2018年6月5日火曜日

2018.06.05 わが友に贈る

自分自身に生きよ!
人と比べる必要はない。
昨日より今日
今日より明日と
一歩ずつ前へ前へ!

四菩薩造立抄 P988
『日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり』

【通解】
日蓮は、世間から見れば日本第一の貧しい者であるけれども、仏法をもって論ずれば世界第一の富める者である。

〈寸鉄〉 2018年6月5日
「仏法は皆師より習ひ伝へ給へり」御書。偉大な広布の師のもとで進む誉れ
仏法は「国を救い、人を救うもの」牧口先生。我らは勇敢に対話拡大で勝利!
福井の日。誇りに燃えて幸の緑野を開拓!青年を先頭に郷土ルネサンスを
友は第二の自己—哲人。尽くした分、自分の境涯も広がる。今日も心込め
社会との繋がりは人間の健康に好影響と。地域に絆結ぶ学会活動こそ王道

☆虹を懸ける 池田先生とパナマ� 2018年5月26日
◇わが生命に"幸福の宮殿"を
「パナマ」と聞いて、パナマ運河、野球強豪国、パナマ帽を挙げる人は多いだろう。
しかし、パナマ国民がどんな料理を食べ、どんな音楽を聴き、休日には何をして過ごすのかといった現地の暮らしぶりは、空路で20時間以上かかる日本では、ほとんど知られていないのではないか。
日本との外交関係が樹立されたのは、パナマがコロンビアから独立した翌年の1904年。すでに100年以上が経過している。
貿易大国・日本にとって、パナマ運河の存在は欠かせない。
運河を利用する国々の中でも、その物流量は世界屈指である。パナマは距離は遠いが、実は私たちの生活に深く関わっているのである。
池田先生の2度目の同国訪問(81年)は、両国の文化・教育交流を通じて、友情と平和の橋を架けるものとなった。
2月19日。7年ぶりとなる先生の到着を待っていたのは、日本とパナマの国旗を手にした大勢の人々だった。その数は約1500人である。
先生の再訪は、メンバーだけでなく、パナマ社会からも大きな注目を浴びていた。
空港の貴賓室には、国営テレビの取材の席が用意されていた。
「今回の訪問の目的は何でしょうか?」
「創価学会はどういった団体ですか?」
「パナマの国民に一言お願いします」
インタビュアーからマイクを向けられた先生は、その一つ一つに丁寧に答えていく。
「日本の理解、パナマ文化の理解を深めることです」
「仏教を基調として、世界の平和・文化・教育を推進する団体です」
「もっともっと日本に来てもらいたい」
その様子は、テレビのニュース番組や新聞紙上で報じられた。
インタビューを担当したのは、マヌエル・サンタマリアさん(故人)。SGIのメンバーだった。
記者としての実力を買われ、職場で選ばれたのである。
「主人はあの日、家に帰ってくるなり、興奮した面持ちで『最高に幸運なひとときだった』と言い、長い時間、御本尊の前に座っていました」と、妻のイダリアさんは振り返る。
サンタマリアさんはこの出会いを生涯の誇りとして、広布一筋の人生を駆け抜けた。
生まれつき、赤血球が壊れやすい遺伝性の病気を抱え、体が弱かった。しかし、学会活動に励む中で少しずつ健康になり、普通の生活ができるようになっていった。
何度か発作を起こし、入院を余儀なくされたこともあったが、そのたび、心配そうに見つめる家族へ「大丈夫。仏法の素晴らしさを証明してくるよ」と語り、励ました。
テレビ局を退職した後は、国立パナマ大学の教授となり、後進の育成にも努めた。SGIでは、支部長や本部長を歴任。2008年に息を引き取るまで、真実を伝える報道マンらしく、無理解や偏見の人にも誠実に仏法の素晴らしさや師の偉大さを訴え続けた。
「父は、自分のこと以上に、友人や同志の幸福を祈る人でした。いつも、"お前たちに遺してやれるレガシー(遺産)は、この信心だけだ"と言っていました」(次男のジャセール・サンタマリアさん)
今、その志を継ぐ友が、パナマ各地で奮闘している。

