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兄弟抄 P1083
『各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる』
【通解】
各々(池上兄弟)は、随分と法華経を信ぜられたために、現世において、過去世の重罪を招き出した。譬えてみれば、鉄をよくよく鍛えると、その疵が顕れるようなものである。石は焼けば灰となるが、金は焼けば(不純物が取り除かれて)真金となる。
〈寸鉄〉 2018年6月21日
『新・人間革命』第30巻の上巻が発刊。さあ正義の対話を!師の闘魂に学び
九州が地涌の拡大月間を力走。広布前進は我らの手で!燃える先駆の誇り
皆に功徳を受けさせたいから私は戦う—戸田先生これ幹部の心。祈り深く
大阪北部地震、引き続き余震に注意。家具の転倒防止、自助の備え等確認
世界の核弾頭1万4千発超。減少ペース遅く。市民社会の声更に強く廃絶へ
☆池田先生の指導・励ましから 第5回 宿命転換—負けない自分をつくる
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第5回のテーマは「宿命転換」です。
小説「新・人間革命」第13巻「楽土」の章
【あらすじ】1961年(昭和36年)12月、沖縄・名護の地区担当員・岸山富士子は、火災で2人の娘を亡くす。その報告を聞いた山本伸一会長は、自身の思いを沖縄の幹部に語っていく。
◇
「岸山さんは、さぞかし辛いだろう。悔しいだろう。胸が痛みます」
伸一の目には、涙さえにじんでいた。
「私たち凡夫には、自分が、どんな宿業をもっているかわかりません。大聖人は、御自身が大難に遭ったことについて、過去の『謗法の重罪』によると仰せです。
ましてや私たちは、過去遠遠劫以来、いかに多くの重罪を犯してきたか計り知れない。そして、大聖人は、本来なら、その罪の報いを未来永遠にわたって一つずつ受けるべきところを、法華経の敵を強く責めたので、大難となって一時に集まり起こったのだと言われている。
それは、今世で成仏するためです。しかも、その難は、仏法の功徳の力によって、過去の重罪の報いを現世で軽く受けているのだと、断言なされている。これが、転重軽受ということです。
つまり、信心をして苦しみを受けるということは、一生成仏への道を進んでいる証拠です。それは、絶対に間違いない。
岸山さんは、地区担当員として、名護の広宣流布に決然と立ち上がったから、過去世の罪障が一気に出て来たんです。信心の旗を掲げ持ったがゆえに、魔も激しく競い起こった。彼女が倒れれば、名護の広宣流布は大きく後退するからです。仏法の視座に立って考えるならば、大苦悩を受ける意味も、明らかになります」
◇ ◆ ◇
「娘さんたちは御本尊に巡り合い、お題目も唱え、広宣流布のためのお母さんの活動に協力して亡くなった。それは、三世の生命観に立つならば、今世で罪障を消滅し、永遠の幸福の軌道に入るために、生まれて来たということなんです。来世は、必ず、幸せになって生まれてきます。
大聖人は『無一不成仏と申して南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなし』(御書1573ページ)と仰せです。
岸山さんが、さらに強盛な信心を貫き通していくならば、いつか、きっと、心の底から"そうなんだ!"と、確信できる日がきます。
人間は苦悩を離れて生きることはできない。人は病気もするし、老いもする。そして、遅かれ早かれ、いつか、誰もが死を迎える。
病気が治る。事業が成功するといったことも、信心の力であり、功徳ですが、まだまだ小さな利益です。本当の大功徳は、どんな大苦悩に直面しても、決して負けない自分自身をつくり、何があっても、揺るがない大境涯を築いていけるということなんです。それが、絶対的な幸福境涯です。
もし、岸山さんが、今回の問題を乗り越えていったら、どんなに大きな苦しみを抱えた人にも、勇気を与えることができるでしょう。万人を奮い立たせる力をもつことになるでしょう。大変な宿命を背負っているということは、同時に大使命を担っていることになる。
どうか、『負けるな。断じて、負けるな。あなたが元気であり続けることが、信心の力の証明です』と伝えてください。私も、日々、真剣にお子さんの追善の唱題をしていきます」
◇理解を深めるために
●罪業も霜露のように消える
日蓮大聖人の仏法は、今世における「宿命の転換」を説きます。
大聖人は「佐渡御書」の中で、御自身が大難を受けているのは、仏教で一般に言われている通常の因果によるものではなく、過去において法華経を誹謗した故であると述べられています(御書960ページ)。
これは万人成仏、人間尊敬を説いた正法である法華経を誹謗すること、すなわち謗法こそが根本的罪業であり、あらゆる悪業を生む根源的な悪であるということを教えられているのです。
この正法に対する、不信・謗法という根本的な悪業を、正法を信じ、守り、弘めていくという実践によって、今世のうちに転換していくのが、大聖人の仏法における宿命転換です。そして、その核心こそ南無妙法蓮華経の題目なのです。
大聖人は「衆罪は霜露の如く 慧日は能く消除す」(法華経724ページ)という、普賢経の文を引き、自身の生命に降り積もった罪障も、南無妙法蓮華経の題目の慧日(智慧の太陽)にあえば、たちまちのうちに消し去ることができると言われています(御書786ページ)。
御本尊を信受して、自行化他にわたる唱題に励み、自分自身の胸中に太陽のような仏界の生命が現れれば、さまざまな罪業も霜露のように消えていくのです。
◇日蓮大聖人の御書から 「転重軽受法門」について
●苦難をはね返す真髄の力
日蓮大聖人は「転重軽受法門」で、「先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱっときへて」(御書1000ページ)と仰せです。
私たちは信心に励んでいても、人生の苦難や試練に直面することがあります。また、広布のために戦う中で、それを妨げようとする障魔が競い起こり、難にあうことがあります。
大聖人は、このような苦難に出あって宿命転換できるのは、むしろ「転重軽受」の功徳であると教えられています。
転重軽受とは、「重きを転じて軽く受く」と読みます。過去世の重い罪業によって、今世だけでなく、未来世にわたって、重い苦しみの報いを受けていかなくてはならないところを、現世に正法を信じ、弘めると、その実践の功徳力によって重罪の報いを一時に軽く受けて、罪業を全て消滅させていくことができるのです。
池田先生は、つづられています。
「『転重軽受』は、苦難をはね返す真髄の力を明かした希望の法理だ。太陽が昇れば、闇は消え去る。強盛なる信心を貫く中で、苦悩が『ぱっ』と消える時が必ずある。一番、自らを悩ませる難問が、一番、境涯を躍進させゆく転機となるのだ」