"。亡き父との思い出が、頭の中に浮かんできた。
*
父といえば、「乗り物」だった。電車に一緒に乗ると、すぐさま運転士のすぐ後ろの場所へ。隣でほほ笑む父と、窓から見える情景を"二人占め"にした。
見るだけでなく、運転に興味を持ったきっかけも父の影響。乗り物は違うが、小学生の時、将来の夢を「レーサー」と書いた。父と一緒にドライブに出掛け、ゴーカートにもよく連れて行ってもらった。
そんな父が病に倒れたのは、郁恵が高校3年の時。進行性の胃がんが腹膜へ転移していた。母と懸命に看病したが、3カ月後、帰らぬ人に。51歳だった。
心にぽっかりと穴があき、涙が止まらなかった。涙を出し切った後、"お父さんの分まで生きよう"と決めた。
2005年(平成17年)。自宅で、タウン誌の記事が郁恵の目に留まった。和歌山電鐵が運転士を募集しているという。
「おもしろそうやね」とつぶやく。母が横で、「運転士は男がやるもんや」とツッコむ。"そんなことないやろ"と心で返しつつも、念のため会社に確認。問題はないらしい。
高校を卒業して5年。それまでパンの製造会社で働いていた。一般事務をテキパキとこなし、職場の皆からも信頼を得ている。転職の必要はなかった。
"ただ……"。父が教えてくれた「電車」と「運転」の魅力。"一度、挑戦してみようかな"。そう思って、応募してみた。
試験の日に向けて、御本尊の前に座り、真剣に祈った。母も一緒に題目を唱えてくれた。
筆記試験や面接試験では、驚くほど力を発揮でき、後日、採用の知らせが届いた。「題目のおかげやな」と母は、自分のことのように喜んでくれた。
8カ月間の厳しい研修を越えた郁恵。初運転する電車が決まる。その晴れ舞台は、両備グループの一員として再出発する"新生"和歌山電鐵としての第1号電車だった。
「まさか、そんな大役が……」と驚いたが、「私を今まで応援し、支えてくれた家族やみんなのために」と思うと、勇気が湧いた。
そして、06年4月1日午前5時28分、大勢の人たちに見守られながら、無事故の運転士デビューを飾った。
駅の事務所で帽子を外し、「ふーっ」と一息ついた郁恵。時計の針はすでに午前0時を回っていた。
終電の日は、帰宅が日付をまたぐ。始発の日は、午前4時過ぎに家を出る。乗客の命をあずかる重圧と責任。マスコミから、"女性の運転士さん"と注目されることにも、プレッシャーを感じていた。
しんどい時は、弱音を吐きたくなる。そんな時、女子部の仲間が励ましてくれた。「大変な時こそ、信心で大きく変われるチャンスだよ」。自身の悩みを乗り越えた体験を話しながら、希望を持たせてくれた。"私も頑張らないと!"
郁恵も、女子部のメンバーのもとを訪ねた。人間関係で悩んでいると聞けば、"その子が乗り越えられるように"と祈りを深めた。
仲間のことを思うと、不思議と全身に元気があふれてくる。そして、父の姿を思い出した。
和歌山音楽隊の1期生として、信心を磨いた父。地区部長としても、地域の同志を励まし続けた。
入院してからも、自分のことより、家族や友人のことを心配した。治療の副作用が出ても、見舞いに来てくれた人を笑顔で迎えた。
"何でそんなに頑張れるの?"。昔は分からなかった。
あれから17年。学会活動に励めば励むほど、父の気持ちが少しずつ理解できるようになってきた。
真に「強い人間」であってこそ、真に「優しい人間」になれる——池田先生が示し、父が歩んだその生き方を、郁恵も歩みたいと思う。
*
郁恵の運転する電車が、終点の貴志駅に着いた。運賃箱のそばに立ち、笑顔であいさつ。
つえを持った高齢者がいた。「手をお貸ししましょうか?」と声を掛け、腕につかまれるように、ピタッと寄り添う。乗客がニコッとしながら「ありがとうね」と。心が、じわっと熱くなる。
目の前の一人に、精いっぱい尽くしていく。それが、"私の親孝行"だから。
◇プロフィル
たまき・いくえ 和歌山市在住。高校卒業後、県内のパン製造会社に就職。2005年、和歌山電鐵に転職し、唯一の女性運転士になった。女子部部長。大浦支部。
最前線で奮闘する
友の声の中に
勝利への鍵がある。
広宣流布は総合力だ。
持妙法華問答抄 P463
『只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり』
☆女性に贈ることば 四月二十七日
平凡なるよき市民、よき隣人として、誰からも信頼され、荒れすさんだ友の心を浄化していく、地域、職場の良心となってほしい。
☆今日のことば365 四月二十七日
なんといっても大事なことは、幅広く、本を読み、人生の正しい生き方を、知ることです。小説でも、伝記でも、けっこうです。あるいは、思想、哲学の書でも、いいと思います。自分が、読みたいと思う本、友だちや、先生が、すすめてくれる本を、どしどし読むのです。
☆ターニングポイント 和歌山電鐵の女性運転士 玉置郁恵さん 2017年4月22日
◇希望を乗せてどこまでも
ヒノキを使った車窓から見える四季折々の自然。有名デザイナーが手掛けたユニークな車両。"猫の駅長"に会おうと海外からも観光客が訪れる。ここ和歌山電鐵貴志川線で、玉置郁恵は、たった一人の女性運転士として、毎日のように電車を走らせる。
午後1時44分。運転士交代のため、伊太祈曽駅で、同僚運転士から、アクセルに相当する「リバーシングハンドル」を引き継いだ。見ているだけで酸っぱくなりそうな赤紫色の「うめ星電車」に乗り込む
定刻の46分。「出発進行っ!」と左手で信号を指差す。電車がゆっくりと動きだした。
「猫の駅長さんに会いに行こうね」「わーい、やったー!」。親子の会話が、すぐ後ろから聞こえてくる。
"私もお父さんと電車に乗ったな"。亡き父との思い出が、頭の中に浮かんできた。
*
父といえば、「乗り物」だった。電車に一緒に乗ると、すぐさま運転士のすぐ後ろの場所へ。隣でほほ笑む父と、窓から見える情景を"二人占め"にした。
見るだけでなく、運転に興味を持ったきっかけも父の影響。乗り物は違うが、小学生の時、将来の夢を「レーサー」と書いた。父と一緒にドライブに出掛け、ゴーカートにもよく連れて行ってもらった。
そんな父が病に倒れたのは、郁恵が高校3年の時。進行性の胃がんが腹膜へ転移していた。母と懸命に看病したが、3カ月後、帰らぬ人に。51歳だった。
心にぽっかりと穴があき、涙が止まらなかった。涙を出し切った後、"お父さんの分まで生きよう"と決めた。
2005年(平成17年)。自宅で、タウン誌の記事が郁恵の目に留まった。和歌山電鐵が運転士を募集しているという。
「おもしろそうやね」とつぶやく。母が横で、「運転士は男がやるもんや」とツッコむ。"そんなことないやろ"と心で返しつつも、念のため会社に確認。問題はないらしい。
高校を卒業して5年。それまでパンの製造会社で働いていた。一般事務をテキパキとこなし、職場の皆からも信頼を得ている。転職の必要はなかった。
"ただ……"。父が教えてくれた「電車」と「運転」の魅力。"一度、挑戦してみようかな"。そう思って、応募してみた。
試験の日に向けて、御本尊の前に座り、真剣に祈った。母も一緒に題目を唱えてくれた。
筆記試験や面接試験では、驚くほど力を発揮でき、後日、採用の知らせが届いた。「題目のおかげやな」と母は、自分のことのように喜んでくれた。
8カ月間の厳しい研修を越えた郁恵。初運転する電車が決まる。その晴れ舞台は、両備グループの一員として再出発する"新生"和歌山電鐵としての第1号電車だった。
「まさか、そんな大役が……」と驚いたが、「私を今まで応援し、支えてくれた家族やみんなのために」と思うと、勇気が湧いた。
そして、06年4月1日午前5時28分、大勢の人たちに見守られながら、無事故の運転士デビューを飾った。
駅の事務所で帽子を外し、「ふーっ」と一息ついた郁恵。時計の針はすでに午前0時を回っていた。
終電の日は、帰宅が日付をまたぐ。始発の日は、午前4時過ぎに家を出る。乗客の命をあずかる重圧と責任。マスコミから、"女性の運転士さん"と注目されることにも、プレッシャーを感じていた。
しんどい時は、弱音を吐きたくなる。そんな時、女子部の仲間が励ましてくれた。「大変な時こそ、信心で大きく変われるチャンスだよ」。自身の悩みを乗り越えた体験を話しながら、希望を持たせてくれた。"私も頑張らないと!"
郁恵も、女子部のメンバーのもとを訪ねた。人間関係で悩んでいると聞けば、"その子が乗り越えられるように"と祈りを深めた。
仲間のことを思うと、不思議と全身に元気があふれてくる。そして、父の姿を思い出した。
和歌山音楽隊の1期生として、信心を磨いた父。地区部長としても、地域の同志を励まし続けた。
入院してからも、自分のことより、家族や友人のことを心配した。治療の副作用が出ても、見舞いに来てくれた人を笑顔で迎えた。
"何でそんなに頑張れるの?"。昔は分からなかった。
あれから17年。学会活動に励めば励むほど、父の気持ちが少しずつ理解できるようになってきた。
真に「強い人間」であってこそ、真に「優しい人間」になれる——池田先生が示し、父が歩んだその生き方を、郁恵も歩みたいと思う。
*
郁恵の運転する電車が、終点の貴志駅に着いた。運賃箱のそばに立ち、笑顔であいさつ。
つえを持った高齢者がいた。「手をお貸ししましょうか?」と声を掛け、腕につかまれるように、ピタッと寄り添う。乗客がニコッとしながら「ありがとうね」と。心が、じわっと熱くなる。
目の前の一人に、精いっぱい尽くしていく。それが、"私の親孝行"だから。
◇プロフィル
たまき・いくえ 和歌山市在住。高校卒業後、県内のパン製造会社に就職。2005年、和歌山電鐵に転職し、唯一の女性運転士になった。女子部部長。大浦支部。
2017年4月26日水曜日
2017.04.26 わが友に贈る
苦難に負けない
我ら学会員の姿自体が
仏法の偉大さの証しだ。
地涌の使命を確信し
不撓不屈の大前進を!
月満御前御書 P1110
『譬えば雷の音耳しいの為に聞く事なく日月の光り目くらの為に見る事なし』
☆女性に贈ることば 四月二十六日
タンポポは、なぜ」 踏まれても、踏まれても、負けないのだろうか。強さの秘密は、地中深くに伸ばした根っこだ。長いものだと、地下一メートル以上にもなるという。
人間も同じであろう。悪戦苦闘を耐え抜き、自身の人生の根っこを、何ものにも揺るがぬ深さまで張った人が、まことの勝利者だ。
☆今日のことば365 四月二十六日
活躍する時には大いにしよう
休息をとる時はゆっくりと
休息することだ
休息なき戦いは自らも疲れ
なんら効果を生まないからだ
☆男子部のページ 池田先生の指針から 2017年4月18日
大聖人は、(南条)時光に対し、「たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて」(御書1542ページ)とも仰せである。
思うようにいかないことがあればあるほど、喜び勇んで立ち向かっていくのだ。何があっても強気で、思い切り戦い抜いていくのだ。これが、創価の青年である。学会精神である。
ひとたび、戦いを起こしたからには、「能忍(能く忍ぶ)」という仏の大力を発揮して、勝利するまで、前へ前へと進むのだ。
〈『随筆 対話の大道』「青年よ 快活に対話の波を(下)」〉
◇◆◇
今、勇気の対話に挑戦している同志の中には、人知れず、体調や仕事、家庭などの苦悩を抱えている方もいるだろう。
だが、自らも悩みと格闘しながら、自他共の幸福を祈り、人のため社会のため、労苦を惜しまず信念の対話に打って出る——これほど気高い人生があるだろうか。
オーストリアの詩人ホフマンスタールは、「苦しまないところからは、ほんのその場限りの、大して価値のないものしか生まれては参りません」と綴っている。
偉大な思想は、苦難に屈せず実践を貫いていく渦中にこそ、わが血肉となり、骨格となっていくのである。
◇
臆して立ち止まっていても、何も生まれない。友の中へ、人間の中へ、民衆の中へと、喜び勇んで飛び込むことだ。
どんどん人と会う。
どんどん友と語る。
形式ではない。真心を込めて語っていくのだ。この胸襟を開いた対話の中に、本当の民主主義の躍動もある。
一人、また一人と、新たな連帯を結びゆく道程には、あの友、この友の、感謝と共感の笑顔が光っていくに違いない。
大聖人は、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ」(御書997ページ)と、誠にダイナミックな生命の劇を洞察された。
思いもよらぬ困難が立ちはだかったその時、わが一念が怯めば、生命は元品の無明に覆われ、魔に負けてしまう。
しかし、題目の師子吼を唱え、広布の誓願のまま、勇猛に挑んでいくならば、わが生命の元品の法性はいよいよ輝く。梵天・帝釈など、あらゆる諸天善神の加護を厳然と顕せる。魔を打ち破り、プラスに転じていける。
私も戸田先生のもと、いかなる激戦にも、喜び勇んで立ち向かった。
創価の師子奮迅の一念で猛然と祈り、戦いゆくところ、必ず一切を味方に変え、断固として勝利の道を切り開けるのだ。
〈『随筆 民衆凱歌の大行進』「行学で飾る創立の月」〉
☆誓いの天地 東京・墨田区 2017年4月23日
◇"師と同じ道"を朗らかに 五月の空に先駆の誉れ
世界一の自立式電波塔・東京スカイツリーの開業から、来月で、はや5年を迎える。
本年は墨田区の誕生から70年。大相撲や花火大会はじめ、豊かな下町情緒に彩られる庶民の都は、東京の一大観光拠点として、さらに存在感を増している。
"将来、ここが世界の中心になるよ"——。若き池田先生は、この地で広布に駆け、未来の発展を展望した。
「"先生は、この道も通られたんだよ"。草創の先輩から教わるたびに、路地一つとっても先生の息遣いを感じます」
そう語るのは、墨田戸田区の女子部長を務める中込里美さん。生粋の墨田っ子だ。
区内の病院に理学療法士として勤務。病気やけがの回復をサポートし、患者のリハビリを支える。
中には、体が思うように動かない現実を受け入れられず、周囲に当たる人もいる。
ベッドから動くことができず、何を話しても無表情でうなずくだけの患者もいた。
白蓮グループなどでの活動を通して、相手の側に立つ姿勢を学んでいた中込さん。不安な心に寄り添おうと、祈りを重ねた。
やがて、その人は、かたくなに拒み続けていた"座る練習"ができるように。「ありがとう。あなたに診てもらえてよかった」。その一言が、何よりうれしい。
中込さんは「体のリハビリとともに、心のリハビリが大切です。真心は必ず通じる。毎日、そう実感します」と語る。"相手は自分を映す鏡"と決めて、日々の学会活動で心を磨く。
「大好きな墨田を、もっと暮らしやすい街に!」と、地域でのリハビリ支援にも心を尽くす。
◇
スカイツリーがある押上駅から1駅、京成曳舟駅を出て歩くと、焼きたてのパンの香りが漂う。
高橋聖一さん(墨田戸田区、男子部副本部長)が、妻・実香さん(白ゆり長)と営むパン屋「オットポン」。ひっきりなしに客が訪れ、思い思いのパンをトレーにのせていく。開放感のある店内はバリアフリー設計だ。
パン作りの専門学校を卒業し、高橋さんは都内のベーカリーで腕を磨いた。男子部の先輩の激励に奮起し、学会活動にも挑戦。同級生に弘教を実らせ、2人で一緒に牙城会大学校へ入校した。
それまで漠然と向き合っていたパン作りにも身が入る。「細かいところにどこまで気を配れるか。そこでパンのおいしさが決まります。どの工程も工夫のしがいが、いくらでもある。毎日が発見です」
開店はスカイツリー開業と同じ2012年。最初は飛ぶようにパンが売れたが、その後、客足が遠のく。「もう無理か」と諦めそうになるたび、同志が激励に来てくれた。
やがて駅前の再開発で住民が増加。パンの評判も徐々に広まり、苦境を脱することができた。
パン屋の朝は早い。かまどの火を午前4時に付け、5時半には最初のパンを焼き上げる。夜明け前の町を歩きながら、高橋さんは広布の誓いを燃やす。多忙を言い訳にすることなく、活動にも全力。これまで7人に弘教を実らせた。
若き池田先生が踏み締めた墨田の道。同じ道を進む友の胸には、後継の誓いが脈打っている。
◇栄光の共戦譜
全同志の希望の指標であり、世界が慶祝する「5・3」。その源流は、ここ墨田にある。
1951年(昭和26年)5月3日、墨田区内で行われた第2代会長就任式の席上、戸田先生は75万世帯の弘教を宣言。池田先生は男子第1部隊長として墨田を駆け、恩師の誓願成就への道を開いた。
そして、60年(同35年)5月3日、池田先生は墨田の日大講堂で第3代会長に就任したのである。
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
就任式に参加した加藤君子さん(墨田牧口区、支部副婦人部長)は振り返る。「池田先生は、講堂に掲げられた戸田先生の遺影に深々と頭を下げ、壇上に向かわれました。厳粛さに命が震えました」
夫の國蔵さん(故人)と、墨田広布の草創を駆けた。男子部員と食事や風呂を共にし、激励を重ねる先生の振る舞いを若い世代に伝えてきた。
君子さんの長男・広宣さん(副本部長)が先生に初めて接したのは、未来部の代表として参加した第1回墨田区幹部大会(73年12月11日、学会本部)。
識者との会見を終えて駆け付けた先生は、"皆さんの所願の達成を共々に祈りに込めたい"と、勤行・唱題し、同志を激励した。
師の確信に触れ、広宣さんは苦手だった勉学に打ち込み、教育の道へ。今、専門学校の教務部長として奮闘する。妻の喜美さん(婦人部副本部長)と共に本部未来本部長として後継の育成に尽力。個人会館の自宅は、子ども会の会場としても地域に親しまれてきた。
長女・真喜子さんは女子部の富士合唱団、次女・理沙さんは高等部の正義合唱団で活躍。広布の誓いが受け継がれている。
◇
2012年5月、スカイツリーの開業祝賀イベントに、創価ルネサンスバンガードが出演した。
パレードの出発地点となった町会で、長年、尽力してきた富川孝子さん(墨田池田区、婦人部副本部長)。
「オープニングを告げる『威風堂々の歌』が、人生の勝利の凱歌のようでした」と振り返る。
富川さんは6人きょうだいの末っ子。7歳の時に母が失踪し、プレス加工を営む父を家族全員で支えた。そんな彼女を、墨田の同志が母のように包んでくれた。
池田先生との出会いは、墨田文化会館の落成式(1976年11月1日)。先生は、「"墨田ここにあり!"との気概で、先駆と模範の実証を全東京に示し切ってほしい」と望んだ。
師の期待を胸に、富川さん一家は経済革命を果たす。家族の病をはじめ、一切を乗り越えてきた。夫の好浩さん(副支部長)も町内会で防災部長を15年務めるなど、その姿は皆の模範と輝く。
◇
「『5・3』を目前に、『五月の空に』も、ひときわ思いがこもります」と、足立起佐子さん(総区婦人部主事)は語る。
第2代・第3代会長就任の地の誇りと、下町広布の情熱を歌い上げた墨田区歌「五月の空に」。
同歌が発表されたのは84年(同59年)1月21日、区内で行われた最高協議会の席だった。足立さんも婦人部の代表として参加した。
有志が作成した歌詞の案を受け取った先生は、3カ所の直しを提案。「世界へ世紀へ 勇み立て」を、「世界だ世紀だ 勇み立て」としてはどうかと語った。
「普通、歌に『だ』は使わないんだ。けれど、『だ』にすることで大胆さが出る」「広布への深い責任と強い使命に立った時に、色心ともの躍動の活動がある」
翌85年、足立さんは墨田区(当時)の婦人部長に。ある時、池田先生から墨田の同志に掛け軸を頂いたとの連絡を受けた。
「五月晴れ この日この時 久遠より 覚悟の旅路 ついに来れり」——墨痕鮮やかに大書され、脇には「昭和三十五年五月三日 恩師戸田先生を偲びつつ詠む」としたためられていた。第3代会長就任の日、池田先生が詠んだ和歌だった。
先生は"この歌は墨田に一番ふさわしい。墨田にあることが大切だ"と伝言を寄せている。
「5月は"墨田の月"。先生との新たな誓いに立つ時です」。足立さんは決意を語る。
師弟源流の地から、新たな勝利の波動を! これが墨田に受け継がれる師匠との誓いである。
我ら学会員の姿自体が
仏法の偉大さの証しだ。
地涌の使命を確信し
不撓不屈の大前進を!
月満御前御書 P1110
『譬えば雷の音耳しいの為に聞く事なく日月の光り目くらの為に見る事なし』
☆女性に贈ることば 四月二十六日
タンポポは、なぜ」 踏まれても、踏まれても、負けないのだろうか。強さの秘密は、地中深くに伸ばした根っこだ。長いものだと、地下一メートル以上にもなるという。
人間も同じであろう。悪戦苦闘を耐え抜き、自身の人生の根っこを、何ものにも揺るがぬ深さまで張った人が、まことの勝利者だ。
☆今日のことば365 四月二十六日
活躍する時には大いにしよう
休息をとる時はゆっくりと
休息することだ
休息なき戦いは自らも疲れ
なんら効果を生まないからだ
☆男子部のページ 池田先生の指針から 2017年4月18日
大聖人は、(南条)時光に対し、「たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて」(御書1542ページ)とも仰せである。
思うようにいかないことがあればあるほど、喜び勇んで立ち向かっていくのだ。何があっても強気で、思い切り戦い抜いていくのだ。これが、創価の青年である。学会精神である。
ひとたび、戦いを起こしたからには、「能忍(能く忍ぶ)」という仏の大力を発揮して、勝利するまで、前へ前へと進むのだ。
〈『随筆 対話の大道』「青年よ 快活に対話の波を(下)」〉
◇◆◇
今、勇気の対話に挑戦している同志の中には、人知れず、体調や仕事、家庭などの苦悩を抱えている方もいるだろう。
だが、自らも悩みと格闘しながら、自他共の幸福を祈り、人のため社会のため、労苦を惜しまず信念の対話に打って出る——これほど気高い人生があるだろうか。
オーストリアの詩人ホフマンスタールは、「苦しまないところからは、ほんのその場限りの、大して価値のないものしか生まれては参りません」と綴っている。
偉大な思想は、苦難に屈せず実践を貫いていく渦中にこそ、わが血肉となり、骨格となっていくのである。
◇
臆して立ち止まっていても、何も生まれない。友の中へ、人間の中へ、民衆の中へと、喜び勇んで飛び込むことだ。
どんどん人と会う。
どんどん友と語る。
形式ではない。真心を込めて語っていくのだ。この胸襟を開いた対話の中に、本当の民主主義の躍動もある。
一人、また一人と、新たな連帯を結びゆく道程には、あの友、この友の、感謝と共感の笑顔が光っていくに違いない。
大聖人は、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ」(御書997ページ)と、誠にダイナミックな生命の劇を洞察された。
思いもよらぬ困難が立ちはだかったその時、わが一念が怯めば、生命は元品の無明に覆われ、魔に負けてしまう。
しかし、題目の師子吼を唱え、広布の誓願のまま、勇猛に挑んでいくならば、わが生命の元品の法性はいよいよ輝く。梵天・帝釈など、あらゆる諸天善神の加護を厳然と顕せる。魔を打ち破り、プラスに転じていける。
私も戸田先生のもと、いかなる激戦にも、喜び勇んで立ち向かった。
創価の師子奮迅の一念で猛然と祈り、戦いゆくところ、必ず一切を味方に変え、断固として勝利の道を切り開けるのだ。
〈『随筆 民衆凱歌の大行進』「行学で飾る創立の月」〉
☆誓いの天地 東京・墨田区 2017年4月23日
◇"師と同じ道"を朗らかに 五月の空に先駆の誉れ
世界一の自立式電波塔・東京スカイツリーの開業から、来月で、はや5年を迎える。
本年は墨田区の誕生から70年。大相撲や花火大会はじめ、豊かな下町情緒に彩られる庶民の都は、東京の一大観光拠点として、さらに存在感を増している。
"将来、ここが世界の中心になるよ"——。若き池田先生は、この地で広布に駆け、未来の発展を展望した。
「"先生は、この道も通られたんだよ"。草創の先輩から教わるたびに、路地一つとっても先生の息遣いを感じます」
そう語るのは、墨田戸田区の女子部長を務める中込里美さん。生粋の墨田っ子だ。
区内の病院に理学療法士として勤務。病気やけがの回復をサポートし、患者のリハビリを支える。
中には、体が思うように動かない現実を受け入れられず、周囲に当たる人もいる。
ベッドから動くことができず、何を話しても無表情でうなずくだけの患者もいた。
白蓮グループなどでの活動を通して、相手の側に立つ姿勢を学んでいた中込さん。不安な心に寄り添おうと、祈りを重ねた。
やがて、その人は、かたくなに拒み続けていた"座る練習"ができるように。「ありがとう。あなたに診てもらえてよかった」。その一言が、何よりうれしい。
中込さんは「体のリハビリとともに、心のリハビリが大切です。真心は必ず通じる。毎日、そう実感します」と語る。"相手は自分を映す鏡"と決めて、日々の学会活動で心を磨く。
「大好きな墨田を、もっと暮らしやすい街に!」と、地域でのリハビリ支援にも心を尽くす。
◇
スカイツリーがある押上駅から1駅、京成曳舟駅を出て歩くと、焼きたてのパンの香りが漂う。
高橋聖一さん(墨田戸田区、男子部副本部長)が、妻・実香さん(白ゆり長)と営むパン屋「オットポン」。ひっきりなしに客が訪れ、思い思いのパンをトレーにのせていく。開放感のある店内はバリアフリー設計だ。
パン作りの専門学校を卒業し、高橋さんは都内のベーカリーで腕を磨いた。男子部の先輩の激励に奮起し、学会活動にも挑戦。同級生に弘教を実らせ、2人で一緒に牙城会大学校へ入校した。
それまで漠然と向き合っていたパン作りにも身が入る。「細かいところにどこまで気を配れるか。そこでパンのおいしさが決まります。どの工程も工夫のしがいが、いくらでもある。毎日が発見です」
開店はスカイツリー開業と同じ2012年。最初は飛ぶようにパンが売れたが、その後、客足が遠のく。「もう無理か」と諦めそうになるたび、同志が激励に来てくれた。
やがて駅前の再開発で住民が増加。パンの評判も徐々に広まり、苦境を脱することができた。
パン屋の朝は早い。かまどの火を午前4時に付け、5時半には最初のパンを焼き上げる。夜明け前の町を歩きながら、高橋さんは広布の誓いを燃やす。多忙を言い訳にすることなく、活動にも全力。これまで7人に弘教を実らせた。
若き池田先生が踏み締めた墨田の道。同じ道を進む友の胸には、後継の誓いが脈打っている。
◇栄光の共戦譜
全同志の希望の指標であり、世界が慶祝する「5・3」。その源流は、ここ墨田にある。
1951年(昭和26年)5月3日、墨田区内で行われた第2代会長就任式の席上、戸田先生は75万世帯の弘教を宣言。池田先生は男子第1部隊長として墨田を駆け、恩師の誓願成就への道を開いた。
そして、60年(同35年)5月3日、池田先生は墨田の日大講堂で第3代会長に就任したのである。
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
就任式に参加した加藤君子さん(墨田牧口区、支部副婦人部長)は振り返る。「池田先生は、講堂に掲げられた戸田先生の遺影に深々と頭を下げ、壇上に向かわれました。厳粛さに命が震えました」
夫の國蔵さん(故人)と、墨田広布の草創を駆けた。男子部員と食事や風呂を共にし、激励を重ねる先生の振る舞いを若い世代に伝えてきた。
君子さんの長男・広宣さん(副本部長)が先生に初めて接したのは、未来部の代表として参加した第1回墨田区幹部大会(73年12月11日、学会本部)。
識者との会見を終えて駆け付けた先生は、"皆さんの所願の達成を共々に祈りに込めたい"と、勤行・唱題し、同志を激励した。
師の確信に触れ、広宣さんは苦手だった勉学に打ち込み、教育の道へ。今、専門学校の教務部長として奮闘する。妻の喜美さん(婦人部副本部長)と共に本部未来本部長として後継の育成に尽力。個人会館の自宅は、子ども会の会場としても地域に親しまれてきた。
長女・真喜子さんは女子部の富士合唱団、次女・理沙さんは高等部の正義合唱団で活躍。広布の誓いが受け継がれている。
◇
2012年5月、スカイツリーの開業祝賀イベントに、創価ルネサンスバンガードが出演した。
パレードの出発地点となった町会で、長年、尽力してきた富川孝子さん(墨田池田区、婦人部副本部長)。
「オープニングを告げる『威風堂々の歌』が、人生の勝利の凱歌のようでした」と振り返る。
富川さんは6人きょうだいの末っ子。7歳の時に母が失踪し、プレス加工を営む父を家族全員で支えた。そんな彼女を、墨田の同志が母のように包んでくれた。
池田先生との出会いは、墨田文化会館の落成式(1976年11月1日)。先生は、「"墨田ここにあり!"との気概で、先駆と模範の実証を全東京に示し切ってほしい」と望んだ。
師の期待を胸に、富川さん一家は経済革命を果たす。家族の病をはじめ、一切を乗り越えてきた。夫の好浩さん(副支部長)も町内会で防災部長を15年務めるなど、その姿は皆の模範と輝く。
◇
「『5・3』を目前に、『五月の空に』も、ひときわ思いがこもります」と、足立起佐子さん(総区婦人部主事)は語る。
第2代・第3代会長就任の地の誇りと、下町広布の情熱を歌い上げた墨田区歌「五月の空に」。
同歌が発表されたのは84年(同59年)1月21日、区内で行われた最高協議会の席だった。足立さんも婦人部の代表として参加した。
有志が作成した歌詞の案を受け取った先生は、3カ所の直しを提案。「世界へ世紀へ 勇み立て」を、「世界だ世紀だ 勇み立て」としてはどうかと語った。
「普通、歌に『だ』は使わないんだ。けれど、『だ』にすることで大胆さが出る」「広布への深い責任と強い使命に立った時に、色心ともの躍動の活動がある」
翌85年、足立さんは墨田区(当時)の婦人部長に。ある時、池田先生から墨田の同志に掛け軸を頂いたとの連絡を受けた。
「五月晴れ この日この時 久遠より 覚悟の旅路 ついに来れり」——墨痕鮮やかに大書され、脇には「昭和三十五年五月三日 恩師戸田先生を偲びつつ詠む」としたためられていた。第3代会長就任の日、池田先生が詠んだ和歌だった。
先生は"この歌は墨田に一番ふさわしい。墨田にあることが大切だ"と伝言を寄せている。
「5月は"墨田の月"。先生との新たな誓いに立つ時です」。足立さんは決意を語る。
師弟源流の地から、新たな勝利の波動を! これが墨田に受け継がれる師匠との誓いである。
2017年4月25日火曜日
2017.04.25 わが友に贈る
限りある時間の中で
最大の価値を生み出す。
これが信心の醍醐味だ!
多忙であればあるほど
深き祈りに立ち返れ!
