前進を阻む最大の敵は
周囲の環境ではない。
自身の臆病の心だ。
「師子王の心を取り出し」
今やるべき事に全力を!
日興遺誡置文 P1618
『下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事』
【通解】
たとえ位の低い者であっても、自分より智慧がすぐれている人を、師匠と仰いで仏法を学ぶべきである。
〈寸鉄〉 2018年8月31日
創価の青年が同世代を触発してほしい—大臣。哲学持つ君達こそ社会の柱
「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前」御書。悩みの時こそ強盛に祈り成長
学生部の日。最高の同志と共に大いに学び大胆に語れ!先駆の使命は永遠
防災週間。緊急時に何を持ち、どこに避難するか。危険マップなど使い確認
夏の疲れが出る時期。食事・睡眠・適度な運動—聡明に健康に充実の秋へ
☆誓いの天地 石川・金沢市 2018年8月20日
◇使命の舞台で勝利の証しを
加賀百万石の城下町として栄えた金沢。兼六園、金沢城や茶屋街など、その歴史が人々を引き付ける一方、金沢駅の鼓門をはじめ、円形デザインの金沢21世紀美術館といった近代的な建築物も多い。
伝統と現代が融合する町。3年前の北陸新幹線の延伸開業によって、観光都市としても発展を続ける。
市内の百貨店にあるブランドショップで、婦人服の販売をしている山岸早紀さん(金沢南圏、女子部部長)。「金沢は町並みもすてきですが、一番の魅力は『人』だと思います」
石川県七尾市で生まれ育ち、短期大学への進学を機に金沢市へ。女子部の先輩の温かさに触れ、学会活動を始めた。大学に編入し、卒業後はアパレル企業に就職した。
彼女が試練に襲われたのは3年前。帰宅途中に交通事故に巻き込まれ、重傷を負った。
すぐさま学会の同志が見舞いに。女子部からは真心の寄せ書きも届けられ、題目を送ってくれた。
山岸さんは、"絶対に乗り越えて、広布の舞台に戻ろう"と決意し、真剣に唱題を重ねた。
ケガは順調に回復し、退院。3カ月後、職場に復帰することができた。
これまで以上に真心の接客を心掛け、顧客との信頼を結んでいった。気付けば、以前よりも店の売り上げは伸び、100以上ある店舗のうち、五指に入る業績を上げるようになった。
学会活動にも励み、本年から白蓮グループの班長に。仏法対話に果敢に挑戦している。「感謝の心を忘れず、華陽のスクラムを広げていきます」
◇
現在、「師弟誓願 拡大月間」を朗らかに前進する北陸の友(9月8日まで)。月間の開幕を勢いよく飾ったのは男子部の拡大だ。今月12日、北陸男子部大会が金沢市の石川平和会館で盛大に行われた。
対話に挑み、人材を大きく拡大して大会当日を迎えた一人が、太田正則さん(金沢喜多圏、男子部本部長)。大手製薬会社の営業職として、市内をはじめ、富山県や岐阜県北部のエリアを担当する。
大阪・枚方市の出身。創価大学を卒業後、仕事のため、6年前に金沢へ。誰も知り合いがおらず、心細かったが、学会の同志が温かく迎えてくれた。
4年前の創価青年大会では、演目の一つであった、よさこいの出演メンバーに。練習に励む中、より良い条件の会社に転職することもできた。
仕事では「『自身』が変われば『世界』が変わる。『わが一念の変革』が、すべての変革の鍵なのです」との池田先生の言葉を胸に、誠実第一で迅速な対応を心掛けた。顧客との信頼が深まり、昨年は全国2位の営業成績を収めた。
今、3人の友人と一緒に唱題に励んでいる太田さん。「職場でも地域でも勝利の実証を示し、師匠・池田先生にお応えします」と誓いの青春を歩む。
◇栄光の共戦譜
●誓願に生きる人生は最極なり
「わが師・戸田城聖先生は、私の生命の最も奥深くに、いつも御一緒である。そしてまた、恩師の故郷・北陸の同志も、私の胸奥から瞬時として離れることはない」
石川県は、第2代会長・戸田先生の生誕の地。池田先生が、石川の同志に寄せる思いは、限りなく深く、大きい。
第3代会長を辞任した直後の1979年(昭和54年)5月3日、池田先生は「誓」としたためた。その「誓」の一字を、82年(同57年)9月、石川の地でも大書した。その思いを先生は「わが魂を北陸に置き留め、同志を守り抜かんとの決意で」と述べている。
これまで池田先生が石川県を訪れたのは8回。初訪問は、57年(同32年)10月26日のこと。金沢市内の指導会に出席した。
集まった300人の大半は入会歴が浅く、病魔や経済苦と闘う人も多かった。先生は一人一人を包み込むように励ました。当時の日記には、こうある。
「如来の使いだ。誇り高くあれ」「北陸にも、広布の響き始まる」
この日は今、「石川広宣流布原点の日」となっている。
◇
64年(同39年)7月14日、石川県に初の会館となる金沢会館(当時)が誕生。落成入仏式に池田先生が出席した。
先生は石川の同志と勤行・唱題を行い、友の幸福を祈念。式典後も、場外にいた同志のもとへ赴き、温かく声を掛けた。
翌15日も、金沢会館での激励は続いた。入会してまだ2カ月だった織田末廣さん(金沢喜多圏、副支部長)も出会いを結ぶ。
先生は「君たち、仕事は大丈夫?」。一緒に来た男子部員が「今日は休みなんです」と答えると、「そうか、ありがとう。しっかり仕事を頑張るんだよ」と笑みを浮かべ、一人一人と、固い握手を交わした。
織田さんは当時、自動車の修理工場に勤めていたが、短気な性格が原因で職を転々としていた。先生との"誓いの握手"から、仕事への姿勢を顧みるように。その後、染色会社で25年間、勤め上げた。「先生の激励のおかげで忍耐強くなりました。人生勝利の要諦と、広布に生きる喜びを教えてくれた先生に、感謝は尽きません」
2度のがんも乗り越えた織田さん。長男は地区部長、長女は地区婦人部長、次女は副白ゆり長として、広布後継の道をさっそうと歩んでいる。
◇
76年(同51年)7月、金沢市内の小高い丘に、石川文化会館が完成した。先生は同年11月12日、初来館し、「荘厳な 夕日を浴びて 地涌たち 石川城に 凱歌あがれり」と詠んだ。
翌13日の夕刻、先生は金沢会館へ足を運び、管理者の本間勝美さん(金沢圏、副圏長)と妻の朋子さん(同、圏副婦人部長)に励ましを送った。
この9年前、本間さんは金沢市内のデザイン会社に就職したが、数カ月後に倒産。フリーのグラフィックデザイナーとして奮闘する一方、男子部のリーダーを務め、学会活動にも一歩も引かずに挑んだ。
そんな中、池田先生から一冊の書籍が届いた。そこには「君よ! 可愛い大切な北陸の友を生涯よろしく頼む」との言葉が記されていた。
青年の成長と勝利を信じる師の真心に涙があふれた。本間さんは"この使命の天地で、断じて宿命転換してみせる"と真剣に祈り、弘教に奔走。その後、夫婦で金沢会館の管理者となり、先生を迎えた。
館内を視察した池田先生は、陰の労苦に徹する夫妻をねぎらい、本間さんの2人の息子にも激励を。朋子さんに「子どもは伸び伸びと育てるんだよ」と語り、一家の広布への貢献を心からたたえた。
本間さんは師との出会いを原点に、愛する地域に尽くそうと決意。「森の都愛鳥会」の会長として42年間にわたり、環境保全活動に取り組んできた。また、日本生態系協会の評議員としても活躍する。
「自然を守ることは、子どもたちの未来を守ることにつながります。これからも、安心・安全の町づくりに努めていきたい」
◇
8・26「北陸の日」。その淵源は84年(同59年)8月26日、金沢市内で行われた第1回「北陸平和文化祭」にある。先生は会場に到着するなり、真っ先にグラウンドへ。両手を挙げ、体全体で参加者にエールを送った。
金津洋子さん(石川総県、総県婦人部総主事)も、その光景を目に焼き付けた。
当時、石川県の副婦人部長だった金津さんは翌27日、金沢市内で開かれた北陸広布30周年記念の集いで、香峯子夫人と懇談する機会に恵まれた。金津さんが「自分は気が小さく、人前で話すのが苦手で……」と率直な思いを伝えると、香峯子夫人は頷きながら「でも、それぞれに使命がありますから大丈夫ですよ」と。人と比べるのではなく、自分らしく進んでいくよう励ました。以来、金津さんは"聞き上手"になろうと決意し、広布一筋に走り抜いてきた。
石川県の婦人部長を務めた後、地域活動にも尽力。民生委員を9年間担い、本年4月には、老人会の会長となった。
池田先生が石川婦人部に示した「心清き人は永遠に幸の勝者なり」との指針を胸に、はつらつと希望の連帯を広げる。
◇
池田先生は、かつて石川の友に贈った。
「誓願に生きる人生は最極なり」
それは、先生自身が示してきた弟子の生き方であり、石川の同志が受け継ぐ師弟の魂である。
2018年8月31日金曜日
2018.08.30 わが友に贈る
「南無妙法連華経は
師子吼の如し」
健康長寿の信心だ。
病と闘う友よ 家族よ
断じて負けるな!
撰時抄 P265
『法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり』
【通解】
法華経をひろめる者は、日本国の一切衆生の父母である。章安大師は「相手のために悪を除いてあげることは、相手にとって親である」(涅槃経疏)と言っている。そうであれば、日蓮は日本の帝王の父母であり、念仏者、禅衆、真言師らの師範であり、また主君である。
〈寸鉄〉 2018年8月30日
栄光の「11・18」まで80日。学会の永遠性を確立へ!一日一日、悔いなく挑戦
「讃むる言こそ多く候へ」御書。励ましこそ万の力。共戦の友と讃え合い前進
一人の新たなる同志を。それが時を創ることだ—恩師。率先の訪問・激励を
児童虐待通報「189」が来年度から無料化。地域の絆強く。未来の宝守れ
防災週間が開始。教訓を忘れず備えをしっかり。家族で避難経路等も確認
☆創大通教 学光祭への池田先生のメッセージ 2018年8月23日
◇勇敢な挑戦で新たな価値創造の光を
伝統の「学光祭」は、私にとっても毎夏の心躍るハイライトです。
皆さん方一人一人が、どれほど尊き向学と努力の汗を流して、ここに集いあわれたか。そして、どれほど大きな希望と誇りに胸を張って、ここから再び打って出ていかれるか。私はいつも感激と感謝、敬愛と祈りを込めて、全てを見守っております。
今回の学光祭のテーマは、「さあ、挑戦だ! 学びあおう! 人間教育の勝利者へ」と掲げられました。簡潔でありながら、大事なポイントが光っています。今日は、このテーマに即して、エールを送りたい。
まず「挑戦」の勇気です。わが学光の友に漲る不屈の「挑戦」の息吹が私は大好きです。
今年3月に、晴れて卒業した熊本の看護師の女性の方からも、見事な挑戦の足跡を伺いました。お母さまの勧めもあって、わが創大通教に編入学を決意した矢先に、病気を患い、手術のため入学式には出席できませんでした。さらに入院中に、一昨年4月の熊本地震が発生したのです。しかし、相次ぐ試練にも挫けることなく、リポートの作成や試験に挑戦を続けました。その支えとなったのは、スクーリングで出会う学友たちの友情であったといいます。「一人じゃない」と踏ん張って、卒業を勝ち取り、さらには、看護学校の専任教員の採用も勝ち取られ、「創価教育の体現者に」と活躍してくれております。
創価教育の父・牧口常三郎先生は、"象牙の塔に閉じこもるのではなくして、生活に根ざした生きた学問を"と呼び掛けておられました。この精神を体現しゆく学光の皆さんの勇敢な挑戦こそが、生きた智慧を渇仰する現代社会のあらゆる局面で新たな価値創造の光を放っていくことを、私は確信してやまないのであります。
次に申し上げたいのは「学びあう喜び」です。
私はアメリカの大教育哲学者デューイ博士を巡るてい談で通信教育の意義を語り合った折、確認したことがあります。それは互いに学びあい、励ましあい、ともに生命の可能性を開花させていくところに、尽きせぬ喜びがあり、そして、そこにこそ活力と創造性溢れる安定した平和な社会が開かれていくことであります。まさしく、この学びあう喜びのスクラムを、皆さんは、行くところ、向かうところ、伸びやかに広げていっていただきたいのであります。
最後は、「より良き世界へ奇跡を起こしゆく人間教育の勝利者たれ!」とエールを送ります。
現在、東京富士美術館は、「長くつ下のピッピの世界展」を開催しています。その著者でスウェーデンの世界的な児童文学作家であるリンドグレーンさんは語られていました。「私は奇跡を起こすことのできる読者のために書きたいのです」——と。彼女は、子どもたちは、読書をすることによって、いつか世界を変える奇跡の力を育んでいくと信じていたのです。
私は、人間教育もまた、一人一人の生命から、奇跡の力を引き出すことができると信ずる一人です。どうか、一日また一日、「学の光」を生き生きと放ちながら、どんな小さなことでもいい、我らの世界をよりよく変えていく奇跡を起こしていってください。そして、一人ももれなく誉れ高き人間教育の勝利者として、使命と栄光の人生を断固として飾っていっていただきたいのであります。
わが信頼してやまぬ学光の盟友、万歳! どうか、お体を大切に! ますますお元気で! 朗らかに!(大拍手)
師子吼の如し」
健康長寿の信心だ。
病と闘う友よ 家族よ
断じて負けるな!
撰時抄 P265
『法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり』
【通解】
法華経をひろめる者は、日本国の一切衆生の父母である。章安大師は「相手のために悪を除いてあげることは、相手にとって親である」(涅槃経疏)と言っている。そうであれば、日蓮は日本の帝王の父母であり、念仏者、禅衆、真言師らの師範であり、また主君である。
〈寸鉄〉 2018年8月30日
栄光の「11・18」まで80日。学会の永遠性を確立へ!一日一日、悔いなく挑戦
「讃むる言こそ多く候へ」御書。励ましこそ万の力。共戦の友と讃え合い前進
一人の新たなる同志を。それが時を創ることだ—恩師。率先の訪問・激励を
児童虐待通報「189」が来年度から無料化。地域の絆強く。未来の宝守れ
防災週間が開始。教訓を忘れず備えをしっかり。家族で避難経路等も確認
☆創大通教 学光祭への池田先生のメッセージ 2018年8月23日
◇勇敢な挑戦で新たな価値創造の光を
伝統の「学光祭」は、私にとっても毎夏の心躍るハイライトです。
皆さん方一人一人が、どれほど尊き向学と努力の汗を流して、ここに集いあわれたか。そして、どれほど大きな希望と誇りに胸を張って、ここから再び打って出ていかれるか。私はいつも感激と感謝、敬愛と祈りを込めて、全てを見守っております。
今回の学光祭のテーマは、「さあ、挑戦だ! 学びあおう! 人間教育の勝利者へ」と掲げられました。簡潔でありながら、大事なポイントが光っています。今日は、このテーマに即して、エールを送りたい。
まず「挑戦」の勇気です。わが学光の友に漲る不屈の「挑戦」の息吹が私は大好きです。
今年3月に、晴れて卒業した熊本の看護師の女性の方からも、見事な挑戦の足跡を伺いました。お母さまの勧めもあって、わが創大通教に編入学を決意した矢先に、病気を患い、手術のため入学式には出席できませんでした。さらに入院中に、一昨年4月の熊本地震が発生したのです。しかし、相次ぐ試練にも挫けることなく、リポートの作成や試験に挑戦を続けました。その支えとなったのは、スクーリングで出会う学友たちの友情であったといいます。「一人じゃない」と踏ん張って、卒業を勝ち取り、さらには、看護学校の専任教員の採用も勝ち取られ、「創価教育の体現者に」と活躍してくれております。
創価教育の父・牧口常三郎先生は、"象牙の塔に閉じこもるのではなくして、生活に根ざした生きた学問を"と呼び掛けておられました。この精神を体現しゆく学光の皆さんの勇敢な挑戦こそが、生きた智慧を渇仰する現代社会のあらゆる局面で新たな価値創造の光を放っていくことを、私は確信してやまないのであります。
次に申し上げたいのは「学びあう喜び」です。
私はアメリカの大教育哲学者デューイ博士を巡るてい談で通信教育の意義を語り合った折、確認したことがあります。それは互いに学びあい、励ましあい、ともに生命の可能性を開花させていくところに、尽きせぬ喜びがあり、そして、そこにこそ活力と創造性溢れる安定した平和な社会が開かれていくことであります。まさしく、この学びあう喜びのスクラムを、皆さんは、行くところ、向かうところ、伸びやかに広げていっていただきたいのであります。
最後は、「より良き世界へ奇跡を起こしゆく人間教育の勝利者たれ!」とエールを送ります。
現在、東京富士美術館は、「長くつ下のピッピの世界展」を開催しています。その著者でスウェーデンの世界的な児童文学作家であるリンドグレーンさんは語られていました。「私は奇跡を起こすことのできる読者のために書きたいのです」——と。彼女は、子どもたちは、読書をすることによって、いつか世界を変える奇跡の力を育んでいくと信じていたのです。
私は、人間教育もまた、一人一人の生命から、奇跡の力を引き出すことができると信ずる一人です。どうか、一日また一日、「学の光」を生き生きと放ちながら、どんな小さなことでもいい、我らの世界をよりよく変えていく奇跡を起こしていってください。そして、一人ももれなく誉れ高き人間教育の勝利者として、使命と栄光の人生を断固として飾っていっていただきたいのであります。
わが信頼してやまぬ学光の盟友、万歳! どうか、お体を大切に! ますますお元気で! 朗らかに!(大拍手)
2018年8月29日水曜日
2018.08.29 わが友に贈る
リーダーは謙虚であれ!
周囲への感謝と敬意を
言葉と姿で伝えよう。
「釈尊の出世の本懐は
人の振舞」なれば!
三世諸仏総勘文教相廃立 P568
『釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき』
【通解】
釈迦如来は五百塵点劫の当初、凡夫であったとき、我が身はすなわち地水火風空の五大であって本有常住の当体であるとお知りになって、即座に悟を開かれた。
〈寸鉄〉 2018年8月29日
信心で宿業を打破せねば同じことで苦しむ—恩師勇敢に人間革命の挑戦を
「国際部の日」50周年。万年の世界広布へ盤石な礎築く時。双肩に大使命
新しい今日の日を常に戦い取れ—文豪。価値創造の道は惰性との闘争なり
1人の駆け込み乗車による列車遅延は4万人に影響—試算。心に余裕持ち
非常食の賞味期限切れ—75%が経験と。耳にした時すぐ確認。それが賢者
☆御書と歩む� 第32回 度重なる苦難こそ「まことの時」
『鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、度度せむれば・きずあらはる』(開目抄、233ページ)
◇通解
(法華経弘通ゆえの難に遭うことで、過去世からの罪業が現れ、消し切ることができる。たとえば)鉄を焼く時、強く鍛えないと、その中の傷は隠れたままで見えない。度々、強く責め鍛えると傷が現れてくるようなものである。
◇同志への指針
日蓮大聖人は「大事の難・四度なり」とも仰せである。命に及ぶ大難を、幾度も勝ち越えるお姿を示されたのだ。
我らは、その直系である。病気の再発など度重なる苦難にも、断じてたじろぐことはない。全ては金剛不壊の生命を鍛え上げる仏の計らいだからである。
「まことの時」に嘆かず惑わず戦い、永遠に崩れぬ常楽我浄の大境涯を開くのだ!
周囲への感謝と敬意を
言葉と姿で伝えよう。
「釈尊の出世の本懐は
人の振舞」なれば!
三世諸仏総勘文教相廃立 P568
『釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき』
【通解】
釈迦如来は五百塵点劫の当初、凡夫であったとき、我が身はすなわち地水火風空の五大であって本有常住の当体であるとお知りになって、即座に悟を開かれた。
〈寸鉄〉 2018年8月29日
信心で宿業を打破せねば同じことで苦しむ—恩師勇敢に人間革命の挑戦を
「国際部の日」50周年。万年の世界広布へ盤石な礎築く時。双肩に大使命
新しい今日の日を常に戦い取れ—文豪。価値創造の道は惰性との闘争なり
1人の駆け込み乗車による列車遅延は4万人に影響—試算。心に余裕持ち
非常食の賞味期限切れ—75%が経験と。耳にした時すぐ確認。それが賢者
☆御書と歩む� 第32回 度重なる苦難こそ「まことの時」
『鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、度度せむれば・きずあらはる』(開目抄、233ページ)
◇通解
(法華経弘通ゆえの難に遭うことで、過去世からの罪業が現れ、消し切ることができる。たとえば)鉄を焼く時、強く鍛えないと、その中の傷は隠れたままで見えない。度々、強く責め鍛えると傷が現れてくるようなものである。
◇同志への指針
日蓮大聖人は「大事の難・四度なり」とも仰せである。命に及ぶ大難を、幾度も勝ち越えるお姿を示されたのだ。
我らは、その直系である。病気の再発など度重なる苦難にも、断じてたじろぐことはない。全ては金剛不壊の生命を鍛え上げる仏の計らいだからである。
「まことの時」に嘆かず惑わず戦い、永遠に崩れぬ常楽我浄の大境涯を開くのだ!
2018年8月28日火曜日
2018.08.28 わが友に贈る
惰性を打ち破るのは
日々の真剣な唱題だ!
信仰とは無限の向上。
みずみずしい息吹で
今日も朗らかに!
開目抄下 P235
『我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ』
【通解】
私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。
現世が安穏でないことを嘆いてはならない。
〈寸鉄〉 2018年8月28日
御書の仰せに立てば絶対に行き詰まらない—恩師1級受験者よ徹して学べ
広布の宝城守る創価班・牙城会に大感謝!全ての労苦が自身の福徳と力に
正法は「則ち為れ閻浮提の人の病の良薬」。断固祈り勝て!宿命と戦う友よ
この世界で自身が果たす使命を知るべきだ—詩人地涌の誇り持つ人は強し
生活への満足度、過去最高。一方で老後に不安も。安心の未来を公明が描け
☆随筆永遠なれ創価の大城 第33回 「誓願」の共戦譜
◇「立正安国」へ 不屈の前進! 黄金の「人間革命」の日記文書を
この夏は猛暑の一方、記録的豪雨や台風が続発しております。特に先月、「西日本豪雨」で甚大な被害に遭われた、広島、岡山、愛媛をはじめ、被災地域の皆様方にお見舞いを申し上げます。
被災された方々が安心して暮らせる生活の復旧、地域社会の復興を、いやまして真剣に祈念せずにはいられません。
酷暑の中、青年部や壮年部の有志が「かたし隊」(清掃ボランティア)として懸命に大奮闘され、友に寄り添って奔走してきた同志も大勢おられます。尊い尽力に、深く最敬礼する思いです。
四十年前(一九七八年)の夏、私は中国・四国を相次いで訪問し、方面の歌を贈りました。
「陽出ずる中国 人の城 地涌の讃歌の 歌声も 勝利の空へ こだません ……ああ虹かかる 生命晴れたり」
「友よ負けるな 妙法の 祈りの功徳は 天空に 四国の民衆に そそがなん おお前進だ 鐘は鳴る」——と。
一番苦労している方々が、一番幸福を勝ち開くための信心です。
折々に「地涌の讃歌」と「我等の天地」の歌を妻と口ずさみつつ、けなげな宝友に届けと題目を送り続けてまいります。
創価涌出の宿縁
日本中、世界中から、日々、尊いお便りを頂戴し、感謝に堪えない。
キルギス共和国の名門大学の先生方からは、『法華経の智慧』第二巻のロシア語版に、鋭くも温かな書評を寄せていただいた。
その中では「人間のための宗教」への深い考察とともに、天台大師と日蓮大聖人、さらに創価の師弟との時間的なつながりに論及されていた。
すなわち——
天台大師は六世紀に誕生(五三八年)。
日蓮大聖人は、その約七百年後の十三世紀に出現された(一二二二年)。
さらに約七百年後の二十世紀、創価の師弟が涌出した(学会の創立は一九三〇年)——。
「法華経の智慧」が不思議にも遠大なリズムで継承されていることに刮目し、シルクロードの要衝の知性はエールを送ってくださっているのだ。
◇
御聖訓には「漢土一千年・日本七百年・又 目録にのせて候いしかども仏のごとく大難に値える人人少し」(御書一一八一ページ)と仰せである。
仏法史に名を残す人びとは多けれども、大難に遭いながら正法を弘通した人は一体、誰なのか。
御本仏・日蓮大聖人は「況滅度後(況んや滅度の後をや)」という大難を耐え忍ばれ、末法万年尽未来際へ広宣流布の大道を開いてくださった。
その誓願を受け継ぎ、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同一四四八ページ)との御文のまま前進してきたのが、創価学会だ。
戦時中、先師・牧口常三郎先生と恩師・戸田城聖先生が投獄された法難より今年で七十五星霜。
先師は誓願を貫き通して殉教され、「死身弘法」の鑑を留められた。恩師は獄中で元初の誓願に立ち、出獄後、妙法の巌窟王となって敗戦の荒野から地涌の菩薩を「二人・三人・百人と」(同一三六〇ページ)呼び出していかれたのだ。
法華経の「万人成仏」の法理を「人間革命」として展開された恩師は、最晩年、学会永遠の指針として「難を乗り越える信心」と宣言された。
人生と社会のいかなる難が襲いかかろうとも、創価の師弟は断じて乗り越え、一切を「変毒為薬」して広布の誓願を断固と果たすのだ、との師子吼である。
困難を越える力
思えば私が第三代会長に就任したのは、一九六〇年(昭和三十五年)。
「立正安国論」が時の為政者に提出された文応元年(一二六〇年)より七百年であった。
大地震、水害、飢饉、異常気象、疫病……打ち続く災禍に翻弄される民の悲嘆を、大聖人は肌で感じられ、戦乱の危機をも洞察していかれた。
「此の事を愁いて胸臆に憤びす」(同一七ページ)と記された御心中は、まさに苦悩の民衆への限りない同苦であり、悲惨な現実への憤りであられたに違いない。
どうすれば、この苦悩を少しでも打開できるのか、この娑婆世界で分断や対立を超え、より人間の幸福・安穏を実現できるのか——眼前の難題に挑み、心ある友と誓いを共有し、対話を重ね、行動の連帯を広げる。
これが「立正安国」の出発点だ。
本年六月、私は、南米アルゼンチンの人権活動家エスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)と一緒に、「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」と題する共同声明を発表した。
人類の前途にいかなる試練があろうと、勇敢に立ち向かう「青年の連帯」がある限り、絶対に希望は失われないと、私たちの信念を訴えたのだ。
「レジリエンス」とは、互いに助け合い支え合い励まし合って、共に苦難を乗り越えゆく、人間と人間の連帯の力、社会的な強靱性として捉えられる。この連帯の力を民衆の中に張り巡らしていくのが、私たちの立正安国の対話にほかならない。
先月、中華全国青年連合会(全青連)の代表団の方々が来日し、東京、東北、北海道で有意義な交流を結んでくださった。その折、中国言論界のリーダーの方が、かつて周恩来総理が立てられた問いへの答えを見出せた、と語っておられた。
すなわち、"なぜ創価学会は多くの民衆から支持されるのか?"との提起に対して、それは"師弟の心と心、同志の心と心が直接つながっているからである!"と。
「友の喜び友の歎き一つなり」(御書九三四ページ)とある如く、究極の心の絆を結び合ってきたのが創価のスクラムだ。
我らは、あらゆる差異を超えて、地域に社会に「レジリエンス」の安全地帯を創り広げていく。なればこそ世界の良識の期待と信頼も大きい。
民衆勝利を刻む
大聖人が「立正安国論」を発表されて満七百年(一九六〇年)の七月十六日を、私は沖縄の同志たちと迎えた。
それは、悲劇の歴史に挑み立ち、地涌の勇者が敢然と躍り出た、この宿縁の天地に、「立正安国」「広宣流布」の最先端のモデルを創造するためであった。
東洋広布、世界広布の先駆けとして、沖縄支部が結成された折、皆で明るく賑やかに舞を舞ったことが思い出される。
以来、幾たび、わが愛する琉球の父母たち、わが信ずる沖縄の健児たちと、一緒にカチャーシーを踊ったことだろうか。
「各各なにをかなげ(歎)かせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(同一三〇〇ページ)
この御金言の如く地涌の生命は、いかなる悪世にあろうが、自らの誓願の舞台で歓喜踊躍して、「人間革命」のまばゆい光を広げ、魂の勝ち鬨を轟かせずにはおかない。
この歴史の一大転換の行進の先頭を、威風も堂々と進みゆくのが、誉れの沖縄家族である。
だからこそ私は、小説『人間革命』の執筆を、沖縄で開始した。恩師の七回忌を未曽有の弘教で荘厳し、平和への民衆の大陣列を広げた一九六四年(昭和三十九年)の、十二月二日である。
若き日から私が執筆の範と仰いだ一人は、フランスの不屈の大文豪ビクトル・ユゴーであった。
そのユゴーの言葉に、「戦いを経た偉大な思想、他を圧倒した偉大な出来事から学ばなければなりません」とある。
大闘争の中で鍛え上げた創価の人間主義と、偉大な庶民の勝利の歴史を私は記してきた。
今、小説『人間革命』全十二巻に続く、『新・人間革命』も、いよいよ全三十巻の完結を迎えようとしている。
執筆25周年の朝
今年の八月六日「広島原爆の日」の朝、私は長野研修道場で、平和への祈りを厳粛に捧げた。
そして、二十五年前(一九九三年)、『新・人間革命』を書き始めたこの地で、仕上げの執筆をしたのである。
信越の同志は、この節目を素晴らしい聖教新聞の拡大で飾ってくれた。妻と共に、真心あふれる共戦への感謝を込めて、研修の役員の方々とお会いした。
皆の朗らかな笑顔が本当に嬉しかった。交わす挨拶に、常に祈り支えてくれている全国、全世界の友への深謝を重ねさせていただいた。
大聖人は「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(御書五六三ページ)と仰せである。
次元は異なるが、広宣流布という民衆勝利の大叙事詩たる『人間革命』『新・人間革命』は、わが全宝友と分かち合う黄金の日記文書なり、との思いで、私は綴ってきた。
ゆえにそれは、連載の完結をもって終わるものでは決してない。
我らは、これからも、未来永遠に、師弟共戦の「誓願」という主題を貫徹しながら、自他共の生命に栄光凱歌の日記文書を厳然と刻みゆくのだ! 「人間革命 光あれ」と。
(随時、掲載いたします)
日々の真剣な唱題だ!
信仰とは無限の向上。
みずみずしい息吹で
今日も朗らかに!
開目抄下 P235
『我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ』
【通解】
私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。
現世が安穏でないことを嘆いてはならない。
〈寸鉄〉 2018年8月28日
御書の仰せに立てば絶対に行き詰まらない—恩師1級受験者よ徹して学べ
広布の宝城守る創価班・牙城会に大感謝!全ての労苦が自身の福徳と力に
正法は「則ち為れ閻浮提の人の病の良薬」。断固祈り勝て!宿命と戦う友よ
この世界で自身が果たす使命を知るべきだ—詩人地涌の誇り持つ人は強し
生活への満足度、過去最高。一方で老後に不安も。安心の未来を公明が描け
☆随筆永遠なれ創価の大城 第33回 「誓願」の共戦譜
◇「立正安国」へ 不屈の前進! 黄金の「人間革命」の日記文書を
この夏は猛暑の一方、記録的豪雨や台風が続発しております。特に先月、「西日本豪雨」で甚大な被害に遭われた、広島、岡山、愛媛をはじめ、被災地域の皆様方にお見舞いを申し上げます。
被災された方々が安心して暮らせる生活の復旧、地域社会の復興を、いやまして真剣に祈念せずにはいられません。
酷暑の中、青年部や壮年部の有志が「かたし隊」(清掃ボランティア)として懸命に大奮闘され、友に寄り添って奔走してきた同志も大勢おられます。尊い尽力に、深く最敬礼する思いです。
四十年前(一九七八年)の夏、私は中国・四国を相次いで訪問し、方面の歌を贈りました。
「陽出ずる中国 人の城 地涌の讃歌の 歌声も 勝利の空へ こだません ……ああ虹かかる 生命晴れたり」
「友よ負けるな 妙法の 祈りの功徳は 天空に 四国の民衆に そそがなん おお前進だ 鐘は鳴る」——と。
一番苦労している方々が、一番幸福を勝ち開くための信心です。
折々に「地涌の讃歌」と「我等の天地」の歌を妻と口ずさみつつ、けなげな宝友に届けと題目を送り続けてまいります。
創価涌出の宿縁
日本中、世界中から、日々、尊いお便りを頂戴し、感謝に堪えない。
キルギス共和国の名門大学の先生方からは、『法華経の智慧』第二巻のロシア語版に、鋭くも温かな書評を寄せていただいた。
その中では「人間のための宗教」への深い考察とともに、天台大師と日蓮大聖人、さらに創価の師弟との時間的なつながりに論及されていた。
すなわち——
天台大師は六世紀に誕生(五三八年)。
日蓮大聖人は、その約七百年後の十三世紀に出現された(一二二二年)。
さらに約七百年後の二十世紀、創価の師弟が涌出した(学会の創立は一九三〇年)——。
「法華経の智慧」が不思議にも遠大なリズムで継承されていることに刮目し、シルクロードの要衝の知性はエールを送ってくださっているのだ。
◇
御聖訓には「漢土一千年・日本七百年・又 目録にのせて候いしかども仏のごとく大難に値える人人少し」(御書一一八一ページ)と仰せである。
仏法史に名を残す人びとは多けれども、大難に遭いながら正法を弘通した人は一体、誰なのか。
御本仏・日蓮大聖人は「況滅度後(況んや滅度の後をや)」という大難を耐え忍ばれ、末法万年尽未来際へ広宣流布の大道を開いてくださった。
その誓願を受け継ぎ、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同一四四八ページ)との御文のまま前進してきたのが、創価学会だ。
戦時中、先師・牧口常三郎先生と恩師・戸田城聖先生が投獄された法難より今年で七十五星霜。
先師は誓願を貫き通して殉教され、「死身弘法」の鑑を留められた。恩師は獄中で元初の誓願に立ち、出獄後、妙法の巌窟王となって敗戦の荒野から地涌の菩薩を「二人・三人・百人と」(同一三六〇ページ)呼び出していかれたのだ。
法華経の「万人成仏」の法理を「人間革命」として展開された恩師は、最晩年、学会永遠の指針として「難を乗り越える信心」と宣言された。
人生と社会のいかなる難が襲いかかろうとも、創価の師弟は断じて乗り越え、一切を「変毒為薬」して広布の誓願を断固と果たすのだ、との師子吼である。
困難を越える力
思えば私が第三代会長に就任したのは、一九六〇年(昭和三十五年)。
「立正安国論」が時の為政者に提出された文応元年(一二六〇年)より七百年であった。
大地震、水害、飢饉、異常気象、疫病……打ち続く災禍に翻弄される民の悲嘆を、大聖人は肌で感じられ、戦乱の危機をも洞察していかれた。
「此の事を愁いて胸臆に憤びす」(同一七ページ)と記された御心中は、まさに苦悩の民衆への限りない同苦であり、悲惨な現実への憤りであられたに違いない。
どうすれば、この苦悩を少しでも打開できるのか、この娑婆世界で分断や対立を超え、より人間の幸福・安穏を実現できるのか——眼前の難題に挑み、心ある友と誓いを共有し、対話を重ね、行動の連帯を広げる。
これが「立正安国」の出発点だ。
本年六月、私は、南米アルゼンチンの人権活動家エスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)と一緒に、「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」と題する共同声明を発表した。
人類の前途にいかなる試練があろうと、勇敢に立ち向かう「青年の連帯」がある限り、絶対に希望は失われないと、私たちの信念を訴えたのだ。
「レジリエンス」とは、互いに助け合い支え合い励まし合って、共に苦難を乗り越えゆく、人間と人間の連帯の力、社会的な強靱性として捉えられる。この連帯の力を民衆の中に張り巡らしていくのが、私たちの立正安国の対話にほかならない。
先月、中華全国青年連合会(全青連)の代表団の方々が来日し、東京、東北、北海道で有意義な交流を結んでくださった。その折、中国言論界のリーダーの方が、かつて周恩来総理が立てられた問いへの答えを見出せた、と語っておられた。
すなわち、"なぜ創価学会は多くの民衆から支持されるのか?"との提起に対して、それは"師弟の心と心、同志の心と心が直接つながっているからである!"と。
「友の喜び友の歎き一つなり」(御書九三四ページ)とある如く、究極の心の絆を結び合ってきたのが創価のスクラムだ。
我らは、あらゆる差異を超えて、地域に社会に「レジリエンス」の安全地帯を創り広げていく。なればこそ世界の良識の期待と信頼も大きい。
民衆勝利を刻む
大聖人が「立正安国論」を発表されて満七百年(一九六〇年)の七月十六日を、私は沖縄の同志たちと迎えた。
それは、悲劇の歴史に挑み立ち、地涌の勇者が敢然と躍り出た、この宿縁の天地に、「立正安国」「広宣流布」の最先端のモデルを創造するためであった。
東洋広布、世界広布の先駆けとして、沖縄支部が結成された折、皆で明るく賑やかに舞を舞ったことが思い出される。
以来、幾たび、わが愛する琉球の父母たち、わが信ずる沖縄の健児たちと、一緒にカチャーシーを踊ったことだろうか。
「各各なにをかなげ(歎)かせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(同一三〇〇ページ)
この御金言の如く地涌の生命は、いかなる悪世にあろうが、自らの誓願の舞台で歓喜踊躍して、「人間革命」のまばゆい光を広げ、魂の勝ち鬨を轟かせずにはおかない。
この歴史の一大転換の行進の先頭を、威風も堂々と進みゆくのが、誉れの沖縄家族である。
だからこそ私は、小説『人間革命』の執筆を、沖縄で開始した。恩師の七回忌を未曽有の弘教で荘厳し、平和への民衆の大陣列を広げた一九六四年(昭和三十九年)の、十二月二日である。
若き日から私が執筆の範と仰いだ一人は、フランスの不屈の大文豪ビクトル・ユゴーであった。
そのユゴーの言葉に、「戦いを経た偉大な思想、他を圧倒した偉大な出来事から学ばなければなりません」とある。
大闘争の中で鍛え上げた創価の人間主義と、偉大な庶民の勝利の歴史を私は記してきた。
今、小説『人間革命』全十二巻に続く、『新・人間革命』も、いよいよ全三十巻の完結を迎えようとしている。
執筆25周年の朝
今年の八月六日「広島原爆の日」の朝、私は長野研修道場で、平和への祈りを厳粛に捧げた。
そして、二十五年前(一九九三年)、『新・人間革命』を書き始めたこの地で、仕上げの執筆をしたのである。
信越の同志は、この節目を素晴らしい聖教新聞の拡大で飾ってくれた。妻と共に、真心あふれる共戦への感謝を込めて、研修の役員の方々とお会いした。
皆の朗らかな笑顔が本当に嬉しかった。交わす挨拶に、常に祈り支えてくれている全国、全世界の友への深謝を重ねさせていただいた。
大聖人は「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(御書五六三ページ)と仰せである。
次元は異なるが、広宣流布という民衆勝利の大叙事詩たる『人間革命』『新・人間革命』は、わが全宝友と分かち合う黄金の日記文書なり、との思いで、私は綴ってきた。
ゆえにそれは、連載の完結をもって終わるものでは決してない。
我らは、これからも、未来永遠に、師弟共戦の「誓願」という主題を貫徹しながら、自他共の生命に栄光凱歌の日記文書を厳然と刻みゆくのだ! 「人間革命 光あれ」と。
(随時、掲載いたします)
2018年8月27日月曜日
2018.08.27 わが友に贈る
◇今週のことば
「意が声とあらはる」
健気に戦う宝友に
労いと感謝の声を!
ここに喜びの金波が。
2018年8月27日
法蓮抄 P1050
『今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし』
【通解】
今、法華経寿量品を持つ人は、十方世界の諸仏の命を続ぐ人である。諸仏も皆、法華経の自我偈によって自分が成仏できたのであるから、その恩ある法華経を持つ人を捨てられる仏があるだろうか。もし、この人を捨てられるならば、仏はかえって自分の身を捨てられることになるであろう。
〈寸鉄〉 2018年8月27日
会長は困難を乗り越える生き方の模範—南米総長青藍の同志よ勝って光れ
総秋田女性の日。婦女の連帯こそ希望!安心と喜び多き宝土に対話の渦を
菩薩行をせねば仏になれない—牧口先生。利他の実践で真の幸福境涯開け
厳しい残暑いまだ続く。水分・塩分補給など対策怠らず。健康人生を共に
法務省を騙る架空請求が全国で急増。葉書で不安煽る手口。躊躇わず通報
☆御書と歩む� 第31回 行学錬磨の青春のスクラムを
『設い一字一句なりと雖も此の経を信ずる者は宿縁多幸なり』(守護国家論、71ページ)
◇通解
たとえ一字一句であっても、この経を信じる者は過去世からの因縁があり、多幸なのである。
◇同志への指針
若くして大仏法に巡りあうほどの「宿縁多幸」はない。
恩師は「御書の一字一句にも大聖人の大慈悲が込められている」と言われた。御書を開けば、赫々たる生命の太陽が昇り始める。
教学で人格の芯を固めることだ。心肝に染めた御聖訓が自他共の幸福を築き、偉大な使命を果たし抜く力となる。
行学錬磨の青春のスクラムで、人類を照らしゆけ!
