2018年8月2日木曜日

2018.08.02 わが友に贈る

仏法を語る人は
皆が「如来の使」だ。
真剣と誠実の心は
必ず相手に伝わる。
その功徳は三世に輝く!

妙法比丘尼御返事 P1412
『法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし』

【通解】
法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる。

〈寸鉄〉 2018年8月2日
地域に尽くす学会員から会長の偉大さ実感—識者弟子の勝利こそ師の勝利
「東京の歌」発表40周年。さあ歌声高らかに!感激の同志と共に拡大を牽引
東西学園生が各種全国大会で健闘。創立者の心胸に。負けじ魂の青春譜を
形式ではない。御本尊に本気でぶつかれ—恩師。師子の題目に不可能なし
高校生模擬投票で公明が1位。教育費無償化等に説得力と。希望社会の柱

☆歌声高く 第6回 この道の歌
◇我らが決めた師弟の道
人の目には見えないが、大空を舞う鳥には鳥の飛ぶ「道」がある。大海を泳ぐ魚にも、魚の泳ぐ「道」がある——御書には、そう仰せである(1250ページ)。
かつて池田先生は中部の友に語った。「人にも人としての『道』がある」と。 愛知、三重、岐阜の3県からなる中部の天地に、池田先生が刻んだ足跡は100回超。その中でも40年前の1978年(昭和53年)、7・27「中部の日」に名古屋で行われた記念幹部会は、中部広布史に燦然と輝く集いとなった。席上、池田先生が作詞した方面歌が発表されたのである。その名も「この道の歌」——。
先生は、第1次宗門事件の嵐の中で悔し涙を流してきた同志を励まそうと、その年の7月、関西、中国、四国、そして中部へ。渾身の激励行の間隙を縫って、詞の推敲を重ねていた。
「この道」とは何かを、友は知っていた。幹部会からさかのぼること3カ月前、先生が中部の同志にこう呼び掛けていたからだ。「われわれは、ひとたび決めたこの道——すなわち『信心の道』『一生成仏の道』『広宣流布の道』『師弟の道』『同志の道』を、生涯、貫き通して、ともどもに勝利の人生を飾ってまいろうではありませんか!」(小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章)
我らの「この道」にこそ、人間として最も偉大な生き方がある。幸福がある。勝利がある——誇りに満ちた歌声が、中部記念幹部会の会場に響き渡った。何度も、何度も。
さらに翌28日、先生は、宗門問題で苦しんだ友を励ますため、岐阜・多治見市の東濃文化会館へ向かう。その途次、歌詞に筆を入れ、結びの「諸天舞う」を「諸天舞え」とした。諸天の加護をただ待つのではない。「舞わせる」のだ。「動かしていく」のだ。自身の強き祈りと行動で——との思いを込めて。
広布の道、師弟の道は、他を頼る受け身の姿勢であっては、貫き通すことはできない。ゆえに先生は「一人立つ」「一人歩む」強さを持てと訴えたのである。
信念の人が歩けば、道が生まれる。続いて歩く人が増えれば、道はさらに大きく広がっていく。中部広布の「この道」は今、世界広布へ続く大道と輝く。
"未来部の夏"の風物詩ともなった「E—1グランプリ」をはじめ、後継者育成の模範の取り組みを発信し続ける中部を、先生は、「未来の世界市民を育む希望のモデル」とたたえる。3月の世界青年部総会を通して、創価の道を歩み始めた青年も数知れない。
本年の開幕に当たり、先生は、中部の友に呼び掛けた。「我らが決めた栄光の『この道』に、地涌の青年を、ますますにぎやかに呼び寄せながら、いよいよ勇敢に、たゆみなく進もうではありませんか!」
いよいよ、方面歌発表40周年となる7・27「中部の日」を迎える。道は続く。友は歩む。不退の同志と、師と共に!

一、ああ我等我等の 決めた道
  この道歩まん 朗らかに
  不退の君と
  悔いあらじ 悔いあらじ
  ああ中部中部 和楽あれ

二、ああ走れ語れよ この道で
  苦難の彼方に 瑠璃の城
  これぞ本陣
  護れ君 護れ君
  ああ中部中部 歓喜あれ

三、ああ朝な夕なに この道を
  口笛涼しく 友どちと
  夜空にはずむ
  語りべに 語りべに
  ああ中部中部 諸天舞え