「心の師とは・なるとも
心を師とせざれ」
我らは揺れ動く心を律し
幸福へとリードできる。
これが信心の醍醐味だ!
松野殿女房御返事 P1395
『法華経は初は信ずる様なれども後遂る事かたし、譬へば水の風にうごき花の色の露に移るが如し、何として今までは持たせ給うぞ是偏へに前生の功力の上釈迦仏の護り給うか、たのもししたのもしし』
【通解】
法華経は初めは信じるようであっても、最後まで信心を貫きとおすことはむずかしい。たとえば、水が風によって動き、花の色が露によって移ろうようなものである。それにもかかわらず、あなたは、どうして今日まで信心を持ち続けてこられたのであろうか。これはひとえに、前世において積まれた功徳の上に、釈迦仏があなたを守られているからであろうか。頼もしいことである。頼もしいことである。
〈寸鉄〉 2018年7月31日
自らの地域を盤石に築いた者が勝利者—戸田先生広布の舞台は足下にあり
未来部躍進月間たけなわ伸びゆく友に励ましを!真心の一言が勇気の源に
就職活動に挑む友よ頑張れ!強き祈りと努力が道開く。諦めない人に栄冠
火星が大接近。肉眼でも見られると。天のドラマを仰ぎロマンの語らいを
核禁条約採択は被爆者の声が力になった—ICAN。廃絶へ民衆の声更に
☆8月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 四条金吾殿御返事(此経難持御書)
◇不退の信心を貫け! 難こそ成長の好機
8月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四条金吾殿御返事(此経難持御書)」を研さん。いかなる大難にも屈しない「不退の信心」「持続の信心」の重要性を学ぶ。
◇御文
『此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(御書1136ページ)
◇通解
この経(法華経)を聞き受ける人は多い。しかし、実際に聞き受けた通りに大難が来た時に、この法華経を常に心に留めて忘れない人はまれである。「受ける」ことは易しく、「持つ」ことは難しい。故に、成仏は、持ち続けることにある。
◇背景と大意
本抄は、文永12年(1275年)3月、日蓮大聖人が身延で著され、鎌倉の四条金吾に送られたお手紙である。別名を「此経難持御書」という。
この前年の文永11年、大聖人は佐渡流罪から鎌倉へ帰還され、5月には身延へ入られた。四条金吾は同年9月、決意に燃えて主君の江間氏を折伏する。しかし、極楽寺良観の信奉者であった江間氏から次第にうとまれるようになり、同僚からも卑劣な迫害が加えられたのである。
"現世安穏の法華経の信心を実践してきたのに、なぜ大難が起こるのか"との金吾の疑問に答える形で記されたのが本抄である。
大聖人は本抄で、法華経を受けることは易しいが、持つことは難しく、必ず難が起こると仰せである。その上で、成仏は、難を覚悟して持ち続けるところにあり、法華経の「此経難持(此の経は持ち難し)」の四字を決して忘れてはならないと教えられている。
◇解説
本抄の別名にもなっている「此経難持」とは、法華経見宝塔品第11に出てくる言葉で、仏の滅後末法に法華経を受持することがいかに困難かを示したものである。
宝塔品で釈尊は、滅後に法華経の受持を誓う菩薩たちに、「六難九易」の譬えで、その困難さを説き示している。法華経を一人のためにも説き、法華経を持つなどのことは難事である、と。続けて、滅後に法華経を持ち続けることは難事だからこそ、「もし暫くでも持つ者に対しては、私(釈尊)は歓喜する。また諸仏も歓喜し、讃歎する。……その人こそ、最高の仏道を成就するのである」(法華経393ページ、趣旨)と、ほめ称えるのである。
この経文を通して、大聖人は四条金吾を励まされたのである。
拝読御文で大聖人は、法華経を聞き受ける人は多いものの、実際に難が起きた時に、経文の教えを忘れずに法華経を持ち続ける「憶持不忘」の人はまれであると仰せである。
人間の真価はいざというときに分かる。信仰者にとっては難に直面した時にこそ、自身の信心が試される。
ゆえに大聖人は、妙法を「受くる」ことは易しく、「持つ」ことが難しいと仰せである。そして、成仏は「持つ」ことにあるからこそ、必ず「難に値(遭)う」と覚悟して信心を持続していきなさい、と示されているのだ。
では、なぜ難が競い起こるのか——。成仏の境涯を目指すことは、自身の生命を根底から変革することである。船が進む時に波の抵抗を受けるように、そうさせまいとする働きが自身の生命自体や周囲の環境から起こるのは当然である。
まして、「全ての人に尊極の仏性がある」という教えを弘める未聞の宗教革命が広宣流布である。それは仏と魔との間断なき闘争であり、難が起こるのは必定である。
その上で、障魔との戦いによって自身の心が鍛えられ、何事にも揺らぐことのない成仏の境涯を開いていくことができるのだ。
御文に戻れば、一時的、形式的に「受くる」信心というのは、いまだ受け身であり、自分の生き方として定まっていないといえる。
「持つ」とは、漫然と信仰を続けることではない。苦難に直面しても、ぶれることなく信心を貫く主体的実践である。日々、広宣流布と自身の人間革命を目指して「信行学」の実践に徹することが「持つ」ことであり、その「不退の信心」の人こそ必ず勝利者となる。
実際、四条金吾は師の励ましを胸に迫害を乗り越えて、江間氏からの信頼を回復。3倍の領地を賜るという見事な勝利の実証を示した。
池田先生は語っている。「難を乗り越えてこそ成仏がある。すなわち、難はチャンスなのである。喜び勇んで立ち向かう時、信心によって打ち勝てない難などない。越えられない山などない。要は"必ず勝つ"一念である。勝つための"行動の持続"である」
本年、1期生が誕生した男子部大学校の実践項目の一つは「持続の祈り」。今夏の大学校生大会に向けて、弘教・拡大の輪も広がっている。
使命深き大学校生と共に「持続の祈り」と「勝つための"行動の持続"」に挑戦し、不退の信心の土台を築く"鍛えの夏"としていきたい。
◎一足早い夏休みで伊豆に行って来ました。暑かったけど、老後に住むには良いかも(^^♪
2018年7月31日火曜日
2018年7月30日月曜日
2018.07.30 わが友に贈る
◇今週のことば
「仏種は縁に依って起る」
一つ一つ縁を大切にして
友情を深める夏に!
人材を伸ばす夏に!
共に境涯を広げる夏に!
2018年7月30日
顕仏未来記 P507
『汝日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり、我が言は大慢に似たれども仏記を扶け如来の実語を顕さんが為なり』
【通解】
あなたがこの日蓮を軽蔑する重罪は提婆達多の犯した逆罪に過ぎ、無垢論師の罪にも超えている。わが言葉は、大慢に似ているように聞こえるかもしれないが、それは、仏の未来記をたすけ、如来の実語を顕わすためである。
〈寸鉄〉 2018年7月30日
信心すれば生活の全てが改善できる—牧口先生。確信の祈りで今日も出発
誠実がやはり一番—文豪爽やかな挨拶!心込めた振る舞い!信頼築く王道
行き詰まった時こそ御書を開け—戸田先生。勇気の泉そこに。求道の夏を
特殊詐欺には「在宅でも留守電」が有効。録音恐れ電話切ると。冷静に撃退
子どもの交流サイト被害防ぐ鍵は親子の規則決めと。家庭で語らう好機に
☆御書と歩む� 第28回 若き生命に善友の触発を
『麻の中のよもぎ・つつの中のくちなは・よき人にむつぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひも・言も・なをしくなるなり』(衆生身心御書、1591ページ)
◇通解
麻の中に生えた蓬、筒の中に入った蛇が真っすぐになるように、善人と親しく交わる者は、それだけで心も行いも言葉も真っすぐになる。
◇同志への指針
若き生命を成長と向上へリードしてくれる、未来本部、21世紀使命会、教育本部はじめ、尊き皆さま方の尽力に、心から感謝したい。
未来部への励ましは次代を照らす光となる。若き魂に蒔いた希望の種が未来の大樹となる。地涌の命を呼び覚ますのは、地涌の触発しかない。
後継の若人の善き友となって一緒に前進し、正義と平和の連帯を広げゆこう!
「仏種は縁に依って起る」
一つ一つ縁を大切にして
友情を深める夏に!
人材を伸ばす夏に!
共に境涯を広げる夏に!
2018年7月30日
顕仏未来記 P507
『汝日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり、我が言は大慢に似たれども仏記を扶け如来の実語を顕さんが為なり』
【通解】
あなたがこの日蓮を軽蔑する重罪は提婆達多の犯した逆罪に過ぎ、無垢論師の罪にも超えている。わが言葉は、大慢に似ているように聞こえるかもしれないが、それは、仏の未来記をたすけ、如来の実語を顕わすためである。
〈寸鉄〉 2018年7月30日
信心すれば生活の全てが改善できる—牧口先生。確信の祈りで今日も出発
誠実がやはり一番—文豪爽やかな挨拶!心込めた振る舞い!信頼築く王道
行き詰まった時こそ御書を開け—戸田先生。勇気の泉そこに。求道の夏を
特殊詐欺には「在宅でも留守電」が有効。録音恐れ電話切ると。冷静に撃退
子どもの交流サイト被害防ぐ鍵は親子の規則決めと。家庭で語らう好機に
☆御書と歩む� 第28回 若き生命に善友の触発を
『麻の中のよもぎ・つつの中のくちなは・よき人にむつぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひも・言も・なをしくなるなり』(衆生身心御書、1591ページ)
◇通解
麻の中に生えた蓬、筒の中に入った蛇が真っすぐになるように、善人と親しく交わる者は、それだけで心も行いも言葉も真っすぐになる。
◇同志への指針
若き生命を成長と向上へリードしてくれる、未来本部、21世紀使命会、教育本部はじめ、尊き皆さま方の尽力に、心から感謝したい。
未来部への励ましは次代を照らす光となる。若き魂に蒔いた希望の種が未来の大樹となる。地涌の命を呼び覚ますのは、地涌の触発しかない。
後継の若人の善き友となって一緒に前進し、正義と平和の連帯を広げゆこう!
2018年7月29日日曜日
2018.07.29 わが友に贈る
「毒を変じて薬と為す」
いかなる悩みや困難も
必ず意味がある!
たくましき楽観主義こそ
仏法者の証しなり!
上野殿御消息 P1526
『三世の諸仏の世に出でさせ給いても皆皆四恩を報ぜよと説き三皇五帝孔子老子顔回等の古の賢人は四徳を修せよとなり』
【通解】
三世の諸仏が世に御出現になっても、皆々「四恩を報じなさい」と説き、三皇、五帝、孔子、老子、顔回等の昔の賢人は「四徳を修めなさい」と教えている。
〈寸鉄〉 2018年7月29日
真の祈りとは誓願なり。必ずこうしてみせるとの一念から変革の劇始まる
「当起遠迎、当如敬仏」が法華経の真髄。学会員を最大に称える人に功徳
人格者とは嫉妬と虚栄心を追い出した人—哲人。正義と信念に生き抜け!
子が話し掛けても「時間ない」という親、日本が最多—国際調査。対話の夏
公立小中学校に冷房の設置を。後悔先に立たず。命を守る施策を最優先に
☆世界広布新時代第1回鼓笛隊総会から 池田先生ご夫妻のメッセージ 2018年7月23日
みんな、猛暑の中、本当にご苦労さまです。私と妻の心は、きょうも江戸川の素晴らしい講堂へ飛んでいます。大好きな鼓笛姉妹と一緒です。ここに集われた縁も深き宝友の皆さんと共に、平和の天使の一人一人に大拍手を送っています。
鼓笛隊の清々しい躍動のお陰で、創価文化の大行進は笑顔の花盛りです。日本中、世界中の父母たちも、皆さんを大喝采してやみません。
いつも、ありがとう! 本当にありがとう!
きょうは、皆さんと共に拝したい御聖訓があります。
「大悪が起これば必ず大善がきます」「大正法は必ず広まるでしょう。わが門下たちよ、何を嘆くことがあるでしょうか。迦葉尊者でなくとも舞を舞いなさい。舎利弗でなくても立って踊りなさい。地涌の菩薩のリーダーである上行菩薩は広宣流布のために大地から踊りながら出現されたではありませんか」(御書1300ページ、趣意)と。
信心は、何があっても嘆かず、絶対に負けない「希望の舞」です。
信心は、一人一人に明るい笑顔を広げ、結び合う「歓喜の曲」です。
信心は、今いる所から幸と平和を創りゆく「勝利の大行進」です。
この妙法の真髄の力を若くして生き生きと発揮している地涌の天女こそ、鼓笛隊の皆さんなのです。ゆえに、尊き鼓笛の青春に、断じて行き詰まりはない。わびしい悲観や不幸なども絶対にありません。
これからも、世界一の良き先輩、良き友と励まし合いながら、明るく賢く伸びやかな心で、自他共の人間革命の舞を勝ち広げていってください。
そして、きょうも、勇気のメジャーバトンを高らかに掲げ、一家に地域に、社会に世界に、和楽と幸福と勝利のハーモニーを奏で響かせていっていただきたいのであります。
気高き「陰徳」光る鼓笛姉妹と華陽姉妹に、無限の「陽報」あれ! 「創価の女性の世紀」「生命尊厳の平和の世紀」を、鼓笛のスクラムが仲良く朗らかに照らしゆけ!(大拍手)
いかなる悩みや困難も
必ず意味がある!
たくましき楽観主義こそ
仏法者の証しなり!
上野殿御消息 P1526
『三世の諸仏の世に出でさせ給いても皆皆四恩を報ぜよと説き三皇五帝孔子老子顔回等の古の賢人は四徳を修せよとなり』
【通解】
三世の諸仏が世に御出現になっても、皆々「四恩を報じなさい」と説き、三皇、五帝、孔子、老子、顔回等の昔の賢人は「四徳を修めなさい」と教えている。
〈寸鉄〉 2018年7月29日
真の祈りとは誓願なり。必ずこうしてみせるとの一念から変革の劇始まる
「当起遠迎、当如敬仏」が法華経の真髄。学会員を最大に称える人に功徳
人格者とは嫉妬と虚栄心を追い出した人—哲人。正義と信念に生き抜け!
子が話し掛けても「時間ない」という親、日本が最多—国際調査。対話の夏
公立小中学校に冷房の設置を。後悔先に立たず。命を守る施策を最優先に
☆世界広布新時代第1回鼓笛隊総会から 池田先生ご夫妻のメッセージ 2018年7月23日
みんな、猛暑の中、本当にご苦労さまです。私と妻の心は、きょうも江戸川の素晴らしい講堂へ飛んでいます。大好きな鼓笛姉妹と一緒です。ここに集われた縁も深き宝友の皆さんと共に、平和の天使の一人一人に大拍手を送っています。
鼓笛隊の清々しい躍動のお陰で、創価文化の大行進は笑顔の花盛りです。日本中、世界中の父母たちも、皆さんを大喝采してやみません。
いつも、ありがとう! 本当にありがとう!
きょうは、皆さんと共に拝したい御聖訓があります。
「大悪が起これば必ず大善がきます」「大正法は必ず広まるでしょう。わが門下たちよ、何を嘆くことがあるでしょうか。迦葉尊者でなくとも舞を舞いなさい。舎利弗でなくても立って踊りなさい。地涌の菩薩のリーダーである上行菩薩は広宣流布のために大地から踊りながら出現されたではありませんか」(御書1300ページ、趣意)と。
信心は、何があっても嘆かず、絶対に負けない「希望の舞」です。
信心は、一人一人に明るい笑顔を広げ、結び合う「歓喜の曲」です。
信心は、今いる所から幸と平和を創りゆく「勝利の大行進」です。
この妙法の真髄の力を若くして生き生きと発揮している地涌の天女こそ、鼓笛隊の皆さんなのです。ゆえに、尊き鼓笛の青春に、断じて行き詰まりはない。わびしい悲観や不幸なども絶対にありません。
これからも、世界一の良き先輩、良き友と励まし合いながら、明るく賢く伸びやかな心で、自他共の人間革命の舞を勝ち広げていってください。
そして、きょうも、勇気のメジャーバトンを高らかに掲げ、一家に地域に、社会に世界に、和楽と幸福と勝利のハーモニーを奏で響かせていっていただきたいのであります。
気高き「陰徳」光る鼓笛姉妹と華陽姉妹に、無限の「陽報」あれ! 「創価の女性の世紀」「生命尊厳の平和の世紀」を、鼓笛のスクラムが仲良く朗らかに照らしゆけ!(大拍手)
2018年7月28日土曜日
2018.07.28 わが友に贈る
良書に触れた分だけ
豊かな心が育まれる。
少しでも読書に挑もう。
学び続ける人は
絶対に行き詰らない!
四条金吾殿御返事 P1149
『日蓮をたすけんと志す人人少少ありといへども或は心ざしうすし或は心ざしはあつけれども身がうごせずやうやうにをはするに御辺は其の一分なり心ざし人にすぐれてをはする上わづかの身命をささうるも又御故なり、天もさだめてしろしめし地もしらせ給いぬらん』
【通解】
日蓮を助けようと志す人々が少々いるとはいっても、あるいは志が薄い。あるいは志が厚くても、行動がそれに伴わない。さまざまな人がおられるなかに、あなた(四条金吾)は、日蓮を本当に助けようとする一人である。
志が人よりすぐれておられるうえ、日蓮がわずかの身命を支えることができているのも、また、あなたのおかげである。このことは、天も必ず知っておられるし、地もご存じあろう。
〈寸鉄〉 2018年7月28日
会長の哲学と行動を継ぐ青年が平和築くと確信—博士。時代の闇を破る光
御書「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」。行動の勇者に栄冠
未来部の各種コンクールを応援。関わった分だけ鳳雛は成長。飛躍の夏に
明日為すべきことは今日これを為せ—学者。さあ挑戦!深き祈りから出発
週末は台風・大雨情報に注意。備えと声掛けは早めに。油断排し無事故を
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ� 2018年7月21日
◇知恵を磨き全てを喜びに
池田先生がカナダ第2の都市モントリオールを訪れたのは、1993年9月27日。約20日間に及ぶ北米訪問の折だった。
24日に米ハーバード大学で講演した池田先生は、27日午後、同大ケネディスクール(政治大学院)から学術貢献をたたえる特別表彰を受賞。表彰式で謝辞を述べ、その日の夕刻、モントリオールに到着したのである。
翌28日、開館1周年となるモントリオール文化会館で、カナダSGIのモントリオール総会が開催された。
会館の前では、音楽隊・鼓笛隊が歓迎演奏をにぎやかに。ピエロ・ポンゾさん(副支部長)は、音楽隊の一員として先生を迎えた。
「当時は高校生で、大学進学を目指していました。ですが成績が伸びず、進路に悩んでいたのです。総会前の空は、灰色で雨模様。まるで自分の心を映しているようでした」
ブラジル出身の母は女手一つでポンゾさんと弟を育てた。英語が不得手だったが、祈りと努力を重ね、政府関係の職を得た。そんな母の姿に信心の力を感じてはいたが、不安は拭えない。家族や親戚の中で大学に進学できた人はいなかった。
「先生の車が到着した頃、雲間から光が差し出しました。その後、総会に出席。先生の"どんな困難にも絶対に負けない。その姿自体が勝利である"とのスピーチに、不安は吹き飛びました」
総会後、澄んだ秋空には虹が弧を描いていた。この日、池田先生は詠んでいる。
天空に
おとぎの国の
絵の如く
大なる虹の
勲章光りぬ
ポンゾさんは名門トロント大学に進学を果たし、卒業後は政府機関に就職した。
社会で信頼を広げていたポンゾさんを試練が襲ったのは2008年。原因不明の血液病を発症したのである。
放射線照射などは行うが、確たる治療法はない。医師の宣告に一度は絶望したが、信心で受け止めようと御本尊に向かった。
93年に池田先生を迎えた際、隣で演奏した友が、いつもそばにいてくれた。"病に人生を左右されてなるものか"と、闘病の決意を固めたポンゾさん。毎回の検査結果に一喜一憂せず、自分にできる挑戦を続けた。
2016年、ポンゾさんは医師から詳細な再検査を勧められた。
異常が確認できず、さらなる再検査の末、医師はポンゾさんに完治を告げたのである。
「いつか乗り越えられると確信していましたが、感謝がこみ上げました」と語るポンゾさん。「感謝を行動で示したい」と、カナダ広布の使命に生きる。
◇須弥山の如く
モントリオール総会で、池田先生は地名の由来に言及した。
1535年、フランスの探検家ジャック・カルティエが、この地を「王の山(モン・ロワイヤル)」と呼んだことを通し、"山の王である須弥山のように、何があっても揺るがない、幸福の王者・女王であってください"と語ったのである。
スピーチに先立ち、混声合唱団が歌声を披露。先生は誰よりも力強く拍手を送り、「素晴らしい合唱ありがとう! 感動しました」と感謝を述べた。
合唱の歌唱指導を務めたのは、音楽家、教育者として活動するダニエル・アーソノーさん(圏婦人部長)。
平和のために何かできないかと考えていた1981年、SGIが人類の幸福と平和を目指していることを知り、入会。「自分自身の人間革命が平和に欠かせないと聞いて驚きました。素直にその通りだと納得しました」
93年の師匠との出会いが、アーソノーさんの"信心の転機"に。「"幸福の女王に"との先生の期待を聞き、心から幸せと言える自分になりたい、信心の力を示したいと思ったんです。合唱を最大に喜んでくださる先生を見て、それができると感じました」
手掛ける歌詞等も、より明るく、深いものに。その後もSGIの文化行事で責任者を務め、平和の心を広げてきた。自他共の幸福を築く実感を胸に、多文化共生にも力を注ぐ。
◇幸福の人生を
総会の翌日(9月29日)、海外初開催となる「現代世界の人権」展が、モントリオール大学で開幕した。
同大学のルネ・シマー学長夫妻や国連の初代人権部長として世界人権宣言の制定に尽力したジョン・ハンフリー博士らに、先生は一つ一つのパネルを解説し、SGIの平和と人道の精神を語った。
モントリオールで英文学を教えるエバドニー・アンダーソンさん(カナダSGI副婦人部長)は、ハンフリー博士と交流があり、その人柄にも信頼を寄せていた。
以前、博士にホットケーキを振る舞ったことがある。博士は「世界一、おいしいね」と喜んでくれた。尊敬する博士と先生の親交に胸が熱くなった。
アンダーソンさんはカリブ海に浮かぶトリニダード・トバゴの出身。夫と別れた直後に信心を始めた。
「カリブには明るい音楽がたくさんありますが、初めて唱題を聞いた時、踊りたくてたまらなくなったことを覚えています(笑い)」
モントリオール総会では、婦人部本部長として準備に奔走した。
総会にはトロントやオタワなど、東部全体から友が集うことになっていた。だが日を追うごとに参加予定者が増え、会場は満席に。
やむなく中継会場を別の階に設けたが、アンダーソンさんは、中継会場の友が先生と直接会えないことに申し訳なさを感じていた。
しかし、会館に入った池田先生は、真っ先に中継会場へ。「皆さん、どうか幸福に! 共に素晴らしき人生を生きましょう!」と呼び掛けたのである。
陰の友を忘れない師の心を胸に、アンダーソンさんは師弟の道を語り伝えている。
◇境涯を開け
モントリオール総会の参加者が一様に語るのが、池田先生のユーモアを込めた信心指導の数々である。
"家族からの文句も高い境涯に立てばベートーベンの名曲に聞こえる(笑い)。全てを良い方向に捉える知恵を磨く。悩みを幸福に変え、喜びに変える。それが信心である"
"カナダはカナダらしく、余裕を持って進んでいただきたい。人間に飽きたら、たくさんいるリスを友達にするとか(爆笑)、何でも楽しみながら生きていただきたい"
ジェフ・ディープローズさん(圏長)は振り返る。「カナダでは相手が異文化でないことの方が珍しく、互いの文化を尊重します。先生のスピーチはそうした地域性にも配慮されていました。指導が心に残るように、ユーモアを交えてくださったのだと思います」
総会の翌朝、同志と街中を散策していた先生のそばで、リスが木を駆け上っていった。
「おとぎ話のように美しい風景だね」
隣にいたディープローズさんが、「昨日、先生が総会で話された通りですね」と答えると、先生はにっこりとほほ笑み、リスや木々にカメラを向けた。
滞在中、カナダに住む創価教育の同窓生が先生に詩を持参したことがあった。その場で詩を添削し、友を励ます先生の姿にディープローズさんは驚いた。
「先生は詩を受け取るだけで終わらせず、一緒になって内容を考えられたのです」
「会う人会う人に、温かく言葉を掛けておられました。そのやり取りに目を奪われていると、いつの間にか次の方の所に向かって歩き出されている。まるで"励ましの劇"を見るようでした」
当時、駆け出しの教員として、多忙な日々を送っていたディープローズさん。時を惜しまず、一人を大切にする姿勢を心に刻んだ。
現在は、私立高校の英文学科長として奮闘の日々を送る。
——本年は池田先生のモントリオール初訪問から25周年。同地の青年部はカナダをリードする弘教を実らせ、社会に希望の風を運ぶ。
自他共の幸福に尽くす喜びが、若き世代に受け継がれている。
豊かな心が育まれる。
少しでも読書に挑もう。
学び続ける人は
絶対に行き詰らない!
四条金吾殿御返事 P1149
『日蓮をたすけんと志す人人少少ありといへども或は心ざしうすし或は心ざしはあつけれども身がうごせずやうやうにをはするに御辺は其の一分なり心ざし人にすぐれてをはする上わづかの身命をささうるも又御故なり、天もさだめてしろしめし地もしらせ給いぬらん』
【通解】
日蓮を助けようと志す人々が少々いるとはいっても、あるいは志が薄い。あるいは志が厚くても、行動がそれに伴わない。さまざまな人がおられるなかに、あなた(四条金吾)は、日蓮を本当に助けようとする一人である。
志が人よりすぐれておられるうえ、日蓮がわずかの身命を支えることができているのも、また、あなたのおかげである。このことは、天も必ず知っておられるし、地もご存じあろう。
〈寸鉄〉 2018年7月28日
会長の哲学と行動を継ぐ青年が平和築くと確信—博士。時代の闇を破る光
御書「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」。行動の勇者に栄冠
未来部の各種コンクールを応援。関わった分だけ鳳雛は成長。飛躍の夏に
明日為すべきことは今日これを為せ—学者。さあ挑戦!深き祈りから出発
週末は台風・大雨情報に注意。備えと声掛けは早めに。油断排し無事故を
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ� 2018年7月21日
◇知恵を磨き全てを喜びに
池田先生がカナダ第2の都市モントリオールを訪れたのは、1993年9月27日。約20日間に及ぶ北米訪問の折だった。
24日に米ハーバード大学で講演した池田先生は、27日午後、同大ケネディスクール(政治大学院)から学術貢献をたたえる特別表彰を受賞。表彰式で謝辞を述べ、その日の夕刻、モントリオールに到着したのである。
翌28日、開館1周年となるモントリオール文化会館で、カナダSGIのモントリオール総会が開催された。
会館の前では、音楽隊・鼓笛隊が歓迎演奏をにぎやかに。ピエロ・ポンゾさん(副支部長)は、音楽隊の一員として先生を迎えた。
「当時は高校生で、大学進学を目指していました。ですが成績が伸びず、進路に悩んでいたのです。総会前の空は、灰色で雨模様。まるで自分の心を映しているようでした」
ブラジル出身の母は女手一つでポンゾさんと弟を育てた。英語が不得手だったが、祈りと努力を重ね、政府関係の職を得た。そんな母の姿に信心の力を感じてはいたが、不安は拭えない。家族や親戚の中で大学に進学できた人はいなかった。
「先生の車が到着した頃、雲間から光が差し出しました。その後、総会に出席。先生の"どんな困難にも絶対に負けない。その姿自体が勝利である"とのスピーチに、不安は吹き飛びました」
総会後、澄んだ秋空には虹が弧を描いていた。この日、池田先生は詠んでいる。
天空に
おとぎの国の
絵の如く
大なる虹の
勲章光りぬ
ポンゾさんは名門トロント大学に進学を果たし、卒業後は政府機関に就職した。
社会で信頼を広げていたポンゾさんを試練が襲ったのは2008年。原因不明の血液病を発症したのである。
放射線照射などは行うが、確たる治療法はない。医師の宣告に一度は絶望したが、信心で受け止めようと御本尊に向かった。
93年に池田先生を迎えた際、隣で演奏した友が、いつもそばにいてくれた。"病に人生を左右されてなるものか"と、闘病の決意を固めたポンゾさん。毎回の検査結果に一喜一憂せず、自分にできる挑戦を続けた。
2016年、ポンゾさんは医師から詳細な再検査を勧められた。
異常が確認できず、さらなる再検査の末、医師はポンゾさんに完治を告げたのである。
「いつか乗り越えられると確信していましたが、感謝がこみ上げました」と語るポンゾさん。「感謝を行動で示したい」と、カナダ広布の使命に生きる。
◇須弥山の如く
モントリオール総会で、池田先生は地名の由来に言及した。
1535年、フランスの探検家ジャック・カルティエが、この地を「王の山(モン・ロワイヤル)」と呼んだことを通し、"山の王である須弥山のように、何があっても揺るがない、幸福の王者・女王であってください"と語ったのである。
スピーチに先立ち、混声合唱団が歌声を披露。先生は誰よりも力強く拍手を送り、「素晴らしい合唱ありがとう! 感動しました」と感謝を述べた。
合唱の歌唱指導を務めたのは、音楽家、教育者として活動するダニエル・アーソノーさん(圏婦人部長)。
平和のために何かできないかと考えていた1981年、SGIが人類の幸福と平和を目指していることを知り、入会。「自分自身の人間革命が平和に欠かせないと聞いて驚きました。素直にその通りだと納得しました」
93年の師匠との出会いが、アーソノーさんの"信心の転機"に。「"幸福の女王に"との先生の期待を聞き、心から幸せと言える自分になりたい、信心の力を示したいと思ったんです。合唱を最大に喜んでくださる先生を見て、それができると感じました」
手掛ける歌詞等も、より明るく、深いものに。その後もSGIの文化行事で責任者を務め、平和の心を広げてきた。自他共の幸福を築く実感を胸に、多文化共生にも力を注ぐ。
◇幸福の人生を
総会の翌日(9月29日)、海外初開催となる「現代世界の人権」展が、モントリオール大学で開幕した。
同大学のルネ・シマー学長夫妻や国連の初代人権部長として世界人権宣言の制定に尽力したジョン・ハンフリー博士らに、先生は一つ一つのパネルを解説し、SGIの平和と人道の精神を語った。
モントリオールで英文学を教えるエバドニー・アンダーソンさん(カナダSGI副婦人部長)は、ハンフリー博士と交流があり、その人柄にも信頼を寄せていた。
以前、博士にホットケーキを振る舞ったことがある。博士は「世界一、おいしいね」と喜んでくれた。尊敬する博士と先生の親交に胸が熱くなった。
アンダーソンさんはカリブ海に浮かぶトリニダード・トバゴの出身。夫と別れた直後に信心を始めた。
「カリブには明るい音楽がたくさんありますが、初めて唱題を聞いた時、踊りたくてたまらなくなったことを覚えています(笑い)」
モントリオール総会では、婦人部本部長として準備に奔走した。
総会にはトロントやオタワなど、東部全体から友が集うことになっていた。だが日を追うごとに参加予定者が増え、会場は満席に。
やむなく中継会場を別の階に設けたが、アンダーソンさんは、中継会場の友が先生と直接会えないことに申し訳なさを感じていた。
しかし、会館に入った池田先生は、真っ先に中継会場へ。「皆さん、どうか幸福に! 共に素晴らしき人生を生きましょう!」と呼び掛けたのである。
陰の友を忘れない師の心を胸に、アンダーソンさんは師弟の道を語り伝えている。
◇境涯を開け
モントリオール総会の参加者が一様に語るのが、池田先生のユーモアを込めた信心指導の数々である。
"家族からの文句も高い境涯に立てばベートーベンの名曲に聞こえる(笑い)。全てを良い方向に捉える知恵を磨く。悩みを幸福に変え、喜びに変える。それが信心である"
"カナダはカナダらしく、余裕を持って進んでいただきたい。人間に飽きたら、たくさんいるリスを友達にするとか(爆笑)、何でも楽しみながら生きていただきたい"
ジェフ・ディープローズさん(圏長)は振り返る。「カナダでは相手が異文化でないことの方が珍しく、互いの文化を尊重します。先生のスピーチはそうした地域性にも配慮されていました。指導が心に残るように、ユーモアを交えてくださったのだと思います」
総会の翌朝、同志と街中を散策していた先生のそばで、リスが木を駆け上っていった。
「おとぎ話のように美しい風景だね」
隣にいたディープローズさんが、「昨日、先生が総会で話された通りですね」と答えると、先生はにっこりとほほ笑み、リスや木々にカメラを向けた。
滞在中、カナダに住む創価教育の同窓生が先生に詩を持参したことがあった。その場で詩を添削し、友を励ます先生の姿にディープローズさんは驚いた。
「先生は詩を受け取るだけで終わらせず、一緒になって内容を考えられたのです」
「会う人会う人に、温かく言葉を掛けておられました。そのやり取りに目を奪われていると、いつの間にか次の方の所に向かって歩き出されている。まるで"励ましの劇"を見るようでした」
当時、駆け出しの教員として、多忙な日々を送っていたディープローズさん。時を惜しまず、一人を大切にする姿勢を心に刻んだ。
現在は、私立高校の英文学科長として奮闘の日々を送る。
——本年は池田先生のモントリオール初訪問から25周年。同地の青年部はカナダをリードする弘教を実らせ、社会に希望の風を運ぶ。
自他共の幸福に尽くす喜びが、若き世代に受け継がれている。
2018年7月27日金曜日
2018.07.27 わが友に贈る
「鉄は災打てば
剣となる」御聖訓。
若き日の労苦は全て
自身を磨く財産に。
今日も挑戦の歩みを!
法蓮抄 P1051
『然るに今日蓮は外見の如くば日本第一の僻人なり我が朝六十六箇国二の島の百千万億の四衆上下万人に怨まる、仏法日本国に渡つて七百余年いまだ是程に法華経の故に諸人に悪まれたる者なし』
【通解】
ところで、いま日蓮は外見からみれば日本第一の悪人である。我が国の六十六箇国と二つの島の百千万億の四衆・上下万人に怨まれている。
仏法が日本の国に渡つて七百余年の間、いまだこれほどまでに法華経のために諸人ににくまれた者はいない。
〈寸鉄〉 2018年7月27日
「車のおもけれども油をぬりてまわり」御書。友の心軽くする激励の名手に
中部の日。堅塁の天地に光る人材の大城!さあ誓願の「この道」一筋に前進
事故多発。「手すりにつかまって」と鉄道事業者。余裕ある日々の行動こそ
真実が広がるのは偽ニュースより6倍遅い—調査故に正義の言論の大波を
世界的な異常気象、温暖化に関係—国際機関。国の壁、官民の壁超え総力
☆世界宗教の仏法を学ぶ 池田先生の指導・励ましから 2018年7月17日
第7回 唱題根本——生命力を無限に涌現
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第7回のテーマは「唱題根本」です。
小説「新・人間革命」第11巻「開墾」の章
【あらすじ】1966年(昭和41年)3月、ペルーを初訪問した山本伸一会長は、ホテルで代表の幹部と懇談する。伸一は、「題目」こそ人生の勝利者になるための要諦であることを語っていく。
「皆さんには、全員、人生の大勝利者になっていただきたい。
では、そのための要諦は何かについて、今日は少しお話ししたいと思います。
それは、第一に、お題目です。
健康ということも、勇気も、智慧も、歓喜も、向上心も、あるいは、自分を律するということも、生命力のいかんで決まってしまうといえる。その生命力を無限に涌現しゆく源泉こそが唱題なんです。ゆえに、唱題根本の人には行き詰まりがない」
皆、題目の力は教えられてきたし、それぞれが、体験もつかんできた。しかし、唱題の意義を、伸一から聞くことによって、さらに確信を深めていった。
「ともかく、日々、何があっても、題目を唱え抜いていくことです。題目は宇宙の根本の力です。朝な夕な、白馬が天空を駆け巡るように、軽快に、すがすがしい、唱題の声を響かせていくんです」
すると、女性のメンバーが尋ねた。
「先生。お題目を唱える時には、どういう気持ちで御本尊に向かえばいいのでしょうか」
伸一は、ニッコリと頷きながら答えた。
「仏と相対するわけですから、厳粛な気持ちを忘れてはいけませんが、素直な心で御本尊にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、大慈悲の仏様です。自分自身が願っていること、悩んでいること、希望することを、ありのまま祈っていくことです。
苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕に身を投げ出し、すがりつくように、『御本尊様!』と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように、対話するように、唱題を重ねていくんです。やがて、地獄の苦しみであっても、嘘のように、露のごとく消え去ります。
もし、自らの過ちに気づいたならば、心からお詫びし、あらためることです。二度と過ちは繰り返さぬ決意をし、新しい出発をするんです。
また、勝負の時には、断じて勝つと心を定めて、獅子の吼えるがごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに祈り抜くんです。
そして、喜びの夕べには『本当にありがとうございました!』と、深い感謝の題目を捧げることです。
御書には、『朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し……』(七三七ページ)と仰せですが、題目を唱え抜いている人は、常に御本仏と一緒です。
それも今世だけでなく、死後も、御本仏が、諸天・諸仏が守ってくださる。
だから、生命の底から安堵できるし、何も恐れる必要がない。悠々と、人生を楽しみながら、生き抜いていけばいいんです。
題目は、苦悩を歓喜に変えます。さらに、歓喜を大歓喜に変えます。ゆえに、嬉しい時も、悲しい時も、善きにつけ、悪しきにつけ、何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です」
理解を深めるために
●方便品・自我偈を読誦する理由
私たちは、生命変革の具体的な実践の柱の一つとして、毎日、朝夕の勤行を行っています。日々の勤行では、御本尊を信じて題目を唱え、「法華経方便品第2」と「如来寿量品第16」の自我偈を読誦します。
全部で28の品(=章)からなる法華経の中でも、方便品第2と如来寿量品第16を読む理由について、日蓮大聖人は「寿量品・方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」(御書1202ページ)と仰せられています。方便品と寿量品は、それぞれ、法華経の前半と後半の中で、最も大事な内容が説かれている部分であり、この2品を読むことで、その他の品の意義も備わることになるのです。
勤行は、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える唱題が根本なので、唱題を「正行」と言います。また、方便品・自我偈の読誦は、「正行」である題目の功徳を助け顕すために行うので、「助行」と言います。
勤行では、あくまでも南無妙法蓮華経の題目を唱えることが根本です。その上で、私たちが方便品・自我偈を読誦するのは、究極の仏の生命を意味する南無妙法蓮華経を最も深く説明し、大いに賛嘆している経文だからであり、御本尊の功徳をたたえるためなのです。
日蓮大聖人の御書から 「日女御前御返事」について
●曼荼羅に顕し修行の本尊に
日蓮大聖人は、御自身の仏界の生命を一幅の曼荼羅に顕されました。凡夫の私たちが大聖人と同じく、南無妙法蓮華経をわが身に体現し、成仏するための修行の本尊とされたのです。
大聖人は「日女御前御返事」で、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書1244ページ)と仰せです。
曼荼羅の本尊に顕された根源の法であり、仏の御生命である南無妙法蓮華経を拝して、それが、私たち自身の生命にも厳然と具わっているのだと、信じ受け止めていくことが大切です。そのことによって、自身の内なる妙法が開き顕され、仏の境涯を開いていくことができるのです。
御書には「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(788ページ)とあります。自身が本来、仏である、南無妙法蓮華経そのものであると知り、その計り知れない福徳をわが身に開き顕していくこと以上の人生の喜びはありません。
妙法を根本に、さまざまな困難を勝ち越えていく時、永遠に何ものにも壊されない幸福の軌道を進むことができ、この一生を大歓喜で飾っていくことができるのです。
剣となる」御聖訓。
若き日の労苦は全て
自身を磨く財産に。
今日も挑戦の歩みを!