☆9月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 富木殿御書
◇「今」を真剣に生きよう! 労苦をいとわず広布へ
9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「富木殿御書」を研さん。日蓮仏法の師弟の根幹である、弟子の姿勢について学ぶ。
◇御文
『我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』(御書970ページ)
◇通解
わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下の中心として活躍した富木常忍に送られた御書である。建治元年(1275年)の御執筆とされてきたが、現在は建治3年(1277年)と考えられている。
当時、"法華経は大日経に比べると戯論である"という真言密教が、人々から最も権威ある教えとされ、信じ崇められていた。
そうした背景の中で執筆されたのが本抄である。
大聖人は本抄の冒頭、法華経や涅槃経などの経論を引かれながら、謗法の罪は大きいこと、悪知識を恐れるべきことを強調されている。
続いて日本国の人々を謗法の大罪に陥れた元凶であり、最も恐れるべき悪知識として、弘法・慈覚・智証を挙げている。そして、"数多くの先徳たちがこの三人を疑っていないのに、どうしてあなたは謗法と非難するのか"との問いを立て、弟子たちに真言密教の邪義と法華経の正義を峻別するよう勧められている。
◇解説
本抄は、別名「止暇断眠御書」と呼ばれる。
止暇断眠は「暇を止め、眠りを断つ」と読み下す。拝読御文は、大聖人がまさに止暇断眠について言及された箇所である。
ここで大聖人は、全ての弟子に対し、寸暇を惜しんで精進し、悔いない一生を送るように教えられている。では、「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ」と述べられた、常に思案すべき「之」とはいったい何か。
真言密教は、中国や日本で「法華経最第一」の義が確立された後に伝来したため、天台・伝教の破折を免れ、大きく広まった。
大聖人は、謗法を広めた悪知識の存在に言及し、特にその根源として、弘法・慈覚・智証を挙げている。
中でも、日本天台宗の座主として、本来なら、正法を護持し、弘通して、民衆を幸福に導くべき立場にもかかわらず、真言密教に染まってしまったのが、慈覚・智証である。
慈覚は、真言密教の主張に同調して「理同事勝」(大日経には、法華経の一念三千と同様の「理」があるが、印と真言という「事」を説く大日経は法華経に勝れている)との邪義を唱えた。
智証もまた、天台宗の密教化を推進した。
二人は当時、皆の尊敬を集めていたが、その姿はまさに、師敵対の弟子だった。
大聖人が、別の御書で「慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御弟子とは・なのらせ給ども心は御弟子にあらず」(308ページ)と厳しく破折されている通りである。
「之」とは、こうした悪知識の僧たちの正体のことなのである。
一方、大聖人は、釈尊、天台、伝教という法華経の行者の系譜を踏まえ、正法が滅びるのを惜しまれ、不惜身命の大闘争を貫かれた。
拝読御文は、"この峻厳な事実をよく見つめ、どこまでも正義の心を受け継げ!"との、弟子たちへの師子吼であったとも拝される。
拝読御文について、池田先生は次のように述べている。
「『今』を真剣に生きるのです。ただ『身』を惜しむだけで何も行動しなければ、何も残せません。法を惜しんで、労苦をいとわず、広宣流布に邁進することです。1回限りの今世の人生を、広布に捧げることが『万歳悔ゆること勿れ』となるのです」
根本の使命を忘れ去って、目先のことに流されて漫然と生きるのではなく、どこまでも広布への情熱を赤々と燃やしながら、今を真剣に生きていくこと。それが、弟子としての悔いない人生につながっていくのである。
いよいよ下半期がスタートした。
今一度、目の前の課題や目標を明確にしながら、一日一日を真剣勝負で生き抜いていこう。そして広宣流布大誓堂完成5周年の「11・18」を、広布と人生の勝利で荘厳していきたい。
「意が声とあらはる」
健気に戦う宝友に
労いと感謝の声を!
ここに喜びの金波が。
2018年8月27日
法蓮抄 P1050
『今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし』
【通解】
今、法華経寿量品を持つ人は、十方世界の諸仏の命を続ぐ人である。諸仏も皆、法華経の自我偈によって自分が成仏できたのであるから、その恩ある法華経を持つ人を捨てられる仏があるだろうか。もし、この人を捨てられるならば、仏はかえって自分の身を捨てられることになるであろう。
〈寸鉄〉 2018年8月27日
会長は困難を乗り越える生き方の模範—南米総長青藍の同志よ勝って光れ
総秋田女性の日。婦女の連帯こそ希望!安心と喜び多き宝土に対話の渦を
菩薩行をせねば仏になれない—牧口先生。利他の実践で真の幸福境涯開け
厳しい残暑いまだ続く。水分・塩分補給など対策怠らず。健康人生を共に
法務省を騙る架空請求が全国で急増。葉書で不安煽る手口。躊躇わず通報
☆御書と歩む� 第31回 行学錬磨の青春のスクラムを
『設い一字一句なりと雖も此の経を信ずる者は宿縁多幸なり』(守護国家論、71ページ)
◇通解
たとえ一字一句であっても、この経を信じる者は過去世からの因縁があり、多幸なのである。
◇同志への指針
若くして大仏法に巡りあうほどの「宿縁多幸」はない。
恩師は「御書の一字一句にも大聖人の大慈悲が込められている」と言われた。御書を開けば、赫々たる生命の太陽が昇り始める。
教学で人格の芯を固めることだ。心肝に染めた御聖訓が自他共の幸福を築き、偉大な使命を果たし抜く力となる。
行学錬磨の青春のスクラムで、人類を照らしゆけ!
☆9月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 富木殿御書
◇「今」を真剣に生きよう! 労苦をいとわず広布へ
9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「富木殿御書」を研さん。日蓮仏法の師弟の根幹である、弟子の姿勢について学ぶ。
◇御文
『我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』(御書970ページ)
◇通解
わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下の中心として活躍した富木常忍に送られた御書である。建治元年(1275年)の御執筆とされてきたが、現在は建治3年(1277年)と考えられている。
当時、"法華経は大日経に比べると戯論である"という真言密教が、人々から最も権威ある教えとされ、信じ崇められていた。
そうした背景の中で執筆されたのが本抄である。
大聖人は本抄の冒頭、法華経や涅槃経などの経論を引かれながら、謗法の罪は大きいこと、悪知識を恐れるべきことを強調されている。
続いて日本国の人々を謗法の大罪に陥れた元凶であり、最も恐れるべき悪知識として、弘法・慈覚・智証を挙げている。そして、"数多くの先徳たちがこの三人を疑っていないのに、どうしてあなたは謗法と非難するのか"との問いを立て、弟子たちに真言密教の邪義と法華経の正義を峻別するよう勧められている。
◇解説
本抄は、別名「止暇断眠御書」と呼ばれる。
止暇断眠は「暇を止め、眠りを断つ」と読み下す。拝読御文は、大聖人がまさに止暇断眠について言及された箇所である。
ここで大聖人は、全ての弟子に対し、寸暇を惜しんで精進し、悔いない一生を送るように教えられている。では、「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ」と述べられた、常に思案すべき「之」とはいったい何か。
真言密教は、中国や日本で「法華経最第一」の義が確立された後に伝来したため、天台・伝教の破折を免れ、大きく広まった。
大聖人は、謗法を広めた悪知識の存在に言及し、特にその根源として、弘法・慈覚・智証を挙げている。
中でも、日本天台宗の座主として、本来なら、正法を護持し、弘通して、民衆を幸福に導くべき立場にもかかわらず、真言密教に染まってしまったのが、慈覚・智証である。
慈覚は、真言密教の主張に同調して「理同事勝」(大日経には、法華経の一念三千と同様の「理」があるが、印と真言という「事」を説く大日経は法華経に勝れている)との邪義を唱えた。
智証もまた、天台宗の密教化を推進した。
二人は当時、皆の尊敬を集めていたが、その姿はまさに、師敵対の弟子だった。
大聖人が、別の御書で「慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御弟子とは・なのらせ給ども心は御弟子にあらず」(308ページ)と厳しく破折されている通りである。
「之」とは、こうした悪知識の僧たちの正体のことなのである。
一方、大聖人は、釈尊、天台、伝教という法華経の行者の系譜を踏まえ、正法が滅びるのを惜しまれ、不惜身命の大闘争を貫かれた。
拝読御文は、"この峻厳な事実をよく見つめ、どこまでも正義の心を受け継げ!"との、弟子たちへの師子吼であったとも拝される。
拝読御文について、池田先生は次のように述べている。
「『今』を真剣に生きるのです。ただ『身』を惜しむだけで何も行動しなければ、何も残せません。法を惜しんで、労苦をいとわず、広宣流布に邁進することです。1回限りの今世の人生を、広布に捧げることが『万歳悔ゆること勿れ』となるのです」
根本の使命を忘れ去って、目先のことに流されて漫然と生きるのではなく、どこまでも広布への情熱を赤々と燃やしながら、今を真剣に生きていくこと。それが、弟子としての悔いない人生につながっていくのである。
いよいよ下半期がスタートした。
今一度、目の前の課題や目標を明確にしながら、一日一日を真剣勝負で生き抜いていこう。そして広宣流布大誓堂完成5周年の「11・18」を、広布と人生の勝利で荘厳していきたい。
2018年8月26日日曜日
2018.08.26 わが友に贈る
新入会者や青年部を
皆で大切にしよう!
「新しい力」が
「新しい歴史」を開く。
わが地区に人材の城を!
四条金吾殿御返事 P1136
『大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり』
【通解】
大難が来ても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。法華経を受けることはやさしく、持ち続けることは難しい。そして、成仏は持ち続けることにある。
〈寸鉄〉 2018年8月26日
自らが地涌の菩薩である事を疑うな—恩師。これが創価の魂。広布の劇を
北陸の日。さあ師弟の縁深き天地で対話の波を!「ああ誓願の歌」高らかに
海や空より壮大なのは人の心—文豪。決意次第で境涯は拡大。根本は祈り
挨拶は「先手必笑」。自分が心を開けば相手も心を開く。爽やかに友情育め
SNSで子供の犯罪被害が最多。家庭の規則作りが防ぐ鍵。話し合いから
☆四季の励まし 「8・24」本紙創刊原点の日 聖教は民衆を守る正義の城 2018年8月19日
民衆を賢明にし、民衆を強くし、
民衆を団結させる——
創刊以来の聖教新聞の使命である。
聖教こそが、
広宣流布へ威風堂々と進みゆく、
我ら創価学会の
正義の言論の武器である。
一本の見出しが、
読者の胸に火をともす。
記事の一節が、
読者の人生を劇的に変える。
そういう「力」が、新聞にはある。
それが、真実の言葉のもつ
偉大な底力だ。
人間は「良き活字」に触れてこそ、
深い思索ができるし、
頭脳も鍛えられる。
映像だけでは、
どうしても受け身である。
良書をはじめとする
「正しい活字文化」が衰弱すれば、
人間が人間らしく
行動しゆくための、
精神の泉は枯れ果ててしまう。
懸命に聖教新聞を届けてくださる
配達員の「無冠の友」の皆様に
感謝は尽きない。
陰で支えてくださる
集金担当の皆様、販売店、
印刷・輸送の関係者の皆様。
さらに執筆に汗を流す
通信員の友も、子孫末代まで、
一家眷属が守られていくことは、
絶対に間違いない。
仏の大慈悲をわが心とし、
言論をもって、
民衆の幸福に尽くす
聖教新聞の使命は、
あまりにも大きい。
聖教は広宣流布の弾丸である!
聖教は民衆を守る正義の城である!
聖教は世紀を開く希望の光である!
私の一日は、
その聖教新聞と共に始まる。
夏雲が力強く湧き立つ。強い日差しに照らされ、高原の緑が輝いていた——1992年(平成4年)8月、池田大作先生が霧ケ峰の長野青年研修道場を訪問した折、カメラに収めた。
間もなく8・24「聖教新聞創刊原点の日」を迎える。50年(昭和25年)のこの日、池田先生は、恩師・戸田城聖先生と、広布の機関紙創刊の構想を初めて語り合った。そして翌年4月、聖教新聞は産声を上げたのである。
日本中、世界中の人に読ませたい!——この恩師の叫びを胸に、池田先生は全同志に手紙をつづる思いでペンを執り続けてきた。
師の言論闘争への感謝を決意に変え、我らも言葉の力で生命尊厳の時代を切り開いていきたい。
皆で大切にしよう!
「新しい力」が
「新しい歴史」を開く。
わが地区に人材の城を!
四条金吾殿御返事 P1136
『大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり』
【通解】
大難が来ても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。法華経を受けることはやさしく、持ち続けることは難しい。そして、成仏は持ち続けることにある。
〈寸鉄〉 2018年8月26日
自らが地涌の菩薩である事を疑うな—恩師。これが創価の魂。広布の劇を
北陸の日。さあ師弟の縁深き天地で対話の波を!「ああ誓願の歌」高らかに
海や空より壮大なのは人の心—文豪。決意次第で境涯は拡大。根本は祈り
挨拶は「先手必笑」。自分が心を開けば相手も心を開く。爽やかに友情育め
SNSで子供の犯罪被害が最多。家庭の規則作りが防ぐ鍵。話し合いから
☆四季の励まし 「8・24」本紙創刊原点の日 聖教は民衆を守る正義の城 2018年8月19日
民衆を賢明にし、民衆を強くし、
民衆を団結させる——
創刊以来の聖教新聞の使命である。
聖教こそが、
広宣流布へ威風堂々と進みゆく、
我ら創価学会の
正義の言論の武器である。
一本の見出しが、
読者の胸に火をともす。
記事の一節が、
読者の人生を劇的に変える。
そういう「力」が、新聞にはある。
それが、真実の言葉のもつ
偉大な底力だ。
人間は「良き活字」に触れてこそ、
深い思索ができるし、
頭脳も鍛えられる。
映像だけでは、
どうしても受け身である。
良書をはじめとする
「正しい活字文化」が衰弱すれば、
人間が人間らしく
行動しゆくための、
精神の泉は枯れ果ててしまう。
懸命に聖教新聞を届けてくださる
配達員の「無冠の友」の皆様に
感謝は尽きない。
陰で支えてくださる
集金担当の皆様、販売店、
印刷・輸送の関係者の皆様。
さらに執筆に汗を流す
通信員の友も、子孫末代まで、
一家眷属が守られていくことは、
絶対に間違いない。
仏の大慈悲をわが心とし、
言論をもって、
民衆の幸福に尽くす
聖教新聞の使命は、
あまりにも大きい。
聖教は広宣流布の弾丸である!
聖教は民衆を守る正義の城である!
聖教は世紀を開く希望の光である!
私の一日は、
その聖教新聞と共に始まる。
夏雲が力強く湧き立つ。強い日差しに照らされ、高原の緑が輝いていた——1992年(平成4年)8月、池田大作先生が霧ケ峰の長野青年研修道場を訪問した折、カメラに収めた。
間もなく8・24「聖教新聞創刊原点の日」を迎える。50年(昭和25年)のこの日、池田先生は、恩師・戸田城聖先生と、広布の機関紙創刊の構想を初めて語り合った。そして翌年4月、聖教新聞は産声を上げたのである。
日本中、世界中の人に読ませたい!——この恩師の叫びを胸に、池田先生は全同志に手紙をつづる思いでペンを執り続けてきた。
師の言論闘争への感謝を決意に変え、我らも言葉の力で生命尊厳の時代を切り開いていきたい。
2018年8月25日土曜日
2018.08.25 わが友に贈る
相手の幸福を祈り抜き
確信の声を響かせる。
これが対話の要諦だ!
縁する友と縦横に語らい
颯爽と友情を広げよう!
寺泊御書 P951
『心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし』
【通解】
「志」を抱いて進む人達は、一処に集まって、法義を聴聞しなさい。
〈寸鉄〉 2018年8月25日
会長は偉大な英知を持つと共に最高の「聞き手」—博士。心の機微知る人に
「自分の使命に生き切ることが大切だ」戸田先生。今いる場所で力強く乱舞
「城の主剛ければ守る者も強し」御書。率先垂範の将たれ。勇姿に皆が続く
私の胸は燃える灯明である—彫刻家。さあ、走り語ろう!情熱は必ず伝わる
修士・博士、日本だけ減—7カ国調査。教育は未来築く百年の計。抜本策を
☆歌声高く 第13回 青葉の誓い
◇不撓不屈の「みちのく魂」わが胸に
ある友は言う。それは、「喜びの歌だ」と。折伏を終え、同志と歩いた月光の夜の道、その歌を口ずさみながら、歓喜を噛み締めた思い出は、数知れない。
ある友は言う。それは、「勇気の歌だ」と。病苦、経済苦、そして大震災——不安と悲しみの中にあった時、その歌が、どれほど自らを鼓舞してくれたか。
東北の歌「青葉の誓い」には、同志の数だけ、忘れ得ぬ広布と人生の物語がある。その誕生の瞬間もまたドラマであった。
1978年(昭和53年)8月6日、東京の創価女子会館で行われていた東北女子部の勤行会に、朗報が飛び込んだ。「今、池田先生が東北の歌をつくってくださっております!」
この日、東北女子部の代表が上京していると聞いた先生が、ほぼ完成していた歌に曲を付けながら、推敲を開始したのである。
清書された歌詞の入った封筒が会場に届いた。まず1番の歌詞。続いて2番、3番。さらには譜面まで。女子部の友は師の慈愛に目を潤ませながら、「青葉の誓い」を何度も歌った。
この歌は同日、山形県米沢市で行われた「置賜ふるさと祭典」のために、電話で歌詞とメロディーが伝えられた。置賜は、第1次宗門事件の嵐が激しく吹き荒れた地域である。夜の公演の部のフィナーレの後、歌の誕生が劇的に発表され、そのまま全員で合唱へ。東北の天地に「青葉の誓い」が初めて響きわたった。
「青葉の誓い」の歌詞と楽譜が聖教新聞に掲載されたのは、8月8日。友は振り返る。「歓喜の波動が、歌声と共に、瞬く間に東北の隅々にまで広がっていくのを感じました」
東北の歌は年々歳々、歌い継がれながら、師弟の心を結ぶ共戦の歌として、その輝きをより増していく。
「あの時ほど、この歌に励まされたことはない」と多くの同志が異口同音に述懐するのは、2011年3月11日の東日本大震災後のこと。一時的な避難所となっていた会館で、音楽隊の演奏に合わせ、声を振り絞るようにして歌ったあの日あの時——「涙があふれて仕方がなかった」と。
先生はつづった。「大好きな『青葉の誓い』の歌声が、私の胸に響かぬ日は、一日たりともない」「健気な東北の友の『心の財』が積まれた『功徳の山々』は、絶対に壊されない」
この歌が東北に響く限り、不撓不屈の「みちのく魂」も受け継がれていく。
MEMO
東北の歌「青葉の誓い」の誕生の経緯は、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章につづられている。
また、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも、同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、青葉の森に 誓いたる
我等の誇り 忘れまじ
いかに護らん 果たさなん
同志の城に 月冴えて
ああ東北の 功徳の山々よ
二、風雪越えし 我等こそ
地涌の正義の 旗頭
今堂々の 陣列は
使命の旗を 高らかに
ああ東北の 歓喜の友々よ
三、おお新生の 道広く
王者の鼓動は 雄渾に
三世の光と ひらかなん
これぞ元初の 太陽と
ああ東北の 凱歌の人々よ
確信の声を響かせる。
これが対話の要諦だ!
縁する友と縦横に語らい
颯爽と友情を広げよう!
寺泊御書 P951
『心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし』
【通解】
「志」を抱いて進む人達は、一処に集まって、法義を聴聞しなさい。
〈寸鉄〉 2018年8月25日
会長は偉大な英知を持つと共に最高の「聞き手」—博士。心の機微知る人に
「自分の使命に生き切ることが大切だ」戸田先生。今いる場所で力強く乱舞
「城の主剛ければ守る者も強し」御書。率先垂範の将たれ。勇姿に皆が続く
私の胸は燃える灯明である—彫刻家。さあ、走り語ろう!情熱は必ず伝わる
修士・博士、日本だけ減—7カ国調査。教育は未来築く百年の計。抜本策を
☆歌声高く 第13回 青葉の誓い
◇不撓不屈の「みちのく魂」わが胸に
ある友は言う。それは、「喜びの歌だ」と。折伏を終え、同志と歩いた月光の夜の道、その歌を口ずさみながら、歓喜を噛み締めた思い出は、数知れない。
ある友は言う。それは、「勇気の歌だ」と。病苦、経済苦、そして大震災——不安と悲しみの中にあった時、その歌が、どれほど自らを鼓舞してくれたか。
東北の歌「青葉の誓い」には、同志の数だけ、忘れ得ぬ広布と人生の物語がある。その誕生の瞬間もまたドラマであった。
1978年(昭和53年)8月6日、東京の創価女子会館で行われていた東北女子部の勤行会に、朗報が飛び込んだ。「今、池田先生が東北の歌をつくってくださっております!」
この日、東北女子部の代表が上京していると聞いた先生が、ほぼ完成していた歌に曲を付けながら、推敲を開始したのである。
清書された歌詞の入った封筒が会場に届いた。まず1番の歌詞。続いて2番、3番。さらには譜面まで。女子部の友は師の慈愛に目を潤ませながら、「青葉の誓い」を何度も歌った。
この歌は同日、山形県米沢市で行われた「置賜ふるさと祭典」のために、電話で歌詞とメロディーが伝えられた。置賜は、第1次宗門事件の嵐が激しく吹き荒れた地域である。夜の公演の部のフィナーレの後、歌の誕生が劇的に発表され、そのまま全員で合唱へ。東北の天地に「青葉の誓い」が初めて響きわたった。
「青葉の誓い」の歌詞と楽譜が聖教新聞に掲載されたのは、8月8日。友は振り返る。「歓喜の波動が、歌声と共に、瞬く間に東北の隅々にまで広がっていくのを感じました」
東北の歌は年々歳々、歌い継がれながら、師弟の心を結ぶ共戦の歌として、その輝きをより増していく。
「あの時ほど、この歌に励まされたことはない」と多くの同志が異口同音に述懐するのは、2011年3月11日の東日本大震災後のこと。一時的な避難所となっていた会館で、音楽隊の演奏に合わせ、声を振り絞るようにして歌ったあの日あの時——「涙があふれて仕方がなかった」と。
先生はつづった。「大好きな『青葉の誓い』の歌声が、私の胸に響かぬ日は、一日たりともない」「健気な東北の友の『心の財』が積まれた『功徳の山々』は、絶対に壊されない」
この歌が東北に響く限り、不撓不屈の「みちのく魂」も受け継がれていく。
MEMO
東北の歌「青葉の誓い」の誕生の経緯は、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章につづられている。
また、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも、同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、青葉の森に 誓いたる
我等の誇り 忘れまじ
いかに護らん 果たさなん
同志の城に 月冴えて
ああ東北の 功徳の山々よ
二、風雪越えし 我等こそ
地涌の正義の 旗頭
今堂々の 陣列は
使命の旗を 高らかに
ああ東北の 歓喜の友々よ
三、おお新生の 道広く
王者の鼓動は 雄渾に
三世の光と ひらかなん
これぞ元初の 太陽と
ああ東北の 凱歌の人々よ
2018年8月24日金曜日
2018.08.24 わが友に贈る
「誰」かではない。
「自分」が壁を破ろう!
我らは一人一人が
広布新時代の開拓者だ!
誇り高く使命の大道を!
四条金吾殿御返事 P1192
『兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候』
【通解】
兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである。深く信心を起こしなさい。決して臆病であってはならないのである。
〈寸鉄〉 2018年8月24日
師弟誓願の日「8・24」。師の71年の激闘で世界広布は実現。報恩の前進を
壮年部の日。さあ9月の幹部会へ!歴戦の丈夫よ人間革命の新たな劇綴れ
地涌の菩薩は「志固くして怯弱無し」と法華経に。誓い貫く人は強し。尊し
誰かが言わなければ!—魯迅。正義の声で未来を開く。本紙創刊原点の日
介護ロボットの開発加速と。安心の笑顔光る「幸齢社会」へ官民一体で推進
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 観心本尊抄(上) 2018年8月11日
◇御本尊受持が末法の成仏の修行
◇強盛な信心で妙法の功力を現す
今月から2回にわたり、「観心本尊抄」を学びます。
池田先生は、御本尊について次のように語られています。
「自分が幸福になるための御本尊です。万人を幸福にするための御本尊です。日蓮大聖人が遺された太陽の仏法の功徳を、全世界の人々が満喫していくために戦うのが、創価学会の使命です」
私たちが日々、拝している御本尊の意義を学び、信心の喜びと確信を胸に対話を広げていきましょう。(今回の拝読範囲は、御書238ページ冒頭〜247ページ8行目です)
◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人が52歳の時、佐渡流罪中に一谷で認められ、門下の富木常忍に与えられた重書です。
この前年2月、大聖人は佐渡の地から門下一同に宛てて「開目抄」を送られています。大聖人御自身が末法の御本仏であることを示された重書が「開目抄」であるのに対し、本抄は、末法の衆生が成仏のために受持すべき南無妙法蓮華経の御本尊について明かされています。本抄は、前半で「観心」について、後半で「本尊」について述べられます。
◇御文1
観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し(御書240ページ1行目〜3行目)
◇通解
「観心」とは「わが己心を観じて自己の生命に具わっている十法界を見ること」である。
例えば、他人の目・耳・鼻・舌・身・意の六根を見ることはできても、自分自身の六根を見ることができなければ自身に六根が具わることがわからない。明鏡に向かってはじめて自分の六根を見ることができるようなものである。
◇御文2
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う(御書246ページ15行目〜16行目)
◇通解
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足している。私たちは、この妙法蓮華経の五字を受持すれば、おのずと釈尊の因果の功徳を譲り与えられるのである。
◇解説
「観心」とは、自身の心を見つめていく仏道修行をいいます。御文�で日蓮大聖人は、「観心」とは、自身の心に具わる十界を見ることであると仰せです。しかし、例えば人が、自分の目や耳や鼻などの外見を見ることができないように、自身の生命に具わる十界を見ることは困難です。
自分の外見を見るために鏡が必要となるのと同じで、自身の生命の十界を見るためには、わが生命をありのままに映し出す"明鏡"が必要となります。大聖人は、その明鏡こそが、「法華経」であり、天台大師の「摩訶止観」などであると本抄で仰せです。
天台大師は、観心の修行を明かした「摩訶止観」において、法華経の教えに基づき、「一念三千」を説きました。
これは、私たちの瞬間瞬間の生命(一念)に、三千世間、すなわちあらゆる現象・働きが具わっていることを見る(観察する)というものです。一念三千は十界互具を踏まえています。一念三千を覚知することは、己心に仏界を見る、すなわち胸中の仏界を現すことでもあります。一念三千は一切衆生の成仏の裏付けでもあるのです。
しかし、観心の修行は優れた能力を必要とし、誰もが実践できるものではありません。そこで大聖人は、御自身の生命に成就された一念三千を南無妙法蓮華経の御本尊として顕されました。この御本尊を受持し、題目を唱えることを、末法における成仏の修行とされたのです。
末法の衆生にとって、南無妙法蓮華経の御本尊を受持する実践が、観心、すなわち成仏の修行となります。このことを「受持即観心」といいます。こうして万人成仏の大道が開かれたのです。この受持即観心を教えているのが御文�です。
大聖人は、釈尊が成仏のために実践したあらゆる修行(因行)も、その結果として得た仏の福徳(果徳)も、全て「妙法蓮華経の五字」に具わり、私たちは南無妙法蓮華経の御本尊を信じ、題目を唱えることによって、その仏の因果の功徳を譲り受けることができると仰せです。大事なことは、御本尊の偉大な功力を引き出すのは、受持する人の「信心」であるということです。
何があっても御本尊を信じ抜き、題目を唱える強盛な信心によって、どんな悩みも、宿命も乗り越えていくことができます。日々、唱題根本に「行学の二道」に前進していきましょう。
★池田先生の講義から
戸田先生は、第2代会長就任式で、烈々と師子吼されました。
——「今日の広宣流布」とは、使命に立ち上がった一人一人が「国中の一人一人を折伏し、みんなに御本尊様を持たせること」であり、それは"一対一の膝づめの対話"によって成し遂げられる——と。
(中略)
一人の生命が尊厳であるからこそ、一人また一人と御本尊を受持させるのです。誰一人、差別していい存在はいない。皆、尊い使命をもって生まれてきました。
御本尊の功力は平等です。仲介者もいりません。大事なことは信心です。「観心の本尊」とは「信心の本尊」なのです。一人一人が、自身の境涯を開き、自身の生命の宝塔を最高に輝かせゆくために、御本尊があるのです。(2017年9月号「大白蓮華」に掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)
◇研さんのために
○…2017年9・10月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」〈民衆仏法〉上下(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第2巻所収の「御本尊」上中下(同)
「自分」が壁を破ろう!
我らは一人一人が
広布新時代の開拓者だ!
誇り高く使命の大道を!
四条金吾殿御返事 P1192
『兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候』
【通解】
兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである。深く信心を起こしなさい。決して臆病であってはならないのである。
〈寸鉄〉 2018年8月24日
師弟誓願の日「8・24」。師の71年の激闘で世界広布は実現。報恩の前進を
壮年部の日。さあ9月の幹部会へ!歴戦の丈夫よ人間革命の新たな劇綴れ
地涌の菩薩は「志固くして怯弱無し」と法華経に。誓い貫く人は強し。尊し
誰かが言わなければ!—魯迅。正義の声で未来を開く。本紙創刊原点の日
介護ロボットの開発加速と。安心の笑顔光る「幸齢社会」へ官民一体で推進
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 観心本尊抄(上) 2018年8月11日
◇御本尊受持が末法の成仏の修行
◇強盛な信心で妙法の功力を現す
今月から2回にわたり、「観心本尊抄」を学びます。
池田先生は、御本尊について次のように語られています。
「自分が幸福になるための御本尊です。万人を幸福にするための御本尊です。日蓮大聖人が遺された太陽の仏法の功徳を、全世界の人々が満喫していくために戦うのが、創価学会の使命です」
私たちが日々、拝している御本尊の意義を学び、信心の喜びと確信を胸に対話を広げていきましょう。(今回の拝読範囲は、御書238ページ冒頭〜247ページ8行目です)
◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人が52歳の時、佐渡流罪中に一谷で認められ、門下の富木常忍に与えられた重書です。
この前年2月、大聖人は佐渡の地から門下一同に宛てて「開目抄」を送られています。大聖人御自身が末法の御本仏であることを示された重書が「開目抄」であるのに対し、本抄は、末法の衆生が成仏のために受持すべき南無妙法蓮華経の御本尊について明かされています。本抄は、前半で「観心」について、後半で「本尊」について述べられます。
◇御文1
観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し(御書240ページ1行目〜3行目)
◇通解
「観心」とは「わが己心を観じて自己の生命に具わっている十法界を見ること」である。
例えば、他人の目・耳・鼻・舌・身・意の六根を見ることはできても、自分自身の六根を見ることができなければ自身に六根が具わることがわからない。明鏡に向かってはじめて自分の六根を見ることができるようなものである。
◇御文2
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う(御書246ページ15行目〜16行目)
◇通解
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足している。私たちは、この妙法蓮華経の五字を受持すれば、おのずと釈尊の因果の功徳を譲り与えられるのである。
◇解説
「観心」とは、自身の心を見つめていく仏道修行をいいます。御文�で日蓮大聖人は、「観心」とは、自身の心に具わる十界を見ることであると仰せです。しかし、例えば人が、自分の目や耳や鼻などの外見を見ることができないように、自身の生命に具わる十界を見ることは困難です。
自分の外見を見るために鏡が必要となるのと同じで、自身の生命の十界を見るためには、わが生命をありのままに映し出す"明鏡"が必要となります。大聖人は、その明鏡こそが、「法華経」であり、天台大師の「摩訶止観」などであると本抄で仰せです。
天台大師は、観心の修行を明かした「摩訶止観」において、法華経の教えに基づき、「一念三千」を説きました。
これは、私たちの瞬間瞬間の生命(一念)に、三千世間、すなわちあらゆる現象・働きが具わっていることを見る(観察する)というものです。一念三千は十界互具を踏まえています。一念三千を覚知することは、己心に仏界を見る、すなわち胸中の仏界を現すことでもあります。一念三千は一切衆生の成仏の裏付けでもあるのです。
しかし、観心の修行は優れた能力を必要とし、誰もが実践できるものではありません。そこで大聖人は、御自身の生命に成就された一念三千を南無妙法蓮華経の御本尊として顕されました。この御本尊を受持し、題目を唱えることを、末法における成仏の修行とされたのです。
末法の衆生にとって、南無妙法蓮華経の御本尊を受持する実践が、観心、すなわち成仏の修行となります。このことを「受持即観心」といいます。こうして万人成仏の大道が開かれたのです。この受持即観心を教えているのが御文�です。
大聖人は、釈尊が成仏のために実践したあらゆる修行(因行)も、その結果として得た仏の福徳(果徳)も、全て「妙法蓮華経の五字」に具わり、私たちは南無妙法蓮華経の御本尊を信じ、題目を唱えることによって、その仏の因果の功徳を譲り受けることができると仰せです。大事なことは、御本尊の偉大な功力を引き出すのは、受持する人の「信心」であるということです。
何があっても御本尊を信じ抜き、題目を唱える強盛な信心によって、どんな悩みも、宿命も乗り越えていくことができます。日々、唱題根本に「行学の二道」に前進していきましょう。
★池田先生の講義から
戸田先生は、第2代会長就任式で、烈々と師子吼されました。
——「今日の広宣流布」とは、使命に立ち上がった一人一人が「国中の一人一人を折伏し、みんなに御本尊様を持たせること」であり、それは"一対一の膝づめの対話"によって成し遂げられる——と。
(中略)
一人の生命が尊厳であるからこそ、一人また一人と御本尊を受持させるのです。誰一人、差別していい存在はいない。皆、尊い使命をもって生まれてきました。
御本尊の功力は平等です。仲介者もいりません。大事なことは信心です。「観心の本尊」とは「信心の本尊」なのです。一人一人が、自身の境涯を開き、自身の生命の宝塔を最高に輝かせゆくために、御本尊があるのです。(2017年9月号「大白蓮華」に掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)
◇研さんのために
○…2017年9・10月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」〈民衆仏法〉上下(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第2巻所収の「御本尊」上中下(同)
2018年8月23日木曜日
2018.08.23 わが友に贈る
「仏になるみちは
善知識にはすぎず」
何でも相談できる
善友こそ人生の財産だ。
尊き同志と共に前進!
高橋殿御返事 P1467
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし』
【通解】
その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。
〈寸鉄〉 2018年8月23日
列島で賑やかに座談会。さあ対話弾む広場から!決意に燃えて「11・18」へ
「夫信心と申すは別にはこれなく候」御書P1255。地道に純真に。ここに勝利の要
いつかは達成するという歩き方ではダメだ—文豪ゲーテ 目標を明確に。日々挑戦
台風等で気温も急激に変化。体調管理に留意。祈り根本に疲れためぬ工夫を
大雨の対策していないが6割—四国青年部調査。「自分は平気」の油断排せ
☆世界宗教の仏法を学ぶ 第8回 仏法は勝負——生きること自体が戦い
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第8回のテーマは「仏法は勝負」です。
小説「新・人間革命」第8巻「布陣」の章
【あらすじ】1963年(昭和38年)6月、山本伸一会長は東京第一本部の新出発の幹部会に出席。広宣流布の活動における、「勝利」の重要性について語っていく。
◇
あいさつに立った伸一は、ユーモアを込めて語った。
「このたび、理事長が東京第一本部の本部長になりましたが、ほかの本部の本部長になった副理事長たちは、理事長の本部を打ち負かしてやろうという魂胆なんです。
私は、立場上、どこかの本部だけを応援するわけにはいきませんが、今日は、第一本部員のつもりで、この幹部会に出席しています。
したがいまして、本日だけは、東京第一本部こそ、東京の、日本の、世界の広布のトップランナーたれと申し上げたいと思います。そして、ひとたび戦いを起こすならば、必ず勝つという伝統をつくっていただきたいのであります。
何ごとも勝てば嬉しい。活動の勝利は、わが生命に躍動と歓喜をもたらし、希望と活力の源泉となる。しかし、負ければ歓喜もなくなり、元気も出ません」
山本伸一は、広宣流布の活動において、なぜ、勝利を収めなければならないかを、今度は、個人に即して語っていった。
「折伏にせよ、あるいは会合の結集にせよ、勝とうと思えば、目標を立て、決意を定め、真剣に唱題に励むことから始めなければならない。さらに、知恵を絞って、勇気をもって挑戦し、粘り強く行動していく以外にありません。
そして、一つ一つの課題に勝利していくならば、それは、大きな功徳、福運となっていきます。また、何よりも、それが人生に勝つための方程式を習得していくことになる。さらに、活動を通してつかんだ信仰への大確信は、人生のいかなる困難をも切り開いていく力となります。
御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』(一一六五ページ)と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらには人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。
人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。
私は、その時々の折伏の成果など、問題にしておりません。大事なことは、皆さんが強盛な信心に励み、大功徳を受け、生活も豊かになり、幸福に満ち満ちた悠々たる大境涯になっていくことです。そのための布教であり、学会の活動であることを、銘記していただきたいのであります」
理解を深めるために
●苦難も「信心の眼」で捉える
日蓮大聖人は、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」(御書1165ページ)と仰せです。
このお手紙を頂いた四条金吾は当時、極楽寺良観等の画策によって、主君の江間氏から法華経を捨てるという起請文(誓約書)を書くよう迫られていました。しかしながら、金吾はこれを敢然と拒否し、不退転の決意を大聖人に報告。その返信の中に認められたのが、冒頭の一節です。
主従関係を軸とする当時の中世武家社会では、主君による「賞罰」が武士たちの命運を決する根本であったことから、王法(世法)においては「賞罰を本とせり」と仰せられていると拝されます。
しかし、大聖人は、あくまで仏法においては勝負こそが第一であると指摘されています。これは、主君による弾圧という苦難を世間の表面的な次元から「賞罰」として捉えるのではなく、仏法の眼、信心の眼で仏と魔との「勝負」として捉え、"断じて負けてはならない"と励まされているのです。池田先生は、つづられています。
「『仏法は勝負』と強調されているのは、いかなる困難にも立ち向かっていく強靱な心を持て、ということです。臆病な心では、胸中の魔にも、社会の魔にも勝てないからです。『臆病にては叶うべからず』(御書1193ページ)です」
日蓮大聖人の御書から 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」について
●道理の力で「主に勝つ」
「四条金吾殿御返事(世雄御書)」では、仏法は勝負であることを示し、仏とは最も勝れた法を持ち、世の中で最も勝れた「世雄」であると仰せです。
その上で日蓮大聖人は、「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(御書1169ページ)と仰せです。これは法華経への信心を根本に、正直に誠実に生きれば、道理としてあらゆるものに勝利できることを教えられていると拝することができます。
具体的に「主に勝つ」とは、仏法の道理の力は、賞罰によって家来を支配する力をもった主君にも勝つことができるとの意味です。
「法華経を捨てよ」と主君が四条金吾に迫ったことは、道理に反する不当な仕打ちでした。しかし、大聖人は本抄で金吾に対して、こうした事態に直面しても、感情に流されず、粘り強く誠実な振る舞いに徹していくのが信仰者の生き方であることを教えられています。
別の御書では、佐渡流罪の時、他の門下が所領を取られたりする中で金吾は主君から守られてきたと諭し、その恩を忘れ、道理から外れて主君を恨んでは、諸天善神も金吾を守らなくなると戒められています。
実際、金吾は大聖人の御指導の通りに、信心根本に振る舞い、主君からの信頼を回復して、新たな所領を賜るという勝利の実証を示していったのです。
善知識にはすぎず」
何でも相談できる
善友こそ人生の財産だ。
尊き同志と共に前進!