御義口伝巻下 P788
『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』
☆女性に贈ることば 四月二十五日
躾とは、日々の生活を、開運に、円滑に、自他ともに楽しく、回転させていくためのリズムを、「身」に「美しく」体得していくことといえるかもしれない。
☆今日のことば365 四月二十五日
人間の幸福への勝負は
四十代 五十代であると
思うから
そのために
今日も 着実に
自身らしく
思う存分に振る舞うことだ
☆誓いの天地 東京・町田市 2017年4月14日
◇進化を続ける青年の街
◇世界模範の広布の理想郷を
東京の南端に位置する町田市は、「都会と自然」の両面の魅力を持つ街だ。
中心市街地は、多くの若者が集まり、にぎわいを見せる。一方で、上小山田町から下小山田町、小野路町、図師町、野津田町には多摩丘陵の原風景が広がる。
横浜市、川崎市、相模原市、大和市に隣接することから、神奈川県との交流が盛んだ。都心部へのアクセスもよく、人口は増え続けている。
黒川進一さん(忠生凱旋区、区男子部書記長)は、都心部の大手ゲームソフト会社に勤務。数々の有名なゲームソフトの開発に携わってきた。
1985年(昭和60年)3月3日、2歳の時、町田文化会館を訪問した池田先生と出会いを刻んだ。先生は、黒川さんの頭を優しくなでつつ、「男の子は大樹のように育つんだよ」と。この"宝の歴史"を、いつも父母が語ってくれた。
いつしか、"師にお応えする人材に"との誓いが、心に芽生えた。小学生の時からテレビゲームが好きだったこともあり、ゲームクリエーターを志すように。
専門学校で2年間、懸命に学び、卒業時には「最優秀学生賞」を受賞。ゲーム会社への就職も勝ち取った。
ゲームプログラマーとして働き始めてからは、多忙を極めた。苦しい時期もあったが、それでも、学会活動からは一歩も引かず、弘教も実らせた。
3年間、ゲーム会社で働いた後、実力が認められ、現在の大手ゲームソフト会社へ転職。手掛けたゲームソフトが、好調な売れ行きを見せ、職場で大きく信頼を広げた。
その後、二つの大きなプロジェクトを担当することに。それぞれ、日本ゲーム大賞で優秀賞に輝くなど、高い評価を得た。
一昨年、「CEDEC」と呼ばれる日本最大のゲーム開発者の会議で発表を行った。ゲームプログラマーの"大樹"は、さらなる飛躍を続けている。
◇
12年前の2005年(平成17年)5月、池田先生は、町田街道から小山ケ丘の住宅街を車で走った。最寄りの京王相模原線「多摩境駅」周辺は、大型マンション群が立ち並び、今も進化を続ける。
この小山ケ丘を含む地域で活動する小林康子さん(堺旭日区、女子部部長)。はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師として、訪問マッサージを行っている。
2年前、突然、水も飲めないほどの激烈なのどの痛みに襲われた。2週間で退院できたものの、1カ月後に再発。再び入院した。
退院する前、医師から「慢性化する可能性がある」と言われた。その頃、白蓮グループで薫陶を受けていた。"絶対に健康になってみせる"と祈り、活動に励んだ。今日まで再発はない。
周囲から「いつも元気だね」と言われる小林さんだが、中学生の時、いじめを受けた。その間、両親が支え続けてくれた。"いじめに負けたくない"と、学校にも通い続けた。
その試練を乗り越えたからこそ、一人に寄り添う行動に徹する。仕事では、毎朝、患者一人一人の健康、支える家族の幸福を祈り、治療へ向かう。活動でも、一人の励ましに全力を注ぐ。
昨年11月、女子部部長の任命を受けた。朗らかな小林さんの周囲には、自然と華陽姉妹の笑顔が広がる。"自身が殻を破った分だけ、広宣流布は進む"と決め、対話に駆ける。
青年の月・7月へ、凱歌の誓いに燃える町田青年部の勇気の大行進は、さらに勢いを増している。
◇栄光の共戦譜
「町田の大道」——町田文化会館に掲げられている書だ。1982年(昭和57年)4月、池田先生がしたためた。
68年(同43年)6月14日に町田会館(当時)を初訪問して以降、先生は幾度も友に励ましを送り、手塩に掛けて人材を育んできた。
85年(同60年)6月20日には、「夜明けの町田」とのモットーを贈った。95年(平成7年)3月、町田が学会初の「特区(特別区)」となった折には、「黄金に 輝く特区の 町田城 百万年の 歴史を創らむ」と詠んだ。
師の期待に奮い立ち、町田の同志は、広布の戦の「連戦連勝の大道」を駆けてきた。その栄光の共戦譜が、町田の誇りである。
◇
78年(昭和53年)10月2日、町田文化会館で町田圏(当時)の総会が行われた。同会館は、77年(同52年)6月30日に落成。本年は40周年の佳節である。
先生は"「あの圏に続こう」と仰がれるような発展を"と念願。「世界の模範・町田」との指針を示した。
師を迎え、歓喜に包まれた総会。実は、この会合の前にも、師弟のドラマがつづられていた。
鈴木秀子さん(町田本陣区、支部副婦人部長・地区婦人部長兼任)は、地域の婦人部に誘われ、町田会館へ。到着すると、車から降りてくる先生の姿が見えた。
「いらっしゃい」と声を掛けられ、館内へ。青年部の運営役員をはじめ、数人の婦人がいた。
一人一人を温かく激励する先生の視線が、鈴木さんへ向いた。おなかには8カ月の子が。先生は、鈴木さんの体調を気遣いつつ、笑顔で励ましを送り、記念のカメラに納まった。
「会館を出る時も、見かけた人に声を掛け、記念撮影をされていました。一瞬を逃さず、一人を大切にされる姿を、心に焼き付けました」
幼少の頃から経済的に苦しかった。中学時代の親友から仏法の話を聞き、19歳の時に入会したが、学会活動には消極的だった。
結婚後も経済苦は続き、子育ても苦労の連続。思い悩んでいた時、入会に導いてくれた親友の"本気になって信心しようよ"との言葉に、目が覚めた。
以来、広布の最前線で幸のスクラムを拡大してきた。信心の歩みに合わせるかのように、経済苦も乗り越えることができた。
「先生の激励を思い返すと、感謝と戦う決意が湧いてきます」と鈴木さん。拡大の情熱は赤々と燃えている。
◇
85年3月3日、先生は町田文化会館を訪問。代表幹部会が開催された。
冒頭、この日を「町田青年部の日」とすることが発表された。先生はスピーチで、"町田の勝利が日本の夜明け"と強調。"東京にも、神奈川にもない、世界に模範の広布の理想郷を"と望んだ。
横塚賢志さん(鶴川常勝区、本部長)は、幹部会に参加した一人。「町田への先生の深い思いに、"拡大の実証でお応えしよう"と対話に駆け巡りました」
10期生として創価中学へ。高校卒業までの6年間は、金の思い出だ。創立者から卒業生へ贈られた「君よ 人生いかに生きゆくべきかを 思索しながら 激しき社会の中で 常に進歩を忘れぬ 正義の光の人たれ」との言葉を、人生の指針として胸に刻む。
大学卒業後、大手電機メーカーに就職。99年(平成11年)から2006年(同18年)まで、米国に駐在した。仕事が多忙な中で、活動にも率先。弘教も実らせた。
米国にいた間、先生は2回、町田の友に随筆を贈った。その中で、中国の経済特区・深せんを通し、発展を遂げる町田のさらなる前進に期待を寄せた。
この頃、横塚さんも仕事で深?を訪れ、その発展ぶりを目の当たりにしていた。米国から帰国した際には、"今いる場所から、広布拡大を"と決意新たに、町田で挑戦を開始した。
会社では役員を務めるが、時間を見つけては、訪問激励にも歩く。昨年、本部内の全ての支部でブロック5勇士を達成した。
長女・遥香さん(華陽リーダー)はアメリカ創価大学を卒業後、企業の海外進出を支援する会社に勤務。次女・美紀さん(華陽リーダー)は創価大学で向学の青春を送っている。
◇
南王者区、町田本陣区、鶴川常勝区、忠生凱旋区、堺旭日区の五つの区が、それぞれの特色を発揮しながら、団結固く、師弟の大道を進む町田の友。20年前の6月、先生は長編詩に詠んだ。
「町田の天空に 晴ればれたる 勝利の虹よ かかれ!」
町田の快進撃で、大東京の空に、誰もが仰ぎ見る広宣勝利の虹を懸ける時が来た。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 乙御前御消息(上) 2017年4月8日
◇どんな時も求道の心で広布へ
今月から2回にわたり、「乙御前御消息」を学びます。
池田先生は綴っています。
「この御消息でも、大聖人は、乙御前とその母に、本当に幸福な人生を歩んでほしい。そのためにこそ、いかなる悪世でも、強く生き抜いていける信心を築いてほしい。そうした師匠の御慈愛が全編に込められています」
師匠を求め、佐渡へ、身延へと足を運び、純粋な信心を貫いた女性門下への日蓮大聖人の慈愛あふれる励ましを心に刻むとともに、苦難を乗り越えるための強盛な信心の姿勢を学びましょう。(今回の拝読範囲は、御書1218ページ冒頭〜1220ページ13行目「おぼすべし」)
◇本抄について
本抄は、建治元年(1275年)8月、日蓮大聖人が身延の地で認められたお手紙です。
あて名は「乙御前」となっていますが、内容は乙御前の母に対して送られたものです。
乙御前の母は、鎌倉に住んでいた門下で、夫と離別し、幼い娘を一人で育てながら純粋な信心を貫いた女性です。大聖人の佐渡流罪の渦中には遠路はるばる佐渡まで訪れ、大聖人から「日妙聖人」という最高の称号を贈られています。
当時、再びの蒙古襲来の可能性に世情が騒然としていました。そうした中、大聖人のおられる身延へと師匠を求めて足を運んだ乙御前の母に送られたのが本抄です。
◇御文
『されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼすべし、例には他を引くべからず、日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんと・せしかども・今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし』(御書1220ページ9行目〜13行目)
◇通解
それゆえ、妙楽大師は「心が堅固であれば、必ず神の守りも強いのである」と言っています。その人の信心が固ければ、諸天善神の守りは必ず強い、ということです。
これは、あなたのために申し上げるのです。これまでのあなたの信心の深さは、言い表すことができません。しかし、それよりもなお一層の強盛な信心をしていきなさい。その時は、ますます十羅刹女の守護も強くなると思いなさい。
その例は、他から引くまでもありません。この日蓮を、日本国の上一人より下万民に至るまで一人も残らず、亡き者にしようとしたけれども、今までこうして無事でいることは、日蓮は一人であっても心が強いからなのだと思いなさい。
〈解説〉諸天を揺り動かす強盛な信心で
妙法には、計り知れない力が具わっています。この妙法の力を最大に引き出していくのは、自らの強き「信心」です。
このことを日蓮大聖人は、掲げた御文で、妙楽大師の言葉を引いて示されます。
「心の固き」——すなわち、何があっても恐れず、疑わず、強盛な信心を貫けば、諸天善神の守護の働きが強く現れ、いかなる苦難にも打ち勝つことができるのです。
本抄の御執筆当時、再びの蒙古襲来の危機に、日本中が騒然としていました。また、大聖人が佐渡に流罪された当時、門下は激しい弾圧を受け、退転者が相次ぎました。
乙御前の母は、頼りとすべき夫もなく、幼子と二人で乱世を生き抜かなければならない状況でした。しかし、その中で、純粋な信心を貫き、師を求め、険しい道を越えて、佐渡へ、身延へと大聖人を訪ねました。
大聖人は、その求道心を最大にたたえられ、掲げた御文の直前で、人が生まれた時から両肩に付き添い、善悪の行為を交互に天に報告する同生天・同名天について述べられます。"あなたの善の行動は、全て諸天善神が御存知であり、必ず守られますよ"と、温かな激励をされているのです。
続いて大聖人は、これまでの乙御前の母の尊い信心をたたえた上で、あえて「今一重強盛に御志あるべし」と、一層の強盛な信心を奮い起こすよう指導されています。
"昨日より今日""今日より明日へ"と、どこまでも挑戦していく姿にこそ、強盛な信心の姿勢があります。
続く「例には他を引くべからず」では、「心の固き」信心で妙法を実践してきたのは、大聖人御自身であると仰せです。
大聖人は末法の民衆を救うために正法を弘められ、命に及ぶ大難に遭われました。しかし、「一人なれども心のつよき故なるべし」とある通り、信心が強いゆえに大難を乗り越えることができたと教えられています。
大聖人を襲ういかなる障魔に対しても、一人立つ大聖人の「師子王の心」は微動だにしませんでした。諸天を揺り動かすのは、どこまでも自分自身の「心」、すなわち信心の強き「一念」なのです。
本年4月28日は、御書全集発刊から65周年。いかなる時も御書根本に戦い抜かれた創価三代の師弟の闘争を受け継ぎ、強盛な信心で諸天を働かせ、栄光の「5・3」へ勝利の扉を開いていきましょう。
◇池田先生の講義から
受け身や弱気の心では、諸天を動かすことはできません。"いかなる苦難があろうとも、断じて負けない。絶対に勝利してみせる"——この決定した「一念」から湧き上がる祈りと実践に、諸天善神は感応し、人々を厳として守る働きとして現れるのです。
◇ ◆ ◇
"さあ、これからだ!"——これが草創以来の学会精神です。「前進、前進、また前進」が、広宣流布の合言葉です。
どんな逆境にも立ち向かっていく。どんなことがあっても退かない。それが「心の固き」です。
◇ ◆ ◇
強く、快活で、智慧ある女性がスクラムを組めば、社会は大きく変わります。何も恐れるものがない女性の連帯があれば、時代は大きく変わります。
生命を慈しみ守り、豊かな感性をもった女性が立ち上がれば、文明が大きく変わります。
仏法は、そのために、目覚めた「本物の民衆」をつくりあげる教えなのです。
(いずれも『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
最大の価値を生み出す。
これが信心の醍醐味だ!
多忙であればあるほど
深き祈りに立ち返れ!
御義口伝巻下 P788
『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』
☆女性に贈ることば 四月二十五日
躾とは、日々の生活を、開運に、円滑に、自他ともに楽しく、回転させていくためのリズムを、「身」に「美しく」体得していくことといえるかもしれない。
☆今日のことば365 四月二十五日
人間の幸福への勝負は
四十代 五十代であると
思うから
そのために
今日も 着実に
自身らしく
思う存分に振る舞うことだ
☆誓いの天地 東京・町田市 2017年4月14日
◇進化を続ける青年の街
◇世界模範の広布の理想郷を
東京の南端に位置する町田市は、「都会と自然」の両面の魅力を持つ街だ。
中心市街地は、多くの若者が集まり、にぎわいを見せる。一方で、上小山田町から下小山田町、小野路町、図師町、野津田町には多摩丘陵の原風景が広がる。
横浜市、川崎市、相模原市、大和市に隣接することから、神奈川県との交流が盛んだ。都心部へのアクセスもよく、人口は増え続けている。
黒川進一さん(忠生凱旋区、区男子部書記長)は、都心部の大手ゲームソフト会社に勤務。数々の有名なゲームソフトの開発に携わってきた。
1985年(昭和60年)3月3日、2歳の時、町田文化会館を訪問した池田先生と出会いを刻んだ。先生は、黒川さんの頭を優しくなでつつ、「男の子は大樹のように育つんだよ」と。この"宝の歴史"を、いつも父母が語ってくれた。
いつしか、"師にお応えする人材に"との誓いが、心に芽生えた。小学生の時からテレビゲームが好きだったこともあり、ゲームクリエーターを志すように。
専門学校で2年間、懸命に学び、卒業時には「最優秀学生賞」を受賞。ゲーム会社への就職も勝ち取った。
ゲームプログラマーとして働き始めてからは、多忙を極めた。苦しい時期もあったが、それでも、学会活動からは一歩も引かず、弘教も実らせた。
3年間、ゲーム会社で働いた後、実力が認められ、現在の大手ゲームソフト会社へ転職。手掛けたゲームソフトが、好調な売れ行きを見せ、職場で大きく信頼を広げた。
その後、二つの大きなプロジェクトを担当することに。それぞれ、日本ゲーム大賞で優秀賞に輝くなど、高い評価を得た。
一昨年、「CEDEC」と呼ばれる日本最大のゲーム開発者の会議で発表を行った。ゲームプログラマーの"大樹"は、さらなる飛躍を続けている。
◇
12年前の2005年(平成17年)5月、池田先生は、町田街道から小山ケ丘の住宅街を車で走った。最寄りの京王相模原線「多摩境駅」周辺は、大型マンション群が立ち並び、今も進化を続ける。
この小山ケ丘を含む地域で活動する小林康子さん(堺旭日区、女子部部長)。はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師として、訪問マッサージを行っている。
2年前、突然、水も飲めないほどの激烈なのどの痛みに襲われた。2週間で退院できたものの、1カ月後に再発。再び入院した。
退院する前、医師から「慢性化する可能性がある」と言われた。その頃、白蓮グループで薫陶を受けていた。"絶対に健康になってみせる"と祈り、活動に励んだ。今日まで再発はない。
周囲から「いつも元気だね」と言われる小林さんだが、中学生の時、いじめを受けた。その間、両親が支え続けてくれた。"いじめに負けたくない"と、学校にも通い続けた。
その試練を乗り越えたからこそ、一人に寄り添う行動に徹する。仕事では、毎朝、患者一人一人の健康、支える家族の幸福を祈り、治療へ向かう。活動でも、一人の励ましに全力を注ぐ。
昨年11月、女子部部長の任命を受けた。朗らかな小林さんの周囲には、自然と華陽姉妹の笑顔が広がる。"自身が殻を破った分だけ、広宣流布は進む"と決め、対話に駆ける。
青年の月・7月へ、凱歌の誓いに燃える町田青年部の勇気の大行進は、さらに勢いを増している。
◇栄光の共戦譜
「町田の大道」——町田文化会館に掲げられている書だ。1982年(昭和57年)4月、池田先生がしたためた。
68年(同43年)6月14日に町田会館(当時)を初訪問して以降、先生は幾度も友に励ましを送り、手塩に掛けて人材を育んできた。
85年(同60年)6月20日には、「夜明けの町田」とのモットーを贈った。95年(平成7年)3月、町田が学会初の「特区(特別区)」となった折には、「黄金に 輝く特区の 町田城 百万年の 歴史を創らむ」と詠んだ。
師の期待に奮い立ち、町田の同志は、広布の戦の「連戦連勝の大道」を駆けてきた。その栄光の共戦譜が、町田の誇りである。
◇
78年(昭和53年)10月2日、町田文化会館で町田圏(当時)の総会が行われた。同会館は、77年(同52年)6月30日に落成。本年は40周年の佳節である。
先生は"「あの圏に続こう」と仰がれるような発展を"と念願。「世界の模範・町田」との指針を示した。
師を迎え、歓喜に包まれた総会。実は、この会合の前にも、師弟のドラマがつづられていた。
鈴木秀子さん(町田本陣区、支部副婦人部長・地区婦人部長兼任)は、地域の婦人部に誘われ、町田会館へ。到着すると、車から降りてくる先生の姿が見えた。
「いらっしゃい」と声を掛けられ、館内へ。青年部の運営役員をはじめ、数人の婦人がいた。
一人一人を温かく激励する先生の視線が、鈴木さんへ向いた。おなかには8カ月の子が。先生は、鈴木さんの体調を気遣いつつ、笑顔で励ましを送り、記念のカメラに納まった。
「会館を出る時も、見かけた人に声を掛け、記念撮影をされていました。一瞬を逃さず、一人を大切にされる姿を、心に焼き付けました」
幼少の頃から経済的に苦しかった。中学時代の親友から仏法の話を聞き、19歳の時に入会したが、学会活動には消極的だった。
結婚後も経済苦は続き、子育ても苦労の連続。思い悩んでいた時、入会に導いてくれた親友の"本気になって信心しようよ"との言葉に、目が覚めた。
以来、広布の最前線で幸のスクラムを拡大してきた。信心の歩みに合わせるかのように、経済苦も乗り越えることができた。
「先生の激励を思い返すと、感謝と戦う決意が湧いてきます」と鈴木さん。拡大の情熱は赤々と燃えている。
◇
85年3月3日、先生は町田文化会館を訪問。代表幹部会が開催された。
冒頭、この日を「町田青年部の日」とすることが発表された。先生はスピーチで、"町田の勝利が日本の夜明け"と強調。"東京にも、神奈川にもない、世界に模範の広布の理想郷を"と望んだ。
横塚賢志さん(鶴川常勝区、本部長)は、幹部会に参加した一人。「町田への先生の深い思いに、"拡大の実証でお応えしよう"と対話に駆け巡りました」
10期生として創価中学へ。高校卒業までの6年間は、金の思い出だ。創立者から卒業生へ贈られた「君よ 人生いかに生きゆくべきかを 思索しながら 激しき社会の中で 常に進歩を忘れぬ 正義の光の人たれ」との言葉を、人生の指針として胸に刻む。
大学卒業後、大手電機メーカーに就職。99年(平成11年)から2006年(同18年)まで、米国に駐在した。仕事が多忙な中で、活動にも率先。弘教も実らせた。
米国にいた間、先生は2回、町田の友に随筆を贈った。その中で、中国の経済特区・深せんを通し、発展を遂げる町田のさらなる前進に期待を寄せた。
この頃、横塚さんも仕事で深?を訪れ、その発展ぶりを目の当たりにしていた。米国から帰国した際には、"今いる場所から、広布拡大を"と決意新たに、町田で挑戦を開始した。
会社では役員を務めるが、時間を見つけては、訪問激励にも歩く。昨年、本部内の全ての支部でブロック5勇士を達成した。
長女・遥香さん(華陽リーダー)はアメリカ創価大学を卒業後、企業の海外進出を支援する会社に勤務。次女・美紀さん(華陽リーダー)は創価大学で向学の青春を送っている。
◇
南王者区、町田本陣区、鶴川常勝区、忠生凱旋区、堺旭日区の五つの区が、それぞれの特色を発揮しながら、団結固く、師弟の大道を進む町田の友。20年前の6月、先生は長編詩に詠んだ。
「町田の天空に 晴ればれたる 勝利の虹よ かかれ!」
町田の快進撃で、大東京の空に、誰もが仰ぎ見る広宣勝利の虹を懸ける時が来た。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 乙御前御消息(上) 2017年4月8日
◇どんな時も求道の心で広布へ
今月から2回にわたり、「乙御前御消息」を学びます。
池田先生は綴っています。
「この御消息でも、大聖人は、乙御前とその母に、本当に幸福な人生を歩んでほしい。そのためにこそ、いかなる悪世でも、強く生き抜いていける信心を築いてほしい。そうした師匠の御慈愛が全編に込められています」
師匠を求め、佐渡へ、身延へと足を運び、純粋な信心を貫いた女性門下への日蓮大聖人の慈愛あふれる励ましを心に刻むとともに、苦難を乗り越えるための強盛な信心の姿勢を学びましょう。(今回の拝読範囲は、御書1218ページ冒頭〜1220ページ13行目「おぼすべし」)
◇本抄について
本抄は、建治元年(1275年)8月、日蓮大聖人が身延の地で認められたお手紙です。
あて名は「乙御前」となっていますが、内容は乙御前の母に対して送られたものです。
乙御前の母は、鎌倉に住んでいた門下で、夫と離別し、幼い娘を一人で育てながら純粋な信心を貫いた女性です。大聖人の佐渡流罪の渦中には遠路はるばる佐渡まで訪れ、大聖人から「日妙聖人」という最高の称号を贈られています。
当時、再びの蒙古襲来の可能性に世情が騒然としていました。そうした中、大聖人のおられる身延へと師匠を求めて足を運んだ乙御前の母に送られたのが本抄です。
◇御文
『されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼすべし、例には他を引くべからず、日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんと・せしかども・今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし』(御書1220ページ9行目〜13行目)
◇通解
それゆえ、妙楽大師は「心が堅固であれば、必ず神の守りも強いのである」と言っています。その人の信心が固ければ、諸天善神の守りは必ず強い、ということです。
これは、あなたのために申し上げるのです。これまでのあなたの信心の深さは、言い表すことができません。しかし、それよりもなお一層の強盛な信心をしていきなさい。その時は、ますます十羅刹女の守護も強くなると思いなさい。
その例は、他から引くまでもありません。この日蓮を、日本国の上一人より下万民に至るまで一人も残らず、亡き者にしようとしたけれども、今までこうして無事でいることは、日蓮は一人であっても心が強いからなのだと思いなさい。
〈解説〉諸天を揺り動かす強盛な信心で
妙法には、計り知れない力が具わっています。この妙法の力を最大に引き出していくのは、自らの強き「信心」です。
このことを日蓮大聖人は、掲げた御文で、妙楽大師の言葉を引いて示されます。
「心の固き」——すなわち、何があっても恐れず、疑わず、強盛な信心を貫けば、諸天善神の守護の働きが強く現れ、いかなる苦難にも打ち勝つことができるのです。
本抄の御執筆当時、再びの蒙古襲来の危機に、日本中が騒然としていました。また、大聖人が佐渡に流罪された当時、門下は激しい弾圧を受け、退転者が相次ぎました。
乙御前の母は、頼りとすべき夫もなく、幼子と二人で乱世を生き抜かなければならない状況でした。しかし、その中で、純粋な信心を貫き、師を求め、険しい道を越えて、佐渡へ、身延へと大聖人を訪ねました。
大聖人は、その求道心を最大にたたえられ、掲げた御文の直前で、人が生まれた時から両肩に付き添い、善悪の行為を交互に天に報告する同生天・同名天について述べられます。"あなたの善の行動は、全て諸天善神が御存知であり、必ず守られますよ"と、温かな激励をされているのです。
続いて大聖人は、これまでの乙御前の母の尊い信心をたたえた上で、あえて「今一重強盛に御志あるべし」と、一層の強盛な信心を奮い起こすよう指導されています。
"昨日より今日""今日より明日へ"と、どこまでも挑戦していく姿にこそ、強盛な信心の姿勢があります。
続く「例には他を引くべからず」では、「心の固き」信心で妙法を実践してきたのは、大聖人御自身であると仰せです。
大聖人は末法の民衆を救うために正法を弘められ、命に及ぶ大難に遭われました。しかし、「一人なれども心のつよき故なるべし」とある通り、信心が強いゆえに大難を乗り越えることができたと教えられています。
大聖人を襲ういかなる障魔に対しても、一人立つ大聖人の「師子王の心」は微動だにしませんでした。諸天を揺り動かすのは、どこまでも自分自身の「心」、すなわち信心の強き「一念」なのです。
本年4月28日は、御書全集発刊から65周年。いかなる時も御書根本に戦い抜かれた創価三代の師弟の闘争を受け継ぎ、強盛な信心で諸天を働かせ、栄光の「5・3」へ勝利の扉を開いていきましょう。
◇池田先生の講義から
受け身や弱気の心では、諸天を動かすことはできません。"いかなる苦難があろうとも、断じて負けない。絶対に勝利してみせる"——この決定した「一念」から湧き上がる祈りと実践に、諸天善神は感応し、人々を厳として守る働きとして現れるのです。
◇ ◆ ◇
"さあ、これからだ!"——これが草創以来の学会精神です。「前進、前進、また前進」が、広宣流布の合言葉です。
どんな逆境にも立ち向かっていく。どんなことがあっても退かない。それが「心の固き」です。
◇ ◆ ◇
強く、快活で、智慧ある女性がスクラムを組めば、社会は大きく変わります。何も恐れるものがない女性の連帯があれば、時代は大きく変わります。
生命を慈しみ守り、豊かな感性をもった女性が立ち上がれば、文明が大きく変わります。
仏法は、そのために、目覚めた「本物の民衆」をつくりあげる教えなのです。
(いずれも『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
2017年4月24日月曜日
2017.04.24 わが友に贈る
◇今週のことば
広布は「対話」で進む。
動けば境涯が開かれる。
語れば仏縁が広がる。
勇んで打って出て
「心の財」を共々に!
2017年4月24日
御義口伝巻下 P784
『桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり』
☆女性に贈ることば 四月二十四日
平凡でもいい
私はいつも
春風の笑顔を 忘れずにいたい
太陽の希望を はつらつと輝かせたい
月光と語らいながら 知性を深めたい
白雪のごとく 清らかに光る人でありたい
☆今日のことば365 四月二十四日
時を知ることほど大切なことはない。百千万の作戦も時を得なけえば成功しない。事業も、人の出処進退も、時を誤れば、混乱と敗北を招くだけである。
☆御書と歩む第61回 剣豪の如く教学を磨け
『この御文は大事の事どもかきて候、よくよく人によませて・きこしめせ』(上野殿御返事、1510ページ)
◇通解
このお手紙には大事のことを書き記している。よくよく人に読ませて、お聞きになりなさい。
◇同志への指針
"剣豪の修行の如き鍛錬"——65年前、御書全集の「発刊の辞」で、恩師は学会伝統の行学の姿勢を厳と示された。
教学は生命の宝剣だ。剣豪が基本の素振りを怠らぬように、たゆまず御書を開くのだ。教学を磨き深めれば、境涯が広がる。友に希望と勇気の励ましを送ることができる。
どこまでも御書根本に、「広宣流布」と「立正安国」の確信の対話を!
☆5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念 世界広布新時代第25回本部幹部会 SGI春季研修会聖教新聞配達員大会から原田稔会長 2017年4月21日
皆が幸せになるための信心
庶民が主役の時代へ堂々と
一、「世界広布新時代第25回本部幹部会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また本日は、SGI春季研修会で来日された、55カ国・地域270人の皆さんも参加されています。ようこそ、お越しくださいました。
無冠の友の皆さまには、配達員大会の開催を、心からお祝い申し上げます。
池田先生は「無冠」(創刊記念日特集)にメッセージを寄せ、「配達は即『地域広布』なり、そして配達は即『一軒一軒の幸福勝利劇』の始まりなり」と讃えてくださっております。
ここで改めて、学会の屋台骨であり、広布の大動脈である無冠の友の皆さまに、感謝と賞讃の拍手をお送りしようではありませんか(拍手)。
一、さて、6月23日告示、7月2日投票の東京都議会議員選挙につきまして、公明党東京都本部からの同党公認23人への支持依頼を受け、学会として、東京社会協議会において協議し、支持を決定しました。私たちは、よりよき社会、よりよき東京建設のために全力で支援していきたい。
思えば、7月に「立正安国論」を上呈された日蓮大聖人の言論戦は、終始一貫、鎌倉を舞台とする「首都決戦」でありました。
また7月は、池田先生が、夕張炭労による不当な学会弾圧の矢面に立って戦われ、そして事実無根の大阪事件によって入獄された月です。私どもは、師匠の不惜身命の精神を今こそ受け継ぎ、東京の完全勝利から全国へと、「庶民が主役の時代」を開いていきたい(拍手)。
一、本年は日中国交正常化45周年を迎えます。池田先生は1968年(昭和43年)、国交正常化を命懸けで提言され、正常化の後には、中国の周恩来総理と一期一会の出会いを結ばれました。
この佳節に当たり、先日、周総理のめいに当たる周秉宜氏らが来日され、創価大学で周桜の観桜会に出席。前日には総本部を訪問くださり、私どもで歓迎させていただきました。
会見で特に印象深かったエピソードは、周総理が、かつて自宅で食事をしていた折のことです。一冊の冊子を物珍しそうに眺めている秉宜氏に、総理は語りました。
「それは創価学会という日本の宗教団体の本です。創価学会は戦争に反対し、平和のために貢献している団体です。会長は池田大作という方です」と。
周総理は、仕事の話を家族にすることがほとんどなかったため、この総理の言葉は、秉宜氏の印象に強く残っているそうです。
どれほど周総理が、創価学会に注目していたかを端的に示す歴史的事実だと思います。
なぜ周総理が学会を重要視したか。それは、学会が「大衆の中に基盤を持つ団体」だったからである、とは多くの関係者が証言するところであります。最も盤石で、最も広大な「大衆」という大地に根を張るがゆえに、学会はぶれない。最も正しく、最も信頼できる。こう周総理は見抜いたのです。
誰が一番、庶民の心を知るのか——。
誰が一番、庶民の心を守るのか——。
「それは学会をおいて、ほかにはない」と、私たちは大確信で胸を張り、「庶民の」「庶民による」「庶民のための」対話拡大を、ますます威風堂々と開始していきましょう(拍手)。
社会の繁栄築く 立正安国の行動
一、大阪事件直後の57年8月、池田先生は、反転攻勢の拡大戦を東京・荒川の地から開始され、わずか1週間で会員世帯の1割を超える弘教の金字塔を打ち立てられました。
その勝利の原動力を、池田先生は小説『新・人間革命』第26巻(「奮迅」の章)で、2点つづられています。
1点目は、「みんなに、絶対に幸せになってもらいたいという一念」です。
「幸せになるための信心であり、学会活動ではないですか。全部、自分のためであり、それがそのまま、社会の繁栄を築いていくことにもなるんです」と教えてくださっています。
「人間革命」即「立正安国」であり「立正安国」即「人間革命」です。リーダーは、一切が信心の戦いであり、同志が功徳を受けてこその勝利であると銘記していきたい。
2点目に、先生は「"広宣流布の後事は、すべて大丈夫です"と言える拡大の実証を、戸田先生にご覧いただこうと、決意していたこと」であると教えてくださっています。
会員75万世帯の「達成は、戸田先生の人生の総仕上げとなる戦いだった。なんとしても、この昭和32年(1957年)中には、それを成し遂げ、先生にご安心していただきたかった」と。
そして先生は、ご指導くださっています。
「師匠の総仕上げの戦いというのは、弟子の大成を見届けることなんです。つまり、弟子が、『先生! わが勝利を、ご覧ください!』と、師匠に胸を張って報告できる実証を示すことなんです。それが、師弟不二です」
まさしく、今の私どもへのご指導と拝すべき、重要な一文であります。
池田先生は「学会の永遠性を確立するのは、まさに今この時だ。これが私の総仕上げの闘争である」と、ご指導くださっています。
そして「師匠の総仕上げの戦い」が「弟子の大成を見届けること」であるならば、私たちは断じて勝たねばなりません。
御聖訓に「強敵を伏して始て力士をしる」(御書957ページ)と仰せの通り、史上最難関の激戦が待ち受けるは必定です。
「『感激』できる人は、何事にも感謝していける、清新で謙虚な、豊かな生命の人です」「その『感激』を生み出す根本は、清らかな久遠の生命に立ち返ることです」との池田先生のご指導を身で拝し、私どもは日々、師匠との誓願に立ち返りながら、全てが「自分の戦い」であり、全てが「自分のための戦い」であると決めて、勇んで戦っていきたい。
「5・3」から「7・3」へ、断じて池田門下の勝ちどきを上げようではありませんか(拍手)。
広布は「対話」で進む。
動けば境涯が開かれる。
語れば仏縁が広がる。
勇んで打って出て
「心の財」を共々に!
2017年4月24日
御義口伝巻下 P784
『桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり』
☆女性に贈ることば 四月二十四日
平凡でもいい
私はいつも
春風の笑顔を 忘れずにいたい
太陽の希望を はつらつと輝かせたい
月光と語らいながら 知性を深めたい
白雪のごとく 清らかに光る人でありたい
☆今日のことば365 四月二十四日
時を知ることほど大切なことはない。百千万の作戦も時を得なけえば成功しない。事業も、人の出処進退も、時を誤れば、混乱と敗北を招くだけである。
☆御書と歩む第61回 剣豪の如く教学を磨け
『この御文は大事の事どもかきて候、よくよく人によませて・きこしめせ』(上野殿御返事、1510ページ)
◇通解
このお手紙には大事のことを書き記している。よくよく人に読ませて、お聞きになりなさい。
◇同志への指針
"剣豪の修行の如き鍛錬"——65年前、御書全集の「発刊の辞」で、恩師は学会伝統の行学の姿勢を厳と示された。
教学は生命の宝剣だ。剣豪が基本の素振りを怠らぬように、たゆまず御書を開くのだ。教学を磨き深めれば、境涯が広がる。友に希望と勇気の励ましを送ることができる。
どこまでも御書根本に、「広宣流布」と「立正安国」の確信の対話を!
☆5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念 世界広布新時代第25回本部幹部会 SGI春季研修会聖教新聞配達員大会から原田稔会長 2017年4月21日
皆が幸せになるための信心
庶民が主役の時代へ堂々と
一、「世界広布新時代第25回本部幹部会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また本日は、SGI春季研修会で来日された、55カ国・地域270人の皆さんも参加されています。ようこそ、お越しくださいました。
無冠の友の皆さまには、配達員大会の開催を、心からお祝い申し上げます。
池田先生は「無冠」(創刊記念日特集)にメッセージを寄せ、「配達は即『地域広布』なり、そして配達は即『一軒一軒の幸福勝利劇』の始まりなり」と讃えてくださっております。
ここで改めて、学会の屋台骨であり、広布の大動脈である無冠の友の皆さまに、感謝と賞讃の拍手をお送りしようではありませんか(拍手)。
一、さて、6月23日告示、7月2日投票の東京都議会議員選挙につきまして、公明党東京都本部からの同党公認23人への支持依頼を受け、学会として、東京社会協議会において協議し、支持を決定しました。私たちは、よりよき社会、よりよき東京建設のために全力で支援していきたい。
思えば、7月に「立正安国論」を上呈された日蓮大聖人の言論戦は、終始一貫、鎌倉を舞台とする「首都決戦」でありました。
また7月は、池田先生が、夕張炭労による不当な学会弾圧の矢面に立って戦われ、そして事実無根の大阪事件によって入獄された月です。私どもは、師匠の不惜身命の精神を今こそ受け継ぎ、東京の完全勝利から全国へと、「庶民が主役の時代」を開いていきたい(拍手)。
一、本年は日中国交正常化45周年を迎えます。池田先生は1968年(昭和43年)、国交正常化を命懸けで提言され、正常化の後には、中国の周恩来総理と一期一会の出会いを結ばれました。
この佳節に当たり、先日、周総理のめいに当たる周秉宜氏らが来日され、創価大学で周桜の観桜会に出席。前日には総本部を訪問くださり、私どもで歓迎させていただきました。
会見で特に印象深かったエピソードは、周総理が、かつて自宅で食事をしていた折のことです。一冊の冊子を物珍しそうに眺めている秉宜氏に、総理は語りました。
「それは創価学会という日本の宗教団体の本です。創価学会は戦争に反対し、平和のために貢献している団体です。会長は池田大作という方です」と。
周総理は、仕事の話を家族にすることがほとんどなかったため、この総理の言葉は、秉宜氏の印象に強く残っているそうです。
どれほど周総理が、創価学会に注目していたかを端的に示す歴史的事実だと思います。
なぜ周総理が学会を重要視したか。それは、学会が「大衆の中に基盤を持つ団体」だったからである、とは多くの関係者が証言するところであります。最も盤石で、最も広大な「大衆」という大地に根を張るがゆえに、学会はぶれない。最も正しく、最も信頼できる。こう周総理は見抜いたのです。
誰が一番、庶民の心を知るのか——。
誰が一番、庶民の心を守るのか——。
「それは学会をおいて、ほかにはない」と、私たちは大確信で胸を張り、「庶民の」「庶民による」「庶民のための」対話拡大を、ますます威風堂々と開始していきましょう(拍手)。
社会の繁栄築く 立正安国の行動
一、大阪事件直後の57年8月、池田先生は、反転攻勢の拡大戦を東京・荒川の地から開始され、わずか1週間で会員世帯の1割を超える弘教の金字塔を打ち立てられました。
その勝利の原動力を、池田先生は小説『新・人間革命』第26巻(「奮迅」の章)で、2点つづられています。
1点目は、「みんなに、絶対に幸せになってもらいたいという一念」です。
「幸せになるための信心であり、学会活動ではないですか。全部、自分のためであり、それがそのまま、社会の繁栄を築いていくことにもなるんです」と教えてくださっています。
「人間革命」即「立正安国」であり「立正安国」即「人間革命」です。リーダーは、一切が信心の戦いであり、同志が功徳を受けてこその勝利であると銘記していきたい。
2点目に、先生は「"広宣流布の後事は、すべて大丈夫です"と言える拡大の実証を、戸田先生にご覧いただこうと、決意していたこと」であると教えてくださっています。
会員75万世帯の「達成は、戸田先生の人生の総仕上げとなる戦いだった。なんとしても、この昭和32年(1957年)中には、それを成し遂げ、先生にご安心していただきたかった」と。
そして先生は、ご指導くださっています。
「師匠の総仕上げの戦いというのは、弟子の大成を見届けることなんです。つまり、弟子が、『先生! わが勝利を、ご覧ください!』と、師匠に胸を張って報告できる実証を示すことなんです。それが、師弟不二です」
まさしく、今の私どもへのご指導と拝すべき、重要な一文であります。
池田先生は「学会の永遠性を確立するのは、まさに今この時だ。これが私の総仕上げの闘争である」と、ご指導くださっています。
そして「師匠の総仕上げの戦い」が「弟子の大成を見届けること」であるならば、私たちは断じて勝たねばなりません。
御聖訓に「強敵を伏して始て力士をしる」(御書957ページ)と仰せの通り、史上最難関の激戦が待ち受けるは必定です。
「『感激』できる人は、何事にも感謝していける、清新で謙虚な、豊かな生命の人です」「その『感激』を生み出す根本は、清らかな久遠の生命に立ち返ることです」との池田先生のご指導を身で拝し、私どもは日々、師匠との誓願に立ち返りながら、全てが「自分の戦い」であり、全てが「自分のための戦い」であると決めて、勇んで戦っていきたい。
「5・3」から「7・3」へ、断じて池田門下の勝ちどきを上げようではありませんか(拍手)。
2017年4月23日日曜日
2017.04.23 わが友に贈る
創価学会は永遠に
異体同心の団結で勝つ!