法蓮抄 P1051
『然るに今日蓮は外見の如くば日本第一の僻人なり我が朝六十六箇国二の島の百千万億の四衆上下万人に怨まる、仏法日本国に渡つて七百余年いまだ是程に法華経の故に諸人に悪まれたる者なし』
【通解】
ところで、いま日蓮は外見からみれば日本第一の悪人である。我が国の六十六箇国と二つの島の百千万億の四衆・上下万人に怨まれている。
仏法が日本の国に渡つて七百余年の間、いまだこれほどまでに法華経のために諸人ににくまれた者はいない。
〈寸鉄〉 2018年7月27日
「車のおもけれども油をぬりてまわり」御書。友の心軽くする激励の名手に
中部の日。堅塁の天地に光る人材の大城!さあ誓願の「この道」一筋に前進
事故多発。「手すりにつかまって」と鉄道事業者。余裕ある日々の行動こそ
真実が広がるのは偽ニュースより6倍遅い—調査故に正義の言論の大波を
世界的な異常気象、温暖化に関係—国際機関。国の壁、官民の壁超え総力
☆世界宗教の仏法を学ぶ 池田先生の指導・励ましから 2018年7月17日
第7回 唱題根本——生命力を無限に涌現
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第7回のテーマは「唱題根本」です。
小説「新・人間革命」第11巻「開墾」の章
【あらすじ】1966年(昭和41年)3月、ペルーを初訪問した山本伸一会長は、ホテルで代表の幹部と懇談する。伸一は、「題目」こそ人生の勝利者になるための要諦であることを語っていく。
「皆さんには、全員、人生の大勝利者になっていただきたい。
では、そのための要諦は何かについて、今日は少しお話ししたいと思います。
それは、第一に、お題目です。
健康ということも、勇気も、智慧も、歓喜も、向上心も、あるいは、自分を律するということも、生命力のいかんで決まってしまうといえる。その生命力を無限に涌現しゆく源泉こそが唱題なんです。ゆえに、唱題根本の人には行き詰まりがない」
皆、題目の力は教えられてきたし、それぞれが、体験もつかんできた。しかし、唱題の意義を、伸一から聞くことによって、さらに確信を深めていった。
「ともかく、日々、何があっても、題目を唱え抜いていくことです。題目は宇宙の根本の力です。朝な夕な、白馬が天空を駆け巡るように、軽快に、すがすがしい、唱題の声を響かせていくんです」
すると、女性のメンバーが尋ねた。
「先生。お題目を唱える時には、どういう気持ちで御本尊に向かえばいいのでしょうか」
伸一は、ニッコリと頷きながら答えた。
「仏と相対するわけですから、厳粛な気持ちを忘れてはいけませんが、素直な心で御本尊にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、大慈悲の仏様です。自分自身が願っていること、悩んでいること、希望することを、ありのまま祈っていくことです。
苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕に身を投げ出し、すがりつくように、『御本尊様!』と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように、対話するように、唱題を重ねていくんです。やがて、地獄の苦しみであっても、嘘のように、露のごとく消え去ります。
もし、自らの過ちに気づいたならば、心からお詫びし、あらためることです。二度と過ちは繰り返さぬ決意をし、新しい出発をするんです。
また、勝負の時には、断じて勝つと心を定めて、獅子の吼えるがごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに祈り抜くんです。
そして、喜びの夕べには『本当にありがとうございました!』と、深い感謝の題目を捧げることです。
御書には、『朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し……』(七三七ページ)と仰せですが、題目を唱え抜いている人は、常に御本仏と一緒です。
それも今世だけでなく、死後も、御本仏が、諸天・諸仏が守ってくださる。
だから、生命の底から安堵できるし、何も恐れる必要がない。悠々と、人生を楽しみながら、生き抜いていけばいいんです。
題目は、苦悩を歓喜に変えます。さらに、歓喜を大歓喜に変えます。ゆえに、嬉しい時も、悲しい時も、善きにつけ、悪しきにつけ、何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です」
理解を深めるために
●方便品・自我偈を読誦する理由
私たちは、生命変革の具体的な実践の柱の一つとして、毎日、朝夕の勤行を行っています。日々の勤行では、御本尊を信じて題目を唱え、「法華経方便品第2」と「如来寿量品第16」の自我偈を読誦します。
全部で28の品(=章)からなる法華経の中でも、方便品第2と如来寿量品第16を読む理由について、日蓮大聖人は「寿量品・方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」(御書1202ページ)と仰せられています。方便品と寿量品は、それぞれ、法華経の前半と後半の中で、最も大事な内容が説かれている部分であり、この2品を読むことで、その他の品の意義も備わることになるのです。
勤行は、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える唱題が根本なので、唱題を「正行」と言います。また、方便品・自我偈の読誦は、「正行」である題目の功徳を助け顕すために行うので、「助行」と言います。
勤行では、あくまでも南無妙法蓮華経の題目を唱えることが根本です。その上で、私たちが方便品・自我偈を読誦するのは、究極の仏の生命を意味する南無妙法蓮華経を最も深く説明し、大いに賛嘆している経文だからであり、御本尊の功徳をたたえるためなのです。
日蓮大聖人の御書から 「日女御前御返事」について
●曼荼羅に顕し修行の本尊に
日蓮大聖人は、御自身の仏界の生命を一幅の曼荼羅に顕されました。凡夫の私たちが大聖人と同じく、南無妙法蓮華経をわが身に体現し、成仏するための修行の本尊とされたのです。
大聖人は「日女御前御返事」で、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書1244ページ)と仰せです。
曼荼羅の本尊に顕された根源の法であり、仏の御生命である南無妙法蓮華経を拝して、それが、私たち自身の生命にも厳然と具わっているのだと、信じ受け止めていくことが大切です。そのことによって、自身の内なる妙法が開き顕され、仏の境涯を開いていくことができるのです。
御書には「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(788ページ)とあります。自身が本来、仏である、南無妙法蓮華経そのものであると知り、その計り知れない福徳をわが身に開き顕していくこと以上の人生の喜びはありません。
妙法を根本に、さまざまな困難を勝ち越えていく時、永遠に何ものにも壊されない幸福の軌道を進むことができ、この一生を大歓喜で飾っていくことができるのです。
2018年7月26日木曜日
2018.07.26 わが友に贈る
「此の度仏法を心みよ」
実践こそ幸福を開く力。
苦難が大きいほど
勇気の信心で挑もう!
栄光への扉は必ず開く!
佐渡御書 P957
『強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし』
【通解】
強敵を倒して、はじめて力ある士と知ることができる。悪王が正法を滅亡させようとする時、邪法の僧等がこの悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時、師子王のような心を持つ者が必ず仏になることができる。たとえば、日蓮のようにである。
こう言うのは傲った気持ちからではなく、正法が滅することを惜しむ心が強いからである。
〈寸鉄〉 2018年7月26日
伝統の夏季フリー研修。一家で広布史学び深める好機。金の思い出刻もう
長野婦人部の日。地域に友情の花を!偉大な母達ありて人材山脈は隆々と
「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬」御書。祈りから出発。健康の源
余裕ある計画、小まめな休憩—これ長距離運転のコツ。充実の友好期間を
水の事故は命に及ぶ事が多し。危険箇所を事前に確認。天候・体調にも留意
☆未来部育成のページ 池田先生の指針から 2018年7月17日
希望ある人生は強い。負けない。くめども尽きぬ永遠の希望の泉——それが信心である。
特に夏は、家族で信心継承の語らいを深める好機であろう。
戸田先生も、よく言われていた。わが子だからといって、子ども扱いをしてはいけない。信心の後継者だ、と。
真剣な祈りを込めた言葉は必ず通ずる。ありのままに、わが家の広布史を語っていくことも大切であろう。
御書に「師子王の子は師子王となる」(1216ページ)と仰せである。
一時的に壁にぶつかることがあったとしても、「御本尊が仏子を不幸にするはずがない。必ずよくなるに決まっている」との深き確信と祈りを根本に、長い目で見守っていくことだ。
創価家族の大きな慈愛の心で、後継の宝を育んでいこう!
(2015年7月26日付「名誉会長と共に 新時代を駆ける」)
◆◇◆
座談会もまた、世代を超えて、人と人を結ぶ。
親がいない青年もいる。子を持たない壮年、婦人もいる。しかし、座談会で学会家族に会える喜びが、一人ひとりを元気にする。
日蓮大聖人は、子どものいなかった佐渡の年輩の国府入道・尼御前に、書き送っておられる。
「『その中の衆生は、悉く是れ吾が子なり』との経文の通りであるならば、教主釈尊は入道殿と尼御前の慈父であられる。
日蓮はまた、あなた方の子であるはずである」(御書1323ページ、通解)と。
この大聖人の大慈大悲に連なって、少年少女部、中・高等部、そして男女青年部から、多宝会の壮年・婦人まで、老若男女が生命の家族として集い合う世界が、学会であり、座談会である。
(『随筆 出発の光』〈崇高なる信心の継承〉)
実践こそ幸福を開く力。
苦難が大きいほど
勇気の信心で挑もう!
栄光への扉は必ず開く!
佐渡御書 P957
『強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし』
【通解】
強敵を倒して、はじめて力ある士と知ることができる。悪王が正法を滅亡させようとする時、邪法の僧等がこの悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時、師子王のような心を持つ者が必ず仏になることができる。たとえば、日蓮のようにである。
こう言うのは傲った気持ちからではなく、正法が滅することを惜しむ心が強いからである。
〈寸鉄〉 2018年7月26日
伝統の夏季フリー研修。一家で広布史学び深める好機。金の思い出刻もう
長野婦人部の日。地域に友情の花を!偉大な母達ありて人材山脈は隆々と
「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬」御書。祈りから出発。健康の源
余裕ある計画、小まめな休憩—これ長距離運転のコツ。充実の友好期間を
水の事故は命に及ぶ事が多し。危険箇所を事前に確認。天候・体調にも留意
☆未来部育成のページ 池田先生の指針から 2018年7月17日
希望ある人生は強い。負けない。くめども尽きぬ永遠の希望の泉——それが信心である。
特に夏は、家族で信心継承の語らいを深める好機であろう。
戸田先生も、よく言われていた。わが子だからといって、子ども扱いをしてはいけない。信心の後継者だ、と。
真剣な祈りを込めた言葉は必ず通ずる。ありのままに、わが家の広布史を語っていくことも大切であろう。
御書に「師子王の子は師子王となる」(1216ページ)と仰せである。
一時的に壁にぶつかることがあったとしても、「御本尊が仏子を不幸にするはずがない。必ずよくなるに決まっている」との深き確信と祈りを根本に、長い目で見守っていくことだ。
創価家族の大きな慈愛の心で、後継の宝を育んでいこう!
(2015年7月26日付「名誉会長と共に 新時代を駆ける」)
◆◇◆
座談会もまた、世代を超えて、人と人を結ぶ。
親がいない青年もいる。子を持たない壮年、婦人もいる。しかし、座談会で学会家族に会える喜びが、一人ひとりを元気にする。
日蓮大聖人は、子どものいなかった佐渡の年輩の国府入道・尼御前に、書き送っておられる。
「『その中の衆生は、悉く是れ吾が子なり』との経文の通りであるならば、教主釈尊は入道殿と尼御前の慈父であられる。
日蓮はまた、あなた方の子であるはずである」(御書1323ページ、通解)と。
この大聖人の大慈大悲に連なって、少年少女部、中・高等部、そして男女青年部から、多宝会の壮年・婦人まで、老若男女が生命の家族として集い合う世界が、学会であり、座談会である。
(『随筆 出発の光』〈崇高なる信心の継承〉)
2018年7月25日水曜日
2018.07.25 わが友に贈る
頑張れ、受験生!
自分自身に負けるな!
皆さんの健康と成長
前進を勝利を祈ります。
一日一日を大切に!
木絵二像開眼之事 P469
『人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法声は色法心より色をあらはす』
【通解】
人が声を出すのに二種類ある。一つには、自分ではたとえそのつもりがなくても、(相手に自分の心をいつわって)だまそうとするために声を出す。
これは随他意の声である。一方、自分の思いをそのまま表した声がある。この場合は、自分の心中の意志が声となって外に出ている。
心は心法、声は色法であり、心法から色法があらわれる。
〈寸鉄〉 2018年7月25日
人類の善性信じ、平和に尽くす会長は偉大—南ア大使。信念の対話、我らも
男子部大学校生が弘教に奮戦。頼もしき利他の汗。君たちこそ創価の希望!
喜びには悩みがなければ—文豪。あえて苦難の道を。挑戦の人に真の充実
未払いなら訴訟に…葉書で脅す架空請求が横行。絶対慌てず。無視が基本
熱中症の発症には個人差あり。周囲は平気だから自分も平気。これが危険
☆四季の励まし 未来部は「世界の希望」 2018年7月22日
わが未来部の友よ!
君たちこそ、一家にあっても、
地域社会にあっても、
世界にあっても、
希望と輝く太陽である。
君たちの笑顔があれば、
一切は明るく変わる。
若き日に、良書にふれた人は
幸せである。
本を読もうと努力する姿勢
それ自体が、尊い。
それは、
人生への挑戦に通じるからだ。
何ごとも、
失敗を恐れてはならない。
挑戦をあきらめてしまうことを、
恐れるべきである。
青春の道は、
決して途中では決まらない。
自分自身を信じ抜き、
負けじ魂を燃やして、
最後の最後まで走り抜く人に、
栄冠は輝くのだ。
妙法を受持した
家庭に生まれてきたことが
どれほど大きな福運であり、
どれほど深い使命があることか。
未来部の友は「信心」という、
人間として、何よりも尊く、
何よりも強く、何よりも美しき
「心」を確かに受け継いでくれる、
「わが家の宝」「国の宝」であり、
「人類の宝」なのである。
正義の創価の未来部は、
一人も残らず「師子王の子」です。
今は学びに学び、鍛えに鍛えて、
真の実力をつけてください。
大切な大切な皆さんの
健康と勝利を祈りに祈って、
私は、真剣に題目を
送り続けてまいります。
どんな時でも、
皆さんの絶対の味方です。
愛する未来部、万歳!
夏の太陽に照らされた緑の庭園。その向こうには、世界へとつながる青い海が広がっていた——1984年(昭和59年)6月、池田大作先生が和歌山・白浜町の関西研修道場でシャッターを切った。
「未来部躍進月間」がスタートした(8月31日まで)。期間中、創価ファミリー大会や各種コンクールなどが行われる。皆が挑戦と勇気の一歩を踏み出せるよう、応援していきたい。
御書に「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231ページ)と。後継の友の育成に力を注ぐことは、未来の広宣流布のために尽くすことである。その喜びと誇りに燃えて、未来部員一人一人の無限の可能性を信じ、祈り、励ましを送っていこう。
自分自身に負けるな!
皆さんの健康と成長
前進を勝利を祈ります。
一日一日を大切に!
木絵二像開眼之事 P469
『人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法声は色法心より色をあらはす』
【通解】
人が声を出すのに二種類ある。一つには、自分ではたとえそのつもりがなくても、(相手に自分の心をいつわって)だまそうとするために声を出す。
これは随他意の声である。一方、自分の思いをそのまま表した声がある。この場合は、自分の心中の意志が声となって外に出ている。
心は心法、声は色法であり、心法から色法があらわれる。
〈寸鉄〉 2018年7月25日
人類の善性信じ、平和に尽くす会長は偉大—南ア大使。信念の対話、我らも
男子部大学校生が弘教に奮戦。頼もしき利他の汗。君たちこそ創価の希望!
喜びには悩みがなければ—文豪。あえて苦難の道を。挑戦の人に真の充実
未払いなら訴訟に…葉書で脅す架空請求が横行。絶対慌てず。無視が基本
熱中症の発症には個人差あり。周囲は平気だから自分も平気。これが危険
☆四季の励まし 未来部は「世界の希望」 2018年7月22日
わが未来部の友よ!
君たちこそ、一家にあっても、
地域社会にあっても、
世界にあっても、
希望と輝く太陽である。
君たちの笑顔があれば、
一切は明るく変わる。
若き日に、良書にふれた人は
幸せである。
本を読もうと努力する姿勢
それ自体が、尊い。
それは、
人生への挑戦に通じるからだ。
何ごとも、
失敗を恐れてはならない。
挑戦をあきらめてしまうことを、
恐れるべきである。
青春の道は、
決して途中では決まらない。
自分自身を信じ抜き、
負けじ魂を燃やして、
最後の最後まで走り抜く人に、
栄冠は輝くのだ。
妙法を受持した
家庭に生まれてきたことが
どれほど大きな福運であり、
どれほど深い使命があることか。
未来部の友は「信心」という、
人間として、何よりも尊く、
何よりも強く、何よりも美しき
「心」を確かに受け継いでくれる、
「わが家の宝」「国の宝」であり、
「人類の宝」なのである。
正義の創価の未来部は、
一人も残らず「師子王の子」です。
今は学びに学び、鍛えに鍛えて、
真の実力をつけてください。
大切な大切な皆さんの
健康と勝利を祈りに祈って、
私は、真剣に題目を
送り続けてまいります。
どんな時でも、
皆さんの絶対の味方です。
愛する未来部、万歳!
夏の太陽に照らされた緑の庭園。その向こうには、世界へとつながる青い海が広がっていた——1984年(昭和59年)6月、池田大作先生が和歌山・白浜町の関西研修道場でシャッターを切った。
「未来部躍進月間」がスタートした(8月31日まで)。期間中、創価ファミリー大会や各種コンクールなどが行われる。皆が挑戦と勇気の一歩を踏み出せるよう、応援していきたい。
御書に「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231ページ)と。後継の友の育成に力を注ぐことは、未来の広宣流布のために尽くすことである。その喜びと誇りに燃えて、未来部員一人一人の無限の可能性を信じ、祈り、励ましを送っていこう。
2018年7月24日火曜日
2018.07.24 わが友に贈る
仕事に奮闘する友よ。
忙しい時こそ
強盛な祈りから出発だ!
勇気と智慧を湧かせ
堂々たる勝利の実証を!
佐渡御書 P958
『鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし』
【通解】
鉄は、炎に入れ熱して打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである。
〈寸鉄〉 2018年7月24日
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」御書誓いの勇者に不可能なし
鍛えの夏到来!青年よ御書に挑め。良書を開け。知勇兼備の指導者と育て
日本の平均寿命、最高を更新。人に尽くし充実の人生を送る多宝会が模範
ネット上の人権侵害増、早期の相談を—法務省。嘘や中傷を断じて許すな
引き続き熱中症に警戒。疲れた、体熱い、動き鈍い等もサインに。賢く予防
☆第36回本部幹部会で紹介された池田先生の指針 永遠なる師弟の勝利劇を共に
◇青年ならば試練に挑め
◇「強敵」こそ自身を鍛える"第一の味方"
「世界広布新時代第36回本部幹部会」(8日、福岡市の九州池田講堂)の席上、2008年12月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。師弟の月・7月を勝ち飾りゆく友の指針として掲載する。
一、私たちが敬愛してやまぬ、大文豪トルストイ先生は綴りました。
「お母さまの顔はただでも美しかったけれど、微笑によってそれはいっそうすばらしくなり、まるで周囲のもの全体が明るくなるようであった。生涯のつらく苦しいおりおりに、もしほんのちょっとでもあの笑顔を見ることができたら、私はおそらく悲しみとはどんなものであるかをすら知らなかったであろうと思う」(中村白葉訳『トルストイ全集1』河出書房新社)
お母さんの微笑みは、すべてを明るく照らしてくれる。お母さんの微笑みがあれば、私たちは、人生の苦しみも悲しみも、朗らかに乗り越えていくことができるのだ——。
◇平和を祈る心
一、じつは、トルストイ先生は、幼くして母を亡くしました。〈ちょうど2歳になるころ。文豪は、母の面影を求め、作品を通して母の愛を宣揚した〉
私がお会いした、偉大なる文豪ショーロホフ先生も、最愛の母を戦争の空襲によって奪われました。
それだけに、お二人の大文学には、世界のお母さんたちの幸福を願い、そして人類の平和を祈る心が深く深く込められていると感じてなりません。
きょうは、わが未来部の代表も集いました。高等部、中等部の若き皆さん、本当にご苦労さま! お休みのところ、よく来たね。成績は大丈夫かな。
若いということ自体が、一番の財産だ。
電車賃が足りない時は、一駅や二駅は"マラソン"で(笑い)。そのくらいの心で、朗らかにいくのです。
青春時代は、悩みが尽きないものだ。だからこそ、先輩は、後輩を大事にしてあげてほしい。何か困っていることはないか、悩んでいることはないか、相談にも乗ってあげてもらいたい。うんと応援してあげるのです。
親を一番、大事に! 後輩をまた一番、大事に!
これが、「人道」の出発です。
それから、男性は、女性を大事に! なかんずく、全員が、お母さんを大事に!
これが、人生の「根本」です。
一、トルストイ先生の名作『戦争と平和』。読んだことのある人はいますか?〈会場から多くの手が上がった〉
内容は聞かないから、心配しなくてもいい(笑い)。
『戦争と平和』は200年前、ナポレオン軍がロシアに攻め入った時代が舞台である。荒れ狂う動乱の激流の中で、真摯な青年が、いかに悩み、いかに苦難を勝ち越えていくか。
試練に打ち勝つ「青年の勝利」が、この大河小説の主題の一つであるといってよい。
◇全てが財産に
一、トルストイは記しています。
「試練こそ私にはこよなく有難い」(ビリューコフ著、原久一郎訳『大トルストイ』勁草書房)
また、「苦難に耐えることを知る人間は、不幸になるわけがない」というのが彼の信念でした。
その通りと思う。私の人生も、そうだった。戸田先生も、そうおっしゃった。
青年ならば、苦難にぶつかっていくことだ。試練に挑んでいくことだ。要領よく生きて、何で本物の人間ができるだろうか。
苦労をして働く。広布のために戦う。時には、いじめられる。それでも前進を続けていく。そして勝つ。
それが全部、自分自身の訓練となり、財産となるのです。
仏法でも、"強敵"こそ、自分を強く大きく鍛えてくれる"第一の味方"であると教えている。仏になるための「善知識」なのである。
トルストイは、政治の権力による弾圧にも、宗教の権威による破門にも、卑劣な虚偽の中傷にも、絶対に屈しなかった。
「屈しない」ことが勝利である。永遠の勝利だ。屈してはならない。私も何があっても、絶対に屈しなかった。
師子王である戸田先生に薫陶された直弟子は、何ものにも負けないからです。
◇真実を広める
一、「なすべき大切な使命」とは何か。
トルストイは、青年に伝えました。それは、「持てる力の限りを尽くして、わが身に知り得た真実を世界に広めながら、生き抜いていくことである」と。
これこそ、創価学会の精神ではないか。世界広布の人生ではないか。
理想を目指す人には生きがいがある。
その理想を実現しゆく方程式を、トルストイは示唆してくれているといえよう。
わが青年部の皆さん! 「生命の尊厳」そして「人間革命」の希望の哲学を、生き生きと、大確信をもって、これからも、さらに力強く大師子吼していこうではありませんか!
一、トルストイの『戦争と平和』には、こうも記されている。
「勇気あれば 勝利ゆるぎなし」(藤沼貴訳、岩波文庫)
「戦いに勝つのは、必ず勝とうと堅く決心した者だ」(米川正夫訳、岩波文庫)
ここから、社会を変革しゆく要諦を読み取ることができる。平和を築く、我らの言論戦も、勇往邁進して勝ってきた。
仏法は「不惜身命」「勇猛精進」と説く。わが身を惜しまず、勇猛に戦ったほうが必ず勝利するのである。
ショーロホフ先生の作品からも、「勝負」の哲学を学び取ることができる。
こう綴られていた。
「勝利は頂上にあるんだ」「重要なのは頂上に達すること、どんなことがあってもたどり着くということだ!」(昇曙夢訳『祖国のために』角川文庫)
この不屈の心意気で進もう!
君たち青年よ! 師子王のごとく、大鷲のごとく、勇気と執念で断じて勝ちまくれ!
トルストイ先生も、ショーロホフ先生も、ずる賢い大人たちの傲慢や恩知らず、また、ウソや攪乱を許さなかった。正義と誠実の「青年」を信じ抜かれたのである。
戸田先生も、誰よりも「青年」を信じておられた。青年部、頼むよ!
一、トルストイ先生の一人の若き弟子(グーセフ)は、師の大思想を勇敢に広め、戦った。そのために不当に弾圧され、2年間も追放・流刑された。
しかし、この若き弟子は、師のもとで戦いきった青春に、一点の後悔もなかった。
〈グーセフはトルストイ最晩年の1907年から09年まで2年間、トルストイの下で働く。09年に流刑。流刑の地から帰った後も、他の弟子とともに、師トルストイの原稿収集、出版、師の思想の研究に生涯を捧げた〉
「これでいいんだ」と、わが心に叫べる人生は、幸せである。
若き弟子は、流刑の地から、81歳になる師匠トルストイに、こう書き送っている。
「もしも私に、今より千倍厳しい困難が降りかかったとしても、私は、この2年間、こんなにも長く、あなたのおそばにいることができたことを、ただ天に感謝したことでしょう」
「あなたとともに過ごすことができ、いつも最高の幸福を感じておりました」
師弟に生きることほど、幸福なものはない。これこそ真実の価値ある人生である。よくよく心に留めていただきたい。
牧口先生と戸田先生も、そうであられた。
戸田先生と私も、深い深い絆の、人生の劇であった。師弟一体の戦闘を続けてきた。何一つ、後悔はない。
今度は、私と君たちで、尊極の師弟の勝利の歴史を、誇り高く、永遠につくり残していこうよ! きょうから!
忙しい時こそ
強盛な祈りから出発だ!
勇気と智慧を湧かせ
堂々たる勝利の実証を!
佐渡御書 P958
『鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし』
【通解】
鉄は、炎に入れ熱して打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである。
〈寸鉄〉 2018年7月24日
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」御書誓いの勇者に不可能なし
鍛えの夏到来!青年よ御書に挑め。良書を開け。知勇兼備の指導者と育て
日本の平均寿命、最高を更新。人に尽くし充実の人生を送る多宝会が模範
ネット上の人権侵害増、早期の相談を—法務省。嘘や中傷を断じて許すな
引き続き熱中症に警戒。疲れた、体熱い、動き鈍い等もサインに。賢く予防
☆第36回本部幹部会で紹介された池田先生の指針 永遠なる師弟の勝利劇を共に
◇青年ならば試練に挑め
◇「強敵」こそ自身を鍛える"第一の味方"
「世界広布新時代第36回本部幹部会」(8日、福岡市の九州池田講堂)の席上、2008年12月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。師弟の月・7月を勝ち飾りゆく友の指針として掲載する。
一、私たちが敬愛してやまぬ、大文豪トルストイ先生は綴りました。
「お母さまの顔はただでも美しかったけれど、微笑によってそれはいっそうすばらしくなり、まるで周囲のもの全体が明るくなるようであった。生涯のつらく苦しいおりおりに、もしほんのちょっとでもあの笑顔を見ることができたら、私はおそらく悲しみとはどんなものであるかをすら知らなかったであろうと思う」(中村白葉訳『トルストイ全集1』河出書房新社)
お母さんの微笑みは、すべてを明るく照らしてくれる。お母さんの微笑みがあれば、私たちは、人生の苦しみも悲しみも、朗らかに乗り越えていくことができるのだ——。
◇平和を祈る心
一、じつは、トルストイ先生は、幼くして母を亡くしました。〈ちょうど2歳になるころ。文豪は、母の面影を求め、作品を通して母の愛を宣揚した〉
私がお会いした、偉大なる文豪ショーロホフ先生も、最愛の母を戦争の空襲によって奪われました。
それだけに、お二人の大文学には、世界のお母さんたちの幸福を願い、そして人類の平和を祈る心が深く深く込められていると感じてなりません。
きょうは、わが未来部の代表も集いました。高等部、中等部の若き皆さん、本当にご苦労さま! お休みのところ、よく来たね。成績は大丈夫かな。
若いということ自体が、一番の財産だ。
電車賃が足りない時は、一駅や二駅は"マラソン"で(笑い)。そのくらいの心で、朗らかにいくのです。
青春時代は、悩みが尽きないものだ。だからこそ、先輩は、後輩を大事にしてあげてほしい。何か困っていることはないか、悩んでいることはないか、相談にも乗ってあげてもらいたい。うんと応援してあげるのです。
親を一番、大事に! 後輩をまた一番、大事に!
これが、「人道」の出発です。
それから、男性は、女性を大事に! なかんずく、全員が、お母さんを大事に!
これが、人生の「根本」です。
一、トルストイ先生の名作『戦争と平和』。読んだことのある人はいますか?〈会場から多くの手が上がった〉
内容は聞かないから、心配しなくてもいい(笑い)。
『戦争と平和』は200年前、ナポレオン軍がロシアに攻め入った時代が舞台である。荒れ狂う動乱の激流の中で、真摯な青年が、いかに悩み、いかに苦難を勝ち越えていくか。
試練に打ち勝つ「青年の勝利」が、この大河小説の主題の一つであるといってよい。
◇全てが財産に
一、トルストイは記しています。
「試練こそ私にはこよなく有難い」(ビリューコフ著、原久一郎訳『大トルストイ』勁草書房)
また、「苦難に耐えることを知る人間は、不幸になるわけがない」というのが彼の信念でした。
その通りと思う。私の人生も、そうだった。戸田先生も、そうおっしゃった。
青年ならば、苦難にぶつかっていくことだ。試練に挑んでいくことだ。要領よく生きて、何で本物の人間ができるだろうか。
苦労をして働く。広布のために戦う。時には、いじめられる。それでも前進を続けていく。そして勝つ。
それが全部、自分自身の訓練となり、財産となるのです。
仏法でも、"強敵"こそ、自分を強く大きく鍛えてくれる"第一の味方"であると教えている。仏になるための「善知識」なのである。
トルストイは、政治の権力による弾圧にも、宗教の権威による破門にも、卑劣な虚偽の中傷にも、絶対に屈しなかった。
「屈しない」ことが勝利である。永遠の勝利だ。屈してはならない。私も何があっても、絶対に屈しなかった。
師子王である戸田先生に薫陶された直弟子は、何ものにも負けないからです。
◇真実を広める
一、「なすべき大切な使命」とは何か。
トルストイは、青年に伝えました。それは、「持てる力の限りを尽くして、わが身に知り得た真実を世界に広めながら、生き抜いていくことである」と。
これこそ、創価学会の精神ではないか。世界広布の人生ではないか。
理想を目指す人には生きがいがある。
その理想を実現しゆく方程式を、トルストイは示唆してくれているといえよう。
わが青年部の皆さん! 「生命の尊厳」そして「人間革命」の希望の哲学を、生き生きと、大確信をもって、これからも、さらに力強く大師子吼していこうではありませんか!
一、トルストイの『戦争と平和』には、こうも記されている。
「勇気あれば 勝利ゆるぎなし」(藤沼貴訳、岩波文庫)
「戦いに勝つのは、必ず勝とうと堅く決心した者だ」(米川正夫訳、岩波文庫)
ここから、社会を変革しゆく要諦を読み取ることができる。平和を築く、我らの言論戦も、勇往邁進して勝ってきた。
仏法は「不惜身命」「勇猛精進」と説く。わが身を惜しまず、勇猛に戦ったほうが必ず勝利するのである。
ショーロホフ先生の作品からも、「勝負」の哲学を学び取ることができる。
こう綴られていた。
「勝利は頂上にあるんだ」「重要なのは頂上に達すること、どんなことがあってもたどり着くということだ!」(昇曙夢訳『祖国のために』角川文庫)
この不屈の心意気で進もう!
君たち青年よ! 師子王のごとく、大鷲のごとく、勇気と執念で断じて勝ちまくれ!
トルストイ先生も、ショーロホフ先生も、ずる賢い大人たちの傲慢や恩知らず、また、ウソや攪乱を許さなかった。正義と誠実の「青年」を信じ抜かれたのである。
戸田先生も、誰よりも「青年」を信じておられた。青年部、頼むよ!
一、トルストイ先生の一人の若き弟子(グーセフ)は、師の大思想を勇敢に広め、戦った。そのために不当に弾圧され、2年間も追放・流刑された。
しかし、この若き弟子は、師のもとで戦いきった青春に、一点の後悔もなかった。
〈グーセフはトルストイ最晩年の1907年から09年まで2年間、トルストイの下で働く。09年に流刑。流刑の地から帰った後も、他の弟子とともに、師トルストイの原稿収集、出版、師の思想の研究に生涯を捧げた〉
「これでいいんだ」と、わが心に叫べる人生は、幸せである。
若き弟子は、流刑の地から、81歳になる師匠トルストイに、こう書き送っている。
「もしも私に、今より千倍厳しい困難が降りかかったとしても、私は、この2年間、こんなにも長く、あなたのおそばにいることができたことを、ただ天に感謝したことでしょう」
「あなたとともに過ごすことができ、いつも最高の幸福を感じておりました」
師弟に生きることほど、幸福なものはない。これこそ真実の価値ある人生である。よくよく心に留めていただきたい。
牧口先生と戸田先生も、そうであられた。
戸田先生と私も、深い深い絆の、人生の劇であった。師弟一体の戦闘を続けてきた。何一つ、後悔はない。
今度は、私と君たちで、尊極の師弟の勝利の歴史を、誇り高く、永遠につくり残していこうよ! きょうから!
2018年7月23日月曜日
2018.07.23 わが友に贈る
◇今週のことば
「妙とは蘇生の義なり」
被災地の尊き宝友に
皆で題目を送ります。
試練の猛暑も支え合い
聡明に健康第一で!
2018年7月23日
報恩抄 P329
『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし』
【通解】
日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来の果てまでも流布するであろう。
〈寸鉄〉 2018年7月23日
「志をかさぬれば・他人よりも色まさり」御書。信心は持続。人生勝利の源泉
三重蘇生の日。広布の道開く地涌の連帯!万葉の都に黄金の拡大史を残せ
会員が機関紙を熟読する限り、組織は発展—恩師。希望送る紙面づくり誓う
生活習慣改善で健康寿命は延びると。運動、睡眠、食事等、できることから
避難行動を遅らせる要因—自分だけは大丈夫との心理と。警報を甘く見ず
☆「栄光の日」の集いに贈られた創立者・池田先生のメッセージ 2018年7月18日
◇友情の光で世紀を照らせ 「従藍而青」の学びの青春を
一、この1学期も、みんな、よく頑張り通しました。大きな地震もありました。厳しい暑さも続く中、わが学園生は、「創価の子らしく」、また「誓いの王子王女」として、たくましく学び、鍛え、成長してくれています。
人間の偉さは、何があっても、地道に、たゆまず不屈の挑戦を貫く日々に光ります。
愛する故郷が豪雨で被災した皆さんは、とりわけ、心を痛めていることでしょう。その中で歯を食いしばって負けじ魂で前進しゆく皆さんの姿が、お父さんやお母さんはもちろん、送り出してくださっている被災地の方々にとっても、大きな希望の力となっていくことは間違いありません。
一、きょうの「栄光の日」(17日)に、まず「友情の光で世紀を照らせ!」と申し上げたい。
創価学園が開校した1968年の秋、私は「日中国交正常化提言」を発表しました。会場に、私は学園生の代表を招きました。50年にわたり、一貫して誠実に、同窓生たちが日中の友好に貢献を続けてくれていることも、わが創価教育のロマンです。
当時、私の提言に直ちに注目し、大きく応えてくださったのが、中国の周恩来総理です。周総理は、友情と信義を、こよなく大切にされる指導者でした。
周総理が学生時代、病気と闘う友を励まし、互いに心の支えとした詩があります。
「自然の大気につつまれ、共に元気を取り戻して
各々が光明を放ち世界を明るく照らそう」(王永祥、高橋強編著、周恩来・�穎超研究会訳『周恩来と日本——苦悩から飛翔への青春』白帝社)
わが学園生も、豊かな自然に恵まれ、また世界に広々と開かれた、このキャンパスで、伸び伸びと良き友情を深めていってください。とくに友人が大変な時、苦しい時こそ、温かな励ましの声をかける皆さんであってください。今の友情の光が、やがて「人道の光」「平和の光」そして「世紀を照らす光」と広がっていくからであります。
一、もう一点、申し上げたいのは「従藍而青の学びで青春を染め抜け!」ということです。
今回、東西それぞれに「藍より青く」また「従藍而青」とテーマを掲げたことを、この言葉を大切にした創価教育の父・牧口先生も喜ばれていることでしょう。
なぜ、藍より青い色が染め上がるのか。藍染めの職人の方が教えてくれました。
それは何度も何度も、何度も淡々と、そして粘り強く染め抜くからというのです。私は、学びの道と全く同じであると感嘆しました。勉強がなかなか思うように進まない時も、あきらめず辛抱強く基本を繰り返せる人は、必ず力を発揮できるのです。
7月18日は、私の敬愛する友人マンデラ元大統領の生誕100周年の記念日です。わが命の学園生に、この正義の巌窟王の言葉を贈り、私のメッセージとします。
「人間がひとたびやり遂げようと決めたら、何ものも止めることはできない」(セロ・ハタン、サーム・フェンター編、長田雅子訳『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』)
この夏も、健康で無事故で、自分らしく朗らかに努力を積み重ねていってください。
大切なご家族や地域の皆さんにも、希望の笑顔で、くれぐれもよろしくお伝えください。
「妙とは蘇生の義なり」
被災地の尊き宝友に
皆で題目を送ります。
試練の猛暑も支え合い
聡明に健康第一で!
