◇今週のことば
色心不二なれば
張りのある勤行で
健やかに聡明な生活を!
「朝朝・仏と共に」
満々たる生命力で出発!
2018年6月4日
四条金吾殿御返事 P1143
『一切衆生南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云』
【通解】
一切衆生にとって南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はない。法華経如来受量品第十六に「衆生の遊楽する所なり」とある。
〈寸鉄〉 2018年6月4日
「世界池田華陽会の日」。女子部の勝利こそ地域の光。悔いなき青春一筋に
関東各地で交流交歓会。広宣流布は地球同時の大運動。海外の友と心一つ
明快な指導、明確な目標が最前線の勢いに。皆がすっきり進める指揮頼む
出生率の低下で人口減少に拍車。全員を必ず人材に。そこに次代開くカギ
来春卒業の大学生、内定は既に4割と。学生部よ栄冠掴め!情熱と努力で
☆世界写真紀行 第33回 ロシア・モスクワ クレムリン
◇実り豊かな友情の劇を
激動の歴史を象徴するように、さまざまな建築様式の宮殿や塔が競い立っていた。
ロシアの首都モスクワの中心にあるクレムリン。
ロシア語で「城塞」という意味。その原型が築かれた12世紀以来、歴代の指導者たちが政務を行ってきた場所だ。
池田先生が初めてクレムリンを訪れたのは、ロシアがまだソビエト連邦だった頃の1974年9月。当時のコスイギン首相らと会見した。
東西冷戦の真っただ中。ソ連と中国の関係も緊張状態にあった。
コスイギン首相との会見で、先生は、首相から中ソ関係改善への言葉を引き出す。さらに、永続的な日ソ友好のために、政治・経済の次元を超えた文化・教育の交流こそ不可欠であり、その実現へ誠意をもって尽力したいと決意を述べた。
この訪問から、創価大学とモスクワ大学の交流も始まった。先生はモスクワ大学を訪れ、学術交流に関する議定書に調印。同年11月には、モスクワ大学のホフロフ総長が創大を訪れている。
そして翌75年5月、先生は再びソ連へ向かった。
この時の訪問団には、民主音楽協会や富士美術館の代表などが新たに加わった。先生は教育だけでなく、多角的・重層的な交流を目指したのである。
2度目の訪ソに当たっての先生の決意が、小説『新・人間革命』第21巻「宝冠」の章につづられている。
「二回目というのは極めて重要です。今後の流れが決まってしまうからです。対話だって、二の句が継げなければ、それで終わってしまう。この二の句に対話の進展がかかっている。二回目を成功させるには、どうすればよいか。それには、前回と同じことを、ただ繰り返すのではなく、一つ一つの物事を、すべて前進、発展させていくことです」
「創価大学も、民音も、富士美術館も、また婦人部も、青年部も、"今こそ日ソ友好の新しい歴史を開くぞ!"と決めて、情熱を燃やし、真剣勝負で臨むことです。形式的、儀礼的な交流は惰性です。それでは失敗です」
こうして第2次訪ソでは、議定書を具体化した創大とモスクワ大学の学術交流協定が締結された。また、前年に訪れたソ連対外友好文化交流団体連合会や文化省を再び訪問し、文化交流の実現へ具体的に話し合った。
そして先生は、クレムリンに赴き、コスイギン首相と2度目の会見に臨んだ。席上、首相は、教育・文化交流を実際に推進した先生の行動を高く評価し、今後の両国の交流に大きな期待を寄せた。
その後、冷戦の終結とソ連邦の解体など、ロシアは激動の時代に。しかし、創価大学との教育交流や、民音、東京富士美術館を通した文化交流は活発に行われ、日ロ友好の一翼を担っている。
対話の根本は、どこまでも「誠実」である。その上で"どうしたら真心が伝わるだろうか"と努力と工夫を重ねていくことである。
会うたびに、対話するたびに、互いの心が深まる。視野が大きく広がっていく——そうした実り豊かな友情のドラマをつづりたい。