全員が主体者として
断固と一人立て!
人間主義の連帯を築け!
四条金吾殿御返事 P1180
『此の法門につきし人あまた候いしかどもをほやけわたくしの大難度度重なり候いしかば一年二年こそつき候いしが後後には皆或はをち或はかへり矢をいる、或は身はをちねども心をち或は心はをちねども身はをちぬ』
☆女性に贈ることば 四月二十三日
私は、生涯青春という言葉が好きである。
いわゆる若さとは、決して年齢によって決まるものではない。自分のもつ目標に向かって、たくましく生き抜く情熱の炎によって決まると信じているからだ。
若くして心の老いた人もいる。一方、どんなに高齢になっても希望を失わず、心の若々しい人は生渡青春である。
☆今日のことば365 四月二十三日
テレビによって育てられたともいえる現代っ子は、ものごとの直感的な把握という面ではすぐれた感覚をもっている。だから、そういう意味での観察は鋭いし、反応も速い。しかも、表現も感覚的でおもしろい。
☆世界広布新時代第25回本部幹部会への池田先生のメッセージ 2017年4月16日
◇輝き光る「我らの五月三日」 平和を築く「立正安国の大連帯」
一、日本全国、全世界の創価家族と、今年も晴れやかに、輝き光る「我らの五月三日」を祝賀することができ、これほど、うれしいことはありません。
55カ国・地域のリーダーの皆さん方、桜舞う花の都・大東京へ、本当にようこそ、お越しくださいました。
偉大なる求道の一人一人と固い心の握手を交わしつつ、題目を送っております。皆で熱烈に大歓迎しましょう!(大拍手)
きょうは聖教新聞の配達員大会であり、一番お世話になっている「無冠の友」の皆さんに、心から感謝申し上げます。
聖教新聞の創刊号の1面を飾ったのは、戸田先生の執筆による論陣「信念とは何ぞや?」でした。聖教新聞は「生命尊厳」の揺るぎなき信念を掲げた言論であり、その配達に当たってくださる皆さんは、究極の信念の闘士であります。
一、忘れ得ぬマンデラ元大統領が、27年半もの獄中闘争を貫き通した、心の支えは何であったか。
それは、お母さんが「自分の信念の正しさを信じ、信念のために闘いなさい」(長田雅子訳『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』明石書店)と、最後の最後まで書き送ってくれた手紙であった。この母の励ましこそが、尽きることのない「誇り」と「喜び」の源泉になったというのであります。
信念に生き抜く母たちの励ましほど、尊く強い正義の光はありません。我ら創価家族が、何があろうと、広宣流布という最極の信念の大道を明るく毅然と前進できるのも、太陽の母たちがいるからであります。
5月3日「創価学会母の日」を前に、世界一の婦人部の皆さん方に、感謝と讃嘆の大拍手を送りたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
◇全て覚悟の上
一、我らの信念は、御本仏・日蓮大聖人に直結する大信念であります。
大聖人が、武蔵国、すなわち、ここ大東京の先達である池上兄弟に送られた御聖訓を一緒に心肝に染めたい。
それは、池上兄弟が二度目の勘当という苦難の真っ只中で頂いたお手紙です。
当時、社会的生命の圧殺にも等しい勘当の難を、兄弟は、ひとたびは乗り越えたものの、再び、より厳しい迫害に襲われました。
病気の再発や、事業の度重なる逆境など、人生には何度も越えねばならない困難がある。いわんや、広宣流布の途上にあっては、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ」(御書202ページ)と仰せの通りに、険しい使命の難関が打ち続くことは、もとより覚悟の上である。その時こそ、まことの信心が試される勝負の時といってよい。全て、皆が永遠に仏になりゆくための仏道修行だからである。
大聖人は、池上兄弟に厳然と仰せになられました。
「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同1091ページ)と。
兄弟は、この御指導のままに一歩も退かず、勇んで前に進み抜いた。魔に付け入る隙を与えない団結で、夫人たちも一丸となって戦い抜いた。
そして、ついに「冬は必ず春となる」(同1253ページ)との勝利を迎える。それは、勘当が解けるだけではなく、猛反対であった父親が入信し、見事なる「一家和楽」を勝ち開くまでに至ったのであります。
「難を乗り越える信心」の実証は、眼前の苦境を打開するのみにとどまらず、周囲の仏法への理解を一変させ、国土世間までも劇的に変えていくことができる。これが「賢者」の大歓喜の逆転勝利なのであります。
やがて、池上家の人々は大聖人をお迎えすることができ、大聖人は万年まで託されるが如く、最後に「立正安国論」の講義をなされました。
不思議にも、わが学会は、御本仏が魂魄を留められた大東京を本陣として、「立正安国」の旗を高く掲げて誕生したのであります。
◇対話を勇敢に
一、60年前の7月、大阪事件の弾圧の渦中に炎の東京大会を行ってくれた歴史も、私と妻の命から離れることはありません。雷雨の中の大阪大会も、わが胸奥に不滅の輝きを放っています。誉れ高き「ああ感激の同志あり」の劇です。
あの日あの時、戸田先生は関西本部で私に言われました。
「社会の不幸に目をつぶり、宗教の世界に閉じこもり、安穏として、ただ題目を唱えているだけだとしたら、大聖人の立正安国の御精神に反する。
この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある」
「君が先頭となり、大難と戦うことで、君だけでなく、本末究竟して、みんなの一生成仏の道が開かれることになる」と。
民衆の幸福のため、社会の安定のため、世界の平和のため、我らはいよいよ「賢者はよろこび」と戦い進むのだ。そして、信念の対話を勇敢に広げ、地涌の若き賢者を聡明に育みながら、人類に立ちはだかる、ありとあらゆる試練を断じて勝ち越えていく「立正安国の大連帯」を築き上げていこうではないか!
一、大聖人は池上兄弟や四条金吾夫妻など愛弟子の勝利を、「何よりも爽快なり」(同1175ページ、趣意)と喜ばれました。「仏法は勝負」であるゆえに、最後は正しい信心が必ず勝つと示し切ることが、妙法の無限の功力の証明であり、未来へ贈る希望の光なのです。
世界広宣流布の壮大な未来へ、何ものも恐れぬ「感激の同志」のスクラムで、一人一人の「人間革命の凱歌」を、我ら「東京の凱歌」を、そして「師弟の凱歌」を轟かせゆくことを共々に決意しあって、私のメッセージといたします。
全国、全世界の同志の皆さん、本当にありがとう! 皆、お元気で!
異体同心の団結で勝つ!
全員が主体者として
断固と一人立て!
人間主義の連帯を築け!
四条金吾殿御返事 P1180
『此の法門につきし人あまた候いしかどもをほやけわたくしの大難度度重なり候いしかば一年二年こそつき候いしが後後には皆或はをち或はかへり矢をいる、或は身はをちねども心をち或は心はをちねども身はをちぬ』
☆女性に贈ることば 四月二十三日
私は、生涯青春という言葉が好きである。
いわゆる若さとは、決して年齢によって決まるものではない。自分のもつ目標に向かって、たくましく生き抜く情熱の炎によって決まると信じているからだ。
若くして心の老いた人もいる。一方、どんなに高齢になっても希望を失わず、心の若々しい人は生渡青春である。
☆今日のことば365 四月二十三日
テレビによって育てられたともいえる現代っ子は、ものごとの直感的な把握という面ではすぐれた感覚をもっている。だから、そういう意味での観察は鋭いし、反応も速い。しかも、表現も感覚的でおもしろい。
☆世界広布新時代第25回本部幹部会への池田先生のメッセージ 2017年4月16日
◇輝き光る「我らの五月三日」 平和を築く「立正安国の大連帯」
一、日本全国、全世界の創価家族と、今年も晴れやかに、輝き光る「我らの五月三日」を祝賀することができ、これほど、うれしいことはありません。
55カ国・地域のリーダーの皆さん方、桜舞う花の都・大東京へ、本当にようこそ、お越しくださいました。
偉大なる求道の一人一人と固い心の握手を交わしつつ、題目を送っております。皆で熱烈に大歓迎しましょう!(大拍手)
きょうは聖教新聞の配達員大会であり、一番お世話になっている「無冠の友」の皆さんに、心から感謝申し上げます。
聖教新聞の創刊号の1面を飾ったのは、戸田先生の執筆による論陣「信念とは何ぞや?」でした。聖教新聞は「生命尊厳」の揺るぎなき信念を掲げた言論であり、その配達に当たってくださる皆さんは、究極の信念の闘士であります。
一、忘れ得ぬマンデラ元大統領が、27年半もの獄中闘争を貫き通した、心の支えは何であったか。
それは、お母さんが「自分の信念の正しさを信じ、信念のために闘いなさい」(長田雅子訳『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』明石書店)と、最後の最後まで書き送ってくれた手紙であった。この母の励ましこそが、尽きることのない「誇り」と「喜び」の源泉になったというのであります。
信念に生き抜く母たちの励ましほど、尊く強い正義の光はありません。我ら創価家族が、何があろうと、広宣流布という最極の信念の大道を明るく毅然と前進できるのも、太陽の母たちがいるからであります。
5月3日「創価学会母の日」を前に、世界一の婦人部の皆さん方に、感謝と讃嘆の大拍手を送りたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
◇全て覚悟の上
一、我らの信念は、御本仏・日蓮大聖人に直結する大信念であります。
大聖人が、武蔵国、すなわち、ここ大東京の先達である池上兄弟に送られた御聖訓を一緒に心肝に染めたい。
それは、池上兄弟が二度目の勘当という苦難の真っ只中で頂いたお手紙です。
当時、社会的生命の圧殺にも等しい勘当の難を、兄弟は、ひとたびは乗り越えたものの、再び、より厳しい迫害に襲われました。
病気の再発や、事業の度重なる逆境など、人生には何度も越えねばならない困難がある。いわんや、広宣流布の途上にあっては、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ」(御書202ページ)と仰せの通りに、険しい使命の難関が打ち続くことは、もとより覚悟の上である。その時こそ、まことの信心が試される勝負の時といってよい。全て、皆が永遠に仏になりゆくための仏道修行だからである。
大聖人は、池上兄弟に厳然と仰せになられました。
「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同1091ページ)と。
兄弟は、この御指導のままに一歩も退かず、勇んで前に進み抜いた。魔に付け入る隙を与えない団結で、夫人たちも一丸となって戦い抜いた。
そして、ついに「冬は必ず春となる」(同1253ページ)との勝利を迎える。それは、勘当が解けるだけではなく、猛反対であった父親が入信し、見事なる「一家和楽」を勝ち開くまでに至ったのであります。
「難を乗り越える信心」の実証は、眼前の苦境を打開するのみにとどまらず、周囲の仏法への理解を一変させ、国土世間までも劇的に変えていくことができる。これが「賢者」の大歓喜の逆転勝利なのであります。
やがて、池上家の人々は大聖人をお迎えすることができ、大聖人は万年まで託されるが如く、最後に「立正安国論」の講義をなされました。
不思議にも、わが学会は、御本仏が魂魄を留められた大東京を本陣として、「立正安国」の旗を高く掲げて誕生したのであります。
◇対話を勇敢に
一、60年前の7月、大阪事件の弾圧の渦中に炎の東京大会を行ってくれた歴史も、私と妻の命から離れることはありません。雷雨の中の大阪大会も、わが胸奥に不滅の輝きを放っています。誉れ高き「ああ感激の同志あり」の劇です。
あの日あの時、戸田先生は関西本部で私に言われました。
「社会の不幸に目をつぶり、宗教の世界に閉じこもり、安穏として、ただ題目を唱えているだけだとしたら、大聖人の立正安国の御精神に反する。
この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある」
「君が先頭となり、大難と戦うことで、君だけでなく、本末究竟して、みんなの一生成仏の道が開かれることになる」と。
民衆の幸福のため、社会の安定のため、世界の平和のため、我らはいよいよ「賢者はよろこび」と戦い進むのだ。そして、信念の対話を勇敢に広げ、地涌の若き賢者を聡明に育みながら、人類に立ちはだかる、ありとあらゆる試練を断じて勝ち越えていく「立正安国の大連帯」を築き上げていこうではないか!
一、大聖人は池上兄弟や四条金吾夫妻など愛弟子の勝利を、「何よりも爽快なり」(同1175ページ、趣意)と喜ばれました。「仏法は勝負」であるゆえに、最後は正しい信心が必ず勝つと示し切ることが、妙法の無限の功力の証明であり、未来へ贈る希望の光なのです。
世界広宣流布の壮大な未来へ、何ものも恐れぬ「感激の同志」のスクラムで、一人一人の「人間革命の凱歌」を、我ら「東京の凱歌」を、そして「師弟の凱歌」を轟かせゆくことを共々に決意しあって、私のメッセージといたします。
全国、全世界の同志の皆さん、本当にありがとう! 皆、お元気で!
2017年4月22日土曜日
2017.04.22 わが友に贈る
目標は明確に。
祈りは強盛に。
行動は勇敢に。
自身の殻を破る
挑戦の人たれ!
三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『心の一法より国土世間も出来する事なり』
☆女性に贈ることば 四月二十二日
子どもの前で陰険な夫婦喧嘩は避けたいものだ。子どもたちは、たとえ見ぬふりをしていても、つぶらな瞳を通し、柔らかい皮膚を通して、鋭敏に両親の振舞いを感受し、それに感応していることを、つねに忘れてはならない。
☆今日のことば365 四月二十二日
民衆の心の奥底まで揺り動かして、あらゆる人々を納得せしむる言論こそ、世の一切を指導し、時代を左右していく原動力である。
☆御書と歩む 第60回 人格の光で社会を照らせ
『御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり』(檀越某御返事、1295ページ)
◇通解
主君に仕えることが、法華経の修行であると思いなさい。「あらゆる一般世間の生活を支える営み、なりわいは、全て実相(妙法)と相反することはない」と、経文に説かれているのは、このことである。
◇導師への指針
新出発の春だ。心機一転、新しい環境に飛び込む友も多い。壁にぶつかることもあろう。それは前進しているゆえだ。失敗することもある。次に成功するためだ。
「太陽の仏法」を行ずる青年は、何があっても、明るく賢く逞しくあれ! 我らは、仕事で価値を創造し、社会に貢献し、自身の人間革命をしていけるのだ。勇気で進め! 誠実で開け! 粘りで勝て!
祈りは強盛に。
行動は勇敢に。
自身の殻を破る
挑戦の人たれ!
三世諸仏総勘文教相廃立 P563
『心の一法より国土世間も出来する事なり』
☆女性に贈ることば 四月二十二日
子どもの前で陰険な夫婦喧嘩は避けたいものだ。子どもたちは、たとえ見ぬふりをしていても、つぶらな瞳を通し、柔らかい皮膚を通して、鋭敏に両親の振舞いを感受し、それに感応していることを、つねに忘れてはならない。
☆今日のことば365 四月二十二日
民衆の心の奥底まで揺り動かして、あらゆる人々を納得せしむる言論こそ、世の一切を指導し、時代を左右していく原動力である。
☆御書と歩む 第60回 人格の光で社会を照らせ
『御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり』(檀越某御返事、1295ページ)
◇通解
主君に仕えることが、法華経の修行であると思いなさい。「あらゆる一般世間の生活を支える営み、なりわいは、全て実相(妙法)と相反することはない」と、経文に説かれているのは、このことである。
◇導師への指針
新出発の春だ。心機一転、新しい環境に飛び込む友も多い。壁にぶつかることもあろう。それは前進しているゆえだ。失敗することもある。次に成功するためだ。
「太陽の仏法」を行ずる青年は、何があっても、明るく賢く逞しくあれ! 我らは、仕事で価値を創造し、社会に貢献し、自身の人間革命をしていけるのだ。勇気で進め! 誠実で開け! 粘りで勝て!
2017年4月21日金曜日
2017.04.21 わが友に贈る
「師子王は前三後一」
どんな小さな課題にも
全力で取り組もう!
真剣勝負の一念が
凱歌の歴史を開く!
百六箇抄 P856
『法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し』
☆女性に贈ることば 四月二十一日
何があろうとも絶対に卑屈になってはならない。うつむいてはならない。誇りと自信をもって、輝く瞳をあげ、堂々と生き抜く人が幸福者である。
☆今日のことば365 四月二十一日
僕は 確信はあるが
独善にはなりたくない
常に協議していく姿勢のあるところに
民主主義の力と光が
輝くことを知っているからだ
☆随筆 永遠なれ創価の大城 第18回 師弟の大桜は爛漫と 2017年4月13日
試練を越えて 凱歌の花は咲く
君よ 対話の春を舞いに舞いゆけ
父母と
試練の坂を
勝ち越えて
咲き誇りゆく
若桜かな
熊本地震から一年——愛する郷土の復興へ奮闘しゆく不撓不屈の若人の連帯を、諸天も寿いでくれたのであろう。
熊本での全国男子部幹部会は、異体同心の九州家族の祈りに照らされ、暖かい陽光に包まれた。
会場は、一年前、被災された方々の一時避難所となった熊本平和会館だ。
今年は三月の寒さの影響か、桜の開花が平年より遅く、折しも当日は満開の桜に包まれ、日本一の弘教を飾った九州の丈夫たちを祝賀した。
引き続き、桜花舞う熊本では、けなげな九州女子部の総会も行われる。
「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書一四九二ページ)と、日蓮大聖人は桜を愛でられた。
固く、ごつごつとした樹皮に覆われた桜の木。その中から清らかな花が咲き出る。それは、凡夫の生命に清浄にして偉大な仏の生命が具わることの象徴でもあろう。
また、桜の大樹は風雪の苦難に耐えるかのように、太い幹を曲げられながらも、毅然と枝を伸ばし、花を咲かせる。
その凜たる姿は、「負けんばい!」と胸を張る熊本の宝友たちと二重写しに思えてならない。
◇「誓い」を新たに
今年の桜(ソメイヨシノ)は、開花宣言も満開も東京が最も早かった。
総本部を訪れるSGIの友も、万朶と咲き誇る「青年桜」や「華陽桜」に、世界広宣流布への誓いを新たにされている。
春季研修で来日された世界の同志と共々に、清新な心で、新出発を切っていきたい。
先日、私は、桜花爛漫の中を、創価学園から久方ぶりに立川文化会館へ走った(五日)。
道すがら、目に入った聖教新聞の販売店にも、題目を送りつつ、シャッターを切った。「無冠の友」の皆様と一丸となり、たゆまず地域広布を推進する大事な城である。
この立川文化会館では、昭和五十三年(一九七八年)、女子部の歌「青春桜」を友と一緒に作り、3・16「広宣流布記念の日」に発表したことも懐かしい。
私は歌詞に詠んだ。
「あなたと語りし
あの誓い
いかに忘れじ
この道を この道を
手に手をとりたる
青春桜」
立川文化会館の「元初の間」で、私は妻と、全世界の創価の女性に、幸と勝利の"青春桜"が、永久に、馥郁と薫りゆくことを真剣に祈念した。
◇多摩川に沿って
「桜」で蘇るのが、二十五年前(一九九二年)の四月、八王子から大田に向かう途次、調布文化会館に立ち寄った時のことである。
多摩川に沿って、美しい桜が咲いていたが、それにも増して見事だったのは、館内のロビーいっぱいに花を広げた手作りの大桜であった。
聞けば、花びら一枚一枚に、誓いの祈りが込められていたという。
真心の労作業に胸中で合掌しつつ、仰ぎ見た。
会館の窓から多摩川を望むと、河川敷にいた家族連れが目に留まった。
わが創価家族ではないかと思い、声を掛けてもらうと、やはりそうだった。男の子は河川敷で遊んでいたままの姿で、お母さんは恐縮されていたが、館内に入ってもらい一緒に勤行を行った。
今、その少年は大学院の博士課程で学びつつ、創価学園で教壇に立ち、男子部のリーダーとしても奮戦してくれている。
この折、私は調布と狛江の友に熱願した。
「仏法は勝負。勝つか負けるかだ」「功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ」——と。
私の心には、愛弟子たちが"常勝の錦州城"を築き、功徳満開の無数の花を咲かせる姿が、今もありありと映っている。
調布を出て、車で狛江、世田谷と抜けると、わが故郷城・大田である。
大田にも、桜の思い出は数多い。戦災の焼け野原に一本残った桜が、皆に希望と勇気を送ってくれたことを、童話『少年とさくら』に綴りもした。
地域貢献として私が提案し、大田区に千本の桜の若木を寄贈させていただいたこともある。大切に守り支えてくださる地元の方々に感謝は尽きない。
私の心を心として、大田の青年部が"千本桜"のごとく、誠実と信頼光る人材の若木を地域に植えてくれていることも、嬉しい限りだ。
◇「人華」を広げよ
桜は世界に友情の花を広げてきた。
中でもアメリカの首都ワシントンのポトマック河畔の桜は有名だ。淵源は百年以上前、"憲政の神様"尾崎行雄が東京市長の時に苗木約三千本が寄贈されたことにある。
わがアメリカSGIの友も、ロッキー山脈を仰ぐデンバーなどで桜の植樹を重ね、多くの市民に喜ばれている。
世界には、"紫の桜"ジャカランダなど、桜を彷彿させる花樹がある。
たとえば、この時節、インドでは、桜によく似たアーモンドの白い花が満開になる。
インドの創価の友は、今や十五万人を超える"人華の園"となった。
その原動力こそ、あくまでも「一人」を大切にする振る舞いだ。
そして、「一人立つ」リーダーの行動である。
それは、あのマハトマ・ガンジーが身をもって残した拡大の方程式でもあるといってよい。
ガンジーは、どのようにして、広大なインドの民衆を糾合したのか。
共に戦い抜いた盟友ネルーの結論は、誠に明快である。
「ただやさしいまなざしと、おだやかな言葉と、それに何よりも身をもって自ら模範を示すことによって成しとげたのである」と。
特別な何かで、人心をまとめたのではない。誠実一路の人間性と、率先垂範の勇気によって、民衆を結合したのである。
◇「一は万が母」と
ともあれ、誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ。
「一は万が母」(御書四九八ページ)である。自身の祈りと智慧、闘魂、行動からこそ、広布の万波が生まれる。
「一人立つ」勇気と挑戦の先に、必ず突破口は開かれていくのだ。
日蓮仏法は「下種仏法」である。
一言一句でも仏縁を結ぶなら、友の胸には、何があろうと消えない成仏の種子が植えられる。
だからこそ、臆してはならない。信念をもって語り切ることだ。
そのために悩むことは、菩薩の悩みである。全ての苦労が、仏の境涯を開いていくのである。
◇歴史創る新風を
法華経化城喩品には美しい一節がある。
「香風は萎める華を吹いて 更に新しき好き者を雨らす」(創価学会版法華経三一三ページ)——香り高い風がしぼんだ花を吹いて、さらに新しく好ましい花を降らせる——。
新しき歴史は、新しき風とともに創られる。私たちの広布への活動においても、新しき価値創造には、常に、新鮮な風を送りゆかねばならない。
ゆえに、青年部が大事なのだ。各地域の壮婦の励ましで、一人の男子部が、女子部、学生部が立ち上がることは、必ず、新しい花を咲かすことに通じる。目の前の一人を大事に育めば、新時代の扉は必ず開かれる。
一人ひとりの若人が"桜梅桃李の人華"を命いっぱいに咲かせ、人間革命の輝きで社会を照らし、立正安国の花園を、わが地域・わが国土に広げていくのである。
◇学会精神に燃え
昭和五十四年(一九七九年)の四月二日——、桜をこよなく愛された、わが師・戸田城聖先生の祥月命日に、私はこう書き留めた。
「死身弘法 不惜身命
此の心は
学会精神のみにある」
永遠の妙法と共にある我らは、永遠に師弟の道を進み、学会精神を燃え上がらせ、広宣流布の大誓願に生き抜くのだ。
恩師を偲ぶ北海道・厚田にも、五月三日ごろ、桜前線が到達する。
我らの前には「師弟の大桜」が咲き誇り、晴れやかな「創価桜」の大道が広がっている。
さあ、正義と勇気の前進だ! 君たち、貴女たちよ、対話の春を舞いに舞いゆけ! 朗らかに、自身の凱歌の花、民衆の勝利の花を咲かせよう!
どんな小さな課題にも
全力で取り組もう!
真剣勝負の一念が
凱歌の歴史を開く!
百六箇抄 P856
『法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し』
☆女性に贈ることば 四月二十一日
何があろうとも絶対に卑屈になってはならない。うつむいてはならない。誇りと自信をもって、輝く瞳をあげ、堂々と生き抜く人が幸福者である。
☆今日のことば365 四月二十一日
僕は 確信はあるが
独善にはなりたくない
常に協議していく姿勢のあるところに
民主主義の力と光が
輝くことを知っているからだ
☆随筆 永遠なれ創価の大城 第18回 師弟の大桜は爛漫と 2017年4月13日
試練を越えて 凱歌の花は咲く
君よ 対話の春を舞いに舞いゆけ
父母と
試練の坂を
勝ち越えて
咲き誇りゆく
若桜かな
熊本地震から一年——愛する郷土の復興へ奮闘しゆく不撓不屈の若人の連帯を、諸天も寿いでくれたのであろう。
熊本での全国男子部幹部会は、異体同心の九州家族の祈りに照らされ、暖かい陽光に包まれた。
会場は、一年前、被災された方々の一時避難所となった熊本平和会館だ。
今年は三月の寒さの影響か、桜の開花が平年より遅く、折しも当日は満開の桜に包まれ、日本一の弘教を飾った九州の丈夫たちを祝賀した。
引き続き、桜花舞う熊本では、けなげな九州女子部の総会も行われる。
「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書一四九二ページ)と、日蓮大聖人は桜を愛でられた。
固く、ごつごつとした樹皮に覆われた桜の木。その中から清らかな花が咲き出る。それは、凡夫の生命に清浄にして偉大な仏の生命が具わることの象徴でもあろう。
また、桜の大樹は風雪の苦難に耐えるかのように、太い幹を曲げられながらも、毅然と枝を伸ばし、花を咲かせる。
その凜たる姿は、「負けんばい!」と胸を張る熊本の宝友たちと二重写しに思えてならない。
◇「誓い」を新たに
今年の桜(ソメイヨシノ)は、開花宣言も満開も東京が最も早かった。
総本部を訪れるSGIの友も、万朶と咲き誇る「青年桜」や「華陽桜」に、世界広宣流布への誓いを新たにされている。
春季研修で来日された世界の同志と共々に、清新な心で、新出発を切っていきたい。
先日、私は、桜花爛漫の中を、創価学園から久方ぶりに立川文化会館へ走った(五日)。
道すがら、目に入った聖教新聞の販売店にも、題目を送りつつ、シャッターを切った。「無冠の友」の皆様と一丸となり、たゆまず地域広布を推進する大事な城である。
この立川文化会館では、昭和五十三年(一九七八年)、女子部の歌「青春桜」を友と一緒に作り、3・16「広宣流布記念の日」に発表したことも懐かしい。
私は歌詞に詠んだ。
「あなたと語りし
あの誓い
いかに忘れじ
この道を この道を
手に手をとりたる
青春桜」
立川文化会館の「元初の間」で、私は妻と、全世界の創価の女性に、幸と勝利の"青春桜"が、永久に、馥郁と薫りゆくことを真剣に祈念した。
◇多摩川に沿って
「桜」で蘇るのが、二十五年前(一九九二年)の四月、八王子から大田に向かう途次、調布文化会館に立ち寄った時のことである。
多摩川に沿って、美しい桜が咲いていたが、それにも増して見事だったのは、館内のロビーいっぱいに花を広げた手作りの大桜であった。
聞けば、花びら一枚一枚に、誓いの祈りが込められていたという。
真心の労作業に胸中で合掌しつつ、仰ぎ見た。
会館の窓から多摩川を望むと、河川敷にいた家族連れが目に留まった。
わが創価家族ではないかと思い、声を掛けてもらうと、やはりそうだった。男の子は河川敷で遊んでいたままの姿で、お母さんは恐縮されていたが、館内に入ってもらい一緒に勤行を行った。
今、その少年は大学院の博士課程で学びつつ、創価学園で教壇に立ち、男子部のリーダーとしても奮戦してくれている。
この折、私は調布と狛江の友に熱願した。
「仏法は勝負。勝つか負けるかだ」「功徳と正義を示せ! ここから火の手を上げよ」——と。
私の心には、愛弟子たちが"常勝の錦州城"を築き、功徳満開の無数の花を咲かせる姿が、今もありありと映っている。
調布を出て、車で狛江、世田谷と抜けると、わが故郷城・大田である。
大田にも、桜の思い出は数多い。戦災の焼け野原に一本残った桜が、皆に希望と勇気を送ってくれたことを、童話『少年とさくら』に綴りもした。
地域貢献として私が提案し、大田区に千本の桜の若木を寄贈させていただいたこともある。大切に守り支えてくださる地元の方々に感謝は尽きない。
私の心を心として、大田の青年部が"千本桜"のごとく、誠実と信頼光る人材の若木を地域に植えてくれていることも、嬉しい限りだ。
◇「人華」を広げよ
桜は世界に友情の花を広げてきた。
中でもアメリカの首都ワシントンのポトマック河畔の桜は有名だ。淵源は百年以上前、"憲政の神様"尾崎行雄が東京市長の時に苗木約三千本が寄贈されたことにある。
わがアメリカSGIの友も、ロッキー山脈を仰ぐデンバーなどで桜の植樹を重ね、多くの市民に喜ばれている。
世界には、"紫の桜"ジャカランダなど、桜を彷彿させる花樹がある。
たとえば、この時節、インドでは、桜によく似たアーモンドの白い花が満開になる。
インドの創価の友は、今や十五万人を超える"人華の園"となった。
その原動力こそ、あくまでも「一人」を大切にする振る舞いだ。
そして、「一人立つ」リーダーの行動である。
それは、あのマハトマ・ガンジーが身をもって残した拡大の方程式でもあるといってよい。
ガンジーは、どのようにして、広大なインドの民衆を糾合したのか。
共に戦い抜いた盟友ネルーの結論は、誠に明快である。
「ただやさしいまなざしと、おだやかな言葉と、それに何よりも身をもって自ら模範を示すことによって成しとげたのである」と。
特別な何かで、人心をまとめたのではない。誠実一路の人間性と、率先垂範の勇気によって、民衆を結合したのである。
◇「一は万が母」と
ともあれ、誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ。
「一は万が母」(御書四九八ページ)である。自身の祈りと智慧、闘魂、行動からこそ、広布の万波が生まれる。
「一人立つ」勇気と挑戦の先に、必ず突破口は開かれていくのだ。
日蓮仏法は「下種仏法」である。
一言一句でも仏縁を結ぶなら、友の胸には、何があろうと消えない成仏の種子が植えられる。
だからこそ、臆してはならない。信念をもって語り切ることだ。
そのために悩むことは、菩薩の悩みである。全ての苦労が、仏の境涯を開いていくのである。
◇歴史創る新風を
法華経化城喩品には美しい一節がある。
「香風は萎める華を吹いて 更に新しき好き者を雨らす」(創価学会版法華経三一三ページ)——香り高い風がしぼんだ花を吹いて、さらに新しく好ましい花を降らせる——。
新しき歴史は、新しき風とともに創られる。私たちの広布への活動においても、新しき価値創造には、常に、新鮮な風を送りゆかねばならない。
ゆえに、青年部が大事なのだ。各地域の壮婦の励ましで、一人の男子部が、女子部、学生部が立ち上がることは、必ず、新しい花を咲かすことに通じる。目の前の一人を大事に育めば、新時代の扉は必ず開かれる。
一人ひとりの若人が"桜梅桃李の人華"を命いっぱいに咲かせ、人間革命の輝きで社会を照らし、立正安国の花園を、わが地域・わが国土に広げていくのである。
◇学会精神に燃え
昭和五十四年(一九七九年)の四月二日——、桜をこよなく愛された、わが師・戸田城聖先生の祥月命日に、私はこう書き留めた。
「死身弘法 不惜身命
此の心は
学会精神のみにある」
永遠の妙法と共にある我らは、永遠に師弟の道を進み、学会精神を燃え上がらせ、広宣流布の大誓願に生き抜くのだ。
恩師を偲ぶ北海道・厚田にも、五月三日ごろ、桜前線が到達する。
我らの前には「師弟の大桜」が咲き誇り、晴れやかな「創価桜」の大道が広がっている。
さあ、正義と勇気の前進だ! 君たち、貴女たちよ、対話の春を舞いに舞いゆけ! 朗らかに、自身の凱歌の花、民衆の勝利の花を咲かせよう!
2017年4月20日木曜日
2017.04.20 わが友に贈る
躍動する生命の人は
愚癡や不満が出ない。
歓喜と感謝の心は
福運を倍加させる。
さあ颯爽と使命の道を!