2018年7月23日
報恩抄 P329
『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし』
【通解】
日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来の果てまでも流布するであろう。
〈寸鉄〉 2018年7月23日
「志をかさぬれば・他人よりも色まさり」御書。信心は持続。人生勝利の源泉
三重蘇生の日。広布の道開く地涌の連帯!万葉の都に黄金の拡大史を残せ
会員が機関紙を熟読する限り、組織は発展—恩師。希望送る紙面づくり誓う
生活習慣改善で健康寿命は延びると。運動、睡眠、食事等、できることから
避難行動を遅らせる要因—自分だけは大丈夫との心理と。警報を甘く見ず
☆「栄光の日」の集いに贈られた創立者・池田先生のメッセージ 2018年7月18日
◇友情の光で世紀を照らせ 「従藍而青」の学びの青春を
一、この1学期も、みんな、よく頑張り通しました。大きな地震もありました。厳しい暑さも続く中、わが学園生は、「創価の子らしく」、また「誓いの王子王女」として、たくましく学び、鍛え、成長してくれています。
人間の偉さは、何があっても、地道に、たゆまず不屈の挑戦を貫く日々に光ります。
愛する故郷が豪雨で被災した皆さんは、とりわけ、心を痛めていることでしょう。その中で歯を食いしばって負けじ魂で前進しゆく皆さんの姿が、お父さんやお母さんはもちろん、送り出してくださっている被災地の方々にとっても、大きな希望の力となっていくことは間違いありません。
一、きょうの「栄光の日」(17日)に、まず「友情の光で世紀を照らせ!」と申し上げたい。
創価学園が開校した1968年の秋、私は「日中国交正常化提言」を発表しました。会場に、私は学園生の代表を招きました。50年にわたり、一貫して誠実に、同窓生たちが日中の友好に貢献を続けてくれていることも、わが創価教育のロマンです。
当時、私の提言に直ちに注目し、大きく応えてくださったのが、中国の周恩来総理です。周総理は、友情と信義を、こよなく大切にされる指導者でした。
周総理が学生時代、病気と闘う友を励まし、互いに心の支えとした詩があります。
「自然の大気につつまれ、共に元気を取り戻して
各々が光明を放ち世界を明るく照らそう」(王永祥、高橋強編著、周恩来・�穎超研究会訳『周恩来と日本——苦悩から飛翔への青春』白帝社)
わが学園生も、豊かな自然に恵まれ、また世界に広々と開かれた、このキャンパスで、伸び伸びと良き友情を深めていってください。とくに友人が大変な時、苦しい時こそ、温かな励ましの声をかける皆さんであってください。今の友情の光が、やがて「人道の光」「平和の光」そして「世紀を照らす光」と広がっていくからであります。
一、もう一点、申し上げたいのは「従藍而青の学びで青春を染め抜け!」ということです。
今回、東西それぞれに「藍より青く」また「従藍而青」とテーマを掲げたことを、この言葉を大切にした創価教育の父・牧口先生も喜ばれていることでしょう。
なぜ、藍より青い色が染め上がるのか。藍染めの職人の方が教えてくれました。
それは何度も何度も、何度も淡々と、そして粘り強く染め抜くからというのです。私は、学びの道と全く同じであると感嘆しました。勉強がなかなか思うように進まない時も、あきらめず辛抱強く基本を繰り返せる人は、必ず力を発揮できるのです。
7月18日は、私の敬愛する友人マンデラ元大統領の生誕100周年の記念日です。わが命の学園生に、この正義の巌窟王の言葉を贈り、私のメッセージとします。
「人間がひとたびやり遂げようと決めたら、何ものも止めることはできない」(セロ・ハタン、サーム・フェンター編、長田雅子訳『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』)
この夏も、健康で無事故で、自分らしく朗らかに努力を積み重ねていってください。
大切なご家族や地域の皆さんにも、希望の笑顔で、くれぐれもよろしくお伝えください。
2018年7月22日日曜日
2018.07.22 わが友に贈る
帰省等で大きく動く夏。
車を運転する歳は
適切な休憩を必ず取り
法令を守って慎重に。
「前前の用心」怠らず。
大果報御書 P1298
『なにとなくとも釈迦如来法華経を失い候いつる上は大果報ならば三年はよもとをもひ候いつるにいくさけかちつづき候いぬ、国はいかにも候へ法華経のひろまらん事疑なかるべし』
【通解】
なにはなくとも釈迦如来・法華経を失ったからには、大果報があったとしても三年はよもやもつまいと思っていたが、戦争や飢饉が続いた。我が国がどのようになるかはともかくとして、法華経の弘まることは疑いないことである。
〈寸鉄〉 2018年7月22日
どんな時も御本尊を忘れるな—戸田先生。題目は苦悩を破る利剣。朗々と
鼓笛隊の日。希望の行進に各地から感動の声!心潤す平和の天使に幸あれ
青年教学1級の申し込み今日まで。学び挑んだ分、境涯も拡大。求道の心で
猛暑の中も学会守る創価班・牙城会に深謝。陰徳に陽報必ず。健康・無事故で
道路の照り返しで地面に近いほど高温に。大人は子の目線で熱中症対策を
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 種種御振舞御書(下) 2018年7月16日
◇勇敢に難と戦う中に仏の境涯が
◇強盛な信心で一切を善の働きに
今月は、「種種御振舞御書」の後半を学びます。
池田先生は、つづられています。
「牧口先生は、よく『すすんで魔を駆り出して退治する』と言われました。(中略)
事実、『魔を呼び起こす勢いで』『魔を魔と見破って』、敢然と広布の指揮をとってきたのが、創価の三代の師弟です。今こそ私たちは、日蓮大聖人の御精神を深く拝していきたい。三障四魔と戦うなかに、成仏の境涯が開けます。魔が大きければ大きいほど、それ以上に、功徳は絶大なのです」
強盛な信心で大難を勝ち越えられた日蓮大聖人の御精神を拝し、心に刻んでいきましょう。(拝読範囲は、御書916ページ4行目〜925ページ本抄末尾です)
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が建治2年(1276年)に身延で認められ、光日房に与えられたとされていましたが、詳細は不明です。大聖人御自身のお振る舞いがつづられた本抄は、文永5年(1268年)、蒙古から国書が届き、大聖人が「立正安国論」で述べられた「他国侵逼難」の予言が現実のものとなったことから書き起こされます。
そして、文永8年(1271年)の竜の口の法難、佐渡流罪。佐渡での塚原問答、「開目抄」の御執筆。さらに文永11年(1274年)、佐渡流罪を許され鎌倉に戻られてからの国主諫暁、身延入山へと至る不惜身命の闘争が記されています。
◇御文
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり、眼前に見えたり此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇ましまさずんば争か日本の主となり給うべき、されば此の人人は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり、日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』(御書917ページ5行目〜9行目)
◇通解
釈迦如来にとっては提婆達多こそ第一の善知識ではなかったか。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人を良くしているのである。
その例は眼前にある。この鎌倉の北条御一門の繁栄は、(北条一門を倒そうとした最大の敵である)和田義盛と隠岐法皇とがおいでにならなくては、どうして日本の主となれたであろうか。それゆえ、この人々は、この御一門のためには、第一の味方である。
日蓮が仏になるための第一の味方は、東条景信であり、法師では良観、道隆、道阿弥陀仏であり、また平左衛門尉、守殿(北条時宗)がおいでにならなくては、どうして法華経の行者になれただろうかと悦んでいる。
◇解説
掲げた御文の前段で日蓮大聖人は、仏法の修行と理解が深まれば三障四魔が必ず競い起こるとの『摩訶止観』の文を通し、障魔と戦う人こそが"正法を行ずる人"であると示されます。
さらに、御自身が国主等から迫害を受けていること自体が、正法を実践している証しであると教えられます。難に遭っても正法の実践を貫くなかで、偉大な仏の境涯が開かれるのです。
掲げた御文で大聖人は、釈尊に敵対し殺害や教団の分裂などを企てた提婆達多こそ、釈尊にとって「第一の善知識」であると仰せです。善知識とは、人を仏道に導き入れる人を指し、この反対が、正法の修行を妨げて人を不幸にする悪知識です。大聖人は、提婆達多によって釈尊の偉大さが明らかになったことをもって、大悪人である提婆達多を善知識と言われているのです。
同じように大聖人にとって、御自身の命を狙う極楽寺良観や平左衛門尉ら迫害者こそが、仏になるための"第一の味方"であったと喜ばれています。
ここで大事なのは、釈尊も、大聖人も、悪知識である敵に"打ち勝った"からこそ、自らの正義を証明し、敵をも善知識の働きへと変えることができたということです。"仏法は勝負"であり、敵に打ち勝ってこそ、悪をも善の働きへと転換できるのです。
掲げた御文で"世間においても、自身を成長させ強くするものは、味方よりも強敵である"と述べられている通り、私たちの日常においても、苦難や"壁"にぶつかった時、また、行き詰まりを感じた時こそが、さらなる成長のチャンスです。
いかなる苦難も、信心で立ち向かえば、自身の境涯を大きく開き、宿命転換するための好機にできるのです。
ゆえに、何があっても"断じて勝つ"と一念を定め、強盛な信心を奮い起こして前進することが重要です。
池田先生は、今月の本部幹部会へのメッセージのなかで、「題目と共に日々、蘇る生命力で一切を変毒為薬し、不屈の『人間革命』の前進を」と呼び掛けています。
青年の月・7月。強盛な祈りを根本に、励ましの対話を大きく広げ、何があっても負けない青春を歩んでいきましょう。
★池田先生の講義から
人を成長させるのは、味方よりも、むしろ敵である。その意味で、迫害者こそは、境涯革命のための真実の味方であるといえる。権威・権力の迫害との戦いは「法華経の行者」の誉れと喜びを引き出してくれる。だから、喜ばしいことなのだ——と教えられています。
これは、もちろん「敵も味方も仲良く」ということではありません。
大切なのは「戦い切る」ことです。妥協を許さず「絶対に負けない」ことです。(2012年5月号「大白蓮華」、「勝利の経典『御書』に学ぶ」)
◇ ◆ ◇
創価学会も、ありとあらゆる迫害・弾圧・策謀に全部、打ち勝ってきました。その戦いによって、皆の信心が深まり、強くなった。難もなく、簡単に広宣流布ができたら、鍛えの場がなく、成仏する修行の場がなくなってしまう。
難即前進です。煩悩即菩提です。
一切の苦悩を即幸福へのエンジンとしていくのです。(『法華経の智慧』普及版〈中〉)
研さんのために
○…2012年5・6月号「大白蓮華」に掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」(聖教新聞社)
車を運転する歳は
適切な休憩を必ず取り
法令を守って慎重に。
「前前の用心」怠らず。
大果報御書 P1298
『なにとなくとも釈迦如来法華経を失い候いつる上は大果報ならば三年はよもとをもひ候いつるにいくさけかちつづき候いぬ、国はいかにも候へ法華経のひろまらん事疑なかるべし』
【通解】
なにはなくとも釈迦如来・法華経を失ったからには、大果報があったとしても三年はよもやもつまいと思っていたが、戦争や飢饉が続いた。我が国がどのようになるかはともかくとして、法華経の弘まることは疑いないことである。
〈寸鉄〉 2018年7月22日
どんな時も御本尊を忘れるな—戸田先生。題目は苦悩を破る利剣。朗々と
鼓笛隊の日。希望の行進に各地から感動の声!心潤す平和の天使に幸あれ
青年教学1級の申し込み今日まで。学び挑んだ分、境涯も拡大。求道の心で
猛暑の中も学会守る創価班・牙城会に深謝。陰徳に陽報必ず。健康・無事故で
道路の照り返しで地面に近いほど高温に。大人は子の目線で熱中症対策を
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 種種御振舞御書(下) 2018年7月16日
◇勇敢に難と戦う中に仏の境涯が
◇強盛な信心で一切を善の働きに
今月は、「種種御振舞御書」の後半を学びます。
池田先生は、つづられています。
「牧口先生は、よく『すすんで魔を駆り出して退治する』と言われました。(中略)
事実、『魔を呼び起こす勢いで』『魔を魔と見破って』、敢然と広布の指揮をとってきたのが、創価の三代の師弟です。今こそ私たちは、日蓮大聖人の御精神を深く拝していきたい。三障四魔と戦うなかに、成仏の境涯が開けます。魔が大きければ大きいほど、それ以上に、功徳は絶大なのです」
強盛な信心で大難を勝ち越えられた日蓮大聖人の御精神を拝し、心に刻んでいきましょう。(拝読範囲は、御書916ページ4行目〜925ページ本抄末尾です)
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が建治2年(1276年)に身延で認められ、光日房に与えられたとされていましたが、詳細は不明です。大聖人御自身のお振る舞いがつづられた本抄は、文永5年(1268年)、蒙古から国書が届き、大聖人が「立正安国論」で述べられた「他国侵逼難」の予言が現実のものとなったことから書き起こされます。
そして、文永8年(1271年)の竜の口の法難、佐渡流罪。佐渡での塚原問答、「開目抄」の御執筆。さらに文永11年(1274年)、佐渡流罪を許され鎌倉に戻られてからの国主諫暁、身延入山へと至る不惜身命の闘争が記されています。
◇御文
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり、眼前に見えたり此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇ましまさずんば争か日本の主となり給うべき、されば此の人人は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり、日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』(御書917ページ5行目〜9行目)
◇通解
釈迦如来にとっては提婆達多こそ第一の善知識ではなかったか。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人を良くしているのである。
その例は眼前にある。この鎌倉の北条御一門の繁栄は、(北条一門を倒そうとした最大の敵である)和田義盛と隠岐法皇とがおいでにならなくては、どうして日本の主となれたであろうか。それゆえ、この人々は、この御一門のためには、第一の味方である。
日蓮が仏になるための第一の味方は、東条景信であり、法師では良観、道隆、道阿弥陀仏であり、また平左衛門尉、守殿(北条時宗)がおいでにならなくては、どうして法華経の行者になれただろうかと悦んでいる。
◇解説
掲げた御文の前段で日蓮大聖人は、仏法の修行と理解が深まれば三障四魔が必ず競い起こるとの『摩訶止観』の文を通し、障魔と戦う人こそが"正法を行ずる人"であると示されます。
さらに、御自身が国主等から迫害を受けていること自体が、正法を実践している証しであると教えられます。難に遭っても正法の実践を貫くなかで、偉大な仏の境涯が開かれるのです。
掲げた御文で大聖人は、釈尊に敵対し殺害や教団の分裂などを企てた提婆達多こそ、釈尊にとって「第一の善知識」であると仰せです。善知識とは、人を仏道に導き入れる人を指し、この反対が、正法の修行を妨げて人を不幸にする悪知識です。大聖人は、提婆達多によって釈尊の偉大さが明らかになったことをもって、大悪人である提婆達多を善知識と言われているのです。
同じように大聖人にとって、御自身の命を狙う極楽寺良観や平左衛門尉ら迫害者こそが、仏になるための"第一の味方"であったと喜ばれています。
ここで大事なのは、釈尊も、大聖人も、悪知識である敵に"打ち勝った"からこそ、自らの正義を証明し、敵をも善知識の働きへと変えることができたということです。"仏法は勝負"であり、敵に打ち勝ってこそ、悪をも善の働きへと転換できるのです。
掲げた御文で"世間においても、自身を成長させ強くするものは、味方よりも強敵である"と述べられている通り、私たちの日常においても、苦難や"壁"にぶつかった時、また、行き詰まりを感じた時こそが、さらなる成長のチャンスです。
いかなる苦難も、信心で立ち向かえば、自身の境涯を大きく開き、宿命転換するための好機にできるのです。
ゆえに、何があっても"断じて勝つ"と一念を定め、強盛な信心を奮い起こして前進することが重要です。
池田先生は、今月の本部幹部会へのメッセージのなかで、「題目と共に日々、蘇る生命力で一切を変毒為薬し、不屈の『人間革命』の前進を」と呼び掛けています。
青年の月・7月。強盛な祈りを根本に、励ましの対話を大きく広げ、何があっても負けない青春を歩んでいきましょう。
★池田先生の講義から
人を成長させるのは、味方よりも、むしろ敵である。その意味で、迫害者こそは、境涯革命のための真実の味方であるといえる。権威・権力の迫害との戦いは「法華経の行者」の誉れと喜びを引き出してくれる。だから、喜ばしいことなのだ——と教えられています。
これは、もちろん「敵も味方も仲良く」ということではありません。
大切なのは「戦い切る」ことです。妥協を許さず「絶対に負けない」ことです。(2012年5月号「大白蓮華」、「勝利の経典『御書』に学ぶ」)
◇ ◆ ◇
創価学会も、ありとあらゆる迫害・弾圧・策謀に全部、打ち勝ってきました。その戦いによって、皆の信心が深まり、強くなった。難もなく、簡単に広宣流布ができたら、鍛えの場がなく、成仏する修行の場がなくなってしまう。
難即前進です。煩悩即菩提です。
一切の苦悩を即幸福へのエンジンとしていくのです。(『法華経の智慧』普及版〈中〉)
研さんのために
○…2012年5・6月号「大白蓮華」に掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」(聖教新聞社)
2018年7月21日土曜日
2018.07.21 わが友に贈る
夏休みは親子の絆を
強めるチャンス!
子どもの話に耳を傾け
共に遊び 学びながら
豊かな心を育もう!
上野殿御返事 P1555
『其の後命つきて地獄にをつ両の足ばかり地獄にいらず獄卒鉄杖をもつてうてどもいらず、是は法華経をふみし逆縁の功徳による』
【通解】
その後、命が尽きて地獄に堕ちたが、両足だけは地獄に入らなかった。獄卒が鉄杖で打っても入らなかった。これは、法華経を踏んだ逆縁の功徳によるのである。
〈寸鉄〉 2018年7月21日
会長の提言や行動が平和担う「世界市民」の規範—博士。万人照らす光源と
人格を磨くには世の荒波に揉まれていけ—文豪。試練に喜び勇んで挑め!
天王山の夏。受験生よ悔いなき日々で栄光掴め。青春の労苦こそ生涯の宝
熱中症患者が急増。水分・塩分の補給は、喉が渇く前に!早めの冷房利用も
「真の共生社会」の実現へ公明党の視点が不可欠—識者。庶民の声を政治に
☆歌声高く 第5回 常勝の空
◇今再びの陣列で師弟の凱歌を
なぜ関西は強いのか。
「師弟の絆」が強いからだ。関西の隅々に、親から子や孫の世代へ、師の心が脈打ち、流れ通っているからだ。そこにはいつも「常勝の空」の歌声があった。
1978年(昭和53年)7月の初め、池田先生は「『関西の歌』を作ってはどうか」と提案した。
当時、第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた。
広宣流布の不滅の金字塔を打ち立てた「大阪の戦い」から22年、21世紀まで22年余。新世紀への折り返しに当たって、関西魂を継承し、新たな飛躍を期す"誓いの歌"が必要だと考えたのである。
同年7月8日午前、池田先生のもとに、関西の友が作成した原案が届いた。先生は同日午後から、共戦の同志に思いをはせつつ、本格的な作詞に取り掛かる。
「今再びの 陣列に……」
のちに池田先生は「冒頭は、この言葉しかないと思った」と。
無名の庶民がスクラムを組み、前人未到の歴史を勝ち開いてきた関西。魔性の権力の横暴に憤怒し、血涙を拭って挑み立ち、常勝の城を築いた関西。
どこよりも師弟の絆強き君たちが、嵐をついて「今再びの陣列」を築き、広宣流布をけん引していくのだ——との万感の思いが込められていた。
その後も、池田先生は激務の合間をぬって、歌詞に手を加えた。作曲を担当する壮年に、節を付けて歌ってみせるなど、助言を重ねた。こうした精神の燃焼の末に、「関西の歌」は完成した。
同年7月17日付の「聖教新聞」関西版に、歌詞と楽譜が発表された。
「君と我とは久遠より」「護りに護らん我が友を」
歌詞からほとばしる師の慈愛に触れ、関西中に電撃が走った。そして同日夜、関西戸田記念講堂で行われた記念幹部会で、熱き歌声が轟いたのである。
同年8月上旬、池田先生は「関西の歌」を「常勝の空」と名付けた。
以来、この歌は、常勝関西の代名詞となる。池田先生はつづっている。「関西の歌『常勝の空』は、私が戸田先生にお聞かせしたかった、第一の歌である」
発表から40周年。巡り来る「7・17」を前に、世界が仰ぐ関西の天地には、きょうも、"今再び"の師弟の凱歌が響き渡る。
◇
「常勝の空」が誕生した78年、もう一つ、池田先生が関西に贈った歌がある。
同年11月、先生は大楠公・楠木正成ゆかりの岸和田を擁する泉州を訪問。滞在中、この地から、新しき常勝の時代の幕開けを告げようと、「泉州の歌」の歌詞を贈った。発表されたのは泉州の女子部総会。のちにタイトルは「歓喜の城光れ」に決まった。
「あの人この人 元初より 不離の同志か 兄弟か……」
その歌詞にも、泉州をはじめ、愛する関西への深い思いが込められていた。
池田先生と関西——その絆は未来永遠に、金剛にして不壊なのである。
◇MEMO
関西の歌「常勝の空」の誕生の経緯は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章に描かれている。SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
また泉州の歌「歓喜の城光れ」の発表の模様は第29巻「常楽」の章につづられている。
一、今再びの 陣列に
君と我とは 久遠より
誓いの友と 春の曲
愛する関西 勇み立て
二、我等の誉れ 錦州城
常勝の空 晴ればれと
凱歌の友の 雄叫びは
波濤の如く 天に舞え
三、ああ関西の 行進に
諸天の旗も 色冴えて
護りに護らん 我が友を
いざや前進 恐れなく
強めるチャンス!
子どもの話に耳を傾け
共に遊び 学びながら
豊かな心を育もう!
上野殿御返事 P1555
『其の後命つきて地獄にをつ両の足ばかり地獄にいらず獄卒鉄杖をもつてうてどもいらず、是は法華経をふみし逆縁の功徳による』
【通解】
その後、命が尽きて地獄に堕ちたが、両足だけは地獄に入らなかった。獄卒が鉄杖で打っても入らなかった。これは、法華経を踏んだ逆縁の功徳によるのである。
〈寸鉄〉 2018年7月21日
会長の提言や行動が平和担う「世界市民」の規範—博士。万人照らす光源と
人格を磨くには世の荒波に揉まれていけ—文豪。試練に喜び勇んで挑め!
天王山の夏。受験生よ悔いなき日々で栄光掴め。青春の労苦こそ生涯の宝
熱中症患者が急増。水分・塩分の補給は、喉が渇く前に!早めの冷房利用も
「真の共生社会」の実現へ公明党の視点が不可欠—識者。庶民の声を政治に
☆歌声高く 第5回 常勝の空
◇今再びの陣列で師弟の凱歌を
なぜ関西は強いのか。
「師弟の絆」が強いからだ。関西の隅々に、親から子や孫の世代へ、師の心が脈打ち、流れ通っているからだ。そこにはいつも「常勝の空」の歌声があった。
1978年(昭和53年)7月の初め、池田先生は「『関西の歌』を作ってはどうか」と提案した。
当時、第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた。
広宣流布の不滅の金字塔を打ち立てた「大阪の戦い」から22年、21世紀まで22年余。新世紀への折り返しに当たって、関西魂を継承し、新たな飛躍を期す"誓いの歌"が必要だと考えたのである。
同年7月8日午前、池田先生のもとに、関西の友が作成した原案が届いた。先生は同日午後から、共戦の同志に思いをはせつつ、本格的な作詞に取り掛かる。
「今再びの 陣列に……」
のちに池田先生は「冒頭は、この言葉しかないと思った」と。
無名の庶民がスクラムを組み、前人未到の歴史を勝ち開いてきた関西。魔性の権力の横暴に憤怒し、血涙を拭って挑み立ち、常勝の城を築いた関西。
どこよりも師弟の絆強き君たちが、嵐をついて「今再びの陣列」を築き、広宣流布をけん引していくのだ——との万感の思いが込められていた。
その後も、池田先生は激務の合間をぬって、歌詞に手を加えた。作曲を担当する壮年に、節を付けて歌ってみせるなど、助言を重ねた。こうした精神の燃焼の末に、「関西の歌」は完成した。
同年7月17日付の「聖教新聞」関西版に、歌詞と楽譜が発表された。
「君と我とは久遠より」「護りに護らん我が友を」
歌詞からほとばしる師の慈愛に触れ、関西中に電撃が走った。そして同日夜、関西戸田記念講堂で行われた記念幹部会で、熱き歌声が轟いたのである。
同年8月上旬、池田先生は「関西の歌」を「常勝の空」と名付けた。
以来、この歌は、常勝関西の代名詞となる。池田先生はつづっている。「関西の歌『常勝の空』は、私が戸田先生にお聞かせしたかった、第一の歌である」
発表から40周年。巡り来る「7・17」を前に、世界が仰ぐ関西の天地には、きょうも、"今再び"の師弟の凱歌が響き渡る。
◇
「常勝の空」が誕生した78年、もう一つ、池田先生が関西に贈った歌がある。
同年11月、先生は大楠公・楠木正成ゆかりの岸和田を擁する泉州を訪問。滞在中、この地から、新しき常勝の時代の幕開けを告げようと、「泉州の歌」の歌詞を贈った。発表されたのは泉州の女子部総会。のちにタイトルは「歓喜の城光れ」に決まった。
「あの人この人 元初より 不離の同志か 兄弟か……」
その歌詞にも、泉州をはじめ、愛する関西への深い思いが込められていた。
池田先生と関西——その絆は未来永遠に、金剛にして不壊なのである。
◇MEMO
関西の歌「常勝の空」の誕生の経緯は、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章に描かれている。SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
また泉州の歌「歓喜の城光れ」の発表の模様は第29巻「常楽」の章につづられている。
一、今再びの 陣列に
君と我とは 久遠より
誓いの友と 春の曲
愛する関西 勇み立て
二、我等の誉れ 錦州城
常勝の空 晴ればれと
凱歌の友の 雄叫びは
波濤の如く 天に舞え
三、ああ関西の 行進に
諸天の旗も 色冴えて
護りに護らん 我が友を
いざや前進 恐れなく
2018年7月20日金曜日
2018.07.20 わが友に贈る
「一切は現証には如かず」
体験に勝る雄弁はない。
自らの感動を
生き生きと語ろう!
皆が主役の座談会に!
四菩薩造立抄 P989
『総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし』
【通解】
総じて、日蓮の弟子といって法華経を修行する人々は、日蓮と同じようにしなさい。そうするならば、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏、諸天善神たる十羅刹も必ず守護されるであろう。
☆新時代第12回「全国男子部幹部会」への池田先生のメッセージ 2018年7月16日
◇「強盛の大信力」で勝ち光れ
民衆仏法の正義の炎は、常に、わが愛する東海道の若人から燃え上がる。世界宗教の拡大の大波は、いよいよ、わが信ずる東海道の若人から勝ち広がる。
今、私の心は、懐かしき鶴見の講堂へ飛んで、大好きな神奈川と静岡の君たちと一緒に、勇者の太鼓を打ち鳴らし、不屈の歌を歌い上げ、連帯の舞を舞っています。
出演者をはじめ東海道の若人が、大雨の日も、猛暑の日も励まし合って、努力を重ねてきたことを、私は鏡に映すように分かっています。
よく頑張った!
本当にご苦労さま!
陰で一切を支えてくれている役員の皆さんも、本当にありがとう!
そして、若き日から私と苦楽を共にしてきた創価家族の父たち、母たちが、どれほど熱い真心で、君たちを見守り、応援してくれていることか。ここで、みんなで一緒に、感謝と決意を込めて大拍手を贈りたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
東海道は、広宣流布の源流であり、立正安国の原点の天地です。
ゆえに、東海道の丈夫は、今もこれからも、王者の富士の如く堂々と、全日本、全世界の青年たちの模範とそびえ立ってもらいたい。君たちの宿縁は、あまりにも深遠であり、君たちの使命は、あまりにも偉大なのです。
本日は、御本仏・日蓮大聖人が、東海道の愛弟子を励まされた御書を、共々に拝したい。
まず、熱原の法難を戦い抜いた南条時光への御聖訓です。「しばらくの苦こそ候とも・つい(遂)には・たの(楽)しかるべし、国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ」(御書1565ページ)と。
思いもよらぬ災難も、思うにまかせぬ苦境も、妙法を唱え抜く地涌の青年が躍り出て、歯を食いしばって戦い抜くところ、勝利の活路が開けないわけがありません。
そして、もう一つは、「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」(同1118ページ)との仰せです。
どうか、職場にあっても、地域にあっても、勇敢に誠実に明朗に、「なくてはならない存在」となって光り、「さすが創価の青年だ」とうたわれていってもらいたい。また、必ず必ず、そうなっていける一人一人であり、「絶対勝利の信心」なのです。
さあ、私と共に、同志と共に、恐れなき「師子王の心」を燃やして、全員が青春の凱歌を轟かせ、友情の歌、平和の歌のスクラムを、さらに大きく、さらに広々と拡大していってくれたまえ!
わが後継たる一騎当千の東海道の青年、一人一人に、「正義の旗」「共戦の旗」「栄光の旗」を託しつつ——(大拍手)。
体験に勝る雄弁はない。
自らの感動を
生き生きと語ろう!
皆が主役の座談会に!
四菩薩造立抄 P989
『総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし』
【通解】
総じて、日蓮の弟子といって法華経を修行する人々は、日蓮と同じようにしなさい。そうするならば、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏、諸天善神たる十羅刹も必ず守護されるであろう。
☆新時代第12回「全国男子部幹部会」への池田先生のメッセージ 2018年7月16日
◇「強盛の大信力」で勝ち光れ
民衆仏法の正義の炎は、常に、わが愛する東海道の若人から燃え上がる。世界宗教の拡大の大波は、いよいよ、わが信ずる東海道の若人から勝ち広がる。
今、私の心は、懐かしき鶴見の講堂へ飛んで、大好きな神奈川と静岡の君たちと一緒に、勇者の太鼓を打ち鳴らし、不屈の歌を歌い上げ、連帯の舞を舞っています。
出演者をはじめ東海道の若人が、大雨の日も、猛暑の日も励まし合って、努力を重ねてきたことを、私は鏡に映すように分かっています。
よく頑張った!
本当にご苦労さま!
陰で一切を支えてくれている役員の皆さんも、本当にありがとう!
そして、若き日から私と苦楽を共にしてきた創価家族の父たち、母たちが、どれほど熱い真心で、君たちを見守り、応援してくれていることか。ここで、みんなで一緒に、感謝と決意を込めて大拍手を贈りたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
東海道は、広宣流布の源流であり、立正安国の原点の天地です。
ゆえに、東海道の丈夫は、今もこれからも、王者の富士の如く堂々と、全日本、全世界の青年たちの模範とそびえ立ってもらいたい。君たちの宿縁は、あまりにも深遠であり、君たちの使命は、あまりにも偉大なのです。
本日は、御本仏・日蓮大聖人が、東海道の愛弟子を励まされた御書を、共々に拝したい。
まず、熱原の法難を戦い抜いた南条時光への御聖訓です。「しばらくの苦こそ候とも・つい(遂)には・たの(楽)しかるべし、国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ」(御書1565ページ)と。
思いもよらぬ災難も、思うにまかせぬ苦境も、妙法を唱え抜く地涌の青年が躍り出て、歯を食いしばって戦い抜くところ、勝利の活路が開けないわけがありません。
そして、もう一つは、「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」(同1118ページ)との仰せです。
どうか、職場にあっても、地域にあっても、勇敢に誠実に明朗に、「なくてはならない存在」となって光り、「さすが創価の青年だ」とうたわれていってもらいたい。また、必ず必ず、そうなっていける一人一人であり、「絶対勝利の信心」なのです。
さあ、私と共に、同志と共に、恐れなき「師子王の心」を燃やして、全員が青春の凱歌を轟かせ、友情の歌、平和の歌のスクラムを、さらに大きく、さらに広々と拡大していってくれたまえ!
わが後継たる一騎当千の東海道の青年、一人一人に、「正義の旗」「共戦の旗」「栄光の旗」を託しつつ——(大拍手)。
2018年7月19日木曜日
2018.07.19 わが友に贈る
人の前を灯せば
わが前も明るくなる。
悩める友の足元を
励ましの光で照らそう。
共々に新たな一歩を!
千日尼御前御返事 P1316
『佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年に夫を御使として御訪いあり』
【通解】
佐渡の国からこの国までは、山海を隔てて千里に及ぶのに、女人の御身として法華経を信仰していらっしゃるゆえに、年々に夫をお使いとしてお訪ね下さっている。
〈寸鉄〉 2018年7月19日
座談の「談」の字には「炎」が燃える。拡大の歴史を清新な決意の座談会から
女子部結成の日。友情と幸福広げる華陽姉妹よ!絆強く誓いの青春颯爽と
心一つになれば必ず思いもかけぬ道が開く—戸田先生。共に祈り、共に行動
カレーなどの作り置きは食中毒の恐れ。冷蔵庫で保存を。食前に再加熱も
睡眠不足は熱中症の危険高めると。生活リズムを整えて。猛暑を乗り切れ
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ� 2018年7月15日
◇一人の力は無尽にして無窮
カナダの友が永遠の指針として心に刻むのが、池田先生の長編詩「ナイアガラにかかる虹」である。
師弟の絆とカナダ広布の使命がうたわれた同詩は、1987年6月10日、「婦人部の日」に寄せて贈られた。
先生がカナダ初訪問時に激励した一婦人。その一人から開かれた広布の歴史を通し、目の前の「一人」が、いかにかけがえのない存在であるかが、詩の中で述べられている。
一人は一人にあらず
一人の力は
ただ一人にて
留まることなし
人間の秘めたる
妙なる力用は
無尽にして
無窮なり
首都オタワで圏婦人部長を務めるモニカ・バックマンさんは、先生の振る舞いが、この詩の一節そのものであると実感する。
93年9月、女子部のメイプルリーフ・グループ(日本の白蓮グループ)として、先生をモントリオール文化会館で迎えた。
ロビーのドアを開けると、先生は胸に手を当て、深々と一礼を。陰の役員にも、ねぎらいの言葉を掛けた。
バックマンさんは回想する。「先生が声を掛けられるたび、一人一人の心がパッと開けていくように見えました。一瞬の出会いに、どこまでも心を尽くされる——私もそうありたいと思いました」
保健行政の財政計画などに携わるバックマンさん。2012年、政府の方針変更に伴って大規模な人員削減が行われ、彼女の部署でも約30人が職を失った。
元同僚を元気づけつつ、皆の再就職に奔走し、多くの人が新たな仕事に就くことが。
その献身や実績が評価され、バックマンさんは三つの賞を受賞。他の機関に再就職した人の中には、彼女の生き方に心を打たれ、信心した友もいる。
「信心は"希望をつくる実践"だと思います。どんな境遇の人にも希望を送っていける——その勇気と自信が学会活動の中で身に付いていたんです」
オンタリオ州をはじめ、『赤毛のアン』の舞台であるプリンス・エドワード島等、広大な地域で活動するバックマンさん。今日も希望の人生を広げる。
◇世界広布の証
移民大国のカナダでは、1971年に世界で初めて、多様な文化を平等に尊重する多文化主義政策が施行された。毎年20万人以上の移民を受け入れ、3500万人の国民の約2割が移民といわれる。
多文化共生の地で広布に尽くす意義を、先生は長編詩に詠んだ。
あなたたちの舞台
カナダの天地には
世界のあらゆる民が
集っている
ゆえに
この国土の広布は
即 一閻浮提広布の
証なりと
私は信ずる
カナダSGI壮年部長のイアン・マッティンソンさんは、「友人との対話や社会での実証など、その一歩一歩が世界広布を証明するもの」と胸を張る。
西部のカルガリーに在住し、週末を中心に各地へ激励に走る。
93年9、10月、先生がバンクーバーを訪問した折、運営の役員を務めた。その中で、先生が電光石火で激励の手を打つ姿に、「先生は世界中のメンバーを常に気に掛け、わが事のように案じてくださっている。ここから世界広布が始まっている」と感じた。
励ましのドラマの数々に、師弟の崇高さを垣間見たというマッティンソンさん。自分の行動で、師弟を伝えていこうと決めた。
レクリエーション施設の管理者として奮闘し、同僚を陰で支え、難題を克服してきた。
2001年9月、マッティンソンさんに試練が訪れる。前年に生まれた長男が目のがんに襲われたのだ。
すぐに同志が駆け付けた。「長男が人生に価値を感じられるように、いつもそばに寄り添ってくれました」
翌年に右目を摘出。幾多の困難にも弱音を吐くことなく、現在は音楽活動に精を出す。
本年3月の世界青年部総会。同じ病と闘う大阪の未来部員が、朗らかにドラムを響かせる姿に、涙があふれて止まらなかった。
「宿命を使命に変える同志がいることに、感謝は尽きません。師弟に生きる人間の強さを示したい」と誓う。
◇自らつかむ
長編詩の執筆に前後して、先生はカナダの友を激励。1987年8月には来日した友を聖教新聞本社に迎え、屋上で花火を一緒に鑑賞したこともあった。
マッギル大学のスミス教育学部長ら、カナダの識者とも会見。86年に同大学で「核兵器——現代世界の脅威」展が開かれたことなどにも触れ、平和の未来を展望している。
カナダは平和意識の高さで知られる。SGIでも数々の啓発運動に取り組んできた。
オタワのグレン・ターナーさん(本部長)も、中心者の一人。同地での「核兵器なき世界への連帯」展には、軍縮専門家や高校生の代表が参加し、核軍縮を討論する"模擬国連"なども活発に行われている。
英国出身のターナーさん。大学を2度留年し、退学。不本意な職場で働いていた時、学会の集いに誘われた。
「勤行・唱題の力は明らかでした。幸福は自らつかむものだと知り、人生への無責任な態度を改めました」
復学し、英語圏とフランス語圏の懸け橋になろうと決意。念願のフランス語教師に。
赴任当初は暴力行為等が頻発したが、生徒の将来を祈ると、クラスの"問題児"が善知識の存在に思えた。
生徒一人一人の可能性を信じ抜くターナーさんの姿に、唱題を実践する同僚も数多い。
◇色彩を生かす
池田先生は、さまざまな人種や文化が共存する"世界の縮図"で活動する友に、長編詩で呼び掛けている。
多種多様な
相違のなかにあって
一人ひとりの
色彩を生かしつつ
美しき
調和の虹をかけゆく
包容と忍耐の
リーダーであって
くれ給え
世界有数の多民族都市トロントは、人口の約半数が移民。ダウンタウンで地区婦人部長を務めるアヤコ・オチさんは、初めて参加した座談会の雰囲気をよく覚えている。
「多様な人種の方々が、きれいな発音で勤行する光景が忘れられません。『色心不二』や『十界論』を学び、仏法が論理的であることに感動しました。"ずっと探していたものだ"と直感しました」
奈良出身のオチさんは97年にトロントへ。2005年にSGIの一員となり、脳波の専門医として活躍する。
研修医の講習等も担当し、外国人ながら最優秀教員賞にも輝いた。
ダウンタウンの地域では、カナダをリードする弘教を達成。09年にオチさんが所属するバンガード地区が誕生し、昨年も新たな地区が生まれている。
15年9月に来日した折、オチさんは研修会に参加したメンバーと共に池田先生から激励を。先生と初の出会いを刻み、広布に生きる誓いを固めた。
——師の限りない期待を抱き、希望の対話に歩くカナダの友。
先生の長編詩は、その尊き挑戦をたたえるように結ばれ、友の未来を示している。
おお!
燦たる陽光躍り
轟々たる大瀑布に
目にも綾なる七色の
美しい虹がきらめく
我が愛する
カナダの友の前途を
祝福するかのように
わが前も明るくなる。
悩める友の足元を
励ましの光で照らそう。
共々に新たな一歩を!
千日尼御前御返事 P1316
『佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年に夫を御使として御訪いあり』
【通解】
佐渡の国からこの国までは、山海を隔てて千里に及ぶのに、女人の御身として法華経を信仰していらっしゃるゆえに、年々に夫をお使いとしてお訪ね下さっている。
〈寸鉄〉 2018年7月19日
座談の「談」の字には「炎」が燃える。拡大の歴史を清新な決意の座談会から
女子部結成の日。友情と幸福広げる華陽姉妹よ!絆強く誓いの青春颯爽と
心一つになれば必ず思いもかけぬ道が開く—戸田先生。共に祈り、共に行動
カレーなどの作り置きは食中毒の恐れ。冷蔵庫で保存を。食前に再加熱も
睡眠不足は熱中症の危険高めると。生活リズムを整えて。猛暑を乗り切れ
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ� 2018年7月15日
◇一人の力は無尽にして無窮
カナダの友が永遠の指針として心に刻むのが、池田先生の長編詩「ナイアガラにかかる虹」である。
師弟の絆とカナダ広布の使命がうたわれた同詩は、1987年6月10日、「婦人部の日」に寄せて贈られた。
先生がカナダ初訪問時に激励した一婦人。その一人から開かれた広布の歴史を通し、目の前の「一人」が、いかにかけがえのない存在であるかが、詩の中で述べられている。
一人は一人にあらず
一人の力は
ただ一人にて
留まることなし
人間の秘めたる
妙なる力用は
無尽にして
無窮なり
首都オタワで圏婦人部長を務めるモニカ・バックマンさんは、先生の振る舞いが、この詩の一節そのものであると実感する。
93年9月、女子部のメイプルリーフ・グループ(日本の白蓮グループ)として、先生をモントリオール文化会館で迎えた。
ロビーのドアを開けると、先生は胸に手を当て、深々と一礼を。陰の役員にも、ねぎらいの言葉を掛けた。
バックマンさんは回想する。「先生が声を掛けられるたび、一人一人の心がパッと開けていくように見えました。一瞬の出会いに、どこまでも心を尽くされる——私もそうありたいと思いました」
保健行政の財政計画などに携わるバックマンさん。2012年、政府の方針変更に伴って大規模な人員削減が行われ、彼女の部署でも約30人が職を失った。
元同僚を元気づけつつ、皆の再就職に奔走し、多くの人が新たな仕事に就くことが。
その献身や実績が評価され、バックマンさんは三つの賞を受賞。他の機関に再就職した人の中には、彼女の生き方に心を打たれ、信心した友もいる。
「信心は"希望をつくる実践"だと思います。どんな境遇の人にも希望を送っていける——その勇気と自信が学会活動の中で身に付いていたんです」
オンタリオ州をはじめ、『赤毛のアン』の舞台であるプリンス・エドワード島等、広大な地域で活動するバックマンさん。今日も希望の人生を広げる。
◇世界広布の証
移民大国のカナダでは、1971年に世界で初めて、多様な文化を平等に尊重する多文化主義政策が施行された。毎年20万人以上の移民を受け入れ、3500万人の国民の約2割が移民といわれる。
多文化共生の地で広布に尽くす意義を、先生は長編詩に詠んだ。
あなたたちの舞台
カナダの天地には
世界のあらゆる民が
集っている
ゆえに
この国土の広布は
即 一閻浮提広布の
証なりと
私は信ずる
カナダSGI壮年部長のイアン・マッティンソンさんは、「友人との対話や社会での実証など、その一歩一歩が世界広布を証明するもの」と胸を張る。
西部のカルガリーに在住し、週末を中心に各地へ激励に走る。
93年9、10月、先生がバンクーバーを訪問した折、運営の役員を務めた。その中で、先生が電光石火で激励の手を打つ姿に、「先生は世界中のメンバーを常に気に掛け、わが事のように案じてくださっている。ここから世界広布が始まっている」と感じた。
励ましのドラマの数々に、師弟の崇高さを垣間見たというマッティンソンさん。自分の行動で、師弟を伝えていこうと決めた。
レクリエーション施設の管理者として奮闘し、同僚を陰で支え、難題を克服してきた。
2001年9月、マッティンソンさんに試練が訪れる。前年に生まれた長男が目のがんに襲われたのだ。
すぐに同志が駆け付けた。「長男が人生に価値を感じられるように、いつもそばに寄り添ってくれました」
翌年に右目を摘出。幾多の困難にも弱音を吐くことなく、現在は音楽活動に精を出す。
本年3月の世界青年部総会。同じ病と闘う大阪の未来部員が、朗らかにドラムを響かせる姿に、涙があふれて止まらなかった。
「宿命を使命に変える同志がいることに、感謝は尽きません。師弟に生きる人間の強さを示したい」と誓う。
◇自らつかむ
長編詩の執筆に前後して、先生はカナダの友を激励。1987年8月には来日した友を聖教新聞本社に迎え、屋上で花火を一緒に鑑賞したこともあった。
マッギル大学のスミス教育学部長ら、カナダの識者とも会見。86年に同大学で「核兵器——現代世界の脅威」展が開かれたことなどにも触れ、平和の未来を展望している。
カナダは平和意識の高さで知られる。SGIでも数々の啓発運動に取り組んできた。
オタワのグレン・ターナーさん(本部長)も、中心者の一人。同地での「核兵器なき世界への連帯」展には、軍縮専門家や高校生の代表が参加し、核軍縮を討論する"模擬国連"なども活発に行われている。
英国出身のターナーさん。大学を2度留年し、退学。不本意な職場で働いていた時、学会の集いに誘われた。
「勤行・唱題の力は明らかでした。幸福は自らつかむものだと知り、人生への無責任な態度を改めました」
復学し、英語圏とフランス語圏の懸け橋になろうと決意。念願のフランス語教師に。
赴任当初は暴力行為等が頻発したが、生徒の将来を祈ると、クラスの"問題児"が善知識の存在に思えた。
生徒一人一人の可能性を信じ抜くターナーさんの姿に、唱題を実践する同僚も数多い。
◇色彩を生かす
池田先生は、さまざまな人種や文化が共存する"世界の縮図"で活動する友に、長編詩で呼び掛けている。
多種多様な
相違のなかにあって
一人ひとりの
色彩を生かしつつ
美しき
調和の虹をかけゆく
包容と忍耐の
リーダーであって
くれ給え
世界有数の多民族都市トロントは、人口の約半数が移民。ダウンタウンで地区婦人部長を務めるアヤコ・オチさんは、初めて参加した座談会の雰囲気をよく覚えている。
「多様な人種の方々が、きれいな発音で勤行する光景が忘れられません。『色心不二』や『十界論』を学び、仏法が論理的であることに感動しました。"ずっと探していたものだ"と直感しました」
奈良出身のオチさんは97年にトロントへ。2005年にSGIの一員となり、脳波の専門医として活躍する。
研修医の講習等も担当し、外国人ながら最優秀教員賞にも輝いた。
ダウンタウンの地域では、カナダをリードする弘教を達成。09年にオチさんが所属するバンガード地区が誕生し、昨年も新たな地区が生まれている。
15年9月に来日した折、オチさんは研修会に参加したメンバーと共に池田先生から激励を。先生と初の出会いを刻み、広布に生きる誓いを固めた。
——師の限りない期待を抱き、希望の対話に歩くカナダの友。
先生の長編詩は、その尊き挑戦をたたえるように結ばれ、友の未来を示している。
おお!
燦たる陽光躍り
轟々たる大瀑布に
目にも綾なる七色の
美しい虹がきらめく
我が愛する
カナダの友の前途を
祝福するかのように
2018年7月18日水曜日
2018.07.18 わが友に贈る
未来部は一人も残らず
使命深き大人材だ!
真心のエールで
世界の希望を育てよう!
共に成長と躍進の夏に!
