2019年1月24日木曜日

2019.01.24 わが友に贈る

「団結」の力は
足し算ではなく掛け算。
皆の長所を生かそう!
共に祈り 心合わせれば
想像以上の力が出る!

四条金吾殿御返事 P1169
『いかに所領ををししとをぼすとも死しては他人の物、すでにさかへて年久しすこしも惜む事なかれ』

【通解】
いかに所領を惜しいと思っても、死ねば他人のものとなってしまう。あなたは所領をいただき、すでに栄えて年久しいことである。少しも所領など惜しむ心があってはならない。

〈寸鉄〉 2019年1月24日
会長から平和を築く対話の重要性を学んだ—識者心を結ぶ語らい、我らも
熊本「水俣の日」45周年。苦しんだ人が幸福に。友の歓喜の姿は蘇生の証し
尼崎の日。さあ友情拡大の波動を今こそ!大関西の心臓部が誇り高く前進
「日本国に弘むる間恐れなし」御書。信心は勇気の異名。今日も挑戦の一歩
未来暗いと新成人6割。故に青年部が光れ。希望の時代開く力を結集せよ

☆地域を歩く 兵庫・西宮市 2019年1月17日
◇信心の先輩から学んだ不屈の精神を輝かせて
平成最後の年となる2019年(平成31年)が開幕した。新元号となる5月を前に、平成史を振り返る機会が増えている。
きょうは、1995年(同7年)の「阪神・淡路大震災」から24年である。死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万3792人に上る未曽有の大災害。震源地の兵庫をはじめ、関西の人々は一歩また一歩と復興への歩みを続けてきた。
兵庫県西宮市。現在、関西の「住みたい街」として人気を集める同市でも、震災当時は、県内で神戸市に次ぐ1100人を超える尊い命が失われ、6万世帯以上が全半壊した。
震災経験者の減少や記憶の風化が叫ばれる今、平成の先の時代を舞台に活躍する世代に求められるものとは何か。
新年最初の「地域を歩く」では、西宮市で活動する青年部の姿から、そのヒントを探りたい。

西宮市の中心地の一つ、西宮北口駅周辺。その街並みの美しさからは、大震災があったことは想像もできない。
「物心ついた頃には、すでに普通の生活はできていました。でも、未来に漠然とした不安がありました」。こう語るのは、北田幸恵さん(女子部部長)。
現在、南海トラフ地震や台風などの災害に備え、西宮をはじめ、県内の小学校の耐震化や橋の補修工事などを手掛ける会社に勤める。
北田さんが西宮で生まれたのは、震災の約3カ月後だった。
家族は居住が難しい状態となった自宅から、学会の西宮文化会館に一時避難した後、市内を転々とする。どの地でも同志の温かな励ましがあった。だが、北田さん自身は震災を経験したわけではない。当初、被災地で生まれたとはいっても、どこか"自分の将来とは関係ない"と捉えていた。
転機は、高校3年生の時。
「自分は何がしたいのか」と進路に悩んだ北田さんは、母親に連れられ、東京にある創価女子短期大学のオープンキャンパスに参加した。そこで目にしたのは、元気なあいさつで迎え、親身に相談に乗る短大生。その姿はまぶしいほど輝いていた。
"自分もこんな人に成長したい"——そう心の底から思った北田さん。真剣な唱題と勉強に挑戦し、見事、創価女子短大に合格した。入学後、同大学に通う女子学生部の先輩らと共に、池田先生の『青春対話』を学んだり、語り合ったりしているうちに、過去や環境を嘆くのではなく、それらを生かしながら、未来に向かって貢献の行動を起こす中にこそ成長の鍵があることに気付いた。
以来、"卒業したら、自分や家族を支えてくれた西宮や、そこに住む人々に恩返ししたい"との思いを抱くようになった。
西宮に何度も帰省しての就職活動の末、現在の勤務先から内定を得た北田さん。駅周辺を舞台に、仕事と学会活動に励んでいる。「震災で甚大な被害を被った西宮だからこそ、どんな災害にも負けない地域にする。そんな誇りに思える使命を見つけたのは、信心のおかげです」