法蓮抄 P1046
『今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人餓鬼の一人乃至九界の一人を仏になせば一切衆生皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し』
☆女性に贈ることば 四月二十日
母親も、立派な一個の社会人である。視野を社会に大きく広げてこそ、人間としての幸福も、母親としての幸福も、見えてくるのではないだろうか。
☆今日のことば365 四月二十日
青年よ、いつまでも、甘い考えを抱いておってはならぬ。現実は、厳しい。向上、成長と、堕落への戦いが、青年時代だ。青年は、真剣に、目的に進む時、最も尊い。されど決して、微笑を忘れてはならぬ。常に快活であれ。
☆随筆 永遠なれ創価の大城 第17回 東北は世界の希望 2017年3月11日
不屈の魂の「人材城」は厳たり
新しき民衆の連帯に「福光の春」
今、私は、妙法で結ばれた創価家族の縁の深さを噛み締めております。
それは、生死を超えて「常楽我浄」の生命の旅を共々に続ける絆です。
御本仏・日蓮大聖人は遠く離れた門下へ、「我等は穢土に候へども心は霊山に住べし」(御書一三一六ページ)と仰せになられました。
いかなる試練にあろうとも、私たちの心は、常に大聖人とご一緒です。亡くなられたご家族も友も、広宣流布に懸命に進みゆく私たちの心の霊山に一緒なのであります。
あの東日本大震災から六年——。未曽有の災害の犠牲になられた全ての方々に、さらに震災後の苦難の中で逝去された方々に、あらためて、心からの追善回向の題目を送らせていただきます。
そして、縁深き東北の皆様の幸福勝利と郷土の繁栄を、ひたぶるに祈念し続けてまいります。
「生死一大事血脈抄」には、「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」(同一三三七ページ)と明かされています。
法華経に結縁した生命には、成仏の血脈が滔々と流れ通い、「三世の生死」にわたって、決して離れることも、切れることもありません。
ゆえに妙法に包まれた「仏界の生死」であり、「生死ともに仏」(同一五〇四ページ)です。これ以上、大安心の生死は、断じてないのです。
◇「仏をば能忍と」
仙台の新・東北文化会館を中心に六県を結んで行われた、凱歌の「新生・東北総会」を、私も嬉しく見守った。
「負げでたまっか!」——わが東北の同志は、この負けじ魂を命がけで発揮してきた。皆が勇敢なる信心で「心の財」を無量に積み、東北中に「功徳の山々」を築き上げてきたのだ。
御聖訓に、「此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる」(同九三五ページ)と仰せである。
すなわち苦悩多き娑婆世界にあって、あらゆる苦難を「能く忍ぶ」勇者を「仏」というのだ。
御本仏はその永遠の鑑を、打ち続く大難に「いまだこりず候」(同一〇五六ページ)と立ち向かう御自身のお姿を通して示してくださった。
不撓不屈なる東北家族が、この「師子王の心」に直結していることは、絶対に間違いないのだ。
復興は道半ば。今も、多くの方々が仮設住宅や避難先で暮らされている現実がある。帰還にも、期待と不安は交錯する。
まして、悲しさや寂しさ、苦しさは皆違う。一人ひとりの心の復興への歩みは、時間で測れない。
それでもなお、東北の皆様方は、今いる場所、今いる地域で、生きる勇気を奮い起こし、凍てつく大地から再び草木が芽吹くように、雄渾に立ち上がってこられた。
御書に「妙とは蘇生の義」(九四七ページ)とある。妙法とは最極の希望の力といってよい。
ゆえに私は、宮城、岩手、福島の三県をはじめ、青森、秋田、山形の「歓喜の友々」こそ、「世界の希望なり!」と声を大にして叫びたいのだ。
この東北の希望の足音に歩調を合わせてこそ、真の「人間主義の世紀」が生まれていくのだと、私は確信してやまない。
◇支え合って強く
今回、東北を訪れ交流したSGIの友も、どこまでも温かく、明るく、強靱な、みちのくの同志の姿に感動していた。
目の前に、苦しむ人、悲しむ人がいれば、そっと手を差し伸べ、寄り添ってきた。ありのままに悩みを語り合い、分かち合い、励まし合って生き抜いてきた。
信心で戦えば元気になる。だから一緒に戦いたいと声を掛ける——ある被災地の婦人部の友が、深い決意を語っていた。
「目的は『壁を破る』こと。誰かと比べて勝つことじゃなくて、今の自分より進歩すること」
そうやって、一歩また一歩と歩みを重ねる一人ひとりが、互いに支え、支えられて、地域社会は強く豊かになる。
今、私には、「一切衆生は互に相助くる恩重し」(御書四三五ページ)との御金言が、不滅の輝きをもって拝されてならない。
我らは、いやまして強盛な「立正安国」の祈りで進み、同苦と励ましの連帯を広げ、地域に根ざした人のつながり、友情で結ばれた心の結合を強めていきたい。そこに、生命尊厳と共生の社会の創造があるからだ。
◇
尊きブラジルの来日メンバーは「タイヨウ音楽隊」の代表であった。音楽の持つ偉大な励ましの力を、生き生きと体現する若人たちだ。
福島でも、浜通りの北部、四市町村(相馬市、南相馬市、新地町、飯舘村)からなる「福島旭日県」の皆さん方は、各部それぞれに合唱団をつくられている。
壮年部は「福光銀河合唱団」、婦人部と女子部は合同で「福光春風合唱団」、男子部は二十代のメンバーを中心に「福光若獅子合唱団」を結成した。苦闘の日々、歌が元気の力になってきたという。
昨年の「うつくしまフェニックスグループ」(原発事故等の影響で福島県内外に避難した友の集い)の総福島での大会でも、"福光の春"を声高らかに歌った。
しなの合唱団、創価グロリア吹奏楽団、関西吹奏楽団、創価ルネサンスバンガード、そして東北の音楽隊が被災各地で行ってきた演奏は、百回を数える。
法華経に登場する妙音菩薩は、「能く娑婆世界の諸の衆生を救護する者なり」(創価学会版法華経六一六ページ)と説かれる。
私の心を心とし、希望と勇気の妙音を響かせてくれている創価の楽雄たちに感謝は尽きない。
◇尊き三つの椅子
東北国際女性会館に、この度、設置された「東北福光みらい館」を観賞した海外の友の反響も、大きかった。
展示品の中に、石巻の木工作家の方が制作してくださった、尊い三つの椅子がある。大津波で亡くされた三人のお子さん方への尽きせぬ愛情と祈りが込められている。
椅子の写真を拝見し、まるで三人のお子さん方が仲良く笑って腰掛けているような、平和と幸福の光を感じ取り、私は深く合掌した。
◇私には宝がある
思えば、一九七〇年(昭和四十五年)の一月、私は未来部への詩「大いなる希望」に詠んだ。
「昭和五十四年に 第七の鐘は ひとたび鳴り終わる」「次に新しい 七つの鐘を鳴らすのは 君たちしかない」
当時、岩手県雫石町の六人の少年少女部員が、私の詩を読み合い、決意の手紙を送ってくれた。
嬉しかった。「すみれグループ」と名付けられた少年少女たちは、冬を越えて咲く花のように、けなげだった。
「岩手に行ったら、必ず会いましょう」と、すぐに伝言を託した。
その約束は二年後(一九七二年)の七月に実現した。将来の夢やご両親のことなどを語り合い、次のような言葉を書籍に認め贈った。
「辛くとも 私は 決して くじけない 私には 私には 希望という 宝があるからだ」
「希望という やさしい そして 強い心をもって 私は いつまでも 幸をつくっていくのだ」
使命が大きいゆえに、試練もあろう。残酷な現実に直面する時もあるかもしれぬ。だが、それでも希望を忘れてはならない——そう願って綴った。
今も私の心は、未来部の友と直結だ。生命と生命はつながっている。
今回の東北総会では、最後に宮城の青葉少年少女合唱団が凜々しく壇上に立ち、東北の歌「青葉の誓い」を全参加者と歌い上げてくれた。
この四月には、震災直後に小学校に上がった友が中学生になり、中学に上がった友は大学生や社会人になる。六年という歳月に、東北の若人たちは何と逞しく成長してくれたことか。未来を限りなく照らす希望の宝だ。
◇"流れ"を未来へ
四十年前(一九七七年)の三月、私は福島の地で、3・16「広宣流布記念の日」の意義を語った。
広宣流布は"流れ"それ自体である。青年が先駆となり、人材の流れを強く、深く、大きくするという儀式こそ「3・16」の意義なのだ、と。
「広布の総仕上げ」を託した東北から、負けじ魂に燃える後継の地涌の陣列が躍り出ることを、私は祈り、信じた。
今その通りになった。世界が東北を希望とし、東北の底力に励まされているではないか。
岩手出身の詩人・宮沢賢治はうたった。
「はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる」と。
いつも私の心の真ん中には、鍛え上げられた、新生の東北家族がいる。
「学会精神は、東北に学べ!」と、誰もが仰ぎ見る「凱歌の人々」だ。
「冬は必ず春となる」——見よ! この不滅の大法則のままに、「福光の春」は輝き始めた。
わが東北の不屈の魂の人材城よ、師弟の誓いの大城よ、永遠なれ!
愚癡や不満が出ない。
歓喜と感謝の心は
福運を倍加させる。
さあ颯爽と使命の道を!
法蓮抄 P1046
『今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人餓鬼の一人乃至九界の一人を仏になせば一切衆生皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し』
☆女性に贈ることば 四月二十日
母親も、立派な一個の社会人である。視野を社会に大きく広げてこそ、人間としての幸福も、母親としての幸福も、見えてくるのではないだろうか。
☆今日のことば365 四月二十日
青年よ、いつまでも、甘い考えを抱いておってはならぬ。現実は、厳しい。向上、成長と、堕落への戦いが、青年時代だ。青年は、真剣に、目的に進む時、最も尊い。されど決して、微笑を忘れてはならぬ。常に快活であれ。
☆随筆 永遠なれ創価の大城 第17回 東北は世界の希望 2017年3月11日
不屈の魂の「人材城」は厳たり
新しき民衆の連帯に「福光の春」
今、私は、妙法で結ばれた創価家族の縁の深さを噛み締めております。
それは、生死を超えて「常楽我浄」の生命の旅を共々に続ける絆です。
御本仏・日蓮大聖人は遠く離れた門下へ、「我等は穢土に候へども心は霊山に住べし」(御書一三一六ページ)と仰せになられました。
いかなる試練にあろうとも、私たちの心は、常に大聖人とご一緒です。亡くなられたご家族も友も、広宣流布に懸命に進みゆく私たちの心の霊山に一緒なのであります。
あの東日本大震災から六年——。未曽有の災害の犠牲になられた全ての方々に、さらに震災後の苦難の中で逝去された方々に、あらためて、心からの追善回向の題目を送らせていただきます。
そして、縁深き東北の皆様の幸福勝利と郷土の繁栄を、ひたぶるに祈念し続けてまいります。
「生死一大事血脈抄」には、「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」(同一三三七ページ)と明かされています。
法華経に結縁した生命には、成仏の血脈が滔々と流れ通い、「三世の生死」にわたって、決して離れることも、切れることもありません。
ゆえに妙法に包まれた「仏界の生死」であり、「生死ともに仏」(同一五〇四ページ)です。これ以上、大安心の生死は、断じてないのです。
◇「仏をば能忍と」
仙台の新・東北文化会館を中心に六県を結んで行われた、凱歌の「新生・東北総会」を、私も嬉しく見守った。
「負げでたまっか!」——わが東北の同志は、この負けじ魂を命がけで発揮してきた。皆が勇敢なる信心で「心の財」を無量に積み、東北中に「功徳の山々」を築き上げてきたのだ。
御聖訓に、「此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる」(同九三五ページ)と仰せである。
すなわち苦悩多き娑婆世界にあって、あらゆる苦難を「能く忍ぶ」勇者を「仏」というのだ。
御本仏はその永遠の鑑を、打ち続く大難に「いまだこりず候」(同一〇五六ページ)と立ち向かう御自身のお姿を通して示してくださった。
不撓不屈なる東北家族が、この「師子王の心」に直結していることは、絶対に間違いないのだ。
復興は道半ば。今も、多くの方々が仮設住宅や避難先で暮らされている現実がある。帰還にも、期待と不安は交錯する。
まして、悲しさや寂しさ、苦しさは皆違う。一人ひとりの心の復興への歩みは、時間で測れない。
それでもなお、東北の皆様方は、今いる場所、今いる地域で、生きる勇気を奮い起こし、凍てつく大地から再び草木が芽吹くように、雄渾に立ち上がってこられた。
御書に「妙とは蘇生の義」(九四七ページ)とある。妙法とは最極の希望の力といってよい。
ゆえに私は、宮城、岩手、福島の三県をはじめ、青森、秋田、山形の「歓喜の友々」こそ、「世界の希望なり!」と声を大にして叫びたいのだ。
この東北の希望の足音に歩調を合わせてこそ、真の「人間主義の世紀」が生まれていくのだと、私は確信してやまない。
◇支え合って強く
今回、東北を訪れ交流したSGIの友も、どこまでも温かく、明るく、強靱な、みちのくの同志の姿に感動していた。
目の前に、苦しむ人、悲しむ人がいれば、そっと手を差し伸べ、寄り添ってきた。ありのままに悩みを語り合い、分かち合い、励まし合って生き抜いてきた。
信心で戦えば元気になる。だから一緒に戦いたいと声を掛ける——ある被災地の婦人部の友が、深い決意を語っていた。
「目的は『壁を破る』こと。誰かと比べて勝つことじゃなくて、今の自分より進歩すること」
そうやって、一歩また一歩と歩みを重ねる一人ひとりが、互いに支え、支えられて、地域社会は強く豊かになる。
今、私には、「一切衆生は互に相助くる恩重し」(御書四三五ページ)との御金言が、不滅の輝きをもって拝されてならない。
我らは、いやまして強盛な「立正安国」の祈りで進み、同苦と励ましの連帯を広げ、地域に根ざした人のつながり、友情で結ばれた心の結合を強めていきたい。そこに、生命尊厳と共生の社会の創造があるからだ。
◇
尊きブラジルの来日メンバーは「タイヨウ音楽隊」の代表であった。音楽の持つ偉大な励ましの力を、生き生きと体現する若人たちだ。
福島でも、浜通りの北部、四市町村(相馬市、南相馬市、新地町、飯舘村)からなる「福島旭日県」の皆さん方は、各部それぞれに合唱団をつくられている。
壮年部は「福光銀河合唱団」、婦人部と女子部は合同で「福光春風合唱団」、男子部は二十代のメンバーを中心に「福光若獅子合唱団」を結成した。苦闘の日々、歌が元気の力になってきたという。
昨年の「うつくしまフェニックスグループ」(原発事故等の影響で福島県内外に避難した友の集い)の総福島での大会でも、"福光の春"を声高らかに歌った。
しなの合唱団、創価グロリア吹奏楽団、関西吹奏楽団、創価ルネサンスバンガード、そして東北の音楽隊が被災各地で行ってきた演奏は、百回を数える。
法華経に登場する妙音菩薩は、「能く娑婆世界の諸の衆生を救護する者なり」(創価学会版法華経六一六ページ)と説かれる。
私の心を心とし、希望と勇気の妙音を響かせてくれている創価の楽雄たちに感謝は尽きない。
◇尊き三つの椅子
東北国際女性会館に、この度、設置された「東北福光みらい館」を観賞した海外の友の反響も、大きかった。
展示品の中に、石巻の木工作家の方が制作してくださった、尊い三つの椅子がある。大津波で亡くされた三人のお子さん方への尽きせぬ愛情と祈りが込められている。
椅子の写真を拝見し、まるで三人のお子さん方が仲良く笑って腰掛けているような、平和と幸福の光を感じ取り、私は深く合掌した。
◇私には宝がある
思えば、一九七〇年(昭和四十五年)の一月、私は未来部への詩「大いなる希望」に詠んだ。
「昭和五十四年に 第七の鐘は ひとたび鳴り終わる」「次に新しい 七つの鐘を鳴らすのは 君たちしかない」
当時、岩手県雫石町の六人の少年少女部員が、私の詩を読み合い、決意の手紙を送ってくれた。
嬉しかった。「すみれグループ」と名付けられた少年少女たちは、冬を越えて咲く花のように、けなげだった。
「岩手に行ったら、必ず会いましょう」と、すぐに伝言を託した。
その約束は二年後(一九七二年)の七月に実現した。将来の夢やご両親のことなどを語り合い、次のような言葉を書籍に認め贈った。
「辛くとも 私は 決して くじけない 私には 私には 希望という 宝があるからだ」
「希望という やさしい そして 強い心をもって 私は いつまでも 幸をつくっていくのだ」
使命が大きいゆえに、試練もあろう。残酷な現実に直面する時もあるかもしれぬ。だが、それでも希望を忘れてはならない——そう願って綴った。
今も私の心は、未来部の友と直結だ。生命と生命はつながっている。
今回の東北総会では、最後に宮城の青葉少年少女合唱団が凜々しく壇上に立ち、東北の歌「青葉の誓い」を全参加者と歌い上げてくれた。
この四月には、震災直後に小学校に上がった友が中学生になり、中学に上がった友は大学生や社会人になる。六年という歳月に、東北の若人たちは何と逞しく成長してくれたことか。未来を限りなく照らす希望の宝だ。
◇"流れ"を未来へ
四十年前(一九七七年)の三月、私は福島の地で、3・16「広宣流布記念の日」の意義を語った。
広宣流布は"流れ"それ自体である。青年が先駆となり、人材の流れを強く、深く、大きくするという儀式こそ「3・16」の意義なのだ、と。
「広布の総仕上げ」を託した東北から、負けじ魂に燃える後継の地涌の陣列が躍り出ることを、私は祈り、信じた。
今その通りになった。世界が東北を希望とし、東北の底力に励まされているではないか。
岩手出身の詩人・宮沢賢治はうたった。
「はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる」と。
いつも私の心の真ん中には、鍛え上げられた、新生の東北家族がいる。
「学会精神は、東北に学べ!」と、誰もが仰ぎ見る「凱歌の人々」だ。
「冬は必ず春となる」——見よ! この不滅の大法則のままに、「福光の春」は輝き始めた。
わが東北の不屈の魂の人材城よ、師弟の誓いの大城よ、永遠なれ!
2017年4月19日水曜日
2017.04.19 わが友に贈る
一対一の励ましこそ
人材育成の王道だ。
明るく元気になるよう
リーダーは誠心誠意
友の話に耳を傾けよ!
三世諸仏総勘文教相廃立 P564
『心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う』
☆女性に贈ることば 四月十九日
家庭ではよき娘となり、職場では、皆に慕われ、信頼される存在となって光っていくことだ。
☆今日のことば365 四月十九日
独創性は、まず、徹底的な模倣から生まれるものであるかもしれない。しかし世間では、模倣だけで終わってしまう人が大半です。その人の人生は、結局、安逸と惰性に流されていく結果となります。
☆熊本での全国男子部幹部会に寄せられた池田先生のメッセージ 2017年4月12日
◇青年の手で復興の楽土を
火の国・熊本での凱歌轟く全国男子部幹部会、誠におめでとう!
君たちの不撓不屈の魂の炎が燃える太鼓も、歓喜踊躍の舞も、勝利の歌声も、今、私の心に響きわたっています。私も君たちと一緒に田原坂を大合唱しています。
あの熊本地震から1年——。君たちは、言葉に尽くせぬ苦難の坂、試練の坂を乗り越え、また乗り越えて、堂々と日本一の折伏を成し遂げてくれた。一番、苦労した青年が、一番、輝く勝利を手にする。この新時代の大いなる希望を、全国、全世界に示してくれた。創価の師弟に越せない坂は絶対にないことを、「未来までの物語」として留めてくれました。
君たちが、どれほど勇敢に、どれほど忍耐強く、復興支援に奔走してくれたことか。地元の方々から深く大きな感謝が寄せられていることも、よく伺っています。
ありがとう! 本当にありがとう!
どんな苦難にも、私と共に打ち勝ってきた熊本の同志も、九州家族も、君たちの大成長を、何よりの喜びとし、何よりの誇りとしています。
日蓮大聖人は「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947ページ)と仰せになられました。
この妙法の力で、蘇生できない人はいない。蘇生できない国土もない。いかなる境遇であっても、必ず蘇ることができる。必ず変毒為薬して、新たな幸福と勝利の道を切り開くことができるのです。
ゆえに、何があっても題目の師子吼を唱え抜き、青春の悩みの坂も、職場や地域での困難の坂も、断じて勝ち越えてもらいたい。
私たちが朝な夕な読誦している法華経如来寿量品には「我浄土不毀(我が浄土は毀れず)」とあります。
何ものにも壊されない安穏と繁栄の郷土とは、何ものにも負けない妙法受持の青年がいることだ。そして、地涌の青年がスクラムを組んで、人のため、地域のため、社会のために戦い続け、より善く変革していくことだ。
ともあれ、広宣流布と立正安国の大願に生きゆく創価の青年の大城がそびえ立つところ、大復興の楽土が築かれていくことは間違いない。
その未来を見つめつつ確信して、勇気凜々と賢く朗らかに正義の大連帯を広げていってくれ給え!
君たちを見守っているご家族の皆さん、地域の同志の皆さんに、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
愛する君たち一人一人の健康と栄光を祈り、題目を送ります。
新時代の山本伸一よ、一人ももれなく、先駆者たれ、勝利者たれ!
人材育成の王道だ。
明るく元気になるよう
リーダーは誠心誠意
友の話に耳を傾けよ!
三世諸仏総勘文教相廃立 P564
『心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う』
☆女性に贈ることば 四月十九日
家庭ではよき娘となり、職場では、皆に慕われ、信頼される存在となって光っていくことだ。
☆今日のことば365 四月十九日
独創性は、まず、徹底的な模倣から生まれるものであるかもしれない。しかし世間では、模倣だけで終わってしまう人が大半です。その人の人生は、結局、安逸と惰性に流されていく結果となります。
☆熊本での全国男子部幹部会に寄せられた池田先生のメッセージ 2017年4月12日
◇青年の手で復興の楽土を
火の国・熊本での凱歌轟く全国男子部幹部会、誠におめでとう!
君たちの不撓不屈の魂の炎が燃える太鼓も、歓喜踊躍の舞も、勝利の歌声も、今、私の心に響きわたっています。私も君たちと一緒に田原坂を大合唱しています。
あの熊本地震から1年——。君たちは、言葉に尽くせぬ苦難の坂、試練の坂を乗り越え、また乗り越えて、堂々と日本一の折伏を成し遂げてくれた。一番、苦労した青年が、一番、輝く勝利を手にする。この新時代の大いなる希望を、全国、全世界に示してくれた。創価の師弟に越せない坂は絶対にないことを、「未来までの物語」として留めてくれました。
君たちが、どれほど勇敢に、どれほど忍耐強く、復興支援に奔走してくれたことか。地元の方々から深く大きな感謝が寄せられていることも、よく伺っています。
ありがとう! 本当にありがとう!
どんな苦難にも、私と共に打ち勝ってきた熊本の同志も、九州家族も、君たちの大成長を、何よりの喜びとし、何よりの誇りとしています。
日蓮大聖人は「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947ページ)と仰せになられました。
この妙法の力で、蘇生できない人はいない。蘇生できない国土もない。いかなる境遇であっても、必ず蘇ることができる。必ず変毒為薬して、新たな幸福と勝利の道を切り開くことができるのです。
ゆえに、何があっても題目の師子吼を唱え抜き、青春の悩みの坂も、職場や地域での困難の坂も、断じて勝ち越えてもらいたい。
私たちが朝な夕な読誦している法華経如来寿量品には「我浄土不毀(我が浄土は毀れず)」とあります。
何ものにも壊されない安穏と繁栄の郷土とは、何ものにも負けない妙法受持の青年がいることだ。そして、地涌の青年がスクラムを組んで、人のため、地域のため、社会のために戦い続け、より善く変革していくことだ。
ともあれ、広宣流布と立正安国の大願に生きゆく創価の青年の大城がそびえ立つところ、大復興の楽土が築かれていくことは間違いない。
その未来を見つめつつ確信して、勇気凜々と賢く朗らかに正義の大連帯を広げていってくれ給え!
君たちを見守っているご家族の皆さん、地域の同志の皆さんに、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
愛する君たち一人一人の健康と栄光を祈り、題目を送ります。
新時代の山本伸一よ、一人ももれなく、先駆者たれ、勝利者たれ!
2017年4月18日火曜日
2017.04.18 わが友に贈る
広布のため 同志のため
陰の労苦を重ねる中に
無量の福徳が輝く!
「冥の照覧」は厳然だ。
大確信に満ちて進め!
四条金吾殿御返事 P1192
『さてもさても敵人にねらはれさせ給いしか、前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし』
☆女性に贈ることば 四月十八日
恋愛をするならば、大いなる創造への精神力がわき出づるような、互いに高めあうものであってほしい。
☆今日のことば365 四月十八日
我らは、今日も一歩前進しなくてはならない
そのために 休息を十分とりながら
生命力満々と すべてに挑戦してゆくことだ
☆創価小学校入学式への池田先生のメッセージ 2017年4月9日
3つの約束
1.本をたくさん読もう
2.元気にあいさつしよう
3.負けない心で挑戦しよう
さくらにつつまれて、創価小学校の門をくぐられた、新入生の皆さん、晴れの入学式、本当におめでとう! 皆さんが入学してくるのを私は楽しみに待っていました。これからも大切な大切な皆さんのことをずっと見守っていきます。ご家族の皆さま方にも、心からお祝いを申し上げます。
きょうは、みんなで三つの約束をしましょう。
一つめは、「本をたくさん読もう」です。
東京校には「ロマン図書館」、関西校には「ノーベル図書館」があります。わくわくするものがたりや、まだ知らない世界のことなど、たくさんの夢や希望がつまった宝のお城です。
本を読むことで、世界一周もできるし、宇宙旅行にも行けます。歴史の英雄たちとも会えます。よい本を読むことは、頭と心のすばらしいごちそうなのです。
二つめは、「元気にあいさつしよう」です。
朝、「おはよう!」と明るく声を出せば、皆も自分もさわやかになります。
親切にしてもらった時に、きちんと「ありがとう!」とお礼を言えば、よろこびが広がり、自分の心もかがやかせていくことができるのです。
そして三つめは、「負けない心で挑戦しよう」です。
夜はなるべく早くねて、朝、元気に起きることも挑戦です。新しい勉強にとりくむことも挑戦です。
「にがてだ」「大変だ」などと思うこともあるでしょう。でも、その時が大きく成長できるチャンスです。「負けない心」で、ねばり強く挑戦する人が勝っていくのです。
さあ、希望いっぱいの新しい出発です。みんな、楽しく、仲よく、伸び伸びと、一日一日、学び進んでいってください。
私も毎日、大好きな皆さん一人一人の健康を祈ります。強く大きく賢く成長することを、いっしょうけんめい祈りつづけます。
わが創価小学校の皆さん、万歳! 愛する光の新入生、万歳!
陰の労苦を重ねる中に
無量の福徳が輝く!
「冥の照覧」は厳然だ。
大確信に満ちて進め!
四条金吾殿御返事 P1192
『さてもさても敵人にねらはれさせ給いしか、前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし』
☆女性に贈ることば 四月十八日
恋愛をするならば、大いなる創造への精神力がわき出づるような、互いに高めあうものであってほしい。
☆今日のことば365 四月十八日
我らは、今日も一歩前進しなくてはならない
そのために 休息を十分とりながら
生命力満々と すべてに挑戦してゆくことだ
☆創価小学校入学式への池田先生のメッセージ 2017年4月9日
3つの約束
1.本をたくさん読もう
2.元気にあいさつしよう
3.負けない心で挑戦しよう
さくらにつつまれて、創価小学校の門をくぐられた、新入生の皆さん、晴れの入学式、本当におめでとう! 皆さんが入学してくるのを私は楽しみに待っていました。これからも大切な大切な皆さんのことをずっと見守っていきます。ご家族の皆さま方にも、心からお祝いを申し上げます。
きょうは、みんなで三つの約束をしましょう。
一つめは、「本をたくさん読もう」です。
東京校には「ロマン図書館」、関西校には「ノーベル図書館」があります。わくわくするものがたりや、まだ知らない世界のことなど、たくさんの夢や希望がつまった宝のお城です。
本を読むことで、世界一周もできるし、宇宙旅行にも行けます。歴史の英雄たちとも会えます。よい本を読むことは、頭と心のすばらしいごちそうなのです。
二つめは、「元気にあいさつしよう」です。
朝、「おはよう!」と明るく声を出せば、皆も自分もさわやかになります。
親切にしてもらった時に、きちんと「ありがとう!」とお礼を言えば、よろこびが広がり、自分の心もかがやかせていくことができるのです。
そして三つめは、「負けない心で挑戦しよう」です。
夜はなるべく早くねて、朝、元気に起きることも挑戦です。新しい勉強にとりくむことも挑戦です。
「にがてだ」「大変だ」などと思うこともあるでしょう。でも、その時が大きく成長できるチャンスです。「負けない心」で、ねばり強く挑戦する人が勝っていくのです。
さあ、希望いっぱいの新しい出発です。みんな、楽しく、仲よく、伸び伸びと、一日一日、学び進んでいってください。
私も毎日、大好きな皆さん一人一人の健康を祈ります。強く大きく賢く成長することを、いっしょうけんめい祈りつづけます。
わが創価小学校の皆さん、万歳! 愛する光の新入生、万歳!
2017年4月17日月曜日
2017.04.17 わが友に贈る
◇今週のことば
聖教の創刊66周年。
「無冠の友」の皆さまの
たゆまぬ力走に深謝!
創価の正義の言論で
立正安国の大光を!
2017年4月17日
経王殿御返事 P1124
『わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』
☆女性に贈ることば 四月十七日
教育も子育ても、時間のかかる作業です。一生懸命に取り組んでも、その結果がすぐに表れないかもしれない。でも、子どもたちに幸福の種を植え、その心を豊かに耕した事実は残ります。
あなたの労苦は、すべて子どもたちの宝として実っていくのです。
☆今日のことば365 四月十七日
趣味に、本当の喜びを感ずるのは、自分がやるべきことを立派にやりぬいている時である。それまでの緊張感をちょっとした変化で和らげ、新しい活力の源泉となっていくような趣味は、もっとも充実したものであろう。いわば、趣味というだいご味は、ここにあると思う。
☆大白蓮華巻頭言 2017年4月号 創価の女性は たゆまぬ太陽なり
生きとし生けるものに春の喜びが訪れるのも、たゆまぬ太陽の燃焼があるからである。
御書には、「太陽が東の空に昇れば、天の空は、 すべて明るくなる。『大光』を備えているからである」883ページ、趣意)と記されている。
我ら学会の喜びは、どんな時も、中心に、たゆまぬ太陽の婦人部の信心が燃え上がっていることだ。
日蓮大聖人は、打ち続く大難の中で、人がどうあれ、毅然と信心を貫き通していた女性門下たちを、「教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば 感涙押え難し」1126ページ)と、絶賛なされた。
この御文は、そのまま、わが創価の母たち、女性たちへのご照覧であるに違いない。
雨が降ろうが雪が降ろうが、毎朝必ず太陽は昇る。 雲を突き抜ければ、そこに悠然と輝き渡っている。
何があつても変わらない、この太陽と共に、私たちも、わが使命の軌道を揺るがず進んでいきたい。 「太陽の仏法」の信仰は、その最強の原動力である。
日々の生活は慌ただしい。何やかやと目まぐるしく課題に追われ、振り回されるのが、現実の日常だ。 年齢につれ、老いや病の悩みにも切実に直面する。
さらに社会には「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽」(1151ページ)という「八風」が吹き荒れている。
だからこそ、負けじ魂の賢者の信心が光る。「人の心かたければ神のまほり必ずつよし」(1220ページ) と仰せの如く、不動の信心が諸天をも動かすのだ。
南条時光のお母さんも、最愛の夫や子息との死別、 さらに熱原の法難の迫害など、試練の連続であった。
しかし、大聖人が灯された希望の大光があった。 「この法華経を受持する人は、苦しみをも打ち返し て、地獄は寂光土となる」(1505ページ、趣意)と。
どんな闇も照らし晴らせるのが、妙法である。
関西のあるリーダーが女子部から婦人部へ移行してまもなく、私の妻は励ましの一文を綴り贈った。
「絶対に変化してはいけない一念を、種々の変化の中で、益々、強く築かれますことを祈りつつ」と。
どういう変化があろうと広宣流布の誓願に生き抜く青春の一念のまま、この母は常勝の太陽となって、 陸続と続く後輩たちを朗らかに照らしてくれている。
恩師、戸田城聖先生は、笑いながら言われた。
「世間には意地悪な顔や、ヤキモチ焼きの悪口が多い。その中で、婦人部、女子部の福運ある笑顔を見給え! 清々しい慈愛の声を聞き給え!」と。
まさに創価の女性のスクラムこそ、地域に社会に歓喜と和楽と幸福を広げゆく平和の陽光なのだ。
求道の女性へのご聖訓には、「一度妙法蓮華経と唱うれば」(557ページ)と題目の功力を明かされている。
すなわち、「一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」(同ページ)と。
さあ、たゆまぬ題目の音声を、いよいよ朗々と響かせて、勇気の対話に打って出ようではないか!
縁する心に、希望の太陽を昇らせながら!
負けないと
誓いし慈母の
笑顔から
幸と勝利の
太陽昇りぬ
聖教の創刊66周年。
「無冠の友」の皆さまの
たゆまぬ力走に深謝!
創価の正義の言論で
立正安国の大光を!
2017年4月17日
経王殿御返事 P1124
『わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』
☆女性に贈ることば 四月十七日
教育も子育ても、時間のかかる作業です。一生懸命に取り組んでも、その結果がすぐに表れないかもしれない。でも、子どもたちに幸福の種を植え、その心を豊かに耕した事実は残ります。
あなたの労苦は、すべて子どもたちの宝として実っていくのです。
☆今日のことば365 四月十七日
趣味に、本当の喜びを感ずるのは、自分がやるべきことを立派にやりぬいている時である。それまでの緊張感をちょっとした変化で和らげ、新しい活力の源泉となっていくような趣味は、もっとも充実したものであろう。いわば、趣味というだいご味は、ここにあると思う。
☆大白蓮華巻頭言 2017年4月号 創価の女性は たゆまぬ太陽なり
生きとし生けるものに春の喜びが訪れるのも、たゆまぬ太陽の燃焼があるからである。
御書には、「太陽が東の空に昇れば、天の空は、 すべて明るくなる。『大光』を備えているからである」883ページ、趣意)と記されている。
我ら学会の喜びは、どんな時も、中心に、たゆまぬ太陽の婦人部の信心が燃え上がっていることだ。
日蓮大聖人は、打ち続く大難の中で、人がどうあれ、毅然と信心を貫き通していた女性門下たちを、「教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば 感涙押え難し」1126ページ)と、絶賛なされた。
この御文は、そのまま、わが創価の母たち、女性たちへのご照覧であるに違いない。
雨が降ろうが雪が降ろうが、毎朝必ず太陽は昇る。 雲を突き抜ければ、そこに悠然と輝き渡っている。
何があつても変わらない、この太陽と共に、私たちも、わが使命の軌道を揺るがず進んでいきたい。 「太陽の仏法」の信仰は、その最強の原動力である。
日々の生活は慌ただしい。何やかやと目まぐるしく課題に追われ、振り回されるのが、現実の日常だ。 年齢につれ、老いや病の悩みにも切実に直面する。
さらに社会には「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽」(1151ページ)という「八風」が吹き荒れている。
だからこそ、負けじ魂の賢者の信心が光る。「人の心かたければ神のまほり必ずつよし」(1220ページ) と仰せの如く、不動の信心が諸天をも動かすのだ。
南条時光のお母さんも、最愛の夫や子息との死別、 さらに熱原の法難の迫害など、試練の連続であった。
しかし、大聖人が灯された希望の大光があった。 「この法華経を受持する人は、苦しみをも打ち返し て、地獄は寂光土となる」(1505ページ、趣意)と。
どんな闇も照らし晴らせるのが、妙法である。
関西のあるリーダーが女子部から婦人部へ移行してまもなく、私の妻は励ましの一文を綴り贈った。
「絶対に変化してはいけない一念を、種々の変化の中で、益々、強く築かれますことを祈りつつ」と。
どういう変化があろうと広宣流布の誓願に生き抜く青春の一念のまま、この母は常勝の太陽となって、 陸続と続く後輩たちを朗らかに照らしてくれている。
恩師、戸田城聖先生は、笑いながら言われた。
「世間には意地悪な顔や、ヤキモチ焼きの悪口が多い。その中で、婦人部、女子部の福運ある笑顔を見給え! 清々しい慈愛の声を聞き給え!」と。
まさに創価の女性のスクラムこそ、地域に社会に歓喜と和楽と幸福を広げゆく平和の陽光なのだ。
求道の女性へのご聖訓には、「一度妙法蓮華経と唱うれば」(557ページ)と題目の功力を明かされている。
すなわち、「一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」(同ページ)と。
さあ、たゆまぬ題目の音声を、いよいよ朗々と響かせて、勇気の対話に打って出ようではないか!
縁する心に、希望の太陽を昇らせながら!
負けないと
誓いし慈母の
笑顔から
幸と勝利の
太陽昇りぬ
2017年4月16日日曜日
2017.04.16 わが友に贈る
仏法は勝負だ。
断じて躊躇するな!
いかなる戦いも
攻め抜く勢いで決まる!
果敢に打って出よ!
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
☆女性に贈ることば 四月十六日
「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。あわただしさのなかで、ただ追われる生活に流されてしまえば、大切なことまで見えなくなってしまいます。
その時こそ、「何のため」という問いかけを思い起こすことです。
☆今日のことば365 四月十六日
愛というものは、人間の内から発する真実の告白であるということだ。たんなる言葉だけの愛、あなたを利用して、自己を満足させればよいといった仮面の愛は、見破っていかねばならない。
☆桜花の創価学園で入学式 創立者のメッセージ 2017年4月9日
思う存分情熱の金の汗を
王蒙元文化相 学習は最も愉快で充実したもの
一、東京校は第50期生の皆さん! 関西校は第45期生の皆さん! 世界の知性も見つめ讃える誉れの入学、誠におめでとう!