薬王品得意抄 P1501
『法華経は闇夜の月のごとし法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し』
【通解】
法華経は、闇夜の月のようなものである。法華経を信じても、深く信じない人は、半月が闇夜を照らすようなものである。
深く信じる人は、満月が闇夜を照らすようなものである。
〈寸鉄〉 2018年7月18日
会長は慈悲の教師であり相互理解の旗手—学長。人間を結ぶ大行動に続け
統監部の友に感謝。一枚の紙は一人の"生命"。正確な推進が広布万年の礎
「言をも惜まず人をも憚らず」御書。青年よ堂々と語れ!折伏精神を赤々と
元大統領生誕100年。「厳しい戦いが私達を鋼の如くした」。人権の闘士は強し
続く猛暑。室内でも熱中症に。早めの冷房利用、水分・塩分補給で賢く予防
☆世界広布新時代第36回本部幹部会 九州総会から(要旨) 原田稔会長
「一人」を大切にした創価三代の師弟
勇気の祈りで仏縁を広げよう
一、「世界広布新時代第36回本部幹部会」ならびに「九州総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
本日は、13カ国・地域から109人のSGIメンバーも参加されています。遠いところ、ようこそお越しくださいました。
一、初めに、西日本を中心とする豪雨に際して、被災された皆さまに衷心よりお見舞いを申し上げます。学会としても、本部をはじめ各地で対策本部を立ち上げ、会員の安否確認や被災状況の把握に全力を挙げております。全国の同志の皆さまと共に、ご無事と一日も早い復旧を心からお祈りしております。
一、さて、ノーベル平和賞受賞者のエスキベル博士と、SGI会長である池田先生による共同声明の国際記者発表会が、先月、イタリアの首都ローマにあるイタリア国際記者協会で開催されました。これにはエスキベル博士が自国アルゼンチンから駆け付け、池田先生の代理である池田博正SGI副会長と共に、共同声明「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」を発表しました。
核兵器の廃絶、難民、気候変動など、人類が直面する喫緊の諸課題に触れながら、全ての若者に連帯と行動を呼び掛ける声明は、今、世界中で大きな反響を呼んでいます。
イタリア、フランス、スペイン、アルゼンチン、ブラジル、キューバ、韓国などの新聞やオンラインニュース等で報道され、さらに、イタリアの雑誌「イル・ミオ・パーパ」は、エスキベル博士へのインタビューと共に、記者発表会の模様を写真入りで紹介。スペインのマドリード宗教間対話協会は、公式ホームページで共同声明を紹介しました。
さらに、翌日の記念イベントに来賓として参加したローマ教皇庁のシルヴァーノ・トマーシ教皇大使は、「この声明が、社会の現実を周縁から見るなど、多くの点でフランシスコ教皇の洞察と響き合っていることをうれしく思います。新しい世代の人々こそが、病める地球を変革する道を開いていけるのです」と語っております。
声明では、こう呼び掛けられました。「青年たちが人々と共に団結し、生命の尊厳を守り、不正義と闘い、肉体と精神、そして自由のための糧を分かち合うこと——。私たち、アドルフォ・ペレス=エスキベルと池田大作は、現代および未来の社会のため、新しい希望の夜明けを開くため、それが不可欠だと考える。
青年たちがその行動を広げていくならば、揺るがぬ人類の普遍の精神的遺産と、『公正』や『連帯』に基づく新たな世界を構築できることを確信してやまない」
まさに、その主役こそ創価の青年、世界中に躍り出た池田門下生であります。
「新しい希望の夜明け」は、私たちが開く——こう固く誓い合いたいと思います(拍手)。
一、エスキベル博士は、記者発表会の日、"人は100歳まで青年でいられる"と、すがすがしい笑顔を見せておられたそうです。
来る8月6日は、池田先生が小説『新・人間革命』の執筆を開始してくださってから25周年。25年前、池田先生は『新・人間革命』の「はじめに」に、つづられました。
「自身のこの世の使命を果たし抜いてこそ、まことの人生である。かのゲーテも、ユゴーも、また、トルストイも、八十余歳にして、なお、生き生きとして働き、信念のペンを執り続けた。私は六十五歳であり、まだまだ若い」と。
そして、この四半世紀、嫉妬の坊主と反逆の輩による攻撃もありました。一部政治家や俗悪なマスコミが結託しての宗教弾圧の謀略もありました。全て池田先生が矢面に立たれ、かつ、世界広布の前進も陣頭指揮を執ってくださいました。
その激闘の間隙を縫って、先生はペンを執られ、私たち一人一人に励ましの手紙をつづり、今なお、つづり続けてくださっているのであります。
このご恩に報いようとするならば、池田先生と同じ心——すなわち「まだまだ若い」との青年の心で、「自身のこの世の使命」を果たし抜いていかなければならないと思います。
一、思えば牧口先生は、70歳にして自ら九州の地を訪れ、ある時は、東京で入会した学生たちの両親へあいさつに出向くなど、「一人」への大誠実を貫かれました。
ご高齢を押して、3等列車の硬い座席に揺られての、片道だけで丸一日がかりの長旅です。そうした苦労などものともしない、一人また一人と仏縁を結ぶ行動によって、広布の種は厳然とまかれました。
そして、同じく「一人」を大切にし抜いた戸田先生が、幸福の花園を日本中に拡大され、さらに池田先生が世界中に拡大された——それが、創価三代の師弟を貫く"伝統"です。
かつて池田先生は、ご指導くださいました。「いろいろな活動があるけれども、大事なことは折伏精神なんだよ。根本に折伏精神があるかどうか。それがあって初めて、さまざまな取り組みも、地についた活動になる」
根本に、折伏精神があるかどうか。それは、相手の心に仏の種をまこうという、「祈り」によって決まります。
その祈りさえあれば、いかなる戦いであれ、私たちの一回一回の出会いは、必ず仏縁となります。ゆえに、一切を仏縁拡大のチャンス、また幸福拡大の仏道修行と捉えて、信心根本、唱題根本に挑んでいきたい。
池田先生のご指導を胸に、この夏、全国を舞台に友好を大きく拡大し、一対一の対話から、勝利の頂へ、挑戦の歩みを開始していこうではありませんか(拍手)。
使命深き大人材だ!
真心のエールで
世界の希望を育てよう!
共に成長と躍進の夏に!
薬王品得意抄 P1501
『法華経は闇夜の月のごとし法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し』
【通解】
法華経は、闇夜の月のようなものである。法華経を信じても、深く信じない人は、半月が闇夜を照らすようなものである。
深く信じる人は、満月が闇夜を照らすようなものである。
〈寸鉄〉 2018年7月18日
会長は慈悲の教師であり相互理解の旗手—学長。人間を結ぶ大行動に続け
統監部の友に感謝。一枚の紙は一人の"生命"。正確な推進が広布万年の礎
「言をも惜まず人をも憚らず」御書。青年よ堂々と語れ!折伏精神を赤々と
元大統領生誕100年。「厳しい戦いが私達を鋼の如くした」。人権の闘士は強し
続く猛暑。室内でも熱中症に。早めの冷房利用、水分・塩分補給で賢く予防
☆世界広布新時代第36回本部幹部会 九州総会から(要旨) 原田稔会長
「一人」を大切にした創価三代の師弟
勇気の祈りで仏縁を広げよう
一、「世界広布新時代第36回本部幹部会」ならびに「九州総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
本日は、13カ国・地域から109人のSGIメンバーも参加されています。遠いところ、ようこそお越しくださいました。
一、初めに、西日本を中心とする豪雨に際して、被災された皆さまに衷心よりお見舞いを申し上げます。学会としても、本部をはじめ各地で対策本部を立ち上げ、会員の安否確認や被災状況の把握に全力を挙げております。全国の同志の皆さまと共に、ご無事と一日も早い復旧を心からお祈りしております。
一、さて、ノーベル平和賞受賞者のエスキベル博士と、SGI会長である池田先生による共同声明の国際記者発表会が、先月、イタリアの首都ローマにあるイタリア国際記者協会で開催されました。これにはエスキベル博士が自国アルゼンチンから駆け付け、池田先生の代理である池田博正SGI副会長と共に、共同声明「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」を発表しました。
核兵器の廃絶、難民、気候変動など、人類が直面する喫緊の諸課題に触れながら、全ての若者に連帯と行動を呼び掛ける声明は、今、世界中で大きな反響を呼んでいます。
イタリア、フランス、スペイン、アルゼンチン、ブラジル、キューバ、韓国などの新聞やオンラインニュース等で報道され、さらに、イタリアの雑誌「イル・ミオ・パーパ」は、エスキベル博士へのインタビューと共に、記者発表会の模様を写真入りで紹介。スペインのマドリード宗教間対話協会は、公式ホームページで共同声明を紹介しました。
さらに、翌日の記念イベントに来賓として参加したローマ教皇庁のシルヴァーノ・トマーシ教皇大使は、「この声明が、社会の現実を周縁から見るなど、多くの点でフランシスコ教皇の洞察と響き合っていることをうれしく思います。新しい世代の人々こそが、病める地球を変革する道を開いていけるのです」と語っております。
声明では、こう呼び掛けられました。「青年たちが人々と共に団結し、生命の尊厳を守り、不正義と闘い、肉体と精神、そして自由のための糧を分かち合うこと——。私たち、アドルフォ・ペレス=エスキベルと池田大作は、現代および未来の社会のため、新しい希望の夜明けを開くため、それが不可欠だと考える。
青年たちがその行動を広げていくならば、揺るがぬ人類の普遍の精神的遺産と、『公正』や『連帯』に基づく新たな世界を構築できることを確信してやまない」
まさに、その主役こそ創価の青年、世界中に躍り出た池田門下生であります。
「新しい希望の夜明け」は、私たちが開く——こう固く誓い合いたいと思います(拍手)。
一、エスキベル博士は、記者発表会の日、"人は100歳まで青年でいられる"と、すがすがしい笑顔を見せておられたそうです。
来る8月6日は、池田先生が小説『新・人間革命』の執筆を開始してくださってから25周年。25年前、池田先生は『新・人間革命』の「はじめに」に、つづられました。
「自身のこの世の使命を果たし抜いてこそ、まことの人生である。かのゲーテも、ユゴーも、また、トルストイも、八十余歳にして、なお、生き生きとして働き、信念のペンを執り続けた。私は六十五歳であり、まだまだ若い」と。
そして、この四半世紀、嫉妬の坊主と反逆の輩による攻撃もありました。一部政治家や俗悪なマスコミが結託しての宗教弾圧の謀略もありました。全て池田先生が矢面に立たれ、かつ、世界広布の前進も陣頭指揮を執ってくださいました。
その激闘の間隙を縫って、先生はペンを執られ、私たち一人一人に励ましの手紙をつづり、今なお、つづり続けてくださっているのであります。
このご恩に報いようとするならば、池田先生と同じ心——すなわち「まだまだ若い」との青年の心で、「自身のこの世の使命」を果たし抜いていかなければならないと思います。
一、思えば牧口先生は、70歳にして自ら九州の地を訪れ、ある時は、東京で入会した学生たちの両親へあいさつに出向くなど、「一人」への大誠実を貫かれました。
ご高齢を押して、3等列車の硬い座席に揺られての、片道だけで丸一日がかりの長旅です。そうした苦労などものともしない、一人また一人と仏縁を結ぶ行動によって、広布の種は厳然とまかれました。
そして、同じく「一人」を大切にし抜いた戸田先生が、幸福の花園を日本中に拡大され、さらに池田先生が世界中に拡大された——それが、創価三代の師弟を貫く"伝統"です。
かつて池田先生は、ご指導くださいました。「いろいろな活動があるけれども、大事なことは折伏精神なんだよ。根本に折伏精神があるかどうか。それがあって初めて、さまざまな取り組みも、地についた活動になる」
根本に、折伏精神があるかどうか。それは、相手の心に仏の種をまこうという、「祈り」によって決まります。
その祈りさえあれば、いかなる戦いであれ、私たちの一回一回の出会いは、必ず仏縁となります。ゆえに、一切を仏縁拡大のチャンス、また幸福拡大の仏道修行と捉えて、信心根本、唱題根本に挑んでいきたい。
池田先生のご指導を胸に、この夏、全国を舞台に友好を大きく拡大し、一対一の対話から、勝利の頂へ、挑戦の歩みを開始していこうではありませんか(拍手)。
2018年7月17日火曜日
2018.07.17 わが友に贈る
人の痛みに思いをはせる
その同苦の心と行動に
信仰の真価は表れる。
友の胸中に光をともす
安心と希望の源たれ!
上野殿後家尼御返事 P1506
『いかにもいかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよとをしへ給うことわりにもや候らん』
【通解】
いかにも、いかにも追善供養を心の限り励まれるのがよいでしょう。古徳の言葉にも「心地は九識の清浄の心におき、修行をば六識にせよ」と教えていますが、いかにも道理です。
〈寸鉄〉 2018年7月17日
世界に冠たるJOSHO関西ここにあり!模範の広布拡大の前進をさらに
学会の名誉ある一員として誇りも高く生き抜け—恩師。断固社会で実証を
メールの多用は意思疎通不全の元と。誤解招く事も。会って語るを忘れず
世界人口の半数超が最低水準の生活。貧困撲滅へ国連中心の支援を広げよ
深海魚の70%に微粒子。魚食べる人間に影響の可能性も。国超え対策急げ
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ� 2018年7月7日
◇永遠に崩れない幸福の道を
1981年5月、ソ連訪問から始まった池田先生の海外歴訪は、欧州、北米と61日間にわたって続き、北半球を1周している。
先生がカナダのトロント国際空港に到着したのは6月21日。同志が待ちに待ち、祈りに祈った瞬間だった。
この前年(80年)、20年ぶりとなるカナダ訪問が予定されていたが、シカゴで飛行機のエンジントラブルが発生。旅程の変更を余儀なくされ、訪問は見送りに。空港に集まっていた友は、その報に頬を濡らした。
先生は訪問先のロサンゼルスにカナダの代表を招き、会えなかったメンバーへの激励を託している。
カナダの友は異口同音に言う。「あの時の悔しさがあったからこそ、師を求める一念がより強く、確かなものになりました」と。
訪問2日目の6月22日、トロント市にあるホテルの大ホールで、カナダ広布20周年記念総会が幕を開けた。
1960年に先生が初訪問した折、カナダの地に同志は一人もいなかった。それから21年。奇跡的ともいえる発展を遂げ、この日は約1000人が喜び集ったのである。
総会ではダンスやコーラス、バレエ等が披露され、あいさつに立った先生が、広布の前途を祝福した。
この時、役員として先生に随行したトム・ハミルトンさん(副圏長)は、総会の直後、先生が真っ先に出演者の待機場所へ向かったことを覚えている。
「通訳はいませんでした。先生は身ぶり手ぶりを交え、出演者一人一人に感謝を伝えておられました」
先生はハミルトンさんにも"不退転の信心で、必ず人生に勝ってください"と指針を。
信心を始めて10年余り。師の間断なき激励行を目の当たりにし、ハミルトンさんはSGIと巡り合った身の福運を噛み締めた。
カナダの東端、ニューファンドランド島出身のハミルトンさん。父が病に倒れると、将来を悲観し、流浪の旅へ。トロントでヒッピー生活を始めた。
口では平和を叫ぶものの、何ができるわけでもない。父の死去を聞いたが、無気力な生活は変わらなかった。
そんな時、SGIの集いに誘われる。ハミルトンさんには座禅の修行経験があったが、それとは全く違う世界が広がっていた。
題目の力を生き生きと語る参加者。その中には"元ヒッピー"の姿もあった。
「君自身の変革なしに、社会を変革することはできないんだよ」
その指摘に心から納得できた。とともに、心身に気力があふれていることに驚いた。
長年、味わっていなかった充実感に信心の力を感じ、入会を決意。患った肝炎を克服し、写真関係の会社に職を得た。
その後、写真館を開業し、今は娘たちに経営を委ねる。
来年、入会から50年の節を刻むハミルトンさん。師を持つ人生の素晴らしさを語り歩く日々だ。
◇一切が仏道修行
広布20周年の記念総会には、遠方から参加した友も多かった。
池田先生は、その求道心をたたえ、信心の意義を語っている。
"人生には、さまざまな目的があります。しかし、それらの多くは、「相対的幸福」を満足させるための目的に過ぎません。人生の最大の目的は「絶対的幸福」を開くことであり、一切が自分のための仏道修行です"
西部の大都市エドモントンでバレエスクールを主宰しているポーラ・リーシュさん(圏婦人部長)。同地に移り住んだのは、記念総会の前年だった。
"広布の一粒種"として弘教に歩き、バレエ仲間と座談会を開いた。翌年、同志の輪は15人に広がり、共に先生のもとへ駆け付けている。
当時、リーシュさんは夫の暴力に悩んでいた。さらに副腎に腫瘍が見つかり、医師に命の危険を告げられた。
苦しみの淵にあったが、学会活動は一歩も引かなかった。
「御書の一節を50回以上、音読した日もありました。そうでもしないと、弱い心に負けてしまいそうで」とリーシュさん。
85年にはバレエ団を創設。再婚した夫が団のマネジャーを務め、国内外で公演を重ねている。
「日蓮大聖人は、酷寒の地で敵に狙われながら、人類の幸福を願われ、激励の文をつづられています。その御境涯を思うたび、感謝と勇気が湧きました」
内陸に位置するエドモントンは、冬季には氷点下40度まで冷え込むなど世界有数の寒さで知られる。カナダ最北の地区も同地の組織に所属し、リーシュさんは、そうした友の激励に駆けてきた。
2014年には待望のエドモントン会館が完成。心を躍らせ、広布の春を進む。
クリス・エディさん(圏副婦人部長)は、81年の記念総会に鼓笛隊として参加。西部のカルガリーからは、ただ一人の参加だった。
広大なカナダでは、全員で集まって練習することは難しい。総会に出演する鼓笛隊のメンバーが、そろって練習できたのは、開会前の1時間だけだった。
鼓笛隊の演奏が始まると、場内は総立ちに。皆が肩を組み、愛唱歌を歌い上げた。
総会後、池田先生が会う人会う人に声を掛ける姿に、「ここから師弟の絆が生まれ、世界中に広がっているんだと実感しました」。
夫が経営する運送会社が窮地に陥り、幼子を抱えて経済苦と戦ったエディさん。
「"学会活動をしているから大丈夫"ではなく、常に先生を求める姿勢でいることが大切だと、身をもって経験しました」と振り返る。
やがて会社の業績が好転。夫妻で宿命転換の実証をつかんだ。
「池田先生への感謝は言葉では言い表せません。どこまでも行動で示すしかないと思っています」——その決意を胸に、今日もカルガリー広布に尽くす。
◇信心を貫く
トロント近郊のカレドン教育文化センターでは、各部の研修会が定期的に行われ、カナダ全土から友が集う。
そうした中で、カナダの同志には、遠く離れていても互いの成長を祈り、励まし合う絆が生まれている。
81年6月23日、後に教育文化センターが立つカレドンで、日本の親善交流団との文化交歓会が開催された。
冬はスキー場となる丘を会場に、ガーデンパーティー形式で昼食を取りながら歓談のひとときを。その後、ミニ文化祭が開かれた。
この前年に入会したケイト・ウェルズさん(カナダSGI副総合婦人部長)は、池田先生の姿が胸に迫った。
「先生自ら料理を取り分け、誰とでも気さくに会話を楽しまれていました。人間味あふれる姿に、この信心を選んで良かったと思いました」
モントリオールでバレエダンサーとして活躍していたウェルズさん。「先生との"最初の出会い"は、映画だったんです」
同僚から映画「人間革命」に誘われ、自分と同世代の山本伸一青年が生きる意味を求める姿、戸田先生の前で詠んだ「地涌」の詩に心を打たれた。
ウェルズさんは生後すぐに養子として引き取られた。ダンサーの夢をかなえてからも、そのことが心の奥でうずいていた。
「自分の人生においても、"師"の存在を求めていたんです」
先生は81年の総会で"20年間まじめに信心を貫けば、人生は必ず変わります"と。
ウェルズさんは述懐する。「私に直接言われているように感じました。上から物を言うのではなく、心に呼び掛けてくださった。この時、私は広布に生きようと決めました」
ハワイ大学等で舞踊人類学などを専攻。放送局に勤務し、多忙な合間を縫って友のもとへ通った。
2004年、カナダSGIの婦人部長に。「あなたの勝利が私の勝利」を合言葉に、全国の部員一人一人に励ましを重ねてきた。
念願だった実の家族との再会も果たし、今年4月のカレドン教育文化センターでの集いには、妹も参加。25年越しの対話が実り、皆の祝福に包まれて御本尊を受持することができた。
「広いカナダだからこそ、1回の出会いが大切です。その時に、どれだけ池田先生のことを伝えられるかだと思います」と話すウェルズさん。
その励ましの道に、後継の友が続く。
その同苦の心と行動に
信仰の真価は表れる。
友の胸中に光をともす
安心と希望の源たれ!
上野殿後家尼御返事 P1506
『いかにもいかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよとをしへ給うことわりにもや候らん』
【通解】
いかにも、いかにも追善供養を心の限り励まれるのがよいでしょう。古徳の言葉にも「心地は九識の清浄の心におき、修行をば六識にせよ」と教えていますが、いかにも道理です。
〈寸鉄〉 2018年7月17日
世界に冠たるJOSHO関西ここにあり!模範の広布拡大の前進をさらに
学会の名誉ある一員として誇りも高く生き抜け—恩師。断固社会で実証を
メールの多用は意思疎通不全の元と。誤解招く事も。会って語るを忘れず
世界人口の半数超が最低水準の生活。貧困撲滅へ国連中心の支援を広げよ
深海魚の70%に微粒子。魚食べる人間に影響の可能性も。国超え対策急げ
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ� 2018年7月7日
◇永遠に崩れない幸福の道を
1981年5月、ソ連訪問から始まった池田先生の海外歴訪は、欧州、北米と61日間にわたって続き、北半球を1周している。
先生がカナダのトロント国際空港に到着したのは6月21日。同志が待ちに待ち、祈りに祈った瞬間だった。
この前年(80年)、20年ぶりとなるカナダ訪問が予定されていたが、シカゴで飛行機のエンジントラブルが発生。旅程の変更を余儀なくされ、訪問は見送りに。空港に集まっていた友は、その報に頬を濡らした。
先生は訪問先のロサンゼルスにカナダの代表を招き、会えなかったメンバーへの激励を託している。
カナダの友は異口同音に言う。「あの時の悔しさがあったからこそ、師を求める一念がより強く、確かなものになりました」と。
訪問2日目の6月22日、トロント市にあるホテルの大ホールで、カナダ広布20周年記念総会が幕を開けた。
1960年に先生が初訪問した折、カナダの地に同志は一人もいなかった。それから21年。奇跡的ともいえる発展を遂げ、この日は約1000人が喜び集ったのである。
総会ではダンスやコーラス、バレエ等が披露され、あいさつに立った先生が、広布の前途を祝福した。
この時、役員として先生に随行したトム・ハミルトンさん(副圏長)は、総会の直後、先生が真っ先に出演者の待機場所へ向かったことを覚えている。
「通訳はいませんでした。先生は身ぶり手ぶりを交え、出演者一人一人に感謝を伝えておられました」
先生はハミルトンさんにも"不退転の信心で、必ず人生に勝ってください"と指針を。
信心を始めて10年余り。師の間断なき激励行を目の当たりにし、ハミルトンさんはSGIと巡り合った身の福運を噛み締めた。
カナダの東端、ニューファンドランド島出身のハミルトンさん。父が病に倒れると、将来を悲観し、流浪の旅へ。トロントでヒッピー生活を始めた。
口では平和を叫ぶものの、何ができるわけでもない。父の死去を聞いたが、無気力な生活は変わらなかった。
そんな時、SGIの集いに誘われる。ハミルトンさんには座禅の修行経験があったが、それとは全く違う世界が広がっていた。
題目の力を生き生きと語る参加者。その中には"元ヒッピー"の姿もあった。
「君自身の変革なしに、社会を変革することはできないんだよ」
その指摘に心から納得できた。とともに、心身に気力があふれていることに驚いた。
長年、味わっていなかった充実感に信心の力を感じ、入会を決意。患った肝炎を克服し、写真関係の会社に職を得た。
その後、写真館を開業し、今は娘たちに経営を委ねる。
来年、入会から50年の節を刻むハミルトンさん。師を持つ人生の素晴らしさを語り歩く日々だ。
◇一切が仏道修行
広布20周年の記念総会には、遠方から参加した友も多かった。
池田先生は、その求道心をたたえ、信心の意義を語っている。
"人生には、さまざまな目的があります。しかし、それらの多くは、「相対的幸福」を満足させるための目的に過ぎません。人生の最大の目的は「絶対的幸福」を開くことであり、一切が自分のための仏道修行です"
西部の大都市エドモントンでバレエスクールを主宰しているポーラ・リーシュさん(圏婦人部長)。同地に移り住んだのは、記念総会の前年だった。
"広布の一粒種"として弘教に歩き、バレエ仲間と座談会を開いた。翌年、同志の輪は15人に広がり、共に先生のもとへ駆け付けている。
当時、リーシュさんは夫の暴力に悩んでいた。さらに副腎に腫瘍が見つかり、医師に命の危険を告げられた。
苦しみの淵にあったが、学会活動は一歩も引かなかった。
「御書の一節を50回以上、音読した日もありました。そうでもしないと、弱い心に負けてしまいそうで」とリーシュさん。
85年にはバレエ団を創設。再婚した夫が団のマネジャーを務め、国内外で公演を重ねている。
「日蓮大聖人は、酷寒の地で敵に狙われながら、人類の幸福を願われ、激励の文をつづられています。その御境涯を思うたび、感謝と勇気が湧きました」
内陸に位置するエドモントンは、冬季には氷点下40度まで冷え込むなど世界有数の寒さで知られる。カナダ最北の地区も同地の組織に所属し、リーシュさんは、そうした友の激励に駆けてきた。
2014年には待望のエドモントン会館が完成。心を躍らせ、広布の春を進む。
クリス・エディさん(圏副婦人部長)は、81年の記念総会に鼓笛隊として参加。西部のカルガリーからは、ただ一人の参加だった。
広大なカナダでは、全員で集まって練習することは難しい。総会に出演する鼓笛隊のメンバーが、そろって練習できたのは、開会前の1時間だけだった。
鼓笛隊の演奏が始まると、場内は総立ちに。皆が肩を組み、愛唱歌を歌い上げた。
総会後、池田先生が会う人会う人に声を掛ける姿に、「ここから師弟の絆が生まれ、世界中に広がっているんだと実感しました」。
夫が経営する運送会社が窮地に陥り、幼子を抱えて経済苦と戦ったエディさん。
「"学会活動をしているから大丈夫"ではなく、常に先生を求める姿勢でいることが大切だと、身をもって経験しました」と振り返る。
やがて会社の業績が好転。夫妻で宿命転換の実証をつかんだ。
「池田先生への感謝は言葉では言い表せません。どこまでも行動で示すしかないと思っています」——その決意を胸に、今日もカルガリー広布に尽くす。
◇信心を貫く
トロント近郊のカレドン教育文化センターでは、各部の研修会が定期的に行われ、カナダ全土から友が集う。
そうした中で、カナダの同志には、遠く離れていても互いの成長を祈り、励まし合う絆が生まれている。
81年6月23日、後に教育文化センターが立つカレドンで、日本の親善交流団との文化交歓会が開催された。
冬はスキー場となる丘を会場に、ガーデンパーティー形式で昼食を取りながら歓談のひとときを。その後、ミニ文化祭が開かれた。
この前年に入会したケイト・ウェルズさん(カナダSGI副総合婦人部長)は、池田先生の姿が胸に迫った。
「先生自ら料理を取り分け、誰とでも気さくに会話を楽しまれていました。人間味あふれる姿に、この信心を選んで良かったと思いました」
モントリオールでバレエダンサーとして活躍していたウェルズさん。「先生との"最初の出会い"は、映画だったんです」
同僚から映画「人間革命」に誘われ、自分と同世代の山本伸一青年が生きる意味を求める姿、戸田先生の前で詠んだ「地涌」の詩に心を打たれた。
ウェルズさんは生後すぐに養子として引き取られた。ダンサーの夢をかなえてからも、そのことが心の奥でうずいていた。
「自分の人生においても、"師"の存在を求めていたんです」
先生は81年の総会で"20年間まじめに信心を貫けば、人生は必ず変わります"と。
ウェルズさんは述懐する。「私に直接言われているように感じました。上から物を言うのではなく、心に呼び掛けてくださった。この時、私は広布に生きようと決めました」
ハワイ大学等で舞踊人類学などを専攻。放送局に勤務し、多忙な合間を縫って友のもとへ通った。
2004年、カナダSGIの婦人部長に。「あなたの勝利が私の勝利」を合言葉に、全国の部員一人一人に励ましを重ねてきた。
念願だった実の家族との再会も果たし、今年4月のカレドン教育文化センターでの集いには、妹も参加。25年越しの対話が実り、皆の祝福に包まれて御本尊を受持することができた。
「広いカナダだからこそ、1回の出会いが大切です。その時に、どれだけ池田先生のことを伝えられるかだと思います」と話すウェルズさん。
その励ましの道に、後継の友が続く。
2018年7月16日月曜日
2018.07.16 わが友に贈る
◇今週のことば
行動する青年こそ
レジデンスの希望だ。
地涌の若人たちよ
強く賢く朗らかに
「立正安国」の柱たれ!
2018年7月16日
撰時抄 P265
『仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき』
【通解】
仏の御使いとして、南無妙法蓮華経を流布しようとする人を、日本国の王臣ならびに万民などが、あるいは罵ったり、あるいは悪口を言ったり、あるいは流罪にし、あるいは打ち叩く、さらには、その弟子や眷属などを種々の難にあわせる、そのような人々が、どうして安穏でいられようか。
〈寸鉄〉 2018年7月16日
東海道で意気高く全国男子部幹部会。堂々の弘教の金字塔!正義は厳たり
沖縄原点の日。美ら島を永遠の幸福島に!平和の誓い胸に対話拡大へ先駆
精神的な成長にこそ真の幸福がある—文豪。昨日より今日。挑戦の日々を
変毒為薬の実証を必ず!全国の同志が豪雨被害の地域にエール。祈り届け
各地で広がる防災地図の周知。危険箇所・避難場所を確認。各家庭の備えも
☆誓いの天地 大阪・豊中総県 2018年7月13日
◇不屈の「関西魂」を胸に
豊中総県は、大阪北部の3市2町が広布の舞台だ。
豊中市は公共交通機関が充実する交通至便の地。
池田市はインスタントラーメン発祥の地であり、全国で初めて分割払いによる住宅分譲が行われた「事始めのまち」である。
箕面市は子育て世代の流入数が大阪トップを誇る。
豊能町は、豊かな自然と閑静な住宅街が広がる。
能勢町は「日本書紀」に登場するなど、古くからの歴史が息づく。
多彩な魅力に富む豊中総県を使命の天地と定め、"負けたらあかん"の「関西魂」を燃やして、多くの青年が広布に駆けている。
豊中市の関西戸田記念講堂の前を走る"ロマンチック街道"。飲食店や、しゃれた洋菓子店などが集まる街道沿いに、朱色の瓦がひときわ目を引く店がある。どら焼きが人気の「和菓子処 喜楽」だ。
店主の堀端祐助さん(男子地区リーダー)は、パティシエに憧れ、製菓の専門学校に入学。だが、授業で試食した和菓子のおいしさに衝撃を受け、この道へ進むことを決意。卒業後、京都で修業を積み、2014年(平成26年)末、店をオープンした。
最初は順調だったが、客足は伸びず、売り上げが落ち込む時期もあった。
そんな頃、牙城会大学校(当時)に入校。さまざまな職場で、悩みを抱えながらも真剣に進む同志の姿に、勇気をもらった。"今できることをやろう"と、試作品の考案や店のホームページの更新に取り組み、次第に評判が広がっていった。
妻の友里さんと結婚し、"いよいよこれから"という昨年4月、顔面神経まひで入院する事態に。懸命に祈り、男子部はじめ地域の同志の励ましに支えられ、手術は無事成功。すぐに店を再開することができ、対話を重ねてきた友里さんを入会に導くこともできた。
今、和菓子作りが体験できるワークショップも開催し、近隣住民から好評を博している。
「日本の伝統文化である和菓子の魅力を、地域の人々に伝えたい」——堀端さんの挑戦は続く。
◇
小畑宏子さん(圏女子部長)は、JR西日本で切符の発券業務に従事する。深夜勤務もある不規則な職場ながら、女子部の活動や白蓮グループの活動にも率先する。
地元の大学を卒業後、JRに入社。最初は仕事で失敗することが多く、"向いていないのかも"と悩んだことも。"なくてはならない人材に"と祈り、勉強も重ねた。
多忙な中、華陽姉妹の訪問・激励に歩いた。仏法対話にも挑み、友人に弘教を実らせた。
努力を重ね、着実に仕事の技術は向上していった。3年前には、切符発券の「スピード」「正確さ」を競う大阪の大会で優勝を果たした。
今年4月、ターミナル駅に異動した小畑さん。新たな職場では、多くの外国人も窓口に訪れるため、語学の研さんにも取り組んでいる。
「信心で自身の心を磨き、常に誠実な接客をしていきます」と笑顔で語った。
——先月18日に発生した大阪北部地震、そして今月の西日本の豪雨で、豊中総県内にも被害が出た。
だが、豊中青年部の友は負けない。不屈の「関西魂」を発揮し、スクラム固く前進を続けていく。
◇栄光の共戦譜
●常勝の新時代へいざや前進
豊中総県は草創期から今日に至るまで、池田先生が幾度も広布の指揮を執ってきた師弟有縁の地である。
「常勝の母」と慕われた故・矢追久子さんの自宅が池田方面にあり、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」の折など、先生は矢追宅を度々訪れ、関西の同志を激励している。
66年(同41年)に開館した豊中会館(後の関西牧口記念館、現・豊中平和会館)には40回訪問。豊中の友にとって忘れ得ぬ励ましを送った。
「世界一仲の良い豊中に」
「豊中という名はいい名前だ。豊かな中道の大地だ。豊中は世界の、日本の焦点になる」
「五月三日」の揮毫を認め(80年〈同55年〉5月3日)、広布の峻厳な魂をとどめたのも同会館である。
76年(同51年)4月2日には、関西戸田記念講堂が落成した。
ここで、5・5「創価学会後継者の日」の淵源となった集い(同年5月5日)が開催された。
先生の会長辞任後、師弟共戦を誓い、関西が反転攻勢の火ぶたを切った第3回関西総会(81年〈同56年〉11月22日)も行われた。
数々の学会の重要行事が開かれてきた同講堂は全国、全世界の広布の電源地となってきた。
◇
♪今再びの 陣列に
君と我とは 久遠より
同志の熱き歌声が、関西戸田記念講堂に轟く。
78年(同53年)7月17日、先生が出席した記念の幹部会で、関西の歌「常勝の空」が発表された。友の胸に、師と駆け抜けた"あの日、あの時"が鮮やかによみがえる。この日、関西の新たな前進が始まった。
幹部会に参加した上野哲男さん(副圏長)は、64年(同39年)の入会。同講堂が完成してから、さまざまな会合の設営に携わった。
94年(平成6年)10月の関西栄光総会では、同志と共に"箕面の紅葉"をあしらった設営物などを制作。先生ご夫妻は友の労をたたえ、力作の前で記念のカメラに納まった。
上野さんは同講堂の「守る会」を32年。また、自宅マンションの理事会役員を務めるなど、近隣から大きな信頼が寄せられる。
妻のフジ子さん(支部副婦人部長)の心臓病も、信心で乗り越え、日々、友の励ましに歩く。「学会、池田先生あってこその私の人生です。一歩も引かず、生涯、戦い抜きます」
◇
80年(昭和55年)4月20日、西中俊栄さん(県婦人部主事)は、豊中平和会館近くの山口信治さん(故人)宅にいた。友と談笑していると、突然、声が聞こえた。
「ごめんやす」
声の主は、池田先生だった。先生は縁側に腰掛け、その周りを囲むように友の輪ができた。
第5次訪中を控えた先生は、「これから中国へ行くんだ」と語り、"現地の皆さんに喜んでもらうために"と準備してきた手品を披露。西中さんが「先生、もういっぺんお願いします」と言うと、「もう一回だけだよ」と先生。皆に笑顔の花が咲いた。
会長辞任から1年になろうとしていた。だが、先生と関西の友との間には、何の夾雑物もなかった。
西中さんは56年(同31年)3月、先生が出席した座談会に参加し、入会。同年5月の「1万1111世帯」の不滅の金字塔が打ち立てられた時、西中さんも弘教を実らせた。
60年(同35年)、卓次さん(県主事)と結婚。その後、先生と懇談する機会があった。
先生は西中さんに語った。「よく頑張ってきたね。よく付いてきたね」「これからも見守っているよ」
師匠の慈愛を胸に、2人の子育てをしながら、広布拡大に奔走した。
長男・勇さん、次男・伸城さんも現在、支部長として奮闘。夫婦共に報恩の人生を力強く進み続ける。
◇
98年(平成10年)5月26日、池田先生は豊中平和会館を訪問。会館を支える友に心からの感謝を伝えた。
関西戸田記念講堂へ出発する間際、先生は牙城会の任務に就いていた古藤英雄さん(副圏長)に声を掛け、握手を交わした。
さらに、妻の貴子さん(婦人部副本部長)や2人の子どもへの励ましの言葉を託した。「古藤君、よろしく頼むよ」と手を上げ、車中の人となった。
「先生の柔らかな手のぬくもりを忘れることはできません。あの日が、わが家の原点です」
壮年部に進出してからもブロック長(現・常勝長)、地区部長、支部長、本部長と、常に広布の最前線を奔走してきた。豊中平和会館のすぐ近くに自宅を購入し、広布の会場として提供している。
師との出会いから20年となる今年、報恩の思いを胸に、夫婦で2世帯の弘教を実らせている。古藤さんは力を込めた。「先生のおかげで、本当に幸せな境涯になりました。後継者を育て、この地域を、福運あふれる楽土にしていきます」
◇
今年2月、関西戸田記念講堂で開催された本部幹部会・関西総会。池田先生はメッセージで呼び掛けた。
「さあ、一人ももれなく、常勝栄光の未来へ、『いざや前進 恐れなく』」
間もなく「常勝の空」発表40周年の「7・17」。
何があっても、私たちは池田先生と共に!——それが豊中と関西の友に脈打つ常勝の魂である。
行動する青年こそ
レジデンスの希望だ。
地涌の若人たちよ
強く賢く朗らかに
「立正安国」の柱たれ!
2018年7月16日
撰時抄 P265
『仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき』
【通解】
仏の御使いとして、南無妙法蓮華経を流布しようとする人を、日本国の王臣ならびに万民などが、あるいは罵ったり、あるいは悪口を言ったり、あるいは流罪にし、あるいは打ち叩く、さらには、その弟子や眷属などを種々の難にあわせる、そのような人々が、どうして安穏でいられようか。
〈寸鉄〉 2018年7月16日
東海道で意気高く全国男子部幹部会。堂々の弘教の金字塔!正義は厳たり
沖縄原点の日。美ら島を永遠の幸福島に!平和の誓い胸に対話拡大へ先駆
精神的な成長にこそ真の幸福がある—文豪。昨日より今日。挑戦の日々を
変毒為薬の実証を必ず!全国の同志が豪雨被害の地域にエール。祈り届け
各地で広がる防災地図の周知。危険箇所・避難場所を確認。各家庭の備えも
☆誓いの天地 大阪・豊中総県 2018年7月13日
◇不屈の「関西魂」を胸に
豊中総県は、大阪北部の3市2町が広布の舞台だ。
豊中市は公共交通機関が充実する交通至便の地。
池田市はインスタントラーメン発祥の地であり、全国で初めて分割払いによる住宅分譲が行われた「事始めのまち」である。
箕面市は子育て世代の流入数が大阪トップを誇る。
豊能町は、豊かな自然と閑静な住宅街が広がる。
能勢町は「日本書紀」に登場するなど、古くからの歴史が息づく。
多彩な魅力に富む豊中総県を使命の天地と定め、"負けたらあかん"の「関西魂」を燃やして、多くの青年が広布に駆けている。
豊中市の関西戸田記念講堂の前を走る"ロマンチック街道"。飲食店や、しゃれた洋菓子店などが集まる街道沿いに、朱色の瓦がひときわ目を引く店がある。どら焼きが人気の「和菓子処 喜楽」だ。
店主の堀端祐助さん(男子地区リーダー)は、パティシエに憧れ、製菓の専門学校に入学。だが、授業で試食した和菓子のおいしさに衝撃を受け、この道へ進むことを決意。卒業後、京都で修業を積み、2014年(平成26年)末、店をオープンした。
最初は順調だったが、客足は伸びず、売り上げが落ち込む時期もあった。
そんな頃、牙城会大学校(当時)に入校。さまざまな職場で、悩みを抱えながらも真剣に進む同志の姿に、勇気をもらった。"今できることをやろう"と、試作品の考案や店のホームページの更新に取り組み、次第に評判が広がっていった。
妻の友里さんと結婚し、"いよいよこれから"という昨年4月、顔面神経まひで入院する事態に。懸命に祈り、男子部はじめ地域の同志の励ましに支えられ、手術は無事成功。すぐに店を再開することができ、対話を重ねてきた友里さんを入会に導くこともできた。
今、和菓子作りが体験できるワークショップも開催し、近隣住民から好評を博している。
「日本の伝統文化である和菓子の魅力を、地域の人々に伝えたい」——堀端さんの挑戦は続く。
◇
小畑宏子さん(圏女子部長)は、JR西日本で切符の発券業務に従事する。深夜勤務もある不規則な職場ながら、女子部の活動や白蓮グループの活動にも率先する。
地元の大学を卒業後、JRに入社。最初は仕事で失敗することが多く、"向いていないのかも"と悩んだことも。"なくてはならない人材に"と祈り、勉強も重ねた。
多忙な中、華陽姉妹の訪問・激励に歩いた。仏法対話にも挑み、友人に弘教を実らせた。
努力を重ね、着実に仕事の技術は向上していった。3年前には、切符発券の「スピード」「正確さ」を競う大阪の大会で優勝を果たした。
今年4月、ターミナル駅に異動した小畑さん。新たな職場では、多くの外国人も窓口に訪れるため、語学の研さんにも取り組んでいる。
「信心で自身の心を磨き、常に誠実な接客をしていきます」と笑顔で語った。
——先月18日に発生した大阪北部地震、そして今月の西日本の豪雨で、豊中総県内にも被害が出た。
だが、豊中青年部の友は負けない。不屈の「関西魂」を発揮し、スクラム固く前進を続けていく。
◇栄光の共戦譜
●常勝の新時代へいざや前進
豊中総県は草創期から今日に至るまで、池田先生が幾度も広布の指揮を執ってきた師弟有縁の地である。
「常勝の母」と慕われた故・矢追久子さんの自宅が池田方面にあり、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」の折など、先生は矢追宅を度々訪れ、関西の同志を激励している。
66年(同41年)に開館した豊中会館(後の関西牧口記念館、現・豊中平和会館)には40回訪問。豊中の友にとって忘れ得ぬ励ましを送った。
「世界一仲の良い豊中に」
「豊中という名はいい名前だ。豊かな中道の大地だ。豊中は世界の、日本の焦点になる」
「五月三日」の揮毫を認め(80年〈同55年〉5月3日)、広布の峻厳な魂をとどめたのも同会館である。
76年(同51年)4月2日には、関西戸田記念講堂が落成した。
ここで、5・5「創価学会後継者の日」の淵源となった集い(同年5月5日)が開催された。
先生の会長辞任後、師弟共戦を誓い、関西が反転攻勢の火ぶたを切った第3回関西総会(81年〈同56年〉11月22日)も行われた。
数々の学会の重要行事が開かれてきた同講堂は全国、全世界の広布の電源地となってきた。
◇
♪今再びの 陣列に
君と我とは 久遠より
同志の熱き歌声が、関西戸田記念講堂に轟く。
78年(同53年)7月17日、先生が出席した記念の幹部会で、関西の歌「常勝の空」が発表された。友の胸に、師と駆け抜けた"あの日、あの時"が鮮やかによみがえる。この日、関西の新たな前進が始まった。
幹部会に参加した上野哲男さん(副圏長)は、64年(同39年)の入会。同講堂が完成してから、さまざまな会合の設営に携わった。
94年(平成6年)10月の関西栄光総会では、同志と共に"箕面の紅葉"をあしらった設営物などを制作。先生ご夫妻は友の労をたたえ、力作の前で記念のカメラに納まった。
上野さんは同講堂の「守る会」を32年。また、自宅マンションの理事会役員を務めるなど、近隣から大きな信頼が寄せられる。
妻のフジ子さん(支部副婦人部長)の心臓病も、信心で乗り越え、日々、友の励ましに歩く。「学会、池田先生あってこその私の人生です。一歩も引かず、生涯、戦い抜きます」
◇
80年(昭和55年)4月20日、西中俊栄さん(県婦人部主事)は、豊中平和会館近くの山口信治さん(故人)宅にいた。友と談笑していると、突然、声が聞こえた。
「ごめんやす」
声の主は、池田先生だった。先生は縁側に腰掛け、その周りを囲むように友の輪ができた。
第5次訪中を控えた先生は、「これから中国へ行くんだ」と語り、"現地の皆さんに喜んでもらうために"と準備してきた手品を披露。西中さんが「先生、もういっぺんお願いします」と言うと、「もう一回だけだよ」と先生。皆に笑顔の花が咲いた。
会長辞任から1年になろうとしていた。だが、先生と関西の友との間には、何の夾雑物もなかった。
西中さんは56年(同31年)3月、先生が出席した座談会に参加し、入会。同年5月の「1万1111世帯」の不滅の金字塔が打ち立てられた時、西中さんも弘教を実らせた。
60年(同35年)、卓次さん(県主事)と結婚。その後、先生と懇談する機会があった。
先生は西中さんに語った。「よく頑張ってきたね。よく付いてきたね」「これからも見守っているよ」
師匠の慈愛を胸に、2人の子育てをしながら、広布拡大に奔走した。
長男・勇さん、次男・伸城さんも現在、支部長として奮闘。夫婦共に報恩の人生を力強く進み続ける。
◇
98年(平成10年)5月26日、池田先生は豊中平和会館を訪問。会館を支える友に心からの感謝を伝えた。
関西戸田記念講堂へ出発する間際、先生は牙城会の任務に就いていた古藤英雄さん(副圏長)に声を掛け、握手を交わした。
さらに、妻の貴子さん(婦人部副本部長)や2人の子どもへの励ましの言葉を託した。「古藤君、よろしく頼むよ」と手を上げ、車中の人となった。
「先生の柔らかな手のぬくもりを忘れることはできません。あの日が、わが家の原点です」
壮年部に進出してからもブロック長(現・常勝長)、地区部長、支部長、本部長と、常に広布の最前線を奔走してきた。豊中平和会館のすぐ近くに自宅を購入し、広布の会場として提供している。
師との出会いから20年となる今年、報恩の思いを胸に、夫婦で2世帯の弘教を実らせている。古藤さんは力を込めた。「先生のおかげで、本当に幸せな境涯になりました。後継者を育て、この地域を、福運あふれる楽土にしていきます」
◇
今年2月、関西戸田記念講堂で開催された本部幹部会・関西総会。池田先生はメッセージで呼び掛けた。
「さあ、一人ももれなく、常勝栄光の未来へ、『いざや前進 恐れなく』」
間もなく「常勝の空」発表40周年の「7・17」。
何があっても、私たちは池田先生と共に!——それが豊中と関西の友に脈打つ常勝の魂である。
2018.07.15 わが友に贈る
「自他共に智慧と慈悲と
有るを喜とは云うなり」
全ての人の生命に
無限の慈愛の泉が在る。
それを引き出す仏法だ!
