疲れた時そこ
一節でも一行でも
御書を拝していこう!
実践の教学の中でこそ
生命は強く鍛えられる。
御義口伝巻上 P718
『疵を蔵くし徳を揚ぐは上慢を釈す、自ら省ること能わざるは我慢を釈す』
【通解】
自らの疵(きず)をかくし、外面には徳のあるがごとき姿を示すのは上慢の姿であり、自ら省みることができないというのは我慢の姿である。
〈寸鉄〉 2018年6月28日
御書「法華経を弘通せん者は如来の使」。さあ勇み語れ。その人に福徳厳然
真剣さなくしては何事も成し遂げられない—文豪幹部よ最前線に飛び込め
策で解決した場合、また同じ問題で悩む—戸田先生。題目の剣で突き破れ
夏は全国的に厳しい暑さ—3カ月予報。熱中症に注意。小まめに水分補給
防災対策は自助で7割が決まる—識者。各家庭の備え確認。教訓を生かせ
☆地域を歩く 北九州市若松区 2018年6月20日
◇郷土愛が梅雨を彩る
辺り一面に、みずみずしい青葉の香りが漂っていた——。北九州市若松区にある高塔山公園。高塔山は標高124メートルの小山だが、山頂の展望台からは区内をはじめ、洞海湾、隣接する戸畑区や八幡東区の街並みなどを見渡せる。
この一大パノラマを目当てに訪れる人も多いが、梅雨の時季には、もう一つの楽しみがある。それは、満開に咲き薫るアジサイだ。
若松区は、県内でも有数のアジサイの名所。6月に入ると、高塔山の至るところでアジサイが見頃を迎え、彩りを加える。今月16・17日には「若松あじさい祭り」が開かれ、多くの人でにぎわった。
祭りは、高塔山に自生するアジサイを通して郷土愛を育てようと、1999年(平成11年)から始まり、今年で20回目を迎えた。
長年、あじさい祭りに携わってきたのが、松本正己さん(副支部長)。現在は、祭りの「挿し木教室」で責任者を担う。「たまたま祭りに立ち寄った時、地域の方に誘われたんです。気付けば、もう15年以上、手伝っています(笑い)」
アジサイは、一部を土に植えて発根させる「挿し木」という方法で数を増やす。挿し木教室では、アジサイのせん定の仕方や育て方などを紹介した後、参加者に挿し木した苗を2鉢、渡す。
なぜ2鉢なのか——。 「一つは参加者の個人用で、もう一つの鉢は"里親"としてアジサイを育てていただいて、1年後に高塔山に植樹してもらうためなんです」
◇笑顔を増やすため寄り添い続ける。
高塔山を彩るアジサイは、こうして地域住民の手によって年々、数を増やし、7万株を超えるまでになったという。
「愛する町に、アジサイも笑顔も増やしたい」と松本さん。地元自治会の育成部長、郷土芸能の「五平太ばやし保存会」の理事なども務め、地域活動に駆けている。
アジサイは青や紫、白やピンクなど、多彩な色に加え、同じ株でも土壌によって、さまざまな色になることから"七変化"の異名をもつ。北九州総県・若松区(中西一太区長、土井田広子婦人部長)には、アジサイのように多彩な人材が躍動している。
熱田涼さん(女子部副本部長)は柔道整復師、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の四つの国家資格を持つ。市内の整骨院で働く一方、視野が徐々に狭まり、視力が低下していく「網膜色素変性症」と闘う。
病気への不安や人間関係に悩んだ時、支えてくれたのが女子部の先輩だった。「親身になって話を聞き、時には涙をためて励ましてくださる姿に、自分も人のために行動できる人間になりたいと思いました」
学会活動に取り組み、女子部の部長を務めた。「家庭訪問する時は、いつも先輩が、そっと私の手を引いてくれました」
熱田さんに長年、関わってきた金田美幸さん(県女子部主任部長)は「ハンディをものともせず、朗らかに進む涼ちゃんの姿に、私たちの方が励まされています」と。
熱田さんは昨年、本年と友人に弘教を実らせた。「自分のことで精いっぱいだった私が、人のために祈れるようになりました。自分の姿を通して、学会の素晴らしさを伝えていきたい」
