御書を学んだ分だけ
人生を開く力がつく。
研鑽を応援した分だけ
わが「心の財」となる。
共に生涯、幸福の道を!
法門申さるべき様の事 P1271
『師子の中の虫師子をくらう、仏教をば外道はやぶりがたし内道の内に事いできたりて仏道を失うべし仏の遺言なり』
◇人生の座標
性格(キャラクター)というのは、ギリシャ語の「彫刻」とか「印象」という言葉から出ている。いわば「刻みつけられたもの」です。たしかに、性格も体質も、医学的に見れば遺伝的に刻みつけられ、決定されている部分もあるかもしれない。
しかし、それがわかったからといって、何になるものでもない。今、現実に生きている中で、どのように向上していくかが問題です。
☆随筆民衆凱歌の大行進No.12 � 「行学の二道」を励みゆけ
この生命(いのち)
御書と共に
勝ち開け
変毒為薬の
宝剣かかげて
若き日、師・戸田城聖先生と湘南電車(東海道本線)に乗っていた時のことである。車中でも、先生は御書の講義をしてくださっていた。
ちょうど車窓から太平洋の眺望が開けた。
先生は「あの太平洋のような大境涯の信心で、この御書を拝することだ。そうでなければ、凡夫が御本仏のお心に近づくことはできないのだ」と語られた。
「御書」を開くことは「境涯」を開くことだ。御書を拝して、広大無辺なる御本仏のお心に迫り、自らの小さな殻を打ち破る戦いをするのだ。
先日、新時代の第1回を飾る全国男子部幹部会が、四国で開催された。
四国では、婦人部と女子部一体のサンフラワー大会も行われている。
四国出身の哲人・中江兆民は、「哲学なき人民は、なにをしても深い意味がなく、浅薄さをまぬがれない」と叫んだ。
生命尊厳の大哲学を掲げた地涌の友の総決起を、"志国(しこく)"の先哲たちも、さぞかし喜ぶことであろうと、私は確信する。
大聖人は仰せである。
『日蓮は日本国のはしら(柱)なり』(P312、「報恩抄」)、また『日蓮は一閻浮提第一の聖人なり』(P974、「聖人知三世事」)と。
人びとを不幸に陥れる思想の乱れを正し、人類を救済しゆく世界の柱。その確信と情熱が、御書には満ち溢れている。
困難に打ち勝つ哲学!
人生を生き抜く智慧!
正と邪を見抜く英知!
人類を結びゆく熱願!
新時代を照らす希望!
御書を学ぶことは、大聖人の大精神を、わが生命に響かせゆくことだ。
今月28日には「教学部初級試験・青年部教学試験3級」が行われる。また11月には「教学部任用試験」が予定されている。
受験者の皆さんにとって、忙しい中、試練の挑戦であろう。しかし、だからこそ、その求道の功徳は、どれほど大きいことか。
大聖人は、法華経について質問された女性門下を、『御尋ね候事ありがたき大善根にて候』(P1402、「妙法尼御前御返事」)と、最大に讃嘆されている。
温かく教え、励まし、共に研鑽される先輩方にも感謝したい。その労苦は、三世に崩れざる『心の財』を積む栄光の汗となる。
役員に当たってくださる皆さんも、お世話になりますが、一切無事故の運営を、どうか、よろしくお願いします。
大聖人が「竜の口の法難」に遭われ、発迹顕本なされた天地・神奈川の鎌倉に立つSGI教学会館は、今年で開館15周年を迎えた。
海外からも多くのメンバーがこの会館を訪れ、地元の同志が温かく歓迎してくださっている。
大聖人は法難を振り返り、述べておられる。
『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめ』(P891、「佐渡御勘気抄」)
命にも及ぶほどの大難と戦い、断固と打ち勝ってこそ、仏の境涯を開くことができる、と。
横暴な軍部政府の弾圧によって投獄された初代会長・牧口常三郎先生は、法華経を如説修行された大聖人の仰せを、身をもって読まれた。
本年11月には、牧口先生の殉教から70年の節目を迎える。
獄中からご家族にあてた手紙に、こうある。
「ただ経文を以て信仰して居るので安心してゐる」「何の不安もない。必ず『変毒為薬(毒を変じて薬と為す)』となると存じます」、さらに「三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」と。
ここには恐れや悲壮感など微塵もない。
牧口先生と共に正義の獄中闘争を貫かれた戸田先生も、後に語られた。
「法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」
御本仏の仰せの如く!
御聖訓のままに!
お二人の師弟の死身弘法の大闘争があったからこそ、大聖人の御精神は現代に蘇った。この創価の誉れの原点を、断じて忘れてはならない。
御書を拝していけばいくほど、創価学会こそが大聖人直結の仏勅の団体であると、深く理解することができる。私たちにとっての不惜身命とは、この学会と共に、師弟の誓いを胸に、どこまでも生き抜くことだ。
戸田先生は、御書を拝する姿勢について、「信の一字をもって、一切をつらぬいていることを、知らなくてはならない」と教えてくださった。
そして「民衆救済の大確信と、燃ゆるがごとき大聖人の情熱が、その根底をなしていることを、読みとらなくては、また無意味になることを知らなくてはならない」と。
絶対なる「信」をもって学ぶ。そして民衆救済の大確信のままに、自らも広宣流布に走る。
この「信」と「行」をもって拝した時、「信心の火が、いやがうえにも、燃えあがる」とも、先生は言われていた。
ここに、自らの絶望を希望に変え、宿命を使命に転じゆく光がある。
大聖人は、千差万別の悩みに苦しむ門下それでれに渾身の激励を綴ってくださっている。
だからこそ、御書を自らの身に当てて拝していきたい。大聖人から直接賜ったお手紙と捉え、実践していくのだ。
──あるシンガポールの壮年部員は、交通事故で下半身不随となった。その後も、結核、足の大やけど……次々と起こる宿命の嵐。打ちのめされそうな心を支えたのは、次の一節だったという。
『必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く』(P1091、「兵衛志殿御返事」)
"この難は、私の信心を試しているのだ!"
そう確信した創価の賢者は今、「自分の姿で仏法の力を証明する」との誇りに燃え、自他共の幸福の道を、雄々しく歩んでくれている。
御書を心肝に染めた人は強い。その胸には嵐に揺るがぬ柱が立つ。いかなる障魔をも見破り、断ち切っていける。それが。真剣勝負の研鑽で磨いた信仰の利剣なのだ。