不思議な縁で結ばれた新入生の皆さん方を迎えて、きょうここに、我らの学園は、新たな時代を開幕しました。
皆さんは、全員が、この「学園新時代」を照らしゆく旭日であり、真っ先に輝きわたる金星なのであります。
大切な宝のお子さんを送り出してくださったご家族の方々にも、心から感謝とお慶びを申し上げます。
わが命は、いつも学園に留めてあります。
わが心は、瞬時として学園生から離れることはありません。
◇語学の習得にも体当たりで挑め
一、きょうは、「英知」「栄光」「情熱」を表す、色鮮やかな学園の三色旗を、愛する皆さん一人一人に手渡しする思いで、三つの指針を託します。
第一に、「きょうも『学びの旗』を朗らかに」ということです。
間もなく、中国の文豪で、文化相も務められた王蒙先生と私との対談集が発刊されます。
80代になった今も、王蒙先生は「我は学生なり」と宣言され、生き生きと学び続けておられます。こう言われました。
「学習は、最も明朗で、最も正直で、最も愉快で、最も健康的で、最も清々しく、最も充実したものである」と。
いわんや、若くして、この素晴らしい学園で学べる皆さんの青春が、どれほど明るく楽しく、どれほど健やかに充実した日々となるか。
さらに王蒙先生は、「学びは果てしなく、思索は果てしなく、その喜びも果てしない」と語られました。特に語学の習得は、人類の文化のあらゆる宝を味わっていける、尽きることのない楽しみであると、強調されています。
我らの学舎には、最優秀の先生方がそろい、「スーパーグローバルハイスクール」の授業など、世界に開かれた最高の教育環境が整っています。どうか、語学をはじめ、何でも体当たりで挑戦してみようと、きょうも「学びの旗」を朗らかに掲げゆく皆さんであってください。
◇何があっても学園生らしく
一、第二に、「春夏秋冬、『希望の旗』をたくましく」と呼び掛けたい。
東京校が立つ小平も、関西校が立つ交野も、美しい自然に恵まれております。どちらも私が自ら選んだ天地です。
小平は57年前の4月5日、会長就任の直前に妻と視察しました。
交野は60年前の4月16日、新たな「民衆勝利の旗」を打ち立てゆかんと、関西中を奔走する中で訪れました。そして、いつの日か、この地に理想の学園をと、心に思い描いたのです。
春夏秋冬、詩情豊かな生命の絵巻に彩られるキャンパスで、伸びやかに友情の語らいを広げ、思う存分に情熱の金の汗を流してもらいたい。そして烈風にも凜々しく立ち向かいながら、スケールの大きな青春の歴史を飾ってもらいたい——これが私の願いです。
皆、行き詰まりもあればスランプもある。失敗もあれば試練もある。しかし、学園生には、この武蔵野と交野の大地を踏みしめて、どっしりと鍛え上げていく「負けじ魂」があります。
たとえ倒れても、また立ち上がればよい。何があっても自分らしく、学園生らしく胸を張るのです。
そして、「希望の旗」を翻しながら、前へ、また前へ、たくましく、またたくましく、進んでいただきたい。
その姿こそが、お父さん、お母さん方の何よりの喜びだからです。
◇すべての人を愛する人たれ
一、第三に申し上げたいのは、「世界市民の『勝利の旗』を高らかに」ということです。
70年前の5月、私が19歳の時、一番上の兄が戦死したという知らせが届きました。戦争が終わって2年。兄の無事を信じ、待ちわびていた母は、体を震わせて泣いていました。戦争はあまりに残酷です。
その3カ月後、私は戸田先生にお会いしました。そして、先生から託された「生命尊厳の旗」を高く掲げて、民衆の幸福と世界平和へ、人間革命の第一歩を踏み出したのです。
先生の弟子として、この70年間、私は世界中を対話で結んできました。そして、若き創価の世界市民たる学園生が無限に続いてくれるであろう道を、開きに開いてきました。
私が対談を重ねたインドの教育の母・ムカジー博士は、世界市民の要件として、「国籍、言語、宗教、階級など関係なく、すべての人を愛することができること」とともに、「自身の悩みにとらわれず、他者の悩みに目を開き、ともに乗り越えていくこと」を挙げられました。
皆さんは、この学園で、良き学友と励まし合い、共に悩みを乗り越えながら、どこよりも麗しく、力強い人間の連帯を築き上げていってください。
そして、やがては、地球上の悲惨を断じて打開していける英知と力をじっくりと磨き養い、未来へ世界市民の「勝利の旗」を打ち立てていただきたいのであります。
結びに、「学園新時代」の誇り高き旗手たる皆さんへ、和歌を贈ります。
掲げゆけ
英知の旗を
高々と
世界が見つめる
希望の学城に
皆さんの成長する姿を、最高の楽しみとし、見守り続けていきます。みんな、元気で!
断じて躊躇するな!
いかなる戦いも
攻め抜く勢いで決まる!
果敢に打って出よ!
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
☆女性に贈ることば 四月十六日
「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。あわただしさのなかで、ただ追われる生活に流されてしまえば、大切なことまで見えなくなってしまいます。
その時こそ、「何のため」という問いかけを思い起こすことです。
☆今日のことば365 四月十六日
愛というものは、人間の内から発する真実の告白であるということだ。たんなる言葉だけの愛、あなたを利用して、自己を満足させればよいといった仮面の愛は、見破っていかねばならない。
☆桜花の創価学園で入学式 創立者のメッセージ 2017年4月9日
思う存分情熱の金の汗を
王蒙元文化相 学習は最も愉快で充実したもの
一、東京校は第50期生の皆さん! 関西校は第45期生の皆さん! 世界の知性も見つめ讃える誉れの入学、誠におめでとう!
不思議な縁で結ばれた新入生の皆さん方を迎えて、きょうここに、我らの学園は、新たな時代を開幕しました。
皆さんは、全員が、この「学園新時代」を照らしゆく旭日であり、真っ先に輝きわたる金星なのであります。
大切な宝のお子さんを送り出してくださったご家族の方々にも、心から感謝とお慶びを申し上げます。
わが命は、いつも学園に留めてあります。
わが心は、瞬時として学園生から離れることはありません。
◇語学の習得にも体当たりで挑め
一、きょうは、「英知」「栄光」「情熱」を表す、色鮮やかな学園の三色旗を、愛する皆さん一人一人に手渡しする思いで、三つの指針を託します。
第一に、「きょうも『学びの旗』を朗らかに」ということです。
間もなく、中国の文豪で、文化相も務められた王蒙先生と私との対談集が発刊されます。
80代になった今も、王蒙先生は「我は学生なり」と宣言され、生き生きと学び続けておられます。こう言われました。
「学習は、最も明朗で、最も正直で、最も愉快で、最も健康的で、最も清々しく、最も充実したものである」と。
いわんや、若くして、この素晴らしい学園で学べる皆さんの青春が、どれほど明るく楽しく、どれほど健やかに充実した日々となるか。
さらに王蒙先生は、「学びは果てしなく、思索は果てしなく、その喜びも果てしない」と語られました。特に語学の習得は、人類の文化のあらゆる宝を味わっていける、尽きることのない楽しみであると、強調されています。
我らの学舎には、最優秀の先生方がそろい、「スーパーグローバルハイスクール」の授業など、世界に開かれた最高の教育環境が整っています。どうか、語学をはじめ、何でも体当たりで挑戦してみようと、きょうも「学びの旗」を朗らかに掲げゆく皆さんであってください。
◇何があっても学園生らしく
一、第二に、「春夏秋冬、『希望の旗』をたくましく」と呼び掛けたい。
東京校が立つ小平も、関西校が立つ交野も、美しい自然に恵まれております。どちらも私が自ら選んだ天地です。
小平は57年前の4月5日、会長就任の直前に妻と視察しました。
交野は60年前の4月16日、新たな「民衆勝利の旗」を打ち立てゆかんと、関西中を奔走する中で訪れました。そして、いつの日か、この地に理想の学園をと、心に思い描いたのです。
春夏秋冬、詩情豊かな生命の絵巻に彩られるキャンパスで、伸びやかに友情の語らいを広げ、思う存分に情熱の金の汗を流してもらいたい。そして烈風にも凜々しく立ち向かいながら、スケールの大きな青春の歴史を飾ってもらいたい——これが私の願いです。
皆、行き詰まりもあればスランプもある。失敗もあれば試練もある。しかし、学園生には、この武蔵野と交野の大地を踏みしめて、どっしりと鍛え上げていく「負けじ魂」があります。
たとえ倒れても、また立ち上がればよい。何があっても自分らしく、学園生らしく胸を張るのです。
そして、「希望の旗」を翻しながら、前へ、また前へ、たくましく、またたくましく、進んでいただきたい。
その姿こそが、お父さん、お母さん方の何よりの喜びだからです。
◇すべての人を愛する人たれ
一、第三に申し上げたいのは、「世界市民の『勝利の旗』を高らかに」ということです。
70年前の5月、私が19歳の時、一番上の兄が戦死したという知らせが届きました。戦争が終わって2年。兄の無事を信じ、待ちわびていた母は、体を震わせて泣いていました。戦争はあまりに残酷です。
その3カ月後、私は戸田先生にお会いしました。そして、先生から託された「生命尊厳の旗」を高く掲げて、民衆の幸福と世界平和へ、人間革命の第一歩を踏み出したのです。
先生の弟子として、この70年間、私は世界中を対話で結んできました。そして、若き創価の世界市民たる学園生が無限に続いてくれるであろう道を、開きに開いてきました。
私が対談を重ねたインドの教育の母・ムカジー博士は、世界市民の要件として、「国籍、言語、宗教、階級など関係なく、すべての人を愛することができること」とともに、「自身の悩みにとらわれず、他者の悩みに目を開き、ともに乗り越えていくこと」を挙げられました。
皆さんは、この学園で、良き学友と励まし合い、共に悩みを乗り越えながら、どこよりも麗しく、力強い人間の連帯を築き上げていってください。
そして、やがては、地球上の悲惨を断じて打開していける英知と力をじっくりと磨き養い、未来へ世界市民の「勝利の旗」を打ち立てていただきたいのであります。
結びに、「学園新時代」の誇り高き旗手たる皆さんへ、和歌を贈ります。
掲げゆけ
英知の旗を
高々と
世界が見つめる
希望の学城に
皆さんの成長する姿を、最高の楽しみとし、見守り続けていきます。みんな、元気で!
2017年4月15日土曜日
2017.04.15 わが友に贈る
次代を担う青年ならば
発想は柔軟に!
行動は大胆に!
人生と広布の劇を飾る
名指揮を頼む!
御講聞書 P840
『日蓮が弟子臆病にては叶う可からざる事』
☆女性に贈ることば 四月十五日
歩みは、遅くてもよい。一歩また一歩、前進する人が、勝利者です。
☆今日のことば365 四月十五日
偉くなってはいけない
偉く見せようとすることもいけない
また偉くさせてもいけない
謙虚でなくてはいけない
☆熊本での全国男子部幹部会に寄せられた池田先生のメッセージ 2017年4月12日
◇青年の手で復興の楽土を
火の国・熊本での凱歌轟く全国男子部幹部会、誠におめでとう!
君たちの不撓不屈の魂の炎が燃える太鼓も、歓喜踊躍の舞も、勝利の歌声も、今、私の心に響きわたっています。私も君たちと一緒に田原坂を大合唱しています。
あの熊本地震から1年——。君たちは、言葉に尽くせぬ苦難の坂、試練の坂を乗り越え、また乗り越えて、堂々と日本一の折伏を成し遂げてくれた。一番、苦労した青年が、一番、輝く勝利を手にする。この新時代の大いなる希望を、全国、全世界に示してくれた。創価の師弟に越せない坂は絶対にないことを、「未来までの物語」として留めてくれました。
君たちが、どれほど勇敢に、どれほど忍耐強く、復興支援に奔走してくれたことか。地元の方々から深く大きな感謝が寄せられていることも、よく伺っています。
ありがとう! 本当にありがとう!
どんな苦難にも、私と共に打ち勝ってきた熊本の同志も、九州家族も、君たちの大成長を、何よりの喜びとし、何よりの誇りとしています。
日蓮大聖人は「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947ページ)と仰せになられました。
この妙法の力で、蘇生できない人はいない。蘇生できない国土もない。いかなる境遇であっても、必ず蘇ることができる。必ず変毒為薬して、新たな幸福と勝利の道を切り開くことができるのです。
ゆえに、何があっても題目の師子吼を唱え抜き、青春の悩みの坂も、職場や地域での困難の坂も、断じて勝ち越えてもらいたい。
私たちが朝な夕な読誦している法華経如来寿量品には「我浄土不毀(我が浄土は毀れず)」とあります。
何ものにも壊されない安穏と繁栄の郷土とは、何ものにも負けない妙法受持の青年がいることだ。そして、地涌の青年がスクラムを組んで、人のため、地域のため、社会のために戦い続け、より善く変革していくことだ。
ともあれ、広宣流布と立正安国の大願に生きゆく創価の青年の大城がそびえ立つところ、大復興の楽土が築かれていくことは間違いない。
その未来を見つめつつ確信して、勇気凜々と賢く朗らかに正義の大連帯を広げていってくれ給え!
君たちを見守っているご家族の皆さん、地域の同志の皆さんに、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
愛する君たち一人一人の健康と栄光を祈り、題目を送ります。
新時代の山本伸一よ、一人ももれなく、先駆者たれ、勝利者たれ!
発想は柔軟に!
行動は大胆に!
人生と広布の劇を飾る
名指揮を頼む!
御講聞書 P840
『日蓮が弟子臆病にては叶う可からざる事』
☆女性に贈ることば 四月十五日
歩みは、遅くてもよい。一歩また一歩、前進する人が、勝利者です。
☆今日のことば365 四月十五日
偉くなってはいけない
偉く見せようとすることもいけない
また偉くさせてもいけない
謙虚でなくてはいけない
☆熊本での全国男子部幹部会に寄せられた池田先生のメッセージ 2017年4月12日
◇青年の手で復興の楽土を
火の国・熊本での凱歌轟く全国男子部幹部会、誠におめでとう!
君たちの不撓不屈の魂の炎が燃える太鼓も、歓喜踊躍の舞も、勝利の歌声も、今、私の心に響きわたっています。私も君たちと一緒に田原坂を大合唱しています。
あの熊本地震から1年——。君たちは、言葉に尽くせぬ苦難の坂、試練の坂を乗り越え、また乗り越えて、堂々と日本一の折伏を成し遂げてくれた。一番、苦労した青年が、一番、輝く勝利を手にする。この新時代の大いなる希望を、全国、全世界に示してくれた。創価の師弟に越せない坂は絶対にないことを、「未来までの物語」として留めてくれました。
君たちが、どれほど勇敢に、どれほど忍耐強く、復興支援に奔走してくれたことか。地元の方々から深く大きな感謝が寄せられていることも、よく伺っています。
ありがとう! 本当にありがとう!
どんな苦難にも、私と共に打ち勝ってきた熊本の同志も、九州家族も、君たちの大成長を、何よりの喜びとし、何よりの誇りとしています。
日蓮大聖人は「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947ページ)と仰せになられました。
この妙法の力で、蘇生できない人はいない。蘇生できない国土もない。いかなる境遇であっても、必ず蘇ることができる。必ず変毒為薬して、新たな幸福と勝利の道を切り開くことができるのです。
ゆえに、何があっても題目の師子吼を唱え抜き、青春の悩みの坂も、職場や地域での困難の坂も、断じて勝ち越えてもらいたい。
私たちが朝な夕な読誦している法華経如来寿量品には「我浄土不毀(我が浄土は毀れず)」とあります。
何ものにも壊されない安穏と繁栄の郷土とは、何ものにも負けない妙法受持の青年がいることだ。そして、地涌の青年がスクラムを組んで、人のため、地域のため、社会のために戦い続け、より善く変革していくことだ。
ともあれ、広宣流布と立正安国の大願に生きゆく創価の青年の大城がそびえ立つところ、大復興の楽土が築かれていくことは間違いない。
その未来を見つめつつ確信して、勇気凜々と賢く朗らかに正義の大連帯を広げていってくれ給え!
君たちを見守っているご家族の皆さん、地域の同志の皆さんに、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
愛する君たち一人一人の健康と栄光を祈り、題目を送ります。
新時代の山本伸一よ、一人ももれなく、先駆者たれ、勝利者たれ!
2017年4月14日金曜日
2017.04.14 わが友に贈る
「仏種は縁に従って起る」
どんどん人と会おう!
自分から話し掛けよう!
長年の友を大切に
新たな友情を結べ!
秋元御書 P1072
『信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし』
☆女性に贈ることば 四月十四日
自分の振舞いを通して教えてこそ、本当の教育である。口先だけでなく、行動が伴って初めて、教育に魂が入る。
☆今日のことば365 四月十四日
人間にとって、自分を一番よく知ってくれる人物に会うほど、嬉しいこともなければ、生き甲斐を感ずることもないのです。
☆創価小学校入学式への池田先生のメッセージ 2017年4月9日
3つの約束
本をたくさん読もう
元気にあいさつしよう
負けない心で挑戦しよう
さくらにつつまれて、創価小学校の門をくぐられた、新入生の皆さん、晴れの入学式、本当におめでとう! 皆さんが入学してくるのを私は楽しみに待っていました。これからも大切な大切な皆さんのことをずっと見守っていきます。ご家族の皆さま方にも、心からお祝いを申し上げます。
きょうは、みんなで三つの約束をしましょう。
一つめは、「本をたくさん読もう」です。
東京校には「ロマン図書館」、関西校には「ノーベル図書館」があります。わくわくするものがたりや、まだ知らない世界のことなど、たくさんの夢や希望がつまった宝のお城です。
本を読むことで、世界一周もできるし、宇宙旅行にも行けます。歴史の英雄たちとも会えます。よい本を読むことは、頭と心のすばらしいごちそうなのです。
二つめは、「元気にあいさつしよう」です。
朝、「おはよう!」と明るく声を出せば、皆も自分もさわやかになります。
親切にしてもらった時に、きちんと「ありがとう!」とお礼を言えば、よろこびが広がり、自分の心もかがやかせていくことができるのです。
そして三つめは、「負けない心で挑戦しよう」です。
夜はなるべく早くねて、朝、元気に起きることも挑戦です。新しい勉強にとりくむことも挑戦です。
「にがてだ」「大変だ」などと思うこともあるでしょう。でも、その時が大きく成長できるチャンスです。「負けない心」で、ねばり強く挑戦する人が勝っていくのです。
さあ、希望いっぱいの新しい出発です。みんな、楽しく、仲よく、伸び伸びと、一日一日、学び進んでいってください。
私も毎日、大好きな皆さん一人一人の健康を祈ります。強く大きく賢く成長することを、いっしょうけんめい祈りつづけます。
わが創価小学校の皆さん、万歳! 愛する光の新入生、万歳!
どんどん人と会おう!
自分から話し掛けよう!
長年の友を大切に
新たな友情を結べ!
秋元御書 P1072
『信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし』
☆女性に贈ることば 四月十四日
自分の振舞いを通して教えてこそ、本当の教育である。口先だけでなく、行動が伴って初めて、教育に魂が入る。
☆今日のことば365 四月十四日
人間にとって、自分を一番よく知ってくれる人物に会うほど、嬉しいこともなければ、生き甲斐を感ずることもないのです。
☆創価小学校入学式への池田先生のメッセージ 2017年4月9日
3つの約束
本をたくさん読もう
元気にあいさつしよう
負けない心で挑戦しよう
さくらにつつまれて、創価小学校の門をくぐられた、新入生の皆さん、晴れの入学式、本当におめでとう! 皆さんが入学してくるのを私は楽しみに待っていました。これからも大切な大切な皆さんのことをずっと見守っていきます。ご家族の皆さま方にも、心からお祝いを申し上げます。
きょうは、みんなで三つの約束をしましょう。
一つめは、「本をたくさん読もう」です。
東京校には「ロマン図書館」、関西校には「ノーベル図書館」があります。わくわくするものがたりや、まだ知らない世界のことなど、たくさんの夢や希望がつまった宝のお城です。
本を読むことで、世界一周もできるし、宇宙旅行にも行けます。歴史の英雄たちとも会えます。よい本を読むことは、頭と心のすばらしいごちそうなのです。
二つめは、「元気にあいさつしよう」です。
朝、「おはよう!」と明るく声を出せば、皆も自分もさわやかになります。
親切にしてもらった時に、きちんと「ありがとう!」とお礼を言えば、よろこびが広がり、自分の心もかがやかせていくことができるのです。
そして三つめは、「負けない心で挑戦しよう」です。
夜はなるべく早くねて、朝、元気に起きることも挑戦です。新しい勉強にとりくむことも挑戦です。
「にがてだ」「大変だ」などと思うこともあるでしょう。でも、その時が大きく成長できるチャンスです。「負けない心」で、ねばり強く挑戦する人が勝っていくのです。
さあ、希望いっぱいの新しい出発です。みんな、楽しく、仲よく、伸び伸びと、一日一日、学び進んでいってください。
私も毎日、大好きな皆さん一人一人の健康を祈ります。強く大きく賢く成長することを、いっしょうけんめい祈りつづけます。
わが創価小学校の皆さん、万歳! 愛する光の新入生、万歳!
2017年4月13日木曜日
2017.04.13 わが友に贈る
季節の変わり目。
祈りを根本に
懸命に体調を整えよう!
周囲の健康を守る
気配りと声掛けも!
教行証御書 P1283
『仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏漢土一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ』
☆女性に贈ることば 四月十三日
徹する姿勢…これこそ、幸福のカギである。わが道に徹してこそ、後悔なき所願満足の人生が開かれていく。
☆今日のことば365 四月十三日
中学時代は、人間に一生の中でも、もっとも大事な時期だと思います。なんでも、吸収できる年代です。それだけに、悪いことを覚えるのも早いのです。自分の人生が良い方向にすすんでいくか、悪い道に入ってしまうかは、この中学時代の自覚と努力によって決まるといっていいでしょう。
☆桜花の創価学園で入学式 創立者のメッセージ 2017年4月9日
思う存分情熱の金の汗を
王蒙元文化相 学習は最も愉快で充実したもの
一、東京校は第50期生の皆さん! 関西校は第45期生の皆さん! 世界の知性も見つめ讃える誉れの入学、誠におめでとう!
不思議な縁で結ばれた新入生の皆さん方を迎えて、きょうここに、我らの学園は、新たな時代を開幕しました。
皆さんは、全員が、この「学園新時代」を照らしゆく旭日であり、真っ先に輝きわたる金星なのであります。
大切な宝のお子さんを送り出してくださったご家族の方々にも、心から感謝とお慶びを申し上げます。
わが命は、いつも学園に留めてあります。
わが心は、瞬時として学園生から離れることはありません。
◇語学の習得にも体当たりで挑め
一、きょうは、「英知」「栄光」「情熱」を表す、色鮮やかな学園の三色旗を、愛する皆さん一人一人に手渡しする思いで、三つの指針を託します。
第一に、「きょうも『学びの旗』を朗らかに」ということです。
間もなく、中国の文豪で、文化相も務められた王蒙先生と私との対談集が発刊されます。
80代になった今も、王蒙先生は「我は学生なり」と宣言され、生き生きと学び続けておられます。こう言われました。
「学習は、最も明朗で、最も正直で、最も愉快で、最も健康的で、最も清々しく、最も充実したものである」と。
いわんや、若くして、この素晴らしい学園で学べる皆さんの青春が、どれほど明るく楽しく、どれほど健やかに充実した日々となるか。
さらに王蒙先生は、「学びは果てしなく、思索は果てしなく、その喜びも果てしない」と語られました。特に語学の習得は、人類の文化のあらゆる宝を味わっていける、尽きることのない楽しみであると、強調されています。
我らの学舎には、最優秀の先生方がそろい、「スーパーグローバルハイスクール」の授業など、世界に開かれた最高の教育環境が整っています。どうか、語学をはじめ、何でも体当たりで挑戦してみようと、きょうも「学びの旗」を朗らかに掲げゆく皆さんであってください。
◇何があっても学園生らしく
一、第二に、「春夏秋冬、『希望の旗』をたくましく」と呼び掛けたい。
東京校が立つ小平も、関西校が立つ交野も、美しい自然に恵まれております。どちらも私が自ら選んだ天地です。
小平は57年前の4月5日、会長就任の直前に妻と視察しました。
交野は60年前の4月16日、新たな「民衆勝利の旗」を打ち立てゆかんと、関西中を奔走する中で訪れました。そして、いつの日か、この地に理想の学園をと、心に思い描いたのです。
春夏秋冬、詩情豊かな生命の絵巻に彩られるキャンパスで、伸びやかに友情の語らいを広げ、思う存分に情熱の金の汗を流してもらいたい。そして烈風にも凜々しく立ち向かいながら、スケールの大きな青春の歴史を飾ってもらいたい——これが私の願いです。
皆、行き詰まりもあればスランプもある。失敗もあれば試練もある。しかし、学園生には、この武蔵野と交野の大地を踏みしめて、どっしりと鍛え上げていく「負けじ魂」があります。
たとえ倒れても、また立ち上がればよい。何があっても自分らしく、学園生らしく胸を張るのです。
そして、「希望の旗」を翻しながら、前へ、また前へ、たくましく、またたくましく、進んでいただきたい。
その姿こそが、お父さん、お母さん方の何よりの喜びだからです。
◇すべての人を愛する人たれ
一、第三に申し上げたいのは、「世界市民の『勝利の旗』を高らかに」ということです。
70年前の5月、私が19歳の時、一番上の兄が戦死したという知らせが届きました。戦争が終わって2年。兄の無事を信じ、待ちわびていた母は、体を震わせて泣いていました。戦争はあまりに残酷です。
その3カ月後、私は戸田先生にお会いしました。そして、先生から託された「生命尊厳の旗」を高く掲げて、民衆の幸福と世界平和へ、人間革命の第一歩を踏み出したのです。
先生の弟子として、この70年間、私は世界中を対話で結んできました。そして、若き創価の世界市民たる学園生が無限に続いてくれるであろう道を、開きに開いてきました。
私が対談を重ねたインドの教育の母・ムカジー博士は、世界市民の要件として、「国籍、言語、宗教、階級など関係なく、すべての人を愛することができること」とともに、「自身の悩みにとらわれず、他者の悩みに目を開き、ともに乗り越えていくこと」を挙げられました。
皆さんは、この学園で、良き学友と励まし合い、共に悩みを乗り越えながら、どこよりも麗しく、力強い人間の連帯を築き上げていってください。
そして、やがては、地球上の悲惨を断じて打開していける英知と力をじっくりと磨き養い、未来へ世界市民の「勝利の旗」を打ち立てていただきたいのであります。
結びに、「学園新時代」の誇り高き旗手たる皆さんへ、和歌を贈ります。
掲げゆけ
英知の旗を
高々と
世界が見つめる
希望の学城に
皆さんの成長する姿を、最高の楽しみとし、見守り続けていきます。みんな、元気で!
祈りを根本に
懸命に体調を整えよう!
周囲の健康を守る
気配りと声掛けも!
教行証御書 P1283
『仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏漢土一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ』
☆女性に贈ることば 四月十三日
徹する姿勢…これこそ、幸福のカギである。わが道に徹してこそ、後悔なき所願満足の人生が開かれていく。
☆今日のことば365 四月十三日
中学時代は、人間に一生の中でも、もっとも大事な時期だと思います。なんでも、吸収できる年代です。それだけに、悪いことを覚えるのも早いのです。自分の人生が良い方向にすすんでいくか、悪い道に入ってしまうかは、この中学時代の自覚と努力によって決まるといっていいでしょう。
☆桜花の創価学園で入学式 創立者のメッセージ 2017年4月9日
思う存分情熱の金の汗を
王蒙元文化相 学習は最も愉快で充実したもの
一、東京校は第50期生の皆さん! 関西校は第45期生の皆さん! 世界の知性も見つめ讃える誉れの入学、誠におめでとう!
不思議な縁で結ばれた新入生の皆さん方を迎えて、きょうここに、我らの学園は、新たな時代を開幕しました。
皆さんは、全員が、この「学園新時代」を照らしゆく旭日であり、真っ先に輝きわたる金星なのであります。
大切な宝のお子さんを送り出してくださったご家族の方々にも、心から感謝とお慶びを申し上げます。
わが命は、いつも学園に留めてあります。
わが心は、瞬時として学園生から離れることはありません。
◇語学の習得にも体当たりで挑め
一、きょうは、「英知」「栄光」「情熱」を表す、色鮮やかな学園の三色旗を、愛する皆さん一人一人に手渡しする思いで、三つの指針を託します。
第一に、「きょうも『学びの旗』を朗らかに」ということです。
間もなく、中国の文豪で、文化相も務められた王蒙先生と私との対談集が発刊されます。
80代になった今も、王蒙先生は「我は学生なり」と宣言され、生き生きと学び続けておられます。こう言われました。
「学習は、最も明朗で、最も正直で、最も愉快で、最も健康的で、最も清々しく、最も充実したものである」と。
いわんや、若くして、この素晴らしい学園で学べる皆さんの青春が、どれほど明るく楽しく、どれほど健やかに充実した日々となるか。
さらに王蒙先生は、「学びは果てしなく、思索は果てしなく、その喜びも果てしない」と語られました。特に語学の習得は、人類の文化のあらゆる宝を味わっていける、尽きることのない楽しみであると、強調されています。
我らの学舎には、最優秀の先生方がそろい、「スーパーグローバルハイスクール」の授業など、世界に開かれた最高の教育環境が整っています。どうか、語学をはじめ、何でも体当たりで挑戦してみようと、きょうも「学びの旗」を朗らかに掲げゆく皆さんであってください。
◇何があっても学園生らしく
一、第二に、「春夏秋冬、『希望の旗』をたくましく」と呼び掛けたい。
東京校が立つ小平も、関西校が立つ交野も、美しい自然に恵まれております。どちらも私が自ら選んだ天地です。
小平は57年前の4月5日、会長就任の直前に妻と視察しました。
交野は60年前の4月16日、新たな「民衆勝利の旗」を打ち立てゆかんと、関西中を奔走する中で訪れました。そして、いつの日か、この地に理想の学園をと、心に思い描いたのです。
春夏秋冬、詩情豊かな生命の絵巻に彩られるキャンパスで、伸びやかに友情の語らいを広げ、思う存分に情熱の金の汗を流してもらいたい。そして烈風にも凜々しく立ち向かいながら、スケールの大きな青春の歴史を飾ってもらいたい——これが私の願いです。
皆、行き詰まりもあればスランプもある。失敗もあれば試練もある。しかし、学園生には、この武蔵野と交野の大地を踏みしめて、どっしりと鍛え上げていく「負けじ魂」があります。
たとえ倒れても、また立ち上がればよい。何があっても自分らしく、学園生らしく胸を張るのです。
そして、「希望の旗」を翻しながら、前へ、また前へ、たくましく、またたくましく、進んでいただきたい。
その姿こそが、お父さん、お母さん方の何よりの喜びだからです。
◇すべての人を愛する人たれ
一、第三に申し上げたいのは、「世界市民の『勝利の旗』を高らかに」ということです。
70年前の5月、私が19歳の時、一番上の兄が戦死したという知らせが届きました。戦争が終わって2年。兄の無事を信じ、待ちわびていた母は、体を震わせて泣いていました。戦争はあまりに残酷です。
その3カ月後、私は戸田先生にお会いしました。そして、先生から託された「生命尊厳の旗」を高く掲げて、民衆の幸福と世界平和へ、人間革命の第一歩を踏み出したのです。
先生の弟子として、この70年間、私は世界中を対話で結んできました。そして、若き創価の世界市民たる学園生が無限に続いてくれるであろう道を、開きに開いてきました。
私が対談を重ねたインドの教育の母・ムカジー博士は、世界市民の要件として、「国籍、言語、宗教、階級など関係なく、すべての人を愛することができること」とともに、「自身の悩みにとらわれず、他者の悩みに目を開き、ともに乗り越えていくこと」を挙げられました。
皆さんは、この学園で、良き学友と励まし合い、共に悩みを乗り越えながら、どこよりも麗しく、力強い人間の連帯を築き上げていってください。
そして、やがては、地球上の悲惨を断じて打開していける英知と力をじっくりと磨き養い、未来へ世界市民の「勝利の旗」を打ち立てていただきたいのであります。
結びに、「学園新時代」の誇り高き旗手たる皆さんへ、和歌を贈ります。
掲げゆけ
英知の旗を
高々と
世界が見つめる
希望の学城に
皆さんの成長する姿を、最高の楽しみとし、見守り続けていきます。みんな、元気で!
2017年4月12日水曜日
2017.04.12 わが友に贈る
会館・個人会場の周辺は
駐輪・駐車や立ち話など
近隣に細心の配慮を。
良識豊かな行動で
地域に信頼を広げよう!
上野殿後家尼御返事 P1506
『故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にもこれあるなり、釈迦仏御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき凡夫のふるまひを示し給うか』
☆女性に贈ることば 四月十二日
親は子どものよき友だちであれと私は願う。子どもに愛情をもたぬ親はないが、もうひとつ、友情をもてと言いたい。友情をもつというのは、子どもを立派な人格として尊重することである。
☆今日のことば365 四月十二日
よい報告は遅くなってもよい
とくに悪い報告は早くせよ
次の戦いに先手が打てるよう
悪い報告ほど 早く報告できる人は偉い
責任のある人だ
黙っていたり にぎりつぶす人は
卑怯で ずるい人だ
☆新時代を進む 第8回 人材の光を! 新風を起こせ 2017年4月7日
あふれる春の光の中、武蔵野の天地を一路、わが創価学園へ走った(4月5日)。
思えば、1960年のこの日も通った思い出深き道のりだ。会長就任の直前、学園の建設用地の視察に妻と訪れたのである。
57星霜を経て、かつての雑木林には、仰ぎ見る英知の大城が聳え立っている。今や世界の教育界も注目する大発展を、学園首脳と喜び合った。始業式の前日だったが、クラブ活動や新入生の歓迎の準備等に当たる学園生が、はつらつと躍動する息吹がうれしかった。
学園創立から50周年。関西校の大発展も目覚ましい。札幌創価幼稚園をはじめ香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国の姉妹校でも素晴らしい創価の世界市民が育まれている。
「教育の勝利」こそが、「人類の永遠の勝利」と叫ばれた牧口先生、戸田先生の会心の笑顔が浮かぶ。
創価教育を支えていただいている全ての方々への感謝は尽きない。そして、学園を志願してくれた友も皆、創価同窓なりと、日々、祈りを捧げている。
— ◇ —
満開の桜の立川文化会館にも、久方ぶりに足を運んだ。
40年前に誕生してより、新たな"本陣"とも定めて指揮を執った会館である。
一人を大切に! 一人を幸せに! 一人を師子に!
反転攻勢の新時代は、この法城から開かれたのだ。
忘れ得ぬ歴史を刻んだ「元初の間」で勤行し、今、勇んで広布に走る総東京をはじめ、全同志の福徳と大勝利を真剣に念じた。
記念展示室では、第2総東京の懐かしい広布の共戦譜を見つめ、あの友この家族の近況も伺いつつ、誉れの宝土に題目を送った。
4月2日、恩師の祥月命日は、「第2総東京の日」でもある。その意義は深い。
「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」(御書900ページ)
正義の魂魄を留めたる、第2総東京の大地から、創価後継の「よき弟子」が未来永遠に躍り出ていくことを私は大確信してやまない。
— ◇ —
人材は試練の中で育つ。
戸田先生は言われた。
「皆、地涌の菩薩として自ら願って、あえて厳しい苦難に挑むのだ。なぜか。堂々と戦い勝って、あとに続く人々に限りない希望と勇気を贈るためである」と。
さあ、人材の光を社会に放ちゆこう! 希望と勇気の新風を起こしゆくのだ。
駐輪・駐車や立ち話など
近隣に細心の配慮を。
良識豊かな行動で
地域に信頼を広げよう!