大果報御書 P1298
『七月十五日より上下いしはいと申す虫ふりて国大体三分のうへそんじ候いぬ、をほかた人のいくべしともみへず候、これまで候をもいたたせ給う上なに事もとをもひ候へどもかさねての御心ざしはうにもすぎ候か』
【通解】
七月十五日から上も下も石灰という虫が降って、国の大体三分の一は飢饉に陥った。大方の人は生きていけるかどうかも分からない。これまで気をつかっていただいたうえは、もうどのようなものであっても不可能と思っていたけれども、かさねてのお志は法に過ぎることである。
〈寸鉄〉 2018年7月15日
さあ未来部躍進月間だ!鳳雛たちの成長こそ学会の光。温かな励まし皆で
池田先生の東北初訪問の日。青葉の誓いは青年に脈々。福光の世紀断じて
御書「南無妙法蓮華経の大音声を出だして」。苦難の時こそ題目。壁破る源
少ない水も分けて飲めば熱中症の対策になると。被災の皆様、健康第一で
自動ブレーキ過信による事故多し。車は急に止まれない。安全運転の心を
☆御書と歩む� 第25回 民衆を守る知性たれ
『釈迦仏・普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華菩薩等の各各の御心中に入り給へるか、法華経の文に閻浮提に此の経を信ぜん人は普賢菩薩の御力なりと申す是なるべし』(同生同名御書、1115ページ)
◇通解
釈迦仏が、また普賢菩薩が、薬王菩薩が、宿王華菩薩等が、あなた方の生命の中に入られたのだろうか。法華経の経文に「世界で人々がこの経を信じるとき、それは普賢菩薩のお力である」とあるのは、このことであろう。
◇同志への指針
わが学会には、若き普賢菩薩たる男女学生部の友が躍動している。英知と情熱で民衆の幸福に尽くし、世界の平和へ貢献しゆく連帯である。
「当起遠迎、当如敬仏」の精神を貫く学会活動こそ、まさに「普賢菩薩の御力」を磨き鍛える仏道修行だ。これほど誇り高き栄光の青春はない。
全世界の英才たちと共に、はつらつと地球社会の明日を照らしゆけ!
☆御書と歩む� 第26回 白蓮の青春に幸薫れ
『蓮華と申す花は菓と花と同時なり』(上野尼御前御返事、1580ページ)
◇通解
(法華経に譬えられた)蓮華という花は菓(実)と花が同時である。
◇同志への指針
因果倶時の妙法を持つ女性には、そのまま仏の生命が涌現する。一人も欠けず絶対に幸福になる。
これが御本仏のお約束だ。
いかなる境遇でも、題目を唱える「今」から逆転勝利の劇が始まる。女性の笑顔が咲き、福徳が実る社会こそ、広宣流布の指標なのだ。
最も清らかな白蓮華の名を冠する乙女よ、賢く仲良く朗らかに、幸と平和の大輪を!
☆御書と歩む� 第27回 全世界の同志と安穏を祈念
『法華経の持者は教主釈尊の御子なれば争か梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜・朝暮に守らせ給はざるべきや』(太田左衛門尉御返事、1017ページ)
◇通解
法華経を受持する者は教主釈尊の御子であるので、どうして梵天・帝釈も、日月・衆星も、昼に夜に、また朝に夕方に守らないことがあるだろうか(必ず守るであろう)。
◇同志への指針
豪雨の被災地の方々に、全世界の同志と共に題目を送っています。
妙法を唱え抜く尊極の生命を、諸天は仰ぎ仕えるように護ります。いかなる災難にも、「転重軽受」「変毒為薬」の大功力は厳然です。
大変な時こそ、仏法の慈悲と勇気が光り、無量の心の財が積まれます。皆で励まし、支え合って、愛する郷土の福光へ不屈の一歩を!
有るを喜とは云うなり」
全ての人の生命に
無限の慈愛の泉が在る。
それを引き出す仏法だ!
大果報御書 P1298
『七月十五日より上下いしはいと申す虫ふりて国大体三分のうへそんじ候いぬ、をほかた人のいくべしともみへず候、これまで候をもいたたせ給う上なに事もとをもひ候へどもかさねての御心ざしはうにもすぎ候か』
【通解】
七月十五日から上も下も石灰という虫が降って、国の大体三分の一は飢饉に陥った。大方の人は生きていけるかどうかも分からない。これまで気をつかっていただいたうえは、もうどのようなものであっても不可能と思っていたけれども、かさねてのお志は法に過ぎることである。
〈寸鉄〉 2018年7月15日
さあ未来部躍進月間だ!鳳雛たちの成長こそ学会の光。温かな励まし皆で
池田先生の東北初訪問の日。青葉の誓いは青年に脈々。福光の世紀断じて
御書「南無妙法蓮華経の大音声を出だして」。苦難の時こそ題目。壁破る源
少ない水も分けて飲めば熱中症の対策になると。被災の皆様、健康第一で
自動ブレーキ過信による事故多し。車は急に止まれない。安全運転の心を
☆御書と歩む� 第25回 民衆を守る知性たれ
『釈迦仏・普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華菩薩等の各各の御心中に入り給へるか、法華経の文に閻浮提に此の経を信ぜん人は普賢菩薩の御力なりと申す是なるべし』(同生同名御書、1115ページ)
◇通解
釈迦仏が、また普賢菩薩が、薬王菩薩が、宿王華菩薩等が、あなた方の生命の中に入られたのだろうか。法華経の経文に「世界で人々がこの経を信じるとき、それは普賢菩薩のお力である」とあるのは、このことであろう。
◇同志への指針
わが学会には、若き普賢菩薩たる男女学生部の友が躍動している。英知と情熱で民衆の幸福に尽くし、世界の平和へ貢献しゆく連帯である。
「当起遠迎、当如敬仏」の精神を貫く学会活動こそ、まさに「普賢菩薩の御力」を磨き鍛える仏道修行だ。これほど誇り高き栄光の青春はない。
全世界の英才たちと共に、はつらつと地球社会の明日を照らしゆけ!
☆御書と歩む� 第26回 白蓮の青春に幸薫れ
『蓮華と申す花は菓と花と同時なり』(上野尼御前御返事、1580ページ)
◇通解
(法華経に譬えられた)蓮華という花は菓(実)と花が同時である。
◇同志への指針
因果倶時の妙法を持つ女性には、そのまま仏の生命が涌現する。一人も欠けず絶対に幸福になる。
これが御本仏のお約束だ。
いかなる境遇でも、題目を唱える「今」から逆転勝利の劇が始まる。女性の笑顔が咲き、福徳が実る社会こそ、広宣流布の指標なのだ。
最も清らかな白蓮華の名を冠する乙女よ、賢く仲良く朗らかに、幸と平和の大輪を!
☆御書と歩む� 第27回 全世界の同志と安穏を祈念
『法華経の持者は教主釈尊の御子なれば争か梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜・朝暮に守らせ給はざるべきや』(太田左衛門尉御返事、1017ページ)
◇通解
法華経を受持する者は教主釈尊の御子であるので、どうして梵天・帝釈も、日月・衆星も、昼に夜に、また朝に夕方に守らないことがあるだろうか(必ず守るであろう)。
◇同志への指針
豪雨の被災地の方々に、全世界の同志と共に題目を送っています。
妙法を唱え抜く尊極の生命を、諸天は仰ぎ仕えるように護ります。いかなる災難にも、「転重軽受」「変毒為薬」の大功力は厳然です。
大変な時こそ、仏法の慈悲と勇気が光り、無量の心の財が積まれます。皆で励まし、支え合って、愛する郷土の福光へ不屈の一歩を!
2018年7月14日土曜日
2018.07.14 わが友に贈る
信仰とは不屈の力だ。
いかなる苦難も
必ず乗り越えられる。
今いる場所で
断じて栄光の旗を!
持妙法華問答抄 P465
『一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし』
【通解】
一切の草木は、大地から生ずる。このことから考えると、一切の仏法もまた、人によって広まるのである。
〈寸鉄〉 2018年7月14日
広布の為に戦い勝つ弟子たれ—戸田先生。青年よ君の勝利が創価の勝利と
岩手の日。地域に希望と勇気を送る福光の太陽に喝采。皆が輝く理想郷を
「道理と申すは主に勝つ物なり」御書。社会で光る実証の人に。誠実こそ力
日本の人口減少幅が最大に。我らの使命は大。誰も置き去りにしない社会へ
長引く豪雨の避難生活。栄養・水分補給と適度な運動を。共に声掛け合い
☆四季の励まし 「勇気ある信心」を今こそ 2018年7月8日
大いなる理想に向かって進む
「向上の人生」——
その人には、
いつも希望がある。
充実がある。感動がある。
内面からあふれ出る
生命の輝きがあり、
何ともいえない魅力がある。
人間は、孤独に陥り、
自分ばかりが大変なのだと思うと、
悲観的になり、
心も弱くなってしまうものだ。
しかし、自分より、
もっと大変ななかで
頑張っている人もいる。
それを知れば、勇気が湧く。
そして、
悶々と悩む自分を見下ろしながら、
むしろ、試練と戦う友を
励ませる自分に成長できる。
苦難の時こそ、
勇気ある信心を奮い起こし、
生命の苦悩の流転を断ち切り、
境涯を開いていくチャンスなのだ。
大きな目的のために
「行動」すれば、
それだけ自分の「夢」が広がる。
大きな「歴史」が輝く。
私たちも
広宣流布の「大願」に生きぬく時、
自分の「小我」は
「大我」となっていく。
法のため、人のために
「行動」した分だけ
「大きな自分」となる。
それは即「大きな幸福」である。
我らの挑む広宣流布の戦いは、
この地球上に共に生きる
全ての人々を
幸福にしていこうという、
大いなる夢への挑戦である。
なれば、
大空を見上げながら、
心広々と朗らかに、
粘り強く進むのだ。
どこまでも続く青い空。緑豊かな山並み。左手には、雄壮な桜島が見える。1990年(平成2年)10月、池田大作先生が鹿児島・霧島を訪れた際に撮影した一葉である。
人間だけが理想を持てる。大いなる理想に生きてこそ、自己の殻を打ち破り、心を大きく広げることができる。
近代中国の大指導者・孫文は語った。「大きな事業をやりとげるには、なによりも大きな志をいだき、大きな度胸をもち、大きな決心をしなければならない」(林要三訳、『孫文選集』2、伊地智善継・山口一郎監修、社会思想社)
広宣流布という壮大なロマンを胸に、それぞれの目標に向かって、朗らかに前進しよう。
いかなる苦難も
必ず乗り越えられる。
今いる場所で
断じて栄光の旗を!
持妙法華問答抄 P465
『一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし』
【通解】
一切の草木は、大地から生ずる。このことから考えると、一切の仏法もまた、人によって広まるのである。
〈寸鉄〉 2018年7月14日
広布の為に戦い勝つ弟子たれ—戸田先生。青年よ君の勝利が創価の勝利と
岩手の日。地域に希望と勇気を送る福光の太陽に喝采。皆が輝く理想郷を
「道理と申すは主に勝つ物なり」御書。社会で光る実証の人に。誠実こそ力
日本の人口減少幅が最大に。我らの使命は大。誰も置き去りにしない社会へ
長引く豪雨の避難生活。栄養・水分補給と適度な運動を。共に声掛け合い
☆四季の励まし 「勇気ある信心」を今こそ 2018年7月8日
大いなる理想に向かって進む
「向上の人生」——
その人には、
いつも希望がある。
充実がある。感動がある。
内面からあふれ出る
生命の輝きがあり、
何ともいえない魅力がある。
人間は、孤独に陥り、
自分ばかりが大変なのだと思うと、
悲観的になり、
心も弱くなってしまうものだ。
しかし、自分より、
もっと大変ななかで
頑張っている人もいる。
それを知れば、勇気が湧く。
そして、
悶々と悩む自分を見下ろしながら、
むしろ、試練と戦う友を
励ませる自分に成長できる。
苦難の時こそ、
勇気ある信心を奮い起こし、
生命の苦悩の流転を断ち切り、
境涯を開いていくチャンスなのだ。
大きな目的のために
「行動」すれば、
それだけ自分の「夢」が広がる。
大きな「歴史」が輝く。
私たちも
広宣流布の「大願」に生きぬく時、
自分の「小我」は
「大我」となっていく。
法のため、人のために
「行動」した分だけ
「大きな自分」となる。
それは即「大きな幸福」である。
我らの挑む広宣流布の戦いは、
この地球上に共に生きる
全ての人々を
幸福にしていこうという、
大いなる夢への挑戦である。
なれば、
大空を見上げながら、
心広々と朗らかに、
粘り強く進むのだ。
どこまでも続く青い空。緑豊かな山並み。左手には、雄壮な桜島が見える。1990年(平成2年)10月、池田大作先生が鹿児島・霧島を訪れた際に撮影した一葉である。
人間だけが理想を持てる。大いなる理想に生きてこそ、自己の殻を打ち破り、心を大きく広げることができる。
近代中国の大指導者・孫文は語った。「大きな事業をやりとげるには、なによりも大きな志をいだき、大きな度胸をもち、大きな決心をしなければならない」(林要三訳、『孫文選集』2、伊地智善継・山口一郎監修、社会思想社)
広宣流布という壮大なロマンを胸に、それぞれの目標に向かって、朗らかに前進しよう。
2018年7月13日金曜日
2018.07.13 わが友に贈る
人のつながりこそ
復旧・復興への力。
誰も孤立させないよう
連携を蜜に取り合おう!
「声仏事を為す」だ。
船守弥三郎許御書 P1446
『夫婦二人は教主大覚世尊の生れかわり給いて日蓮をたすけ給うか』
【通解】
あなた方ご夫妻は、教主釈尊が生まれ変わられて、日蓮を助けられたのであろう。
〈寸鉄〉 2018年7月13日
池田先生の言葉には人間の力を信じる心が—識者我らも励ましの声今こそ
本幹中継行事を支える全ての役員に感謝。勇み集う陰の奮闘に福徳は燦然
青年部教学1級試験へ申し込み進む。戦いの中で最高峰の哲学を学び抜け
水害家屋の片付けはガス漏れや漏電ないかの確認が必須と。早期復旧祈る
気候変動対策で官民105団体参加の新組織が発足。全ジャパンで難題に挑め
☆第36回本部幹部会・九州総会への池田先生のメッセージ
牧口先生、戸田先生の法難から75年
牧口先生「私の後に必ず青年が続く」
広布加速の原動力 衛星中継開始30年目 陰で支える全ての友に感謝
一、初めに、このたびの記録的な豪雨の被害に心よりお見舞いを申し上げます。
被災地の方々に届けと、ひたぶるに題目を送っております。支援・激励、また復旧に尽力される皆さん方も、本当にご苦労さまでございます。
尊き宝友を一人ももれなく、三世十方の仏菩薩よ、無量無辺の諸天善神よ、断固として護りに護り給えと、私はいよいよ強盛に祈り抜いてまいります。
一、愛する大九州の栄光凱歌の総会、そして世界の気高き求道の友を迎えての本部幹部会に、万感の思いを込めてメッセージを送ります。
わが学会の衛星中継が始まって、今年で30年目になります。
数学の天才であった戸田先生はよく、「通信技術の発達は、広宣流布が飛躍的に加速する兆候なんだよ」と展望されていました。その通りに、20世紀から21世紀の大転換期にあって、我ら創価家族は、衛星中継を通して、固く強く心を一つに結び合い、邪宗門をはじめ僭聖増上慢の迫害とも悠然と戦い抜きながら、世界宗教として大発展を遂げることができたのです。
中継を陰で支えてきてくれた全ての方々に、私は心より感謝申し上げます。
〈衛星中継は1989年8月24日にスタート。その後、離島や山間地の個人会場でインターネット中継が始まり、現在は、地上光回線ネットワークを利用した中継システムに移行している〉
◇不二の師弟で正義の勝ち鬨を
一、鮮烈に思い起こされるのは、2005年の11月、同時中継で結ばれた、大九州の10万人の若人による、ベートーベンの名曲「第九」の圧巻の大合唱です。沖縄と韓国の青年も参加した、この「アジアの第九」を、私は東京の学会本部で最初から最後まで見つめました。距離を超えて、不二の師弟で正義の勝ち鬨を轟かせた、永遠に忘れ得ぬロマンの劇です。
そして、きょうの総会も、私は大好きな九州への80回目の訪問との思いで、福岡の講堂、ならびに全九州12総県・43会館に勇み集った誉れの全同志の大勝利の勇姿を見守っております(大拍手)。
壮年部・婦人部のリーダーたちの顔も本当に懐かしい。頼もしく、凜々しい青年部・未来部の友とも、私は一人一人と心の握手を交わしています。
さらに、九州家族と一緒に素晴らしい交流の歴史を刻んでくれた、海外の指導者の皆さん方も、何と輝き光っていることでしょう!
一、御本仏・日蓮大聖人が願われた、「自他彼此の心なく水魚の思を成して」(御書1337ページ)広宣流布に進みゆく究極の団結は、この創価のスクラムにのみあります。
異体同心なればこそ、わが学会は断じて負けない。絶対に行き詰まらない。必ずや万事を成就し、皆が尽きることのない大功徳を受け切っていけるのです。
これまでも、ありとあらゆる苦難を我らは異体同心で乗り越えてきました。これからも、全国・全世界の創価家族が地球を包みゆく異体同心の団結で、「大悪をこれば大善きたる」(同1300ページ)の実証を勝ち示していこうではありませんか!
◇先駆の誓願胸に
一、さて、今、世界中の友が仰ぎ見る牧口先生の肖像写真は、実は、福岡市の写真館で撮影されました。それは、戦時中の1940年(昭和15年)の11月、69歳の牧口先生が九州各地を折伏に奔走される最中です。
写真館を営んでいたのは、半年前に東京で牧口先生にお会いし、その尊い振る舞いに感動して入会した青年です。新入会の青年たちを大切に育てた先生は、彼の家にも足を運んで励まされたのです。この折、青年は、ぜひとも先生の偉大な風格を留めさせていただきたいと申し出て、全魂込めて撮影に臨みました。
九州の若人ならではの、ほとばしる熱き真心があればこそ、「師子王の心」に燃え立つ「創立の父」のお姿が、厳然と今に伝えられているのであります。
この写真撮影から3年後の7月、牧口先生と戸田先生は、死身弘法を貫かれたがゆえに法難に遭われました。今年で、75星霜となります。
両先生が共に、それぞれの御書に強く線を引いて、身読された御聖訓を、きょうは改めて、後継の門弟一同で拝したい。今月の座談会の拝読御書にもなっている「種種御振舞御書」の一節です。
通解で拝するならば——「各々、わが弟子と名乗る人々は、一人も臆する思いを起こしてはならない」(同910ページ)、「妙法蓮華経の五字が、末法の初めに全世界に広まっていく瑞相として、日蓮が先駆けしたのである。わが一門のものたちは、二陣、三陣と続いて、迦葉や阿難にも勝れ、天台や伝教をも超えなさい。わずかばかりの小島である日本の国主らが脅すのを恐れては、閻魔王の責めをどうするというのか」(同ページ)と。
牧口先生は草創の九州の母に「私の足跡の後に必ず青年が続々と続きます」と宣言され、書き留められました。この書面は、後に特高刑事に押収されましたが、今まさに世界中の青年が陸続と躍り出ているではありませんか!
我らは、誇り高き「先駆」の誓願のままに、いよいよ恐れなく、広宣流布、立正安国の先頭に立って、民衆の幸福と平和のために戦い進んでまいりたい。
ここにこそ、人間として、これ以上ない栄光と福徳の人生があり、万人が未来永遠に崩れない常楽我浄の大境涯を開きゆける道があるからであります。
そして、全国で最初に結成された九州多宝会の尊き父母たちのように、一人一人を温かくおおらかに励まし、希望の歌声を仲良く力強く響かせながら、若き地涌の世界市民を、二陣、三陣と限りなく呼び出していこうではありませんか!(大拍手)
◇変毒為薬の前進
一、皆さんに応援をいただいている小説『新・人間革命』の執筆も、おかげさまで総仕上げに入りました。連載の完結は、9月の8日、すなわち恩師の「原水爆禁止宣言」の日を目標に進めていることを、ここで報告させていただきます(大拍手)。
「妙とは蘇生の義」(同947ページ)です。題目と共に日々、蘇る生命力で一切を変毒為薬し、不屈の「人間革命」の前進をと申し上げ、メッセージといたします。お元気で!(大拍手)
復旧・復興への力。
誰も孤立させないよう
連携を蜜に取り合おう!
「声仏事を為す」だ。
船守弥三郎許御書 P1446
『夫婦二人は教主大覚世尊の生れかわり給いて日蓮をたすけ給うか』
【通解】
あなた方ご夫妻は、教主釈尊が生まれ変わられて、日蓮を助けられたのであろう。
〈寸鉄〉 2018年7月13日
池田先生の言葉には人間の力を信じる心が—識者我らも励ましの声今こそ
本幹中継行事を支える全ての役員に感謝。勇み集う陰の奮闘に福徳は燦然
青年部教学1級試験へ申し込み進む。戦いの中で最高峰の哲学を学び抜け
水害家屋の片付けはガス漏れや漏電ないかの確認が必須と。早期復旧祈る
気候変動対策で官民105団体参加の新組織が発足。全ジャパンで難題に挑め
☆第36回本部幹部会・九州総会への池田先生のメッセージ
牧口先生、戸田先生の法難から75年
牧口先生「私の後に必ず青年が続く」
広布加速の原動力 衛星中継開始30年目 陰で支える全ての友に感謝
一、初めに、このたびの記録的な豪雨の被害に心よりお見舞いを申し上げます。
被災地の方々に届けと、ひたぶるに題目を送っております。支援・激励、また復旧に尽力される皆さん方も、本当にご苦労さまでございます。
尊き宝友を一人ももれなく、三世十方の仏菩薩よ、無量無辺の諸天善神よ、断固として護りに護り給えと、私はいよいよ強盛に祈り抜いてまいります。
一、愛する大九州の栄光凱歌の総会、そして世界の気高き求道の友を迎えての本部幹部会に、万感の思いを込めてメッセージを送ります。
わが学会の衛星中継が始まって、今年で30年目になります。
数学の天才であった戸田先生はよく、「通信技術の発達は、広宣流布が飛躍的に加速する兆候なんだよ」と展望されていました。その通りに、20世紀から21世紀の大転換期にあって、我ら創価家族は、衛星中継を通して、固く強く心を一つに結び合い、邪宗門をはじめ僭聖増上慢の迫害とも悠然と戦い抜きながら、世界宗教として大発展を遂げることができたのです。
中継を陰で支えてきてくれた全ての方々に、私は心より感謝申し上げます。
〈衛星中継は1989年8月24日にスタート。その後、離島や山間地の個人会場でインターネット中継が始まり、現在は、地上光回線ネットワークを利用した中継システムに移行している〉
◇不二の師弟で正義の勝ち鬨を
一、鮮烈に思い起こされるのは、2005年の11月、同時中継で結ばれた、大九州の10万人の若人による、ベートーベンの名曲「第九」の圧巻の大合唱です。沖縄と韓国の青年も参加した、この「アジアの第九」を、私は東京の学会本部で最初から最後まで見つめました。距離を超えて、不二の師弟で正義の勝ち鬨を轟かせた、永遠に忘れ得ぬロマンの劇です。
そして、きょうの総会も、私は大好きな九州への80回目の訪問との思いで、福岡の講堂、ならびに全九州12総県・43会館に勇み集った誉れの全同志の大勝利の勇姿を見守っております(大拍手)。
壮年部・婦人部のリーダーたちの顔も本当に懐かしい。頼もしく、凜々しい青年部・未来部の友とも、私は一人一人と心の握手を交わしています。
さらに、九州家族と一緒に素晴らしい交流の歴史を刻んでくれた、海外の指導者の皆さん方も、何と輝き光っていることでしょう!
一、御本仏・日蓮大聖人が願われた、「自他彼此の心なく水魚の思を成して」(御書1337ページ)広宣流布に進みゆく究極の団結は、この創価のスクラムにのみあります。
異体同心なればこそ、わが学会は断じて負けない。絶対に行き詰まらない。必ずや万事を成就し、皆が尽きることのない大功徳を受け切っていけるのです。
これまでも、ありとあらゆる苦難を我らは異体同心で乗り越えてきました。これからも、全国・全世界の創価家族が地球を包みゆく異体同心の団結で、「大悪をこれば大善きたる」(同1300ページ)の実証を勝ち示していこうではありませんか!
◇先駆の誓願胸に
一、さて、今、世界中の友が仰ぎ見る牧口先生の肖像写真は、実は、福岡市の写真館で撮影されました。それは、戦時中の1940年(昭和15年)の11月、69歳の牧口先生が九州各地を折伏に奔走される最中です。
写真館を営んでいたのは、半年前に東京で牧口先生にお会いし、その尊い振る舞いに感動して入会した青年です。新入会の青年たちを大切に育てた先生は、彼の家にも足を運んで励まされたのです。この折、青年は、ぜひとも先生の偉大な風格を留めさせていただきたいと申し出て、全魂込めて撮影に臨みました。
九州の若人ならではの、ほとばしる熱き真心があればこそ、「師子王の心」に燃え立つ「創立の父」のお姿が、厳然と今に伝えられているのであります。
この写真撮影から3年後の7月、牧口先生と戸田先生は、死身弘法を貫かれたがゆえに法難に遭われました。今年で、75星霜となります。
両先生が共に、それぞれの御書に強く線を引いて、身読された御聖訓を、きょうは改めて、後継の門弟一同で拝したい。今月の座談会の拝読御書にもなっている「種種御振舞御書」の一節です。
通解で拝するならば——「各々、わが弟子と名乗る人々は、一人も臆する思いを起こしてはならない」(同910ページ)、「妙法蓮華経の五字が、末法の初めに全世界に広まっていく瑞相として、日蓮が先駆けしたのである。わが一門のものたちは、二陣、三陣と続いて、迦葉や阿難にも勝れ、天台や伝教をも超えなさい。わずかばかりの小島である日本の国主らが脅すのを恐れては、閻魔王の責めをどうするというのか」(同ページ)と。
牧口先生は草創の九州の母に「私の足跡の後に必ず青年が続々と続きます」と宣言され、書き留められました。この書面は、後に特高刑事に押収されましたが、今まさに世界中の青年が陸続と躍り出ているではありませんか!
我らは、誇り高き「先駆」の誓願のままに、いよいよ恐れなく、広宣流布、立正安国の先頭に立って、民衆の幸福と平和のために戦い進んでまいりたい。
ここにこそ、人間として、これ以上ない栄光と福徳の人生があり、万人が未来永遠に崩れない常楽我浄の大境涯を開きゆける道があるからであります。
そして、全国で最初に結成された九州多宝会の尊き父母たちのように、一人一人を温かくおおらかに励まし、希望の歌声を仲良く力強く響かせながら、若き地涌の世界市民を、二陣、三陣と限りなく呼び出していこうではありませんか!(大拍手)
◇変毒為薬の前進
一、皆さんに応援をいただいている小説『新・人間革命』の執筆も、おかげさまで総仕上げに入りました。連載の完結は、9月の8日、すなわち恩師の「原水爆禁止宣言」の日を目標に進めていることを、ここで報告させていただきます(大拍手)。
「妙とは蘇生の義」(同947ページ)です。題目と共に日々、蘇る生命力で一切を変毒為薬し、不屈の「人間革命」の前進をと申し上げ、メッセージといたします。お元気で!(大拍手)
2018年7月12日木曜日
2018.07.12 わが友に贈る
「つよきすけを
かひぬれば・たうれず」
寄り添う人がいる限り
人は断じて負けない。
皆が友の強き支えに!
上野殿御返事 P1512
『いつもの御事に候へばをどろかれずめづらしからぬやうにうちをぼへて候は凡夫の心なり』
【通解】
(南条時光からご供養をいただくのは)いつものことなので、驚きもせず、珍しいことでもないように思うのは、凡夫の心のなせるわざである。
〈寸鉄〉 2018年7月12日
「語はふみにつくさず」御書。会うことが激励の基本。軽快に友のもとへ
総東京婦人部「幸福・勝利の日」。希望の花園広げる本陣の太陽。福徳は燦然
誰に対しても誠実の二字で付き合っていけ—恩師爽やかな振舞で友情拡大
被災地の皆様、復旧作業は熱中症に気を付けて。水分補給と休憩小まめに
災害の義援金名目の詐欺に注意—県警。不審電話や訪問に警戒。騙されず
☆歌声高く 第4回 人生の旅
◇光求めて 苦楽を越えて
「いかなる困難も、自らの使命に信念をもつ人びとを挫折させることはできない」(マハトマ・ガンジー)
現実社会の厳しき試練の荒波を、不退の信心で耐え忍び、勝ち越え、広布の使命を敢然と果たしゆく師子王こそ我ら壮年部である。
待望の新壮年部歌「人生の旅」の完成が報じられたのは、1978年(昭和53年)7月7日付の聖教新聞。
8月24日の「壮年部の日」を目指して進む友の奮闘を祈り、池田先生が自ら作詞・作曲したものである。
同歌が誕生した7月6日、池田先生は山梨の大月会館(当時)を初訪問。県の代表との懇談会に出席した先生は、席上、新壮年部歌をいち早く全国の丈夫たちに届けたいと、録音テープの音源を披露し、同席した友と完成の喜びを分かち合った。
広布のロマンが詩情豊かに表現された同歌は、感激とともに各地の壮年部に伝えられた。会合に担当幹部が録音テープを持参したり、有志が歌詞を大きく清書したりしながら、皆で師の心を噛み締め、歌詞とメロディーを覚えていった。
「歌っていると、苦難の幾山河を越えて、悠々たる境涯へと心が広がるようです」「この歌を口ずさみ、これからも壮年部が、家族も、同志も、ぐいぐいリードしていきます」との声が寄せられるなど、対話の現場で力走する壮年勇者への、強い追い風となった。
池田先生はつづっている。「壮年が、率先垂範で広宣流布を推進していってこそ、学会の重厚な力が発揮され、社会に深く根差した運動を展開していくことができる」
大聖人の御在世当時も、富木常忍や大田乗明、曾谷教信らの壮年信徒が、門下の中心的な立場となって、地域広布を担ってきた。
「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(955ページ)、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(970ページ)との御聖訓は、富木常忍に与えられた御書の一節である。
限りある人生を悔いなく妙法流布にささげ、友の幸福と地域社会の繁栄に尽くし切っていく中に、最高に充実した生き方があり、誉れ高き人生がある。
◇
「人生の旅」と同じく7月に詩が誕生した壮年部の愛唱歌がある。「滝の詩」だ。
滝の如く 激しく
滝の如く 撓まず
滝の如く 恐れず
滝の如く 朗らかに
滝の如く 堂々と
男は
王者の風格を持て
71年(昭和46年)6月14日、青森・奥入瀬渓流を訪れた池田先生は、清冽なる滝の風景に思いを寄せて一詩を詠み、7月4日に発表。この詩に青森出身の芸術部員が曲を付け、地元同志によって歌い継がれてきた。
時は流れて2007年5月、青森の壮年部有志が歌った「滝の詩」の音声を聴いた池田先生は、「とても良い歌だ」と賛嘆し、直後の本部幹部会で、音楽隊の合唱団が歌った。その雄々しき歌詞と曲調が感動を呼び、瞬く間に全国壮年部の愛唱するところとなった。
「男は王者の風格を持て」——仕事、家庭、そして地域広布の第一線で、使命と責任を背負い、周囲を輝かせる黄金柱として生き抜く中で、王者の風格が磨かれていく。さあ今日も、ほとばしる滝の如く、威風堂々の人生勝利の旅を——。
MEMO
"この歌を歌いながら、人生の舞を舞うように、明るく、力強く広布の旅を続けていきたい"——「人生の旅」が誕生した当時の本紙をひもとくと、第一線の隅々まで、新壮年部歌の喜びが広がっている様子が記されている。また、歌詞に込められた思いや意義が、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章につづられている。
※ガンジーの言葉は森本達雄訳『わたしの非暴力』みすず書房
一、彼の峰も あの坂も
ああ幾山河 妻子と共に
光求めて 苦楽を越えて
いざや来たらんや 暁仰げば
二、あの風も この雪も
ああ幾歳か たどりたる
今に厳たり この生命
ああ鐘は鳴る 幸の城には
三、彼の人も あの友も
ああ幾百万 旭日に揃わなん
元初の炎は 消えるなく
讃え謳わなん 誉れの門出と
かひぬれば・たうれず」
寄り添う人がいる限り
人は断じて負けない。
皆が友の強き支えに!
上野殿御返事 P1512
『いつもの御事に候へばをどろかれずめづらしからぬやうにうちをぼへて候は凡夫の心なり』
【通解】
(南条時光からご供養をいただくのは)いつものことなので、驚きもせず、珍しいことでもないように思うのは、凡夫の心のなせるわざである。
〈寸鉄〉 2018年7月12日
「語はふみにつくさず」御書。会うことが激励の基本。軽快に友のもとへ
総東京婦人部「幸福・勝利の日」。希望の花園広げる本陣の太陽。福徳は燦然
誰に対しても誠実の二字で付き合っていけ—恩師爽やかな振舞で友情拡大
被災地の皆様、復旧作業は熱中症に気を付けて。水分補給と休憩小まめに
災害の義援金名目の詐欺に注意—県警。不審電話や訪問に警戒。騙されず
☆歌声高く 第4回 人生の旅
◇光求めて 苦楽を越えて
「いかなる困難も、自らの使命に信念をもつ人びとを挫折させることはできない」(マハトマ・ガンジー)
現実社会の厳しき試練の荒波を、不退の信心で耐え忍び、勝ち越え、広布の使命を敢然と果たしゆく師子王こそ我ら壮年部である。
待望の新壮年部歌「人生の旅」の完成が報じられたのは、1978年(昭和53年)7月7日付の聖教新聞。
8月24日の「壮年部の日」を目指して進む友の奮闘を祈り、池田先生が自ら作詞・作曲したものである。
同歌が誕生した7月6日、池田先生は山梨の大月会館(当時)を初訪問。県の代表との懇談会に出席した先生は、席上、新壮年部歌をいち早く全国の丈夫たちに届けたいと、録音テープの音源を披露し、同席した友と完成の喜びを分かち合った。
広布のロマンが詩情豊かに表現された同歌は、感激とともに各地の壮年部に伝えられた。会合に担当幹部が録音テープを持参したり、有志が歌詞を大きく清書したりしながら、皆で師の心を噛み締め、歌詞とメロディーを覚えていった。
「歌っていると、苦難の幾山河を越えて、悠々たる境涯へと心が広がるようです」「この歌を口ずさみ、これからも壮年部が、家族も、同志も、ぐいぐいリードしていきます」との声が寄せられるなど、対話の現場で力走する壮年勇者への、強い追い風となった。
池田先生はつづっている。「壮年が、率先垂範で広宣流布を推進していってこそ、学会の重厚な力が発揮され、社会に深く根差した運動を展開していくことができる」
大聖人の御在世当時も、富木常忍や大田乗明、曾谷教信らの壮年信徒が、門下の中心的な立場となって、地域広布を担ってきた。
「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(955ページ)、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(970ページ)との御聖訓は、富木常忍に与えられた御書の一節である。
限りある人生を悔いなく妙法流布にささげ、友の幸福と地域社会の繁栄に尽くし切っていく中に、最高に充実した生き方があり、誉れ高き人生がある。
◇
「人生の旅」と同じく7月に詩が誕生した壮年部の愛唱歌がある。「滝の詩」だ。
滝の如く 激しく
滝の如く 撓まず
滝の如く 恐れず
滝の如く 朗らかに
滝の如く 堂々と
男は
王者の風格を持て
71年(昭和46年)6月14日、青森・奥入瀬渓流を訪れた池田先生は、清冽なる滝の風景に思いを寄せて一詩を詠み、7月4日に発表。この詩に青森出身の芸術部員が曲を付け、地元同志によって歌い継がれてきた。
時は流れて2007年5月、青森の壮年部有志が歌った「滝の詩」の音声を聴いた池田先生は、「とても良い歌だ」と賛嘆し、直後の本部幹部会で、音楽隊の合唱団が歌った。その雄々しき歌詞と曲調が感動を呼び、瞬く間に全国壮年部の愛唱するところとなった。
「男は王者の風格を持て」——仕事、家庭、そして地域広布の第一線で、使命と責任を背負い、周囲を輝かせる黄金柱として生き抜く中で、王者の風格が磨かれていく。さあ今日も、ほとばしる滝の如く、威風堂々の人生勝利の旅を——。
MEMO
"この歌を歌いながら、人生の舞を舞うように、明るく、力強く広布の旅を続けていきたい"——「人生の旅」が誕生した当時の本紙をひもとくと、第一線の隅々まで、新壮年部歌の喜びが広がっている様子が記されている。また、歌詞に込められた思いや意義が、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章につづられている。
※ガンジーの言葉は森本達雄訳『わたしの非暴力』みすず書房
一、彼の峰も あの坂も
ああ幾山河 妻子と共に
光求めて 苦楽を越えて
いざや来たらんや 暁仰げば
二、あの風も この雪も
ああ幾歳か たどりたる
今に厳たり この生命
ああ鐘は鳴る 幸の城には
三、彼の人も あの友も
ああ幾百万 旭日に揃わなん
元初の炎は 消えるなく
讃え謳わなん 誉れの門出と
2018.07.11 わが友に贈る
熱中症に要注意!
決して無理をせず
十分な水分・塩分補給と
適切な室温調整を。
被災地の皆様も健康で!