◇生活を大切に
81年の池田先生の滞在は8日間。3日目の21日朝には、5年前(76年)に完成した新・パナマ会館に足を運んでいる。
「ブエノス・ディアス(スペイン語で「おはようございます」)! お世話になります」
先生は居合わせた同志に声を掛けると、次々と記念撮影を。その後、メンバーと勤行・唱題。中南米各国から駆け付けた代表も交えて、3点にわたり懇談的に指導した。
——まず一つ目に、題目を唱えることは、自身の生命の中に"幸福の宮殿"を築くことです。たとえ現在が不幸であっても、最高の境涯が開いていくことを確信してください。
二つ目に、「仲良く」を合言葉に進んでください。
三つ目は、体を大切にすること。生活を大切にすること。職場を大切にすること。家庭を大切にすること。これが功徳を開いていく正しい法理です——
そして、こう結んだ。「苦しい時、悩みがある時、お題目をあげることが、人生勝利の根本である」と。
この日、エディルダ・デ・ロビンソンさんは、会館の2階に設けられた運営役員の部屋で、交流団を受け入れる準備を進めていた。先生は、その部屋にも顔を出した。
「突然の出会いに、とても驚きました。先生は、私たち役員とも記念撮影をして、『広宣流布の労苦は、全てが福運となっていきますよ』と激励してくださったのです」
ロビンソンさんは90年代、パナマ婦人部長として活躍する。
就任直後、アメリカによるパナマ侵攻、夫の病、宗門事件と、社会にも組織にも自身にも試練の嵐が吹き荒れた。しかし、"先生から託されたパナマ広布の灯を消してはならない"と、個人指導に徹し、「信仰即生活」の大切さを訴えていった。
日本の多宝会に当たる「パナマ 信心の王者・王女グループ」となった現在も、師と共に生きる喜びを語り伝えている。

◇平和と文化の力
"両国の友好関係に永続性をもたらし、実りあるものとするためには、教育と文化の交流以外にない"
池田先生はパナマ初訪問(74年)の折、こう信条を述べた。
81年の訪問では、この言葉の通り、日本とパナマの教育・文化交流の促進が図られた。
その一環として、栃木や大分等の同志による交流団が結成され、パナマの各地で交歓の集いが開催された。
21日には、そのメイン行事である「日パ親善文化祭」が、歴史あるパナマ市のパナマ国立劇場で昼夜2回に分けて行われた。
テーマは「人間蘇生の歓喜舞」。
第1部では、パナマのメンバーが各地方の伝統舞踊などを、第2部では、日本のメンバーがソーラン節などを披露した。
フィナーレでは、全出演者が舞台に上がり、愛唱歌とパナマ国歌を大合唱した。
夜の文化祭に出席した先生は、メンバーの熱演に喝采。「どこの国においても、どこの地域においても、きょうのこの日のように文化の華を咲かせ、民衆と民衆が合流し、融合していくところに、真実の恒久平和の華が咲くことを確信します」と、麗しい友情のステージをたたえた。
当時、15歳だったルベン・ロドリゲスさんは、民族衣装を身にまとい、伝統舞踊を踊った。
「立ち上がって惜しみない拍手を送ってくださった先生の姿は、この目に焼き付いています。81年の舞台は、私に"師匠を求める人生に限界はない"ことを教えてくれました」
6歳で信心を始めたロドリゲスさん。これまで、15人以上の友に弘教を実らせた。
腎臓の病を克服した体験を持ち、失業した時も、題目根本により良い条件で再就職を勝ち取った。何より、内向的な性格だったが、どんな困難にも自信を持って臨めるようになった。
「文化活動を通じて社会に貢献したい」と力を込めるロドリゲスさんは、これまでパナマSGIの文化祭などで演出指導を担当。現在は、コーラスグループの団長を務める。
平和と文化を愛する心は、パナマのメンバーの中に、生き生きと脈打っている。