2018年6月11日月曜日

2018.06.11 わが友に贈る

新聞休刊日

新池御書 P1443
『南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり』

【通解】
ただ南無妙法蓮華経とほかのことをさしおいてひたすら唱えていくならば、自然に生命に仏の相である三十二相八十種好をそなえていけるのです。法華経方便品に「我が如く等しくして異なること無からしめん」とあるように、釈尊のような仏にやすやすとなっていけるのです。

☆昭和30年3月大白蓮華巻頭言 「指導者」
学会は指導主義である。指導と教授は違う。教授とは教えることであり、指導とは導くことである。創価学会は、最初から、御本尊を信ずることに導くのである。
したがって、御本尊を教えることは、第二次的なのである。しこうして、信じた後には、信心のあり方を進んで指導するのである。また、信仰即生活であることを指導して幸福へと導くのであって、指導者とは、一日も早く会員一同が、幸福であらんことを願うべきである。
人生は険難であり、その行路は多難である。なかなか、普通の生命力では押し切っていけない。ゆえに、大指導者として、偉大なる御本尊の功徳を受けさせ、強き生命力を得させるように指導するのである。
されば、学会の指導者は、大御本尊のお姿を心の奥に刻みつけて、一般民衆の指導に当たらなくてはならない。
学会の指導者とは、なにをもって一般より高しとしうるのだ有ろうか。いうまでもなく信心の力である。その人自身の持っている才能、財力、社会的位置等ではない。ただただ信仰の道においてのみであることを深く自覚しなければならぬ。
されば、大御本尊のこと以外においては、けんそんであって、決して傲慢(ごうまん)な姿であってはならない。また、上長の位置を誇ることなく、なにごとも命令的であってはならぬ。指導である以上、相手の納得いくようにしてやらねばならぬ。そうして、御本尊の尊さ、功徳の偉大さを十分に納得させねばならぬ。
要するに御本尊を信ずる力と、慈悲とに満ちて、友として指導するものこそ指導者の自覚を得たものというべきではないか。

☆四季の励まし 成長と幸福は「挑戦」の中に 2018年6月2日
大宇宙の万物が、挑戦を続ける。
花は、
懸命に深雪を割いて新芽を出し、
波は、
体当たりを重ねて巌を削り、
太陽は、
日々、暁闇を破って躍り出る。
人が見ようが、見まいが、
己が使命を果たさんと、
黙々と、忍耐強く、
労作業を繰り返す。
挑戦! 挑戦! 挑戦!
それが、
"生きる"ということなのだ。

まず一歩を踏み出すのだ。
うまくいかないことがあっても、
「よし!」と思い直して、
何度でも挑戦すればいい。
その連続の中に
成長があり、幸福もある。

人生には、挫折もあれば
行き詰まりもある。
そうした時に、
何ものにも負けない強さをもち、
それを堂々と
乗り越えていけるかどうかに、
幸・不幸の鍵がある。
そこに、
仏法を求めざるをえない
理由がある。

信心ある限り、
人生の不遇も、失敗も、
すべて
生かし切っていくことができる。
ゆえに、
仏法者に行き詰まりはない。
「ただ唱題」「ただ、ただ広布」
——その炎のごとき一念と実践が、
暗夜を開いていくのだ。

大事なのは
「今から」の決意だ。
「これから」の行動だ。
その連続闘争が、
大きな歴史を築く原動力となる。

凜として咲く大賀ハス。千葉・茂原文化会館の「会館守る会」の友が、丹精込めて育てたものである。2007年(平成19年)7月、池田大作先生が都内でカメラに収めた。さらに「美事なる/蓮華の花の/大勝利」との句などを贈り、不屈の敢闘精神で前進する同志をたたえた。
泥沼から美しい花を咲かせるハスのように、負けじ魂を燃やし、現実変革への挑戦を続ける中に"幸福の花"は咲き薫る。さあ、きょうも挑戦の一歩を踏み出そう。