1963年(昭和38年)3月10日、池田先生は若松を初訪問。行事を終え、高塔山へ。同志と散策し、懇談のひとときを過ごした。
この日は後に「若松区の日」となり、本年は55周年の佳節を刻んだ。
「今年は、広宣流布大誓堂完成5周年とも重なります。意義深いこの年に、広布拡大の実証を示したい」と立石隆信さん(副区長)は語る。本年、すでに3世帯の御本尊流布を達成した。
食肉会社の代表取締役社長を務めつつ、区内の商店街で唐揚げ店を営む。一番人気はピリ辛の手羽中。むね肉やもも肉の唐揚げも大好評だ。
24歳で結婚し、1男2女の子宝に恵まれたが、離婚を余儀なくされた。3人の子どもの世話をしながら、父の経営する食肉会社で働いた。
十数年前、商店街にあった大型スーパーが移転し、客足が激減。会社の売り上げが減少し、多額の負債を抱えた。
立石さんは同志の激励を受け、池田先生の弟子として苦境を乗り越えようと真剣に唱題を重ねた。顧客が多い週末に割引をしたり、インターネット販売を始めたりするなど、努力と工夫を続ける中、10年で負債を完済。現在は、県内に3店舗を構えるまでになった。
商店街を抱える浜・市場連合組合では、10年以上にわたり理事長を務めている。「店が減れば、商店街の魅力が欠けてしまう。一つ一つのお店が大切です。皆で協力し合い、地域を元気にしていきたい」
北九州市は2011年(平成23年)12月、国から「環境未来都市」に選定され、エコ事業が盛んだ。「中でも環境保全活動の先駆的存在が、若松区なんです」——福岡県地球温暖化防止活動推進員、ふくおか環境マイスターとして活躍する久永惠美子さん(区副婦人部長)が声を弾ませる。
区内北部の「北九州エコタウン」には、リサイクル工場や風力発電施設などが立ち並ぶ。
自分も何かでこの町に貢献したいと、久永さんは24年前、環境ボランティアグループ「若松秋桜会」を発足。同会の代表として、コスモスの植樹運動をはじめ、環境家計簿の推進、リサイクル工作の指導、廃棄傘を再利用したエコバッグ作りなど、"家庭から地球環境を守る運動"を展開してきた。
こうした取り組みに対し、県知事や環境大臣から同会に環境保全功労者表彰が贈られている。
「学会で培った"一人を大切にする精神"を胸に、さまざまな団体や行政の方と協働してきました。これからも地域の方々と手を携え、輝く未来を開いていきたい」
アジサイの花言葉の一つに「団結」と。若松区の創価家族もまた、仲良きスクラムで進む。
市内の病院で看護師として働く慶田正志さん(区男子部書記長)。昨年8月、転落事故に遭い、左膝蓋骨を折る大けがを負った。職場の上司や同僚、学会の同志が何度も見舞いに訪れた。
香原靖博さん(支部長)と妻・智子さん(婦人部副本部長)も入院した翌日、駆け付けた。慶田さんとは、もう30年ほどの付き合いになる。
"歩けるようになるのか。社会復帰できるのか"——不安に駆られる慶田さんを、香原さん夫妻は「焦らないでいいからね。みんな、祈っているよ」と励ました。
慶田さんの妻・恵子さん(白ゆり長)は「手術の時など、多くの同志の皆さんが祈ってくれて。本当に創価家族は温かい」と感謝する。
池田先生からも真心の伝言とともに書籍の激励が。慶田さんは振り返る。「先生をはじめ、たくさんの皆さんの激励に、"自分は一人じゃない"と気付きました」
その後、感染症の併発や、つらいリハビリも乗り越え、歩行ができるように。本年2月、職場に復帰することができた。
これまで以上に真剣に仕事に臨んだ。信頼は深まり、一つの病棟の看護師長に抜てきされた。「骨折して不自由な中で、患者さんの気持ちを知ることができました。感謝の心を忘れず、もっと患者さんに寄り添える自分になっていきたい」
そう語る慶田さんの言葉に、香原さん夫妻は笑顔でうなずいた。「私たちには、子どもがおりません。だからこそ、慶田君をはじめ、地域の青年部を"わが子"だと思って接しています」
◇
若松文化会館のロビーには、大きな模造紙が飾られている。そこには、今年入会した友との記念写真が、たくさん貼られていた。まるで一朶のアジサイのように——。