◇今週のことば
わが人間革命の劇は
「今ここ」から始まる!
どんな試練の宿命も
皆を励ます使命に転じて
未来までの物語を共に!
2018年8月6日
聖人御難事 P1191
『をくびやう物をぼへずよくふかくうたがい多き者どもはぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ』
【通解】
臆病で教えを心に刻まず、欲が深くて、疑い多い者どもは、漆の塗り物に水をかけて、空中に振って水が落ちるようなもの(何も残らない)なのである。
〈寸鉄〉 2018年8月6日
広島原爆忌。過ちは二度と繰り返さぬ!核兵器は絶対悪の思想を全世界へ
小説『新・人間革命』執筆25年。創価の魂たる師弟の大叙事詩。永遠の指針
「他人なれどもかたらひぬれば命にも替る」御書真の友情にまさる宝なし
iPS細胞による難病の治験開始—京大。世界初。苦しむ人への光。期待大
新聞を読む子、学力高く—小・中学生試験。親が鑑となり良き習慣つくろう
☆歌声高く 第8回 我等の天地
◇「志国」に輝く功徳の太陽
仏典には、三千大千世界を囲む鉄の山が登場する。
その名も「鉄囲山」——山全体が鉄でできていて堅固であることから、古来、容易に攻め込まれない"難攻不落の要塞"の例えとして用いられてきた。
「これから『四国の歌』を作ろう!」
1978年(昭和53年)7月20日、岡山から鳥取の米子へ向かう特急列車の車中、池田先生は中国方面の歌「地涌の讃歌」に続いて、四国の歌「我等の天地」の作詞に取り掛かる。
2番の歌詞に「包み護らん 鉄囲山」とつづった。
第1次宗門事件がいち早く勃発し、宗門僧による理不尽な学会攻撃が行われたのが四国であった。
"私は、鉄囲山となって、四国の同志を、地涌の仏子を守り抜く! 負けるな、四国の同志よ! 断じて勝つのだ!"
弟子を思う師の心が凝縮した"師弟の共戦譜"こそ、「我等の天地」である。
作詞から3日後の23日、岡山文化会館(現・岡山南文化会館)に到着した池田先生に、四国の代表が同歌を録音したカセットテープを差し出した。
「先生、四国の歌の曲ができました!」
先生は「よし、ここで聴こう!」と、会館のロビーに腰を下ろし、完成したばかりのメロディーに耳を傾けた。
「本当にいい曲だ。明るくて心強いメロディーだね」。歌声に合わせ、歌詞を口ずさむ先生。
曲が終わると「ありがとう。この歌を携えて、四国へ行こう!」と。
先生は歌詞に込めた真情を、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章でつづっている。
「『四国の天地は我が天地』と、皆が本当に自覚することが大事です」「わが誉れの天地で、自分らしく、広宣流布を進めていこうとの決意に皆が立つ時、新しい四国の時代が来る!」
翌24日、先生は船で岡山から香川・庵治町の四国研修道場へ向かった。
午後6時過ぎ、瀬戸の空が深紅の夕焼けに染まり始める。研修道場の庭で野外研修が始まった。ここで、「我等の天地」が発表されたのである。
歓喜の歌声は、1度だけでなく、2度、3度と繰り返された。
♪友よ負けるな 妙法の
祈りの功徳は 天空に……
信心とは、どんな宿命にも「負けない心」の異名である。その晴ればれとした心にこそ、功徳の太陽は輝きわたる。
方面歌誕生から40年。西日本豪雨で甚大な被害を受けた愛媛をはじめ、香川、高知、徳島の四国の友は、今再び誓いの歌声を響かせながら進む。
四国は「志国」だ。我等の天地を幸福に!——この大いなる「志」は、何があろうと消えることはない。
そして四国は「師国」だ。人生と広布の幾山河を師と共に!——この最極の絆がある限り、断じて負けることはない。
MEMO
四国の歌「我等の天地」の誕生の淵源や意義は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」「大道」の章につづられている。
また、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも、同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、遙かな峰も 我が峰と
四国の天地は 我が天地
地涌の我等が 乱舞せる
故郷嬉しや この山河
二、緑したたる あの山も
喜び勇んで 我等をば
包み護らん 鉄囲山
おお誉れあれ この法戦
三、友よ負けるな 妙法の
祈りの功徳は 天空に
四国の民衆に そそがなん
おお前進だ 鐘は鳴る