高橋殿御返事 P1467
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし』
【通解】
その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。
〈寸鉄〉 2018年8月23日
列島で賑やかに座談会。さあ対話弾む広場から!決意に燃えて「11・18」へ
「夫信心と申すは別にはこれなく候」御書P1255。地道に純真に。ここに勝利の要
いつかは達成するという歩き方ではダメだ—文豪ゲーテ 目標を明確に。日々挑戦
台風等で気温も急激に変化。体調管理に留意。祈り根本に疲れためぬ工夫を
大雨の対策していないが6割—四国青年部調査。「自分は平気」の油断排せ
☆世界宗教の仏法を学ぶ 第8回 仏法は勝負——生きること自体が戦い
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第8回のテーマは「仏法は勝負」です。
小説「新・人間革命」第8巻「布陣」の章
【あらすじ】1963年(昭和38年)6月、山本伸一会長は東京第一本部の新出発の幹部会に出席。広宣流布の活動における、「勝利」の重要性について語っていく。
◇
あいさつに立った伸一は、ユーモアを込めて語った。
「このたび、理事長が東京第一本部の本部長になりましたが、ほかの本部の本部長になった副理事長たちは、理事長の本部を打ち負かしてやろうという魂胆なんです。
私は、立場上、どこかの本部だけを応援するわけにはいきませんが、今日は、第一本部員のつもりで、この幹部会に出席しています。
したがいまして、本日だけは、東京第一本部こそ、東京の、日本の、世界の広布のトップランナーたれと申し上げたいと思います。そして、ひとたび戦いを起こすならば、必ず勝つという伝統をつくっていただきたいのであります。
何ごとも勝てば嬉しい。活動の勝利は、わが生命に躍動と歓喜をもたらし、希望と活力の源泉となる。しかし、負ければ歓喜もなくなり、元気も出ません」
山本伸一は、広宣流布の活動において、なぜ、勝利を収めなければならないかを、今度は、個人に即して語っていった。
「折伏にせよ、あるいは会合の結集にせよ、勝とうと思えば、目標を立て、決意を定め、真剣に唱題に励むことから始めなければならない。さらに、知恵を絞って、勇気をもって挑戦し、粘り強く行動していく以外にありません。
そして、一つ一つの課題に勝利していくならば、それは、大きな功徳、福運となっていきます。また、何よりも、それが人生に勝つための方程式を習得していくことになる。さらに、活動を通してつかんだ信仰への大確信は、人生のいかなる困難をも切り開いていく力となります。
御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』(一一六五ページ)と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらには人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。
人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。
私は、その時々の折伏の成果など、問題にしておりません。大事なことは、皆さんが強盛な信心に励み、大功徳を受け、生活も豊かになり、幸福に満ち満ちた悠々たる大境涯になっていくことです。そのための布教であり、学会の活動であることを、銘記していただきたいのであります」
理解を深めるために
●苦難も「信心の眼」で捉える
日蓮大聖人は、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」(御書1165ページ)と仰せです。
このお手紙を頂いた四条金吾は当時、極楽寺良観等の画策によって、主君の江間氏から法華経を捨てるという起請文(誓約書)を書くよう迫られていました。しかしながら、金吾はこれを敢然と拒否し、不退転の決意を大聖人に報告。その返信の中に認められたのが、冒頭の一節です。
主従関係を軸とする当時の中世武家社会では、主君による「賞罰」が武士たちの命運を決する根本であったことから、王法(世法)においては「賞罰を本とせり」と仰せられていると拝されます。
しかし、大聖人は、あくまで仏法においては勝負こそが第一であると指摘されています。これは、主君による弾圧という苦難を世間の表面的な次元から「賞罰」として捉えるのではなく、仏法の眼、信心の眼で仏と魔との「勝負」として捉え、"断じて負けてはならない"と励まされているのです。池田先生は、つづられています。
「『仏法は勝負』と強調されているのは、いかなる困難にも立ち向かっていく強靱な心を持て、ということです。臆病な心では、胸中の魔にも、社会の魔にも勝てないからです。『臆病にては叶うべからず』(御書1193ページ)です」
日蓮大聖人の御書から 「四条金吾殿御返事(世雄御書)」について
●道理の力で「主に勝つ」
「四条金吾殿御返事(世雄御書)」では、仏法は勝負であることを示し、仏とは最も勝れた法を持ち、世の中で最も勝れた「世雄」であると仰せです。
その上で日蓮大聖人は、「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(御書1169ページ)と仰せです。これは法華経への信心を根本に、正直に誠実に生きれば、道理としてあらゆるものに勝利できることを教えられていると拝することができます。
具体的に「主に勝つ」とは、仏法の道理の力は、賞罰によって家来を支配する力をもった主君にも勝つことができるとの意味です。
「法華経を捨てよ」と主君が四条金吾に迫ったことは、道理に反する不当な仕打ちでした。しかし、大聖人は本抄で金吾に対して、こうした事態に直面しても、感情に流されず、粘り強く誠実な振る舞いに徹していくのが信仰者の生き方であることを教えられています。
別の御書では、佐渡流罪の時、他の門下が所領を取られたりする中で金吾は主君から守られてきたと諭し、その恩を忘れ、道理から外れて主君を恨んでは、諸天善神も金吾を守らなくなると戒められています。
実際、金吾は大聖人の御指導の通りに、信心根本に振る舞い、主君からの信頼を回復して、新たな所領を賜るという勝利の実証を示していったのです。
2018年8月22日水曜日
2018.08.22 わが友に贈る
信行学の基本に
徹する人は強い。
精神と哲学の土台を
築いているからだ。
日々前進! 日々発心!
上野殿御消息 P1527
『友にあふて礼あれとは友達の一日に十度二十度来れる人なりとも千里二千里来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず』
【通解】
友にあったら礼儀正しくあれということは、友達で一日に十度・二十度訪ねてくる人であっても、千里・二千里も離れている遠方から訪ねてきた人のように思って、少しも礼儀を欠くようなことがあってはならない、という事である。
〈寸鉄〉 2018年8月22日
創大で伝統の「学光祭」。学びの人は永遠に向上!誉れの通教生に栄光あれ
他者を思う学会の運動は現代社会に広めるべき—識者。信頼結ぶ振舞更に
リーダーの話は明快かつ具体的に。「さあやろう」と皆の心を打つ指揮頼む
摂取する食品種類が多いほど健康寿命は延びる—研究。教養ある食生活を
風疹が流行の兆し。特に妊娠中の女性は警戒を。予防接種等の対策万全に
☆創価大学通信教育部 夏期スクーリング開講式への池田先生のメッセージ 2018年8月15日
◇学び続ける人は生涯、青春
尊き学びと挑戦の金の汗光る、伝統の夏期スクーリング、誠にご苦労さまです。
猛暑の中、日本全国、そして遠く海外からも本当によく集ってくださいました。
西日本豪雨による甚大な被害を受けた広島、岡山、愛媛等から駆け付けてこられた学友もおられます。万難を排して集った友を互いに心からねぎらい、大拍手をもってたたえ合いたいと思いますが、どうでしょうか(大拍手)。
私も、皆さん方と共に学び、共に語らい、共に挑戦しゆく思いで、一切を見守っております。
この4月、通信教育部に待望の「文学部人間学科」が新設され、創造的生命の学びの道が一段と拡充され、うれしい限りです。
真の人間学とは、よりよき「生き方の探究」であり、新しき世界を開く「価値創造の力」でありましょう。そして、それは現実の大地を踏みしめながら、日々生きた学問を探究し、実践されている、わが通教生の皆さんが最も深く体得される、真の教養なのであります。
私が対談を重ねてきた、精神の大国・インドの偉大な哲学者ロケッシュ・チャンドラ博士の言葉を思い出します。
「人間の心は、無限です。果てしない大海です。深く探究すればするほど、ますます広がっていくものです」と。
博士は90歳を超えた今なお、1日9時間以上、机に向かい、東洋の英知である仏教の研究に精魂を注がれております。その向学のエネルギーの源泉は何か。博士は語られています。「偉大なことに取り組んでいると、時間の経過を感じません」「私には、まだやらなければならないことがたくさんあります」と。
偉大な使命に燃え、学び続ける人は生涯、青春です。生涯、希望です。博士の信条は、我ら創大通教生の学光の志と、深く強く響き合うものではないでしょうか。
ともあれ、生きるとは学ぶことです。学ぶとは生きることです。ここに、尽きることのない生命の充実があり、皆と分かち合える人生の幸福があります。どうか、躍動のキャンパスで、志を共にする光友と切磋琢磨しながら、一つ一つの課題に、自分らしく、伸び伸びと取り組み、わが内なる無限の可能性を開花させていってください。
そして、創価の最高学府で培った「価値創造の大いなる力」を、わが使命の舞台で生き生きと存分に発揮し、いやまして希望と信頼の光を広げゆかれんことを、心から願ってやみません。
暑い日が続くので、どうか、決して無理をせず、聡明に体調を整えながら進めてください。水分を補給して、疲れをためず、睡眠を十分に取って、身も心も頭脳も、より頑健に冴え渡らせていく黄金の一日一日としてください。
また、私と同じ心でスクーリングに臨んでいただいている教員の先生方、職員の方々に、何でも遠慮なく相談なさってください。
わが宝の通信教育部の友に、「学は光」の栄冠あれ!と祈りつつ(大拍手)。
徹する人は強い。
精神と哲学の土台を
築いているからだ。
日々前進! 日々発心!
上野殿御消息 P1527
『友にあふて礼あれとは友達の一日に十度二十度来れる人なりとも千里二千里来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず』
【通解】
友にあったら礼儀正しくあれということは、友達で一日に十度・二十度訪ねてくる人であっても、千里・二千里も離れている遠方から訪ねてきた人のように思って、少しも礼儀を欠くようなことがあってはならない、という事である。
〈寸鉄〉 2018年8月22日
創大で伝統の「学光祭」。学びの人は永遠に向上!誉れの通教生に栄光あれ
他者を思う学会の運動は現代社会に広めるべき—識者。信頼結ぶ振舞更に
リーダーの話は明快かつ具体的に。「さあやろう」と皆の心を打つ指揮頼む
摂取する食品種類が多いほど健康寿命は延びる—研究。教養ある食生活を
風疹が流行の兆し。特に妊娠中の女性は警戒を。予防接種等の対策万全に
☆創価大学通信教育部 夏期スクーリング開講式への池田先生のメッセージ 2018年8月15日
◇学び続ける人は生涯、青春
尊き学びと挑戦の金の汗光る、伝統の夏期スクーリング、誠にご苦労さまです。
猛暑の中、日本全国、そして遠く海外からも本当によく集ってくださいました。
西日本豪雨による甚大な被害を受けた広島、岡山、愛媛等から駆け付けてこられた学友もおられます。万難を排して集った友を互いに心からねぎらい、大拍手をもってたたえ合いたいと思いますが、どうでしょうか(大拍手)。
私も、皆さん方と共に学び、共に語らい、共に挑戦しゆく思いで、一切を見守っております。
この4月、通信教育部に待望の「文学部人間学科」が新設され、創造的生命の学びの道が一段と拡充され、うれしい限りです。
真の人間学とは、よりよき「生き方の探究」であり、新しき世界を開く「価値創造の力」でありましょう。そして、それは現実の大地を踏みしめながら、日々生きた学問を探究し、実践されている、わが通教生の皆さんが最も深く体得される、真の教養なのであります。
私が対談を重ねてきた、精神の大国・インドの偉大な哲学者ロケッシュ・チャンドラ博士の言葉を思い出します。
「人間の心は、無限です。果てしない大海です。深く探究すればするほど、ますます広がっていくものです」と。
博士は90歳を超えた今なお、1日9時間以上、机に向かい、東洋の英知である仏教の研究に精魂を注がれております。その向学のエネルギーの源泉は何か。博士は語られています。「偉大なことに取り組んでいると、時間の経過を感じません」「私には、まだやらなければならないことがたくさんあります」と。
偉大な使命に燃え、学び続ける人は生涯、青春です。生涯、希望です。博士の信条は、我ら創大通教生の学光の志と、深く強く響き合うものではないでしょうか。
ともあれ、生きるとは学ぶことです。学ぶとは生きることです。ここに、尽きることのない生命の充実があり、皆と分かち合える人生の幸福があります。どうか、躍動のキャンパスで、志を共にする光友と切磋琢磨しながら、一つ一つの課題に、自分らしく、伸び伸びと取り組み、わが内なる無限の可能性を開花させていってください。
そして、創価の最高学府で培った「価値創造の大いなる力」を、わが使命の舞台で生き生きと存分に発揮し、いやまして希望と信頼の光を広げゆかれんことを、心から願ってやみません。
暑い日が続くので、どうか、決して無理をせず、聡明に体調を整えながら進めてください。水分を補給して、疲れをためず、睡眠を十分に取って、身も心も頭脳も、より頑健に冴え渡らせていく黄金の一日一日としてください。
また、私と同じ心でスクーリングに臨んでいただいている教員の先生方、職員の方々に、何でも遠慮なく相談なさってください。
わが宝の通信教育部の友に、「学は光」の栄冠あれ!と祈りつつ(大拍手)。
2018年8月21日火曜日
2018.08.21 わが友に贈る
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり』
【通解】
それ故、仏は善知識にあうことを、一眼の亀が浮き木に入るようなものであり、梵天から糸を下ろして、大地にある針の目に通すようなものであると譬えられている。
〈寸鉄〉 2018年8月21日
会長の提唱する対話こそ平和への最良の道—識者我らは足元から友情拡大
異体同心の「心」とは信心だ—戸田先生。下半期の勝利へ!清新な祈りから
音楽隊・鼓笛隊が各地で熱演。情熱の調べで地域に希望を。尊き汗に敬礼
詐欺メールに警戒を。クリックで偽サイトに誘導と。怪しいものは開かず
台風接近の恐れと。気象情報等には常に意識を。無冠の皆様も安全第一で
☆四季の励まし 平和は「和楽の家庭」から 2018年8月12日
家に帰れば、安心できる。
何があっても
家族で励まし合い、
守り合っていける。
そうした和楽の家庭を
つくっていくことが、
社会の最も大切な基盤であり、
平和の原点となる。
家庭こそ、
一切の営みの基盤である。
どれだけ民主主義を論じ、
平和や教育を論じても、
その議論が、人間の幸福とか、
家庭の繁栄に
結びついていかなければ、
結局は、
空理空論になってしまう。
創価学会は、
一人一人の「人間革命」、
一軒一軒の「家庭革命」という
現実に光を当ててきた。
これほど地道な、
忍耐強い戦いはない。
しかし、だからこそ、
確固として揺るがないのだ。
親子の関係というのは、
ずっと続く。
いつまでたっても、
親は親、子は子である。
たとえ亡くなっても、
生命はつながっている。
ゆえに、親孝行とは、
一生涯の目標といってよい。
じっくり焦らずに、
自分自身を磨いていくことだ。
戦争を起こすのは人間である。
だから、その人間の生命を変え、
人間の心のなかに
平和の砦を築かなければならない。
それが人間革命であり、
その源泉が題目である。
この人間革命の思想と実践の道を
世界に伝えていくことこそ、
人類の平和を建設する根本なのだ。
緑に包まれた静かな湖。水鳥たちが仲良く寄り添い、ゆっくりと泳いでいた。1994年(平成6年)6月、池田大作先生がイギリスのグラスゴー近郊にあるローモンド湖で撮影した。
池田先生と対談集を編んだ、平和学者のエリース・ボールディング博士は語った。「平和の土台は、"家庭"の中にあり"地域社会"の中にある。また、これこそが極めて重要な平和の出発点である」と。
間もなく8月15日の「終戦の日」を迎える。平和は、決して遠くに求めるものではない。家族や親類、近隣など、目の前の「一人」を大切にすることから始まる。多くの人々と親交を深め、有意義な夏にしよう。
『されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり』
【通解】
それ故、仏は善知識にあうことを、一眼の亀が浮き木に入るようなものであり、梵天から糸を下ろして、大地にある針の目に通すようなものであると譬えられている。
〈寸鉄〉 2018年8月21日
会長の提唱する対話こそ平和への最良の道—識者我らは足元から友情拡大
異体同心の「心」とは信心だ—戸田先生。下半期の勝利へ!清新な祈りから
音楽隊・鼓笛隊が各地で熱演。情熱の調べで地域に希望を。尊き汗に敬礼
詐欺メールに警戒を。クリックで偽サイトに誘導と。怪しいものは開かず
台風接近の恐れと。気象情報等には常に意識を。無冠の皆様も安全第一で
☆四季の励まし 平和は「和楽の家庭」から 2018年8月12日
家に帰れば、安心できる。
何があっても
家族で励まし合い、
守り合っていける。
そうした和楽の家庭を
つくっていくことが、
社会の最も大切な基盤であり、
平和の原点となる。
家庭こそ、
一切の営みの基盤である。
どれだけ民主主義を論じ、
平和や教育を論じても、
その議論が、人間の幸福とか、
家庭の繁栄に
結びついていかなければ、
結局は、
空理空論になってしまう。
創価学会は、
一人一人の「人間革命」、
一軒一軒の「家庭革命」という
現実に光を当ててきた。
これほど地道な、
忍耐強い戦いはない。
しかし、だからこそ、
確固として揺るがないのだ。
親子の関係というのは、
ずっと続く。
いつまでたっても、
親は親、子は子である。
たとえ亡くなっても、
生命はつながっている。
ゆえに、親孝行とは、
一生涯の目標といってよい。
じっくり焦らずに、
自分自身を磨いていくことだ。
戦争を起こすのは人間である。
だから、その人間の生命を変え、
人間の心のなかに
平和の砦を築かなければならない。
それが人間革命であり、
その源泉が題目である。
この人間革命の思想と実践の道を
世界に伝えていくことこそ、
人類の平和を建設する根本なのだ。
緑に包まれた静かな湖。水鳥たちが仲良く寄り添い、ゆっくりと泳いでいた。1994年(平成6年)6月、池田大作先生がイギリスのグラスゴー近郊にあるローモンド湖で撮影した。
池田先生と対談集を編んだ、平和学者のエリース・ボールディング博士は語った。「平和の土台は、"家庭"の中にあり"地域社会"の中にある。また、これこそが極めて重要な平和の出発点である」と。
間もなく8月15日の「終戦の日」を迎える。平和は、決して遠くに求めるものではない。家族や親類、近隣など、目の前の「一人」を大切にすることから始まる。多くの人々と親交を深め、有意義な夏にしよう。
2018年8月20日月曜日
2018.08.20 わが友に贈る
◇今週のことば
さあ、座談会から
歓喜踴躍のスタートだ!
「我も唱へ他をも勧」
皆で明るく仲良く
「今生人界の思出」を!
2018年8月20日
四条金吾殿御返事 P1163
『一生はゆめの上明日をごせずいかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給うべからず』
【通解】
一生は夢の上の出来事のようであり、明日のこともわからない。どのような乞食にはなっても法華経に傷をつけてはならない。
〈寸鉄〉 2018年8月20日
各地、下半期を出発。戦いは勢いで決まる。生まれ変わった息吹で対話拡大
団結には車軸が金剛不壊でなければ—恩師。広布は幹部の成長ありて加速
青年部教学1級、学生部実力試験迫る。大聖人の正義の魂を命に染め抜け
どんな運命より強いのが人間精神だ—哲人。強く祈れ。宿命は必ず使命に
交通死者6割が高齢者、歩行中が多し。安全確認怠るな。周囲も譲り合い
☆御書と歩む� 第30回 「妙」の一字に偉大な力が
『法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故なり』(千日尼御前御返事、1316ページ)
◇通解
法華経を供養する人の功徳は、十方の仏・菩薩を供養する功徳と同じである。十方の諸仏は、妙の一字から生まれたからである。
◇同志への指針
妙法は全宇宙を貫く根源の法である。一切の仏が成仏できた根本の力も妙法だ。
「妙」の一字には、仏・菩薩の万行万善の功徳が納まっている。ゆえに題目を唱える我らは無敵だ。宇宙に遍満する仏界・菩薩界と連なり、境涯を限りなく開くことができる。
日々、朗々と唱題し、究極の蘇生のリズムに合致して、諸天を味方に、価値創造の人生を歩みゆくのだ。
☆8月度座談会拝読御書 松野殿後家尼御前御返事
一人一人が使命ある尊い存在
弟子の真心を何よりも大事にされた大聖人
◇本抄について
本抄は、弘安2年(1279年)3月26日、日蓮大聖人が身延から駿河国(静岡県)の門下である松野殿の夫人に送られたお手紙です。
題号に「後家尼御前」とあるように、この女性門下は、夫に先立たれた方です。本抄を頂いた人が、南条時光の母方の祖父に当たる松野六郎左衛門入道の夫人なのか、あるいは、その入道より先に亡くなった子息の夫人なのか、はっきりと分かっていません。
当時は天災が続き、人々は飢饉や疫病に苦しんでいました。大聖人は、前年(弘安元年=1278年)閏10月のお手紙で、「去年から今年にかけて大疫病がこの国に流行して、人の死ぬことは大風で木が倒れ、大雪で草が折られるようなもので、一人も生き残れるとは思えなかった。(中略)8月、9月の大雨や大風で、日本国全体が不作となり、残った万民は冬を過ごし難い」(御書1552ページ、通解)と、その惨状をつづられています。
身延での大聖人の御生活も困窮を極め、本抄からも「衣は身を隠すに足りず、食は命を支えるほどもない」(同1393ページ、通解)と逼迫した様子がうかがえます。こうした中にある大聖人に真心からの御供養をした尼御前に対し、返礼として認められたのが本抄です。
◇拝読御文
『未だ見参にも入らず候人のかやうに度度・御をとづれの・はんべるは・いかなる事にや・あやしくこそ候へ、法華経の第四の巻には釈迦仏・凡夫の身にいりかはらせ給いて法華経の行者をば供養すべきよしを説かれて候、釈迦仏の御身に入らせ給い候か又過去の善根のもよをしか』
◇心こそ大切に候へ
本抄の内容から、松野殿後家尼御前はこれまで一度も日蓮大聖人とお会いしていないにもかかわらず、大聖人に御供養の品を度々、お届けしてきたことが分かります。大聖人が門下のそうした尊い真心を何よりも大切にされたエピソードは枚挙に暇がありません。
大聖人が佐渡流罪中に出会った門下に、阿仏房・千日尼の夫妻がいました。阿仏房は、大聖人の身延入山後、千日尼から託された御供養の品々を持って、何度も師匠を訪ねています。
例えば、弘安元年(1278年)閏10月、大聖人は御供養への返礼として千日尼に送られたお手紙の中で、次のように仰せです。
「御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり」(御書1316ページ)。"あなた(千日尼)の身は佐渡にあっても、心は私(大聖人)のところに来ていますよ"との趣旨です。
さらに大聖人は、「御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(お会いしたからといってどうなりましょう。心こそ大切です=同ページ、通解)と、大きな慈愛で千日尼を包み込まれました。
千日尼の真心は、毎年のように夫を大聖人のもとへ送り出すという行動として表れました。そこには、変わることなく師匠を求めていく心がありました。
門下一人一人の心を深くご覧になり、真心に真心で応えられたのが、生涯を通して変わることのない大聖人のお振る舞いだったのです。
弟子の立場から見れば、師匠を支え、求める姿勢を貫いていくことが、求道の心の表れであり、そこに仏法の根幹ともいうべき師弟の精神があるといえるでしょう。
◇諸仏の"入其身"
拝読御文に「釈迦仏の御身に入らせ給い候か」とあります。これは、「善」の「入其身」であり、松野殿後家尼御前の供養が日蓮大聖人を支える善の働きをしていることを指しています。
法華経勧持品第13には「悪」の「入其身」である「悪鬼入其身」が説かれています。「悪鬼は其の身に入って」と読みますが、これは「悪鬼」が、さまざまな衆生の身に入り、正法を護持する者をそしり、辱め、仏道の実践を妨害することをいいます。
「悪鬼」とは、誤った宗教・思想に当たり、また人の苦悩の因となって、精神を乱す源のことです。
大聖人は例えば、第六天の魔王が法華経の行者を迫害しようとして、智者や権力者の身に入ると述べられています。
この反対の「善」の「入其身」について、大聖人は、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書1451ページ)とも指南されています。
「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」と祈っていくよう、門下に教えられた言葉です。
「釈迦・多宝・十方の仏」、すなわち諸仏が「入其身」すれば、仏の所従(=家来)である諸菩薩・諸天等が従い、法華経の行者を守護することは間違いありません。
強盛な信心は、一切を善の働きへと変えていきます。信心を奮い起こして広布に前進する中で、仏をはじめ菩薩・諸天善神など、あらゆる善の働きを呼び起こしていくことができるのです。
◇師弟の宿縁
仏法の説く"三世の生命観"に照らせば、日蓮大聖人の門下一人一人が大聖人との師弟の絆を結んだのは、過去世からの宿縁によるものにほかなりません。
拝読御文に「過去に積まれた善根があらわれてのことでしょうか」(通解)とあります。「善根」とは、過去世から生命に積んできた、功徳の因となる善の行為を意味します。
私たちが正法に巡り合うことができたのも、決して偶然によるものではありません。過去世から仏法との縁(宿縁)があり、生命に刻まれてきた善根があるからです。
例えば大聖人は、佐渡の地で門下となった最蓮房に対して、「過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか」(御書1338ページ)と仰せになり、法華経化城喩品第7の「在在諸仏土 常与師倶生(在在の諸仏の土に 常に師と倶に生ず)」(法華経317ページ)の文を引いて、師弟について教えられています。
この経文は、師と弟子が常に同じ仏国土に生まれ、共に仏法を行じていくことを説いたものです。
また、安房の門下には、「かかる者(=大聖人)の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)と仰せです。
希有の仏法と師匠に出合うことのできた喜びを胸に、自らの尊い広布の使命を果たしていきましょう。
★池田先生の指針から 師匠を支えた、けなげな女性門下
後家尼御前は、まだ大聖人に直接お会いしたことがないこと。しかし、幾度も御供養を重ね、大聖人をお護りした健気な女性門下であったことが推察されます。
当時の時代背景を確認すれば、大雨・大風・大雪などの天災が続き、深刻な飢饉や疫病の大流行で多くの人が亡くなり、不安な世情です。また、蒙古の再襲来が予想され、混迷の度がますます深まっています。加えて、大聖人一門にとっては、駿河国では熱原の法難が始まっており、緊迫した状況が続いています。
そうしたなかで、仏法をひたむきに求める一人の女性に、大聖人は、「法」と「人」の両面から、大確信を与えられます。
まず「法」の次元では、南無妙法蓮華経こそが万人成仏の根源の法であること。そして「人」の次元では、あらゆる迫害を乗り越え妙法弘通を貫かれてきた大聖人こそが法華経の行者であることを教えられます。そして、この女性門下が今、信心をしていることは、決して偶然でなく、深い使命をもって生まれてきたことを示されています。
いわば、大聖人御自身の「戦いの歴史」と「御確信」、そして門下の「使命」を教えられている御書です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻)
◇ ◆ ◇
まず大聖人は、衣服も不足がちで食にも困窮している現状を紹介して、いかに、門下の御供養が大聖人を支えているか、深く感謝されています。
しかも、たびたび御供養をしている尼御前は、一度も大聖人と直接お会いしたことのない門下です。
尼御前に限らず、今日、御書に残っていない、そうした門下も数多くいたことと思います。不惜の信仰を貫き通した熱原の三烈士もそうでしょう。信心は距離ではありません。大切なのは「心」です。
大聖人は、尼御前の誠実な心を深く御覧になったのです。法華経法師品第十に触れて、"まことに不思議なことです。釈迦仏があなたの身に入られたのか。あるいは過去世の善根があらわれてのことでしょうか"と仰せです。牧口先生も、御書の中でこの一節に強く線を引かれています。(同)
参考文献
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻(聖教新聞社)
さあ、座談会から
歓喜踴躍のスタートだ!
「我も唱へ他をも勧」
皆で明るく仲良く
「今生人界の思出」を!
2018年8月20日
四条金吾殿御返事 P1163
『一生はゆめの上明日をごせずいかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給うべからず』
【通解】
一生は夢の上の出来事のようであり、明日のこともわからない。どのような乞食にはなっても法華経に傷をつけてはならない。
〈寸鉄〉 2018年8月20日
各地、下半期を出発。戦いは勢いで決まる。生まれ変わった息吹で対話拡大
団結には車軸が金剛不壊でなければ—恩師。広布は幹部の成長ありて加速
青年部教学1級、学生部実力試験迫る。大聖人の正義の魂を命に染め抜け
どんな運命より強いのが人間精神だ—哲人。強く祈れ。宿命は必ず使命に
交通死者6割が高齢者、歩行中が多し。安全確認怠るな。周囲も譲り合い
☆御書と歩む� 第30回 「妙」の一字に偉大な力が
『法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故なり』(千日尼御前御返事、1316ページ)
◇通解
法華経を供養する人の功徳は、十方の仏・菩薩を供養する功徳と同じである。十方の諸仏は、妙の一字から生まれたからである。
◇同志への指針
妙法は全宇宙を貫く根源の法である。一切の仏が成仏できた根本の力も妙法だ。
「妙」の一字には、仏・菩薩の万行万善の功徳が納まっている。ゆえに題目を唱える我らは無敵だ。宇宙に遍満する仏界・菩薩界と連なり、境涯を限りなく開くことができる。
日々、朗々と唱題し、究極の蘇生のリズムに合致して、諸天を味方に、価値創造の人生を歩みゆくのだ。
☆8月度座談会拝読御書 松野殿後家尼御前御返事
一人一人が使命ある尊い存在
弟子の真心を何よりも大事にされた大聖人
◇本抄について
本抄は、弘安2年(1279年)3月26日、日蓮大聖人が身延から駿河国(静岡県)の門下である松野殿の夫人に送られたお手紙です。
題号に「後家尼御前」とあるように、この女性門下は、夫に先立たれた方です。本抄を頂いた人が、南条時光の母方の祖父に当たる松野六郎左衛門入道の夫人なのか、あるいは、その入道より先に亡くなった子息の夫人なのか、はっきりと分かっていません。
当時は天災が続き、人々は飢饉や疫病に苦しんでいました。大聖人は、前年(弘安元年=1278年)閏10月のお手紙で、「去年から今年にかけて大疫病がこの国に流行して、人の死ぬことは大風で木が倒れ、大雪で草が折られるようなもので、一人も生き残れるとは思えなかった。(中略)8月、9月の大雨や大風で、日本国全体が不作となり、残った万民は冬を過ごし難い」(御書1552ページ、通解)と、その惨状をつづられています。
身延での大聖人の御生活も困窮を極め、本抄からも「衣は身を隠すに足りず、食は命を支えるほどもない」(同1393ページ、通解)と逼迫した様子がうかがえます。こうした中にある大聖人に真心からの御供養をした尼御前に対し、返礼として認められたのが本抄です。
◇拝読御文
『未だ見参にも入らず候人のかやうに度度・御をとづれの・はんべるは・いかなる事にや・あやしくこそ候へ、法華経の第四の巻には釈迦仏・凡夫の身にいりかはらせ給いて法華経の行者をば供養すべきよしを説かれて候、釈迦仏の御身に入らせ給い候か又過去の善根のもよをしか』
◇心こそ大切に候へ
本抄の内容から、松野殿後家尼御前はこれまで一度も日蓮大聖人とお会いしていないにもかかわらず、大聖人に御供養の品を度々、お届けしてきたことが分かります。大聖人が門下のそうした尊い真心を何よりも大切にされたエピソードは枚挙に暇がありません。
大聖人が佐渡流罪中に出会った門下に、阿仏房・千日尼の夫妻がいました。阿仏房は、大聖人の身延入山後、千日尼から託された御供養の品々を持って、何度も師匠を訪ねています。
例えば、弘安元年(1278年)閏10月、大聖人は御供養への返礼として千日尼に送られたお手紙の中で、次のように仰せです。
「御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり」(御書1316ページ)。"あなた(千日尼)の身は佐渡にあっても、心は私(大聖人)のところに来ていますよ"との趣旨です。
さらに大聖人は、「御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(お会いしたからといってどうなりましょう。心こそ大切です=同ページ、通解)と、大きな慈愛で千日尼を包み込まれました。
千日尼の真心は、毎年のように夫を大聖人のもとへ送り出すという行動として表れました。そこには、変わることなく師匠を求めていく心がありました。
門下一人一人の心を深くご覧になり、真心に真心で応えられたのが、生涯を通して変わることのない大聖人のお振る舞いだったのです。
弟子の立場から見れば、師匠を支え、求める姿勢を貫いていくことが、求道の心の表れであり、そこに仏法の根幹ともいうべき師弟の精神があるといえるでしょう。
◇諸仏の"入其身"
拝読御文に「釈迦仏の御身に入らせ給い候か」とあります。これは、「善」の「入其身」であり、松野殿後家尼御前の供養が日蓮大聖人を支える善の働きをしていることを指しています。
法華経勧持品第13には「悪」の「入其身」である「悪鬼入其身」が説かれています。「悪鬼は其の身に入って」と読みますが、これは「悪鬼」が、さまざまな衆生の身に入り、正法を護持する者をそしり、辱め、仏道の実践を妨害することをいいます。
「悪鬼」とは、誤った宗教・思想に当たり、また人の苦悩の因となって、精神を乱す源のことです。
大聖人は例えば、第六天の魔王が法華経の行者を迫害しようとして、智者や権力者の身に入ると述べられています。
この反対の「善」の「入其身」について、大聖人は、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書1451ページ)とも指南されています。
「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」と祈っていくよう、門下に教えられた言葉です。
「釈迦・多宝・十方の仏」、すなわち諸仏が「入其身」すれば、仏の所従(=家来)である諸菩薩・諸天等が従い、法華経の行者を守護することは間違いありません。
強盛な信心は、一切を善の働きへと変えていきます。信心を奮い起こして広布に前進する中で、仏をはじめ菩薩・諸天善神など、あらゆる善の働きを呼び起こしていくことができるのです。
◇師弟の宿縁
仏法の説く"三世の生命観"に照らせば、日蓮大聖人の門下一人一人が大聖人との師弟の絆を結んだのは、過去世からの宿縁によるものにほかなりません。
拝読御文に「過去に積まれた善根があらわれてのことでしょうか」(通解)とあります。「善根」とは、過去世から生命に積んできた、功徳の因となる善の行為を意味します。
私たちが正法に巡り合うことができたのも、決して偶然によるものではありません。過去世から仏法との縁(宿縁)があり、生命に刻まれてきた善根があるからです。
例えば大聖人は、佐渡の地で門下となった最蓮房に対して、「過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか」(御書1338ページ)と仰せになり、法華経化城喩品第7の「在在諸仏土 常与師倶生(在在の諸仏の土に 常に師と倶に生ず)」(法華経317ページ)の文を引いて、師弟について教えられています。
この経文は、師と弟子が常に同じ仏国土に生まれ、共に仏法を行じていくことを説いたものです。
また、安房の門下には、「かかる者(=大聖人)の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)と仰せです。
希有の仏法と師匠に出合うことのできた喜びを胸に、自らの尊い広布の使命を果たしていきましょう。
★池田先生の指針から 師匠を支えた、けなげな女性門下
後家尼御前は、まだ大聖人に直接お会いしたことがないこと。しかし、幾度も御供養を重ね、大聖人をお護りした健気な女性門下であったことが推察されます。
当時の時代背景を確認すれば、大雨・大風・大雪などの天災が続き、深刻な飢饉や疫病の大流行で多くの人が亡くなり、不安な世情です。また、蒙古の再襲来が予想され、混迷の度がますます深まっています。加えて、大聖人一門にとっては、駿河国では熱原の法難が始まっており、緊迫した状況が続いています。
そうしたなかで、仏法をひたむきに求める一人の女性に、大聖人は、「法」と「人」の両面から、大確信を与えられます。
まず「法」の次元では、南無妙法蓮華経こそが万人成仏の根源の法であること。そして「人」の次元では、あらゆる迫害を乗り越え妙法弘通を貫かれてきた大聖人こそが法華経の行者であることを教えられます。そして、この女性門下が今、信心をしていることは、決して偶然でなく、深い使命をもって生まれてきたことを示されています。
いわば、大聖人御自身の「戦いの歴史」と「御確信」、そして門下の「使命」を教えられている御書です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻)
◇ ◆ ◇
まず大聖人は、衣服も不足がちで食にも困窮している現状を紹介して、いかに、門下の御供養が大聖人を支えているか、深く感謝されています。
しかも、たびたび御供養をしている尼御前は、一度も大聖人と直接お会いしたことのない門下です。
尼御前に限らず、今日、御書に残っていない、そうした門下も数多くいたことと思います。不惜の信仰を貫き通した熱原の三烈士もそうでしょう。信心は距離ではありません。大切なのは「心」です。
大聖人は、尼御前の誠実な心を深く御覧になったのです。法華経法師品第十に触れて、"まことに不思議なことです。釈迦仏があなたの身に入られたのか。あるいは過去世の善根があらわれてのことでしょうか"と仰せです。牧口先生も、御書の中でこの一節に強く線を引かれています。(同)
参考文献
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第19巻(聖教新聞社)
2018年8月19日日曜日
2018.08.19 わが友に贈る
安逸ばかり求めると
小さなことも苦痛に。
使命深き後継の友よ!
あえて労苦に挑みゆく
鍛えと誉れの日々を!
日女御前御返事 P1245
『石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや』
【通解】
中国の李広将軍が放った矢が石に立ったというのも、(石を父親を殺した虎と思い)父親の仇と信じ抜いた一念の強さゆえである。まして、仏法においては、なおさらのことである。
〈寸鉄〉 2018年8月19日
「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」御書。世界広布進める学会こそ正統
青年は望みが大きすぎるくらいでよい—戸田先生君よ立正安国の大理想へ
未来部の各種コンクールが大詰め。鳳雛と成長の思い出を。最後まで応援
日曜日の寝過ぎはリズム崩して不眠の因に。今日も清々しい朝の祈りから
世界人道デー。目前の人を大切に—この心が平和の要。創価の振舞で拡大
☆SUA入学レセプションへの池田先生のメッセージ 2018年8月11日
◇いかなる難題も打開しゆく価値創造の英知磨く青春を
一、私の座右には、空から撮影したアメリカ創価大学の写真があって、常に心に映じて離れることはありません。
緑なすアリソビエホの丘に立つ赤い屋根の校舎群も、カリフォルニアの青い空を映した、ファウンダーズホールの前の池も、いつもわが胸に輝き光っております。
この麗しきキャンパスに、今年も、世界中から最優秀の英才を迎えることができました。
新入生の皆さん、さらに大学院に進学される皆さん、誠におめでとう!
わがSUAは「生命尊厳の世紀」をリードする創造的な世界市民を育む学びやです。無限の可能性に満ちた青春の生命を、思う存分に解き放っていってください。
送り出してくださった、ご家族、ご友人の方々も、本当にありがとうございます。
一、愛する皆さんの門出に、私は「地球社会を照らす英知と希望の連帯を広げよう!」と呼び掛けたい。
この8月は、アメリカの歴史を動かした公民権運動の「ワシントン大行進」から、55周年。キング博士の盟友として、この人権闘争に参加し、わがSUAのキャンパスに何度も来学くださった、高名な歴史学者のビンセント・ハーディング博士は語りました。
「希望の回復こそ、私たちにとって第一の挑戦である」と。
残念ながら、世界は、いまだ人種差別のみならず、民族や宗教、文化の差異、経済格差といった、幾つもの分断線が引かれています。さらには、自然と人間を分断する環境破壊など、地球の持続可能性そのものが危うくなっているといわざるをえません。
だからこそ、私は申し上げたいのです。
「希望の回復」さらに「希望の創出」そして「希望の連帯」をもたらしゆく英知のフォートレス(要塞)こそ、我らのSUAなり、と。
一、毎年、SUAを訪れ、講演や授業を行ってくださっているチョウドリ元国連事務次長は、長年の外交経験を踏まえ、こう言われました。「変化をもたらすための一番の近道は、われわれが連帯し、個人間、家族内、そして、コミュニティーや、われわれの社会、同時に世界レベルにおいて、信頼と協力関係を育てていくことである」と。
全ての希望は人間対人間の対話から生まれる。どんな不信の壁も、実際に会って、友情と信頼を築くところから、必ず乗り越えられる。この信念で、私は世界を走り、人類を結ぶ行動を貫いてまいりました。うれしいことに、SUAの卒業生たちが、この道に澎湃と続いてくれております。
どうか、世界との友情の広場である、ここSUAで、心広々と伸びやかに、良き学友と希望を分かち合いながら、いかなる難題も打開しゆく価値創造の英知を切磋琢磨し合う青春を飾っていってください。
一、このSUAの未来へ大いなる希望を託してくださっていた、アメリカの公民権運動の母ローザ・パークスさんは断言されています。「本当に学びたいと思ったら、あなたを止めるものは何もありません」(高橋朋子訳『ローザ・パークスの青春対話』潮出版社)と。
学びの青春に恐れなし! 学びの友は宝なり!
そして、幸福と平和を創る智慧は無窮なり!です。
さあ、栄光の大空へ、この大学の未来に希望を託してくださっている人々、そして何より、皆さんを支えてくださる全ての方々の期待を、若き誉れの翼に受けながら、悠々と力強く飛び立とうではありませんか!
愛する皆さんに健康あれ! 希望あれ! 勝利あれ! と祈りつつ、私のお祝いのメッセージとします(大拍手)。
小さなことも苦痛に。
使命深き後継の友よ!
あえて労苦に挑みゆく
鍛えと誉れの日々を!
日女御前御返事 P1245
『石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや』
【通解】
中国の李広将軍が放った矢が石に立ったというのも、(石を父親を殺した虎と思い)父親の仇と信じ抜いた一念の強さゆえである。まして、仏法においては、なおさらのことである。
〈寸鉄〉 2018年8月19日
「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」御書。世界広布進める学会こそ正統
青年は望みが大きすぎるくらいでよい—戸田先生君よ立正安国の大理想へ
未来部の各種コンクールが大詰め。鳳雛と成長の思い出を。最後まで応援
日曜日の寝過ぎはリズム崩して不眠の因に。今日も清々しい朝の祈りから
世界人道デー。目前の人を大切に—この心が平和の要。創価の振舞で拡大
☆SUA入学レセプションへの池田先生のメッセージ 2018年8月11日
◇いかなる難題も打開しゆく価値創造の英知磨く青春を
一、私の座右には、空から撮影したアメリカ創価大学の写真があって、常に心に映じて離れることはありません。
緑なすアリソビエホの丘に立つ赤い屋根の校舎群も、カリフォルニアの青い空を映した、ファウンダーズホールの前の池も、いつもわが胸に輝き光っております。
この麗しきキャンパスに、今年も、世界中から最優秀の英才を迎えることができました。
新入生の皆さん、さらに大学院に進学される皆さん、誠におめでとう!
わがSUAは「生命尊厳の世紀」をリードする創造的な世界市民を育む学びやです。無限の可能性に満ちた青春の生命を、思う存分に解き放っていってください。
送り出してくださった、ご家族、ご友人の方々も、本当にありがとうございます。
一、愛する皆さんの門出に、私は「地球社会を照らす英知と希望の連帯を広げよう!」と呼び掛けたい。
この8月は、アメリカの歴史を動かした公民権運動の「ワシントン大行進」から、55周年。キング博士の盟友として、この人権闘争に参加し、わがSUAのキャンパスに何度も来学くださった、高名な歴史学者のビンセント・ハーディング博士は語りました。
「希望の回復こそ、私たちにとって第一の挑戦である」と。
残念ながら、世界は、いまだ人種差別のみならず、民族や宗教、文化の差異、経済格差といった、幾つもの分断線が引かれています。さらには、自然と人間を分断する環境破壊など、地球の持続可能性そのものが危うくなっているといわざるをえません。
だからこそ、私は申し上げたいのです。
「希望の回復」さらに「希望の創出」そして「希望の連帯」をもたらしゆく英知のフォートレス(要塞)こそ、我らのSUAなり、と。
一、毎年、SUAを訪れ、講演や授業を行ってくださっているチョウドリ元国連事務次長は、長年の外交経験を踏まえ、こう言われました。「変化をもたらすための一番の近道は、われわれが連帯し、個人間、家族内、そして、コミュニティーや、われわれの社会、同時に世界レベルにおいて、信頼と協力関係を育てていくことである」と。
全ての希望は人間対人間の対話から生まれる。どんな不信の壁も、実際に会って、友情と信頼を築くところから、必ず乗り越えられる。この信念で、私は世界を走り、人類を結ぶ行動を貫いてまいりました。うれしいことに、SUAの卒業生たちが、この道に澎湃と続いてくれております。
どうか、世界との友情の広場である、ここSUAで、心広々と伸びやかに、良き学友と希望を分かち合いながら、いかなる難題も打開しゆく価値創造の英知を切磋琢磨し合う青春を飾っていってください。
一、このSUAの未来へ大いなる希望を託してくださっていた、アメリカの公民権運動の母ローザ・パークスさんは断言されています。「本当に学びたいと思ったら、あなたを止めるものは何もありません」(高橋朋子訳『ローザ・パークスの青春対話』潮出版社)と。
学びの青春に恐れなし! 学びの友は宝なり!
