華陽姉妹のロマン総会に
皆で暖かなエールを!
婦人部の応援に感謝。
希望と友情の励ましで
「幸福の門」を広々と!
上野殿御返事 P1508
『文の心は仏を一中劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながちににくむ法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりととかせ給う』
【通解】
文の心は仏を一中劫の間供養するよりも、末代悪世にあって人が強く憎む法華経の行者を供養する功徳の方が勝れていると説かれているのである。
〈寸鉄〉 2019年1月14日
SGI交流交歓会を盛大に。誓願の心に国境なし。世界の同志と共に広布へ
四国婦人部の日。志の国に広がる対話の花。正義の誇り胸に友情の花園を
真の雄弁とは言うべき事を言う事—文人。堂々と語れ!情熱は必ず伝わる
平成最後の「成人の日」。新しき創価勝利の時代をここから!君の熱と力で
歩きスマホ、7割が人にぶつかった経験。「自分は大丈夫」が事故にと戒め
☆忘れ得ぬ瞬間 創立者の語らい 第9回 創価大学 寮生懇談会
◇地中深く人生の根を張れ
英知と人格を錬磨する創価大学の学生寮。親元を離れ、切磋琢磨する寮生を、創立者・池田先生は、折に触れて励まし続けてきた。1980年代には「寮生懇談会」に出席し、向学の指針を贈った。83年11月18日の第4回の集いでは、"人生の基礎の時代に、学問に徹し抜け"と強調。良き学友と共に、自分に負けない青春をと望んだ。
時代は「一流の時代」である。二流、三流ではもはや追いついていけない。世界的にもそういう時代です。
勉学の時間はおのおの異なるかもしれないが、今のうちにしっかりやっておかなければならないと思う。遊びたいのもわかる。さぼりたいのもわかる。しかし、一つのことに"徹する"、この徹するということが大切です。徹しきれるという人は、すでに因果倶時で勝利を得ているのです。
今の諸君は、やはり勉強が一つの仕事であります。生活だし、人生です。したがって、それぞれの立場で自分の勉学にだけは徹し獲得しておく。これを忘れてはならない。
勉強ができる人というのは、努力ができる人ということです。努力なくして勉強ができることは、普通はありえない。勉学は責任というか、人間の権利であります。これを放棄したら動物と同じです。
今、基礎の勉強をしっかりしておかないと、社会に出た時、皆にばかにされてしまう。人生の基礎の時代に頑張りなさい。自分が実力を持っていけば大勢の人がついてくるし、守ってあげられる。救ってあげられるし、一緒になって歩んでいける。そういう中心者になれる。家族も安心して暮らせる。実力をつけるということは、いろんな意味で大事なことです。
知識というのは両刃の剣です。それによって幸福になり、社会に力を示すこともできる。反対に不幸になってしまう場合もある。知識それ自体は幸、不幸には関係はない。それを決めるのは自分の一念です。
仲の良い、いい友だちを持つことは人生の最大の財宝であります。このような清らかな、親しみを持った友人ができる世界というものは、私は稀であると思っております。
ともかくいやなことも、へこたれそうになることも、悲観することも、感傷的になることも、青春だからいろいろあるに決まっています。青春とは悩む時代、煩悶する時代です。その激流に流されて沈んでしまうか、そのなかでもがきながら前へ前へと進むか、これが青春の闘いです。ここに、未来への勝敗を決めるチャンスがある。
◇頑張り抜く人に
さらに第6回の集い(84年2月3日)では、建学の精神を忘れず、全員が21世紀の人材にとスピーチした。翌85年1月30日の第8回寮生懇談会では、母校の看板を背負い、一人一人が勝利の人生をと力説。来るべき将来の"時"のために、今は地中深く根を張りゆけと訴えた。
諸君は今はまだ、勉学の最中だけれども、体力的にも、精神的にも全ての面で諸君たちの時代に入っていることは間違いない。
その意味において、私はたくさんの大学生がいる中で、不思議な縁で、創大の建学の精神に馳せ参じて来てくださった諸君に全面的に期待する以外にないし、全面的に諸君を応援するのが私の人生と思っております。諸君にしか未来はない。21世紀は全部諸君の活動の舞台である。我々ではない。それを私は、今深く感じながら、これからの人に対して、全魂を打ち込んでおります。特に建学の精神に馳せ参じてくださった諸君に対しては、明確なる目標の人材として、私はこれからも接していくつもりであります。
〈84年2月3日〉
自分は何をもってこの人生を生きゆくのか、また、たとえ自分を偏見の目で見ていた人間であっても、本当に感服させていける力を持つことです。このことは、人間にとってたいへん意義深く、大事なことであります。
諸君にとっては、すでにこの創大が自身の"ルーツ"であり、いわば一生涯、母校という一つの看板を背負った立場となったのです。ゆえに、それぞれの分野で、それぞれの特性を生かしながら、この創価大学で、英知を磨き、立派に研鑽して、それぞれの栄冠の人生を勝ちとっていただきたい。
もう一つ、諸君に申し上げておきたいことは、青春時代とは、"時"の来るのを待ち、大地の下に根を張って、張りめぐらしていく時代だということであります。諸君がこの時代に悩むことも、勉強に励むことも、また、さまざまに心を動揺させることも、すべて、生涯にわたる根を張っていくためへの栄養なのであります。
根は目立たない。また、虫も食べに来るだろうし、もぐらも来るかもしれない。けれども、その根を深く広く張りめぐらした人こそが、時とともに青々と葉を茂らせ、花を咲かせ、見事なる実を結ばせることができるのであります。
逆に、温室で育てられ、花を咲かせたようなひ弱な姿は、自然とともにダイナミックに生きゆく溌剌たる青春の姿とは、ほど遠いものがあると、私は思う。その意味において、諸君は今、勉強をし、根を張りながら、将来、自分はこの分野で大きく育つのだという目標をもって、頑張りぬいていただきたい。
頑張るということは、偉大なる人生への向上の条件であります。頑張ることなく自然に偉大な人間に、というわけにはいかない。そういう姿勢では何もできない。
大事な諸君たちです。どうか風邪をひかないように、身体に気をつけて、また交通事故などにも十分注意しながら、独立独歩の学生生活を送っていただきたい。
〈85年1月30日〉