四条金吾殿女房御返事 P1134
『此の経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず一切の男子にこえたりとみえて候』
【通解】
法華経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている。
〈寸鉄〉 2018年7月11日
対策本部を中心に豪雨被災者への励ましに総力。変毒為薬の挑戦を共々に
題目は「十方世界にとずかずと云う所なし」御書。苦難越える確信の祈りを
男子部結成の日。直系の池田門下よ一人立て。正義拡大の大音声を今こそ
人間は人間と交わってのみ自己を会得する—文豪良き友は人生を高める宝
3〜6歳半数がスマホ常用と。有害情報やウイルスに注意。親が責任持ち
☆世界写真紀行 第34回 アルゼンチン ブエノスアイレスのサン・マルティン像
◇「行動の人」に栄光は輝く
さあ、勇敢に進もうじゃないか!——馬上の英雄は、はるか遠くを指さし、兵士たちを鼓舞しているかのようだ。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにあるサン・マルティン広場。中央に立つ騎馬像は"南米で知らない人はいない"といわれるサン・マルティン将軍である。
19世紀の初め、アルゼンチンは自治政府を樹立したものの、広大な地域を支配するスペイン軍に絶えず脅かされていた。
サン・マルティンは祖国アルゼンチンの独立運動に身を投じるため、34歳の時、帰国。スペイン軍を隣国のチリ、ペルー、ボリビアから追放しない限り、祖国の独立は果たせないと考え、難局を打開するために「アンデス越え」の作戦を着想。これを成し遂げ、アルゼンチンをはじめ、チリ、ペルーの独立を確かなものにしていった。
彼は、「南米解放の英雄」として、ベネズエラのシモン・ボリバルと並び称され、その像は、チリの首都サンティアゴやペルーの首都リマなど各地に設置されている。
池田先生のアルゼンチン初訪問は、25年前の1993年2月14日。北南米6カ国をめぐる平和旅の途上だった。
石造りの美しい街並みから「南米のパリ」と呼ばれるブエノスアイレス。ラプラタ川の河口に位置する湾岸都市は世界的な貿易港として栄え、同国の政治・経済・文化の中心となってきた。
先生はアルゼンチンに7日間滞在し、ブエノスアイレスでの世界青年平和文化祭、アルゼンチンSGI総会など諸行事に出席するとともに、大統領をはじめ、多くの要人と会見した。
帰国後、先生はアルゼンチンに思いをはせつつ、本部幹部会でサン・マルティンの「アンデス越え」に言及した。
万年雪に覆われた6000メートル級の山々がそびえるアンデス山脈。空気が薄く、道は一人が通れるほどの幅しかない。危険な箇所も多く、大軍を率いて向かう者などいない。
しかし、青年サン・マルティンの心は決まっていた。
"今はためらっている時ではない。行動する時である"
それから数年、周到な準備を重ねた末、アンデス越えを決行。兵士たちを引き連れ、厳しい寒さや疲労と戦いながら、約2週間の行軍で、ついに成し遂げたのである。
彼が不可能を可能にした要因は何か——。
第一に「いかなる人であれ、一緒に戦おうという人は、皆"同志"として敬った」。先住民や外国人を"よそ者扱い"せず、奴隷も解放し、仲間とした。さらに「対話」を重ね、一人一人に訴えた。そして、短期間で5000人を超える一級の部隊をつくることができた。
第二に「常に自ら先頭に立ち、苦楽をともにして、皆を励ます心遣いを忘れなかった」。疲れ果てた兵士たちを鼓舞するため、彼は音楽隊にアルゼンチン国歌を演奏させた。アンデスの山々にこだまする祖国の調べに、兵士たちは奮い立った。
こうした逸話を紹介しつつ、池田先生は訴えた。
「私どもも、ともどもに、"広宣のアンデス"を越えてまいりたい。『行動の人』の栄光は永遠である」と——。
「青年の月」7月が開幕した。自ら掲げた目標へ、一歩でも二歩でも前進する人は皆、「青年」である。
広布の同志を大切に、どこまでも温かく励まし合いつつ、青年の心で「栄光の峰」へ出発しよう。
◎お知らせ(7/10更新)
大雨等による輸送状況悪化のため、聖教新聞の配達が大幅に遅れたり、配達できない地域があり、読者の皆さまに心からおわび申し上げます。
当サイトでは本日10日付より、配達状況が回復するまでの一定期間、聖教新聞の記事ならびに紙面イメージを全ユーザーの皆さまにご覧いただけるようにいたしました。
ご活用いただけましたら幸いです。
聖教新聞社
決して無理をせず
十分な水分・塩分補給と
適切な室温調整を。
被災地の皆様も健康で!
四条金吾殿女房御返事 P1134
『此の経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず一切の男子にこえたりとみえて候』
【通解】
法華経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている。
〈寸鉄〉 2018年7月11日
対策本部を中心に豪雨被災者への励ましに総力。変毒為薬の挑戦を共々に
題目は「十方世界にとずかずと云う所なし」御書。苦難越える確信の祈りを
男子部結成の日。直系の池田門下よ一人立て。正義拡大の大音声を今こそ
人間は人間と交わってのみ自己を会得する—文豪良き友は人生を高める宝
3〜6歳半数がスマホ常用と。有害情報やウイルスに注意。親が責任持ち
☆世界写真紀行 第34回 アルゼンチン ブエノスアイレスのサン・マルティン像
◇「行動の人」に栄光は輝く
さあ、勇敢に進もうじゃないか!——馬上の英雄は、はるか遠くを指さし、兵士たちを鼓舞しているかのようだ。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにあるサン・マルティン広場。中央に立つ騎馬像は"南米で知らない人はいない"といわれるサン・マルティン将軍である。
19世紀の初め、アルゼンチンは自治政府を樹立したものの、広大な地域を支配するスペイン軍に絶えず脅かされていた。
サン・マルティンは祖国アルゼンチンの独立運動に身を投じるため、34歳の時、帰国。スペイン軍を隣国のチリ、ペルー、ボリビアから追放しない限り、祖国の独立は果たせないと考え、難局を打開するために「アンデス越え」の作戦を着想。これを成し遂げ、アルゼンチンをはじめ、チリ、ペルーの独立を確かなものにしていった。
彼は、「南米解放の英雄」として、ベネズエラのシモン・ボリバルと並び称され、その像は、チリの首都サンティアゴやペルーの首都リマなど各地に設置されている。
池田先生のアルゼンチン初訪問は、25年前の1993年2月14日。北南米6カ国をめぐる平和旅の途上だった。
石造りの美しい街並みから「南米のパリ」と呼ばれるブエノスアイレス。ラプラタ川の河口に位置する湾岸都市は世界的な貿易港として栄え、同国の政治・経済・文化の中心となってきた。
先生はアルゼンチンに7日間滞在し、ブエノスアイレスでの世界青年平和文化祭、アルゼンチンSGI総会など諸行事に出席するとともに、大統領をはじめ、多くの要人と会見した。
帰国後、先生はアルゼンチンに思いをはせつつ、本部幹部会でサン・マルティンの「アンデス越え」に言及した。
万年雪に覆われた6000メートル級の山々がそびえるアンデス山脈。空気が薄く、道は一人が通れるほどの幅しかない。危険な箇所も多く、大軍を率いて向かう者などいない。
しかし、青年サン・マルティンの心は決まっていた。
"今はためらっている時ではない。行動する時である"
それから数年、周到な準備を重ねた末、アンデス越えを決行。兵士たちを引き連れ、厳しい寒さや疲労と戦いながら、約2週間の行軍で、ついに成し遂げたのである。
彼が不可能を可能にした要因は何か——。
第一に「いかなる人であれ、一緒に戦おうという人は、皆"同志"として敬った」。先住民や外国人を"よそ者扱い"せず、奴隷も解放し、仲間とした。さらに「対話」を重ね、一人一人に訴えた。そして、短期間で5000人を超える一級の部隊をつくることができた。
第二に「常に自ら先頭に立ち、苦楽をともにして、皆を励ます心遣いを忘れなかった」。疲れ果てた兵士たちを鼓舞するため、彼は音楽隊にアルゼンチン国歌を演奏させた。アンデスの山々にこだまする祖国の調べに、兵士たちは奮い立った。
こうした逸話を紹介しつつ、池田先生は訴えた。
「私どもも、ともどもに、"広宣のアンデス"を越えてまいりたい。『行動の人』の栄光は永遠である」と——。
「青年の月」7月が開幕した。自ら掲げた目標へ、一歩でも二歩でも前進する人は皆、「青年」である。
広布の同志を大切に、どこまでも温かく励まし合いつつ、青年の心で「栄光の峰」へ出発しよう。
◎お知らせ(7/10更新)
大雨等による輸送状況悪化のため、聖教新聞の配達が大幅に遅れたり、配達できない地域があり、読者の皆さまに心からおわび申し上げます。
当サイトでは本日10日付より、配達状況が回復するまでの一定期間、聖教新聞の記事ならびに紙面イメージを全ユーザーの皆さまにご覧いただけるようにいたしました。
ご活用いただけましたら幸いです。
聖教新聞社
2018年7月10日火曜日
2018.07.10 わが友に贈る
豪雨で被災された方々に
題目を送っています。
無事でありますように!
健康でありますように!
変毒為薬できるように!
四条金吾殿御返事 P1192
『此の日蓮は首題の五字を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず』
【通解】
この日蓮は、首題の五字(妙法蓮華経)を、あなたに授ける。法華経受持の者を諸天善神が守護することは、断じて疑いない。
〈寸鉄〉 2018年7月10日
永遠に先駆を!青年と共に立ち上がった九州総会立正安国の大闘争今こそ
山形の日。愛する郷土を幸福の理想郷に。使命に走る友ありて地域は盤石
何人と会って激励できたか。努力の分だけ広布は拡大。励まし週間に総力
来春大卒の内定率が76%と。若人よ全員が栄光を掴め。執念の祈り・行動で
あおり運転事故止まず。交通規則守れぬ者は車に乗る資格なし。断固追放
☆歌声高く 第3回 星は光りて
◇心美しき姿は白蓮華のように
蓮は夏の朝に咲く。
さわやかな香りを放ちながら水辺を優雅に彩るその花に、つかの間の涼を求める人は少なくない。
紅、黄、紫と、さまざまな色がある中で「白蓮華」は、仏典において"太陽"や"光明"を象徴し、法華経では"仏"のシンボルとして描かれる。
1966年(昭和41年)7月、諸行事の運営や清掃等に自発的に取り組んでいた女子部のメンバーを、池田先生が「白蓮グループ」と名付けたのも、"泥沼の中にあっても華麗な花を咲かせる白蓮華のごとく、清らかな信心を"との願いからだった。命名が発表された7月8日は「白蓮グループの日」である。
12年後の78年(同53年)7月3日、東京・立川文化会館。池田先生のもとに、女子部の代表が集った。
白蓮グループの日を目指し、新しい歌をつくろうと有志が1カ月かけて書いた歌詞に、先生はじっくりと目を通す。そして語った。
「心配しなくていい、全部やってあげるから」
白蓮グループは"学会の宝"である。清らかで、ひたむきな友を守り、たたえ励ましたい——それが先生の真情だった。
先生の口述が始まった。1番から3番の歌詞まで、一気呵成に詠み上げる。さらに曲も「例えば、こんな感じで……」とメロディーを口ずさんでいく。
その場に居合わせた友は「ほんの数分間の出来事だったと記憶しています。女子部に対する先生のご慈愛の深さ、大きさに圧倒されました」と振り返る。
歌のタイトルは「星は光りて」。7月5日付の聖教新聞でその完成が報じられると、全国の友の喜びは爆発。翌6日付には、歌詞と楽譜が掲載された。
7月8日、東京・荒川文化会館で行われた白蓮グループの総会に始まり、全国各地で、清新な歌声が響きわたった。
宗門の黒い策謀が、尊き仏子の心を悩ませていた渦中である。「星は光りて」を歌うたび、白蓮の友は、"りりしき姿とさわやかな声で、「疲れたる友」を励ましていってほしい"との師の思いに触れた。そして、自らの使命をかみ締め、さらなる成長を誓ったのだ。
その後、「星は光りて」は、世界広布の伸展とともに、日本だけでなく、海外の友にも愛唱されていく。
毎年迎える7月は、世界の"白蓮姉妹"にとってグループの原点に立ち返る月であり、新たな誓願に立ち上がる月にほかならない。 「人のため世界のために 祈り動く心美しき姿は 『蓮華の水に在るが如し』」との師の指針を、胸に深く刻みながら——。
MEMO
「白蓮グループ」命名の淵源は小説『新・人間革命』第24巻「厳護」の章に、「星は光りて」の誕生の経緯は、第28巻「広宣譜」の章に描かれている。またSOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)で同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、ふじの花手に ひとみ清らか
心美しく 地涌の友まつ
優しく強く 人と人との
とびゆく蝶は けなげに舞わん
二、白ゆりを胸に 姿りりしく
疲れたる友に さわやかな声
星は光りて 月は語りぬ
ああ この汗に 満ちたるかんばせ
三、白蓮の華は 幸の香りも
しずかに流れゆく 城と城をば
涙の人をも 喜びゆかんと
晴れの姿を 見おくる姫らは
題目を送っています。
無事でありますように!
健康でありますように!
変毒為薬できるように!
四条金吾殿御返事 P1192
『此の日蓮は首題の五字を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず』
【通解】
この日蓮は、首題の五字(妙法蓮華経)を、あなたに授ける。法華経受持の者を諸天善神が守護することは、断じて疑いない。
〈寸鉄〉 2018年7月10日
永遠に先駆を!青年と共に立ち上がった九州総会立正安国の大闘争今こそ
山形の日。愛する郷土を幸福の理想郷に。使命に走る友ありて地域は盤石
何人と会って激励できたか。努力の分だけ広布は拡大。励まし週間に総力
来春大卒の内定率が76%と。若人よ全員が栄光を掴め。執念の祈り・行動で
あおり運転事故止まず。交通規則守れぬ者は車に乗る資格なし。断固追放
☆歌声高く 第3回 星は光りて
◇心美しき姿は白蓮華のように
蓮は夏の朝に咲く。
さわやかな香りを放ちながら水辺を優雅に彩るその花に、つかの間の涼を求める人は少なくない。
紅、黄、紫と、さまざまな色がある中で「白蓮華」は、仏典において"太陽"や"光明"を象徴し、法華経では"仏"のシンボルとして描かれる。
1966年(昭和41年)7月、諸行事の運営や清掃等に自発的に取り組んでいた女子部のメンバーを、池田先生が「白蓮グループ」と名付けたのも、"泥沼の中にあっても華麗な花を咲かせる白蓮華のごとく、清らかな信心を"との願いからだった。命名が発表された7月8日は「白蓮グループの日」である。
12年後の78年(同53年)7月3日、東京・立川文化会館。池田先生のもとに、女子部の代表が集った。
白蓮グループの日を目指し、新しい歌をつくろうと有志が1カ月かけて書いた歌詞に、先生はじっくりと目を通す。そして語った。
「心配しなくていい、全部やってあげるから」
白蓮グループは"学会の宝"である。清らかで、ひたむきな友を守り、たたえ励ましたい——それが先生の真情だった。
先生の口述が始まった。1番から3番の歌詞まで、一気呵成に詠み上げる。さらに曲も「例えば、こんな感じで……」とメロディーを口ずさんでいく。
その場に居合わせた友は「ほんの数分間の出来事だったと記憶しています。女子部に対する先生のご慈愛の深さ、大きさに圧倒されました」と振り返る。
歌のタイトルは「星は光りて」。7月5日付の聖教新聞でその完成が報じられると、全国の友の喜びは爆発。翌6日付には、歌詞と楽譜が掲載された。
7月8日、東京・荒川文化会館で行われた白蓮グループの総会に始まり、全国各地で、清新な歌声が響きわたった。
宗門の黒い策謀が、尊き仏子の心を悩ませていた渦中である。「星は光りて」を歌うたび、白蓮の友は、"りりしき姿とさわやかな声で、「疲れたる友」を励ましていってほしい"との師の思いに触れた。そして、自らの使命をかみ締め、さらなる成長を誓ったのだ。
その後、「星は光りて」は、世界広布の伸展とともに、日本だけでなく、海外の友にも愛唱されていく。
毎年迎える7月は、世界の"白蓮姉妹"にとってグループの原点に立ち返る月であり、新たな誓願に立ち上がる月にほかならない。 「人のため世界のために 祈り動く心美しき姿は 『蓮華の水に在るが如し』」との師の指針を、胸に深く刻みながら——。
MEMO
「白蓮グループ」命名の淵源は小説『新・人間革命』第24巻「厳護」の章に、「星は光りて」の誕生の経緯は、第28巻「広宣譜」の章に描かれている。またSOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)で同歌のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。
一、ふじの花手に ひとみ清らか
心美しく 地涌の友まつ
優しく強く 人と人との
とびゆく蝶は けなげに舞わん
二、白ゆりを胸に 姿りりしく
疲れたる友に さわやかな声
星は光りて 月は語りぬ
ああ この汗に 満ちたるかんばせ
三、白蓮の華は 幸の香りも
しずかに流れゆく 城と城をば
涙の人をも 喜びゆかんと
晴れの姿を 見おくる姫らは
2018年7月9日月曜日
2018.07.09 わが友に贈る
新聞休刊日
御講聞書 P808
『題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし、譬えば小音なれども貝に入れて吹く時遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し、一念三千の大事の法門是なり』
【通解】
題目を唱え奉る音声は、十方の世界に届かない所はない。我々の小さな声でも、題目という「大音」に入れて唱え奉るゆえに、大宇宙の中で到達しない所はない。たとえば小さな音でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。また手の音はわずかでも、鼓を打てば遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである。
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ� 2018年7月1日
◇君立ちて 広布の夜明け
池田先生とSGIメンバーの出会いをつづる「虹を懸ける」。今回は、先生が3度にわたって訪問し、幾多の共戦譜を刻んだカナダの広布史を紹介する。
"カナダ独立のヒロイン"として、語り継がれる婦人がいる。
19世紀の初頭、英軍(カナダ軍)と米軍が対峙する中、彼女は偶然、米軍が奇襲を掛ける計画を耳にした。
夫は戦いで負傷しており、彼女は計画を伝えるため、たった一人で英軍基地を目指す。
30キロ以上に及ぶ敵地の森を踏破した彼女。英軍は、その情報をもとに勝利を収めることができた。
彼女の名はローラ・セコード。本年が没後150年となる。
カナダを訪問した折にセコードの家を訪れた池田先生は、"婦人の力が歴史を創るんだね。必死の一人は万人に勝る"と語った。
日本の約27倍となる広大な国土を持つカナダ。その広布の幕を開いたのもまた、一人の婦人であった。
◇また行くからね
初の海外指導となった1960年10月、シカゴを発った池田先生はカナダ・トロントの空港に降り立った。
まだメンバーが一人もいない同地で、先生を迎えたのはアキコ・イズミさん(カナダSGI最高参与)。
日本にいる学会員の母から「池田先生は世界の大指導者になられる方です。必ず出迎えに行くように」と連絡を受け、親孝行のつもりでやって来た。
イズミさんは、結婚してカナダに来たばかり。身重でもあった。信心には否定的で、内心、"折伏されたらどうしよう……"との思いもあったという。
先生はイズミさんの生活や母親のことを気に掛けつつ、近況を尋ねた。「何かあったらお題目を唱えることです」と言われ、思わずうなずいた。母がなぜ先生を慕うのか、その理由が納得できた。
イズミさんは2年後に自ら入会。アメリカの組織に所属し、長距離バスや飛行機で片道十数時間をかけてニューヨーク等へ。会合には、常にパスポートを持参した。
長女のヘレン・チョイさん(同婦人部長)は、片言の英語、そして覚えたての仏法用語で友人と対話する母の背中が忘れられない。
「母には"池田先生に折伏された喜び"がみなぎっていました。歓喜あふれる姿に触れ、私もいつの間にか勤行に挑戦していたのです」
一人また一人と同志が増え、広布のリーダーへと成長を遂げた。
80年にはイズミさんの夫のヒューさんが入会。その後、ヒューさんは、カナダSGIの理事長を務めている。
翌81年6月、21年ぶりとなる先生のカナダ訪問が実現した。
初訪問時、誰も同志がいなかったトロントの空港には、300人のメンバーが。鼓笛隊のリーダーだったチョイさんは、先生に花束を手渡している。
チョイさんは進路を思い悩んでいたが、カナダ滞在中の先生から温かく励まされ、創価大学への留学を決意。日本語別科を経て創大で鍛えの青春を送り、女子留学生が集う「レインボーグループ」の発足にも尽力した。
89年末、先生に帰国を報告すると、"またカナダに行くからね。カナダのみんなのために動きたいんだ——"と。
「その言葉だけで胸がいっぱいになりました」と振り返るチョイさん。SGI公認通訳として活躍し、カナダ帰国後は、女子部長、婦人部長として、友に励ましを送る。
◇雄大な自然をも
首都オタワでは、外交官や学者、弁護士をはじめ、政府や学術機関で要職にある友も多い。その一人一人が、社会的な立場や肩書に関係なく、一人の庶民として、同志への励ましに駆けてきた。
オタワ支部長として広布の発展をリードしてきたドワイト・ルディスエラさん(副壮年部長)。世界各地で先生との原点を刻み、来日は11回を数える。
ルディスエラさんは音楽教師。大学を卒業後、ヒッチハイクでアメリカ大陸の横断旅行へ。サンフランシスコで知人に誘われ、22歳で信心を始めた。
アルコール依存症の父を嫌悪していたルディスエラさん。唱題を重ねる中で、父は自ら断酒し、親友のような関係になれた。「こんなにすぐに結果が出るのかと驚きました」
80年8月に親善交流で来日した折、「森ケ崎海岸」をバイオリンで披露すると、池田先生は「すごいね! 上手だね! ぜひピアノで『森ケ崎海岸』の弾き方を教えてくれないかい?」と。
「どうお答えしたらいいのか、とまどいました。私はピアノが弾けないのです(笑い)。でも先生の激励は温かかった。カナダの自然は雄大ですが、先生には、その自然をも包み込むほどの包容力を感じます」
先生がカナダを移動する際、メンバーであるなしにかかわらず、出会った人に気さくに声を掛け、友情を結んでいた姿を深く心に刻んだ。
先月、入会50周年の佳節を迎えたルディスエラさん。今も率先して対話に歩き、広布拡大の模範を示す。
◇滝のような勢い
81年6月24日、トロント会館を訪問し、勤行会に出席した池田先生は、メンバーと一緒にナイアガラの滝を見学。そこからほど近い場所にある、セコードの家へ向かった。
この時、イズミさんらと共に先生を案内したのが、オタワ在住のリンダ・マツモトさん(圏副婦人部長)。
近況を伝えると、先生は"ナイアガラの滝のような勢いで題目をあげるんだよ。勢いがないと、人生も行き詰まってしまうからね"と教えてくれた。
セコードが暮らしたのは木造の小さな家。ナイアガラへの観光客は多いが、彼女の家は、その喧噪を忘れさせるかのような閑静な住宅地にある。
命懸けで祖国の危機を救ったセコードだったが、功績が注目されても、一庶民としての生活を変えることはなかった。
家のそばにある木陰で、先生は、滞在中に陰で尽力した役員をねぎらい、懇談のひとときを持っている。
マツモトさんは述懐する。
「とても小さな家なのに、先生が強い関心を示されていたのが印象的でした。"一途な行動が歴史を開いたんだね。大切な場所を教えてくれて、ありがとう"と、感謝を述べておられました」
同僚の勧めで入会したマツモトさん。小説『人間革命』を読み、先生が自分に欠かせない存在であると直感。学会活動に励んだ。
メイプル・リーフ・グループ(カナダの白蓮グループ)の初代委員長、カナダの初代女子部長を務める一方、グラフィックデザイナーやアニメーターの経験を生かし、カナダSGIの機関誌制作にも貢献した。
今、マツモトさんは核兵器廃絶を掲げるカナダ・パグウォッシュグループで活動を続ける。夫・コウチさんの遺志を継いだものだ。
コウチさんは、広島で2歳の時に被爆。母はコウチさんを助けようとして亡くなった。
オタワに留学し、研究生活を送っていたコウチさんは、応用化学の分野で多くの実績を残す。カナダ広布の草創を築き、更賜寿命の実証を示して霊山へ旅立った。
夫妻で夢見た核なき明日へ、マツモトさんは草の根の意識啓発を続ける。
◇
「ゼロにいくら数字をかけてもゼロだが、一は無限に発展する」
カナダ広布20周年を記念する総会(81年6月22日)で、池田先生は、1人から始まった広布の歩みが1000人を超える連帯に発展したことをたたえた。
イズミさんに詠み贈った和歌に、こうある。
忘れまじ
カナダの天地に
君立ちて
広布の夜明けは
ついに来りぬ
環境や境遇ではない。誓いの一歩一歩に、必ず同志は続く。
先生との心の交流から立ち上がった一婦人の軌跡が、それを明快に物語っていた。
御講聞書 P808
『題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし、譬えば小音なれども貝に入れて吹く時遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し、一念三千の大事の法門是なり』
【通解】
題目を唱え奉る音声は、十方の世界に届かない所はない。我々の小さな声でも、題目という「大音」に入れて唱え奉るゆえに、大宇宙の中で到達しない所はない。たとえば小さな音でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。また手の音はわずかでも、鼓を打てば遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである。
☆虹を懸ける 池田先生とカナダ� 2018年7月1日
◇君立ちて 広布の夜明け
池田先生とSGIメンバーの出会いをつづる「虹を懸ける」。今回は、先生が3度にわたって訪問し、幾多の共戦譜を刻んだカナダの広布史を紹介する。
"カナダ独立のヒロイン"として、語り継がれる婦人がいる。
19世紀の初頭、英軍(カナダ軍)と米軍が対峙する中、彼女は偶然、米軍が奇襲を掛ける計画を耳にした。
夫は戦いで負傷しており、彼女は計画を伝えるため、たった一人で英軍基地を目指す。
30キロ以上に及ぶ敵地の森を踏破した彼女。英軍は、その情報をもとに勝利を収めることができた。
彼女の名はローラ・セコード。本年が没後150年となる。
カナダを訪問した折にセコードの家を訪れた池田先生は、"婦人の力が歴史を創るんだね。必死の一人は万人に勝る"と語った。
日本の約27倍となる広大な国土を持つカナダ。その広布の幕を開いたのもまた、一人の婦人であった。
◇また行くからね
初の海外指導となった1960年10月、シカゴを発った池田先生はカナダ・トロントの空港に降り立った。
まだメンバーが一人もいない同地で、先生を迎えたのはアキコ・イズミさん(カナダSGI最高参与)。
日本にいる学会員の母から「池田先生は世界の大指導者になられる方です。必ず出迎えに行くように」と連絡を受け、親孝行のつもりでやって来た。
イズミさんは、結婚してカナダに来たばかり。身重でもあった。信心には否定的で、内心、"折伏されたらどうしよう……"との思いもあったという。
先生はイズミさんの生活や母親のことを気に掛けつつ、近況を尋ねた。「何かあったらお題目を唱えることです」と言われ、思わずうなずいた。母がなぜ先生を慕うのか、その理由が納得できた。
イズミさんは2年後に自ら入会。アメリカの組織に所属し、長距離バスや飛行機で片道十数時間をかけてニューヨーク等へ。会合には、常にパスポートを持参した。
長女のヘレン・チョイさん(同婦人部長)は、片言の英語、そして覚えたての仏法用語で友人と対話する母の背中が忘れられない。
「母には"池田先生に折伏された喜び"がみなぎっていました。歓喜あふれる姿に触れ、私もいつの間にか勤行に挑戦していたのです」
一人また一人と同志が増え、広布のリーダーへと成長を遂げた。
80年にはイズミさんの夫のヒューさんが入会。その後、ヒューさんは、カナダSGIの理事長を務めている。
翌81年6月、21年ぶりとなる先生のカナダ訪問が実現した。
初訪問時、誰も同志がいなかったトロントの空港には、300人のメンバーが。鼓笛隊のリーダーだったチョイさんは、先生に花束を手渡している。
チョイさんは進路を思い悩んでいたが、カナダ滞在中の先生から温かく励まされ、創価大学への留学を決意。日本語別科を経て創大で鍛えの青春を送り、女子留学生が集う「レインボーグループ」の発足にも尽力した。
89年末、先生に帰国を報告すると、"またカナダに行くからね。カナダのみんなのために動きたいんだ——"と。
「その言葉だけで胸がいっぱいになりました」と振り返るチョイさん。SGI公認通訳として活躍し、カナダ帰国後は、女子部長、婦人部長として、友に励ましを送る。
◇雄大な自然をも
首都オタワでは、外交官や学者、弁護士をはじめ、政府や学術機関で要職にある友も多い。その一人一人が、社会的な立場や肩書に関係なく、一人の庶民として、同志への励ましに駆けてきた。
オタワ支部長として広布の発展をリードしてきたドワイト・ルディスエラさん(副壮年部長)。世界各地で先生との原点を刻み、来日は11回を数える。
ルディスエラさんは音楽教師。大学を卒業後、ヒッチハイクでアメリカ大陸の横断旅行へ。サンフランシスコで知人に誘われ、22歳で信心を始めた。
アルコール依存症の父を嫌悪していたルディスエラさん。唱題を重ねる中で、父は自ら断酒し、親友のような関係になれた。「こんなにすぐに結果が出るのかと驚きました」
80年8月に親善交流で来日した折、「森ケ崎海岸」をバイオリンで披露すると、池田先生は「すごいね! 上手だね! ぜひピアノで『森ケ崎海岸』の弾き方を教えてくれないかい?」と。
「どうお答えしたらいいのか、とまどいました。私はピアノが弾けないのです(笑い)。でも先生の激励は温かかった。カナダの自然は雄大ですが、先生には、その自然をも包み込むほどの包容力を感じます」
先生がカナダを移動する際、メンバーであるなしにかかわらず、出会った人に気さくに声を掛け、友情を結んでいた姿を深く心に刻んだ。
先月、入会50周年の佳節を迎えたルディスエラさん。今も率先して対話に歩き、広布拡大の模範を示す。
◇滝のような勢い
81年6月24日、トロント会館を訪問し、勤行会に出席した池田先生は、メンバーと一緒にナイアガラの滝を見学。そこからほど近い場所にある、セコードの家へ向かった。
この時、イズミさんらと共に先生を案内したのが、オタワ在住のリンダ・マツモトさん(圏副婦人部長)。
近況を伝えると、先生は"ナイアガラの滝のような勢いで題目をあげるんだよ。勢いがないと、人生も行き詰まってしまうからね"と教えてくれた。
セコードが暮らしたのは木造の小さな家。ナイアガラへの観光客は多いが、彼女の家は、その喧噪を忘れさせるかのような閑静な住宅地にある。
命懸けで祖国の危機を救ったセコードだったが、功績が注目されても、一庶民としての生活を変えることはなかった。
家のそばにある木陰で、先生は、滞在中に陰で尽力した役員をねぎらい、懇談のひとときを持っている。
マツモトさんは述懐する。
「とても小さな家なのに、先生が強い関心を示されていたのが印象的でした。"一途な行動が歴史を開いたんだね。大切な場所を教えてくれて、ありがとう"と、感謝を述べておられました」
同僚の勧めで入会したマツモトさん。小説『人間革命』を読み、先生が自分に欠かせない存在であると直感。学会活動に励んだ。
メイプル・リーフ・グループ(カナダの白蓮グループ)の初代委員長、カナダの初代女子部長を務める一方、グラフィックデザイナーやアニメーターの経験を生かし、カナダSGIの機関誌制作にも貢献した。
今、マツモトさんは核兵器廃絶を掲げるカナダ・パグウォッシュグループで活動を続ける。夫・コウチさんの遺志を継いだものだ。
コウチさんは、広島で2歳の時に被爆。母はコウチさんを助けようとして亡くなった。
オタワに留学し、研究生活を送っていたコウチさんは、応用化学の分野で多くの実績を残す。カナダ広布の草創を築き、更賜寿命の実証を示して霊山へ旅立った。
夫妻で夢見た核なき明日へ、マツモトさんは草の根の意識啓発を続ける。
◇
「ゼロにいくら数字をかけてもゼロだが、一は無限に発展する」
カナダ広布20周年を記念する総会(81年6月22日)で、池田先生は、1人から始まった広布の歩みが1000人を超える連帯に発展したことをたたえた。
イズミさんに詠み贈った和歌に、こうある。
忘れまじ
カナダの天地に
君立ちて
広布の夜明けは
ついに来りぬ
環境や境遇ではない。誓いの一歩一歩に、必ず同志は続く。
先生との心の交流から立ち上がった一婦人の軌跡が、それを明快に物語っていた。
2018年7月8日日曜日
2018.07.08 わが友に贈る
◇今週のことば
創価は苦楽を分かつ
励ましの世界なり。
「善友」のスクラムで
変毒為薬の前進を!
真心の声を深く温かく!
2018年7月8日
秋元御書 P1071
『或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり或は打ち捨て或は信ずる日はあれども捨つる月もあり是は水の漏が如し』
【通解】
妙法を信仰していても、悪い縁にあうと信心が弱くなったり、または信心を捨ててしまったり、あるいは一日信じて一ヶ月の間捨ててしまうというようでは、これは器から水が漏れるようなものです。
〈寸鉄〉 2018年7月8日
御本尊への願いが通ずる条件、一に題目、二に題目だ—恩師。今日も朗々と
白蓮グループの日。福智輝く妙法の乙女よ!幸と誓いの青春道を悔いなく
遺産は相続できるが幸福は相続できない—発明家信心の継承こそ最高の宝
各地で大雨の被害。被災された方々にお見舞い。無冠の友も安全最優先で
公明議員、西日本へ急行。連帯力を生かして迅速に支援を。全力で庶民守れ
☆7月度座談会拝読御書 種種御振舞御書
◇人々を救う、尊い誉れの人生 師匠に続き弟子が二陣三陣と広布へ
◇本抄について
本抄は、建治2年(1276年)、日蓮大聖人が身延で認められ、光日房に与えられたとされていますが、詳細は不明です。
文永5年(1268年)から身延入山に至る、大聖人御自身の大難との闘争をはじめとする振る舞いについて、つづられています。
大聖人は御自身の足跡を振り返られて、「法華経の行者」としての不惜身命の闘争を門下に教えられています。
本抄は、まず、文永5年に蒙古から国書がもたらされた時の模様を回想されます。
蒙古からの国書の到来は、「立正安国論」で予言された二難のうち、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が現実味を帯びてきたことを意味しています。
大聖人は、他国侵逼難が現実のものとなるのを食い止めるべく、十一通の書状で、幕府の要人や諸宗の高僧を諫められました。
ところが、時の権力者は、諸宗の悪僧と結託し、かえって大聖人ならびに門下を弾圧、迫害しようとしたのです。
拝読御文は、こうした中にあって一歩も引くことなく、大聖人直系の弟子の誇りに燃えて広布の実践を貫くよう教えられた箇所です。
◇拝読御文
『わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使と・なのりながら・をくせんは無下の人人なりと申しふくめぬ』911ページ1行目〜3行目
◇妙法蓮華経の五字
日蓮大聖人が生涯にわたって弘め続けられたのは、成仏の根本法である南無妙法蓮華経です。
大聖人は拝読御文の直前で、御自身が末法における一閻浮提(世界)広宣流布に先駆したと述べられ、弘通する法そのものについて、「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字」(御書910ページ)と示されています。
法華経には、宇宙と生命を貫く根源の法は指し示されているものの、それが具体的に何か、また、その名称は何か、明らかにはされていません。
大聖人は、法華経に指し示されている、この根源の法こそ南無妙法蓮華経であると明かされたのです。
南無妙法蓮華経は、経典の名前である「妙法蓮華経」に単に「南無」が冠されたのではなく、根源の法そのものの名称にほかなりません。
大聖人によって南無妙法蓮華経が弘め始められたことで、末法のあらゆる人々が苦悩から救われ、揺るぎない幸福を築きゆく道が現実に開かれました。
法華経には、万人の成仏を願う仏の心が示されています。この仏の心を実現する根本法が、大聖人お一人から唱え始められた南無妙法蓮華経なのです。
◇不惜身命
日蓮大聖人は拝読御文で、難に直面しても臆することなく広布に進んでいくよう、不惜身命の信心を教えられています。
「不惜身命」は、法華経勧持品第13の文であり、「身命を惜しまず」と読みます。
勧持品では菩薩たちが、釈尊の滅後に正法を求め、弘めていくことを次のように誓います。
「世尊よ、どうか心配なさらないでください。仏が入滅された後、私たちが必ずこの法華経を持ち、説いていきますから。(中略)私たちは勇敢に耐え忍び、身命を惜しまず、法華経を語り抜いていきます」(法華経411ページ、趣旨)
難に遭っても身命を惜しまず、正法を求め弘通する峻厳な精神——これが、不惜身命です。
大聖人は、「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)と仰せの通り、身命に及ぶ大難にも屈することなく、妙法流布の振る舞いを貫かれました。
また、門下に対しても、本抄で「各各思い切り給へ」(同910ページ)と呼び掛けられるなど、"惜しむ心"なく懸命に信心に励んでいくことを教えておられます。
ただし不惜身命といっても、わが身、わが命を粗末にすることではありません。
池田先生は述べています。
「私たちにとって『不惜身命』とは、恐れなく南無妙法蓮華経を唱え抜くことであり、世界のため、未来のため、人々のために、懸命に信心の実証を示しきっていくことに尽きるのです」
◇仏の使い
折伏・弘教をはじめ、友の幸せを願って仏法を語る実践は、全て「化他行」です。化他行は「自行化他」の「化他」に当たり、他人に功徳を受けさせるために仏法を教えることをいいます。
法華経法師品第10に「若し是の善男子・善女人、我(=釈尊)滅度して後、能く竊かに一人の為にも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経357ページ)とあります。
法華経の一句をも語ることは、仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い(如来の事)を実践する最も尊い行為であるゆえに、その功徳は計り知れません。仏の使いとは、仏から遣わされた人のことです。
御書に「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(御書552ページ)とある通り、相手に妙法を聞かせることは、その人の成仏の道を開くことにほかなりません。
「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(同1121ページ)、「僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)等、日蓮大聖人は御書の随所で妙法流布に励む人をたたえられています。
★池田先生の指針から 何ものも恐れぬ師子の心で
大聖人は、大聖人門下の「無上の誉れ」を高らかに宣言されています。
すなわち——仏の滅後、いまだ誰も弘めたことのない「法華経の肝心」「諸仏の眼目」である南無妙法蓮華経の大法を、全世界に弘めゆく先陣を日蓮が切ったのだと。
末法の闇夜に、元初の太陽が昇ったのです。その大光に、世界の全ての人々が包まれていくのです。
大聖人門下の私たちは、迦葉・阿難、天台・伝教ら大学者たちの後ろに「ついていく」のではない、彼らを凌駕し「超えていく」存在だと仰せです。何と誉れ高き一人一人でしょうか!
戸田先生は講義の中で「実際、いま大聖人のお示しのとおりにやっているのは創価学会だけです」と強調されました。
「羊千匹よりも獅子一匹」——牧口先生は叫ばれました。「臆病な小善人が千人いるよりも、勇気ある大善人が一人いれば、大事を成就することができる」と。
「わづかの小島のぬしら」の権力の脅しにも臆してはならない、と大聖人は仰せです。
私たちは師子です。学会は師子の陣列で、厳然と進みましょう。(2012年4月号「大白蓮華」、「勝利の経典『御書』に学ぶ」)
◇ ◆ ◇
大聖人は、「法華経の肝心・諸仏の眼目」たる南無妙法蓮華経を、ただ御一人、末法万年尽未来際の民衆を救いゆくために弘め出されました。
妙法を一閻浮提に広宣流布する瑞相に「日蓮さきがけしたり」。御本仏の大確信が脈打っておられます。
本抄で「二陣三陣」と仰せられたのは、大難に立ち向かって、広宣流布の戦いが繰り広げられている真っ只中でした。
あらゆる難を「本より存知」として受けとめられて、「各各思い切り給へ」と御指導され、「わが門下よ、二陣三陣、続け」と厳命なされているのです。
師匠は、常に「先覚の道」を不惜身命の決意で、さきがけておられる。ならば弟子もまた、その道に恐れなく続いてこそ弟子である。師が開かれた道に続くことは、弟子もまた先覚の誉れの道を歩ませていただくということにほかならない。
偉大な師匠を持つ人生ほど、誇り高い栄光はないのです。(『御書と師弟』第2巻)
参考文献
○…2012年4月号「大白蓮華」、「勝利の経典『御書』に学ぶ」(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第2巻、「末法流布の大陣列」(同)
創価は苦楽を分かつ
励ましの世界なり。
「善友」のスクラムで
変毒為薬の前進を!
真心の声を深く温かく!