上野殿後家尼御返事 P1506
『故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にもこれあるなり、釈迦仏御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき凡夫のふるまひを示し給うか』
☆女性に贈ることば 四月十二日
親は子どものよき友だちであれと私は願う。子どもに愛情をもたぬ親はないが、もうひとつ、友情をもてと言いたい。友情をもつというのは、子どもを立派な人格として尊重することである。
☆今日のことば365 四月十二日
よい報告は遅くなってもよい
とくに悪い報告は早くせよ
次の戦いに先手が打てるよう
悪い報告ほど 早く報告できる人は偉い
責任のある人だ
黙っていたり にぎりつぶす人は
卑怯で ずるい人だ
☆新時代を進む 第8回 人材の光を! 新風を起こせ 2017年4月7日
あふれる春の光の中、武蔵野の天地を一路、わが創価学園へ走った(4月5日)。
思えば、1960年のこの日も通った思い出深き道のりだ。会長就任の直前、学園の建設用地の視察に妻と訪れたのである。
57星霜を経て、かつての雑木林には、仰ぎ見る英知の大城が聳え立っている。今や世界の教育界も注目する大発展を、学園首脳と喜び合った。始業式の前日だったが、クラブ活動や新入生の歓迎の準備等に当たる学園生が、はつらつと躍動する息吹がうれしかった。
学園創立から50周年。関西校の大発展も目覚ましい。札幌創価幼稚園をはじめ香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国の姉妹校でも素晴らしい創価の世界市民が育まれている。
「教育の勝利」こそが、「人類の永遠の勝利」と叫ばれた牧口先生、戸田先生の会心の笑顔が浮かぶ。
創価教育を支えていただいている全ての方々への感謝は尽きない。そして、学園を志願してくれた友も皆、創価同窓なりと、日々、祈りを捧げている。
— ◇ —
満開の桜の立川文化会館にも、久方ぶりに足を運んだ。
40年前に誕生してより、新たな"本陣"とも定めて指揮を執った会館である。
一人を大切に! 一人を幸せに! 一人を師子に!
反転攻勢の新時代は、この法城から開かれたのだ。
忘れ得ぬ歴史を刻んだ「元初の間」で勤行し、今、勇んで広布に走る総東京をはじめ、全同志の福徳と大勝利を真剣に念じた。
記念展示室では、第2総東京の懐かしい広布の共戦譜を見つめ、あの友この家族の近況も伺いつつ、誉れの宝土に題目を送った。
4月2日、恩師の祥月命日は、「第2総東京の日」でもある。その意義は深い。
「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」(御書900ページ)
正義の魂魄を留めたる、第2総東京の大地から、創価後継の「よき弟子」が未来永遠に躍り出ていくことを私は大確信してやまない。
— ◇ —
人材は試練の中で育つ。
戸田先生は言われた。
「皆、地涌の菩薩として自ら願って、あえて厳しい苦難に挑むのだ。なぜか。堂々と戦い勝って、あとに続く人々に限りない希望と勇気を贈るためである」と。
さあ、人材の光を社会に放ちゆこう! 希望と勇気の新風を起こしゆくのだ。
2017年4月11日火曜日
2017.04.11 わが友に贈る
「御みやづかいを
法華経とをぼしめせ」
職場は人間練磨の道場。
眼前の課題に挑み抜け!
誠実な振る舞いで勝て!
松野殿女房御返事 P1394
『女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん』
☆女性に贈ることば 四月十一日
長い人生といえども、一瞬一瞬が積み重ねねである。所詮、よくなるか悪くなるかのどちらかしかない。それを決めるのは自分目身である。
☆今日のことば365 四月十一日
少年よ
いつも 太陽とともに起きよう
少年よ
太陽の心を懐いて 勉強に励もう
太陽の沈むとき
静かに休もう
明日の黎明のために
☆御書と歩む 第59回 妙法の女性に福徳あれ 2017年4月6日
『日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしや・たのもしや』(松野殿御返事、1390ページ)
◇通解
たとえ、日や月が地に落ち、須弥山が崩れることがあったとしても、かの女性が仏に成られることは疑いない。まことに、頼もしいことである。
◇同志への指針
妙法を持った女性が幸福にならないわけがない! 尊きヤング・ミセスの皆さんを、御本仏がどれほど御賞讃されていることか。
目まぐるしい変化と慌ただしい毎日の中で、学会活動に励む挑戦の一歩一歩は、自身と一家眷属の永遠の「心の財」を積む黄金の足跡である。
未来を創りゆく宝友の皆さんに健康と幸あれ! 妻と題目を送っています。
法華経とをぼしめせ」
職場は人間練磨の道場。
眼前の課題に挑み抜け!
誠実な振る舞いで勝て!
松野殿女房御返事 P1394
『女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん』
☆女性に贈ることば 四月十一日
長い人生といえども、一瞬一瞬が積み重ねねである。所詮、よくなるか悪くなるかのどちらかしかない。それを決めるのは自分目身である。
☆今日のことば365 四月十一日
少年よ
いつも 太陽とともに起きよう
少年よ
太陽の心を懐いて 勉強に励もう
太陽の沈むとき
静かに休もう
明日の黎明のために
☆御書と歩む 第59回 妙法の女性に福徳あれ 2017年4月6日
『日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしや・たのもしや』(松野殿御返事、1390ページ)
◇通解
たとえ、日や月が地に落ち、須弥山が崩れることがあったとしても、かの女性が仏に成られることは疑いない。まことに、頼もしいことである。
◇同志への指針
妙法を持った女性が幸福にならないわけがない! 尊きヤング・ミセスの皆さんを、御本仏がどれほど御賞讃されていることか。
目まぐるしい変化と慌ただしい毎日の中で、学会活動に励む挑戦の一歩一歩は、自身と一家眷属の永遠の「心の財」を積む黄金の足跡である。
未来を創りゆく宝友の皆さんに健康と幸あれ! 妻と題目を送っています。
2017年4月10日月曜日
2017.04.10 わが友に贈る
新聞休刊日
四条金吾殿御返事 P1118
『貴辺日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや、法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ』
☆女性に贈ることば 四月十日
努力という短い言葉のなかに、勝利と栄光が光っている。
☆今日のことば365 四月十日
生涯をかけて
私は 私の仕事を通して
高名な建築家よりも見事な
無名の人生の
建築をしてみたいのだ
☆第47回創価大学・第33回創価女子短期大学入学式への池田先生のメッセージ 2017年4月3日
探究と開拓の日々送りゆけ
戸田先生の薫陶"いかなる時も学びの心を手放すな"
一、最優秀の新入生の皆さん、誠におめでとう!
我らの「平和のフォートレス」に、ようこそ集い来たってくれました。
ありがとう! 本当に、ありがとう!
私たちが兄の大学と慕う台湾の名門・中国文化大学の李天任学長ご一行をはじめ、祝福においでくださった、ご来賓の先生方に、心より御礼を申し上げます。
今や地元・八王子の方々はもとより、世界中の方が楽しみにしてくれている、わがキャンパスの桜も、皆さん方の誉れの入学を祝して、いよいよ開き始めました。
この季節に改めて偲ばれるのは、一年を通じて丹精込め、木々の手入れをしてくださっている"桜守"の方々のご苦労です。猛暑の夏も、厳寒の冬も、人知れぬ真心の労苦の積み重ねありてこそ、春爛漫の桜の開花があります。
咲き薫る花を陰で仰がれる"桜守"の誇りと喜びが、私には、新入生の皆さんを見守っておられるご家族方の心と重なり合ってならないのであります。
大変な中、お子さんを立派に育み、この「人間教育の最高学府」へ送り出してくださった保護者の方々に、私は最大に感謝し、そして、お慶びを申し上げます。
信頼する教員の先生方、職員の方々、どうか、ご父母の宝であり、私の命である創大生、短大生に、温かく、そして最善の薫陶を、何卒よろしくお願いいたします。
一、きょう4月2日・創大の「開学の日」は、牧口常三郎先生と共に創価教育を創始された、恩師・戸田城聖先生の祥月命日であります。
第2次世界大戦後の混迷の社会にあって、戸田先生は「地球民族主義」という先見のビジョンを高らかに掲げました。
どの国に生まれ、どの民族に属する人であれ、皆、尊厳なる生命を発揮して、幸福を勝ち取る権利がある。互いに尊敬し合い、学び合いながら、平和と繁栄の世界を創造していこうではないかとの提唱であります。
この地球民族主義の人間共和の縮図こそ、まさしく創価の学舎であります。
今年も、240人に迫る留学生の英才を迎えることができました。これで50カ国・地域の気高き向学の世界市民が学ばれることとなり、こんなに喜ばしいことはありません。
待望の「滝山国際寮」と「万葉国際寮」も完成しました。これから共々に縁深き学友として一緒に歴史をつくる留学生の皆さんを、私たちは固い友情の大拍手で、熱烈に歓迎しようではありませんか!(大拍手)
◇学べ! 青年ならば
一、さて今日は、創大のワールドランゲージセンターで、また、短大の白鳥ラウンジで、楽しく、にぎやかに国際座談会を行うような思いで、簡潔に3点、エールを送りたい。
第一に、「英知の太陽を燃やしゆく青春であれ!」ということです。
私は皆さんと同じ年代の19歳で、戸田先生と出会いました。徹して打ち込まれたことは、「青年ならば学んで学んで学び抜け!」ということであり、「いつ、いかなる時も学びの心を手放すな」ということであります。
当時、働きながら通った母校(現在の東京富士大学)を、一昨日(3月31日)、久方ぶりに訪れ、懐かしく、また大発展の様子をうれしく拝見しました。
懸命に学んだ青春の日々は、時が経てば経つほど、金の輝きを放つものであります。
今、創大も短大も、教職員の方々のたゆみない尽力により、一段と自分自身の可能性を発見し、思う存分に伸ばしゆける教育環境が充実しております。また、いずこにもまして母校愛に溢れた先輩方が、陰に陽に応援してくれております。
私は、70年前の恩師と同じ心で、皆さんに託したい。
——学問を通して人間を、そして、人間を通して学問を深めゆけ! かけがえのない青春の一日また一日、英知の太陽を燃やしてくれ給え! そこにこそ、確かな平和の光明があるからだ、と。
◇希望と啓発の連帯
一、第二に申し上げたいのは、「希望と啓発の世界市民の連帯を!」ということです。
20世紀を代表する歴史学者のトインビー博士と私が対話を開始して、この5月で45周年となります。
博士との対談集は今、30に及ぼうとする言語で翻訳され、世界中で読まれております。その中には、わが創大に留学した研究者が見事に訳してくれた一書もあります。創大の名誉教授であられるトインビー博士も、きっと喜んでくださっていると思うのであります。
博士と私は語らいました。「人類の生存を脅かしている現代の諸悪」に対して、我らは断じて諦めてはならない。人間は自分たちが招いた危機を絶対に乗り越える力を持っている。そのモデルを示す賢者たちがいる。その先哲たちから、我らは「希望」と「勇気」と「活力」を得て、立ち上がっていこうではないか!——と。
この博士の期待に応えゆく、恐れなき若人の正義の連帯こそ、私は、我ら創大生であり、我ら短大生であると信じております。
どうか、同級生同士も、また先輩・後輩も、さらに教職員と学生も、共に「建学の精神」を実現しゆく盟友として、希望と啓発の世界市民の連帯を強め、深め、広げつつ、民衆の幸福へ、また人道と共生の地球へと、人類史を前進させていただきたいのであります。
◇「為す」ことが大事
一、第三に、「不退転の行動力で人生を勝ち開け!」と申し上げたい。
中国文化大学の理事長であられる張鏡湖博士と私は、対談集『教育と文化の王道』を発刊しました。
その中で語り合った、崇高な創立者・張其�先生の人生哲学を、私は皆さんの門出にお贈りしたいのであります。
それは「思想や観念は、行動を起こさなければ、何の効果も得られない。最も大事なのは『為す』『やる』『行う』ことである」。そして、いかなる困難にも屈することなく進むならば、「『一念、岩をも通す』の言葉どおり、理想もついには現実となる」と。
世界を変えるのは、青年の行動です。何度、倒れようとも、また、たくましく立ち上がって挑戦し抜いていく不退転の行動力です。
どうか、何があっても、良き友と朗らかに励まし合いながら、創大スピリットである「負けじ魂」で、偉大な使命の人生を断固として勝ち開いていただきたい。
そして、常識と人間性豊かに、大切な大切な、お父さん、お母さん、さらに皆さんの成長を祈り見つめる日本中、世界中の宝友を、万歳させゆく学生生活を勝ち飾っていただきたいのであります。
その皆さん一人一人の大勝利とともに、創大の開学50周年、短大の開学35周年の栄光凱歌が晴れ晴れと轟きわたることを、私は確信してやみません。
一、結びに、わが愛する皆さんの健康と絶対無事故の日々をひたぶるに祈りつつ——
探究と
開拓の日々
送りゆけ
苦難の土台に
金の城あり
と贈ります。
新入生、万歳! 留学生、万歳!
すべてのご家族の皆さんに、ご多幸と繁栄あれ!(大拍手)
四条金吾殿御返事 P1118
『貴辺日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや、法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ』
☆女性に贈ることば 四月十日
努力という短い言葉のなかに、勝利と栄光が光っている。
☆今日のことば365 四月十日
生涯をかけて
私は 私の仕事を通して
高名な建築家よりも見事な
無名の人生の
建築をしてみたいのだ
☆第47回創価大学・第33回創価女子短期大学入学式への池田先生のメッセージ 2017年4月3日
探究と開拓の日々送りゆけ
戸田先生の薫陶"いかなる時も学びの心を手放すな"
一、最優秀の新入生の皆さん、誠におめでとう!
我らの「平和のフォートレス」に、ようこそ集い来たってくれました。
ありがとう! 本当に、ありがとう!
私たちが兄の大学と慕う台湾の名門・中国文化大学の李天任学長ご一行をはじめ、祝福においでくださった、ご来賓の先生方に、心より御礼を申し上げます。
今や地元・八王子の方々はもとより、世界中の方が楽しみにしてくれている、わがキャンパスの桜も、皆さん方の誉れの入学を祝して、いよいよ開き始めました。
この季節に改めて偲ばれるのは、一年を通じて丹精込め、木々の手入れをしてくださっている"桜守"の方々のご苦労です。猛暑の夏も、厳寒の冬も、人知れぬ真心の労苦の積み重ねありてこそ、春爛漫の桜の開花があります。
咲き薫る花を陰で仰がれる"桜守"の誇りと喜びが、私には、新入生の皆さんを見守っておられるご家族方の心と重なり合ってならないのであります。
大変な中、お子さんを立派に育み、この「人間教育の最高学府」へ送り出してくださった保護者の方々に、私は最大に感謝し、そして、お慶びを申し上げます。
信頼する教員の先生方、職員の方々、どうか、ご父母の宝であり、私の命である創大生、短大生に、温かく、そして最善の薫陶を、何卒よろしくお願いいたします。
一、きょう4月2日・創大の「開学の日」は、牧口常三郎先生と共に創価教育を創始された、恩師・戸田城聖先生の祥月命日であります。
第2次世界大戦後の混迷の社会にあって、戸田先生は「地球民族主義」という先見のビジョンを高らかに掲げました。
どの国に生まれ、どの民族に属する人であれ、皆、尊厳なる生命を発揮して、幸福を勝ち取る権利がある。互いに尊敬し合い、学び合いながら、平和と繁栄の世界を創造していこうではないかとの提唱であります。
この地球民族主義の人間共和の縮図こそ、まさしく創価の学舎であります。
今年も、240人に迫る留学生の英才を迎えることができました。これで50カ国・地域の気高き向学の世界市民が学ばれることとなり、こんなに喜ばしいことはありません。
待望の「滝山国際寮」と「万葉国際寮」も完成しました。これから共々に縁深き学友として一緒に歴史をつくる留学生の皆さんを、私たちは固い友情の大拍手で、熱烈に歓迎しようではありませんか!(大拍手)
◇学べ! 青年ならば
一、さて今日は、創大のワールドランゲージセンターで、また、短大の白鳥ラウンジで、楽しく、にぎやかに国際座談会を行うような思いで、簡潔に3点、エールを送りたい。
第一に、「英知の太陽を燃やしゆく青春であれ!」ということです。
私は皆さんと同じ年代の19歳で、戸田先生と出会いました。徹して打ち込まれたことは、「青年ならば学んで学んで学び抜け!」ということであり、「いつ、いかなる時も学びの心を手放すな」ということであります。
当時、働きながら通った母校(現在の東京富士大学)を、一昨日(3月31日)、久方ぶりに訪れ、懐かしく、また大発展の様子をうれしく拝見しました。
懸命に学んだ青春の日々は、時が経てば経つほど、金の輝きを放つものであります。
今、創大も短大も、教職員の方々のたゆみない尽力により、一段と自分自身の可能性を発見し、思う存分に伸ばしゆける教育環境が充実しております。また、いずこにもまして母校愛に溢れた先輩方が、陰に陽に応援してくれております。
私は、70年前の恩師と同じ心で、皆さんに託したい。
——学問を通して人間を、そして、人間を通して学問を深めゆけ! かけがえのない青春の一日また一日、英知の太陽を燃やしてくれ給え! そこにこそ、確かな平和の光明があるからだ、と。
◇希望と啓発の連帯
一、第二に申し上げたいのは、「希望と啓発の世界市民の連帯を!」ということです。
20世紀を代表する歴史学者のトインビー博士と私が対話を開始して、この5月で45周年となります。
博士との対談集は今、30に及ぼうとする言語で翻訳され、世界中で読まれております。その中には、わが創大に留学した研究者が見事に訳してくれた一書もあります。創大の名誉教授であられるトインビー博士も、きっと喜んでくださっていると思うのであります。
博士と私は語らいました。「人類の生存を脅かしている現代の諸悪」に対して、我らは断じて諦めてはならない。人間は自分たちが招いた危機を絶対に乗り越える力を持っている。そのモデルを示す賢者たちがいる。その先哲たちから、我らは「希望」と「勇気」と「活力」を得て、立ち上がっていこうではないか!——と。
この博士の期待に応えゆく、恐れなき若人の正義の連帯こそ、私は、我ら創大生であり、我ら短大生であると信じております。
どうか、同級生同士も、また先輩・後輩も、さらに教職員と学生も、共に「建学の精神」を実現しゆく盟友として、希望と啓発の世界市民の連帯を強め、深め、広げつつ、民衆の幸福へ、また人道と共生の地球へと、人類史を前進させていただきたいのであります。
◇「為す」ことが大事
一、第三に、「不退転の行動力で人生を勝ち開け!」と申し上げたい。
中国文化大学の理事長であられる張鏡湖博士と私は、対談集『教育と文化の王道』を発刊しました。
その中で語り合った、崇高な創立者・張其�先生の人生哲学を、私は皆さんの門出にお贈りしたいのであります。
それは「思想や観念は、行動を起こさなければ、何の効果も得られない。最も大事なのは『為す』『やる』『行う』ことである」。そして、いかなる困難にも屈することなく進むならば、「『一念、岩をも通す』の言葉どおり、理想もついには現実となる」と。
世界を変えるのは、青年の行動です。何度、倒れようとも、また、たくましく立ち上がって挑戦し抜いていく不退転の行動力です。
どうか、何があっても、良き友と朗らかに励まし合いながら、創大スピリットである「負けじ魂」で、偉大な使命の人生を断固として勝ち開いていただきたい。
そして、常識と人間性豊かに、大切な大切な、お父さん、お母さん、さらに皆さんの成長を祈り見つめる日本中、世界中の宝友を、万歳させゆく学生生活を勝ち飾っていただきたいのであります。
その皆さん一人一人の大勝利とともに、創大の開学50周年、短大の開学35周年の栄光凱歌が晴れ晴れと轟きわたることを、私は確信してやみません。
一、結びに、わが愛する皆さんの健康と絶対無事故の日々をひたぶるに祈りつつ——
探究と
開拓の日々
送りゆけ
苦難の土台に
金の城あり
と贈ります。
新入生、万歳! 留学生、万歳!
すべてのご家族の皆さんに、ご多幸と繁栄あれ!(大拍手)
2017年4月9日日曜日
2017.04.09 わが友に贈る
◇今週のことば
創価の「負けじ魂」は
人類の希望の哲学だ。
広布と人生の坂を
勇敢に超えゆけ!
青年よ 不撓不屈たれ!
2017年4月9日
窪尼御前御返事 P1483
『三千大千世界に七日ふる雨のかずはかずへつくしてん、十方世界の大地のちりは知る人もありなん、法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ仏はとかせ給いて候へ』
☆女性に贈ることば 四月九日
人間にとって、信用ほど大切なものはない。信用こそが最高の財産である。信用されない人は、いつしか、わびしい孤触の敗北者となっていく。
☆今日のことば365 四月九日
経験を総括し、次の発明、発見をしていくことだ
それが新しい時代を構築する決め手である
☆新時代を進む 第7回 いざ爛漫と創価桜の道を 2017年3月27日
師弟誓願の3月から「4・2」「5・3」へ、我ら創価は勝利のリズムで進む。総本部の青年桜も開花し、各地から集われる尊き友が笑顔で仰ぐ季節となった。
年々歳々、「冬は必ず春となる」との希望の劇を宝友と飾りながら、恩師・戸田城聖先生の祥月命日を迎えられることに感無量である。
アメリカSGIの初代から第4代まで歴代の婦人部長・書記長たちも、仲睦まじく来日された。世界広布の道なき道を、共々に開いてくれたパイオニアである。
妻と一緒に懐かしい再会をすることができた(25日、戸田記念国際会館で)。
皆、健康長寿と幸福和楽の実証を示しながら、姉妹のように、母娘のように、麗しく後輩を慈しみ、人材の流れを築いてくれている。
「アメリカは大勝利します!」との若々しい心意気が、何より嬉しかった。
全世界に輝き広がる創価家族の功徳満開の晴れ姿を、恩師もどれほどお喜びくださるであろうか。
— ◇ —
日蓮大聖人は門下の先駆の功労を讃えられ、「国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし」(御書1241ページ)と仰せになられた。
法のため、友のため、社会のため、苦難に怯まず、広布に生き抜く福運は無量だ。時とともに、いやまし光る。
学会活動には、何一つとして無駄はない。あらゆる苦労が、最極の「今生人界の思出」となり、自身と一家眷属の「人間革命」の力となる。さらには愛する地域と国土の「立正安国」へとつながっていくのだ。
— ◇ —
法華経には「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経575ページ)と。
苦悩の絶えない社会にあって、生命尊厳の大哲学を持ち、希望と勇気の光を送りゆく地涌の友の使命は、いかに大きく誇り高いか。
"どうすれば組織が盛り上がるか"と悩む青年を、私は励ましたことがある。
——君自身が燃えていればいいんだよ。一人の信心が、一人の成仏が、最後には全てを変えるんだから、と。
一人から一切は始まる。自分が太陽となれば、いかなる闇も消え去るのだ。
今の祈りと行動が種となって、必ず勝利の花を咲かせる。生き生きと友情と仏縁を広げ、いざ爛漫と創価桜の道を開きゆこう!
☆4月度座談会拝読御書 立正安国論 2017年4月4日
◇拝読御文
『汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん』
◇本書について
本書は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、鎌倉幕府の実質的な最高権力者であった北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。
当時、日本では、飢餓、疫病、地震、気象の異常など、災難が相次いでいました。本書を御執筆された動機は、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」です。大聖人は、こうした災難の原因を諸経典に照らして洞察され、その根源に国を挙げての謗法、すなわち正法に背いている事実があることを究明されました。
題号の「立正安国」は、「正を立て、国を安んず」と読みます。大聖人は、国土の平和を実現するためには、根源の悪である謗法を断ち切り、人々の心に正法を打ち立てる以外にないと、本書を著され、時の最高権力者に提出されたのです。
本書で大聖人は、災難の元凶として、当時、特に隆盛を誇っていた念仏を強く破折されています。そして、このまま謗法が続けば、三災七難のうち、まだ起こっていない「自界叛逆難」(内乱)と「他国侵逼難」(外国の侵略)の二難が必ず起こると警告され、「実乗の一善」に帰依するよう促されています。
◇立正安国
日蓮大聖人は、平和実現のための原理を「立正安国論」の中で示されました。
「立正安国」の「立正」とは、人々が人生のよりどころとして正法を信受することであり、また仏法の生命尊厳の理念が、社会を動かす基本の原理として確立されることです。
「安国」とは、社会の平和・繁栄と人々の生活の安穏を実現することです。
「立正安国論」における「国」とは、権力を中心にした統治機構という面とともに、より深く、民衆の生活の基盤として捉えられています。その意味で、人間が形成している社会体制だけでなく、自然環境の国土も含まれます。
大聖人が民衆を中心に国を捉えられていたことは、「立正安国論」の御真筆において、国を意味する漢字を書かれる多くの場合に、国構えに民と書く「?」の字を用いられていることからも、うかがうことができます。
「立正安国論」は、直接的には当時の日本の安国の実現のために著された書ですが、その根底となっている精神は、民衆の安穏の実現にあり、したがって未来永遠にわたる全世界の平和と人々の幸せを実現することにあります。
大聖人が、当時の人々の苦悩を解決するため、「立正安国論」を著し、権力者を諫められたこと自体、仏法を行ずる者は、ただ自身の成仏を祈って信仰していればよいのではなく、仏法の理念・精神を根本にして、積極的に社会の課題に関わっていくべきことを身をもって示されたものと拝察できます。
創価学会が、今日、仏法の理念を根本に、平和・文化・教育・人権などの分野で行動しているのも、「立正安国」の法理と精神に基づく実践にほかなりません。
◇「実乗の一善」
「実乗の一善」とは、一人一人が帰依すべき正法を示しています。
「実乗」とは法華経であり、「一善」とは「唯一の善」「根本の善」という意味です。すなわち、人間に真の幸福をもたらす妙法こそが根本の善の教えであり、「実乗の一善」です。
妙法は、"一切衆生は本来、仏なり"と教える、最高の人間尊重の大法です。仏法は、全ての人に絶対の尊厳性と限りない可能性を見いだす"人間主義の哲学"にほかなりません。
池田先生は述べています。
「いわば、『実乗の一善に帰せよ』とは、『偏頗な生命観、人間観を排して、生命の尊厳に立ち返れ』『エゴを破り、慈悲を生き方の規範にせよ』『真実の人間主義に立脚せよ』との指南といってよい」
「実乗の一善」とは、広げて言えば"仏法に基づく人間主義"ということができます。これこそ、人々の幸福と社会の繁栄を実現しゆく普遍の哲理なのです。
◇大聖人の弘教の根本目的
日蓮大聖人の生涯にわたる行動は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれます。
幕府や既成の宗教勢力からの大聖人に対する迫害が本格化するのは、「立正安国論」の提出が契機でした。法然の念仏を強く破折する「立正安国論」の提出からほどなく、念仏者たちが、鎌倉の大聖人の草庵を襲うという松葉ケ谷の法難が起きました。
さらに、翌・弘長元年(1261年)の伊豆流罪など、命の危険にさらされる迫害を受けても、立正安国を願う大聖人の御覚悟が揺らぐことはありませんでした。
大聖人は「立正安国論」で「自界叛逆難」「他国侵逼難」を予言されています。大聖人は、この二難が決して現実のものとならないように、権力者を諫め続けられましたが、用いられることはなく、文永8年(1271年)には、竜の口の法難、佐渡流罪に遭われます。この流罪のさなかに、「自界叛逆難」が二月騒動(北条時輔の乱)として的中。赦免直後には、「他国侵逼難」が蒙古の襲来によって現実のものとなります。
大聖人が御入滅の直前、弘安5年(1282年)9月に武蔵国池上(東京都大田区池上)で最後に講義されたのも、「立正安国論」でした。このように、大聖人の御生涯は「立正安国論」を中心に展開しました。立正安国の実現こそ、大聖人の弘教の根本目的だったのです。
◇池田先生の指針から 生命尊厳の理念が脈打つ世界に
心を変革して、いかなる理念に基づいていくべきなのか。大聖人は、それを「実乗の一善」と仰せです。
「実乗の一善」とは、法華経の根本善ということであり、すべての民衆が、それぞれ自身に具わっている仏性を開いて成仏することができるという法理です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻)
◇ ◆ ◇
「立正」とは、まず、一人の人間の心の次元の変革にかかわります。自身に内在する「根本善」に目覚め、胸中に法華経の「人間尊敬」「生命尊厳」の哲理を確立し、生き方の根底の哲学とすることです。この目覚めた人の行動によってこそ、法華経の哲理は、社会を支え、動かす原理として確立されていくのです。
そして、社会に平和の精神基盤を築くことが「立正」の肝要である以上、生命尊厳のため、平和のために、志を同じくする人々や団体と共に立ち上がるのは当然です。決して排他的なものではありません。
何よりも大事なのは「立正」を貫く一人ひとりを育てることです。一人の「立正」の人が立ち上がることで、周囲を善の方向へ、平和の方向へと変革していくことができます。そうした使命を担う師子王の如き人材を輩出することが「立正」の帰結なのです。
また、立正安国の「国」とは、民衆が住む国土のことであり、私たちが目指す安国とは、仏国土を実現して民衆のための安穏の国土を建設することです。(中略)
「安国」の本義は、国家主義の対極にあり、世界に広々と開かれたものです。それと共に、「安国」とは、未来にも開かれています。仏国、すなわち仏の国土とは、「一閻浮提」に及び、永続するものだからです。
「仏国」とは、「生命尊厳」「人間尊敬」という仏法の精神が生き生きと脈打つ社会であり、自他共の幸福の実現という思想が重んじられる世界のことです。(同)
◇参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
○…『池田大作全集』第25・26巻(同)
○…『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために——立正安国論』(同)
○…『現代語訳 立正安国論』(同)
○…『御書の世界』第1巻、「立正安国」上下(同)
○…小説『新・人間革命』第4巻、「立正安国」の章(同)
創価の「負けじ魂」は
人類の希望の哲学だ。
広布と人生の坂を
勇敢に超えゆけ!
青年よ 不撓不屈たれ!
2017年4月9日
窪尼御前御返事 P1483
『三千大千世界に七日ふる雨のかずはかずへつくしてん、十方世界の大地のちりは知る人もありなん、法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ仏はとかせ給いて候へ』
☆女性に贈ることば 四月九日
人間にとって、信用ほど大切なものはない。信用こそが最高の財産である。信用されない人は、いつしか、わびしい孤触の敗北者となっていく。
☆今日のことば365 四月九日
経験を総括し、次の発明、発見をしていくことだ
それが新しい時代を構築する決め手である
☆新時代を進む 第7回 いざ爛漫と創価桜の道を 2017年3月27日
師弟誓願の3月から「4・2」「5・3」へ、我ら創価は勝利のリズムで進む。総本部の青年桜も開花し、各地から集われる尊き友が笑顔で仰ぐ季節となった。
年々歳々、「冬は必ず春となる」との希望の劇を宝友と飾りながら、恩師・戸田城聖先生の祥月命日を迎えられることに感無量である。
アメリカSGIの初代から第4代まで歴代の婦人部長・書記長たちも、仲睦まじく来日された。世界広布の道なき道を、共々に開いてくれたパイオニアである。
妻と一緒に懐かしい再会をすることができた(25日、戸田記念国際会館で)。
皆、健康長寿と幸福和楽の実証を示しながら、姉妹のように、母娘のように、麗しく後輩を慈しみ、人材の流れを築いてくれている。
「アメリカは大勝利します!」との若々しい心意気が、何より嬉しかった。
全世界に輝き広がる創価家族の功徳満開の晴れ姿を、恩師もどれほどお喜びくださるであろうか。
— ◇ —
日蓮大聖人は門下の先駆の功労を讃えられ、「国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし」(御書1241ページ)と仰せになられた。
法のため、友のため、社会のため、苦難に怯まず、広布に生き抜く福運は無量だ。時とともに、いやまし光る。
学会活動には、何一つとして無駄はない。あらゆる苦労が、最極の「今生人界の思出」となり、自身と一家眷属の「人間革命」の力となる。さらには愛する地域と国土の「立正安国」へとつながっていくのだ。
— ◇ —
法華経には「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経575ページ)と。
苦悩の絶えない社会にあって、生命尊厳の大哲学を持ち、希望と勇気の光を送りゆく地涌の友の使命は、いかに大きく誇り高いか。
"どうすれば組織が盛り上がるか"と悩む青年を、私は励ましたことがある。
——君自身が燃えていればいいんだよ。一人の信心が、一人の成仏が、最後には全てを変えるんだから、と。
一人から一切は始まる。自分が太陽となれば、いかなる闇も消え去るのだ。
今の祈りと行動が種となって、必ず勝利の花を咲かせる。生き生きと友情と仏縁を広げ、いざ爛漫と創価桜の道を開きゆこう!
