2018年8月25日土曜日

2018.08.25 わが友に贈る

相手の幸福を祈り抜き
確信の声を響かせる。
これが対話の要諦だ!
縁する友と縦横に語らい
颯爽と友情を広げよう!

寺泊御書 P951
『心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし』

【通解】
「志」を抱いて進む人達は、一処に集まって、法義を聴聞しなさい。

〈寸鉄〉 2018年8月25日
会長は偉大な英知を持つと共に最高の「聞き手」—博士。心の機微知る人に
「自分の使命に生き切ることが大切だ」戸田先生。今いる場所で力強く乱舞
「城の主剛ければ守る者も強し」御書。率先垂範の将たれ。勇姿に皆が続く
私の胸は燃える灯明である—彫刻家。さあ、走り語ろう!情熱は必ず伝わる
修士・博士、日本だけ減—7カ国調査。教育は未来築く百年の計。抜本策を

☆歌声高く 第13回 青葉の誓い
◇不撓不屈の「みちのく魂」わが胸に
ある友は言う。それは、「喜びの歌だ」と。折伏を終え、同志と歩いた月光の夜の道、その歌を口ずさみながら、歓喜を噛み締めた思い出は、数知れない。
ある友は言う。それは、「勇気の歌だ」と。病苦、経済苦、そして大震災——不安と悲しみの中にあった時、その歌が、どれほど自らを鼓舞してくれたか。
東北の歌「青葉の誓い」には、同志の数だけ、忘れ得ぬ広布と人生の物語がある。その誕生の瞬間もまたドラマであった。
1978年(昭和53年)8月6日、東京の創価女子会館で行われていた東北女子部の勤行会に、朗報が飛び込んだ。「今、池田先生が東北の歌をつくってくださっております!」
この日、東北女子部の代表が上京していると聞いた先生が、ほぼ完成していた歌に曲を付けながら、推敲を開始したのである。
清書された歌詞の入った封筒が会場に届いた。まず1番の歌詞。続いて2番、3番。さらには譜面まで。女子部の友は師の慈愛に目を潤ませながら、「青葉の誓い」を何度も歌った。
この歌は同日、山形県米沢市で行われた「置賜ふるさと祭典」のために、電話で歌詞とメロディーが伝えられた。置賜は、第1次宗門事件の嵐が激しく吹き荒れた地域である。夜の公演の部のフィナーレの後、歌の誕生が劇的に発表され、そのまま全員で合唱へ。東北の天地に「青葉の誓い」が初めて響きわたった。
「青葉の誓い」の歌詞と楽譜が聖教新聞に掲載されたのは、8月8日。友は振り返る。「歓喜の波動が、歌声と共に、瞬く間に東北の隅々にまで広がっていくのを感じました」
東北の歌は年々歳々、歌い継がれながら、師弟の心を結ぶ共戦の歌として、その輝きをより増していく。
「あの時ほど、この歌に励まされたことはない」と多くの同志が異口同音に述懐するのは、2011年3月11日の東日本大震災後のこと。一時的な避難所となっていた会館で、音楽隊の演奏に合わせ、声を振り絞るようにして歌ったあの日あの時——「涙があふれて仕方がなかった」と。
先生はつづった。「大好きな『青葉の誓い』の歌声が、私の胸に響かぬ日は、一日たりともない」「健気な東北の友の『心の財』が積まれた『功徳の山々』は、絶対に壊されない」
この歌が東北に響く限り、不撓不屈の「みちのく魂」も受け継がれていく。

MEMO
東北の歌「青葉の誓い」の誕生の経緯は、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章につづられている。
また、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも、同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。

一、青葉の森に 誓いたる
  我等の誇り 忘れまじ
  いかに護らん 果たさなん
  同志の城に 月冴えて
  ああ東北の 功徳の山々よ

二、風雪越えし 我等こそ
  地涌の正義の 旗頭
  今堂々の 陣列は
  使命の旗を 高らかに
  ああ東北の 歓喜の友々よ

三、おお新生の 道広く
  王者の鼓動は 雄渾に
  三世の光と ひらかなん
  これぞ元初の 太陽と
  ああ東北の 凱歌の人々よ