2018年8月13日月曜日

2018.08.13 わが友に贈る

新聞休刊日

一生成仏抄 P384
『衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり』

【通解】衆生の心がけがれれば、その住む国土もけがれ、心が清ければ国土も清いと説かれるように、浄土といい穢土といっても、国土に二つの隔てがあるわけではない。ただ我らが心の善悪によって浄土とも穢土ともなるのである。

☆歌声高く 第11回 ああ感激の同志あり
◇本陣に「勝利」の二字を
学会の歴史は東京から始まった。牧口先生も戸田先生も、池田先生も、この東京から広布の戦の火ぶたを切った。
あらゆる権力が集中する首都において、民衆の自立と幸福のための戦いを起こせば、障魔の嵐が起こるのは必然である。だからこそ、東京が勝てば、世界広布の未来もまた、大きく開かれていくことになる。
池田先生は、四国指導のさなかにあった1978年(昭和53年)7月25日夜、東京の使命と責任の大きさに思いを巡らせていた。
東京には多彩な人材がそろっている。同志の数も多い。だが一方で、一人一人の責任感や使命感の希薄化を招きやすい。先生は、東京がこの宿命を打ち破るには"生命を覚醒させる歌"が必要だと考え、筆を執ったのである。
1週間後——8月1日付の本紙1面に「待望の『東京の歌』が完成」との見出しが躍った。タイトルは「ああ感激の同志あり」。先生は"人と人との触発の中で生まれる感激こそが、東京を一つにし、一人一人の前進の活力になる"と結論したのだ。
翌日、先生が出席して行われた東京支部長会で、東京の歌が力強く響きわたった。
「おお東天に祈りあり」
「おお中天に燦々と」
「夕陽をあびて尊くも」
「夜空に満天の星座あり」
朝の祈り、中天の燦たる光、夕陽のなかを走る友、満天の星の下の語らい……一人の同志が真実の信仰を持つ感激を胸に、学会活動に走り抜く一日の光景が格調高く表現された、今までにない新しい歌だった。
池田先生はつづった。
「東京は、本来、力を出せば無敵です。だから、『汝の勝利は 確かなり』なんです」

「ああ感激の同志あり」が誕生したその年、先生は、総東京各地の歌も作り、贈っている。練馬区・北町地域の支部歌「北町広布」(同年7月)、世田谷の歌「地涌の旗」(同年10月)、そして山梨の歌「文化と薫れ」(同年11月)である。
♪共に築かん 北町広布——「北町広布」は池田先生が作詞・作曲した学会歌の中で、唯一の「支部歌」である。支部は、地域広布を担う最前線の舞台だ。それだけに苦労も悩みも大きい。歌には"一番苦労した人を、一番讃え、励ましたい"との思いが込められていた。
♪嵐に勝利の この我は——世田谷の歌「地涌の旗」に託した真情を、先生はこうつづっている。「世田谷の同志が嵐に立ち向かう勇気をもって、敢然と前進を開始すれば、必ず時代は変わる」と。大東京をけん引しゆく旗手こそ、世田谷家族にほかならない。
山梨の歌「文化と薫れ」は、池田先生が山梨の友の要請を受け、原案を基に本格的な作詞に取り掛かった。歌詞の完成は11・3「創価文化の日」であった。
♪いざいざ立ちなむ 山梨は——友は今、この歌を口ずさみながら、秋の山梨青年城総会に向けて弘教拡大に励んでいる。
東京、第2総東京、そして山梨。この広布の本陣・総東京の使命は永遠に変わらない。その使命とは「勝利」の二字である。

MEMO
東京の歌「ああ感激の同志あり」の誕生の経緯は小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章、練馬区・北町地域の支部歌「北町広布」の発表の模様は同巻「広宣譜」の章、世田谷の歌「地涌の旗」と山梨の歌「文化と薫れ」の制作の淵源は第29巻「常楽」の章に描かれている。またSOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)では、「ああ感激の同志あり」と「文化と薫れ」のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等のほか、「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。

一、おお東天に 祈りあり
  元初の生命の 曙は
  春の桜の 匂うごと
  喜び勝たなん 力あり

二、おお中天に 燦々と
  日天我等を 護らんと
  いざや戦士に 栄あれ
  汝の勝利は 確かなり

三、夕陽をあびて 尊くも
  地涌の友等は 走りゆく
  彼方の法戦 満々と
  ああ感激の 同志あり

四、夜空に満天の 星座あり
  満たせる胸は 高鳴りて
  仏の使いに 誇りあり
  ほまれの東京 光あれ