2018年7月8日
秋元御書 P1071
『或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり或は打ち捨て或は信ずる日はあれども捨つる月もあり是は水の漏が如し』
【通解】
妙法を信仰していても、悪い縁にあうと信心が弱くなったり、または信心を捨ててしまったり、あるいは一日信じて一ヶ月の間捨ててしまうというようでは、これは器から水が漏れるようなものです。
〈寸鉄〉 2018年7月8日
御本尊への願いが通ずる条件、一に題目、二に題目だ—恩師。今日も朗々と
白蓮グループの日。福智輝く妙法の乙女よ!幸と誓いの青春道を悔いなく
遺産は相続できるが幸福は相続できない—発明家信心の継承こそ最高の宝
各地で大雨の被害。被災された方々にお見舞い。無冠の友も安全最優先で
公明議員、西日本へ急行。連帯力を生かして迅速に支援を。全力で庶民守れ
☆7月度座談会拝読御書 種種御振舞御書
◇人々を救う、尊い誉れの人生 師匠に続き弟子が二陣三陣と広布へ
◇本抄について
本抄は、建治2年(1276年)、日蓮大聖人が身延で認められ、光日房に与えられたとされていますが、詳細は不明です。
文永5年(1268年)から身延入山に至る、大聖人御自身の大難との闘争をはじめとする振る舞いについて、つづられています。
大聖人は御自身の足跡を振り返られて、「法華経の行者」としての不惜身命の闘争を門下に教えられています。
本抄は、まず、文永5年に蒙古から国書がもたらされた時の模様を回想されます。
蒙古からの国書の到来は、「立正安国論」で予言された二難のうち、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が現実味を帯びてきたことを意味しています。
大聖人は、他国侵逼難が現実のものとなるのを食い止めるべく、十一通の書状で、幕府の要人や諸宗の高僧を諫められました。
ところが、時の権力者は、諸宗の悪僧と結託し、かえって大聖人ならびに門下を弾圧、迫害しようとしたのです。
拝読御文は、こうした中にあって一歩も引くことなく、大聖人直系の弟子の誇りに燃えて広布の実践を貫くよう教えられた箇所です。
◇拝読御文
『わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使と・なのりながら・をくせんは無下の人人なりと申しふくめぬ』911ページ1行目〜3行目
◇妙法蓮華経の五字
日蓮大聖人が生涯にわたって弘め続けられたのは、成仏の根本法である南無妙法蓮華経です。
大聖人は拝読御文の直前で、御自身が末法における一閻浮提(世界)広宣流布に先駆したと述べられ、弘通する法そのものについて、「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字」(御書910ページ)と示されています。
法華経には、宇宙と生命を貫く根源の法は指し示されているものの、それが具体的に何か、また、その名称は何か、明らかにはされていません。
大聖人は、法華経に指し示されている、この根源の法こそ南無妙法蓮華経であると明かされたのです。
南無妙法蓮華経は、経典の名前である「妙法蓮華経」に単に「南無」が冠されたのではなく、根源の法そのものの名称にほかなりません。
大聖人によって南無妙法蓮華経が弘め始められたことで、末法のあらゆる人々が苦悩から救われ、揺るぎない幸福を築きゆく道が現実に開かれました。
法華経には、万人の成仏を願う仏の心が示されています。この仏の心を実現する根本法が、大聖人お一人から唱え始められた南無妙法蓮華経なのです。
◇不惜身命
日蓮大聖人は拝読御文で、難に直面しても臆することなく広布に進んでいくよう、不惜身命の信心を教えられています。
「不惜身命」は、法華経勧持品第13の文であり、「身命を惜しまず」と読みます。
勧持品では菩薩たちが、釈尊の滅後に正法を求め、弘めていくことを次のように誓います。
「世尊よ、どうか心配なさらないでください。仏が入滅された後、私たちが必ずこの法華経を持ち、説いていきますから。(中略)私たちは勇敢に耐え忍び、身命を惜しまず、法華経を語り抜いていきます」(法華経411ページ、趣旨)
難に遭っても身命を惜しまず、正法を求め弘通する峻厳な精神——これが、不惜身命です。
大聖人は、「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)と仰せの通り、身命に及ぶ大難にも屈することなく、妙法流布の振る舞いを貫かれました。
また、門下に対しても、本抄で「各各思い切り給へ」(同910ページ)と呼び掛けられるなど、"惜しむ心"なく懸命に信心に励んでいくことを教えておられます。
ただし不惜身命といっても、わが身、わが命を粗末にすることではありません。
池田先生は述べています。
「私たちにとって『不惜身命』とは、恐れなく南無妙法蓮華経を唱え抜くことであり、世界のため、未来のため、人々のために、懸命に信心の実証を示しきっていくことに尽きるのです」
◇仏の使い
折伏・弘教をはじめ、友の幸せを願って仏法を語る実践は、全て「化他行」です。化他行は「自行化他」の「化他」に当たり、他人に功徳を受けさせるために仏法を教えることをいいます。
法華経法師品第10に「若し是の善男子・善女人、我(=釈尊)滅度して後、能く竊かに一人の為にも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経357ページ)とあります。
法華経の一句をも語ることは、仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い(如来の事)を実践する最も尊い行為であるゆえに、その功徳は計り知れません。仏の使いとは、仏から遣わされた人のことです。
御書に「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(御書552ページ)とある通り、相手に妙法を聞かせることは、その人の成仏の道を開くことにほかなりません。
「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(同1121ページ)、「僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)等、日蓮大聖人は御書の随所で妙法流布に励む人をたたえられています。
★池田先生の指針から 何ものも恐れぬ師子の心で
大聖人は、大聖人門下の「無上の誉れ」を高らかに宣言されています。
すなわち——仏の滅後、いまだ誰も弘めたことのない「法華経の肝心」「諸仏の眼目」である南無妙法蓮華経の大法を、全世界に弘めゆく先陣を日蓮が切ったのだと。
末法の闇夜に、元初の太陽が昇ったのです。その大光に、世界の全ての人々が包まれていくのです。
大聖人門下の私たちは、迦葉・阿難、天台・伝教ら大学者たちの後ろに「ついていく」のではない、彼らを凌駕し「超えていく」存在だと仰せです。何と誉れ高き一人一人でしょうか!
戸田先生は講義の中で「実際、いま大聖人のお示しのとおりにやっているのは創価学会だけです」と強調されました。
「羊千匹よりも獅子一匹」——牧口先生は叫ばれました。「臆病な小善人が千人いるよりも、勇気ある大善人が一人いれば、大事を成就することができる」と。
「わづかの小島のぬしら」の権力の脅しにも臆してはならない、と大聖人は仰せです。
私たちは師子です。学会は師子の陣列で、厳然と進みましょう。(2012年4月号「大白蓮華」、「勝利の経典『御書』に学ぶ」)
◇ ◆ ◇
大聖人は、「法華経の肝心・諸仏の眼目」たる南無妙法蓮華経を、ただ御一人、末法万年尽未来際の民衆を救いゆくために弘め出されました。
妙法を一閻浮提に広宣流布する瑞相に「日蓮さきがけしたり」。御本仏の大確信が脈打っておられます。
本抄で「二陣三陣」と仰せられたのは、大難に立ち向かって、広宣流布の戦いが繰り広げられている真っ只中でした。
あらゆる難を「本より存知」として受けとめられて、「各各思い切り給へ」と御指導され、「わが門下よ、二陣三陣、続け」と厳命なされているのです。
師匠は、常に「先覚の道」を不惜身命の決意で、さきがけておられる。ならば弟子もまた、その道に恐れなく続いてこそ弟子である。師が開かれた道に続くことは、弟子もまた先覚の誉れの道を歩ませていただくということにほかならない。
偉大な師匠を持つ人生ほど、誇り高い栄光はないのです。(『御書と師弟』第2巻)
参考文献
○…2012年4月号「大白蓮華」、「勝利の経典『御書』に学ぶ」(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第2巻、「末法流布の大陣列」(同)
2018年7月7日土曜日
2018.07.07 わが友に贈る
「言と云うは心の思いを
響かして声を顕す」
さあ「励まし週間」だ。
真心の声掛けで
安心と希望を届けよう!
立正安国論 P31
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』
【通解】
あなたはすべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。
〈寸鉄〉 2018年7月7日
会長は高邁な理想と哲学持つ希有な教育者—識者未来担う後継よ学び抜け
どんな人も長所を活かせば人材となる—戸田先生全員に桜梅桃李の使命が
「いよいよ強盛の御志あるべし」御書。苦難の時こそ成長の好機。祈り深く
各地で大雨。河川増水・土砂災害に引き続き警戒。絶対無事故へ油断排して
消灯呼び掛ける「クールアース・デー」。節電への契機に。環境守る主役に
☆全国白蓮グループ大会への池田先生ご夫妻のメッセージ 2018年7月3日
◇広宣流布の清々しい力に
いよいよ「青年の月」。
今朝(1日朝)、勤行のあと、妻が微笑んで言いました。
「きょうは、白蓮の皆さんが、真っ先に集ってこられますね。みんな本当に、けなげです。うれしいですね」と。
私と妻の心も、きょうは東京牧口記念会館にあります。皆さんと一緒です。
北は北海道から、南は沖縄まで、暑い中、本当にご苦労さま!
ここ牧口記念会館の庭園に立つ「白蓮之歌碑」にある通り、白蓮の「歓喜の微笑み」は友に希望を与え、白蓮の「正義の歌声」は友に勇気を呼び起こします。
白蓮の連帯は今や世界中に広がり、白蓮出身のリーダーこそ、広宣流布の清々しい力となっています。
御本仏・日蓮大聖人の御照覧もいかばかりでしょうか。きょうは、あらためて皆さんに贈りたい御聖訓があります。
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)
妙法は、いかなる苦しみも幸福へと転じていける究極の秘術です。
妙法は、生きる喜びを自他共に躍動させゆく希望の光です。
妙法は、平和な未来を足元から創り開きゆく生命尊厳の法理なのです。
この妙法と共に、創価と共に舞いゆく青春に不幸の二字は絶対にありません。
さあ、何があっても題目を唱え、白蓮華の当体であるわが生命を自分らしく毅然と輝かせ、胸を張って前進していってください。
そして、大きな明るい心で友を照らし、皆を伸びやかに包みながら、幸と平和のスクラムを満天の星のごとく広げていっていただきたいのであります。
かけがえのない白蓮の乙女たちに、一人ももれなく、福智の青春よ、朗らかに輝き光れ!
皆さんと一緒に、大好きな「星は光りて」を口ずさみながら(大拍手)。
響かして声を顕す」
さあ「励まし週間」だ。
真心の声掛けで
安心と希望を届けよう!
立正安国論 P31
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』
【通解】
あなたはすべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。
〈寸鉄〉 2018年7月7日
会長は高邁な理想と哲学持つ希有な教育者—識者未来担う後継よ学び抜け
どんな人も長所を活かせば人材となる—戸田先生全員に桜梅桃李の使命が
「いよいよ強盛の御志あるべし」御書。苦難の時こそ成長の好機。祈り深く
各地で大雨。河川増水・土砂災害に引き続き警戒。絶対無事故へ油断排して
消灯呼び掛ける「クールアース・デー」。節電への契機に。環境守る主役に
☆全国白蓮グループ大会への池田先生ご夫妻のメッセージ 2018年7月3日
◇広宣流布の清々しい力に
いよいよ「青年の月」。
今朝(1日朝)、勤行のあと、妻が微笑んで言いました。
「きょうは、白蓮の皆さんが、真っ先に集ってこられますね。みんな本当に、けなげです。うれしいですね」と。
私と妻の心も、きょうは東京牧口記念会館にあります。皆さんと一緒です。
北は北海道から、南は沖縄まで、暑い中、本当にご苦労さま!
ここ牧口記念会館の庭園に立つ「白蓮之歌碑」にある通り、白蓮の「歓喜の微笑み」は友に希望を与え、白蓮の「正義の歌声」は友に勇気を呼び起こします。
白蓮の連帯は今や世界中に広がり、白蓮出身のリーダーこそ、広宣流布の清々しい力となっています。
御本仏・日蓮大聖人の御照覧もいかばかりでしょうか。きょうは、あらためて皆さんに贈りたい御聖訓があります。
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)
妙法は、いかなる苦しみも幸福へと転じていける究極の秘術です。
妙法は、生きる喜びを自他共に躍動させゆく希望の光です。
妙法は、平和な未来を足元から創り開きゆく生命尊厳の法理なのです。
この妙法と共に、創価と共に舞いゆく青春に不幸の二字は絶対にありません。
さあ、何があっても題目を唱え、白蓮華の当体であるわが生命を自分らしく毅然と輝かせ、胸を張って前進していってください。
そして、大きな明るい心で友を照らし、皆を伸びやかに包みながら、幸と平和のスクラムを満天の星のごとく広げていっていただきたいのであります。
かけがえのない白蓮の乙女たちに、一人ももれなく、福智の青春よ、朗らかに輝き光れ!
皆さんと一緒に、大好きな「星は光りて」を口ずさみながら(大拍手)。
2018年7月6日金曜日
2018.07.06 わが友に贈る
各地で大雨。
洪水や土砂崩れなどに
厳重に警戒しよう。
配達員の皆さまも
無事故第一で!
開目抄下 P236
『若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり』
【通解】
もし仏法者が、法を破る者を見ながら、そのまま放置して、相手の非を厳しく責めず、追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。この仏法者は、仏法の中の怨敵である。
〈寸鉄〉 2018年7月6日
牧口・戸田両先生の法難75年。大難を恐れぬ死身弘法ありて広布は現実に
折伏行をなす者には偉大な生命力が涌出—戸田先生。楽しく逞しく挑戦!
長寿の秘訣は「本人の努力と地域の絆」—研究者。多宝会の模範の活躍光る
被爆者の平均年齢82歳超に。継承が急務。青年よ語り継げ!連帯の拡大を
再生可能エネを「主力電力化」へ—基本計画。美しき地球守る対策加速せよ
☆7月度男子部「御書活動者会」研さんのために 四菩薩造立抄
◇「今」に勝ち「時」を創れ 師弟共戦の喜び胸に
7月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四菩薩造立抄」を研さん。「時」の重要性とともに、師弟共戦の精神を学ぶ。
◇御文
『』日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し』(御書988ページ)
◇通解
日蓮は世間的にみれば日本第一の貧しい者であるけれども、仏法の上から論ずるならば、一閻浮提第一の富める者である。これは(末法という)時のしからしむるゆえであると思うと、喜びは身にあまり、感涙をおさえがたく、教主釈尊の御恩は報じ奉りがたい。
◇背景と大意
本抄は、弘安2年(1279年)5月、日蓮大聖人が身延の地から、下総(千葉県北部一帯)の門下の中心者であった富木常忍に与えられたお手紙である。
前半は、本門の教主釈尊とその脇士である四菩薩(地涌の菩薩の上首である上行・無辺行・浄行・安立行)の像が建立されるのはいつか、という質問に対し、末法の初めに上行菩薩が出現して造立することが述べられ、大聖人がその上行菩薩にほかならないことが示唆されている。すなわち、御自身こそ、仏法の上からは「一閻浮提第一の富る者」であると仰せである。
後半では、末法という時は、本門が弘まる時であることが示され、大聖人との師弟不二の実践の重要性を教えられている。
なお、末法に造立される像(仏像)とは、大聖人が御図顕される曼荼羅本尊であることが「観心本尊抄」に示されている。
◇解説
人間の本当の豊かさとは何か。それは、財力でも地位でもない。心の境涯で決まる。
日蓮大聖人は本抄で、世間的には高い地位があるわけでもなく、権力者の庇護もない一僧侶であるが、仏法の法理に照らせば、世界第一の「富る者」である、との御境涯、大確信を示されている。
なぜ、大聖人が世界第一の「富る者」なのか——。それは、末法こそ、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大法が、全世界に弘まっていく時だからである。
末法は、正法・像法時代と比較すると、衆生の機根が劣る五濁悪世の時代とされている。しかし、拝読御文の直前には、天台大師の「後の五百歳には、遠く妙道に沾うであろう」(御書988ページ、通解)との文、伝教大師の「正法・像法の時代はほぼ過ぎおわって、末法ははなはだ近くにある」(同ページ、通解)との文を引かれ、それぞれ末法を待ち望んでいたことが記されている。
万人成仏の妙法を弘めることは、正法・像法時代の正師が願ってもなし得なかった大聖業なのである。
ゆえに、大聖人は拝読御文で、「これは(末法という)時のしからしむるゆえであると思うと、喜びは身にあまり、感涙をおさえがたく、教主釈尊の御恩は報じ奉りがたい」と仰せである。さらに大聖人は、末法という時に巡り合い、妙法を弘める功徳の大きさが天台、伝教に勝ると述べられ、その喜びを表現されている。
そして、本抄の末尾に「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」(同989ページ)と、師弟不二の実践を呼び掛けられている。
この御文の通りに、大聖人直結の信心で、闘諍言訟の末法の中、あらゆる障魔を打ち破り、世界広宣流布の基盤を築いてきたのが、創価学会の三代会長である。
来る7月は、牧口先生と戸田先生が軍国主義と戦い、入獄された月である。また、7月3日は、戸田先生の出獄と池田先生の入獄の日でもある。この峻厳な歴史が刻まれた「師弟の月」である7月に、男子部は結成された。
"時に適った"戦いがどんなに大切か——。
池田先生は、小説『新・人間革命』に記している。
「『今』という一瞬は、無限の未来をはらんでいる。歴史を動かすのも、瞬時の判断であり、行動である。その『時』を逃さぬためには、瞬間瞬間を全力で事に当たるのだ。勝利を決する好機は、常にある。その好機を生かすことのできる人は、いつ好機が訪れようが、それを最大に活用できるように、絶え間なく努力、奮闘している人である」
「今」を全力で戦い抜く。その絶え間ない努力に、勝利の「時」は創られる。
池田先生が25年間、命を削るようにして書き続けられた『新・人間革命』が完結を迎える「今」、私たちもまた、自身の人間革命の新たな一ページをつづっていきたい。師弟共戦の喜びに燃えて——。
洪水や土砂崩れなどに
厳重に警戒しよう。
配達員の皆さまも
無事故第一で!
開目抄下 P236
『若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり』
【通解】
もし仏法者が、法を破る者を見ながら、そのまま放置して、相手の非を厳しく責めず、追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。この仏法者は、仏法の中の怨敵である。
〈寸鉄〉 2018年7月6日
牧口・戸田両先生の法難75年。大難を恐れぬ死身弘法ありて広布は現実に
折伏行をなす者には偉大な生命力が涌出—戸田先生。楽しく逞しく挑戦!
長寿の秘訣は「本人の努力と地域の絆」—研究者。多宝会の模範の活躍光る
被爆者の平均年齢82歳超に。継承が急務。青年よ語り継げ!連帯の拡大を
再生可能エネを「主力電力化」へ—基本計画。美しき地球守る対策加速せよ
☆7月度男子部「御書活動者会」研さんのために 四菩薩造立抄
◇「今」に勝ち「時」を創れ 師弟共戦の喜び胸に
7月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四菩薩造立抄」を研さん。「時」の重要性とともに、師弟共戦の精神を学ぶ。
◇御文
『』日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し』(御書988ページ)
◇通解
日蓮は世間的にみれば日本第一の貧しい者であるけれども、仏法の上から論ずるならば、一閻浮提第一の富める者である。これは(末法という)時のしからしむるゆえであると思うと、喜びは身にあまり、感涙をおさえがたく、教主釈尊の御恩は報じ奉りがたい。
◇背景と大意
本抄は、弘安2年(1279年)5月、日蓮大聖人が身延の地から、下総(千葉県北部一帯)の門下の中心者であった富木常忍に与えられたお手紙である。
前半は、本門の教主釈尊とその脇士である四菩薩(地涌の菩薩の上首である上行・無辺行・浄行・安立行)の像が建立されるのはいつか、という質問に対し、末法の初めに上行菩薩が出現して造立することが述べられ、大聖人がその上行菩薩にほかならないことが示唆されている。すなわち、御自身こそ、仏法の上からは「一閻浮提第一の富る者」であると仰せである。
後半では、末法という時は、本門が弘まる時であることが示され、大聖人との師弟不二の実践の重要性を教えられている。
なお、末法に造立される像(仏像)とは、大聖人が御図顕される曼荼羅本尊であることが「観心本尊抄」に示されている。
◇解説
人間の本当の豊かさとは何か。それは、財力でも地位でもない。心の境涯で決まる。
日蓮大聖人は本抄で、世間的には高い地位があるわけでもなく、権力者の庇護もない一僧侶であるが、仏法の法理に照らせば、世界第一の「富る者」である、との御境涯、大確信を示されている。
なぜ、大聖人が世界第一の「富る者」なのか——。それは、末法こそ、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大法が、全世界に弘まっていく時だからである。
末法は、正法・像法時代と比較すると、衆生の機根が劣る五濁悪世の時代とされている。しかし、拝読御文の直前には、天台大師の「後の五百歳には、遠く妙道に沾うであろう」(御書988ページ、通解)との文、伝教大師の「正法・像法の時代はほぼ過ぎおわって、末法ははなはだ近くにある」(同ページ、通解)との文を引かれ、それぞれ末法を待ち望んでいたことが記されている。
万人成仏の妙法を弘めることは、正法・像法時代の正師が願ってもなし得なかった大聖業なのである。
ゆえに、大聖人は拝読御文で、「これは(末法という)時のしからしむるゆえであると思うと、喜びは身にあまり、感涙をおさえがたく、教主釈尊の御恩は報じ奉りがたい」と仰せである。さらに大聖人は、末法という時に巡り合い、妙法を弘める功徳の大きさが天台、伝教に勝ると述べられ、その喜びを表現されている。
そして、本抄の末尾に「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」(同989ページ)と、師弟不二の実践を呼び掛けられている。
この御文の通りに、大聖人直結の信心で、闘諍言訟の末法の中、あらゆる障魔を打ち破り、世界広宣流布の基盤を築いてきたのが、創価学会の三代会長である。
来る7月は、牧口先生と戸田先生が軍国主義と戦い、入獄された月である。また、7月3日は、戸田先生の出獄と池田先生の入獄の日でもある。この峻厳な歴史が刻まれた「師弟の月」である7月に、男子部は結成された。
"時に適った"戦いがどんなに大切か——。
池田先生は、小説『新・人間革命』に記している。
「『今』という一瞬は、無限の未来をはらんでいる。歴史を動かすのも、瞬時の判断であり、行動である。その『時』を逃さぬためには、瞬間瞬間を全力で事に当たるのだ。勝利を決する好機は、常にある。その好機を生かすことのできる人は、いつ好機が訪れようが、それを最大に活用できるように、絶え間なく努力、奮闘している人である」
「今」を全力で戦い抜く。その絶え間ない努力に、勝利の「時」は創られる。
池田先生が25年間、命を削るようにして書き続けられた『新・人間革命』が完結を迎える「今」、私たちもまた、自身の人間革命の新たな一ページをつづっていきたい。師弟共戦の喜びに燃えて——。
2018年7月5日木曜日
2018.07.05 わが友に贈る
広布のリーダーは
緻密であれ!
時に大胆であれ!
強盛な祈りを根本に
歴史に輝く名指揮を!
立正安国論 P26
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
【通解】
自分は器も小さく、取るに足らない人間ではあるけれども、かたじけなくも大乗仏教を学んでいます。青バエは駿馬の尾について万里を行くことができ、葛(カズラ)は大きな松に寄って千尋の高さまでも延びるという例えもあります。
〈寸鉄〉 2018年7月5日
折伏が宗教の生命—牧口先生。勇敢に語り抜け!そこに自他共の幸福必ず
宮城女性の日。婦女一体の前進で友の心に幸の光を。皆様こそ東北の太陽
仕事が楽しみなら人生は素晴らしく—作家。青年よ今いる所で第一人者に
人の寿命は今後も延びると。幸齢社会へ問われる生き方。哲学の確立を今
熱中症の予防強化月間。正しい知識あれば防げると。油断せず上手に涼を
☆歌声高く 第2回 友よ起て
◇青年とはロマンに生き抜く人
今年も「師弟の月」「青年の月」7月が巡り来る。
7月3日——それは、1945年(昭和20年)、軍部政府による弾圧と戦った戸田先生が、2年間にわたる獄中闘争の末に出獄した日である。また57年(同32年)、池田先生が選挙違反という無実の罪で不当逮捕・勾留された日でもある。
7月6日——43年(同18年)のこの日、牧口先生は静岡の下田で、戸田先生は東京の白金台で、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕された。今年で75年となる。
「7・3」と「7・6」は、学会にとって、権力の魔性と戦い、民衆勝利の時代を開く"誓いの日"。池田先生作詞・作曲の男子部歌「友よ起て」の歌詞と楽譜が聖教新聞に掲載されたのは40年前、78年(同53年)の7月3日付と7月6日付の2回であった。
先生は男子部に「新しい飛躍の歌を贈りたい」と、あえて7月3日に発表することを選び、寸暇を惜しんで制作を進めたのだ。
前日の2日夕、先生は、こう語っている。「一つの歌をつくるにも生命を通わせなくてはいけない。生命でつくったもののみが、生命に入っていく」「何事によらず"労作業"でなければ、人々の心を打つものはできないものだ」と。
この言葉の通り、先生は一度出来上がった男子部歌にもう一度、命を吹き込む思いで、曲に手を加えた。
創価の初代、2代、3代の会長は、いかなる吹雪にも烈風にも、敢然と胸を張り、一人立った。後継の弟子であるならば、師子の男子部であるならば、一人立て! 友よ起て!——と、心で祈り叫びながら。
こうして「7・6」に再びの発表となったのである。
歌声は瞬く間に全国へ広がった。「青年とは、広布のロマンに生き抜く人だ」(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章)との師の期待を胸に抱き、男子部結成の月・7月を駆ける丈夫たちの力走とともに。
そして「友よ起て」の発表から3年余。嵐に揺るがぬ学会精神は、第1次宗門事件からの反転攻勢の中で、新たな歌を生み出した。81年(同56年)11月、四国で産声を上げた「紅の歌」である。四国男子部の心意気を受け止めて、先生が歌詞を書き上げた一曲だ。
♪ああ暁鐘を
打て 鳴らせ
驕れる波浪よ
なにかせむ……
池田先生が嵐の中で男子部に託した闘魂は今、世代から世代へ受け継がれる。
MEMO
小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章には、日本の青年層が無気力・無関心に陥ってしまっていた当時の社会状況とともに、先生が"創価の青年よ。次代建設のリーダーたれ!"との願いを込めて「友よ起て」をつくった真情がつづられている。
一、若き地涌の 丈夫は
舞いゆけ大空 空翔ぶ鷲と
民衆を守りて 正義の羽は
勇み勇みて 友よ起て
二、見よや彼方に 虹かかり
いざいざ征かなん 決めたる道を
地を征く王者と 走りぬ師子は
朝日夕陽に 友よ起て
三、広布のロマンを 一筋に
打てよ鳴らせよ 七つの鐘を
やがては誉れの 凱歌の世紀
花に吹雪に 友よ起て
緻密であれ!
時に大胆であれ!
強盛な祈りを根本に
歴史に輝く名指揮を!
立正安国論 P26
『予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
【通解】
自分は器も小さく、取るに足らない人間ではあるけれども、かたじけなくも大乗仏教を学んでいます。青バエは駿馬の尾について万里を行くことができ、葛(カズラ)は大きな松に寄って千尋の高さまでも延びるという例えもあります。
〈寸鉄〉 2018年7月5日
折伏が宗教の生命—牧口先生。勇敢に語り抜け!そこに自他共の幸福必ず
宮城女性の日。婦女一体の前進で友の心に幸の光を。皆様こそ東北の太陽
仕事が楽しみなら人生は素晴らしく—作家。青年よ今いる所で第一人者に
人の寿命は今後も延びると。幸齢社会へ問われる生き方。哲学の確立を今
熱中症の予防強化月間。正しい知識あれば防げると。油断せず上手に涼を
☆歌声高く 第2回 友よ起て
◇青年とはロマンに生き抜く人
今年も「師弟の月」「青年の月」7月が巡り来る。
7月3日——それは、1945年(昭和20年)、軍部政府による弾圧と戦った戸田先生が、2年間にわたる獄中闘争の末に出獄した日である。また57年(同32年)、池田先生が選挙違反という無実の罪で不当逮捕・勾留された日でもある。
7月6日——43年(同18年)のこの日、牧口先生は静岡の下田で、戸田先生は東京の白金台で、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕された。今年で75年となる。
「7・3」と「7・6」は、学会にとって、権力の魔性と戦い、民衆勝利の時代を開く"誓いの日"。池田先生作詞・作曲の男子部歌「友よ起て」の歌詞と楽譜が聖教新聞に掲載されたのは40年前、78年(同53年)の7月3日付と7月6日付の2回であった。
先生は男子部に「新しい飛躍の歌を贈りたい」と、あえて7月3日に発表することを選び、寸暇を惜しんで制作を進めたのだ。
前日の2日夕、先生は、こう語っている。「一つの歌をつくるにも生命を通わせなくてはいけない。生命でつくったもののみが、生命に入っていく」「何事によらず"労作業"でなければ、人々の心を打つものはできないものだ」と。
この言葉の通り、先生は一度出来上がった男子部歌にもう一度、命を吹き込む思いで、曲に手を加えた。
創価の初代、2代、3代の会長は、いかなる吹雪にも烈風にも、敢然と胸を張り、一人立った。後継の弟子であるならば、師子の男子部であるならば、一人立て! 友よ起て!——と、心で祈り叫びながら。
こうして「7・6」に再びの発表となったのである。
歌声は瞬く間に全国へ広がった。「青年とは、広布のロマンに生き抜く人だ」(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章)との師の期待を胸に抱き、男子部結成の月・7月を駆ける丈夫たちの力走とともに。
そして「友よ起て」の発表から3年余。嵐に揺るがぬ学会精神は、第1次宗門事件からの反転攻勢の中で、新たな歌を生み出した。81年(同56年)11月、四国で産声を上げた「紅の歌」である。四国男子部の心意気を受け止めて、先生が歌詞を書き上げた一曲だ。
♪ああ暁鐘を
打て 鳴らせ
驕れる波浪よ
なにかせむ……
池田先生が嵐の中で男子部に託した闘魂は今、世代から世代へ受け継がれる。
MEMO
小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章には、日本の青年層が無気力・無関心に陥ってしまっていた当時の社会状況とともに、先生が"創価の青年よ。次代建設のリーダーたれ!"との願いを込めて「友よ起て」をつくった真情がつづられている。
一、若き地涌の 丈夫は
舞いゆけ大空 空翔ぶ鷲と
民衆を守りて 正義の羽は
勇み勇みて 友よ起て
二、見よや彼方に 虹かかり
いざいざ征かなん 決めたる道を
地を征く王者と 走りぬ師子は
朝日夕陽に 友よ起て
三、広布のロマンを 一筋に
打てよ鳴らせよ 七つの鐘を
やがては誉れの 凱歌の世紀
花に吹雪に 友よ起て
2018年7月4日水曜日
2018.07.04 わが友に贈る
「いつも・たいせず
信ずるなり」
清流のごとき信心で
わが生命に 揺るがぬ
幸の宮殿を築きゆこう!
生死一大事血脈抄 P1338
『上行菩薩末法今の時此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん出現せずとやせん、日蓮先ず粗弘め候なり』
【通解】
上行菩薩が、末法今の時にこの法門を弘めるために御出現になられることが経文に見えるが、どうであろうか。上行菩薩が出現されているにせよ、されていないにせよ、日蓮は、その先駆けとして、ほぼ弘めたのである。
〈寸鉄〉 2018年7月4日
青年の心を揺さぶるのは青年の叫び—戸田先生。若獅子よ大胆に動き語れ
幹部の責任感はスピードに表れる。報告・連絡・相談は迅速に。勝利の礎
喜とは自他共に喜ぶ事なり」御書。最高の同志と共に歓喜の拡大劇を!
食中毒に注意を。食材の適切な保管や調理、手洗い等を徹底。予防が第一
電源プラグやコンセントの埃は火災の元。今一度の総点検を。小事が大事
◎千葉、新時代へ船出を友に
松戸は市川と共に、第6千葉総県になりました!
☆世界に魂を 心に翼を 第5回 人間に歌あり(上)
◇人々を結び 時代を動かす力
歌は、人を鼓舞する。
歌は、人々の心を結ぶ。
歌は、時代を動かす力となる。
恩師・戸田先生は「民族の興隆には、必ず歌があった」と折に触れて語り、青年の歌声を愛した。
声に思いが感じられないと、「そんな歌い方で、この歌の心が分かるか」と厳しく諭すこともあった。
「青年部に合唱団をつくったらどうかね」と提案したのも戸田先生である。その翌年(1958年)、池田先生は早速、合唱団を結成。師の構想をいち早く実現した。
戦時下の獄中にあって、民衆を勇気づける歌を作った戸田先生。
池田先生もまた、自ら詩を綴り、100曲を超える歌を生み出してきた。そして、折々の語らいやスピーチで古今東西の歌の淵源などに言及し、その精神を伝えている。
◇ ◆ ◇
東京・信濃町の民音音楽博物館で開催されている「人権と音楽」展では、米国の公民権運動に関わったジャズ奏者や、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)撤廃の史実等を紹介している(7月8日まで)。
こうした歴史をひもとくと、人間にとって、歌が、なくてはならないものであることが鮮明になる。
米公民権運動は、白人の乗客へバスの席を譲るよう恫喝されたローザ・パークス氏が、命令を拒否し、逮捕されたことに端を発する。
ここからM・L・キング博士が指揮するバス・ボイコット運動が始まり、63年8月には人種差別撤廃を求めるワシントン大行進が。20万人による「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」の大合唱が轟き、「私には夢がある」で知られる歴史的演説が行われた。
パークス氏は後年、バスの席を譲ることを拒んだ理由として、母がいつも歌ってくれた「ああ、わが頭上の自由」があったと述懐した。
「あの歌詞を決して忘れません」「この歌詞のおかげで、私は、自由になるということがどういうことかを感じとることができました」
当時、黒人は"二流市民"として扱われ、黒人へのリンチや殺人事件が横行。そんな中、奴隷制の時代から受け継がれてきた賛美歌の歌詞を「神」から「自由」に入れ替えて歌い、生きる希望を紡いできた。
パークス氏は言う。「歌のおかげで、私たちは、真の自由への夢を保ちつづける力を得ることができました。そして、これらの歌を歌うたびに、もう引き返すことはできないのだと思いました」
◇ ◆ ◇
キング博士も、歌が「運動の魂」であったと語っている。
ある夜、弟から電話があった。博士や同志の命を狙った爆弾が仕掛けられ、弟の家が爆破されたという。
受話器を取り、驚いた。混乱が伝わる声の後ろから、同志たちの歌が聞こえてきたからだ。
「ウィ・シャル・オーバーカム」の澄んだ歌声だった。
「このような悲劇の瞬間に黒人がまだ希望と信仰で自分自身を言い表していることに、私は驚嘆した」と博士は記す。デモで投獄された時も、次々に連行される逮捕者が、そうした歌を大声で歌いながら入ってきたことに、強く励まされたという。
「これらの歌はわれわれを結束させ、われわれに勇気を与え、そしてわれわれが一緒に行進するのを助けてくれた」と語り、音楽を通し、いかなる悲観的な状況でも、柔軟な楽観主義が湧き上がったと振り返る。
64年7月には、人種差別を撤廃する公民権法が成立した。
運動の高まりの中、池田先生はアメリカを訪れている(60年10月)。
シカゴで黒人少年への差別的行為を目撃した先生は、人種や民族を超え、人間の尊厳が輝く社会を訴え続けてきた。ハーバード大学等で平和の世紀を展望する講演を重ね、アメリカ創価大学や国際対話センターを創立した。
同大学には、キング博士をそばで支えたコレッタ夫人や、パークス氏も来訪している。学生が平和への誓いを込めて「ウィ・シャル・オーバーカム」を歌うと、コレッタ夫人は「私たちが苦しみに直面した時に、いつも歌って自らを元気づけた歌です。私は今日のこの感動を、一生忘れないでしょう」と。
パークス氏は池田先生との会見を回想し、「人権への関心において、池田博士は今世紀の多くの人々よりも先を行っていました」とインタビューに答えている。
◇ ◆ ◇
米公民権運動と同時期の64年、南アフリカでは、反アパルトヘイト運動の指導者ネルソン・マンデラ氏が反逆罪で終身刑を宣告された。
独房は、歩いて3歩の狭さ。ベッドは足も伸ばせない。そこで家族や同志への迫害を聞かされた。
マンデラ氏の名は、人権活動家の間では伝説となっていた。だが収監から十数年が過ぎても、氏の闘争を知る人は限られていた。
氏の解放を願う人々の思いは、やがて幾つもの歌に託されていく。
84年、「フリー・ネルソン・マンデラ」がラジオの電波に乗ると、各地で大規模なイベントが開かれ、氏の名前が広がっていった。
同じく氏を歌った「アシンボナンガ(彼の姿を見ていない)」は、南アフリカ国内では演奏が禁じられ、コンサートも妨害されたが、各国のアーティストが次々とカバーし、解放運動の世論を喚起している。
氏は27年半もの獄中闘争を勝ち越えて釈放。そして91年、アパルトヘイト撤廃の凱歌がこだました。
◇ ◆ ◇
90年10月31日、聖教新聞本社のロビーに、南アフリカの愛唱歌「オリサッサ・マンデラ」の大合唱が響いた。池田先生が500人の青年と共に、マンデラ氏を迎えたのだ。
アフリカ各国の駐日大使とマンデラ氏が語り合った際、訪日の印象を問われ、氏はこう答えている。
「最もうれしかったのは、池田SGI会長にお会いしたことです。また、その際、若い学生の方々らが温かく迎えてくださり、歌まで歌ってくださった。私は27年間、囚われの身で戦ってきましたが、"これで、その努力が報われた"と思いました」
本社での対談で、日本と南アフリカの教育・文化交流が約された。
5年後、大統領として来日した氏と先生の再会の折には、民音による同国を代表する音楽グループの招聘が決定。国際的なフェスティバルで最優秀賞の実績を持つドラケンスバーグ少年合唱団の来日も決まった。
同団では、アパルトヘイトの撤廃前から人種差別に異を唱え、黒人と白人が一緒に活動していた。
もともとは授業料が高額で白人しか通えなかったが、当時の芸術監督が、歌声に差異はないと主張。黒人の入学を受け入れ、その後も度重なる人種偏見をはねのけてきた。
マンデラ氏が遠い日本に送り届けてくれたのは、「人間の平等」を象徴する若き芸術家たちであった。民音での来日公演は4度に及ぶ。
ある夏の公演で、同団のメンバーが語っていた。
"今日は池田博士が無実の罪による投獄から釈放された日です。私たちは、博士に深いつながりを感じます。なぜなら博士とマンデラ氏は、人権と平和のために政治的圧力を受け、投獄、釈放されるという、共通の体験をされているからです。
氏の解放から間もなく、この偉大な両者が会見したことは、ご存じのことと思います。私たちも世界の平和へ努力を続けていきたい——"
歌に託した平和への願い。それは国や時代を超えて受け継がれ、人間が進むべき未来を照らしている。
〈引用・参考文献〉『勇気と希望 ローザ・パークスのことば』高橋朋子訳(サイマル出版会)、クレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』梶原寿訳(日本基督教団出版局)、ダグラス・ブリンクリー著『ローザ・パークス』中村理香訳(岩波書店)、ピーター・バラカン著『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)。
信ずるなり」
清流のごとき信心で
わが生命に 揺るがぬ
幸の宮殿を築きゆこう!
生死一大事血脈抄 P1338
『上行菩薩末法今の時此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん出現せずとやせん、日蓮先ず粗弘め候なり』
【通解】
上行菩薩が、末法今の時にこの法門を弘めるために御出現になられることが経文に見えるが、どうであろうか。上行菩薩が出現されているにせよ、されていないにせよ、日蓮は、その先駆けとして、ほぼ弘めたのである。
〈寸鉄〉 2018年7月4日
青年の心を揺さぶるのは青年の叫び—戸田先生。若獅子よ大胆に動き語れ
幹部の責任感はスピードに表れる。報告・連絡・相談は迅速に。勝利の礎
喜とは自他共に喜ぶ事なり」御書。最高の同志と共に歓喜の拡大劇を!
食中毒に注意を。食材の適切な保管や調理、手洗い等を徹底。予防が第一
電源プラグやコンセントの埃は火災の元。今一度の総点検を。小事が大事
◎千葉、新時代へ船出を友に
松戸は市川と共に、第6千葉総県になりました!