そして、幸福と平和を創る智慧は無窮なり!です。
さあ、栄光の大空へ、この大学の未来に希望を託してくださっている人々、そして何より、皆さんを支えてくださる全ての方々の期待を、若き誉れの翼に受けながら、悠々と力強く飛び立とうではありませんか!
愛する皆さんに健康あれ! 希望あれ! 勝利あれ! と祈りつつ、私のお祝いのメッセージとします(大拍手)。
2018年8月18日土曜日
2018.08.18 わが友に贈る
相手を尊重する心に
友情の花は咲き薫る。
同苦する祈りに
信頼の果実が実る。
彩り豊かな交友史を!
主師親御書 P386
『或時は人に生れて諸の国王大臣公卿殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさかへまぼろしのたのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり』
【通解】
ある時は人間として生まれて、諸の国王、大臣、貴族や宮廷での昇殿をゆるされる高い身分などになって、「これほどの楽しみはない」と思い、わずかなものを得て「満足した」と思い、喜びあっている。このことを仏は「夢の中の栄え、幻の楽しみである。ただ法華経を持ちたてまつり、すみやかに仏になりなさい」と説いておられる。
〈寸鉄〉 2018年8月18日
大聖人の確信に触れれば信心の火が燃える—恩師日々、御書を繙き前へ!
世代を超えた創価の平和運動に学び、社会全体へ—識者。次代を拓く誇り
栃木県青年部の日。関東を牽引する正義の友よ。不屈の敢闘精神で拡大を
夏バテ予防は�栄養補給�十分な睡眠�適度な運動を。健康こそ勝利の源
世界の異常高温は今後5年続く—予測。温暖化抑制へ国境超えた取組急務
☆未来部夏季研修会への池田先生のメッセージ 2018年8月7日
◇勇気 誓い 友情の心で青春勝利の地道な挑戦を
従藍而青の頼もしき後継の皆さん、猛暑の中、日本全国から、創価大学へ、よく集ってくれました。
とくに、このたびの西日本豪雨で被災した地域の皆さん、本当にご苦労さまです。
私は、一人一人の健康と成長と勝利、また、ご家族の幸福・和楽を真剣に祈りました。これからもずっと祈り続けていきます。
担当者の皆さん、男女青年部、学生部の皆さんも、本当にありがとうございます。
広宣流布とは、生命尊厳の大哲学を掲げて、全民衆の幸福と地球の平和の道を、はるか1万年先の未来まで開いていく大遠征です。それは、世代を超えて断じて途切れることのない、最も崇高にして最も遠大な使命のリレーです。
このバトンを、私は初代・牧口先生、第2代・戸田先生から受け継ぎ、まっしぐらに走り抜いてきました。皆さんのお父さん方、お母さん方も一緒です。
そして今、「正義の走者」たる皆さんに、一切を託していきます。
きょうは、青春勝利の三つのバトンを、一人一人に手渡ししたい。
一つ目は、「夢に挑む勇気のバトン」です。夢は、若き命を、大きく強くします。
戸田先生は、よく「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよい」と言われました。私も体が弱く、悪戦苦闘の青春でした。
それでも、戸田先生の弟子として、壮大な広布の夢に向かい、祈り、学び、戦い続ける中で、頑健な生命を鍛え上げることができました。
青春時代は、みんな、さまざまな悩みや葛藤の連続です。自分に自信が持てず、失敗を恐れて萎縮してしまうこともあるでしょう。しかし、失敗しても、そこから多くのことを学べばいい。
朗らかに挑戦する勇気も、へこたれない不屈の勇気も、青春の特権です。
二つ目は、「恩に報いる誓いのバトン」です。
牧口先生は、恩を大切にする人でした。一枚の服にも、さまざまな国の人々の労苦の汗が込められていることを通し、自分を支えてくれている人たちの恩を知り、世界の民衆に思いを巡らせることを示されました。ここに、真の知性の深さと広さがあります。
皆さんの今回の研修も、送り出してくれたお父さんやお母さん、地域の方々など、たくさんの人の真心に支えられています。みんなが、皆さんの大成長を祈っています。
日蓮大聖人は、「父母や師匠への大恩に報いるには、仏法を実践し抜いて智者(まことの智慧ある人)となって、初めて可能となる」(御書293ページ、趣意)と教えられております。
深い感謝の心で、恩に応えようと誓いを立てて祈る時、人間は、自分の小さな殻を打ち破ることができます。どんな困難にも負けない、無限の智慧が湧き出でてくるのです。
最後は、「平和を創る友情のバトン」です。
未来部は、私が第3代会長として世界を駆け巡る中で結成しました。皆さん方が胸を張って躍り出る世界の舞台を築くために、私は第一級のリーダーと友情を結んできました。
創価大学にある、インドの大詩人・タゴールの像の台座には、「人々の間に結合をもたらし、平和と調和を築くことこそが、文明の使命である」との言葉が刻まれています。
平和といっても、一切は友情から始まります。それは、身近な友人との心通い合う対話から出発します。今回、出会った宝友とも、素晴らしい友情を深めていってください。
結びに、私の親友であるアルゼンチンの人権の闘士・エスキベル博士の言葉を贈ります。
「"今"何をしているかが重要であり、その現在が未来を決定していきます。きょう、種を植える勇気を持つものが、あした、その果実を収穫するのです」
今、皆さんが地道に植えている、勉学の種、読書の種、語学の種、鍛錬の種、励ましの種、親孝行の種が、必ずや青春勝利の花を咲かせ、人生栄光の実りをもたらしゆくことは、絶対に間違いありません。
私は、愛する皆さん方の偉大な「人間革命」の現在の挑戦を、そして未来の「鳳雛飛翔」の凱歌を、全て見守っています。
わが不二の地涌の若人よ、勝って勝って、勝ちまくれ!
どうか、世界一の同志と、楽しく仲良く健やかに、世界一の研修会としてください(大拍手)。
友情の花は咲き薫る。
同苦する祈りに
信頼の果実が実る。
彩り豊かな交友史を!
主師親御書 P386
『或時は人に生れて諸の国王大臣公卿殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさかへまぼろしのたのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり』
【通解】
ある時は人間として生まれて、諸の国王、大臣、貴族や宮廷での昇殿をゆるされる高い身分などになって、「これほどの楽しみはない」と思い、わずかなものを得て「満足した」と思い、喜びあっている。このことを仏は「夢の中の栄え、幻の楽しみである。ただ法華経を持ちたてまつり、すみやかに仏になりなさい」と説いておられる。
〈寸鉄〉 2018年8月18日
大聖人の確信に触れれば信心の火が燃える—恩師日々、御書を繙き前へ!
世代を超えた創価の平和運動に学び、社会全体へ—識者。次代を拓く誇り
栃木県青年部の日。関東を牽引する正義の友よ。不屈の敢闘精神で拡大を
夏バテ予防は�栄養補給�十分な睡眠�適度な運動を。健康こそ勝利の源
世界の異常高温は今後5年続く—予測。温暖化抑制へ国境超えた取組急務
☆未来部夏季研修会への池田先生のメッセージ 2018年8月7日
◇勇気 誓い 友情の心で青春勝利の地道な挑戦を
従藍而青の頼もしき後継の皆さん、猛暑の中、日本全国から、創価大学へ、よく集ってくれました。
とくに、このたびの西日本豪雨で被災した地域の皆さん、本当にご苦労さまです。
私は、一人一人の健康と成長と勝利、また、ご家族の幸福・和楽を真剣に祈りました。これからもずっと祈り続けていきます。
担当者の皆さん、男女青年部、学生部の皆さんも、本当にありがとうございます。
広宣流布とは、生命尊厳の大哲学を掲げて、全民衆の幸福と地球の平和の道を、はるか1万年先の未来まで開いていく大遠征です。それは、世代を超えて断じて途切れることのない、最も崇高にして最も遠大な使命のリレーです。
このバトンを、私は初代・牧口先生、第2代・戸田先生から受け継ぎ、まっしぐらに走り抜いてきました。皆さんのお父さん方、お母さん方も一緒です。
そして今、「正義の走者」たる皆さんに、一切を託していきます。
きょうは、青春勝利の三つのバトンを、一人一人に手渡ししたい。
一つ目は、「夢に挑む勇気のバトン」です。夢は、若き命を、大きく強くします。
戸田先生は、よく「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよい」と言われました。私も体が弱く、悪戦苦闘の青春でした。
それでも、戸田先生の弟子として、壮大な広布の夢に向かい、祈り、学び、戦い続ける中で、頑健な生命を鍛え上げることができました。
青春時代は、みんな、さまざまな悩みや葛藤の連続です。自分に自信が持てず、失敗を恐れて萎縮してしまうこともあるでしょう。しかし、失敗しても、そこから多くのことを学べばいい。
朗らかに挑戦する勇気も、へこたれない不屈の勇気も、青春の特権です。
二つ目は、「恩に報いる誓いのバトン」です。
牧口先生は、恩を大切にする人でした。一枚の服にも、さまざまな国の人々の労苦の汗が込められていることを通し、自分を支えてくれている人たちの恩を知り、世界の民衆に思いを巡らせることを示されました。ここに、真の知性の深さと広さがあります。
皆さんの今回の研修も、送り出してくれたお父さんやお母さん、地域の方々など、たくさんの人の真心に支えられています。みんなが、皆さんの大成長を祈っています。
日蓮大聖人は、「父母や師匠への大恩に報いるには、仏法を実践し抜いて智者(まことの智慧ある人)となって、初めて可能となる」(御書293ページ、趣意)と教えられております。
深い感謝の心で、恩に応えようと誓いを立てて祈る時、人間は、自分の小さな殻を打ち破ることができます。どんな困難にも負けない、無限の智慧が湧き出でてくるのです。
最後は、「平和を創る友情のバトン」です。
未来部は、私が第3代会長として世界を駆け巡る中で結成しました。皆さん方が胸を張って躍り出る世界の舞台を築くために、私は第一級のリーダーと友情を結んできました。
創価大学にある、インドの大詩人・タゴールの像の台座には、「人々の間に結合をもたらし、平和と調和を築くことこそが、文明の使命である」との言葉が刻まれています。
平和といっても、一切は友情から始まります。それは、身近な友人との心通い合う対話から出発します。今回、出会った宝友とも、素晴らしい友情を深めていってください。
結びに、私の親友であるアルゼンチンの人権の闘士・エスキベル博士の言葉を贈ります。
「"今"何をしているかが重要であり、その現在が未来を決定していきます。きょう、種を植える勇気を持つものが、あした、その果実を収穫するのです」
今、皆さんが地道に植えている、勉学の種、読書の種、語学の種、鍛錬の種、励ましの種、親孝行の種が、必ずや青春勝利の花を咲かせ、人生栄光の実りをもたらしゆくことは、絶対に間違いありません。
私は、愛する皆さん方の偉大な「人間革命」の現在の挑戦を、そして未来の「鳳雛飛翔」の凱歌を、全て見守っています。
わが不二の地涌の若人よ、勝って勝って、勝ちまくれ!
どうか、世界一の同志と、楽しく仲良く健やかに、世界一の研修会としてください(大拍手)。
2018年8月17日金曜日
2018.08.17 わが友に贈る
厳しい暑さが続く。
局地的な豪雨など
悪天候にも要注意!
"百千万億倍の用心"で
事故を未然に防ごう!
王舎城事 P1138
『御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく太刀つるぎにてつかう人の臆病なるやうにて候べし』
【通解】
祈りが叶わないのは、弓が強いのに弦が弱く、太刀や剣があっても使う人が臆病であるようなものである。
〈寸鉄〉 2018年8月17日
会長が育てた青年たちの姿に明るい未来を見た—韓国郡守。使命は無限大
文芸部結成の日。悪を切り希望送るペン、一閃!戦う言論勇者に栄冠光る
良書を読め。古典を読め—恩師。知勇錬磨し君よ民衆厳護のリーダーたれ
詐欺メール、企業の4割が受信と。手口はより多様、巧妙に。警戒心強く
戦後生まれが人口の8割強。戦争の悲惨、平和の心を未来へつなぐ時は今
☆青年不戦サミットへの池田先生のメッセージ 2018年8月6日
◇若き世代の正義の団結は核兵器より強し! 君よ平和の暁鐘を鳴らせ
一、平和の誓願の天地・長崎での「青年不戦サミット」の開催、誠にご苦労さま!
この若き尊きサミットが始まってより、今年で30年目。広島・長崎・沖縄の3県を中心に、平和建設の挑戦を一つまた一つ堅実に積み重ねてきた皆さんを、私は心から讃え、連帯の握手を交わしております。
本当にありがとう!
今、世界は、難民や移民の問題などで緊張や摩擦が強まる一方、非核化に向けた対話の動きも生まれ始めています。昨年の核兵器禁止条約の採択に続き、今年4月には韓国と北朝鮮の南北首脳会談が行われ、6月には米朝首脳会談が実現しました。
今こそ、核兵器のない世界への潮流を揺るぎないものにしていかねばなりません。その鍵を握るのは、何にもまして青年であります。
一、今年の8・9「長崎原爆の日」の平和祈念式典には、国連のグテーレス事務総長も出席の予定となっており、青年に次のように期待を寄せられています。
「私は、若者が明日のリーダーだという考えには同意できません。若者はますます、今日のリーダーとなっているからです」「私たちが直面する最も深刻な課題に取り組むためには、若者のエネルギーが必要です」と。
まさしく、私と人権運動家のエスキベル博士が、6月に発表した共同声明で繰り返し強調しているのも、この点にあります。
どこか遠くではない、今いる場所で、現実に具体的に自分にできる行動を起こす——この世界の知性が求めてやまない、時代変革の力ある「今日のリーダー」こそ、創価の青年であると、私は確信してやまないのであります。
一、先般の西日本豪雨の被災に際しても、広島はじめ各地の青年による復旧復興への気高き奮闘に、心から感謝申し上げます。
エスキベル博士は、私との対談の中で、若い世代の交流がある限り、「どんな困難が存在していようとも、すべての人にとってより良い世界を建設する希望と光は存在することを確認することができる」と語られました。
私もまた、正しき生命尊厳の哲理を掲げた青年の団結は、断じて核兵器よりも強い。若き正義の大連帯は核兵器をも恐れじ、との信念で戦い抜いてきました。
どうか、わが青春とわが地域の眼前の難題にも、そして世界の非核化、人類の不戦という遠大な理想にも、怯まず、嘆かず、諦めず、日本そして世界の青年と手を携えながら、断固と挑み抜いていってください。
わが使命の本舞台で、一段と広く大きく、友情と仏縁を「二人・三人・百人と」(御書1360ページ)拡大しながら、自分自身の人間革命の勝利劇から、未来へ向かって、自他共の幸福と平和の暁鐘を高らかに打ち鳴らしゆこうではないか!
若き世界市民の皆さんの健康、ご家族と郷土の繁栄を祈りつつ(大拍手)。
局地的な豪雨など
悪天候にも要注意!
"百千万億倍の用心"で
事故を未然に防ごう!
王舎城事 P1138
『御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく太刀つるぎにてつかう人の臆病なるやうにて候べし』
【通解】
祈りが叶わないのは、弓が強いのに弦が弱く、太刀や剣があっても使う人が臆病であるようなものである。
〈寸鉄〉 2018年8月17日
会長が育てた青年たちの姿に明るい未来を見た—韓国郡守。使命は無限大
文芸部結成の日。悪を切り希望送るペン、一閃!戦う言論勇者に栄冠光る
良書を読め。古典を読め—恩師。知勇錬磨し君よ民衆厳護のリーダーたれ
詐欺メール、企業の4割が受信と。手口はより多様、巧妙に。警戒心強く
戦後生まれが人口の8割強。戦争の悲惨、平和の心を未来へつなぐ時は今
☆青年不戦サミットへの池田先生のメッセージ 2018年8月6日
◇若き世代の正義の団結は核兵器より強し! 君よ平和の暁鐘を鳴らせ
一、平和の誓願の天地・長崎での「青年不戦サミット」の開催、誠にご苦労さま!
この若き尊きサミットが始まってより、今年で30年目。広島・長崎・沖縄の3県を中心に、平和建設の挑戦を一つまた一つ堅実に積み重ねてきた皆さんを、私は心から讃え、連帯の握手を交わしております。
本当にありがとう!
今、世界は、難民や移民の問題などで緊張や摩擦が強まる一方、非核化に向けた対話の動きも生まれ始めています。昨年の核兵器禁止条約の採択に続き、今年4月には韓国と北朝鮮の南北首脳会談が行われ、6月には米朝首脳会談が実現しました。
今こそ、核兵器のない世界への潮流を揺るぎないものにしていかねばなりません。その鍵を握るのは、何にもまして青年であります。
一、今年の8・9「長崎原爆の日」の平和祈念式典には、国連のグテーレス事務総長も出席の予定となっており、青年に次のように期待を寄せられています。
「私は、若者が明日のリーダーだという考えには同意できません。若者はますます、今日のリーダーとなっているからです」「私たちが直面する最も深刻な課題に取り組むためには、若者のエネルギーが必要です」と。
まさしく、私と人権運動家のエスキベル博士が、6月に発表した共同声明で繰り返し強調しているのも、この点にあります。
どこか遠くではない、今いる場所で、現実に具体的に自分にできる行動を起こす——この世界の知性が求めてやまない、時代変革の力ある「今日のリーダー」こそ、創価の青年であると、私は確信してやまないのであります。
一、先般の西日本豪雨の被災に際しても、広島はじめ各地の青年による復旧復興への気高き奮闘に、心から感謝申し上げます。
エスキベル博士は、私との対談の中で、若い世代の交流がある限り、「どんな困難が存在していようとも、すべての人にとってより良い世界を建設する希望と光は存在することを確認することができる」と語られました。
私もまた、正しき生命尊厳の哲理を掲げた青年の団結は、断じて核兵器よりも強い。若き正義の大連帯は核兵器をも恐れじ、との信念で戦い抜いてきました。
どうか、わが青春とわが地域の眼前の難題にも、そして世界の非核化、人類の不戦という遠大な理想にも、怯まず、嘆かず、諦めず、日本そして世界の青年と手を携えながら、断固と挑み抜いていってください。
わが使命の本舞台で、一段と広く大きく、友情と仏縁を「二人・三人・百人と」(御書1360ページ)拡大しながら、自分自身の人間革命の勝利劇から、未来へ向かって、自他共の幸福と平和の暁鐘を高らかに打ち鳴らしゆこうではないか!
若き世界市民の皆さんの健康、ご家族と郷土の繁栄を祈りつつ(大拍手)。
2018年8月16日木曜日
2018.08.16 わが友に贈る
家族や親戚との
温かな交流を大切に!
和楽の家庭は幸福の源。
日頃の感謝の思いを
言葉と行動で表そう!
日女御前御返事 P1247
『何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の師をや、何に況や出世間の師をや、何に況や法華経の御師をや』
【通解】
父母や国王よりも、百千万億倍優れた世間の師匠に背けば、なおさらである(必ず天に捨てられ、地獄に堕ちる)。さらに、出世間(仏法)の師に対して、まして、法華経の正しき師匠に背く罪は、いかに大きいであろうか。
〈寸鉄〉 2018年8月16日
人と人の繋がり育む学会は日本社会の希望—教授今日も溌剌と友のもとへ
我らは惨劇忘れない!青年部が戦没者法要。この若き連帯が平和世紀の光
「可愛そう」だけでは人は救えぬ—恩師。共に悩み、共に祈る。その姿に仏法
独居の高齢男性、近くで頼れる人いないが3割。心結ぶ周囲の声掛けが鍵
熱中症の搬送者、1週間で7千人超と。人ごとと油断せず!万全の予防を
☆歌声高く 第12回 正義の走者
◇創価のメロスよ、誓いの道を
友との約束を守るため、彼は走った。
度重なる困難に力尽き、諦めそうになっても、「私を、待っている人があるのだ」「私は、信頼に報いなければならぬ」と、自らを奮い立たせながら——。
太宰治の名著『走れメロス』の主人公の力走に、池田先生は、誓いの道をひた走る未来部の宝友の姿を重ねた。
第1次宗門事件という、創価の師弟の絆が分断されようとした障魔の嵐の中で、先生が"創価のメロス"たる後継の友に贈った歌がある。
その名も「正義の走者」——。
先生が作詞の筆を執ったのは、40年前の1978年7月23日。場所は岡山文化会館(現・岡山南文化会館)であった。
未来部は全員が創価の大切な後継者である! 21世紀の広宣流布のバトンを託す正義の走者である!
先生の万感の思いは、瞬く間に歌詞となってあふれ出た。
1、2番では、"自身の心を制覇し、信義を生涯貫く"大切さ、"一人立つ信念の人生に、最も美しい友情が生まれる"ことを歌詞にしていく。そして3番の最後の言葉は、既に決めていた一節「ああ柱たれ 我等の時代の」に。
「皆が自分の世代の広宣流布に責任をもち、信頼の柱となり、友情を広げていくなかに、仏法の人間主義の着実な広がりがある」との思いを託した。
そして同日夕刻、「できたよ!」と、当時の高等部長に、完成したばかりの歌詞を書いた紙が手渡されたのである。
その後、四国で曲がつけられ、新・高等部歌として8月1日付の聖教新聞で発表されると、全国の部員の喜びが爆発。
2日後の8月3日には、第11回高等部総会(立川文化会館)の席上、部歌が初めて披露された。
先生は語っている。
「私は、愛する後継の皆さんが、一人も残らず、正義と勝利の人生を生き抜いてくれることを信じ、祈って、『正義の走者』を贈りました」
「『正義の走者』は私の遺言であります」
「正義の走者」は、友から友へ、親から子へと歌い継がれていく。2010年7月には、池田先生が歌詞を加筆し、「未来部歌」として生まれ変わった。
誕生40周年の今夏、未来部を中心とした各地の集いで、「正義の走者」の歌声が高らかに響きわたっている。
勉強に、クラブに、親孝行にと、自らが決めた道を突き進む友もいる。一方で、友人との関係や家族の病など宿命の嵐に悩み、立ち止まる人もいるかもしれない。
だが君たち、あなたたちには、順風の時も逆境の時も、変わらずに皆の成長を信じ、祈り、励まし、待っている師匠がいる。
メロスは言う。「走るのだ。信じられているから走るのだ」
後継の友よ、走れ! 自分のために。平和のために。信じてくれる師匠のために。
MEMO
「正義の走者」の誕生の淵源や意義は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章や、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)の番組「未来に羽ばたく君へ——池田先生と未来部」で紹介されている。また、VODでは同歌のコーラス入り映像を配信している。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、我れ今あとを 継がんとて
心凛々しく 時待たん
この身の彼方は 新時代
躍る舞台と 今強く
学べ尽くさん 正義の道をば
二、君も負けるな いつの日か
共々誓いし この道を
嵐も吹雪も いざや征け
これぞメロスの 誉れなり
ああ万感の 時待たんと
三、この世の誇りと 使命をば
情熱燃ゆる 君もまた
勝利の旗の 走者なり
花の輪広げん 走者なり
ああ柱たれ 我等の時代の
温かな交流を大切に!
和楽の家庭は幸福の源。
日頃の感謝の思いを
言葉と行動で表そう!
日女御前御返事 P1247
『何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の師をや、何に況や出世間の師をや、何に況や法華経の御師をや』
【通解】
父母や国王よりも、百千万億倍優れた世間の師匠に背けば、なおさらである(必ず天に捨てられ、地獄に堕ちる)。さらに、出世間(仏法)の師に対して、まして、法華経の正しき師匠に背く罪は、いかに大きいであろうか。
〈寸鉄〉 2018年8月16日
人と人の繋がり育む学会は日本社会の希望—教授今日も溌剌と友のもとへ
我らは惨劇忘れない!青年部が戦没者法要。この若き連帯が平和世紀の光
「可愛そう」だけでは人は救えぬ—恩師。共に悩み、共に祈る。その姿に仏法
独居の高齢男性、近くで頼れる人いないが3割。心結ぶ周囲の声掛けが鍵
熱中症の搬送者、1週間で7千人超と。人ごとと油断せず!万全の予防を
☆歌声高く 第12回 正義の走者
◇創価のメロスよ、誓いの道を
友との約束を守るため、彼は走った。
度重なる困難に力尽き、諦めそうになっても、「私を、待っている人があるのだ」「私は、信頼に報いなければならぬ」と、自らを奮い立たせながら——。
太宰治の名著『走れメロス』の主人公の力走に、池田先生は、誓いの道をひた走る未来部の宝友の姿を重ねた。
第1次宗門事件という、創価の師弟の絆が分断されようとした障魔の嵐の中で、先生が"創価のメロス"たる後継の友に贈った歌がある。
その名も「正義の走者」——。
先生が作詞の筆を執ったのは、40年前の1978年7月23日。場所は岡山文化会館(現・岡山南文化会館)であった。
未来部は全員が創価の大切な後継者である! 21世紀の広宣流布のバトンを託す正義の走者である!
先生の万感の思いは、瞬く間に歌詞となってあふれ出た。
1、2番では、"自身の心を制覇し、信義を生涯貫く"大切さ、"一人立つ信念の人生に、最も美しい友情が生まれる"ことを歌詞にしていく。そして3番の最後の言葉は、既に決めていた一節「ああ柱たれ 我等の時代の」に。
「皆が自分の世代の広宣流布に責任をもち、信頼の柱となり、友情を広げていくなかに、仏法の人間主義の着実な広がりがある」との思いを託した。
そして同日夕刻、「できたよ!」と、当時の高等部長に、完成したばかりの歌詞を書いた紙が手渡されたのである。
その後、四国で曲がつけられ、新・高等部歌として8月1日付の聖教新聞で発表されると、全国の部員の喜びが爆発。
2日後の8月3日には、第11回高等部総会(立川文化会館)の席上、部歌が初めて披露された。
先生は語っている。
「私は、愛する後継の皆さんが、一人も残らず、正義と勝利の人生を生き抜いてくれることを信じ、祈って、『正義の走者』を贈りました」
「『正義の走者』は私の遺言であります」
「正義の走者」は、友から友へ、親から子へと歌い継がれていく。2010年7月には、池田先生が歌詞を加筆し、「未来部歌」として生まれ変わった。
誕生40周年の今夏、未来部を中心とした各地の集いで、「正義の走者」の歌声が高らかに響きわたっている。
勉強に、クラブに、親孝行にと、自らが決めた道を突き進む友もいる。一方で、友人との関係や家族の病など宿命の嵐に悩み、立ち止まる人もいるかもしれない。
だが君たち、あなたたちには、順風の時も逆境の時も、変わらずに皆の成長を信じ、祈り、励まし、待っている師匠がいる。
メロスは言う。「走るのだ。信じられているから走るのだ」
後継の友よ、走れ! 自分のために。平和のために。信じてくれる師匠のために。
MEMO
「正義の走者」の誕生の淵源や意義は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章や、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)の番組「未来に羽ばたく君へ——池田先生と未来部」で紹介されている。また、VODでは同歌のコーラス入り映像を配信している。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、我れ今あとを 継がんとて
心凛々しく 時待たん
この身の彼方は 新時代
躍る舞台と 今強く
学べ尽くさん 正義の道をば
二、君も負けるな いつの日か
共々誓いし この道を
嵐も吹雪も いざや征け
これぞメロスの 誉れなり
ああ万感の 時待たんと
三、この世の誇りと 使命をば
情熱燃ゆる 君もまた
勝利の旗の 走者なり
花の輪広げん 走者なり
ああ柱たれ 我等の時代の
2018年8月15日水曜日
2018.08.15 わが友に贈る
「法華を識る者は
世法を得可きか」
良識豊かな振る舞いで
善の連帯を広げよう!
模範の"良き市民"たれ!
春初御消息 P1585
『過去の仏は凡夫にておはしまし候いし時五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて仏にはならせ給うぞとみえて候へば法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし』
【通解】
過去に仏が凡夫であられた時、五濁が盛んな世の中に、このように飢えている法華経の行者を供養して仏になられたと説かれている。法華経が真実ならば、この(南条時光が日蓮大聖人に供養した)功徳によって、亡くなった慈父の成仏は疑いない。
〈寸鉄〉 2018年8月15日
終戦の日。平和ほど尊きものはない。不戦の潮流を我らの草の根の対話で
お盆に賑わう学会の墓園創価家族の唱題こそ最上の追善。福徳は三世永遠
御書「父母の成仏即ち子の成仏」。家庭は信心継承の礎。成長願う祈りから
気持ちが若い人は脳年齢も若い—研究。生涯青春の息吹!健康人生ここに
海や川での子どもの水難事故に注意。悲劇は一瞬。大人は絶対に目を離すな
☆友のもとへ 第7回 従藍而青の未来部
◇君たちが新たな黎明をつくれ
藍染めの原料になる植物の藍は、8月いっぱいが収穫の時期という。
藍から抽出した青い染料で、布を何度も染めると、もとの藍よりも濃く鮮やかな青色になる。
御書には「従藍而青(藍よりして而も青し)」の例えが、「後継者の成長」の意味として用いられている。
池田先生は「従藍而青」の言葉を引きつつ、人材育成において「関わる側が信じ抜く」大切さを強調する。その通りに、先生は後継の友を信じ、励ましを送り続けてきた。
1969年(昭和44年)2月11日、愛知県体育館で開催された中部幹部会で、少年少女部や高等部のメンバーが合唱を披露した。壇上の男女高等部員の姿を、すぐそばにいた先生は、じっと見守った。
合唱を終えた後、先生は2人のメンバーを手招きして呼ぶと、握手を交わし、励ました。
その一人が、加藤敏彦さん(東京・八王子総区、副本部長)。加藤さんは革靴、もう一人は古い運動靴を履いていた。
「私の革靴は、あまりいい靴ではありませんでした。先生は履いている靴を見て、私たち2人を激励してくださったのです」
先生は、こんなにも温かく、こまやかな配慮をしてくださるのか——加藤さんの胸中に、師への感謝があふれた。
加藤さんは国公立大学への進学を目指していた。だが、志望校には合格できなかった。その報告を聞いた先生は、「長い人生の中では、浪人も貴重な経験になります」と励ましを寄せた。
その後、加藤さんは、開学間近の創価大学に志望を変え、合格を勝ち取った。
「もともとは自分中心な性格でした。浪人生活を経たことで、人生には思うようにならないことがあり、信心と努力が、どちらも必要であることを知りました。そして、相手の立場に立つ大切さを学ぶことができたのです」
高等部の担当者は、卒業後も、何かあるたびに寄り添ってくれた。"こういう人になりたい"と思える先輩が数多くいた。
73年(同48年)7月、創大の第2回滝山祭で、加藤さんは先生に直接、お礼を伝えることができた。先生は家族の状況などを尋ね、励ましを送った。
加藤さんは卒業後、大手設備工事会社に就職。事務畑で実績を重ね、定年を過ぎた今も、会社から請われて後進の育成に当たる。
「師を心の中心に置いて歩む人生の大切さ、励ますべき時を逃さない先生のお心を、自身の行動で伝えていきたい」と語る加藤さん。本部の未来本部長として若き友の成長に尽くす。
◆◇◆
「よく来たね。待っていたよ」
バスから降りてくる未来部のメンバー一人一人を、池田先生は真心で迎えた。
70年(同45年)6月27日、神奈川・箱根の研修所に、60人の未来部員が集い、東京未来会第1期が結成された。
懇談会で先生は「みんな、いい顔しているね」と語ると、「成績は大丈夫?」と。皆が「1番です」と元気よく順番に答える中で、小林多喜子さん(滋賀総県、総県婦人部副総合長)はうつむきながら、ただ一人「2番です」と返答した。
先生は「青年の本当の力は、"1番になってみせる"という気概の中で出てくるんだよ」と語り、「前へおいで」と小林さんを招いた。
「名前は?」
「多喜子です」
「どういう字を書くの」
「『多く』『喜ぶ』『子ども』と書きます」
「いい名前だ。信心を貫いていけば、必ず喜び多き人生になっていくよ」
さらに、先生は「生きるって、どういうことか分かる?」と尋ねた。「分かりません」と小林さん。先生は力を込めた。
「どんなにつらいことがあっても、悲しいことがあっても、生きて生きて生き抜くことを、生きるっていうんだよ」
小学校の卒業式の日、母が大動脈弁閉鎖不全症で倒れた。中学に進学後は、小林さんが家事を担った。父は定年を迎えていた。
経済的に苦しく、高校進学も諦めていた。だからこそ、師の一言が心に染みた。小林さんの目から涙があふれ出た。
先生は「泣いてはいけない。未来っ子は未来に生きる人じゃないか。前を向いて生き抜いていくんだ」と重ねて励ましを。そして、「私も今、生き抜いているんだ」と語り、あえて強く皆に訴えた。
「羊千匹はいらない。獅子一匹でいいんだ」
懇談会が終わると、先生はメンバーと一緒に花火を。その折、小林さんに「創価大学で待っているよ」と語った。
高校卒業後、小林さんは学費をためるために、アルバイト生活をすることに決めた。"娘を創価大学に行かせてやりたい"と、父もアルバイトを掛け持ちした。翌年、小林さんは創価大学への入学を果たした。
大学を卒業して数年後に結婚。87年(同62年)、夫・元さんのすい臓に腫瘍が見つかった。
その2年後、滋賀を訪れた先生は、小林さん夫妻に「生きて生きて、滋賀広布に尽くしていきなさい」と渾身の励ましを送った。
元さんは生命の危機を何度も乗り越え、更賜寿命の実証を示し、一昨年、霊山へ旅立った。
今、"夫の分まで"と自身の使命の舞台で全力を注ぐ小林さん。その笑顔には、"師に応える人生ほど、喜び多き人生はない"との確信があふれている。
◆◇◆
72年(同47年)9月15日、先生は広島を訪問。6000人の友との記念撮影会に臨んだ。
その2カ月前、九州や東北など、各地に被害をもたらした「昭和47年7月豪雨」で、中国地方も甚大な被害を受けていた。
島根では豪雨によって、宍道湖の水があふれ、松江市内が浸水した。広島の撮影会の2日後、先生は島根の記念撮影会に出席した。
この時、先生の来県を知った男女中等部員10人が松江会館(当時)に駆け付けていた。先生は松江市内での撮影会を終えると、同会館に向かい、居合わせた友と一緒に勤行。10人の姿を見つけると、激務の合間を縫って、懇談のひとときを持った。
先生はおにぎりを振る舞い、一人一人に声を掛け、語った。
「君たちは、体力の面でも、知恵の面でも、立派に成長していってほしい。その時を、私は待っているんだよ」
10人の中に、体格のいい男子中等部員がいた。梅谷裕理さん(島根総県、副支部長)である。
先生は「何かクラブ活動はしているの」。「柔道をしています」と梅谷さん。すると、先生は「よし、柔道をやろう」。
梅谷さんは先生と組んだものの、投げるわけにはいかない。"どうしよう"と思っていると、先生は自ら倒れるようにして、背中を畳につけた。
周囲に広がる歓声と笑い。梅谷さんは後ろから先生を抱えて起こした。
最後に、先生は「来年も島根に来るから、また会おう」と約束した。
翌73年9月16日、先生は松江会館を再訪。翌日に鳥取・米子市で開催される総会に10人を招待し、約束通り、再会を果たした。
師の励ましを原点に、梅谷さんは"社会で実証を示そう"と奮闘を重ねた。しかし、30代半ばで立ち上げた土木会社は、バブル崩壊のあおりを受け、廃業に追い込まれた。
祈りに祈り、再就職した土木会社では、それまでの技術と経験を生かして信用を積み重ねた。2年前、周囲から請われ、新たな会社の役員に就いた。
梅谷さんは「先生への感謝を忘れず、生涯、学会と共に広布の人生を歩んでいきます」と誓う。
10人の一人、西野武司さん(同、副圏長)は、金融機関に就職し、53歳から支店長に。学会活動も一歩も引かずに挑戦してきた。
父の姿を見て育った長女・淳子さん(総広島、白ゆり長)、次女・幸子さん(島根総県、女子部本部長)も、信心根本の生き方を受け継いでいる。
◆◇◆
65年(同40年)1月1日、本紙で小説『人間革命』の連載が、「黎明」の章から開始された。この年の8月、先生は未来部員と懇談した。
「小説『人間革命』の結末は、どうなるのですか」
率直に質問するメンバーに、先生は答えた。
「黎明に始まり、黎明で終わるんだ」
先生は小説の構想の一端を明かすと、未来部に広布の一切を託すかのように、万感の思いを語った。
「私の後は、君たちが新しい黎明をつくっていきなさい」
世法を得可きか」
良識豊かな振る舞いで
善の連帯を広げよう!
模範の"良き市民"たれ!
春初御消息 P1585
『過去の仏は凡夫にておはしまし候いし時五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて仏にはならせ給うぞとみえて候へば法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし』
【通解】
過去に仏が凡夫であられた時、五濁が盛んな世の中に、このように飢えている法華経の行者を供養して仏になられたと説かれている。法華経が真実ならば、この(南条時光が日蓮大聖人に供養した)功徳によって、亡くなった慈父の成仏は疑いない。
〈寸鉄〉 2018年8月15日
終戦の日。平和ほど尊きものはない。不戦の潮流を我らの草の根の対話で
お盆に賑わう学会の墓園創価家族の唱題こそ最上の追善。福徳は三世永遠
御書「父母の成仏即ち子の成仏」。家庭は信心継承の礎。成長願う祈りから
気持ちが若い人は脳年齢も若い—研究。生涯青春の息吹!健康人生ここに
海や川での子どもの水難事故に注意。悲劇は一瞬。大人は絶対に目を離すな
☆友のもとへ 第7回 従藍而青の未来部
◇君たちが新たな黎明をつくれ
藍染めの原料になる植物の藍は、8月いっぱいが収穫の時期という。
藍から抽出した青い染料で、布を何度も染めると、もとの藍よりも濃く鮮やかな青色になる。
御書には「従藍而青(藍よりして而も青し)」の例えが、「後継者の成長」の意味として用いられている。
池田先生は「従藍而青」の言葉を引きつつ、人材育成において「関わる側が信じ抜く」大切さを強調する。その通りに、先生は後継の友を信じ、励ましを送り続けてきた。
1969年(昭和44年)2月11日、愛知県体育館で開催された中部幹部会で、少年少女部や高等部のメンバーが合唱を披露した。壇上の男女高等部員の姿を、すぐそばにいた先生は、じっと見守った。
合唱を終えた後、先生は2人のメンバーを手招きして呼ぶと、握手を交わし、励ました。
その一人が、加藤敏彦さん(東京・八王子総区、副本部長)。加藤さんは革靴、もう一人は古い運動靴を履いていた。
「私の革靴は、あまりいい靴ではありませんでした。先生は履いている靴を見て、私たち2人を激励してくださったのです」
先生は、こんなにも温かく、こまやかな配慮をしてくださるのか——加藤さんの胸中に、師への感謝があふれた。
加藤さんは国公立大学への進学を目指していた。だが、志望校には合格できなかった。その報告を聞いた先生は、「長い人生の中では、浪人も貴重な経験になります」と励ましを寄せた。
その後、加藤さんは、開学間近の創価大学に志望を変え、合格を勝ち取った。
「もともとは自分中心な性格でした。浪人生活を経たことで、人生には思うようにならないことがあり、信心と努力が、どちらも必要であることを知りました。そして、相手の立場に立つ大切さを学ぶことができたのです」
高等部の担当者は、卒業後も、何かあるたびに寄り添ってくれた。"こういう人になりたい"と思える先輩が数多くいた。
73年(同48年)7月、創大の第2回滝山祭で、加藤さんは先生に直接、お礼を伝えることができた。先生は家族の状況などを尋ね、励ましを送った。
加藤さんは卒業後、大手設備工事会社に就職。事務畑で実績を重ね、定年を過ぎた今も、会社から請われて後進の育成に当たる。
「師を心の中心に置いて歩む人生の大切さ、励ますべき時を逃さない先生のお心を、自身の行動で伝えていきたい」と語る加藤さん。本部の未来本部長として若き友の成長に尽くす。
◆◇◆
「よく来たね。待っていたよ」
バスから降りてくる未来部のメンバー一人一人を、池田先生は真心で迎えた。
70年(同45年)6月27日、神奈川・箱根の研修所に、60人の未来部員が集い、東京未来会第1期が結成された。
懇談会で先生は「みんな、いい顔しているね」と語ると、「成績は大丈夫?」と。皆が「1番です」と元気よく順番に答える中で、小林多喜子さん(滋賀総県、総県婦人部副総合長)はうつむきながら、ただ一人「2番です」と返答した。
先生は「青年の本当の力は、"1番になってみせる"という気概の中で出てくるんだよ」と語り、「前へおいで」と小林さんを招いた。
「名前は?」
「多喜子です」
「どういう字を書くの」
「『多く』『喜ぶ』『子ども』と書きます」
「いい名前だ。信心を貫いていけば、必ず喜び多き人生になっていくよ」
さらに、先生は「生きるって、どういうことか分かる?」と尋ねた。「分かりません」と小林さん。先生は力を込めた。
「どんなにつらいことがあっても、悲しいことがあっても、生きて生きて生き抜くことを、生きるっていうんだよ」
小学校の卒業式の日、母が大動脈弁閉鎖不全症で倒れた。中学に進学後は、小林さんが家事を担った。父は定年を迎えていた。
経済的に苦しく、高校進学も諦めていた。だからこそ、師の一言が心に染みた。小林さんの目から涙があふれ出た。
先生は「泣いてはいけない。未来っ子は未来に生きる人じゃないか。前を向いて生き抜いていくんだ」と重ねて励ましを。そして、「私も今、生き抜いているんだ」と語り、あえて強く皆に訴えた。
「羊千匹はいらない。獅子一匹でいいんだ」
懇談会が終わると、先生はメンバーと一緒に花火を。その折、小林さんに「創価大学で待っているよ」と語った。
高校卒業後、小林さんは学費をためるために、アルバイト生活をすることに決めた。"娘を創価大学に行かせてやりたい"と、父もアルバイトを掛け持ちした。翌年、小林さんは創価大学への入学を果たした。
大学を卒業して数年後に結婚。87年(同62年)、夫・元さんのすい臓に腫瘍が見つかった。
その2年後、滋賀を訪れた先生は、小林さん夫妻に「生きて生きて、滋賀広布に尽くしていきなさい」と渾身の励ましを送った。
元さんは生命の危機を何度も乗り越え、更賜寿命の実証を示し、一昨年、霊山へ旅立った。
今、"夫の分まで"と自身の使命の舞台で全力を注ぐ小林さん。その笑顔には、"師に応える人生ほど、喜び多き人生はない"との確信があふれている。
◆◇◆
72年(同47年)9月15日、先生は広島を訪問。6000人の友との記念撮影会に臨んだ。
その2カ月前、九州や東北など、各地に被害をもたらした「昭和47年7月豪雨」で、中国地方も甚大な被害を受けていた。
島根では豪雨によって、宍道湖の水があふれ、松江市内が浸水した。広島の撮影会の2日後、先生は島根の記念撮影会に出席した。
この時、先生の来県を知った男女中等部員10人が松江会館(当時)に駆け付けていた。先生は松江市内での撮影会を終えると、同会館に向かい、居合わせた友と一緒に勤行。10人の姿を見つけると、激務の合間を縫って、懇談のひとときを持った。
先生はおにぎりを振る舞い、一人一人に声を掛け、語った。
「君たちは、体力の面でも、知恵の面でも、立派に成長していってほしい。その時を、私は待っているんだよ」
10人の中に、体格のいい男子中等部員がいた。梅谷裕理さん(島根総県、副支部長)である。
先生は「何かクラブ活動はしているの」。「柔道をしています」と梅谷さん。すると、先生は「よし、柔道をやろう」。
梅谷さんは先生と組んだものの、投げるわけにはいかない。"どうしよう"と思っていると、先生は自ら倒れるようにして、背中を畳につけた。
周囲に広がる歓声と笑い。梅谷さんは後ろから先生を抱えて起こした。
最後に、先生は「来年も島根に来るから、また会おう」と約束した。
翌73年9月16日、先生は松江会館を再訪。翌日に鳥取・米子市で開催される総会に10人を招待し、約束通り、再会を果たした。
師の励ましを原点に、梅谷さんは"社会で実証を示そう"と奮闘を重ねた。しかし、30代半ばで立ち上げた土木会社は、バブル崩壊のあおりを受け、廃業に追い込まれた。
祈りに祈り、再就職した土木会社では、それまでの技術と経験を生かして信用を積み重ねた。2年前、周囲から請われ、新たな会社の役員に就いた。
梅谷さんは「先生への感謝を忘れず、生涯、学会と共に広布の人生を歩んでいきます」と誓う。
10人の一人、西野武司さん(同、副圏長)は、金融機関に就職し、53歳から支店長に。学会活動も一歩も引かずに挑戦してきた。
父の姿を見て育った長女・淳子さん(総広島、白ゆり長)、次女・幸子さん(島根総県、女子部本部長)も、信心根本の生き方を受け継いでいる。
◆◇◆
65年(同40年)1月1日、本紙で小説『人間革命』の連載が、「黎明」の章から開始された。この年の8月、先生は未来部員と懇談した。
「小説『人間革命』の結末は、どうなるのですか」
率直に質問するメンバーに、先生は答えた。
「黎明に始まり、黎明で終わるんだ」
先生は小説の構想の一端を明かすと、未来部に広布の一切を託すかのように、万感の思いを語った。
「私の後は、君たちが新しい黎明をつくっていきなさい」
2018年8月14日火曜日
2018.08.14 わが友に贈る
厳しい暑さに負けず
本紙を届けてくださる
配達員の皆様に感謝!
