2014年9月9日火曜日

2014.09.09 わが友に贈る

ブロック長、白ゆり長の
日々の奮闘に感謝!
世界広布の前進も
皆様の尊き一歩から。
幸福長者の人生たれ!

四条金吾殿女房御返事 P1134
『此の経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず一切の男子にこえたりとみえて候』

◇人生の座標
一つの出会いは、小さな点のようなものかもしれない。しかし、そうした"点"と"点"が、やがて"線"となり、"面"となって広がっていくのである。

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜第6回 不屈の都モスクワ�
モスクワ大学のキャンパスがある「雀(すずめ)が丘」の展望台からは、壮大なスケールの首都の街並みが一望できます。
ロシアの大文豪トルストイの名作『戦争と平和』にも、この「雀が丘」の近くからモスクワの街を眺めた様子が描かれています。
「すべてが薄い澄んだ大気のなかで、目の痛むほどかがやき、胸は秋の香りの高い空気を吸い込んでたくましくなり……」と。
そう、秋は、トルストイがいうように、「香りの高い空気」を大きく深呼吸しながら「たくましく」伸びていく季節だね。皆さんも、この秋、心も広々と、一回りも二回りも「たくましく」成長していってください。
私には、世界都市モスクワで育った、多くの素晴らしい友人たちがいます。その一人、宇宙飛行士のセレブロフ博士は、病弱だった少年時代に、スポーツに挑戦して心身を鍛え、さらに勉学にも励んで、数学や物理のオリンピックに出場しました。
博士は、「一人ひとりの素質は粘土のようなもの」で、「それを次第に形につくり上げていくのが『努力』です」と語られています。
皆、それぞれの課題に挑み、自分自身をじっくりとつくり上げていく「努力の秋」そして「充実の秋」にしていこうよ!

私がモスクワを初めて訪れたのは、ちょうど40年前──1974年の秋9月のことでした。今のロシアがまだ、ソビエト連邦(ソ連)だった時です。
第2次世界大戦後、世界は、アメリカを中心とした資本主義の西側諸国と、ソ連を中心とした社会主義の東側諸国に、大きく二分され、激しく対立していました。いわゆる東西の「冷戦」(冷たい戦争)と呼ばれる時代です。両陣営の"壁"を象徴する「鉄のカーテン」という言葉もありました。
西側陣営である日本にとって、ソ連はいわば「敵国」。ソ連に関する正確な情報はほとんどなく、多くの日本人が"冷たい""怖い"というイメージを抱いていました。
こうした状況は、日本にとっても、ソ連にとっても不幸なことだと、私は考えていました。"ソ連が怖い"のではなく、本当は、"知らないことが怖い"のだと。
だからこそ私は、ソ連の人々の素顔を、自らの目で確かめ、多くの人に伝えたいと思ったのです。
ソ連に行く前には、「宗教者が、宗教否定の国へ何をしに行くのか」などの批判の声が巻き起こりました。当時、ソ連と中国も対立を深めていたので、私が中国に続いてソ連を訪問することも、なかなか理解されませんでした。私は迷わず、「そこに人間がいるから、行くのです」と答えました。

平和を願う、同じ人間に会いに行く──これが私の決心でした。
その初訪ソの折、とある街中で結婚式を終えたばかりの若い二人に出会いました。後に「雀が丘」でも同じ光景を見掛けたことがありますが、ロシアでは新婚の二人で名所を回る習慣があるのです。
すると突然、同行してくれていたモスクワ大学の方々が、「にがいぞ、にがいぞ!」と"声援"を送りました。初々しい夫婦に、わざと「にがい」と言って、ますます「あまく」仲よくさせる──ロシアの人々の愉快な慣習と温かな心に触れ、私も妻と一緒に、心から祝福の拍手を送りました。
こうした人間味あふれる情景を、日本の人たちに伝えたい。それが私の偽らざる真情でした。
「人間」こそ、一切の根本です。
平和も、文化も、教育も、人間から始まり、人間に帰るのです。この「人間主義」のバトンを、後継の皆さんに受け継いでもらいたい。私は、そう強く願っています。

ロシアは、ユーラシア大陸を横断する、世界で一番面積の大きい国です。それは日本の約45倍、海面を除いた地球の面積の8分の1に当たります。
また、この大地は、人類の宝ともいうべき芸術・文化を生み出してきました。特に19世紀には、音楽ではチャイコフスキー、文学ではプーシキン、トルストイ、ドストエフスキーなど、世界的巨匠が次々と活躍しました。
私も若き日から、こうした巨匠たちの傑作に親しんだ一人です。ロシアの芸術作品に表現された、人間への限りない愛情と信頼、生命の讃歌と深い精神性に、私は胸を熱くしたものです。
これまで6度、ソ連・ロシアを訪れてきましたが、母なる大地に育まれた、おおらかで情に厚く、辛抱強いロシアの人々の素顔に、何度も心温まる思いがしました。
ロシアの人々にとって、20世紀は激動の時代でした。ロシア革命、2度の世界大戦、そして独裁政権による粛清(方針に反する者を排除すること)──それでも明日(あす)への希望を失わず、民衆は断固として前進してきました。
トルストイは、皆さんと同年代の時、日記にこう綴っています。
「忍耐と勤勉。そうすればぼくの欲するすべてのものを得るであろうと確言」
忍耐ほど、自分を鍛え上げてくれるものはありません。「粘り強さ」こそ勝利を開く秘訣なのです。
たとえ今、どんなに苦しくとも、春の来ない冬がないように、それが永遠に続くことはありません。だから断じて負けてはいけない。戦い続ける人が、必ず勝利します。
日蓮大聖人は『仏を能忍(難をよく忍ぶ人)と名づけるのである』(P935、通解、「四恩抄」)と仰せになられました。
世界が渇望する人間主義の未来を担いゆく皆さんです。一人も残らず、かけがえのない使命を持った君たち、貴女(あなた)たちです。それだけに、試練も苦難も多い。
ゆえに、この「能忍(よく忍ぶ)」という一点を、心に留めておいていただきたいのです。
40年前、ロシアには、SGIのメンバーは一人もいませんでした。今、モスクワをはじめロシアの大地には、地涌の菩薩が躍り出て、社会に貢献しています。
世界最高峰の学府・モスクワ大学と創価大学の間では毎年、交換留学生の往来を重ねています。