☆4月度座談会拝読御書 立正安国論 2017年4月4日
◇拝読御文
『汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん』
◇本書について
本書は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、鎌倉幕府の実質的な最高権力者であった北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。
当時、日本では、飢餓、疫病、地震、気象の異常など、災難が相次いでいました。本書を御執筆された動機は、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」です。大聖人は、こうした災難の原因を諸経典に照らして洞察され、その根源に国を挙げての謗法、すなわち正法に背いている事実があることを究明されました。
題号の「立正安国」は、「正を立て、国を安んず」と読みます。大聖人は、国土の平和を実現するためには、根源の悪である謗法を断ち切り、人々の心に正法を打ち立てる以外にないと、本書を著され、時の最高権力者に提出されたのです。
本書で大聖人は、災難の元凶として、当時、特に隆盛を誇っていた念仏を強く破折されています。そして、このまま謗法が続けば、三災七難のうち、まだ起こっていない「自界叛逆難」(内乱)と「他国侵逼難」(外国の侵略)の二難が必ず起こると警告され、「実乗の一善」に帰依するよう促されています。
◇立正安国
日蓮大聖人は、平和実現のための原理を「立正安国論」の中で示されました。
「立正安国」の「立正」とは、人々が人生のよりどころとして正法を信受することであり、また仏法の生命尊厳の理念が、社会を動かす基本の原理として確立されることです。
「安国」とは、社会の平和・繁栄と人々の生活の安穏を実現することです。
「立正安国論」における「国」とは、権力を中心にした統治機構という面とともに、より深く、民衆の生活の基盤として捉えられています。その意味で、人間が形成している社会体制だけでなく、自然環境の国土も含まれます。
大聖人が民衆を中心に国を捉えられていたことは、「立正安国論」の御真筆において、国を意味する漢字を書かれる多くの場合に、国構えに民と書く「?」の字を用いられていることからも、うかがうことができます。
「立正安国論」は、直接的には当時の日本の安国の実現のために著された書ですが、その根底となっている精神は、民衆の安穏の実現にあり、したがって未来永遠にわたる全世界の平和と人々の幸せを実現することにあります。
大聖人が、当時の人々の苦悩を解決するため、「立正安国論」を著し、権力者を諫められたこと自体、仏法を行ずる者は、ただ自身の成仏を祈って信仰していればよいのではなく、仏法の理念・精神を根本にして、積極的に社会の課題に関わっていくべきことを身をもって示されたものと拝察できます。
創価学会が、今日、仏法の理念を根本に、平和・文化・教育・人権などの分野で行動しているのも、「立正安国」の法理と精神に基づく実践にほかなりません。
◇「実乗の一善」
「実乗の一善」とは、一人一人が帰依すべき正法を示しています。
「実乗」とは法華経であり、「一善」とは「唯一の善」「根本の善」という意味です。すなわち、人間に真の幸福をもたらす妙法こそが根本の善の教えであり、「実乗の一善」です。
妙法は、"一切衆生は本来、仏なり"と教える、最高の人間尊重の大法です。仏法は、全ての人に絶対の尊厳性と限りない可能性を見いだす"人間主義の哲学"にほかなりません。
池田先生は述べています。
「いわば、『実乗の一善に帰せよ』とは、『偏頗な生命観、人間観を排して、生命の尊厳に立ち返れ』『エゴを破り、慈悲を生き方の規範にせよ』『真実の人間主義に立脚せよ』との指南といってよい」
「実乗の一善」とは、広げて言えば"仏法に基づく人間主義"ということができます。これこそ、人々の幸福と社会の繁栄を実現しゆく普遍の哲理なのです。
◇大聖人の弘教の根本目的
日蓮大聖人の生涯にわたる行動は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれます。
幕府や既成の宗教勢力からの大聖人に対する迫害が本格化するのは、「立正安国論」の提出が契機でした。法然の念仏を強く破折する「立正安国論」の提出からほどなく、念仏者たちが、鎌倉の大聖人の草庵を襲うという松葉ケ谷の法難が起きました。
さらに、翌・弘長元年(1261年)の伊豆流罪など、命の危険にさらされる迫害を受けても、立正安国を願う大聖人の御覚悟が揺らぐことはありませんでした。
大聖人は「立正安国論」で「自界叛逆難」「他国侵逼難」を予言されています。大聖人は、この二難が決して現実のものとならないように、権力者を諫め続けられましたが、用いられることはなく、文永8年(1271年)には、竜の口の法難、佐渡流罪に遭われます。この流罪のさなかに、「自界叛逆難」が二月騒動(北条時輔の乱)として的中。赦免直後には、「他国侵逼難」が蒙古の襲来によって現実のものとなります。
大聖人が御入滅の直前、弘安5年(1282年)9月に武蔵国池上(東京都大田区池上)で最後に講義されたのも、「立正安国論」でした。このように、大聖人の御生涯は「立正安国論」を中心に展開しました。立正安国の実現こそ、大聖人の弘教の根本目的だったのです。
◇池田先生の指針から 生命尊厳の理念が脈打つ世界に
心を変革して、いかなる理念に基づいていくべきなのか。大聖人は、それを「実乗の一善」と仰せです。
「実乗の一善」とは、法華経の根本善ということであり、すべての民衆が、それぞれ自身に具わっている仏性を開いて成仏することができるという法理です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻)
◇ ◆ ◇
「立正」とは、まず、一人の人間の心の次元の変革にかかわります。自身に内在する「根本善」に目覚め、胸中に法華経の「人間尊敬」「生命尊厳」の哲理を確立し、生き方の根底の哲学とすることです。この目覚めた人の行動によってこそ、法華経の哲理は、社会を支え、動かす原理として確立されていくのです。
そして、社会に平和の精神基盤を築くことが「立正」の肝要である以上、生命尊厳のため、平和のために、志を同じくする人々や団体と共に立ち上がるのは当然です。決して排他的なものではありません。
何よりも大事なのは「立正」を貫く一人ひとりを育てることです。一人の「立正」の人が立ち上がることで、周囲を善の方向へ、平和の方向へと変革していくことができます。そうした使命を担う師子王の如き人材を輩出することが「立正」の帰結なのです。
また、立正安国の「国」とは、民衆が住む国土のことであり、私たちが目指す安国とは、仏国土を実現して民衆のための安穏の国土を建設することです。(中略)
「安国」の本義は、国家主義の対極にあり、世界に広々と開かれたものです。それと共に、「安国」とは、未来にも開かれています。仏国、すなわち仏の国土とは、「一閻浮提」に及び、永続するものだからです。
「仏国」とは、「生命尊厳」「人間尊敬」という仏法の精神が生き生きと脈打つ社会であり、自他共の幸福の実現という思想が重んじられる世界のことです。(同)
◇参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社)
○…『池田大作全集』第25・26巻(同)
○…『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために——立正安国論』(同)
○…『現代語訳 立正安国論』(同)
○…『御書の世界』第1巻、「立正安国」上下(同)
○…小説『新・人間革命』第4巻、「立正安国」の章(同)
2017年4月8日土曜日
2017.04.08 わが友に贈る
車を運転する際
飲酒や携帯使用は厳禁!
法令を守って安全に。
油断・過信・疲労など
心の隙に魔が競う。
月満御前御書 P1110
『若童生れさせ給いし由承り候目出たく覚へ候、殊に今日は八日にて候、彼れと云い此れと云い所願しをの指すが如く春の野に華の開けるが如し、然ればいそぎいそぎ名をつけ奉る』
☆女性に贈ることば 四月八日
心の大地に深く板を張った人生か。それとも人の日をたえず気にして生きる人生か−−。
人生の基準は、自分自身にある。自身の胸中宣こそある。
☆今日のことば365 四月八日
苦難の嵐に立ち向かった方が、青年は生き甲斐がある場合が多いものだ。次の嵐に再び向かって進もう。それが、建設しゆく青年の、勇敢さと、情熱の発露だ。
☆御書と歩む 第58回 未来部員は世界の宝
『経王御前を儲させ給いて候へば現世には跡をつぐべき孝子なり後生には又導かれて仏にならせ給うべし』(経王御前御書、1123ページ)
◇通解
経王御前をもうけられたので、現世には、必ず跡を継ぐ孝子である。また、後生には、この子に導かれて仏に成られるであろう。
◇同志への指針
御本仏は、門下の後継の誕生を、これほどまでに喜ばれている。未来部が、いかに偉大な「令法久住」の宝か。一人の未来っ子の生命から、明日の希望の世界が広がる。人類を仏の境涯へ高めゆく使命を帯びているのだ。
だからこそ、一人一人の声に耳を傾け、最大に褒め讃えたい。入学・進級など新たな出発の春。はつらつたる前進と成長を皆で応援しよう!
飲酒や携帯使用は厳禁!
法令を守って安全に。
油断・過信・疲労など
心の隙に魔が競う。
月満御前御書 P1110
『若童生れさせ給いし由承り候目出たく覚へ候、殊に今日は八日にて候、彼れと云い此れと云い所願しをの指すが如く春の野に華の開けるが如し、然ればいそぎいそぎ名をつけ奉る』
☆女性に贈ることば 四月八日
心の大地に深く板を張った人生か。それとも人の日をたえず気にして生きる人生か−−。
人生の基準は、自分自身にある。自身の胸中宣こそある。
☆今日のことば365 四月八日
苦難の嵐に立ち向かった方が、青年は生き甲斐がある場合が多いものだ。次の嵐に再び向かって進もう。それが、建設しゆく青年の、勇敢さと、情熱の発露だ。
☆御書と歩む 第58回 未来部員は世界の宝
『経王御前を儲させ給いて候へば現世には跡をつぐべき孝子なり後生には又導かれて仏にならせ給うべし』(経王御前御書、1123ページ)
◇通解
経王御前をもうけられたので、現世には、必ず跡を継ぐ孝子である。また、後生には、この子に導かれて仏に成られるであろう。
◇同志への指針
御本仏は、門下の後継の誕生を、これほどまでに喜ばれている。未来部が、いかに偉大な「令法久住」の宝か。一人の未来っ子の生命から、明日の希望の世界が広がる。人類を仏の境涯へ高めゆく使命を帯びているのだ。
だからこそ、一人一人の声に耳を傾け、最大に褒め讃えたい。入学・進級など新たな出発の春。はつらつたる前進と成長を皆で応援しよう!
2017年4月7日金曜日
2017.04.07 わが友に贈る
いかなる戦いもまず
「絶対にやり抜く」と
決めて祈って動く。
この必勝の方程式で
新たな歴史をつくれ!
妙法尼御前御返事 P1403
『此の経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候』
☆女性に贈ることば 四月七日
日々新鮮な魂で
喜び舞いゆくあなたよ!
悲しむこともなく
負けることもなく
今日も愉快に勝ち進む
あなたの名は
「幸福博士」だ
☆今日のことば365 四月七日
自分の境遇がどうあれ、過去がどうあれ、未来を築きゆく運命の星は、ほかならぬ自分自身の胸中にある。
☆四季の励まし きょう4・2 師匠をもつ人生は幸福 2017年4月2日
師匠をもつことが、
どれほど尊く、ありがたいことか。
動物は師匠をもてない。
人間だけが、
師匠をもつことができる。
師匠をもつことこそ、
人生の最重要事である。
師弟の道を
真っすぐに生きる人生が、
永遠に向上できる
「最高に幸福な人生」なのである。
師弟とは
物理的な触れ合いのなかに
あるのではない。
心に師をいだき、
その師に誓い、
それを成就しようとする、
必死の精進と
闘争のなかにこそある。
私は今でも、日に何度となく、
師と心で対話している。
一つ一つの問題に対して、
戸田先生なら
どうされるかを常に考えている。
また、自分の行動や
決断をご覧になったら、
先生は喜ばれるか、
悲しまれるか、
日々、自分に問いかけている。
師をもつということは、
自分の生き方の
規範をもつことであり、
教育の根幹をなすものである。
長く厳しい
冬を耐え忍んだ「陰徳」ありて、
春の桜はひときわ美しく、
凜然と「陽報」の花を咲かせる。
人が見ていようがいまいが、
妙法と共に、
師匠と共に、
尊き使命に徹する。
その生命は必ず
外界の状況をも揺り動かし、
希望桜、勝利桜を
咲かせていくことができるのだ。
きょう4月2日は、第2代会長・戸田城聖先生の祥月命日である。戸田先生は広宣流布の一切の願業を達成し、1958年(昭和33年)のこの日、万朶の桜に包まれ、霊山へ旅立った。
50年後の2008年(平成20年)4月。池田大作先生は、牧口記念庭園(東京・八王子市)に立ち、恩師・戸田先生が愛した桜に、カメラを向けた。雲一つない青空に輝く桜花を、恩師の胸像も見守っていた。
厳寒の冬を耐え、春の到来を告げる桜。その美しい姿は、幾多の苦難を乗り越え、栄光の春を勝ち開いてきた「創価の師弟」の姿と重なる。
さあ、創価後継の誇りも高く、功徳満開の人生を開きゆこう。師と共に、同志と共に——。
「絶対にやり抜く」と
決めて祈って動く。
この必勝の方程式で
新たな歴史をつくれ!
妙法尼御前御返事 P1403
『此の経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候』
☆女性に贈ることば 四月七日
日々新鮮な魂で
喜び舞いゆくあなたよ!
悲しむこともなく
負けることもなく
今日も愉快に勝ち進む
あなたの名は
「幸福博士」だ
☆今日のことば365 四月七日
自分の境遇がどうあれ、過去がどうあれ、未来を築きゆく運命の星は、ほかならぬ自分自身の胸中にある。
☆四季の励まし きょう4・2 師匠をもつ人生は幸福 2017年4月2日
師匠をもつことが、
どれほど尊く、ありがたいことか。
動物は師匠をもてない。
人間だけが、
師匠をもつことができる。
師匠をもつことこそ、
人生の最重要事である。
師弟の道を
真っすぐに生きる人生が、
永遠に向上できる
「最高に幸福な人生」なのである。
師弟とは
物理的な触れ合いのなかに
あるのではない。
心に師をいだき、
その師に誓い、
それを成就しようとする、
必死の精進と
闘争のなかにこそある。
私は今でも、日に何度となく、
師と心で対話している。
一つ一つの問題に対して、
戸田先生なら
どうされるかを常に考えている。
また、自分の行動や
決断をご覧になったら、
先生は喜ばれるか、
悲しまれるか、
日々、自分に問いかけている。
師をもつということは、
自分の生き方の
規範をもつことであり、
教育の根幹をなすものである。
長く厳しい
冬を耐え忍んだ「陰徳」ありて、
春の桜はひときわ美しく、
凜然と「陽報」の花を咲かせる。
人が見ていようがいまいが、
妙法と共に、
師匠と共に、
尊き使命に徹する。
その生命は必ず
外界の状況をも揺り動かし、
希望桜、勝利桜を
咲かせていくことができるのだ。
きょう4月2日は、第2代会長・戸田城聖先生の祥月命日である。戸田先生は広宣流布の一切の願業を達成し、1958年(昭和33年)のこの日、万朶の桜に包まれ、霊山へ旅立った。
50年後の2008年(平成20年)4月。池田大作先生は、牧口記念庭園(東京・八王子市)に立ち、恩師・戸田先生が愛した桜に、カメラを向けた。雲一つない青空に輝く桜花を、恩師の胸像も見守っていた。
厳寒の冬を耐え、春の到来を告げる桜。その美しい姿は、幾多の苦難を乗り越え、栄光の春を勝ち開いてきた「創価の師弟」の姿と重なる。
さあ、創価後継の誇りも高く、功徳満開の人生を開きゆこう。師と共に、同志と共に——。
2017.04.06 わが友に贈る
頑張れフレッシュマン!
「誠実」「忍耐」「真剣」
この3点を貫く人に
信用という財産は輝く。
皆の健康と栄光を祈る!
月水御書 P1199
『仏の智慧のありがたさは此の三千大千世界に七日若しは二七日なんどふる雨の数をだにもしろしめして御坐候なるが只法華経の一字を唱えたる人の功徳をのみ知しめさずと見えたり』
☆女性に贈ることば 四月六日
子どもが楽しく喜んで学校に通うことができるかどうかは、長初のスタートにかかっています。
わずかの時間でも、お母さんが笑顔で送り出し、また子どものほうから何か話しかけてきた時には、決して面倒がらずに、しっかり耳を傾けてあげること。それが、どれだけ子どもの心を安定させるか、計り知れません。
☆今日のことば365 四月六日
青春は人生の花である。それが、生命の自然のあり方であり、当然すぎるほどの道理でもあろう。人間のつくり出した文化は、青春から、喜びを奪い、苦痛に満ちた灰色の世界に変えてしまった。自然の道理をゆがめている、このような文化が、正しいものであるか、どうか。私は疑問を抱かずにはいられない。
☆ブラジル アクレ連邦大学の「名誉博士号」授与式から池田先生の謝辞 2017年3月29日
◇地球の未来へ平和と共生の大河を
一、今、私のまぶたには、地球という「生命の星」の呼吸を絶え間なく支え続けてくれている、アマゾンの大森林が映じております。
かけがえのない、この緑輝く大地にそびえ立ち、地域の繁栄と民衆の幸福、そして自然環境の保護に尽くされゆく偉大な知性と教育の殿堂こそ、貴アクレ連邦大学であります。
光栄にも、本日、私は、貴大学から名誉博士号を賜りました。
この最高に誉れある英知の宝冠を、ここに出席されている敬愛してやまないブラジルの同志、また、留学生の皆さん、さらには、ブラジル創価学園をはじめ、全世界の大樹と育ちゆく創価の若人たちと共に拝受させていただきます。
誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。
貴大学の名誉ある一員とさせていただくに当たり、私は、その高邁な理念と歴史を学び、深い感慨と感動を禁じ得ませんでした。それは、地球の反対側に位置する、わが創価大学の建学の精神とも、不思議なほどに響き合っているからであります。
今年の1月に発表した平和提言で、私は、社会の"希望と安心の港"たる大学の連帯を呼びかけました。
貴大学と手を携えて、私たちは地球的な課題の打開に、さらに力強く挑戦してまいりたい。ここでは、その決意を3点、申し上げたいと思います。
◇生命の大地を一段と豊かに
一、第一に、「民衆の生命の豊かなる大地を」ということであります。
貴大学の淵源は、1964年。アクレ州の地域の発展と民衆の生活向上を目指し、向学の人すべてに門戸を開いていかれました。以来、半世紀を超え、その信念は、いやまして民衆のための最高学府を輝かせているのであります。
貴大学は、貧困にあえぐ人々やアマゾンの密林の遠隔地にも、学習機会を提供するなど、民衆奉仕の大学として、さまざまな工夫と努力を重ねてこられました。
大学の誇りを語られたキンパラ総長の真情が、私の胸に熱く迫ってきます。
——経済的な理由で充実した教育を受けられなかった家庭の子弟たちが、このキャンパスで学問を修め、使命の舞台へと飛翔しゆく姿を目の当たりにすることこそが、最大の喜びである、と。
思えば、わが創価教育の父である牧口常三郎先生も、20世紀の初頭に、女性のための通信教育を、いち早く推進されました。
「子どもの幸福のための教育」を掲げられた先生は、東京・下町の小学校長として、お腹をすかせた児童を案じ、先駆的な無料給食も実施されています。
不二の弟子である戸田城聖先生も、「どんな子も優等生にしてみせる」との気概に燃えた大教育者でした。
第2次世界大戦中、両先生は人権蹂躙の軍国主義と対峙して投獄され、高齢の牧口先生は壮絶な獄死を遂げました。
生きて獄を出た後継の戸田先生は、戦乱の流転を止め、この世の悲惨を無くさんとの誓いをもって、生命尊厳の哲学に立脚した人材を、一人また一人、育成していったのであります。
この人間教育の熱願を受け継ぎ、私が創立したのが、創価大学であります。
うれしいことに、今回の看護師国家試験に、わが創大看護学部の初の受験生75人が全員、見事に合格を果たしてくれました(大拍手)。
誉れの第1期生の尊き奮闘を心から讃嘆したい。とともに、この席をお借りして、薫陶してくださった先生方、職員の方々、そして陰に陽に、真心の応援をしてくださっている方々に、厚く厚く御礼を申し上げたいのであります。
4月からは、国連難民高等弁務官事務所との協定により、難民の留学生の方も受け入れる運びとなっております。
貴大学と共々に、民衆の生命の大地を一段と豊かに育みながら、世界市民の希望の連帯を広げていきたいと思うのであります。
◇森林を守るのは人類を守ること
一、第二に申し上げたいのは、「平和と共生の滔々たる大河を」ということであります。
貴大学は、「地域社会の発展につながる知識の生産と普及」を標榜され、とりわけ自然との共生の英知を重視してこられました。
「エコロジーと自然資源の管理」「アマゾンのための科学・技術革新」「西アマゾンの持続可能な衛生と畜産」など、多様な生命の宝庫であるアマゾンの環境を守り、未来の人類へ伝え託しゆくためのプログラムを推進されていることも、よく伺っております。
わが創価大学も、2003年に環境共生工学科を設置。15年には、共生創造理工学科に発展し、持続可能な地球社会の構築に貢献しゆく人材を育成してきました。アメリカ創価大学でも、「自然と人間の共生の指導者育成」を指針とし、「環境教育」の集中コースが設けられております。
貴アクレ州の出身で、「アマゾンのマハトマ・ガンジー」とうたわれる環境運動の指導者シコ・メンデス氏は、「熱帯雨林を守る戦い」は、実は「人類を守るための戦い」なり、と宣言されました。
そして、平和を求め、勇敢なる非暴力の闘争を貫かれたのであります。
自然環境を守り抜く挑戦は、そのまま人類生存への知恵と勇気を結集する戦いでもありましょう。
戦時中、若き私は、大好きな桜をはじめ、木が無残に切られていくのを目の当たりにしました。
戦争は最大の環境破壊です。だからこそ、私は木を一本また一本、大切に植樹しながら、ここ創大のキャンパスをはじめ、桜に彩られゆく平和の城を築いてきたのであります。
アマゾンの森林保護に大きな貢献を果たされている貴大学から学びながら、平和と共生の大河を、アマゾン川の如く滔々と流れ通わせていきたいと、私は願ってやみません。
◇交流と相互理解が悪に打ち勝つ力
一、第三に、「対話の文化で人間性の凱歌を」と申し上げたい。
貴大学と創価大学の共鳴し合う精神に、「対話」を重んずる教育があります。
キンパラ総長は、「対話こそ、大学を強化し続けるための唯一無二の道であると確信する」と明言され、まさしく開かれた対話の力で、貴大学の躍進を勝ち取ってこられたのであります。
私は心から感銘いたしました。
私がご一緒に対談集を発刊したブラジル文学アカデミーの総裁で、人道の獅子であられたアタイデ氏も、遺言の如く語られました。
「すべての悪の脅威に打ち勝つものは、『対話』による相互理解と連帯の力である」と。
残念ながら、今、世界は至るところで「分断」の亀裂を深め、暴力の噴出に直面しております。
なればこそ、私たちは、いよいよ「対話の文化」を基軸とし、世界の大学の交流を広げ、人間性の勝利を打ち立てていきたいと思うのであります。
その決心を、私は、素晴らしき貴アクレ州の州歌の一節に託し、ささげます。
「我々は、変わらぬ力で再び戦うのだ。
屈せず、倒れず、恐れず!
そして、この地域から、我らは轟かせるのだ。
勇敢なる凱歌を!
これこそ、ブラジル全土に響き渡る
アマゾンの叫びとなるのだ!」
終わりに、愛する心の母校・貴大学の栄光と発展、そして、愛する魂の祖国・ブラジルの永遠無窮の隆盛を強く強くお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変に、ありがとうございました!」)(大拍手)
「誠実」「忍耐」「真剣」
この3点を貫く人に
信用という財産は輝く。
皆の健康と栄光を祈る!
月水御書 P1199
『仏の智慧のありがたさは此の三千大千世界に七日若しは二七日なんどふる雨の数をだにもしろしめして御坐候なるが只法華経の一字を唱えたる人の功徳をのみ知しめさずと見えたり』
☆女性に贈ることば 四月六日
子どもが楽しく喜んで学校に通うことができるかどうかは、長初のスタートにかかっています。
わずかの時間でも、お母さんが笑顔で送り出し、また子どものほうから何か話しかけてきた時には、決して面倒がらずに、しっかり耳を傾けてあげること。それが、どれだけ子どもの心を安定させるか、計り知れません。
☆今日のことば365 四月六日
青春は人生の花である。それが、生命の自然のあり方であり、当然すぎるほどの道理でもあろう。人間のつくり出した文化は、青春から、喜びを奪い、苦痛に満ちた灰色の世界に変えてしまった。自然の道理をゆがめている、このような文化が、正しいものであるか、どうか。私は疑問を抱かずにはいられない。
☆ブラジル アクレ連邦大学の「名誉博士号」授与式から池田先生の謝辞 2017年3月29日
◇地球の未来へ平和と共生の大河を
一、今、私のまぶたには、地球という「生命の星」の呼吸を絶え間なく支え続けてくれている、アマゾンの大森林が映じております。
かけがえのない、この緑輝く大地にそびえ立ち、地域の繁栄と民衆の幸福、そして自然環境の保護に尽くされゆく偉大な知性と教育の殿堂こそ、貴アクレ連邦大学であります。
光栄にも、本日、私は、貴大学から名誉博士号を賜りました。
この最高に誉れある英知の宝冠を、ここに出席されている敬愛してやまないブラジルの同志、また、留学生の皆さん、さらには、ブラジル創価学園をはじめ、全世界の大樹と育ちゆく創価の若人たちと共に拝受させていただきます。
誠に誠に、ありがとうございました(大拍手)。
貴大学の名誉ある一員とさせていただくに当たり、私は、その高邁な理念と歴史を学び、深い感慨と感動を禁じ得ませんでした。それは、地球の反対側に位置する、わが創価大学の建学の精神とも、不思議なほどに響き合っているからであります。
今年の1月に発表した平和提言で、私は、社会の"希望と安心の港"たる大学の連帯を呼びかけました。
貴大学と手を携えて、私たちは地球的な課題の打開に、さらに力強く挑戦してまいりたい。ここでは、その決意を3点、申し上げたいと思います。
◇生命の大地を一段と豊かに
一、第一に、「民衆の生命の豊かなる大地を」ということであります。
貴大学の淵源は、1964年。アクレ州の地域の発展と民衆の生活向上を目指し、向学の人すべてに門戸を開いていかれました。以来、半世紀を超え、その信念は、いやまして民衆のための最高学府を輝かせているのであります。
貴大学は、貧困にあえぐ人々やアマゾンの密林の遠隔地にも、学習機会を提供するなど、民衆奉仕の大学として、さまざまな工夫と努力を重ねてこられました。
大学の誇りを語られたキンパラ総長の真情が、私の胸に熱く迫ってきます。
——経済的な理由で充実した教育を受けられなかった家庭の子弟たちが、このキャンパスで学問を修め、使命の舞台へと飛翔しゆく姿を目の当たりにすることこそが、最大の喜びである、と。
思えば、わが創価教育の父である牧口常三郎先生も、20世紀の初頭に、女性のための通信教育を、いち早く推進されました。
「子どもの幸福のための教育」を掲げられた先生は、東京・下町の小学校長として、お腹をすかせた児童を案じ、先駆的な無料給食も実施されています。
不二の弟子である戸田城聖先生も、「どんな子も優等生にしてみせる」との気概に燃えた大教育者でした。
第2次世界大戦中、両先生は人権蹂躙の軍国主義と対峙して投獄され、高齢の牧口先生は壮絶な獄死を遂げました。
生きて獄を出た後継の戸田先生は、戦乱の流転を止め、この世の悲惨を無くさんとの誓いをもって、生命尊厳の哲学に立脚した人材を、一人また一人、育成していったのであります。
この人間教育の熱願を受け継ぎ、私が創立したのが、創価大学であります。
うれしいことに、今回の看護師国家試験に、わが創大看護学部の初の受験生75人が全員、見事に合格を果たしてくれました(大拍手)。
誉れの第1期生の尊き奮闘を心から讃嘆したい。とともに、この席をお借りして、薫陶してくださった先生方、職員の方々、そして陰に陽に、真心の応援をしてくださっている方々に、厚く厚く御礼を申し上げたいのであります。
4月からは、国連難民高等弁務官事務所との協定により、難民の留学生の方も受け入れる運びとなっております。
貴大学と共々に、民衆の生命の大地を一段と豊かに育みながら、世界市民の希望の連帯を広げていきたいと思うのであります。
◇森林を守るのは人類を守ること
一、第二に申し上げたいのは、「平和と共生の滔々たる大河を」ということであります。
貴大学は、「地域社会の発展につながる知識の生産と普及」を標榜され、とりわけ自然との共生の英知を重視してこられました。
「エコロジーと自然資源の管理」「アマゾンのための科学・技術革新」「西アマゾンの持続可能な衛生と畜産」など、多様な生命の宝庫であるアマゾンの環境を守り、未来の人類へ伝え託しゆくためのプログラムを推進されていることも、よく伺っております。
わが創価大学も、2003年に環境共生工学科を設置。15年には、共生創造理工学科に発展し、持続可能な地球社会の構築に貢献しゆく人材を育成してきました。アメリカ創価大学でも、「自然と人間の共生の指導者育成」を指針とし、「環境教育」の集中コースが設けられております。
貴アクレ州の出身で、「アマゾンのマハトマ・ガンジー」とうたわれる環境運動の指導者シコ・メンデス氏は、「熱帯雨林を守る戦い」は、実は「人類を守るための戦い」なり、と宣言されました。
そして、平和を求め、勇敢なる非暴力の闘争を貫かれたのであります。
自然環境を守り抜く挑戦は、そのまま人類生存への知恵と勇気を結集する戦いでもありましょう。
戦時中、若き私は、大好きな桜をはじめ、木が無残に切られていくのを目の当たりにしました。
戦争は最大の環境破壊です。だからこそ、私は木を一本また一本、大切に植樹しながら、ここ創大のキャンパスをはじめ、桜に彩られゆく平和の城を築いてきたのであります。
アマゾンの森林保護に大きな貢献を果たされている貴大学から学びながら、平和と共生の大河を、アマゾン川の如く滔々と流れ通わせていきたいと、私は願ってやみません。
◇交流と相互理解が悪に打ち勝つ力
一、第三に、「対話の文化で人間性の凱歌を」と申し上げたい。
貴大学と創価大学の共鳴し合う精神に、「対話」を重んずる教育があります。
キンパラ総長は、「対話こそ、大学を強化し続けるための唯一無二の道であると確信する」と明言され、まさしく開かれた対話の力で、貴大学の躍進を勝ち取ってこられたのであります。
私は心から感銘いたしました。
私がご一緒に対談集を発刊したブラジル文学アカデミーの総裁で、人道の獅子であられたアタイデ氏も、遺言の如く語られました。
「すべての悪の脅威に打ち勝つものは、『対話』による相互理解と連帯の力である」と。
残念ながら、今、世界は至るところで「分断」の亀裂を深め、暴力の噴出に直面しております。
なればこそ、私たちは、いよいよ「対話の文化」を基軸とし、世界の大学の交流を広げ、人間性の勝利を打ち立てていきたいと思うのであります。
その決心を、私は、素晴らしき貴アクレ州の州歌の一節に託し、ささげます。
「我々は、変わらぬ力で再び戦うのだ。
屈せず、倒れず、恐れず!
そして、この地域から、我らは轟かせるのだ。
勇敢なる凱歌を!
これこそ、ブラジル全土に響き渡る
アマゾンの叫びとなるのだ!」
終わりに、愛する心の母校・貴大学の栄光と発展、そして、愛する魂の祖国・ブラジルの永遠無窮の隆盛を強く強くお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変に、ありがとうございました!」)(大拍手)
2017年4月5日水曜日
2017.04.05 わが友に贈る
白馬が駆けるような
清々しい勤行・唱題から
一日をスタートしよう!
朝に勝つことが
勝利のリズムをつくる。
同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず』
☆女性に贈ることば 四月五日
過去にとらわれるのではなく、「これから」「今から」「今日
から」−−と、つねに前に進んでいく強き一念を忘れまい。
☆今日のことば365 四月五日
戦災に 残りて咲きし桜花
空は蒼空 落花紛々
その背景は 現実の廃墟
花仰がずして 民憐れなり
流浪の彼方 厳しや
親子の道
群居の波に開花あり
夜明けの彩色か 桜花
ああ複写あり この存在
権力人と 平和人
散る桜 残る桜も 散る桜 と
謳いし人あり
青春桜 幾百万
なぜ 散りゆくか 散りゆくか
南海遠しや 仇桜
爛漫未熟に 枝痛し
残りし友も いつの日か
心傷あり 理念界
諸行は無常か 常住か
それも知らずに 散りゆくか
散る桜 残る桜よ 永遠に
春に 嵐と 咲き薫れ
☆4月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 諸法実相抄 2017年3月25日
「行学の二道」こそ"創価の魂"
確信の声で勝利の突破口を!
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(御書1361ページ)
◇通解
行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も行い、人をも教化していきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。
◇背景と大意
本抄は、文永10年(1273年)5月、流罪地・佐渡で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされている。
最蓮房については、日蓮大聖人と同じ時期に佐渡に流されていた天台宗の学僧で、大聖人と出会い、弟子になったと伝えられている。
本抄では、はじめに、法華経方便品に説かれる「諸法実相」について、諸法がそのまま実相であること、すなわち地獄界から仏界までの十界の衆生およびその住む世界(諸法)が、全て妙法蓮華経(実相)の姿であることが示されている。
次に、地涌の菩薩の上首(最高のリーダー)である上行菩薩こそが、末法に妙法を弘通して御本尊を顕す人であることを明かされ、「二人・三人」と妙法が広まっていく「地涌の義」によって、広宣流布が成就することは間違いないとの確信を示される。
最後に「行学の二道」に励んでいくように促され、本抄を結ばれている。
◇解説
本年の4月28日、『日蓮大聖人御書全集』(御書)発刊から65周年の佳節を刻む。
第2代会長の戸田城聖先生は、会長就任直後に御書の発刊を発願。わずか10カ月という短期間で未聞の大事業は成し遂げられた。
戸田先生は、御書の「発刊の辞」で今回の拝読御文を引用され、「剣豪の修行」を思わせる「行学の二道」の厳格なる鍛錬が、学会の伝統と名誉ある特徴であると述べている。そして、「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」と念願した。
学会は、この言葉通りに「実践の教学」を貫き、世界広布を進めてきた。現在、御書は10言語以上に翻訳され、SGI各国で、教学の研さんが活発に行われている。教学の研さんは広布拡大の原動力となり、各地で"地涌の菩薩の連帯"が広がっている。
今回学ぶ「諸法実相抄」では、この地涌の菩薩の出現が示されており、大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せである。拝読御文は、本抄の結論部分に当たり、末法広宣流布の使命を担う地涌の菩薩の信心のあり方を示されている。
「行学」の「行」は生命を変革し、開拓していく具体的な実践であり、「学」は御書拝読や教学研さんを示す。「行学たへなば仏法はあるべからず」との御文からも分かるように、「行学の二道」こそが仏道修行の両輪なのである。
「行」については、勤行・唱題によって自身の仏界の生命を開き、人間革命を目指す「自行」とともに、縁する人々にも仏法を語り、勧めていく「化他行」の重要性を訴えられている。
また、大聖人は「行学」の根本が信心にあることを示された上で、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と説かれている。「力あらば」とは、私たちの信心の姿勢から捉えれば「力の限り」と拝していくべきである。対話にあっては、全力を尽くしていくことが大切なのである。
かつて池田先生は、この御文を通して、次のようにつづった。
「教学が苦手だからと、臆する必要もない。自分が御書を拝し感動したこと、仏法を実践して学んだことでよいのです。『信心は楽しい』『願いは絶対に叶う信心です』等と、一言でもいいから、語っていくことです」
御書を学んだ喜びと確信に満ちた声は、必ず相手の心に届く。その研さんと行動の積み重ねによって、自らの人間革命も進み、地域広布の突破口も開かれる。
「行学の二道」こそ、"創価の魂"である。私たち男子部も、たゆまぬ研さんと実践で信心を磨き、一人一人が創価後継の真の人材に成長していきたい。
清々しい勤行・唱題から
一日をスタートしよう!
朝に勝つことが
勝利のリズムをつくる。
同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず』
☆女性に贈ることば 四月五日
過去にとらわれるのではなく、「これから」「今から」「今日
から」−−と、つねに前に進んでいく強き一念を忘れまい。
☆今日のことば365 四月五日
戦災に 残りて咲きし桜花
空は蒼空 落花紛々
その背景は 現実の廃墟
花仰がずして 民憐れなり
流浪の彼方 厳しや
親子の道
群居の波に開花あり
夜明けの彩色か 桜花
ああ複写あり この存在
権力人と 平和人
散る桜 残る桜も 散る桜 と
謳いし人あり
青春桜 幾百万
なぜ 散りゆくか 散りゆくか
南海遠しや 仇桜
爛漫未熟に 枝痛し
残りし友も いつの日か
心傷あり 理念界
諸行は無常か 常住か
それも知らずに 散りゆくか
散る桜 残る桜よ 永遠に
春に 嵐と 咲き薫れ
☆4月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 諸法実相抄 2017年3月25日
「行学の二道」こそ"創価の魂"
確信の声で勝利の突破口を!
『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(御書1361ページ)
◇通解
行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も行い、人をも教化していきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。
◇背景と大意
本抄は、文永10年(1273年)5月、流罪地・佐渡で著され、最蓮房に与えられたお手紙とされている。
最蓮房については、日蓮大聖人と同じ時期に佐渡に流されていた天台宗の学僧で、大聖人と出会い、弟子になったと伝えられている。
本抄では、はじめに、法華経方便品に説かれる「諸法実相」について、諸法がそのまま実相であること、すなわち地獄界から仏界までの十界の衆生およびその住む世界(諸法)が、全て妙法蓮華経(実相)の姿であることが示されている。
次に、地涌の菩薩の上首(最高のリーダー)である上行菩薩こそが、末法に妙法を弘通して御本尊を顕す人であることを明かされ、「二人・三人」と妙法が広まっていく「地涌の義」によって、広宣流布が成就することは間違いないとの確信を示される。
最後に「行学の二道」に励んでいくように促され、本抄を結ばれている。
◇解説
本年の4月28日、『日蓮大聖人御書全集』(御書)発刊から65周年の佳節を刻む。
第2代会長の戸田城聖先生は、会長就任直後に御書の発刊を発願。わずか10カ月という短期間で未聞の大事業は成し遂げられた。
戸田先生は、御書の「発刊の辞」で今回の拝読御文を引用され、「剣豪の修行」を思わせる「行学の二道」の厳格なる鍛錬が、学会の伝統と名誉ある特徴であると述べている。そして、「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」と念願した。
学会は、この言葉通りに「実践の教学」を貫き、世界広布を進めてきた。現在、御書は10言語以上に翻訳され、SGI各国で、教学の研さんが活発に行われている。教学の研さんは広布拡大の原動力となり、各地で"地涌の菩薩の連帯"が広がっている。
今回学ぶ「諸法実相抄」では、この地涌の菩薩の出現が示されており、大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360ページ)と仰せである。拝読御文は、本抄の結論部分に当たり、末法広宣流布の使命を担う地涌の菩薩の信心のあり方を示されている。
「行学」の「行」は生命を変革し、開拓していく具体的な実践であり、「学」は御書拝読や教学研さんを示す。「行学たへなば仏法はあるべからず」との御文からも分かるように、「行学の二道」こそが仏道修行の両輪なのである。
「行」については、勤行・唱題によって自身の仏界の生命を開き、人間革命を目指す「自行」とともに、縁する人々にも仏法を語り、勧めていく「化他行」の重要性を訴えられている。
また、大聖人は「行学」の根本が信心にあることを示された上で、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と説かれている。「力あらば」とは、私たちの信心の姿勢から捉えれば「力の限り」と拝していくべきである。対話にあっては、全力を尽くしていくことが大切なのである。
かつて池田先生は、この御文を通して、次のようにつづった。
「教学が苦手だからと、臆する必要もない。自分が御書を拝し感動したこと、仏法を実践して学んだことでよいのです。『信心は楽しい』『願いは絶対に叶う信心です』等と、一言でもいいから、語っていくことです」
御書を学んだ喜びと確信に満ちた声は、必ず相手の心に届く。その研さんと行動の積み重ねによって、自らの人間革命も進み、地域広布の突破口も開かれる。
「行学の二道」こそ、"創価の魂"である。私たち男子部も、たゆまぬ研さんと実践で信心を磨き、一人一人が創価後継の真の人材に成長していきたい。
2017年4月4日火曜日
2017.04.03 わが友に贈る
◇今週のことば
仏法は「現当二世」
"今から""ここから"
常に新たな挑戦だ。
元初の祈りとともに
今日も一歩前進を!