尊き無冠の宝友の
健康と安全を祈る!
撰時抄 P266
『日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし』
【通解】
日蓮は世界第一の法華経の行者である。この日蓮を謗り、怨む者の味方になるような者は、世界第一の大災難にあうであろう。
〈寸鉄〉 2018年8月14日
戸田先生と池田先生の出会いの日。不二の師弟で一閻浮提広宣流布は実現
「関西・師弟原点の日」常勝の闘魂は後継に赤々と!世界が仰ぐ大錦州城
「釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」御書。題目の人は無敵。強盛に祈れ
高速走行、今年は猛暑で疲れやすく特に注意—専門家。無事故優先を徹底
赤ちゃん用液体ミルク、製造や販売解禁。母の負担減。公明の後押し実る
☆地域を歩く 島根県 雲南市、飯南町 2018年8月3日
◇再会と交流の夏休み
間もなく迎えるお盆の時期を中心に、列島は、故郷に帰省する人たちでにぎわう。
家族や親戚と再会し、友人と旧交を温める夏休み——。顔を合わせて語らえば、心は通い、笑顔と元気が生まれる。
そんな出会いが変わらずある場所を、"心の故郷"と呼ぶのだろう。
島根県の雲南市、飯南町には「日本の滝百選」に選定されている龍頭が滝(雲南市)、天然炭酸温泉の"ラムネ銀泉"(飯南町)など、豊かな自然と観光名所がある。
この1市1町を広布の舞台とする雲南本部にも、夏に帰省する人、また故郷に"Uターン"した人がいる。同本部の同志は、そんな一人一人を温かく迎え、励ましの言葉を掛けてきた。
矢島健二本部長、奥原多恵子婦人部本部長は語る。「帰ってきている人がいると分かれば、お会いして近況を聞くようにしています。故郷を離れて奮闘する皆さんに、いつでも戻ってこられる場所があると伝えたい」
奥原本部長の次男・奥原正博さん(男子部員)も、関西創価高校と創価大学で寮生活を送った後、生まれ育った雲南市にUターンした。
学生時代、実家に帰省するたびに未来部の会合や座談会に参加。よく知る壮年・婦人部、男子部の先輩に囲まれると、他の場所にはない"居心地の良さ"を、いつも感じることができた。
就職活動では、志望を県内に絞った。第1志望の銀行から内定を得て、今、社会人1年生として奮闘する。
「田舎ならではの密接な人間関係が、この地域の魅力です。中小企業との関わりを通じて、地域の発展に尽くします」
◇故郷とは自分らしく心の根を張れる場所
Uターンした奥原さんのもとへ、いち早く激励に訪れた人がいた。高橋純一さん(圏男子部長)である。
雲南市で生まれ育ち、太陽光発電システムを販売する会社に入社後も、市内の工場に勤務。そんな"地元っ子"の高橋さんは、もともとは学会活動に消極的だった。信心に向き合うようになったきっかけは、同じ地域の男子部の励ましだった。
趣味の話題で盛り上がり、人間関係を深める中で、いつしか高橋さんは仕事の悩みを打ち明けるように。勤行・唱題を実践し、会合参加を重ねる中で、悩みの原因だった勤務環境が変わった。
同市では、65歳以上の人が総人口に占める割合を指す「高齢化率」は37・9%(6月末時点)。
壮年・婦人部の先輩たちは、"少子高齢化が進む地域にあって、青年は地域の太陽"との思いで自分に接してくれていた。その中で、高橋さんは"自分も人を励ませる人になりたい"と祈り、内田富士男さん(支部長)らと男子部の激励を重ねるようになった。
その一人が、高橋達也さんだった。
達也さんは関東、中部、東北と勤務先を転々とし、4年前に故郷の雲南市へ。生まれ育った地に戻ってみて、あらためて「家族や昔からの知人、友人に囲まれて暮らせることは、安心の源だと実感しました」。
学会活動に励み、人生初の弘教も実らせた。現在勤める薬品会社にも転職を果たし、信心の功徳を感じた。
本年6月、達也さんは男子部部長に就任した。「先輩のように、広布の使命を担い立つ"一人"を励ましていける自分になりたい」と決意する。
飯南町の岡田敬依子さん(華陽リーダー)は、祖母の代からの"学会3世"。幼い頃から、実家が広布の会場だった。
雲南市と同じく、少子高齢化が進む同町。高齢化率は40%を超える。
岡田さんには、小学校に数人、中学校に約30人の同級生がいた。そのほとんどが、進学や就職を機に町を離れた。
岡田さん自身、松江市内の高等専門学校に進学し、卒業後は同市内の会社に就職した。
だが社会人1年目に、周囲の期待の大きさと、それに応えられていない自分自身への焦りから、心身のバランスを崩してしまう。しばらく働いた後、仕事を辞め、飯南町に戻ることを決めた。
"私はダメな人間だ"。挫折感でいっぱいだった岡田さん。だが学会家族は違った。
「あら、お帰り!」
「聞いてたぞ、戻ってきてくれてうれしい!」
そう大げさに喜んでくれる人もいれば、行く先々で、けいこちゃん、けいこちゃんと声を掛けてくれる人がいた。故郷を離れた数年前と、何も変わることなく——。
「それまでは、自分は"いなくてもいい人間"だと卑下していました。でも飯南の人たちは、私がここにいること自体を喜んでくれたんです。過去がどうかではなく、私の今をありのまま受け入れ、昔と変わらず接してくれました。それが一番の励みでした」
昨年から、岡田さんは町内で勤務する。大好きな地域の発展に尽くせることに、大きな喜びを感じている。
◇
飯南町には、他の地域から移り住んできた"Iターン"の人も多い。
「縁があって来た人たちですから、この町を好きになってもらえれば」
そう語る松平利和さん(ブロック長)は、広島で数年間働き、生まれ育った飯南町に戻った。一度離れたからこそ、故郷の良さを感じられるようになったという。
だからこそ、松平さんは町内の「中山間地域研究センター」に勤務するIターンのメンバーらに日々、励ましを送る。
地区では毎月、座談会の案内状に未来部員が絵を描き、地区や地域の人たちに配る。この取り組みの中で参加者は増え、近所の子どもが"自分もやりたい!"と、絵を描くこともある。
「旧習が根強い地域でしたが、学会への見方は柔らかくなりましたよ」。飯南広布の草創を開いた松平さんの両親の房悟さん(副本部長)、ヒロエさん(支部婦人部長)は目を細める。2011年、町内で開催した「自然との対話——池田大作写真展」には、町内外の延べ1800人が来場した。
本年4月、雲南市が全国の注目を集める出来事があった。国の特別天然記念物であるコウノトリのひなが、昨年に続いて4羽、同市内で誕生したのである。
コウノトリが地域にすみ着けるよう、地元の小学生たちが田んぼで稲作を行い、えさとなるカエルやドジョウを増やす取り組みも始まった。この田んぼを提供したのが、澤和秋徳さん(副支部長、地区部長兼任)である。
雲南市生まれの澤和さんは、16歳で大阪へ。そこで先輩に勧められ、仏法に出あった。大阪で男子部時代を過ごし、8年前に故郷に戻った。
Uターン直後、すぐに会いに来てくれたのが、数年前まで地区部長を務めた壮年だった。
「初めまして」と語る澤和さんの手を、壮年は「これから、地区をよろしく頼むよ」と、固く握った。1年後、壮年は病で亡くなる。これが最初で最後の会話となった。
地域広布の草分けだったその壮年は、後継の人材の成長を願い続けた。近所の出身で、大阪で入会した青年がいる——そう聞いてからは、会ったことのない澤和さんとの出会いを、心待ちにしていたという。
「たくさんの祈りに包まれて、私はここに戻ってきたのだと思います」
若き地区部長として、澤和さんは壮年部の先輩から信心を学び、男子部には"良きお兄さん"となって励ましに徹した。
長年、大工として働いていた澤和さんだが、近隣の多くが田んぼを手放すのを見て、農業にも力を入れようと決めた。今、自らの耕地は、かつての倍に。市と協力して若い農家の育成に携わり、地域貢献にも率先する。
「農業を通じて故郷に尽くすのが、私の夢になりました。心一つで、今いる場所が使命の舞台になると実感します」
◇
池田先生は「学会は、どこよりも温かな人間性に満ちた『生命の安全地帯』」と語っている。
生まれ育った土地に戻る人がいれば、新たな地域に根を張る人もいる。全ての人たちが、"ここに来て良かった"と思える居場所。それが「安全地帯」の内実であろう。
そんな心のつながりがこの夏も、全国の津々浦々で育まれている。
本紙を届けてくださる
配達員の皆様に感謝!
尊き無冠の宝友の
健康と安全を祈る!
撰時抄 P266
『日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし』
【通解】
日蓮は世界第一の法華経の行者である。この日蓮を謗り、怨む者の味方になるような者は、世界第一の大災難にあうであろう。
〈寸鉄〉 2018年8月14日
戸田先生と池田先生の出会いの日。不二の師弟で一閻浮提広宣流布は実現
「関西・師弟原点の日」常勝の闘魂は後継に赤々と!世界が仰ぐ大錦州城
「釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」御書。題目の人は無敵。強盛に祈れ
高速走行、今年は猛暑で疲れやすく特に注意—専門家。無事故優先を徹底
赤ちゃん用液体ミルク、製造や販売解禁。母の負担減。公明の後押し実る
☆地域を歩く 島根県 雲南市、飯南町 2018年8月3日
◇再会と交流の夏休み
間もなく迎えるお盆の時期を中心に、列島は、故郷に帰省する人たちでにぎわう。
家族や親戚と再会し、友人と旧交を温める夏休み——。顔を合わせて語らえば、心は通い、笑顔と元気が生まれる。
そんな出会いが変わらずある場所を、"心の故郷"と呼ぶのだろう。
島根県の雲南市、飯南町には「日本の滝百選」に選定されている龍頭が滝(雲南市)、天然炭酸温泉の"ラムネ銀泉"(飯南町)など、豊かな自然と観光名所がある。
この1市1町を広布の舞台とする雲南本部にも、夏に帰省する人、また故郷に"Uターン"した人がいる。同本部の同志は、そんな一人一人を温かく迎え、励ましの言葉を掛けてきた。
矢島健二本部長、奥原多恵子婦人部本部長は語る。「帰ってきている人がいると分かれば、お会いして近況を聞くようにしています。故郷を離れて奮闘する皆さんに、いつでも戻ってこられる場所があると伝えたい」
奥原本部長の次男・奥原正博さん(男子部員)も、関西創価高校と創価大学で寮生活を送った後、生まれ育った雲南市にUターンした。
学生時代、実家に帰省するたびに未来部の会合や座談会に参加。よく知る壮年・婦人部、男子部の先輩に囲まれると、他の場所にはない"居心地の良さ"を、いつも感じることができた。
就職活動では、志望を県内に絞った。第1志望の銀行から内定を得て、今、社会人1年生として奮闘する。
「田舎ならではの密接な人間関係が、この地域の魅力です。中小企業との関わりを通じて、地域の発展に尽くします」
◇故郷とは自分らしく心の根を張れる場所
Uターンした奥原さんのもとへ、いち早く激励に訪れた人がいた。高橋純一さん(圏男子部長)である。
雲南市で生まれ育ち、太陽光発電システムを販売する会社に入社後も、市内の工場に勤務。そんな"地元っ子"の高橋さんは、もともとは学会活動に消極的だった。信心に向き合うようになったきっかけは、同じ地域の男子部の励ましだった。
趣味の話題で盛り上がり、人間関係を深める中で、いつしか高橋さんは仕事の悩みを打ち明けるように。勤行・唱題を実践し、会合参加を重ねる中で、悩みの原因だった勤務環境が変わった。
同市では、65歳以上の人が総人口に占める割合を指す「高齢化率」は37・9%(6月末時点)。
壮年・婦人部の先輩たちは、"少子高齢化が進む地域にあって、青年は地域の太陽"との思いで自分に接してくれていた。その中で、高橋さんは"自分も人を励ませる人になりたい"と祈り、内田富士男さん(支部長)らと男子部の激励を重ねるようになった。
その一人が、高橋達也さんだった。
達也さんは関東、中部、東北と勤務先を転々とし、4年前に故郷の雲南市へ。生まれ育った地に戻ってみて、あらためて「家族や昔からの知人、友人に囲まれて暮らせることは、安心の源だと実感しました」。
学会活動に励み、人生初の弘教も実らせた。現在勤める薬品会社にも転職を果たし、信心の功徳を感じた。
本年6月、達也さんは男子部部長に就任した。「先輩のように、広布の使命を担い立つ"一人"を励ましていける自分になりたい」と決意する。
飯南町の岡田敬依子さん(華陽リーダー)は、祖母の代からの"学会3世"。幼い頃から、実家が広布の会場だった。
雲南市と同じく、少子高齢化が進む同町。高齢化率は40%を超える。
岡田さんには、小学校に数人、中学校に約30人の同級生がいた。そのほとんどが、進学や就職を機に町を離れた。
岡田さん自身、松江市内の高等専門学校に進学し、卒業後は同市内の会社に就職した。
だが社会人1年目に、周囲の期待の大きさと、それに応えられていない自分自身への焦りから、心身のバランスを崩してしまう。しばらく働いた後、仕事を辞め、飯南町に戻ることを決めた。
"私はダメな人間だ"。挫折感でいっぱいだった岡田さん。だが学会家族は違った。
「あら、お帰り!」
「聞いてたぞ、戻ってきてくれてうれしい!」
そう大げさに喜んでくれる人もいれば、行く先々で、けいこちゃん、けいこちゃんと声を掛けてくれる人がいた。故郷を離れた数年前と、何も変わることなく——。
「それまでは、自分は"いなくてもいい人間"だと卑下していました。でも飯南の人たちは、私がここにいること自体を喜んでくれたんです。過去がどうかではなく、私の今をありのまま受け入れ、昔と変わらず接してくれました。それが一番の励みでした」
昨年から、岡田さんは町内で勤務する。大好きな地域の発展に尽くせることに、大きな喜びを感じている。
◇
飯南町には、他の地域から移り住んできた"Iターン"の人も多い。
「縁があって来た人たちですから、この町を好きになってもらえれば」
そう語る松平利和さん(ブロック長)は、広島で数年間働き、生まれ育った飯南町に戻った。一度離れたからこそ、故郷の良さを感じられるようになったという。
だからこそ、松平さんは町内の「中山間地域研究センター」に勤務するIターンのメンバーらに日々、励ましを送る。
地区では毎月、座談会の案内状に未来部員が絵を描き、地区や地域の人たちに配る。この取り組みの中で参加者は増え、近所の子どもが"自分もやりたい!"と、絵を描くこともある。
「旧習が根強い地域でしたが、学会への見方は柔らかくなりましたよ」。飯南広布の草創を開いた松平さんの両親の房悟さん(副本部長)、ヒロエさん(支部婦人部長)は目を細める。2011年、町内で開催した「自然との対話——池田大作写真展」には、町内外の延べ1800人が来場した。
本年4月、雲南市が全国の注目を集める出来事があった。国の特別天然記念物であるコウノトリのひなが、昨年に続いて4羽、同市内で誕生したのである。
コウノトリが地域にすみ着けるよう、地元の小学生たちが田んぼで稲作を行い、えさとなるカエルやドジョウを増やす取り組みも始まった。この田んぼを提供したのが、澤和秋徳さん(副支部長、地区部長兼任)である。
雲南市生まれの澤和さんは、16歳で大阪へ。そこで先輩に勧められ、仏法に出あった。大阪で男子部時代を過ごし、8年前に故郷に戻った。
Uターン直後、すぐに会いに来てくれたのが、数年前まで地区部長を務めた壮年だった。
「初めまして」と語る澤和さんの手を、壮年は「これから、地区をよろしく頼むよ」と、固く握った。1年後、壮年は病で亡くなる。これが最初で最後の会話となった。
地域広布の草分けだったその壮年は、後継の人材の成長を願い続けた。近所の出身で、大阪で入会した青年がいる——そう聞いてからは、会ったことのない澤和さんとの出会いを、心待ちにしていたという。
「たくさんの祈りに包まれて、私はここに戻ってきたのだと思います」
若き地区部長として、澤和さんは壮年部の先輩から信心を学び、男子部には"良きお兄さん"となって励ましに徹した。
長年、大工として働いていた澤和さんだが、近隣の多くが田んぼを手放すのを見て、農業にも力を入れようと決めた。今、自らの耕地は、かつての倍に。市と協力して若い農家の育成に携わり、地域貢献にも率先する。
「農業を通じて故郷に尽くすのが、私の夢になりました。心一つで、今いる場所が使命の舞台になると実感します」
◇
池田先生は「学会は、どこよりも温かな人間性に満ちた『生命の安全地帯』」と語っている。
生まれ育った土地に戻る人がいれば、新たな地域に根を張る人もいる。全ての人たちが、"ここに来て良かった"と思える居場所。それが「安全地帯」の内実であろう。
そんな心のつながりがこの夏も、全国の津々浦々で育まれている。
2018年8月13日月曜日
2018.08.13 わが友に贈る
新聞休刊日
一生成仏抄 P384
『衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり』
【通解】衆生の心がけがれれば、その住む国土もけがれ、心が清ければ国土も清いと説かれるように、浄土といい穢土といっても、国土に二つの隔てがあるわけではない。ただ我らが心の善悪によって浄土とも穢土ともなるのである。
☆歌声高く 第11回 ああ感激の同志あり
◇本陣に「勝利」の二字を
学会の歴史は東京から始まった。牧口先生も戸田先生も、池田先生も、この東京から広布の戦の火ぶたを切った。
あらゆる権力が集中する首都において、民衆の自立と幸福のための戦いを起こせば、障魔の嵐が起こるのは必然である。だからこそ、東京が勝てば、世界広布の未来もまた、大きく開かれていくことになる。
池田先生は、四国指導のさなかにあった1978年(昭和53年)7月25日夜、東京の使命と責任の大きさに思いを巡らせていた。
東京には多彩な人材がそろっている。同志の数も多い。だが一方で、一人一人の責任感や使命感の希薄化を招きやすい。先生は、東京がこの宿命を打ち破るには"生命を覚醒させる歌"が必要だと考え、筆を執ったのである。
1週間後——8月1日付の本紙1面に「待望の『東京の歌』が完成」との見出しが躍った。タイトルは「ああ感激の同志あり」。先生は"人と人との触発の中で生まれる感激こそが、東京を一つにし、一人一人の前進の活力になる"と結論したのだ。
翌日、先生が出席して行われた東京支部長会で、東京の歌が力強く響きわたった。
「おお東天に祈りあり」
「おお中天に燦々と」
「夕陽をあびて尊くも」
「夜空に満天の星座あり」
朝の祈り、中天の燦たる光、夕陽のなかを走る友、満天の星の下の語らい……一人の同志が真実の信仰を持つ感激を胸に、学会活動に走り抜く一日の光景が格調高く表現された、今までにない新しい歌だった。
池田先生はつづった。
「東京は、本来、力を出せば無敵です。だから、『汝の勝利は 確かなり』なんです」
◇
「ああ感激の同志あり」が誕生したその年、先生は、総東京各地の歌も作り、贈っている。練馬区・北町地域の支部歌「北町広布」(同年7月)、世田谷の歌「地涌の旗」(同年10月)、そして山梨の歌「文化と薫れ」(同年11月)である。
♪共に築かん 北町広布——「北町広布」は池田先生が作詞・作曲した学会歌の中で、唯一の「支部歌」である。支部は、地域広布を担う最前線の舞台だ。それだけに苦労も悩みも大きい。歌には"一番苦労した人を、一番讃え、励ましたい"との思いが込められていた。
♪嵐に勝利の この我は——世田谷の歌「地涌の旗」に託した真情を、先生はこうつづっている。「世田谷の同志が嵐に立ち向かう勇気をもって、敢然と前進を開始すれば、必ず時代は変わる」と。大東京をけん引しゆく旗手こそ、世田谷家族にほかならない。
山梨の歌「文化と薫れ」は、池田先生が山梨の友の要請を受け、原案を基に本格的な作詞に取り掛かった。歌詞の完成は11・3「創価文化の日」であった。
♪いざいざ立ちなむ 山梨は——友は今、この歌を口ずさみながら、秋の山梨青年城総会に向けて弘教拡大に励んでいる。
東京、第2総東京、そして山梨。この広布の本陣・総東京の使命は永遠に変わらない。その使命とは「勝利」の二字である。
MEMO
東京の歌「ああ感激の同志あり」の誕生の経緯は小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章、練馬区・北町地域の支部歌「北町広布」の発表の模様は同巻「広宣譜」の章、世田谷の歌「地涌の旗」と山梨の歌「文化と薫れ」の制作の淵源は第29巻「常楽」の章に描かれている。またSOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)では、「ああ感激の同志あり」と「文化と薫れ」のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等のほか、「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、おお東天に 祈りあり
元初の生命の 曙は
春の桜の 匂うごと
喜び勝たなん 力あり
二、おお中天に 燦々と
日天我等を 護らんと
いざや戦士に 栄あれ
汝の勝利は 確かなり
三、夕陽をあびて 尊くも
地涌の友等は 走りゆく
彼方の法戦 満々と
ああ感激の 同志あり
四、夜空に満天の 星座あり
満たせる胸は 高鳴りて
仏の使いに 誇りあり
ほまれの東京 光あれ
一生成仏抄 P384
『衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり』
【通解】衆生の心がけがれれば、その住む国土もけがれ、心が清ければ国土も清いと説かれるように、浄土といい穢土といっても、国土に二つの隔てがあるわけではない。ただ我らが心の善悪によって浄土とも穢土ともなるのである。
☆歌声高く 第11回 ああ感激の同志あり
◇本陣に「勝利」の二字を
学会の歴史は東京から始まった。牧口先生も戸田先生も、池田先生も、この東京から広布の戦の火ぶたを切った。
あらゆる権力が集中する首都において、民衆の自立と幸福のための戦いを起こせば、障魔の嵐が起こるのは必然である。だからこそ、東京が勝てば、世界広布の未来もまた、大きく開かれていくことになる。
池田先生は、四国指導のさなかにあった1978年(昭和53年)7月25日夜、東京の使命と責任の大きさに思いを巡らせていた。
東京には多彩な人材がそろっている。同志の数も多い。だが一方で、一人一人の責任感や使命感の希薄化を招きやすい。先生は、東京がこの宿命を打ち破るには"生命を覚醒させる歌"が必要だと考え、筆を執ったのである。
1週間後——8月1日付の本紙1面に「待望の『東京の歌』が完成」との見出しが躍った。タイトルは「ああ感激の同志あり」。先生は"人と人との触発の中で生まれる感激こそが、東京を一つにし、一人一人の前進の活力になる"と結論したのだ。
翌日、先生が出席して行われた東京支部長会で、東京の歌が力強く響きわたった。
「おお東天に祈りあり」
「おお中天に燦々と」
「夕陽をあびて尊くも」
「夜空に満天の星座あり」
朝の祈り、中天の燦たる光、夕陽のなかを走る友、満天の星の下の語らい……一人の同志が真実の信仰を持つ感激を胸に、学会活動に走り抜く一日の光景が格調高く表現された、今までにない新しい歌だった。
池田先生はつづった。
「東京は、本来、力を出せば無敵です。だから、『汝の勝利は 確かなり』なんです」
◇
「ああ感激の同志あり」が誕生したその年、先生は、総東京各地の歌も作り、贈っている。練馬区・北町地域の支部歌「北町広布」(同年7月)、世田谷の歌「地涌の旗」(同年10月)、そして山梨の歌「文化と薫れ」(同年11月)である。
♪共に築かん 北町広布——「北町広布」は池田先生が作詞・作曲した学会歌の中で、唯一の「支部歌」である。支部は、地域広布を担う最前線の舞台だ。それだけに苦労も悩みも大きい。歌には"一番苦労した人を、一番讃え、励ましたい"との思いが込められていた。
♪嵐に勝利の この我は——世田谷の歌「地涌の旗」に託した真情を、先生はこうつづっている。「世田谷の同志が嵐に立ち向かう勇気をもって、敢然と前進を開始すれば、必ず時代は変わる」と。大東京をけん引しゆく旗手こそ、世田谷家族にほかならない。
山梨の歌「文化と薫れ」は、池田先生が山梨の友の要請を受け、原案を基に本格的な作詞に取り掛かった。歌詞の完成は11・3「創価文化の日」であった。
♪いざいざ立ちなむ 山梨は——友は今、この歌を口ずさみながら、秋の山梨青年城総会に向けて弘教拡大に励んでいる。
東京、第2総東京、そして山梨。この広布の本陣・総東京の使命は永遠に変わらない。その使命とは「勝利」の二字である。
MEMO
東京の歌「ああ感激の同志あり」の誕生の経緯は小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章、練馬区・北町地域の支部歌「北町広布」の発表の模様は同巻「広宣譜」の章、世田谷の歌「地涌の旗」と山梨の歌「文化と薫れ」の制作の淵源は第29巻「常楽」の章に描かれている。またSOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)では、「ああ感激の同志あり」と「文化と薫れ」のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等のほか、「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、おお東天に 祈りあり
元初の生命の 曙は
春の桜の 匂うごと
喜び勝たなん 力あり
二、おお中天に 燦々と
日天我等を 護らんと
いざや戦士に 栄あれ
汝の勝利は 確かなり
三、夕陽をあびて 尊くも
地涌の友等は 走りゆく
彼方の法戦 満々と
ああ感激の 同志あり
四、夜空に満天の 星座あり
満たせる胸は 高鳴りて
仏の使いに 誇りあり
ほまれの東京 光あれ
2018年8月12日日曜日
2018.08.12 わが友に贈る
「題目の光 無間に至りて
即身成仏せしむ」
自行化他の題目こそ
最高の追善回向なり。
常楽我浄の旅を共々に!
法華取要抄 P333
『当世日本国の一切衆生弥陀の来迎を待つは譬えば牛の子に馬の乳を含め瓦の鏡に天月を浮ぶるが如し』
【通解】
当世の日本国の一切衆生が、阿弥陀如来の来迎を待っていることは、譬えてみれば、牛の子に馬の乳を飲ませたり、瓦で作った鏡に天の月の影を浮かべようとするようなものです。
〈寸鉄〉 2018年8月12日
「日中平和友好条約」締結40年。友誼の金の橋を未来へ。民衆交流の大河を
教育原点の日。自己を磨き子どもを照らす!教育本部の尊き挑戦に大拍手
「法華経を強いて説き聞かすべし」御書。青年よ語れ!君の勇姿で波起こせ
長崎を核兵器で苦しんだ最後の場所に—国連総長民衆の大連帯で核廃絶へ
悪僧に供養すれば「悪道におつる」。お盆を狙う日顕宗坊主は追い払え!
☆日韓青年友好大会への池田先生のメッセージ 2018年8月5日
◇人間革命の勝利の旗を
一、はつらつたる「日韓青年友好大会」の開催、誠におめでとう!
世界広布新時代を先駆する韓国の青年部の皆さん、猛暑の中、また忙しいところ、万難を排して、よくぞ来日してくれました。本当にご苦労さまです。
学会創立100周年の主役である両国リーダーの本日の集いが、どれほど意義深いか。何よりも御本仏・日蓮大聖人が皆さんを最大に讃嘆されています。これほどうれしい、これほど頼もしいスクラムはありません。ありがとう! 本当にありがとう!
本年5月には、日本の「韓国青年友好交流団」が熱烈に歓迎していただきました。その感謝を込め、改めて万雷の大拍手をもって盛大にお迎えしようではありませんか!(大拍手)
一、日蓮大聖人は、「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(御書910ページ)と仰せになりました。
それは、文化大恩の国・韓国から仏教が伝来して700年を経てのことでありました。さらに、それから、くしくも同じく700年を経て、この御本仏の師子吼に応えて立ち上がったのが、仏意仏勅のわが創価学会であります。
そして、真っ先に仏法西還へ、一閻浮提広宣流布へ先駆し、二陣三陣の人材の流れを起こしたのが、韓国の誉れの同志なのです。
若き創価の地涌の菩薩は、一人ももれなく、満を持して、この時に、それぞれの宿縁の国土へ躍り出ました。若くして偉大な妙法を持った皆さんは、わが偉大な使命を晴れ晴れと自覚し、誓願の題目を唱え抜いて、いかなる試練も勇敢に勝ち進み、一人ももれず最高の栄光の青春を生き切っていただきたい。
韓国の大詩人・趙芝薫の言に、「逆境をチャンスと受け止められてこそ、苦がそのまま楽となる境地を得られる」(『趙芝薫全集4 随筆の美学』ナナム出版)とあります。
今、世界中で多くの青年が、生き生きと仏法哲学を学び、どんな逆境も変毒為薬し、どんな宿命にも打ち勝つ自分の力に目覚め、人のため、社会のために戦う喜びに目覚めています。そして、若き世界市民の平和の大連帯を広げて、未来の希望と輝いています。
その中で、最も要となる日韓の青年部がスクラムを組んで模範の前進をしていけば、世界広布新時代の確固たる軌道が前途洋々と広がりゆくことは絶対に間違いありません。
一、今月、釜山の地で「法華経展」が開催されます。大成功の展示会となるよう、私も心より祈っています。
法華経方便品に、「如我等無異」とあります。仏の目的は自分と等しい境地に衆生を導くことにあるということです。その意味で、広宣流布は、人類の精神性と境涯を最高に高めゆく崇高なる挑戦でもあります。
皆さんは、この共生と生命尊厳の大哲理を掲げ、先陣を切って、自他共の人間革命の運動を自身の周囲から展開していってください。
仕事や学業などでも、自分らしく努力を積み重ね、勝利の旗を打ち立て、立派な広布と社会のリーダーとして信頼を広げていってほしいのです。
恩師・戸田城聖先生は、悪戦苦闘する青年たちを励まされました。
「君たちは、将来は、それぞれの立場で、必ず第一人者になる人だ。ゆえに若いうちは、むしろ苦しんで、いろんなことを体験し、視野の広い実力を養っていくのです」と。
一、ともあれ、皆さん方の福運はあまりにも深く、使命はあまりにも大きい。
日蓮大聖人の太陽の仏法が世界中で輝き、社会を照らしていくのは、いよいよこれからであり、その一切の担い手こそ、皆さんなのです。
ともどもに新たな日韓の虹の懸け橋を渡りながら、世界広布新時代の幸福拡大、友情拡大、平和拡大へ勇躍前進していこうではありませんか!
私は、妻と共に、これからも愛する皆さん一人一人の健康と活躍と幸福勝利の人生を祈り、題目を送り続けていきます。心はいつも皆さんと一緒です。いつまでも、どこまでも、見守っていきます。
日韓青年部の永遠の友情、万歳!
日韓青年部の皆さんに、栄光凱歌あれ!(大拍手)
即身成仏せしむ」
自行化他の題目こそ
最高の追善回向なり。
常楽我浄の旅を共々に!
法華取要抄 P333
『当世日本国の一切衆生弥陀の来迎を待つは譬えば牛の子に馬の乳を含め瓦の鏡に天月を浮ぶるが如し』
【通解】
当世の日本国の一切衆生が、阿弥陀如来の来迎を待っていることは、譬えてみれば、牛の子に馬の乳を飲ませたり、瓦で作った鏡に天の月の影を浮かべようとするようなものです。
〈寸鉄〉 2018年8月12日
「日中平和友好条約」締結40年。友誼の金の橋を未来へ。民衆交流の大河を
教育原点の日。自己を磨き子どもを照らす!教育本部の尊き挑戦に大拍手
「法華経を強いて説き聞かすべし」御書。青年よ語れ!君の勇姿で波起こせ
長崎を核兵器で苦しんだ最後の場所に—国連総長民衆の大連帯で核廃絶へ
悪僧に供養すれば「悪道におつる」。お盆を狙う日顕宗坊主は追い払え!
☆日韓青年友好大会への池田先生のメッセージ 2018年8月5日
◇人間革命の勝利の旗を
一、はつらつたる「日韓青年友好大会」の開催、誠におめでとう!
世界広布新時代を先駆する韓国の青年部の皆さん、猛暑の中、また忙しいところ、万難を排して、よくぞ来日してくれました。本当にご苦労さまです。
学会創立100周年の主役である両国リーダーの本日の集いが、どれほど意義深いか。何よりも御本仏・日蓮大聖人が皆さんを最大に讃嘆されています。これほどうれしい、これほど頼もしいスクラムはありません。ありがとう! 本当にありがとう!
本年5月には、日本の「韓国青年友好交流団」が熱烈に歓迎していただきました。その感謝を込め、改めて万雷の大拍手をもって盛大にお迎えしようではありませんか!(大拍手)
一、日蓮大聖人は、「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(御書910ページ)と仰せになりました。
それは、文化大恩の国・韓国から仏教が伝来して700年を経てのことでありました。さらに、それから、くしくも同じく700年を経て、この御本仏の師子吼に応えて立ち上がったのが、仏意仏勅のわが創価学会であります。
そして、真っ先に仏法西還へ、一閻浮提広宣流布へ先駆し、二陣三陣の人材の流れを起こしたのが、韓国の誉れの同志なのです。
若き創価の地涌の菩薩は、一人ももれなく、満を持して、この時に、それぞれの宿縁の国土へ躍り出ました。若くして偉大な妙法を持った皆さんは、わが偉大な使命を晴れ晴れと自覚し、誓願の題目を唱え抜いて、いかなる試練も勇敢に勝ち進み、一人ももれず最高の栄光の青春を生き切っていただきたい。
韓国の大詩人・趙芝薫の言に、「逆境をチャンスと受け止められてこそ、苦がそのまま楽となる境地を得られる」(『趙芝薫全集4 随筆の美学』ナナム出版)とあります。
今、世界中で多くの青年が、生き生きと仏法哲学を学び、どんな逆境も変毒為薬し、どんな宿命にも打ち勝つ自分の力に目覚め、人のため、社会のために戦う喜びに目覚めています。そして、若き世界市民の平和の大連帯を広げて、未来の希望と輝いています。
その中で、最も要となる日韓の青年部がスクラムを組んで模範の前進をしていけば、世界広布新時代の確固たる軌道が前途洋々と広がりゆくことは絶対に間違いありません。
一、今月、釜山の地で「法華経展」が開催されます。大成功の展示会となるよう、私も心より祈っています。
法華経方便品に、「如我等無異」とあります。仏の目的は自分と等しい境地に衆生を導くことにあるということです。その意味で、広宣流布は、人類の精神性と境涯を最高に高めゆく崇高なる挑戦でもあります。
皆さんは、この共生と生命尊厳の大哲理を掲げ、先陣を切って、自他共の人間革命の運動を自身の周囲から展開していってください。
仕事や学業などでも、自分らしく努力を積み重ね、勝利の旗を打ち立て、立派な広布と社会のリーダーとして信頼を広げていってほしいのです。
恩師・戸田城聖先生は、悪戦苦闘する青年たちを励まされました。
「君たちは、将来は、それぞれの立場で、必ず第一人者になる人だ。ゆえに若いうちは、むしろ苦しんで、いろんなことを体験し、視野の広い実力を養っていくのです」と。
一、ともあれ、皆さん方の福運はあまりにも深く、使命はあまりにも大きい。
日蓮大聖人の太陽の仏法が世界中で輝き、社会を照らしていくのは、いよいよこれからであり、その一切の担い手こそ、皆さんなのです。
ともどもに新たな日韓の虹の懸け橋を渡りながら、世界広布新時代の幸福拡大、友情拡大、平和拡大へ勇躍前進していこうではありませんか!
私は、妻と共に、これからも愛する皆さん一人一人の健康と活躍と幸福勝利の人生を祈り、題目を送り続けていきます。心はいつも皆さんと一緒です。いつまでも、どこまでも、見守っていきます。
日韓青年部の永遠の友情、万歳!
日韓青年部の皆さんに、栄光凱歌あれ!(大拍手)
2018年8月11日土曜日
2018.08.11 わが友に贈る
交通混雑がピーク。
帰省等で出掛ける際は
余裕ある計画を立て
絶対無事故の行動を!
車の運転にも要注意!
観心本尊抄 P254
『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』
【通解】
天が晴れるならば、地はおのずから明らかとなる。同様に、法華経を知る者は世間の法をもおのずから得るであろう。
〈寸鉄〉 2018年8月11日
仏法は全民衆の苦しみを救うのが根本だ—恩師。悩める友に励ましの風を
親に「一日に二三度えみて向へ」御書。感謝の心を笑顔に。大成長で恩返し
きょう山の日。低い山でも遭難が多発と。気象情報の確認等、準備怠るな
地殻に眠るダイヤモンドは千兆トン。我らの可能性も無限。さあ挑戦の日々
熱中症搬送、最多を更新。一番多い発症場所は住居と。水分・塩分補給忘れず
☆御書と歩む� 第29回 伸び伸びと鍛えの夏に!
『よるひる法華経に申し候なり、御信用の上にも力もをしまず申させ給え』(南条殿御返事、1535ページ)
◇通解
(あなた方のことを)昼夜に法華経に祈念している。あなたもご信用の上にも、力を惜しまず祈念されるがよい。
◇同志への指針
蒙古襲来という苦難にあって、御本仏は、若き後継の南条時光に、一緒に皆の安穏を祈ろうと仰せになられた。
広布と社会の未来を若人に託す大聖人のお心は、そのまま学会の伝統である。
未来部の友こそ、人類と地球の明日を創る希望の太陽である。その光を増していくのが題目だ。さあ、伸び伸びと学び、鍛えゆけ!