☆世界に魂を 心に翼を 第5回 人間に歌あり(上)
◇人々を結び 時代を動かす力
歌は、人を鼓舞する。
歌は、人々の心を結ぶ。
歌は、時代を動かす力となる。
恩師・戸田先生は「民族の興隆には、必ず歌があった」と折に触れて語り、青年の歌声を愛した。
声に思いが感じられないと、「そんな歌い方で、この歌の心が分かるか」と厳しく諭すこともあった。
「青年部に合唱団をつくったらどうかね」と提案したのも戸田先生である。その翌年(1958年)、池田先生は早速、合唱団を結成。師の構想をいち早く実現した。
戦時下の獄中にあって、民衆を勇気づける歌を作った戸田先生。
池田先生もまた、自ら詩を綴り、100曲を超える歌を生み出してきた。そして、折々の語らいやスピーチで古今東西の歌の淵源などに言及し、その精神を伝えている。
◇ ◆ ◇
東京・信濃町の民音音楽博物館で開催されている「人権と音楽」展では、米国の公民権運動に関わったジャズ奏者や、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)撤廃の史実等を紹介している(7月8日まで)。
こうした歴史をひもとくと、人間にとって、歌が、なくてはならないものであることが鮮明になる。
米公民権運動は、白人の乗客へバスの席を譲るよう恫喝されたローザ・パークス氏が、命令を拒否し、逮捕されたことに端を発する。
ここからM・L・キング博士が指揮するバス・ボイコット運動が始まり、63年8月には人種差別撤廃を求めるワシントン大行進が。20万人による「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」の大合唱が轟き、「私には夢がある」で知られる歴史的演説が行われた。
パークス氏は後年、バスの席を譲ることを拒んだ理由として、母がいつも歌ってくれた「ああ、わが頭上の自由」があったと述懐した。
「あの歌詞を決して忘れません」「この歌詞のおかげで、私は、自由になるということがどういうことかを感じとることができました」
当時、黒人は"二流市民"として扱われ、黒人へのリンチや殺人事件が横行。そんな中、奴隷制の時代から受け継がれてきた賛美歌の歌詞を「神」から「自由」に入れ替えて歌い、生きる希望を紡いできた。
パークス氏は言う。「歌のおかげで、私たちは、真の自由への夢を保ちつづける力を得ることができました。そして、これらの歌を歌うたびに、もう引き返すことはできないのだと思いました」
◇ ◆ ◇
キング博士も、歌が「運動の魂」であったと語っている。
ある夜、弟から電話があった。博士や同志の命を狙った爆弾が仕掛けられ、弟の家が爆破されたという。
受話器を取り、驚いた。混乱が伝わる声の後ろから、同志たちの歌が聞こえてきたからだ。
「ウィ・シャル・オーバーカム」の澄んだ歌声だった。
「このような悲劇の瞬間に黒人がまだ希望と信仰で自分自身を言い表していることに、私は驚嘆した」と博士は記す。デモで投獄された時も、次々に連行される逮捕者が、そうした歌を大声で歌いながら入ってきたことに、強く励まされたという。
「これらの歌はわれわれを結束させ、われわれに勇気を与え、そしてわれわれが一緒に行進するのを助けてくれた」と語り、音楽を通し、いかなる悲観的な状況でも、柔軟な楽観主義が湧き上がったと振り返る。
64年7月には、人種差別を撤廃する公民権法が成立した。
運動の高まりの中、池田先生はアメリカを訪れている(60年10月)。
シカゴで黒人少年への差別的行為を目撃した先生は、人種や民族を超え、人間の尊厳が輝く社会を訴え続けてきた。ハーバード大学等で平和の世紀を展望する講演を重ね、アメリカ創価大学や国際対話センターを創立した。
同大学には、キング博士をそばで支えたコレッタ夫人や、パークス氏も来訪している。学生が平和への誓いを込めて「ウィ・シャル・オーバーカム」を歌うと、コレッタ夫人は「私たちが苦しみに直面した時に、いつも歌って自らを元気づけた歌です。私は今日のこの感動を、一生忘れないでしょう」と。
パークス氏は池田先生との会見を回想し、「人権への関心において、池田博士は今世紀の多くの人々よりも先を行っていました」とインタビューに答えている。
◇ ◆ ◇
米公民権運動と同時期の64年、南アフリカでは、反アパルトヘイト運動の指導者ネルソン・マンデラ氏が反逆罪で終身刑を宣告された。
独房は、歩いて3歩の狭さ。ベッドは足も伸ばせない。そこで家族や同志への迫害を聞かされた。
マンデラ氏の名は、人権活動家の間では伝説となっていた。だが収監から十数年が過ぎても、氏の闘争を知る人は限られていた。
氏の解放を願う人々の思いは、やがて幾つもの歌に託されていく。
84年、「フリー・ネルソン・マンデラ」がラジオの電波に乗ると、各地で大規模なイベントが開かれ、氏の名前が広がっていった。
同じく氏を歌った「アシンボナンガ(彼の姿を見ていない)」は、南アフリカ国内では演奏が禁じられ、コンサートも妨害されたが、各国のアーティストが次々とカバーし、解放運動の世論を喚起している。
氏は27年半もの獄中闘争を勝ち越えて釈放。そして91年、アパルトヘイト撤廃の凱歌がこだました。
◇ ◆ ◇
90年10月31日、聖教新聞本社のロビーに、南アフリカの愛唱歌「オリサッサ・マンデラ」の大合唱が響いた。池田先生が500人の青年と共に、マンデラ氏を迎えたのだ。
アフリカ各国の駐日大使とマンデラ氏が語り合った際、訪日の印象を問われ、氏はこう答えている。
「最もうれしかったのは、池田SGI会長にお会いしたことです。また、その際、若い学生の方々らが温かく迎えてくださり、歌まで歌ってくださった。私は27年間、囚われの身で戦ってきましたが、"これで、その努力が報われた"と思いました」
本社での対談で、日本と南アフリカの教育・文化交流が約された。
5年後、大統領として来日した氏と先生の再会の折には、民音による同国を代表する音楽グループの招聘が決定。国際的なフェスティバルで最優秀賞の実績を持つドラケンスバーグ少年合唱団の来日も決まった。
同団では、アパルトヘイトの撤廃前から人種差別に異を唱え、黒人と白人が一緒に活動していた。
もともとは授業料が高額で白人しか通えなかったが、当時の芸術監督が、歌声に差異はないと主張。黒人の入学を受け入れ、その後も度重なる人種偏見をはねのけてきた。
マンデラ氏が遠い日本に送り届けてくれたのは、「人間の平等」を象徴する若き芸術家たちであった。民音での来日公演は4度に及ぶ。
ある夏の公演で、同団のメンバーが語っていた。
"今日は池田博士が無実の罪による投獄から釈放された日です。私たちは、博士に深いつながりを感じます。なぜなら博士とマンデラ氏は、人権と平和のために政治的圧力を受け、投獄、釈放されるという、共通の体験をされているからです。
氏の解放から間もなく、この偉大な両者が会見したことは、ご存じのことと思います。私たちも世界の平和へ努力を続けていきたい——"
歌に託した平和への願い。それは国や時代を超えて受け継がれ、人間が進むべき未来を照らしている。
〈引用・参考文献〉『勇気と希望 ローザ・パークスのことば』高橋朋子訳(サイマル出版会)、クレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』梶原寿訳(日本基督教団出版局)、ダグラス・ブリンクリー著『ローザ・パークス』中村理香訳(岩波書店)、ピーター・バラカン著『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)。
2018年7月3日火曜日
2018.07.03 わが友に贈る
険しい苦難に挑んでこそ
自身の可能性が開かれ
本当の力を発揮できる。
どんな試練にも負けず
無上の幸福を築こう!
種種御振舞御書 P919
『かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』
【通解】
この日蓮をたとえ用いたとしても、敬い方が間違っていれば国は滅ぶであろう。
〈寸鉄〉 2018年7月3日
忘れまじ「7・3」。偉大な師弟の激闘で創価の城は隆々。報恩の前進、今こそ
「法華経の信心を・とをし給へ」御聖訓。最後に勝つ人が真の勝利者なり
東北の日。不屈の挑戦に世界の友が喝采!さあ心一つに歴史綴る大行進を
最初の一言は幾千の挨拶に値す—文豪。わが地域の広布は一期一会の心で
「認知症サポーター」が1千万人突破。広がる支援の輪。共助が時代の光
☆誓いの天地 茨城・水戸市 2018年6月28日
◇地域に信頼の実証を
茨城県の県庁所在地である水戸市。
時代劇「水戸黄門」でおなじみの徳川光圀ゆかりの地であり、江戸時代、徳川御三家の一つとして栄えた。藩校「弘道館」や日本三名園の一つ「偕楽園」など、名所・旧跡は数多い。
全国的に有名な納豆や、市の木である梅にちなんだ和菓子なども人気で、多くの観光客が訪れる。JR常磐線や高速道路が走る県内の交通の要所だ。
この地で父と共に防水工事業を営む室田英利さん(水戸本陣圏、圏男子部書記長)。住宅のほか、市内を通る常磐自動車道をはじめ、圏央道などの防水工事も担い、地域を支えてきた。
8人きょうだいの長男として生まれた。中学卒業後、職人の世界へ。だが次第に荒れた生活を送るように。さらにバイク事故を立て続けに起こしてしまう。
"このままではいけない"と初めて自分自身を見つめた。その時、胸に浮かんだのが、いつも題目を唱える父母の姿だった。
本気で信心に取り組もうと創価班大学校に入校し、卒校前後に6世帯の弘教を実らせた。だが、2008年(平成20年)、苦難の嵐に襲われる。予定されていた高速道路の仕事が突然、なくなってしまった。しかも父が病で倒れた。
電車賃にも事欠くような困窮の中で、室田さんは自転車でアルバイトに通い、家計を支えた。"全て投げ出したい"——悲鳴を上げそうになった時、男子部の先輩が「宿命転換のチャンスを逃してはいけない」と励ましてくれた。
信心で逆境を乗り越えようと唱題を重ね、折伏に走り、これまでに15世帯の弘教を実らせた。その中で父の病状は好転した。父と営む会社の業績は現在、好調を維持する。
「どこまでも信頼を第一に仕事に取り組み、地域で実証を示していきます」
◇
鈴木雅子さん(水戸本陣圏、圏女子部長)は、市内の病院で看護事務の秘書として働く。
人の命を救う現場で働きたい、と現在の職場に就職。しかし当初は、経験不足から、なかなか仕事を任せてもらえなかった。
悔しさをバネに、職場での実証をと祈った。「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)の御文を胸に刻み、どんな小さな仕事にも全力で挑んだ。
そんな姿を見ていた上司から次第に信頼を寄せられるように。昨年からは、人事関係の仕事にも携わるようになった。病院で働く看護師等の採用、オリエンテーションなど、要の業務を担っている。
学会活動にも全力を注いできた。今月2日に行われた関東総会へ向けて、婦人部と団結して励ましに動き、部1を超える華陽リーダーが誕生。自身も昨年末から4人の友人が入会を決意するなど、対話拡大に率先している。
「白蓮グループで学んだ"自発の心"、そして、目の前の一人を大切にする姿勢に徹し、華陽の連帯を広げていきます」
◇栄光の共戦譜
●凱歌の人生輝けり
「茨城の各地域で、広宣流布の勝利像、モデル像がつくられていくならば、それはそのまま、二十一世紀の勝利への道しるべを打ち立てることになる」
小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章で、池田先生は茨城への期待を、こうつづっている。その誇りも高く、茨城の同志は広布に駆けてきた。
10回にわたる師の茨城訪問の中で、「県の日」の淵源となったのが1973年(昭和48年)6月17日、水戸市内で行われた「茨城県スポーツ祭」である。
先生は6000人の友と記念撮影。その合間に万感の励ましを送った。
「私は一個の平凡な人間です。しかし、皆さん方を邪悪な批判から守り抜くことだけは、誰にも絶対に負けません。どうか安心してまっしぐらに一生成仏への大道を突き進んでいただきたい」
さらに、先生は�求道�団結�行動�人材育成との永遠の指針を示した。この四つの指針を胸に、友は凱歌の歴史をつづってきたのである。
◇
76年(同51年)8月15日、茨城郷土文化祭が盛大に行われた。終了後、先生は茨城広布の功労者である浦井央記さん(故人)の自宅を訪れた。
この時、長男の俊宏さん(水戸新世紀圏、副本部長)と、長女の長塚央子さん(取手友舞圏、婦人部副本部長)、次女の萩原真理子さん(東京・板橋総区、総区婦人部副総合長)、俊宏さんの妻の美子さん(水戸新世紀圏、支部副婦人部長)らも、共に師を迎えた。
先生は浦井さん一家と懇談し、央記さんに「毎日少しでもいいから、御書を勉強していってください」と。その後、皆で勤行を。「先生の題目は、大将軍が先頭に立って、"戦うぞ"と師子吼するような音声でした」(俊宏さん)
さらに帰り際、先生は俊宏さんの長女・妙さんに、「See you again!(またお会いしましょう!)」と英語であいさつを。浦井さん一家にとって、かけがえのない宝の出会いとなった。
この原点を胸に、浦井さん一家は広布に走った。俊宏さんは、交通事故や2度のがんなど、数々の試練を信心で乗り越えてきた。美子さんは夫を支え、近隣に友情を広げる。
毎年、師との出会いを結んだ「8・15」には家族で集まり、報恩の誓いを新たにしてきた。
長女の妙さんはアメリカの大学を卒業し、ロサンゼルスで教員をしながら、地区婦人部長として活躍する。長男の大さんは、男子地区リーダーとして奮闘。後継の道を歩んでいる。
◇
「苦しみ抜いた茨城の友が待っているんだ。何があっても、私は行くよ」
82年(同57年)2月、先生は茨城へ向かった。第1次宗門事件の嵐を勝ち越えた同志のもとへ——今も語り継がれる"厳寒の茨城指導"である。
9日、先生は小島俊一さん(水戸本陣圏、副圏長)らが経営する食堂「食事処 小島」を訪れた。
その食堂は、戦後まもない頃、祖母のたねさん(故人)が始めた。純粋に信心に励んできたたねさんの夢は、"いつか先生に来店していただきたい"。その「時」のために、座布団まで用意していた。
先生は真心に感謝してその座布団に座り、地域広布を支えてきた小島さん一家の貢献を心からたたえた。また、食堂の二階で弟の茂雄さん(同、副支部長)が営む喫茶店にも立ち寄り、励ましを送った。
俊一さんはこの日の出会いを心に刻み、白雲会(飲食業に携わる壮年・男子部の人材グループ)の一員として、"仕事の実証と広布拡大で師に応えよう"と誓った。
脊柱管狭窄症や家族性大腸腺腫症など、苦難に直面したこともあったが、誓いを思い起こし、病魔を勝ち越えてきた。
妻の明子さん(同、支部副婦人部長)らと切り盛りする店は、創業70年を超えた。"さらに地域から愛される店に"と夫婦で誓う。
◇
10回目の茨城指導となった90年(平成2年)6月19日、先生は落成間もない茨城文化会館を訪問。翌20日、本部幹部会に出席した。
この日、茨城未来部の各種人材グループの友と先生との記念撮影も行われた。先生は、未来っ子一人一人に温かなまなざしを向け、「いい顔してるね。みんな、立派になってね」と優しく語った。
当時、高校2年生だった宮部治子さん(水戸本陣圏、白ゆり長)は師と写真に納まった一人。
この時、幼い頃からの夢だった医師になる決意を一層強く固めた。勉学に挑み、唱題にも挑戦。大学の医学部を卒業し、耳鼻咽喉科の医師となった。
京都、長野などでの勤務を経て現在、3児の母として家事や子育てをしながら、水戸市内の病院で働く宮部さん。地域の健康セミナーで講師を担当することも多い。
「患者さんの声に耳を傾け、安心を与えていける"妙法の医師"を目指し、誠実第一の医療に徹していきます」
◇ ♪おお寒風に 梅の香を
君も友どち 耐え勝ちぬ
いざや歌わん 茨城の
凱歌の人生 創らんや
凱歌の人生 輝けり
茨城県歌「凱歌の人生」が発表されたのは、78年(昭和53年)10月21日。今年は40周年の佳節である。
関東総会と6・17「県の日」45周年を広布拡大で勝ち飾り、師弟の月・7月、そして県歌発表40周年の10月へ、水戸と茨城の友は、勝利また勝利のリズムで前進する。
師弟の道を真っすぐに進む「直通」の誇りに燃えて。
自身の可能性が開かれ
本当の力を発揮できる。
どんな試練にも負けず
無上の幸福を築こう!
種種御振舞御書 P919
『かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』
【通解】
この日蓮をたとえ用いたとしても、敬い方が間違っていれば国は滅ぶであろう。
〈寸鉄〉 2018年7月3日
忘れまじ「7・3」。偉大な師弟の激闘で創価の城は隆々。報恩の前進、今こそ
「法華経の信心を・とをし給へ」御聖訓。最後に勝つ人が真の勝利者なり
東北の日。不屈の挑戦に世界の友が喝采!さあ心一つに歴史綴る大行進を
最初の一言は幾千の挨拶に値す—文豪。わが地域の広布は一期一会の心で
「認知症サポーター」が1千万人突破。広がる支援の輪。共助が時代の光
☆誓いの天地 茨城・水戸市 2018年6月28日
◇地域に信頼の実証を
茨城県の県庁所在地である水戸市。
時代劇「水戸黄門」でおなじみの徳川光圀ゆかりの地であり、江戸時代、徳川御三家の一つとして栄えた。藩校「弘道館」や日本三名園の一つ「偕楽園」など、名所・旧跡は数多い。
全国的に有名な納豆や、市の木である梅にちなんだ和菓子なども人気で、多くの観光客が訪れる。JR常磐線や高速道路が走る県内の交通の要所だ。
この地で父と共に防水工事業を営む室田英利さん(水戸本陣圏、圏男子部書記長)。住宅のほか、市内を通る常磐自動車道をはじめ、圏央道などの防水工事も担い、地域を支えてきた。
8人きょうだいの長男として生まれた。中学卒業後、職人の世界へ。だが次第に荒れた生活を送るように。さらにバイク事故を立て続けに起こしてしまう。
"このままではいけない"と初めて自分自身を見つめた。その時、胸に浮かんだのが、いつも題目を唱える父母の姿だった。
本気で信心に取り組もうと創価班大学校に入校し、卒校前後に6世帯の弘教を実らせた。だが、2008年(平成20年)、苦難の嵐に襲われる。予定されていた高速道路の仕事が突然、なくなってしまった。しかも父が病で倒れた。
電車賃にも事欠くような困窮の中で、室田さんは自転車でアルバイトに通い、家計を支えた。"全て投げ出したい"——悲鳴を上げそうになった時、男子部の先輩が「宿命転換のチャンスを逃してはいけない」と励ましてくれた。
信心で逆境を乗り越えようと唱題を重ね、折伏に走り、これまでに15世帯の弘教を実らせた。その中で父の病状は好転した。父と営む会社の業績は現在、好調を維持する。
「どこまでも信頼を第一に仕事に取り組み、地域で実証を示していきます」
◇
鈴木雅子さん(水戸本陣圏、圏女子部長)は、市内の病院で看護事務の秘書として働く。
人の命を救う現場で働きたい、と現在の職場に就職。しかし当初は、経験不足から、なかなか仕事を任せてもらえなかった。
悔しさをバネに、職場での実証をと祈った。「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)の御文を胸に刻み、どんな小さな仕事にも全力で挑んだ。
そんな姿を見ていた上司から次第に信頼を寄せられるように。昨年からは、人事関係の仕事にも携わるようになった。病院で働く看護師等の採用、オリエンテーションなど、要の業務を担っている。
学会活動にも全力を注いできた。今月2日に行われた関東総会へ向けて、婦人部と団結して励ましに動き、部1を超える華陽リーダーが誕生。自身も昨年末から4人の友人が入会を決意するなど、対話拡大に率先している。
「白蓮グループで学んだ"自発の心"、そして、目の前の一人を大切にする姿勢に徹し、華陽の連帯を広げていきます」
◇栄光の共戦譜
●凱歌の人生輝けり
「茨城の各地域で、広宣流布の勝利像、モデル像がつくられていくならば、それはそのまま、二十一世紀の勝利への道しるべを打ち立てることになる」
小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章で、池田先生は茨城への期待を、こうつづっている。その誇りも高く、茨城の同志は広布に駆けてきた。
10回にわたる師の茨城訪問の中で、「県の日」の淵源となったのが1973年(昭和48年)6月17日、水戸市内で行われた「茨城県スポーツ祭」である。
先生は6000人の友と記念撮影。その合間に万感の励ましを送った。
「私は一個の平凡な人間です。しかし、皆さん方を邪悪な批判から守り抜くことだけは、誰にも絶対に負けません。どうか安心してまっしぐらに一生成仏への大道を突き進んでいただきたい」
さらに、先生は�求道�団結�行動�人材育成との永遠の指針を示した。この四つの指針を胸に、友は凱歌の歴史をつづってきたのである。
◇
76年(同51年)8月15日、茨城郷土文化祭が盛大に行われた。終了後、先生は茨城広布の功労者である浦井央記さん(故人)の自宅を訪れた。
この時、長男の俊宏さん(水戸新世紀圏、副本部長)と、長女の長塚央子さん(取手友舞圏、婦人部副本部長)、次女の萩原真理子さん(東京・板橋総区、総区婦人部副総合長)、俊宏さんの妻の美子さん(水戸新世紀圏、支部副婦人部長)らも、共に師を迎えた。
先生は浦井さん一家と懇談し、央記さんに「毎日少しでもいいから、御書を勉強していってください」と。その後、皆で勤行を。「先生の題目は、大将軍が先頭に立って、"戦うぞ"と師子吼するような音声でした」(俊宏さん)
さらに帰り際、先生は俊宏さんの長女・妙さんに、「See you again!(またお会いしましょう!)」と英語であいさつを。浦井さん一家にとって、かけがえのない宝の出会いとなった。
この原点を胸に、浦井さん一家は広布に走った。俊宏さんは、交通事故や2度のがんなど、数々の試練を信心で乗り越えてきた。美子さんは夫を支え、近隣に友情を広げる。
毎年、師との出会いを結んだ「8・15」には家族で集まり、報恩の誓いを新たにしてきた。
長女の妙さんはアメリカの大学を卒業し、ロサンゼルスで教員をしながら、地区婦人部長として活躍する。長男の大さんは、男子地区リーダーとして奮闘。後継の道を歩んでいる。
◇
「苦しみ抜いた茨城の友が待っているんだ。何があっても、私は行くよ」
82年(同57年)2月、先生は茨城へ向かった。第1次宗門事件の嵐を勝ち越えた同志のもとへ——今も語り継がれる"厳寒の茨城指導"である。
9日、先生は小島俊一さん(水戸本陣圏、副圏長)らが経営する食堂「食事処 小島」を訪れた。
その食堂は、戦後まもない頃、祖母のたねさん(故人)が始めた。純粋に信心に励んできたたねさんの夢は、"いつか先生に来店していただきたい"。その「時」のために、座布団まで用意していた。
先生は真心に感謝してその座布団に座り、地域広布を支えてきた小島さん一家の貢献を心からたたえた。また、食堂の二階で弟の茂雄さん(同、副支部長)が営む喫茶店にも立ち寄り、励ましを送った。
俊一さんはこの日の出会いを心に刻み、白雲会(飲食業に携わる壮年・男子部の人材グループ)の一員として、"仕事の実証と広布拡大で師に応えよう"と誓った。
脊柱管狭窄症や家族性大腸腺腫症など、苦難に直面したこともあったが、誓いを思い起こし、病魔を勝ち越えてきた。
妻の明子さん(同、支部副婦人部長)らと切り盛りする店は、創業70年を超えた。"さらに地域から愛される店に"と夫婦で誓う。
◇
10回目の茨城指導となった90年(平成2年)6月19日、先生は落成間もない茨城文化会館を訪問。翌20日、本部幹部会に出席した。
この日、茨城未来部の各種人材グループの友と先生との記念撮影も行われた。先生は、未来っ子一人一人に温かなまなざしを向け、「いい顔してるね。みんな、立派になってね」と優しく語った。
当時、高校2年生だった宮部治子さん(水戸本陣圏、白ゆり長)は師と写真に納まった一人。
この時、幼い頃からの夢だった医師になる決意を一層強く固めた。勉学に挑み、唱題にも挑戦。大学の医学部を卒業し、耳鼻咽喉科の医師となった。
京都、長野などでの勤務を経て現在、3児の母として家事や子育てをしながら、水戸市内の病院で働く宮部さん。地域の健康セミナーで講師を担当することも多い。
「患者さんの声に耳を傾け、安心を与えていける"妙法の医師"を目指し、誠実第一の医療に徹していきます」
◇ ♪おお寒風に 梅の香を
君も友どち 耐え勝ちぬ
いざや歌わん 茨城の
凱歌の人生 創らんや
凱歌の人生 輝けり
茨城県歌「凱歌の人生」が発表されたのは、78年(昭和53年)10月21日。今年は40周年の佳節である。
関東総会と6・17「県の日」45周年を広布拡大で勝ち飾り、師弟の月・7月、そして県歌発表40周年の10月へ、水戸と茨城の友は、勝利また勝利のリズムで前進する。
師弟の道を真っすぐに進む「直通」の誇りに燃えて。
2018年7月2日月曜日
2018.07.02 わが友に贈る
◇今週のことば
さあ、「青年の月」だ。
皆が青春の心で
希望と確信の対話を!
「二人・三人・百人」と
地涌の若人を呼び出せ!
2018年7月2日
御義口伝巻下 P757
『霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり』
【通解】
霊山とは、また日蓮大聖人およびその門下が南無妙法蓮華経と唱える、その人の住所が霊山である。
〈寸鉄〉 2018年7月2日
学会に民衆を幸福にする先導役を担ってほしい—元大統領。我ら平和の柱
堅塁・中部が記念月間。圧倒的な拡大を今こそ!広布の「この道」を大前進
御書「仏と申すは正直を本とす」。誠実な振る舞いを。挨拶一つも真心込め
全国各地で猛暑と大雨。無冠の友よ呉々も無事故第一で。皆様の健康祈る
親が何度も声を掛ける—いじめを見抜く方法と。家庭の対話に一家和楽も
☆忘れ得ぬ瞬間 第3回 創価大学 2005年6月 中国・華中師範大学「名誉教授」称号授与式
◇学び、そして戦う人生たれ
本年は、創立者・池田先生の「日中国交正常化提言」発表から50周年。日中平和友好条約締結からは40周年に当たる。半世紀に及ぶ両国友好への貢献をたたえ、中国各界から先生に贈られた顕彰は、枚挙にいとまがない。百年以上の伝統を誇る名門・華中師範大学から「名誉教授」称号が授与されたのは、2005年6月17日。式典で謝辞を述べた先生は、同大学が時代に先駆けて「学生奉仕」に徹してきた事実に言及。創大の学生中心の精神を確認するとともに、人生も学問も、あらゆる戦いは「執念」で決まると訴えた。
学生のためにこそ、大学はある。教育はある。ゆえに、教員は心から学生を大切にすることです。学生を尊重していくことです。「わが子」以上に、「学生」に愛情を! 「わが親」以上に、「学生」に尊敬を! ここに徹した人が本当の教員です。
教員の誠実な心に包まれて育った学生は、どこか違う。その真価は、すぐには発揮されないかもしれない。しかし、社会に出てから分かる。良い教員と出会ったかどうかが、学生の人生を決めると言ってもいい。それほどに、教員の存在は大事なのです。
私も、19歳で戸田城聖先生の弟子となり、先生の「戦う執念」を、すべて身につけました。先生と学会が絶体絶命の苦境の時も、「断じて負けない!」「最後に勝ってみせる!」と決めて戦い、勝ってきた。そうして、今日の世界的な創価の連帯が築かれたのです。
一時の名声や肩書で、勝負は決まりません。スポーツであれ、実社会であれ、どんな分野であれ、執念を持った人間が最後には勝っている。執念の人間には、かなわないのです。では「執念」とは何でしょうか。「忍耐強く耐え抜くこと」は、重要であるけれども、まだ受け身です。
さらにもう一重、強く深く「執拗なまでに攻め抜くこと」——これを執念と言うのです。ここにこそ、勝利の活路は、必ず開けるのです。
◇大きな歴史を
辛亥革命の電源地となった武漢に立つ華中師範大学。馬敏学長(当時)は、「人間」に光を当て、激動の中国近代史を研究してきた著名な歴史学者であった。先生は、自身も小説に民衆史をつづってきた事実に触れ、歴史を動かすのは「人間の力」であると強調。また同大学の卒業生で、若き日の周恩来総理と共に革命闘争に身を投じたうん代英氏の言葉「山が高くとも、登っていく限り、必ず頂上を極めることができる。道が遠くとも、進んでいく限り、必ず到達できる」等を紹介し、「信念」と「勇気」に生き抜く人生をと語った。
どんなに人がいても、烏合の衆では力にならない。偉大な人間がいるかどうかです。偉大な人間がいれば、平和な社会も、豊かな社会も、実現できる。
学び、そして戦う。それでこそ、学生です。"学び、そして遊ぶ"が今の風潮かもしれないが、どうか皆さんは、「学び、そして戦う」「探究し、そして行動する」という、誉れの青春の道を歩み抜いてください。
学問に励むことは、もちろん重要です。しかし、勉学に専念していれば、それで十分というわけではない。
社会のため、人々のために、何か行動を起こしていくのです。勇敢に闘争していくのです。そこで得られた経験は、必ずや自らの学問と結びつき、自身の貴重な力となっていきます。その青春にこそ、英知と正義が光り、快活と充実がみなぎっていくことを知ってください。
現実社会を見れば、人を苦しめ、悩ませ、不幸にさせゆく悪が満ちています。この世は、善と悪の戦いです。その悪を滅しゆく善の戦いを教えていくのが、教育の役割なのです。
小さな、つまらない人生を生きてはならない。どうか皆さんは、大きな使命のために、大きな悩みを持ちながら、大きな自分をつくり、大きな歴史を残してください!
これが創価大学の精神だと思うが、どうでしょうか!
さあ、「青年の月」だ。
皆が青春の心で
希望と確信の対話を!
「二人・三人・百人」と
地涌の若人を呼び出せ!
2018年7月2日
御義口伝巻下 P757
『霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり』
【通解】
霊山とは、また日蓮大聖人およびその門下が南無妙法蓮華経と唱える、その人の住所が霊山である。
〈寸鉄〉 2018年7月2日
学会に民衆を幸福にする先導役を担ってほしい—元大統領。我ら平和の柱
堅塁・中部が記念月間。圧倒的な拡大を今こそ!広布の「この道」を大前進
御書「仏と申すは正直を本とす」。誠実な振る舞いを。挨拶一つも真心込め
全国各地で猛暑と大雨。無冠の友よ呉々も無事故第一で。皆様の健康祈る
親が何度も声を掛ける—いじめを見抜く方法と。家庭の対話に一家和楽も
☆忘れ得ぬ瞬間 第3回 創価大学 2005年6月 中国・華中師範大学「名誉教授」称号授与式
◇学び、そして戦う人生たれ
本年は、創立者・池田先生の「日中国交正常化提言」発表から50周年。日中平和友好条約締結からは40周年に当たる。半世紀に及ぶ両国友好への貢献をたたえ、中国各界から先生に贈られた顕彰は、枚挙にいとまがない。百年以上の伝統を誇る名門・華中師範大学から「名誉教授」称号が授与されたのは、2005年6月17日。式典で謝辞を述べた先生は、同大学が時代に先駆けて「学生奉仕」に徹してきた事実に言及。創大の学生中心の精神を確認するとともに、人生も学問も、あらゆる戦いは「執念」で決まると訴えた。
学生のためにこそ、大学はある。教育はある。ゆえに、教員は心から学生を大切にすることです。学生を尊重していくことです。「わが子」以上に、「学生」に愛情を! 「わが親」以上に、「学生」に尊敬を! ここに徹した人が本当の教員です。
教員の誠実な心に包まれて育った学生は、どこか違う。その真価は、すぐには発揮されないかもしれない。しかし、社会に出てから分かる。良い教員と出会ったかどうかが、学生の人生を決めると言ってもいい。それほどに、教員の存在は大事なのです。
私も、19歳で戸田城聖先生の弟子となり、先生の「戦う執念」を、すべて身につけました。先生と学会が絶体絶命の苦境の時も、「断じて負けない!」「最後に勝ってみせる!」と決めて戦い、勝ってきた。そうして、今日の世界的な創価の連帯が築かれたのです。
一時の名声や肩書で、勝負は決まりません。スポーツであれ、実社会であれ、どんな分野であれ、執念を持った人間が最後には勝っている。執念の人間には、かなわないのです。では「執念」とは何でしょうか。「忍耐強く耐え抜くこと」は、重要であるけれども、まだ受け身です。
さらにもう一重、強く深く「執拗なまでに攻め抜くこと」——これを執念と言うのです。ここにこそ、勝利の活路は、必ず開けるのです。
◇大きな歴史を
辛亥革命の電源地となった武漢に立つ華中師範大学。馬敏学長(当時)は、「人間」に光を当て、激動の中国近代史を研究してきた著名な歴史学者であった。先生は、自身も小説に民衆史をつづってきた事実に触れ、歴史を動かすのは「人間の力」であると強調。また同大学の卒業生で、若き日の周恩来総理と共に革命闘争に身を投じたうん代英氏の言葉「山が高くとも、登っていく限り、必ず頂上を極めることができる。道が遠くとも、進んでいく限り、必ず到達できる」等を紹介し、「信念」と「勇気」に生き抜く人生をと語った。
どんなに人がいても、烏合の衆では力にならない。偉大な人間がいるかどうかです。偉大な人間がいれば、平和な社会も、豊かな社会も、実現できる。
学び、そして戦う。それでこそ、学生です。"学び、そして遊ぶ"が今の風潮かもしれないが、どうか皆さんは、「学び、そして戦う」「探究し、そして行動する」という、誉れの青春の道を歩み抜いてください。
学問に励むことは、もちろん重要です。しかし、勉学に専念していれば、それで十分というわけではない。
社会のため、人々のために、何か行動を起こしていくのです。勇敢に闘争していくのです。そこで得られた経験は、必ずや自らの学問と結びつき、自身の貴重な力となっていきます。その青春にこそ、英知と正義が光り、快活と充実がみなぎっていくことを知ってください。
現実社会を見れば、人を苦しめ、悩ませ、不幸にさせゆく悪が満ちています。この世は、善と悪の戦いです。その悪を滅しゆく善の戦いを教えていくのが、教育の役割なのです。
小さな、つまらない人生を生きてはならない。どうか皆さんは、大きな使命のために、大きな悩みを持ちながら、大きな自分をつくり、大きな歴史を残してください!
これが創価大学の精神だと思うが、どうでしょうか!
2018年7月1日日曜日
2018.07.01 わが友に贈る
親子の時間を有意義に!
多忙な日々の中で
一緒に過ごす工夫が
子どもとの絆を強める。
家族で楽しき思い出を!
四条金吾殿御返事 P1169
『又さきざき申すがごとくさきざきよりも百千万億倍御用心あるべし』
【通解】
また、以前から申したように、以前よりは百千万億倍、用心していきなさい。
〈寸鉄〉 2018年7月1日
さあ青年の月!列島各地で弘教のドラマ。後継の誓い燃える師子は陸続と
きょうキッズフェスタ。未来っ子の成長は希望!学会の庭で力合わせ育成
「心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ」御書。対話こそ心結ぶ王道。誠実で
青年教学1級の申し込み開始。行学は仏法の魂。悔いなき挑戦と錬磨の夏を
国民安全の日。交通事故・火災は「私は大丈夫」との心の隙に。互いに声掛け
☆大白蓮華巻頭言2018年7月号 我らは「生死不過」の心で!
日蓮大聖人が年配の父母たちを慈しまれた御振る舞いを拝するたびに、私の胸は熱くなる。
子どものいない佐渡の国府入道夫妻へのお手紙では、「教主釈尊は人道殿と尼御前の慈父です。日蓮はまた、あなた方の子です」(P1323)、と寄り添われ、乱世に老いゆく不安を取り除かれている。富木常忍の九十代の母堂へは、「全宇宙の諸天が、お母さまの信心の志を知られるでしょう。その功徳は、露を大海に入れ、土を大地に加えるようなものです。生生に失われず、世世に朽ちないでしょう」(P968)と讃えておられた。
こうした仰せは、そのまま、いとおしい創価の父母たちへのお心であり、お約束であろう。
わが師・戸田城聖先生は、私が十九歳でお会いした座談会の祈、悠然と語ってくださった。
−−生老病死という根本の悩みを、誰もが打開して必ず正しい人生を送れるのが、日蓮仏法だよ、と。
この七十星霜、先生の指導過り、生死の苦悩に立ち向かい、我ら創価家族は、何と多くの「人間革命」の勝利の実証を積み広げてきたことか。
「生死一大事血脈抄」には、「一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し」(P1337)と説かれる。
友へ題目を送り、励ましの手を差し伸べてきた多宝会の方々こそ、生死を超えて千仏の手に抱かれ、護られ、歓喜と安穏の軌道を進みゆけるに違いない。
恐るるな
生死ともに
仏なり
山越え谷越え
歓喜の凱歌を
当然、生身の色心には、加齢による衰えがある。
勿体なくも御本仏が、最晩年、「この八年の間は、やせる病気といい、齢といい、年々に身も心も弱くなってきました」(P1583)と仰せである。
その中で大難を乱ばれ、一人ひとりを擁護し、薫陶され、万年の令法久住を開いてくださったのである。
ゆえに、自身の病や家族の介護等にも、「長く信心してきたのに」などと、たじろぐ必要はない。
「このやまひは仏の御はからひか」「病ある人仏になる」「病によりて道心はをこり候なり」(P1480)との御金言のままに、探き意味を址つめつつ、何ものにも屈しない、変毒為薬の大福運と大境涯を一家眷属に創り上げていくのだ。これが信心である。
たとえ、眼・耳・鼻・舌・身・意という「六識」の働きが衰弱しようとも、広宣流布の闘争で築いた陶中の「九識心王真如の都」は絶対に崩れない。
我らの三世の旅路は、永遠に妙法と一体であり、大聖人と一体なのである。何の不安があろうか。
この「信心の血脈」は、今は反発している家族の生命にも必ずや流れ通っていくから、心配はない。
創価の父・牧口常三郎先生は、獄中で殉教された。いかなる場所で、いかなる臨終の姿をとろうと、広布の誓願に生き抜く生命は、「一生成仏」の凱歌を轟かせていけることを教えてくださっている。
先師から託された「生死不退の心」で、多宝の長者たちと共々に、常楽我浄の香風を広げゆこう!
☆7月の広布史
◎7・3「戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日」
1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府の弾圧により不敬罪、治安維持法違反の罪に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時・理事長)が出獄した日。戸田先生は、獄死した初代会長・牧口常三郎先生の遺志を継ぎ、学会の再建に立ち上がった。
57年(同32年)7月3日、大阪府警が、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時・青年部の室長)を、選挙違反の容疑で不当逮捕(大阪事件)。12日、蔵前の国技館(当時)で大阪事件に抗議する「東京大会」が行われた。池田先生は、17日に釈放され、同日、中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。
62年(同37年)1月25日に無罪判決が出された。
※参考資料=『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第4巻「立正安国」、第5巻「獅子」、『池田大作全集』第22巻、『法華経の智慧』第6巻
◎7・11「男子部結成記念日」
51年(同26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で、戸田先生のもと、百数十人が集い、男子部が結成された。75万世帯達成に向け、男子部は弘教に奮闘。その先頭に立ったのが、若き池田先生であり、蒲田、関西などで折伏・弘教の金字塔を打ち立てた。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
◎7・19「女子部結成記念日」
51年(同26年)7月19日、旧学会本部で女子部結成式が行われ、戸田先生は、集った74人のメンバーに、「女子部員は、一人のこらず幸福に」と激励した。
多忙な日々の中で
一緒に過ごす工夫が
子どもとの絆を強める。
家族で楽しき思い出を!
四条金吾殿御返事 P1169
『又さきざき申すがごとくさきざきよりも百千万億倍御用心あるべし』
【通解】
また、以前から申したように、以前よりは百千万億倍、用心していきなさい。
〈寸鉄〉 2018年7月1日
さあ青年の月!列島各地で弘教のドラマ。後継の誓い燃える師子は陸続と
きょうキッズフェスタ。未来っ子の成長は希望!学会の庭で力合わせ育成
「心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ」御書。対話こそ心結ぶ王道。誠実で
青年教学1級の申し込み開始。行学は仏法の魂。悔いなき挑戦と錬磨の夏を
国民安全の日。交通事故・火災は「私は大丈夫」との心の隙に。互いに声掛け
☆大白蓮華巻頭言2018年7月号 我らは「生死不過」の心で!
日蓮大聖人が年配の父母たちを慈しまれた御振る舞いを拝するたびに、私の胸は熱くなる。
子どものいない佐渡の国府入道夫妻へのお手紙では、「教主釈尊は人道殿と尼御前の慈父です。日蓮はまた、あなた方の子です」(P1323)、と寄り添われ、乱世に老いゆく不安を取り除かれている。富木常忍の九十代の母堂へは、「全宇宙の諸天が、お母さまの信心の志を知られるでしょう。その功徳は、露を大海に入れ、土を大地に加えるようなものです。生生に失われず、世世に朽ちないでしょう」(P968)と讃えておられた。
こうした仰せは、そのまま、いとおしい創価の父母たちへのお心であり、お約束であろう。
わが師・戸田城聖先生は、私が十九歳でお会いした座談会の祈、悠然と語ってくださった。
−−生老病死という根本の悩みを、誰もが打開して必ず正しい人生を送れるのが、日蓮仏法だよ、と。
この七十星霜、先生の指導過り、生死の苦悩に立ち向かい、我ら創価家族は、何と多くの「人間革命」の勝利の実証を積み広げてきたことか。
「生死一大事血脈抄」には、「一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し」(P1337)と説かれる。
友へ題目を送り、励ましの手を差し伸べてきた多宝会の方々こそ、生死を超えて千仏の手に抱かれ、護られ、歓喜と安穏の軌道を進みゆけるに違いない。
恐るるな
生死ともに
仏なり
山越え谷越え
歓喜の凱歌を
当然、生身の色心には、加齢による衰えがある。
勿体なくも御本仏が、最晩年、「この八年の間は、やせる病気といい、齢といい、年々に身も心も弱くなってきました」(P1583)と仰せである。
その中で大難を乱ばれ、一人ひとりを擁護し、薫陶され、万年の令法久住を開いてくださったのである。
ゆえに、自身の病や家族の介護等にも、「長く信心してきたのに」などと、たじろぐ必要はない。
「このやまひは仏の御はからひか」「病ある人仏になる」「病によりて道心はをこり候なり」(P1480)との御金言のままに、探き意味を址つめつつ、何ものにも屈しない、変毒為薬の大福運と大境涯を一家眷属に創り上げていくのだ。これが信心である。
たとえ、眼・耳・鼻・舌・身・意という「六識」の働きが衰弱しようとも、広宣流布の闘争で築いた陶中の「九識心王真如の都」は絶対に崩れない。
我らの三世の旅路は、永遠に妙法と一体であり、大聖人と一体なのである。何の不安があろうか。
この「信心の血脈」は、今は反発している家族の生命にも必ずや流れ通っていくから、心配はない。
創価の父・牧口常三郎先生は、獄中で殉教された。いかなる場所で、いかなる臨終の姿をとろうと、広布の誓願に生き抜く生命は、「一生成仏」の凱歌を轟かせていけることを教えてくださっている。
先師から託された「生死不退の心」で、多宝の長者たちと共々に、常楽我浄の香風を広げゆこう!
☆7月の広布史
◎7・3「戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日」
1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府の弾圧により不敬罪、治安維持法違反の罪に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時・理事長)が出獄した日。戸田先生は、獄死した初代会長・牧口常三郎先生の遺志を継ぎ、学会の再建に立ち上がった。
57年(同32年)7月3日、大阪府警が、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時・青年部の室長)を、選挙違反の容疑で不当逮捕(大阪事件)。12日、蔵前の国技館(当時)で大阪事件に抗議する「東京大会」が行われた。池田先生は、17日に釈放され、同日、中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。
62年(同37年)1月25日に無罪判決が出された。
※参考資料=『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第4巻「立正安国」、第5巻「獅子」、『池田大作全集』第22巻、『法華経の智慧』第6巻
◎7・11「男子部結成記念日」
51年(同26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で、戸田先生のもと、百数十人が集い、男子部が結成された。75万世帯達成に向け、男子部は弘教に奮闘。その先頭に立ったのが、若き池田先生であり、蒲田、関西などで折伏・弘教の金字塔を打ち立てた。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」
◎7・19「女子部結成記念日」
51年(同26年)7月19日、旧学会本部で女子部結成式が行われ、戸田先生は、集った74人のメンバーに、「女子部員は、一人のこらず幸福に」と激励した。
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