2017年4月3日
四条金吾殿御返事 P1182
『日蓮が心は全く如来の使にはあらず凡夫なる故なり、但し三類の大怨敵にあだまれて二度の流難に値へば如来の御使に似たり、心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使に似たり、過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり、現在をとぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし、未来は当詣道場疑いなからんか』
☆女性に贈ることば 四月三日
何かに縛られているように感じる時。すべてが受け身になっている時。なんとなく迷いが感じられる時。
そういう時ほど、一念を逆転させて「さあ、この道を貫こう!」と決めていくことだ。
その一念のなかに、真実の「春」が到来する。
☆今日のことば365 四月三日
人間が人間として「豊かさ」をかみしめるのは、目先の簡便さなどではなく、自分自身が額に汗を流し、前精魂を傾けた労働にある時が多い。
☆四季の励まし 心を広げる「対話の春」に 2017年3月26日
私たちの対話が、
社会を変え、世界を結び、
未来を創る。
私たちの対話には、希望がある。
生命の可能性を開く
蘇生の力がある。
勝利と勇気と確信がある。
「人間を信ずる力」によって
民衆の時代を築くのが、
私たちの対話なのである。
「人に会う」ことである。
「会う」ことから
何かが始まる。
何かを学べるし、
自分の世界も広がる。
次の、新しい出会いへと、
つながっていく。
勢いも出る。
知恵もわく。
対話を避ける菩薩はいない。
声を惜しむ仏もいない。
人と会い、
人と語り合うことなくして、
仏道修行は
あり得ないのである。
民主主義の出発も、対話である。
対話は、
一人の人格を
平等に尊重する営みだからだ。
「自分の心の中にある思想」を
人に語ることによって、
自分自身の知恵がいっそう輝き、
豊かになっていく。
語れば語るほど、
その思想を、
よりはっきりとつかみ、
自分自身のものにしていける。
自在に展開していける。
正義を語り抜く人は、
どんどん輝いていく。
徹底して
叫ぶ人が勝っていく。
さあ! "対話の春"である。
"行動の春"である。
"成長の春"である。
赤レンガの煙突。こけむす屋根。壁には、ツルアジサイの"白と緑のカーテン"が映えていた。1989年(平成元年)の5月。池田大作先生が、イギリス・オックスフォードで撮影した一葉である。
先生は72年(昭和47年)5月、同国の歴史学者トインビー博士と対談。以来、世界の指導者や識者と1600回を超える対話を重ね、平和建設への潮流を起こしてきた。
アジサイのがく片は、一片一片は小さいが、一つにまとまると、手まりのような、かれんな姿となる。同様に、一回一回の対話が友情を育み、「平和」という崇高な目的に人類を結束させていく。
対話の春。心軽やかに、あの友この友のもとへ足を運び、"友情の花"を満開に咲かせよう。
◎改行文字の種類が問題で、昨日は配信できなかった(^^♪
仏法は「現当二世」
"今から""ここから"
常に新たな挑戦だ。
元初の祈りとともに
今日も一歩前進を!
2017年4月3日
四条金吾殿御返事 P1182
『日蓮が心は全く如来の使にはあらず凡夫なる故なり、但し三類の大怨敵にあだまれて二度の流難に値へば如来の御使に似たり、心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使に似たり、過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり、現在をとぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし、未来は当詣道場疑いなからんか』
☆女性に贈ることば 四月三日
何かに縛られているように感じる時。すべてが受け身になっている時。なんとなく迷いが感じられる時。
そういう時ほど、一念を逆転させて「さあ、この道を貫こう!」と決めていくことだ。
その一念のなかに、真実の「春」が到来する。
☆今日のことば365 四月三日
人間が人間として「豊かさ」をかみしめるのは、目先の簡便さなどではなく、自分自身が額に汗を流し、前精魂を傾けた労働にある時が多い。
☆四季の励まし 心を広げる「対話の春」に 2017年3月26日
私たちの対話が、
社会を変え、世界を結び、
未来を創る。
私たちの対話には、希望がある。
生命の可能性を開く
蘇生の力がある。
勝利と勇気と確信がある。
「人間を信ずる力」によって
民衆の時代を築くのが、
私たちの対話なのである。
「人に会う」ことである。
「会う」ことから
何かが始まる。
何かを学べるし、
自分の世界も広がる。
次の、新しい出会いへと、
つながっていく。
勢いも出る。
知恵もわく。
対話を避ける菩薩はいない。
声を惜しむ仏もいない。
人と会い、
人と語り合うことなくして、
仏道修行は
あり得ないのである。
民主主義の出発も、対話である。
対話は、
一人の人格を
平等に尊重する営みだからだ。
「自分の心の中にある思想」を
人に語ることによって、
自分自身の知恵がいっそう輝き、
豊かになっていく。
語れば語るほど、
その思想を、
よりはっきりとつかみ、
自分自身のものにしていける。
自在に展開していける。
正義を語り抜く人は、
どんどん輝いていく。
徹底して
叫ぶ人が勝っていく。
さあ! "対話の春"である。
"行動の春"である。
"成長の春"である。
赤レンガの煙突。こけむす屋根。壁には、ツルアジサイの"白と緑のカーテン"が映えていた。1989年(平成元年)の5月。池田大作先生が、イギリス・オックスフォードで撮影した一葉である。
先生は72年(昭和47年)5月、同国の歴史学者トインビー博士と対談。以来、世界の指導者や識者と1600回を超える対話を重ね、平和建設への潮流を起こしてきた。
アジサイのがく片は、一片一片は小さいが、一つにまとまると、手まりのような、かれんな姿となる。同様に、一回一回の対話が友情を育み、「平和」という崇高な目的に人類を結束させていく。
対話の春。心軽やかに、あの友この友のもとへ足を運び、"友情の花"を満開に咲かせよう。
◎改行文字の種類が問題で、昨日は配信できなかった(^^♪
2017.04.04 わが友に贈る
煩悩即菩提の信心だ。
悩みがあるから
大きく成長できる。
試練の嵐を突き抜け
歓喜の人生を飾りゆけ!
一生成仏抄 P383
『若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し』
☆女性に贈ることば 四月四日
母よ 大楽観主義者の母よ!
誰でも あなたの名を呼ぶとき
暖かな春が 胸に よみがえる
誰でも あなたの声を開くとき
懐かしい故郷から 生きる力を得る
☆今日のことば365 四月四日
将来、社会人として経験する、−−会社の先輩、後輩も、競争相手も、表面に見る姿は、千差万別であるが、その基底に、人間としての理解があってこそ、はじめて、それを生かしていくこともできるのであろう。
☆誓いの天地 東京・目黒区 2017年3月26日
多彩な人材が光る若者の街
勝利の旗翻る「不二の故郷」
東京・目黒区は、都内でも有数の"おしゃれな街"。なかでも、自由が丘と共に、中目黒には若者に人気の店が集まる。
中目黒駅から区の北端に位置する駒場までの地域が、酒井康成さん(目黒戸田区、男子部本部長)の広布の舞台だ。
芸能関係やアパレルなど、多彩な分野で活躍する人材が多い。酒井さんも、昨年5月3日、念願のイタリアンレストランを世田谷区内にオープン。生パスタ専門店として、注目を集める。
学生時代、バンド活動に情熱を注ぎ、大学卒業後はアルバイトをしながら、ミュージシャンを目指した。ところが、母が体調を崩したため、家計を支えようと、イタリア料理店で働き始めた。
夢を諦め、母を看病しながらの生活。人には言えないつらさもあった。その時に、壮年・男子部の先輩が何度も励ましに来てくれた。温かな言葉の数々に、"今こそ、この信心で宿命転換していこう"と腹が決まった。次々と弘教も実らせた。
その間、職場では店長に。4年連続で前年を上回る売り上げを達成し、信頼を勝ち取った。
一方で、母の体調には変化が見られなかった。ある日、自宅で転倒し、検査で脳出血が見つかった。意識が戻らず、医師からは"障がいが残る可能性"も指摘された。
寝る間を惜しんで、母の回復を祈り続けた。その後、意識が戻り、後遺症も一切なく、無事に退院。以来、見違えるように母は元気になった。
「先輩から教わった御書の『地獄の苦みぱっときへて』(1000ページ)の一節を実感しました」
2年前には、母子がそれぞれに弘教を達成。多くの方々の励ましがあって、今の自分がある——。感謝を胸に、酒井さんはきょうも、目黒を駆ける。
◇
柿の木坂、碑文谷、青葉台など、目黒には閑静な住宅街もある。治安も良く、女性の"憧れの街"だ。
コールマン・明美・ティファニーさん(目黒池田区、女子部部長)は、桜の木々が立ち並ぶ八雲の住宅街で活動に励む。
父が経営する、フェレットなどの動物の輸入販売会社で働く。北海道から九州まで、全国のペットショップと取引を行っている。
父は米国人、母は日本人。幼い頃は、自身の肌の色で、周囲からさまざまに言われたが、高校生になると一転、「格好いい」と言われるように。
人の評価は、その時々で変わると感じた。だからこそ、"自分らしく生きなければ"と思った。だが、人間関係に行き詰まり、高校卒業後、自宅に引きこもった。
家族は、そっと見守り続けた。心配した友人が、何回も自宅に訪ねてくれた。その友人は、明美さんが再び立ち上がることを願い、自ら進んで入会した。
明美さんも「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御聖訓を胸に、祈り続けた。やがて、少しずつ元気を取り戻し、学会活動にも挑戦できるようになった。
昨年、白蓮グループで薫陶を。女子部部長の任命も受けた。その時から、夜の勤行は家族で行うようになった。
"何でも語り合える華陽姉妹の連帯を"との思いで、訪問激励に歩く明美さん。周囲には、友の笑顔が広がっている。
——先日、全国で最も早く東京で、桜(ソメイヨシノ)の開花が宣言された。目黒川沿いは、区内だけでも約4キロにわたり、約800本の桜が咲き誇る。来月に開催される"桜まつり"は毎年、多くの花見客でにぎわう。
桜花舞う「4・2」から栄光の「5・3」、そして青年の月・7月へ、大東京をリードする目黒青年部の痛快な勝利劇が、あの地、この地で始まっている。
◇栄光の共戦譜
65年前の5月3日に結婚した池田先生ご夫妻は最初、目黒区三田に居を構えた。
恩師・戸田先生の自宅の最寄り駅は目黒駅。そこから、先生は恩師の自宅へ通った。時には、雨の権之助坂を恩師と共に歩き、駅周辺で食事をしたこともあった。
池田先生の青春の思い出が刻まれた目黒。先生と目黒の友の"黄金の歴史"もまた、幾重にも刻まれてきた。
なかでも、間もなく迎える3月29日は、目黒の友の"魂の原点"。1973年(昭和48年)のこの日、目黒の代表が学会本部(当時)に集い、記念撮影会が開催された。
先生は、その場に集った青年部で、「目黒兄弟会」を結成することを提案。そして、こう語った。
"いかなる立場であれ、全員が目黒の責任者です"
前澤芳雄さん(目黒池田区、副本部長)は、この時の出会いが生涯の宝だ。「"目黒を頼む"との先生の思いに応えていく決意は、今も変わりません」
克枝さん(同、婦人部副本部長)と結婚後、伸一さん(新立川総区、総区男子部書記長)が誕生。伸一さんが東京創価小学校の1年の時、股関節が原因不明の血行障害で壊死するペルテス病を患った。
矯正用の装具を着けて通学する息子の姿。胸が引き裂かれる思いだった。"原因不明だからこそ、信心しかない"と、夫婦で真剣に祈り続けた。すると、股関節の骨が少しずつ再生。1年半後、見事に完治した。
前澤さん自身も、慢性硬膜下血腫や急性膵炎、脳梗塞と、数々の病魔に襲われたが、全て信心で乗り越えてきた。
昨年、目黒体育協会の理事に。地域のティーボール(野球に似た球技)連盟の副会長も務めるなど、地域活性化にも取り組む。
前澤さんは誓う。「『目黒兄弟会』の誇りに燃え、師恩に報いる道を進んでいきます」
◇
40年前の77年(同52年)3月25日、先生は目黒平和会館(現・目黒国際文化会館)の開館記念勤行会に出席。"いかに時代が変わろうとも、学会精神だけは変わってはならない"と力説した。
加藤陽子さん(目黒戸田区、地区副婦人部長)は、この場に駆け付けた。
大学卒業後、小学校の教員に。教育に情熱を注ぐ日々は、充実していたが、当時71歳の母がアルツハイマー型認知症に。母の介護で眠れない日々が続き、職場で倒れたこともあった。
しかし、夫・英士さん(同、本陣長〈ブロック長〉)や同志の支えを力に、一歩も引かなかった。
クラスが思うようにまとまらない時も、朝、児童の成長を祈り、教壇に立った。今でも、その子らとの交流は続いている。
長年の介護の後、92歳で母は霊山へ。亡くなる直前まで、加藤さんは笑顔で見守り続けた。
今、朗らかに学会理解の輪を広げる。「困難な状況にある人に寄り添い、希望を送りたい」
その他者に尽くす心は、2人の娘にも受け継がれる。長女・久美子さんは総区女子部長、次女・恵子さんは女子部部長として、後継の道を進む。
◇
目黒平和会館(当時)が開館して20日余りの77年4月15日。同会館で、本部幹部会が行われた。岩間市子さん(目黒戸田区、婦人部副本部長)は参加した一人だ。
戦後3年が経過した48年(同23年)の入会。女子部時代、香峯子夫人と共に、広布拡大にまい進したことは、誉れの歴史だ。
60年前の57年(同32年)7月12日の「東京大会」、同年9月8日に横浜・三ツ沢の陸上競技場で発表された戸田先生の「原水爆禁止宣言」、60年(同35年)5月3日の池田先生の第3代会長就任式など、数々の広布史の節目の場に参加した。
決して順風満帆な人生ではなかった。家計を支えるため、中学卒業後から働き始めた。離婚も経験したが、信心を貫き、女手一つで2人の子どもを育てた。
「広布に戦うのは当然です。先生から数々の励ましを頂いたんですから」と言葉に力を込めた。
80歳になった今、めっきり足腰が弱くなったというが、毎日、マンションの階段を上り下りしては、地域に対話の花を咲かせる。
「広宣流布が私の使命。まだまだ口は動くから、どんどんしゃべるよ」——岩間さんの「戦う魂」は今も燃え続けている。
20年前の1月、池田先生は目黒の同志に長編詩を贈った。
「ああ/縁も深き目黒!/それは 恩師と私/そして/私とわが同志の/民衆栄光の旗 翻る/不二の故郷なり」
さあ、今再び、壁を破ろう。目黒の底力で、"勝利の旗"を翻らせる時が来た。
悩みがあるから
大きく成長できる。
試練の嵐を突き抜け
歓喜の人生を飾りゆけ!
一生成仏抄 P383
『若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し』
☆女性に贈ることば 四月四日
母よ 大楽観主義者の母よ!
誰でも あなたの名を呼ぶとき
暖かな春が 胸に よみがえる
誰でも あなたの声を開くとき
懐かしい故郷から 生きる力を得る
☆今日のことば365 四月四日
将来、社会人として経験する、−−会社の先輩、後輩も、競争相手も、表面に見る姿は、千差万別であるが、その基底に、人間としての理解があってこそ、はじめて、それを生かしていくこともできるのであろう。
☆誓いの天地 東京・目黒区 2017年3月26日
多彩な人材が光る若者の街
勝利の旗翻る「不二の故郷」
東京・目黒区は、都内でも有数の"おしゃれな街"。なかでも、自由が丘と共に、中目黒には若者に人気の店が集まる。
中目黒駅から区の北端に位置する駒場までの地域が、酒井康成さん(目黒戸田区、男子部本部長)の広布の舞台だ。
芸能関係やアパレルなど、多彩な分野で活躍する人材が多い。酒井さんも、昨年5月3日、念願のイタリアンレストランを世田谷区内にオープン。生パスタ専門店として、注目を集める。
学生時代、バンド活動に情熱を注ぎ、大学卒業後はアルバイトをしながら、ミュージシャンを目指した。ところが、母が体調を崩したため、家計を支えようと、イタリア料理店で働き始めた。
夢を諦め、母を看病しながらの生活。人には言えないつらさもあった。その時に、壮年・男子部の先輩が何度も励ましに来てくれた。温かな言葉の数々に、"今こそ、この信心で宿命転換していこう"と腹が決まった。次々と弘教も実らせた。
その間、職場では店長に。4年連続で前年を上回る売り上げを達成し、信頼を勝ち取った。
一方で、母の体調には変化が見られなかった。ある日、自宅で転倒し、検査で脳出血が見つかった。意識が戻らず、医師からは"障がいが残る可能性"も指摘された。
寝る間を惜しんで、母の回復を祈り続けた。その後、意識が戻り、後遺症も一切なく、無事に退院。以来、見違えるように母は元気になった。
「先輩から教わった御書の『地獄の苦みぱっときへて』(1000ページ)の一節を実感しました」
2年前には、母子がそれぞれに弘教を達成。多くの方々の励ましがあって、今の自分がある——。感謝を胸に、酒井さんはきょうも、目黒を駆ける。
◇
柿の木坂、碑文谷、青葉台など、目黒には閑静な住宅街もある。治安も良く、女性の"憧れの街"だ。
コールマン・明美・ティファニーさん(目黒池田区、女子部部長)は、桜の木々が立ち並ぶ八雲の住宅街で活動に励む。
父が経営する、フェレットなどの動物の輸入販売会社で働く。北海道から九州まで、全国のペットショップと取引を行っている。
父は米国人、母は日本人。幼い頃は、自身の肌の色で、周囲からさまざまに言われたが、高校生になると一転、「格好いい」と言われるように。
人の評価は、その時々で変わると感じた。だからこそ、"自分らしく生きなければ"と思った。だが、人間関係に行き詰まり、高校卒業後、自宅に引きこもった。
家族は、そっと見守り続けた。心配した友人が、何回も自宅に訪ねてくれた。その友人は、明美さんが再び立ち上がることを願い、自ら進んで入会した。
明美さんも「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御聖訓を胸に、祈り続けた。やがて、少しずつ元気を取り戻し、学会活動にも挑戦できるようになった。
昨年、白蓮グループで薫陶を。女子部部長の任命も受けた。その時から、夜の勤行は家族で行うようになった。
"何でも語り合える華陽姉妹の連帯を"との思いで、訪問激励に歩く明美さん。周囲には、友の笑顔が広がっている。
——先日、全国で最も早く東京で、桜(ソメイヨシノ)の開花が宣言された。目黒川沿いは、区内だけでも約4キロにわたり、約800本の桜が咲き誇る。来月に開催される"桜まつり"は毎年、多くの花見客でにぎわう。
桜花舞う「4・2」から栄光の「5・3」、そして青年の月・7月へ、大東京をリードする目黒青年部の痛快な勝利劇が、あの地、この地で始まっている。
◇栄光の共戦譜
65年前の5月3日に結婚した池田先生ご夫妻は最初、目黒区三田に居を構えた。
恩師・戸田先生の自宅の最寄り駅は目黒駅。そこから、先生は恩師の自宅へ通った。時には、雨の権之助坂を恩師と共に歩き、駅周辺で食事をしたこともあった。
池田先生の青春の思い出が刻まれた目黒。先生と目黒の友の"黄金の歴史"もまた、幾重にも刻まれてきた。
なかでも、間もなく迎える3月29日は、目黒の友の"魂の原点"。1973年(昭和48年)のこの日、目黒の代表が学会本部(当時)に集い、記念撮影会が開催された。
先生は、その場に集った青年部で、「目黒兄弟会」を結成することを提案。そして、こう語った。
"いかなる立場であれ、全員が目黒の責任者です"
前澤芳雄さん(目黒池田区、副本部長)は、この時の出会いが生涯の宝だ。「"目黒を頼む"との先生の思いに応えていく決意は、今も変わりません」
克枝さん(同、婦人部副本部長)と結婚後、伸一さん(新立川総区、総区男子部書記長)が誕生。伸一さんが東京創価小学校の1年の時、股関節が原因不明の血行障害で壊死するペルテス病を患った。
矯正用の装具を着けて通学する息子の姿。胸が引き裂かれる思いだった。"原因不明だからこそ、信心しかない"と、夫婦で真剣に祈り続けた。すると、股関節の骨が少しずつ再生。1年半後、見事に完治した。
前澤さん自身も、慢性硬膜下血腫や急性膵炎、脳梗塞と、数々の病魔に襲われたが、全て信心で乗り越えてきた。
昨年、目黒体育協会の理事に。地域のティーボール(野球に似た球技)連盟の副会長も務めるなど、地域活性化にも取り組む。
前澤さんは誓う。「『目黒兄弟会』の誇りに燃え、師恩に報いる道を進んでいきます」
◇
40年前の77年(同52年)3月25日、先生は目黒平和会館(現・目黒国際文化会館)の開館記念勤行会に出席。"いかに時代が変わろうとも、学会精神だけは変わってはならない"と力説した。
加藤陽子さん(目黒戸田区、地区副婦人部長)は、この場に駆け付けた。
大学卒業後、小学校の教員に。教育に情熱を注ぐ日々は、充実していたが、当時71歳の母がアルツハイマー型認知症に。母の介護で眠れない日々が続き、職場で倒れたこともあった。
しかし、夫・英士さん(同、本陣長〈ブロック長〉)や同志の支えを力に、一歩も引かなかった。
クラスが思うようにまとまらない時も、朝、児童の成長を祈り、教壇に立った。今でも、その子らとの交流は続いている。
長年の介護の後、92歳で母は霊山へ。亡くなる直前まで、加藤さんは笑顔で見守り続けた。
今、朗らかに学会理解の輪を広げる。「困難な状況にある人に寄り添い、希望を送りたい」
その他者に尽くす心は、2人の娘にも受け継がれる。長女・久美子さんは総区女子部長、次女・恵子さんは女子部部長として、後継の道を進む。
◇
目黒平和会館(当時)が開館して20日余りの77年4月15日。同会館で、本部幹部会が行われた。岩間市子さん(目黒戸田区、婦人部副本部長)は参加した一人だ。
戦後3年が経過した48年(同23年)の入会。女子部時代、香峯子夫人と共に、広布拡大にまい進したことは、誉れの歴史だ。
60年前の57年(同32年)7月12日の「東京大会」、同年9月8日に横浜・三ツ沢の陸上競技場で発表された戸田先生の「原水爆禁止宣言」、60年(同35年)5月3日の池田先生の第3代会長就任式など、数々の広布史の節目の場に参加した。
決して順風満帆な人生ではなかった。家計を支えるため、中学卒業後から働き始めた。離婚も経験したが、信心を貫き、女手一つで2人の子どもを育てた。
「広布に戦うのは当然です。先生から数々の励ましを頂いたんですから」と言葉に力を込めた。
80歳になった今、めっきり足腰が弱くなったというが、毎日、マンションの階段を上り下りしては、地域に対話の花を咲かせる。
「広宣流布が私の使命。まだまだ口は動くから、どんどんしゃべるよ」——岩間さんの「戦う魂」は今も燃え続けている。
20年前の1月、池田先生は目黒の同志に長編詩を贈った。
「ああ/縁も深き目黒!/それは 恩師と私/そして/私とわが同志の/民衆栄光の旗 翻る/不二の故郷なり」
さあ、今再び、壁を破ろう。目黒の底力で、"勝利の旗"を翻らせる時が来た。
2017年4月2日日曜日
2017.04.02 わが友に贈る
友好が広がる時。
良き出会いは
人生を彩る財産だ。
開拓精神を胸に
心通う友を見つけよう!
上野殿後家尼御返事 P1504
『いきてをはしき時は生の仏今は死の仏生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』
☆女性に贈ることば 四月二日
恩師・戸田先生は、「恩を返すのが最上の人間だ」と言われた。
報恩の人生は美しい。お世話になった人に恩返しをしていこうという心が、一番、自分を成長させる。限りない向上のエネルギーとなっていく。
報恩の人こそ、人生の勝利者である。
☆今日のことば365 四月二日
自分の道は誰にも頼らず、自分で決めることだ。どんな苦難にもくじけない、強い自己の建設のみが、新しい自己の革命となるのである。
☆御書と歩む 第57回 学会活動が最高の回向に
『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』(御義口伝、712ページ)
◇通解
今、日蓮およびその門下が、故人を追善する時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えたならば、題目の光が無間地獄に至って、即身成仏させることができる。回向の文はこのことから事起こるのである。
◇同志への指針
題目の大功力は亡くなった方々の生命にも厳然と届く。悲しい別れであったとしても、妙法の光明で赫々と照らし、必ず成仏の境涯へ導いていける。
なかんずく自行化他の題目を唱え、広布に邁進しゆく学会活動には、「生も歓喜、死も歓喜」という永遠の生命の凱歌が轟く。この偉大な功徳を故人に回らし向けるのだ。ここに回向の本義がある。
良き出会いは
人生を彩る財産だ。
開拓精神を胸に
心通う友を見つけよう!
上野殿後家尼御返事 P1504
『いきてをはしき時は生の仏今は死の仏生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり』
☆女性に贈ることば 四月二日
恩師・戸田先生は、「恩を返すのが最上の人間だ」と言われた。
報恩の人生は美しい。お世話になった人に恩返しをしていこうという心が、一番、自分を成長させる。限りない向上のエネルギーとなっていく。
報恩の人こそ、人生の勝利者である。
☆今日のことば365 四月二日
自分の道は誰にも頼らず、自分で決めることだ。どんな苦難にもくじけない、強い自己の建設のみが、新しい自己の革命となるのである。
☆御書と歩む 第57回 学会活動が最高の回向に
『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり』(御義口伝、712ページ)
◇通解
今、日蓮およびその門下が、故人を追善する時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えたならば、題目の光が無間地獄に至って、即身成仏させることができる。回向の文はこのことから事起こるのである。
◇同志への指針
題目の大功力は亡くなった方々の生命にも厳然と届く。悲しい別れであったとしても、妙法の光明で赫々と照らし、必ず成仏の境涯へ導いていける。
なかんずく自行化他の題目を唱え、広布に邁進しゆく学会活動には、「生も歓喜、死も歓喜」という永遠の生命の凱歌が轟く。この偉大な功徳を故人に回らし向けるのだ。ここに回向の本義がある。
2017年4月1日土曜日
2017.04.01 わが友に贈る
我らが目指すのは
全民衆の幸福と平和だ。
大願を抱いて進め!
尊き志と行動に
諸天の加護は厳然なり!
兄弟抄 P1081
『此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす』
☆女性に贈ることば 四月一日
太陽は、うまず、たゆまず、自らの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。
女性は、一家の太陽です。太陽の如く明ふく、太陽の如く力強く、太陽の如く健康に、「今日も、何かに挑戦しよう!」「今日も、一歩進もう!」と、目標をもって、掛りのある一日一日を積み重ねていってほしい。
☆今日のことば365 四月一日
人の一生の重さを計る基準は、単に生きた年数の長短によって決まるのではない。
その人生の価値内容によるものだ。
☆世界写真紀行 第12回 アンデス山脈 2017年3月22日
◇挑み続ける人は偉大に
見渡す限りの大パノラマ。白雪を冠した山々が幾重にも連なる。この壮大な光景に触れれば、心はどこまでも広がっていくだろう。
南アメリカ大陸を貫くアンデス山脈。
ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリの7カ国を縦断。全長は約1万キロと、実に地球の円周の4分の1にもなる。
この世界最長の大山脈には北南米最高峰のアコンカグア山(6960メートル)をはじめ、6000メートルを超える高峰がそびえ立つ。これまで多くの登山家が挑んできたが、未踏峰も多いという。
1993年2月23日、池田大作先生を乗せたジェット機は、パラグアイをたち、チリの首都サンティアゴへ向かっていた。
眼下にはアンデスの銀嶺が延々と続く。1月下旬から始まった、北南米訪問の途上だった。
「君の本当の舞台は世界だ。世界へ征くんだ。この私に代わって」——逝去の約2週間前、第2代会長の戸田先生は、池田先生に語り掛けた。この言葉を抱きしめ、池田先生は60年10月、北南米訪問を皮切りに世界へ雄飛したのである。
だが、その平和旅は困難の連続だった。
海外渡航自体がまだまだ珍しい時代。各国のメンバーも極めて少なかった。社会主義国を訪れた際には"宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか"などと中傷の嵐が起きた。軍事政権下の国で当局の監視が付いて回ったこともある。
その中で先生は、断固として世界広布と平和の大道を切り開いてきた。
先生の海外訪問は、日本から最も遠い国・チリで50カ国・地域に。そこには、苦難の時代を勝ち越えた友が待っていた。
73年から89年まで軍事政権に支配されたチリ。弾圧によって死者・行方不明者が続出した。
戒厳令で外出が制限される中、同志は一軒一軒訪ね歩き、"家族座談会"を開いて励まし合った。そうした状況下のチリから来日する同志を、池田先生は抱きかかえるようにして励まし、「今度は私がチリに行くからね」と約束していたのである。
24日の第1回チリSGI総会。先生は次のように語っている。
「逆境に負けずに頑張り抜いてこられた皆さまの功徳は、アンデスの山脈のごとく、限りなく積まれていくことは絶対に間違いない」
そして力を込めた。
「私は、戸田先生の道を歩み、戸田先生の道を広げながら、そこに、さまざまな花を咲かせ、実を結ばせてきた。50カ国歴訪もその一つである。いよいよ、これからが本番である。皆さまと共に、全世界を楽しく朗らかに、駆け巡ってまいりたい」
池田先生の滞在は約40時間。軍政を終結させたエイルウィン大統領との会見や、サンティアゴ市からの「最高賓客」称号の授章式など、重要な行事が続く。その合間を縫い、友を励まし続けた。
この時、出会いを結んだ未来部は今、青年部の中核に成長。チリSGIは、新たな広布拡大へ堂々と躍進する。
先生はつづっている。
「山の向こうには、また山がある。それを越えるたびに、人は偉大になれるのだ。アンデスのような自分になれるのだ。信仰とは、高貴なる人生とは、自ら『山』をつくり、自ら乗り越え、幾つ越えたかを楽しみにしていける生き方なのである」
漫然と生きるのは楽かもしれない。だが、それでは成長も喜びもない。あえて眼前の山に挑戦し、制覇し、そして勇んで次の山を目指す。それが歓喜と充実に満ちた、人間革命の道である。
全民衆の幸福と平和だ。
大願を抱いて進め!
尊き志と行動に
諸天の加護は厳然なり!
兄弟抄 P1081
『此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす』
☆女性に贈ることば 四月一日
太陽は、うまず、たゆまず、自らの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。
女性は、一家の太陽です。太陽の如く明ふく、太陽の如く力強く、太陽の如く健康に、「今日も、何かに挑戦しよう!」「今日も、一歩進もう!」と、目標をもって、掛りのある一日一日を積み重ねていってほしい。
☆今日のことば365 四月一日
人の一生の重さを計る基準は、単に生きた年数の長短によって決まるのではない。
その人生の価値内容によるものだ。
☆世界写真紀行 第12回 アンデス山脈 2017年3月22日
◇挑み続ける人は偉大に
見渡す限りの大パノラマ。白雪を冠した山々が幾重にも連なる。この壮大な光景に触れれば、心はどこまでも広がっていくだろう。
南アメリカ大陸を貫くアンデス山脈。
ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリの7カ国を縦断。全長は約1万キロと、実に地球の円周の4分の1にもなる。
この世界最長の大山脈には北南米最高峰のアコンカグア山(6960メートル)をはじめ、6000メートルを超える高峰がそびえ立つ。これまで多くの登山家が挑んできたが、未踏峰も多いという。
1993年2月23日、池田大作先生を乗せたジェット機は、パラグアイをたち、チリの首都サンティアゴへ向かっていた。
眼下にはアンデスの銀嶺が延々と続く。1月下旬から始まった、北南米訪問の途上だった。
「君の本当の舞台は世界だ。世界へ征くんだ。この私に代わって」——逝去の約2週間前、第2代会長の戸田先生は、池田先生に語り掛けた。この言葉を抱きしめ、池田先生は60年10月、北南米訪問を皮切りに世界へ雄飛したのである。
だが、その平和旅は困難の連続だった。
海外渡航自体がまだまだ珍しい時代。各国のメンバーも極めて少なかった。社会主義国を訪れた際には"宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか"などと中傷の嵐が起きた。軍事政権下の国で当局の監視が付いて回ったこともある。
その中で先生は、断固として世界広布と平和の大道を切り開いてきた。
先生の海外訪問は、日本から最も遠い国・チリで50カ国・地域に。そこには、苦難の時代を勝ち越えた友が待っていた。
73年から89年まで軍事政権に支配されたチリ。弾圧によって死者・行方不明者が続出した。
戒厳令で外出が制限される中、同志は一軒一軒訪ね歩き、"家族座談会"を開いて励まし合った。そうした状況下のチリから来日する同志を、池田先生は抱きかかえるようにして励まし、「今度は私がチリに行くからね」と約束していたのである。
24日の第1回チリSGI総会。先生は次のように語っている。
「逆境に負けずに頑張り抜いてこられた皆さまの功徳は、アンデスの山脈のごとく、限りなく積まれていくことは絶対に間違いない」
そして力を込めた。
「私は、戸田先生の道を歩み、戸田先生の道を広げながら、そこに、さまざまな花を咲かせ、実を結ばせてきた。50カ国歴訪もその一つである。いよいよ、これからが本番である。皆さまと共に、全世界を楽しく朗らかに、駆け巡ってまいりたい」
池田先生の滞在は約40時間。軍政を終結させたエイルウィン大統領との会見や、サンティアゴ市からの「最高賓客」称号の授章式など、重要な行事が続く。その合間を縫い、友を励まし続けた。
この時、出会いを結んだ未来部は今、青年部の中核に成長。チリSGIは、新たな広布拡大へ堂々と躍進する。
先生はつづっている。
「山の向こうには、また山がある。それを越えるたびに、人は偉大になれるのだ。アンデスのような自分になれるのだ。信仰とは、高貴なる人生とは、自ら『山』をつくり、自ら乗り越え、幾つ越えたかを楽しみにしていける生き方なのである」
漫然と生きるのは楽かもしれない。だが、それでは成長も喜びもない。あえて眼前の山に挑戦し、制覇し、そして勇んで次の山を目指す。それが歓喜と充実に満ちた、人間革命の道である。
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