私は題目を送ります。
☆歌声高く 第10回 火の国の歌
◇「先駆の九州いざ楽し」と高らかに
九州広布の歩みは、常に歌声と共にあったと言ってよい。
池田先生と共に大分・岡城址で歌った「荒城の月」や、熊本・壱町畑公園での「田原坂」、さらに5万人・10万人で歌い上げたベートーベンの「第九」など、師と共に民衆勝利の凱歌を轟かせ、学会の正義を満天下に示してきた歴史は、先駆・九州の誇りである。
九州の歌「火の国の歌」が誕生したのは、1978年(昭和53年)7月。池田先生は関西指導から岡山へと向かう新幹線の中で歌詞を練った。
「九州の新しい出発を祝し、『九州の歌』を作りました。車中、皆さんを思いながら作詞し、その後、さらに推敲を重ねたものです」——7月19日夕方の岡山市・岡山文化会館(現・岡山南文化会館)の一室。先生はそこで行われる協議会に集った九州の代表約50人を前に、1枚の事務用箋を取り出した。そして、そこにつづられた歌詞を1番から3番まで、とうとうと読み上げた。
友の瞳は輝き、顔には歓喜の光が差した。
先生は「九州には、気取りはいらないよ。そんなものは、一切かなぐり捨てて戦うんです。2番の歌詞の4行目を、私は『先駆の九州 いざ楽し』とした。これが大事なんです」と。
方面歌誕生の喜びは瞬く間に全九州を駆け巡り、有志によってすぐに曲が付けられた。「いざ楽し」との言葉通り、行進曲のような明るく力強い曲調である。
この歌は、同月24日に、熊本支部結成20周年を記念する県総会で披露された。古来、"火の国"と呼ばれてきた熊本の地で発表されたことも意義深い。
以来、全九州で歌われ、79年(同54年)に先生が会長を辞任した時も、81年(同56年)12月に先生を大分に迎えて反転攻勢を開始した時も、友はこの歌を歌いながら、胸中に正義の炎を燃やし続けたのである。
◇
池田先生の九州初指導から50周年の佳節を刻んだ2006年(平成18年)には、「新生 九州の歌『大九州の友は晴ればれと』」が誕生。
「九州の新しい歌を作ったよ」と、先生は"次なる50年"の完勝へ前進する友に、万感のエールを送った。
♪おお太陽は 燦然と
歓喜の歌を 世界まで
完勝の旗 高らかに
わが大九州 先駆せむ
新たな広布の この山を
「九州総会」の意義を込めた今月の本部幹部会を荘厳したのも、未来部・青年部による誓いの歌声であった。学会歌「青年よ広布の山を登れ」、さらにオリジナルソング「This is My Name」を歌い上げた。
大九州の魂は、歌を通して受け継がれ、広がっていく。「先駆の九州 いざ楽し」と世界まで!
MEMO
「火の国の歌」の誕生の淵源や意義は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章につづられている。また、「大九州の友は晴ればれと」は、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも、同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、ああ広宣に われら起ち
火の国健児の スクラムは
今や燃えなん 果しなく
大九州の 旗高し
二、ああこの汗で 築きたる
我と君との この城を
法花で飾れ この歌と
先駆の九州 いざ楽し
三、ああ九州の ある限り
崩れぬ道は 幾重にも
世紀の功徳 いやまして
正義の歴史 綴らなむ
帰省等で出掛ける際は
余裕ある計画を立て
絶対無事故の行動を!
車の運転にも要注意!
観心本尊抄 P254
『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』
【通解】
天が晴れるならば、地はおのずから明らかとなる。同様に、法華経を知る者は世間の法をもおのずから得るであろう。
〈寸鉄〉 2018年8月11日
仏法は全民衆の苦しみを救うのが根本だ—恩師。悩める友に励ましの風を
親に「一日に二三度えみて向へ」御書。感謝の心を笑顔に。大成長で恩返し
きょう山の日。低い山でも遭難が多発と。気象情報の確認等、準備怠るな
地殻に眠るダイヤモンドは千兆トン。我らの可能性も無限。さあ挑戦の日々
熱中症搬送、最多を更新。一番多い発症場所は住居と。水分・塩分補給忘れず
☆御書と歩む� 第29回 伸び伸びと鍛えの夏に!
『よるひる法華経に申し候なり、御信用の上にも力もをしまず申させ給え』(南条殿御返事、1535ページ)
◇通解
(あなた方のことを)昼夜に法華経に祈念している。あなたもご信用の上にも、力を惜しまず祈念されるがよい。
◇同志への指針
蒙古襲来という苦難にあって、御本仏は、若き後継の南条時光に、一緒に皆の安穏を祈ろうと仰せになられた。
広布と社会の未来を若人に託す大聖人のお心は、そのまま学会の伝統である。
未来部の友こそ、人類と地球の明日を創る希望の太陽である。その光を増していくのが題目だ。さあ、伸び伸びと学び、鍛えゆけ!
私は題目を送ります。
☆歌声高く 第10回 火の国の歌
◇「先駆の九州いざ楽し」と高らかに
九州広布の歩みは、常に歌声と共にあったと言ってよい。
池田先生と共に大分・岡城址で歌った「荒城の月」や、熊本・壱町畑公園での「田原坂」、さらに5万人・10万人で歌い上げたベートーベンの「第九」など、師と共に民衆勝利の凱歌を轟かせ、学会の正義を満天下に示してきた歴史は、先駆・九州の誇りである。
九州の歌「火の国の歌」が誕生したのは、1978年(昭和53年)7月。池田先生は関西指導から岡山へと向かう新幹線の中で歌詞を練った。
「九州の新しい出発を祝し、『九州の歌』を作りました。車中、皆さんを思いながら作詞し、その後、さらに推敲を重ねたものです」——7月19日夕方の岡山市・岡山文化会館(現・岡山南文化会館)の一室。先生はそこで行われる協議会に集った九州の代表約50人を前に、1枚の事務用箋を取り出した。そして、そこにつづられた歌詞を1番から3番まで、とうとうと読み上げた。
友の瞳は輝き、顔には歓喜の光が差した。
先生は「九州には、気取りはいらないよ。そんなものは、一切かなぐり捨てて戦うんです。2番の歌詞の4行目を、私は『先駆の九州 いざ楽し』とした。これが大事なんです」と。
方面歌誕生の喜びは瞬く間に全九州を駆け巡り、有志によってすぐに曲が付けられた。「いざ楽し」との言葉通り、行進曲のような明るく力強い曲調である。
この歌は、同月24日に、熊本支部結成20周年を記念する県総会で披露された。古来、"火の国"と呼ばれてきた熊本の地で発表されたことも意義深い。
以来、全九州で歌われ、79年(同54年)に先生が会長を辞任した時も、81年(同56年)12月に先生を大分に迎えて反転攻勢を開始した時も、友はこの歌を歌いながら、胸中に正義の炎を燃やし続けたのである。
◇
池田先生の九州初指導から50周年の佳節を刻んだ2006年(平成18年)には、「新生 九州の歌『大九州の友は晴ればれと』」が誕生。
「九州の新しい歌を作ったよ」と、先生は"次なる50年"の完勝へ前進する友に、万感のエールを送った。
♪おお太陽は 燦然と
歓喜の歌を 世界まで
完勝の旗 高らかに
わが大九州 先駆せむ
新たな広布の この山を
「九州総会」の意義を込めた今月の本部幹部会を荘厳したのも、未来部・青年部による誓いの歌声であった。学会歌「青年よ広布の山を登れ」、さらにオリジナルソング「This is My Name」を歌い上げた。
大九州の魂は、歌を通して受け継がれ、広がっていく。「先駆の九州 いざ楽し」と世界まで!
MEMO
「火の国の歌」の誕生の淵源や意義は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章につづられている。また、「大九州の友は晴ればれと」は、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも、同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、ああ広宣に われら起ち
火の国健児の スクラムは
今や燃えなん 果しなく
大九州の 旗高し
二、ああこの汗で 築きたる
我と君との この城を
法花で飾れ この歌と
先駆の九州 いざ楽し
三、ああ九州の ある限り
崩れぬ道は 幾重にも
世紀の功徳 いやまして
正義の歴史 綴らなむ
2018年8月10日金曜日
2018.08.10 わが友に贈る
行動こそ仏法の魂だ。
常に前進する人には
歓喜と成長がある。
自他共の幸福拡大へ
さあ不屈の一歩を!
日興遺誡置文 P1618
『身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事』
【通解】
わが身は軽く、法は重しとする仏法実践者に対しては、たとえ下劣の法師であっても、まさに仏を敬う如くにすべきであるとの道理に則って、その人を信じ敬うべきである。
〈寸鉄〉 2018年8月10日
「行学たへなば仏法はあるべからず」御書。後継の若人よ勇んで学び語れ
題目の功力は生命力が絶対的に旺盛になること—恩師。尽きぬ希望の源泉
受験生よ頑張れ!天王山の夏。勝負は今ここから。執念の挑戦で栄光の峰へ
携帯用ガスコンロ等、野外用品の事故多発と。事前の点検、正しい利用を
各地でウイルス性の夏風邪が流行。予防は嗽・手洗いの励行で。油断なく
☆創価池田女子大学入学式への池田先生ご夫妻のメッセージ 2018年8月3日
◇苦闘越え生命の大輪は開花 挑戦と向上の一日一日を!
一、21世紀の希望のヒロインたる皆さん、晴れの入学、誠におめでとうございます!
ご臨席を賜りましたS・バシール・アハメッド博士をはじめ、来賓の諸先生方に、満腔の敬意を表します。
尊敬申し上げるクマナン議長ご夫妻、サムシャット学長、教職員の方々のたゆみないご尽力によって、このたび、創立以来、最多となる新入生を迎える運びになったと伺いました。年々歳々、教育の宝城を大発展させてこられた偉大な奮闘に、私と妻は深く最敬礼し、祝福の大拍手を送らせていただいております。
今日(7月27日)は、英知の天女たちの門出を寿ぐように、天空では、今世紀で最も長い時間にわたるという皆既月食が、インド全土で観測できると伺っております。
太陽も月も星々も心広々と友としながら、皆さんがロマン光る青春凱歌の劇を飾りゆかれることを願いつつ、エールを送らせていただきます。
一、はじめに、「健やかに頭脳と心身を磨き、希望輝く世界市民に」と申し上げます。
先月、私は、アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士とご一緒に、世界の青年へ連帯を呼び掛ける共同声明を、イタリアの首都ローマで発表しました。
そこでは、難民問題や気候変動など、地球的課題を自身の課題と捉え、非暴力の行動へと踏み出すことを青年に訴えたのです。
「自分たちの一つ一つの行動が未来に必ず実を結ぶことを信じ、『民衆と共に人生を歩む』という責任を勇んで担おうではないか」と。
そして、平和な地球社会の未来を築くために、博士と私の共通した結論が、「世界市民教育を通じた青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)」でありました。誉れ高き私たちの創価池田女子大学は、まさしく、青年とりわけ女性のエンパワーメントの先駆の学びやであります。
皆さんには、今日まで大切に育んでくださり、最高学府へと送り出してくださった父母、ご家族の方々がおられます。その慈悲と期待と信頼に応えて、どうか、思う存分、向学と錬磨の日々を送っていってください。
そして、大学に"行きたくてもいけない"人々の分までも力をつけ、豊かな知恵と慈愛で平和を創出していける女性リーダーへと成長していただきたいのです。
マハトマ・ガンジーは、「知性と心が結ばれるとき、私たちは無敵になる」(『マハトマ・ガンジー全集 69巻』インド政府出版局)、さらに「真の教育は、心身と知性を同等に育むものである」(『マハトマ・ガンジー全集 95巻』インド政府出版局)と語りました。
ここ創価池田女子大学には、その理想の教育環境があります。スポーツの分野での活躍もさっそうと目覚ましく光っております。皆さんは、自分自身のため、父母のため、民衆のために、頭脳と心身を磨きに磨き、わが可能性を無限に解き放っていってください。
今日は、アメリカ・フロリダ大学から、クマナン議長の親友であられるムットゥサミ・クマラン博士と共に、若き俊英の方々も駆け付けてくださいました。
日本の創価大学も、創価池田女子大学との交流を宝としております。このチェンナイのキャンパスから、希望輝く世界市民の連帯が、さらに一段と広がりゆくことが、私は楽しみでなりません。
一、次に、「自分を信じる一念を強く、わが生命の開花を」と申し上げたい。
私が対談を重ねてきた偉大な知性に、インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士がおられます。博士は力強く言われました。
「幸福の源泉はわが生命の内にあります。希望の光明は内から照らします」
「私たちは、自身の内面、すなわち、この『一念』に探究の目を向けなければならないのです」と。
「必ずこうしてみせる」とまっすぐに決める一念の心に、勝利の因があります。そこから限りないパワーが湧き出てきます。なかんずく、かけがえのない若き命に定めた清く強き一念から、どれほどの人生の勝利が開かれていくか、計り知れません。
もちろん、青春には思うようにいかないことも多々あるでしょう。しかし、チャンドラ博士は、「苦悩の深みから崇高な精神の蓮華は開花するのです」とも断言されました。
蓮華はインドの国花です。この清浄無比の蓮華が濁った泥中から開花するように、苦闘の中からこそ、最も清らかな生命の華は大輪を咲かせるのです。
皆さんは、どんな時も、頭を上げ、胸を張り、挑戦と向上の悔いなき一日一日を歩んでいってください。そして、大変であればあるほど、不思議な縁で結ばれた宝友と仲良く励まし合い、生涯の原点を築いていただきたいのであります。
敬愛する皆さん一人一人が健康で無事故で、賢くたくましく朗らかに、最高に充実した学生生活を送っていけるよう、私と妻はいつも祈り続けてまいります。
太陽の乙女たちに、幸福と勝利あれ!
創価池田女子大学に、繁栄と栄光あれ!(大拍手)
常に前進する人には
歓喜と成長がある。
自他共の幸福拡大へ
さあ不屈の一歩を!
日興遺誡置文 P1618
『身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事』
【通解】
わが身は軽く、法は重しとする仏法実践者に対しては、たとえ下劣の法師であっても、まさに仏を敬う如くにすべきであるとの道理に則って、その人を信じ敬うべきである。
〈寸鉄〉 2018年8月10日
「行学たへなば仏法はあるべからず」御書。後継の若人よ勇んで学び語れ
題目の功力は生命力が絶対的に旺盛になること—恩師。尽きぬ希望の源泉
受験生よ頑張れ!天王山の夏。勝負は今ここから。執念の挑戦で栄光の峰へ
携帯用ガスコンロ等、野外用品の事故多発と。事前の点検、正しい利用を
各地でウイルス性の夏風邪が流行。予防は嗽・手洗いの励行で。油断なく
☆創価池田女子大学入学式への池田先生ご夫妻のメッセージ 2018年8月3日
◇苦闘越え生命の大輪は開花 挑戦と向上の一日一日を!
一、21世紀の希望のヒロインたる皆さん、晴れの入学、誠におめでとうございます!
ご臨席を賜りましたS・バシール・アハメッド博士をはじめ、来賓の諸先生方に、満腔の敬意を表します。
尊敬申し上げるクマナン議長ご夫妻、サムシャット学長、教職員の方々のたゆみないご尽力によって、このたび、創立以来、最多となる新入生を迎える運びになったと伺いました。年々歳々、教育の宝城を大発展させてこられた偉大な奮闘に、私と妻は深く最敬礼し、祝福の大拍手を送らせていただいております。
今日(7月27日)は、英知の天女たちの門出を寿ぐように、天空では、今世紀で最も長い時間にわたるという皆既月食が、インド全土で観測できると伺っております。
太陽も月も星々も心広々と友としながら、皆さんがロマン光る青春凱歌の劇を飾りゆかれることを願いつつ、エールを送らせていただきます。
一、はじめに、「健やかに頭脳と心身を磨き、希望輝く世界市民に」と申し上げます。
先月、私は、アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士とご一緒に、世界の青年へ連帯を呼び掛ける共同声明を、イタリアの首都ローマで発表しました。
そこでは、難民問題や気候変動など、地球的課題を自身の課題と捉え、非暴力の行動へと踏み出すことを青年に訴えたのです。
「自分たちの一つ一つの行動が未来に必ず実を結ぶことを信じ、『民衆と共に人生を歩む』という責任を勇んで担おうではないか」と。
そして、平和な地球社会の未来を築くために、博士と私の共通した結論が、「世界市民教育を通じた青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)」でありました。誉れ高き私たちの創価池田女子大学は、まさしく、青年とりわけ女性のエンパワーメントの先駆の学びやであります。
皆さんには、今日まで大切に育んでくださり、最高学府へと送り出してくださった父母、ご家族の方々がおられます。その慈悲と期待と信頼に応えて、どうか、思う存分、向学と錬磨の日々を送っていってください。
そして、大学に"行きたくてもいけない"人々の分までも力をつけ、豊かな知恵と慈愛で平和を創出していける女性リーダーへと成長していただきたいのです。
マハトマ・ガンジーは、「知性と心が結ばれるとき、私たちは無敵になる」(『マハトマ・ガンジー全集 69巻』インド政府出版局)、さらに「真の教育は、心身と知性を同等に育むものである」(『マハトマ・ガンジー全集 95巻』インド政府出版局)と語りました。
ここ創価池田女子大学には、その理想の教育環境があります。スポーツの分野での活躍もさっそうと目覚ましく光っております。皆さんは、自分自身のため、父母のため、民衆のために、頭脳と心身を磨きに磨き、わが可能性を無限に解き放っていってください。
今日は、アメリカ・フロリダ大学から、クマナン議長の親友であられるムットゥサミ・クマラン博士と共に、若き俊英の方々も駆け付けてくださいました。
日本の創価大学も、創価池田女子大学との交流を宝としております。このチェンナイのキャンパスから、希望輝く世界市民の連帯が、さらに一段と広がりゆくことが、私は楽しみでなりません。
一、次に、「自分を信じる一念を強く、わが生命の開花を」と申し上げたい。
私が対談を重ねてきた偉大な知性に、インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士がおられます。博士は力強く言われました。
「幸福の源泉はわが生命の内にあります。希望の光明は内から照らします」
「私たちは、自身の内面、すなわち、この『一念』に探究の目を向けなければならないのです」と。
「必ずこうしてみせる」とまっすぐに決める一念の心に、勝利の因があります。そこから限りないパワーが湧き出てきます。なかんずく、かけがえのない若き命に定めた清く強き一念から、どれほどの人生の勝利が開かれていくか、計り知れません。
もちろん、青春には思うようにいかないことも多々あるでしょう。しかし、チャンドラ博士は、「苦悩の深みから崇高な精神の蓮華は開花するのです」とも断言されました。
蓮華はインドの国花です。この清浄無比の蓮華が濁った泥中から開花するように、苦闘の中からこそ、最も清らかな生命の華は大輪を咲かせるのです。
皆さんは、どんな時も、頭を上げ、胸を張り、挑戦と向上の悔いなき一日一日を歩んでいってください。そして、大変であればあるほど、不思議な縁で結ばれた宝友と仲良く励まし合い、生涯の原点を築いていただきたいのであります。
敬愛する皆さん一人一人が健康で無事故で、賢くたくましく朗らかに、最高に充実した学生生活を送っていけるよう、私と妻はいつも祈り続けてまいります。
太陽の乙女たちに、幸福と勝利あれ!
創価池田女子大学に、繁栄と栄光あれ!(大拍手)
2018年8月9日木曜日
2018.08.09 わが友に贈る
夏は地域行事など
近隣の方々と
交流を深める好機。
人と人との絆こそ
安心と繁栄の礎だ。
日女御前御返事 P1244
『かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く彼こへまはり此へより日女御前をかこみまほり給うべきなり』
【通解】
このような(尊い)御本尊を供養申し上げなさる女性は、今世では幸福を招き寄せ、後生には、この御本尊が左右前後に立ち添って、あたかも闇夜に明るい照明を得たように、また険しい山道で強力を得たように、あちらへ回り、ここに寄り添って、日女御前の周りを取り囲んで必ず守ってくださるでしょう。
〈寸鉄〉 2018年8月9日
長崎原爆の日。民衆の声で核なき世界を必ず。我ら皆、使命深き平和大使
青年教学1級の受験者が奮闘!仏法は人生勝利の哲学。英知の利剣を磨け
「飲食節ならざる故に病む」御書。知恵と工夫の食生活を。酷暑だからこそ
世界のCO2濃度が過去最高に。温暖化防止への努力を私たちの足元から
台風等の危険に「自分は大丈夫」の心が危機呼ぶ—学者。油断排し安全を
☆台湾・中華大学の名誉教授称号授与式から 池田先生の謝辞 2018年7月31日
◇世界に挑むなら、まず自分が変われ
◇率先垂範の人材の連帯を
◇王陽明の言葉「行動が伴わなければ、真に知るとは言えない」
一、はじめに、先月の大阪北部地震、また西日本豪雨などの災禍に際し、台湾の方々からいち早く、温かなご厚情を寄せていただいております。苦難に直面した時、助け合い、励まし合い、支え合う人間の絆が、どれほど尊く有り難いか。改めて、心より御礼を申し上げます。
一、貴・中華大学の校歌には、誇り高く謳い上げられております。
「大いなる中華 多士済々たり 新竹の君子よ 共に手を携えて大学建設を」
「勤勉・質朴・誠実・正真にして ここに真理を学ばむ」
「勤勉・質朴・誠実・正真にして ここに善を行はむ」
この精神のままに、貴大学は「台湾のシリコンバレー」と呼ばれる科学技術都市・新竹の天地にあって、最先端の総合大学として、多士済々の逸材を育成され、新時代をリードしてこられました。
きょう、光栄にも、この偉大な知性の殿堂より、最高に誉れある「名誉教授」の称号を賜りました。
この喜びと栄誉を、私は信頼してやまない模範の世界市民として、社会貢献に徹する台湾SGIの宝友たちと、謹んで分かち合わせていただきます。誠に誠に、ありがとうございます(大拍手)。
◇事業は人にあり
一、偉大な教育者であられる劉維�学長は、台湾経済の発展と革新に大きな貢献を果たされた指導者でもあられます。
2015年に、台湾高速鉄道の経営が危機に瀕した折、卓抜した手腕とリーダーシップを発揮し、見事な財政再建を果たされたことも、有名であります。
日本を代表する実業家・松下幸之助先生と私との往復書簡集『人生問答』の中国語版が台湾で刊行された際には、貴重な序文まで寄せてくださり、「人間」という存在への深き理解なくして、社会や事業の発展もないという対話の主題を、的確に指摘していただきました。
劉学長の洞察のごとく、まさに松下先生が繰り返し強調されていたことは、「人づくり」にほかなりません。「事業は人にあり、人をまず養成しなければならない、人間として成長しない人を持つ事業は成功するものではない」(松下幸之助『一日一話』PHP研究所)と。
昨年の貴大学での卒業式で、劉学長が英国・ウェストミンスター寺院の、ある聖職者の墓碑に刻まれた言葉を紹介されたことを、私は感銘深く伺いました。
すなわち、若き日には、世界や国を変えたいと大きな夢を抱き、晩年には、せめて家族を変えたいと努力したが、結局、何もかなえられなかった。いよいよ人生の幕を閉じるに当たり気づいたことは、まず自らを変えることができていれば、周囲を変えることもできたのではないか、という遺言なのです。
劉学長は、このエピソードを通して「自分をチェンジ(変える)、世界にチャレンジ(挑戦)」との言葉を青年たちに贈られました。なんと素晴らしい青春の門出へのはなむけでありましょう。
台湾をはじめ、私が世界の友と分かち合う民衆運動の主題も——「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」であります。
とりわけ、貴大学は「サンシャイン・ユース」と呼ばれる、挑戦の息吹に満ち、革新的な知性と芸術的感性、そして心身ともに優れた、全人的な青年の育成を、教育目標に掲げてこられました。
◇駿馬のように社会で躍動せよ
多くの卒業生が、輝く太陽のごとく、清新な光を放ちながら、社会で活躍し、それぞれの分野で高い評価を得ているのも、貴大学の教育理念の正しさと確かな成果を端的に物語るものでしょう。
中国の大思想家の王陽明は、「行動が伴わなければ、真に知っているとは言えない」「行動こそ知の完成である」と教えております。
創価教育の父である牧口常三郎先生も、「知行合一した人格が教育者の理想的資格」と力説しておりました。
貴大学の校章には、若々しく躍動する駿馬の姿が描かれております。ここからも「一馬当先」(率先垂範)して、社会の発展を牽引しゆく知性と行動の人材を育てる、との建学の理念が伝わってくるのであります。
教職員も学生も一体となって、「人間革命」即「時代変革」へ邁進しゆく大学こそ、民衆の希望ではないでしょうか。
先般、私は、アルゼンチンの平和の闘士エスキベル博士と共に、人道にかなった社会の建設のために行動する世界の青年の連帯を呼び掛けました。
私どももまた、率先垂範の行動によって、尊敬する貴大学の先生方と共に、世界で活躍しゆく「サンシャイン・ユース」の育成に、さらに力を入れて取り組んでまいる決意でおります。
一、貴大学のキャンパスがそびえるのは、私も名誉ある市民の一人に加えていただいている新竹市です。「新竹」——新しい若竹は、伸びゆく生命力の象徴です。とともに、竹は一本一本がしなやかに屹立しつつ、しかも地中の茎でつながり、支え合っているゆえに、激しい風が吹いても耐えることができます。
人間の社会もまた、同じでありましょう。世界を結ぶ教育交流の意義もここにあります。
人間教育の母なる大地に立って、深き友情と信頼で結ばれた若き世界市民たちが、共に手と手を携えていけば、いかなる時代の嵐にも揺らぐことのない、人類の幸福と地球社会の平和に貢献しゆく確かなる大連帯を、必ずや盤石に築いていくことができます。
きょうは、うれしいことに、台湾からお迎えしている最優秀の留学生の友が、わが創大生、わが短大生の代表と共に出席してくれております(大拍手)。
「サンシャイン・ユース」の壮大な連帯のロマンを、劉学長とご一緒に21世紀の若き世界市民に託して、私の御礼のあいさつとさせていただきます。
貴大学の永遠無窮の発展と栄光を、心よりお祈り申し上げます。
謝謝!(中国語で「ありがとうございました!」)(大拍手)
近隣の方々と
交流を深める好機。
人と人との絆こそ
安心と繁栄の礎だ。
日女御前御返事 P1244
『かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く彼こへまはり此へより日女御前をかこみまほり給うべきなり』
【通解】
このような(尊い)御本尊を供養申し上げなさる女性は、今世では幸福を招き寄せ、後生には、この御本尊が左右前後に立ち添って、あたかも闇夜に明るい照明を得たように、また険しい山道で強力を得たように、あちらへ回り、ここに寄り添って、日女御前の周りを取り囲んで必ず守ってくださるでしょう。
〈寸鉄〉 2018年8月9日
長崎原爆の日。民衆の声で核なき世界を必ず。我ら皆、使命深き平和大使
青年教学1級の受験者が奮闘!仏法は人生勝利の哲学。英知の利剣を磨け
「飲食節ならざる故に病む」御書。知恵と工夫の食生活を。酷暑だからこそ
世界のCO2濃度が過去最高に。温暖化防止への努力を私たちの足元から
台風等の危険に「自分は大丈夫」の心が危機呼ぶ—学者。油断排し安全を
☆台湾・中華大学の名誉教授称号授与式から 池田先生の謝辞 2018年7月31日
◇世界に挑むなら、まず自分が変われ
◇率先垂範の人材の連帯を
◇王陽明の言葉「行動が伴わなければ、真に知るとは言えない」
一、はじめに、先月の大阪北部地震、また西日本豪雨などの災禍に際し、台湾の方々からいち早く、温かなご厚情を寄せていただいております。苦難に直面した時、助け合い、励まし合い、支え合う人間の絆が、どれほど尊く有り難いか。改めて、心より御礼を申し上げます。
一、貴・中華大学の校歌には、誇り高く謳い上げられております。
「大いなる中華 多士済々たり 新竹の君子よ 共に手を携えて大学建設を」
「勤勉・質朴・誠実・正真にして ここに真理を学ばむ」
「勤勉・質朴・誠実・正真にして ここに善を行はむ」
この精神のままに、貴大学は「台湾のシリコンバレー」と呼ばれる科学技術都市・新竹の天地にあって、最先端の総合大学として、多士済々の逸材を育成され、新時代をリードしてこられました。
きょう、光栄にも、この偉大な知性の殿堂より、最高に誉れある「名誉教授」の称号を賜りました。
この喜びと栄誉を、私は信頼してやまない模範の世界市民として、社会貢献に徹する台湾SGIの宝友たちと、謹んで分かち合わせていただきます。誠に誠に、ありがとうございます(大拍手)。
◇事業は人にあり
一、偉大な教育者であられる劉維�学長は、台湾経済の発展と革新に大きな貢献を果たされた指導者でもあられます。
2015年に、台湾高速鉄道の経営が危機に瀕した折、卓抜した手腕とリーダーシップを発揮し、見事な財政再建を果たされたことも、有名であります。
日本を代表する実業家・松下幸之助先生と私との往復書簡集『人生問答』の中国語版が台湾で刊行された際には、貴重な序文まで寄せてくださり、「人間」という存在への深き理解なくして、社会や事業の発展もないという対話の主題を、的確に指摘していただきました。
劉学長の洞察のごとく、まさに松下先生が繰り返し強調されていたことは、「人づくり」にほかなりません。「事業は人にあり、人をまず養成しなければならない、人間として成長しない人を持つ事業は成功するものではない」(松下幸之助『一日一話』PHP研究所)と。
昨年の貴大学での卒業式で、劉学長が英国・ウェストミンスター寺院の、ある聖職者の墓碑に刻まれた言葉を紹介されたことを、私は感銘深く伺いました。
すなわち、若き日には、世界や国を変えたいと大きな夢を抱き、晩年には、せめて家族を変えたいと努力したが、結局、何もかなえられなかった。いよいよ人生の幕を閉じるに当たり気づいたことは、まず自らを変えることができていれば、周囲を変えることもできたのではないか、という遺言なのです。
劉学長は、このエピソードを通して「自分をチェンジ(変える)、世界にチャレンジ(挑戦)」との言葉を青年たちに贈られました。なんと素晴らしい青春の門出へのはなむけでありましょう。
台湾をはじめ、私が世界の友と分かち合う民衆運動の主題も——「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」であります。
とりわけ、貴大学は「サンシャイン・ユース」と呼ばれる、挑戦の息吹に満ち、革新的な知性と芸術的感性、そして心身ともに優れた、全人的な青年の育成を、教育目標に掲げてこられました。
◇駿馬のように社会で躍動せよ
多くの卒業生が、輝く太陽のごとく、清新な光を放ちながら、社会で活躍し、それぞれの分野で高い評価を得ているのも、貴大学の教育理念の正しさと確かな成果を端的に物語るものでしょう。
中国の大思想家の王陽明は、「行動が伴わなければ、真に知っているとは言えない」「行動こそ知の完成である」と教えております。
創価教育の父である牧口常三郎先生も、「知行合一した人格が教育者の理想的資格」と力説しておりました。
貴大学の校章には、若々しく躍動する駿馬の姿が描かれております。ここからも「一馬当先」(率先垂範)して、社会の発展を牽引しゆく知性と行動の人材を育てる、との建学の理念が伝わってくるのであります。
教職員も学生も一体となって、「人間革命」即「時代変革」へ邁進しゆく大学こそ、民衆の希望ではないでしょうか。
先般、私は、アルゼンチンの平和の闘士エスキベル博士と共に、人道にかなった社会の建設のために行動する世界の青年の連帯を呼び掛けました。
私どももまた、率先垂範の行動によって、尊敬する貴大学の先生方と共に、世界で活躍しゆく「サンシャイン・ユース」の育成に、さらに力を入れて取り組んでまいる決意でおります。
一、貴大学のキャンパスがそびえるのは、私も名誉ある市民の一人に加えていただいている新竹市です。「新竹」——新しい若竹は、伸びゆく生命力の象徴です。とともに、竹は一本一本がしなやかに屹立しつつ、しかも地中の茎でつながり、支え合っているゆえに、激しい風が吹いても耐えることができます。
人間の社会もまた、同じでありましょう。世界を結ぶ教育交流の意義もここにあります。
人間教育の母なる大地に立って、深き友情と信頼で結ばれた若き世界市民たちが、共に手と手を携えていけば、いかなる時代の嵐にも揺らぐことのない、人類の幸福と地球社会の平和に貢献しゆく確かなる大連帯を、必ずや盤石に築いていくことができます。
きょうは、うれしいことに、台湾からお迎えしている最優秀の留学生の友が、わが創大生、わが短大生の代表と共に出席してくれております(大拍手)。
「サンシャイン・ユース」の壮大な連帯のロマンを、劉学長とご一緒に21世紀の若き世界市民に託して、私の御礼のあいさつとさせていただきます。
貴大学の永遠無窮の発展と栄光を、心よりお祈り申し上げます。
謝謝!(中国語で「ありがとうございました!」)(大拍手)
2018年8月8日水曜日
2018.08.08 わが友に贈る
財の未来部が躍動!
夢に向かって
勇気凛々と前進を!
若き挑戦の生命に
敗れない壁はない!
松野殿御返事 P1382
『何に賎者なりとも少し我れより勝れて智慧ある人には此の経のいはれを問い尋ね給うべし』
【通解】
どんなに社会的身分の低い者であっても、仏法のことについて、少しでも自分より優れ、智慧のある人に対しては、この経のいわれを問い、求めていくべきである。
〈寸鉄〉 2018年8月8日
相手を知り共に解決を求める会長の対話こそ模範—教授。人間外交の指標
東京「荒川広布原点の日」常勝不敗の王者よ!人材育成と拡大の先陣を頼む
苦労が多いほど幸福の花が咲く—恩師。信心強き人には全ての苦闘が宝に
帰省などの長距離運転は無理なく余裕持って。無事故は"勝ち取る"もの
台風情報に警戒。相次ぐ大雨で地盤の緩み等も。危険な箇所には近づくな
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ�=完 2018年7月27日
◇幸せを祈り祈りて師弟かな
カナダSGIのバンクーバー総会(1993年10月1日)。会場に入った池田先生は、そのまま場内後方へ。
そこには車いすで参加していたクニコ・ウエノさん(地区副婦人部長)の姿があった。
81年のカナダ・トロント訪問で、池田先生が「必ずバンクーバーに行くよ」と約束した婦人である。
大阪出身のウエノさんは、15歳の時に家族とカナダへ。65年に友人の勧めで入会した。
バンクーバーに班が結成されたのは63年。当時はアメリカの組織に所属し、国境を越えてシアトルやロサンゼルスへ車を走らせた。
66年11月、ウエノさんは不慮の事故で脊髄を損傷。四肢麻痺が残ったが、奇跡的に一命を取り留めた感謝を胸に、車いすでバンクーバー広布を開拓してきたのである。
81年のカナダ訪問の折、先生はウエノさんを見掛けるたびに声を掛けていた。トロントの総会では、人垣の後ろにいたウエノさんに歩み寄り、「題目をあげきることだよ」と。
訪問最終日、先生は見送りに来たウエノさんに感謝を伝え、バンクーバーでの再会を約したのである。
"いつ先生が来られてもいいように"、メンバーの学会活動に拍車が掛かった。ウエノさんも専属運転手を入会に導いている。
友が待ち望んだ93年のバンクーバー総会。先生は「偉かったね。よく頑張ったね。皆の模範だね」と、ウエノさんをたたえた。
その光景に、普段は物静かなカナダの友から大歓声が上がる。拍手と喝采に包まれ、総会が始まった。
◇信心の旅路
開会を告げたのは、有志のコーラス。懸命に努力を重ねてきた友の歌声をたたえ、池田先生は語った。
「仏法も人生も『勝負』である。勝つか負けるか、幸福になるか不幸になるかである。懸命な人は、必ず勝つ」「このことを、きょうは『バンクーバー宣言』の第1条としたいと思うが、どうだろうか」
参加者が大きな拍手で応えると、先生は例えやユーモアを交え、五つの指針を示した。
�懸命に生きる人生は美しい
�余裕ある人生は内実が豊か
�快活に生きる人生は強い
�仲良く生きる人生は明るい
�誇りに生きる人生は崇高
世界中から移民が集まるカナダにあって、バンクーバーはアジア系が多く住む共生都市として知られる。
個性や習慣、文化の差異を乗り越えるために、先生は、まず"同じ人間"として仲良き絆を結ぼうと訴えた。
婦人部本部長だったユリコ・スキランさん(カナダSGI総合婦人部長)は、「バンクーバー宣言は私たちの目標であり、喜びです。宣言を記したものを仏前に置き、いつも確認し合います」と語る。
東京・大田区に生まれ、先生と同じ小学校に通ったスキランさんは、高等部1期生として世界広布の人材に育とうと決意。香港の航空会社で客室乗務員として活躍した。
結婚後も仕事を継続し、カナダで旅行会社を経営する夫を支え、家事・育児、学会活動に奔走。79年11月に帰国した折、先生に近況を報告する機会が。
先生は懇切に耳を傾け、色紙に「堂々と 幸のために 信心の旅路」と記し、スキランさんに贈っている。
先生の励ましの心をわが心としながら、友の激励に駆けたスキランさん。幾多の病魔にも打ち勝ってきた。
93年のバンクーバー総会翌日には、10・2「世界平和の日」を記念するカナダ代表者会議が。先生は、この日から始まった創価学会による御本尊授与の意義を述べ、「人生には、理想がなければならない。そのなかで、広宣流布こそ、『最高の理想』である。この理想に生ききる人が、『最高の人生』となる」と語った。
世界広布の新たな地平が開かれる喜びが、友の心にあふれた。
◇一人のために
93年のバンクーバー訪問で、池田先生はブリティッシュ・コロンビア大学のストラングウェー学長と会談。学長公邸は、同年4月に米露首脳会談が開かれた場所でもあった。
大学の構内には、この地で病没した新渡戸稲造博士を悼んだ記念庭園が。先生は新渡戸博士と牧口先生の交友に触れ、大学の使命等を展望している。
行事の間隙を縫うように、池田先生は同志との出会いを刻んだ。
当時、女子部本部長を務めていたクミ・ハーディンさん(婦人部本部長)。父親が末期の悪性リンパ腫で闘病中だった。かつて気性が荒かった父は、家族に心労を強いてきた。
父の回復を祈るべきだと頭では分かっていたが、心がついていかない。大切な時に祈れず、「自分は、なんて冷たい人間なんだろう」と思い悩んだ。
複雑な心境で諸行事の役員を務めていたハーディンさん。その心を察したかのように、先生は伝言を託した。
「お父さんのことは心配しなくていいよ。私がお題目をあげるから。お母さんを大切にしてください」
そして、次の句を贈ったのである。
幸せを
祈り祈りて
師弟かな
"父のために題目をあげたい"——ハーディンさんは素直にそう思えた。自宅に戻り、父とわだかまりなく楽しく会話し、父のことを思う存分に祈った。
翌々日、父の新たな生への旅立ちを、晴れ晴れと見送ることができた。
現在、ハーディンさんは医療通訳として活躍する。バンクーバーは英語を母国語としない住民が多い。患者、医師、看護師間の円滑なコミュニケーションに、通訳は不可欠だ。
SGIで磨いた同苦の心が、より良い治療結果につながっていると実感するハーディンさん。昨年、本年と友人に弘教も実らせた。目の前の一人をどこまでも大切にする、師の心を伝えている。
◇地涌の義
先生の滞在中、バンクーバーはインディアン・サマーと呼ばれる小春日和に包まれた。
夜には満月が輝き、カナダ代表者会議の席では、会場の明かりを消して、しばし、全員で窓から月を眺める一幕もあった。
窓のそばに立つ先生の隣で、ハリー・ミヤザキさん(カナダSGI主任副理事長)が、バンクーバーの町並みを紹介した。
「私たちの広布の舞台を先生にお伝えすることができ、胸がいっぱいになりました」
先生は、満月をかたどった丸い色紙に和歌を記し、ミヤザキさんとスキランさんに詠んでいる。
仏勅を
受けて来たりし
満月の
バンクーバーの
友のにぎわい
ミヤザキさんは東京・葛飾区の出身。74年にバンクーバーに渡ったが、当時は両手で数えられるほどのメンバーしかいなかった。
徐々にメンバーが増え、90年にバンクーバー文化会館が完成。
「当時の会合参加者は、大広間の半分にも満たない人数でした。先生の訪問と相前後して弘教が広がり、すぐに大広間がいっぱいになりました。今では数回に分けて会合を開催しています」
2010年のバンクーバー冬季五輪で会館前に駅が誕生。この地域貢献の城を拠点に、25年前、1本部だったバンクーバーは、8本部に発展している。
ミヤザキさんとスキランさんは、1993年のカナダ代表者会議で、先生と香峯子夫人が、小説『新・人間革命』の執筆について語り合っていたことが忘れられない。
この年の8月6日に執筆を開始し、11月18日の新聞連載開始に向かって、多忙を極める中で書きためていること。この約20日間の北米訪問にあっても、連載が常に頭を離れないこと——。
ミヤザキさんは「まさに命を注がれているようでした。これほどの思いで『新・人間革命』を執筆してくださっているのだと、襟を正す思いでした」と。
第1巻には60年のカナダ初訪問、第30巻には81年のカナダでの激励行が描かれた。
先生は一婦人の誓いから始まったカナダ広布の歩みを通し、記している。
「すべては一人から始まる。その一人が、人びとに妙法という幸福の法理を教え伝え、自分を凌ぐ師子へと育て上げ、人材の陣列を創っていく——これが地涌の義」と。
一人を信じ、励まし抜く地涌の共戦譜に、今日も新たなページが綴られている。
夢に向かって
勇気凛々と前進を!
若き挑戦の生命に
敗れない壁はない!