今月14日は「成人の日」。この日、成人式を迎えた細木和美さん(女子地区リーダー)は、調理の専門学校に学ぶ2年生である。今春、卒業とともに調理師免許を取得し、社会に出る。
細木さんは幼い頃から、両親のもとで数々の信心の原点をつくってきた。高校進学の時には、共に題目をあげながら猛勉強した結果、公立高校の推薦を勝ち取った。以来、細木さんは「学会のことをもっと知りたい」と、進んで本部幹部会の中継行事に参加するようになった。
細木さんの原点の一つに、生まれる前の出来事である震災も挙がる。当時、彼女の父親は地域の同志の安否確認に走り回った。そんな父への感謝の声を、今なお聞くことがある。
「自分も大変なのに、他の人の所に駆け寄って、本当にすごいと思います。両親は、どんなに自分たちが苦しくとも、他者に尽くすとともに、子どもに対しても、いつも『大丈夫』と言って支えてくれました」
細木さんは高校卒業後、専門学校へ。女子部の人材グループ「白蓮グループ」にも入校した。そこで自他共の幸福の大切さを学び、休学中の同級生に題目を送ったり、初の仏法対話に挑んだりするなど、信心の実践に励むようになった。
「細木さんは未来部の頃から、まじめで素直な信心を貫いてきました」と語るのは淨慶陽子さん(支部婦人部長)。自身も4人の育児をしながら、地域の未来部に関わってきた。
細木さんに対し、ある時は会合で、ある時は出会った道端で激励を送った。専門学校生となった細木さんの「友達ができない」という悩みを耳にした時は、励ましの思いを込め、信仰体験が載った本紙を同封した手紙をつづったこともある。
淨慶さんをはじめ、西宮の学会家族から送られた励ましを、今も前進の糧にしている細木さん。今月末には「白蓮グループ」の入卒式も控える。「これまでは自分のことで精いっぱいでしたが、人のことも祈れるようになりました。両親や西宮の皆さんのように、いつも明るく振る舞える自分になりたい」

西宮市は、"あこがれの住宅地"として古くから開発されてきた。だが、震災後は新住民も増え、地域の絆が薄まりつつある。特に若年層は、就職・進学・結婚などで転出入が激しい。
「だからこそ、温かく楽しい雰囲気を心掛けています」と語るのは、結婚を機に転入した圏男子部長の菅野貴明さん。
その中で、"転入組"の山本悠拳さん(男子部部長)や内田和美さん(男子地区リーダー)らが、地元出身のメンバーと一緒に立ち上がって弘教を達成。市の男子部をけん引する拡大ができているという。
南征吾さん(総県男子部書記長)は京都で生まれ育った。震災当時は17歳。その後、専門学校などを経て奈良の医療・福祉専門学校で作業療法学科の専任教員を務めていたが、2015年(平成27年)秋、大阪の大学への転職を機に、交通至便な西宮にやって来た。
以来、教壇に立つだけでなく企業や大学等から依頼を受け、研究などを行うように。多忙を極め、心身共に"人生で一番しんどい時期"となった南さんを支えたのが学会家族だった。
その一人が山岡良次さん(支部長)。自身も、仕事の関係で関西各地を転々とし、震災後の08年(同20年)に西宮に移住した。「転勤族は皆、忙しい上、誰にも相談できずに悩んでいることが多いんです。だからこそ話を聞いて心を軽くしてあげたい。西宮でそれを学びました」
そんな山岡さんをはじめ、同志の応援を受けた南さん。京都に住む祖父母の折伏に挑み、昨年、入会に導くことができた。
一方、仕事でも、執筆を担当した専門書が数週間にわたってベストセラーに。研究の成果をフランス・パリの国際学会で発表するなど、実証を示す。
「西宮と言えば、震災というイメージがありました。だからこそ、それを乗り越えてこられた皆さんの励ましには一段と温かみを感じるのだと思います。今いる場所から、世界で活躍する人材に成長する。それが今まで私に関わってくださった皆さんへの恩返しと決めています」

1月17日は、復興と新世紀への出発の"原点"とする「阪神ルネサンスの日」である。
池田先生は「兵庫は、大震災の大試練を乗り越え、立ち上がってこられた。その不屈の精神は、やがて日本をリードし、21世紀の文明の大きな核となっていく」と語った。
平成から新時代へ。時は変われど、その「不屈の精神」は変わらない。"原点"の日を迎えるごとに、より深く、より強き信念となって若き世代に受け継がれている。