2018年8月27日月曜日

2018.08.27 わが友に贈る

◇今週のことば
「意が声とあらはる」
健気に戦う宝友に
労いと感謝の声を!
ここに喜びの金波が。
2018年8月27日

法蓮抄 P1050
『今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし』

【通解】
今、法華経寿量品を持つ人は、十方世界の諸仏の命を続ぐ人である。諸仏も皆、法華経の自我偈によって自分が成仏できたのであるから、その恩ある法華経を持つ人を捨てられる仏があるだろうか。もし、この人を捨てられるならば、仏はかえって自分の身を捨てられることになるであろう。

〈寸鉄〉 2018年8月27日
会長は困難を乗り越える生き方の模範—南米総長青藍の同志よ勝って光れ
総秋田女性の日。婦女の連帯こそ希望!安心と喜び多き宝土に対話の渦を
菩薩行をせねば仏になれない—牧口先生。利他の実践で真の幸福境涯開け
厳しい残暑いまだ続く。水分・塩分補給など対策怠らず。健康人生を共に
法務省を騙る架空請求が全国で急増。葉書で不安煽る手口。躊躇わず通報

☆御書と歩む� 第31回 行学錬磨の青春のスクラムを
『設い一字一句なりと雖も此の経を信ずる者は宿縁多幸なり』(守護国家論、71ページ)

◇通解
たとえ一字一句であっても、この経を信じる者は過去世からの因縁があり、多幸なのである。

◇同志への指針
若くして大仏法に巡りあうほどの「宿縁多幸」はない。
恩師は「御書の一字一句にも大聖人の大慈悲が込められている」と言われた。御書を開けば、赫々たる生命の太陽が昇り始める。
教学で人格の芯を固めることだ。心肝に染めた御聖訓が自他共の幸福を築き、偉大な使命を果たし抜く力となる。
行学錬磨の青春のスクラムで、人類を照らしゆけ!

☆9月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 富木殿御書
◇「今」を真剣に生きよう! 労苦をいとわず広布へ
9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「富木殿御書」を研さん。日蓮仏法の師弟の根幹である、弟子の姿勢について学ぶ。

◇御文
『我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』(御書970ページ)

◇通解
わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。

◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下の中心として活躍した富木常忍に送られた御書である。建治元年(1275年)の御執筆とされてきたが、現在は建治3年(1277年)と考えられている。
当時、"法華経は大日経に比べると戯論である"という真言密教が、人々から最も権威ある教えとされ、信じ崇められていた。
そうした背景の中で執筆されたのが本抄である。
大聖人は本抄の冒頭、法華経や涅槃経などの経論を引かれながら、謗法の罪は大きいこと、悪知識を恐れるべきことを強調されている。
続いて日本国の人々を謗法の大罪に陥れた元凶であり、最も恐れるべき悪知識として、弘法・慈覚・智証を挙げている。そして、"数多くの先徳たちがこの三人を疑っていないのに、どうしてあなたは謗法と非難するのか"との問いを立て、弟子たちに真言密教の邪義と法華経の正義を峻別するよう勧められている。

◇解説
本抄は、別名「止暇断眠御書」と呼ばれる。
止暇断眠は「暇を止め、眠りを断つ」と読み下す。拝読御文は、大聖人がまさに止暇断眠について言及された箇所である。
ここで大聖人は、全ての弟子に対し、寸暇を惜しんで精進し、悔いない一生を送るように教えられている。では、「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ」と述べられた、常に思案すべき「之」とはいったい何か。
真言密教は、中国や日本で「法華経最第一」の義が確立された後に伝来したため、天台・伝教の破折を免れ、大きく広まった。
大聖人は、謗法を広めた悪知識の存在に言及し、特にその根源として、弘法・慈覚・智証を挙げている。
中でも、日本天台宗の座主として、本来なら、正法を護持し、弘通して、民衆を幸福に導くべき立場にもかかわらず、真言密教に染まってしまったのが、慈覚・智証である。
慈覚は、真言密教の主張に同調して「理同事勝」(大日経には、法華経の一念三千と同様の「理」があるが、印と真言という「事」を説く大日経は法華経に勝れている)との邪義を唱えた。
智証もまた、天台宗の密教化を推進した。
二人は当時、皆の尊敬を集めていたが、その姿はまさに、師敵対の弟子だった。
大聖人が、別の御書で「慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御弟子とは・なのらせ給ども心は御弟子にあらず」(308ページ)と厳しく破折されている通りである。
「之」とは、こうした悪知識の僧たちの正体のことなのである。
一方、大聖人は、釈尊、天台、伝教という法華経の行者の系譜を踏まえ、正法が滅びるのを惜しまれ、不惜身命の大闘争を貫かれた。
拝読御文は、"この峻厳な事実をよく見つめ、どこまでも正義の心を受け継げ!"との、弟子たちへの師子吼であったとも拝される。
拝読御文について、池田先生は次のように述べている。
「『今』を真剣に生きるのです。ただ『身』を惜しむだけで何も行動しなければ、何も残せません。法を惜しんで、労苦をいとわず、広宣流布に邁進することです。1回限りの今世の人生を、広布に捧げることが『万歳悔ゆること勿れ』となるのです」
根本の使命を忘れ去って、目先のことに流されて漫然と生きるのではなく、どこまでも広布への情熱を赤々と燃やしながら、今を真剣に生きていくこと。それが、弟子としての悔いない人生につながっていくのである。
いよいよ下半期がスタートした。
今一度、目の前の課題や目標を明確にしながら、一日一日を真剣勝負で生き抜いていこう。そして広宣流布大誓堂完成5周年の「11・18」を、広布と人生の勝利で荘厳していきたい。