松野殿御返事 P1382
『何に賎者なりとも少し我れより勝れて智慧ある人には此の経のいはれを問い尋ね給うべし』
【通解】
どんなに社会的身分の低い者であっても、仏法のことについて、少しでも自分より優れ、智慧のある人に対しては、この経のいわれを問い、求めていくべきである。
〈寸鉄〉 2018年8月8日
相手を知り共に解決を求める会長の対話こそ模範—教授。人間外交の指標
東京「荒川広布原点の日」常勝不敗の王者よ!人材育成と拡大の先陣を頼む
苦労が多いほど幸福の花が咲く—恩師。信心強き人には全ての苦闘が宝に
帰省などの長距離運転は無理なく余裕持って。無事故は"勝ち取る"もの
台風情報に警戒。相次ぐ大雨で地盤の緩み等も。危険な箇所には近づくな
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ�=完 2018年7月27日
◇幸せを祈り祈りて師弟かな
カナダSGIのバンクーバー総会(1993年10月1日)。会場に入った池田先生は、そのまま場内後方へ。
そこには車いすで参加していたクニコ・ウエノさん(地区副婦人部長)の姿があった。
81年のカナダ・トロント訪問で、池田先生が「必ずバンクーバーに行くよ」と約束した婦人である。
大阪出身のウエノさんは、15歳の時に家族とカナダへ。65年に友人の勧めで入会した。
バンクーバーに班が結成されたのは63年。当時はアメリカの組織に所属し、国境を越えてシアトルやロサンゼルスへ車を走らせた。
66年11月、ウエノさんは不慮の事故で脊髄を損傷。四肢麻痺が残ったが、奇跡的に一命を取り留めた感謝を胸に、車いすでバンクーバー広布を開拓してきたのである。
81年のカナダ訪問の折、先生はウエノさんを見掛けるたびに声を掛けていた。トロントの総会では、人垣の後ろにいたウエノさんに歩み寄り、「題目をあげきることだよ」と。
訪問最終日、先生は見送りに来たウエノさんに感謝を伝え、バンクーバーでの再会を約したのである。
"いつ先生が来られてもいいように"、メンバーの学会活動に拍車が掛かった。ウエノさんも専属運転手を入会に導いている。
友が待ち望んだ93年のバンクーバー総会。先生は「偉かったね。よく頑張ったね。皆の模範だね」と、ウエノさんをたたえた。
その光景に、普段は物静かなカナダの友から大歓声が上がる。拍手と喝采に包まれ、総会が始まった。
◇信心の旅路
開会を告げたのは、有志のコーラス。懸命に努力を重ねてきた友の歌声をたたえ、池田先生は語った。
「仏法も人生も『勝負』である。勝つか負けるか、幸福になるか不幸になるかである。懸命な人は、必ず勝つ」「このことを、きょうは『バンクーバー宣言』の第1条としたいと思うが、どうだろうか」
参加者が大きな拍手で応えると、先生は例えやユーモアを交え、五つの指針を示した。
�懸命に生きる人生は美しい
�余裕ある人生は内実が豊か
�快活に生きる人生は強い
�仲良く生きる人生は明るい
�誇りに生きる人生は崇高
世界中から移民が集まるカナダにあって、バンクーバーはアジア系が多く住む共生都市として知られる。
個性や習慣、文化の差異を乗り越えるために、先生は、まず"同じ人間"として仲良き絆を結ぼうと訴えた。
婦人部本部長だったユリコ・スキランさん(カナダSGI総合婦人部長)は、「バンクーバー宣言は私たちの目標であり、喜びです。宣言を記したものを仏前に置き、いつも確認し合います」と語る。
東京・大田区に生まれ、先生と同じ小学校に通ったスキランさんは、高等部1期生として世界広布の人材に育とうと決意。香港の航空会社で客室乗務員として活躍した。
結婚後も仕事を継続し、カナダで旅行会社を経営する夫を支え、家事・育児、学会活動に奔走。79年11月に帰国した折、先生に近況を報告する機会が。
先生は懇切に耳を傾け、色紙に「堂々と 幸のために 信心の旅路」と記し、スキランさんに贈っている。
先生の励ましの心をわが心としながら、友の激励に駆けたスキランさん。幾多の病魔にも打ち勝ってきた。
93年のバンクーバー総会翌日には、10・2「世界平和の日」を記念するカナダ代表者会議が。先生は、この日から始まった創価学会による御本尊授与の意義を述べ、「人生には、理想がなければならない。そのなかで、広宣流布こそ、『最高の理想』である。この理想に生ききる人が、『最高の人生』となる」と語った。
世界広布の新たな地平が開かれる喜びが、友の心にあふれた。
◇一人のために
93年のバンクーバー訪問で、池田先生はブリティッシュ・コロンビア大学のストラングウェー学長と会談。学長公邸は、同年4月に米露首脳会談が開かれた場所でもあった。
大学の構内には、この地で病没した新渡戸稲造博士を悼んだ記念庭園が。先生は新渡戸博士と牧口先生の交友に触れ、大学の使命等を展望している。
行事の間隙を縫うように、池田先生は同志との出会いを刻んだ。
当時、女子部本部長を務めていたクミ・ハーディンさん(婦人部本部長)。父親が末期の悪性リンパ腫で闘病中だった。かつて気性が荒かった父は、家族に心労を強いてきた。
父の回復を祈るべきだと頭では分かっていたが、心がついていかない。大切な時に祈れず、「自分は、なんて冷たい人間なんだろう」と思い悩んだ。
複雑な心境で諸行事の役員を務めていたハーディンさん。その心を察したかのように、先生は伝言を託した。
「お父さんのことは心配しなくていいよ。私がお題目をあげるから。お母さんを大切にしてください」
そして、次の句を贈ったのである。
幸せを
祈り祈りて
師弟かな
"父のために題目をあげたい"——ハーディンさんは素直にそう思えた。自宅に戻り、父とわだかまりなく楽しく会話し、父のことを思う存分に祈った。
翌々日、父の新たな生への旅立ちを、晴れ晴れと見送ることができた。
現在、ハーディンさんは医療通訳として活躍する。バンクーバーは英語を母国語としない住民が多い。患者、医師、看護師間の円滑なコミュニケーションに、通訳は不可欠だ。
SGIで磨いた同苦の心が、より良い治療結果につながっていると実感するハーディンさん。昨年、本年と友人に弘教も実らせた。目の前の一人をどこまでも大切にする、師の心を伝えている。
◇地涌の義
先生の滞在中、バンクーバーはインディアン・サマーと呼ばれる小春日和に包まれた。
夜には満月が輝き、カナダ代表者会議の席では、会場の明かりを消して、しばし、全員で窓から月を眺める一幕もあった。
窓のそばに立つ先生の隣で、ハリー・ミヤザキさん(カナダSGI主任副理事長)が、バンクーバーの町並みを紹介した。
「私たちの広布の舞台を先生にお伝えすることができ、胸がいっぱいになりました」
先生は、満月をかたどった丸い色紙に和歌を記し、ミヤザキさんとスキランさんに詠んでいる。
仏勅を
受けて来たりし
満月の
バンクーバーの
友のにぎわい
ミヤザキさんは東京・葛飾区の出身。74年にバンクーバーに渡ったが、当時は両手で数えられるほどのメンバーしかいなかった。
徐々にメンバーが増え、90年にバンクーバー文化会館が完成。
「当時の会合参加者は、大広間の半分にも満たない人数でした。先生の訪問と相前後して弘教が広がり、すぐに大広間がいっぱいになりました。今では数回に分けて会合を開催しています」
2010年のバンクーバー冬季五輪で会館前に駅が誕生。この地域貢献の城を拠点に、25年前、1本部だったバンクーバーは、8本部に発展している。
ミヤザキさんとスキランさんは、1993年のカナダ代表者会議で、先生と香峯子夫人が、小説『新・人間革命』の執筆について語り合っていたことが忘れられない。
この年の8月6日に執筆を開始し、11月18日の新聞連載開始に向かって、多忙を極める中で書きためていること。この約20日間の北米訪問にあっても、連載が常に頭を離れないこと——。
ミヤザキさんは「まさに命を注がれているようでした。これほどの思いで『新・人間革命』を執筆してくださっているのだと、襟を正す思いでした」と。
第1巻には60年のカナダ初訪問、第30巻には81年のカナダでの激励行が描かれた。
先生は一婦人の誓いから始まったカナダ広布の歩みを通し、記している。
「すべては一人から始まる。その一人が、人びとに妙法という幸福の法理を教え伝え、自分を凌ぐ師子へと育て上げ、人材の陣列を創っていく——これが地涌の義」と。
一人を信じ、励まし抜く地涌の共戦譜に、今日も新たなページが綴られている。
2018年8月7日火曜日
2018.08.07 わが友に贈る
人と比べて焦るより
揺るがぬ自己を築こう!
仏法は「桜梅桃李」。
自分にしか果たせない
使命の道が必ずある!
三大秘法禀承事 P1023
『法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し』
【通解】
法華経を諸仏がこの世に出現した一大事と説かれるのは、この三大秘法を含めている経であるからである。秘密にすべきである。秘密にすべきである。
〈寸鉄〉 2018年8月7日
「此の五尺の身妙法蓮華経の五字」御書。広布への祈りで仏の生命は開花す
男子部大学校生が挑戦の汗。苦闘の先に歓喜と栄冠あり。勇気の対話貫け
東西の創価学園生が文武で大活躍。君達の成長が明日の希望!勝利の夏を
被爆者、平均年齢82歳超。魂の叫びを継承する時。平和への願いを次世代に
世界のプラごみ年3億トン発生。1兆円超の損害と。環境対策、公明が旗振れ
☆歌声高く 第9回 旭日遙かに/広布の旗
◇大関東に脈打つ広布後継の誇り
千葉は、本州の平地で最も早く日の出を迎える。日蓮仏法の大光もまた、千葉から昇った。
関東で"第1号"となる県歌が千葉に贈られたのは1978年(昭和53年)7月。当初は有志が原案を作った。しかし"ぜひ師匠の手作りの歌を"との声が寄せられたことを受け、池田先生は自ら筆を執った。
多忙の間隙を縫って千葉の歌を手掛けた真情を、先生はつづる。"日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の第一声を放たれた地を広布の舞台にする千葉の友には、最も功徳を身に受け、幸せの実証を示してほしいと祈り念じつつ作りあげた"と。
曲名は「旭日遙かに」。その名を聞き、宗門の陰険な攻撃を耐え忍んでいた同志の胸中に、気高き使命が赤々と蘇ったのである。
発表の舞台となった房総圏の総会(同年7月19日)の模様を報じる聖教新聞には、曲に合わせて懸命に口ずさみ、少しでも早く覚えようとする参加者の姿が紹介されている。「この歌を胸を張り、声高らかに歌える自分に成長しなければ」との決意の声も。
本年4月、総千葉の創価青年大会の終幕を飾ったのも参加者1万人による「旭日遙かに」の合唱だった。御本仏ゆかりの天地に滔々と地涌の人材は続く。世代を超えて歌い継がれる「旭日遙かに」の歌声と共に。
◇
関東広布の大城「埼玉文化会館」を訪れる同志が、誇りを持って見つめる碑がある。県歌「広布の旗」の歌碑である。78年(昭和53年)10月27日に聖教紙上で発表されて以来、喜びの春も苦闘の冬も、埼玉の同志が歌い続けてきた歌だ。
♪愛する埼玉 今ここに——冒頭の一節を口ずさむたび、同志の心には師匠への誓いが燃える。
池田先生は言う。「愛する埼玉は、わが青春の破邪顕正の言論戦の舞台」と。苦境に立たされた恩師と共に、打開策を求めて大宮方面へと向かったこともあった。恩師の名代として御書講義に通った川越地区も、埼玉だった。
師弟の魂が染みこむ天地である。"ここぞ"という時に真っ先に立ち上がるのが埼玉だ。戸田先生逝去後、"第3代会長の推戴を急げ!"と駆け付けたのは、埼玉の青年部であった。宗門の鉄鎖から解き放たれた"魂の独立"直後、最初の本部幹部会は埼玉で開催された。誉れ高き埼玉への思いを、池田先生は、「世界の友よ この地をば みつめ讃えよ」と歌詞に託した。
2010年、結びの一節に先生は「ああ埼玉の 勝利見む」と加筆した。「師に誓った広布の旗を断じて降ろさない」——大埼玉が世界に胸張る誇りである。
MEMO
千葉の歌「旭日遙かに」誕生の経緯は小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章、埼玉県歌「広布の旗」発表の模様は第29巻「常楽」の章につづられている。
SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)では、それぞれの歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等のほか、「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
〈旭日遙かに〉
一、ああ ほのぼのと 夜は明けて
旭日遙かに 煌々と
安房の森にも 調べあり
天は晴れたり 我等を包みて
二、波濤は踊るも 太平の
世紀の大地に 走りたる
檜の舞台を 築かんと
ああスクラムは 千葉には燦たり
三、ああ忘れまじ 厳然と
元初の声を 弘めんと
誓いの花は この世にて
千葉に爛漫 広布の凱歌と
〈広布の旗〉
一、愛する埼玉 今ここに
地より涌きたる わが友は
勇み勇みて 手をつなぎ
広布の旗に 集いけり
二、清き埼玉 たくましく
世界の友よ この地をば
みつめ讃えよ ロワールと
文化の香り 幸と咲く
三、あの峰この河 埼玉は
恐るるものなし 師子の子は
友の心も 光りけり
ああ埼玉の 楽土見む
ああ埼玉の 勝利見む
揺るがぬ自己を築こう!
仏法は「桜梅桃李」。
自分にしか果たせない
使命の道が必ずある!
三大秘法禀承事 P1023
『法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し』
【通解】
法華経を諸仏がこの世に出現した一大事と説かれるのは、この三大秘法を含めている経であるからである。秘密にすべきである。秘密にすべきである。
〈寸鉄〉 2018年8月7日
「此の五尺の身妙法蓮華経の五字」御書。広布への祈りで仏の生命は開花す
男子部大学校生が挑戦の汗。苦闘の先に歓喜と栄冠あり。勇気の対話貫け
東西の創価学園生が文武で大活躍。君達の成長が明日の希望!勝利の夏を
被爆者、平均年齢82歳超。魂の叫びを継承する時。平和への願いを次世代に
世界のプラごみ年3億トン発生。1兆円超の損害と。環境対策、公明が旗振れ
☆歌声高く 第9回 旭日遙かに/広布の旗
◇大関東に脈打つ広布後継の誇り
千葉は、本州の平地で最も早く日の出を迎える。日蓮仏法の大光もまた、千葉から昇った。
関東で"第1号"となる県歌が千葉に贈られたのは1978年(昭和53年)7月。当初は有志が原案を作った。しかし"ぜひ師匠の手作りの歌を"との声が寄せられたことを受け、池田先生は自ら筆を執った。
多忙の間隙を縫って千葉の歌を手掛けた真情を、先生はつづる。"日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の第一声を放たれた地を広布の舞台にする千葉の友には、最も功徳を身に受け、幸せの実証を示してほしいと祈り念じつつ作りあげた"と。
曲名は「旭日遙かに」。その名を聞き、宗門の陰険な攻撃を耐え忍んでいた同志の胸中に、気高き使命が赤々と蘇ったのである。
発表の舞台となった房総圏の総会(同年7月19日)の模様を報じる聖教新聞には、曲に合わせて懸命に口ずさみ、少しでも早く覚えようとする参加者の姿が紹介されている。「この歌を胸を張り、声高らかに歌える自分に成長しなければ」との決意の声も。
本年4月、総千葉の創価青年大会の終幕を飾ったのも参加者1万人による「旭日遙かに」の合唱だった。御本仏ゆかりの天地に滔々と地涌の人材は続く。世代を超えて歌い継がれる「旭日遙かに」の歌声と共に。
◇
関東広布の大城「埼玉文化会館」を訪れる同志が、誇りを持って見つめる碑がある。県歌「広布の旗」の歌碑である。78年(昭和53年)10月27日に聖教紙上で発表されて以来、喜びの春も苦闘の冬も、埼玉の同志が歌い続けてきた歌だ。
♪愛する埼玉 今ここに——冒頭の一節を口ずさむたび、同志の心には師匠への誓いが燃える。
池田先生は言う。「愛する埼玉は、わが青春の破邪顕正の言論戦の舞台」と。苦境に立たされた恩師と共に、打開策を求めて大宮方面へと向かったこともあった。恩師の名代として御書講義に通った川越地区も、埼玉だった。
師弟の魂が染みこむ天地である。"ここぞ"という時に真っ先に立ち上がるのが埼玉だ。戸田先生逝去後、"第3代会長の推戴を急げ!"と駆け付けたのは、埼玉の青年部であった。宗門の鉄鎖から解き放たれた"魂の独立"直後、最初の本部幹部会は埼玉で開催された。誉れ高き埼玉への思いを、池田先生は、「世界の友よ この地をば みつめ讃えよ」と歌詞に託した。
2010年、結びの一節に先生は「ああ埼玉の 勝利見む」と加筆した。「師に誓った広布の旗を断じて降ろさない」——大埼玉が世界に胸張る誇りである。
MEMO
千葉の歌「旭日遙かに」誕生の経緯は小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章、埼玉県歌「広布の旗」発表の模様は第29巻「常楽」の章につづられている。
SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)では、それぞれの歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等のほか、「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
〈旭日遙かに〉
一、ああ ほのぼのと 夜は明けて
旭日遙かに 煌々と
安房の森にも 調べあり
天は晴れたり 我等を包みて
二、波濤は踊るも 太平の
世紀の大地に 走りたる
檜の舞台を 築かんと
ああスクラムは 千葉には燦たり
三、ああ忘れまじ 厳然と
元初の声を 弘めんと
誓いの花は この世にて
千葉に爛漫 広布の凱歌と
〈広布の旗〉
一、愛する埼玉 今ここに
地より涌きたる わが友は
勇み勇みて 手をつなぎ
広布の旗に 集いけり
二、清き埼玉 たくましく
世界の友よ この地をば
みつめ讃えよ ロワールと
文化の香り 幸と咲く
三、あの峰この河 埼玉は
恐るるものなし 師子の子は
友の心も 光りけり
ああ埼玉の 楽土見む
ああ埼玉の 勝利見む
2018年8月6日月曜日
2018.08.06 わが友に贈る
◇今週のことば
わが人間革命の劇は
「今ここ」から始まる!
どんな試練の宿命も
皆を励ます使命に転じて
未来までの物語を共に!
2018年8月6日
聖人御難事 P1191
『をくびやう物をぼへずよくふかくうたがい多き者どもはぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ』
【通解】
臆病で教えを心に刻まず、欲が深くて、疑い多い者どもは、漆の塗り物に水をかけて、空中に振って水が落ちるようなもの(何も残らない)なのである。
〈寸鉄〉 2018年8月6日
広島原爆忌。過ちは二度と繰り返さぬ!核兵器は絶対悪の思想を全世界へ
小説『新・人間革命』執筆25年。創価の魂たる師弟の大叙事詩。永遠の指針
「他人なれどもかたらひぬれば命にも替る」御書真の友情にまさる宝なし
iPS細胞による難病の治験開始—京大。世界初。苦しむ人への光。期待大
新聞を読む子、学力高く—小・中学生試験。親が鑑となり良き習慣つくろう
☆歌声高く 第8回 我等の天地
◇「志国」に輝く功徳の太陽
仏典には、三千大千世界を囲む鉄の山が登場する。
その名も「鉄囲山」——山全体が鉄でできていて堅固であることから、古来、容易に攻め込まれない"難攻不落の要塞"の例えとして用いられてきた。
「これから『四国の歌』を作ろう!」
1978年(昭和53年)7月20日、岡山から鳥取の米子へ向かう特急列車の車中、池田先生は中国方面の歌「地涌の讃歌」に続いて、四国の歌「我等の天地」の作詞に取り掛かる。
2番の歌詞に「包み護らん 鉄囲山」とつづった。
第1次宗門事件がいち早く勃発し、宗門僧による理不尽な学会攻撃が行われたのが四国であった。
"私は、鉄囲山となって、四国の同志を、地涌の仏子を守り抜く! 負けるな、四国の同志よ! 断じて勝つのだ!"
弟子を思う師の心が凝縮した"師弟の共戦譜"こそ、「我等の天地」である。
作詞から3日後の23日、岡山文化会館(現・岡山南文化会館)に到着した池田先生に、四国の代表が同歌を録音したカセットテープを差し出した。
「先生、四国の歌の曲ができました!」
先生は「よし、ここで聴こう!」と、会館のロビーに腰を下ろし、完成したばかりのメロディーに耳を傾けた。
「本当にいい曲だ。明るくて心強いメロディーだね」。歌声に合わせ、歌詞を口ずさむ先生。
曲が終わると「ありがとう。この歌を携えて、四国へ行こう!」と。
先生は歌詞に込めた真情を、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章でつづっている。
「『四国の天地は我が天地』と、皆が本当に自覚することが大事です」「わが誉れの天地で、自分らしく、広宣流布を進めていこうとの決意に皆が立つ時、新しい四国の時代が来る!」
翌24日、先生は船で岡山から香川・庵治町の四国研修道場へ向かった。
午後6時過ぎ、瀬戸の空が深紅の夕焼けに染まり始める。研修道場の庭で野外研修が始まった。ここで、「我等の天地」が発表されたのである。
歓喜の歌声は、1度だけでなく、2度、3度と繰り返された。
♪友よ負けるな 妙法の
祈りの功徳は 天空に……
信心とは、どんな宿命にも「負けない心」の異名である。その晴ればれとした心にこそ、功徳の太陽は輝きわたる。
方面歌誕生から40年。西日本豪雨で甚大な被害を受けた愛媛をはじめ、香川、高知、徳島の四国の友は、今再び誓いの歌声を響かせながら進む。
四国は「志国」だ。我等の天地を幸福に!——この大いなる「志」は、何があろうと消えることはない。
そして四国は「師国」だ。人生と広布の幾山河を師と共に!——この最極の絆がある限り、断じて負けることはない。
MEMO
四国の歌「我等の天地」の誕生の淵源や意義は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」「大道」の章につづられている。
また、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも、同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、遙かな峰も 我が峰と
四国の天地は 我が天地
地涌の我等が 乱舞せる
故郷嬉しや この山河
二、緑したたる あの山も
喜び勇んで 我等をば
包み護らん 鉄囲山
おお誉れあれ この法戦
三、友よ負けるな 妙法の
祈りの功徳は 天空に
四国の民衆に そそがなん
おお前進だ 鐘は鳴る
わが人間革命の劇は
「今ここ」から始まる!
どんな試練の宿命も
皆を励ます使命に転じて
未来までの物語を共に!
2018年8月6日
聖人御難事 P1191
『をくびやう物をぼへずよくふかくうたがい多き者どもはぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ』
【通解】
臆病で教えを心に刻まず、欲が深くて、疑い多い者どもは、漆の塗り物に水をかけて、空中に振って水が落ちるようなもの(何も残らない)なのである。
〈寸鉄〉 2018年8月6日
広島原爆忌。過ちは二度と繰り返さぬ!核兵器は絶対悪の思想を全世界へ
小説『新・人間革命』執筆25年。創価の魂たる師弟の大叙事詩。永遠の指針
「他人なれどもかたらひぬれば命にも替る」御書真の友情にまさる宝なし
iPS細胞による難病の治験開始—京大。世界初。苦しむ人への光。期待大
新聞を読む子、学力高く—小・中学生試験。親が鑑となり良き習慣つくろう
☆歌声高く 第8回 我等の天地
◇「志国」に輝く功徳の太陽
仏典には、三千大千世界を囲む鉄の山が登場する。
その名も「鉄囲山」——山全体が鉄でできていて堅固であることから、古来、容易に攻め込まれない"難攻不落の要塞"の例えとして用いられてきた。
「これから『四国の歌』を作ろう!」
1978年(昭和53年)7月20日、岡山から鳥取の米子へ向かう特急列車の車中、池田先生は中国方面の歌「地涌の讃歌」に続いて、四国の歌「我等の天地」の作詞に取り掛かる。
2番の歌詞に「包み護らん 鉄囲山」とつづった。
第1次宗門事件がいち早く勃発し、宗門僧による理不尽な学会攻撃が行われたのが四国であった。
"私は、鉄囲山となって、四国の同志を、地涌の仏子を守り抜く! 負けるな、四国の同志よ! 断じて勝つのだ!"
弟子を思う師の心が凝縮した"師弟の共戦譜"こそ、「我等の天地」である。
作詞から3日後の23日、岡山文化会館(現・岡山南文化会館)に到着した池田先生に、四国の代表が同歌を録音したカセットテープを差し出した。
「先生、四国の歌の曲ができました!」
先生は「よし、ここで聴こう!」と、会館のロビーに腰を下ろし、完成したばかりのメロディーに耳を傾けた。
「本当にいい曲だ。明るくて心強いメロディーだね」。歌声に合わせ、歌詞を口ずさむ先生。
曲が終わると「ありがとう。この歌を携えて、四国へ行こう!」と。
先生は歌詞に込めた真情を、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章でつづっている。
「『四国の天地は我が天地』と、皆が本当に自覚することが大事です」「わが誉れの天地で、自分らしく、広宣流布を進めていこうとの決意に皆が立つ時、新しい四国の時代が来る!」
翌24日、先生は船で岡山から香川・庵治町の四国研修道場へ向かった。
午後6時過ぎ、瀬戸の空が深紅の夕焼けに染まり始める。研修道場の庭で野外研修が始まった。ここで、「我等の天地」が発表されたのである。
歓喜の歌声は、1度だけでなく、2度、3度と繰り返された。
♪友よ負けるな 妙法の
祈りの功徳は 天空に……
信心とは、どんな宿命にも「負けない心」の異名である。その晴ればれとした心にこそ、功徳の太陽は輝きわたる。
方面歌誕生から40年。西日本豪雨で甚大な被害を受けた愛媛をはじめ、香川、高知、徳島の四国の友は、今再び誓いの歌声を響かせながら進む。
四国は「志国」だ。我等の天地を幸福に!——この大いなる「志」は、何があろうと消えることはない。
そして四国は「師国」だ。人生と広布の幾山河を師と共に!——この最極の絆がある限り、断じて負けることはない。
MEMO
四国の歌「我等の天地」の誕生の淵源や意義は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」「大道」の章につづられている。
また、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも、同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、遙かな峰も 我が峰と
四国の天地は 我が天地
地涌の我等が 乱舞せる
故郷嬉しや この山河
二、緑したたる あの山も
喜び勇んで 我等をば
包み護らん 鉄囲山
おお誉れあれ この法戦
三、友よ負けるな 妙法の
祈りの功徳は 天空に
四国の民衆に そそがなん
おお前進だ 鐘は鳴る
2018年8月5日日曜日
2018.08.05 わが友に贈る
教学研鑽に励む青年よ!
広布の前進は常に
御書と共にある。
勝利の原動力たる
信心の利剣を磨こう!
開目抄下 P237
『日蓮は日本国の諸人にしうし(主師)父母なり』
【通解】
日蓮は日本国諸人にとっての主であり、師であり、親である。
〈寸鉄〉 2018年8月5日
長崎で不戦会議が開幕。核兵器廃絶目指す青年の連帯!君らこそ人類の光
折伏は自分の為、悩む人の為—恩師。自他共の幸の軌道ここに。堂々語れ
汝の力に目覚めよ!汝の力で立て—作家。その力は皆に必ず。仏法で開花
豪雨、天候不良で全国の農作物に被害。農漁光部負けるな!変毒為薬祈る
お盆の時期、各地の交通機関で混雑予想。計画は余裕持って。無事故第一
☆誓いの天地 名古屋市中川区 2018年7月25日
◇地域の人々と手を携えて
名古屋市の中西部に位置する中川区。
区名の由来となった中川運河をはじめ、庄内川、新川など七つの河川が流れる。1932年に完成した「松重閘門」は"東洋のパナマ運河"と呼ばれ、往時の様子を偲ばせる。
東部は中川運河沿いに製造業が発展。西部には豊かな農地が広がっているが、近年、区画整理により宅地化が進み、マンション等が建設されている。
3児の父である冨田正城さん(中川大勝区、男子部部長)。2年半前に引っ越してきた住まいは、新しい分譲住宅が立ち並ぶ一角にある。
昨年、地域で自治会設立の準備が進んでいることを知った。
「これからずっと関わっていく地域。どうにか役に立っていきたいと考えていた時でした」
以来、中心者による話し合いの場に顔を出すように。今年、周囲から推薦されて自治会の副会長に就任。近隣のパトロールや、河川の清掃などに尽力している。
6年前、会社の人間関係に悩み、退職。将来の進路に行き詰まりを感じていた時、男子部の先輩が足しげく通い、励ましてくれた。
「必ず再就職を勝ち取ろう。その"決勝点"を決めて祈っていこう」と、共に何度も勤行を。その中で自動車関連の会社に再就職を果たした。
2014年(平成26年)には真希さんと結婚。真心の対話を重ね、入会に導くこともできた。
現在の職場では夜勤もあるが、時間をこじ開け、訪問・激励や創価班の任務に率先する。
「近隣の方々と手を携え、住みよい街づくりに力を注いでいきます」
◇
瀬川輝美さん(中川王者区、女子地区リーダー)は、精神障がい者の通所事業所で、生活支援員として働く。
学会3世として岩手・花巻市に生まれ、創価家族の温かさの中で育った。
大学を卒業後、就職で名古屋に。しかし1年目は、都会での1人暮らしになかなか馴染めなかった。
"実家に帰りたい"と思っていた時、支えてくれたのは中川区の創価家族だった。女子部の先輩、婦人部の友が何度も励ましに訪ねてくれた。常に自分のことを気に掛けてくれる皆の真心に触れ、「名古屋が私の使命の場」と、持ち前の明るさを取り戻した。
仕事では努力を重ね、昨年、精神保健福祉士の資格を取得。休日には、市内の障がい者スポーツのイベントでボランティアとして貢献し、車いすバスケットボールなどを通して障がい理解の啓発活動にも携わっている。
学会活動にも励み、勇気の対話に挑戦する瀬川さん。「人との出会いを大切に、どこまでも悩みに寄り添える自分に成長していきます」。朗らかな笑顔で、職場と地域を照らす。
◇栄光の共戦譜
●我らが決めた「この道」を勇敢に
1953年(昭和28年)12月、名古屋に第一歩をしるした池田先生は、市内での座談会に出席。"折伏が進まない"と語る友に烈々たる気迫で語った。
「やりやすいところなどありません。"名古屋だけ折伏はできない"と思っている、そのこと自体が、できない原因なのです!」
友の一念を一変させる師子吼から、中部広布の「この道」は開かれた。
以来65星霜。幾多の師弟のドラマを刻みながら、"広布の堅塁"は築かれてきたのである。
◇
中川の
友を祈りて
今日の旅
池田先生が中川区の友に贈った句である。
71年(同46年)1月30日の夕刻、前日から中部入りしていた先生は急きょ、中川会館(当時)を訪問した。
先生は居合わせた数十人と勤行。その場には病苦や経済苦と闘う友もいた。一人一人の話にじっと耳を傾けつつ、力強く語った。
「題目をあげていきなさい。必ず解決しますよ」
「皆さん方の健康と、ご一家の繁栄をいつも真剣に祈っています」
そして、皆と記念のカメラに納まった。さらに会館を後にした先生は、先の句を贈ったのである。
当時、中川区の男子部のリーダーだった池田洋さん(中川大勝区、総県主事)。前日の中部文化祭で体操の責任者を務め、中川会館の訪問後に行われた、師との懇談の場に集った。
先生は、青年の熱演を心からたたえ、ここでも記念撮影を。師の真心を、池田さんは胸に深くとどめた。
59年(同34年)、母と共に、15歳で入会。翌年、先輩に連れられて参加した中部体育大会で、師と初めての出会いを刻んだ。
輸送班(当時)として会員厳護に徹し、男子部のリーダーとしても弘教拡大の先頭に立ってきた。
壮年部へ移行し、学会の中川区長(当時)として奮闘していた95年(平成7年)5月、池田先生の100回目となる中部指導が実現。17日の中部総会で、先生は渾身の励ましを送った。
「私の願いは、ともかく全員が幸福になっていただきたいということである」
さらに翌18日には、車で中川文化会館を視察。車中から、同会館をカメラに収めた。
「"先生は中川の同志の戦いを全て見守ってくださっている"と感動で胸がいっぱいになりました」(池田さん)
以来、中川区の友は広布の拡大戦において、団結固く連続勝利の結果を示し続けてきた。
この時、池田さんの経営する溶接会社は、不況のあおりで苦境に立っていた。だが、"必ず社会で実証を示してみせる"と奮起。信心根本に仕事に挑み、乗り越えていった。
昨年、試作を重ね、自転車を立てるスタンドを考案した。これがヒットし、業績は好調を維持。74歳の現在も溶接の現場に立つ。
2人の子も、広布への志を継いでいる。師への報恩を胸に、妻の美由喜さん(中川大勝区、区副婦人部長)と共に、きょうも地域に信頼を広げる。
◇
100回を超える池田先生の中部指導。先生はその度に、師弟の魂を堅塁の大地に打ち込んできた。
90年(同2年)10月に行われた第5回中部総会。先生は、伊勢湾台風や「言論問題」など、さまざまな苦難の坂を乗り越えてきた中部の同志をたたえた。
「一番、苦労した人が、一番、幸福になる。これが妙法である。一番、苦難と戦った人が、一番、境涯を開いていく。これが信心の大功徳である」
師の言々句々が、参加した沢井美枝子さん(中川王者区、区副婦人部長)の心に強く響いた。
58年(昭和33年)、貧乏のどん底の中で母と入会。幸福を追い求め、学会活動に励んだ。
20歳の頃、夏季講習会に参加し、池田先生と初めての出会いを結ぶ。「絶対にこの信心から離れてはいけないよ」「幸せになるんだよ」。師の温かさが胸に染みた。キャンプファイアを囲み、先生と共に「人生の並木路」を歌ったことは生涯の原点だ。
女子部では部隊長まで務め、25歳で結婚。子育てをしながら、中川の地で支部婦人部長、婦人部本部長として広布の最前線を駆けた。夫の信宏さんが病に倒れた時も献身的に支えた。信宏さんは命の危機を幾度も乗り越え、2007年(平成19年)に安らかに霊山へ旅立った。
その後、沢井さん自身も、がんや脳腫瘍など、病魔に襲われるたびに、"蘇生のドラマ"をつづってきた。その体験を語りながら、元気に訪問・激励に歩いている。
◇
昨年12月の中部総会へのメッセージで、池田先生は呼び掛けた。
「我らが決めた栄光の『この道』に、地涌の青年を、ますますにぎやかに呼び寄せながら、いよいよ勇敢に、たゆみなく進もうではありませんか!」
中川の友は歩み続ける。自ら願い、師に誓った使命の人生を。誕生40周年となる「この道の歌」を朗らかに歌いながら。
広布の前進は常に
御書と共にある。
勝利の原動力たる
信心の利剣を磨こう!
開目抄下 P237
『日蓮は日本国の諸人にしうし(主師)父母なり』
【通解】
日蓮は日本国諸人にとっての主であり、師であり、親である。
〈寸鉄〉 2018年8月5日
長崎で不戦会議が開幕。核兵器廃絶目指す青年の連帯!君らこそ人類の光
折伏は自分の為、悩む人の為—恩師。自他共の幸の軌道ここに。堂々語れ
汝の力に目覚めよ!汝の力で立て—作家。その力は皆に必ず。仏法で開花
豪雨、天候不良で全国の農作物に被害。農漁光部負けるな!変毒為薬祈る
お盆の時期、各地の交通機関で混雑予想。計画は余裕持って。無事故第一
☆誓いの天地 名古屋市中川区 2018年7月25日
◇地域の人々と手を携えて
名古屋市の中西部に位置する中川区。
区名の由来となった中川運河をはじめ、庄内川、新川など七つの河川が流れる。1932年に完成した「松重閘門」は"東洋のパナマ運河"と呼ばれ、往時の様子を偲ばせる。
東部は中川運河沿いに製造業が発展。西部には豊かな農地が広がっているが、近年、区画整理により宅地化が進み、マンション等が建設されている。
3児の父である冨田正城さん(中川大勝区、男子部部長)。2年半前に引っ越してきた住まいは、新しい分譲住宅が立ち並ぶ一角にある。
昨年、地域で自治会設立の準備が進んでいることを知った。
「これからずっと関わっていく地域。どうにか役に立っていきたいと考えていた時でした」
以来、中心者による話し合いの場に顔を出すように。今年、周囲から推薦されて自治会の副会長に就任。近隣のパトロールや、河川の清掃などに尽力している。
6年前、会社の人間関係に悩み、退職。将来の進路に行き詰まりを感じていた時、男子部の先輩が足しげく通い、励ましてくれた。
「必ず再就職を勝ち取ろう。その"決勝点"を決めて祈っていこう」と、共に何度も勤行を。その中で自動車関連の会社に再就職を果たした。
2014年(平成26年)には真希さんと結婚。真心の対話を重ね、入会に導くこともできた。
現在の職場では夜勤もあるが、時間をこじ開け、訪問・激励や創価班の任務に率先する。
「近隣の方々と手を携え、住みよい街づくりに力を注いでいきます」
◇
瀬川輝美さん(中川王者区、女子地区リーダー)は、精神障がい者の通所事業所で、生活支援員として働く。
学会3世として岩手・花巻市に生まれ、創価家族の温かさの中で育った。
大学を卒業後、就職で名古屋に。しかし1年目は、都会での1人暮らしになかなか馴染めなかった。
"実家に帰りたい"と思っていた時、支えてくれたのは中川区の創価家族だった。女子部の先輩、婦人部の友が何度も励ましに訪ねてくれた。常に自分のことを気に掛けてくれる皆の真心に触れ、「名古屋が私の使命の場」と、持ち前の明るさを取り戻した。
仕事では努力を重ね、昨年、精神保健福祉士の資格を取得。休日には、市内の障がい者スポーツのイベントでボランティアとして貢献し、車いすバスケットボールなどを通して障がい理解の啓発活動にも携わっている。
学会活動にも励み、勇気の対話に挑戦する瀬川さん。「人との出会いを大切に、どこまでも悩みに寄り添える自分に成長していきます」。朗らかな笑顔で、職場と地域を照らす。
◇栄光の共戦譜
●我らが決めた「この道」を勇敢に
1953年(昭和28年)12月、名古屋に第一歩をしるした池田先生は、市内での座談会に出席。"折伏が進まない"と語る友に烈々たる気迫で語った。
「やりやすいところなどありません。"名古屋だけ折伏はできない"と思っている、そのこと自体が、できない原因なのです!」
友の一念を一変させる師子吼から、中部広布の「この道」は開かれた。
以来65星霜。幾多の師弟のドラマを刻みながら、"広布の堅塁"は築かれてきたのである。
◇
中川の
友を祈りて
今日の旅
池田先生が中川区の友に贈った句である。
71年(同46年)1月30日の夕刻、前日から中部入りしていた先生は急きょ、中川会館(当時)を訪問した。
先生は居合わせた数十人と勤行。その場には病苦や経済苦と闘う友もいた。一人一人の話にじっと耳を傾けつつ、力強く語った。
「題目をあげていきなさい。必ず解決しますよ」
「皆さん方の健康と、ご一家の繁栄をいつも真剣に祈っています」
そして、皆と記念のカメラに納まった。さらに会館を後にした先生は、先の句を贈ったのである。
当時、中川区の男子部のリーダーだった池田洋さん(中川大勝区、総県主事)。前日の中部文化祭で体操の責任者を務め、中川会館の訪問後に行われた、師との懇談の場に集った。
先生は、青年の熱演を心からたたえ、ここでも記念撮影を。師の真心を、池田さんは胸に深くとどめた。
59年(同34年)、母と共に、15歳で入会。翌年、先輩に連れられて参加した中部体育大会で、師と初めての出会いを刻んだ。
輸送班(当時)として会員厳護に徹し、男子部のリーダーとしても弘教拡大の先頭に立ってきた。
壮年部へ移行し、学会の中川区長(当時)として奮闘していた95年(平成7年)5月、池田先生の100回目となる中部指導が実現。17日の中部総会で、先生は渾身の励ましを送った。
「私の願いは、ともかく全員が幸福になっていただきたいということである」
さらに翌18日には、車で中川文化会館を視察。車中から、同会館をカメラに収めた。
「"先生は中川の同志の戦いを全て見守ってくださっている"と感動で胸がいっぱいになりました」(池田さん)
以来、中川区の友は広布の拡大戦において、団結固く連続勝利の結果を示し続けてきた。
この時、池田さんの経営する溶接会社は、不況のあおりで苦境に立っていた。だが、"必ず社会で実証を示してみせる"と奮起。信心根本に仕事に挑み、乗り越えていった。
昨年、試作を重ね、自転車を立てるスタンドを考案した。これがヒットし、業績は好調を維持。74歳の現在も溶接の現場に立つ。
2人の子も、広布への志を継いでいる。師への報恩を胸に、妻の美由喜さん(中川大勝区、区副婦人部長)と共に、きょうも地域に信頼を広げる。
◇
100回を超える池田先生の中部指導。先生はその度に、師弟の魂を堅塁の大地に打ち込んできた。
90年(同2年)10月に行われた第5回中部総会。先生は、伊勢湾台風や「言論問題」など、さまざまな苦難の坂を乗り越えてきた中部の同志をたたえた。
「一番、苦労した人が、一番、幸福になる。これが妙法である。一番、苦難と戦った人が、一番、境涯を開いていく。これが信心の大功徳である」
師の言々句々が、参加した沢井美枝子さん(中川王者区、区副婦人部長)の心に強く響いた。
58年(昭和33年)、貧乏のどん底の中で母と入会。幸福を追い求め、学会活動に励んだ。
20歳の頃、夏季講習会に参加し、池田先生と初めての出会いを結ぶ。「絶対にこの信心から離れてはいけないよ」「幸せになるんだよ」。師の温かさが胸に染みた。キャンプファイアを囲み、先生と共に「人生の並木路」を歌ったことは生涯の原点だ。
女子部では部隊長まで務め、25歳で結婚。子育てをしながら、中川の地で支部婦人部長、婦人部本部長として広布の最前線を駆けた。夫の信宏さんが病に倒れた時も献身的に支えた。信宏さんは命の危機を幾度も乗り越え、2007年(平成19年)に安らかに霊山へ旅立った。
その後、沢井さん自身も、がんや脳腫瘍など、病魔に襲われるたびに、"蘇生のドラマ"をつづってきた。その体験を語りながら、元気に訪問・激励に歩いている。
◇
昨年12月の中部総会へのメッセージで、池田先生は呼び掛けた。
「我らが決めた栄光の『この道』に、地涌の青年を、ますますにぎやかに呼び寄せながら、いよいよ勇敢に、たゆみなく進もうではありませんか!」
中川の友は歩み続ける。自ら願い、師に誓った使命の人生を。誕生40周年となる「この道の歌」を朗らかに歌いながら。
2018年8月4日土曜日
2018.08.04 わが友に贈る
信心の継承は
家庭から始まる。
一緒に勤行・唱題し
信仰の喜びを伝えよう。
親子で成長する日々に!
御講聞書 P817
『如我等無異とて釈迦同等の仏にやすやすとならん事疑無きなり』
【通解】
「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」と言って、(妙法を正しく実践する者は)釈尊と等しい仏に、やすやすとなる事は疑いない。
〈寸鉄〉 2018年8月4日
日韓青年部が友好大会。「誓願」に生きる誉れの青春。共々に師弟の道を
御聖訓「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえ」。清新な祈りから出発
地道でなければ、偉大な事業は成し得ない—戸田先生。一日一日を勝て!
ウイルス性の夏風邪が猛威。乳幼児は要注意。手洗い・嗽は小まめに丁寧に
特殊詐欺で摘発の少年が急増。「バイト感覚」と。社会全体で悪の温床根絶
☆友のもとへ 池田先生の激励行 第6回 「平和の宝島」沖縄
◇ここは「人間革命の人材の都」
第2代会長・戸田城聖先生の生誕93周年となる1993年(平成5年)2月11日、小説『人間革命』全12巻の連載が完結した。
この日、池田先生はブラジルで、リオデジャネイロ連邦大学の名誉博士号授与式に臨んだ。
同年1月24日から、57日間に及ぶ北南米指導が始まっていた。この平和旅に、沖縄総長を務めた三盛洲洋さん(故人)も同行した。
"なぜ、先生は私を呼んでくださったのか"と、その意味を三盛さんは考えていた。すると、先生は「ここに君を連れてきたかったんだよ」と。
73年(昭和48年)6月26日、本紙1面に「生命の世紀への船出」との記事が掲載された。そこには64年(同39年)12月2日から、小説『人間革命』が書き始められたことが記されていた。
三盛さんは、はっとした。その日は、沖縄学生部の部員会で、師との出会いを刻んだ日だった。
三盛さんは"執筆場所は沖縄ではないか"と本紙の記者に問い合わせた。記者から質問を受けた先生は、「誰が聞いてきたんだい」と尋ね、「私は執筆開始からずっと黙っていた。一体、誰が気が付くか、それを待っていたんだよ」と。
20年の時を経て、小説『人間革命』の連載完結の時に、師と共にブラジルの天地にいることに、三盛さんの感謝の思いは尽きなかった。
◆◇◆
60年(同35年)7月16日、先生は沖縄に第一歩をしるした。この日は、日蓮大聖人が時の権力者に「立正安国論」を提出し、国主諫暁をした日から満700年の時に当たっていた。
酷暑の季節。"もっと涼しい時期に"と沖縄訪問に反対する意見もあった。だが、先生は「同志の労苦は、最も大変な時に現地へ行かなくては分からない」と沖縄行きを決行した。
翌17日、沖縄支部が結成。訪問最終日の18日には、沖縄戦の激戦地であった南部戦跡を視察した。
その折のことを、後に先生は長編詩「永遠たれ"平和の要塞"」に詠んでいる。
「世界不戦への誓いを固めつつ思った/いつの日か書かねばならぬ/小説『人間革命』の筆を/もっとも戦争の辛酸をなめた/この沖縄の地で起こそうと」
南部戦跡の訪問は、小説『人間革命』の執筆を沖縄から始める契機の一つとなったのである。
先生は「ひめゆりの塔」の前に立ち、題目を三唱。その後、「鉄血勤皇隊」と呼ばれた学徒隊の慰霊碑「健児之塔」に足を運んだ。
そこでも題目を三唱すると、先生は力を込めた。
「戦争は悲惨だ。こんな悲劇を二度と繰り返しては断じてならない」
17回にわたる沖縄訪問において、こうした不戦への誓いを、先生は幾度も語ってきた。
99年(平成11年)2月12日、沖縄平和記念墓地公園を初訪問した折には、「永遠平和の碑」に向かって、題目を三唱。そして、強い口調で語った。
「もう二度と、沖縄に戦争はない。できない!」
その場にいた湖城睦子さん(県総合婦人部長)は、師の叫びに胸が震えた。
母・登美さん(県婦人部主事)は沖縄戦で、米軍の砲弾射撃の中を逃げ、糸満の自然壕にたどり着いた。
そこで、登美さんは信じがたい光景を目にする。
壕の中には、泣き叫ぶ赤ちゃん、食料を求めて泣く幼児がいた。日本兵は米軍に見つかることを恐れ、子どもを泥水の中に投げ捨てた。さらに、子どもの命を奪われ、発狂する母親を、日本兵は壕の外に放り出した。こうした悲劇が沖縄の至る所で繰り返された。
戦後、登美さんは日本との貿易業など、さまざまな仕事を手掛けた。だが、知人の連帯保証人となり、多額の負債を抱えてしまう。絶望のどん底で、65年(昭和40年)に信心を始めた。
入会後、名護城跡でコテージを営み、家計は上向き始めた。仏法対話に走り、学会の平和運動にも取り組んだ。睦子さんも母の後に続いた。
20年ほど前、睦子さんは母と一緒に、糸満市摩文仁の平和祈念公園にある記念碑「平和の礎」を訪れた。
記念碑の先には海が広がっている。ところが、登美さんは海の方へ、まったく近づこうとしなかった。そこは、沖縄戦で追い詰められた多くの人が身を投げた場所だった。
一歩も動かない母の姿に、睦子さんは"癒えない戦争の傷が、まだ母にはある"と感じた。
人には言えない苦しみを心の奥底に抱えながら、縁する人と共々に幸福の道を進もうと、登美さんは数多くの弘教を実らせた。睦子さんも、名護広布に駆けてきた。
91年(平成3年)2月6日、名護平和会館を初訪問した先生は、国頭圏(当時)の記念勤行会に出席。湖城さん母娘をはじめ、草創の友の名前を挙げ、広布への功労をたたえつつ、呼び掛けた。
「どうか皆さま方は、自然に恵まれたこの地を舞台に、使命の道を悠々と進み、永遠に崩れざる幸の楽土を築いていっていただきたい」
以来、27星霜。師の言葉のまま、睦子さんは地域に根を張り、平和と幸福の連帯を広げ続けている。
◆◇◆
琉球王国の時代から、沖縄はアジアを結ぶ文化交流の懸け橋であった。沖縄には世界に開かれた心が脈打っている。
池田先生は「沖縄を『世界広宣流布のモデルの宝土に』」と訴え、次代を担う友の心に励ましの種をまいてきた。
91年2月3日、沖縄未来部の代表との記念撮影会が行われた。先生は「みんなは21世紀の広布の後継者だよ」と語り、カメラに納まった。
久山賢一さん(支部長)は当時、高校3年生。撮影会での師の期待に、教師という「夢」が「誓い」へと変わった。
教員採用試験は不合格が続いた。それでも"教育は師匠に誓った道"と諦めず、高校の地理歴史科で合格を勝ち取った。
授業では、史観を養う大切さや、歴史を通して人間としての生き方を伝えるなど、工夫を重ねている。
そんな久山さんには、もう一つの忘れられない師との原点がある。
2005年(同17年)3月、沖縄青年部の企画・制作で、「人間革命」展が開催された。当時、沖縄青年部の平和委員会委員長を務めていた久山さんも、同展の準備に当たった。
展示に携わるメンバーで、『人間革命』を研さんした。その中で、執筆を開始した「12月2日」は、フランスの文豪・ユゴーが、独裁者のルイ・ナポレオンに対して、正義の言論闘争を宣言した日であることが分かった。沖縄青年部は、その歴史を資料にまとめて、池田先生に届けた。
すると、先生はその内容を「随筆 人間世紀の光」で取り上げ、「私は、本当に嬉しかった。若き諸君の努力に『栄光あれ』『勝利あれ』と、私も真剣に祈り、励ましを送った」と、たたえたのである。
青年に期待し、どこまでも信じる。真心には、それ以上の真心で応える。
その師の心を心として、久山さんは「平和の楽土」の建設へ、力強く進む。
◆◇◆
高安かおりさん(支部婦人部長)も、記念撮影会に参加した一人だ。
小学生の時から鼓笛隊で薫陶を受け、女子部時代には2人の友人を入会に導いた。95年(同7年)3月26日、沖縄研修道場で行われた第1回「沖縄記念総会」で、群星合唱団の一員として、師の前で歌声を披露したことは、黄金の思い出だ。
婦人部に進出後も、対話に駆けてきた。未入会だった夫・修さん(壮年部員)は3年前に信心を始めた。今年、教学部任用試験(仏法入門)にも合格した。
夫の親族も、高安さんの紹介で次々と入会。師の沖縄初訪問の日である今月16日には、同郷の友人に弘教を実らせた。
「一家和楽の道を歩むことができたのも、池田先生の励ましがあったからこそです。生涯、報恩の道を進みます」
——世界広布の歴史を繙くと、草創期の南米のペルー、ボリビア、チリのリーダーを務めたのは沖縄出身の友だった。アメリカやヨーロッパ、アフリカなど、世界各地へ、沖縄の友は雄飛していった。
「我らが開いてきた沖縄の楽土郷は、『人間革命の人材の都』であります」
池田先生は沖縄への万感の思いを、そうつづった。
沖縄の同志に、全人類の宿命転換の先駆けとなる使命を示し、手作りで世界広布を担い立つ人材をはぐくんできた先生。
その師への感謝と、"愛する島を世界で最初の広宣流布の地帯に"との師への誓願が、「平和の宝島」に光り輝いている。
家庭から始まる。
一緒に勤行・唱題し
信仰の喜びを伝えよう。
親子で成長する日々に!
御講聞書 P817
『如我等無異とて釈迦同等の仏にやすやすとならん事疑無きなり』
【通解】
「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」と言って、(妙法を正しく実践する者は)釈尊と等しい仏に、やすやすとなる事は疑いない。
〈寸鉄〉 2018年8月4日
日韓青年部が友好大会。「誓願」に生きる誉れの青春。共々に師弟の道を
御聖訓「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえ」。清新な祈りから出発
地道でなければ、偉大な事業は成し得ない—戸田先生。一日一日を勝て!
ウイルス性の夏風邪が猛威。乳幼児は要注意。手洗い・嗽は小まめに丁寧に
特殊詐欺で摘発の少年が急増。「バイト感覚」と。社会全体で悪の温床根絶
☆友のもとへ 池田先生の激励行 第6回 「平和の宝島」沖縄
◇ここは「人間革命の人材の都」
第2代会長・戸田城聖先生の生誕93周年となる1993年(平成5年)2月11日、小説『人間革命』全12巻の連載が完結した。
この日、池田先生はブラジルで、リオデジャネイロ連邦大学の名誉博士号授与式に臨んだ。
同年1月24日から、57日間に及ぶ北南米指導が始まっていた。この平和旅に、沖縄総長を務めた三盛洲洋さん(故人)も同行した。
"なぜ、先生は私を呼んでくださったのか"と、その意味を三盛さんは考えていた。すると、先生は「ここに君を連れてきたかったんだよ」と。
73年(昭和48年)6月26日、本紙1面に「生命の世紀への船出」との記事が掲載された。そこには64年(同39年)12月2日から、小説『人間革命』が書き始められたことが記されていた。
三盛さんは、はっとした。その日は、沖縄学生部の部員会で、師との出会いを刻んだ日だった。
三盛さんは"執筆場所は沖縄ではないか"と本紙の記者に問い合わせた。記者から質問を受けた先生は、「誰が聞いてきたんだい」と尋ね、「私は執筆開始からずっと黙っていた。一体、誰が気が付くか、それを待っていたんだよ」と。
20年の時を経て、小説『人間革命』の連載完結の時に、師と共にブラジルの天地にいることに、三盛さんの感謝の思いは尽きなかった。
◆◇◆
60年(同35年)7月16日、先生は沖縄に第一歩をしるした。この日は、日蓮大聖人が時の権力者に「立正安国論」を提出し、国主諫暁をした日から満700年の時に当たっていた。
酷暑の季節。"もっと涼しい時期に"と沖縄訪問に反対する意見もあった。だが、先生は「同志の労苦は、最も大変な時に現地へ行かなくては分からない」と沖縄行きを決行した。
翌17日、沖縄支部が結成。訪問最終日の18日には、沖縄戦の激戦地であった南部戦跡を視察した。
その折のことを、後に先生は長編詩「永遠たれ"平和の要塞"」に詠んでいる。
「世界不戦への誓いを固めつつ思った/いつの日か書かねばならぬ/小説『人間革命』の筆を/もっとも戦争の辛酸をなめた/この沖縄の地で起こそうと」
南部戦跡の訪問は、小説『人間革命』の執筆を沖縄から始める契機の一つとなったのである。
先生は「ひめゆりの塔」の前に立ち、題目を三唱。その後、「鉄血勤皇隊」と呼ばれた学徒隊の慰霊碑「健児之塔」に足を運んだ。
そこでも題目を三唱すると、先生は力を込めた。
「戦争は悲惨だ。こんな悲劇を二度と繰り返しては断じてならない」
17回にわたる沖縄訪問において、こうした不戦への誓いを、先生は幾度も語ってきた。
99年(平成11年)2月12日、沖縄平和記念墓地公園を初訪問した折には、「永遠平和の碑」に向かって、題目を三唱。そして、強い口調で語った。
「もう二度と、沖縄に戦争はない。できない!」
その場にいた湖城睦子さん(県総合婦人部長)は、師の叫びに胸が震えた。
母・登美さん(県婦人部主事)は沖縄戦で、米軍の砲弾射撃の中を逃げ、糸満の自然壕にたどり着いた。
そこで、登美さんは信じがたい光景を目にする。
壕の中には、泣き叫ぶ赤ちゃん、食料を求めて泣く幼児がいた。日本兵は米軍に見つかることを恐れ、子どもを泥水の中に投げ捨てた。さらに、子どもの命を奪われ、発狂する母親を、日本兵は壕の外に放り出した。こうした悲劇が沖縄の至る所で繰り返された。
戦後、登美さんは日本との貿易業など、さまざまな仕事を手掛けた。だが、知人の連帯保証人となり、多額の負債を抱えてしまう。絶望のどん底で、65年(昭和40年)に信心を始めた。
入会後、名護城跡でコテージを営み、家計は上向き始めた。仏法対話に走り、学会の平和運動にも取り組んだ。睦子さんも母の後に続いた。
20年ほど前、睦子さんは母と一緒に、糸満市摩文仁の平和祈念公園にある記念碑「平和の礎」を訪れた。
記念碑の先には海が広がっている。ところが、登美さんは海の方へ、まったく近づこうとしなかった。そこは、沖縄戦で追い詰められた多くの人が身を投げた場所だった。
一歩も動かない母の姿に、睦子さんは"癒えない戦争の傷が、まだ母にはある"と感じた。
人には言えない苦しみを心の奥底に抱えながら、縁する人と共々に幸福の道を進もうと、登美さんは数多くの弘教を実らせた。睦子さんも、名護広布に駆けてきた。
91年(平成3年)2月6日、名護平和会館を初訪問した先生は、国頭圏(当時)の記念勤行会に出席。湖城さん母娘をはじめ、草創の友の名前を挙げ、広布への功労をたたえつつ、呼び掛けた。
「どうか皆さま方は、自然に恵まれたこの地を舞台に、使命の道を悠々と進み、永遠に崩れざる幸の楽土を築いていっていただきたい」
以来、27星霜。師の言葉のまま、睦子さんは地域に根を張り、平和と幸福の連帯を広げ続けている。
◆◇◆
琉球王国の時代から、沖縄はアジアを結ぶ文化交流の懸け橋であった。沖縄には世界に開かれた心が脈打っている。
池田先生は「沖縄を『世界広宣流布のモデルの宝土に』」と訴え、次代を担う友の心に励ましの種をまいてきた。
91年2月3日、沖縄未来部の代表との記念撮影会が行われた。先生は「みんなは21世紀の広布の後継者だよ」と語り、カメラに納まった。
久山賢一さん(支部長)は当時、高校3年生。撮影会での師の期待に、教師という「夢」が「誓い」へと変わった。
教員採用試験は不合格が続いた。それでも"教育は師匠に誓った道"と諦めず、高校の地理歴史科で合格を勝ち取った。
授業では、史観を養う大切さや、歴史を通して人間としての生き方を伝えるなど、工夫を重ねている。
そんな久山さんには、もう一つの忘れられない師との原点がある。
2005年(同17年)3月、沖縄青年部の企画・制作で、「人間革命」展が開催された。当時、沖縄青年部の平和委員会委員長を務めていた久山さんも、同展の準備に当たった。
展示に携わるメンバーで、『人間革命』を研さんした。その中で、執筆を開始した「12月2日」は、フランスの文豪・ユゴーが、独裁者のルイ・ナポレオンに対して、正義の言論闘争を宣言した日であることが分かった。沖縄青年部は、その歴史を資料にまとめて、池田先生に届けた。
すると、先生はその内容を「随筆 人間世紀の光」で取り上げ、「私は、本当に嬉しかった。若き諸君の努力に『栄光あれ』『勝利あれ』と、私も真剣に祈り、励ましを送った」と、たたえたのである。
青年に期待し、どこまでも信じる。真心には、それ以上の真心で応える。
その師の心を心として、久山さんは「平和の楽土」の建設へ、力強く進む。
◆◇◆
高安かおりさん(支部婦人部長)も、記念撮影会に参加した一人だ。
小学生の時から鼓笛隊で薫陶を受け、女子部時代には2人の友人を入会に導いた。95年(同7年)3月26日、沖縄研修道場で行われた第1回「沖縄記念総会」で、群星合唱団の一員として、師の前で歌声を披露したことは、黄金の思い出だ。
婦人部に進出後も、対話に駆けてきた。未入会だった夫・修さん(壮年部員)は3年前に信心を始めた。今年、教学部任用試験(仏法入門)にも合格した。
夫の親族も、高安さんの紹介で次々と入会。師の沖縄初訪問の日である今月16日には、同郷の友人に弘教を実らせた。
「一家和楽の道を歩むことができたのも、池田先生の励ましがあったからこそです。生涯、報恩の道を進みます」
——世界広布の歴史を繙くと、草創期の南米のペルー、ボリビア、チリのリーダーを務めたのは沖縄出身の友だった。アメリカやヨーロッパ、アフリカなど、世界各地へ、沖縄の友は雄飛していった。
「我らが開いてきた沖縄の楽土郷は、『人間革命の人材の都』であります」
池田先生は沖縄への万感の思いを、そうつづった。
沖縄の同志に、全人類の宿命転換の先駆けとなる使命を示し、手作りで世界広布を担い立つ人材をはぐくんできた先生。
その師への感謝と、"愛する島を世界で最初の広宣流布の地帯に"との師への誓願が、「平和の宝島」に光り輝いている。
2018年8月3日金曜日
2018.08.03 わが友に贈る
海・川・山での
事故が急増する夏。
天候の変化に注意し
体調管理も万全に。
油断は絶対に禁物だ!
御講聞書 P819
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者、無上宝聚不求自得の長者に非ずや』
【通解】
日蓮門下の、南無妙法蓮華経と唱える者は、「これ以上はないという『宝の聚まり』を、求めることなく、自ずから得た長者」なのである。
〈寸鉄〉 2018年8月3日
完結へ『新・人間革命』の連載進む。我らも綴らん。師弟共戦の黄金の自分史
「水のごとく信ぜさせ給へ」御書。今日も溌剌と。弛まぬ信心に人生の栄冠
私の最大の楽しみは若い人を育てる事—戸田先生宝の未来部に皆で励まし
誰も見ぬ所で力を出すのが真の武勇—文人。学会守る牙城会・王城会の姿
熱中症の対策の鍵は朝食と。酷暑の時こそリズム正しく。強き祈り根本に
☆歌声高く 第7回 地涌の讃歌
◇愛する天地に幸福の虹を
地涌の菩薩——それは、法華経の会座において、大地から涌出して、末法における広宣流布を誓った菩薩である。その意義を、池田先生はこう語る。
「『人間の底力』『民衆の底力』を、晴ればれと、巍々堂々と満天下に示していく」ために現れたのだ——と(『法華経の智慧』)。
中国方面の歌「地涌の讃歌」とは、いかなる苦難にも屈せずに、絶望を希望へと転じゆく崇高な「人間生命」「民衆の連帯」への讃歌にほかならない。
西日本豪雨の被害が大きかった広島と岡山をはじめ、山口、鳥取、島根の中国方面5県の友は今、誕生から40周年を迎えたこの歌を歌うたび、「この地愛さん」と歌詞につづった師の思いを噛み締める。
40年前の1978年(昭和53年)7月も、列島各地で平年より早く梅雨が明け、蒸し暑い日が続いていた。その中を、先生は、友の激励に駆けた。
関西指導を終えた先生は19日、岡山文化会館(現・岡山南文化会館)へ。到着するなり「中国の歌を作るよ!」と力強く。ロビーに座り、作詞が始まった。協議会や懇談会などの合間を縫って作詞は続けられ、19日夜、歌詞がほぼ固まった。
翌20日、先生は岡山をたち、特急列車に乗って、本部幹部会の開催地である鳥取・米子へ向かった。当時、第1次宗門事件の烈風の嵐が吹き荒れていた中国にあって、特に悪侶による激しい迫害のあった地が、鳥取だった。
歯を食いしばり耐えてきた、けなげな同志を何としても励ましたい——先生の熱情は、言の葉の奔流となってほとばしった。移動の車中で、方面歌の歌詞に筆を入れ始めたのである。
米子文化会館に到着した頃には、日は西に傾いていた。先生は同志と懇談しながら、方面歌の曲について思案を巡らせ、作曲者に調整を依頼した。
夜が更け、先生は会館の庭へ。天は満月。宙には無数の蛍が舞う。伯耆富士・大山のシルエットが月夜に浮かんでいた。先生は湧き出る詩興にまかせて、曲入りの歌のテープを聴きながら、さらに歌詞に手を加えた。「此の時の姿の絵巻は 終生忘ることはなし」と、後に述懐している。
22日、ヒマワリに彩られた本部幹部会(米子文化会館)の席上、方面歌が発表されると、友の歓喜は爆発した。天も地も、人の心も美しい詩情豊かな中国に、師弟共戦の歌が誕生した。
♪地涌の讃歌の 歌声も
勝利の空へ
こだません こだません
ああ虹かかる
生命晴れたり……
40年を経て、中国の地涌の友は、誓いも新たに歌声を響かせる。
苦難の風雨に打たれた天地にこそ、幸福の虹は必ずかかる。最も苦しんだ人が、最も幸せになれる——この確信の太陽を、わが生命に赫々と昇らせながら。
MEMO
「地涌の讃歌」の発表は鳥取での7月の本部幹部会。5月には広島で本幹が行われていた。2カ月の間に方面で2回、"最重要の行事"が開かれ、中国として「黄金不滅の歴史」を刻んだ。同歌の誕生の経緯は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章に描かれる。またSOKAチャンネルVODで同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、轟く歓喜の 中国に
広布の船出も にぎやかに
ああ紅に
友は燃え 友は燃え
進み跳ばなん 手と手結びて
二、この地愛さん 中国の
幸の花咲く 友どちと
笑顔も嬉しや
爛漫と 爛漫と
指揮とる顔 光燦たれ
三、陽出ずる中国 人の城
地涌の讃歌の 歌声も
勝利の空へ
こだません こだません
ああ虹かかる 生命晴れたり
四、いざや中国 万年の
甘露の雨に そそがれて
この道確かと
走りゆけ 走りゆけ
ここに広布の 歴史輝く
事故が急増する夏。
天候の変化に注意し
体調管理も万全に。
油断は絶対に禁物だ!
御講聞書 P819
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者、無上宝聚不求自得の長者に非ずや』
【通解】
日蓮門下の、南無妙法蓮華経と唱える者は、「これ以上はないという『宝の聚まり』を、求めることなく、自ずから得た長者」なのである。
〈寸鉄〉 2018年8月3日
完結へ『新・人間革命』の連載進む。我らも綴らん。師弟共戦の黄金の自分史
「水のごとく信ぜさせ給へ」御書。今日も溌剌と。弛まぬ信心に人生の栄冠
私の最大の楽しみは若い人を育てる事—戸田先生宝の未来部に皆で励まし
誰も見ぬ所で力を出すのが真の武勇—文人。学会守る牙城会・王城会の姿
熱中症の対策の鍵は朝食と。酷暑の時こそリズム正しく。強き祈り根本に
☆歌声高く 第7回 地涌の讃歌
◇愛する天地に幸福の虹を
地涌の菩薩——それは、法華経の会座において、大地から涌出して、末法における広宣流布を誓った菩薩である。その意義を、池田先生はこう語る。
「『人間の底力』『民衆の底力』を、晴ればれと、巍々堂々と満天下に示していく」ために現れたのだ——と(『法華経の智慧』)。
中国方面の歌「地涌の讃歌」とは、いかなる苦難にも屈せずに、絶望を希望へと転じゆく崇高な「人間生命」「民衆の連帯」への讃歌にほかならない。
西日本豪雨の被害が大きかった広島と岡山をはじめ、山口、鳥取、島根の中国方面5県の友は今、誕生から40周年を迎えたこの歌を歌うたび、「この地愛さん」と歌詞につづった師の思いを噛み締める。
40年前の1978年(昭和53年)7月も、列島各地で平年より早く梅雨が明け、蒸し暑い日が続いていた。その中を、先生は、友の激励に駆けた。
関西指導を終えた先生は19日、岡山文化会館(現・岡山南文化会館)へ。到着するなり「中国の歌を作るよ!」と力強く。ロビーに座り、作詞が始まった。協議会や懇談会などの合間を縫って作詞は続けられ、19日夜、歌詞がほぼ固まった。
翌20日、先生は岡山をたち、特急列車に乗って、本部幹部会の開催地である鳥取・米子へ向かった。当時、第1次宗門事件の烈風の嵐が吹き荒れていた中国にあって、特に悪侶による激しい迫害のあった地が、鳥取だった。
歯を食いしばり耐えてきた、けなげな同志を何としても励ましたい——先生の熱情は、言の葉の奔流となってほとばしった。移動の車中で、方面歌の歌詞に筆を入れ始めたのである。
米子文化会館に到着した頃には、日は西に傾いていた。先生は同志と懇談しながら、方面歌の曲について思案を巡らせ、作曲者に調整を依頼した。
夜が更け、先生は会館の庭へ。天は満月。宙には無数の蛍が舞う。伯耆富士・大山のシルエットが月夜に浮かんでいた。先生は湧き出る詩興にまかせて、曲入りの歌のテープを聴きながら、さらに歌詞に手を加えた。「此の時の姿の絵巻は 終生忘ることはなし」と、後に述懐している。
22日、ヒマワリに彩られた本部幹部会(米子文化会館)の席上、方面歌が発表されると、友の歓喜は爆発した。天も地も、人の心も美しい詩情豊かな中国に、師弟共戦の歌が誕生した。
♪地涌の讃歌の 歌声も
勝利の空へ
こだません こだません
ああ虹かかる
生命晴れたり……
40年を経て、中国の地涌の友は、誓いも新たに歌声を響かせる。
苦難の風雨に打たれた天地にこそ、幸福の虹は必ずかかる。最も苦しんだ人が、最も幸せになれる——この確信の太陽を、わが生命に赫々と昇らせながら。
MEMO
「地涌の讃歌」の発表は鳥取での7月の本部幹部会。5月には広島で本幹が行われていた。2カ月の間に方面で2回、"最重要の行事"が開かれ、中国として「黄金不滅の歴史」を刻んだ。同歌の誕生の経緯は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章に描かれる。またSOKAチャンネルVODで同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、轟く歓喜の 中国に
広布の船出も にぎやかに
ああ紅に
友は燃え 友は燃え
進み跳ばなん 手と手結びて
二、この地愛さん 中国の
幸の花咲く 友どちと
笑顔も嬉しや
爛漫と 爛漫と
指揮とる顔 光燦たれ
三、陽出ずる中国 人の城
地涌の讃歌の 歌声も
勝利の空へ
こだません こだません
ああ虹かかる 生命晴れたり
四、いざや中国 万年の
甘露の雨に そそがれて
この道確かと
走りゆけ 走りゆけ
ここに広布の 歴史輝く
2018年8月2日木曜日
2018.08.02 わが友に贈る
仏法を語る人は
皆が「如来の使」だ。
真剣と誠実の心は
必ず相手に伝わる。
その功徳は三世に輝く!
妙法比丘尼御返事 P1412
『法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし』
【通解】
法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる。
〈寸鉄〉 2018年8月2日
地域に尽くす学会員から会長の偉大さ実感—識者弟子の勝利こそ師の勝利
「東京の歌」発表40周年。さあ歌声高らかに!感激の同志と共に拡大を牽引
東西学園生が各種全国大会で健闘。創立者の心胸に。負けじ魂の青春譜を
形式ではない。御本尊に本気でぶつかれ—恩師。師子の題目に不可能なし
高校生模擬投票で公明が1位。教育費無償化等に説得力と。希望社会の柱
☆歌声高く 第6回 この道の歌
◇我らが決めた師弟の道
人の目には見えないが、大空を舞う鳥には鳥の飛ぶ「道」がある。大海を泳ぐ魚にも、魚の泳ぐ「道」がある——御書には、そう仰せである(1250ページ)。
かつて池田先生は中部の友に語った。「人にも人としての『道』がある」と。 愛知、三重、岐阜の3県からなる中部の天地に、池田先生が刻んだ足跡は100回超。その中でも40年前の1978年(昭和53年)、7・27「中部の日」に名古屋で行われた記念幹部会は、中部広布史に燦然と輝く集いとなった。席上、池田先生が作詞した方面歌が発表されたのである。その名も「この道の歌」——。
先生は、第1次宗門事件の嵐の中で悔し涙を流してきた同志を励まそうと、その年の7月、関西、中国、四国、そして中部へ。渾身の激励行の間隙を縫って、詞の推敲を重ねていた。
「この道」とは何かを、友は知っていた。幹部会からさかのぼること3カ月前、先生が中部の同志にこう呼び掛けていたからだ。「われわれは、ひとたび決めたこの道——すなわち『信心の道』『一生成仏の道』『広宣流布の道』『師弟の道』『同志の道』を、生涯、貫き通して、ともどもに勝利の人生を飾ってまいろうではありませんか!」(小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章)
我らの「この道」にこそ、人間として最も偉大な生き方がある。幸福がある。勝利がある——誇りに満ちた歌声が、中部記念幹部会の会場に響き渡った。何度も、何度も。
さらに翌28日、先生は、宗門問題で苦しんだ友を励ますため、岐阜・多治見市の東濃文化会館へ向かう。その途次、歌詞に筆を入れ、結びの「諸天舞う」を「諸天舞え」とした。諸天の加護をただ待つのではない。「舞わせる」のだ。「動かしていく」のだ。自身の強き祈りと行動で——との思いを込めて。
広布の道、師弟の道は、他を頼る受け身の姿勢であっては、貫き通すことはできない。ゆえに先生は「一人立つ」「一人歩む」強さを持てと訴えたのである。
信念の人が歩けば、道が生まれる。続いて歩く人が増えれば、道はさらに大きく広がっていく。中部広布の「この道」は今、世界広布へ続く大道と輝く。
"未来部の夏"の風物詩ともなった「E—1グランプリ」をはじめ、後継者育成の模範の取り組みを発信し続ける中部を、先生は、「未来の世界市民を育む希望のモデル」とたたえる。3月の世界青年部総会を通して、創価の道を歩み始めた青年も数知れない。
本年の開幕に当たり、先生は、中部の友に呼び掛けた。「我らが決めた栄光の『この道』に、地涌の青年を、ますますにぎやかに呼び寄せながら、いよいよ勇敢に、たゆみなく進もうではありませんか!」
いよいよ、方面歌発表40周年となる7・27「中部の日」を迎える。道は続く。友は歩む。不退の同志と、師と共に!
一、ああ我等我等の 決めた道
この道歩まん 朗らかに
不退の君と
悔いあらじ 悔いあらじ
ああ中部中部 和楽あれ
二、ああ走れ語れよ この道で
苦難の彼方に 瑠璃の城
これぞ本陣
護れ君 護れ君
ああ中部中部 歓喜あれ
三、ああ朝な夕なに この道を
口笛涼しく 友どちと
夜空にはずむ
語りべに 語りべに
ああ中部中部 諸天舞え
皆が「如来の使」だ。
真剣と誠実の心は
必ず相手に伝わる。
その功徳は三世に輝く!
妙法比丘尼御返事 P1412
『法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし』
【通解】
法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる。
〈寸鉄〉 2018年8月2日
地域に尽くす学会員から会長の偉大さ実感—識者弟子の勝利こそ師の勝利
「東京の歌」発表40周年。さあ歌声高らかに!感激の同志と共に拡大を牽引
東西学園生が各種全国大会で健闘。創立者の心胸に。負けじ魂の青春譜を
形式ではない。御本尊に本気でぶつかれ—恩師。師子の題目に不可能なし
高校生模擬投票で公明が1位。教育費無償化等に説得力と。希望社会の柱
☆歌声高く 第6回 この道の歌
◇我らが決めた師弟の道
人の目には見えないが、大空を舞う鳥には鳥の飛ぶ「道」がある。大海を泳ぐ魚にも、魚の泳ぐ「道」がある——御書には、そう仰せである(1250ページ)。
かつて池田先生は中部の友に語った。「人にも人としての『道』がある」と。 愛知、三重、岐阜の3県からなる中部の天地に、池田先生が刻んだ足跡は100回超。その中でも40年前の1978年(昭和53年)、7・27「中部の日」に名古屋で行われた記念幹部会は、中部広布史に燦然と輝く集いとなった。席上、池田先生が作詞した方面歌が発表されたのである。その名も「この道の歌」——。
先生は、第1次宗門事件の嵐の中で悔し涙を流してきた同志を励まそうと、その年の7月、関西、中国、四国、そして中部へ。渾身の激励行の間隙を縫って、詞の推敲を重ねていた。
「この道」とは何かを、友は知っていた。幹部会からさかのぼること3カ月前、先生が中部の同志にこう呼び掛けていたからだ。「われわれは、ひとたび決めたこの道——すなわち『信心の道』『一生成仏の道』『広宣流布の道』『師弟の道』『同志の道』を、生涯、貫き通して、ともどもに勝利の人生を飾ってまいろうではありませんか!」(小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章)
我らの「この道」にこそ、人間として最も偉大な生き方がある。幸福がある。勝利がある——誇りに満ちた歌声が、中部記念幹部会の会場に響き渡った。何度も、何度も。
さらに翌28日、先生は、宗門問題で苦しんだ友を励ますため、岐阜・多治見市の東濃文化会館へ向かう。その途次、歌詞に筆を入れ、結びの「諸天舞う」を「諸天舞え」とした。諸天の加護をただ待つのではない。「舞わせる」のだ。「動かしていく」のだ。自身の強き祈りと行動で——との思いを込めて。
広布の道、師弟の道は、他を頼る受け身の姿勢であっては、貫き通すことはできない。ゆえに先生は「一人立つ」「一人歩む」強さを持てと訴えたのである。
信念の人が歩けば、道が生まれる。続いて歩く人が増えれば、道はさらに大きく広がっていく。中部広布の「この道」は今、世界広布へ続く大道と輝く。
"未来部の夏"の風物詩ともなった「E—1グランプリ」をはじめ、後継者育成の模範の取り組みを発信し続ける中部を、先生は、「未来の世界市民を育む希望のモデル」とたたえる。3月の世界青年部総会を通して、創価の道を歩み始めた青年も数知れない。
本年の開幕に当たり、先生は、中部の友に呼び掛けた。「我らが決めた栄光の『この道』に、地涌の青年を、ますますにぎやかに呼び寄せながら、いよいよ勇敢に、たゆみなく進もうではありませんか!」
いよいよ、方面歌発表40周年となる7・27「中部の日」を迎える。道は続く。友は歩む。不退の同志と、師と共に!
一、ああ我等我等の 決めた道
この道歩まん 朗らかに
不退の君と
悔いあらじ 悔いあらじ
ああ中部中部 和楽あれ
二、ああ走れ語れよ この道で
苦難の彼方に 瑠璃の城
これぞ本陣
護れ君 護れ君
ああ中部中部 歓喜あれ
三、ああ朝な夕なに この道を
口笛涼しく 友どちと
夜空にはずむ
語りべに 語りべに
ああ中部中部 諸天舞え
2018年8月1日水曜日
2018.08.01 わが友に贈る
日々の目標を明確に
今日の課題に全力を!
着実な「一歩」が
険難の道を踏破する力。
自身の最高峰に挑め!
立正安国論 P17
『世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず』
【通解】
世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。 そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。
〈寸鉄〉 2018年8月1日
友情広げる8月。旧交を温め新しい絆を結ぼう。大きく動けば心も拡大!
幹部はまず自分が変わることだ—恩師。長が成長した分だけ組織も大発展
「師子王の子は師子王となる」御書。君よ王者の如く一人立て。波動広げよ
夏こそ朝に勝とう。爽快な勤行から出発。一日の勝利が幸の人生行路開く
食品衛生月間。猛暑の夏。手洗い・加熱等を徹底し食中毒を予防。油断なく
☆大白蓮華巻頭言 2018年8月号 凱歌大道の誉れの人生を!
打ち続く苦難に遭いながら、なぜ、かくも堂々とされているのか? 激闘の日々、戸田先生に尋ねたことがある。
先生は、「ぼくだって、夜も眠れぬほど、悩み、考えているよ」と笑いながら、こう答えてくださつた。「それは、牢獄のなかで、自分の使命を知ったからだね。生涯を捧げて悔いない道を見つけたということだ。
そうなければ人間は強いぞ。恐れも、不安もなくなる」と。
法難の獄中で齢45にして妙法流布の大使命を覚悟されてより、先生はまさしく「巍巍堂堂として尊高なり」(2113ページ)という地涌の菩薩の生命で戦い抜かれたのである。
命に及ぶ大病や災害、倒産など、逆境に挑む壮年に、先生は盟友を抱きかかえる如く渾身の励ましを贈った。いざ肚を決めれば、我ら丈夫は劇的を力を出せるのだと。
言うに言われぬ苦労は絶えないが、「煩悩即菩提」の題目があるゆえに、全ては黄金柱の円熟の輝きと変わる。
日蓮大聖人は、「法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず」(1448ページ)と仰せになられた。
さあ、何でも来い! 創価の壮年は、大海原のように悠然と、広宣流布、立正安国の誓願に生き抜くのだ。
四条金吾がそうだったように「負けじ魂」で仏子に尽くせば、「法華経の兵法」の真髄を発揮できる。誰が褒めなくとも、師匠に笑顔で報告できれば、それでいいのだ。
短気な金吾には、女性を大切に、大らかに包容するのが賢人とも指導されている。世界一の太陽の婦人部から信頼される時、世界一の壮年王者と光ることを忘れまい。
8月24日は「壮年部の日」。71年前の夏、恩師が19歳の私を導いてくださったように、壮年が後継の青年を励まし、育てゆく意義も込めさせて頂いている。
また1950年、最悪の苦境に、師が聖教新聞の構想を示された「創刊原点の日」でもある。一番の試練の時に一番の偉大な価値を創造するのが、壮年の本懐だ。
この魂で、凱歌大道の誉れの人生を進もうではないか!
人間の
王者の心の
君なれば
民に慕われ
師弟の凱歌を
今日の課題に全力を!
着実な「一歩」が
険難の道を踏破する力。
自身の最高峰に挑め!
立正安国論 P17
『世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず』
【通解】
世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。 そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。
〈寸鉄〉 2018年8月1日
友情広げる8月。旧交を温め新しい絆を結ぼう。大きく動けば心も拡大!
幹部はまず自分が変わることだ—恩師。長が成長した分だけ組織も大発展
「師子王の子は師子王となる」御書。君よ王者の如く一人立て。波動広げよ
夏こそ朝に勝とう。爽快な勤行から出発。一日の勝利が幸の人生行路開く
食品衛生月間。猛暑の夏。手洗い・加熱等を徹底し食中毒を予防。油断なく
☆大白蓮華巻頭言 2018年8月号 凱歌大道の誉れの人生を!
打ち続く苦難に遭いながら、なぜ、かくも堂々とされているのか? 激闘の日々、戸田先生に尋ねたことがある。
先生は、「ぼくだって、夜も眠れぬほど、悩み、考えているよ」と笑いながら、こう答えてくださつた。「それは、牢獄のなかで、自分の使命を知ったからだね。生涯を捧げて悔いない道を見つけたということだ。
そうなければ人間は強いぞ。恐れも、不安もなくなる」と。
法難の獄中で齢45にして妙法流布の大使命を覚悟されてより、先生はまさしく「巍巍堂堂として尊高なり」(2113ページ)という地涌の菩薩の生命で戦い抜かれたのである。
命に及ぶ大病や災害、倒産など、逆境に挑む壮年に、先生は盟友を抱きかかえる如く渾身の励ましを贈った。いざ肚を決めれば、我ら丈夫は劇的を力を出せるのだと。
言うに言われぬ苦労は絶えないが、「煩悩即菩提」の題目があるゆえに、全ては黄金柱の円熟の輝きと変わる。
日蓮大聖人は、「法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず」(1448ページ)と仰せになられた。
さあ、何でも来い! 創価の壮年は、大海原のように悠然と、広宣流布、立正安国の誓願に生き抜くのだ。
四条金吾がそうだったように「負けじ魂」で仏子に尽くせば、「法華経の兵法」の真髄を発揮できる。誰が褒めなくとも、師匠に笑顔で報告できれば、それでいいのだ。
短気な金吾には、女性を大切に、大らかに包容するのが賢人とも指導されている。世界一の太陽の婦人部から信頼される時、世界一の壮年王者と光ることを忘れまい。
8月24日は「壮年部の日」。71年前の夏、恩師が19歳の私を導いてくださったように、壮年が後継の青年を励まし、育てゆく意義も込めさせて頂いている。
また1950年、最悪の苦境に、師が聖教新聞の構想を示された「創刊原点の日」でもある。一番の試練の時に一番の偉大な価値を創造するのが、壮年の本懐だ。
この魂で、凱歌大道の誉れの人生を進もうではないか!
人間の
王者の心の
君なれば
民に慕われ
師弟の凱歌を
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